■ さわれぬ神 憂う世界 「高坂圭吾の生存報告」 ・ 3ページ目


【6章】

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 20××年12月31日 報告文書(要約)
 12月31日未明、陵珊山 山間部にて大規模な火災が発生。被災地は山林一帯および周辺集落を含み、鎮火までに約36時間を要した。死者・行方不明者の数は現在も調査中だが、確認されているだけでおよそ×××名に及ぶ。焼失面積は過去10年で最大規模とされる。
 本件の発端は、レジスタンス組織と超人類能力開発研究所機関の構成員による交戦とされている。戦闘の中で機関側が禁忌とされていた術式『死を供なす永劫の呪縛』を発動。その結果、超越的異端が一時的顕現が発生し、空間の崩壊と精神汚染、さらには局地的時間異常が確認された。
 レジスタンスおよび中立能力者の一部により、同対象は封印されたことが後に確認されている。封印に際しては複数の協力者が命を落とし、また記録媒体・観測機器の大半が使用不能となった。
 当該事件については、一般報道機関には「原因不明の山火事」として情報を開示済み。異常存在に関する一切の情報は機密等級レベル5に指定、関係者以外の接触・言及は禁止される。
 ――退魔組織教会 封印監査局・記録保全課。

 【追加報告】20××年12月31日山間部火災事案に関する特異影響調査報告書(抜粋)
 当該事案におけるS級対象の顕現に伴い、周辺一帯に未確認の精神汚染・呪詛性残滓の拡散が確認された。
 調査班による現地回収および生存者の初期聞き取り調査の結果、以下の異常が複数の生存者において確認されている。
 1.外傷や老化の進行が著しく鈍化している(生物的老化停止反応)
 2.細胞変質および再生能力の活性化(不完全な形での再生)
 3.精神的共通症状として、悪夢・幻聴・時折記憶の巻き戻し感覚
 4.不死性は確認されていないが、生命活動の停止が困難になる兆候あり
 現段階では、当該現象を『時間停止型呪詛因子による不老作用』と仮定し、暫定的に「永劫触媒型呪詛」と呼称。対象者には定期的な観察と隔離措置が取られている。
 本呪詛は現在の技術水準では解除・除去不可能。対象者本人への直接的な健康被害は少ないが、長期的な精神への悪影響、および社会的存在証明の継続困難が懸念されている。
 当該地域への再立ち入りは当面禁止。関連情報は引き続き機密等級レベル5として取り扱う。
 ――退魔組織教会 封印監査局・呪詛影響研究部。

 【最終報告書】旧・超人類能力開発研究所機関に関する最終処分および責任追及について
 20××年12月31日に発生した陵珊山 山間部大規模火災事案、および当該事件に至る一連の超常災害の根本的要因として、超人類能力開発研究所機関の存在と活動が確認された。
 当該機関は長年にわたり、国家的監視の隙を縫う形で非公開の実験施設を各地に設置。特異能力の強化・複製を目的として、大量の民間人を違法に拉致・収容し、非人道的な人体実験を継続していた。判明しているだけでも実験体の死亡数は×××××名を超え、被害者の多くは身元不明または記録抹消状態である。
 これを受け、関係諸機関は同組織の即時解体を決定。拠点および関連施設は全て封鎖・破壊措置を完了済み。
 また、本機関の最高責任者である上門狭山(かみかど・さやま)は、逃亡を図ったが拘束。特異能力無力化措置のもと、20××年1月15日付で異端刑務所【黒磐隔離区】へ移送され、裁判にかけられた。
 裁判の結果、下記罪状により死刑が確定した。
 1.拉致誘拐・人体実験・虐殺等に関する特別法違反(第48項)
 2.国家機密違反・隠蔽工作・多重殺人
 3.禁忌技術(永劫の呪縛)発動による異界災害誘発
 本件により失われた命と記憶は取り戻せないが、今後このような惨事が再発しないよう、全資料は封印保管され、関係者は厳重監視のもとに置かれる。
 以上をもって、本件は完結とする。
 ――退魔組織教会 封印監査局・超常災害対策本部。20××年3月1日提出。

 【救出・保護報告】旧・超人類能力開発研究所機関による被害者対応について
 20××年12月31日発生の陵珊山 山間部火災事案、ならびに旧・超人類能力開発研究所機関の拠点壊滅に伴い、長期にわたり同機関によって違法に拘束・実験対象とされていた少年少女計××名を、現地にて確認・全員救出いたしました。
 被救出者の多くは未成年であり、心身ともに深刻なダメージが認められていますが、現時点において生命に関わる重篤な状態は確認されておらず、全員が意識を保った状態で保護下に置かれています。
 一部被害者は家族を持たず、孤児であることが判明しておりますが、各地方自治体および専門機関との連携により、必要な医療的・心理的ケアの提供、ならびに適切な生活環境への移行を段階的に実施中です。
 回復には長期的な支援が必要と見込まれますが、被害者の社会復帰と安定した生活の実現を目指し、関係各所が責任をもって対応してまいります。
  ――退魔組織教会 特異災害保護課。20××年1月22日提出。

 【特別報告書】退魔組織教会に関する不正摘発および再編成措置について
 本報告書は、20××年12月31日に発生した超常災害、およびその背後に存在していた旧・超人類能力開発研究所機関(以下、機関)との関係性を調査・精査した結果に基づくものである。
 本来、警察的役割を担うべき存在であった退魔組織教会(以下、教会)内において、複数の幹部が機関と深い癒着関係にあったことが判明。機関による人体実験および誘拐、異界災害誘発等の重大犯罪に対して、教会は組織的黙認あるいは情報改ざん、捜査妨害等を行っていたことが記録・証言により裏付けられた。
 これを受け、関係当局は直ちに教会幹部の大規模摘発を実施。機関と通じていたすべての構成員を逮捕・解任の上、退魔組織としての認可は一時凍結。全面的な組織再構成が命じられた。
 再編後の新体制では、徹底した倫理審査と透明性確保を前提に、清廉な人材を中心とした構成が行われた。新生・退魔組織は、従来の宗教性を排し、国家警察組織の一部門として再定義される。
 初代新組織リーダーには、旧レジスタンスの指導者であり、今回の機関壊滅作戦において中心的役割を果たした鶴瀬 正一(つるせ・しょういち)が正式任命されたことをここに報告する。
 本組織は今後、法と倫理を基盤とする超常犯罪対策部門として、再発防止と被害者支援に全力を尽くしていく所存である。
 ――国家治安監査局・連絡調整部。20××年3月10日付報告。


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 陵珊山。かつて仏田寺があった場所。
 今はもう、千年の歴史があった建物は残っていない。黒く焦げた柱の残骸、崩れた石段、山の斜面には焼け焦げた樹木が並び、風が吹くたび灰が舞い上がる。そこは邪神が放つ呪いがまだ色残るものとして、立ち入り禁止区域となっていた。
 だからどんなに墓参りに行きたくても、どんなに故郷に顔出ししたくても、圭吾には近寄ることすら許されない。
 圭吾は一人、新たに建てられた遠くの墓地を訪れていた。
 手には供え物の束。花束と線香、火を灯すためのマッチ。着ている衣服は黒。
 実の兄が亡くなり、墓ができた。だから墓参りをしている。だが墓石の下に、兄の遺体は無い。
 ――仏田の敷地内で、邪神召喚の儀式が行われた。
 血と叫びが飛び交い、肉が引き裂かれ、崩壊する地獄の中で大勢が死んだ。
 レジスタンスの仲間も、それと争った機関の戦った者たちも、非戦闘員も、研究対象だった無力な存在も、名前を知らぬまま多くが灰と化した。
 兄のものとされた墓だけでなく、圭吾は多くの墓標に立ち止まっては、花を置いた。線香に火をつけ、手を合わせた。何も語らない。ただ、風の音と、火の音、土に還った命の匂いだけが、静かに時間を刻んでいく。
 そして、墓すらないが亡くなったとされる――仏田家という大家の男たちにも、手を合わせた。
 仏田の直系だった仏田燈雅と仏田新座は死んだとされている。上門ときわも犠牲となった、上門悟司だけじゃない。幼馴染が、弟が、兄が、皆、圭吾の前から消えた。
(まるで俺だけが残ったみたいで……息苦しいよ)
 あの日、誰を助けられたのか。誰を見捨てたのか。考えてしまう。そして「生き残ってしまった」とうっすらと想っては、溜息を吐く。
 生き残った側は生き残ったなりの職務が待っていた。

 圭吾の瞼の裏に浮かぶのは、誰よりも血が繋がっていた男・上門 狭山の顔だった。
 機関の最高責任者とされ、数万の命を弄び、最悪の異端犯罪事件を引き起こした主犯。だが圭吾にとっては、父親だった。
 実父と最後に会ったのは、異端刑務所・黒磐隔離区の面会室だ。
 分厚い防音ガラス越し。手錠に繋がれ、特異能力を無効化する抑制器を装着された男は、変わらぬ冷静な瞳で圭吾を見つめていた。まるで初めて見る他人でも観察するかのように。
 出会いがしらもいつもと変わらぬ「来たのか、圭吾」と淡々としていた。口調は逮捕拘束されても変わらなかった。厳格で、かつての研究者らしく知性に満ちていて、皮肉にも父親らしい優しさの面影さえ帯びていた。
 圭吾は返す言葉を探しながら、ただ黙って椅子に座り、淡々と事務的な会話をした。父親はどこまでも冷淡で実直な、尊敬できる態度の人間だった。その冷静さが圭吾にはひどく堪えた。異端犯罪者である彼が何をしたのか、本当に理解しているのかすら疑わしいと思えたからだ。
「……なんで、やったんだよ。何が……親父を、そこまで」
 やっと絞り出した声も、壁のようなガラスを通しては届かなかった。
 分厚いガラス越しに、圭吾はしばらく黙って父を見てから、意を決して口を開うた。
「親父。被害者に、謝ってくれないか」
 抑えた声だった。怒りでも、悲しみでもなく、ただ祈るような願いを込めて告げた。
 けれど狭山は微動だにしなかった。暫く無言のまま、ただ真っ直ぐ圭吾を見つめ返し、やがて静かに口を開いた。
「我々は、神を生むべく活動していた」
 声音に揺らぎは無い。真実を語る者のように、確信に満ちていた。
「千年の訓えを我らは求めた。女神たる存在こそ、我らを心から癒す。次なる人間の未来のためだ。淘汰される弱き命のために、我々が罪を背負うのは当然のこと。指導者たる私は、悪くない」
 息子の表情が、凍る。
 まるでそこに居るのが人間であることをもう認めてはいけないような気がした。圭吾の中で、何かが音もなく壊れた。
「そうか……なら、もう何も言うことはないよ」
 椅子から立ち上がり、目を逸らさずに言う。背を向けて面会室を後にした。振り返らなかった。もう二度と、あの目を見ることはないと知っていた。
 それが永遠の別れだった。

 父親の死刑が執行されたとの報せを受けても、圭吾は泣かなかった。哀しみではなく、空洞が胸に残った。かつて父と呼んだ男に、最後の望みさえ拒まれたことが、ただ静かに心を蝕んでいた。
 刑の執行日は、極秘に処理された。新聞にもテレビにも載らなかった。ただ一通の文書だけが、圭吾のもとに届いた。
 ――死刑執行済み。遺体の引き取りは不要とのこと。
 圭吾はその通知書を封筒ごと燃やした。何も感じなかった。いや、感じたくなかったのかもしれない。
 数日経った頃、圭吾は父の最期の顔が思い出せなくなっていた。
 誘拐事件を起こした少年時代、自分のもとへ駆けつけて拳骨を食らわせてきた父の鬼のような形相は、面白おかしく思い出せるのに。
 もっと幼い頃、研究所の扉の開け方や廊下の歩き方を、逐一生真面目に教えてくれた父の顔だって優しく思い出せるのに。
 冷たい面会室の空気と、自分がそれを真正面から浴びてしまったという事実だけが、記憶の奥底に残るようになった。

 機関と呼ばれた危険な巨大組織が正式に解体されたという情報は、報道機関によって公にされる以前から、裏社会に広く浸透していた。
 都市部の非合法取引市場では、一部の武器供給ルートが突如消滅したことで混乱が生じた。特に裏社会では特殊兵装や生体改造薬の入手が困難となり、複数の買い手が供給元の変更を余儀なくされている。
 旧機関と非公式に取引関係を持っていた密売人および技術屋の中には、一時的に姿を消した者も多く、一部は既に他組織による口封じが実行されたと見られている。
 裏社会における各勢力の反応は様々である。旧来の犯罪組織は機関消滅による権力空白を「商機」と見なし、縄張りの拡大を計画。一方、長らく機関の支配下で抑圧されていた独立系の小規模グループは、急激な勢力拡大を試みており、一部地域で小規模な抗争が散発的に発生している。
 情報ブローカーや傭兵業者の間では、残された技術や実験体の行方について高額の情報取引が行われている。現時点で、その多くは未確認のまま行方不明となっており、回収を狙う動きが水面下で活発化している。
 また、機関に関与していたと思しき残党と接触を試みる勢力も確認されている。彼らは組織再編、あるいは別名義での復活を目論んでいる可能性がある。
 総じて、機関の崩壊は裏社会における「安定した支配構造の喪失」を意味し、現在は再編と混乱の過渡期となった。

 墓参りを後にする圭吾は、黒い車の側に立つ青年と対面した。
 鶴瀬正一。レジスタンスの元リーダーであり、現在は新たに再建された退魔組織教会のトップとして、現場と政界の双方を駆け回っている男だ。
 精悍な顔に疲労の影が濃い。それでも目には力が宿っていた。失った者を思いながらも、立ち止まらずに歩み続ける者の顔だった。
「お久しぶりです、上門さん」
 低くも穏やかな声で、鶴瀬が言う。
 圭吾は応えずに、しばし空を見上げた。澄んだ春の空は、あの日の業火を思い出させるにはあまりにも静かで、冷たかった。
「もうその名前は、やめたんだ」
 鶴瀬が少しだけ目を見開く。圭吾はゆっくりと視線を戻しながら、なるべく明るい声音で続けた。
「先月から『高坂圭吾』と名乗ることにした。母方の苗字だよ。これからは、その名前で生きていく」
 言葉にした途端、胸の奥で何かが静かに崩れ、そして新しく積み直された気がした。
 決して消せない過去も、父の血も、名前を変えたところで逃れられるものではない。それでも、変えたかった。変えなければ、進めなかった。
 鶴瀬は頷く。そしてそれ以上、名前のことは何も問わなかった。
 沈黙に、圭吾は感謝する。
「……新座くんの墓にも、行ってきた」
 圭吾が言うと、鶴瀬の肩が僅かに震えた。
「それとときわの方は……戦死したと聞いていたけど、なんでも魂の救出が間に合ったとかで、ホムンクルスの器に定着させる心霊手術が行なわれるらしい。はは、死んだけど蘇るって、そういうことも能力者ってあるんだな。『諦めない人がいれば死んでもまた会えるかもしれない』。異能がある世界って不思議だよ、本当」
「全てが全て、そうなると良かったんですけどね」
「……ああ。……鶴瀬くんは、まだ戦っているようだね」
 尋ねると、鶴瀬は口角を上げてみせた。
「戦います。新座くんが守りたかったもんを、俺が守らなきゃ意味が無い。組織も、人も、想いも……ごちゃごちゃだらけの今だからこそ、絶対に」
 鶴瀬の力強い言葉に、圭吾は救われるような気がした。
 自分も、まだ終わってはいない。墓参りで一区切りをつけ、名を変えても、魂の中にはまだ何かが残っている筈だと拳を握り締める。
「そして、かみ……高坂さんに、会っていただきたい人がいます。お時間よろしいですか」
 墓参りを終えた圭吾を車へと誘う鶴瀬は、そう口を開く。
「俺に、会ってほしい人?」
「ええ。今日のこの日を選んだのは、偶然じゃないんです」
 運転手に迷いは無い。車を走らせる鶴瀬は、そのまま圭吾をある施設へと連れていく。
 ある一室に居たのは、一人の少女だった。
 制服姿の中学生くらいの背丈で、肩まで伸びた黒髪。少し痩せているが、姿勢は真っ直ぐで両手をきちんと前で組んでいた。
 どこかで見たことがあった。
 圭吾の奥がざわつく。熱と煙、瓦礫の中、絶叫と祈り。血まみれの現場で、圭吾ががむしゃらに引きずり出した、小さな命。胸骨の浮いた痩せた身体、意識を朦朧とさせていた、あのときの無気力な少女。
 圭吾が息を呑んでいると、少女は一歩、圭吾に向かって進んだ。そして深く、頭を下げる。
「あのとき、助けてくれて、ありがとうございました」
 その声は震えていたけれど、はっきりしている。
 彼女は流暢に話せるようになっていた。生きて成長して、今日ここまで来たという。
「私、事件の後、しばらく何も喋れなかったんです。でも……ずっと、お礼を言いたくて……私を応援してくれて、一緒に走ってくれて、山の外まで連れてってくれたの、ちゃんと覚えてて……。鶴瀬さんに頼んで、捜してもらいました」
 少女の目は涙ぐんでいたが、しっかりと圭吾を見ている。
 圭吾は、何か言おうと口を開いたが、声が出なかった。
 ――俺は、人を救える人間だったのか?
 あの地獄のような光景の中。父親を止められず、仲間を喪った。……会えなくなった大切な人もいた。みんな居なくなった。けれど、そうではなくて。
 確かに意味がある行動で、救った命があったのか。
「ありがとう」
 それは少女の言葉だったのか、圭吾自身の心の声だったのか、自分でも分からなかった。

 少女は満足げに微笑み、深く一礼してから鶴瀬に軽く会釈をして去っていった。まだどこかぎこちない足取りだったが、その背には確かな希望が宿っていた。
 その場に残されたのは、高坂圭吾と鶴瀬正一。しばらく沈黙が流れる。
 圭吾はただ立ち尽くしていた。まるで心のどこかが鈍く麻痺してしまったように。
 だが次の瞬間、その膝が音もなく崩れた。
 がくんと地面に落ちた身体を支える手は震え、目を見開いたまま、唇だけが微かに動く。
「……ずるいよ……」
 か細い声には、怒気と悔しさが滲む。
「ずるいよ、鶴瀬くん……」
 視線を上げた圭吾の目には、涙が浮かんでいた。歯を食いしばって堪えるように。それでも、止められなかった。
「これじゃあ……仏田家を潰したことが正しかったみたいじゃないか……」
 拳が地面を叩いた。
「機関を解体して、大勢を死なせて、それでも……正義だったってことにされて……」
 声が震える。
「燈雅を、終わらせたことまで……」
 その名を口にした瞬間、堰が切れたように、圭吾の目から涙が溢れた。
「……あいつを失ったことまで、正義だったなんて、思いたくない……!」
 鶴瀬は黙って見ていた。声を掛けることはなかった。
「救った命を見て、ああ、良かったって……思いたいけど……!」
 圭吾は泣く。怒りながら、叫びながら、地面に爪を立てるように。
「それと同時に……あの家が消えたことが、必要だったんだって……それが正しいって言われてるみたいでっ、悔しいんだよ……!」
 嗚咽は、まるで少年のようだった。
 人を救いたいと願ったが、人を喪った。何が正しいのか、何が間違っていたのか。それでも、選ばなければならなかった。そして選んだ果てに――好きだった人がいなくなっていた。

 圭吾の嗚咽が静まるのを待っていたかのように、鶴瀬はふと口を開く。
「俺は、泣きませんよ」
 声には、暖かみも慰めもない。ただ冷たく澄んでいて、言葉だけがひたすら真っ直ぐだった。
「新座くんが……俺の兄のような存在が、どこで死んだのかすら分からない。けど、もう戻らないことは分かってる。……新座くんが命を賭けたものを、俺が継がなきゃ意味が無い」
 圭吾は涙を拭い、鶴瀬を見上げた。
 男は微動だにせず、燃えるような冷淡さを背に纏っている。
「俺は、あの子……さっきの女の子のような弱者を、放置できません」
 視線は遠くの空を見据えていた。そこには同情でも情熱でもない。あるのは任務のような、非情な決意だけだった。
「だから俺は、これからも戦います。それが……新座くんが望んでいることだと思うから。それに、ただの副作用じゃなく……俺たちの体はもう、まともじゃない」
 眼差しの奥にもう一つの確信が宿っているのを、圭吾は見逃さなかった。
 邪神の召喚に巻き込まれたことで、二人は呪いを受けていた。不老の呪い――それは永遠の命ではない。死ぬことも、痛むこともある。ただ肉体の老化は止まり、身体は研ぎ澄まされていく。再生力、持久力、思考能力。全てが通常の人間以上へと変質していた。
「それでも俺は……この呪いも、使えるものなら使います」
 鶴瀬の言葉はまるで冷たい刃のように、迷いが無い。
「この体で多くの命が救えるのなら。それが人を救う力として使えるのなら、代償として受け入れる」
 圭吾も黙ったまま、その言葉を受けとめた。「……俺も」と、掠れた声で鶴瀬に続く。
「俺も、『助けて』って声を上げる人たちを……助けていきたい。誰かがそうしてくれたように。俺が……あの子を助けたように。いいや、『助けて』と声を上げられない人たちにも……」
 風が吹いた。涙が乾きかけた頬を撫で、立ち上がる彼の輪郭を静かに照らす。
「それを俺の一生にする。呪いも、この力も、罪滅ぼしじゃない。誰かを守れる自分で……いたいんだ。この呪いが、誰かの盾になるなら。俺は、それでいい」
 ようやく体が立ち上がった。かつての戦場を背にして、過去を連れて、それでも前を見据える。
 呪われた体で、救うために生きる。
 それが残された者たちの戦いなんだと、男は胸に抱いた。


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 今日もデスクの前にいた。
 退魔組織教会。そこは前線で戦う能力者と、現場を繋ぐ中枢だった。
 依頼内容を精査し、能力者の特性を分析し、適切な人員を手配する。華やかでも劇的でもない。けれど、誰かが担わなければならない大切な仕事ではあった。
「この案件には、時野くんと未来ちゃんのペアが適任だね。転移型の呪いに強い構成でいこう」
 書類にさらさらとペンを走らせながら、圭吾は指示を出す。
 不思議なものだ、と時々思う。
 かつては自分は無能とされて、異端事件が蔓延るような裏社会から遠ざけられた存在だった。けれど、今は違う。力は無い。それでも信頼される仕事がある。誰かを支える言葉がある。現場に出ることは少なくても、「あの人が選んでくれたなら大丈夫」と言われることが少しずつ増えてきた。
 何より、自分自身が『誰かを救う選択』を積み重ねていることを、ようやく誇れるようになってきた。
 資料を整理し、ふと顔を上げる。
 窓の向こうに雪景色が広がっていた。
 その白い世界の中に、一人の面影が、ふと揺らめいた気がした。
 どんなに時が経っても忘れることなどできない名前。最後に恨み節を言うことしかできなかった、救えなかった、悲しき存在。それでも愛おしくて、ずっと心に棲んでいる大事な人物。
「燈雅」
 誰も居ない室内で、小さくその名を呼ぶ。
 返事は無い。あるわけがない。けれど、不思議と寂しさはなかった。
 ――俺は、今度こそ曖昧な態度を取らない。人を困らせたりもしない。半端なことはやめて、信頼できる人になる。変な奴って言われないように、頑張っているよ。
 そう思い出に語りかけた。ゆっくりと椅子から立ち上がる。冬の空気を窓から眺める。何年経っても、年を取らない……寿命に怯えることがなくなった肉体で、何度も思い出へ語りかけた。
 そのとき、軽快な音が鳴った。一通のメールが受信された音だ。新しい依頼が届いていた。
 今日もまた、誰かの『助けて』が、世界のどこかで上がっている。
 ではまた誰かを救うために働き続けよう。愛する人がいなくなった、もう戻れないこの世界で。
 生き延びた高坂圭吾は、再びペンを握り締めた。




 END

番外編「仏田燈雅の初遇変心」を読む

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