■ 006 / 「報復」



 ――2005年1月28日

 【 First / Second / Third / Fourth / Fifth 】




 /1

 女が魔術師に出逢ったのは恋の延長上。好きになった男が、たまたま黒魔術をかじっていただけの話である。

 ごく普通の人間の女学生だった女は、ごく普通に人間としての魔術師と出会った。
 魔術師への印象は、「本の虫」。少しある分野に対して熱心に勉強している、真面目な男性程度にしか思っていなかった。毎日のように書庫に籠もる男の本性を見抜いた女は、彼を魔術師としてではなく、一般の男性として惹かれていった。

 それはいつかの夜のこと。酔った女は、家路についていると男を見付けた。
 男は人気の無い広場で呪文を唱えていた。重たい本を片手に、真夜中、何かを歌っている。一見すれば怪しい存在と見られるが、女は彼に惹かれているから、さほどおかしいとは思わなかった。
 なんせ女は神秘的な存在が大好きだった。魔術を忌み嫌う人間は多い。でも女は不思議と違和感を抱いたことはない。寧ろ、人より占いの類は好きだったし、神秘を無意識に追い求める性格だったぐらいだ。
 他者より少し非日常が好きだった女は、今まさに神秘を纏おうとしている男に興味があった。ミステリアスな彼に惹かれたのは、当然な流れだった。

 その日、彼に会えるとは思っていなかった。声を掛ける。酒気を帯びた女は明るい気分で立っている彼に近付いて、一体何をしているのと尋ねた。
 女にとって質問する行為自体に意味がある。どんな答えが返ってきても構わなかった。彼との共通の話題が欲しかっただけで、答え次第で話を展開する気でいたから、男がどんな不気味なことをしていても気にしなかった。
 男は応える。黒魔術を学んでいたんだよ、と。女の予想通りの返事が返ってくる。
 男も近寄ってくる女を知っているから、当然の様に受け答えた。
 女はまた問う。いつも書庫にいるのに今日は外でお勉強なの? 男も親しげに応える。普段は読んでいるだけだった、でも実際にやってみたいと思ったんだ。そうなの、と相槌をうつ。男は続ける。今日は実習、初めての実習なんだ、実習には血が必要なんだ、と。
 そのときやっと気付いた。自分の体を纏うアルコールのせいで、周囲の『鉄の香り』に全然気が付かなかった。
 外灯の無い暗闇の中だったから、足下に何があるか判らなかったのかもしれない。
 女の足元には、猫が在った。
 猫が居た、ではない。猫が、ありえない姿で横たわっていた。
 足元には飲んだワイン程の水たまりがある。赤い水たまりの中で、猫が目を開けて眠っている。
 女は動物の中で猫が一番好きだった。普通の精神ならそんな惨い猫の姿を見れば錯乱したかもしれない。
 でも、それ以上に男に惹かれていた。だから猫の死骸なんて気にしなかった。それよりも、それよりも……。

 女は思う。
 この人は……こんなに楽しそうに自分の趣味を語るんだ。まるで子供のようにイキイキとした目をしているじゃないか。なんて可愛らしい!

 暗闇の中でも、外灯の無い外だというのに、男の目が輝いて見えた。
 魔術師といっても人間の目が赤く光ることはない。でも女には真っ赤に染まっているかのように見えた。他の人が見たら「狂気の瞳」と怯えるかもしれないけど、闇の中、夢を語る彼の目は誰よりも魅力的な輝きだった! ずっと見ていたいと思わせるほど!
 男が楽しそうに猫の中身を引きずり出す。その表情といったら、感動の嵐に襲われたように美しい笑顔に満ちていた。
 猫が死んでいく。彼の目は生きていく。どちらを見ていたいかと言ったら、当然、恋する女は後者だった。

 女は知っていた。彼が『この程度』で満足できない性格だって。
 だってずっと彼を見てきた。最初は全然知らなかった男子学生だったのに、いつの間にか目は彼を追っかけていた。
 「変な人だから近寄らない方がいい」と女の友人達に言われたけど、無視した。そんな女を見て、女の友人達はみんな、こう言った。

「そこまで好きなら絶対に幸せになってね」

 優しいみんなは、応援してくれた。後押ししてくれた。
 だから今、自分を幸せにするよう、幸せになれるよう、彼の隣にいる。彼と話している。彼と共に同じ空気を吸う。
 これだけで幸せなんだ。でもこれ以上の幸せを求めたいんだ。これ以上の幸せ、それは……。

 ――こんな量でいいの?

 女は口を開く。
 だって女の願いは、彼にこれ以上満足をしてもらうこと。

 ――本当はこんなんじゃ全然足りないんでしょう。もっと量が欲しいんでしょう。アタシは知っている。こんな小さな生き物の血じゃ、アナタの欲求は収まらないって。アタシには判る。アタシだから判る。アタシは、アナタのことをずっと見ていたから、知っているんだから。

 女は精一杯アピールした。男に好かれたいがために。

 ――貰えるならいくらでも欲しいでしょう。満足したいでしょう。じゃあ、もっと探しに行きましょう。もっと多くの、■■を。

 口は自然と動いていた。
 女は魔術師ではない。血が何の為に必要なのか、知識が無いからさっぱり判らない。
 殺人狂でもないから、血は人を殺せばすぐ手に入るなんてことも、そう思い浮かばない。
 ただ、男が喜ぶことを言いたかっただけだった。どんなに一般論に反していても、悪事に走っても、被害者が多大になろうとも、アタシは彼の為になろうと。

 それは、恋する女性であれば当然のこと。
 すべては一人の幸せのために。二人の愛のために。
 なんの特別も無い、悪夢の始まり。



 ――2005年10月16日

 【     /      / Third /      /     】



 /2

 僕はいつも、お世話になっている教会のシスターさんに起こされて起床する。
 なのに今日は、自然と目が覚めた。

 ここは教会。街中にあるこの建物は幼稚園と隣接していて、朝になると子供達の明るい声が響く場所だ。
 神様のことを学びに来る子供や大人達が訪れる場所である教会は、僕の第二のお家だった。
 数年前から教会の宿舎に泊まっている僕は、そこで寝泊まりして働いている。
 黒いお洋服を着て教会に立つお仕事をしているが神父さんじゃない。専門的な勉強をしたことはないから神父さんにはなれない。どっちかって言うと子供のお世話をするから、保父さんと言った方がしっくりくる。
 いつも着ている黒いお洋服は、雰囲気が出るから着させてもらっているようなもの、普段はエプロンでその服を隠してしまっているぐらいだ。
 そんな生活を続けて、もう結構な月日が経った。今日の予定はクッキーをみんなと作るんだっけ……とか考えながらベッドで目を擦っていると、大きなオーラが教会に生じているのに気付いた。
 起きてすぐ誰かが訪れるのを察知できるほど、強い何者かが教会に来ている。お客人かなと、ぼうっと考える。出来れば人間様であってほしいと思いながら、着替えて自室を出た。

 教会を管理しているシスターのムツ子と廊下ですれ違ったので挨拶して、「何があったの?」と、とりあえず訊いてみた。
 ムツ子は「貴方のお友達が来てるわ」と優雅に笑う。ああ、ムツ子が笑っているってことは問題は無いんだろう。なんか安心した。
 彼女、シスターのムツ子は、この教会と隣の幼稚園の持ち主だ。正確には彼女のお父さんが所持者なんだけど、実質彼女が園長先生っぽいことをしていた。毎日多忙だが、子供達や訪れた人々を笑顔でお世話をして、とても幸せそうに暮らしている。
 彼女無しでは今の僕の生活は成り立たない。僕がやらせてもらっている仕事は、彼女を手伝うことだからだ。何かと忙しいムツ子を手伝うことが僕の日課だった。
 子供達の世話をしたり、大人達への応対をしたり、現れた者の悩みを聞いてあげたり、悩みを解決してあげるためにどっかに行って何かを倒したりするのを……僕は助けてやっている。
 悩み事相談所、それが退魔組織『教会』のあるべき姿だというムツ子の言葉を信じて。
 教会は何かと悩んでいる人々を助ける場所で、とても素敵な職場だから、僕はここに居る。
 実家からの呼び出しが無い限り。

「朝っぱらから友達の応対させちゃってゴメンね、ムツ子」

 そんな素敵な職場を管理している彼女は、素敵な女性だ。ステキという三文字で片付けるのは勿体ないぐらい、強くて頼りになる。
 覚悟を決めて何者かが居る礼拝堂に行ってみると、なんてことはない、僕の知り合いというか親戚が礼拝堂の席に座っていた。

「えーっ。……なんだ、カスミちゃんじゃん」

 てっきり誰か大物が来ているかと思ったら、同い年の親戚が居るだけで拍子抜けした。

「なんだじゃねーよ、バカ新座。てめー起きるの遅すぎるだろ、今何時だと思ってる」
「朝の六時ちょっと過ぎたぐらいじゃないか。……ちぇー。カスミちゃんが来てるだけなら、もうちょっと遅くくれば良かったー」
「んだとコラ」
「だってまだ髪セットしてないんだよ。顔洗ってそのまま来ただけだもん。……むぐぅ、ちょっとお手洗ってくるー」
「殴るぞ!? てめ、話ぐらいは聞いて行けバカ!」
「ほーらまた殴るとか物騒なこと言うしー。カスミちゃんの話キライだからヤだー。寧ろカスミちゃんキライだからヤーだー」
「殴る!」
「……あのさ新座くん、霞も用が無く来ないんだからとにかく話はさせてくれないかな」

 と。カスミちゃんのオーラが強すぎて、後ろに居る圭吾さんの微々たる存在感に気付けなかった。
 カスミちゃんの後ろに、彼の兄が座っていた。特に隠れるようなこともしてないのに気付けなかった。圭吾さんだった。

「あれ。新座くん、もしかして体調が悪かったのかい?」
「……むぐ。毎日のことです。僕、朝は弱いんで」
「なかなか眠れないって前も言っていたけど、まだ不眠症は治ってないのか。本格的に診てもらった方がいいんじゃ?」
「定期的に普通のお医者さんと、普通じゃないお医者さんに診てもらってるんですけど、どっちも様子見だって言われてます。……ところで圭吾さん」
「なに?」
「いつから居たんですか」
「最初から居たじゃないか」

 この会話、圭吾さんに会うたびにしているような気がする。うん、何度もしたことだ。
 毎回やっているお約束をまた言ってしまい首を傾げ、毎回やられているお約束をまた圭吾さんは言って笑った。
 僕は、人の『何か』を感じるのが特技だ。感応力というのを操ることができるので、誰が来たか顔を見ないで言い当てられる自信がある。
 でも何故か、圭吾さんだけは言い当てられずにいた。何故か彼のオーラは感じることが出来ないでいる。だから会うたびに毎回尋ねてしまうんだ。
 なんでだろうなぁ。昔は圭吾さんのことも感じることが出来たのに、なんで最近彼の力を感知することできなくなってしまったんだ。
 影が薄いってこともないのになぁ。だって圭吾さんは結構、体格良いし。カスミちゃんのお兄ちゃんだもん、そりゃ大きいさ。なのに、うーん。

「……えーと。まあいいや。圭吾さん、どうしたんですか」
「おいバカ新座なんで俺は無視してアニキは!」
「もしかして今日は目覚まし時計のお仕事でもしてるんですか? 朝から圭吾さんも大変ですね」
「てめ、教会を血で染めてやろうか!」
「霞は黙っていろ。新座くんもちょっとは自重しなさい」
「むぐー」

 ぷんすか怒っているカスミちゃんをお兄さんらしく、圭吾さんは一言で大人しくさせて、僕に笑いかけながら席に着かせようとする。
 渋々、腰を下ろした。カスミちゃんは僕を睨みつけながら礼拝堂の長椅子の上であぐらをかいている。品が無い。
 そんなカスミちゃんから発しているオーラは強く、でも邪念は無く、まっすぐで真っ白だった。どんな人にもオーラには色があって見えるもので、僕の家は血筋ならばその色はハッキリ見える。
 それは他の血より濃いというより、僕と同じ血だから濃く見えるっていう感覚の方がしっくりする。カスミちゃんだけじゃなく燈雅お兄ちゃんや悟司さん、鶴瀬(つるせ)くんもハッキリ見えるんだけど。圭吾さんは……まあいいや、この話はいつも決着が着かないから終わらせよう。

 時刻は六時過ぎ。
 太陽が昇りきっていない時間帯に、親戚同士、教会に集まって話をすることになった。
 やんちゃな子供達が作り出す礼拝堂でのいつもの空気とは違って、実家の我が家に近いものになった。あんまり良い気分じゃなかった。
 実家が嫌で家出してきた僕にとっては、親戚と集まってお家のことを話されるのは楽しくないからだ。
 圭吾さんが話し出す前に許可を取り、朝にするお祈りをする。全てが終わったところで溜息を一つ、バレないようについて二人に向き合った。

「まずは新座くん、おはよう。こんな早朝にすまない。事前に連絡したつもりだったんだけど、こんなにも予定が……」
「事前に連絡を? ……はぁ、それ、ムツ子に、だろ。全然こっちには入ってなかったよ」
「それは失礼。昨夜電話したけど、出たのは確かに奥さんの方だったね」
「前置きはいいよ、圭吾さん。用件を早く言ってくれると嬉しいな。あ、別に僕、怒ってる訳じゃないんだけどね。こんな早朝に圭吾さんが来るってことはやっぱりそういう話なんだろ?」
「ああ、早速話させてもらおう。……霞、お前もちゃんと話を聞く態勢になれ」
「あん?」
「志朗くんとの約束を潰されたのが悲しいっていうのはよく判る。でも仕事なんだ、割り切ってくれ」
「むぐっ!? なにそれ!? カスミちゃんがお兄ちゃんと約束ってどういうこと!?」
「志朗兄さんと俺が何をしたって別にいいだろ!?」
「良くないよ!? お兄ちゃんは僕のお兄ちゃんだぞ!? 二人でどっか行くとかやーだー!」
「志朗兄さんはみんなの兄さんだっての!」
「僕のだよ!」
「…………二人とも話していいかな。昨日、いや二日前、緋馬くんが入院したっていうのは聞いている?」

 めげずに圭吾さんは僕とカスミちゃんの間に入って話を進める。
 少し黙り、「ちょっとだけ」と答えてみた。僕の返しに、「よく知ってるね」と圭吾さんは驚きながら微笑む。
 でも、僕がそのことを知っていたのはホントに偶然だった。
 昨晩、何気なく実家に居る鶴瀬くんと電話をして、その話の間にちょこっと聞いたから知っただけだ。
 鶴瀬くんというのは僕のイトコで、実家の『本部』で働いている子だ。彼は退魔業を運営している『本部』で、切り盛りしている中心人物達をサポートする仕事をしている。
 この教会を切り盛りするムツ子をサポートする僕と同じように、鶴瀬くんは僕の実家を支えている子と言える。
 僕と鶴瀬くんは仲良しで、頻繁に電話をする。昨日は、以前頼んでいた調べ物を鶴瀬くんに訊きに電話を掛けていただけ。
 話が脱線しちゃったけど……。とにかく昨日、偶然にも『緋馬くんが仕事に失敗し、入院することになった』を聞いたんだった。

「病院送りだなんて心配だね。鶴瀬くんから全治二週間だって聞いてるよ。緋馬くんって……高校生だったよね、学生さんなのに大変だ。お見舞いに行った方がいいのかな?」
「いいや、単なる擦り傷だから大きな心配はしなくていいよ」
「むぐ? 擦り傷で全治二週間なの?」
「ああ、全治二週間の、『異端の呪い』を受けた」

 圭吾さんは部分的なことしか知らない僕に、詳しく、カスミちゃんの話と違ってとっても判りやすく、説明してくれた。

 ――緋馬くんは、寄居くんと一緒に『仕事』をしていた。『本部』から任された、二人でも解決できる幽霊退治を……魂の回収業をしていた。
 緋馬くんの魔術、寄居くんの武術の腕があれば何の問題の無い任務だった。けれど何事も無く終わってはくれなかった。
 緋馬くんは怪我をした。……呪いの域までいってしまった擦り傷を負ったという。
 もちろん、任務で潰すべき悪い異端は少年二人の活躍によって無事浄化された。事件は一件落着。
 ただ異端の自爆同然捨て身特攻のせいで緋馬くんは負傷し、とりあえず病院行っとくかー、という流れで入院させられたらしい。
 圭吾さんの説明や、昨晩の鶴瀬くんの口調の軽さからして、さほど問題は無いのが判った(元から圭吾さんは明るい調子で物事を言う人だけれども)。
 緋馬くん達の仕事が終わった後、ちゃんと『本部』の人が足を運び、仕事がクリアーできてるか確認もしたという。
 東京のある一角で起きた不可思議空間は、キレイサッパリ押し流されていたらしい。
 暫く緋馬くんは入院だけど、手間と暇とお金全部を掛けて安静にすればいい。どこにも問題は見当たらなかった。

「どちらかというと心配なのは緋馬くんじゃなくて、藤春様の方かな」
「藤春叔父さんが心配? どうして?」
「前に話したけど覚えているかな? 藤春様は緋馬くんを『仕事』に出すことを反対なさっていただろう。それでも退魔をさせる条件として、『緋馬くんが無事な仕事しかさせない』っていうやつだった。それなのに……」
「緋馬くんが入院するほどの怪我をしたから、藤春叔父さんがお冠かもしれないと。あはは、なんだか平和な心配だね」
「平和ボケし過ぎだろ、バカじゃねーか」

 僕が笑うと、カスミちゃんがどっか違うところを見ながら、愚痴る。

「怪我しない前提の仕事って何だよ。異端は人間を殺しにかかってくるんだぜ。なのに傷を作らないような任務を選ぶって、んなコトできる訳がねーのに。藤春様もイカれちまったのか」

 僕も一瞬、考えたことだった。
 でもカスミちゃんが代わりに、心無く言葉にしてくれた。口にしなくて済んだ。僕が酷い奴にならずに終わったことは感謝しよう。

「それだけ藤春叔父さんは緋馬くんのことを大事に思っているんだね。良い話だよ」
「ああ。何度も言うけど、緋馬くんの怪我に関しては心配する必要は無いよ。それとは別に」
「別に理由があるから、圭吾さん達はここに来てるんだよね、当然」

 当然だ。
 冗談ぽく圭吾さんは言い、カスミちゃんは強い口調で言った。

「事件をチェックした指扇(さしおおぎ)さんは……『退治すべき霊は全て退治、回収された』と言っていた。そのことは俺も改めて調査してみたんだけど、変わりなかった。……新座くんは知ってるかな。あまりに現実離れで誰も見向きもされなかった魔術師の話を」
「どうだろ」

 本題の話になり、僕は自らの頬を叩いた。完全に覚醒させるために、気を引き締めるために。
 あ、ちなみに指扇さんっていうのは寺に居る僧侶さんの一人だ。誰かの親戚ではない、外から仏田寺にやって来てあそこで修行しながら住んでいる僧侶さんだ。

「誰もが『映画の見過ぎだ』、『創作物の見過ぎだ』と思ったぐらい、ファンタジックな吸血鬼の話を」

 圭吾さんはジャケットから小さなノートを取り出して、メモに助力されながらも、説明を続けた。

 ――簡単に言えば、狂気の道に足を踏み入れてしまったとある男の……魔の世ではありきたりすぎるお話だった。

 ある大学生の青年が、黒魔術にハマったらしい。
 そして黒魔術の為に最初は動物を、そのうち人間を殺してしまった。魔術の道を選んだ者なら必ずぶち当たる『非日常との壁』の話。
 そこまでは珍しい話ではない。悲しいことに、魔術師が凶行に走ってしまって、世間では認められないから退魔組織によって処罰されるというのはよくあることだ。
 いくら実験の為とはいえ人を傷付けてはならない。異能を持っている者は異能を用いて一般人を傷付けてはならないというのは、数百年、数千年前から約束付けられていることだった。

 さて、どんな高等な悩みでも、一般世界では『気が触れた青年の犯行』で済まされてしまう問題。
 その大学生は、警察にお世話になる前に世間に電波的な台詞を吐いていたことが有名になって、「精神に異常がある」と診断された。
 しかもそのことを大っぴらにやっていたらしい。彼は電波的で有名で、周囲から変な人と言われ、いつか何かをするんじゃないかと噂されるほどだった。
 一般世界では魔術師とか異能力者は隠される存在だ。言ったとしても誰も信じてくれないもの。
 なのに彼は、「自分は魔術師だ! だから血を求めるんだ!」と言いまくっていて、それをメディアで取り上げられてしまった。
 そして「三人の連続殺傷事件の犯人は自称吸血鬼だった!」と、面白おかしくワイドショーで報道された。
 せめて吸血鬼というからには、もっと高貴で優雅で芸術家のような人であってほしい。でも、己の芸術のために血を求めたなら間違いではないか。貴族らしく自分を磨くことで光ろうとするのが吸血鬼だし。

 ――精神はもうこっち側にない青年。でも生きて警察に捕まってしまった青年。裁判は、面白いことになっていた。
 ワイドショーを見ていて面白かったのは覚えているが、結局、判決は知らない。
 最終的な決定が下る前に、魔術師を気取った青年は死んでしまったからだ。
 刑務所で先割れスプーン一気飲み……現世のジャパニーズ吸血鬼はスプーンに負けたという、これまた面白い事件だった。

 カスミちゃんは「俺達能力者にとってはハタ迷惑な話」と言った。
 圭吾さんは「動物の血で留めておけば良かったのに」と言った。
 ちなみに以前のおしゃべりで鶴瀬くんは、「はわー、魔術師なら遺体をうまく隠せただろうにねー」とのほほん言っていた。
 他にも「一般的にはただのキチガイ、こっち側にはただの知恵足らずってことね」と小さい子にも散々言われるという、情けない評判の話……。
 そんな、この世で多くの人に話題を持て余した魔術師は、違う形でまた世を狂わす。怨霊として……血を求める魔術師のゴーストとして。
 その退治を受け持ったのが緋馬くんと寄居くんだったと圭吾さんは説明した。
 なるほど、そういう風に繋がるのか。
 で、問題って何?



 ――2005年10月16日

 【    / Second /    /    / Fifth 】



 /3

「あさかは緋馬と話さなくていいのか?」
「いいよ。お父さんがウマちゃんといっぱい話せばいいんだよ」

 そう言ってウマちゃんの個室を出た。
 ……僕は今、お父さんと一緒に病院に居る。二人でウマちゃんのお見舞いに来ていた。
 双子の弟のみずほは「病院なんか行きたくない。つまんないから」という一言で、どっかに遊びに行ってしまった。
 お父さんもそんなみずほを止めなかった。常々、「子供は病院なんか来るもんじゃない」って言ってるぐらいだから不思議じゃなかった。

 個室を出て、やけに静かな病院の夕暮れをのんびり見る。
 ゆっくりと空が赤く染まっているところを見ているなんて久しぶりだった。病院の一室の前、逃げるように出てきた廊下で、お父さんを待ちながら黒く染まっていく空を見ていた。
 壁を一つ挟んだところで、お父さんはウマちゃんと面会をしている。個室の中で、きっと二人は楽しく話しているであろう。……久々の会話を。

「えっと、ウマちゃんは7月に転校したんだから……わあ、もう三ヶ月も経ったんだ」

 ウマちゃんが我が家のお仕事、幽霊退治をし始めて三ヶ月。
 初めて、大事件が起こった。
 ウマちゃんが顔に傷を負ったらしい。単なる擦り傷だって大山さんはお父さんに説明していた。擦り傷だから大丈夫だって思ったけど、傷の場所が顔だと聞いたら全然大丈夫じゃなく思えてきた。
 それは僕だけの考えじゃない。お父さんだって一大事と考えただろう。
 傷はすぐに治るけど、それは単なる擦り傷ならの話。幽霊や異端みたいな悪い化け物が作り出した特別な傷は、治療の仕方を間違えると一生残り、呪いとして今後も体を蝕んでいくものになる。いくら魔術や医学で癒しても治らない傷になるらしい。
 だからウマちゃんが怪我を負ったというのは、一大事だった。

 僕らはウマちゃんの入院翌日にお見舞いにやって来た。
 ウマちゃんはお父さんと二人きりでお話がしたいみたいだったから、こうして廊下で待っていることにした。だから今、一人だ。

 ――数分後、お父さんが個室から出てきた。僕もウマちゃんにバイバイをする。
 もう面会時間ギリギリだ。これから先は関係者以外立ち入り禁止の夜になる。慌ててウマちゃんに挨拶をした。

「なあ、あさか」

 お父さんが廊下の外に出て、看護師さんと話している間、ウマちゃんは僕に話し掛けてきた。
 「こっそり」という言葉が似合う声の掛け方で。

「どうしたの、ウマちゃん」
「…………。あさか、お前って治癒魔術ってできる?」
「できないよ。僕は魔術とか覚えてないもん。なんで?」
「……さっさと治したい……」
「治すために入院してるんでしょ、もうっ。ウマちゃんたら何言ってんのさ」
「……おじさん、心配しすぎだから……なんとかして早く治したいんだよ……」

 ウマちゃんは俯いて言った。
 お仕事を始めて、全寮制の学校に通い始めてから久々のお父さんとの再会は、喜ばしいものではなく、彼には厳しいものになってしまったらしい。
 怪我をして心配させてしまったというあまりの心苦しさに、ウマちゃんの顔は……酷いものになっていた。
 怪我を顔に負ったからじゃない。気落ちで、酷いものにしていた。

「うーん……あのさ、ウマちゃん」

 ウマちゃんは育ての親であるお父さんのことになると、ちょっと心が弱くなる。だから今、この展開はウマちゃんにとって……相当、痛手なことらしい。
 でもだからと言って僕は、何もすることができない。
 だって僕、単なる十五歳の少年だから。

「たった二週間、十四日だけの入院なんだし、我慢しなよ。24時間寝放題なんだから昼寝大好きなウマちゃんには直ぐ終わるよ」
「……昼寝っつーのはな、心が休まっているときじゃねーと出来ないもんなんだよ」
「じゃあ僕、大きくなったらお医者さんになるから。そしたらちゃんと治してあげる」
「あさかが医大に行く前に二週間が終わるわ!」
「だよねー。……そうそう、十四日なんてすぐ終わるよ。だからそれまで休みなよ。その後、元気になってお父さんにまた会えばいいじゃん。約束しておきなよ」

 精一杯の笑顔を見せつけて、ウマちゃんを励ましてやった。
 ウマちゃんはムーッと口を閉ざして、バイバイの挨拶もおざなりに僕を見送った。
 そんな彼の顔には、大きなガーゼの絆創膏が付けられている。見ていて痛々しかった。でもそれだけだった。十四日もしないで退院できるんじゃないかと思えるぐらいだ。
 十四日なんて、すぐじゃないか。
 長期入院していた僕とは大違いだ。一ヶ月以内で退院できるんだからいいよ。ウマちゃん、ワガママ言い過ぎだ。

 そんなこんなで僕とお父さんは並んで廊下を歩く。その間もずっと、『今回のこと』を考えていた。
 ――お父さんに報告に来た『本部』の大山さんは、言っていた。
 今回、ウマちゃんと寄居ちゃんがしたお仕事は、本来ならもっと上の人がやるべき仕事だった、と。
 でもその人達が急用でお仕事をできなくなって、急遽ウマちゃんと寄居ちゃんが抜擢されることになった。
 その結果が、これだ。
 みんな、子供達を買い被り過ぎてたんじゃないか。
 確かにウマちゃんが仕事をし始めて数ヶ月目だ。つい最近ミス無くこなすウマちゃんを、みずほと一緒に「凄いねー」って話し合っていたところだった。
 だって今まで大変なことをしているって聞くことが無かったからだ。
 そりゃウマちゃんから「仕事たるい」とか「もっと寝たい」とか愚痴ってるメールは届いたことあったけど。
 それでも、生活の支障を来すまではいかなかったんだ。

 ――今思えば、その平和はおかしかったのかもしれない。
 誰かが死んで、それが救われなくて生じたのが幽霊だ。死の隣に死があるのは当然だというのに、皆がその当然を忘れていた。
 ウマちゃんは二週間の怪我を負った。今回はたったそれだけのことだった。でも怪我は積もれば山となる。死んでしまうキッカケになるものなんだ。
 そんな大切なこと、みんな知らない訳がない。忘れる筈がない当たり前のこと。それなのに無視してしまった僕の一族達……。

 管理する側の『本部』は緊張感が欠けていた。
 だからお父さんは凄く怒っていた。怒り過ぎだと思ったけど、でも、ウマちゃんのことを思うと『本部』の言い分を聞く気にはなれない。あくまで僕達はウマちゃんの味方だから。
 ところで、特に情報が入ってこない方……寄居ちゃんは大丈夫なのか。そっちも僕にとっては一大事だった。彼もまた、大切な親友だから……。



 ――2005年10月16日

 【     /      / Third /      /     】




 /4

 そうして病院の駐車場までやって来た。
 大きな建物を見上げて、頭を振るって気を持ち直す。すると、見知った姿が目に写った。

「えっと、確か……圭吾さん?」

 駐車場のとある車の前で、圭吾さんが煙草を吹かしているのが見えた。
 ボクは一足お先に車に乗り込んだお父さんに一言声を掛けて、助手席に座らず圭吾さんの居る車まで走って行った。
 圭吾さんはボクが呼ぶ声に気付くと、優しく微笑み手を振る。直ぐ傍に来るまでその笑みはやまなかった。
 圭吾さんもお見舞いに? 言おうとして、それにしては時間が遅すぎることに気付いて、言葉を呑み込んだ。

「圭吾さん。どうしたんですか。これから一仕事ですか。一体この時間からどちらへ?」
「あー、一仕事あるんだけどここからどこかに行くって訳じゃないんだよ」
「そうなんですか? ……でも仕事っぽいですよね?」
「うん、仕事。でも俺の仕事は単なる送迎係。力が無いからみんなが仕事を終えるのを待ってることしかできない。ああ、今ね、俺は待っているところなんだ。歯痒いなぁ」

 彼は苦笑いをする。
 子供であるボクのことを気遣ってか煙草を消して、今度は自分の腕を撫で始めた。何もすることがないと腕を撫でる癖がある人だった。
 圭吾さん。腕。……そうだ、そのことは噂好きな双子の兄から聞いている。
 圭吾さんは『昔、刻印が腕にある人だった』。今も刻印は腕にあることは、ある。でも何故か……急に力は使えなくなって、ただ痣があるだけの人になってしまったという。
 能力者としての力は無くなった人でも、腕に特別な感情があるのか。「自分は何も出来ないから待ってるしかない」と笑いながら語る彼は、しきりに自分の腕を触っていた。やっぱりコンプレックスを持っているんだろう。
 自然な動きだから普通だったら気付かれない癖でも、ボクがさっきまで延々と『仕事』について考えていたから、余計目についた。

「そっか。圭吾さん……今日もお仕事、やっている人がいるんですか。大変ですね」
「うん、応援しよう。それとも神様に祈ってればいいのかな。もう誰も怪我を負わないように」

 そのとき、何かの爆発音がした。
 ババッと病院を振り返る。でも、何処も騒ぎは起きていなかった。
 圭吾さんも慌てない。遠くに居る普通の人達も慌てていなかった。ボクにしか聞こえない音だったのか?
 いや、圭吾さんは慌てていないだけで音に気付いているようだった……。って、容認している?

「始まったか」

 意味深なことを言って、また圭吾さんは笑った。



 ――2005年10月16日

 【     /      / Third /      /     】



 /5

 女は魔術師し、殺人狂でもない。血が見たいから人を殺す趣味なんて持っていない。ただ、男が喜ぶことを言いたかっただけだ。
 どんなに一般論に反していても、悪事に走っても、被害者が多大になろうとも、彼の為になろうと決めた。
 それは、恋する女性であれば当然のことだった。
 朝の冷え込む教会の礼拝堂で、僕らの話は続く。

「魔術師だか吸血鬼事件だかどっちでもいいとして。共犯者がいたのは知ってる?」
「……むぐ? そうだったの? ワイドショーには大学生しか出てなかったと思うけど」
「共犯者というと殺人を手伝ったように思えるから間違いかな。あの大学生魔術師に『殺人を唆した』女性がいたんだ。そして、死んだ青年を蘇らせて異端にした女性でもある」
「むむっ、女の子っ。な、なんだってー!」
「その子は男子学生同様、異能の道を歩んだ人間だった。……先天的に」
「後に魔術を学んだ……んじゃなくて、元から能力が使えた人だったの?」
「そう。生まれつき神秘に囲まれた女性だったらしい。そして二人は恋仲だった。その子は享年二十一。今年の夏にお亡くなりになっている」

 自殺で。
 圭吾さんは淡々に話す。

「あ、なるほどー。……圭吾さん、話はだいぶ読めてるけど、ハッキリと言ってくれない? そんな話を聞かせて何をさせたいの? そのヤバめのお嬢さんの話は、一体何に繋がるの?」

 単刀直入だと嬉しいなー、と付け加えて結論を急かした。
 ちょっとしたお願いをすれば、なんでもやってくれるのが圭吾さんだ。反論無く圭吾さんは口にする。

「諸悪の根元を退治してほしいんだ。きっとその魂は大物だから、いっぱい報酬が貰えるよ」

 ちなみにこれがその報酬の一部だ、と圭吾さんは下を指差す。
 そこには、椅子だと思った箱がある。ジェラなんとかケースってやつだった。いっぱい積み重なっていた。

 ――殺人を唆した女が男を復活させた理由は、ひどく単純なものだった。

 「もう一度、彼に会いたい」という素直な欲求だ。それだけが彼女を異端に導き、成功させた。
 先天的に魔を備え持っていた彼女にとって、彼を異端の姿だが復活させるという考えは、とても容易かった筈。
 死から復活、それが簡単にできるほどの力を持って生まれた彼女。そんな力を、気が狂った男の為に使った。
 勿体ないと言ってしまいたいぐらい、惜しい。魔も神秘も視えぬモノも通り越して、それは『奇跡』に到達できた人材だったというのに。
 それほどの大きな力を持っておきながら、選んだのは人の破滅の道だった。
 圭吾さんの調べによると、彼女は神秘を求めていた。そう……神の道を探していた。

 ――ああ、同じだったんだ、僕らと。

 南無。今はこの世にいない彼女に一早く僕は祈った。
 この世に間違った姿で存在し続けていても、彼女が死んでいるのには変わりない。
 彼女は非常に友人達から愛されていたと圭吾さんは言う。何より愛した男にも幸福な愛を貰っていたって話だ。そこまで人徳にも能力にも恵まれた女が、何故悪魔と化したのか。
 いや、彼女は悪魔に化してはいない。彼女は一人の男性を力強く護り、母のように包み、衛る女神になったんだ。それが一般論で『人を襲う悪』と判別されただけだ。
 神になりたいと縋る人間なんて幾らもいるというのに、何で彼女は素質を持ちながら成らなかったのか。
 簡単な話、興味が無かっただけだろうけど。
 ――そういや何度も同じような『仕事』を受け持ってきたけど、『この事件』を受けるの初めてだな……。どうしたらいいと思う? と隣に尋ねようとして僕は隣を向いた。

「……む、ッ」

 日が沈んだ病院の廊下で、眉を顰める。
 ギンッ、とアルミ箔を噛んでしまったような嫌な感覚がした。強烈な槍を脳に打たれたような痺れる一撃が来た。
 立ち上がり、首に掛けた十字架を手にした。棘の鋭い十字架を自らの指に刺し、痛みで己を確かめる。

 女神が、訪れた。

 数秒で僕は泣きそうな顔になる。
 やっぱり暗い所で一人になるもんじゃないなぁ! 思った時には後の祭り。祭りが終わるまで生きてる保証は無いけど。
 風がびゅうっと切ってきた。僕の肌を、黒衣を。
 切られて、サーッと自分の体温が下がっていくのが判った。血までは流れなかったけど、黒衣の切れ端が宙をを舞っているのが見えた。

 ――緋馬くんの怪我、『全治二週間』もの『呪われた擦り傷』。
 どうやら彼女は、愛するモノ同士、彼と同じモノを使うらしい。そんなところまでペアルックにしなくていいんだよ。叫んでる場合じゃないが、文句を叫ばずにはいられなかった。
 すぐさま詠唱、魔法の剣を召喚した。
 しかし、現れた強力な女神は、僕が剣を鞘から抜く前に、腕を断とうとした。
 そこまでされると女神と言うべきか、女戦士と言うべきか。いいや、女神であり戦士であり悪魔だ、それ以外の何者でもない!
 再び、金属音が響き渡った。
 今度は僕の頭の中だけじゃなかった。現実空間をギィィィンと激しい音が走っていく。
 僕の前に現れたのは人影。刃だけが銀色に夜闇を照らした。武器を受け止められたと女神が何かを悟ったのか、彼女は素早く次の行動へ移った。
 次々とオーラが増える。二倍、四倍、八倍――百倍。
 女神が分裂していく。敵が増えた! でもこっちも一人から二人に増えたんだ、問題無い!

「おい、バカ新座。状況を説明しろ!」
「むぐっ?」
「さっさと状況を説明しろって言ってんだよ、バカ! 俺には何にも視えないんだから。……俺に視えるのは、現実だけだから!」

 女神が刃を放した時に……カスミちゃんは、ナイフの持ち方を変えた。
 変な持ち方だ。その些細な違いに力具合がどれだけ変わるのか、僕にはさっぱり判らない。でも武術に長けたカスミちゃんがその持ち方の方が良いって思ったんだから、信じる事にしよう。

「右に二、左に二、下に一。形は鴉。比較的小さめ。ウチのゴミ漁る奴らぐらいかな。それよりカスミちゃん、逆手にナイフを構えるってカッコイイよ! すっごい! そんなカッコつけた持ち方すんのピンチのときにやるってバカっぽーい!」
「バカって言うなバカ新座ッ! この持ち方が脇が疲れなくていっちばんラクなんだよ!」
「えー、嘘だー! 絶対そっちの方が体を捻るから体力使うよー! マジメにやれバカー!」
「マジメだっての! ああっ、なんでおめーはいちいち俺に突っ掛かるんだよ!?」
「お兄ちゃんとデートなんかしてるからだよ」
「でっ、デートじゃねーよ! 俺は志朗兄さんを純粋に尊敬してるから今日はただ一緒に食事をしたかっただけであって……!」
「むぐー、うるさーい、言い訳聞きたくなーい! あ、藪から棒に振り回したって当たってくれそうな敵だから頑張ってねー。あと、いつの間にか女神さん消えてるや。きっと……」
「ここ以外のどっかに行ったのか!?」
「そりゃ行くだろうねー。むぐぅ、参ったなぁ、患者さんのとこに行かなきゃいいけど。まっ、それは大丈夫か。『目標は緋馬くん』だし」
「ぶつぶつ言ってねーでおめーも何かしろ!」
「うんうん。じゃあちょっと蹴散らしておいてー。……残ってる連中を爆破するから! 一気にね!」

 カスミちゃんの心地良い金属音を聞きながら、違う詠唱を行なう。
 軽快なリズムで印を踏んで、一気に鴉達を蹴散らす。
 誰も傷付けることのない不可視の爆風が、どかーんと、異端を薙ぎ払っていった。



 ――2005年10月16日

 【     /      / Third /      /     】




 /6

 個室の窓から、俺は笑ってしまった。
 目を閉じ、集中する、瞑想する。
 ……音達が聞こえてくる。唸り声、金属音、爆発、悲鳴などなどが。
 あんまり能力は高くないと自覚ある俺にさえ聞こえる霊達の阿鼻叫喚図。はあと溜息を吐いて、だるい足を動かした。動くたびに頭にきーんと痛みが走ったが、それほど大変なものじゃないから無視をした。
 ベッドから立ち上がり、俺は客人を招く。

「……そんなに復讐したいの、お姉さん?」

 そこには、美しいお姉さんがいた。俺は上着を被ってから彼女に一礼した。
 美しさは「女神」と形容するに相応しい。その技量、愛は、信じる心は女神と言ってもいいぐらいなのに……どうして人を、俺を襲うんだろう。人を襲い、危害を加えるなんて女神なんて言えるものか、あんなの、ただの鬼女だ。
 女は美しい顔を、憎しみの目に変えて、俺を睨む。同じように俺は彼女を睨み返すしかなかった。

 ……ところで、ここで最大のピンチを語っておこう。
 俺、さっきから魔術が一切使えないんだ。どうしてか。顔に刻印があるせいかな、その刻印の上に傷があるせいかな……さっぱり発動しないんだ。マジかよ。刻印って傷付いたらいけないものなのか? ……くそ、それぐらい『本部』も教えておけよ、全然知らなかったじゃねーか……。
 焦っていると、女が思いきったように俺の首に手をかけてきた。十本の指の感覚が俺に伝わってくる。……怨霊が、実体化していた。
 感動した。この人、実体になってでも俺を殺したいんだなぁ。そんなに復讐がしたいんだなぁ。凄いなぁ、って。
 諦めは能力がちっとも使えない時点でついていた。医者に痛み止めを貰った時点で眠っていれば良かったかもしれない。そうすれば苦しまずに永遠に眠らせてくれたかもしれないのに……。
 感動で彼女が許せる筈が無いが、……無抵抗な自分の存在を知っていた。
 そのまま目を閉じる。
 幽霊退治を甘くみていた。だからこんな最期も仕方ない。
 なのにガッシャーンだなんてガラスが盛大に割れる音で目を開けてしまう。
 目を開けた先には、女神が刃に貫かれていた。

「緋馬っ!」

 声がして、割れた窓を見る。
 おじさんが三階の窓から入って来ているところだった。
 空を飛んでいるのは魔術師だし不思議なことではなかったが、驚いた。

「なんで抵抗しないんだ、この馬鹿! 能力が使えない程度で諦めるな! 退院したらメシ食いに帰ってくるって言ったのはお前だろう!?」

 叫びながら、本気の目で、おじさんは女に刃を突き刺した。
 そしておじさんは次から次へと呪文を唱えていく。あまりの速度に女の修復は間に合わないぐらいだった。
 ざくざくざくと凄まじい攻防戦が始まる。呆気にとられるしかなかった。何も出来ずに立っているしか出来ない。
 刃を刺すところが無いぐらい女が攻撃された後、彼女の体がふっと消える。倒したようではなかった……どうやらどっかに逃げ去ったようだった。
 息を切らして、肩で息をするおじさん。すうっと大きくおじさんが深呼吸をする。
 そんな背中に声を掛けよう……として、なんと言えばいいのか判らなくて、硬直した。
 おじさんがこっちに振り返ったら、多分怒ってくる。俺は怒られる。だから「ごめんなさい」と一番最初に言った方がいい。……なのに自然と口から這い出たのは、

「おじさん。……おじさん、おじさんおじさんおじさん……!」

 ぐしゃぐしゃに、彼を呼ぶ声だけだった。
 ――そういやおじさんが異能を使っている姿を見たのは、このときが初めてだった。
 カッコイイ。流石、俺のおじさんだ。



 ――2005年10月16日

 【     /      / Third /      /     】




 /7

 女は病室から姿を消した後、病院の屋上に舞い降りた。

 夜の闇に一体化し、彼女は深呼吸をする。深呼吸、深呼吸、何度も深呼吸をした。
 異端になっても彼女は元人間。人間だった女は「体を落ちつければ体力を回復できる」と思っていたから、とにかく今は何もしなければいいと考え、動かずにいた。じっと動かず、次の機会を待つ。彼女はまた戦える時がくるまでその場で休もうと考えていた。
 だが退魔師がその瞬間を見逃す訳が無い。
 女は、突然斬りつけられて、絶叫した。
 突如現れた殺意に女は驚愕する。
 女は、強すぎるオーラに、存在に気付いても何も出来ずにいた。何処から現れたのか判らない。現れた後も何をすればいいか判らない。

 ……こんなにも大きな存在だって判っているのに、どうして何も出来なかったんだ……?

 女は焦って振り返る。そこには誰も居なかった。
 そしてまた背後から斬りつけられる。振り返る。何も居ない。傷付けられる。振り返る何も居ない傷付けられる振り返る何も居ない傷付けられる!
 女が何も出来なかったのは、相手があまりに大きすぎる存在だからだ。迫力に圧倒されて縮んでしまったからだった。
 敵を知覚する。やっとその姿を捉える。決死の覚悟で女は凶悪な存在に攻撃を仕掛けた。総攻撃のおかげで全力は出せなかったが、彼女が持てる力を全て出しきった結果、ほんのちょっと、相手を傷付けることができた。
 赤黒い凶々しい武器を持った青年の肩を、爆破するぐらいのことは。
 しかしその凶悪な青年は、一瞬苦痛に顔を歪めただけで、二秒後には無表情に戻り、女に武器を振り下ろしていた。

 女は闇夜の中、輝く色を見る。
 紫色の目が、何の感情も無く自分を見つめていた。
 ああ、なんだか昔を思い出す。魔術師として初めて会った男の目を。彼も目は赤く輝いていた。いや、実際は赤くなかったけど、そう見えた。でも今、アタシは不気味な光を見て、そして。
 彼の武器が体に沈んでいく。

 女は消える。
 女神は消える。
 同時に、女の手足となっていた鴉達も一斉に消える。
 舞台となった病院に居た全ての者は、彼女の声を聴いた。

「……■■、くん……」

 愛した彼の名を呟いて、女は消滅した。



 ――2005年10月17日

 【     /      / Third /      /     】



 /8

 緋馬くんの首元を見て、驚いた。なんとくっきりと十本の指の痕ができてるじゃないか。
 でもこれなら二週間で治る。顔の擦り傷の次あたりに消えるんじゃないかなと言うと、緋馬くんは安心した顔をした。
 年頃の男の子に二週間の入院生活は辛い。でもちょっと羨ましいなぁ。十四日も休みがあったらさぞのんびり出来るんだろうなー。

「よう、新座」

 個室に入って来たのは、藤春叔父さんだった。
 お見舞いに来たのか……って、あれ? 今日は息子さんがいないけど、一人で……? 昨日もお見舞いにちゃんと来てなかったっけ?

「それがな。昨日から、毎日見舞いに来ることにしたんだ」
「毎日……ですか? それだと藤春叔父さん、お仕事が大変なんじゃ?」
「見舞いで病院を来ることぐらい、あさかの件もあるから苦労にもならんさ。毎週していることだからな。……それに、今はそうしないと緋馬が拗ねるしな」

 言って、藤春叔父さんが緋馬くんを見る。僕もつられて彼の表情を確認してみると……。

「……別に俺、拗ねてないし。来なくたっていいし」
「そんなこと言うなら本当に来ないぞ」

 なーんて、可愛らしいやり取りが目撃できた。
 藤春叔父さんが笑うと、緋馬くんは口をへの字にする。緋馬くんはいっつもすました顔をしているけど、今の顔は僕が一度も見たことのない、子供っぽくて可愛いものだった。
 思わずこっちも幸せな気分になってしまうぐらいだ。

「いえいえ、毎日来てあげた方が良いと思いますよ、叔父さん。その方が治りが良くなります。きっと!」

 その可愛らしさに、意地悪なことは言わないでおいてあげよう。
 僕はささっと挨拶を済ませて緋馬くんの病室から出た。なんだか気分が良くなっていた。とても良い気持ちで、爽やかにそこを離れることが出来た。
 わくわくしながら歩く。さあ、報酬を貰ったことだしこれからどうするかな?
 カスミちゃんは仲の良い子達と焼肉を食いに行くとか言ってたし……ああ、品の無い。僕はどうするかな、とりあえず志朗お兄ちゃんに連絡入れてみようかな?
 そう考えてたら急に吐き気がした。僕は嘔吐した。

「………………」

 まだ病院内だったから、ぎょっとした看護師さん達が僕の周りに集まってきてくれた。
 ナース姿のお姉さん達に「大丈夫ですか!」「どうしましたか!」と話し掛けまくられる。でもそのときの僕は、涙を流して体内にある物を全て吐き出すことしか出来なかった。心配してくれるお姉さん達に何も言うない。
 数分後。やっと涙が涸れ始め、お姉さん達に引き摺られるように診察室に行くとき……何気なく廊下の先を見た。

 そこには、僕と同じように黒服の青年が居た。
 明るい色の髪に、腕に魂を纏わせた彼。
 苦痛を押し殺した虚無の紫眼で、こちらを見ていた。

「…………ッ!」

 その目を見たら余計に気持ち悪くなって、僕はお姉さん達に助けを求めた。
 お医者さんを必死に呼んでくれるお姉さん達。……彼女達にはお金以外にお礼をした方がいいな……。そう、今後のことを考えながら診察室へ逃げて行った。




END

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