■ 外伝14 / 「神話」



 ――2005年12月4日

 【 First / Second / Third / Fourth / Fifth 】




 /1

 やるべき仕事は全部終わった。玉淀が運ばれたという教会にダッシュで向かう。
 玉淀が病院ではなく教会に搬送された理由は、医学による手術よりも異能での治療が優先されたからだった。
 高層ビルから飛び降りてグチャグチャになった身体を、現代の一般人の医学レベルでは救えない。メチャクチャになった器官を再生できるかなんて微妙だ。だからここは奇跡の力に頼るしかない。高度な異能、奇跡の力に全てを任せるしかないという。
 専門的な心霊治療ができるという教会を信じ、俺はスライディングでその扉を蹴り破った。

「おらあっ! 依織様のお通りだぁ! さっさと道を開けぃ!」

 辿り着いた教会には数人のエージェント達が待機していて、俺の行く手を塞いだ。その程度でションボリする俺ではない。一刻も早く従兄弟で幼馴染で大親友の玉淀の顔を見なければ死んでしまうのだ。寂しくて死んでしまうのだ。だから何があろうと障害は弾圧しなくては。
 こうして俺に「落ち着け」と止めに入ったエージェントとの壮絶バトルが四ラウンドぐらい経過したとき、奥の方の扉が開いた。
 お医者様のお出ましと思わせる絶妙なタイミング。病院で言うところの「手術中」の赤いランプが消えて「センセイ! うちの子は!?」のシチュエーションに見えた。だがそこから出て来たのは、偉そうな心霊医師ではなく、患者の身内だった。

「月彦」

 玉淀の弟と、そのカノジョが一緒に出て来る。
 身内が出てくれたということで俺を取り押さえていたエージェント達が散っていった。月彦の姿を見て取り押さえをやめたということは、『月彦が手術に関わっていた』と見ていいのか。
 しかし月彦の格好は至って普通。白衣姿でもなんでもなく、平凡な高校生の格好にしか見えない。派手好きな玉淀に比べるとジャージ姿の月彦は只の大人しい少年に思える。医学に長けたようにも、奇跡の技が使えるようにも見えない。
 ……一方、居るだけで世界が変わってしまうほどの『絶世の美女』こと、金髪碧眼のカノジョが隣にいらっしゃった。彼女は「死んだ人も蘇らせる魔法を使える」と言っても信じてしまいそうになるぐらい神秘的な美しさを持っていた。んな力なんて無いって判ってるけどさ。
 月彦とそのカノジョ。両極端でどう見てもデコボコの二人が長年連れ添った老夫婦のようにお互い腕を組んで寄り添っている。というより引っ付いて離れないかのように抱き合いながら、俺の前に現れた。

「月彦。オメーがタマを治療したのかよ」

 それ以外に、主治医じゃない未成年の弟が重要そうな部屋から出てくる理由が無い。
 それでも確認のために問い掛けた。返事は、イエスだった。

「そっすよ。感応力で、オレの活力をたまにぃに与えていました」
「……その様子だと、タマは無事だな。無事だよな。無事じゃなかったら感応力繋がりで埼玉の海に沈めんぞ」
「埼玉に海は無いでしょ」
「ある」
「あるんだ。……い、いや、無いよ! 無いでしょ!? 日本でも数少ない海無し県じゃないか! えっ、もしかして湖があるとか!? でもそれ海じゃないよ!?」
「オメー、日本海を何だと思ってやがる!?」
「埼玉と関係は無いかなぁ!? そもそも感応力と何の繋がりがあるか判らないんだけど! 無いよね!?」
「つっきー、元気無いのに元気出しちゃダメよ。つっきーは力を出しきってお疲れなんだから」

 美女のカノジョの可憐な声に制され、月彦は「ぐぬっ」と大人しくなった。
 月彦の異能を使ってタマの死亡を食い止めたということか。多分。なんだかんだ月彦はすっげえ疲れている顔だ。だからカノジョと密着しているんだろう。
 正式な契約をしたマスターとサーヴァント同士、少しでも近くに居た方が失った力の回復が早くなるとかなんとかで、結局はイチャついてやがる。

「依織さん」

 イチャイチャ。腕にボインのおっぱいをくっ付けてやがる。回復のためだから仕方ねぇ。でもおっぱいが密着してやがる。結局はイチャついてやがった。おっぱいだから仕方ないな。

「あの、依織さん」
「リア充よ、俺のことは敬意を込めフレンドリーに大依織さんと呼べ」
「……さーせん。大依織さん、たまにぃが『魔物』の相手をしていること、知ってるんでしょ? それならたまにぃの体が丈夫だってこと判って……」
「あーよ。俺はタマ担当だからな。下っ端だがな。ちっとも知らねぇ」
「……るでしょ……ってどっちなんだよ!? 知ってんすか知らねーんすか!?」
「お前、凄まじいツッコミ力だな。俺の知っている限り最高である陽平と同等のツッコミ性能じゃねーか。お前ら、キャラ被り激しいぞ」
「全然違うもん! 陽平さんはカノジョいねーもん! オレにはアっちゃんがいるもん! この時点でキャラ被りじゃねーもーん!」
「つっきー、夜はお静かにするべきよ」

 カノジョにぎゅっと強く腕を抱かれ、正当なお叱りを受け、月彦は「ぐぬぬ」と黙る。
 俺も真似して「ぐぬぬ」してみると「あんたがぐぬぬするイミわかんねーし!」とまたカノジョに逆らい、大声を上げた。あーだーこーだ。言ってもきかない。これだから最近の若者は。

「『魔物』は何だか知らねぇが、タマは丈夫なのか。で、タマに会えるか?」
「あ、安静にしてやってくださいよ。……先程、教会で一番良い場所を借りて魔法陣を引いたんです。たまにぃ好みの領域に創り変えて治療がやっと終わったところなんです。いくら体が丈夫でもあの空間は清く保っておかないと。異物が入ったら大変なことが起きますから他人は入らないでください」
「面会謝絶ってワケか」
「つまりはそーゆーコトです」
「クソが」

 舌打ちをする。
 玉淀のことを想うなら会うな。言わなくてもそういう顔をした月彦は実の弟だ、玉淀の身を案じている。
 微かな怯えに免じて、俺は近場の長椅子に腰を下ろした。
 今こうして話し合っている場所は教会の礼拝堂。エージェントが散ってくれたおかげで薄暗いこの場には、俺と地味メン月彦と美女なカノジョの三人だけ。靴を脱いでも上着を脱いでも、叱りつける奴は何処にも居ない。
 俺は疲れていた。ここまでダッシュでやって来たり、その前も証拠隠滅に追われたりと仕事を終えた後なんだから。だからラクなカッコで足ぐらい伸ばしたい。
 リラックスして……状況を整理したかった。

「ホラ、月彦。それとカノジョさん。座れよ。でもって話せよ」
「話せって、何をですか」
「さっき言ったコト。『魔物』って何だよ。タマと何の関わりがあるんだよ。タマを治療したお前が第一に訊いてくるってこたぁ、その『魔物』は相当重要な存在だよなぁ?」
「大依織さん……ホントのところ、アンタは知ってるんですか、知らないんですか」
「大体は知ってる。だが、俺の中にあるのはあくまで俺が作った想像でしかない。教えてもらったことはない。誰も『魔物について』なんて教えてくれなかったし、んなコト書かれてる資料も無かったからな」
「…………」
「つーか資料があったら俺が見落とすコトも忘れるコトもねーよ。俺は『機関』チルドレンだもん、記憶力がバカみたいに良い『賢者の脳髄』って言われる異能を生まれつき開花させられてるんだ。お前だって何かしら異能を付けられて生まれ落ちただろ? 俺の場合、記憶力を強化されてるんだ。そんなスーパーマン的に知らないコトがあるなんて許せねぇ」
「……『魔物』は最高ランクの機密事項ですし、資料が横行する訳が無い。寺中の資料を暗記してる大依織さんでも知らなくても、無理はないです」
「へえ、言うねえ」

 俺は虚空――ウズマキの中から、お茶の入ったペットボトルを取り出す。
 それを月彦に投げつけた。飲め、それをお代として話せ。そう意味を込めて。

「俺はタマの親友だからさ、タマに関わるコトは全部知りたいんだよ。知らないなんて許せない。知恵は全部、一族にあるべきもの。知恵を身に付け続けろって家訓に則って、聞かせてもらおうか」
「…………」
「話せよ。知ってるコト、全部な。出し惜しみすんじゃねーよ、俺より知ってるコト多いんだろ……『最高機密すら知ってる』月彦サンやぁ?」

 俺なりにカッコつけて、威厳たっぷりで挑発する勢いで、月彦に攻め寄る。腰を椅子に下ろしたまま、真剣な顔をして直立不動の彼を見上げつつ。
 月彦は、受け取った茶のキャップを緩めた。
 だが自分で飲まず、隣で引っ付いてるボンキュボーンのカノジョに渡す。ペットボトルの蓋すら取ってやるという紳士っぷりを見せつけられた。
 カノジョさんはというとその行為を当然と思っているように、自然な動きでボトルに唇を寄せた。
 いつ見ても、不思議な男女だった。

「大依織さんの知ってる『魔物』って、何ですか」
「ちゃんとした記録は見たことないから知らねぇ。ただ、断片情報から『仏田一族が飼っている化け物』のことを『魔物』と呼んでいることぐらいは判った。さっきも言ったが、俺から出るものは全部予想だ。確信ある真実は出てこねーよ」

 月彦はカノジョさんに座るように促した。
 でもカノジョさんは「つっきーが座らないならワタシも座らないわ」と返す。その会話があったのに、月彦は座らない。
 俺の隣に来て話すより、俺の真正面で話をした方が誠意があると思っているのか。そう言わんばかりの表情だった。真面目な奴だ。

「では、質問を変えます。『仏田一族が魂を集める理由』は?」
「神様を作るため」
「神を作る、その理由は?」
「……仏田一門を作った俺達のご先祖『橘 川越(たちばなの・かわごえ)』様の遺言、というか呪いが始まりだ」

 一族は神を作ること。神を作ることを使命とする。血を繋ぐ理由は神を作るためだ。それ以外は許さん。
 何のために優秀な血を繋いでやるかと言ったら、全知全能の神を作るため。全知全能を創造し、悩める者の為になれ。

「狭山様の台詞、カンペキですね。大依織さん」
「あれだけコキつかわれりゃな」

 始祖様は人助けが好きだった。人助けをするために京からド田舎に下ってきたんだ。
 これからたくさん人助けをするためにも人の為になる神を作ろう……とした研究が事の始まり。

「じゃあ、始祖様が神様に恋をした『お伽噺』は知ってますか?」
「ああ、それもよく浅黄様に聞かされたよ。『女神様にもう一度会いたい始祖様は、46億の魂を捧げて女神様を蘇らせようとするのです』ってヤツだろ」
「そう。46億の魂を用意し、それらを『捧げ先』に与えれば、始祖様の愛した神が蘇る。お伽噺の神作りの理由はそれですね」

 仏田が目指す神に関する伝説は、二つある。
 一つは、悩める人々を救済するために、神を作る手段を知る我々で作ろうとする話。人助けをするためだと聖人になりきる話だ。
 もう一つは、女神様に心を奪われた始祖様が「愛する人にもう一度会いたい」と強烈な願い、女神様復活の儀式を望んでいるという話。死んだ者を蘇らせようとする狂気の恋物語。
 主に一つ目の人助けを仏田の家訓に、二つ目はお伽噺のような感覚で聞いていた。

「月彦。俺の聞きたいのは『玉淀と関わっている魔物』についてで、神様には興味はねーよ」
「関連してるから話してるんですよ。……では、46億の魂を用意した後に儀式に使う『捧げ先』が何か知ってます?」
「また確認かよ。『捧げ先』は、『女子』だよ。死に物狂いで作れって言われ続けてる女子の身体に捧げるんだ」
「そうですね。今となってはそうなりました」
「……今となっては?」
「お伽噺の話をします。一族を作る始祖様は、仏田寺のある山……陵珊(りょうさん)山で、一人の女性と出会いました。彼女は『命を減らすことで世界を弄る』という特殊な種族……カミと呼ばれる種族でした」
「…………山奥に人外が住んでいた。鬼とか妖怪とか、ああ、よくある話だよな」
「カミは、人の言葉を扱えました。だから始祖様はカミの女性と想いを通わせられました。ですが、女神様は寿命で亡くなります。始祖様は最期の寿命を迎える前、『どうすれば女神様が蘇るか』を願いました」
「そうしてカミは『46億の魂を捧げれば』再度自分が蘇ると世界に決定づけた。こうして始祖はカミの言葉を信じ、46億の魂を集め続けることになる……」
「魂を集める前に、とある話を入れなければなりません」
「へえ?」
「始祖様は、女と子を作ります。長丁場になるであろう自分の願いを託す子を作るために」
「うん」
「そのとき、『始祖様は母となるカミと共に死したカミの血肉を食し、子を成しました』」
「は?」
「肉を取り込み自分の力とする異能。仏田にはあるでしょ? 銀之助様がよく調理して食べさせてくれるじゃないですか。血肉を取り込んで力にしろって。あの儀式の初代言い出しっぺスタート地点は、始祖様なんですよ。始祖様がカミの身体を食らったのが、我々の始まりなんです」
「ほう?」
「正確には、始祖様とカミがカミを食らったんですね」
「ん?」
「だから、始祖様と、カミが、カミを食べたんです。……神様は二人いるんですよ。始祖様が食べたカミ様と、始祖様と食べたカミ様です。一緒に食べた方が、仏田一族の先祖である女性なんですよ」
「…………」

 つい思考が止まり、一瞬だけ黙りこんでしまう。
 俺はもう一つ虚空からコーラのペットボトルを出した。喉が渇いたからだが、すぐにキャップを空けたら爆発するかもしれないので、暫く長椅子に置き放っておくことにする。
 その待ち時間で、考えた。

「……カミって、二体いたのかよ?」
「はい。人間族の住処から離れて山奥で暮らしていたカミ族は、一体だけではなかったんです」
「ああ、そっか……元々カミは人間族に馴染めなくて山奥でひっそり暮らしてたんだっけ。鬼とか妖怪とかが人間と共存できてるケースなんてどの地方でもねーもんな」
「二体いたカミのうち、始祖様が恋したのが一人、始祖様と子を成したのがもう一人、いたんです」
「あのさ、もう一体カミ様がいたならそいつに『女神様復活!』の願いを叶えてもらえば良かったんじゃねーの」
「ダメですよ。既に『女神を復活させる方法は、46億の魂を捧げる』と神様が決めちゃったんです。撤回する方法はあるだろうけど、そう簡単に変えられるものではなかったんですよ」

 世界創造にもちゃんとルールがあるのか。
 それと『本部』がご褒美のように能力者を食べさせてるけど、あれって千年前からあった相伝の術なのかよ。
 ……始祖様は、愛した女が欲しかっただけじゃなく、愛した女自体が欲しかった。
 でも先立たれてしまった。だからもう一人の女に血肉を取り入れさせて、一身になり、始祖様とカミは子を成した。これで一族は始まることになる……。

「血肉を食べた始祖様の髪は漆黒から炎のように赤く染まり、目も夜に妖しく光る光の色に変貌したといいます」
「……ああ、カミを食らったのが判りやすい変化だな。日本なのに黒髪黒目じゃねーのは確かに異界の存在だ」

 ご隠居の和光様なんてまるっきり日本人の顔でぎらぎらとした髪と目だから、奇妙極まりないんだよな。

「……自分ともう一体のカミも愛する血肉を手に入れた。この血を受け継ぐ者に46億の魂を自分の子供に捧げる準備を進めます」
「だが、46億個の魂が集める前に、始祖様は寿命で亡くなる」
「そこで始祖様は、カミの血を持つ自分の息子……次の一族の当主になる者の身体に、自らの魂を移植。一つの舟に二つの魂を乗っけることで、身体は死しても自身はこの世に居ることにした。そして二代目、三代目と舟を移し続け、一門は魂を集め続け……二十代目のとき、やっと46億個の魂が回収し終えるんです」

 十代も魂を移り渡るとは。途中で飽きてくれれば良かったものの。
 怨霊は単一の考えしか出来ないというが、始祖の魂とやらも似たようなものだったか。

「二十代目当主は、カミの血を引く直系の男子でした。その男子の中に始祖様の魂があった。始祖様の座っている『椅子』に女神を座らせる訳にもいかないので、捧げ先には別の人物が選ばれます。選ばれたのは二十代目当主の実弟。彼を生贄に、儀式の材料である46億の魂を使い、儀式を行ないました」
「その辺りは記録にも残ってる。俺も覚えてる。結果は、もちろん」
「失敗です。ここで成功していたら今の俺達が口うるさく『神を作れ』って言われてませんよね。……捧げ先となった二十代目の弟は、仏田寺の本殿で儀式を行われ、まもなく死亡。その際に集めた魂は、全部おじゃんになりました」
「ありゃりゃ」
「儀式が巧くいかなかったということで、一から材料である魂を集め直すように命じられます。そして三十五代目に46億を集めるのです」
「案外早くに集まっちゃったよな」
「そのときも、三十五代目当主の弟を媒体に集め直した46億の魂を使っての儀式だったんですが……」
「ダメだった」
「ええ。二度目の、46億もおじゃんでした」
「……その頃からか? 『女を生め』って言い出され始めたのは」
「はい。以前から、仏田の女子は当主から血は遠くても事あるごとに『当たり』でした。魔術の腕は言うまでも無く、生む赤子は皆優秀。女神を追い求めて神創造の儀式をしているんです、女子の体に辿り着くのも当然の流れでした。だから三度目の46億のときには、女子の誕生を待ったんです」
「そうして……『唯一の女神様』が生まれると」
「時は江戸。待望の直系の女子が産まれました。始祖様のいる『椅子』である当時の当主は、直系の女子を捧げ先に46億の儀式を行ないます。そして、成功しました」

 成功。
 ついに。
 その結果は、俺も読んだことのある文献通り。……ぷしゅっとキャップを開け、コーラを喉に流し込む。

「如何なる謎も見逃さない! どんな悩みもズバッと解決! 全魔法マスター! 完璧超人! 向かうとこ敵無しのスーパーゴッド! だったらしいな」
「なんかスッゴイありがたみの無い言い方ですね……。まあ、言ってることに間違いは無いんですけど。……どんな謎でも全て彼女は見通したと言われています。且つ、世界を創造できるカミに相応しい力も行使されたと言います。最高が、ついに完成しました。ですが、このときの女神様はたった一ヶ月で命を落とします。それは大依織さんもご存知の通り」

 それも記録が語っている。
 原因不明の突然死。幼い少女のカミは、たった一ヶ月での天下で幕を下ろしたという。
 その三十日間に多くの偉業を残した。
 判らぬ謎は無い。あらゆる力を操り、全てを決定することができたという……まるで雲の上の存在のような……。

「そうしてまた46億はゼロになり、四度目のスタートをし始めます。……そうして1898年。四度目の儀式に使われる46億の魂が揃いました」
「今から約百年前だな。だけど捧げ先になるべき女子は一向に、直系周辺では生まれなかった」
「ええ、全然生まれませんでした。……今から六十年前、現在仏田唯一の女子とされている清子様が誕生しました。当時の当主・光大様のはとこ弟の三人目の娘である清子様を捧げ先にし、神を作ろうという案もあったそうです」
「だが、それは却下された」
「既に始祖様が魂の譲渡をし始めてから千年。この機会を逃したらまた三百年は先になる。直系の女ですら一ヶ月しか生き延びなかった。それなのに分家中の分家の娘を使って成功するのか? 失敗できないということで、真の直系女子が生まれるまで儀式は保留になりました。……さて、『魔物』の話に参りましょう」

 やっとか。
 それが聞きたかったというのに、月彦もおしゃべりな奴だ。長々と一族を振り返ることになっちまったじゃねーか

「魂の条件は揃ったけど、女子が生まれないため儀式は保留。46億以上の魂を、始祖様の『椅子』である当主の身体に保存してきました。そして事件が起きます。これは資料に残ってる記録なので知ってるでしょう……?」
「1901年、本殿炎上」
「はい」

 これもちゃんと資料に残っている事件だ。
 ――1901年。明治34年。20世紀最初の年。2月。仏田寺の心臓部である本殿が、炎に包まれる事件が発生した。
 本殿の全焼は免れたが、炎により多くの財が失われた。このときの死者は一族の者達九名。中には重役の『本部』にも死傷者が出て、当時の当主・光大にまで事件に巻き込まれ火傷を負ったという。
 仏田縁の地での大事故、記録には当時の様子が事細やかに記されている。
 約百前という、古そうに見えて案外新しい話だ。千年前の色恋よりはずっと重要性を感じることができる。

「えーとなー、確かそのときの火事の原因は記録によると、仏壇の前に刺しておいた蝋燭が地震で倒れて火が燃え広がって……」
「表向きにはそういうコトになってるんですね。でもその炎の正体は……とある怨霊によるものでした」
「へえ、隠された真実ってのがあったのか。なんだよ、異端が寺に入り込んだのかよ?」
「いえ、入り込んだのではありません。『その場に生じたんです』」
「…………」
「本殿は、当主の居るべき場所。曰くのある場所でもありました。始祖様は神が住んでいた小屋が在った場所に本殿を立て、周囲に一族の館を張り巡らせ、結界を張り、『仏田の地』を完成させました。本殿は仏田の心臓部と言っていいほど、大切な場所です。今まで始祖と共に当主が守ってきた中央で、思い出の地で、女神復活の儀式が三度行われてきました」
「……おうよ」
「そう、本殿では46億の魂を使った儀式が、二度も失敗して解放させてきたんです。三度目は成功したからともかく……百億もの、成仏できない魂が、山に篭りきっていたんですよ」
「…………」
「寺の中には恐ろしい異端達が入ってこないよう、とても強力な結界が張ってあります。だから外から異端は入ってきません。同じように、寺で解放された百億分の魂は結界の外に出ることが出来ず、千年近く寺の中で彷徨っていました」
「……うわ」
「その結果、成仏できない負の魂達が合わさり……百億の負が、一つの異端を生み出しました」

 ――それが、『魔物』です。
 月彦が、ついに謎の存在を明かす。
 名前も与えられていないその存在を、重々しく口にする。

「集められた百億の魂が、全て清らかなものとは限りません。性悪な大犯罪者の魂や、許されることのない罪を背負った異端の魂だってありました。そんな凶悪な負が重なって産まれた一匹の異端を、外界に放出することなんてできませんでした」
「退治もできなかったのかよ」
「はい。できません」
「試みたのか」
「はい。ですが、無理でした。……ごく普通の能力者であるオレを、大依織さんは殺せますか?」
「多分殺せるぜ」
「では、十人のオレが襲い掛かったとして、殺せますか?」
「こちらも十人で対応すれば倒せるんじゃねーか」
「46億人のオレが襲い掛かってきたら?」
「…………」
「46億人で立ち向かえば倒せますかね?」
「…………」
「百億分の魔物には、百億人で倒さないといけませんね。ちなみに現在地球上に共存する人間の数は、66億人ですよ。全人類が日本に集結したって勝てないような奴は、無理に倒そうとせず、封印させておくのが一番だったんです」
「……ていうか、封印しか、できなかった。消滅は無理でも封印はできたんだな。何のゲームでもそうだけどさ、魔王をさっさと倒しておけばいいのにオープニング段階って決まって封印だよな」
「げ、ゲームの話は知りませんけど……。あの、廃屋ってありますよね? 人が住まなくなった家があったとして、取り壊さずに残しておくケースがあるでしょう? 家に人が住んでいなくても、住んでないからといって家自体を取り壊すまでにいかない。取り壊すには膨大な時間とコストと後の処理、そして『後戻りが出来ない』というリスクが発生するからです」

 トンデモナイ物体とはいえ、人が生み出した念の具現化という高位存在。
 実害は無いとは言えなくても征するだけの力がある現状。完全に消滅させるには、時間や労力以外の問題も関わってくるからなんとも言えず……?

「当時の『本部』は、生まれてしまった百億の魂の結晶体である魔物を、燃え盛る炎の中でなんとか啓発の鎖で繋ぎ止めることに成功しました。封印の儀式に九名の死者だけで済んだのは、まさに奇跡でした」
「よくもまあそんな封印の儀式ができたもんだ」
「『死を供なす永劫の呪縛』……それが魔物に効いたおかげで、封印だけでなく飼育に成功したんです」
「飼育?」
「ええ。当時の当主・光大様はペットにしたんです。魔物を。百億の怨霊の集合体を」
「……うわあ」
「だけど暫くして魔物は、『腹を空かせた』と暴れまくりました。これではまた火事騒ぎと九名以上の死者が出てしまう。急ごしらえではあるけど餌として何人かを与えてみると……魔物は落ち着き、言うことをきくようになりました」
「……言うことを聞く?」
「はい。だから魔物は、ペットなんですよ。……餌さえあげれば、言うことを聞くペットなんです。封印した際に、当主が支配下に置いたことで強制的に『契約』が成功したらしくサーヴァントとなった魔物は、マスターである当主に従うようになった」
「…………。そのペットは何をしてくれるの? 可愛いもんなの?」
「えっと、そうだな。大依織さん、もし全世界がオレ達の敵だとしましょう」
「わーお」
「さっきオレは地球上の人間は66億人しかいないって言いましたね。でもオレ達には百億分の力が、知恵が、魂を持っているんです」

 もし力で御そうとされたなら、百億の力で対抗できる。
 もし判らないことがあったなら、百億の知恵で対応できる。
 例えるなら百億の魂が一つ一つ攻撃してきたとする。それは百億回攻撃。たとえよわっちい一点だけのダメージだって、百億回食らえば……。

「その通りだ。敵いっこねえけど、従順な使い魔としてみれば強くて可愛いパートナー。……頭痛がしてきたぜ。」

 暴れなければ魔物は制御できる。
 『契約』により、サーヴァントとなった魔物は『基本的に』マスターである当主に刃向うことはない。……『基本的には』。
 完全に操り人形ではないから、いつ牙を向けるか判らないが。

「魔物を制御することで、全知全能を手に入れたようなもの。当主は決められた手順を行なうことで、いつでも全知を引き出せるようになった。……時折、高いお金で占いをする当主様の姿を見かけたことはありませんか?」
「見かけたことはないが、札束を持ったご婦人や成金どもが仏田寺にやって来て、感謝しながら帰って行くのは目にしたことがある。そういう日に限って大きな金が入ることも、資料で確認済みだ」
「人の為に知恵は使うものですから、知恵を求めてくる人に与えてあげてるんです」
「高ぇ金出して古いおみくじ。よく相談する気になるよな」
「……魔物を操れば全知全能を自在に操ることができた。でも我々は女神を生む儀式のために生きなきゃいけない。全知全能を手に入れたからって、ゴールではありません。女子が産まれるまで我々は待たなければなりません。魔物に殺されないように、飼い馴らすことを始めます。……でも魔物に与える餌は、野菜や果物じゃ追いつきませんでした。それに魔物は念から生まれた、怨霊が集まって完成した異端です。普通の食べ物じゃ満足できないぐらい、すぐに皆判りました。異端が何を好むか、ご存知ですね?」

 ご存知も何も、俺達能力者と同じだろ。
 ……魔力。生気。躍動する感情。俺達が『供給』と呼んでいる行為が、魔物にとっては食事そのものだ。

「……当時の当主が、魔物の供給相手をしていました。でも魔物は大食らいで当主の体が追いつかなかった。それに当主は、始祖様が座っている『椅子』という重要な役割があるじゃないですか。極力、死の可能性は低くすべき。だから当主は、当主として知恵を授かる以外では供給に選ばれることはなくなった」
「当主がその役目を下りたとなったら……餌となる人間が、他に必要となるな」
「始めのうちは、死を待つ罪人を餌として使っていました。でも罪人達は魔物の口に合わなかったらしく、一回の食事で殺されることが多かった。時代が時代だったんで寺に逃げてきた人達を使ったこともあるんですか……」
「それ、戦時中の話?」
「ええ。そうです。戦後も豊かさを求めて来た人で、供給役にふさわしい人は選ばれていたそうですが……」
「誰が死んだか判らなくなっていた時代は、入れ食いだったことだろ」
「…………。ある日、一門の中で罪を犯した男がいました。寺の物を盗んだという悪人を処刑すべく、魔物に捧げました」
「ふむ」
「するとその人は、珍しく……八年もちました。八年間、餌としてもった。今まで一族と無関係な者達を食わせてきましたが、同じ血族だというだけで餌の寿命が何百倍ももった。『本部』は気付いてしまったんです……魔物と一族の、身体の相性の良さに」
「何百倍ももったって、八年後にはその男は?」
「散々体液を搾られて死にました。……改めて考えてみると凄い話ですね。その男……休みは何日かにあったろうけど、三千日近く魔物に食われるだけの生活をその男は送らされたんですから……」
「八年経つ前に使えない体にはなっていただろうよ。でもそんなおいしい体だったんだ。当時の『本部』も、ムキになってその男を生かし続けたんじゃないか?」

 それはそれはさぞ恐ろしい食事風景だっただろう。
 餌はもぐもぐごくんで済まない。魔物の餌として巣に放たれ、噛まれ、飲まれ、吐き出され、反芻を何度も何度も繰り返したのか。すぐに死なれたら困ると……傷ついたところから治癒魔術を飛ばすとか、バラバラにされたところから繋いでいくとか、したんじゃないか。
 一日一人消費するより、八年で一人消費。その方が、安心して魔物を飼っていける。一族の安定を守るために、『本部』は必死になって魔物とその男を飼い続けただろう……。

「以後、一族から供給にふさわしい能力を持った者は、魔物の餌として選ばれることになりました。現在、その一人が……」
「その一人が、タマだと」
「うん。……たまにぃが選ばれたキッカケは偶然でした。最初は違う研究の実験体に選ばれていただけ。体液……血液で生成した人形のチェックのバイト。その実験をして……」

 それは元は、カスミンがしていたバイトだ。
 単なる戦闘訓練のような動作テストから、血で作られた人形は血の通った人とどれほど同じことが出来るのか、もしかしたら供給のスイッチを入れられるのではないか。そうすれば魔物に人形を作っては捧げ、作っては捧げを繰り返せるんじゃないか。そういうことで、人形は新たな研究先へ……。
 そうして数回だけのバイトに、玉淀が選ばれ……。

「たまにぃが、『魔物との供給』に適した身体だということが判明。……未だ研究は完遂せず、人形を実践投入することが出来ない今、餌役としてたまにぃが選ばれ続けることになりました」
「クソが」

 何度だって言ってやる。……玉淀も巣に放たれ、噛まれ、飲まれ、吐き出され、反芻を何度も何度も繰り返される目に遭ってるというのか。
 一回で殺されないからって? 偶然にも丈夫だったからって?

「魔物に何度も食われたって死なないぐらい丈夫……。丈夫なんだから、ビルから落としたって早々死なないから好きに扱っていい? ……そういうことかよ、『今日のアレ』は」

 死なないから死ぬようなことをさせても大丈夫って、どの頭が言いやがった。
 つーかなんで玉淀も魔物のコトを言わないんだ。拒否しないんだ。声を大にして「嫌なことをしている」「餌なんてやらされてる」って言ってくれれば……何だってできたのに!
 大にしたらお役目を外されるか? そうとも限らない。でも、知り合いや親友……俺のような親友に「助けてくれ」と言えば、無理なりに助けてやっていたというのに!

 玉淀に罪は無い。責任も無い。「どうせ上からの命令なんて覆せない」と思ってしまえば何にもできないことぐらい、二十年も仏田をやっていれば悟ってしまうかもしれない。
 判る。判るけど……でも!

「……おい。タマ以外に餌役をやってるのは誰だよ?」
「えっと……慧さん。あとは……」

 剣菱 慧。1980年9月9日生まれ、一本松の三男。瑞貴と陽平の弟。あの男か女か判らないようなオトコオンナか。頻繁に『本部』の人間に話しかけられたりあちこち出入りしてるとは思っていたけど、そんな仕事をしていたのか。あっちだって特別強そうって体でもないのに。
 そうだよ、最初の餌がどんなにもったって、八年後には死んだんだ。このままタマが使われ続けたら、それは間違いなく……。

「ああ、タマを生かしたいのか殺したいのかどっちなんだアイツらは。クソがッ!」



 ――2005年12月4日

 【 First / Second / Third / Fourth / Fifth 】




 /2

 依織、怒ってる。違った。大依織、怒ってる。
 くす。
 怒った人を前にして、つっきー、困ってる。クソって言われて困ってる。何て声を掛けていいのか悩んじゃって困ってる。
 そんなつっきーの顔もかわいい。怒り返したり泣いたりできなくて、何をしたらいいんだか判らない顔、とってもかわいい。

 でもつっきー、大人になったわね。何をしたらいいか判らないって泣いてたあの頃と大違い。
 今は悩んじゃってるけど、それは優しさを交えて依織に向ける言葉を選んでいるから。
 答えられない訳じゃない。つっきーは何でも答えられるようになった。
 そんなつっきー、まるで神様みたい。そうよね。神様だった。つっきーは何でも知ってるから。
 あれ、でも何て声を掛けたらいいんだか判らないんだっけ? でもつっきーは何でも答えられるでしょ。言える言える。だからつっきー。神様よ。
 男の子だから違うけど。
 あら、女だったっけ。
 くすくす。
 あらら、つっきー、ワタシの手を握ってきた。どうしよって思ってる。どうしたらいいか判ってるくせに。全部知ってるくせに。でも勿体ぶってぎゅってする。とってもかわいい。
 迷える人間もかわいいけど、迷えてるふりをしてるつっきーがかわいいわ。
 くすくすくす。
 かわいいつっきーが好き。でもワタシ、かわいくないつっきーも好きよ。大好きだもの。ワタシを構成させる全ての要素、それはつっきー。ねえ。つっきー。
 早く起きて。



 ――2005年12月7日

 【 First /      /     /      /     】




 /3

 玉淀が目を覚ますまでの間、書物庫に籠もって千年前から記録を洗い直すことにした。
 現代文で書かれたものにロクな記録は無かった。いつの時代か判らぬ、日記も言えない誰かさんのメモ帳にとにかく目を通していく。
 古語は読めても一筆書きを義務付けられていたかのようにヨレヨレの墨の文章の解読は難解を極めた。ありとあらゆる知識を駆使して一直線の黒い棒を解読しても、内容が「今日は晴れだった」のときだってある。個人のどうでもいい日記なんか書物庫に置いておくんじゃねーよ、大事に大事に保管してる理由なんてあんのか、と800年ほど前の文献に腹を立てながら検索を進めていく。
 魔物に関する記述は、やはりどこにも無かった。

 けれど500年ほど前の紙束を発見した頃から、充実した内容が入ってくるようになった。
 どうやら500年ぐらい前から、つまり1500年頃から「退魔業で飼ってきた魂がいかなる者かの記録」を取り始めたらしい。
 本当はその前から記録をしていたのかもしれないが、1400年以前の文書は見当たらなかった。
 現存しているのが1500年頃。当時の材質の悪い紙を傷付けぬように注意し、広げていく。

 内容は記録者(当時の処刑人だ)が几帳面だったのか、魂がいかなる者だったか事細かく書かれていた。
 この頃の魂の正体は、例えば妻を殺した夫の怨霊。辺り一面焼け野原にしやがった炎を吐く獣。死霊に体を乗っ取られ家族を斬り殺し、挙句の果てに俺達に狩られた子供。
 それらを全て狩って、成仏させずに寺に持ち帰ったと記されている。365日の記録が数百年ほど、たった一行でも膨大な量だった。
 今と全く変わっていない。2000年の現代と当時の裏社会はここまで同じなのかと感心する。着る物の種類が変わり食生活が変わって体格も大きくなり子供は全員文字が書けるような時代になっても、俺達の組織はやってることが変わってなかった。

 いいや、一部変わったことがある。
 1800年を過ぎた近代になってからだ。ヨレヨレの黒い棒を解読しなくても日本語として読めるようになってきてからのこと。
 記録を取ることが義務付けられ始め、今日も今日とて記録者が魂の管理について書いている文を読んでみる。
 この頃の魂の正体は、例えば妻を殺そうとした夫。辺り一面焼け野原にしようとした炎を吐く獣。家族を斬り殺すほどの強大な異能を持った子供。
 それらを全部狩って、寺に連れ帰ったと記されている。

 同じに思えたが、違う。全然違う。
 絶句する内容だった。
 思わずその文書を燃やして無かったことにしたいぐらいの事実。記録が義務だから残してあるんだろうが、「こんな物を残しているべきではない」と本能が訴えかけてくる。それほど凶悪な現実がここにあった。

 殺していない。
 夫も、獣も、子供も。
 俺達も。
 だけど魂回収の記録に書かれている。
 『つまりそういうこと』だった。

 ――おいおい、『家族を斬り殺すほどの強大な異能を持った子供』は危険って。そりゃ危険だよ、能力者なんだから。一般人とは違うんだから。
 ――でもよ、それの『どこが罪なんだ』? どこに狩る必要が……?

 これは、ごく一部の稀なケースだ。多くの者達は『仕事』で悪い者達を退治している。
 退治のついでに、オマケとして魂を貰っているだけ、ゴミを拾うだけじゃなくゴミをリサイクルしようとしているだけ、それが仏田のやり方だ。九割はそのケースだろう……?
 でも残り一割はそうじゃない。
 悪くもない能力者を、ゴミとして回収している、だと……?

 この記録は「どのような魂を回収したか」をまとめた塊だった。では違う文書はどうだと見付けてみる。「連れ帰った者達がどうなったか」を記している記録が残っている筈だ。
 そう信じ探してみると、案の定あった。どの時代にも記録魔はいるらしく、几帳面に何百件も記されていた。

 ――連れ帰った、いや、連れ去られてきた者達の多くは、魔術の実験に使用されたとある。

 一族が得意とする炎の火力を強めるためにはどうしたらいいか? ……実際に、火力を強める術式を施された者達がいた。
 魔力を使わずに炎を操るにはどうしたらいいか? ……実際に、魔力切れにされてから魔術行使を強制された者達がいた。
 どれぐらいの火力を操れば効率的に対象を殺れるのか? ……実際に、死ぬまで炎を浴びせられた者達がいた。
 お得意の炎だけじゃなく、他属性の魔術を操るためにはどうしたらいいか? ……実際に、無理な刻印移植を施され手足が何十本にもなった者達がいた。
 編み出した魔術がちゃんと機能するか? ……実際に、『的』として生涯を費やされた者達がいた。
 この研究成果は殺傷能力があるものなのか? ……実際に、死んだ者達がいた。

 試すために生き物が必要だった。そして多くの生き物が用意された。

 ――記録は、2005年まで続いていた。

 魔術の実験だけじゃなく、魔道具の実験にも使用すると書かれている。
 造った武器がちゃんと肉が斬れるものなのか『彼ら』を使って斬って確かめたり。力を蓄えた魔石を使っても暴走しないか確かめるため『彼ら』に持たせたり。暴走したらどれほどの被害が出るのかを『彼ら』を暴走させて確認したり。
 老若男女問わず狩ってきて、『彼ら』を使って知恵を増やしてきた仏田一族。あくまでこの記録は「『彼ら』がどうなったか」を簡潔に記しているだけだから、その後がどうだったかは見られない。
 でもそれについて書かれた記録はどこかにあるだろう。きっと、この書物庫のどこかに。

 『彼ら』は様々な用途で一族に使われ、最終的に……女の大半は、地下の苗床に回された。
 大勢を狩って、大勢に孕ませる。孕むまでやって、産んだらまた孕ませて。今だって産めよ増やせよの訓えはあるんだ、この考えが無かったらおかしいぐらいだ。だからこの事実を見てもあまり驚かなかった。
 女は人間の相手に宛がわれていたようだが、ある時代から男も人間相手へ送られたケースが発生した。1900年に入ってからだった。
 月彦が話していた、魔物が境内に発生してからじゃないか。

 魔物の餌は一門がするのが適当、それは月彦も話していた。
 かつて罪を犯した一族の男が魔物の餌を八年間通していた(その話を裏付けする資料も発掘できた。あれ月彦の作り話ではなく、本物の歴史だった)と言っていたな。
 だが一族の出の方が長く使えるからって次々一族の者を投下する訳にもいかず、しのぎで捕らえてきた者を食わせていたようだ。

 餌は男性が選ばれることの方が多かった。女は簡単に狂気に堕ちて早く味が落ちてしまうらしい。女性は痛みに強く身体的に長持ちはするが、男性の方が味が良かったため好まれたという。
 いつしか捕らわれの女は人間様の苗床コース、男は魔物様の食材コースへと分けられるようになった。

 狩ってきた者達は、大半は身よりの無い能力者。
 家族がいるようだったら連れてこられた時点で大問題になるか。だから世間的に消えてもすぐに探されないような者、もう死んだも同然の生者、あとは異端の被害者が多かった。
 他にも、人の形はしているが異形の者達も多く含まれていた。エルフと呼ばれる妖精族や、人に紛れて過ごす獣人、魔力を強く帯びた貴族達と言われる吸血鬼……。年も性別も、捕らえた国も問わない状態だった。

 そこまで調べていたら違う文体を発見した。今まで仏田一門の記録者が残してきた手書き文書を読んでいたが、書き方からして全く違う文書が出てくる。
 というか筆書きではなく、ワープロ字だ。2000年前後になってもアナログ派が多いこの一族の記録で活字の登場は異色だ。
 1970年。1971年。教会。異端刑務所。それらの単語が見える。
 それにしてもなんて読みやすいんだ、活字って。ビバ現代語。

「はわ。お調べ物ですか、依織様?」

 書物庫の入口からはわわの声がして、別に見られても全然やましくないけど持っていた書物を閉じる。
 千年分の一族の記録を漁ること十五時間。朝六時から始めた歴史の洗い直しだったが既に夜の二十一時を過ぎていた。800年ぐらい前から1970年まで読み進めてきたんだ、上々なスピードだろう。
 そんな訳でずっと書物に籠りきっていれば誰かお節介が文句を言いに来るとは思っていた。
 「遊んでないで仕事をしろ」と言われることぐらい予想していた。俺に勘では芽衣兄ちゃんか雑用のプロ・陽平が来るもんだと決め込んでいた。
 だから当主の秘書・鶴瀬が現れるなんて。つい驚いてしまう。
 そして焦ってしまう。鶴瀬は、どの立場なのかハッキリしていないからだ。

「お調べ物、なんですよね? だから書物庫をひっちゃかめっちゃかにしてるんですよね?」

 一族の出じゃない鶴瀬は、他の連中とは違う物を放っている。
 格好からして周囲とは違う。和服の多い一族の中でスーツ姿。ネクタイなんて絞めたことない奴も居るってぐらいなのに、寺の中で毎日「外に出るような格好」をしている。それだけで生まれが違うと言っているようなものだった。
 そうでなくてもこいつは、違う雰囲気を漂わせている。
 優秀だけど完璧じゃない、人並みに慌てたり失敗したりする。だからとても人間らしい。
 しかし……的確な表現ができないけど、笑顔が無害そうに見えてそうじゃないような、わざと牙を隠していると見せつけている感じが警戒心を呼んだ。

「そーじゃねーと言ったらどうするんだ?」
「怒ります。貴重な資料が多くしまわれている書物庫のありとあらゆる資料をあっちこっち滅茶苦茶に出されたら。でもお調べ物でお勉強中なら文句は言いません。皆も数日なら目を瞑って頂けるでしょう」

 常識を、何の変化も面白みも無しに鶴瀬は言ってみせた。
 全くもってその通り、今更わざわざ言われてもという台詞だ。
 「しまってある物はちゃんと元の位置に戻すように」「大事な資料で遊ぶんじゃない」「勉強は素晴らしいことだからどんどんやりなさい」……そんな当たり前のことを、言いに来ただけか? それとも鶴瀬も調べ物か?
 違う。何かあってここに来たんだ。

「オイ、はわわ」
「はわ。俺の方が年上なんだから、せめて名前で呼んでほしいんだけど……」
「俺を見張ってたのか、鶴なんとか」
「なんで『瀬』の一文字が言えないかな……。『見張っていたのか』の回答だけど、違うよ。俺は子供の遊びに付き合うほど暇じゃない。大山様は息子の気まぐれを気にしているけど、気に掛けて警戒なんてしていないさ」
「じゃあ毎日忙しい『本部』のなんとか瀬さんがこんな所に何の用だよ? 親父に言われて『バカをしている俺を処刑しろ』って命令されたか?」
「違う。なに、意地でも俺の名前を言わない気なの? そういうゲーム?」
「まだこの程度の汚物、処刑しないか。カスミンみたいに処刑なんかしないか。ああ、カスミンみたいに」
「……気にはしているんだよ、君のお父さんは。大山様は」

 書物庫に、靴下で音が立たない鶴瀬の足音が聞こえてくる。
 何人か冬でも裸足が多い一族の中、こいつが歩いてもペタペタしないから判りやすいな、と何気なく思ってみる。
 足音は近付き、俺が持っていた紙束を奪った。奪われても痛くも痒くもないのでそのまま奪われておく。……それ以上に、「その紙は奪わわなくてはいけない物なのか?」と疑心が湧いた。

「俺が『本部』で働かせてもらって半年。中心である大山様のことで、知っているのは……」
「あん?」
「大山様は、とてもお優しい人だということ。大山様だけでなく、狭山様もだ。狭山様はお子様達にとても怖いと思われているけど、一緒に仕事をしている俺は思うよ。とても優しい方だって」
「それが何だよ?」
「お二人とも、とても愛に溢れた人だ。立場上、何か不利益が発生したら対処をしなくてはならない。だから非情な面が露骨に表立ち、損をしている。何か問題があったら心を鬼にして決断をしなければいけない。それが彼らの仕事なんだ。はわ、お可哀想に」
「で?」
「依織様。君が間違った行ないをしたら処刑を下さなきゃいけないのは、『本部』の中心人物である実のお父さんなんだよ。優しい大山様は、君のことを心から処刑したいなんて思わない人だ。そんな日が絶対来るなと毎日祈っている人なんだ」
「だから?」
「そのような反抗的な目はしない方がいい。『こんな一族、滅んでしまえ』なんて言わない方がいい。一族の不利益となるなら、彼らは己の職務を果たすから。たとえそれがしたくないことでも」
「どうしても子供を助けたいなら、しなきゃいい話だろ? 『己の使命』を全うする方に命を懸けるんだ、息子の命より仕事を優先する父親だぜ。そんなのこっちはどう愛せって言うんだ? クソ」

 そんなお説教は聞きたくない。それよりも、ここに鶴瀬がいる『今』を活用させてもらおう。
 自分で積み上げた本の上に腰を下ろす。ぼふんと埃が立った。そんなのこの十五時間で慣れてしまっている。いくら掃除しても出てくる埃なんて気にしてられるか。

「その資料。アンタが持ってるそれだよ。『異端刑務所がどうだ』ってやつ。なにそれ?」
「なに、って」
「アンタに奪われたからまだ読んでないんだよ。子供はもう寝ろって? ボク気になって寝られないなー。掻い摘んで内容教えてくれる? だって『教会の関係者』だろ、アンタは。それとも何、中身を見たら正真正銘『反抗的な目』になるものなの? 教えーて、お願ーい」

 別に鶴瀬を挑発する気は無い。正真正銘のお願いだ。
 今ここでその資料を読めなくても、他に漁る物は大量にある。
 だが「よりにもよって鶴瀬が、教会についての資料を奪った」。これに裏があるなら提案を拒否する。そしたら新たな情報ゲットだ。「隠さなきゃいけないことがあるってこと」だから。
 思惑が何一つ無いなら簡単に言葉で情報ゲット。それだけのことだ。そんな訳で鶴瀬の反応を伺う。
 鶴瀬は慌てず、考える素ぶりも一切見せなかった。
 つまりその程度のことなんだろう。

「はわ……俺は、言ったから。言ったからね。『反抗的な目はやめろ』って」
「どういう意味だよ、それ」
「只の念押し。今からの話を聞いて依織様が更なる反抗の種にならなければいい。身近な上司が悲しまないように。そう祈ってる」
「つるぴょん、アンタって単なるいいひとのお節介?」
「ぴょんって何……? えーと、これについてだったね」

 鶴瀬は手に取った紙を軽くぺらぺら捲り、中を確認していく。

「これは、仏田が退魔組織『教会』に寄付をしていることの証明第一号から第三号。1970年1月5日、和光様は教会に二億の資金提供を行なった。6ヶ月後の7月にも、翌年71年の1月にも。金額はバラバラだけど寄付をしたよって記録の複写だ。現物は教会本部が預かっている」

 その後、「第四号も探せばきっとあるね」と付け足した。
 1971年1月以降も毎年(年一回になってるが)、仏田一門は退魔組織『教会』に金を送り続けている。
 全国規模で活躍する退魔組織である教会は、基本的に依頼人から報酬を受け取らない。善意の寄付で成り立っている、異端討伐専門の秘密結社だ。
 彼らの目的は人々を襲う悪の者達を退治すること。
 それだけ。異端から人々を守るためにある能力者の集団で、「人を助けられたら良い」と思っている完璧な奉仕精神の連中が作った組織だ。

 奴らは金儲けなど考えてない。その聖人過ぎる心意気が500年の間に認められて、多くの集団から支援をされているし、国を動かす血族(昔からのお金持ちや、何世代も政治家をやってるような連中)のお気に入りでもある。
 「化け物退治を善意でしてくれる彼らを無碍にしたくない」という考えが、世界には多いということだ。彼らは心ある者達の寄付で成り立っていった。500年奉仕の心から離れず、清く活動し続けていた。
 だけど、かつての仏田一族は教会を目の敵にしていた。
 仏田にとって異端や異端犯罪者は自分が肥えるための貴重な餌だ。千年前からの目的のために、自分らの繁栄のために貴重な材料を探す、「そのついでに人を救ってきた」に過ぎない結社だった。
 貴重な魂を消すなんて許さない……と、多くの組織を敵対視していた。
 長年、嫌な目で見る目だけではなく、時には「相手が商売仇だから」と妨害工作をしたことだってある。
 それこそ教会は1970年の和解まで、延々と嫌がらせをされ続けてきた。
 1969年までは、教会設立から500年間、ずっと敵として見られていたんだ。

「このままではまずいと六十代目当主・光大様や、六十一代目当主和光様は多くの結社と交流しようと考え始めた。今まで敵を作ってばかりだったから、そろそろ外の組織と近付いてやっていこうというお考えになった」
「その真相は?」
「教会は、異端討伐を主軸に置いている組織だ。でも世の問題を生み出すのは異端だけではない、『能力者の犯罪者』だっている。けど教会は、『能力者の犯罪者に関して』は専門外だったんだ。化け物退治はできても、人間を退治できずにいた。だから『いけない能力者』を捕まえるのも一苦労だった。苦労して捕縛した異端犯罪者を異端刑務所にまで連れていくのも、人間相手の知識の無い教会は難しくて……。最初は、仏田からの技術提供を請うてお近づきになろうとしたらしい」

 最初は。ホントはどっちから歩み寄ったのか判らないが。
 有名な旧家にやたら敵視される新参者の教会は、なんとかして溝を埋めようと「力を貸してくれないか」と頼む。仏田が他の組織と近寄ろうとした理由は……敵を作り過ぎて、「裏社会でも居心地が悪くなったから」か?
 創立五百年の教会に対し千年の仏田が威張ろうとするのは判るが、当時の当主が動かなければいけないと思うほど仏田と他企業はどこも険悪で動きづらいものだったんだろう。
 このままでは自分達の目的も達成できんと考え、歩み寄り始めたか。せめて全国規模で活動している組織とコネクションを結んでおこうと……。

「それから仏田は技術提供だけじゃなく、教会に寄付もするようになったのか」
「いや、寄付は違う理由。そもそもこの最初の二億は『寄付じゃない。無償の奉仕じゃないんだ』」
「つるぴょんは『寄付の証明だ』って言った。数分も経ってないぜ」
「寄付という言葉は聞こえがいいから使っているだけ。本当は、この二億は……罪を犯した能力者を『異端刑務所ではなく仏田寺に送る』契約ための、前金なんだ」

 …………。ああ。
 しかも前金、なんだ。

「能力者の犯罪者って、殆どは死刑囚。どこに行こうがどっちにしろ国の大臣によって刑が執行されるんだ。それならより有効活用できると言ってくれる人の役に立った方が……っていう話」
「ふーん。結構、単純な話なんだな。凡人が考えられんような問題が発生しそうなところなのに」
「そりゃあなるべく聞こえが良いように工夫はしてるし、隠蔽もばっちりしてるよ、三十年前から。……犯罪者を送るバスの行き先を変えるだけで、前金で二億、一年目で十億、翌年はその倍、翌々年には更に倍が教会に支払われた。教会は運営に困ってる訳じゃなかったけど、実際そこまで貰えると……待遇は誰も彼も良くなって、皆成果を出すようになった。その後、教会の総括者の次女・邑妃様が次期当主・光緑様の元へ贈られた」

 これで双方の絆は固いものとなった。
 邑妃様とは、現当主・光緑の妻であり、三人の子息の御母上である。お互いの一族の血を交えてより深い交流を持とうという、昔ながらの仲直り方法を取ったと言う。
 仏田も欲しい物は貰えるし、研究に使える材料も手に入るし、信頼関係もできるし。云億出す価値はあったってことか。

「つるぴょん。あのよ」
「はわ……その渾名、流行らないといいなぁ……」
「どうだったのよ、教会的にその仲直り方法は? どっちがどう提案し始めたのかは知らないけど、教会側はイヤイヤだったのか、ノリノリだったのか。アンタ、教会の人間だったんだろ? その様子、身内なら見てるだろ」

 聞いた鶴瀬は、少し難しい顔をした。
 口元は笑っているように見えたけど、少し眉間に皺を寄せて目を細くする。数秒で笑って吹き飛ばせるような話題ではなかったようだ。
 当主の血を飲んで身も心も仏田一族の一員になった鶴瀬が、元々は「教会の出」であることは知っている。「能力者集団の一員だった」、じゃない。
 両家の中渡しの人身御供になった邑妃様と同じく、教会を統括している一族の出身だ。
 具体的に言うと邑妃様の甥っ子という立場。邑妃様の実姉、つまり現教会の責任者の妻の息子。鶴瀬に兄や姉がいるのは知らないが、五百年は続くやんごとなき退魔一族の直系だ。
 三十年以上前のことだから三十路手前の年の彼が関わることはなかっただろうが、直系の目としてはどう映ったのか。気にならない訳ではなかった。

「……提案がどっちからだったのかは、俺も知らされていない。でもお互い納得のいく関係が今もあるんじゃないかってぐらい、両家安定している。ギスギスした関係が無くなって、俺の実家が潤って、そちらの実家も満足だ。元々似たような能力を持った一族同士なんだし、無意味に争いをせず手を取り合って正解だった。良いことだと思うよ」
「罪を被っているのに教会本部は良い顔をしてんのか?」
「罪を作ってる方に言われたくないなぁ。……いや、そもそも罪ってなんだろうね?」

 ……罪が、何か?

「悪しき命は神に返すべきだ。悪いことをし、報いとして命を神に返すだけの者達を……これから神の力の源にしてるだけ。どこも罪じゃない。我らが悪と思えない。寧ろ悪を征して良き存在を生もうとしてるんだから本当に尊く……」

 それぞれの一族に対する信仰心を語りながら、苦笑いし、「たびたび日本から死刑制度を無くす動きを聞くけど、あれが実現しなければいいと思うよ」と鶴瀬は言い放った。その表情から本心のように見えた。
 だけど……無罪の、罪を負う可能性があったにすぎない奴をも捕らえているというのに? それでも悪じゃないって?
 「包丁を持たせたら刺し殺すかもしれないから捕らえて食う」という考えのどこが悪ではないと?
 ただ包丁を手にしただけの子供を狩り、実験台として使い、餌として食べ、知恵として取り込んだ。『我々は身勝手な異端そのもの』だというのに?
 ……あっ、いや、もしや鶴瀬は……?

「……犯罪者が送られる……死刑になるため送られた者達が、仏田の元へ……?」
「はわ? どうしたかな?」
「おい。それ以外に仏田と教会が交わした契約って何がある?」
「だから、邑妃様を……」

 同じことをもう一度繰り返す鶴瀬。
 『それだけ』しか言わなかった。
 気にしてないのか、知らないのか。……俺は、書庫中のひっちゃかめっちゃかを見渡した。
 俺の『その行為』を「もう話が中断するもの」と鶴瀬は考えたらしく、一息つき「今夜はもう片付けてお開きにしましょうか」と言い始める。何も他意は無さそうに見えた。
 12月の二十二時になる夜。「ガキはさっさと寝ろ」と言われているようだった。「品行方正に生きろ」とも。

「お話が終わったので、もう一つ違うお話があります」
「あー?」

 出した資料(明日も読むつもりの物だ)をテキトーに通路の端に蹴飛ばしておく。
 他の用事で書庫を使う連中の邪魔にならない程度に床の上を片付け、鶴瀬に連れ出されたとき。

「玉淀様が目を覚ましました」

 来て初っ端に言うべきことを今更口にしやがった。
 説教とか教会云々とかどうでもいい。真っ先に俺に伝えるべきことを、このはわわ野郎は。



 ――2005年12月7日

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 /4

 玉淀が目を覚ましたのは、二日ぶりだった。

 12月4日の夜にあんなことをされてから四十八時間。随分長い時間だったような気もするし、ビルから落ちて生き返ったにしては早すぎる復活なのかもしれない。
 昨日までは寝返りを全く打たなかった玉淀が、パイプベッドの上で音を立てて動いている。俺が見舞いに来ているときは静かだった和室に、パイプベッドが軋むことで鳴るギシッという井草が歪む音や、「うー」というあいつ独特の奇音がある。
 それだけで嬉しかった。
 それらの音のおかげで、死んでいた人間が生きているって実感できる。
 呼吸をしている。心臓も動いている。でも人間らしい動きを一つもしなかったら、生きているという確信が持てなかった。
 どんなに理論立てて「コイツは生きている」と説明されても、実際に動いて声を出して笑って彼として活動してくれなきゃ、生死なんて確かめられないものと同じだ。
 昨日までの玉淀は死人。だから今の生きている音が、何よりもの安心に繋がった。

「ヘイ、タマ。グモニン」

 拷問部屋に近い和室に味気なく置かれたベッドに近寄って、根元が黒くなりつつある金髪をぐしゃぐしゃ撫でてやる。
 寝返りを打って目を開けた玉淀だったが、魂と体が合致していないのか、俺が話し掛けても玉淀らしい返事は返ってこなかった。
 ぼんやりとした目で俺を見ている。顔を確認した後に、彼にとってはいつもの……『清浄の場』でもあり『陵辱の間』でもあるこの畳部屋を、次々確認していく。

「うー」

 やっと自分が何処に寝ているかを確認し終えて、漸く玉淀らしい鳴き方をした。
 「にへっ」とだらしない笑顔だった。

「ちゃんと生きてる顔を見せろよ!」

 言いながらシーツを捲る。

「さむい! やだー、捲るなー。えっちー!」

 玉淀はぶるりと身を震わせていた。
 薄い半袖の患者衣は布団の中に居れば暖かいが、今は12月。しかも仏田の山奥。都会暮らしも長くなった玉淀にとっては、かつては毎年のようにやっていたシーツ剥ぎも鬼畜の所業になっていた。
 だって山の下はここよりも気温が五度低いから。すっかり下の気温に慣れてしまった玉淀は、薄布しか身に付けていない突然の洗礼についていけなくなっていた。
 それが寂しいと思うこともあったが、そんなの忘れよう。
 俺は玉淀がシーツに潜り込んだベッドに腰を下ろした。ちょうど玉淀の横たわる腹の脇に座ってやって(病人だから腹の上には座らなかった。いつもなら座っていたが、滅多にやらない俺の気遣いだ)、もう一度ぐしゃぐしゃ、ぐしゃぐしゃと汚い色の髪を撫でた。撫でまくった。
 玉淀は「やーめーろーよー」と唸るが、それでも構わずやり続けた。

「うー! いおりんヒドーイ! 疲れてるんだから、ぼーりょくはんたーい! もっとおれをイタわるべきなんじゃないかなー!?」
「あん? その顔のどこが疲れてるっていうんだよ!」
「疲れてるよーう。なんか体がダルイもん。うー」

 怠い程度になっているらしい。治療は完璧のようだ。
 高所から飛び降りて内臓破裂になっても、グチャグチャの状態で無理矢理立たされたり長時間の移動に付き合わされても、怠いの一言で済むような容態になっているという。
 安心した。いつかくたばると思っていた彼が、ポックリ逝く日がついに来たと不安だった。何事も無いかのようにしている笑みがとても安心する。
 同時に恐ろしくなった。
 ……内臓破裂しても、長時間放置されても、親による強制命令と弟・月彦の感応力によって何事も無いかのように笑えるものなんだ。
 玉淀が「見せしめ」にされてまだ四十八時間しか経っていない。三途の川を流れていくドザエモンを首輪に引っ掛けた縄で無理矢理引き上げたようなもんだというのに、適切な処置のおかげで玉淀は平和に笑っていた。

「いおりんー」
「あー?」
「あのさ、ちょーし悪いからクスリ飲んだ方がいい?」
「あー……どうだろ」

 ダルイダルーイと歌いながら言うほどだから、玉淀にダメージは残っていないようだった。
 でも本調子ではない自覚はあるか。薬に頼ってなんとか悪い気を晴らそうと、玉淀は枕元を探る。いつもそこに薬があるんだよねと慣れた手つきで唄いながら。

「あれ? 無いや。えへ、どうしよ」
「…………」

 だがお目当ての霊薬は見付からず、薬剤師っぽいことをしてる俺に声が掛かった。「なんとかしてー」と冗談混じりの甘えた目で見てくる。
 俺はまた、固いベッドに寝転がってる玉淀の髪に手を付けた。

「わっ」

 また毛をぐしゃぐしゃされると思って玉淀がぎゅっと目を瞑った。ぎゅーっと強く瞑っている。
 乱暴に撫でられるのを覚悟したような、どんとこいっと構えた顔をしていた。見てるこっちが情けないほどの阿呆面だ。
 前髪をぐっしゃり掴んで、寝転んでた玉淀の顔を上へ持ち上げる。「イタイッ」と小さい悲鳴が上がった。「なにすんだよー」と文句を言いながら愉快に笑う玉淀の瞼が開く前に、唇を奪う。
 唇で。
 彼は信じられないことがあったような悲鳴を上げた。蛙を踏んだ音のような、踏んでしまったときの絶叫のような。
 まさか俺から口付けなんてされるとは思ってなかったのか、目を開いた玉淀は、おそるおそる口を開く。

「……いおりん。なんか、ヘンなモノでも食べた?」

 実に玉淀らしい、色気に欠けた一言。
 そもそも玉淀に色気なんて求める方がおかしいんだが、予想以上の「脈無し」に、少しだけ俺は傷付いた。
 こんなもんかと予想はついていたけど、ドキドキもソワソワもせず「なんだったのー?」と見上げる幼馴染の目は悲しささえ湧かせてくるもんだ。

「『供給』してやったんだぜ。感謝しろよ」
「え? 今のが?」
「ほら、供給してやったんだ、元気になっただろ。盛大に感謝しろよ。依織様って言っていいんだぜ。漢字で」
「うー……いおりんさまー……ムズい。やだ!」

 ――コイツは、今までのことを一体どこまで理解してるんだか。
 自分が死にかけていたってこと。俺がどんだけ心配したかってこと。何も知らないのか。
 心配ついでに俺が玉淀に抱いていた愛情を自覚して、何気なく告白コースに縺れ込んでやろうと考えていたことを。縺れ込もうとしたけどさっきの一言で萎えてやめた俺の表情の変化を。何も気付かないのか。
 それと、カスミンのこと。
 自分が死にかけた理由と、死にかけた自分を救おうと必死になって泥を被っていたあの男のことを。……何も、覚えてないのか。

「あ。判った。いおりん、おれんの口元にゴハンつぶ付いてたの、取ってくれたんでしょー? なーんてね」

 自分でボケてツッコんでの一人芝居をしている玉淀を見ながら、「せめて最後のことは言うべきか」考えていた。
 ずっと考えた。長い時間考えた。ボケてる玉淀の横で、考え続けてしまった。
 話題が途切れてしまっても構わず。

「いおりん」

 玉淀は上半身を起こした。そして俺と並んで座る。
 半袖の患者衣だけの体は相当寒いらしく、なるべくシーツから出ないようにオバケみたいにシーツを被ってすり寄ってきた。
 表情は、あくまで仲良しの男友達としてのもので。
 起き上がって何をする気だ、と俺は問い質そうとした。
 が、できなかった。
 声が出なかった。

「いおりん。……泣くようなことがあったの?」
「…………ううううううううううううう」

 今度は玉淀の方から俺の髪に触れてきた。
 その指が二往復、三往復、髪を撫でているうちに、玉淀が俺の体を振り向かせて胸の中に押し込んできた。
 抱きしめられた。
 抱きしめられて、我慢できる訳がなかった。自覚もしてなかったダムの決壊が進行していく。
 暫く俺は玉淀の胸の中で喚いた。

「ふざけんなよ! なに笑ってんだよテメーは! 俺は! 心配したんだぞ! 死んじまったって、タマが、死んだって、メッチャクチャ怖かったんだよ! このクソヤローが、なんで笑ってんだよバカ! 死ね!! 人の心配も知らねーで! クソッ!!」

 抱きしめられてびーびー泣くなんて、恥ずかしさはあった。気難しさも悔しさも、情けなさだって大量にあった。
 俺より精神的に格段弱っちい玉淀の前で泣いてしまうのは、己の自尊心を傷付ける行為でもある。
 でも、止まらなかった。涙も鼻水も全部玉淀の衣服に染みつかせるぐらい泣き喚く。
 玉淀の奴も「汚い」とか「何してんだよ」と罵ってくれればまだ強がれたのに何もしない。本調子ではないせいか声を荒げる気力が無かったんだろう。大人しく俺に泣かせるだけ泣かせた。
 その時間は長かった。十分以上は泣いていた。その間玉淀は頭の撫で方を変えることはあっても、一言も文句を言わず俺を泣かせ続けている。

 十分も泣き続けていればいい加減涙は止まってくれた。
 体内の水分を排出しきって、枯渇したから涙が止まってくれる。喉がカラカラになったから涙が終わっただけで、そうでなければずっと玉淀の胸を借りる羽目になっていたかもしれない。
 目が真っ赤、髪が玉淀が変な撫で方をしたからボサボサ。玉淀の髪も俺がグシャグシャ撫でたままだから同じような格好。お互いそっくりになっていた。

「えっと、おれね」
「なんだよ」
「またおれ、メーワク掛けたんだよ……ね? よく覚えてないんだけどさ……前も倒れてこんなことあったから。あのときは新座さんに『めっ』てされたんだけどさぁ」
「おめーはよぉ……次から次へと問題を起こし過ぎなんだよ、バカ……」
「ごめん」

 自分で汚したもんだが、玉淀の白い服が鼻水と涙でぐっちゃぐちゃになっていた。
 そのままシーツを羽織ったら二次災害が起こるからと脱がせる。玉淀は薄っぺらい着物一枚しか着ていなかったから上半身裸のままシーツに包まってしまう。俺が汚したもんはぐるぐる巻いて部屋に置かれたバスケットにポイしようとした。
 ポイするために近寄ったバスケットは、本当なら洗い物置き場のようなもんなんだが、まるでゴミ箱のようになっていた。「汚い物はみんなここに入れておくように」と拷問部屋に置かれてる筈なのに、どう考えても捨てるしかないようなモンまで入ってる。本来の役目を果たしていいものなのか判らん中身になっていた。
 って、鼻水が染み込んだ白衣なんて使い回しするのもイヤだよな。これも捨てるか。ゴミだらけのバスケットに玉淀が着ていた衣服も投げ込む。
 その前に、異様な物があることに気付いて動きを止めた。

 これも、ゴミなのか? ゴミと言えばゴミだし、俺もゴミとして扱うこともあるけど……こんなトコに、危なっかしいな。
 せめて回収しに来た僧が怪我を負わないようにと、俺はグショグショになった入院着の上に、判りやすいように『剥き出しの注射器』を置いた。
 それを持ち上げたとき、パラッと白い粉が舞う。薬だ。何の薬かは見ただけじゃ判らないけど。小さな紙の包みがバスケットの奥へ入っていくのが見える。ちゃんと使うなら全部使っておけよと不始末に文句を言いたくなっていると、誰かが部屋に入って来るのを感じた。
 障子が引いて入室してきたのは、寒そうに長身を抱えた眼鏡の男・悟司だった。

「依織? こんなところで暇を売ってたのか。鶴瀬は書庫に籠ってると言ってたが」
「……んだよ。するべきことは昨日の午前中に全部済ませたスーパー依織様だぜ。自分で作り出した暇をどう使おうが俺様の勝手じゃねーか」
「泣いていたのか。依織のくせに珍しい。玉淀に襲われたか?」
「クソが!」

 思わず注射器を掴んで投げつけたくなった。
 そんなことしたってお得意の魔術でカッキンって盾でも張るんだろうけど。優秀な人だし絶対それぐらいのこと朝飯前だ。
 悟司がこの部屋に来るんじゃないかって大体想像はしていた。年齢、経歴、『機関』第一号という生まれ的にも、今後『本部』の中心人物で俺の上司になるべき悟司は、今は『本部』の小間使い。何かと伝達を渡しにくるのも悟司、身近な問題に駆り出されるのも悟司だ。
 現段階で寺にて大問題になっている「霞と玉淀について」にも悟司が動いている。だから目を覚ました玉淀の前に悟司が来るのは、当然と言えば当然だ。
 でもこいつが玉淀の元に来るのは気に食わない。
 玉淀は、悟司のことを少し苦手に思っている。
 本人と顔を合わせれば温和に笑って済まそうとする玉淀だが、今……玉淀に背を向けてる俺にすら判るぐらい、苦々しい息遣いをしている。顔を出さないように必死でも、苦手な怖い人が来たせいで緊張し始めた様子だった。

「では暇人をやっている依織。頼みがある。洋館の掃除をしてこい」
「はあ? 掃除なんて年がら年中誰かがやってるじゃねーか。殆ど誰も住んでなくたって毎週毎週掃除を」
「掃除だけではないな。布団と机と花の準備を。来週から新たな客人が来るからな」
「それこそ珍しい」
「出来るだけ、可愛く頼むぞ。女子が好む風にしろ。お前の持ってる知識を最大限生かせよ」

 頼んだ、と悟司は気味悪く微笑みながら俺の肩に手をポンと置く。
 それを振り払った。「触るんじゃねー」と露骨に嫌がってやる。少しでも傷付けばいいと思って言ったが、俺よりも一枚も二枚も上手な悟司にはそんなの掠り傷にもならない。無意味な悪あがきだった。
 こんな所、言われなくても出ていってやる。
 そう思ったが、元々来なくてもいい部屋にやって来たのは親友が居たからだった。
 まだ本調子ではない親友は、俺と共に出て行くことが出来ない。そんな俺の気難しさを知っていて通り過ぎていく悟司は、玉淀が居るベッドに近付いて行った。
 勘の良い俺は、奴が言う台詞の予想がなんとなくついてしまった。

「玉淀。体が修復したと言ってもまだ48時間。動けないだろう? 『供給』をしてやる。そういう命令だ」

 ちらりと振り返ると、気持ち悪い笑みを浮かべながら玉淀の顎を持ち上げている悟司と、不安げに悟司を見上げている玉淀が見えた。
 見たくない光景が見えてしまう。

「……うー、悟司さん……一人?」
「なんだ。お前は大勢に囲まれた方が嬉しいのか? 物好きな奴だな」
「そういうんじゃないけど……」
「代わる代わるヤられていたら、癖になったか」
「違うー。うー、やっぱ悟司さん、キライー……んっ」

 口付けられ、玉淀がぎゅっと瞼を強く瞑った。
 悟司は玉淀の頭を片手で抑え、長い長い口付けをする。玉淀が口を開くと、舌を無遠慮に絡ませられて息苦しそうな声を上げた。
 嫌だという意思表示はしても、それでやめてくれるような人間ではない。それは玉淀も知っている。
 ……友人が、大好きな親友が喰われていく光景など好き好んで見られるものか。言われた通り洋館に向かってやろうとしたとき、

「依織。見ていかないか」

 悪趣味な提案をされて、即座に俺は「クソがッ!」と怒鳴り散らしていた。



 ――2005年12月7日

 【 First /      /     /      /     】




 /5

「……ふ、あ、う……うー……」

 薬にやられてどろどろに溶けていく玉淀をこの目で見ていた。
 元から玉淀は平均以下の濃度の注射一本で焦点が合わなくなる。快楽に呑まれやすいタイプだと知っている。だが今までとは違う震え方に違和感が生じた。
 必死に息をぜえぜえ、吸って吐いてを繰り返している。顔をシーツに押し付けて、臀部を高く突き上げる。そうしろと命じられた訳でもないが、臀部を突き上げながらも足をしっかり開いている。
 侵入を快く許す態勢を取ろうとしていた。顔を真っ赤にして、涎を垂らして見すぼらしく。自ら、求めているような格好に、

「変わったな。最初抱かれたときは真っ青になって震えているだけだったのに」
「はー……っ……は、あー……」

 言わずにはいられなかった。
 自分から快楽を求めて腰を突き出してくるなら、仕事でやっている身としてはラクで申し分無い。無計画に前後に揺らしてやるだけで、相手は満足してくれるのだから。自分から動こうとするから指示を出す必要も無い。何もしないでも事は進む。
 ラクな仕事で今日は良かった。玉淀の喘ぎを聞きながら思った。

「っ、あ、あっ……は……きもち、いい……」

 少し動かしてやると声を荒げて悦ぶ。
 以前では泣き叫ぶようなこともあったが、すっかりこの快楽に慣れて溺れてしまったのか、ついには腰を振って強請ってくるようになった。
 こんな子だとは思わなかったが。度重なる投薬と魔物との交渉、それに一度死んだら何もかもが変わってしまったか。
 病み上がりだしと控えていたが、無理をしても問題無いと判断する。ゆったりとした快楽の波に声を上げている玉淀に、何の前報告も無く根元まで押し込んでやった。

「ひっ、あ、ぐっ!?」
「どうだ。これでも気持ち良いと言えるのか?」
「痛っ、あっ、痛い……よぉ……あ、で、出ちゃ……また……う……」

 呑み込んだモノを全身で堪能し、玉淀が弾けた。
 両腕を後ろから引いてやる。玉淀の体が反る。勢い良く漏らして、口からも情けない声が流れていった。

「あっ、あうっ、ううっ、いく、く……うううっ」
「こら。イっただけじゃ供給にならないだろ。ちゃんとスイッチを入れろ。受け取れ」
「ひっ! く、また……い、っちゃ、うぁ……あ」

 身体中を痙攣させ、喜びに満ち溢れた声を上げる。
 玉淀は気持ち良く絶頂を迎えて満足しているようだったが、儀式自体は失敗だった。
 ただ性的興奮を味わうだけが目的ではないというのに、性的興奮が生じる瞬間に事を成し目的を達成するというのに、頭が完全に馬鹿になりかけている玉淀は自分の快楽だけを追い求めた結果、何もせずに倒れ伏してしまった。
 時間を割いて愛でてやっていることも忘れて。
 注射された腕を庇いながらもびくびくと全身を揺らす。絶頂を楽しんでいる全裸の体を転がし、仰向けにして足を開かせる。
 張ったままの性器を掴むと悲鳴を上げた。しかしそれも嬉しそうなものだった。扱いてやると頭を振ってまるで嫌がるような仕草を見せる。だが動きを止めると「もっと動かして」と懇願してくる。
 痛みは至るところから感じているようだったが、涙を流しながらも「もっと」「もっと」と強請っていた。
 仰向けの状態から突き刺し動いてやると、ベッドに押し倒されながらも刺激を求めて必死に腰を動かそうとしていた。もっと奥に欲しいと言うかのように、腕をこちらの背中に絡ませてくる。

「このバカ」

 鋭い声で叱咤すると、異常なぐらいビクリと玉淀の体が震えた。
 閉じていた目を開いて、俺の顔を確認してきた。何故か全身の力が抜かれていき、強く突きやすくなっていた。

「ふ、ぇ……っ? あ……あ、悟司、さん……?」
「なんだ」
「さ、悟司さん……だ……ちが……」

 敏感に何の反応でも楽しんでいた玉淀だったが、背中に絡ませていた腕を解いていく。
 光の無い、快楽の渦に呑み込まれたような目から一変。今度こそ言われたことを忠実にこなしそうな、生きた目になっていった。

「え、えへ……へ……びっくり、した……悟司さん、声……似てるんだもん……」
「誰に?」
「…………えっと……」
「……霞にか?」
「……へへ……うん……。カスミンに、怒られたのかと、思った……全然違うのに……あうっ……」

 似てる、と言われても自分では判らない。
 確かに霞とは兄弟関係ではあるが、異母兄弟で半分しか血の繋がりは無い。
 それに霞は、遠い昔に処刑された母親似だ。会った記憶は無いが彼女は顔も性格も霞に似ていたという。いや、霞が彼女に似ていたというのが正しいか。
 そんな女性に似ていた霞と、女性と血の繋がりの無い自分が似ているとは思えない。
 己のことだからそう思ってしまうだけで周囲から見たら同じに思えるのか。……それとも、玉淀にとって「自分より年上の男性だから」という理由だけでは?
 なんだか腑に落ちない。妙な気分になった。

「また……謝らないとなぁ……カスミンに……きっと、お仕事サボってお見舞いに来てくれるから……えへ……」

 涙は零れていたが笑っていた。泣いているのは全部痛みのせいだろう。崩れた表情で玉淀は溜まった唾を呑んでいる。

「こんなときに世間話が出来るなんて。大した奴だ。さっきまでどろどろだったくせに」
「あ、ご、ごめんなさい……」

 ――ほんの一瞬で自我が戻ってくるなんて、強力な効果なんだな、霞の名は。
 玉淀は仰向けながらシーツを逆手に掴んで、更なる波に備えながら俺を見上げた。途端、ぎゅうっと締め付けられた。再度感じてきたようだ。こちらは萎えてきたというのに。

「霞に会いたいか?」
「……ん……」

 小さく頷きながら身を固くしていた。眉を顰め、再び理性を手放さないように堪えていた。
 唐突に、『あのこと』が言いたくなってしまった。
 玉淀の耳元に唇を近付ける。荒い呼吸の合間をぬって、ちゃんと玉淀の脳まで聞こえるようにはっきりと、

「霞は処刑されたぞ」

 事実を告げてやった。
 惚けたり微笑んだり絶頂を我慢したりと忙しかった玉淀の顔が、硬直する。
 この状態で供給のスイッチは繋げられないだろう。意識が吹っ飛んでいるんだから、そんなの目に見えていた。
 でも一瞬の変化見たさに、俺は告白してしまった。

「霞は死んだよ。思い出せ。お前も血塗れのまま見ていただろう。アスファルトに額を打ち付けて一族に土下座してる奴の姿を」

 想いが切り替わる。正から負へ。暴落する。
 思い出していく。記憶を消された訳じゃない。ただ忘れてただけだ。
 肉体の消耗の激しさ故に、自己防衛が働いていただけの記憶削除。一言だけ声を掛ければ蘇る些細な傷に、指を突っ込む。
 動きが止まる。目の色が変わる。声が出せなくなる。
 徐々に沸き上がる感情。
 心が弾む。
 美味だ。

「あ。う、あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

 悲鳴を上げた。身体をビクビクと震わせていた。その痙攣に合わせて強烈に締め付けられた。
 きっと今のショックじゃ玉淀の回復にはならなかった。だが俺にはこの上無いご馳走とも言える絶叫だった。



 ――1999年12月8日

 【 First / Second / Third / Fourth / Fifth 】




 /6

 ドスン。
 鋭い槍のように細く固い刃が、肩を貫通する。

 左胸のちょっと上に入って、背中から飛び出る。通過する異形の刃。
 突き抜かれたのは見れば判ることなのに、一瞬「オレが異端にやられた」という事実が把握できなかった。

「月彦っ!?」

 てっきり違う人が攻撃されると思っていた。なのにその人はオレの名前を叫んで心配してくれる。
 だって、オレが吹っ飛んでるんだから。驚くのも無理は無い。
 でもおかしいな、ここはオレじゃなくって別の人がやられるもんでしょう? まさか一軍の後ろに控えていた子供のオレに襲い掛かってくるなんて、不思議だな。
 あ、けど、異端が弱そうな子供のオレを狙うのも判る。オレだったらピンチのとき、少しでも自分が倒せそうな奴がいたらまずそっちを確実に仕留めるもの。
 ぎちり。ごつごつ。ぐぐぐ。
 オレを貫く固い触手が、体内を抉り壊すように動き始める。ヤメロと言う前に、オレやみんなが抵抗を始める前に触手は体の中を跳ね、勢い良く抜かれてしまった。
 ああ、まだ貫通されたままの方が良かったのに。勢い良くごりごりと螺旋ドリルのような触手が出ていくなんて、酷い。そのおかげでオレの肩は滅茶苦茶になったじゃないか。

 盛大に血液をぶちまけてしまい、視界が真っ赤になる。
 びちゃりびちゃり。ぐちゃり。ぎぎぎぎぎ。
 そこから先の意識は朦朧で曖昧。
 周囲の人達が何度もオレの名前を呼び、叫んでくれた。何か治療行為をしてくれるような気がした。具体的に何をするかは判らなかったけど、数人は襲い来る異端を倒しつつ、数人がオレを救おうと動いてくれていた。
 だから何事も無く終わる。
 オレの意識は消えていくけど、これも仏田のよくある日常の一つ。
 もしかしたらオレが大被害を受けたおかげで戦意は上昇したのかも。やる気を出した他の人達が異端をざっくり倒すことができたし、刻印を持つ誰かが魂を回収し始められたと思えば、オレは良いことをした?
 良かった、ならそれで終わりでいい。今日も一族が栄える用意一日を送れた。それなら安心。
 でも、それにしたって死ぬのは予定外。

 『仕事』を終えた親戚たちの手で、オレはとある建物の地下にある手術室に運び込まれる。
 そこを地下の手術室というと凄く聞こえるけど、一見するとごく普通の畳の部屋だ。豆電球が他の牢屋よりも多いから明るく作業ができる場所なんだけど、オレの部屋と何が違うって造り自体は変わっていなかった。
 怪我人のオレは、ちょっとだけ足の高い台の上に寝かせられていた。
 台の上には事前に描かれた魔法陣がある。治療にかかる術者のテンションを上げるためのお香が焚かれ、周囲にはあんな魔道具、こんな医療グッズ、ありとあらゆる怪しい物品が揃えられていた。

「死ぬな」

 現れた『本部』の一人・大山さんが命じると、オレは死ななくなった。
 たとえ能力が無くても弱っちい奴でも、仏田で生まれた以上、仏田に備わっている『アレ』はオレにも適用される。
 子は親の命令を絶対に聞かなければならないという呪い。そのように創られたシステム。血の反映のためにある『機関』出身の者達なら、「死ぬな」と言われて死なないのは当然の仕組みだった。
 霊的な拘束力がある声により、オレは簡単にくたばらなくなった。いかなることがあっても命令に従うように創られている体は、可能な限り生きることを選んでいる。だから安心して息を吸う。

 大山さんはスイッチを入れながら、他の僧に治療を行なわせていた。オレは全身に巻かれた霊力の命令により縛られ、死んでも死なないようにされている。
 その間、オレの体はオレのものでは無い。命令を出す親のものだ。マスターの命令にサーヴァントは絶対に従う。全て下僕は主の意思で動かされる。
 だから……例えば指一本動かせないこの状況。それは痛みのせいじゃない。
 命令のせいで、何一つ動かせなくなっていた。
 早くこの時間が終わりますように。動けない手術台の上で、ただそれだけをひたすら考え続けていた。

「大山様、これは……」

 オレを取り囲む数人の僧達が、穴の空いたオレの肩を責任者の大山さんに見せる。
 大山さんは穴を見て、一瞬息を飲んだような声を出したが……落ち着こうと深呼吸をした。真っ赤というか真っ黒に染め上げられたオレを見て、

「可哀想に。痛いだろう」

 と、誰もが判っていることを言った。
 そんなの、オレの引っ切り無しの唸り声を聞けば判ること。

 ところで、「死ぬな」と命令されているから死なないでいるようなものだが、オレの体は今にも死にそうなぐらいの痛みの警報を鳴り響かせていた。
 実はとにかく痛かった。痛みという痛みがオレに襲い掛かっていたんだが、オレの体はびくともしていないので周囲はちっとも緊急事態として見てくれなかった。
 そもそも人間が泡を吐いたり涙を流したりするのは、どれだけ危険な状態か知らせるための反射の筈。それすら許してくれない状況が憎たらしい。
 周囲の気遣いがあれば救われたかもしれないのに、淡々に治療魔術を続ける彼らに危機感が無い。
 とにかく痛みの中、黙って治療を待つ。今がまさにそれ……とにかく地獄だった。
 動けぬオレには「ここは地獄だ」と訴えることもできない。どうあれ耐えるしかなかった。

「全く、何をしているんだか」

 今すぐに手術を終わらせてくれ。ずっとずっとそう思い続けていたが、急に大山さんは溜息を吐き、僧達の動きを止めさせた。
 上司の命令に逆らえない彼らは、何の抵抗も見せずすんなり大山さんの言葉に従う。従うしかなかった。

「月彦はあんまり強化してあげてないんだな。そりゃ勝てない。これは、いつか来る未来だったんだ」

 やれやれ。大山さんは普段の優しい声のままオレの体を見る。

「大山様。もう内部は全て異端にやられています。呪いの浸食が予想以上に早いですね。これはもう」
「無理だな。諦めよう」

 悲しそうな目をして、閉じて、元通りになって……そして、

「松山が悲しむだろうが、仕方ない。せめて苦しまずに逝くんだ」

 そして、無感動にオレへの死刑宣告をする。

「さよなら、月彦。死んでいいよ」

 ――意識はそこで途切れる。

 子は親に絶対服従。そのようにシステムされたオレ達。
 例に紛れず、オレは、『命令通り』『死ぬことを』『達成した』。
 それまでずっと痛みが襲いかかっていたけど、その命令のおかげで最期は呆気なく、すんなりと逝けた。



 ――2005年9月20日

 【 First / Second / Third / Fourth / Fifth 】



 /7

 薬を飲んでも数時間後には吐いてしまう。それが悩みだと、月彦自身が言っていた。
 一緒に仕事をする仲である月彦と寝食を共にすることが多くなると判る。その悩みは本物だ。身近に居れば居るほど苦痛の重みに気付かされる。
 月彦は苦労して生きている子供だった。

「陽平さん。巧い薬物ができませんかね? 瑞貴さんに頼んでも、シンリンさんに頼んでもダメなんですよね。みんな拒否反応が出ちゃうんです。参ったなぁ。誰に頼んでも良い薬を出してくれないもんだから、諦めるしかないんですよ」

 食後。アンプルをパキリと割って口に流し込みながら……月彦は、普段ならしない疲れた笑顔を俺に見せた。
 俺より頭の良い瑞貴や心霊医師のシンリンさんが無理なんだから、大した腕じゃない俺が霊薬なんて調合したってきっとお手上げだ。
 そう答えると月彦は「そっすか」と軽く流して違う話をし始めた。
 内容は、つい最近やっていたテレビドラマのことについて。全くさっきと関係無いただの雑談。本気で俺に頼む気など端から無かったと言うかのように薄っぺらい話が続いた。
 月彦は薬の受け付けない体質なのか。
 そうなのかーと頭の片隅に覚えていた。あまり気にせずにそのときはテレビドラマの話で夢中になった。

 ……それから数日過ぎたある日のこと。
 月彦が便所に行って数分、俺も便所に行きたくなってしまったことがある。まだ月彦は帰ってこなかったが、別に一緒に行ったっていいかと突入。
 すると洗面台の前で盛大に吐いてる月彦を発見した。
 ああ、そっか、そうだっけ。確かに以前話してたな、と。そのときの俺は何の準備もしてなかった。気分悪くしている少年を気遣うほどの知恵も持ち合わせてない。
 だから背中を撫でてやることしか出来なかった。

 ――『機関』出身の連中は(俺も含めてだが)大抵お医者さんの世話になっている。みんな判っている。誰も敢えて口にしないお約束。
 人によっては世話になることを「メンテ」と言う奴がいるが、俺はその表現は嫌いだった。
 理由は、まるで機械の整備っぽく聞こえるから。機械的に管理されていることぐらい判っているが、殆どの白衣達は自分達の体調を気遣って薬を渡してくれるんだ。人より繊細な俺達のことを想って薬を調合してくれてるんだから、愛を感じる。機械的などという考えは無い。
 そんな訳で、理由は様々だが大抵の『機関』生まれの子供は薬に厄介になっている。月彦が食事のたびに何かを飲んでいるのは、一族の中ではよくある光景に違いなかった。
 でも飲んでもこの調子では、堪ったもんじゃないだろう。そこは同情した。

 別のある日。真夜中に尿意を催して自室を出た。
 便所までの廊下を静かに歩き、通り過ぎようとた二十三時の浴室で、変な声がした。
 その声が月彦に聞こえて、「ああ、あいつ、また苦しんでるのか」と内心溜息を吐いてしまった。
 この時間、夕食からちょうど三時間ほど経った頃だ。もしかしたらまた気分が悪くなっちまったのか。
 便をたしながら大変だなぁと考えて再び浴室の前にやって来ると……変な声がしなくなっていた。安心した。

 もう電気は点けられていない。暗い。きっと部屋に帰ったんだ。
 けどその安心も一瞬。……吐き終えて自室に戻ったんだよな? だから何も声がしないんだよな? まさかここで倒れてるとかじゃねーよな……。不安な心が広がっていく。
 予感があった訳ではない。そうじゃなきゃいいなって、なんとなく思っただけだった。確認しないまま布団に戻ってもきっと不安が渦巻いて寝られないだろう。わざわざ確認するなんて面倒な想いもあったが、足を浴室に向ける。
 何事も無ければそれでいい。早く布団に戻ればいい話。
 引き戸に手を掛ける。
 そのとき、咳き込む音がした。
 外にまで聞こえてくるような激しいもの。月彦がまだ浴室に居ることを知らせる咳だった。

 木戸を引いて真っ先に目に入る鏡と洗面所……には、月彦の姿が無い。ということは?
 真っ暗の浴室を開ける。電気を点けて確認すると、案の定……月彦が風呂場で嘔吐していた。
 しかも排水溝には赤い色が見える。どうやら咳き込み過ぎて喉を傷付けてしまったらしい。
 肩で息をしている月彦が顔を俺の方へ向き、顔を上げる。辛そうに体を揺らし、涙目で俺の顔を見る。

「よう……へ、さん……」
「……誰か呼んでこようか?」

 涙目というか、思いっきり涙を流していた。
 結構ヤバイのかもしれない。呼んでこようかと言ったが実はもう呼んでくる気満々で足が動いていた。でも月彦は「いいです」と叫ぶ。
 強い拒否だった。

「なんで? 月彦、お前……ヤバイんだろ? 判っている人に診てもらった方が」
「いや、ヤバくないっす。これ……いつものことなんで。はは、ごめんなさい」
「いつものことって。いつも血が出るほど吐いてるのかよ……」
「あれ、オレ、陽平さんにそう言ってませんでしたっけ?」

 ――言ってたけどさ、「心配するな」って感じだっただろ。
 医者を呼ぶことを止められた今、この俺の出来ることと言ったら……やっぱり、肩で息をする月彦の背中をさすってやることだけだった。
 月彦に触れる。体は、氷のように冷たかった。顔を顰めてしまう。
 服は濡れていないから頭からシャワーを被ってたとは思わないけど。でもこの冷たさは……まさか思いっきり水でも飲んでたのか、こいつは? そう考えてしまうぐらい弱っているように見えた。
 暫くさすっているとだんだんと気持ち良さそうな顔をしてくる。だが唾の飲みどころを誤ったのか再びゲホゲホ咳き込み始めてしまった。
 苦しそうだ。苦しそうな人を見ていたらとりあえず言うことがある。

「落ち着けるための処方箋は無いのか?」

 その処方箋を口にしてこうなったのを、つい忘れてしまいながら言ってしまう。

「もう、薬は……飲みたくない、かな。はは……」
「そっか。すまん」
「…………でも、飲まないと……死んじゃうんですよね。オレ」

 マジかよ。
 月彦を立たせようと肩を貸したとき、衝撃的な告白をされた。

 何度も言うけど体調を良くするために薬を処方してもらっている『機関』生まれは、数多い。
 俺だってその一人だ。「飲まなきゃ死ぬ」なんて脅しはされたことがある。
 月彦もそう言われているってことは……敢えてそのように言われているってことは、そういう身体でどうしようもないってことだ。
 俺がされているものとは違うことをされた身体ということ。
 同じ試験管の中から生まれても、親も違えば時期も違うし与えられた薬品も術式も違う。個体差はある。だからその違いは……驚きではあるが、納得もすぐできるものだった。

「じゃあ聞くけど月彦。お前、いつもこんなことしてるんだったらどう対処してるんだよ?」
「…………」
「月彦? 聞いてるか?」
「対処は……薬」
「そっか。やっぱそうするしかないんだな。じゃあその薬は……」
「やだ、薬、飲みたくないけど……死ぬから……死んじゃわないように……死ぬ……あ、でもラクになるには……ラクになれば……死ねば……死ぬには、飲まなければ……」
「…………月彦。しっかりしろ」

 しっかりしてくれ。うわ言を繰り返すようになってはもうおしまいだ。……相当、精神にきているって思っちまうだろ……。

 肩を貸して歩かせようと思ったが無理と判断。態勢を変えて月彦を背負うことにした。そのまま医者の元に持って行った。
 俺より五つも年下の子供とはいえ、もうすぐ成人する男児。重かった。病人や怪我人特有の……体の重点が定まらない妙な重さを感じた。
 背負われることを気にしておんぶしやすい態勢になろうともしない、そんな気遣いさえも出来ない状況だというのがよく判った。

 一人で晩酌を楽しんでいたシンリンさんの元に運ぶ。彼が適切な処置をしてくれたおかげで、何事も無く月彦は夜を過ごすことができるようだった。
 大事を見て月彦を自室には戻さないと判断された。医者のシンリンさんと一緒に寝かせて様子を見るらしい。

「そんなにも酷いんですか、こいつは」

 事情を聞こうとしたが、心霊医師のシンリンさんは煙草を吹かしながら、

「これは普段通りだから気にすんな」

 大らかに言うだけだった。
 踏み込むなということか、本当に心配するようなことはないのか。月彦の言っていた「いつものこと」は真実だったようだ。……悲しいことに。
 シンリンさんいわく、「最近、夏風邪をこじらせて酷くする奴が多いからな。気を付けろよ」。……それ、月彦にじゃなく俺に向けて言っていることだ。医者らしい万国共通文句を言い放って散らそうとしているだけだろ。
 確かに夏が終わりかける季節の変わり目、体調を悪くする奴は出てくる。現に今日は別のところで退魔をしている誰かさんが風邪でお休みしたとか聞いている。
 だけど……月彦の異常は違うだろ。風邪って問題じゃないだろ。
 思っても文句は言えない。搬送をしてやれても、それ以後のことは任せるしかない。気にするなと言われたらそれでおしまい、追及することもできず夜を終えるしかない。

「……おやすみ、月彦」

 彼らにおやすみなさいと言い、自分の部屋に戻ることにする。
 途中、廊下に金色の長い髪の女性が見えた。
 そんな特徴的な外見の人なんてこの仏田の敷地内では彼女しか居ない。金色の美しい髪に、人間のものとは思えないほど光輝くような碧色の眼。美しい身体に小鳥が唄うような可憐な声。
 月彦のカノジョ、アっちゃんさんだった。

「月彦を探してるんですか?」

 夜中十二時。彼女が一人で屋敷の廊下に居るとしたらそれぐらいしか理由が思い当たらない。恋人がいなくて困っているのかと思って問いかける。
 だが声を掛けられた彼女は、ふるふると静かに首を振った。
 可愛い。真っ先にそう思ってしまう。何気ない動きも可愛いと思える金髪碧眼の美女は、いつもと変わらぬふんわりとした綿あめみたいな笑みを浮かべていた。
 じゃあどうしたんです。オレは当然、そう言葉を繋げてしまう。

「川越様を探していたの」

 どちらに行ったのかしら、と彼女はふわふわ廊下を歩いて行く。

 ――川越、様。

 聞いたことのあるような、無いような。少なくとも俺がぱっと思い出せない名前じゃない人を探している。
 「様」を付けてるってことは、上層部の人か? 光緑様、大山様、狭山様、元老である和光様や照行様……『本部』の人達には大体、様を付けて呼ぶよな。
 しかし、『本部』の人達以外にはあまり様を付けて話さない。男衾さん、鶴瀬さん、航先生、指扇班長、豊島園さん、シンリンさんに至ってはリンちゃんさんとか言われたり……。
 そんな訳だから、彼女の呼ぶ人物とは誰か検討もつかなかった。俺は誰か判らぬ人を探しに行く彼女を見送ることしかできない。
 なんとなく彼女の後姿を見ていると、アっちゃんさんはふらふらとしたその足で……シンリンさんの居る部屋へと消えて行った。
 そうだな、まずは月彦と合流したいか、そうだよな。
 やっぱり。



 ――1999年12月31日

 【 First / Second / Third / Fourth / Fifth 】




 /8

 ――出た、出た、出てしまった。

 上に走る。鎖を氷で砕く。弾ける足枷。飛び散る触手の肉。

 ――逃げた、逃げた、逃げたぞ。

 駆け上がる。追いかける。声がする。無視する。走り出す。

 ――追え、追え、追いかけるんだ。

 数々の声を潜り抜けて、魔界から、落とされた地獄から、元の地上へ、飛び出す。
 そこは煌びやかな世界。
 埃臭い寺とは違い、どっかの国のお城のような洋館は、肉から飛び出した肉なんて似合わない華やか過ぎる異空間。
 廊下にびちゃびちゃと体液を撒き散らしながら、洋館を駆け、適当な窓から外に出る。
 冷気が体を襲う。
 雪が降り積もるほどの冷気。山の上の仏田寺にはよくあるこの寒気も、久々の地上を味わう身にはとても懐かしく、心が暖かい。
 洋館用に整備された異世界風のこの庭に、生まれたままの姿で降り立つ。

 ズドン。
 背中から銃弾を撃ち込まれる。

 ぐらりと視界が回る。ああ、この銃弾は……オレを撃ったのは……一度目の処刑を下した人と同じ、大山さんか……。
 背後から撃たれた衝撃で足がぐるりと回転、オレは天を見る形で倒れた。
 息を吐き、天を見る。赤く溢れ出るものを背中に感じながら。
 近くて遠い空と言われたあの空を。

 見上げると、金髪碧眼の彼女が居た。




END

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