■ 016 / 「家族」



 ――2004年12月25日

 【 First / Second / Third / Fourth / Fifth 】




 /1

 いつ雪が降ってもおかしくないぐらいの冷気に包まれた山。吐いた息が白くて前方が遮断されてしまうぐらいの冬の麓。
 すっかり冬仕様に毛並みがふっくら生え揃った我が家の残飯処理犬・揺多(たゆた)の散歩、ラストスパート三十分。一頻り歩き回った帰り道に、我が寺から一番近いバス停のすぐ傍にある小さな商店・梅村さんへ立ち寄る。

 おばあちゃんがガテン系の夫さんといっしょに営んでいる商店は、大きなお店やコンビニ、商店街も無いこの辺りの人達にとって憩いの場だった。
 古くて小さな商店の前には、これまた古いベンチが二つ並んでいる。流石に雪が降ってもおかしくない天気だからか誰も座ってはいない。いつもおばあちゃん達や小さな子供が誰かしら座って談笑しているが、今日はあったかいお店の中にこもっていた。
 散歩がし足りなくって尻尾をぶんぶん振り回しているわんこをベンチに繋ぎ、中に入る。この辺りの人々にとって憩いの場は、僕にとっても思い出のお店だった。

 小学生の頃は、百円片手にここに飛び込めばいくつもお菓子が買えた。
 入っただけで幸せになれる場所の一つで、志朗お兄ちゃんとカスミちゃんがよくここに連れてきてくれた。遠出ができない体の僕を(体のせいでもあるけど、誰も遠くに連れて行こうとする大人もいなかったのがある)連れ出すとしたら梅村さんまでが限界だった。
 店主のおばあちゃんもそんな僕の事情を判ってくれて、「体が弱いのによくうちまで来てくれたね」と特別にサービスしてくれた(感応力のことなんて説明できないので、志朗お兄ちゃんが「病気だ」と話したらしい。なので彼女の前ではよく咳をする子として振る舞っている)。ここはお菓子をくれる場所でもあり、自分でも買える場所でもあり、特別な気分が味わえるお店でもある。昔から大好きだった。

 店内を見渡す。今もその雰囲気は変えてなく、入るなり雪崩れてきそうなほどの商品がお出迎えしてくれる。
 半年前に「地震があったら大変でしょ」と言ったのに、「これが昔からのやり方だから」と方針を変える気は無いらしい。
 それで良い。言ったはいいものの、実際お店の雰囲気が変えられたらショックを受ける。優しい思い出が詰まったそこは、変わらぬ姿のまま在り続けてくれれば良い。
 そう思いながら適当にお菓子を掴んだ。店主は奥のコタツでお友達のおばあちゃん達とテレビを見ている。声を掛ければすぐにやって来てくれるが、あまりに暖かくて楽しそうな光景だったので、

「梅村のおばあちゃーん。お代、ここに置いておくよー」

 カルトンに小銭を置くだけにする。奥から「あーねー」と声がしたので、お会計は完了だ。
 掴んだ五つのお菓子を眺めながら、「少しだけ値上げしたんだな」「百円でお菓子が十個買えたんだけどなぁ」と思いながらまた冷気の中に戻って行った。
 今日はクリスマスだったから、子供の頃にみんなで食べあった可愛いお菓子が欲しかった。昨日もクリスマスイブってことでケーキを買って食べたけど、今日は銀之助さんに頼んで僕が作らせてもらおうかなぁ……。

 ――帰ってきたベンチには、わんこが居なかった。

 ベンチの足にはしっかりとリードが括り付けられている。その先は、首輪だ。
 なんということだろう。やんちゃな残飯処理犬はあの年だというのに元気に首輪をぐいぐいとすり抜け、解放された足でどっかに走って行ってしまったらしい。

 昔から元気な犬だった。僕の小さい頃から飼われているというのに、成犬になっても尻尾を振りたくり駆け出していくのは変わらない。あのわんこもまた、変わらぬ姿のまま在り続けてくれれば良いとは思っていたけど……まさか真冬の中、一人でわんこ探しをすることになるなんて。
 どうしようかと寒空の下、冷や汗をかいて……とりあえず寺に続く石段に向かった。
 わんこを放置して帰ろうと思った訳じゃない。でもあのわんこは駄犬なりに立派な犬なんだから、帰省本能に期待しよう。……正直、長い散歩に疲れていたのはある。体力のあって頭の回るどっかの僧にでもお願いした方が……と、山を登ることにした。

 その判断は、結論から言うと正解だった。
 あのわんこは自分より早く石段に到着していた。ただ石段の前で飼い主である僕が居ないことに気付き、「なんでついて来てくれないの?」「なんで遅いの?」「なんで居なくなったの?」とクエスチョンマークを飛ばしながら待っていたようだった。石段の前でぐるぐるぐると、ずっと走り回っていたらしい。

「なんでじゃないよ! なんで十数年も飼われているのに『待て』も覚えられないかな! もー!」

 これでも焦って悲鳴をあげるぐらいだったというのに、心配して損した。山を登る僕を見つけるなりミサイルのように抱きついてくるわんこが喜んでいなければ、引っ叩いて躾をするぐらいだった。
 そうやってちゃんとした躾をしないで甘やかしていたから、能天気なわんこになってしまったのかもしれないけど。

「もしかして……君が揺多と遊んでいてくれたの? ありがとう」

 僕は、石段の一番下に腰掛けて座っている男の子と、そのお母さんにお礼を言う。
 そう、この二人がここに居てくれたから『石段の前でぐるぐる回っていた犬の様子』を教えてくれた。僕が来るまでの間、突然石段の前に走ってきた犬と母子は遊んでいたという。たったそれだけだったけど、ついつい小分けのお菓子を一つ差し出して、「はい、クリスマスプレゼント!」と感謝を伝えてしまった。
 男の子はニカッと笑って手を差し伸ばしてきた。
 その手は渡されようとしているお菓子を掴むのではなく、紳士的に握手をするかのように僕に伸ばしてきて……。



 ――2004年12月25日

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 /2

 足を入れたコタツに衝撃感。誰かがコタツの中で亀のように潜り込んでいることに気付かず、入れてしまった足が留まる。
 何だとコタツの布団を捲り上げた。そこには大きさの塊。一人、少年が蹲っていた。

「あっ。駄目だよー、志朗お兄ちゃん。そっちには先客がいるんだからー」

 四角形のコタツ、相向かいの席に座っていた新座に注意されてしまう。それなら入る前に言えよ。
 年末だから無理矢理にでも実家に帰ってこなくてはならなくて、それでも仕事が詰まっていて、全ての仕事を片付けてやっと寒い中を我慢し帰省した。暖かなコタツを目の前にして気配りなど出来やしない。

「むぐっ。お兄ちゃん、僕と並んで座る?」
「座る」

 ともかく新座が笑顔で言ってくるので好意に甘えよう。
 俺は新座の座っている面に腰を下ろした。おかえりの挨拶もさっきの忠告の前にした程度。久々に会う弟に少々悪戯をするのもいいと思ったが、このコタツの中に人がいる。畜生、一体どこのどいつが兄弟愛を邪魔してるっていうんだ。
 というか誰が居るんだ。今度は顔を確認しようと、再度コタツの布団を捲ってみた。

「……誰だ?」

 布団を上げられ、黒髪の少年がぴょこりと顔を出す。
 コタツから出てきた少年は、ぬくぬくと猫のように中に潜り込んでいたせいか頬が真っ赤になっている。
 十歳ほどの少年は、目はとても活発そうで、俺が怪訝そうな顔で見つめてしまったせいか「むーっ」と猫のような警戒をした。
 でもそれも一瞬。すぐに「にーざさんっ、これ誰っ!?」と無邪気で底抜けに明るい声を出した。
 久々の実家帰省、新しい僧侶が入ったら顔は判らない。でも、それにしたって十歳ほどの少年は若すぎる。この寺に居る子供となったら俺の親戚になるんだが……それなりに人の顔を覚えているつもりだったが、まったく記憶に無かった。

「この人はね、志朗お兄ちゃん。僕のお兄ちゃんなんだよ」
「しろーおじさん? ……しろーおじさんっ! だねっ! よろしくっ!」
「お、おう」

 太陽のように明るい笑顔。まさに子供らしいというのはこういうのを言うんだ、っていうぐらい幼い笑顔と舌の回らぬ喋り方。
 突然コタツに足を入れ激突した俺に対しても、大して気にせず「よろしくねっ!」と笑う。警戒された訳でもなく、ニコニコと笑う少年に愛想笑いを返すと……新座が「部屋の外に出よう」と誘って来た。
 状況がいまいち掴めずその仕草に誘われ、廊下に出る。

「誰なんだ、あの子」

 一族の関係者でないなら、あの少年はただの客人だ。今、自己紹介するのは至極真っ当。なら新座もそう一言言ってくれればいいのに、わざわざ寒々しい廊下に連れて来た新座は、言い淀んでいた。

「あのね、今日……わんこの散歩から帰ってきたら石段の前にあの子と女の人がいてね。『この子をお願いします』って言われたんだ」

 言われたって。それで預かっているのか? いつの間にこの寺は一時保育を始めたんだ?
 でももう時間は十八時だ。真冬のこの時間、外は真っ暗。そろそろ親御さんも迎えに来てもいい頃なんじゃ……。

「……部屋の隅っこに大きな鞄があったのは見た? あれ、あの子の荷物。中にあの子の服とか入っているよ、いっぱい。あの子が持っている有りっ丈の分を持ってきたように」

 ちらりとコタツのある部屋を見る。
 新座の言う通り、旅行鞄の群れが出来ていた。

「あの子の名前は、火刃里(ひばり)。柳翠さんの隠し子らしいよ」



 ――2004年12月25日

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 /3

『――あぁ? 大山さん、なんですかそりゃ。俺達が寺に戻るのは明日の夜だって連絡したでしょう』
「いや、そうなんだけどね、藤春様。緊急事態なんだよ。是非とも君の力が必要なんだ」
『そう言われたって、こっちだって明日までの予定が』
「柳翠様絡みなんで、君にしか対処できないんだ。光緑様がお眠りになっている以上、ここは適任である藤春様に出向いていただけないかなと。せめて私達の言葉を柳翠様へ通訳するだけでもいいからさ。あ、みずほくんと緋馬くん達もちゃんと連れて来ておくれ。頼んだよ」

 半ば強引に電話を切った。
 おそらく電話の先の藤春くんが舌打ちをしているだろう。機嫌を損ねたなら電話を放り投げているかもしれない。想像は容易いが、彼の予定を狂わせてでも対処せねばならなかった。

「一本松を呼んでくれ。……サヤはまだ戻ってない? 帰り次第、私の元へ来るように伝えてくれ」

 女中の豊島園に一声掛け、重役達を呼ぶ。
 その後は何をすべきか。少し予定より早いがお眠りになっている光緑様を目覚めさせるべきか、元老達にこの事を伝えるべきか、その前に先代当主に声を掛けるのが一番か、思案する。
 数秒思考を固まらせていると、一本松は数分もせずに電話のある廊下へと現れた。
 先程、火刃里と名乗る少年の名前を確認し終え、より深くまでチェックをしたという一本松が耳打ちをしてくる。

「どうだった。目で見、私も一目で判る程だったが」
「間違いなく」
「うむ。やはり我が家の刻印があったか」

 我が一族の刻印は、体の表面に現れる。その者が血筋の人間かを確かめるのは容易い。こういうときばかりは外界の者にもバレやすい特徴で良かったと思える。
 火刃里という少年は、我が家の刻印――紫色の痣が、臀部にあった。場所が場所なだけに、一般人が見れば蒙古斑と言われ我が家の刻印だと見分けられなかっただろう。
 だがあれは、間違いなく仏田一族の刻印だった。自分だけでなく、一本松もそのように視認したのだから確定している。

「先程記録を確めたのですが、我が一族に火刃里という名は御座いません」
「ああ、そうだね。依織にも確認させたけど、そんな記録があったら彼が一番に思い出してくれるし。……ってことは、柳翠様が、外界で作ってきた子か」

 それ以外に他ならない。
 なんとややこしいことをしてくれた。隠し子など、ひどく面倒なことを。

 ――つい一時間ほど前。新座が部屋に来るなり「子を預けられた」と告げてきた。
 石段の前に子供を連れてやってきた女は、偶然散歩から帰宅した新座に我が子を押し付け、一言二言挨拶を交わすなり去って行ったという。
 「この子は柳翠の子だ」と言い残して。
 そして今、血の継承者である刻印が我々のもとで確認された。この子は間違いなく我が血族であることが発覚した。
 柳翠の子でなくても、仏田の子であることは間違いない。直系の子であれば、我が一族の管理下に置かなければならない。
 しかし火刃里少年の年齢は……柳翠の第一子・緋馬とさほど違わない。いつの間に外に出て、『そんなこと』をしていたのか。

「大山様。山門まで入ったとなれば、守護している使い魔が視ています。母御の捜索は容易いかと」
「ああ、ではそれを頼もう。この適任は……慧かな」
「すぐに呼び寄せます」
「今は火刃里くんとやらは新座くんが面倒を見ているけど、そうだな、適当な女中をつけてあげなさい。女の人の方が警戒されずにポンポン情報を話してくれるだろ」

 ……いや、女性じゃない方がいいのかな? 新座くんが言うには、女は『この子の一生を任す』ような事を口走っていたらしい。ううん、ここは子捨て山ではないのにな、まったく。
 藤春といい、柳翠といい、今代のトップ達は本当に面倒な問題を作ってくれるものだ。



 ――2004年12月25日

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 /4

 足を入れたコタツに衝撃感。
 誰かが亀のようにコタツの中に潜り込んでいることに気付かず、入れてしまった足が留まる。何だと布団を捲り上げれば、一人の少年が蹲っていた。

「いてぇ」

 俺は正直に思ったことを口から出す。
 まさかコタツの中に人が居るなんて思っていなかった。やっと辿り着けた暖かい場所に足を入れたのに、思いっきり中の人物を蹴ってしまった。俺も痛いも相手も痛い筈。
 けどそんなの自業自得だ。コタツの中に人が居たなんて誰が判るもんか。たとえ今更頭を出してきて「痛っ」なんて訴えてきても謝る気なんてない。

「痛いよーっ!」
「ならそんな所に潜ってんじゃねーよ。コタツはみんなの共有品なんだから、独り占めしてんじゃね……って。誰だ?」

 一体誰なんだと知らない少年に問いかける。コタツの中からモゾモゾと出た十歳ぐらいの少年は、まだ「痛いよーっ」と頭を抑えていた。
 周りを見渡すが、この部屋に事情を知った人物は居ない。誰かに尋ねることもできなかった。

 明日実家帰省をする筈だった俺とみずほは、いきなり藤春伯父さんに「今日帰るぞ」と言われて車に押し込められた。終業式が終わってすぐのことだった。
 あまりに急すぎて、おばさんにすら連絡を入れていないという(彼女は仕事納めの後に仏田寺に来る。来賓用の洋館に泊まるのは、例年通りと言える)。
 暇潰しの準備という準備はできなかったのは、俺もみずほも同じだ。そんなみずほは仲の良い年下の親戚・寛太のもとに行っている。そして藤春伯父さんは「急用だ」と大人達ばかりがいる屋敷に行ってしまった。
 俺は一人、共有のコタツ部屋で手先足先を暖めるべくここに居る。

「あれっ、おじさんは?」
「……どのおじさんのことだよ。ここ、大勢おじさんがいるんだから名前で呼ばないと判んねーだろ」
「んーっ。にーざおじさんっ! さっきからいっぱいおじさんに会ったからまだ覚えきれてないけど、一番最初に会ったのはにーざおじさんっ!」
「……知らない。見てないし。……つーかお前、誰だよ? 分家の子?」
「おれも全然みんなのこと知らないけどなんかそればっか言うねっ? なんでっ?」
「……分家ってやつ?」
「ブンケって何っ!? なんかかわいいっ!」

 冬に使いたくない言葉だけど、こういう満開に明るい笑顔と声は……真夏の向日葵のようなって形容するのかもしれない。
 単語の意味が判らなくて聞き返すのはいいとして、なんでそれをニコニコ笑って尋ねてくるのか。そして何故かわいいと言うのか。感覚が判らず、思わず一歩引いてしまいそうになる。……山奥の冬は寒いので、コタツから出る気にはならないが。

「……当主様に近いか、遠いかってことだよ」
「とーしゅ様っ? ねっ、それって偉い人だよねっ? おれって遠いのっ?」
「知らねーよ。お前がどこのどいつで何者なのか知らないし、俺も分家や本家のこと詳しくないし」
「詳しくないならなんで訊いたのっ!? さっきのにーざおじさんは遠いのっ!?」

 ……面倒くさいことばかり訊く。テンションが高くて、応対がかったるい。
 それでも「なんでなんでっ?」と無邪気に尋ねてくる笑顔は……純粋に知りたくてお願いしてくるもんだから、邪険に扱ったらこっちが大人げないと思われる。判らないなりに、嘘のない返答に応じる。

「そっかーっ! えらいとーしゅ様の子供のにーざおじさんはえらいっ! おれ覚えたっ!」
「……お前、ここに来たばっかなのか? ここで生まれたんじゃないの?」
「違うよっ! そう言うからには兄ちゃんはここで生まれたんだねっ? 病院じゃないのっ!?」
「あー……ここで生まれたらしいよ。よく知らねーけど。大体の人はこの寺で生まれているんじゃないかな。僧侶の人達はもちろん違うけど」
「へーっ! 病院じゃないけど赤ちゃん産まれちゃうんだーっ!」
「前に藤春伯父さんが教えてくれたけど……昔のお寺って、今で言う医大みたいなもんだったんだって。全国のお寺がそうとは限らないけど、この仏田寺は医大なんだって。だからお産もやってんだとさ」

 けど、あさかとみずほは確か外の病院で産まれたと……おばさんが言っていた。彼ら二人だけじゃなく、彼らの兄もまたおばさんの実家に近い総合病院で産まれた筈だ。
 仏田寺から離れて過ごそうとしていた藤春伯父さんらしく、外の世界に触れながら生を受けた。でも俺はこの寺で……って、どっちが良いとか悪いとか言う問題じゃない。そこに拘るのはよそう。
 すると突然、少年は「うーん」と大袈裟に首を傾げる。難しそうなことを考えて、クエスチョンマークを頭の上に乗っけたような判りやすい顔をした。

「おれね、今日初めてこのお寺に来たんだよっ。お母さんといっしょに来たのっ。ここにお父さんがいるからっ。これからおれ、お父さんと暮らすんだってっ。みなさんと仲良くねってっ。お母さんに言われたのっ。それで、お母さんはどっか行ったの。行っちゃったのっ」
「……へぇ」

 そんな愉快な声で話されても。
 俺には、これっぽっちも事の重大さに気付く訳が無かった。



 ――2004年12月25日

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 /5

「むぐー、えっとねー。今日帰ってくるのは志朗お兄ちゃんとー、悟司さんと圭吾さんとカスミちゃんでー……。本当だったら明日に藤春さんちが戻ってくる予定だったんだけど、事が事だからって大山さんが藤春さんちに連絡をしてー。むぐっ、だからみんな揃うね!」
「……よくそんなに覚えてるな、新座」
「これでもちゃんとお母さん達のお手伝いをしているからー!」

 僕らの母は、父・当主のお世話をしている仕事をしている。当主として働くお父さんを支えたり、その周囲の人々をサポートする役職だ。
 とはいえ、母も外界生まれの女性。任されたと言っても本殿に立ち入ることはできず、一族を率いる『上層部』のお仕事なんて手伝うことはできないから、雑用という雑用をしている。
 特に今日忙しそうだったのは、外に出ていたみんなが気持ち良く帰って来られるか考えていたからだ。誰がいつ帰って来て、帰って来たらどの部屋を使うかとかを把握して指示を出していた。お掃除はもちろん、ふかふかのお布団を出したりするのも誰かがやらなきゃいけないこと。僕はその指示を受けて動くだけだけど、お母さんの指示が無かったらさっきのコタツの部屋だって暖かいコタツが用意されなかった。
 そういう縁の下の力持ちを更にサポートしていたら、視野はどんどん広くなるもの。
 お兄ちゃんに、「せっかくだからお母さんに挨拶してきたら?」と提案してみる。けど、志朗お兄ちゃんは「毎年してないのに、今年からやったら不思議がられるだろ」と首を振る。……そうかもしれない。僕だって指示を他の女中達といっしょに受けるぐらいしか、お母さんと話をすることなんてないし。
 「それよりも」と火刃里くんの話に軌道修正されてしまった。コタツの無いひんやりとした廊下、立ち話はどんどん長くなる。

「で、どうなるんだよ、あの子。赤ん坊が生まれたときはそれなりにデカい宴みたいなもんをしただろ。アレを、あんな大きな子相手にするのか」
「そうなるのかな。誰かが生まれたときって宴会を開いて初めてお目見えー……って感じだったし」
「……首も据わらない赤ん坊を見世物にするならともかく、自分の状況も理解できる年の子供を、皆で大々的に祝えると思うか?」
「むぐー。でも『あの子が柳翠さんの息子さん』なのは確定らしいよ? さっき一本松さんがあの子に刻印があるか確認してたけど、あったみたいだし」
「……刻印持ちだったのか、あのガキ」
「むぐ……」

 刻印は、一族の血を継いでいる人間にしか生じない。だからもし火刃里くんという少年が柳翠さんの子供じゃなくても、僕達の一族であることは確定している。
 刻印を持たぬ子供も沢山いるのに、よりにもよって隠し子が後継者の証である刻印を持っているなんて。……これから不運に見舞われそうで哀れだ。

「柳翠さんは僕達の叔父さんだし、直系一族の一人だし。直系一族の子を無碍に扱うなんてできないし。これはちゃんとみんなに公表しないと駄目なんじゃないかな!」
「公表、すると思うか。皆の前で」

 言われて、自分が苦々しい顔をしている自覚があった。
 言っている志朗お兄ちゃんも同じような顔をしている。多分僕達兄弟、そっくりな表情をしている。誰かがこの廊下を通り過ぎたならそう茶化してくれたかもしれないけど、ムードを和やかにしてくれる人は一向に現れてくれなかった。

「隠し子を晒し者のようにするかもしれないし、あの子を……汚物として闇に葬るってこともありえるぞ」
「志朗お兄ちゃん、なんでもかんでもマイナスに考えちゃ駄目だよ。『新しい仲間が増えました!』って明るくお祝い報告をするべきだと僕は思うな」
「華やかに出来る訳がないだろ。明るく言ったとしても、一瞬で事務的に済ますかもな」
「むぐぐ……そ、それはそれで良いんじゃないかな。事務的ってことは判りやすくて。あの子を受け入れやすい土台を作ってくれたと思えばさ!」

 別に志朗お兄ちゃんも僕の言うことにいちいちイチャモンをつけたい訳じゃない。
 けど事実、そういった頭の固い人達がいるのを見越して口にしてしまうだけだ。

「『新しい家族が増えました』ってみんなで歓迎してあげなきゃ、火刃里くんが可哀想だよ……」
「……新座は優しいな。お前はもう火刃里くんと仲良しになってるのか。既に新座があの子に迎えられているなら良いか」
「えっ、僕が迎えられてるの? 僕らが迎えてあげるんじゃなくて?」

 ――二人でそんな会話をしながら、コタツのある部屋に戻ってくる。
 相変わらず部屋の隅っこに旅行鞄の荷物が追いやられ、散乱していた。
 それにしても、この寺で住むための荷物だというのに鞄があれだけというのは『鞄ぐらいで収まる全財産』ということを示しているように思える。何だか彼の悲しさを物語っているような気がした。
 ……ううん、これからここで財産を築いていけばいいだけの話だ。
 彼の小ささを確認しながら、無邪気な火刃里くんの顔を暗いものにしたくないと思いつつコタツ部屋の障子を開ける……と。

「にゃっ、おじさんひっさしぶりー」

 まるで亀の甲羅を背負ったかのように、コタツで全身を暖めている猫のような少年が挨拶してきた。
 みずほくん。藤春叔父さんの三男坊。
 まだ中学生の彼は、終業式が終わった翌日……つまりは明日の昼間に帰省予定だった。だけど藤春叔父さんが急な呼び出されをされたので、彼もいっしょについて来ていたんだ。

「あ、ああ……お久しぶり、みずほくん。もう帰って来られたんだ、藤春叔父さん」

 みずほくんが居るってことは、藤春叔父さんはきっと今頃大山さん達と重要なお話をしている筈。
 ……で、みずほくんがグデーンとコタツで足を伸ばして寝そべっているってことは、そのコタツの中に『例外の彼』が居ないことを物語っていた。

「にゃー、実家に帰る用意は昨日のうちに終わらせてたからねー。終業式が終わって直ぐ帰るぞって言われた時は焦ったけど……っていうかにゃー、こっちなんでこんなに寒いのさ」

 都心に暮らす人間にとって、北関東の山は大分寒いらしく、みずほは猫のように丸まってコタツの中に入っていく。

「新座さん。お父さんがずっと電話でグチグチ言ってたみたいだけど、何かあったのー?」

 何かあったし、これからもあるというか。
 ……そうだ。藤春叔父さんは、緋馬くんの保護者でもある。今はこの部屋に居ないけど、彼も一緒に寺に帰省している筈だ。
 そういえばあの子も『あの人』の息子だった。
 火刃里くんは、緋馬くんの弟になる子。父親があの人だって確定してるんだ。間違いなくそうなる。
 緋馬くんの父親は柳翠様。彼の母親は、彼が生まれてすぐに亡くなったと聞いている。なら、昼間に会った女性は彼とは無関係。だが父親が同じということは……腹違いの兄弟になる。
 柳翠様も、達者な生き方をしてらっしゃる。あまり尊敬はできないが。
 はあ、この状況を緋馬くんは一体どういう風に捉えるのか。どんな気持ちで火刃里くんを受け入れ、打ち解けるのか。仲良くなれるのか、分かり合えることはできるのか。……今は、検討もつかない。

「あのさ、みずほくん」
「はーい?」
「ここに……その。男の子いなかった? みずほくん達と同じぐらいの年の子がさ」
「誰のことですか? 月彦さん? 学人さん? お客さんの子?」
「む、むぐー、ゲストというかなんというかー! でもお客さんじゃなくてー!」
「新座、落ち付け。……とにかく、俺がここにいた時にいた子供なんだが、お前達が知らない男の子だ。その子はここにいなかったか?」
「ボク達が来た時は誰もいませんでしたよ」

 お兄ちゃんと二人、顔を見合わす。
 なんだか、嫌な予感しかしなかった。

「志朗お兄ちゃん……あの子、出歩かせていいと思う?」
「出歩く分にはいい。人間の敷地内だからな。ただ、十歳ぐらいの子供がこの屋敷の内部を把握なんてできないだろ。道案内ならぬ部屋案内係が居ない限り、初めて来た奴なら確実に迷子になるぞ」

 外部だった人間とすれば、更に。
 ……たとえ今日から内部の人間になるとしても、まだ。凍死しなきゃいいななんてお兄ちゃんは不穏な独り言を口走った。



 ――2004年12月25日

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 /6

「あっれ? ウマ、今日帰ってくる予定だったの? なんかめっちゃ久しぶりじゃん!」
「お久しぶりです、月彦さん……」
「って? んん? 後ろの子、誰? オレ、月彦っていうんだけど。えーと……お名前、言えるー?」
「オッス! おれ、火刃里っ!」
「おーおーおー、偉い! ちゃんとご挨拶できる子だなー!」

 仏田寺の廊下は壁が無い。縁側を覆うものが無いから、雪が降りそうなほどひんやりとした冷気が板の間をずっと駆け巡っている。
 靴下が無かったら棒のように感覚を失くしてしまいそうな足を我慢して歩いた結果、子供と付き合いが良さそうな月彦さんに会えた。良かった。誰かしらガキの相手ができる人を探していたから、本当に助かった。
 生まれたときからこの寺に住んでいると言っていた月彦さん(住職・松山さんの息子で、俺なんかより火刃里の質問に答えられそうな人)なら安心して任せられる。
 雪が降りそうな寒さには慣れているのか、大袈裟な上着も纏わずジャージ姿で廊下を歩いていたところに火刃里を投げる。ボールのように軽いチビは、そのまま月彦さんの胸に収まった。

「ありゃー? 靴下を重ね履きしてないだろ、お前さん。指先が寒くないか? 大丈夫?」
「ん〜っ。寒いけど大丈夫だよ、つっきー!」

 俺の横暴な投げ入れを気にせず、火刃里は出会って一分の月彦さんをいきなり愛称で呼び始める。
 これでも俺なりに気を遣って廊下に出るときはマフラーを巻いてやり、外に遊びに行くのと変わらない装備にしてやったのだが。
 そこは生活の知恵を発揮する月彦さん。「寒いんだから対策を練らないと駄目だぞー」なんて、火刃里の首にぐるぐる巻きされてただけのマフラーを一からしっかり結んでやっていた。
 ……まあ、本当は俺も火刃里に上着ぐらい袖を通してやりたかったんだが。部屋の端にある鞄から取り出そうと思ったのは、廊下を出てからだし。長期旅行にでも行くのかって荷物だったからコートぐらいあっただろうけど、それを見つけてやるより誰か面倒を見てくれる人を探す方が先だったってことで。

「で、何? どうしたのウマ?」
「そいつの世話、お願いします。俺はコタツに戻ります」
「は? オレが世話すりゃいいの? 判ったよ」

 そこで「なんでオレがしなきゃいけないんだよ」や「なんでお前はしないんだよ」とも言わずにオーケーする月彦さんは、優しい人だと思うべきか人が良すぎると言うべきか。
 それはともかく、そんなにコタツ部屋から離れないで誰か良い人を探せて安心した。すぐさま暖かい畳の元へ戻ろう……とすると、セーターの端をぐいっと引かれる。
 さっき月彦さんの元へポイっと投げた火刃里が、いつの間にか俺の裾を掴んでいた。

「もう冒険終わりなのーっ?」
「……俺は急用があってな。今すぐこの足を暖めないと死ぬっていう用事ができたんだ。離してくれ」
「えーっ!? 死んでもいいからいっしょに冒険しようよーっ!」

 こいつ、何言ってんの。
 ニカッて笑ってとんでもないこと言ってるけど、その真っ直ぐな目からして……何も考えずに口走っているのだけは伝わっていた。そして後ろの月彦さんは、火刃里のそんな言語センスが大変ウケたらしく、腹を抱えて笑っている。「お前、面白い奴だな!」と相当気に入ったような声で火刃里を褒め称えていた。
 よく判らなくても自分が褒められたことに喜ぶ火刃里は、「えへへーっ!」と笑っている。けど笑う月彦さんに振り返った瞬間、違うものが目に入ったらしく、すぐさま廊下をぱたぱたと駆け出していった。……俺の裾を掴んだまま。

「ねぇ、兄ちゃん! あっちのでっかいお家ってなーにーっ!?」
「……知らねーよ」
「じゃあつっきー! なーにー!?」
「あれは光緑様のお屋敷。あそこで勉強するんだ」
「おおっ、つっきー物知りだっ! すげぇっ! ねえねえあっちは!? あっちも勉強部屋!? こっちのお家にいっぱいお部屋があるのになんで勉強部屋であんなおっきいお家使うのっ?」
「当主様はお勉強にいっぱい道具を使うんだよ。だから大きな部屋じゃないと困るんだ。ちなみにあそこは『工房』って言うから覚えておくよーに」
「みつのり様ととーしゅ様は違うのっ!?」
「ああ、すまんすまん。同じだよ。当主様っていうお仕事をしている人が光緑様っていう男の人なんだよ」
「だってさっ! へへん、知ってた兄ちゃんっ!?」

 知ってるよ。ていうかなんでそこでお前が偉そうにドヤ顔するんだよ。

「いっぱい道具でお勉強って、理科の実験とかすんのっ?」
「そう、理科の実験室みたいなカンジ。残念ながらオレは分家だから一生入ることないし、よく知らないんだけどな」
「あっ! ブンケだ! 兄ちゃん、つっきーはブンケだよ! 遠い人だっ!……お家の中のお家なのに入っちゃいけないのーっ?」
「火刃里だって自分だけの部屋に入られてあさられでもしたら怒るだろ。だから入っちゃダメ。身分が違うんだから当然だよ」
「ふーん。……あ、ネコだーっ!」
「この寺にはいっぱいいるから気を付けろよ。あんまり調子乗ると集団で引っかかれるから。あいつら大勢で襲いかかってくるから気を許すなよ! 困った時はみずほを呼べ、直ぐに逃げてくからっ」
「なんでっ?」
「なんで。…………なんでだろうな?」

 そんな話をしながら、月彦に次々と尋ねていく火刃里は……一向に俺のセーターの裾を離そうとはしなかった。
 なんでも火刃里はあのコタツの部屋で「待機していろ」と新座さんに言われたらしい。だが新座さんは違うおじさんを一緒に出て行ってしまい……出されたお菓子も食いつくし……他に娯楽も無かった火刃里は、退屈を解消したくてたまらなくなったようだ。
 確かに小さな和室に篭っているよりも、冒険好きな無邪気な子供なら一度も来たことない大きな空間を探索することは楽しいに違いない。俺もつまらない時間を過ごす子供の気持ちは理解できる。でも、大声で話し掛けてくるようなガキとおしゃべりできるほど俺は器用じゃなかった。
 今なら月彦さんが救世主に見える。見ず知らずのガキ相手に飽きずにニコニコ話を聞いてやっている姿を見ると、なんていうか……人間の出来方が違うと思い知らされた。
 流石、付き合ったカノジョと長続きしている人なだけはある。

「おおっ、つっきー! あれは何っ? 何だか体育館みたいっ!」
「あれ? 道場のことか。体育館だって思ってくれていいよ。あそこは運動場みたいなの、武家屋敷ってヤツ? 一本松おじさんとか男衾さんとかが剣術の鍛錬に使ってて、オレも結構あそこでシゴかれてる。剣だけじゃなくて武術全般の修行の場だよ」
「へえ、つっきー……剣、できるんだっ?」
「そりゃこれでもオレは剣道部だからね。つーか、あそこで一本松おじさんに教えられてたから中学でも剣道部に入って……腕はそこそこってカンジ?」
「おれもやりたいーっ!」
「なに、お前も剣道好き?」
「剣道じゃなくても剣持ちたいっ! ザクゥーッとかバシュアーとかトッピロキーとかするっ!!」
「んー、真剣で斬らせてくれるのは子供じゃ無理かな。最後のはよく判らないけど、危ないことは修行してからじゃない駄目だぞ。じゃ、明日にでも一本松おじさんに言ってみたら? 初心者モードで教えてくれると思う。ちょっと怖いけど、弟子には優しい良い人だから。今ちょっとみんな忙しそうだったから落ち着いてからな」
「忙しいのっ?」
「ただでさえ年末で師匠も走るぐらいの忙しさだからな。まさかクリスマス準備が忙しくてって訳は無さそうだし、何か大事件でも起きたんじゃないかな? 知らないけど……まっ、聞いてみれば判るか。ちょっと待ってろ。……ああっ、すいませーん、さっきからなんかバタバタしてますけど何してるんですかー? そんなに焦ってどうしたんです、新座さーん」



 ――2004年12月25日

 【 First / Second / Third / Fourth / Fifth 】




 /7

 現当主・光緑様の弟・柳翠様の息子は一人だけ。十五年間以上、信じられていた仏田寺の常識。だが本日、その考えは突如覆されてしまった。
 突然の、火刃里くんという子供の到来。一人しかいないと言われていた柳翠様のご子息が、突然増えた。

 仏田の男達は三人まで後継者を作ることになっている。
 別に三人以上作ってもいいんだけど、生かされるのはまず三人まで。だから未だ一人しか子を成していなかった柳翠様は、常々「後継者を作れ」と言われていた。いつか大きすぎる声に負け、渋々でも子を作ると思われていたのに……まさか、十年前に責任を果たしていただなんて。

「慧。赤紙は無いが重要な『仕事』だ。火刃里くんのことを教えてくれ」

 やや腰が低く、和やかな笑みの大山さんに「任せた」と口頭で任された『仕事』。今回の『仕事』は幽霊退治ではなく、身辺調査だった。
 僕は遠目で父・一本松に清めの間へ連れられて行く少年の姿を見る。元気そうなお子様だった。あれの正体? 柳翠様の隠し子だって? また調べ物か。うんざりだよ。生死をかけた幽霊退治や地下に入るよりは良かったけれど。
 だって今日は12月25日。クリスマス当日なんだ。日本では恋人の日と認識されている日だというのに……。早くこの急用を終わらせて、今夜はいっぱい恋人生活を謳歌するんだ。さっさとノルマをクリアして、先生と長い旅行でも計画したかった。
 僕は知っていることを口にする。

「あの子、人間ではありませんよ」

 頭に思い浮かべたことを、そのまま大山さんに告げる。

「……慧。その心は?」
「え? その心はって……そうだって知ってたから、言っただけですけど、すみません」
「…………。言葉が悪かったね、慧。改めて、『仕事』だ。『火刃里くんが何者か、しっかり身辺調査してこい』。……これでいいかな?」
「……はい、すみません」

 ――僕の能力は、非常に使い勝手が悪い。
 僕には知っていることがある。でも知らないことも多い。調べたことのないものが判るけど、調べたことがないものは判らない。部分的に使える全知の異能……それは『上層部』がとても評価して頼ってくるけど、思った以上に便利な能力じゃない。
 まったく、自分の言葉ながら『人間じゃない』から何だ。人間じゃない人間なんてこの世界には大勢居る。僕の一族だって半端者だらけじゃないか。……ちゃんと人の言葉で判る形でまとめるには、順序を追って調べていかないと。僕は溜息を吐きながら、石段を視ていたという使い魔の記録を見つつ、山を下りた。
 使い魔の視ていたのは、女性と男子。使い魔の視点を借りて、女性の姿を見る。化粧の濃い若い女性だ。この女性は誰だ? ……名前は、田仲喜子(たなか・よしこ)。うん、判った。じゃあこの田仲喜子って誰だ? ……判らない。
 こんなもんか。実際に僕が見たのではなく他人の視界を借りただけで名前がヒットしたなら、大した収穫だった。
 じゃあ次のことを考えよう。火刃里くんという少年が持っている旅行鞄。どこの物だろう。
 これ、旅行鞄じゃないな。結構デザインが良いから気付かないけど、これって……学校指定のボストンバッグじゃないか? ならこの学校のロゴ、どこの? ……知ってる。ここから三時間ほどバイクを走らせたところにある小学校。道は? ……知ってる。行くこともできる。
 よし、この調子なら半日で全部判りそうだ。きっちりと仕事を終わらせてしまおう。
 それにしても、旅行か。何気なく考えてみたけど良いかもしれない。師走に入ってから先生も忙しくて疲れも取れない日々だ。それなら温泉に連れて行くのはどうかな。二人きりの旅行。きっと喜んでくれる。『仕事』が終わったら必ず旅行のパンフレットを持って帰ろう。
 心に決めながら、今日を励むことにした。

 上機嫌でバイクを走らせ、辿り着いた町はごく普通のありふれた日本の風景だった。彼が過ごしていたであろう環境を探っていく。純粋に足を運んで、人に話を聞いて、僕の『知ることが出来る』能力を使って。
 そうして僕は古い木造アパートに辿り着いた。表札を見ると、先程の『田仲』という名が書き込まれていた。
 田仲 火刃里。
 ここが彼の居た家か。
 発見したからといって、何をする訳でも無い。「火刃里くんのお母さんは居りますか?」って訪ねに行かない。僕はあくまで身辺調査をするだけで、お母様を連れ戻すことではないんだ。そもそも自分の能力を無駄に使用したくない。人の過去をあらうのは仕事でも、決して趣味ではないんだから。言われたこと以外はしない主義なんだ。

 ……それでも、ちょっとは気になっていた。
 大山さんに聞かされたこと。新座さんが話されたという、火刃里くんのお母さんの言葉。

 ――私には、この子はもう育てられない。
 ――この子は、この家の柳翠の息子である。
 ――火刃里の家はここだ。だから今日からよろしく頼む。

 そう言って、火刃里の母は去って行ったという。
 全財産と共に、仏田寺に預けられた。
 ……母に、捨てられた。大山さんは出かける前の僕に、「息子を捨てていったんだから、出会ったら割れ物を取り扱うようにするんだよ」と丁寧に言ってきた。そんなこと、無神経な僕にだって察せる。デリケートな問題だ、言われるまでもなく接さないさ。
 考えていると、遠目に見ていた木造アパート一階の中部屋(これでもかってぐらい安い物件に見える)からを女性が出てきた。
 女性は使い魔が視ていた通り、品位が問われる茶髪。冬場だから上着を羽織ってはいるが、中はきっと派手な服装をしている。
 見るからに、夜に生きる女性。
 電柱の影でコソコソとアパートを見てなどいない。ちょっと離れた場所でバイクに跨って、携帯電話を開いた状態で、彼女の外出を確認しただけ。ヘルメットも付けっぱなしだから、僕のことは「何気なく休憩している通りすがり」にしか見えない。
 見張られていることなど知らず、女性は僕のことなんて全然気にしないで、カツカツとヒールを鳴らし歓楽街の方向へ消えていった。
 ……あれが、子供を捨てた母か。
 彼女はこれから仕事かな。今の僕と同じで、義務感で働かされているような顔をしていた。



 ――2004年12月25日

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 /8

「えーと、という訳でねー。彼は、緋馬くんの弟にあたります、火刃里くんです」

 新座が中心になってコタツの間にて、少年の紹介を始める。
 全員コタツに足を突っ込んで一人の少年を見る。紹介された緋馬、みずほは無言のままだ。注目されている火刃里も口を閉ざしてしまっている。火刃里とすっかり仲良くなったらしい月彦も、普段はおしゃべりな小僧だが今ばかりは大人しくしていた。
 暫し、無言の空間となった。

「ほ、ほらほらっ、お互い自己紹介しなきゃっ! 緋馬くんとみずほくんと月彦くんもよろしくっ!」

 必死な新座の声に後押しされ、この中では一番年上で優等生な月彦が口を開く。

「さっき自己紹介したけどもう一度してやるよ、ちゃんと聞けよ? オレは住職補佐・松山の次男、月彦だ。さっきと継続して、つっきーって呼んでいいぞ。ちなみに俺は分家筋の人間だから位も無い、ただのプーだ」
「むぐっ。あのさ、位までは教えなくていいんだよ……」
「ええっ、でも新座さん。『自己紹介をするときは必ず言え』って狭山様は言ってるよ?」
「むぐ〜、そうだけど〜。狭山さんはそう言っても子供同士にはあまり必要無いことだし……」

 新座の懸命さが可哀想に思えてくるぐらい、子供達は気遣いをかわし続けていた。
 そんな新座に「判り易くていいじゃないですか!」と笑う月彦は、フォローのつもりで言ってるのか。それでも新座はガックリと肩を落としている。

「ボク、みずほって言います。藤春の三男、刻印未所持なんで位とかそういうのありませーん」
「むぐ、あのさぁ……」

 さっき注意したばかり新座の意と反する自己紹介をするみずほ。
 みずほの場合は……月彦のように忠実に上の言うことを聞いて自己紹介をしたというより、意地悪く茶化したように思えた。
 みずほは部外者で、斜に構えた藤春さんの息子だ。自分の身分を言わなければならない自己紹介を馬鹿にして口にしていてもおかしくなかった。

「あのさっ! にーざおじさんっ! えっと、『位』っていうのは偉い順番ってことっ?」
「むぐっ……そ、そう。そういうことだよ」
「にーざおじさんは何位なのっ?」
「僕は……二位。六十三代の二位。僕のお父さんが、現在……第六十二代目のお寺の偉い人で、一番。僕は次の世代の、二番目なんだ」
「おお〜っ、つえ〜っ! ってことは、にーざおじさんのお兄ちゃんの、しろーおじさんが一位っ?」

 …………。
 まあ、普通そう思うよな。

「……いいや。志朗お兄ちゃんは一位じゃないよ。色々あってね、一位じゃないんだ……」
「んんっ? 生まれた順番じゃないのっ? ワケわかめーっ。どうなってるのつっきーっ!?」
「一筋縄じゃいかない世界なんだよ」
「うう〜っ。じゃあ、おれは何位になるのっ?」
「むぐ、それは……」
「…………お前、生年月日は?」

 今まで口を閉ざしていた緋馬が、火刃里に尋ねる。
 彼らしいいつもと変わらぬ声のテンション、何の感情も含まない声だった。

「おれっ? 1989年11月6日っ、射手座だよっ」
「みずほは?」
「1989年8月13日……。あ、同い年だ」
「みずほの方が三ヶ月早いな。じゃあ、みずほの方が偉い。刻印があったら火刃里の方が偉い。みずほには刻印が無いから」
「むぐぅー! だからぁ、偉いとかそういうのはぁ……!」

 モゴモゴと新座は濁そうとするが、実際そういう風にカウントされる世界なのだから強く言い放つことは出来ず、むぐむぐ唸るしかなかった。
 俺はすかさず新座の頭をぽんぽん撫でる。……なんとなく撫でてやりたい気分だった。

「えっとえっと! おれ、ちゃんと自己紹介するねっ! 名前は、火刃里でっす。こんな所にお泊まりするの初めてでどきどきしてますーっ」
「あんまり旅行とか行ってないの?」
「こんなに遠出したの初めてだよ、つっきー!」
「遠出が初めて? 旅行でもこっちの方に来なかった?」
「学校って遠足しかなかったのっ。オレが通っていた学校、遠くに行く旅行が無かったからさ、良心価格っ! でもってその学校は辞めてきたって言うしっ」
「学校を……辞める?」
「うんっ。お母さん、そう言ってたよっ!」

 確かに火刃里が言っていた元住所は、この寺から通える距離でない。
 その一言で『火刃里の事情』を察したのか、全員が暗い顔へと変貌していく。当の本人は顔を一切曇らすことはしないけれど。

「なんだ。じゃあ、火刃里。ホントにオレ達の家に住むことになるんだな!」

 唯一……月彦だけが、人一倍明るい声で火刃里と受け答えをしていた。

「だからそう言ってるじゃんっ! お母さんが『今日からここでお世話になる』って言ったもんっ。おれ、最初から言ってたしっ!」
「そっかそっか! じゃあさっきの案内はマジで役立つな……明日、明るいときにもう一回やろーな。一発じゃ覚えられないし」
「うんサンキューつっきーっ! 全然覚えてないから助かるーっ!」
「オイオイ、一応わざわざ教えてあげたんだから覚えとけよー!」
「――君が、火刃里か」

 突如。この中に合わない、大人の声が響く。
 いつの間にか襖が開かれていた。そこには、みずほと緋馬の保護者である藤春さんが立っていた。

「わいわい楽しくやっているとこ、わりーな。おじさんも火刃里……くんと、話がしたくって」
「むぐ、どうもこんばんは……。えーと、火刃里くん、この人は君の伯父さんだよー」
「んっ? おじさんも、おじさんなのーっ? いっぱいおじさんがいるからもうわかんなーい」

 今日だけで火刃里は何十という人間達の紹介を受けているだろう。もう覚えられないというかのように、ゲンナリした顔のまま頬を膨らます。

「俺はお前の伯父さんだ、火刃里。名前は藤春、お前の……お父さんのお兄さんだ」
「……ふえーっ?」
「伯父さんにもお前のことをもっと教えてほしい。何度も何度も同じことを訊くようで悪いけど、もっと大勢のおじさん達に自分の事を話しに来てもらってくれないかな?」
「またお尻ペロンってするのっ?」
「……。ああ、確かお前の刻印はケツにあるんだっけな……。見せてもらうし、これからどうするかを話し合おうか。窮屈な時間だと思うが、これから年末に向けてゆっくりするためにも来てほしい」
「うーっ……」

 火刃里の目が、話している藤春ではなく……月彦の方に向く。
 「どうしたらいい?」という不安の目と、「一緒に来てもらえないか?」という懇願の視線だった。
 だが、月彦が首を振る。月彦はこの家の仕組みを生まれたときから仕込まれているからこそ、今の場がとても重要だと感じ、自ら首を振っていた。

「怖いこたぁしないよ。訊かれたことに素直に答えればいいし、見せろって言われたらケツでもアソコでも見せてやれ」
「むーっ。さっき一本松っておじさんがおれのあそこペタペタ触ったんだよっ、えろーいっ!」
「その後に変なことされるか否かはお前の魅力と才能次第だ、あっはは」

 あまり笑えないことを月彦はあっけらかんと言う。案の定、笑う人は一人もいない。
 火刃里は不満そうな顔をしつつ、一度緋馬を見て……藤春に手を引かれ、部屋を出ていった。
 複雑な表情と空気が、コタツの温かい部屋を満たす。みずほが緋馬の顔をおそるおそる覗き見ていた。

「……ウマちゃん、弟が出来ちゃったね?」

 おそるおそる訊いたのは、他の連中に比べて無口な緋馬がより口を閉ざしていたからだった。
 それを気にしながらも、緋馬より先に火刃里と親しくなった月彦が緋馬に尋ねる。

「正直、今のキモチ……どう思ってんだ? 弟がポッて出てよ」

 緋馬は暫く黙り、目を瞑り……何にも気にしていないような顔をして潜っていたコタツに顎を置いた。

「いつか弟は出来るんじゃないかと思ってた」
「……へえ?」
「この家は、出来る限り三人まで子供を産むんだろ。女が産まれるまで。女を産まなきゃいけないっていう決まりがあるから。だから……俺を男一人だけで終わりとか、それは無いと思ってた。絶対に」
「……むぐ。そうだね、どんな形であれ……直系一族の柳翠様に希望を託されて、二番目と三番目が公表されたと思うよ」

 それは、誰もが敢えて言葉にせずとも思っていることだった。敢えて声に出して言った新座は……妙な気持ちが残る羽目になっている。
 人の命を数字で弁えているから成り立つ式。数字で考えている世界で生まれてきてしまったから、『仕方ない』と慣れるしかない事情だった。



 ――2004年12月25日

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 /9

 完全に日が落ちて真っ暗闇となった冬の夜。僕はある保育園に顔を出していた。
 近くにある小学生を迎える学童保育も開いている、そこそこ大きめな保育園だった。学校が終わっても家に帰らず(帰れず、も多いんだろうけど)保育園で遊んでいる子供達が沢山居る。そんな元気な庭から離れた、職員室を訪れた。
 人の良さそうなおばさん先生が、僕を怪しもうともしないで着席を勧めてくる。「お茶はどうだ」「お菓子を出せなくてごめん」などとお節介なことをぶつけてきたので、なかなか本題に入れなかった。

「火刃里くんねぇ。あの子は本当に良い子でしたよぉ。みんなの人気者で、いつも中心で笑っていました。何をするにも火刃里くんが一番で、男の子も喧嘩もするけどすぐ仲直り。女の子にも優しくて、そりゃあモテモテでねぇ。小さい子の面倒も良く見るし、大きい子から苛められてる子がいたら守ってあげたり。ここの先生は全員、火刃里くんと結婚することになっているんですよ。おほほ」

 もちろん私もその一人ですよ、とおばさん先生は笑う。
 おばさん先生の話を聞いていたのか、違う保母さんも話に入ってきた。

「お母さんの都合でお引越しするって聞いたときは、みんなショックでしたね。女の子達は泣いちゃって。でも火刃里くんは……お別れするとき、先生全員にチューリップを一輪ずつプレゼントしてくれたんですよ」

 保母さんは満面の笑みを浮かべていた。でもって男の事務員さんが、

「そのチューリップ、あそこの公園の花壇から採ってきたんだよ。最後の最後で怒られるなんて、火刃里くんらしいよなぁ。今からあんなに完璧な男なんだ、将来が楽しみだ!」

 なんて続ける。この人も笑っていた。
 みんながみんな、火刃里くんのことを良く言う。
 みんなから好かれる存在。子供ながら憧れる存在。多くの人から話を聞いても、僕も見たことを思い出しても、火刃里くんは「完璧に近い人間」だと思えた。
 全知ではない。それでも完璧。……あまりに完璧すぎて正直、現実味の無い印象さえ抱いてしまうぐらいに。

「真っ直ぐに育ってくれて。……あんな家庭なのに、本当に良かったねぇ……」

 笑みを浮かべていたおばさん先生が、今度は悲しそうに微笑む。それを聞いて保母さんも、事務員さんも暗く笑った。
 どうしてそんなに暗くなるんです? 尋ねると、全員気まずそうに話してくれた。……あまりに暗くなってしまうから、要点だけをまとめてしまうと……一人っ子(と思われていた)の火刃里くんは、あまりお母様から愛情を与えられていない子だったらしい。
 保育園の頃から夜遅くならないとお母様は迎えに来なかったらしく、小学校に入ってからも学童保育で面倒を見なければいけないぐらい。親族は居らず、誰も彼を相手にすることが無かったそうだ。お母様以外に家族と呼べる人も居ないそうで、そのお母様も、時々迎えにさえ来ない日もあったという。
 迎えに来なかった夜はどうしていたのかと尋ねると、保育園と併設して家を持っている園長先生のお家で預かっていたらしい。そうするしかなかったという。
 保育園に来る前から、この辺りは日雇い労働者が多い地域というのは知っていた。
 歓楽街も特別美しいネオンの園とは言い難い。だからそういうサービスを提供しなければならないケースも時々はあっただろうが、火刃里くんは頻繁過ぎだ……と皆が口を揃える。大抵の、夜遅くまで働く女性は夜間のサービスをありがたがって来るという。でも火刃里様のお母様は「そのサービスを使うのが当然」と思っている節があり、しかも相談や連絡も一切無いという、先生方側からすると「困ったお客さん」だったそうだ。
 どんな人? ――約束は果たさない。お金は払わない。お礼もロクに出来ない。敬語が出来てない、などなど。
 たった数分だけだというのに不真面目な女性を説明される。それだけなのにこの顔の曇り様。相当悪かったということだ。
 けど、三人は続けてこう言った。

「それでも火刃里くんはとても明るく、真っ直ぐな性格に育った。本当に良かった」

 あんな母親をもって性格が歪まなくて良かった、と言いたいのか。元お客様だったから敢えて口にしてないけど、酒でも入ったら絶対に喋りそうだった。

「どうしてあんなに良い子に育ったんだろう。きっとお父さんが良い人だったんだね。そうに違いない」

 ついには、そんなことを話し出した。
 その父親は火刃里くんの存在を十年以上隠し続けたんだけど。出会っても父親らしい顔をするのか知らない。あまりに火刃里くん賛美の流れだったので、なかなか言えなかった。

 ――女性が仕事場である歓楽街に消えて行ったのを確認。
 僕は、改めてアパートに……女性が出てきた部屋の前に立つ。
 古いアパートが密集した地域。見たことない顔が立っていても「引っ越して来たんだ」って思われる。そもそもこの地域の人は他人のことなんて気にしていない。
 日も落ちてきた時間帯、照明もあって無いようなアパート。人はなかなか僕を認識することは出来ない。
 扉の前からちょっと離れた、住宅スペースの壁に手を触れた。ポウ、と光をその場に置く。呼吸を整え、高速で式を詠唱。そして一気に、『引っこ抜く』。
 その場にこもった記憶を頭に叩き込んだ。

「……おしまい」

 アパートの一階に僕が居た時間は、たった一分。塀も何一つ無い安物件は、犬の散歩の人だって自由に通って去ることが出来る。
 ちょっとだけ立ち止まって、壁に手を当てて、居なくなるだけ。それだけで仕掛けはおしまいだ。
 条件を絞った過去視は、そう難しいものではない。

「でも疲れた。ココアでも飲もう……」

 アパートに近い自動販売機の前にバイクを停めて、跨ぎながらココアを買う。
 温かい飲み物でほっと一息つきながら、頭に叩き入れた空間の情報を見た。

 新座様のように、隠された事実の裏側を全て見るほど大きなものじゃない。隠された事実の裏側を、ほんの少しだけ覗ける程度の超能力だ。
 でも新座様の場合、巨大な力を自分でコントロールできない。僕の場合、小さいが多少なりともコントロールが効く。新座様は『本部』にとても重宝されているようだけど、扱えない巨大な力と、扱える小さな力だったら後者の方が『本部』的には都合が良い。僕の力はちょっとしか使えないし精度も中途半端だけど、自在に扱えるからこういった情報収集によく使われる。……迷惑なことに。
 幸い僕は能力を使うことで支払う代償も少ない。……僕の機嫌が悪くなるぐらいで、ご機嫌取りさえしてしまえば何でも出来る僕は都合の良い道具として見られていた。

 で、問題の火刃里様の身辺調査だが。
 僕の頭の中には、狭いアパートの一室が広がっていた。壁越しに引っこ抜いたあの空間の記憶が次々に再生される。
 女性の衣装や化粧品、装飾品が部屋の多くを占めている空間。家具はロクなものがなく、段ボールに入った物を使う生活。ゴミは出されているようだから汚い印象は無い。が、綺麗な部屋とも言えない。
 その中に影が二つ。女性と、火刃里くんの姿。
 火刃里くんは、ワンルームの部屋の端っこに追いやられて寝ていた。
 「追いやられて」という言い方は厳しすぎるか。小さな布団が部屋の端っこにある。……だけ。
 端っこにあるだけ。しかもその小さな布団の上には、彼が眠る以外にバッグに入った荷物が置かれている。眠る場所を占領されて、小さな火刃里くんは更に小さくなるしかなかった。

「……あれ?」

 ある日の火刃里くんは、そんな風に身を丸めて寝ていた。
 では次の日の火刃里くんは。……身を丸めて寝ていた。
 その前の日の火刃里くんは。……身を丸めて寝ているだけだ。

「……それしかない?」

 僕は色んな日の記憶を見た。イメージ的には、脳のビデオデッキにありとあらゆる日付けのテープを入れては早送りして見て、出して入れては早送りして見て……。その繰り返し。
 だというのに、火刃里くんの姿は変わらなかった。
 ああ、なるほど。彼は、寝床としてしかあの部屋を使っていなかったんだ。
 あれだけ評判の悪い女性だ。「あたたかな家庭」なんて用意してくれなかったんだ。
 当然の如く、「食事を用意する母親の姿」は確認できなかった。彼女は外で食べて帰ってくるみたいだ。もちろん火刃里くんも外で食べてくるんだろう(大山さん曰く、異常無く健康な体っぽいし)。
 部屋で遊んでいる姿も無い。この部屋で遊ぶことも無い。何故って、外に行けば友達と遊べる。彼はお友達や周囲の大人から人気者だった。わざわざ辛気くさい家で遊ぶ必要なんて無いんだ。
 勉強だって家でしない。学校でみんなと楽しくすれば良いこと。宿題だって学童保育のおばさん先生達が見てくれた方が捗る。こんな狭くて暗い所でやらない方が良い。

 僕は、「一人ぼっちで暮らしている二人の母子」の図をぼんやりと眺めていた。
 その光景は、平和だった。
 多くの年数の過去を見続けたが、火刃里くんは虐待されてはいなかった。大山さんが一番気に掛けていたことだったが、ほっと安心させることは出来そうだ。
 殴られたりと暴力を振るわれていない。厳しい言葉で虐げられてもいない。ただただ、寝床として布団で眠る少年と、保護者だからと同じ部屋で寝ている女性の映像を見続けた。
 なんだ、火刃里くんは……こんなに平和な生活を送っていたのか。
 おばさん先生達曰く、毎日楽しそうに笑っていたそうだ。誰からも好かれる人気者で、健康そのものの体だったらしい。学校の先生に指摘されるほど頭が悪くもなかったという。そんな充実した日々のどこが地獄か。
 僕が見る限り完璧な生活。母親に傷を負わされることもなく、すやすや眠りにつく彼。人から「不幸だ」に思われるぐらいで、何の変哲も無い平和。
 仏田寺に来ない方がずっと幸せに暮らせたのに。お可哀想に。
 これからはどんな苦痛も喜んで受けなくちゃいけなくなるぞ。お可哀想に。
 ただ、家族はいっぱいできる。余るぐらいに。百人いっぺんにできるけれど。お可哀想に。

 ――そもそも母親って、どんな感情で接するべきなんだろう。

 ふと、そんなことを思った。だって僕は母親というものをよく知らない。
 僕の母は……高名な能力者だったと聞くが、ろくに話をしたことはない。僕の兄弟、三つ子を産んでしまった彼女は……『仏田の子は三人まで』という家訓に則り、きっかりと役目を終えて寺から去って行ってしまったから。

 仏田一族になるべく血の契約を交わした能力者達の女は、一族の男と交わり、母になる。
 だが僕の母は少し特別で……祖母の清子様に推薦され、違う名家からやって来た能力者だ。
 彼女は仏田一族にならなかった。だから仏田の血を外へばら撒く恐れもないし、仏田の研究に触れてもいないんだから『本部』が自由な暮らしを咎める理由も無い。
 ただ優秀な胎盤を一時的に貸してくれただけ。一本松の優れた能力者の子を三人、たった一年で産み終え、去って行った余所者。
 今は僕も瑞貴も陽平も知らない場所で暮らしている。親戚達の母親達とは違う世界で。

「…………」

 ココアを自販機の前で飲み干し、缶を缶入れへ。この間、三分あまり。
 ほんの数分休んでいただけの通りすがりに扮して、僕は『仕事』を終え、その場を去った。

 ――「帰り道に旅行のパンフレットを貰って帰ろう」と思っていたのに、何も持たずに山道まで戻ってきてしまった。
 ああ、しまった。今日はクリスマス。それ以降は魔術研究班の手伝いをして、数日過ぎたら年を越しちゃう。もしかしたら魔術研究の手伝いは年越しを念頭に置かなきゃいけないのかもしれない。芽衣さんはマイペースに魔道具開発をしてるからな、どう転ぶか判らないし。だから今日のうちにパンフレットを持って帰らなきゃいけなかったのに。じゃないと先生と旅行の話し合いが出来ないじゃないか……。
 一時間かけて帰った道のりだったが、今度は三十分程度で町に戻った。
 そんな回り道ばかりの結果、町はもう終わりの色。目についた旅行代理店も閉店しかけで、店の外のパンフレットを手に取るだけで終わってしまった。
 閉店作業をしていた店の人が、笑顔で「またのお越しをお待ちしております」。……その「またのお越し」は、山の奥で捕らわれる僕らにとって相当先の話。遠い未来の話を笑顔で向けられて、すぐに頷けないのが、ちょっと悲しかった。

 先生と旅行に行くためにここに来た。でも先生は旅行を持ちかけても、なかなか首を縦に振ってくれない人だ。「忙しいからまた今度」「そのうち行こう。絶対にだ」、いつもそう言う。
 でも「絶対に」と付けてくれるからいつかは行ってくれるんだ。僕が忘れた頃に「前の約束を果たそう」って言ってくれることが度々ある。
 そんな先生が、好きだ。
 デートができないのは、立場があって忙しい人だから仕方ない話なんだ。忙しいのに僕のワガママに付き合ってくれるなんて、先生は素敵な男性だ。今考えている旅行が実現するのは来年じゃないかもしれない。でも言い出さなきゃ実現しないんだ、必ず離さなきゃ……!

 と、僕は数分間一人で暴走。はっとしたらまた夜が濃くなっていた。
 いいかげん帰ろう、先生が好きそうな観光地のパンフレットを一通り鞄に詰める。そしてバイクを再度、仏田寺へ発進させる。今度は二時間ぐらい掛けて帰ろうかな。ふらふらあちらこちらを見る。
 と。
 例の女性の姿を見かけた。

「………………」

 なんだ、勤労に励んでいるんじゃないのか。
 夜遅くまで仕事で大変だなって思っていたのに、同じぐらい派手な男性(でも女性よりずっと若い)と腕を組んで、夜の町を歩いていた。
 あの人が、火刃里くんの父親代わりの人だった……? いや、とてもじゃないけどそうには見えない。親しく腕を組んで歩いてはいるけど、二人の間には微妙な距離が見える。付き合ってもそれほど月日が経ってないか、付き合うこと自体が「どちらかの」お仕事なのか。
 しかし、あんな姿を見たくはなかったな……。不真面目の噂が裏付けされちゃった。おばさん先生達じゃなくても火刃里くんのお母様の株を下げていると次の瞬間、鋭い頭痛が僕を襲った。

「ッ」

 人によっては叫び声を上げて失神するほど。
 痛みに慣れている僕でも、目にじわりと涙が滲む。ヘルメットを被っているから誰にも気付かれないけど。

「ッ、ッ……」

 女性と男性は夜の町ではなく……とある方向へ消えて行く。お家に帰るのか。これからが本番なのか。
 ああ、そうだ。本番だ。
 きっとこれから二人は。二人きりになって、そして……。

 ――頭痛の原因は、精神に直撃する強烈な記憶を見てしまったから。

 記憶、いや、まだどこかに記されたものではなく……これは……。

「未来……」

 これから刻まれるであろう、未来の記憶。

 僕の能力の一つである過去視は、『仕事』のたびに引き出している能力だった。だから感覚に慣れている。
 けど……今度は身勝手に未来視が発動するなんて。前倒しで見せてくれるだなんて、それほど強烈なものだなんて。
 滅多に無い現象に、一瞬混乱して、バイクを緊急駐車させた。頭を抱えるほどではないが、しても良いぐらいの痛みだ。
 だって今、凄まじい記憶が脳内を駆け巡っていた。
 凄まじい、未来の『世界の記憶』が、僕の中に弾けていく。
 でもそれだけ。未来にそんなことがあるんだと知ったところで、僕には何も出来ない。
 何も出来ない記憶だった。

「…………でも」

 僕に、正義感は無い。
 小心者で臆病。でも黙って見過ごすことも出来ないので、電話に手を取った。少しでも良い方向に行けばいいと思って。
 半分は、少しでも積極的な姿があるんだと先生に伝われば、僕を評価する目が良くなるんじゃないかという下心だった。



 ――2004年12月25日

 【 First / Second / Third / Fourth / Fifth 】




 /10

 突然「弟ができた」と言われて驚かない方が難しい。

 あんなに明るくて元気で無邪気なガキが俺の弟だなんて、言われて誰が信じる。言われた本人である俺は信じられないし、みずほや藤春伯父さんですら困った顔をしていた。
 火刃里自身は笑っていたけど、それだって最初……俺が兄だと判った瞬間、キョトンとしていた。
 多分、実感が湧かなかったからだ。「こんなのが兄?」と思ったに違いない。……別に俺がネガティブキャラに徹するつもりはなくても、あの表情を一瞬でも見てしまったらそう思わずにはいられない。

 正直、何を想えばいいのか判らない。

 俺の母は、俺を産んで次の日には死んだ。よく藤春伯父さんが話してくれた。その死を嘆き悲しんだ実父は、全てが嫌になって……子供を手放した。
 だから藤春伯父さんの家に住む、緋馬という少年がいる。
 だというのに。なんだって? 隠し子? 子供を作ったって? 実の息子だって? ……俺の実の弟だって?
 立ち直ったのか? どうでも良くなったのか? 十年も前から? 立ち直っていたのか? どうでも良かったのか? 十年も前から? ……さっぱり判らない。
 そんな繊細なものを判ろうとする上質な脳味噌は俺にはなかったし、考えるたびに眩暈がする繊細な俺の存在も実感していた。
 ……本当に、何を想っていいのか、判らない。

 コタツのある部屋に設置されたバカでかいテレビを無言で観ている。
 火刃里は藤春伯父さんに連れて行かれた。みずほもさっきの話題を気にしてか、俺に話を振ってくることはない。
 別に俺を無視しているのではなく、みずほもまた俺と同じ「何を想っていいか判らない」から無言を貫くしかなかった。
 ぼんやりとクリスマスの特番を見ていると、コタツの上に置いていた俺の携帯電話がぶるぶるとメールを受信した。おばさんからだ。
 キャリアウーマンってやつをしているおばさんは、いつも夜遅くまで働いている。仕事納めを迎えたら仏田寺に来ると言っていたが、まだ25日では……。
 と思いながら画面を見ると、「もう既に石段を上がっている」とメールに記してあった。

「なに頑張っちゃってるの、あずまおばさん」

 すぐさまコートに着替えて靴下を重ね履き、マフラーを巻くだけじゃなくきちんと結んで門まで駆け寄ると……石段を登り終えて門を潜り抜けた、あずまおばさんが立っていた。

「せっかく日曜を家族サービスに費やそうと思っていたのに、お出迎えは緋馬だけかい。ハハッ、みずほは冷たい子だね」

 パンツスーツの上から厚手のコートで寒さ対策をしている……のは、俺と同じ。ただあのアホみたいに長い石段を荷物を持って登って来るとなったら、クリスマスだろうが汗だくになってしまう。
 休みながらを心掛けて、俺へのメールで気分転換をしていたおばさんの判断は正解だ。あんな石段、一気に登ったら明日から筋肉痛になってしまう。明日は日曜日とはいえ、その翌日にはまた仕事に出かけるんだから、体を労わらなきゃいけないっておばさんは判っていたんだ。
 俺は暗い門の前、携帯電話の光を頼りにおばさんの表情を確かめる。

「みずほはね、もう寝ちゃってるよ。ご飯を食べた後、何にも話さないままでいたから。そりゃ眠くなるのも早いよね」
「なんだ、みずほが喋らないって。また気分を損ねるような馬鹿をしたのかい」

 石段下の駐車場からここまで登ってきたら息が切れるけど、ちっとも疲れた顔をしないで豪快に笑う彼女。
 それでも働いて、長距離運転をした後にここまで来たんだ。「荷物、俺が持つよ」って奪うように鞄を持たせてもらう。そのまま元居た屋敷の方に向かおうとすると、

「おっと、そっちはおばさんの行っていい場所じゃない」

 俺達が寝泊まりする屋敷とは別方向を指差した。
 来賓用の屋敷。洋館と呼ばれている西洋建築物。そこが、契約外の女性が宿泊できる場所。『間違っても事故が起きないように』と隔離された施設を指差して、ツカツカと闇夜を突き進んで行ってしまう。
 門の中から所々に灯りがあるとはいえ夜でも慣れた歩みのおばさんは、「元気が無いね」とすぐに俺の異変に気付いた。今度は俺の方が鞄を奪われそうになってしまった。

「おばさん。なんか、凄いことになったんだよ。きっと聞いたら驚く」
「へえ。ここで凄いことって言うと本当に凄いことだよね。おばさんに話していいことなら言ってごらん」
「……俺、弟ができた」
「たまげた」

 そう一言おばさんが呟いたら、ポツリ。空からと一雫。
 昼間のうちは寒くても良い天気だったのに、太陽が落ちてからは雲が頭上を覆い隠していたらしい。ポツポツと雨水が降りかかってきた。
 おばさんは俺が手にしていた鞄からすかさず折りたたみ傘を出すと、「おいで」とすぐさま俺を引き寄せた。女性物の折りたたみ傘で相合傘なんて狭くてどっちも濡れてしまうのに、それでも少しの距離なんだからいいだろうとおばさんは俺の腕を離さなかった。

「弟だって言われても実感が湧かないよ。どんな顔をしたらいいかよく判らない」
「いつ生まれるんだい? お兄ちゃんになる心の準備ぐらいできるだろ?」
「もう十年以上前に生まれていたんだってさ。みずほと同い年の弟だよ」
「そりゃあ、たまげるねぇ」
「……仲良くできる自信なんて無いよ。だって、いきなり弟だって言われて、ねえ?」
「そんな簡単に弟が増えるとなったら、すぐに二人目三人目って増えていくかもよ」
「そうなったら……たまげるね。どうしようかな」

 なるべく悲しくならないように、いつもの声色から変えないように呟いていく。
 雨はざーざー降りにはならなかったが、傘を差さなかったらそこそこ濡れてしまうぐらいには激しくなっていく。そんな中、家族の前で家族の悩みを話すなんて……出来るなら辛気臭いことはしたくなかったけど、つい口が止まらなくなっていた。

「おばさん。どうすれば実感湧くと思う……?」
「別に、実感を本物にする必要なんて無いだろう?」

 駆け足で洋館の玄関へ入り込む。
 煌びやかな庭園が広がっている洋館は、春に来たときは花がお出迎えしてくれる。でも冬でしかも冷たい雨の庭ではおしゃべりしている暇はないぐらい攻撃的な風が吹き込んでいた。
 すぐに扉を閉め、エントランスホールで水気を払う。
 俺までここに入る必要は無かったけど、話も曖昧に屋敷へ戻るのは嫌だったのでホールに立ち尽くしてしまった。

「あのね。そんな驚かされてばっかの仰天世界、慣れる方が難しいよ。理解が追いつかないのなら無理しないのが一番」
「……つまり、どういうこと?」
「実感が湧かないまま、夢見がちなままその子と付き合えばいいんじゃないの」
「……えっと?」
「だからとその子を言って苛めるんじゃないよ。苛めは心の貧乏な奴が寂しさのあまり過剰な接触を求めて手を汚す犯罪だろ。緋馬は私やみずほみたいな恵まれた家族がいるんだからするもんじゃない。『お前なんか俺の弟じゃない!』なんて言ったらおばさんが引っ叩くからね。まずはお友達から始めて、それで仲良くなったらいいじゃない。仲良くなれないと思ったら仲良くしなくていいんだよ」
「そんなんで、いいの」
「何が悪いんだい。私は緋馬のことしか知らないよ。その緋馬が気持ち良く生きられない世界を、どうして無理に応援しなきゃいけないの。まずはお友達から始めな。そっから家族でも恋人でもなんでも始めても遅くはないよ」

 嫌なら嫌でいいでしょ、好きになったら好きにしちまえ。
 おばさんはハンカチでコートの水気を払う。
 ……なんていうか、おばさんは竹を割った性格というべきなのか、悩んでいる人に対して「なんでその程度で悩むの?」とズバズバ言ってしまう人だ。
 痛いぐらいに真っ直ぐな言葉。
 だからこそ、藤春伯父さんはしがらみだらけの世界でこの人に恋してしまったんだ。ちんけな俺ですら判ってしまうぐらいに……曇天が晴れてしまうほど厳しく清々しかった。

「じゃあさ、弟が嫌な奴だったら……仲良くしなくていい? 弟って思わなくていい?」
「いいよ。そもそも人間関係なんて仲良くなろうと思って仲良くなれるものかい? いつの間にか仲良くなって自分達は愛し合ってるわねって言い合うもんだろ。無理に家族であること、友達であることを押し付けてくる奴は突っぱねていいさ。真に家族と友達がいるお前には必要無いよ」
「おばさん、その理論が万人に受け入れられると思っているなら素敵だよ」
「じゃあ、おばさんは素敵になっちまうね」

 もちろん、俺もおばさんのことは素敵だと思う。
 これで俺の悩みが全て解き放たれた訳じゃないけど、やっぱり口にするだけで少しは気分が晴れる。「ありがと、おばさん」「どういたしまして」の軽いやり取りをしているところで洋館に居た女中さんがやって来てくれて、丁度良く俺はその場を後にする勇気が持てた。
 おばさんは、関係を作るのが上手い。それと同じぐらい、関係を断つのも上手い。
 それで自分が気持ち良く過ごせるなら。それで他人が心地良く生きられるなら。どちらも考えて、すかっと結論を出して……おばさんなら悩まずこれからも素敵に生きていくんじゃ……。

「緋馬。ケーキは食べたかい?」

 なかろうか、などと考えていると唐突におばさんがクリスマス的な話題を去りつつある俺に始める。
 おばさんは女中さんに夕食の話をしている最中だった。
 「食べたよ、夕食で出してもらえたもん」と答えると、「じゃあ特別に私のケーキも食べちまいな。私の分まで用意してくれてるみたいだよ」と首根っこを引っ張られて洋館の食堂に連れて行かれた。
 宿泊客の分もクリスマスケーキを用意してるもんなんだ……つい子供だけかと思っていた。甘い物があまり得意でないおばさんは、女中さんに軽い食事を出してもらってケーキだけを俺に寄越した。
 別に俺もそんなにケーキが大好きでたまらないって訳じゃないけど、ここはおばさんの為にも俺が頑張らないと。
 弱々しい姿を見せてしまったんだ、残飯処理ぐらいできる顔を見せておかないと。煌びやかな洋館でのデザートを頂いた。
 みずほが居たら羨ましがられるかもしれない。和室で取るものではないケーキは、さっき食べた手作りの味となんら変わらないのに違う味がした。

「これはここの厨房長が作ってるケーキなんです?」

 軽い夕食を終えたおばさんが、食器を片付ける女中さんに何気なく声を掛ける。
 何年も働いていそうな立派なお着物の召した彼女が、困ったような笑みを浮かべた。

「寺で出る殆ど全ては厨房長がお作りになられているんですが、このケーキだけは、私の息子が作ったものなんですよ」

 微笑む彼女の表情は、先程から仕事をしている女中さんの営業スマイルとは違う、とても歪なものになる。息子の作品ということで、日常の顔が出てきてしまったということか。
 にしても、それならもっとにこやかに微笑めばいいのに。「厨房長が作ったものでなくてすみません、あの子ったらいっぱい作って……」と何度も謙遜され、そんなんじゃ息子さんも浮かばれないんじゃ……とうっすら考えていると、

「ケーキがいっぱいあるんだとさ。ほら、緋馬。ケーキで弟くんにプレゼント攻撃でもしてきな」

 と、謎の支援をされてしまった。
 なんでだよとつい素で突っ込むと、「子供ってもんはケーキで釣れるんだよ」と物凄い差別発言してきた。そういやこの人、藤春伯父さんも食べ物で釣ったんだっけ……とかどうでもいいことを思い出して、吹き出してしまった。



 ――2004年12月25日

 【 First / Second / Third / Fourth / Fifth 】




 /11

 本殿の中心部には、当主の寝室がある。
 寝室という名前に相応しく、当主が眠り続ける部屋だ。開放的な造りの中に障子や襖が仕切っている他の館とは違う、四方が壁で塗り固められている一室の出口はただ一つ。その逃路ですら来るたびに色を変える呪印が刻まれていた。
 入出を許可されているのは元老、『本部』の連中と、住職であり世話役を仰せつかる松山さんのみ。現当主の弟である俺ですら許可なく中に入り込むことは許されていない。
 だが、今日はそうも言っていられないだろと狭山を押し黙らせて結界を解いてもらう。

 籠の中で眠りについている男は、死に装束のような縁起の悪そうなぐらい白い衣装に身を包んで中央で寝転がっている。
 生命維持装置を付けずとも一ヶ月は汚れることなく、この棺桶の中で眠り続けていた彼は……もう一週間は眠っていたというのに、瑞々しさを感じる肌をしていた。
 頬もやつれていなければ、臭みもない。髪や体は清められたまま、百五十時間が経過した後も静かに眠りに落ちている。
 それもその筈、この棺桶とも言える部屋は……時空の流れから隔離された特別な空間だった。
 時の進みを何千分の一にできるという術式は近代になって開発され、世界を超越する人外種族の知恵を取り込むことで漸く完成された。
 『機関』による魔道具開発の中でもこの評価だけは高く、未だ数を生み出せてはいないが第二、第三の研究は進んでいる……らしい。
 残念ながらあまり長くないらしい兄の寿命を伸ばすことぐらいしか使い道は考えられていないが、喉から手を出してでも欲しい我が家の傑作とも言えた。

 とても繊細な物の中に入ろうしているんだ。鍵を開けるのだって一苦労。しかも当主を寝かすのも起こすのも一大事。
 毎週していることだというのに壊れ物を扱うように術を解いていく大山さん(外と電話を頻繁にしていた。何かまた騒ぎでもあったのだろうか)は、一時間にも及ぶ長い詠唱を終えて、やっと俺が部屋に入っていいと合図をしてくれた。
 本日この場に集まっているのは施錠の術を解く大山、『本部』の中心人物である狭山、当主の世話をする松山に、弟である俺の四人。その四人が立ち入るのだって一時間は掛かる魔道具の中に、当主の体は封印されている。
 目覚めは大晦日までという予定を変更してでも話すべきだと言い出したのは俺だが、出し惜しみをしていた大山さんの気持ちが判らないでもない。
 ともあれ、超元的な異空間から普通の和室へと変わったそこへやっと足を踏み入れる。
 早速、布団から兄を抱き起こしている松山さんの隣に腰を下ろした。
 まだ夢の中で微睡んでいる兄・光緑は……眠そうにしながらも、本来ならこの部屋に居るべきではない俺の姿を捉えると、普段通りの涼やかな当主の顔へと変貌していった。

「……大ごとか。説明を、松山」
「ああ、柳翠くんの隠し子が発見された」
「…………まだ私に夢を見させる気か?」

 ふう、と重い息を吐く光緑に……跪く狭山が端的に事情を話し始める。
 新座が柳翠の子を保護したということ。血族の証である刻印を所有した男子であるということ……外の女が男子を産んで今まで放置していたということを。
 松山さんにお茶を飲ませてもらいながらも狭山の話に頷いていく光緑は、暫くして目を閉じて瞑想をし始めた。二度寝でもするのか、兄貴と声を掛けようとしたが……それよりも早く本人から鋭い声が発せられる。

「で、弁解はあるのか? 『柳翠』よ」

 未だ布団の上で松山さんに支えられていた当主は、目を瞑ったまま弟に話しかけた。
 その一言で、頭を下げていた狭山と大山の顔が一変する。俺も、間近で光緑の言葉を聞いた松山さんですら「は?」と惚けた声を上げてしまった。
 ここは結界が張られていて、今の今まで人が立ち入ることなど許されない場所で、そんな数分前の解放の間に訪れたのは俺達四人しか居なくて……。だというのにいきなり柳翠の名を呼ばれたとなったら、一つしかない出入口を見てしまう。
 だが、視線を向けるよりも早くに、俺の肩がズシリと重くなった。
 だらしのない崩れた長い髪と、和装の男。
 まるで俺の肩に甘えて寄りかかったように、柳翠が体重を掛けて微笑んでいたからだ。
 ……いや、そんな訳が無い。今の今まで四人しかいないと何度も確かめ合った筈なのに。
 そこをすんなりと通り抜けてしまうところが、いつの時代も柳翠が『本部』に恐れられている理由なんだが。
 まったく、そんな堂々と無断で中心部に入り込むなんて……狭山が怒り狂った顔をしているぞ。当主の前だから怒鳴りはしないものの、居なくなったら早くも今世紀最大の落雷が辺り一面を焼き尽くすだろうよ。

「おい、柳翠。なんでお前、工房で大人しくしてないんだ……」
「今から兄上達は私の話をするのだろう? ならば私とジョニーの出番ではないか」
「お前は必要だがジョニーはいらねえよ、いや、ジョニーが誰だか知らんが」
「主役は遅れてやって来る」
「ジョニーは来るなよ」

 フフフと怪しく微笑みながら俺の左肩に寄りかかっている柳翠を、激しく振り払う。
 すると瞬時に柳翠の姿が消えた。瞬間移動? そう思った俺の左肩から、ハラリと一本の……長い髪の毛が零れ落ちた。
 風に乗って髪の毛が零れ落ちたかと思いきや、その一本は意志を持ったように動き始める。持ったように、ではない。明らかにその毛は踊っていた。
 馬鹿げた真似に狭山が立ち上がり、たった一本を火炎術式で燃やそうとするが……そこは彼の兄の大山さんの手によって止められた。踏み潰すだけでなく真っ黒焦げにしてしまおうというところが狭山の危険さを物語っている。ヘマはしないとしても、畳の間で、当主の前で火を点けようとしているなんて。
 どの段階で長い髪の毛が俺の肩についたか気が付かなかったが、鼠でも蛇でも鳥でも、それこそ術式を描いた紙でもなく髪の毛一本を使い魔扱いにして現れるとは。後でたっぷりと叱ってやろうかと歯ぎしりをしてしまう。

「髪の毛では話が出来ん。許してやるから姿を現せ」
「お優しい。話の分かるジョニーは好きだよ」

 兄がジョニーだったのかよ。じゃなくて。光緑の甘っちょろい言葉に一瞬にして一本の髪の毛は柳翠の体を創り出す。
 心なしか原本サイズよりもやや小さめな気がしたが、まごうことなき弟の肉体を形成すると布団の上の光緑に近寄って行った。
 松山さんが近寄る柳翠を制止しても、構わず柳翠は光緑へと身を寄せる。睨みつけるでもなく、光緑は四つん這いでシーツの上に手を掛ける弟を見やった。

「燈雅も志朗も、散々な出来だったな。兄上よ」

 無言で光緑は柳翠の暴言を聞く。散々な一言だったが、耳から耳へと通り過ぎていくように涼しい顔のままだった。
 とはいえ、聞いている俺の方が煮立ってしまいそうな爆弾発言だった。思わず「ふざけんな」と低い声を出してしまう。だが構わず柳翠は「新座も中途半端だ。やはり半端に人の手を加えてはならなかったのだよ」と意味の判らぬ言葉を続ける。

「そこで私は、完全に人の手を加えてみた。次男は十年、人間のもとで暮らして心を磨いてみせた。三男は十年、魔力炉の中で熟成させた。完璧だぞ。成果はこの通り。当主様に全ての知恵を捧げよう」
「……柳翠。何故だ?」
「何故? 何を今更。貴方達は全知全能の人間を求めているのだろう? 私は貴方達の言う、血の宿命に従っただけさ。さあ、受け取れ」

 唐突にそんなことを口走っていく。
 おもむろに柳翠(の形をした使い魔)は、虚空――ウズマキに手を突っ込むと、一冊の本を抜き出して当主に投げつけた。
 すかさず松山さんが受けとめ、ページを開いてみると……それは手記だった。おそらく柳翠が一から書いた研究ノート。それを渡すと同時にまた柳翠は一本の髪の毛になる。今度は動くこともなく……魔力の微かな残滓が残るだけのゴミとなった。
 光緑は松山さんに一言声を掛けると、ページを捲らせていった。まだ指を使うという繊細な動きが出来ないのか、目だけを動かして捲られていくページを読み取っていく。最後のページまで読み終えるまでの五分間、空間に紙を捲る微かな音しか響かないほどの緊張感が漂っていた。

「……柳翠。違うだろう。こんなものじゃない。お前は……お前は、蘇生を研究していたのではなかったのか?」

 その言葉がどんな意味を含めているのか。
 読み終えた当主は、背筋がゾクリと凍るような一言を呟いた。



 ――2004年12月25日

 【 First / Second / Third / Fourth / Fifth 】




 /12

 僕が電話をしてから二時間。何もしないのはとても退屈な時間だった。しとしとと雨が降るコンビニにてバイクを停めて、差し込む光を頼りに旅行パンフレットを見ていた。
 パンフレットにあるホテルの料金はどこのお高い。でもいくら高くても構わない。お金なんて貯まるだけでロクに使う機会なんて無いんだ。自主的に魔術の研究をしている人ならともかく、僕はさほどお金の掛かる趣味が無いから貯金が貯まっていくだけ。だから発散するとしたらこういうときなんだ。僕のお金の使い道は、全て先生次第になってくる。
 けど先生も大人だから、年下の僕にお金を使わせる真似はしない。先生は紳士だもの、人に見習われる先生だもの、僕のお金を無駄にすることも、自分の為に使わせようとすることもしない。「慧がやりたいようにやりなさい」っていつも言ってくれる。だから僕は先生に愛されたいからしてるんです。先生はお疲れなんだから僕が労わってあげないと。先生は素晴らしい人なんだから。そう言うと先生は困った風に笑うだけ。そんなに謙遜しなくていいのに。本当に先生は素晴らしい人だな……。

「やあ、慧くん。おまたせ」
「っ! ごめっ!? け、圭吾さ……ん。す、すみません……!」
「え。俺、いきなり何かした?」

 いつの間にか、目の前に圭吾さんが立っていた。
 前触れも気配も無く、そのまま銃でも向けられていたら僕は即死してしまったぐらい、一切彼の存在に気付くことなく。圭吾さんの登場をあっけなく許してしまった。
 あれだけ神経過敏になっていたのに、同じ能力者(しかも同じ血統)が近寄ってきたことに気付かないだなんて……。
 驚き過ぎのことはともかく。三十分ぐらいで寺から来られる距離だというのに、二時間も時間を掛けて僕のところに来るとは。
 ……つまりは、『本部』が「そういうことにする」つもりってことで。

「あの、すみません、圭吾さん。『本部』は、あのコトに対して、なんて……?」

 電話で僕が見た未来全てを話した後の『本部』の大山さんは、腰を上げるのがとても億劫そうだった。
 なんとか重い腰を上げ、圭吾さんを僕の元に寄越したんだ。圭吾さんの顔には「面倒」なんて感情は一つも見受けられなかったけど。……もちろん、あんまり爽やかな顔でもなかった。

「先ほど、警察が出動した」
「…………」

 重々しく、圭吾さんは口を開く。
 その口は、「現場に行くから車に乗って」と続いた。でも僕は「バイクがあるから」と断る。そして僕がバイクで圭吾さんの車を先導し……とある木造アパートまで進む。
 そこには夜遅くだというのに、パトカーと警官、野次馬の山。
 風が吹いて、野次馬達の話し声を僕に届けてくれる。

 ――痴情のもつれ? やーねー。

 一言で表わすなら、そういった話が延々と続いていた。
 なんとも言えない顔をしていると、圭吾さんが(また気配も無く後ろから現れ)僕の肩にポンと手を置き、その場から離れるように指示する。
 少し離れた場所から、人々が群がる山を見た。今夜は風が強いせいか、次から次へと良くない話が耳に届いた。

「慧くん。君は……あの部屋の女性を殺した犯人の顔を見ているんだね?」
「…………」

 ――僕が突如視た未来視。その内容は……『男性が女性を殺す』というものだった。
 僕があの女性を探るために能力を使って近付いていたせいか。男性が既に殺気だっていたのを感じ取ってしまったのか。
 僕の能力。殺される彼女。殺す彼。
 その三つが揃って、突然、僕の中に未来が爆発した。
 結果、凄まじい殺人シーンを……僕はバイクに乗りながら見てしまった。
 これで意識が飛んでいたら事故を起こしていたかもしれない。人が死んだ後にどう処理するかを『仕事』でしているけど、人が死ぬ瞬間までは『仕事』で経験してなかった。
 ……そっか、新座様はいつも「これ」を味わっているのか。
 しかも自分の意志とは関係無く。唐突に、誰かも判らぬ遠くの何かの悲劇を延々と見なきゃいけないのか。コントロールできない巨大な力というのは考えものだな……。

「ええ……すみません。見ています。視てしまいました」
「そっか。犯人がどのような外見か教えてくれるかな。教会の知り合いが、警察にも繋がっているんだ。その子経由で情報提供させるよ」
「すみません、教会は動くんですか? この事件に……」
「……教会は動かないよ。異端絡みの殺人じゃないからね。警察に動いてもらうんだ」

 僕は、女性と腕を組んでいた派手な男性の外見をそのまま答えた。髪の色も装飾も、顔立ちすら派手だったのですらすらと答えられた。これなら似顔絵師の人もラクラク再現できる。
 僕の言ったことを圭吾さんが逐一メモっていく。手慣れた作業に、僕以上に『本部』で情報収集役に買われている人は違うな、と思った。
 圭吾さんは僕のような異能は無くても、地道で確実な捜索力で一族に貢献している人だ。顔も広いし、僕なんかではかなわないぐらい優秀で……。

「ごめん、慧くん」

 全てメモをし終えた圭吾さんは、申し訳無さそうにそんなことを言う。

「いえ、僕こそごめんなさい……。そもそも、どうして圭吾さんが謝るんです」
「君がせっかく知らせてくれたのに、何も出来なかったからだよ」

 いつも通りの穏やかな口調だったが、圭吾さんは書き終えたメモ帳をぐしゃっとズボンのポケットに押し込んだ。
 苛立っている。温和な性格で有名な圭吾さんが、ちょっとだけ見せた乱暴。まさかの行動に驚いてしまう。

「我々は退魔組織。人ではない者を狩るのが仕事。一般人が対処できない事件を解決するのが、俺達の役目。異端が出たら俺達の出番」
「……はい」
「でも、逆を言えば『異端じゃなかったら俺達は出ちゃいけない』。一般人がかなわないことをするために退魔組織がある。例外を対処する例外が俺達。だから、一般人が犯した事件は一般人の手に渡さなきゃいけない」
「…………」
「そう『本部』は思っているから……君から報告があったのに、何もしなかった。何もしようとはしなかった! 何を今やっているか判らないけど、そっちの方が問題だからって……。俺に知らせたのも、君の電話から一時間も後だった。もっと早く聞いていれば……警察に知らせたのに!」
「………………」

 興奮する圭吾さんは、「少し勇気のある」僕そのものに見える。今の僕ではないけど、僕が思った心が現れたような感覚がした。
 もし僕が視たものが……怨霊や悪魔などの異端が、人を苦しめるためにやったことなら。
 たとえまだ起きていない事件でも、倒さなければならない異端として僕は狩れる。圭吾さんに連絡するまでもなく、これから起きる世界の悲劇を回避させるために、僕は生まれもった能力を行使することができる。力有る者への懲罰は、力有る者が行うというルールがこの世界にはあるから。
 だが、人間が犯した罪を能力者が裁いてはいけない。能力者が人間を傷付けたら、異端と見なされる。
 力無き者への懲罰は、同じ力無き者が行わなければ……だから……あの『問題ばかりの一般人女性』の周囲で起きた、『一般人男性による殺人事件』は……僕は力を持って介入してはいけなかった。
 僕は異能で良くない未来を視てしまった。どうしたらいいか助けを『本部』に求めたら、「そのルールに従え」という答えが返ってきた。
 答えに従って、僕は二時間、何もしなかった。

 ――俺がその話を、早く聞いていれば……っ。

 そんなことを圭吾さんは言う。
 ……三十分早く、聞いていれば? 一時間も前に聞いていれば……何だと言うんだ? 口にする前に、圭吾さんが吐き出すだろう未来を予想する。

 ――そりゃ、救いに来たさ。

 でも一般人は手出ししちゃいけませんでしょう?

 ――何を言ってるんだ、力を使わず止めればいい話だ! 人なんだもの、言葉が通じれば止められるだろう!?

「………………」

 そんな妄想。あくまで僕の妄想。
 圭吾さんは口にしない。もし言ってしまったら、まるで『二時間、何もしなかった僕への当てつけ』になってしまう。二時間も前に凶行に出る人間がいることを知っていたんだから、取り押さえられた。僕はそれをしなかった。圭吾さんならした。
 でも僕は……。圭吾さんは、何も言わず、唇を噛みしめるだけ。
 僕があらぬ妄想と戦っていると、圭吾さんの電話が鳴った。即座に電話に出て、数秒後、圭吾さんは事件現場の方向を見る。ポケットに突っ込んだメモも取り出す。そして……。

「慧くんは、鶴瀬って子は知ってるかな?」
「いえ……」
「警察と教会の共通の知り合いなんだ。彼が現場に来ているらしい。……『近くに居るならついでに魂を回収していかないか』、だってさ」
「それは……僕達にとってはありがたい話、ですね」

 ……突然死んだ魂は悩み苦しみ、怨霊という異端になりやすい。そんなことになるんだったら早くにその場を浄化してやった方がいい。どうせそのうちお祓いの依頼が来るんだ。早め早めに済ませてお金を貰ってしまおう。
 気の利く圭吾さんの知り合いは、特別に現場に立ち入る許可をくれた。入れると思わなかった部屋に。
 魂が回収できるなんて『仕事』が出来るとは思わなかった。彼女は人間の世界に生きていたんだから、こんなことになるとは思わなかった。ひょんなことから、僕と彼女は接触することになった。
 人間がやったことらしい……包丁で刺され、血にまみれた女性に手を当て、刻印に押し込めた。

 昼間にお母さんに別れたばかりの少年は……火刃里くんは、突然の母の死をどう受け取る?
 赤の他人である圭吾さんがこんなにも吠えている。今まで毎日一緒に暮らしていた火刃里くんは、同じように慟哭するのか。
 僕の大好きな人が死んだら、泣き叫ぶ。そして無気力にになって、なんとしてでも仇を討とうと思う、かもしれない。小さな少年はそうなってしまうのか。想像するのも怖かった。

 ――――知ってる。火刃里くんは、しない。知っている。

「…………」
「慧くんっ?」

 僕が頭を抱えて座り込んでしまったから、圭吾さんはすぐに駆け寄ってきてくれた。
 何にもないですと必死に彼を安心させようとする。僕はただ……想像するのも怖かった少年の『末路』を、知ってしまった、だけだ。
 そして、寺へ帰る。少し予定が遅くなってしまったが、『仕事』終了のご報告とともに彼女の魂を献上する。
 彼女がこんな形で仏田寺に戻ってくるだなんて。きっと誰も思ってもみなかった。石段下の駐車場にバイクを置いて、長い階段を上がっていく。寺へ続く雨に濡れた段を一段ずつ踏みしめながら、どのような報告をするべきか考えていた。
 門を潜り、早速大山さんの所に報告を……と、ふと工房を目にしたとき。
 見たことのない小さな少年が一人、にこやかに僕へと手を振っていた。



 ――2004年12月25日

 【 First / Second / Third / Fourth / Fifth 】




 /13

 絶句。誰もが、口を開けずにいた。

 本殿に連れられてきた子供。十歳を過ぎた少年。それが二人、『本部』一同の前に座っていた。
 狭山が今にも怒鳴り散らしそうなところを必死に大山が宥めている。普段から笑みを絶やさない松山さんも、流石に今日ばかりは笑い飛ばせずに「どうしたもんかなー」と頭を掻いている。当主・光緑はまた眠りに入った以上、一族を任されている者達に今後の判断が任されているのはいつものことなんだが……今日ばかりは彼らの仕事が可哀想だと思えた。
 狭山が、青筋を立てながらも無表情で横に控える一本松に尋ねる。

「一本松。私は、新座が『少年を一人』発見したと聞いていたが。実際、大山とお前が確かめたのは、一人だったな」
「は……右の少年がその一人でございます。左の少年は、慧が遠征から帰省の際、連れ帰ったと」

 『本部』の男達の前に鎮座するのは、二人の少年。
 一人は火刃里。先ほどまでコタツに入ったり、月彦と緋馬に連れられて屋敷中を探検したり、みずほ達の前で自己紹介をしていた活発な子供だ。
 もう一人が……。

「……君。名は?」
「えっと〜、尋夢(ひろむ)っていいます〜。柳翠おとうさんの息子です〜。今日からお世話になります〜、これからみなさんどうぞよろしくおねがいします〜」

 もう一人もまた、火刃里に負けず元気に挨拶ができる男子だった。
 火刃里とは違う明るい笑みを見せつける姿に目を丸くしてしまう。大人達の委縮してしまう空気を物ともしない子供の力は、こんなにも恐ろしいものか。
 頭が痛くなるほど場違いな挨拶に、そして再び訪れる沈黙。なんと沈黙を破っていいか、皆が迷走していた。
 その沈黙を誰よりも早く破ったのは、火刃里だった。

「ねえねえお前、お前も柳翠って人の子供なのっ?」
「そうだよおにいちゃん〜。ぼくはおとうさんのこどもなの〜。今日から仏田の一員としてがんばっていくんだよ〜」

 とても子供らしい声の、愛らしげな喋り方。ぽややんとした高い声で少年は話す。
 ぼうっと全員が愛らしい声に聞き入っている中、意識をやっと取り戻すことができた俺は……尋夢と名乗る少年に声を掛ける。
 どうして自分の父が柳翠だと判るんだと尋ねると、尋夢は着ていたセーターをばっと捲った。腹部を露出させたそこには、お腹にぽっこり紫色の印があった。

「ほら〜。ぼくもおにいちゃんと同じようにおとうさんの子供だって証があるんだもん〜。ぼくが仏田って証なんだよ〜、だからだよ〜。住む場所のことぐらいお勉強します〜。勉強中だから失礼なことをしてしまったらごめんなさい〜」
「うっ。おれ、何にも勉強してないけど居ちゃっていいのかなっ!?」
「いいんだよおにいちゃん〜。ぼくたちおとうさんの血が入ってるんだから〜。えっへんって威張っちゃっていいんだよ〜」
「んーっ? よくわかんないけど自信持てってことだよねっ? サンキュ、尋夢っ! なんかモヤッてするけどお前に励まされてるのは判った! 感謝っ!」

 とても軽い声で少年達は笑う。笑顔で、さほど重大そうなこともなさそうに。
 重要なことを、子供らしい口調に交えて告白していった。
 俺が柳翠の兄として、伯父として話していると……後ろで住職の松山がボソボソと責任者二人と話し始めていた。「仏田の刻印を持って生まれた者なら」「仏田の監督下に置かねば」「子供をそのまま放置する訳にも」「犬猫だってそう簡単に捨てられないもんな」……そんな探り探りの不安定な声のままに。
 頭を抱える『本部』の他にも、周囲でサポートしている僧達がバタバタと引っ切り無しに動き回っては話に加わる。
 それがもう自由時間だと子供達は思ったのか、好きなことを話して暴れ回っていいと思ったのか、脚を崩しておしゃべりをし始めてしまった。「尋夢って何歳っ?」「3月で十二歳〜」「おっ、おれ十五っ! 勝った!」「おにいちゃんすごいよおにいちゃんだ〜!」と焦点の合わない気の抜けた会話を続けていった。
 そんなとき、バタバタ出入りを繰り返す僧侶達の中に、一段と年若い青年が現れた。
 他の男達が壮年の着物姿な連中の中で一人、髪の長く線の細い洋服姿の男はとても目立つ。……一本松の三男・慧だった。

「あれっ? おねーさんっ、おねーさんもお尻やお腹に印があるのっ?」
「……え? ええっ?」
「わあ〜、他の人のおしるしも見てみたいな〜。おねーさん見せて〜」
「ええ、えええと……?」

 大山さんに話しかけていく男達の中で、やはり慧の姿は異色に見えたのか。突然現れて優男に、火刃里達は無邪気に話し掛けた。
 目が合っただけで……この少年達は、自分のペースに人を巻き込んでくる。人見知りをしない底抜けの明るさはある意味、洗脳のようだ。恐ろしかった。

「ご、ごめん……その、僕はおねーさんじゃないよ」
「うえっ、男っ!? キレーだねっ! おれ、いっぱいキレーなおねーさん見てきたけどおにーさんってばどんなおねーさんよりもキレイだよっ! 芸能人なのっ!? テレビ出たっ!?」
「……ごめん、違う……」

 慧はどちらかと言えば内気で、人見知りする性格だ。比較的親しい相手でも警戒してしまうタイプだ。その神経質さは目に見えてしまうというのに、火刃里はそれも気にせず、他の男達にはない慧へとどんどん話を繰り出す。
 何かの報告を聞きたい筈の大山ですら無碍には扱わず、火刃里を喋らせ放題にさせている。少し怯えた表情を見せていた慧だったが、次第に子供に邪気が無いことを察すると唇に微笑みを見せるようになっていった。

「綺麗な女の人か……。君の、その、お母さんは綺麗だった……?」

 慧が唐突に、そんなことを口にしていた。母親についての情報を探っているのか、少々唐突だと思えたが質問を投げかけていた。
 デリケートな内容だ。でも、それぐらいでは火刃里はへこたれなかった。

「うんっ! おかーさんは化粧臭いけどキレーだよっ! 多分おにーさんもおかーさんの年は当てられないよっ! おかーさんキレーだもんっ! 今度見せてあげるね、おかーさんが帰ってきたときに当ててねっ!」
「…………」

 愛が足りない子は歪むもの。頭はそんな常識にとらわれているとはいえ、それにしても。

「……火刃里くん……ごめんね」

 愛情の薄い家族なら、愛憎蠢く怨霊退治で幾度となく目にしてきた。そして今日、「子供が捨てられてこの寺に預けられた」という話を聞いてきた。
 だというのに、無邪気な子供はまっすぐな目で母を語るものなのか。
 火刃里の目には曇りが無い。それをふんふんと聞く尋夢の目もまた綺麗で、笑みを絶やさなかった。
 誰にも咎められない輝かしい少年の表情。完璧な子供の姿。恐ろしいと感じてしまったのか、慧が震えている。遠目で見ても判ってしまった。

 ――松山さんが「もう遅いから」と子供達の体を気遣い、二人の手を引いて部屋を出ていく。
 「バイバイみんな」と自分のよりも三十も四十も年上の大人達に手を振って欠伸をした少年達が居なくなって、普段の落ち着きを会議の場は取り戻した。
 松山さんに連れられて廊下をわいわい歩いていく少年二人。結局、あの子達を迎い入れるとはいえどんな対応を……と話をしようとすると、

「……彼らは、人工生命体です」

 身を抱いている慧が、意を決したように告白した。
 障子の先、遠い廊下へ消えていく小さな背中を見ながら。

「えっ? 慧、何を……?」
「藤春様、そのですね……彼らは、人間ではない。僕にはそう判りました」

 寒気を感じた後の追い打ちには、丁度良い心地のダメージとなった。

「あの二人は何か、知ろうとしたら……そんな答えが出ました。……突如現れたあの二体は、高位な魔術師である柳翠様が造った、至高の傀儡。いや、『あの二体』とまとめて言うのは間違いですね、ごめんなさい。火刃里くんはホムンクルス、もう一人はマリオネットゴーレムです」

 ホムンクルスと、ゴーレム。一言に『人工生命体』と言っても、その差は大きい。
 ホムンクルスは肉と体液で造られた人間。ゴーレムは金属や土、植物で造られた人形だったか。どちらも高度な魔術知識が無ければ造れない魔道具で、「人間」と言い表わせない存在であることは間違いない。
 その慧の言葉を皮切りに、火刃里をより深く調べた一本松も口を開く。

「火刃里という少年は、人間の成分とは全く異なる。皮膚を剥がせば赤い肉、血液も赤く噴き出す。だが別物だ。だがその血は、我が一族のものであった。血が流れているから刻印も生じている。大した技術だった。もう一人の少年は……人に見えるだけで生き物ですらない。人形に魂を移した物。……匠太郎が昔、柳翠様の部屋に入ったとき見た『モノ』と間違いないと話していた」
「匠太郎がっ?」

 思わず俺は声を荒げてその名を呼んでしまう。
 一本松の弟である匠太郎は、当主の弟・柳翠付きの使用人をしている男だ。
 柳翠は一族でも特異な立ち位置に居るため、なおかつ常人ではないため、大抵は工房の地下室に篭って生活をしている。身の回りの世話は匠太郎が殆ど一人でしていると聞いていた。世話役の匠太郎は常識人で、冗談を言わないタイプの人間だ。……その彼が言うんだ、とても信憑性のある発言なんだ。

「匠太郎が柳翠様の私室で製作中の人形を確認したのが、緋馬様が生まれて間もなくのことだったという。約十六年前のことだ」

 突然の告白に呆然になりながらも、結果に目を見開く。
 つまり――火刃里の度の過ぎた完璧さは、人工物だったから?
 そのとき、大山さんがついに全てを吐き出した。

「その通りだよ、慧。あの二人は、柳翠様の作った息子……柳翠様の創造物だ」
「あ……。も、もう判っていたことなんですね。すみません大山さん、僕、出しゃばったことを」
「いや。先程当主様の読んでいらっしゃった手記の一文しか私はまだ読んでいない。慧の言葉と一本松の証言で、この手記は……柳翠様直筆の、本物の研究報告書であると確信が持てた。あんなに人間らしく明るい笑みを浮かべる少年達を作り物だと思えなかったからね。柳翠様お得意の冗談のメモ書きかなって思ったんだよ」
「……すみません。その明るい笑みって……もしかして彼は、その……火刃里くんは、人形が人間らしくするために『楽しい』『嬉しい』という『正の感情』が優先的に仕組まれているのではないでしょうか」
「ん? どういうことだ、慧?」
「彼らは、他のことは学ばされてないから……新たな感情を人のように自動的に学ぶ機能を備えられてないから……たった一つの感情しか表現することができないとか……それはとても人間らしいと言えないと言うか……それなら彼の生活態度は納得できるというか。すみません、支離滅裂で……」

 慧がボソボソと話す仮説と、慧が見てきた事実を照らし合わせていくと……大山さんが「その可能性もありうる」といいかげんに返した。
 火刃里という朗らかな少年も、尋夢という健やかな少年も、どちらも単に明るさ性格ではなく、明るいように設定されて他に移ることがないとしたら……あのような度の過ぎた前向きで生きていけると?
 より人間らしい形を作るために、正な感情を引き出させるように仕組まれていると?
 そんな完璧な人間を、柳翠は……作ったと?
 俺が不覚深く考え込む仕草をしていると、大山さんが心配してか声を掛けてきてくれた。

「藤春様。柳翠様は……奥方を亡くしてから、工房に篭もって研究に勤しんでおられた。あの魔術師が操る人形の研究をしていたから、人間と見間違うほど優秀な使い魔達を造っても驚かない」
「……ああ」
「それと。……柳翠様は、とても繊細なお方。一人の女性しか愛せないような人でした、ね? だから、私には緋馬くんに腹違いの弟が居るなんて信じられないのですよ。そう、藤春様も思っていらっしゃるのでは?」

 一問一句、大山は俺が思っていたことと同じ言葉を違わず言ってみせた。
 そうだ……柳翠は一人の女を心から愛していた。
 その女は、長男である緋馬を出産した後、急逝した。昔から外を恐れて部屋に篭りっきりだった柳翠が、あの頃から更に外に出なくなった。使用人の匠太郎が運んでくる飯を口にするだけの生活。寝食を全て地下で過ごし、気まぐれに外に出る程度で……。
 大山さんが持っていた柳翠の手記に、目を通していく。
 確かにそこには……癖のある筆書きで、魔力によって動く立派な人形の製造法が記されていた。

「……慧。お前は知っているか」
「何をでしょう、藤春様」
「……あの女、火刃里の母親が……今日、火刃里を仏田寺に置きにきた理由を」

 すう、と慧が深呼吸をし……目を閉じる。
 五秒間。たった五秒間だったが意識を別の場所に飛ばしたような虚無の顔へと変貌した慧が……徐に口を開く。

「……ホムンクルスは母がいなくてもできるもの。彼女は、金で『母親役』を雇われた人、です。多額の金を受け取っていたようですが、その金は……もう尽きてしまい、一切残っていませんでした」

 そう知っています、と慧は能力を見せつける。
 ――次男は十年、人間のもとで暮らして心を磨いてみせた。
 ――三男は十年、魔力炉の中で熟成させた。
 そう柳翠本人が口にしていた。……工房の前に立っていたという尋夢は、完成したからと……外に出されたということか。

「ホムンクルスの養育費として渡された金を、使い果たした……。そうなのか?」
「はい。……ごめんなさい、ここからは僕の予想になりますが……あまり建設的な暮らしはしていなかったのでしょう。自分一人でも生きていくことが難しいからと、子供を送り返したと思います」
「…………慧。視たなら教えてくれ。火刃里の扱いは、どうだった?」

 ……そんな、酷い質問をしたと思う。
 けどせめて「惜しまれて送り出されました」「愛されていました」と慧が言ってくれたなら、今の気持ちが少しでも良くなれた。

「……ごめんなさい。言いたくないです……」

 とある光景を思い出した慧が、あからさまに苦しそうな顔をする。
 酷い答えだ。
 ということはあの子は……心を磨くために手放され、金が貰えるからと育てられ、金が無くなったら送り返されて……。そんなの、人工生命体だから可哀想じゃないって言えるもんか。



 ――2004年12月25日

 【 First / Second / Third / Fourth / Fifth 】




 /14

「俺の名前は松山。松山おじさんだぞー。……よし、ちゃーんと覚えたな!?」
「んーっ……ちゃんと覚えるっ。間違えたらごめんっ!」
「あっはっは、いっぱい人の名前覚えなきゃだからガンバレよー! えーっとな……火刃里、尋夢。お前達の部屋はまだ用意されてないから、今日はこっちの洋館で寝てもらうぞ!」
「おおっ、お家の中にホテルがあるーっ! でもおれ、お寺の方をもっと冒険したいっ! おしゃべりばっかだったから冒険したいーっ!」
「冒険は夜だからおしまいだ。それにあっちは神聖な場所だからな、勝手に入っちゃいけないぞ! 今日からお前達はこの寺の子になるんだから、規則には従ってもらうぞー」
「は〜い。ぼくは火刃里おにいちゃんといっしょにネンネするよ〜。誰かと添い寝をするのは夢だったのだ〜」
「えっ。お前、したことなかったのっ!?」
「したことないよ〜。ぼくはぷかぷか浮きながら寝てたんだもん〜」
「ぷかぷか……知ってる! それ、ウォーターベッドってやつだろっ! ふええー、すっげえセレブじゃんっ! 松山おじさん、あのホテルにもぷかぷかあるっ!?」
「あー、今日は無いなー。でも良い子にしてたら誕生日に買ってやろうかなー?」
「おれ良い子だよーっ! 今すぐ買ってよーっ!」
「クリスマスも終わっちまったから次は誕生日まで待とうなー」
「やーだーっ! おれ、クリスマスプレゼントも貰ってないもーんっ! 一生に一度のおねがいーっ!」
「おいおい、その年で一生に一度のお願いをするのは早いぞ」
「むーっ……。じゃあ、お母さんに買ってもらおっ! お母さんに絶対買ってもらうぞーっ!」

 雨の夜道が、一気に静まる。
 ぱしゃぱしゃと雨音が道を叩いていく。どしゃ降りでもないのに雨の音しか聞こえない。誰も喋らなくなったら、そうなるに決まっている。
 困った顔をして苦笑いをしている松山さんは、優しい大人なりに不器用な人だ。洋館に入ってきた彼は、次の言葉を探してどうしようと悩んでいるのが丸判りだった。

「あっ! 緋馬兄ちゃんだっ!」

 そんな気遣いをしている顔なんて気にしないで、火刃里がエントランスホールに立っている俺を見つけて走り寄ってきた。
 傘を投げ捨ててまで走り出すもんだから、風に飛ばされた傘がぴょーんと庭まで飛んでいく。慌てて松山さんが飛ばされた傘を取りに走って行った。
 もう一人、のんびりした喋りの少年も火刃里を真似てぽーんと庭へ傘を放つ。開かれた傘は風を受けてこれまた夜の花壇へと飛んでいった。松山さんが、また駆けていく……。

「兄ちゃん兄ちゃんっ! おじさん達とのおしゃべり終わったよーっ! 兄ちゃんもこのヨーカンに泊まるのっ!? やったーっ!」
「いや、俺はあっちの屋敷で寝ろって言われてる」
「えーっ!? 俺達兄弟だっておじさん達に言われたよ、だから一緒に寝ようよーっ!」

 ぴょんぴょんと跳ねながら突撃してくる、善意の塊。
 俺と兄弟だと言われたというが、まだ出会って数時間しか経っていない関係だ。なのに、「……なんでそんなにまでして?」
 ついつい思った疑問を火刃里にぶつけた。だが火刃里は今度はキョトンと一時停止もせずに、

「兄ちゃんである兄ちゃんのことが知りたいからだよーっ! 仲良くなりたいもんっ! お母さんに『みんなと家族になりなさい』って言われたからねーっ!」

 と、全力で俺には眩しすぎる一撃を浴びせてきた。
 ……なるほど。これは。
 改めて思う。

「…………お前は、弟じゃないわ」

 率直に思った感情を、口にする。冷たいと思われても結構。
 でも……無理して実感の湧かない兄弟仲に苦悩しながら接するよりも、

「お前みたいな明るくて元気な奴が弟なもんか。お友達から始めさせろ」

 年下の、得体のしれない何か……その程度から始めていく。
 それが、おばさんみたいに清々しくも生きられない、おじさんほど大らかに優しくない俺には丁度良かった。

「お友達でいいのっ!? じゃあ緋馬っ、メロンパン買ってこいよーっ! ……あいたぁっ!! ぶったぁ!?」
「年上に対する敬意というものを払わない奴は率先的に苛めるぞ」
「うう〜っ、兄ちゃん〜、メロンパンは取り消すよぉ〜。ごめんなさい〜」
「良し、やれば出来るじゃないか。ちなみにここからメロンパンを買いに行くとしたら一番近い商店ですら歩いて三十分だからな、往復一時間で戻って来られたら良い方だ。まずは実体験してもらうためにお前がメロンパン買ってこようか」
「らじゃーっ! おれ行ってくるよっ! ただしお金は兄ちゃん持ちだからねっ! おれってばお小遣いゼロ円生活だもんっ!」
「……いや、もう夜だから梅村さんは開いてねーし」
「よーしじゃあ明日のメロンパンに向けて早く寝るぞーっ! 尋夢っ、お前も巻き添えだからなっ! 兄ちゃんにメロンパンを献上する権利をお前にも授けてやるからなーっ!」
「はは〜。ありがたき幸せ〜。ぼくもメロンパンを買って緋馬おにいちゃんに媚を売る生活を始めちゃうぞ〜。おう〜」
「…………で。そこのお前、誰よ?」
「初めまして〜。緋馬おにいちゃんの二人目の弟です〜」

「………………………………あん?」



 ――2004年12月25日

 【 First / Second / Third / Fourth / Fifth 】




 /15

 深夜も近くなって、やっと『本部』の会議から解放された。
 火刃里と尋夢はこの家の子として僧達と同じ生活をさせていくことが決定した頃、警察から火刃里の母の遺品を受け取れという話が舞い込んできた。暫く一週間ほどはこの話題に動かされていくんだな、と時計の針が零時回りながら考える。
 大山さん達が「解散」と声を掛けたところで、ようやく短くても一仕事の今日が終わった。

「そうだ、慧は明日から魔術研究班の手伝いだっけ? それなら今夜はゆっくり休まなきゃな」
「いえ、明日はデートです。研究なんてしません」
「しません、ってハッキリ言わなくても……。まあ、お遊びが終わったらきちんと『仕事』をしてもらうか」

 優しい顔をしているくせに、休みなく働かせるところは『本部』の人らしい。
 大山さんは、狭山さんと共に彼らの寝室ではなく……『機関』のあるあの屋敷の方角へ歩き出した。きっとこの後も何らかの会議をするのだろう。ぼんやりと小さくしていく背中を見送る。

「…………」

 ――仏田には、『機関』という魔術研究施設がある。
 芽衣さんは魔道具を開発しているし、兄の瑞貴や陽平だって常に個々の研究成果を『本部』に差し出している。その古い歴史の中で……魔力で動かす人形の存在があった。
 魂を自在に引き出すことができる我が一族。その魂を器にこめることで、新たな生を生み出すことができた。
 『機関』は便利な『血人』を開発しようと日々研究していたし、確かどっかの研究班では『魔獣』なんて異形のモノを生み出そうとする動きもあった筈だ。
 それとは別に……人形という殻を元に造られたという、ホムンクルスの後継者達も現れた。既に人というカテゴリからも外れて。今更かもしれないけど、能力者の血を効率良く遺すためとはいえ、あらゆる領域をいじりすぎだろう。思わずにいられない。
 そんなこと繰り返してたんじゃ、きっと良くないことが起こる。
 本能的に感じてしまう。そう、本能的に。
 説明しづらい、妙な頭痛と共に感じてしまう。

 ――こんな頭痛と戦わなくちゃいけなくて、それでも頭痛の種を生み出していけないなんて。もう自滅に向かってるようにしか思えない。

 それでも生を与えられたんだから、進まなくちゃいけないけれど。

「慧」

 陰鬱とした気分になっていると、優しい声が冬の夜風に乗って聞こえてきた。
 大好きな声だった。間違えない……先生だ!

「君の姿が見えたから、声を掛けただけだよ」

 いつもの仕事着である、白衣で眼鏡の姿だった。
 まだ仕事の最中だというのに、僕の姿を見かけて声を掛けてくれたらしい。仕事中だからって無視をしないで声を掛けてくれた! 先生は優しい人だ。誰よりも優しい人だ……!
 僕はすぐに先生の元に駆け寄って抱きつく。「おっと」とよろけながらも僕を支えてくれる先生。先生。先生、優しい! 先生! 僕、今日もお仕事、頑張ったんですよ。それとですね……と話を続けようとすると、「話は後で聞かせてもらおう」と口を押さえた。そんな。後って! いつですか! 僕は仕事が終わったのに! 先生はまだ自由にならないんですか、ならいつが……!?



 ――2004年12月25日

 【 First / Second / Third / Fourth / Fifth 】




 /16

「……おお、こわ」

 ――いつも思うことだけど、スイッチ一つでよくもまあ、あそこまで表情を変えることが出来るよな。
 遠くの廊下。私達が去って行った後、物静かな慧が豹変している姿を遠目に見る。

 あのようになるとシステムされているのは知っているけど、目の当たりにするとやはり驚きだ。先程まで自分の話を大人しく聞いていたのに。
 同じ扱う子なら、火刃里くんのような人形の方が良い。感情が安定しないのは少々怖い。コントロールできない巨大な力というのは考えものだ……。
 ストッパーの先生こと彼も困り顔だ。慧は能力は使いやすいのに、細かいところに気を遣わなきゃいけない。『本部』でも『機関』にお願いして調整の相談をした方がいいんじゃないか。出来るだけ早めに。事件が起こってからでは困る。

 ……そんな危険思考を思い浮かべながら、『機関』へ足を進める。
 雨がそろそろ雪に変わりそうなほど、凍るような夜道だった。




END

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