■ 10章 Cross talk



 /1

「こんにちはー、シオン。起きてる?」
「……」

 時は早朝、日は日曜日。志貴が部屋にやってきた。

 白いリボンで束ねた黒い長い髪に、淡い色で抑えられたブラウスとスカート。特別目立つという服装でなく、それでまた志貴らしさを出している。自分で服装を選んでいるのかは知らないが、だとしたらセンスが良いと評価されるだろう。

「……朝から寝ているような輩じゃないからな」
「あはは……そうね。この部屋の人はそういう人だったから」

 曇の無い笑顔で彼女はそう言った。

 ―――そう、まだオレは、真祖の皇子の部屋に居候している。
 もう傷は完治している。が、志貴が真祖の皇子の部屋を使えというので言われた通りにしているのだ。この部屋を出ていった所でオレにはロクな家は無いのだが(誰も近づかない袋路地を勝手に使わせて貰っているだけだ)。そして、驚いた事にこの部屋を使っていても何の緊張が無いのだ。

 此処は仮にも……仮でなく事実『真祖の皇子』が使用していたマンションなのだ。
 しかし、言われなければ気付かない程、此処は普通―――すぎる。
 というより、数日前に出逢った『真祖』はオレの想像していた『真祖』とかけ離れていた。

 あんな男、何処にでもいるような……
 ……。
 ……やめよう。これではただの『陰口』じゃないか。

「志貴。いいかげん……此処を出ていった方がいいと思ってきたんだが」
「……どうして?」

 突然そう告げると、志貴は心底不思議そうな顔をした。
 まるで本当に自分の家を出ていくと聞かされたような。

「この部屋は他人のものだろう。何の関係もないオレが使っていいわけ……」
「何の関係もないって、だってシオンとアルクェイドは知り合いなんでしょ?」

 ……知り合いじゃない。存在は知ってるくらいだ。
 真祖の皇子はオレの存在など気に掛けてもいなかっただろう。それに―――先日あっただけでは仲も良くならない。吸血鬼と魔術師。それだけでも犬猿の仲というのに……。

「……別にアルクェイドが帰ってくるまでいていいと思うよ? もし帰ってきてアルクェイドが怒ったら、私も一緒に怒られるから」
「……そういうものか?」

 だが、志貴が居れば百人力だ。
 もし何か志貴が真祖の皇子に言ったら、白も黒になる。逆も有り得る。

「しかし、服も真祖の皇子の物を使っているとなると……」
「だってシオン、服……他に持ってないんでしょう?」
「オレにはあの服があればいいんだ」

 ―――あの服、一応アトラスから配布された軍服。あのデザインは装飾品には興味無いオレでも気に入っている物だった。しかし志貴はそう思わないらしい。

「アレはあんまり着ない方がいいと思うけど……」

 ……何故。

「―――じゃあ、この際だから一緒に服買いに行こうか!」



 /2

 ―――いつもの紫の軍服を受け取った。
 志貴の言う話だと「クリーニングに出したから」と綺麗に返ってきた。綺麗すぎて着るのも勿体ないような……と、貧乏性が出てしまう。

「シオンのその服、派手だよね……いつもその服装で外出てたの?」
「あぁ」

 志貴の熱弁により、派手じゃない服が必要という事になった。
 今の今まで要らないと思って買わなかった服。遂に長年の封印が解かれる。
 ……って、別に買わなかった事が誇りだとかは思ってはいないが。何だか数百年ぶりのイベントのような気がしてきた。

「一緒に買いに行かない? 私がシオンに似合うの選んであげるから!」

 ……志貴のその言葉から始まった。
 何故か胸が弾む。
 これは、どういう意味なのだろうか……。

「あ、でもシオンが色々計算して買った方がいいのかな……私、センス悪いし……あ、シオンてお金ある?」
「それなりに」
「うん……最終的にはシオンが決めるんだから問題ないよね。じゃあ行こうっ」

 ……真祖の皇子の部屋から、無理矢理引きずられるようにして外に出された。手を引いて、オレを引導する志貴。昼間、……日が照り出しそうな天気のいい昼間。その姿は何かに重なった。

「……そんな事して、誰かに叱られないのか、キミは」
「え? 誰に叱られるの?」

 ……本当に判って無いらしい顔。口にしたオレの方がおかしいと言うかのような顔。この姿は、あの姿に違いない。志貴もいつか気付くだろう。

 二人で買い物。
 これが、一般に言う何だかというのに―――。

 ―――所謂『洋服店』というものに連れてこられた。
 店は見渡す限り服、服、服……と、服を売っている所なのだから当然だった。その中を志貴はするすると縫うようにして歩いていく。目に入った物の所に止まり、手に取り、……オレの胸に当ててくる。

「シオンはサイズどれくらいだっけ? 身長は何センチ?」

 などと色々な事を質問してきた。答えられる範囲は答えた。だが、

「好きな色は何色? どんな風に見られたい?」

 ……という質問には言葉がつまった。その時は『志貴に任せる』でかわしてみせた。
 ……。

 見渡す限り服……と言ったが、勿論違う物にも目がつく。
 男性。……親しいらしい女性と共に話ながら服を選んでいる。その姿は今の自分と同じだ。
 女性―――志貴に服を選んで貰っている。ただ『親しい』かは、同じかどうか判らないが。それに、

「ねぇ、シオン。こっちの方が涼しいかな? でもこれから寒くなるからこっちを買っておいた方が……」

 ……オレは『遊ばれている』ような感覚に陥っていた。ともあれ、志貴は一体どんな服を選んでくれるのか、楽しみだ。それは違いない。

 ……。
 改めて思う。今までこんな事は無かった。
 あの研究の地で熱心に学んでいた事。この極東の地に来てからは其処では学べなかった……学ぼうともしなかった事が襲いかかってくる。体験した事もないような事が、ちっとも辛くない。……逆に楽しく思えてくる。
 それも、やはり彼女のおかげだろうか―――。

「シオンて……髪、結構長いね」
「……そうか?」

 ……そういえば自分は肩まで髪があった。
 手入れなど一切知らず、伸ばしたいだけ伸ばしてうざったくなったら切るようにしていた。その結果この長さになった。長さは―――言うならば『長髪』に入るのかもしれない。

「何だ、切った方がいいか?」
「ううん、似合ってるからいいけど。……でも短くても綺麗だろうね、シオンは」
「……どういう意味で?」
「シオンて『綺麗系』な顔だもん。……って、アルクェイドも先輩も蛇さんも綺麗系だけどね。やっぱり外人さんて綺麗だなぁ……」

 ……はぁ、よく判らないが。とにかく志貴なりに誉めているのだろう。オレとしてみれば、東洋系の彼女の顔は可愛らしいと思うが。
 思うが……。
 ……思うだけで口には出せないが。

「うん、シオン。これなんかいいんじゃない?」
「…………」
「ねぇ、どう思う?」
「着てみる」

 意見を求められたが、自分ではどうにも返せない。なら即試着してみよう。それなら何か答えが見つかるかもしれない。

「え……、シオンはどう思うか……」
「キミが選んでくれたのなら似合う筈だ」
「……それ、違うと思うけど……」

 志貴は難しそうな顔をしていたが、構わずその服一色を受け取って試着室に向かった。文句は着てから言うとしよう―――。

 身につけてみて、―――予想した通り生地が固すぎた。下は『履いてるうちに伸びる』らしいが、そんな悠長な事は考えていられない。上も妙にダボダボしていて袖が邪魔な気がした。長袖のYシャツの上に、更に大きめの上着を羽織っている。色はオレの髪の色に合わせたのか落ち着いた黒系の色で抑えられている。

「うーん、やっぱりシオンにはもっとスッキリしたタイプの方が似合うかなぁ……? ジーパンも真っ黒のよりこっちの深緑の方が綺麗かもー」

 そう言って志貴は次々と新しい服を見せつける。そんなに見せつけられても巧く返せない。

「……志貴、横に付いてるこの鎖は何だ……?」
「ん? これはただのおしゃれだけど。腕にブレスレット巻いたり首にチョーカー付けたりするのと同じだと思うよ」

 それ以外に便利な事あるけど、……と志貴は尋ねた事一つ一つを丁寧に説明してくれた。
 ―――オレにはエーテライトの腕輪が付いてるからそういう系統のアクセサリーは付けない。付ける必要が無かった。興味が無かった。だがそういう物がある……という知識は邪魔にはならないだろう。知らない事が知れて満足だ。それだけで今日という時間は充実していた事になる―――。
 何度か着替え直し、三度目の正直で決定した。

「……どうだ?」
「うん! シオンは何着ても似合うから……えっとお値段は、ちょっと高いけど」
「いくらでも買おう」

 ―――そう、志貴が選んでくれたのだから。



 ―――それから、公園に向かった。志貴の選んでくれた服を着て、昼間の人の中を歩く。

「……志貴、一つ尋ねていいか」

 公園のベンチで、先程購入した……やたらミントの味が濃いアイスクリームを食べながら聞いた。

「確かキミは前の格好が目立つと言ったな」
「うん」
「目立つから変えろと。だから服を選んでやると」
「……気に入らなかった?」

 ……違う。志貴が幾度成る検討の末選び抜かれた衣服なのだから、気に入らない訳がない。ただ、

「……逆に目立っている気がする」

 ……一目につくような、服装だったらしい。昼間の大通りを渡った。
 ……その度に視線を感じた。あまり心地よいものではなかった……。

「そうかな……私はあの軍服の方が目立つと思うけど。それに、シオン、カッコイイから目立つんだよ」

 ……それは違うだろう。服装がいくら変わっても中身のオレは変わっていないのだから。もし変わったのなら、―――それはコーディネートした志貴の力が凄いという事だろう。

 そうでなくても志貴は偉大だと思うが…………ッッ!?

「シオン、どうし……」
「やぁ志貴ちゃん」

 ……志貴に声を掛ける人物。
 …………瞬きをしただけで現れた人物に意表を突かれた。志貴は、その声の主に笑顔で振り返った。

「あっ、シエル先輩。こんにちは」

 ……そこには、私服姿(らしい)代行者の姿があった。

 代行者は今のオレと同じような格好をしている。もっと代行者の場合は……俗に言う『大人らしさ』をアピールしたものだった。……とにかく、オレを知る人物でこんな姿を見せたくはなかった。だから気を周りに張っていた……のに、気付かなかったとは。

「シエル先輩、どうしたんですか?」
「いやぁ、ただの散歩だよ、散歩。ほんと偶然だね」

 にっこり、と笑顔を志貴に向ける。

 ――――――絶対、嘘だ。代行者が意味もなく街を出歩く筈がないし、着込んでいる赤茶のコートの下には、数本……愛用らしい剣が見え隠れしている。おそらくその存在を志貴は気付いていないだろう。死徒狩りでもしているのだろうか。……いや、こんな昼間に死徒が彷徨く筈がない……。
 ……。
 と言っておきながら、オレは……志貴は『死徒』だったということに気付く。

「どうしたんだぃ、君。顔色悪いけど、直射日光の浴びすぎじゃないか? とっとと家に帰った方が身のためだよ」

 ―――にっこり。
 ……誰にも気付かないような殺意のある満面の笑みを見せた。オレには『家』は無いと知っておきながら、この男は……。

「……そうかもしれんな」
「えっ、大丈夫なのシオン!?」

 ……冗談で返したつもりだったが、志貴が真剣な顔をして見つめてくるから直ぐに撤回した。もしかして代行者は、オレを捕獲するためにやってきたのかもしれない……。

「ところで志貴ちゃん、今日は一体何をしてたの?」
「えっと……、シオンの服選びをしてたんです。シオンたら全然服持っていないから私が選んであげたんですよ」

 これです、と志貴がオレの腕を引っ張ってくる。力が無いので本当なら身体はビクとも動かない筈が、呼ばれるまま代行者の前に立たされた。……拒否してはいけないと思った。

「…………」
「―――」

 一瞬、目が合って―――妙な沈黙が流れる。その沈黙を破るのは、勿論志貴の役割だ。

「……先輩、……似合いませんかね……?」
「いやいや、流石、志貴ちゃんだね。あのグータラ魔術師をここまで色男に変身させるとは!」

 そう言って代行者は、志貴の頭を撫でながら褒め立てる。……ここは反論するべきではないと考え、何も言わなかった。

「―――まぁ、つまりはデートしてたんだね」
「っっ……」

 ……一番、言ってほしくなかった事を言われた。
 ―――朝からそれを突かれるのが怖くてテンションが低かったのだ。そう思っても、何とかしてそうじゃないと言い聞かせていたのに……。

「違いますよ。シオン、あの服装のまま街を歩くの可哀相でしょう? だから私で良ければ…………って」

 と、即座に志貴に後押しされた。

 ―――それはもう、最高級の笑顔で。
 他意も悪意も邪心もなさそうな笑顔で―――。

「そっか。―――で、志貴ちゃん。そのアイスは…………」

 公園の噴水の側の売店で買ったものを、物欲しそうに見る。だがその目つきが、純粋にソレを示しているものではないのは直ぐ判った。

「あ、これあそこの屋台で買ったやつです。凄く美味しいですよ――――――買ってきましょうか?」
「本当? じゃあ、ちょっと宜しく頼めるかな」
「はいっ」

 味は志貴の好みでいい、と代行者は告げると、志貴は走って売店まで……一人で、走っていった。
 ……つまり。

「…………こうして私服で話すのは初めてだね、シオン・エルトナム・アトラシア」

 ―――という事になる。

「……何か用か」

 志貴にわざと離させてオレに話しかけてくるとは。
 志貴も、オレと代行者の仲はそれなりに知っているのだから少しは気を遣って欲しかった。……いや、もしかしたら志貴は代行者の暗示にでもかかったのかもしれない。
 とにかく、オレは志貴を追う理由も立てられず、わざわざ逃げる理由も言えずベンチに取り残された。代行者は志貴のための仮面を外し、本来の顔に付け直す。

「……本当なら此処で手錠を掛けて、そのままアトラスに送りたい所だよ」

 ボソッ、と。呟くように言ってみせて代行者はベンチの隣に座った。
 ―――まだそんな事を言っているだろうか。
 と、以前代行者と戦ってそれほど日数が経ってない事に気付いた。……何だか、この数日で何年も月日が経ってしまったのかと錯覚する。それは何故だか……

「充実しているようだね、君は―――此処の生活に」
「……っ」

 核心をついて、代行者は喋る。

「しばらく……君に気付かれない程度の距離で観察させて貰ったけど、気持ち悪くなるくらいの笑顔だったよ」
「……オレは笑った憶えは無いが」
「バカ笑いするような人じゃないのは判ってるさ。でも、楽しそうじゃないか……彼女といると」

 代行者が、噴水の向こうの『彼女』に視線を送る。
 店員と話す彼女。ごく普通の少女だった。
 ―――前、代行者の口から聞いた言葉を思い出す。

『彼女に関わるな』
 ……じゃなく、

『彼女には気を付けろ』
 ……でもなく、

『彼女は、例えるなら麻薬だよ』
 ……そんな不気味な例えをされても、打ち消す事が出来なかった―――。

「……だからなんだ、代行者。貴様はオレに嫌味を言いに来ただけか」
「まさか。僕はそんな暇人じゃないよ」

 笑って、こちらを見てくる。

「ちょっと教えてあげようと思って。……彼女に会えるなら一石二鳥ってヤツさ」

 代行者の笑みは、口元だけの外見だけだ。眼鏡の下の蒼い目は全然笑っていなかった。その口を代行者は開く―――



「今夜――――――シュラインにて」

 ヤツが、アラワレル。
 ……。



「…………先輩、抹茶味で良かったですか?」
「うん、やっぱり志貴ちゃんは凄いな。僕の好み判ってくれるんだから」

 代行者は仕舞った仮面を付け直した。
 志貴に『いつもの』笑顔を送る。仮面―――と思ったが、代行者のその表情には嘘の欠片も見あたらなかった。それは、純粋な笑みに見える。

 ―――影の世界に生きる者にしては眩しすぎるのではないか。
 他人事ながら心配してしまった。

「……うーん、直ぐ日が落ちちゃうから、志貴ちゃん。お屋敷まで送っていこうか?」
「あ、本当ですか? ありがとうございます!」

 ―――志貴が頷くと、代行者がこちらに振り返る。
 『ということだ君、一人で帰るんだな』。
 代行者の目が、まるで勝ち誇ったようにそう語っていた。
 しかし、その『心遣い』は今のオレには嬉しい。

「…………志貴」
「ん?」
「今日はありがとう」

 素直に今日の感想を言った。
 オレに似合う服を選んでくれて。
 アトラスで学べなかった事を、教えてくれて。

 ―――今まで、オレの相手をしてくれて。

 にこっ、と彼女が笑う。今まで見てきた数多くの笑顔の中で、比べ物にならないくらい、素晴らしい笑顔で。

「どういたしまして」

 と返してくれた。

 ―――それが別れの挨拶。志貴は代行者に連れられて、我が家であるあの屋敷に歩き出す。
 オレは逆方向へ。今朝まで世話になっていた、真祖の皇子のマンションではない。

 ―――あの袋路地へ。
 ――――――そして、シュラインへ。
 一人、向かった。





「over ture」に続く
03.8.24