■ 007 / 「洋館」



 ――2005年4月8日

 【     /      / Third /     /     】




 /1

 群馬の実家に戻った僕は、当主の為、一族の為、全てを捧げると約束した。
 それが正しいことだと子供の頃から考えていた。全ては育ての親・狭山の英才教育によるものである。

 僕・ときわは、現当主・光緑の弟・藤春の長男だ。
 光緑様が当主の座を下りた後、第六十三代仏田当主になる燈雅様、継承順位により二位となる新座さんに続いて三位の権力者となる。光緑様の次男・志朗さんは『刻印を持って生まれなかったために』、当主の息子であっても継承権は無い。そのため、藤春の長男である僕に三位が渡って来たのだ。
 それは僕が生まれたときから決まっていたこと。志朗さんは僕より十歳以上年上なので、父・藤春が第一子を産むと決まった時点で、僕が第三位という立場になることが決定していた。

 訳あって実父・藤春の元で育てられることなく、当主陣営の狭山の元で教育を受けていた。
 厳格な義父・狭山は非常に真面目で、僕に間違いを絶対に教えなかった。彼のことは最高の父親だと思っている。
 けど狭山の『困ったところ』は全部知っている。あまりに保守派すぎて、穏健派に嫌われていることぐらい。

 大きな組織になると、派閥というものが生まれる。主義主張の違いによって身内同士で争い合う、とても醜いものだ。
 仏田寺で言うと、『神を崇め続ける者達=保守派』と『それほど神を重要視していない者達=穏健派』に分かれていた。
 義父・狭山は保守派だ。しかもその中心人物というか、代表者、狂信者だった。
 仏田の神こそ絶対で、全てであり、何を投げ出しても構わないと心の底から思っている。仏田の神のためならどんな泥でも被るし恐れにも屈しない。少々いきすぎたところもあると、狭山の近くで育った僕は彼の性格を知り過ぎている。
 我が神を重要視していない者達(特に子供達)には、狭山の存在は恐ろしくてたまらないだろう。そんな盲信者で狂信者な狭山の元で一から十まで教え込まれた僕は、割合シュールな性格になった。
 狭山ほど徹底した厳しさはないが真面目な性格だし、何より「輪を乱す」ことは良くないと思っている。
 自分達が豊かに暮らしているのは、今までのご先祖様達が尽力してくれたからこそ。だからこの平和を乱してはいけない。決して。

 そうは思い、判ってはいるけど。
 多少の好き嫌いはあった。

 純和風な建物。和室。着物の男達。割烹着やモンペの女達。精進料理。それが仏田の敷地を満たしているものだ。
 それとは別に……僕は、とても洋風文化が好きだった。
 金銀煌びやかな彩色。触れたら壊れてしまいそうな、カップやソーサー。美味しい紅茶に、甘い香りのクリーム。豪華絢爛なドレス。パリッと清潔感溢れるスーツ。壮大なオーケストラ演奏、特にヴァイオリンの音色。
 一族の為に実家に戻る、古き良き文化の為に全力を尽くし調和を正していく。和の中央に生まれ、これからも古き良き仏田家を支えていく。それは違いない。
 だけど洋風が大好きで堪らなかった。やると言ったはいいものの、好きなものは変わらない。

「えっ……ピアノを、廃棄する?」

 仏田寺の全家事を取り仕切る銀之助さんは、重要な報告時も普段の無表情を崩さなかった。
 重要な話をしていても僕に目を向けることはない。細い目が淡々と作業をこなしている。超が付くほど多忙な彼だから、僕も彼がこっちを向かないことを気にせず話を聞いた。

「新座様が消えて半年。もうあのデカブツに触れる者もいない。新座様は帰ってこないのならあんな物、あっても邪魔なだけでしょう」
「でも……立派なピアノじゃないですか」
「立派であろうが、使わなければただの粗大ゴミです。そのうち斧で分解でもして焼き捨てるまで」
「斧で分解する!? なんでそんな野蛮なこと!」
「そうでもなければあんな大きな物、どうやって廃品回収にまわすのですか。いつもの箪笥を崩すときのように薪にした方が有意義です。部品が多くて何も使えなくても、そうするしか他に再利用の価値が無い」

 頭の中に、仏田寺のマップを思い浮かべる。
 ここは多くの者達が住む館だ。その館の奥の、とある納戸が……数年前に家を出て行った新座さんが使っていた私室だった。入り組んだ場所にその一室はある。
 元々はただの納戸だった。人が暮らす部屋として作られていないそこを、自室に改造していた新座さんは……自分の趣味のためにピアノをぎゅむっと押し込んだ。
 その大改装はかなりの大作業だったと逸話は残っている。でもピアノは傷一つ無く綺麗に納戸の壁に当てはまっているのだから、改装自体は無理な話ではなかったのだろう。

 この館の周りは広大な森。山の上にある屋敷と下界に繋ぐのは、長い石段のみ。
 石段の下は車が使えるまで歩き続けなければならない。山道は徒歩で十分ほど。その時間、歩き続けないと駐車場に行けない。
 ここは現世から自らを遠ざけた、隔離空間である。
 とりあえず何を言いたいかと言うと……『粗大ゴミ一つを捨てるまででも、時間と労働力がとんでもなくかかる』ということだ。
 その場で壊して分解すればともかく、いいかげん粗大ゴミを片付けてしまいたい、前々からそう考えていたと銀之助さんは話してくる。

「あの、ピアノがあるってことはピアノを買って入れたっていう歴史があるんですよね? こんな山奥まで、あんな大きな物をどう入れたんですか? まさか、あの繊細な楽器を寺で組み立てたとかじゃないですよね」
「あれは三十か四十年ほど前からありましてね」
「えっ……そんなに古いものなんですか?」
「当時は家具を買い替えたり館を増築していたから、専用の業者が頻繁に来ていたのですよ。そのときの一族の誰かがピアノをついでに発注して、持って来させた。その人の私物の一つなのです。そして使われなくなったピアノを、新座様が周囲の筋肉馬鹿を連れ寄って自分の部屋にリフォームさせた。その際に衝動買いしたピアノセットが問題にもなったんですが……それはまた別の話」
「はあ……」

 筋肉馬鹿というのは、武術を習っている誰かのことか。霞さんとかのことかな。

「って、『専用の業者』がいたんじゃないですか! 彼らを呼べばきっと綺麗に移動してくれますよ。だから今の納戸じゃなくて、別の場所に……」
「誰も触れないガラクタを、金を掛けて移動して何になるのです? 巨体を置くためにスペースが無駄になっている。いつか綺麗にしようと思って、もう半年が経ってしまった。私が綺麗好きなのは、ときわ様も……知っているでしょう?」
「……もちろん」

 頷かずにはいられなかった。
 銀之助の家事のプロっぷりは尋常じゃない。何せ、一人で365日厨房の管理をしているし、食材の調達仕入、掃除や洗濯、医者っぽいこともこなしているぐらいだ。全部きっちりしていなければいけないという強烈な信念でもない限り、徹底して仏田の日常を管理はできない。
 彼が『影の当主』と呼ばれる理由は、非常に判る。

「あんな物、金を払って業者を雇うほどの価値は無い。だからあの部屋の物は、木端微塵が相応しいのです」

 そういう冷淡なことをさらっと無表情で言えるのが、銀之助さんの凄いところだ。
 何でもクドクド説教する真面目一本の狭山おとうさんとは違う意味で、尊敬する。
 でも。……でも、でも。

「……あのピアノ、良いものなんですよ……」

 僕は、納得できなかった。

「誰も必要としていない物に、良いものなどないのですよ」
「……そう……ですか……?」

 ……ほんの少し。少しだけ、良い思い出が、新座さんの部屋にはあった。
 昔、新座さんにあの部屋でピアノを弾いてもらったことがある。

 ――今からちょっと、『いいはなし』を思い出そう。それは、僕が八歳のときのことだ。

 幼い頃の昔話。誕生日だからと珍しく(外の世から)仏田の屋敷に連れて来られ、色んな人に挨拶をさせられた。
 挨拶まわりは五歳の頃からしていた。狭山の教育方針はその頃から徹底していた。
 僕は小学校の友人達が言うような『誕生日パーティー』を知らない。あんな浮かれたものはするべきではないと狭山は言うからだ。流行りとか軽い気持ちで行うようなら、数時間に渡る説教を平気でする男だった。
 彼の指導は的確だ。反抗心など生まれなかった。『浮かれたもの』はいらないものだと、頭では理解できた。
 けれど、小学校での話や時々見るテレビの中でのパーティーの風景。美味しいケーキにカラフルな料理、キラキラ光るロウソクの光に、リボンの付いたプレゼントボックスのある生活は……憧れの世界、そのものだった。
 それでもやらねばならないことはやらないと。実家で色んな偉い大人達に挨拶し終えた……とき。
 いきなり手を引いて、ある部屋へ連れて行ってくれた人がいる。狭山の息子の一人、圭吾さんだった。

「ときわ。お前の誕生日パーティーをしよう」

 圭吾さんは狭山の次男。僕より十四歳も年上。だからそのときもう二十歳過ぎの立派な大人だった。
 狭山の実の息子である圭吾さんは自分の兄にあたる人物。年が離れた兄。血は繋がってないけど、同じおとうさんから怒られて教育されている人。優しい彼を、当時の僕はその程度にしか考えてなかった。人生の先輩として、模範生としてしか、僕の目には映ってなかった。その圭吾さんが、兄として『誕生日を』リードしてくれるという。
 押し込まれた納戸は、現当主の三男である新座さんの私室。そこは、カラフルに装飾された部屋になっていた。
 僕はそこで圭吾さん達とケーキを食べた。料理好きの新座さんと、(後で聞いたらお菓子好きだという)圭吾さんが作ってくれたケーキを口に舌。
 滅多に食べない甘い物を食べて、文房具のセット(にしては遊びの入った物)をプレゼントとして二人から貰って……。
 そして、ゲストとして……。

「あっ、藤春伯父さーん、来るのちょっと遅いですよー。むぐー、もう食べちゃってますよ、ケーキはちゃんと残しておきましたけどねー!」
「今日、天気が悪かったですしね……道が混んでましたか?」
「わるいわるい、玄関先で僧に捕まっちまってな……」
 
 ……藤春が、ゲストとしてやって来た。
 僕の本当の父である彼が。

 一緒にケーキを食べた。初めて……父親の手から直接、からプレゼントを貰った。その後に新座さんの弾いたピアノ演奏で歌を唄ってもらった。圭吾さんは、ずっと僕に話し掛けてくれていた……。
 今思えば出来過ぎた感動ストーリーそのもの。ドラマにして起こせば臭すぎる展開だと思う。絵に描いたような『ちょっといいはなし』。
 あの頃の僕は『パーティー』というものに憧れは抱いていたが、別に愛に飢えていた訳ではない。実父とは一緒に暮らしてないから会う機会が極端に少なかったが、彼だって時々顔を見に来てくれた。毎年プレゼントだって貰っていた。だから決して寂しかった訳ではない。
 それでも、直に同じ時間を一緒に過ごしたのは、このときが初めてだった。
 嬉しかった。
 年の離れた優しい兄・圭吾さんが、自分のためにパーティーを企画してくれたこと。新座さんが自分の部屋をデコレートして、ケーキまで手作りしてくれて、ハッピーバースデーの歌を唄ってくれたこと。……実の父が、この為だけに実家へ、自分に会いに来てくれたこと。
 嬉しかった。
 あのときのケーキの味はしっかりと覚えている。それから料理好きになったのは、言うまでもなく。
 同じように……あの部屋……あの時間のピアノの音色は、忘れられないものになっていた。

 新座さんの私室にやって来て……もう人に触れられていないピアノを、指で確かめる。
 ――こんな和室の壁に、でんと置かれて。弾かれないままで……お前も、寂しいだろうに。
 もっとお前に似合う場所に行けたらいいのにな。

 …………。
 ………………。あれ。

「お前の似合う場所……ピアノが似合う場所……って、あるじゃないか」

 実際、ピアノ本体を見に来たら、ピッタリな場所を思い付いてしまった。
 なんだか、あっさりと解決策は見つかった。
 うだうだ考える前に、案外ささっとどうすればいいか答えは出てしまった。

「……洋館……に、移せばいいだけの話じゃないか!」

 ――仏田の敷地内には、洋館が建っている。
 元々そこは仏田寺の来客用ホテルのようなもので、あまり和室に慣れていない人のために「洋室があった方がいい」という意見のもと造られたと言われている。それなら普通にフローリングでベッドのある部屋に改築すればいいのに、昔の人(百年はないだろうけど)は『洋館』という呼び方に相応しい建築物を建ててしまった。
 いくらなんでもやりすぎだろと言いたくなるぐらいの庭園。本当にここは山奥の寺なのかと問い詰めたくなる城のような造り。銀之助さんの極度の神経質のせいで、過半数の部屋は使われていないが普段から綺麗な部屋が並んでいる。そんな絢爛豪華な洋間にピアノがあって何が悪い。
 いや、まず落ち着こう。
 洋館にピアノを移動させる。悪いアイディアではない筈だ。考えるべきことは、どこに持って行くか。洋館は綺麗で広いといっても、所詮ホテル代わりだ。部屋の一つに置いておくのは、あまりに不格好すぎる。ううん、それでもいいかもしれないけど。一つの部屋にだけ置いてあるピアノというのはとても曰くつきに思われそうだ。
 一番広い入口、階段のところにデーンと置くのはどうだろう? ……クールじゃない気がする。
 それに、新座さんのピアノを弾く人はもういない。アンティークとして飾ることを名目に置かなければ、銀之助さんも納得してくれない。だから、無碍には置けない。
 銀之助さんの観点は、『移動させること』より、『今後残す価値があるか』なのだから。

「……心配するな、大丈夫だ。さっきも案外、簡単にアンサーが出てきたじゃないか。急がず、ゆっくりと考えれば良い案が出るさ……」

 久々に訪れた洋館の(殆ど使われていない)食堂で、紅茶でも飲もう。
 ここは掃除が行き届いて、金の無駄遣いに思えるぐらい一級品の家具を揃えてある。おかげで、ここで飲む紅茶は実に美味い。

 誰も使わないけど、とりあえず揃えてあるティーセット。自分の小遣いで買った茶っぱをおもむろに淹れる。
 狭山の居ないところで猛勉強した茶は、自分で言うのもなんだが最高に美味い。時間を忘れそうになるほどだ。
 残念ながら同じ趣味を共有できる人はいないから、一人で時間を忘れるしかない。
 でも……ただ一人。時々だが仕事の終わりに、圭吾さんが付き合ってくれた。

「……圭吾さん……」

 ちょっとだけ、優しい義兄がいとおしくなって、名前を呟いてみる。
 そうだ。あのピアノの思い出も、圭吾さんが誕生日パーティーを提案してくれたからあるものだ。元から洋風の料理やお茶に興味もあったが、本格的に熱を入れてしまったのは、圭吾さんのせいかもしれない。
 圭吾さんがよく、美味しいお菓子を持ってきてくれた。よく美味しいレストランに連れて行ってくれた。義理でも『年の離れた弟』を、『色んな所に連れて行って可愛がるもの』だと思ってたのかもしれない。それでも、僕には嬉しかった。
 圭吾さんは最も自分を理解してくれる人だった。途中からは、趣味があったから彼を好くことができたのか、彼が好きだから趣味があったのか判らなくなるぐらいに。

「……ふう。乙女チックなことを考えるな、僕。きもちわるいぞ」

 紅茶のカップを置いて、頭を抱えた。
 この気持ちに、自覚があった。だから頭を抱える。
 ピアノは音色という印象深い思い出を作り出している。だから壊されたくない。斧でバキバキにされるなんてもってのほかだ。
 斧で、『彼を意識した一番最初の記憶』を壊されるなんて……とんでもないことだ。
 そして今、改めて大きく悩んでいる自分に、余計モヤモヤした感情が湧き上がる。

「うう……平気か、僕」

 こんなに弱々しく苦悩してしまうなんて。
 高校を卒業して、この一族の為に全力を尽くすと狭山に約束した。狭山に宣言してもらった後は、現当主本人にも宣言した。未来を担う若人として期待していると、背筋のぴんとした美しい立ち振る舞いの当主に言ってもらえた。
 言われたのに。……のに。
 妙なことでウダウダ考えている。なんてことだ。人一倍真面目だから、そう考えてしまった。

「ああ、僕……きもちわるいな、なんとかしなきゃ……」
「[大丈夫か?]」

 ――突如、自分以外の声がその場に響いて、絶叫を上げてしまうぐらい驚いてしまった。

 防音完備の洋館だから、良かった。あまりに、はしたない絶叫を上げてしまい、叫び終えた後に赤面してしまう。
 それぐらい驚いてしまった。自分の世界に入り込んでいたところだったから、その姿を見られたと思うと、恥ずかしかった。
 誰に? 彼に? いや、誰だったとしても恥ずかしい!

「……え、あの……?」

 誰でも恥ずかしいが……と、見やった先には、目につく色があった。
 ――赤毛だ。
 綺麗な赤毛の、高身長な男性。一目で「あ、外人さんだ」と思える、掘りの深い顔立ち。
 そうだ。洋館は、和室の慣れない客人のために使われるホテルだった。海外から客として招かれる人が洋館に居てもおかしくない。わざとらしくコホンと咳払いをし、向かい合った。まるで何事もなかったかのようにと心掛け、英語で。

『……I'msorryforlooking.Isitforsome?』
「[いや、気にしなくて結構、私は日本語を学んでいる]」

 あっさり、[日本語]で返された。
 日本語を扱う外国人らしい、独特のイントネーションで応対してくれる。僕は英語が得意だから、ずっと話していける自信があった。が、流石日本の山奥に訪れる客人なだけはある。ちゃんと会話できるまでの教養があるとは。

「ソーリー、お見苦しいところをお見せしました。少々青春に浸っていました……声を荒げたのも単に驚いただけです。何も見てませんよ、驚かしてしまって本当にすみません。ええ、切腹覚悟です」
「…………。[セイシュンにヒタる]……?」

 でも造語的な言い回しをしてしまったせいか、困惑した表情を浮かべている。
 [日本語]は話せると言っても、日本人でも読解困難な言葉を遣うから改めるべきかもしれない。今後、この人に対しては英語で会話をすることにした。

「……やはりこれから先は英語で話しましょう、その方がいい、貴方も英語なら話せるようですし。けど、貴方は英語圏の方ではありませんね?」
「む、よく判ったな。日本人は外人を全てアメリカ人と見ると聞いたが」
「残念ながら、自分も子供の頃までそう思ってたクチです」

 この家の全般情報を司っている銀之助さんが、「海外の方を招いている」と言っていたのを今思い出した。
 なんでも語学研修で来ている、遠縁の方だとか。

「貴方がその人だとお見受けします……ですよね?」
「いかにも、話が早くて助かる。今は日本語を学びたくてここを訪れている。母の姉妹が、この一家に嫁いだのでな。話をよく父から聞いていた」

 男性の第一印象は、「綺麗な声」だった。
 第二印象は、「どこか、古臭い口調だな」と思った。英語だけど日本の「ござる口調」のような、誇張された古めかしさ。流石にそこまで露骨ではないけど、どこか喋りに堅苦しさと面白可笑しさがある。
 ――ここ百年で、海外に飛ぶ血も多くなったという。そのたびに外の国で仏田を名乗れる者も増えたが……そんなのごく一部だ。
 仏田の名を出して一族の手として活動しているのは、ほんの一部。保守派が、一貫して『外の血』を認めないからだ。外は穢れているという考えが、平成の現代だというのにある。それでもこうやって外人を呼ぶのは、呼ばれるほどの力があるからで……。この人も、その一人なんだろうか。

「それより君、大丈夫か」
「ええ。まさか誰か居るとは思わなくて声を上げてしまいました、すみません」
「そうではなく、私が声を掛ける前だ。『きもちわるい』と言っていたじゃないか」
「……オウ、シット……」

 今は英語で話し合っているけど、日本語に精通したこの男性は、頭を抱えながら呟いていた姿を心配して声を掛けてくれたらしい。
 確かに……食堂で、茶を飲みながら「きもちわるい」と言ってたら、何か危ないものでも飲んで気分を悪くしているように見える。見間違いとも言えない。完璧な情景だ。余計な迷惑と、絶対に言えない。

「ノープログレムです。ちょっとだけ調子が悪かったんです。大丈夫ですから心配しないでください、ありがとうござ……」
「大丈夫ではない」

 簡潔な言葉で、ピシャリと声を上げる。
 赤毛の外人さんの、低い、聞きいってしまいそうな渋い声で。

「……ほわい?」
「こんなにも君は苦しそうな顔をしているじゃないか。何かあったんだろう? 何か辛いことがあったから苦しんでいるのだろう? 話したまえ」
「…………『はなしたまえ』?」

 反芻する。日本語で翻訳すると、「話したまえ」と言うかのような話し方だった。
 ちょっとばっかり古臭い(古文ともいう)文法も使っている。僕も言語に精通してなかったら、意味が通じなかったぐらいだ。

「先に、貴方に質問があります」
「私が答えることで君が安らぐならば、いくらでも答えよう」
「貴方、何語が話せますか」
「母国語のルーマニア語以外に、英語、ドイツ語、フランス語、日本語、韓国語を嗜んでいる。まだ韓国語は読文しか自信は無いがな。そのうちロシア語に手を出したい」

 なんだこの天才。そりゃ「自分、日本語話せる」って自信がある訳だ。

「この答えが君の体調回復に何か関係してくるのか? 私にはまったく無関係にしか思えない」
「えー……そうですね。常識的に考えて貴方が言語マニアと判ったところで、面白いだけで何も変わりません」
「む、面白いのか。それは良いことだ」

 面白いという一言を聞いて、ふっと笑う赤毛の男。優しい笑みを浮かべる。
 その笑顔は、明らかに僕より年上なのに子供っぽい笑みだった。もしかしたら、自分の弟達(あさかとみずほ)よりも幼い笑い方を。一瞬の笑顔に、そう感じてしまった。

「で、どうして君は苦しんでいるんだ。どうすれば、その苦しみを取り除くことができる」
「あの……僕が苦しんでいるっていうのは超個人的な問題なんで、あんまり気にしないで頂けると嬉しいんですが」
「言うな。頭を抱えて悩んでいる人間を放っておいてはいけないものだろう?」

 ……ズバリ言ってしまおう。
 この人、めんどくさい人だ。
 でも茶化すことなく真剣に心配してくれる目を見せる。気遣われて面倒に思っても、悪い気はしない。
 寧ろ、見ず知らずなのに気遣ってくれるなんて。すっごく良い人なんだなと思える。この人は各国の言葉が喋れることよりも、他人を理解する力が素晴らしいなと思ってしまった。きっと旅が好きなんじゃないかと勝手にも。

「ありがとうございます。そうですね、話せば……良い案が浮かぶかもしれませんから、是非とも話し相手になっ……」

 ぐう。

「………………」
「………………」

 何か、可愛らしい音が鳴った。
 洋館に外人さんが居る理由は知っている。そんな彼が、食堂前をうろついて病人(?)を発見した理由も判った。



 ――2005年4月8日

 【     /      / Third /     /     】




 /2
 
 彼の名前は、アクセン。自分より6歳年上の、ルーマニア出身の留学生らしい。
 ルーマニア……聞いたことはあるが「そんな国あったな」「吸血鬼がいた国だっけ」と思う程度で、あまり親しさを感じない。そのせいかいい人には違いないけど異界の人だと感じる不気味さを拭えない。言われてもどんな国なのか検討もつかなかった。
 尤もな理由は、英語を遣わなければ彼と一切交流ができないところか。僕も彼も英語が得意だから意志疎通ができるが、そうでなかったらこうして一緒に茶も飲めなかった。
 なんでもまだ大学入り立てとのこと。
 昨年群馬の実家に戻ってここで自営業手伝いとして過ごし始めたが、一時は大学に進むことも真剣に考えていた。より深く勉強に励んでからの方が家業の役に立てるとも思ったのもあるが、キャンパスライフを体験してみたいというのも少なからずあった。もしそちらの道を歩んでいたら、この人と同級生になっていたのか。
 さて、お腹を空かせたアクセンさんには僕が淹れ直した紅茶と、以前圭吾さんがくれたクッキーを差し上げた。
 さすがに洋館の食堂(厨房は無い)で大がかりな料理はできないから、とりあえずは軽食で凌いでもらうことにした。
 彼は用意したものを笑顔で平らげていく。ころころ変えていく表情を見て、やっぱり子供ぽいなと感じた。「美味しいですか」と笑顔に問い掛けてみると、「微笑んでいた方が喜んでもらえる」とおかしな返答が返ってきた。
 これが紳士ってやつかな。現にふとした動きが、やけに優雅に思える。カップの持ち方、口の付け方が……普通の男性と違うものに見えたからだ。

「アクセンさんって、良い所の生まれだったりします?」
「この家には負ける」
「……そうですね。確かにこの家は金持ちだ。それでもアクセンさんはテーブルマナーが良く出来てると思いまして。お父さんが厳しい方でしたか」
「生まれたときから使用人が、一つ一つ私の至らぬところを見てくれた。彼が居てくれたからこそ今の私がいる。もうかなり年配の執事だが未だに甘えてしまう」
「…………」

 使用人とか執事とか、普通に言った……。本物だ、この人。
 いや、お手伝いさんが沢山……五十人ぐらい住み込みで働いている我が家も、負けたもんじゃないけどさ。
 でも、洋風にしただけでなんだろう、この優雅さは。羨ましい。

「それにしても完璧だな、君は」
「はい……?」
「こんなに美味しい紅茶を、初めて飲んだ。私はあまり茶を詳しくないが。使用人が淹れてくれたものとは違う、新しい味だ。数年ぶりの良い食事だ。素晴らしい時間を過ごせたぞ。ありがとう」

 用意された賛辞の台詞のように、流暢な言葉遣い。
 よくあるお世辞だ。たとえ僕を喜ばせるためのありきたりな一文だとしても、趣味で淹れた茶を美味しいと言ってくれること、自分のためなのに「ありがとう」と言ってくれることは……嫌じゃなかった。

「言われても照れるだけですよ。紅茶の淹れ方なんてインターネットで調べただけです、執事さんの足元にも及びません。あとは、このお菓子がいいんです。『このお茶と相性抜群だ』と言ってプレゼントしてくれたお菓子なんですけど、これのおかげで美味しさが倍増してるんですよ」
「なるほど。こんなに良いものをプレゼントしてもらえるなんて、君はその相手に愛されている」

 『愛されている』。
 その言葉につい吹き出してしまう。突然笑ってしまって、アクセンが驚いて目を丸くした。
 圭吾さんに限って、それはありえない。あの人は、自分が好きだから人を連れて行ったりプレゼントするんであって、僕の事を好きだからだなんて……。
 ありえないと笑う。自信なんて、絶対に無かった。

「そういえば。アクセンさんは、ピアノを弾くことはできますか?」
「ピアノ? いや、私は弾けない」
「……そうですか」
「妹がピアノを弾いていて、私はヴァイオリンを習っていたな。父が開く演奏会のためにやっていたようなものだが。……どうした、黙り込んで?」

 …………。
 ヴァイオリンとピアノの連弾……演奏会を開く……。どんだけー……。

「ときわ殿? ピアノが、何かあるのか?」
「いやあ、ピアノに精通している人なら……。ピアノをどこに置くとか、どうやって保存しておくとか判ると思いまして」
「詳しい話を聞かせてくれるか」

 紅茶を飲みながら、クッキーを(決して下品に見えないように)頬ばりながら、まっすぐとアクセンさんは耳を傾けてくれる。
 ついでに、目までを向けてくれた。あまりに真っ直ぐすぎる目に、見つめられる僕が逸らさずにはいられなかった。恋が始まる問題以前に、凝視は勘弁してほしかった。

「よし、それならそのピアノをこの屋敷に持ち込もう」
「…………。ええ、それ自体は僕も賛成です。だけど、問題はその後です」
「何が問題だ?」
「まずは、置く場所ですかね。洋館は洋館でも、元々は人が一晩泊れればいいだけの個室ですからね、レクリエーションルームなんてありませんよ、ここ」
「そんなもの必要なかろう。いざとなったらここ……食堂に置けばいい」
「流石に水場隣接は音が変わっちゃいそうですし、やめた方がいいかと」
「ならば、入口の扉を開けてすぐ。扉を開けたら三メートルでピアノ。斬新だぞ」
「斬新で、確かに広いから置けますが。それでいいのですか」
「いいだろう。鈍器で鬼神の如く打ち滅ぼされるなんて、悲しすぎる。せめて楽器は楽器としての寿命を迎えなければ……」

 銀之助さん、鬼神かぁ。いや、あながち間違っちゃいないけど。

「でも誰も触れてくれなければまた置物扱いされて、銀之助さんが要らないって言い出しますよ……」
「ときわ殿は、ピアノが必要なんだろ」
「はい」
「なら、それでいいじゃないか」

 ……。はい?

「必要としている人がいて、何故それを無価値と言う。思い出の品だと言っているのに、どうして銀之助という人は捨てようとするんだ? それこそ間違っている。こんなにもときわ殿は『ピアノを愛している』と言っているのに、捨てるだなんて……。もしかしたら、捨てたい理由が他にあるのではないか?」

 …………。

「とにかく、人の記憶を無碍に扱うなど許されない。ときわ殿、君はあのピアノを大切に思っている。その気持ちはとても素晴らしいものだ。決して諦めてしまってはいけない。君は間違ってなんかいないぞ」

 ………………。あ、そっか。
 僕……あのピアノが、僕の大切な物なんですって……誰にも言ってないや。

 ――元新座さんの部屋である納戸の整理は、一日もかからなかった。
 いざ食堂から移動し向かってみたらよく判らない品が多かった。だが新座さんは物を散らかさないタイプらしく、片付けるものは多いが、すぐに綺麗になってくれた。
 比較的大柄な体格をしているアクセンさんが、ピアノを持ち上げようとする。ピアノは納戸に入るぐらいのサイズだ。もしかしたら一人でも持ち上げられるかもしれない。
 そう思ったが、やっぱりピアノはピアノ。グランドピアノではないとはいえ、ラクしようとしたのが間違いだった。

「アクセンさん。動かせないなら無理しないでください。応援を……呼ぶしかないようですね」

 と言っても、手伝ってくれそうな人はいない。寺に住んでいるのはひ弱な魔術師か、武術を習っていても元気なちびっこ達ぐらいだ。まさか武術を教えてくれている当主陣営達が手伝ってくれるとも思わない。それこそ「そんなガラクタごときに」と言われてしまいそうだ。
 何より、もう銀之助さんの声が寺中に伝わっている。彼が「取り壊す」と言ったなら、寺中の人間は「ピアノは取り壊すもの」と認識していそうだ。それぐらい彼の言葉は影響力を持っている。
 けど、これは……このピアノは、斧で打ち砕かれる為のガラクタではない。大切にアルバムの中に保管する物といっしょなんだ。

「アクセンさんは、今後ピアノを弾く予定は無いんですか?」
「何故だ?」
「いや……これはさっき言った『僕の大切なピアノ』には変わりないんですけど、僕に音楽の才能は無いのは判っているので。誰か弾いてくれないかなーって」
「音楽の才能は無い? 何故そんな悲観的なことを言う?」
「小中高と培った音楽の成績で判りますよ。自覚ありますよ。僕、比較的優等生タイプだと思うんですが、体育と美術と音楽のせいで通知表がオール5にならない小憎たらしい思い出がいっぱいあるんです。特に音楽はダメです、音感がありません。この前、火刃里くんにやらせてもらったDDRで足を挫いたぐらいです、ポップンで突き指したぐらいです、ドラムマニアで棒を目に刺しかけたり足をつったりするぐらいです」
「……よく判らないが、君がゲームを一通りすることは判った」
「ということなんで、僕がピアノを習うというのはありえません。ですからアクセンさん、今後ピアノ演奏に挑戦する気はありませんか?」
「可能性が無いとは言えないが、正直、今は自分の趣味で手いっぱいだ。私には時間が無いのでね」
「…………? あ、ああ、言語のお勉強のことですか。そうですね、アクセンさんはわざわざ留学しに来てまで日本語を学びに来たんですもの。そっか、資格試験もありますよね。すみません、ピアノを習うにも時間がとてもかかりますし……我儘を言えませんね」

 ――アクセンさんは、大荷物を持ち続けていた自分の掌を見た。

「ああ……そういうことにしておいてくれ」

 痺れてきてしまったのだろうか?

「あ、無理なさらないでくださいね。少しずつしましょう」
「ああ。……私は弾かないが、既にピアノを弾ける人を知っているぞ。ここに住んでいる彼に頼むというのはどうだ?」

 …………。

「って、いるんですかそんな人! この寺で!? 知ってたなら最初からその人達に頼みますよ、誰ですか!」
「私も実際演奏しているところは一度もないから本当かは判らんが。……ふむ」

 ガタガタ、と壁に押し付けられたピアノを一人では動かせないと判断したのか、額に手をやってアクセンは息を吐く。

「やはり助けを呼ばなければ難しい。ときわ殿、救援を要請しよう。私達だけでは無理だ」
「は、はい、出来ればそうしたいんですけど……僕の周辺には思い当たる人がいないのですが」
「ここは片付け終わったことだし、洋館に戻ろうか。手伝ってくれるかは判らないが、大丈夫さ。良い人達ばかりだからな、きっと誰かしら助けてくれる」

 楽天的だなぁ。

 ――僕が好んでよく訪れる洋館は、単調に部屋が並んでいるだけの館だ。もっと凝って造れば、さぞ子供達も大喜びな遊びの場になるのに。中途半端に『寺の敷地内にある宿泊施設』であることを特化している。
 どこを見ても同じ部屋。煌びやかな装飾は目を弾くが、日本家屋の和室を襖で引いているだけのような、あの淡々とした造りがどうも僕の頭を過ぎっていく。
 いや、あそこまでは薄い造りではない。けれどどこか和洋折衷な雰囲気も否めない。

 そんな廊下を、アクセンさん先導で追いかけていく。
 洋館には、外からの来客を宿泊させている。ここに住まわせてもらっているアクセンさんが、ここに住んでいる人に詳しいのは当然だった。僕も、全然知らないのではない。どの国から来たどのようなつながりの人物かは、情報として頭に入っているつもりだ。あくまで立ち聞き程度だから、どんな人なのかまで知らないが。

「ブリッド。いるか? 話がしたいんだ」

 アクセンさんが、一室をノックしながら声を掛ける。
 その言葉は、英語の発音調子が明るかった。相手に合わせて発音を変えることができるのか、少しだけアクセンさんの言葉が聞き取りずらくなる。あまり日本人向けではないヒアリングだ。英語であるのが救いだったが、結局はアクセンさん本人が説得する姿を見ているしかできなかった。
 暫くしてから、扉が開かれる。

「やあ、元気か。一週間ぶりだな、ブリッド」
「………………」

 顔を出したのは、明るめの髪の青年だった。
 年齢は、アクセンさんと同じくらい。扉の隙間からほんの少し見えるだけの姿は、スラリと背の高くてか細い印象を持たせる。髪の毛が重たく垂れているせいか、よく顔が見られない。
 服装はさっきまで寝ていたかのようにちゃんとしてないし。部屋には彼以外に人がいるのか後ろを気にしてるし。
 この匂いはシャンプー、いや、整髪料? 扉を開いた後ろからでも判る。何か、ツンとした刺激臭がする。ワックスのような、スプレーのような。それに……なんか、きもちわるい。行ったり来たりを繰り返していたからだろうか? きもちわるい。
 匂いを嗅いだからか、疲れが今になって出たからなのか。……きもちわるい。…………きもち、わるい。

「ブリッド、話がしたいんだ。今……時間はあるか?」

 声を掛けられた彼は、部屋の奥を気にしている。
 ……どう見ても取り込み中だというのに、アクセンさんは彼を誘おうとしている。空気を読まずに。ある意味、読んでいるのかもしれないが。

「…………。アクセン様、ですか?」
「む? そうだが。まだ気付いてなかったか。アクセンだが、もしかして寝ぼけているのか?」
「……いえ。確か……そのような名前だったな、と」

 大人しそうな男性は、挨拶も入れずそんなことを言う。
 っておい、ついつい僕はアクセンさんにツッコんでしまう。

「アクセンさん、彼とは何回お話したんですか?」
「一週間前に一度、五時間ほど。狼について調べるので書庫に付き合ってもらった。ふむ、まだ名前を覚えられていなかったか」
「それ、思いっきり友達だと思ったら相手は友達と思ってなかったパターンですよ」
「一人で空回りしてしまうのは私の悪い癖だとは妹に散々言われているのだがな。癖はどうしようもない、自分では直せん」
「……あの……ご用件は……?」

 ドアをほんの少しだけ開けて、おずおずと。控えめな目が、申し訳なさそうに尋ねてくる。
 今、髪の毛が濡れているのもあるが、元から少々前髪が長い人なんだ。相手を下から覗きこむ……ちょっと落ち着かない視線が気になる。
 ……なんか、変だな……いや、何が変だとか言えないけど……。いきなり、胸がムカムカした……? こんなときに、どうしたんだ……?

「一週間前。お前は音楽を嗜んでいると言っていた」
「……はい……?」
「是非ともその力で、ときわ殿を助けていただきたい。お前の力が必要なんだ。ついでに、ピアノを持ち上げる力も必要なんだ。私はときわ殿に多くの曲を聴かせたいだけだが」
「うーん、アクセンさん。もしかして露天に可愛くて手頃な指輪が売っていたら、女性にプレゼントするタイプですか?」
「似合っていて手持ちで買えるなら、感謝の気持ちとして送るものに丁度良い」
「いつか女性の優しさに刺される性格ですね」
「優しさなのに、何故刺されるんだ?」

 さて、彼は音楽を嗜んでいると話したらしいが、「ピアノ」とは言っていない。アクセンさん自身と同じ、弦楽器をやってたりしたらどうするんだろう。いまいちアクセンさんの思考回路は判りにくい。それでもポンポンと話を繰り出してくるから、あまり気付かれなさそうだが。

「…………確かに……」
「ん?」
「確かに……オレは、それなりに楽譜も読めますし、何の楽器でも演奏できますけど……」

 何の楽器『でも』? 大した自信だ。

「おお、やはり本当か」
「…………。オレ……誰かに……ピアノを弾けるって…………言いましたか……?」
「言っただろう? お前が言ったから、私は覚えているんだ」
「……弾けますが、でも……。人前で演奏するほどではないので、無理です……」

 ばたん。
 ほんの少しだけ開けていた扉を閉めてしまった。
 返事は、無い。
 演奏が聴いてみたかったが、残念だ……とアクセンさんは目に見えてガッカリと肩を下ろす。名残惜しそうに閉められた扉を悲しそうに見つめていた。
 本当に、この世の終わりかというぐらい悲しそうな顔で。

「アクセンさんって、悲しいときは本当に悲しそうな目をするんですね」
「それはそうだろう。今、私は頼みを断わられたのだから、今は悲しい顔をするものだ」

 それにしたって判りやす過ぎだ。犬だったら耳が垂れていて、猫だったらしぼんでいるレベルだ。
 ――がちゃりと再度、扉が開く。今度は、部屋の中の方から開いた。

「………………あと三十分待ってくれるのなら、……お相手します」
「本当か!」

 それを聞いた途端、頼みを受けてもらえたことに喜びぱぁっと顔を明るくして、ほんの少し開いたドアを力強くバッと勢いよく開けるアクセンさん。
 ああ、判りやすいなぁ、この人。
 その勢いで、せっかく声を掛けてきてくれた人が思いっきり収縮してしまっている。

「ありがとう、助かるぞ。やっぱりお前は、いつも頼りになるな」

 ぎゅっと腕を掴んで、この上ないぐらい感謝の気持ちを表現していた。満面の笑顔だった。

「あっ……。ん、あ……その……は、はい……オレで良ければ……」
「力仕事も頼むことにもなるが、頼んだぞ。お前の準備が整うまでいくらでも待つからな」
「……はい。オレ……なんかで、良いなら……」

 いつも、だなんて言ってるけど、一度か二度ぐらいで仲良くなった気でいるなんて。……気楽な人なんだな。
 この人の天然ぷりは、好き嫌いハッキリ分かれそうだ。僕には今のところ、不快に思えるほどではなかった。



 ――2002年7月22日

 【 First / Second / Third / Fourth / Fifth 】




 /3

 圭吾さんは、よく仕事が空いたときに僕を食事に誘ってくれた。
 一人で店に入るのが嫌だから、同性でもいいから連れて自分が楽しみたいらしい。仲が良かった僕はよく連れて行かれた。圭吾さんが自分の趣味で店に入りたいというのもあるだろうが、僕を誘うというのも一つの目的だったのかもしれない。
 僕はあまり遊び無い性格の子供だと思われていたし、趣味を隠していたから。
 好きなものがあっても、自己主張しなかったせいで無趣味と思われても致し方無い。主張はしなかったが一番僕の趣味に理解があったのが、圭吾さんだ。
 そんな仲の良い彼だったから。あの夜、思い切って尋ねた。

「ときわが、うちに居る理由?」
「はい」

 なかなか聞きづらくて知らないことを、尋ねてみた。
 それは僕、ときわ自身のこと。ウチというのは、狭山の家のことだ。
 公に僕は『狭山の家に引き取られている』とみんなに知られている。だから後ろめたいことだとは思っていない。でも今まで、誰かが事情を話してくれることはなかった。
 訊かないと教えてくれないのが、我が家だ。心遣いが出来ないのが、この一族だった。

「それは、その、ときわ……」
「圭吾さんは理由を知っているんですよね? そんなに話しにくい訳があるんですか?」
「知っているし、お前の年齢を考えるともう話しても良い気がする。でも」
「僕から尋ねているんですから、躊躇せず教えてほしいです。もうハイスクールライフも中盤を迎えましたからね、何が起きても自分の判断で対処できますよ」
「…………。ああ、そうだな。もう、子供じゃないんだから」

 そう言って、圭吾さんは運転席から、助手席に居る僕の髪をくしゃっと撫でた。
 思いっきり子供扱いしてくる。

「一つ危惧しているのが、これを聞いてときわが苦しまないかどうかだ。それぐらい大きな理由が渦巻いていることだから」
「そうですか。子供が実の親に居ない理由ですから、それぐらいのレベルになるとは思いますよ。何があったか知りませんが。で、なんなんです?」
「後悔はしないな?」
「慎重ですね、圭吾さん」
「俺は昔から考え無しに動く癖があるんだ。他人の重要なことぐらいじっくり考えないと、単なる嫌な奴になる」
「そういう他人への気遣いをちゃんと出来るところ、圭吾さんの長所だと思いますよ。狭山おとうさんには無いところです」
「た、確かに」

 車を駐車可能の路地に停めて、圭吾さんは神妙な面持ちになった。言葉を必死に選んでいる。
 けど、選びきれなかったのか。圭吾さんのいつもの話し方で、事実を語ってくれた。

「藤春様は、昔、要注意人物だった」
「……要、注意?」

 絶対に会話に出てくる実父の名前を、あらためて口に出されるとドキリとしてしまう。
 彼の話を求めていたのに、実際されると心拍数が上がっていってしまった。

「すみません、『藤春様』っていう呼び方、ここではやめてくれませんか。そういう敬称、慣れないもんで」
「あ、ああ。ときわがそっちの方がいいと言うなら、そう呼ぶよ。藤春さんはとても博識で、行動力があって……『血』が濃い、力のある人だった。光緑様ほど完璧に近いものはなかったが、それでも術者では逸材だった」
「はい」
「なにより、人格者で……彼についていく者は多く、シンボルになる当主と違って『第二位』というその人自身の指揮能力の高さが求められる役割には、最高の人だったとされた。見てきたように話しているが、俺もガキだったときだから……『そんな風に聞いている』としか言えないがな」
「充分です。そのときまだ生まれてもいない僕には貴重な情報です。所々に難有りだと思うのは、僕が息子だからですね」
「親しい者から見たら評価は変わるけど、周囲の目からは素晴らしい人に見えてたんだな。俺もその一人だったから。……誰から見ても、力がある人だったんだ。そんな常識人が、離反するのはこの家にとって痛手だった」

 …………。

「藤春さんは、とても人格者で、常識人で現代に前向きで、外の世界にも社交的な人だった。そんな人が、周りを引き連れて外に出てしまったら……」
「……オーケー、アイシー。ただでさえ藤春お父さんは、下界に出て働いている人。あまり柵にも囚われない人だというのが僕でも判ります。物理的にも立場的にも、第二位のお方が『穏健派』な意見を持っていると、当時の『本部』……過激派、いや『保守派』的には恐ろしくてなりませんね。当主様に強く口出しできる弟であり第二位の立場のリーダーが、方針と別の考えを持っていたら、そちらに惹かれる方々も多くなるでしょう」
「そうだと思う。藤春さんは、あまり『神の代行』とか『裏稼業』を快く思ってなかったらしいからな」
「そんな、藤春お父さんの内情を話さなきゃいけないってことは……。僕とも、とっても関わり合いのある話だっていうんですね」
「ああ。あまり言葉で装飾するのは良くないから色々別の単語を探したんだが……思いつかないから、ズバリ言うぞ」

 はい。僕は頷く。
 何が来ても驚かない構えをしながら。

「お前は、人質だ」

 …………。
 まあ、今の流れ的に、そんなようなもんだと思っていた。

「藤春さんは、反抗する意思を見せないとはいえ、どちらかといえば外界向きな考えをしていたし、積極的に『仕事』をしようともしなかった。兄であり当主の光緑様を非難することも……少なくはなかった。そんなとき藤春さんは、外で女性と出会い、結婚して、子供を作った。……『どこの誰か判らない女』と」

 頭の痛い言い方をする。
 だが『我が家の中身』が目について、とても判りやすかった。

「藤春さんは、外界で……誰にも干渉されることなく、自分でお嫁さんを選んだんだよ。お前のお母さんなんだけど……。知っていると思うけど、うちに嫁ぐ女性は大抵……」
「『良い血』を持った、能力者のお嬢さんが大半ですからね。殆どは、その当時の『本部』が選んだ人とお見合いさせてたんでしょ。……昭和になってもうちはそれをやっていた、と」
「殆どの結婚は愛のあるものだと思うよ。愛は無くても子供は作れるけど」
「……ウチの実家が旧世代的なのは、承知しているつもりです。それに……豊春(とよはる)おかあさんもそうだったと、前に聞いたことがありますし」

 狭山の妻、つまりは圭吾の母・豊春(とよはる)という女性も、何気なく自分は『お見合いだった』と雑談したことがある。
 僕が持っている、数少ないあの夫婦の情報だ。これも『尋ねなければ入らない情報』だからではなく。ただ単に、『容量が少ないから簡単に頭に入った』情報に思えるが。
 藤春という人は、すっごく偉い立場なのに反抗心剥き出しで、しかも態度だけじゃなく危険行動までしていた。外で何者かも判らん女と子を作って、更に敵を作って……。

「ははあ、つまり。外界寄りでフリーダムの父を戒めるために、生まれた僕は保守派代表格の一族の元に預けられた。これで実父は離反することも縁を切ることも、刃向うこともなくなりますね。普通は血の繋がった子供を傍に置けない状況に陥られたら。己のグループの主義主張を守るために子供を利用する……」

 まるで戦国時代のような話だ。つい二十年前の話なんだけど。

「……嫌な気分になったなら、この話はやめよう」
「圭吾さん、話してくれてありがとうございます。別に僕は、どうってことないですよ」

 あまりに徹底した世界に、とても感心しているぐらいだ。
 育ててくれた義父・狭山のことはこれからも感謝し続けるし、ずっと仏田一族も尊いものだと思っていく気でいる。力になっていきたいとも心から思う。
 でも、それとは別に……。

「知りたかったことを知ることができて、満足しています。スッキリしました。……緋馬くんを引き取っていて、僕を自らの手で育てないのが理不尽な理由じゃなくて、安心しました」

 ふう、と目を閉じて溜息を吐く。
 藤春は現在、あさかとみずほという実の息子二人と、緋馬という少年を育てている。三兄弟のごとく。そこに、実の息子でない男の子がいるのが……なんか引っかかっていた。
 決してマイナスの感情ではない。けど、そう思われても仕方ない想いであった。
 自分が引き離された理由も知りたがったが、自分ではない子が実父の元に居る理由も知りたかった。が、個人的な感情でポイ捨てされたのではないと判った時点で、追及するほどのことではないと察する。
 そうだ、全ては……実父の、前向きな性格故に起きてしまったことなんだ。外へ外へと出て行く父だからこそのこと。
 その人の性格非難なんてしたくなかった。長所であれば尚更。父親であれば更に、余計にだ。
 さぞ『本部』はうまくいったとほくそ笑んでいるだろう。第三位の子供は、家を大事にする子供へと『洗脳完了したのだから』。

「圭吾さん、ありがとうございます。話してくれて」
「……ごめんな。もっと良い言い方があったと思う……」
「判り易くて良かったですよ。変に修飾されるよりよっぽどスッキリしました。気分も晴れやかです」
「本当か?」
「…………そういうことにしておきましょう」
「……そうだな。もしお前が許してくれるなら、もう一件ハシゴしてもいいか?」
「まだどこか食べに行くつもりですね。圭吾さんに食いしんぼうキャラが付かないか僕心配ですよ」
「食べに行くんじゃない……いや、行ってもいいけど。単に、ときわ……お前の気分を爽快にさせてやりたいだけだよ」
「…………。ありがとうございます。やっぱりそういう『目に見える気遣い』ができるの、圭吾さんの良いところだと思いますよ」



 ――2005年4月8日

 【     /      / Third /     /     】




 /4

 あのピアノは、三十年以上前からあるという。綺麗に整えられすぎた洋館には、少しみすぼらしく見えるが、少し磨けばアンティークっぽくはなる。
 やっぱり和室にあるよりはずっと恰好がつく。あの部屋にあったから作れた思い出かもしれないが、バキバキに壊されていくよりはこっちに移した方が百倍良い。
 ピアノを置く。洋館の入口に、でででんと。
 被っていた汚れた布も剥ぎ取り、楽器としての顔を出してあげた。久し振りに『思い出の彼』と対面した。

「ブリッド、ピアノはよく弾いていたのか?」
「………………はい」

 アクセンさんの問いに、彼……ブリッドさんは、控えめに答える。
 話しかけられてもあまり眼を合わそうとしない。何かと凝視してくるアクセンさんとは大違いの、内気な印象を抱いた。

「凄いですね。楽譜を読めるだけじゃそう簡単に指なんて動かないでしょうから、本当に音楽を嗜んでいたんですね」
「…………いえ、それほどでは……」
「ブリッド、誰に音楽を教わったんだ?」
「……。父、です…………」
「ああ、そうだった、お父上だと言っていた。音楽に理解のあるお方だったんだな」
「………………」

 『父』の一言を口に出したとき。あからさまに、ブリッドさんの顔が暗くなった。
 何らかの事情がある。それを察知したのか、すぐさまアクセンさんは声色を変える。

「これで作業は全部終了だ。本当に助かったぞ。手伝ってくれてありがとう、ブリッド」
「え、あ…………はい」
「ええ、付き合ってくれてどうも。サンキューです。後はブリッドさんのように弾ける人がいるんだから『これは必要な物』だって僕から銀之助さんを説得しますね。その際にブリッドさんの名前をレンタルするかもしれませんので、宜しくお願いします」
「あ…………はい」
 
 ブリッドさんって何かとあると一拍子「え?」や「あ……」が入る人だな、と思う。
 アクセンさんは彼に合わせた喋り方をしているぐらいだから、単にこの人が喋ることが苦手なのかもしれない。髪の毛はもう乾いているけど、前髪が長くて目を隠しているようだし……アクセンさんが真正面から話しても、別の方向を向こうとするし。
 でも、一生懸命話そうとしているから、嫌っている様子ではないみたいだった。そういう性格もいるんだ、と自分を納得させた。

「さあ、弾いてくれ」
「アクセンさん、それは急すぎます。力仕事を手伝ってくれた手でいきなりというのも大変です。それに、ブリッドさん……演奏は全然してないでしょう?」
「…………はい」
「調子を取り戻すためには、少しでも復習の時間はとらないと。別に僕は、今すぐピアノの音色を聞かないと死んじゃうんじゃないんですから。いつか演奏してくれるだけでいいんですよ。だからそのうち聞かせてくださいね、ブリッドさん」
「ん、そうだったな。急かしてしまってすまない、ブリッド」

 アクセンさんが、頭を下げる。

「っ…………」

 深く、深く深く頭を下げるアクセンさん。その姿に、ブリッドさんはひどく慌てた。「そんなことしなくていい」と言いたいかのように。口に出して言わないのが気になるが。
 自己主張が苦手な性格なのはちょっと違うけど、自分もさっきまでそうだったから何も口出しできない。

「さて。そろそろ夕食ですし、手を洗ってゆっくり休みましょう。ちょっと銀之助さんに言わなきゃいけないことの他にも、連絡を入れなきゃならないですし」
「連絡? 何かあったのか」
「いえ、単に『僕は今日、洋館で夕食をとります』と言ってくるだけです。今夜はこっちで食べたい気分ですから」
「…………良いのですか、ときわ様?」

 ブリッドさんが控えめに、言いたいことがよく判る質問をしてくる。
 多分、ブリッドさんは『僕がどんな生活をしているか』知っている人なんだ。少々暑苦しい日々を送っていることを。

「僕はまだ下っ端ですから、本殿で偉そうに食べる資格なんてないんですよ。今だってそんなことしません。寧ろ偉くなったとしてもそんな傲慢なこと、したくないです」
「ん。ときわ殿は『偉い人』なのか?」
「判らなかったなら判らないままでいいですよ、アクセンさん。僕は今夜知り合った方々と、楽しく会食したいだけですから」
「いや、私からも頼む。君がどんな立場か知らないが、一緒に楽しめるならそれがいい。食事は大勢で話し合いながら取るから楽しいものなのだろう? 今後も私と付き合ってくれ」
「毎回は無理ですけど、お互い時間があったらお願いします。それと、食事だけじゃなく……お茶会を開いたら参加していただけますか?」
「もちろん。君と共に話が出来るなら、是非」
「良かった。知識のある人とお茶をご一緒できるなんてこれほど幸せなことはありません。明日にでも開催したいぐらいです、早急に取り寄せます」
「楽しい時間を共に過ごせることほど幸せなものはないだろう? ブリッドも、頼むぞ」
「…………。え? はい…………?」

 声が掛かるとは思ってなかったのか。声を掛けられて、ブリッドさんがびくりと飛び跳ねる。
 そんな傍に居たら、声を掛けない方が気まずいと思うが。

「ブリッド。ときわ殿の茶会の誘いを断るのか?」
「…………ときわ様、オレのような人間が傍に居て良い、んでしょうか……?」
「断る理由が特に思い当たりません。今日はあまり貴方と話せなかったですけど、アクセンさんのお友達なら愉快なことの一つぐらいは出来るんでしょ」
「ときわ殿。私の友達なら出来る、というのは些か疑問だが」
「嫌な人でもないし、怪しくもないってことですよ」
「ああ、そういうことなら問題ないぞ、ときわ殿。ブリッドは何でも出来る素晴らしい人だ。私が頼んだことは必ずしてみせてくれるからな」
「それ、無茶ぶりして芸をやらせるお笑いタレントみたいですよ、傍から聞くと。無意識にアクセンさんがムチャさせてるんじゃないんですか」
「そうなのか?」

 無茶をさせていたかもしれない、と言われた瞬間、アクセンさんの顔が真剣そうなものへチェンジした。
 あまりの真面目な顔つきに、向けられた側は怯えるしかない。

「いえっ……出来ることしかやりませんから……」
「まさか私は、今まで、お前に無茶をさせていたのか」
「……いえっ! ですから……その、偶然にもアクセン様の言ったことが……全部、オレが出来ることだったんですよ……。今日のピアノ運びも体力には自信あったからしたんですし、演奏も少し練習すれば勘を取り戻すから弾くって言ったんですし……そうでなくとも、『やれ』と言ったものなら、大抵のものは……」

 慌てながら必死に弁解する彼。
 ……見事に出来るものを言い当てるのが本当なら、この二人の相性は物凄く良いんじゃなかろうか。

「じゃあ、茶会に出席してくれ。これは出来ることだろう。毎回来てくれ」
「…………はい、出来ます……。お茶とか全然詳しくないですけど……教えて頂ければ……」
「ときわ殿が天才的に巧い。先程聞いた話だと、料理の腕も一級らしいぞ」
「判りました……お茶とお料理……勉強します……」

 いや、二人とも、そこまでしなくても普通に飲みに来ていただくだけでいいんですよ……。
 なんか微妙に噛みあっているような、噛み合っていないような。
 まあ、兎に角。無事にピアノを回収できたのだから、今日の悩みは解決できた。
 それほど悩み続けることなく、ピアノを助けることができた。それの祝杯と、新たにこの敷地内で楽しみが増えたことに今夜は感謝しながら、楽しい時間を過ごそうではないか。

 ……それにしても、結構ピアノ人口多いんだなぁ。
 意外や意外。と言っても、まだ新座さんを含め三人ではあるが。
 それでも、新しい出会いがピアノのおかげで出来た。軽い足取りで、厨房の銀之助さんの元へ向かう。
 三十年前に我儘で取り寄せたというご親戚に、こっそり感謝しながら――。




END

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