■ さわれぬ神 憂う世界 「高坂圭吾の生存報告」 ・ 1ページ目



※この作品は、2009年に期間限定公開したフリーノベルゲームを再構築した 2011年公開長編ウェブ小説を、さらに再構築して登場人物を少人数に限定したリメイク小説(2020年同人誌発表)の再掲載バージョンです。
 オリジナルTRPG『アナザーワールドSRS』の設定、その設定を使用したTRPGリプレイ『ワンアンドアナザー』のネタバレが含まれております。
 むしろ上記二作を前提に作成された創作のため、『ワンアンドアナザー』シリーズのキャラクターが登場します。そちらとごいっしょにお読みください。



【1章】

 /1

 8月の夕日が綺麗だったから、連れ出した。
 仏田寺がある陵珊山の麓近くに、小ぢんまりとした神社があった。人々に忘れ去られたようにひっそりと建っている社の裏手に、小さな崖がある。そこから見る夕日の街が、子供心に絶景だと思っていた。
 17年しか生きていない圭吾は、これ以上の景色を知らない。『機関』で生まれた子供は、人より経験が浅い。小中高と外界で過ごせているので他の検体に比べればいくらかマシだが、それでも遠出した経験は少なかった。
 そんな自分が唯一知っている絶景に、燈雅を連れてきてあげたかった。
 境内にある離れの館に一人居た彼の手を引き、初めて二人で遠出をした。
 ほんの数十分、数キロメートルほどしか仏田寺から離れていないが、それでも遠出だった。
 急に外に出ることにした。インスタントカメラを持って、滅多に履かない燈雅の草履を出してやって、飛び出したらあっという間に日が暮れた。
 冷静に考えてみれば、大事な次期当主様が機関から飛び出したら残された者達はどうする?
 無断で燈雅を連れてきたのだから、父親にこっぴどく叱られるだろう。そんな後のことなんて考えず、綺麗な夕日が終わった神社の中で、二人で寝転んでいた。
 どういう経緯で腕枕をしたかは覚えていない。燈雅は圭吾に身を寄せ、不安定な体勢のまま寝息を立てている。腕が痺れていたが、起こすのも癪なので、圭吾は沈んだ空ではなく燈雅を見つめ続けていた。
 風が吹く。夏なのにヤケに涼しい。着物姿の燈雅に掛けてやる上着は無い。それどころか懐中電灯すら無い。真っ暗になったら寺までどうやって戻ろうと不安が忍び寄ってくる。
 それでも、燈雅を起こして寺に戻ろうとは言い出せなかった。もう少しこうしていたかった。
 いつも篭もっている燈雅に寺以外の景色を見せてやりたかったし、寺以外の空気を吸わせてやりたかった。寺以外の時間を過ごさせてやりたかった。
(燈雅が「したい」と言った訳じゃない。ただただ、俺が勝手に腕を引いて連れ出しただけ、だけど)
 だけど、間違いじゃないと思った。
 常に寺で過ごしている次期当主様は、人の話と小説本と写真でしか外を知らない。
 圭吾が撮ってきた写真を見て、いつも喜んだ。そんな小さな一面的な世界で、喜んでくれた。下手くそな素人の写真なのに、目を輝かせてくれた。
 本物はもっと良いんだぞと教えた。けど、燈雅は「これで十分」と言った。本物を見る機会は無いと悟っていたからだった。
 それは違う。圭吾は人より外出できる子供で、燈雅は走ったことがなくても走れる足を持っていて、絶景はバカ高い石段を下って走ればすぐに届く場所にある。だから、自分が燈雅を先導すればいつだってその景色を見ることができる。
 そうして、簡単に叶った。
 小さなことで感動していた燈雅は、実物を見て、大きく感動してくれた。
 じゃあ次はもっと大きな感動に行こう。もっともっと大きな感動があるから、そう思って、
「燈雅、逃げるか?」
 腕の中で眠る彼に、問う。「逃げよう」と言いたがったが、そこまで強制はできなかった。
 強く言えば燈雅はきっと了承してくれる。確信があった。だが、後に待っている罰が怖いのも事実だった。怖れで、燈雅に選択を逃げてしまう。
 さっきまで寝息を立てていた燈雅は、圭吾が怖れで息遣いが不審になり始めた頃に、目を覚ましていた。目が、圭吾の言葉を求めている。
「その……お前の為なら何でもしてやる。……とか、言ってみたいなって、思ったのだけど」
「ふふっ、『思ったのだけど』? 何だ?」
「と、燈雅の身が、一番大事だから……俺は、もっと遠くに行きたい、けど……その……」
「そっか。じゃあ……ここらで帰ろう。今日は、十分に楽しかった。この興奮は当分醒めない。暫くこれを肴に楽しむよ」
「ごめん。気を遣わなくていい。つまらなかったらつまらないって言えよ」
「なんで嘘をつかなきゃいけないんだ。圭吾がいきなり手を引いたから何だと思ったが……」
 そう言って、燈雅は右手首を圭吾に見せる。
 薄く、圭吾の指の痕がついていた。どれだけ必死で燈雅を連れて来たのか判る色をしている。
「ごめん」
「謝るな。さっきから圭吾は謝ってばっかりだな。オレは凄く、嬉しかったんだぞ」
 燈雅は目を閉じた。今度は腕枕でなく、胸枕をしてきた。
 意地の悪そうなニンマリした笑みを浮かべている。陽が落ちかけている暗い社でも見えた。
「オレは圭吾が好きだ」
「……え?」
「好きなお前がオレの為にしてくれたことを、どうして喜ばない。圭吾にとっては小さなことかもしれないけど、オレはきっと、今日のことは忘れない」
「……燈雅……」
「……なんて言えばロマンティックか? ははは、小説の台詞を再現するのは難しいな!」
 彼は笑う。言った台詞は、どこかの小説に出てくる典型文だ。騙されたと思いつつも、本気で感動している自分がいた。
 茶化すように笑う燈雅がいなければ、俺もお前のことが好きなんだ、と言っただろう。
 顔が赤くなっているぞと小突かれていると、急に懐中電灯の光が襲いかかる。大勢が圭吾達を発見した。
 冒険は終わった。数時間、寂れた神社に居ただけ。計画性も無く飛び出した旅だが、有意義な時間だった。
 燈雅とは、すぐに引き離された。
 次期当主様は大事に確保、圭吾は父親のもとで盛大に叱りつけられる。父は頑固親父や雷親父という言葉を体現した人で、鼓膜が破れるんじゃないかというぐらい恐ろしい説教を受けた。
 けど、あの時間が有意義なものだったという想いは、消せなかった。

 ――陵珊山の頂上にそびえ立つ寺に住まう、仏田家。千年以上の歴史があり、『神』を生むために一族総出で魔術を究めているという旧き一族。
 仏田家を創設した始祖は、陵珊山を根城にしていた超越的存在と接触し、人知を超えた智慧を授かった。如何なる魔術も使役し、如何なる異能も制御して、更なる知を求め励んだという。
 千年前から続いた異能力者の研究は、近代の科学技術と融合し、躍進。仏田家主導のもと、外の異能研究者達の力も借りながら『超人類能力開発研究所機関』という名称で、日本だけでなく世界有数の異能研究施設として今も探求を続けている。
 燈雅は始祖の血を継ぐ仏田家直系一族の長男で、次期当主とされている男児。17歳だが、大人顔負けの術師だった。けれど、少しばかり体が弱い。何かと体調を崩しやすかった。
 その燈雅には新座という弟がいて、そちらも優秀な能力者で、健康だ。体調面を考慮して「今後の継承者はどうするか」と話し合われていた。
 血統的には、燈雅が第一位継承者には違いない。
 つまり、燈雅は非常に大事な存在だった。優秀で、高潔で、病弱。替えがきくどこかの子供の気まぐれで、全力疾走の脱走劇などしてはいけなかった。
 仏田寺に戻った燈雅は、厳重な警備のもと連れて行かれる。圭吾は大勢からこてんぱんに叱られて、本殿にある兄弟雑魚寝部屋に戻された。
「よく、その日のうちに帰れたな」
 呆れ顔だが感心した声の兄・悟司が迎える。淡々とした態度だが、心配の色が伺えた。
 眼鏡を掛けて利発そうな顔立ちの彼は、2つ年上の兄だった。圭吾とは父親の遺伝子が同じで、顔は母親似なのか圭吾とは似ていなかった。
「兄貴。写真屋には、いつ行ける?」
「カメラを押収されなかったのか。新学期初日なら授業は半日だけだ、そのときついでに行け」
「そっか。その日のうちに現像してくれるかな? ……1週間で写真、あいつに渡せるかな」
「暫く燈雅様には近寄るな。お前が燈雅様を誘拐したって話で持ち切りなんだぞ。反省を身で表せ。今年中ぐらい大人しくしていろ」
 まだ8月なのに、来年まで会うなと言うのか。そんなの出来やしないと口を開こうとしたが、兄としては的確な叱咤だから言い返さなかった。
 悟司は弟を自室に迎えると、それだけで目をくれず本に目を通し始める。二つしか違わないというのに、冷静な大人のようで、なるならこういう人になりたいと思える憧れの兄だった。
 これほど落ち着いた男なら、燈雅を不満になんてさせることもないだろう。無計画に物事を進めてしまう自分を恥じ、今日ぐらいは大人しく振舞うべきかと自分の布団に転がり込む。
(大人しく振舞える訳がないけど)
 布団の近くに置いてあるスクラップノートには、燈雅に渡していない写真が貼り付けてある。
 例えば、遠出をするために必須な車を写した写真。……免許が取れたら格好良い車を買って、色んな場所に連れて行ってあげよう。
 他にも、辛気臭い寺では食べられない、チョコやケーキなどの洋菓子を写した写真。……大人になって金が自由に使えるようになったら、食べさせてあげよう。
 そう、自室に戻ってきても、燈雅のことばかり考えた。
 悟司は暫く燈雅に会うなと言う。父親や燈雅の世話役達も、カンカンに怒っている。一介の機関所員の息子に過ぎない自分が、高貴な血筋と釣り合う訳が無い。誰も自分のことなど歓迎してくれてないと、深く考えなくても解る。
 でも兄のように利口じゃない馬鹿だからこそ、止められなかった。
 同室の悟司が寝入った後、部屋を抜け出して燈雅が住まう離れの屋敷に向かった。
 別館ではあるが、同じ境内にある屋敷だ。走ればすぐに会える場所で、神社よりはよっぽど近い。また怒られるかもしれないが、怒られるだけで燈雅の姿が見られるなら安い。
 一目惚れした心は、一向に止められる気配が無かった。

 父親が機関の重役であるためか、仏田家の現当主・光緑と縁が深い父によって、直系一族と挨拶をさせられた。
 燈雅とは同い年だった。同い年とは思えないほど、圭吾と違う人間だった。
 男であると一目で判るが、即答ができない線の細さ。羽織る高貴な着物や、立ち振る舞いの美しさまで、住む世界が違う存在なんだと思い知らされた。
 初めて会った晩、綺麗な彼を思い出しては、悶えた。
 どうすればまた次期当主に会えるのか兄に相談し、「お前は生きているだけで優秀だから、そのうち会えるだろ」とアドバイスにならないアドバイスを受け、それじゃあとりあえず品行方正に生きようと決心した。
 不出来と罵られない程度に勉強し、快活に振る舞った。異能の腕も磨いた。先天的に魔力貯蔵量とやらが多いらしく、コツを掴めば褒められるレベルになれた。
 おかげで燈雅に近づいても訝しがられない立場になり、今も少し羽目を外しても許される程度で済んでいる。
(さすがに、一日で二度も叱られたくはないなぁ)
 それらしい言い訳は用意しながら、離れの屋敷に近づく。
 どうして来たのか。燈雅にスクラップノートを渡したかったからだ。見せていない写真がたくさんあり、神社で撮った写真が現像できる一週間はこれで楽しんでほしかった。
 あくまでそれは建前で、「圭吾が好きだ」と言われてしまった興奮から、どうしても顔が見たかった。
(どうか、綺麗な紫色に近い艶やかな黒目に、自分の姿を映してほしい。眺めるたびに感じる甘い痺れを、彼も俺に対して抱いてくれたら)
 夕日の神社に立つ彼は、まさに理想だった。「本物を知らない彼を喜ばせたい」という心は真実ではあるが、実際は、自分本位で身勝手な感情が強かった。
 湧き立つ想いを塞ぎきれず、燈雅が居る部屋へ向かう。
 そのとき、喘ぐ声が聞こえた。廊下に隣接する障子を前にして漸く気づいたのは、艶やかで卑しく濡れた声など、経験不足な圭吾は聞いたことがなかったからだった。
 はしたない声が響いていた。それが部屋の主のものだと気づいて、口から出てしまいそうになるものを必死に堪えた。
 耳に入ってくる喘ぎは確かに部屋の主のものだが、それ以外の声が複数。何人も部屋に居るのだと気づき、衝撃が体を駆け抜けた。
 でも、納得できるものか。病弱で高潔と言われていた大事な大事な子供が、大勢の大人と重なり合っているだなんて。
 その夜は彼に写真を見せることなく、立ち去るしかなかった。


 /2

「圭吾、オレを抱きたいだろう?」
 まだ昼間だった。数日経って、圭吾が起こした騒ぎが落ち着き、なんとか一緒に茶を飲めるぐらいに回復した時期に、晴れやかな縁側で腰掛ける燈雅が口を開いた。
 圭吾は湯呑を手から落としそうになりながら、「何を、いきなり」と声を絞り出す。
 しかし燈雅は微笑みながら立ち上がり、すぐ横の寝室から写真を持ってきた。
「あの日、あの夜。圭吾を玄関に写真を置いていってくれた日。見たよな?」
「何の、話だか、判らないよ……」
「オレが輪姦されてたの、見たよな。あれ、ちょっとした儀式だと思えばいい」
「儀式って……」
「オレは普通の人より魔力の扱いが下手で、なかなか『呼吸ができない体質』なんだ。酸素が欲しいのに吸うが苦手で、無理に酸素を流し込んでもらわないと生きていけない。魔力供給を大勢にしてもらわないと、生きていくのも難しい」
 あれは医療行為だから、と言うかのように燈雅は掴み上げた写真をいくつも捲る。
 そこに深い感情は無いと、告げるような目だった。
「あまりにもオレの体質が不出来すぎて、弟を当主にした方が安泰という声が強くなってきている。……新座に仏田家の重圧を強いたくないから、オレが継ぎたいんだがな。後々手術をして、もう少し呼吸できるマシな体に生まれ変わろうって話も上がっている」
「し、手術って……。それ、大変なやつなのか? 燈雅は大丈夫なのかっ?」
「大変で、大丈夫じゃない、難しい手術らしいぞ。生きるための手術だからしなきゃいけないとはいえ、ちょっと怖いなぁ」
 恐怖を口にしながらも、畳の間での燈雅の表情は、温和だった。
 だが敢えて写真の先の景色を眺めて、心を何処かに置き去りにして振る舞っているようにも見えた。
「それで、圭吾。お前は、オレを抱きたいんじゃないか?」
「……なんで、そうなる……」
「あの日から、お前、オレを見る目が変わった。よそよそしいじゃないか。見てしまったんだろう、興味が湧くのは分かるよ。だから他人みたいになっちゃったんだろ?」
「ごめん、そんなつもりは、無かった。本当にごめん」
「セックスしてみたいなら、抱いてみるといい。抱きたいなら、抱いてみろ。魔力供給とか考えず、圭吾がしてみたいことをしてみたらいいぞ。オレは昔からしているからな、経験豊富だ。圭吾を満足させる自信があるぞ」
 縁側に座っていた圭吾を手招きする燈雅は、自らの着物を、少しはだけさせる。
 写真を手に取り眺めていた畳のもとへ、圭吾を導いていた。
 綺麗だなと思った顔が、昼間でも真夜中のような妖艶な色で染まる。好きだなと思った目が、濡れているような気がした。
 境内にある離れは小さく、次期当主の燈雅専用の館となっている。
 平和な昼間となれば、燈雅以外に影は居ない。待機している世話役達も燈雅がどこかにやったのか、人の声はしなかった。
 濡れた彼を思い浮かべて悶えたのは、確かだ。美しい目で自分だけを見てもらったらどれだけ嬉しいか、叶えられるものなら叶えたい願いでもある。
 ――さあ、一緒に繋がろう――。そう寝床へ手招きする妖艶さに、普通では抗えない。直情的な圭吾は、どんなに照れていても、好きな人に誘われたのだから振り払える訳がなかった。
 それでも断れたのは、燈雅とそんな関係になりたいから近づいたからじゃない、その理由しかなかった。
「俺は、燈雅に喜んでもらいたい。楽しく笑ってもらいたい。綺麗な景色を見て、色んなものに感動して、凄いなぁって生きた顔をしている燈雅が好きで、その先に、俺がいたらいいなと思っていた」
「うん。それで?」
「それで終わる。……お前に抱いているのは、それだけ。……淫らな気持ちを、燈雅で発散する気には、なれない」
「そうか。……じゃあ、この話は終わり」
 燈雅は、瞬時に目の色を変える。
 先ほどまでの妖婦のような顔はどこかに置いてきたかのように、写真を持って縁側まで戻る。
 隣に座る彼に艶やかに誘いこむような雰囲気は無く、無邪気に友人とはしゃぐような子供らしい顔に変貌していた。
 圭吾よりずっと大人と接してきた彼は、とても大人で、顔を自在に使い分けることができた。
 からっと晴れやかな彼が、珍妙な空気を吹き飛ばす。高鳴る胸の圭吾に気遣わせない言葉ばかりを吐き、いつも通りの友として接していた。
 それでいいのだと、圭吾は圭吾を、無理矢理に納得させた。
 たとえ一目惚れをしていても、彼に執着するほど愛していても――寝床に誘いながら見せた憂鬱そうな顔は、何かが違う。できればあんな顔、させたくなかった。

「圭吾。お前、聯合されるのか」
 兄弟で雑魚寝をさせられている自室に戻ると、開口一番、悟司が告げた。
 常に冷静で大人らしく物分かりの良い兄らしい、涼やかな声だった。だが、いつもと声が違った。眼鏡の角度で表情は半分隠せても、わりと声に「心配」という感情が出てしまう兄は、良い人だった。
「初耳なんだけど。それ、どこ情報?」
「親父情報だ。……すまん、まだ聞いてなかったか。だが、どうせ後で親父に言われるからいいよな。……覚悟はしていた、だろ?」
 してない訳がないよな、と言わんばかりの兄の言葉に、「うん」と頷く。
 聯合は、その身を神に捧げる行為を差す。率直な言葉で言うなら、死刑だ。
 ただし死んで成仏して転生、なんてことは許さず、器に備わっている魂という情報を全て、機関の為に収容する儀式である。
 ただ殺されることと聯合されることは同じ死だが、有意義かどうかなら聯合の方が尊い。
 智慧を求めて探求を続ける仏田家に伝わる秘術の一つを使って、誰かの為になる。たった17年でも、圭吾という器に宿った能力・情報・記憶が保管され、発展していく誰かの血肉になるなら光栄なこと。……と、親父に教わりながら生きてきた。
(「使えない奴は使える形になれ」というのが、親父の口癖だからなぁ)
 聯合されるということは死ぬことと変わりないが、誰かに自分の全てを使ってもらうという点では、生き続けるということにもなる。「だから死という消失に恐怖する必要は無い」という父の言葉に繋がる。
 父は、いや自分が生まれ育った機関こと仏田家は、無駄や不都合、厄介者や敵を嫌う。
 そういったダメなものは良い形にして、一番素晴らしい『神』を作ろうという方針だった。
 そして圭吾は、次期当主を誘拐した不都合で厄介者だった。
 聯合されるに相応しい、生かしておいても無駄な機関の子供。聯合の対象に選ばれるのも、納得だった。
「兄貴。俺が聯合されるのって、いつだろう」
「夏休みが終わる前。新学期が始まる前だから、8月末日だな」
「1週間どころか、もう5日も無いじゃん」
「新学期が始まる前の方が、高校的にも都合が良いだろ。夏休みの宿題は……終わってないなら良かったじゃないか、やらなくて済んで」
「確かに。最終日に根詰めなきゃ終わらない程度にヤバかったから」
「また逃げるなよ」
 逃げたことなんてないよ、と言おうとしたが、そうか機関から逃げたから聯合されるんだな、と思い直し、口を噤んだ。
 圭吾は気の利いた冗談を言えず、黙り込む。悟司も黙ったまま、本に目を通し始めた。心配の色が声から伺えても、動揺しているようには見えない。それもその筈、2つ年上の悟司は、圭吾以上に聯合される『兄弟達』を何人も見てきたからだった。
 いつも通り、布団に転がり、スクラップノートを開いた。
 燈雅に見せていない写真は、もう無い。会いに行く口実が無くて、残念だった。そうして素人なりに懸命に撮った写真を、いくつも眺める。
(車、自分で運転したかった。免許を取りに行くのも、実は楽しみにしてたのに。チョコレートケーキ、大人になったらたらふく食べるのが夢、だったんだけどな)
 さすがに3日で自動車免許は取れない。チョコなんて生えてない山奥では、口にすること自体できない。動揺や激情はなくても、人並みの後悔は、一端にあった。
(今まで聯合されてきた連中も、同じ気持ちだったのかな)
 少ない人生経験の中では、死の実感など無い。だから死ぬことに特別な恐怖心が無かった。
 元より、死は近い体だ。
 父は圭吾という『自分の遺伝子を改良して培養に成功したデザインベビー』を、普通の人間のように育ててみせた。『人並みの寿命は見込めない』デザインベビー特有の問題点はあったが、普通の男児として振る舞えると判断し、小中高と外の世界で過ごさせた。
 このまま滞りなく生き延びたなら、機関のために外界で活動できる諜報員になれただろう。
(人より魔力が高く創ってある体だけど、確か、生きられて30年そこらなんだっけ。……15歳を越した時点で、俺はもう人生の半分を生きたんだ。20歳になれなかったのは残念だけど、よく生きた方なんじゃないか?)
 自分より早くに聯合された機関の造形物を、幾人も知っている。
 死自体には、恐怖は無い。ただ、もう誰かと会えなくなると考えると、寂しいと思えた。
 普通の日本人として振る舞う生活をしていた以上、小中高で出会った人達がいた。新学期に再会する学友達もいた。彼らに挨拶できずに死ぬのは、心苦しい。
 そして出来れば、自分を産むべく卵子を提供した研究員――もう機関を退職した女性にも会ってみたかった。
 スクラップノートに貼っていたクラスメイト達との楽しい学校行事の写真や、自分が産まれた研究室を背景にした所員達がピースをしている写真を見て、思わず息を呑む。
(なんだ、俺、思ったより死ぬの嫌がっているじゃないか)
「圭吾。そろそろ寝るぞ。電気を消す」
 まだ消灯には早すぎる時間に、悟司は寝床に入った。
 そしてスイッチを落としたかのように、早々に寝息を立て始める。
 あまりに早く、なんでこんな時間に、と言おうとした。それが「聯合される弟のことをナイーブに考えるより寝てしまおうと理知的に考えた結果」に思えて、やっぱこの人は悪い人じゃないなあ、と笑う。
 同時に、「弟がどこに飛び出しても自分は知らない」と言い張るつもりなのだろう。
 悟司の心遣いに感謝しながら、圭吾は消灯された部屋を出た。


 /3

 仏田寺を囲む柵は、普通の寺にしては高く厳重で、恐ろしい。
 唯一の出入り口である荘厳な山門は無人だが、柵の壁同様、科学的な仕掛けの遠隔ロック式と魔術的な仕掛けによる結界で侵入者を拒絶している。門以外に、出口は無い。野生動物や泥棒どころか、能力者一匹たりとも通さない徹底した壁だった。
 昼間は開放しているから圭吾は通学できるし、参拝客も自由に訪れる。だからと言って昼間なら結界が張っていないという話ではない。外から来る悪意ある者は排除し、内から逃げようとする者達を捕らえて逃がさない造りになっていた。
 けど、夕日を見に神社へ向かったあの日、誰も圭吾達二人を止められなかった。
 理由は、燈雅にある。まだ当主になっていない子供とはいえ、燈雅は仏田家の秘術を継いだ能力者だ。始祖・橘川越(たちばなのかわごえ)が編み出したという不干渉の式、機関の技術を無効化する秘術を会得していた。
 雑に言えば、燈雅を拒める者はいない。
 燈雅ならいつでも拒むみんなを吹き飛ばし、この寺を飛び出して、山道を走って神社に向かうことだってできたのだ。そんな、馬鹿なことをする男ではなかったが。
 圭吾は山門の警報が鳴らない限界の場所まで、進む。
 あと数メートル進んだら守衛に駆けつけられるという距離で、砂利の上に腰を下ろした。
 真夜中。御堂がある本殿や自然豊かな庭ではなく、生まれ育った研究施設でもない、ただの境内の道に座り込んだ圭吾を咎める者は、現れない。
 8月下旬、暑すぎず寒すぎずの夜に、だらんと足を伸ばして座りこみ、夜空を見上げた。
 天気が良い夜空は、真っ暗なのに、雲の動きが見えるほど明るかった。
 星が綺麗だった。手に取れるぐらい近い、壮大な宇宙の中では自分はちっぽけな存在。なんて小説の定例文のような言葉がいくつも思いつく。
 その小説も、自分はさほど読んだことがない。
(17年でどれだけの本が読めただろうか)
 燈雅に夕日を自慢したが、圭吾だって碌な景色を見たことがない。高校のクラスメイト達に比べれば、圭吾はとても窮屈な生だった。遠くに行ったことがない。美味しい物だって、まだ満足するだけ食べてない。誰かと付き合ったこともないし、誰かを心から嫌ったこともないし、セックスだってしたこともないし、それにそれに、あと、あれも、これも……。
 考えていたら、高く広がる上空を見ながらボロボロと涙を零していた。
「圭吾」
 空から声が降ってきて、声を出して驚く。
 砂利を踏む足音すら、圭吾は自分の泣き声のせいで気づけなかった。しゃがみこんでいた背後から、空を見上げていた顔を覗かれる。
「なん、で、燈雅、ここに」
「今夜は、オレが圭吾の部屋に遊びに行った。お前だってオレの部屋に来ようとしただろ、オレも同じように夜に訪ねて何が悪い」
「うん、そっか……」
「お兄さんが寝ているだけで、お前が居なくて、残念だった。圭吾もこの前、こんな感情だったのか。……離れに戻る前に、お前の魔力を感じて……こっちに来て正解だった。隣、座るぞ」
 圭吾が纏う衣服とは比べ物にならない良い着物の筈なのに、燈雅は堂々と砂利の上に腰掛ける。
 夜の道端、誰も通る人は居ない。寺の外に出た訳じゃないから、叱る人も現れない。
 二人で何でもない道端で腰を下ろして、肩を寄せた。
 何かを話そうにも、泣いていた圭吾は言葉が出なかった。
 そして燈雅も茶化して話し始めたりはしない。肩を寄せて、ぼんやりと二人で夏の夜風を浴びる。それだけで二人だけという貴重な時間を潰してしまった。
「なあ、圭吾」
「……なんだ」
「圭吾は、この家が嫌いか? 好きか?」
 それは、綺麗な声だった。流暢な口調からは、何の感情も察することができない。
「オレは、嫌いだ」
「嫌いなのか」
「嫌いだ。オレの周りには、嫌なものが多くて、それが嫌だって言っても、父はいつも同じことしかしない。オレが何を言っても、決まったことしかしないし、言わない」
「うん」
「父以外の人達は、痛いことをする。オレの為とか言って、凄く嫌なことをする。痛いことをしない人達は、憐れんだ目でオレを見る。蔑んだ目で見ることだってある。なのに、痛いことをする人達を敬い崇めている。嫌なことをする嫌な人達がいるだけのここを、嫌いって言っても、おかしくないだろう?」
「……うん」
 燈雅は、負の言葉を吐き続けていた。
 けど、燈雅の声は爽やかで、星々の明かりだけで見る横顔も晴れやかに見えた。
 光の下なら、いつも見た美しいと思える瞳があるのだろうと、残念がる。
「圭吾とオレは、全然違う。生まれ方も、立つ場所も。オレはこの家が嫌いでも、お前は好きな可能性がある。だからちゃんと訊いておきたかった」
「……うん?」
「圭吾は、この家が嫌いか? 好きか?」
「……燈雅はそれ聞いたら、どうする気だ」
「オレとお揃いで嬉しがるか、オレと違って興味深いなと感心するか。どっちかじゃないかな」
 クスッと笑い、まるで他人事のように言う。
 即答できずに黙っていると、燈雅は投げ出していた圭吾の手に、指を重ねた。
 細く、星明かりの下でも判る白い指に胸が高鳴る。
 沈黙が続いた。黙って明日を迎えていたら、もう燈雅と話ができなくなるかもしれない。そう思うと、しっかりと応答しなければならないと思った。
 使命感に駆られ、「わからない」と唇を開く。
「燈雅に知ったかぶりをしていたけど、俺、まだ判断できるほど大人じゃなかった」
 聯合の存在を知っておきながら、いざ聯合って言われて、じっくり考えるまで、それが怖いことだって判らなかった。
「俺は、今の今までここに不信感を抱いたことがなかった。俺の写真、見ただろ」
 友達がいた。兄弟がいた。カメラを向ければピースを向けてくれる人達もいた。寿命が不出来でも、人として外に出してくれる親がいた。
「……今日の今日まで、俺は充実していた人生だった。これで終わらせるには惜しいけど」
「それじゃあ、この家のこと、好きなんじゃないか?」
「うん、きっと好きだ。でも、好きって言いきれない」
「なんで」
「だって……燈雅に嫌なことしていたんだろ? それは、許せない」
 燈雅が、吹き出す。
 変なことでもないのに、告白でもないのに燈雅が大笑いした。
「なんだ圭吾、お前、好意を抱いていたのに、その程度で嫌悪するのか」
笑いながらそんなことを言われたような気がした。
「と、という訳で……俺は、まだここが好きか嫌いか、結論が出ない。どっちでもない、わからないとしか言えない」
「変なの」
「変か? 変なつもりは無い。……もっと時間があって、色んなところを見て、外と比べてどうだとか、誰かと比べてどうだと検証して、それから、好き嫌いを決めたい。……俺は、今まで俺を良くしてくれたみんなが好きで、でも、お前を蔑ろにしていた人達がいるという事実が、嫌だと……思って……」
 それっぽい言葉を並べた。本当にどっちつかずの半端な回答しかできなかった。
「いいな、圭吾らしい。実に圭吾っぽい答えだ」
「なんだそれ……」
 こんな曖昧の、どこがいいのか。問い質そうとすると、燈雅は、圭吾の手に合わせていた手を今度は頭に置く。
 よしよしいいこいいこと、圭吾の髪を撫でた。泣いている上に曖昧なことしか言えない子供を慰める姿となり、圭吾はつい顔を赤くする。
 だがせっかくの優しい手つきに拒むことができず、頭に置かれた手を振りほどけなかった。
「圭吾は、この家に優しくされたんだな」
「……ごめん。俺、燈雅のこと、全然気づいてやれなくて……」
「謝るな。なんで圭吾が謝るんだ。…………さっき、もし圭吾が『嫌い』と言ったらお揃いで嬉しがると言ったが……」
 そこで言葉が途切れる。
 彼に目線をやり、促す。だが燈雅は「なんでもない」と、言葉を続けなかった。
「圭吾がこの家を好きという可能性があるなら、オレはここを守ってやらないとだな」
「え」
「オレ、次の当主だし。家を守るのは当然だろ」
「…………。燈雅。俺に、なんでも言ってくれ。その、嫌なことをされた奴が許せないなら、俺がそいつらを、ぶっ飛ばしてやる」
「圭吾はなかなか勇敢なことを言うなぁ。ぶっ飛ばすなんて、お前にできるのか? 平和主義のお前に」
「し……死ぬ気でやれば、やったことないけど、できると思う」
「無理だな」
「も、もう数日の命なら、なんだってやれると思うんだ。寿命が縮まるかもしれないけど、でも燈雅の発散にはなれると思うから」
「オレの為になら、ここに居る人をぶっ飛ばせると?」
「できるさ! 俺も、燈雅のことが、好きなんだから」
 ――数日前に言われたにも関わらず、ずっと言えなかった言葉を、漸く口にできた。
 目を丸くした燈雅は、うっすらと笑って、圭吾の頭に置いていた掌を顔に当てる。
 そして何かを呟く。額に唇の感触がして、ああキスされたな、と体が赤くなっている頃には燈雅は立ち上がって離れていた。
 とても体が熱くなっていた。体が動けないほどの熱で、数日前に「抱きたいか」と尋ねてきたときと同等の痺れだった。
 頭を撫でられ、額への口づけ一つでここまで体が変貌するのだから、実際彼を抱いてしまったらトンデモナイことになるだろう。
 中身が子供すぎる圭吾は、あの日、断って正解だった。
 燈雅が微笑み、離れの館に戻ろうとする。謎の興奮により痺れて動けない圭吾は、体に鞭打ち、なんとか立ち上がった。
 尻に付いた砂利を落として、燈雅について行こうとする。
「お前の寿命はあと十数年あるんだから、無駄なことをやって縮めるな」
 滅多に作ったことのない握り拳を見せる圭吾に、燈雅は軽やかに笑う。
 そのまま彼は足早に館へ戻っていった。圭吾が「寝室まで送ろう」と言い出しても、「もう近づくなよ。お前は無駄に叱られたいのか?」と笑って背を向けられた。
 別れの挨拶は無い。さよならは無く、おやすみの言葉すらなく、彼は走り去る。
 もしかして俺に好きだと言われて照れているのか、あの燈雅が……? と思ったとき、「あと十数年」という燈雅の衝撃的発言にやっと気づいて、圭吾はとぼけた声を上げた。


 /4

 親父が聯合を告げてくる日は、来なかった。
 新学期が始まり、冬が訪れ、新年を迎えた。暫くはいつ死ぬのか怯えて過ごしていたが、自分から「いつ俺は死刑にされる?」と問いただすことはできず、父親が忍び寄る影に毎日怯えながらも、そのまま高校卒業に至った。
 だが自身の不調を感じていた。褒められていた魔力貯蔵量は低下し、異能が碌に使えず、一般人と変わらぬ肉体になっていた。
 機関にとっては文字通りの無能になった。『次期当主誘拐』ではなく不要という点から聯合が可決されてもおかしくなかった。
 それでも、死刑を言い渡されることはなかった。
「圭吾の聯合決定は、覆っていたぞ」
 都内の四年制大学進学のため一人暮らしが決定した。そして本当の意味で旅立つ日に、悟司が教えてくれた。
 無事成人を迎えた悟司が、わざわざ自分の為に調べ上げてくれていた。圭吾が調べてくれと提案する前に勝手に機関の上層(御臓という)に近づき、調査していた。やっぱりこの人、愛想は無いが、相当良い人だなと再確認する。
「兄貴。その言い方は、一度は聯合決定したけどキャンセルされたのか?」
「ああ。燈雅様のご意向だそうだ」
 その一言で、全てが納得できた。
 機関の所有物である圭吾の聯合は、親父を含めた機関の上層部が決定する。
 機関は仏田家という大本があっての組織で、そのトップが当主、それと次期当主。当時17歳でも、燈雅は組織の裁定に抗えるほどの力を持っていたのだ。
「俺が殆ど無能になっちまったけど、それは罪にはならないのか。『失敗作には死を』って親父の口癖じゃねえか」
「それは、成功例だから。失敗作にならないんだよ。圭吾。普通に生きているということは、それだけで凄いことなんだぞ」
「……えっと?」
「お前は発作を起こさない。定期的な投薬処置をする必要も無ければ、魔力供給で苦しむ素振りも見せない。その年になっても肉体の瓦解を起こしたこともない。記憶障害も起こしていないし視力も聴覚も問題なく、普通に車の免許を取れた」
「ああ。でもそれって普通だろ、普通すぎるだろ。学校の同級生達と同じだ」
「お前の2年古いタイプの俺は薬を手放せないし五感の半分を失っているが?」
 厚めの眼鏡を掛けていた兄は、ついにそれも必要無くなった。掛けても意味が無くなったからだった。
「機関は一から『普通の人間』を創ることに成功したんだよ。お前は普通であるという成功例なんだ。失敗じゃないから、真の意味の無能でも、無駄じゃない」
「……無駄じゃないけど、無能ってことには変わりないよなぁ」
 父が、圭吾の進路に対して何も言い出さなかった理由が分かる。
 能力者として異能研究所のあれこれをさせてくると思った。なのに、あまりにごく普通の人間すぎて、ごく普通の選択肢を授けるのもアリだと考えたのかもしれない。
「圭吾はそのまま無能なりに生きろ。それが親父達の成果になる」
「ありがとう。一般人らしく生きてみる。……まあ、初めて外に出て生活する訳だ、不安になったら連絡するからそのときは優しくしてくれよ」
「ダメだ、こっちを頼るな。俺は仏田寺の外を知らない。圭吾の方がその点は先輩になるのだから、俺から頼って連絡するからそのときは優しくしろ」
 実年齢よりいくつも年寄りに見える外見になった兄を見て、これからも嫌いになれそうにないなと微笑み、晴れやかに上京の新幹線に乗り込んだ。
 圭吾が独り立ちしたということは、同い年の燈雅も殆ど大人の仲間入りをした。
 ――ある夜から、燈雅と時間を過ごすことは少なくなった。
 親父や世話役達が警戒して、圭吾を会わせないようにしていた。密会を重ねようにも、燈雅にはすぐ傍で控える護衛をつけられ、俺が部屋を訪れるたびに追い返されるようになってしまった。
 だから護衛を通してでなければ、写真のやり取りができない。近くに住んでいるのに、手紙でのやり取りだけの関係になってしまった。
 その手紙も、燈雅が忙しいのかあまり続かなかった。
(燈雅がもう少し落ち着いたら、また)
 大学進学が決定すると同時に、自動車免許を取った。大学生活が始まったら、アルバイトを始めて、金に余裕を作る計画である。
 そうしたら、夢を少しずつ叶えていこう。たらふくチョコレートやケーキを食べる夢から始めて、格好良い車を自分の手で買う夢。その車で遠出をする夢。実家近辺しか出たことないから、とりあえず関東を出ることから始めたい。
 いつか、しっかりと燈雅に答えを授けられる、その夢も忘れずに。



【2章】

 /1

 30を越した。人生に終わりが見えてきた。
 そう知り合いに語ったら「三十路からが男の本番だろ」と笑われた。誰一人、本気に受け取らなかった。
 大学を卒業してから、好きだった車関係の職場に就職し、老けていくと思いきや毎日が楽しくてイキイキと動き回っていた。
 前向きに転職したときは、もっと毎日が楽しめるのかと楽しくて堪らなかった。
 自分で金を稼ぐようになってからは好きな物を食べ、自分の城を趣味の物で埋め尽くし、気が合う友人と酒を飲み、仕事で各地に向かい、出会いを繰り返す。
 気づけば31、32と年を重ね、寿命なんて言葉すら忘れるほど人生を謳歌していた。
 他人に『ラボの試験官の中で産まれたんだ』という事実を話しても、信じようとする者はいなかった。そういう小説があるよな、何かの映画のネタか、と笑われた。
 それぐらい自分が当然のように生きていた世界は現実離れした異界で、家族以外の人は他人行儀で距離を取るもので、人間とは予想以上に死が遠い存在と知った。
 20歳を過ぎてから学ぶことがとても多く、実家――機関の外に出て良かったと思わない日は無かった。
 12月28日の誕生日で、33歳になる。「もう若者とは言えない年だ」と、一足先に年を重ねた友人達は囁き合う。俺もそうだと頷くと、仲の良い連中は「上門は若いよ」と笑った。
 顔はかつての父親に似て皺が多くなってきたが、いつまでも20代のように働いているから若く見えると言う。その言葉はまだまだ楽しく働けると思うと、とても嬉しかった。
 異能が碌に使えぬ一般人もどきになった17歳頃から、「30が限度」と言われた自分の寿命が伸びたのか。それとも変わらないのか。判らなかった。
 健康診断で引っかかったことはない。機関の息が掛かった精密検査でも、安定値を保ったままだった。
 それでも、自分が『受精卵段階で遺伝子操作を行なったデザインベビーである』ことには変わりない。
 従来の魔導生命体は、魔力行使に特化した器の代償を負っていた。
 先代の型で造られた兄の悟司は、30半ばだというのに、大成した魔術師のような上級魔術を使いこなす最高の魔法使いである。
 だが器と魂の定着が薄弱になってしまい、身体の損傷が激しい。
 もう目は殆ど見えて自力で見えないため、専用の魔道具で視力を増強させている。足も不自由で、「車椅子生活が楽だ」と電話してくるようになった。
 一番身近な成功例だった兄の寿命を、徐々に感じていた。
 たった2つしか年が違わないのに、50代の実父より死期が迫っている。今年が兄と過ごす最期かもしれないと、言葉にしなくても考え始めた。
 だから、自分も実はそうなのではと、考えてしまう。
 悟司のように目に見えての代償が無くても、突然電池が切れたように寿命を迎えてしまうのではないのか。外見は普通に見えているだけで、本当は俺も限界が近いのではないか。時折そんな怖い夢を見るほどだった。
(いつ死んでもいいように、毎日毎日を充実して生きてみせる。それしか普通の俺が出来ることはない)
 いつもそう考えて、日々を過ごしていた。
 実家との仲は良好だ。とはいえ、自立して十年が経つので不可侵を保っている。
大学中期頃から機関のことは全く知らされず、自分も無関係に生きてきたから知ろうともしなかった。
 父の狭山が、機関の最高責任者になって長い。だからといって、実の息子に経営する会社の内情を教えることはない。
父は普通の息子に過干渉しなかったし、父に求めるものも何も無かった。年に数回、業績良く快活に、そして彼らしく生きている姿を見せてくれる。それだけで、家族としては十分だった。

 過ごし始めて数年のマンション自室を掃除していると、ピンポンを連打する来訪者が来た。
 子供のような楽しい鳴らし方をするのは、子供しかいない。
 圭吾の年の離れた弟、ときわだった。
「圭吾さん! お邪魔しまーす!」
 10歳以上離れた弟は、軽快な声と我が物顔で(ピンポンを鳴らした後に合鍵を使って)圭吾の部屋にドスドスと入り、整えたテーブルの上に土産のお茶セットを並べた。
 洋菓子が大好きなときわは圭吾の趣味に一番近い弟で、圭吾が選ぶチョコの方が美味いからと言って、お菓子の土産は絶対に買わない。
 その代わり圭吾にとっては勉強不足の紅茶を買ってくるような、出来た子だった。
「圭吾さーん! これすっごく美味しかったお茶です! 飲んでください!」
「そんな大声出さなくても聞こえるよ、とりあえずボリュームを落とそうか」
「あっ、ソーリーです! あのですね圭吾さん、前に頂いたお菓子のことで質問があるんですけど! 美味しかったからお父さんにもプレゼントしたいんです!」
「そっか。落ち着け、ときわ、落ち着け」
 大声がよく通るときわは、叱り飛ばす声が大きかった父にとても似ていた。
 父は機関の中で何人もの女性と子供を作っていて、ある日いきなり「こいつは息子だ」と告白する人だった。ときわも、その一人である。
 悟司に対して自分もその一人だった。良し悪しでは語れない。
 そしてときわは圭吾と同じようなデザインベビーではなく、普通に母親の胎内から産まれてきた子だった。圭吾と兄弟というには筋違いの人間かもしれないが、それでも自分を兄だと慕って甘えてくれていた。
 複雑な兄弟関係だった。けど、素直で明るくハキハキとした物を話す正直者を、無碍に扱えなかった。
「圭吾さん。お邪魔します」
 そんな堂々と(合鍵をいつの間にか作られて)圭吾の部屋に入ってくるときわは、家主の許可無しでサプライズゲストを連れてきた。
 その姿を見て、燈雅、と圭吾は名前を呼んで固まった。
 数年ぶりに会えるとは思えなかった人を見て、頭が真っ白になってしまう。
 だが呼ばれた彼は、「違います。弟の方です」と冷淡に返した。
「……新座くん?」
「はい、残念ながら僕です。お久しぶり、圭吾さん」
 自分の家のように紅茶を淹れ始めるときわを横に、仏田家当主の弟は、静かに笑う。
 燈雅の弟がいた。
 それから三人で席に着き、思い出話に華を咲かせた。
 ときわは事あるごとに兄のもとへ遊びに来る弟だが、本家一族の弟殿下である新座と会ったのは数年前の年末以来。久々に会えば何だって話題になった。
 元より、仲は良かった。健康な彼は様々な場に出席し、大勢に囲まれる王子的存在で、社交的だ。ときわ以上に素直すぎる面もあったが、それは当主の息子という『もてなされて当然』なお坊ちゃん育ちだから仕方なかった。
「圭吾さんが自慢の城を持ったと、ときわくんから聞いていたけど。良い部屋ですね」
「ありがとう。趣味丸出しな独身貴族らしい部屋だろ? 自分でも気に入っているんだ」
「圭吾さん、ご結婚の予定は? なんか会うたび訊いている気がしますけど」
「会うたび言っている気がするよ。いない。俺と付き合うなんて、可哀想な子は作っちゃダメだからさ」
「えー! 新座さん聞いてください! 圭吾さんモテモテなのに断ってるんですよ! このままだと付き合いたいとき付き合えなくなっちゃいます! 新座さんからも何か言ってあげてください!」
「へえ。圭吾さんモテるんですね。そうだとは思いますけど」
「モテモテです! 今年のバレンタインに女の人からいっぱいチョコ貰ってたの僕知ってます! いっぱい僕も食べさせていただきました!」
 気が合う弟達に囃し立てられて、嫌な気分はしなかった。
 だが、特定の一人と付き合う気にはなれなかった。
 情けないほど、自分は未練な男だ。
 いっとき、赤の他人と付き合ったことがある。相手はとても良い人だったが、長続きができそうにないと、自分から別れを告げた。
 相手に好意的に接するたびに、何年も前から会っていない想い人の顔が過ぎり、思い悩んでしまうからだった。
 今もなお、ふとした瞬間に燈雅を思い浮かべる。よく見れば全然違う新座ですら、燈雅に会えたと喜び、心が躍ってしまうのだ。
 自分が近く33歳になるということは、彼も同じだけ年を重ねた。新座がお家騒動を経てこうして自由奔放に生きている通り、兄の燈雅は仏田家を継ぎ、当主の肩書を継いでいる。以後、姿を見ていない。
(会おうと思えば会えるだろう。だけど、機会を敢えて作らなければ会えないほど、遠い)
 彼は異能の世界で名を馳せる偉い立場になり、俺は一般企業に就職したただの男。そもそも数年も話をしなければ、ただの他人だ。
 未練がましく10代の一目惚れを覚えている方が、おかしな話だった。
「僕、圭吾さんに質問をするためにときわくんに頼んで会いに来ました」
「へえ?」
「圭吾は、仏田家が嫌いですか? それとも好きですか?」
 真剣な声だった。新座の流暢な口調からは、何の感情も察することができない。
 一人勝手に、懐かしい、と思える質問だった。
「どうしてそんなことを訊くんだ?」
「僕が質問しているのに質問返ししないで」
 ただ、兄の燈雅と違って弟の新座は手厳しい。
 表情が読めない燈雅に反して、新座はあまり曖昧な返事をすると露骨に不機嫌を醸し出すタイプだった。
 しっかりと考えた末に出した答えは、「わからない」という曖昧なもので終わる。
「俺にとって、仏田家は……機関は、自分を産んでくれた実家だ」
「そうですね」
「外に出て、あそこが大変な世界だったんだって知ったけど、だからと言ってあそこを憎んだりできない。俺を育ててくれた生家だし、親切にしてくれた兄弟や家族……大切な人が、いるところだから。まあ……好きとか嫌いとか、そう断言できるほど今はあそこに関わっていないのが一番の理由かな?」
 質問を振り返り、懐かしさに浸ると同時に、保留にしていたあの会話を思い出した。
 あのときも今と同じ「わからない」と答えた。
 今の「わからない」とは若干理由が違った。外に出れば明確な結論が出せるようになるかと考えていたのに。
 外に出て関わりが持てなくなってしまったからこそ、無関心になってしまったか。
 圭吾の曖昧で緩やかな回答に、新座は「ふうん」と静かに茶を啜る。
 そして隣で聞いていたときわが、複雑な顔つきになった。客の二人にとって、あまり望まれた答えではなかったらしい。
「今から僕とときわくんで、あの家の汚点を語ります。圭吾さんの意識を変える為です」
「えっ?」
「悪口も言います。でも僕らがそれを言う意図があると判っていただいた上で、これから語る酷い話を聞いてください」
「なんだなんだ、物々しいな」
「僕らは、機関を打倒すべく活動している組織レジスタンスです」

 ――妖精の村を焼いて、捕らえて、弄んだ。珍しい血族の家を襲撃し、殺して、人間ではない形にした。狂人の思想で生活を蹂躙して、洗脳して、我が物とした。
 多くの人が死んだ。殺された。機関の息が掛かった者達に。
 多くの『人じゃない人』も殺された。その肉体と知識が有益だから、自分達のものにしたいという身勝手な理由で。
 種族が滅ぼされるほどに攻撃を受けて、地図から集落の名が消えた。強大な権力を振りかざされて、全てが闇に葬られた。
 大勢が殺され、大勢が苦しんだ。機関という巨悪によって、大勢が不幸になった。
 今もまだ、殺される危機に曝され、行き場を奪われ苦しみ、生きながらにして殺されるような苦痛を受けている者もいる。
 打倒するにも、異能結社という表沙汰にならない外道ゆえに身を隠し、逃げられ、さらい悪行を重ねている。凶悪な手に立ち向かうべく、手を取り合った組織が、あまりにもその強大さに圧し折られている。長い長い戦いが、ずっとずっと続いている――。
「……なんの、話だ……?」
 異能研究組織である機関は、異能を研究するために神秘を求めた。
 まだ解明できていない特異能力を持つ人外種族の研究のために、それらを不当に『入手』し、智慧を得るためと称して、解剖を続けている。
 人外種族だけではない。特異な能力者は強引に機関まで連れて来られ、非人道的な扱いを受け、全てが解明されるまで解体される。
 そうして解剖、解体に続き、無益、無用だと認定されたら……せめて無能なりに役に立ってみせろと、魂を捧げられる。聯合させられる。
 要は――誘拐されて拷問を受けた末、一方的に殺される事件が何件も起きており、全て表に出ることなく闇に葬られている。それが超人類能力開発研究所機関の実情――とのことだった。
「…………。そんな、機関は、悪趣味なことをして、大犯罪をして、どうして問題にならないんだ?」
「むぐ、それ訊きます? ……問題にさせないよう立ち回っているからですよ。それを僕達レジスタンスが、解決しようとしている」
「被害者が、判明しているだけで、数千人……? だというのに全然ニュースにもなっていないなんて。そんなの、ありえるのか?」
「はい! ありえるから、今日の今日まで圭吾さんは知らなかったのですよ! でも、ありえないことをしてるって圭吾さんだって判るでしょう? ダメなことをしているんですよ!」
「……その、一つの種族が滅ぼされたとか……話が大きすぎて、実感が湧かないな。はは、そんなひどいところがあるなんて、信じられないし……」
「圭吾さんは、実感が湧かないなら数千人が死んでいる事実を隠蔽してもいい、暴かなくてもいい、罪に問われなくてもいいとおっしゃいます?」
「そんなことは」
「上門圭吾さん的には、機関の上門狭山社長がした犯罪は認めたくありませんかね? 機関の活動を長年援助し、容認しながら支援してきた仏田大財閥を庇いますか?」
 上門狭山の息子と、仏田燈雅の弟が、じっと見つめてくる。
 親しかったときわが「休日に会いに行きます!」と言うから、愉快に茶菓子を楽しもうと思っていた日曜だった。
 そのつもりだったから、何の覚悟も無い空きっ腹に劇薬を流し込まれて、頭が真っ白のままマトモな返答ができなくなる。
 だが常識的に考えて、不当な殺人を容認するほど心は広くない。
 言葉に詰まったが、「……許せないことをしていると思う。人殺しは何がってもダメだ」と、ハッキリと口にした。
(不当な殺人。人殺し。聯合。……あれ? 俺、聯合になっても仕方ないって、認めていたような……?)
 真剣な眼差しで説得する新座とときわへ、ハッキリと「人殺しはダメ」と応じた。一般社会に生きる常識として、当然のように答えてみせた。
 だが17歳のとき。死にたくないと思うまで時間が掛かったが、聯合になった運命を受け入れて抗おうとしなかった。
 今もなお、機関に産まれた者として、言われた通りの寿命で亡くなることを怯えながらも許容している自分がいた。
 それがいけないことだと……ありえない世界で仕組まれた洗脳の結果だと、本当に今日まで気づかずにいた。
「……新座くんとときわは、俺にその事実を知らせて、何をさせたい?」
 次々と機関と仏田家の悪行を暴露する二人に、おそるおそる尋ねる。
 声は自分が思ったよりずっと震えていた。巨悪の存在に恐怖しているというより、今まで判っていたのに判ってなかったショックに打ち震えているからだった。
「俺は……君達みたいに魔術を使ったりする特異能力者じゃない。知覚できるし、多少なりとも知識は叩き込められているけど、ほぼほぼ一般人だ。……俺に戦うこととかできないけど……」
「違います! 別に圭吾さんに、喧嘩して勝ってくださいなんて言いませんよ!」
「ええ、圭吾さん、人を殴ったことも無さそうですし、そもそも喧嘩だってしたことあるか微妙でしょうしね」
「け、喧嘩ぐらいあるよ」
「僕達が圭吾さんに機関の実情を知ってもらいたかった理由は、二つです」
「……何かな?」
「一つは、全てがレジスタンスと警察の手で暴かれた後、寝耳に水だってショックで寝込ませたくなかったから。これでも僕ら、優しい圭吾さんには感謝した幼少期を過ごしていました。優しさからです」
「えっ。優しさなの、この話?」
「どう考えても優しいでしょ、僕達! 『お父さんの罪は息子の罪だ〜!』って言って悪即斬されるかもしれないんですよ! 圭吾さんがまったく知らなくても、お父さんがしていることは大量殺人です、どこから恨みを持たれるか判らないんです! ……だから、覚悟を事前からしておいてほしかったんです!」
「二つ目の理由は、情報提供してほしいんですよ。圭吾さんは、機関で一から産まれている。18歳まで機関の中を当然のように生きてきた。……僕は箱入り息子で、後継者争いに敗北した時点で機関の蚊帳の外。ときわくんは、正義感が強いだけの普通の子です」
「ソーリー、残念ながら僕から喋れる情報は少ないです!」
「ええっ……じゃあさ、もしかして……」
 つまるところ、俺に「スパイになれ」と言うのか。
 実家の悪事を暴くための。


 /2

 スパイに何が出来るか。数日考えた結果、真っ先に思いついたことは、父への電話だった。
 直接「親父は犯罪者なのか?」と問う勇気は無い。ただ、何もかも知った現状で父子の話ができるのか、知らない前の尊敬する父への対応のままでいるのか。自分を試してみたかった。
 結果は、普通の親子でいられた。
 一企業のトップである父は、多忙な男だ。何年経っても生真面目で、仕事一本の頑固親父であることには変わりない。三十を過ぎた息子の世間話のため、わざわざ耳を貸してくれるような人情派でもなかった。
 その父に「息子として大事な話がある」と告げ、電話する時間を作ってもらった。
用意していた親子らしい話は、滞りなく終わった。息子として父の様態を気遣うありがちな話も、父として息子の今後を憂うありきたりな話も、何も問題なく終わってしまった。
 用意した大事な話として、母親の話をしてみた。
 圭吾は母の顔を知らない。この年になって興味が湧いたからどういう人だったのか教えてくれ、そんな繊細な話を演技しつつ切り出してみた。
「お前の卵子提供者は機関を退職している。手続きを行なった人事部に聞け」
 予想はしていたが、三秒で話が終わるとは思わなかった。
 どうしていきなり実母のことなんて尋ねるのか、そんな一言も無い。不機嫌になることも、影を落とすこともない。尋ねられたから、管轄の者へ繋ごうと言った。それだけだった。
 人事部に繋いでもらい、所長特権で退職した所員の連絡先を教えてもらって、そうして翌週の日曜日。
 捜索から5日も掛からず、圭吾は隣県にあった実母の実家へ向かうことになった。

 ――実母との再会は、『高坂家』と彫られた墓石を隔てたものだった。
 霊園で、実母の母、つまり圭吾の祖母と挨拶を初めて交わす。
 実母は機関を退職後、実家に帰省し、両親と姉夫婦と一緒に過ごしていた。だが十年前、圭吾が独り立ちをした頃に、癌で他界していた。
 生まれて初めて出会った祖母は、「娘が三十年前に、職場で出会った男と子供を作っていたなんて知らなかった」と何度も話した。
けれど「顔立ちが娘とそっくりだから孫に間違いない」と、泣いて喜んだ。
 挨拶された母の実家・高坂家は、いきなり現れた孫を見ても笑顔で迎え入れる、人の良い一家だった。
 祖母や姉夫婦は多くを聞き、多くを話し、「うちは癌家系だから息子なら気を付けろ、定期的に癌検診は受けなさい」と再三注意した。
 毎年受けている健康診断は良好ですと答えると、みんなそっくりな笑みを浮かべた。不確定な寿命のことは、言わなくて正解だった。
 たくさん話をした。母親のことを聞き、父親のことを話した。表情が曇る時間など無かった。
 泊まれと言い張る一家に、明日は月曜日だからと断って別れる。祖母は「いつでも遊びに来なさい」と見送ってくれた。
 そうしてほんわかとした気持ちのままマンションに帰宅すると、また合鍵で入ったのか、ときわが我が物で圭吾の部屋で寛いでいた。
「おかえりなさい! 何か収穫ありました?」
「地元銘菓ってやつを買ってきたぞ」
「わーいセンキューです圭吾さーんー! じゃなくて! 圭吾さんのお母さんって、元機関の所属員だったんでしょう? 何か凄い情報を発見したとかそういう話は?」
「無いよ。ただただ良い時間だった。……ごめん」
「あ、謝らないでください、なんで圭吾さんが謝罪しますか。無いなら無いでいいんですー!」
 お土産を食べたいと、ときわがお茶の準備を始める。
 ときわが占領していたソファーに圭吾は腰を下ろし、体を休めた。寿命は関係なく、遠出した日は年相応に疲れるようになった。
 柔らかいソファーに体を預け、リビングの見慣れた天井を見ながら一週間を想う。
 親しいときわと新座との茶会、突然の告白。
 父との親子らしい優しい会話と、母への冷徹な対応。
 初めて会う家族と、初めてなのに居心地が良かった暖かさ。感情の行き来が激しすぎる7日間だった。
(親父は俺のこと、普通に接していた。無能な俺を嫌がる素振りも無い。……嫌がってくれれば俺から嫌えたのに。……祖母も俺のこと、普通に受け入れてくれた。いきなり現れた身内なんて怪しむもんだろ。……みんな、いいひとだったな……)
 初めて出会った祖母達らも、ずっと会っている父も、電話を定期的に入れてくれる兄も、みんな優しい。
 そして唐突な告白とはいえ自分の今後を想って真実を話したときわや新座も、横暴で困ることはあっても、優しかった。
 みんな、嫌えない。
 嫌いか好きかで答えろと言われたら……みんな、好きだ。
 正義感が強くて激情家なときわ達にはまだ言えないなと思いながら、笑顔で紅茶を淹れる可愛い弟のため、土産の封を切った。

 土産を食べて、夕食もご馳走になったときわは、いつものように圭吾のベッドで眠る。
 彼の家に帰れば、仕事に多忙な父親・狭山以外の家族が待っている筈だ。
 だというのに帰らないのは反抗期、ではない。ただ圭吾のマンションが好きで、兄に懐いて甘えているだけだった。
 ときわは圭吾と同じ、上門狭山という父親を尊敬している。
 機関は異能研究所という本性を表沙汰にできない施設だが、裏社会ではその名を知らない者はいないレベルの世界有数の一流総合研究企業だった。
 その最高責任者として名を出している男が敏腕でない訳がなく、経営者として優秀だというのは、誰もが認める事実だった。
 能力者としての腕もあり、そして父親としても、悪い人間ではない。
 仕事が多忙だが、付き合いが悪い人ではなかった。現に急な電話を面倒臭がらず取ってくれたし、まだ子供のときわですら、父の多忙を好意的に受けとめているほどだ。
 頑固親父で怒るとうるさいという短所があったが、それは怒らせる子供の自分が悪い。
 そうだ、あのときだって……子供二人だけで無断で飛び出して、しかもその一人が替えの利かない大切な御曹司で、誘拐した犯人がまだ責任も取れない年の馬鹿。人前であることを気にせず大声で怒鳴り散らした若かりし父を、今なら同情する。
(同情するけど、後悔はしないぞ。……燈雅に「好きだ」と言われた、思い出の日だから)
 ときわの寝顔を可愛いと笑いながら、若かった父を思いやりながら、結局今夜もまた、燈雅を想う夜となった。
(きっと俺は、思い出を美化している。10年も会っていない俺を、燈雅はもう、好いていないだろう。あのときの「好きだ」を抱き続けているなんて、気味悪がられるか)
 自分を苦笑し、リビングのソファーに転がる。
 どんなに己を嘲笑っても、燈雅の存在は心の中でさらに大きくなっていった。
 ――新座は、この気持ちを知っていたのだろうか。名前すら間違える視線の熱さに、どこか気持ち悪さを感じて、「その渦中の人物を処罰するため動いている。覚悟をしろ」と言いたくて訪れたのかもしれない。
 だとしたら、申し訳なかった。
(誰と出会っても、誰と話していても、どうしても燈雅の顔を思い浮かべてしまう。やっぱり、俺は未だに、好きなんだ)
 色褪せない記憶に酔う。
 次第に苦しさを感じ、圧し潰すため、酒で酔うことにした。
 普段では飲まない量のビールを開け、苦しさを消すまで飲んだ。
 翌日になったらときわが、父親に似た大声で俺を叱り飛ばすだろう。その覚悟で、燈雅の想いを忘れたくて、飲み続けた。
 だが一向に胸苦しさは収まらず、目を閉じても思い浮かべてしまう。
 素人が撮った平凡な写真や貰い物の小説本で喜び、ただの夕日に目を輝かせ、俺を信頼して寄せてくる薄い体。
 大人達の前で上げていた艶やかな声と、俺を寝床に誘った官能的な視線。
 無感情な語りをすることもあれば、意地悪な子供のように含み笑いをして、キスをする姿。
 ――この1週間、ときわと新座のいざないのせいか、悶えが大きくなった。
 小さな悩みと思い出に過ぎなかった燈雅の存在が、大きな苦悩と毒じみた枷として重みを増している。
 呟きに過ぎなかった「好きだ」は、明確に「会いたい」という強い願望へ変貌していった。


 /3

 平凡な仕事をしながらスパイ活動というものを続けられるのか、甚だ疑問だった。
 そもそもスパイとは何だと思い、ときわと一緒に往年の名作スパイ映画鑑賞会をする。
 ときわはド派手なアクションにはしゃぎ、圭吾も格好良いカーチェイスバトルに心を躍らせた。普通に映画を楽しんで、最初の目的を忘れて、寝た。
 それほどに圭吾は、平和ボケをしている。
 大人数を殺害した悪しき組織という事実を聞いても、圭吾は寝ぼけた印象のままでいた。新座とときわの主張を尊重してやりたかったが、焦って本気で動き出せず、数月を過ごした。
 それに、自分の仕事もあった。給料を貰わなければ自立した生活ができないので、慈善活動であるレジスタンスに全力投球は不可能だった。
 全然協力できない無能だというのに、新座は度々圭吾のマンションに遊びに来るようになり、リビングでときわと難しい作戦会議をするようになった。
 圭吾は何も言い出せない、居る必要が無い。でも何もできないからこそ、傍に居て安心できるらしい。大の男相手には罵りにも聞こえてしまうが、信頼されているなら良しとしよう。
 その日もまた、遊びに来たときわと新座が圭吾の部屋で寛ぎながら、難しい会議を開いた。
 専門用語が多く、部外者の圭吾が聞いても判らない話だった。
「ではでは……新座さんがお持ちのその書物が、頭垓の研究室が解読に成功したという『死を供なす永劫の呪縛』の原書だと?」
「うん。実りをもたらす年神を迎える大つごもり、12月31日に儀式をすることで、邪神八柱の大蛇タイマストトバールの降神が可能というやつ。するにはあまりにもコストが多すぎだからさ、普通なら不可能な手段が記されている」
「コスト? 具体的にはどれぐらい大変なんですっ?」
「むぐ……すっごい量の血肉。最低でも五十人の『生きた血』が必要。それと異端の神らしく、異端の主食である『負の感情』も必要。これも最低五十人は欲しいな、百人あると余裕かな。生きた百人の体と、百人が百人とも怖いとか嫌だとか同じ考えで一心に神に祈らなきゃいけない」
 新座は長話の間、煙草を吸う。
 燈雅と同じ甘めの風貌をしているが、かなりのヘビースモーカーらしく、新座が帰る頃には吸い殻でいっぱいの灰皿が見受けられるのも珍しくない。
「儀式を行なう術者と、呪文を間違えず唱えられるという魔術師としての実力が必要だ。……異能のプロフェッショナルが多い機関なら、余裕だね。神を降ろすほどの丈夫な器も必要だし、そしてそれは降ろすまでの交通費みたいなだから、降ろした後に言うことを聞かせるための取引材料も必要だ。現地の弁当代と、タダ働きをさせる訳にはいかないから、お給料も必要だ。この禁書は、それについてのコスト表になっていると言っていい」
「ワーオ、親切!」
「でも、この魔術……実行は現実的じゃない。あまりにコストが高すぎる。……数十人を操れる狂信者教団とかじゃないと、可能とは言えない」
「じゃあ……資金が豊富で人を集めやすい機関では、どうでしょうか!」
「可能だな〜」
 経験も知識も浅いときわのために、新座が文脈を細かく噛み砕いて解説するおかげで、圭吾のような部外者の一般人なりに話を把握することができた。
「新座さん! 12月31日に行われる儀式ってことは……あと1ヶ月も無いじゃないですか!」
「うん。でも今年の大晦日に準備ができなくて降神儀式は無理になっても、来年の12月31日にすればいい」
「あ、そっか! 今年するとは限らないのですね。安心しました!」
「今年しないという確信も無いけどね。……圭吾さん、そこ、探れません?」
 煙草を吹かして寛ぐ新座が、話を横で聞いていただけの一般人に無茶ぶりをする。
「それは……俺に『今年の大晦日に、何か計画してないかって実家に尋ねてこい』ってことかい?」
「そんな露骨に言わなくてもいいですが……いえ、いいですね、そう言っても」
「いいのか?」
「いいですよ。圭吾さんが邪神召喚の儀式について知っているとは、誰も思いませんよ。貴方がそんなの探っているスパイだなんて、誰も考えないでしょうし」
 口にしていた新座が、薄く笑う。
 でも「年末に何かするか」と尋ねるぐらい、俺ならする。普通にする。
 それこそ兄と過ごせる最後の貴重な冬になるかもしれない。お互いの近況は伝え合うぐらいに仲が良く、何気なく親と会話ができるぐらいには関係も良好だった。
 いきなり実家に帰省しても怪訝には思われない。それに俺の誕生日も近かったから、家族なら祝われに来たと考えるだろう。もしかして深いところへの潜入も、俺には簡単なのかも。
(もし機関のやばい情報なんて何も掴めなくても、そのときは家族との時間を過ごせたと考えればいいんだし……)
 新座とときわが帰った後、早速悟司に連絡を入れた。年末の忙しくなる前に、一度実家に帰省していいかという打診だ。
 兄は「お前の言う通り多忙期だが、邪魔をしに来る訳ではないだろう。構わん」と、いつもと何も変わらないテンションで電話を切った。
 スパイ映画の主人公のような緊張感は、どこにも無かった。
(兄貴の様態を利用して近づく。なんか、気が乗らないな)
 どこまでも格好がつかないのなら、何も考えず帰省をする。それでいいと、普段を装った。

 数年ぶりに帰省した仏田寺は、やはり何も変わっていない。
 新座やときわに告白されなければ何も気づけなかった圭吾は、ごく普通に知り合いの警備のおじさんやおばさんに挨拶をする。顔見知りの和尚一家に頭を下げ、幼い頃から世話をしてくれたお手伝いさん達に「みんなで食べてください」と菓子折りを差し入れた。そうして生まれ育った研究所に臨む。
 白衣を纏った人達が闊歩するのも、いつも通り。
 外行きのスーツ姿で駆け回っている営業所員も数多い。寺ののんびりした空気も実家だ。そして近代施設のピリッとした空気もまた実家だなぁと懐かしんだ。
「あぁ〜、圭吾さんだぁ〜。お久でぇ〜すぅ」
 モップを担いだ作務衣姿の清掃員・福広も元気に仕事をしている。
 ピリリと涼やかな廊下に、ゆるゆるの笑顔。色んな場所に色んな人がいる、狭いかもしれないが広い世界でもある、何も変わっていない様子に、安心した。
「福広くん、お疲れ様。差し入れは食導の本部に渡しておいたから」
「やったぁ、圭吾さん大好きぃ。差し入れっていつものチョコですかぁ?」
「今日はエクレアだよ。俺オススメのお店の」
「わ〜い〜。圭吾さんが用意してくれるおやつの安定感はみんな知っているんで楽しみに仕事しまぁす〜」
「ああ、食べてくれよ。……ここ、変わりは無い?」
 世間話のように、研究所のあちこちを掃除している彼に問う。
 人当たりが良く、どこにでも顔を出すような彼に訊ねるのは自然な流れだ。これは詮索ではない、普通のことだと言い聞かせながら、探りを入れた。
「えっとぉ、わりと色々変わっているし12月だからてんてこ舞いですよぉ」
「そんなにか?」
「決算月ですからぁ。部署も成績によってあれこれ決定する大事な時期だしぃ、それ次第で人員の入れ替えも発生しますからねぇ。忙しくしてない人を探す方が大変でしょぉ」
「でも福広くんは、忙しそうには見えない」
「えっへへへぇ、俺これでも働き者で有名なんですけどぉ?」
 兄がよく居る研究棟に向かいながらの世間話に花を咲かせる。丁度良く日常的雑談と質問が終わったところで、目標の場所に到達。へにゃっとした笑みで感謝を述べる福広に手を振り、生まれ故郷に足を踏み入れた。
 入室した圭吾を見るなり、数人が歓喜の声を上げる。
 駆けつけて「おかえり。誕生日おめでとう!」と抱き締めてくる知り合いもいれば、書類だらけのデスクを空けて椅子に座らせようとする者もいる。
 そして仕事に励んでいた兄も、表情を崩して圭吾を歓迎した。
 入室した部屋は、馴染みの空間そのものだった。変化は無い。変わったのは、2メートルほどの大きさをしたカプセルの群れが、どれも最新のものになっているぐらい。
 圭吾の弟や妹にあたる素体がズラリと並んでいて、いつも通りだった。

 兄の寿命は近い。白衣姿の悟司自身が、それを告白した。
 故郷である一室に居た研究者達にも土産のエクレアを渡したが、悟司は手を出さなかった。「もうそんな洒落た物は食べられない」と、まるで老人みたいなことを言う。
 電話口で老けた声を聞いていたので、覚悟をしていた。圭吾は寿命が近づく足音など耳にすることはないが、悟司自身は、明確に聞いているようだった。
 車椅子のまま研究室で仕事をする悟司は、見た目はまだ30代ほどの男性に見える。
 だが話していると50代の父親のような老成さを感じる。自分の人生に諦めを抱き、余生を指折り数えて過ごす男と化していた。
 毎日の人生を急いて楽しむ2つ下の弟とは、大違いだった。
「……それでも兄貴は、今もこうやって研究職に励んでいるのか?」
「当たり前だ。俺は探究のためにあらゆる知識を詰め込まれた。一族に更なる成果を残すため、並み以上の頭脳と魔術行使の腕を植え付けてもらったんだ。これが、自分が生まれた理由。最期まで使命を果たす。生んでもらった者の役目だ」
 滑らかに宿命を述べる兄に、立派だなと思うと同時に、いじましさを抱く。
「……兄貴は、やりたいことはないのか?」
 無能な弟に憐れまれたくはないだろう。無為に気遣われるのも癪だろう。
 それでも、何かしてやりたい、何か思い出を自分の手助けでしてあげられたらと、途端に胸が弾んでしまう。
「その、どこか遠出したいとか、何か美味しい物が食べたいとか。……あ、でも、体が不自由で食事も億劫だと、どっちも大変か。けど、俺が車を運転すればさ、どこにでも連れて行けるし……」
「神秘の解明、仏田の悲願である超越的存在への到達。全知全能を生むこと。その為に、ここにいる。それが、自分が生まれた理由。家の為になりたい。圭吾に言われなくても、俺はやりたいことをできている。お前に言われなくてもな」
「……うん……」
 兄は昔から、涼やかで簡潔な人だった。
 曖昧な返事で保留したがる呑気な自分とは大違いで、判りやすくて、けれど機械的ではない、誠実な人だ。
 それはどんなに年を取っても、最期が近づいていても、変わらなかった。
「圭吾。ありがとう」
 そして良い人だから、たとえ冷徹な顔つきでも、気落ちした弟に対して感謝の言葉を忘れることはない。
 だからもっと長く生きてほしいと、心から思える人だ。
 そう、心からそう思える人だから、生きてもらいたくて、子供みたいに駄々をこねてしまう。
「兄貴。死なないでほしい」
 生まれ故郷で、兄と面と向かって話し合う。
 そんな家族の光景を、もうあと何回も出来ないという事実が苦しくて、我儘を思い描いたままぶつけていた。
「圭吾は本当に単純で、素直で、分かりやすい奴だな」
「そんなことはない。俺は曖昧で中途半端で、いいかげんな奴ってよく言われるよ」
 感情が昂り、涙すら滲んだ。振り絞って出した台詞は、声を荒げて出てきてしまう。だから研究室に居た人達にも、聞こえた。
 白衣を着た彼ら彼女らは、圭吾にとって家族だった。皆にとっても圭吾は家族だ。その家族が涙目で叫んでいる。皆は神妙な面持ちで、圭吾を咎めず黙って聞いていた。
 沈黙が続く。
 悟司も黙り込み、圭吾は続きの言葉が出ない。皆も動きを止め、何とも言えない表情のまま固まり、動かずに推し量っていた。そして悟司が、静かに唇を動かす。
「皆、いつかは死ぬ」
 常識で、圭吾を説得しようとしていた。
 兄を困らせている圭吾は、「そうだけど。……そうだけど……」と、この年になっても見苦しく言い訳のような嗚咽で返す。
 目の前で、大の大人が男泣きを始められた悟司は、眉根を歪めて溜息を吐いた。
 直情的な弟を持っていた彼は、よくその姿を見せた。
 兄だけでなく、この研究室に居る家族は圭吾の性格や兄の狼狽を知っている。苦笑いする者もいれば、こっそりと懐かしむように笑う者もいた。
「なあ。皆。圭吾になら、話していいと思うか?」
 数分の時間が経過した後。悟司が眼前の圭吾ではなく、室内に居た面子に声を掛ける。
 反論は無かった。
 全員の肯定を確認した悟司は、馬鹿正直な弟を諭すように、口を開く。
「圭吾。俺の寿命は、今年中で終わる」
「……そんなことまで判っていたのか、兄貴の体は……」
「ああ、テロメアの劣化が止められなくてな。だからそれまでに、仏田の力になりたい。『12月31日にある魔術儀式を行なう。贄として捧げられる一つとして、俺も入れてもらってある。神を求める仏田の為に、最期までなりたいから。それと、ここに居る全員も、みんないっしょだ。ここに居る奴だけじゃなく、寺に居る全員な』」
 悟司の言葉は本当に判りやすい。一言で簡潔している。
「……兄貴」
「大魔術を完成させる、異能の研究者としてこれ以上無い責務だよ。そういうわけだから圭吾は大晦日に帰省するな。もしお前を見かけたら……何かあったら魔法で遠くに吹き飛ばしてやる。対象をワープさせる魔法なんて高度な術とか疲れるの、この老体に使わせるなよ」
「はは……そんなこと、しなくていい。でも」
 そこまで俺のこと想ってくれてありがとう。
 けど、全然嬉しいとは思えなかった。

 悟司と話を終えて研究室を出た圭吾は、震える手で携帯電話を握る。
 聞いた話を連絡しようと、新座の連絡先を探す。だが、新座にとって敵地の総本山で情報を渡すことはできない。考えを改め、連絡先を閉じる。
 その直後、当の新座からの着信が鳴り響いた。
 まさかそっちから来るとは思わず、慌てながら必死に通話ボタンを押す。
『圭吾さん。お時間よろしいですか』
 電話先の新座の声は低く、重圧が掛かる。良くない話をする不機嫌さが滲み出ていた。
「えっと、新座くん。いま俺は、仏田寺に居る。第二研究所棟を出て、山門に出る廊下あたりなんだ。そこで聞いても良い話なら、話してどうぞ」
『むぐっ? ……なんで、そんなアレなド真ん中に突入してるんですか!? 圭吾さん、勇気がありすぎませんか!?』
「いや、なんでも何も、ここ俺の実家だし、実家帰省するぐらい誰にだってあるだろ? ……それとスパイ活動してこいって言ったの、君達じゃん……」
『む、むぐぅ……。お勤め事の詳しい話は、後々落ち合って話します。とりあえず今は、僕の身に降りかかったお話をさせてください』
「どうしたんだい?」
『……僕の叔父、藤春さんの奥さんが事故で亡くなりました』
「……それは……」
『事故なので、警察との諸々があり遺体のお迎えに時間が掛かるそうです。年末ということで予定が立て込んでいて、30日に身内だけでお通夜と葬儀、31日に告別式と火葬の予定と聞きました。式場は、ご実家がいいということで、仏田寺ですることになりました』
 先代当主の弟、現当主の叔父にあたる人物の、妻の事故死。
 自分と特別付き合いがあった訳ではないが、まだ奥方は四十代という若さだったと聞いて、あまりの唐突さに「それは、ご愁傷様で……」とあやふやなことしか言えなかった。
 新座にとって『叔父の妻』ということなら、盆や年始など親戚内の顔見せでは挨拶をしていただろう。より近しい人が亡くなったというなら、ショックで話したくなっても無理はない。
 そこまで考えて、大晦日ということにハッとする。
 葬式、何人かが押し寄せることになる12月末日。それに嫌な予感を抱いてしまうのは、考えすぎだろうか。
「に、新座くん……。忙しい時期だし大変なことを追いかけていたかもしれないけど、今は故人のことを考えてあげるんだ。近い人を亡くしたときは、他のことは考えないで、ゆっくりと自分の気持ちの整理をしよう、な?」
『……高梨あずまさんは、僕達の仲間でした』
「え?」
『僕、彼女のこと、尊敬してましたよ。人より凄く、聡い人で、正義感の強い人で、子供の未来を常に考える素晴らしい人でした。曲がったことが大嫌いという強い女性で、僕達……僕とときわくんと鶴瀬くんの仲間でした』
 それは、能力者であり、レジスタンスの一員だと言っている。
『自動車事故で亡くなったそうです。両手両足が無い火事で』
「は? ……ど、どういう火事?」
『山奥で車を走らせたら、そういう事故も起きるんですねぇ。山に住んでいる人に尋ねてみたら分かるんじゃないんですか? ……あ、今夜いっしょに晩御飯食べるときにでも、圭吾さんが実家帰省したときのお話、聞かせてくださいね。……本当に楽しみにしています』
 通話が切れた。
 目の前が白くなるのを感じた。
 十数分前も、何も考えられなくなっていたのに、また。
 悟司が情けをかけるように告白したものもあるせいで、圭吾の頭は、ずっと処理が追いつかなくなっている。茫然とする圭吾に、悟司は容赦なく話を投げかけたのを思い起こした。
『今年の大晦日に、俺の寿命は尽きる。来年まで残っていてもたった数日。なら、どうせ無くなる命なんだ、寿命を仏田家に使ってもらうことにした。ここに居るみんなも、それぞれ訳があって、命を仏田家に捧げる約束をしている』
 要約すると、死の宣言だった。
 誰に約束をしたんだと尋ねた。悟司は、「親父に」とハッキリと答えた。
『どうせ死ぬんだから、自分の死は有効活用してもらいたかった。聯合してくれと、名乗り出たんだ。だけど親父は、違う捧げ方で役に立てるって、言った』
 聯合ではない違う捧げ方なんて、聞いたことがない。
『大晦日に一度に数十人を捧げると、より命を有効活用できるという。……俺は、高碕刑務所の囚人達と一緒に、悲願を達成する礎になるんだよ』
 悟司は――『今年の12月31日に、レジスタンスがいつか行われると恐れていた、大量の生贄が必要の儀式をすると確定している』ことを、話した。
 明確に証拠がある訳ではない。悟司が告白し、周囲が頷いた、それだけだ。
 だけど、圭吾には分かってしまった。信頼できる家族全員が「嘘を吐いている目でない」と。
(生きてほしい人が死ぬ場所。大勢を殺せる人がいる場所。それで良しとされる場所。本当に、ここが……やばい所だって、そういう結論になるんだな。どんなに優しい人が多くても、ここは……無くならなくてはいけない場所なんだ!)
 新座が切った受話器を握り、ふらつき、山門に寄りかかった。
 美しい思い出深い場所が、いだきたくない負という感情に満ちみちていくのが、苦しかった。



【3章】

 /1

 安息などという言葉は研究所には存在しなかった。
 鉄と薬品の臭いが入り混じった空気は、喉を焼き、肺を蝕むようだ。壁は全て無機質な色に塗り固められ、表面には何度も塗り直された形跡、血飛沫の痕跡すら拭いきれずに残っている。
 透明なカプセルの中、幾人もの子供たちが眠っていた。眠っているように見えた、だけかもしれない。
 細く、頼りない肢体に絡みつく管。脈動する魔力を送り込むためのものだ。その魔力は純粋ではなかった。人工的に精製され、混ぜ物を加えられ、異質な色をしていた。
 青白く光る目を開けた少女がいた。けれどその瞳に「人」としての意志はもう残っていない。
 金属製のベルトで拘束された腕、数字しか刻まれていない識別タグ。名前ではなく、管理番号。失敗作と記された資料の山が、床に雑に積み重なっている。そこには「死亡」「廃棄」「暴走」の文字が踊っている。そんな世界だ。
 ある檻の中では、かつて少年だったものが低くうなり声をあげている。歪な角と異様な皮膚。人の姿は、もはや仮初めだ。
 白衣を着た大人たちが無表情に記録を取り、黙々と調整作業を続ける。まるで誰もがこの地獄に慣れきっているかのように。
 常人なら目を背けなければ正気を保てない、それが当たり前になっていた。つまりこの研究所にいる白衣なんて常人はどこにも居ない。
「成功率、僅か1割か」
 その言葉に誰も眉一つ動かさなかった。
 生き残った者だけが「成果」として記録され、死者は数字に還元される。心を失えば制御しやすいとでも言いたげに、感情抑制剤が水に混ぜられ、毎日与えられていた。
 叫んでも無駄だ。痛みにも声は届かない。ここは救いのない牢獄。魂すら魔法陣に縛られた命を素材とした異能研究所。床に点々と広がる赤黒い染みは、掃除の手が入った痕跡すらない。排水溝に流れた液体は血と体液と薬品が混ざり合い、どす黒い塊となって固まりかけていた。
 細胞活性のためと称された処置のあと、ひとりの少年が肋骨を外側に向かって突き出しながら絶命していた。
 彼の顔にはまだ、助けを求めるような微かな表情が残っている。培養槽の中には、既にヒトの形を留めていないものもあった。腕が三本、目が八つ、皮膚の一部が半透明化して内部器官が蠢いている。
 その異形に成り果てたものを前にしても、白衣の研究員はただ筆記具を走らせるだけだ。
「今度の反応は良好だ」
 喜々とした声が、誰かの泣き声をかき消した。
 またある部屋では、脳を開頭されたまま魔術術式を刻み込まれている少女がいた。彼女はまだ生きている――瞳だけが動き、術者の姿を追っていた。恐怖で潤んだその目に、施術者は気づいていないふりをしていた。
「意識が残っている? 問題ない。むしろ、術式の定着には好都合だ」
 少女の口から声なき悲鳴が漏れる。舌を抜かれていたからだった。
 壁には無数の落書きのような線が走っていた。子供たちが爪で削った跡。
 ――ここから出して。――いたい。――おかあさん。
 その一文字一文字が、薄暗い照明の下、なおも消えずに残っていた。
 彼らの命は数値で管理され、死後は臓器や血液、魔力の抽出対象として仕分けられる。
 山奥の地獄は生を祝わない。ここで生きていることが既に罰だった。
 誰がこんな地獄を作ったのか。それを止められる者は、まだ一人もいない。

 ガラス張りの展望廊下は、まるで劇場の観客席だった。
 見下ろす先には、無数の命が、実験体という名の演者として並べられている。冷たい蛍光灯の光が、ガラスを照らすことなく、ただ眼下の悲鳴と呻きだけを浮かび上がらせていた。
「ここ半年の収穫で、なかなかよく実ったようね」
 女が艶やかな笑みを湛えたまま、身をくねらせるようにして燈雅に寄り添った。
 真紅のネイルがファイルの端をなぞりながら、いくつかの資料を手渡す。超人類能力開発研究所の研究魔術師をしている女は、一研究員という立場にあるまじき言動のまま、機関を支える仏田家当主の男の指へと口付ける。魅惑的な女の形をしながらも、どこか暖かい母のような視線も送りながら。
「見て。この子。昨日の術式適合率、驚異の96%。母体の反応も良好なの。少し叫びすぎて喉を潰してしまったけれど……まあ、声なんて必要ないしね」
 燈雅は返事をしなかった。ただ一つ、ファイルに目を落とし、数秒でページを捲る。
 視線の先には、歪な背骨を晒した少年が拘束椅子の上で震えていた。薬物投与のタイミングを誤ったのだろう。脈が乱れ、呼吸が不規則になっていた。
「この棟は、ギガースの核の製造所だったかな」
「そうよ。今の機関の売れ筋は魔導兵器。ギガースなんて大きすぎるもの流行らないと思っていたけど、わたしの感性はだいぶ行き遅れていたようね。すっかりメインの商品になってしまった。より高性能なCPUの開発を取り組んでくれているけど、今のところはこの子のような核を量産するしかないのが現状ね。もう少し良い素体を朱指に狩って来させないと」
「御臓の報告だと、充分に黒字が出ていると聞いているよ。オレは収支報告書に目を通しているだけだったけど、実は、現場の声も届いていてね」
「まあ、それはそれは」
「『黒字なんだからもっと深いところまでやらせてくれないか』、正直な意見を頂いている。もっと頑張りたいらしい。……けれど、貴方としてはそれは本望ではないよね?」
「そうね。『今年中に、わたしはあの御方に、お会いしたいから』」
 優しそうな会話の中だが、女の声には感情の波を一滴も含んでいなかった。
 それならと、燈雅は冷淡になる。「使えそうな核はすぐに出荷してもらってくれて構わない。資金調達用のギガースと……今後我々が使うギガース、どっちに高性能を回すかはお任せするよ」
「ええ、ご安心を。プロが余すところなく活用してあげる」
 女は口元に指を当て、うっとりと研究フロアを見下ろした。
「彼らったら、本当に献身的。ねえ……まるで、わたしたちのために生まれてきたみたい」
 燈雅のまなざしは、遠くの培養槽に固定されていた。
 中に浮かぶ少年は、目を開けていた。感情の一切を失った空の目。視線が偶然、真上のガラスへと向けられる。まるで燈雅を見ているかのように。
 女魔術師がくすくすと笑う。
「意識がある個体って……ゾクゾクしない? 壊れる直前のきらめきって、本当に美しい」
 燈雅は口元に手を添え、僅かに息を吐いた。
「美しさに価値なんて無いよ」
 ガラスの向こう、術式融合室の中央で一人の少年が激しく痙攣していた。魔力注入に肉体が耐えきれず、骨が軋み、皮膚が薄紙のように裂けてゆく。それを観察するように肘を手すりに預け、顎に指先を添えていた。
「ねえ、燈雅様」
 声は甘く、とろけるように響く。
「貴方ほどの適合率、なかなかいないのよ。いっそ、あそこの子たちの仲間入り……してみない? ご自身の優秀さを、直に証明してみるのも素敵かと」
 燈雅はゆっくりと顔を彼女に向けた。目元は穏やかだったが、そこに笑みはない。やがて口元にだけ、わずかな動きが生まれる。
「貴女が1000年かけて積み上げていた最高傑作に、よくまあそんな冗談を言えるね」
 苦笑と呼ぶには、あまりにも熱のない、形だけの微笑だった。
 けれどこの世界の女王はその薄い笑みに、うっとりとした眼差しを向ける。
「ふふ、冗談よ、もちろん。でも、もし燈雅様がその身を『あの儀式』に捧げたら……どれほど美しい結果になるかと思うと、本当に……ううん、妄想が止まらないわ」
「現場の者に伝えておいてくれ。あの個体、今夜中に処置を。回収可能な部位を優先するように」
 言葉を遮るように、燈雅は視線を再び下に戻した。
「それと……あまり目立った動きはするもんじゃないよ、憲子。その姿、似合っているから変えたくないだろう?」
 女の笑い声が、静かな展望廊下に残響する。
 まるでその音さえも研究所の一部であるかのように、不気味に、静かに。

 月に一度の視察という職務を終えた燈雅は、陵珊研究所の横にある本殿――仏田寺へと帰還する。
 昔ながらの山奥の寺に併設された近代的な病的建築物。アンバランスな光景だったが、燈雅にとっては生まれてからずっと眺めている景色でもある。
 人跡まばらな山深く、常人の踏み入れぬ森を抜けた先に、それは静かに息づいていた。
 鋼鉄と強化ガラスで造られた無機質な建築――超人類能力開発研究所機関。山肌を削って築かれたその施設は、まるで山そのものを呑み込むように広がっていた。
 そのすぐ隣には、あまりに不釣り合いな存在が佇んでいる。苔むした瓦、風に鳴る銅鑼、そして千年の静けさを湛えた山門。仏田寺――この地にて千年もの間、影として魔を祀り、歴史に潜んできた寺院である。
 一見すれば、ただの古刹。修行僧の鈴の音が時折山間にこだまする。その本質は世を裏から操ってきた魔術結社の中枢。そして、研究所、機関の母胎にして、創設者の血を今も絶やさぬ者たちの巣だ。
 鋼と祈り、科学と呪、冷気と香煙。本来、決して交わることのない筈の二つが、この地では静かに共存している。それは融合ではなく、寄生。共鳴ではなく、支配だ。
 寺は施設を守り、施設は寺を更新する。古代の術式と現代の魔導理論は既に不可分となり、禍々しき果実を結び続けていた。
 風が吹く。寺の鐘の音が、研究棟の警報と重なる。
 それはまるで、この山が千年に渡る禁忌の連続を肯定しているかのようだった。
 仏を祀るは表の貌。裏では人を喰い、魂を計る――それが、仏田寺。
 この地には祈りも、救いもない。ただ静かに、非人道と異能の歴史が降り積もっていく。

 研究所から続く裏山の踏み道を、燈雅は一人歩いていた。
 白衣もスーツもなく、ただ黒の和衣。蝋のように淡い光が、彼の足元を静かに照らしている。
 燈雅は仏田寺第六十三代目住職であり、そして異能研究機関の最高出資者として今に至っていた。
 かつて、祈りのために築かれたこの山に、いま彼が背負うのは「科学と魔の融合体」だ。
 石畳に足を踏み入れる。風が梢を揺らし、虫の声さえ遠のいた。仏田寺は静かだった。かつての祈祷や読経の声は、別の音色に変わって久しい。今ここで行われているのは供養ではなく、観測。魂の行方を見届けることなく、異能の器として再利用するための儀式となっている。
 燈雅は堂の中心に立ち、千年分の因縁が染み込んだ香炉に火を灯した。
 薫煙が静かに立ち昇る。檜の柱に刻まれた旧き術式が微かに脈動を始める。
 ――この寺は、もうかつての仏田寺ではない。だが……道は、まだ潰えていない。そう思う燈雅の手には、研究所から持ち帰った一枚の資料。それは、冬の日に企むある陰謀の経過報告。人ならざる力が確かに芽吹き始めている証拠だ。
 燈雅の目が細くなる。
 その眼差しは、もはや信仰のためでも、倫理のためでもなかった。過去千年の咎を成就させるためだけの、ただの業火。仏の面を借りた魔の系譜が、動き始めた証だった。


 /2

 千年前に仏田寺は生まれた。始祖と呼ばれた高位の能力者は、陵珊山に住まっていた超越的存在と接触し、人知を超えた智慧を手に入れ、人々に多くの救済を与えた。
 伝説はこの地に長く語り継がれており、いかに仏田家の先祖が神々しい存在だったのかを示している。
 始祖・橘 川越は、何よりも人々の救済を求めていた。より人が人より美しく生きていく世をを創るために尽力した。
 そのために、更なる智慧を求めた。一つの器では収めきれない智慧を求め続けた。
 大勢を集め、大勢の力を自分のものとした。そのための手段が『聯合』という手段だった。
 虚飾なく語ってしまえば、始祖が接触した超越的存在は、異端の眷属だ。吸血鬼、食人鬼と呼ばれる者であり、他者の魂を自身に移し替えて蓄える混沌の胚の持ち主だった。
 始祖が得た智慧は多い。始祖、仏田家、つまりは機関が生み出したあらゆる創造物を使役する秘術や、無効とする秘術も、代々当主に受け継がれてきた。
 一代目の魂は二代目の器に、二つの魂は三代目の器に、当主だけでなく集結された魂を全て今代の器に。そうして全知全能を作り出し、神に近づこうと、『かつて始祖が接触した女神』を求め続けた。
 千年が近くなり、六十代目を過ぎたあたりから当主の器に異常が来した。
 率直に言うなら、人間の器に貯蔵できる限界が訪れたという。
 先代の当主は、潰れるのが早かった。当主の座に君臨して、二十年で気が狂ってしまった。晩年はかつて最優と言われた当主にも関わらず面影すら失くしていた。
 だから後継者は才能も大事だが、健康かどうかが問われた。後継ぎに長男が即決されなかったのは、その長男が体調を崩しがちで、魔力行使が凡人以下、加えて、末弟の新座が健康優良児だったからでもある。
 優秀と言われた当主ですら三十年で寿命を迎えた。なら病弱な燈雅には、当主の重荷は難しいかもしれないと言われた。
 紆余曲折あって、結局は長男が無難に当主の座を継いだ。「身体強化手術をいくつも乗り越えた燈雅なら」と、期待に応えた結果があったからだった。

 継承の儀として、燈雅は父である当時の当主を食らった。
 『聯合』のやり方は、食事である。口から体に取り込む。肉を噛んで、血を啜り、自分の器に浸透させる。生で丸ごと汚く貪るのではなく、しっかりと切り分けられて皿に乗る状態のものを全て平らげた。成人男性の量を全て食い切るには、丸1日かかった。
 その日から、燈雅の器は一人の体ではなくなった。
 食らった父の器にもいくつも魂が入っていた。そうして儀式の後、自分自身のもの以外にいくつもの記憶が混じった。
 歴代の当主の記録だけではない。歴代の当主が喰らってきた幾多もの力が、たった一つの自分の体に混じるのを実感する。これは確かに神にも劣らないと、他人事のように思えた。
 ――もう自分は、自分ではなくなっていたのかもしれない。
 父は晩年、気が狂った。彼の器は別の魂に、しかも欠けてマトモでない魂に主導権を奪われたのだ。
 個人名「仏田 光緑」として振る舞うことができず、表に立てなくなり、機関を取り仕切る上門 狭山所長との裁決の末、継承が行なわれることになった。本来であれば光緑自身が判断を下す予定だったのに。

 自室に戻った燈雅は、一度目を閉じ、開く。
 自室に戻った、と今まさに自覚した筈なのに、そこはもう寝室だった。
 ――自分が、自分でない行動をしているという現象。
 いつとは言えない。なんとなく、自分が言わなそうなことを口にして、居る筈のない場所に居ることが多くなってきた。
 これが度を過ぎると、父のように気が狂ったと言われるのだろう……燈雅も薄々気づいていた。
「なあ、男衾」
 燈雅の長い髪を梳かしていた従者の名を、呼ぶ。
 名を呼べばすぐ来る従者はいつも堅苦しい背広を着こんでいた。いつ何に出立しても用意が出来ている、そんな堅実さの塊のような従者だった。
「男衾の目から見て、自分はおかしな様子があったか?」
「何もございませんでした」
「……昨晩、オレは、はしゃぎすぎた気がする。二人も食べれば満腹になれたのに、どうして三人も聯合に呼んだのか覚えてない……。せっかく上門所長や天足の大山殿らが用意してくださった食事を、食べ切らずに捨てるなんて無駄にしてしまった。起きたら、それのことばかり考えて。大太刀様と話している最中もそのことを考えていたぐらいだ。双方に凄く申し訳なくて……」
「飯を多くよそってしまうことはあります。欲をかいて食べきれないのに茶碗にこんもりと盛ったことは、誰にだってある筈です」
「ふふ、なんだその例え。男衾にもあるのか?」
 愛想が無い男衾が、堂々と「はい」と頷いた。
 茶碗いっぱいに飯を盛るなんてこと、鍛えぬかれた大柄な肉体の持ち主になら、毎日のようにあるだろう。
 そんな男衾でも食べきれなくて諦めることがあるのか。想像して、笑った。……堅苦しそうに見えて堅苦しくない、心地良い日常会話を送る。
「実際に平らげなくても、ご馳走が並ぶだけで、気は良くなるものです。昨晩の燈雅様は目で食事を楽しみたかったのでしょう。それもまた食事です。機関は当主様の為にあるのですから、口にする食材のことなどお気になさらず」
 当主の身を整えた男衾は、「軽食をご用意しましょうか」と提案した。
 燈雅は首を振る。
「仏田家当主である燈雅様の命令であればどんなものでも遂行します。そう創られたのが自分です、ので、何なりとお申しつけを」
 従者は深く一礼し、部屋の隅へと消えていった。
(良く出来た子だ。そりゃあ『機関の最高傑作』じゃないと当主様の護衛は勤まらないよな)
 男衾に「そのままでいいよ」と言い放ち、自分で窓を開けた。離れの自室から庭を見る。
 境内の端に建てられた小さな館の周りには、淡白な日本庭園が築かれている。当主が過ごす一室は煌びやかであるべきと数代前の誰かが決めたらしく、本堂周辺の庭に比べて豪勢な外観だ。
 それでも雪が降りそうなぐらい寒い山の中、空気の色からして寂しいものだった。
 庭を散歩でもしようかと思った燈雅は「男衾、上着を出してくれ」と声を掛けた。

 男衾という護衛は、まだ未成年だった仏田 燈雅が誘拐される事件が発生した直後、護衛兼監視役として配属された男だった。
 機関の第四部署天足の責任者であり高名な魔術研究者の器守 大山氏が直接調整した、傑作の強化人間である。
 機関の最高責任者の上門 狭山が監督したチルドレンの発展基盤で創られ、荒事を担当している第三部署朱指に記録された戦闘データを全て仕込んだ戦闘人形・殲の刻という。
 戦闘部隊に配属されて当然の緒元だったのだが、次期当主の護衛として配備され、十数年以上が経つ。
 燈雅を四六時中監視している訳ではない。たまに鼠取りに燈雅を離れて駆けることもある。
(親父や所長や大山殿ら上層部は、次期当主誘拐が相当堪えたと見える。男衾は、ボディガードとして使うにはスペックが高すぎる。あいつにあった良い立場を与えてやりたい。……あと数日だけでも、良い仕事が回ってこないかな)
 上着を羽織り、一人で庭に出た。
 12月ということもあり、境内の者達は慌ただしい。仕事や研究に専念しろと言われている者達は今日も切磋琢磨している。
 呑気に一人、砂利の道を意味もなく徘徊している者は、仏田寺には居なかった。
(誰も話しかけてこない。……暇って感じるの、久しぶりだな)
 幼い頃から仕込まれた魔術の鍛錬は、もうする必要が無くなった。
 当主を名乗るようになってから、聯合という手段を得てしまった。
 読んでいない本を読むより、その本を読んだ人間を器に取り込んだ方が早くなったからだ。
 毎日の食事で全知全能が生まれていく。かつて始祖が目指した超越的存在、神のような全知全能に、日々の栄養補給だけで近づいていく。楽な生活だった。
『神に近い完全体になった器で、真の神を呼ぶ。神を創るだけでなく神を呼んで二つが出会うことこそが、始祖が遺した悲願だった』。
 どうしてそんな悲願が生まれたのか。思い出すためには、少し時間が掛かる。その記憶を引き出すには、『最も古い魂の記録』を呼び起こさなければならない。ローディングが長くて手間なので、回想はしない。
(今日の予定は朝から大太刀とのお相手、夜は会食。客が来る夕方まで、どうしていよう)
 まだ先の話だが、今日の夕餉は、普通の飯を食べることになっていた。
 魔術結社である仏田寺の当主として客を招くというより、一段と大企業に発展したお隣の超人類能力開発研究所機関の出資者としての会談も重要な職務である。12月31日までたった数日とはいえ、出来るだけ大らかに日常は続けていきたい。
(普通の食事、何日ぶりだろう。あ、久々に普通の、人間の食事をするのか、オレ。……本当に久々に……)

 今となっては、仏田寺当主の役目とは、聯合を続けることである。
 その聯合も、魔力供給も、何もかも嫌な時期があった。
 どちらもやりたくないと、訴えた頃がある。まだ男衾が隣で監視していない、子供の頃の話だ。智慧という飯なんていらない、酸素なんてもう吸いたくない、だから血も吸いたくないし、肉も噛みたくないし、交接もしたくない。嫌だから嫌だと、大人達に直訴した。
 却下された。叱りつけられた。無理矢理させられた。罰を与えるように口に押し込まれ、吐き出さないように押さえつけられ、複数人に犯された。それが教育だから仕方なかった。
 一度や二度だけでない回数、その教育を経験したら、「弟の新座には、こういうのさせたくないなぁ、あいつはオレより泣き虫だし」と受け入れてしまった。
 こうして聯合と魔力供給への不快感は、体に沁み込ませることで無くなった。当時の大人達がこなした無理矢理の教育は、成功と言えた。
 教育は成功だったけれど、だからと言って感謝はできなかった。
 嫌なことを受け入れたとしても、嫌なことには変わりない。教育してくれた恩よりも、憎さの方が強かった。
 そう、憎悪が満ちていた。
 生まれ落ちた家に、黒い感情しか抱けなくなっていた。
 度重なる魔力供給という輪姦の中で、教育という凌辱の中で、性器という凶器で体の奥まで突き刺してくる連中を、殺してみたいと思った。
 殺そうと思った。魔力が高まり、行使も上達したからこそ。
 ――オレなら全員殺せるぐらい強くなっていたから、みんな殺せるから、殺そうと決心した。
 それでもその頃、実際にこの家を殺さなかったのは、自分が未熟だったからではない。
 圭吾が好きだと言ったからだ。
(あいつがオレと同じ、この家が嫌いだってお揃いのことを言ってくれたなら、オレはその日のうちにこの家を殺ってみせたのに。全員を殺れる決心だってついていたのに)
 圭吾に連れ出してもらったとき、『あんなこと』する人間なんて一人も居なかったから、嬉しくて堪らなかったのに、すぐに圭吾と引き離されて、やっぱりこの家を見限ろうとした。心は決まっていた。
 けれど圭吾に尋ねたとき、求めた返答は一切無く、ついには「好きか嫌いか、わからない」だなんて、どっちつかずの言葉を吐かれた。
 本当に「好きだ」と言ったなら、圭吾がそれほど言うのだからオレも「好き」を探したのに。
 結局「嫌い」と言ってくれたなら、その後押しで全員殺してみせたのに。
 どっちか任せた途端、「わからない」と言われて、相当困惑したのを思い出す。今でも燈雅が何にも出来ないのは、その記憶が色濃く自身の魂に刻み込められていたからだった。
(なんて、全部圭吾のせいだって、責任転嫁しているだけだけど)
 苦笑だけで、時間が潰れた。圭吾を想って庭を歩くだけという、無意味なことをする。
 一刻も早く部屋に戻り、数日後の儀式の手筈を確認する有意義な時間を過ごすべきだ。
 男衾が居たなら、監視らしく時間で区切ってくれた。従者は燈雅が自在に動かしているように見えて、実のところ、当主の燈雅を操作しているのは、多くの思惑の息が掛かった彼だった。
 従者が隣に居ないだけで、ここまでオレは無駄になるものか。
 他人の息が掛からないオレは、無能か何かか。自虐して、部屋に帰ろうとする。
「燈雅」
 呼びかける圭吾の声で、乱れた心がさらに乱れた。

 当主の自室がある離れ館の中まで、部外者の圭吾が入ってくることはない。
 だが庭なら。
 知り合いの姿を見て、声を掛けることぐらい、ありえる。
「圭吾」
 何の面白みもなく、名前を呼び合ってしまった。
 名前を呼ばれた圭吾が、ゆっくりと笑う。十数年ぶりに会っても、圭吾は圭吾らしい顔で笑った。久々の再会に感激して涙ぐんでいるように見えた。
「その……燈雅。久しぶりだな……」
 十数年が経過して、随分と皺が増えた顔になっている。目尻に皺が増え、髪型も変わり、服装も大人びてかつての圭吾とは違う。
 だというのに平気で涙目を見せる眼差しは、愛おしいと思った彼に違いない。
「帰っていたのか、圭吾」
「あ、ああ。……今日、実は、俺の誕生日なんだ。それで、親しかったみんなに祝ってもらいたくて、こんな時期に帰ってきちまった」
 愛おしかったのだと、再認した。
 殺そうと思った者達を殺さないでいいやと思ってしまったのは、圭吾の言葉のせい。それだけ圭吾が吐き出す台詞一つ一つは、自分に影響を与えるものだった。
「そうだったな。圭吾、誕生日おめでとう」
「あ、ありがとう。ってお前、俺の誕生日なんて知らなかっただろ?」
「知っている。オレ、物知りだから」
「いや、絶対知らなかっただろ……」
 圭吾が持ってくる物はどれも楽しくて、何度も見た。圭吾がいきなりオレの腕を掴んで駆け出したら、理由を聞かなくたって自分も走った。
 そんな経験を何度もしたので、圭吾になら嫌なことをされても良く思えるのではないかと思って、「俺を抱いてみてほしい」と言ったこともある。
「誕生日なら、ケーキでも食べたか?」
「あー……そういえば、食べてないな。みんなに土産を用意するのに必死で、自分用は買ってなかった」
 結果は、彼は嫌なことを塗り潰してはくれなかったのだが。
 ――お前の為なら何でもしてやると言っておきながら、オレの想いを的確なところで受けとめてくれなかったり、やりたかったことを中途半端な返事のせいで止めてみせたり……。
「良かったら、燈雅が祝ってくれないか? ……あ、別にケーキを買ってくれって言うんじゃないぞ! その、ちょっとだけ、何か……いや、ごめん、今の無しで!」
「ふふっ。相変わらずハッキリしない奴だな、圭吾は」
 愛おしかったのは、確かだ。そしてそれは、過去形だ。
(愛おしかったけれど、オレを受け入れてくれなかった記憶があるから、憎いんだよ、圭吾のこと。全部が全部オレを肯定する思い出ばかりなら、お前に妄信して、全てを圭吾に捧げてみせたのに。…………今のオレを作ったのは、お前のせいだ、圭吾)


 /3

 圭吾にとっては、燈雅の顔を見られるだけで、充分だった。
 レジスタンスの新座に、早く31日の儀式と刑務所の名を告げるべきだ。すぐにでも仏田寺を離れて、悪行を裁く力にならなければ……残酷な殺され方をした正義漢達に申し訳ないと思ってはいた。
 それでも、ずっと膨らみ続けてきた「会いたい」の気持ちが勝さった。顔を見られたら、すぐに山を降りよう。遠くから離れの館を見るだけでいいから。そう思っていたのに、いざ声を掛けられる場所に彼が居ると思ったら、止められなかった。昔と同じだった。
 何気ない会話。何の変哲の無いやり取り。なのに、やっぱり俺は燈雅の声が好きだなと確信する。面と向かって話がしたいと思い、近づいた。
「圭吾」
 近づく圭吾の顔に、燈雅が見上げる。
 圭吾が燈雅を勝手に連れ出してから、燈雅の周囲は必ず護衛がつくようになってしまった。護衛を介してでないと会話すら許さないという空気になっていた。
 今は、その護衛は居ない。二人きりで話せるという、子供のときの時間の延長にいられた。
「食事。するか。圭吾をもてなすことぐらいは出来る」
 自分と同じぐらい年を取った燈雅が、しっかりと見据えている。美しく髪を流し、端整な着物を着た彼は、記憶にある以上に神々しく、まるで自分と違う世界の住人に見えた。
 ――こんな人物が、大量殺人を犯している闇の組織の元締めとは思えない。圭吾は息を呑む。
「オレ、圭吾と食事がしたいかもしれない」
「い、いいのか? 俺も、燈雅ともっと、話したい……」
 優しい誘いに、思わず声が弾む。そのとき、燈雅の指が、羽織る着物の裾をぐっと握った。
 細い指にいざなわれ、自然と視線が柔い体を見やる。羽織っている物の下は、高価そうな着物には違いなかったが、冬場の外気に晒すには薄すぎると思えた。
「ああ。……圭吾と、食事、したい」
 ドキリとする。綺麗だなと思った仕草が、まだ昼間だというのに真夜中のような妖艶さに染まる。なかなか見つめられなかった紫の目を見つめると、濡れているような気がした。
「入れ。オレが、相手をしてやる。――さあ」
 平和な昼間となれば、燈雅以外に影は居ない。待機している世話役達も、今日は何処かに行ってしまっているらしく、人の声がしなかった。
 その情景が、昔をより濃く思い出させる。彼の目に、自分を入れてもらえたらどれだけ嬉しいか、何度も考えた。そのたび悶えた。叶えられるものなら叶えたい願いでもあった。
 ――さあ、一緒に――。そう彼の寝床である館へ手招きする思い出が、じわりと蘇る。
 自分よりずっと小さく儚そうな彼。捕食者のように思えた最奥の記憶が、圭吾に警鐘を鳴らした。




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