■ 28章 if 空蝉/2



 /1

 ―――がぶり。
 首を噛み砕かれる。動物が獲物を殺すとき、首を狙うように。そうやって食べていく。血を吸う。生きていく。それは『死徒』において食餌と同じなのだから、たとえ死んでいたとしても自分を保つためには仕方ない事なのだ。

 ―――そいつらはもう死んでいる。
 でもココにいようと藻掻いている。たとえどんな状況でも、ここにいたいと思うのは人間だって同じだ。生きるためなら仕方ない。筈なんだ。

 ―――あぁ、志貴ちゃんは知らないんだね。
 いつか、先輩が教えてくれた。先輩の本当の姿を知って、アルクェイドの本当の姿を教えてくれた刻の事。

 ―――真祖だけは血を吸わなくても生きていけることを。
 ……そんな事、知っていた。真祖のアルクェイドは、血を吸わなくても生きていける。一緒に食事をしたり、私が作った物だって美味しそうに食べてくれるんだ。

 ―――奴等は吸わなくても生きていけるのに人を殺す。
 ……。

 ―――そんな危ないモノと一緒に志貴ちゃんはいるべきじゃないよ。

 ショックを受けた。
 でもその時は信じなかった。信じられなかった。私と一緒に笑ってくれる彼が、そんな、………………酷い人じゃないって確信してたから。
 ……アルクェイドの姿が目に浮かぶ。
 血走った赤い眼。
 荒い呼吸。
 …………牙。

 信じないのが一番良い事なんだ、って気付いたのはいつだろう―――?



 /2

「あ、れ…………」

 見慣れた場所に佇んでいるのに気が付いた。畳の匂い。橙色に染まった空間。静かな空気。それと、何も音を発さない自分。

「え、と…………」

 動かない。此処から動けない。縛れ付けられているのか、体中が麻痺しているのか、それとも私自体が壁なのか……。
 ここは、……多分学校の茶道室だ。先輩がいつもお茶菓子を食べている、学校唯一の和装の空間……。
 私は此処が結構好きだ。有間の家がこんな雰囲気だったからもあるけど、とても此処は風が気持ちいい。……あぁ、もう全然有間の家に行ってないな。いつかは行こうと思いつつ、全然機会が無くて行こうとはしない。たまに都古ちゃんが会いたい、なんて手紙までよこしてくるのだから、いい加減遊びに行かないと……。
 ……で、私はなんでこんな所に居るんだろう?

「あ、の……」

 とりあえず―――すぐ傍で腰掛けている男性に声を掛ける。

「久しぶり……ですね。一日ぶりだけど…………」
「―――」

 ……そう軽く声を掛けていい人なのか判らないけど、声は出るようだから言ってみた。『彼』から鈍い私には敵意というものを感じない。……一日前もそうだったんだけど、結局私は『彼』に噛まれて死んだ……。人は見かけによらない、ということを夢の中で知ったと思う。
 男性の容姿は長い髪。鋭い目。神父さんのような服に、鼻にかけた眼鏡。それと包帯。光る刃物を手に。

 ―――1つ余分だけど、やっぱり先輩に似てるな、と思った。

 此処は学校の筈なのに人の声が聞こえない。橙色の光りは太陽、だから時間は放課後で、まだ明るいから運動部が張りきっていると思うけど……それでも此処には音がない。此処には私たちにしかいない。

「…………貴男は?」

 また、同じような会話を繰り返す。

「……完全に消えたと思ったが、意外としぶといのだな」

 でもそれを崩したのは男性の方だ。……また、言ってる事が判らない。

「その……どうしたんでしょうか?」

 ……私は。
 自分のことを相手に聞くのは何だかおかしいが、そう聞くしかなかった。
 いつから、此処に私と貴男はいたんでしょうか、と。
 それより私、貴男の事全然知らないんですけど……。

「―――本当に忘れているのか、志貴。余程、暗示が強かったのか、それとも一度死んだ後だからそれまでの記憶を破損したのか…………」

 ……志貴。
 『彼』は私の名を呼んだ。私は『彼』の名前を知らないのに。しかも意味深で判りづらい事をまた言っている。いくら聞いているのに話を合わせてくれない。……何だか、自分勝手な人だなぁ、と思った。

「貴男は……アルクェイドの事、知っている人ですか……?」

 前、覚えてる限りではアルクェイド(らしき人物)の事をずっと言っていた。もしかしたら、……血を吸わない吸血鬼の事を知っているかもしれない。

「―――知っている。彼は、一度も人間の血は吸っていない」

 そう頷いてくれた。
 ……って、え?

「あの、どうして…………?」

 どうして、私が血を吸わないアルクェイドの事を知りたがっているのが判ったのか……。

「しかし、真祖は血を吸う。アルクェイド・ブリュンスタッドはそれを力ずくで封印している。それは他の真祖達もそうだった。だが一度吸血衝動に陥った真祖は、堕ちるしかない」

 …………ぴたり。
 止めて問いただそうとしていた手が止まる。その話は止めるべきではない。……絶対に聞いておかなきゃいけないと思う。

「彼らは『血を吸いたい』という欲求を力づくで抑えている。真祖達は皆そうだった。けれどもし、外的要因で封印している力が弱まった時、吸血衝動はどうなると思う?」
「どう、って……?」

 ……例えば、大きな傷を負って、回復するのに大きな力ががいる場合……?
 ……具体的に、バラバラにさせられて、復讐するために体力を使って再生したとか……?
 バラバラにして殺したら、蘇るまで力を使いすぎて、直ぐに倒せる筈の敵に手こずったりして、―――わからない。
 ……。

「……その、吸血衝動に負けた真祖は、どうなるんですか?」
「そのまま人の血を吸う。その後はもう堕ちるだけだ。一度血の味を知った真祖がもう一度吸血衝動を堪える事なんて出来なくなる。―――そうして、そうなってしまった真祖は『魔王』と呼ばれる」

 ……また魔王。玉座に座っていた者の事。きっとその事に違いない。

「……お腹が減ってるわけじゃないのに、何で血を吸うんですか……?」
「理由はない。ただ血が吸いたいだけだ。理由がないから止める事も出来ない」

 ……アルクェイドの姿が目に浮かぶ。
 血走った赤い眼。
 荒い呼吸。
 …………牙。

「力ずくで欲求を揉み消し、自らを眠らせた。何時かそれには限界が来る。アルクェイド・ブリュンスタッドは、もうその限界値まで達している」

 限界……?

「堕ちてしまった真祖は、もう自分を縛り付ける力などない。後はただ、自らの快楽だけのために人の血を吸う。吸血衝動に果てはなければ、消えることもない。長く生きれば生きるほど、吸血衝動を肥大化させていく。自分の手で衝動を抑えきれなくなる時、それが真祖の寿命だ―――」

 ……限界。
 休めば直ぐ治ると思った身体。

「アルクェイド・ブリュンスタッド、彼は堕ちていく真祖を殺す役割だった。仲間に殺される、それが吸血鬼の最期なのだ」

 私のせいであんな大怪我を負わせてしまったけど、いつも私に付き合ってくれる彼……。
 それなのに、限界?

「……アルクェイドは、普通の吸血鬼とは違うんじゃ…………」
「真祖の皇子はもう無い命だ」

 ―――信じない。
 信じないのが、一番楽なんだ―――。
 自分自身がもうダメかもしれないのにずっと吸血鬼退治なんて―――。

「…………じゃあ」

 ……このヒトは何でも知っている……私が知らない事を、知りたい事を、何から何まで知っている……。

「貴男は知ってますか? アルクェイドが、深い……恨み……みたいなものを抱きながら追っている『敵』のコトは……」
「―――」

 今まで、お喋りにずっと話してきた男が、しばし黙る。……これだけじゃ口が足らなかっただろうか?

「え、他に特徴……? その、倒しても何度も蘇って……新しい肉体に輪廻転生するっていう……『蛇』さん、っていうヒトです」
「―――」

 ……答えてくれない。この人でも判らない事があったか……。

「―――それなら、実際に逢っているのだから判りやすいだろう?」

 …………え。

 ―――その、意味
 全然わからな―――。



 /3

「―――志貴ぃっっ!!!!!」

 アルクェイドの声がした。そして、宙に浮く感覚。落ちて強い衝撃を受ける。

「あ……っ!?」

 一瞬、何が起きたのか判らなかった。いつの間にか身を放り投げられ、尻餅をついている状態だった。―――目の前には、死のカタチが襲いかかってくる。

「なっ……なに!?」

 おぼつかない足取り、だらしない口元、不気味な声を向けながらこちらに向かってくる死者達……。

「…………っ」

 ……こんな不気味な空気、味わったコト無い。
 寒気。ガクガクと震える。足に力が入らなくなり、……動けなくなる。

「何やってんだよっ! 殺らないと、君が死ぬ事になるって言っただろ―――!」

 遠くで、アルクェイドの叫びが聴こえる。……その顔を見たい。無事な彼の顔を見て、安心したい。でも動けなかった。動くことが出来なくなってしまった……。

「…………」

 目の前の敵から、視線を外す事が出来なかった。外したら一斉に飛びかかられて、……死ぬかもしれない。
 ―――なんで、こんな事になってるんだろう? さっきまで私は、学校の茶道室にいたのに。そこで、……アルクェイドの夢の中に出てきたあの男性と話をしていたのに。
 アルクェイドの夢……? 私が勝手に見た夢なのに?
 そもそも私は何でこんな時に夢を見ていたんだろう。おそらく容赦ない死者達に殴られ、宙に浮いた時一瞬見えた走馬燈みたいなものなのだろう。
 あの、身体が浮いて地面に落ちるまでの数秒の間に……多くの彼の絵を描いた。
 そこまで私は、追い込まれていた。
 わからない。
 ……。

 だから今、身体が動かないんじゃないか。

「あ―――」

 ナイフを下ろせば死者は簡単に殺せる。線を通ればサクンという音を立てて脆い死者の身体は切断できるだろう。そして死者達は動かなくなる。私は助かる。……それをするまで、助からないって頭じゃ判ってるのに。
 死者は襲いかかってくる。怖れるコト無くやってくる。落とされた痛みはもうない。
 ただ、―――恐ろしかった。

 私を殺そうとやってくる死者が、と。
 線を見るのが怖いから、と。
 ……人を殺すのが恐いから、と。

「あ、……あ、あ…………!」

 彼らはもう人間じゃないって判っているのに、生きていないって分かっているのに、……それでもこの『線』を切るのは何だかいけない気がした。
 私はそれで助けられてきたのに。
 その線が無ければもうとっくの昔に死んでいたのに。
 ―――いや、それが無かったらこんな危険な所にいなかった?
 アルクェイドに会わなければまだ平和だったのに?
 ……どうしてそんな無駄な事ばかり考えるんだろう。

「志貴……!」

 私を呼ぶ声がする。遠くで死者達を相手にしているアルクェイド。……思わず、目の前に死者がいるというのにそちらに視線が向かれる。もう、自分の身の安全も配慮する事が出来ないくらいに狂ってしまった―――。

「―――ェ?」

 ……その先で、信じられない光景が見えた。

「ア、ルク―――」

 多くの死者を一人で倒しているアルクェイド。
 無敵の彼が、―――傷を負っていた。
 彼ならこんな死者達なんて一秒もかからずに殺すことが出来る筈なのに、―――そのアルクェイドが追い込まれている。
 呼吸も荒い。足取りもおぼつかなくて、―――もしかしたら私よりも彼の方がピンチなのかもしれない。

「ア―――」

 ……でもそれまで。私は彼を見る事ができなくなっていた。

「志貴……おぃ! いいかげんしっかりしろよっ!!」

 ……うるさいな。こっちは……死者が、二人襲いかかってきて大変だっていうのに。
 跪いて身体が動けないっていうのに。
 だから、……ピンチだっていうのに!

「や……っ」

 そんな事も構わず連中は、薄汚い笑みを浮かべて覆い重なってきた―――。

「やめ……っ」

 死者が腕を触る。
 怖い。
 ―――痛い、って。

「やめろテメェら―――!!!」

 ザンッッと凄まじい早さの刃が、死者の顔を切り去った。

「―――」

 なんで、死んでいるのに、赤い血が出るかな……。
 アルクェイドが吸血鬼退治をするたびに出る血。直ぐに消えてなくなるらしいけど、私の顔に降りかかる前には消えてはくれなかった。
 ……直撃。
 切られてまだ動く腕と顔が、襲ってきた。

「―――」

 ……やっぱり、怖い。

「あ、……あ……はぁ」

 荒い呼吸が聴こえる。全てが終わって、アルクェイドは跪いた。

「は……あぁ……」

 目の前には灰になった死者達がいる。サラサラと風に流れていく灰。……頭からかぶってしまった血が、白く染まっていく。

「―――」

 足下に散らばるのは、殆ど……いや全部アルクェイドが倒した死者。その少し離れた所で、線があるのにちっとも役になっていない自分が座っている。目の前でヒトが切られるのを見た。
 ……何度目? そんな事、どうでもいい。
 一瞬にしてまっぷたつになったヒトが、なんだか……。

「―――アルク」

 ……不意に昼間先輩に言っていた事を思い出した。私は甘すぎたって今更気付く。きっとアルクェイドがいなければ、とっくの昔に私は死者に喰われていたかもしれない。私はアルクェイドに助けてもらった。……コレは、もう初めてじゃない……何度も助けられている。

「はあ、はあ、…………はぁ」

 ……アルクェイドの呼吸はまだがうまく定まらない。その呼吸に、微かな喘ぎ声がまざってくる……。

「―――アルクェイド?」

 声を掛けると、……縛られているように動かなかった身体が動き出す。立つことが出来た。

「大丈夫、アルクェイド……?」

 ……なんとか重い足でアルクェイドの元へと駆け寄る。彼は背中を丸めて、ずっとはぁはぁと荒い息のまま苦しんでいる。

「どうしたの……もしかして傷が開いちゃったの……?」

 しゃがみ込んで、アルクェイドの顔色を見ようとした。

「志―――貴」

 けれどアルクェイドは片手で自分の顔を覆い隠している。……顔色が伺えない。見えるのは、指の隙間から見える赤い眼のみ。

「…………あ」

 アルクェイドの苦しみ方は尋常ではない。
 途切れ途切れの息。
 血走った赤い眼。
 乱れた金色の髪。

「アルク―――」

 ―――どくん

 胸騒ぎ。気持ち悪くない。ただ、身体全体が目の前のものを『危険』と察知しただけ…………。

 ……後ろに下がる。
 …………何故か、彼の傍にいてはいけない気がした。

「―――」

 彼の息切れも止まり、―――スッと手が伸びた。

 その手が私の首へと伸びる。

「アル―――」

 名前を呼ぼうとして、呼吸が止まる。
 血走った目。
 重圧感。
 獣のような牙。
 見えた。
 それは、目の前でその牙を首へたてようとしている彼。
 それは、私が知っている生き物ではない。
 それは、『危険』なんだ。

「―――」

 逃げなきゃ殺されるって、
 現実の世界で味わったのは、何度目だろう―――?

 何も出来ない。
 声も上げられない。
 ただ、恐怖が襲いかかってくる。

「ア―――!」

 悲鳴。
 情けない叫びをあげた。

「……ッ」

 その時。
 気のせいかもしれないけど、
 アルクェイドの動きが、微かに止まった気がした。

 が、それよりも先に、ドン!という激しい音がして、私に襲いかかっていたアルクェイドの身体が横殴りに吹き飛ばされた―――。
 え……?
 何メートルもアルクェイドの身体が吹っ飛ばされた。砂煙が巻きおこる。その中で、……それでも傷一つなく彼は起きあがった。

「お……れ?」

 ―――呆然と立ち上がる。情けない声をあげている。胸を抱きながら、……また荒い呼吸を繰り返す。

「お、れ……は?」

 自分の口を抑えた、次に顔を抑えた。
 指の間から見た瞳は、アルクェイドのものじゃない、気がした。
 ……。

 そこへ

「彼女の血を吸おうとしていたんだよ、君は」

 たたきつけるように、冷たい声がした。

「それが貴様の本性だ、アルクェイド・ブリュンスタッド」

 容赦ない声は、頭上からしてくる。
 ―――月を見る。そこには、―――いつかあった時のように、空に人影が見えた。外灯の上に立つ、黒の法衣服を着、長い剣を何本も備えた男性―――。見覚えのある、親しい男性。

「……シエル先、輩……?」

 名を呼んでも足下にいる私なんて見向きもせず、先輩は苦しげに跪いているアルクェイドだけを睨んでいた。

「たとえ同族である吸血鬼を処理していようが、吸血鬼だという事には変わりない」

 ……先輩の声はいつもの声とは全然違う。それはアルクェイドといつも会うたび言い争う、……そんな先輩の雰囲気とも違った。
 まったくの別人。声が、厳しくもない優しくもない。何の感情もこもっていない、―――ただの音を放つ。……足音も立てず、スッと外灯から地面へ降り立った。

「いずれはこのような結果が出てしまう事を、君が予測出来なかったとでもいうのか?」

 先輩は、私とアルクェイドの間に立った。

「―――テメェと関わってやるつもりは無い。……それに」

 アルクェイドは憎しみのこもった目で先輩を見る。

「……俺は、志貴を殺そうとなんて思っていない!」

 叫ぶ。
 その瞬間に、空気が震えた気がした。
 アルクェイドが先輩に対して、今までのものとは比べものにならないくらい強い殺気を放ったのだろう。思わず、……窒息しかけた。

「説得力が無いな、アルクェイド・ブリュンスタッド。自分が一体先程何を彼女にしようとしたか、認識出来なかったわけではないだろう?」
「―――」

……先輩の追撃にアルクェイドは答えない。

「僕を憎むのは構わない。けれどその牙は彼女へと向けられたのは事実だ。―――何なら本人に確認してみようかぃ?」

 ちらり、と。
 先輩は初めて私という存在を見た。
 かつん……一歩だけ、ブーツの音を立てて法衣服の男性が近寄ってきた。

「志貴……っ!」
「下がれ吸血鬼。―――貴様のような奴が彼女の傍にいる資格なんて、初めから無いんだ」
「なっ……」

 剣をアルクェイドの首へ向ける。でも、……私はその先輩の手に向かって駆け寄った。

 ―――そんなこと、絶対にない。
 私が、―――彼の傍にいたいと思っているのだから。

「違います……! 私がアルクに会いに行ってるんだし……そのっ」
「―――まだそんな事を言うのか。彼は吸血鬼で君を狙っている。その危険性が判らないわけではないだろう?」
「そんなコト……! 先輩だって……判ってるでしょうっ? アルクェイドは一度も血なんて吸わないって―――!」
「―――落ち着いて。確かに彼は八百年間血は吸っていない。だけど……」
「そんな事はどうでもいいんです! 私が自分の意志でアルクェイドの傍にいたんです……っ!」

 ……剣を持っていた腕にしがみつく。先輩が、やっと『私だけ』を見てくれた……。

「…………君は、まさか」

 先輩の声が、微かに変わった気がする。
 ……先輩の視線がアルクェイドへと向けられた。アルクェイドは、―――俯いて先輩の方にも私の方にも向いていなかった。

「………………」
「アルクェイド・ブリュンスタッド。君はこれでも彼女の傍にいようとするつもりか?」

 ……。
 アルクェイドは答えない……。
 ただ一度、私の顔を見ようとして、闇の中へと消え去っていった―――。

「あ、アルクェイド、なんで逃げ―――!!」

 アルクェイドを追いかけるため走りだそうとする………………
 が―――、

「……!?」

 足が、地面から離れない。そして、先輩はゆっくりとこちらに歩み寄ってくる……。

「彼を追うのは諦めた方がいい。むざむざ君を殺させるわけにはいかないからね」

 足下に―――影に一本の細い刃物が突き刺さっていた。その剣はどうやっても抜けそうにない。そして私の足は動かない……。その剣を抜けるのは、―――刺した本人であるシエル先輩しかいないだろう。

「先輩、なんで……早くしないとアルクェイドを見失っちゃうから……!」

 その言葉に先輩はじろり、と睨みつけてきた。真っ正面からその視線を受け、―――私もたまらず睨み返した。そして先輩は、……はぁ、と呆れるような大きなため息をつく。

「……どうしてこういう無茶ばっかりするんだぃ、志貴ちゃんは!!」
「え……その、先輩?」

 いきなり、……声のトーンが風変わりした。

「そもそも志貴ちゃんは僕の話を聞きに此処に来たんだろう? それなのに何でアルクェイド追おうとするかな…………剣抜いてあげるから僕の話をちゃんと聞いてよ」
「あ、ハイ……聞きます!」

 ……いつものように先輩に言いくるめられて返事をしてしまった……。

「……志貴ちゃん、やっぱり怒ってる?」

 先輩は遠慮がちに、私の顔を覗き込んできた。アルクェイドに剣を向けていた、あの冷たい目も音もどこにもない、私が知っている先輩に……。
 ―――その姿は、いつも学校で見合わせている優しい先輩と何一つ変わらない。

「もしかして、志貴ちゃん……僕の仕事忘れてる?」
「い、いえそんなコトは……教会さんですよね?」

 それがなにか? と聞いてみる。数秒の間もあけずに、困った顔をしながら先輩は口を続けてきた。

「そうだよ。一応吸血鬼退治が使命なんだ」

 ……。
 吸血鬼、退治が……。

「ある程度……志貴ちゃんが知りたがっているような事は、みんな知っている。だから大人しく今日は話でも聞いて…………」
「もういいんです」
「……え?」

 ―――血を吸わない吸血鬼って何か、教えてもらいました。



 /4

 ―――先輩に送られて、屋敷の前の大きな上り坂までやってきた。空は、……まわりは暗い。人なんて一人もいない。外灯は薄暗く家々の光が辛うじて坂道をうつし出している程度だった。

「……ここからは、大丈夫だね」

 先頭をいっていた先輩の足が止まる。

「ここでさよならをしよう」
「え……その、本当に大丈夫なんですか?」
「あぁ、大丈夫さ。この辺は吸血鬼はいないよ。もし志貴ちゃんを襲ってくる奴がいたら、僕が直ぐ駆けつけてあげるから」

 先輩はにっこりと安心させる笑みをした。……その姿が法衣服で手に剣など持っていなければ、まるで学校での会話みたいだった。
 でも、『いない』と言われて危険人物に遭遇しちゃった例はある。
 ……それを言った彼は…………。

「―――彼の事、まだ気にしてる?」

 私の心の中を読むように、先輩は言ってくる。……ここは素直に頷いた。先輩は、重いため息をつく……。

「―――彼を追ったら君は殺されるだけだよ。……アルクェイド・ブリュンスタッドとは、もう二度と会っちゃいけない」

 殺され……。
 ……。

「……先輩は信じちゃくれないって判ってます……敵同志ですし……。でも彼は、本当にいい人なんですよ……?」
「信じられない」

 ……考える事もしない。アルクェイドの話題は全て否定する。シエル先輩の所属する『教会』という所がアルクェイドと敵対してるって判っている。……でも、この嫌い方が尋常ではない。……どうしてそんなにアルクェイドが嫌いなんだろうか?

「志貴ちゃん」

 はっきりとした声で呼ばれ、顔を上げた。

「じゃあ、ここでお別れだ」

 元気だね、と言って、
 笑って、手を振って、先輩は背を向けて歩き出した。
 去っていく影。
 振り向かず、ずっと進んでいく。
 ―――最後に小声で聞こえた『さようなら』という言葉が、あまりに重すぎた。
 ……。

 まるで、本当の別れのようにも聞こえた―――。

「…………先輩!」

 去っていく影を止める。しばし全てが止まって、ゆっくりと振り向く。

「学校、……これからも来ますよね!?」

 それを聞いた先輩の顔には、……驚きの色もまじっていた。

「……学校行ったらもういない……もう彼処にいる必要がないとかで、……有彦も、みんな忘れてる。そんなコト……事ないですよね!?」

 先輩の目は確かに
 『どうして知ってるんだ?』
 ……と、物語っていた。

「―――それも、夢?」

 アルクェイドにぶつける時のような低い声で聞いてくる。

「それも、君のお得意の夢で見た『明日』かい?」

 遠くで、蒼い目が見つめてきた。
 一点を、……私の眼を睨みに。
 でも、―――黙って首を振った。

「……それが勘だとでも? ……鋭すぎる、君の思いつきの言葉は怖すぎるよ」

 呟いて、またにっこり笑いかけてきた。一息ついて、口を開く。

「じゃあ、こう言えばいいのかな? 『また明日』って」

 ……。

「……心を込めて言ってくれなきゃ嫌です……」
「……一番キツイ事を言ってくれるな、志貴ちゃん」

 苦笑い、して視線を直す。
 そして離れた距離がまた近づく。
 ……目の前に来た笑みは、今度は多分作り笑いじゃない……と思う。

「また明日、明日のお昼は久しぶりに乾くんと弓塚くんと、4人で食べよう」

 暖かい声が、やっと聴いた…………。
 手を差し出して、言う。

「……約束ですよ」
「約束……ってこの手は?」
「……指切りして下さい。恥ずかしかったら握手でもいいです」

 ……今度は照れ笑いを浮かべて、先輩は小指を出してくれた―――。



 /5

 ―――坂を上って屋敷が見えてくる。
 もう8時をとっくに過ぎているようだった。しかも今日怒られたばかりだというのに連絡を一切いれなかった。……きっと秋葉、怒ってるだろうな。いや、今度は怒るどころか口もきいてくれないかもしれない……。

「……あれ」

 門は……開いていた。琥珀さん、開けてくれたのかな……と思いながら庭と通り、屋敷の中へ静かに……

 ―――でも玄関前に寒そうに丸まっているモノがあって、入れなかった。
 帰ってこない私を、待っていてくれたのだろうか―――?

「……………姉さん?」
「え……秋葉?」

 丸まっているモノ。
 膝を抱えて、座っている少年。
 玄関の前に、秋葉。顔を上げるなり、凄い剣幕で怒鳴りだした。

「姉さん!! 一体何時だと思ってんだよ、…………っ?」

 立ち上がり、こちらにやってきて……言葉が止まった。

「ど、どうしたの……秋葉?」

 いきなり怒鳴り、立ち上がり、今度は目を凝らして、

「…………どうしたんだ、その傷?」

 と聴いてきた―――。

「え? あの、これは、その……」

 あの吸血鬼に囲まれた時、軽い傷をいくつも負っていた。しまった、と思い傷口を隠してももう遅い……。

「……事情は後で聞くから、とりあえず治療しよう」

 秋葉は私の腕を掴み、屋敷に入る。

「痛……っ!」

 掴まれた手の痛さと、……ちょうどそこに傷でもあったのか身体がビクンッと動いた。……軽い傷ばかり、と思ってたけど、結構重傷らしい。秋葉は慌てて手を離す。

「ご、ごめん姉さんっ……そんなに痛いのか?」

 心配そうな声と顔。少しオーバーに反応しすぎたかもしれない……。

「だ、大丈夫だから…………」

 と言っても嘘にしか見えなかった。直ぐに気付いた秋葉は、少し睨んで

「……痛いなら、痛いって言った方が楽だと思う……」

 と、独り言のように気弱な言った。

「秋葉……?」

 ……秋葉の事だから、この傷はなんなんだ、とか問いただしそうなのに何も言わない……。

「……聞かないの、秋葉?」
「聞かないって、何を?」
「……私が、また……こんな時間に帰ってきたの、とか……怪我した理由とか」

 ―――今、凄く疲れていると思った。疲れているから、―――安心する空間に来る事が出来たから、弱音を言ってしまったんだろう。

「……そんな事を聞くより、傷の手当てする方が優先に決まってるだろ? 全く、本当に姉さんは自分の身体を大切にしないんだな!」
「うん、……そっか。ごめんね……」

 秋葉は怒り気味に言い返した。……まぁ当然の返答だろう。―――秋葉は優しい。いや、私が何も考えずに行動しているだけなんだろう……秋葉は、正しいんだ。

「……確かに姉さんが何でこんなに遅いのかとか知りたいとは思う、けど、姉さんは姉さんの都合があっての事なんだろ? ……話したくなければ、話さなくていいから……っ」

 ふいっ、と照れくさそうに秋葉は視線を逸らした。……何だか、後ろめたい気分になる。

「秋葉…………」
「もういいって言ってるだろっっ!!!」

でも、―――私にはまだ言ってない事がある。

「……ただいま。……それと、秋葉。ごめんなさい…………」

 ……。

「―――居間で琥珀達が待っている。だからそれを早く言いに行こう」





if 凶つ夜/1に続く
03.1.19