■ 外伝7 Family Complex



 /1

「―――秋葉様、どうなされましたか」
「……姉さんは、何処行ったんだ?」

 玄関の掃除をしている翡翠を止め、話しかけた。

 今日、俺の学校は早く終わって直ぐ屋敷に帰ってきた。放課後になっても今日は蒼や羽居の部屋に遊びに行くのも気が乗らず、真っ直ぐ帰ってきて、自分の部屋で琥珀の入れた茶を呑んでいた。
 そうしていたら、自分の部屋の窓から姉さんが坂を上ってくるのが見えた。時間を見計らって姉さんを出迎えにロビーまで来たのだが……もう、ロビーにはいなかった。いるのは仕事中の翡翠だけ。厨房からいい香りがするから、琥珀は夕食の準備をしているのだろう。

「お嬢様は先程お部屋に入りました」
「そうか、……ありがとう」

 花瓶の方に向けていた姿勢を変え、翡翠が俺に向き直って言った。言われて、階段を登る。
 姉さんの部屋は階段を登ってすぐ傍の部屋だ。今日はとにかく姉さんと話がしたかった。……特に理由はない。ただ今日は暇だから……いや、折角時間があるのだから話がしたいと思ってた所なんだ。

「―――秋葉様」

 半分まで階段を登ると、下から翡翠が足を止めさせた。声を掛けられて素直に止まる。

「何だ?」
「……その」

 ハッキリ続きを言わない。……何か、言いにくそうな顔をしていた。
 翡翠が口を濁すだなんて、相当の事が無ければ起こらない。

「お嬢様のお部屋へ向かうつもりでしょうか?」
「? そのつもりだが何だ?」
「いえ、まだ行かない方が―――」

 語尾まで翡翠は言いきらなかった。
 『行かない方がいい』、そんな曖昧な言い方だった。
 でもその表情からは、『行っても行かなくてもいい』ようにも感じられる。

「何だそれは、……翡翠。まさかまた姉さんが変な事をしているのか?」
「……いえ、そういうワケではなく……」

 翡翠の口はずっと隠っている。

「お嬢様をお部屋にお連れして、まだ数分も経っていませんので―――」
「翡翠は数分前に姉さんを部屋に入ったんだな。じゃあ何で俺が入っちゃいけないんだ?」

 ……。
 翡翠は黙る。少し自分でもきつすぎる言い方だと思った。これでは翡翠の意見がまともに採り入れられない。今の言い方では『主』に逆らっている『使用人』の図その物だ。翡翠が悪いようにしか見えない……。

「……申し訳ありません」

 ついに翡翠は一歩下がって頭を下がってしまった。しかしこれで止める奴はいなくなった。
 少し悪い事をしてしまったな、と思いながら足を進める。
 ……何故翡翠はあんな風に止めたのだろうか。翡翠は姉さん付きの使用人だから、姉さんの都合の悪い事は口止め……足止めされているかもしれない。
 そもそも姉さんには弟の俺を部屋に引き寄らせたくない理由でもあるのか。入ってきては悪いような事をしているのか。

「……何か腹が立ってきたな」

 階段をのぼりながら、機嫌のゲージがどんどん悪化していってるのに気が付いた。―――まぁそれも、姉さんの部屋に行ってみればわかる事だ。



 ―――姉さんの部屋の前に来た。

 此処は姉さんの部屋にしては小さい造りをしている。俺の部屋のドアに比べてこのドアも変哲無い外見。派手好きの俺には物足りないが、姉さんの部屋は姉さんの趣味なんだから敢えて口には出さない。
 ……入る前に、一応コンコンとノックぐらいはしておく。

「姉さん、入るぞ」

 帰ってきて直ぐ部屋に籠もるだなんて―――あやしい。今日はその事について話そうじゃないか。

『あ、秋葉……? 何、どうしたの』

 部屋の中から、姉さんの声だけが聞こえる。部屋の中にいるのは確実だ。微かに、姉さんの声が慌てているようにも聞こえた。

『秋葉が私の部屋にわざわざ来るなんて……何かあったの?』

 ……そういえば、俺の覚えている中で姉さんの部屋に来るなんてまず無い。
 病気で倒れた時とかそういう時以外、何も無い日に姉さんの部屋に訪れるのはもしかして初めてかもしれなかった。

「特に理由は無い。話をしに来ただけだ」

 ……姉さんと顔を合わせて何を話すかなんて考えてなかった。即席で作った話題でも姉さんと一緒にいることは……俺にとっては楽しいから。だから姉さんと話し合いたかった。

「姉さん、開け―――」
『駄目! 入ってこないで!!』

 ……何だと?
 思わずトーン低めの声で言い返してしまう所だった。姉さんに否定されて、少し機嫌を損ねていた気分が更に斜めっていく。

「何で……」
『ちょっと、今は入ってこられたら困るの。…………レン、ちょっと……あっち行ってて』

 ……レン?
 誰だそいつ、―――俺の知らない奴を部屋に入れてるのか!?
 翡翠も翡翠のくせに俺に言わなかったぞ―――!!

「姉さん! 入るぞ―――!!」

 ガチャリ、とドアノブをまわす。

『あ、秋葉……!』

 慌てた姉さんの声がする。
 ドアには鍵はかかってなかった。姉さんが鍵を掛ける前に、勢いよく部屋のドアを開けた。



 ―――まず目に入ったのが、柔らかそうな曲線の華奢な肩だった。

「……え?」

 ドアを開けた瞬間、俺はそんな声をあげていた。窓からの夕日の光に、―――白い肌が赤くうつる。

「……」
「―――」

 みるみるうちに夕日で赤かった肌が、熱を帯びて赤くなっていく。
 その体は石かしたように動かない。隔夕俺自身、数秒間指一本動かせずにいた。

 ―――下着姿の姉さん。

 地で書くと恥ずかしいが、今の姉さんの姿は……ブラジャーにパンティ(パンツと書くと一般に「ズボン」の意味になってしまうので『ティ』が適切な表現)、腿までの黒のハイソックスだけ。

 制服はベットに捨てられていた。いつもリボンで束ねられている黒い長髪は窓からの風流れていて、背中を隠していた。
 さっき帰ってきたばかりだからか、首筋には汗が光っている。一気に上着を脱いだせいかブラが斜めっているように見えた。下着のサイズは合ってるのだろうか不安になってしまうぐらい、横にはみ出した胸。

 誰も入ってこられないように鍵を掛けようしたのか、姉さんはこっちを向いていた。つまり、……ドアを開けた俺とは真っ正面から向き合っている事になる。

「―――」
「………………」

 にゃー。

 猫の鳴き声がする。その猫は二人に顔を合わせる事なく、窓から飛び降りていった。

 ……とんでもないシーンにきてしまったのは判った。姉さんもそれは判っている筈だ。
 でも二人とも、「ごめん」と言うタイミングも、「出て行け」と言うタイミングも逃して、声を上げられずにいる。
 真っ正面に向き合って、固まってしまっていた。

「―――ア」

 キハ、と続く筈の声が出てこないらしい、顔が真っ赤の姉さん。そういう自分も、握ったドアノブが手から離れてくれなかった。

「―――秋葉―――何―――?」

 やっと言葉になった。が、思考はまだ止まっているのかカタコトだ。自分がそんな姿でいるのを忘れてしまってるようだ。隠す上着もシーツも無い状態で、俺の前に立っていた。

「姉さん―――」



「姉さんにはは似合わないな」



 ……何故か姉さんの下着の色に拘っていた。

「………………!」

 ―――そして、屋敷中に布を引き裂くような悲鳴が響いた。



 /2

 ……翡翠が止めに入った理由が、姉さんに泣かれてから判った。
 『今はまだ着替えてる最中だから、行っても入れてくれない』
 ……そう言いたかったのだろう。ならちゃんとそう言ってくれれば良かったのに、翡翠も意地の悪い奴だ。

「……痛……ッ」

 琥珀が傷口に消毒液を塗ってくる。
 ……あの後、姉さんが部屋のあらとあらゆる備品を投げつけてきて、避けきれず皮膚を何カ所か切ってしまったのだ。

「……なんだ琥珀、人が怪我してるというのに上機嫌だな」

 手当をしている男は鼻歌を唄っていた。
 ……俺は途轍もなく機嫌が悪いというのに、その目の前で鼻歌を唄うとはいい度胸している。

「いやー、嬉しいッスよv この屋敷にも、やぁっとこんなシュチュエーションが来たんすねぇっ♪」

 琥珀は笑いながら言った。……何が嬉しいのか判らない。

「そうですよねー、今まで来なかった事がおかしいんですよー。野郎ばっかの家に女性が一人……お風呂で鉢合わせとかあっていい場面だったのに!」
「―――兄さん」

 後ろの方で、翡翠が無言で黒いオーラを出してくる。琥珀が言った物を手渡す手伝いをしていた。言葉の多い琥珀を止めようとしている。

「だぁってヒッスィ〜、お前だって憧れるだろ、『きゃ〜のB太さんのエッチ〜!』とか! 女性と同棲してる身としては!!」
「―――兄・さ・ん……」

 ……もっと迫れ、翡翠。一発ぐらい殴る許可を出すぞ。

 ……そういえば、この屋敷には二階に姉さん専用の浴室がある。大きな屋敷なので浴室も手洗いも何カ所もあるのだが、どうせなら分けて使おうと姉さんが帰ってくる前……決めたのは俺だった。勿論手洗い(トイレ)も別だ。男性にはいらない物も女性用には多々付いている。そこら辺は完全に別の空間なので、そんな物があったのか忘れていた。

「そうか、―――忘れていたけど姉さんは女性だったんだな」
「はぁ、そこまで遡るんでスか?」

 驚いた、と琥珀が言う。……何だかムカつくが、その通りだ。俺は、姉さんが『女性』という別の生き物である事から忘れていた。姉さんの都合を考えずにもいた。
 姉さんはあの時『入ってくるな』と言ってたのに、それを聞かずに入った。これは俺の方が悪いに決まっている。全く、サッパリ忘れていた。

 ……そうか、普通……下着姿を見られたら怒るよな。

 長い男子寮での生活―――それから久しぶりに帰ってきた家庭。姉とはいえど女性との生活だということ。……一般常識がすっぽり抜けていたらしい。

「そんなに落ち込まないでくださいよ〜。まっ、まずはメシ食って、風呂でも入ってスッキリしてきてくださいな!」
「……あぁ」



 ―――夕食が終わった後、自分専用の浴室に向かう。

 本で読んだ知識だが、普通の家庭には風呂は一つらしい。父も母も、兄も弟も一つ物を使いあうのだ。そうすればお互いの都合も勝手に分かってくるらしい。

 ……となると、やはり自分のやり方はおかしいのか?
 そこを改めて考えて、鬱になった。

 ……蒼や羽居の家も一緒なのだろうか?
 なんて友人に置いて考えてみた。

 だが、あのゴミ屋敷に住処とするあの2人に風呂なんて言葉知ってるだろうか……?
 一応寮の風呂を使ってる姿は何度か見かけた事あるが、『何度か』だ。中一の頃から同じ寮部屋のくせして『何度か』なのが思いだして恐ろしい。
 ……と、話がズレた。友人がオカシイって事はいつでも考えられるので此処は置いておく。

「……やっぱり謝った方がいいのか……」

 衣服を脱ぎながら、そんな事を考えた。
 ……男の俺としてみれば、今の自分を見られても何にも感じない。……それは当たり前だろう。
 夏になれば学校でそれを目撃する事になるらしいし。
 でも女性は、『家族』だからとかでも許されないらしい。―――本当に、複雑だ。

「……もしかして、今更こんな事判った俺って、おかしいか……?」

 はぁ、とため息が出た。このため息は一気に風呂で流してしまおう、明日ちゃんと謝ればきっと許して―――と思ってた時だった。

 ガラガラガラ―――!!!



 ―――まず目に入ったのが、私服姿の姉さんだった。

「……え?」

 浴室の引き戸を開けられた瞬間、俺はそんな声をあげていた。
 白い湯気の立つ空間に、―――姉さんが入ってきた。

「……」
「―――」

 みるみるうちに湯気で隠れていた白が、熱を帯びて赤くなっていく。
 体が石かしたように動かない。入ってきた姉さんも、数秒間動かなかった。



 ……えーと、一言で今の俺を言い表すと、『全裸』なんですけど?



「―――姉さん、何―――?」

 おそるおそる、声を出してみる。体は指一本動かなかったが、口だけは辛うじて動いた。
 ……前に説明した通り、姉さんと俺は別々の浴室・手洗いを使っている。なので『偶然鉢合わせ』は有り得ないのだ。つまり、意識して張り合わせなければこんな事は起きやしない。
 ……こんなに頭は冷静なのに、体は一歩も動かなかった。
 せめて―――下を隠すぐらいの力は欲しかったんだが。

「秋葉―――」



「思ったより可愛いのを持ってるんだ」



 ……何故か姉さんは下を直死(視)していた。

「………………!!!」

 ―――そして、屋敷中に布を引き裂くような悲鳴が響いた。



 /3

「―――秋葉様。お気持ちは判りますが(?)、お気を確かに……」

 ……部屋の外で翡翠がそれはもう悲しそうな声で俺を慰めてきてくれた。

 でも部屋には鍵を掛けたのに入っては来ない。……マスターキーを持った琥珀が現れたら意味が無い事だが、俺は鍵を閉めて誰の侵入も拒んだ。

「もういいんだ翡翠……先に見てしまった俺が悪かったんだ……それにこう言われてしまった『俺の』も責任が……」
「そんな事はありません…………おそらく」

 翡翠の声がどんどん弱くなっていく。
 ……自分の言ってる事に自信が無くなってきたのだろう。

 ―――姉さんの事だから、『仕返し』に来たんだろう。そして俺と全く同じ事をしに来た―――。

 純粋に『見られた』事の恥ずかしさよりも俺は、冗談でも仕返しでも『あーゆー風に言われた俺のもの』に悲しくなっていた―――。
 あんな綺麗な笑顔で言われたのだから、ダメージは通常の三倍。

「ダイジョーブですって! まだ若いんですからこれからッスよ!!」
「……兄さん、身長じゃないんだから……」

 琥珀のフォローも、翡翠のツッコミも心に響く。物凄く痛かった。

 ―――とりあえず今は枕を濡らす事になる。
 明日に、目が赤く腫れないだろうか。支障がない事を祈った……。



 /4

 ―――遠野家ロビー、ちょっと古めで高そうな電話でおしゃべりをしていた。

『……ほぉ、やっぱりきいたか。そこまで巧くいくとは思ってなかったんだけどねぇ』

 電話の先の女性に今日の事を話すと、意外だ、と驚かれた。私もその人のアドバイス通りでいいのか迷っていたけど、実行してみてあーなったのだから、凄く驚いている。

『まぁ、それは有間の弟がホントに可愛いもんだから出来るんだよ。マジでアブナイ奴にそー言ったら何されるかわかんないしね』
「そうなんですか。……有彦は大丈夫だったんですか?」
『あー、ウチのバカも有間の弟ど同類みたいだよ。変に気取ってるだけだし、それが地を見せた時はホントカワイイったらありゃしない』

 電話の先で女性は、あっはっはと笑った。顎を外すぐらい笑って、……ピタリとそれを止める。

『言い忘れた。……この後、気まずくなるの必至だから、ちゃんと構ってあげるんだよ。姉として優しくしてやんなきゃ、変にグレるから』
「あ、はい、判りました。……本当に変な事聞いてすいませんでした。イチゴさん」

 電話の相手は目の前にいないのに、何故かお辞儀をしてしまった。……いつもの変なクセである。でもお辞儀をしたのが電話先の女性は判ったらしく、また笑った。

『いやー、有間が「弟を苛める方法教えて下さい」なんて言い出したなんて、これで一年分は笑った気がするよ』

 まぁガンバレ、と楽しそうに応援される。なので頑張ります、と笑って返してみた。

「じゃあ、また遊びに行きますね」
『あいよ、ウチのバカの世話また頼むね』

 ―――そうして受話器を置く。……人生の先輩である乾一子さんとの久しぶりの電話をした。最近は電話と触れ合ってなかったし、イチゴさんと話すのも久しぶりだったのでちょっとドキドキしてしまった。

「……えっと、後始末に優しくしてやる……だっけ?」

 イチゴさんのアドバイスを思いだして、二階に上がる。部屋の前で秋葉を懸命に慰める使用人さん達を宥めてから、―――秋葉の部屋に入った。





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03.7.20