■ 27章 if 空蝉/1
/1
―――夢はまだ続く。
いつものみたいに曖昧で、特に意味なんてなくて、ただ映像だけを見る夢。
―――アルクェイドの事。
自分はどう想っている。ワケも判らず殺してしまって、追いかけられて、ずっと気になっている。
―――シエル先輩の事。
いつも優しく微笑んで助けてくれる。本性は判らないけど、彼の事がとても気になる。
―――彼らの事。
私をずっと護ってくれている人たち。どう想ってるなんて判らない。けど、大切な人たち。それと。
―――見たことあるような、見たことないような人。
どうして、感情の無い哀しい眼で見るのだろう。
あの夜も。
彼と楽しく過ごした夜の時も。
私を殺そうと
……。
「――――――あぁ、あの人なのか」
アルクェイドが尋ねてきてくれた夜。帰り際に何故か屋敷の塀の外へと出されて、一人歩いた夜。
そこで、出逢った。
殺しにやってきた。
そして、……あの時シエル先輩がいなければ私は死んでいた。
あの人に、殺されて…………。
「どおりで……見たことあるなって」
昨夜から、肩の微かな痛みと、その事がずっと気にかかっていた―――。
上半身だけを起こし、枕元の眼鏡をかける。……少し開いている窓。その窓越しに見える空は、雲一つない青空。清々しい朝……の筈なのに気分は晴れない。理由は……昨日のアルクェイドがずっと頭から離れないから。
……肩を抑えて。
アルクェイドが抉った肩を。
抑えて、また痛みを覚える。アルクェイドに付けられた、痛みを。
「…………」
気分は、まだ晴れない。彼と再会しない限り、晴れる事はない―――。
/2
「―――志貴お嬢様」
朝の綺麗な光りに交じって、翡翠の声が聞こえる。その翡翠の声に、意識が覚めていく。
「…………あれ、翡翠」
視界がハッキリとしてきて、翡翠の顔が見られた。顔を上げれば直ぐそばに翡翠の顔があった……。ボーッとしていた私を見て、翡翠が気に掛けてくれる。
「おはようございます。お嬢様……どうなされたのですか?」
「ん……おはよう……一体いつからいたの? ノックした?」
「はい。5分ほど前……ですが、お嬢様が身体を起こしていたので制服を取ってきました」
「……」
……起きた記憶はある。それから身体を起こして色々考えていた。だけど、……翡翠がノックして部屋に入ってきたのも、その時の朝の挨拶も何一つ覚えていない。目を開けていて眠っていたとか?
「お嬢様……ご気分が優れないのですか?」
「……そういうわけじゃないから……ただ、ちょっと寝不足みたい……」
夜、今以上に色々考えていて寝たのは今日になってから……だと思う。ただでさえ色々バタバタしてたのに、……あのショッキングな出来事のせいで余計目の下にクマが出来てしまいそうだった。……そう思うとちょっとだけ身体が怠い気がする。風邪とか、身体が弱いとかじゃなく、……疲れで動きたくない。そんな風に、一人考えてると
「…………また四季と兄さんが何かしに来たんですか」
……と、翡翠が大真面目な声で聞いてきた。
「え……? 何でそこで二人が出てくるの?」
「……」
じっ、っと私の眼を見つめてくる。というか……睨みつけてくる。
「その様子だと何でも無かったようだな……申し訳有りません」
「えぇ? 一体どういう事……っ」
ふぅ、と翡翠はため息をして続ける。
「そのままの意味だと思うのですが?」
キッパリ、言ってみせた。
「……そうですか」
……また何か企んでるんかなぁ、あの二人……。
何をしたがっているのかはあんまり考えたくないけど。
―――少し伸びをして、ベットから立ち上がる。時刻は、……六時前。いつもよりちょっと早めに起きられた。……でも秋葉の決めた起床時間には、一時間も遅い。四季はともかく、秋葉はもう起きてお茶でも飲んでいるんじゃないだろうか。
「朝ご飯……もう出来てる? 着替えてから直ぐ行くから、先に行っていて」
「―――それですが、お嬢様…………」
言いにくそうに、翡翠は言う……。
「秋葉様がお嬢様に問いつめたい事がある、と居間でお待ちになっています」
「問いつめたい事……? 秋葉、もしかして、怒ってるとか……?」
「―――いえ。お怒りではないでしょうが、お嬢様が夜遅く帰ってきた事について話したい、と」
「…………え?」
何を今更……と思った。今更だとは思うけど、何度も怒られている事だとも思う。昨日はアルクェイドにマンションから追い出され、トボトボとゆっくり帰ってきたら……8時を過ぎていた。秋葉に会うのも辛くて、そのまま秋葉の攻撃を避けて部屋に入り込んで……夕食の時もなるべく目を合わせないようにしていた。余所余所しい、そんな姿に文句でも言いたいのだろう……。
「秋葉もそんなに構ってほしいのかなぁ……」
はぁ、と今度は嬉しいため息が出てしまう。
「…………おそらく」
しずしずとした声で、翡翠は相槌をうってくれた。
「秋葉様はここ最近は療養中で学校にも行けず、ずっと屋敷の中でもう一週間も過ごされています……なので、お嬢様」
「……でも、私が帰ってくるまではあんな事無かったでしょ? 秋葉はずっと屋敷で暮らしてるんだから、つまらない事なんて……」
「……アルバムを部屋で一人籠もって見ていても?」
声を低くして、翡翠は呟くように言った……。
想像して笑ってしまう。でもそれって、昔の写真が残っている……っていう事かな。秋葉も一人で見てないで、私達にも見せてくれればいいのに……。
「……秋葉様はお嬢様が帰ってきたのを本当に楽しみにしていました。ですから、お嬢様とお話したいのは判ります……」
「…………うん、私もなるべくはそうしたいけど……」
……照れ隠しなんだか、秋葉のあのキツイ言い方がどうしても怖くて避けちゃうんだよなぁ。
もう少し素直になってくれてもいいのに……。
「…………翡翠は? 翡翠は私が帰ってきて欲しかった?」
……。
「…………勿論、お待ちしておりました。ですから、構ってあげて下さい」
「…………了解です」
……しかし、翡翠も言うようになったなぁ……。その方が話しやすくっていいけれど。
「……では、着替えが済み次第、居間においで下さい」
去り際に見られた翡翠の口元は、笑っていた。……押し殺して無理矢理無表情の使用人を装っているが、全て隠し切れてなかった。いっその事観念して、明るい使用人になってもいいのに。……って、それだと琥珀さんと区別がつかなくなるのかなぁ……と思いながら制服に着替えた。
/3
制服に着替えて1階へ降りる。まだ身体が半分眠っているのか、階段を降りるのが少し辛かった。軽い頭痛がする。……きっといきなり身体を動かしたからだろう。
「おはようございますー……」
自然に声をかけながら、居間に入った。相変わらず静かで、優雅な空間。……もう帰ってきて何日も経つのに、未だに自分の家に慣れないでいる。自分の家らしくないからか。―――そりゃそうだろう。本来は私の家じゃないんだから……。
「…………」
居間には秋葉の姿しかいなかった。秋葉は何も言わず、紅茶を飲んでいる。その格好は浅上の制服姿。もう学校に行ってもいいぐらい回復したんだろう。琥珀さんの手伝いもなければ、包帯も巻いていない。元気そうで良かった……と思った途端。
「おはよう、姉さん……」
と、不機嫌そうな声が響いた。
「おはよう、秋葉。いつも早いんだね……感心しちゃうな私」
秋葉はピクッと眉を上下させてカップをテーブルに置く。そしてゆっくり、視線を向けてきた。……厨房からは琥珀さんの鼻歌が聴こえる。またもや嫌な予感がする。
「姉さんこそ今日は早いんだな……まぁ昨日夕食が終わって直ぐ部屋に入ったっていうことはぐっすり寝られたんだろ?」
「……それがね、色々学校…………で悩み事で寝付けなくて……ちょっと早く起きちゃったかなって思うんだけど」
「それは、昨日遅くなったのに関係あるのか? 遅くなるなら電話を入れてくれれば迎えを送る」
「そんな……迎えなんて、ほんの少し遅くなっただけじゃない……」
……街をふらふら歩いていたらそんな時間になってしまった。確か、昨日帰ってきたのは8時を3分過ぎた所。たった3分。なのに秋葉は青筋を立てて待っていた。―――玄関で、だ。居間じゃなく、部屋で琥珀さんの連絡を待っていたわけじゃなく。そんな気遣いがどうしても心苦しくて、私は直ぐに部屋に閉じこもったんだけど……。
「姉さんは塾に行っているわけじゃない、部活もやっていないのに、そんなに遅くなるのはおかしいんじゃないか……?」
……秋葉の視線はまだ冷たい。心の中で翡翠の嘘つき……と呟く。咄嗟にいつもなら後ろにいる筈の翡翠の姿を探すが、どこにも見あたらなかった。しかしこの状況……一体何回目だろう。何回もやって、秋葉自身怒っていて呆れているのかもしれない。……なら怒らなくていいのに、とは言っちゃいけないけど。この状況……どうにか出来ないかな。
「そ、そういえばさ、秋葉…………四季はどうしてる?」
「なんでアイツの名前が出てくるんだよ!!!」
……。
…………。
………………失敗。秋葉の前で彼の名前は言っちゃいけないのをすっかり忘れていた。
それにしたって、四季の名前を聞くなり怒鳴るのもどうかと思うけど……。秋葉の視線はより厳しくなり、立ち上がった。
「琥珀!」
突然使用人の名を叫ぶ。そしてスキップ(?)で琥珀さんが厨房から現れた。
「はいー、なんでしょか秋葉様ー♪♪」
……あぁ、今朝は『♪』が2つも付いてるよ……相当この状況が楽しいみたいだなぁ。
「学校に行く! 支度しろ」
「はぁ、けどまだお嬢様と四季様の朝食の支度が出来てないスから……」
「そんなの放っておいていい。いいから俺は行くぞ!!」
秋葉は、ずかずかとロビーへ行進していく……。
「はは、お嬢さん、秋葉様は寂しがり屋なんスから構ってあげないと何してくるか判りませんよー? あ、朝メシは翡翠にお願いしてくださいな♪」
そんな事を言いつつ、ムーンウォークで(謎)琥珀さんが踊るように去っていく……。……翡翠はそれほど怒っていないと言ってたけど、きっと琥珀さんがまた秋葉に要らぬ事吹き込んで爆発させたんじゃないかなぁ……。全て琥珀さんのせいにするわけじゃないけど、そういうのも有るだろう、ということで。
「…………翡翠」
名を呼ぶ。すると厨房の方で、―――まるで隠れるように影にいた翡翠がザッと現れる。……っていうか、本当に隠れてたな。
「はっ……」
「500円玉……はちょっと朝昼の二食はツライから、せめて800円にしてくれないかな……?」
「…………自分が仕出しをご用意しましょうか?」
激しく遠慮させて頂きます。
「……じゃあ、四季は朝食を俺が用意しようか……」
……学校から帰ってきたらお見舞い行ってあげよっと。
/4
特に行事も用事も無く、平和で何も変わらない一日が終わる……。
文化祭も終わってもう今学期は面白いものもないし、……ただテストが待つだけの季節になってしまった。ただずっと椅子に座っての授業……嫌じゃないけど流石に疲れた。まるで、今日も坂道を走って下ってきた時のように。
「……何でいつもより早く起きられた筈なのに、今日も走ったんだろう」
最後の一人が教室から去っていくのを見て、ふとそんな事を思った。……まさか本当に走る事の楽しさを覚えたとか? 坂を下り、交差点を行き、それから真っ直ぐ学校へ……そんなに距離も無いし、朝走るのには丁度いい長さなのかもしれない。
……そういえば。あの交差点で思い出す人がいる。―――アルクェイド。
私を待ちながら、ずっとは笑っていた人。
自分を殺した相手を待ち伏せしながら、目を輝かせて、殺人者を待っていた人。
「……」
その事を思い出すと、今でも背筋が凍る事がある。……そういや、なんでアルクェイドはあの時あんなに楽しそうな顔をしてたんだろう。自分を殺した女を追って、待ち伏せして、見つけたら仕返しに殺すつもりだった……。
「今度会った時聞いてみよ……」
今度、―――また彼と逢えるだろうか?
昨日のアレがずっと忘れられなくて、心が重い。
……茶道室前までやってきた。ここを真っ直ぐ行けば玄関へ行ける。
と、茶道室前を通ろうとした時、ちょうどシエル先輩が茶道室の扉に手を掛けている姿が見えた。
「先輩!」
声をかけると、先輩はこっちへと振り返って、にっこり笑った。
「や、志貴ちゃん……これから帰るところ?」
「はい……でもちょっと先輩と話していこうかなって思って。これから茶道室でお茶すると思うから私も御馳走になろーかなー……って」
強請ってみたが、笑って断られた。
「残念だね。……もう今月の部費も底をついたんだ。お菓子はないよ」
「あ、そうなんですか……」
……茶道部のお茶菓子は部費で買っているらしい。思えば部費でお菓子が買えるだなんて素晴らしい部活だ。
「……じゃあ、一緒に帰りませんか? 校門までですけど」
……一緒に帰ると言っても、学校を出るまでの約5分だけだ。先輩のマンションと屋敷とでは全然方向が違うので此処までしか一緒に帰れない。誘うと、少し目を伏せて…………首を横に振った。
「今日はちょっと……ね。急ぎの用があるからさ…………」
先輩にしては珍しく、断った。たった5分、しかも学校を出るまでを喜んで受けてくれたのに。―――それに、私には違う目的がある。彼と、話したい事が……。
「だから、ごめんね。明日一緒に帰…………」
「いえ、いいんですけど…………折角カレーパン、用意したのに」
「―――」
……なんでここで刻が止まるかな。
「…………志貴ちゃん、僕が食べ物でつられる人間だと思ってるの?」
「す、すいません、冗談ですって……!」
シエル先輩の顔は平然としているが、怒鳴ろうとしているのが判った。流石に物量作戦はヤバかったかな……と思いながら鞄からカレーパンを取り出す。
「―――」
睨むように、ブツを見る先輩……。
「その、先輩。用事って、そんな忙しいものなんですか……?」
「―――」
話しかけても無言で、ブツを見て考え込む。
「……志貴ちゃん」
「―――はい?」
姿勢を正して、先輩の目を見つめかえす。先輩の視線が、とても深刻で重要な色をしていたから―――。
「………………よし、一緒に帰ろう」
と言うと、ひょいっと私の手のカレーパンを引っこ抜いた。
「せ、先輩……!?」
「折角、志貴ちゃんが一緒に帰ろうと素敵なプレゼントを用意して尋ねてきてくれたのに、失礼な事しちゃったな……全く、僕とした事が」
……言い訳めいた事をブツブツ言っている。
「え、ええと……先輩?」
「……大切な志貴ちゃんの頼み事をきかないわけにいかないだろ?」
言いながら、学食で売ってたカレーパン(100円以下のブツ)の封を切る。
「…………先輩。さっき自分で食べ物にはつられないって言ったじゃないですか」
「それとこれとは別問題だろっ、僕にくれなかったら何のためのカレーパンなんだぃ?」
……そんな事を先輩はあくまで真剣顔で話す。私は冗談のつもりだったんだけど、先輩にとっては深刻な取引だったらしい。
「それじゃ、志貴ちゃんにお礼しなくちゃな。……どう、この後アーネンエルベでも?」
「え、ちょっとそれは物々交換にしては物の差がありすぎじゃ……?」
それより、何か急ぎの用だったのでは? ……先輩の手間が成る可くかからないように、早めに廊下を歩きだした。
玄関を出て、校門の所まで来た。茶道室から此処まで5分もかからなかった。日が沈み込むには早く、運動部がまだ活発に動いていた。6時くらいになると誰一人学校内からいなくなるのは、巷のアレ騒ぎが未だ静まらないからだろう……。それでも、被害者の数が減っている。近日のニュースでは全く関連ニュースを取り扱っていない。―――アルクェイドが大詰めだと言っていたから、吸血鬼ももう数がいないのだろう……。
「……その、先輩。教えてほしい事があるんですけど」
反対方向の道へ進もうとしている先輩を止める。
「なに? 乾くん達と勉強会でもするの?」
「……それは別の機会で改めて丁重にお願いしたいんですけど、そうじゃなくて…………」
―――本題に入ろう。
コレを聞くために、先輩にここまで無理矢理付き合わせてもらったのだから―――。言いにくい事だけど意を決して、先輩に真っ直ぐむき直す。
「…………吸血鬼について、詳しく教えてくれませんか?」
「―――」
……う。
先輩の顔が一瞬にして無表情になった。
「―――何故?」
「その……知りたいんです。減っている吸血鬼達の事とか、……血を吸わない吸血鬼っているのかな、とか……」
最後の方を聞き終わると、先輩は目を細める。……また怒られる? 何度シエル先輩に首を突っ込むな言われたのに、またこんな事を聞いて……。
「―――駄目」
「ダメ、って何でですか……?」
「当たり前じゃないか! 志貴ちゃん、何度も言うけど吸血鬼の事に近づくっていうのは、いつ殺されてもおかしくないぐらい危険な事なんだよ? そんな事に志貴ちゃんを引き込む事なんて出来ないに決まってるだろっ」
「そ、そういうのは慣れてます! だって身内がそうですし……」
「遠野家は特別だけど……でも僕が追っているのは弟君のような優しいものじゃない。触れれば、命の保証は出来ないんだよ?」
「でも……一応、自分の身は自分で守れるようになっちゃいましたから」
……言ってて哀しくなるが、事実だ。私は、それなりに『敵』と対抗できるだけの力を持っている……と思う。今まで何度もこのナイフのお世話になってきたのだから……。
「……志貴ちゃん。一体何を根拠にそんな事を言ってるんだ。確かに志貴ちゃんが運動神経いいのは認めるよ。病弱だけど、決して力は悪くないし……」
「そ、そうなんですか……?」
意外な事を言ってきたので、つい聞き返してしまった。
「この頃は調子がいいのか、それともただ忙しいのか知らないけど、毎朝走ってきてるじゃないか。……毎回タイムも縮まってきてるしね」
「…………」
……自分でも、鍛えれば世界陸上も夢じゃないぐらい凄い回復力に度肝を抜かれてる。元々の私の体力が凄まじかっただけで、それが戻ってきただけの事なんだけど。
「あれ……毎日走ってきてるって、どうして知ってるんですか」
「そりゃ上の教室からだよ。……乾くん達のクラス行く時、ちょうど志貴ちゃんが校門に走ってやってくるのが見えるからさ」
……視力良すぎ。まぁ、屋根から屋根へとぴょんぴょん飛び回るくらいだから、人並み外れて目も良くなきゃならないんだろう。きっとその眼鏡に度は入ってないだろうし……。
「……それはともかく! どんなに足が速くても変な夢見ても……志貴ちゃんは普通の女の子なんだから駄目だよ!」
「……」
……なんだ。先輩がこだわる理由はそれなのか。
「そう…………じゃあコレで問題はないですね」
―――眼鏡をずらす。
ナイフを手に取る。
ずきん、と頭に痛みが走る。貧血は治っても、流石にこの眼は治らないらしい。
木に見えている適当な『線』を切断した―――。
「…………今の、は」
目を見張っている。
「……こういうコトです。前も言いましたね。私の眼は普通じゃないって……アルクェイドの話じゃ、モノの『死』が見えるって言ってました。それと、私の家の使用人は……特殊な家系だからこんな能力があるんだ、と」
翡翠は、このナイフに彫られている『七夜』という家系は遠野家と同じ特殊能力者の家系……と言っていた。
眠っていた眼が使えるようになったのは、八年前、四季によって殺されたのが引き金となったからだろう。元々、この能力を利用して遠野家は私を引き取った……と考えられる。
「―――」
先輩は切られた線の部分を見ながら、言葉を飲み込んでいる。
「―――そうか。ナイフが特別だと思っていたけど、どうやら違ったみたいだ……志貴ちゃん本人が特別、凄いんだね」
「……凄い、でしょうか」
……凄いなんて思ったことはない。四季が帰ってきて元の身体に戻ったなら、この能力からも解放されたかった。それでも、この眼があるおかげでシエル先輩との話が進んでいく……。
「―――成程、遠野家も養女としておいておきたいわけだ。こんな強力な力、真祖の皇子も見つけておいて利用しないわけがない」
切られた部分から視線を逸らす、……先輩は急に元気がなくなっていた。そしてまたワケの判らない独り言を始めた。
「―――確かにそんな力があるんだったら、逆に危険だな。一人で吸血鬼を倒す事だってできる。―――蛇も志貴ちゃんの事は無視は出来ない」
「先輩……?」
肩を落とす。……観念した、という動きだった。
「……あまり志貴ちゃんを巻き込みたくはないんだけどね、もう手遅れだって判ってるから…………ずっと前に」
力無く笑う。……もうヤケになっているぞ、と言わんばかりに。
「その先輩……それじゃあ……?」
「血を吸わない吸血鬼は吸血鬼か、だっけ? 説明しずらいな……長くなると思うけど」
「は、はい。構いません! ……で、此処でいいんですか?」
……人の通りの多い、学校門前。今でも私と先輩が話している間に何人かがこちらを伺いながら通り過ぎていった……これから現実味の全くない話をするのだから、落ち着いた所でした方がいいだろう。
「……それだな……志貴ちゃん、門限何時だっけ?」
「え……と、確か8時ですけど……?」
「随分早いんだ……まぁ、最近のあの騒ぎのせいもあるだろうけどね」
……朝、秋葉がそう凄い目つきで言っていた。今日ぐらいは守ってあげないと、と何度も授業中に考えていた。……それにしたって早すぎだと思いますけど。
「―――じゃあ、まだ暗くなるのは早いから……公園で待ってて」
「公園……ですか?」
なるべく早く行くから! と声をかけてか先輩は逆方向へ駆け出した。
/5
―――公園にはまだ人が沢山いた。
待ち合わせの女性、犬の散歩をしている老人、同じ学校の生徒、猫……。まだ日が落ちるのには早い時間。公園は明るかった。夜になっても外灯がついて明るい事は明るいんだけど……殺伐とした空気に包まれる。
ここで、……色々な事があったんだなぁ。……さぁ、何があったっけ? ベンチに座って考える。
―――私は屋敷に帰らず、真っ直ぐ公園に来た。きっとシエル先輩は一度マンションに戻ってから公園に来るに違いない。
……私の場合、屋敷に帰ったら秋葉達が放してくれないだろう。ただでさえ、今朝怒られちゃったのだから流石の翡翠でさえ許してはくれないだろうし……。琥珀さんまで調子にのって夕ご飯作ってくれなくなったらどうしよう?やっぱり私が作るのかな……その前に翡翠が名乗り出るかも? そういえば今日、翡翠が朝ご飯を作るって朝から張りきっていたような……。
……。
……四季、ちゃんと生きてるかな。
「…………あれ?」
―――今。
今、一瞬だが端っこで何かが視界に入った。白い、影が……ちらりと見えた気がする。
「…………」
立ち上がり、目を凝らして白い影が見えた方を見る。
―――ひょいっ。
また、猫のようにはねた。
でもあれは猫じゃない……猫科、だけど。
それと目があった瞬間に引っ込む、そんな動きをした。学校の鞄をベンチに置いたまま、―――影が動いた所まで歩いていく。近づくと、……観念したのか白い影がひょっこり顔を出した。
「あー、見つかっちまったよーっ!」
「…………」
あはは、と陽気に笑っている。
「意外と早かったな……っていうか俺がドジったな。ちょっとハンデやりすぎたかなー」
それは、変にテンションが高い、アルクェイドだった……。
「……アルクェイド、貴男……!」
「ん、なんだよ?」
……。
「―――本当に、アルクェイド?」
……こんな陽気に、私の前にいてくれるのが信じられなくてそう言ってしまった。
「本当……って、嘘の俺っているのかよ?」
「そ、そうじゃないけど……どうして、こんな所にいるの? 一体何して……」
「何って、志貴が見つけてくれるの待ってたんだけど」
「―――」
何事もないように、言ってのけた。
「いくら待っても気付いてくれないからさー、ちょっと顔出したら……もう見つかった」
毎週、会っていた時のように、いつもの太陽のような眩しい笑み。その笑みに、再び会えた……なんて感動はどこかにいってしまった。……アルクェイドは相変わらず、こっちの気持ちなんて考えずにマイペースで自分勝手だった。
「…………はぁ」
思わずため息が出る。でもそれもどこか晴れているもので、頭にきたっていうのもあるけど、……どっちかって言うと呆れた。―――アルクェイドがあまりにも普段の態度すぎて、安心した。やっぱり、この男には敵わない―――。
「また会えて良かった……もう会えないのかなって思った」
「はぁ!? たった1日会えないだけでか? いっつも俺は1週間も待たされてるっていうのに!?」
「……それはこっちの都合だから仕方ない事なんだけど。ホラ……昨日、それがどうしても……」
「―――」
アルクェイドが、黙る。
笑顔も、止まる。
咄嗟に口を塞いだ。
「―――あの事、忘れてくれないか」
……そうして弱々しい声で言った。
「……あ……」
―――アルクェイドのその、らしくない声にびっくりした。……そして自分のバカさかげんに頭にくる。アルクェイドがいつも通りなんて思いこんでいただけで、―――彼も彼なりに落ち込んでいる。もしかしたらあの明るさは、私を気遣ってくれての事かもしれない。じゃなかったら、まだ明るいうちに外に出る必要があるだろうか?
「……ごめんなさい、私…………」
「もういいから。どっちが悪いって言ったら俺の方が悪いんだし。……それより、肩大丈夫か?」
―――肩にアルクェイドの指が触れる。触られた瞬間チクリ、と痛みが走ったが……こんなのどうって事無い。私が、悪ふざけがすぎてアルクェイドを怒らせてしまっただけなんだから―――。
「……こっちこそ、ごめんな。志貴、傷つけちゃって……」
「あ、あれは私が変な事言ったから……それよりアルクェイド、貴男の方が苦しそうだったし、大丈夫なの?」
「……俺の事なんて気にすんなよ。あの時だってそんなに気分は悪くなかったんだぜ、大丈夫だから」
―――強がりの笑みにが見えた。あんなに荒々しい息で、血走った目、……大丈夫なわけがない。ずっと、……アルクェイドが無事かどうか考えていた……。気になって、仕方なかったんだ。……また会ったら、どうやって謝ろうかってずっと考えてた。
「なぁ、志貴……」
呼びながらもアルクェイドは、私から視線を外す。私も、真っ正面から向き合う事が出来なくなっていた。頷いて、―――往事に応える。
「……本当の事、言っていいか?」
「なに……?」
「俺だって、どうやってこれから志貴に会うか、―――寝ないで考えてたんだぞ」
―――言いにくそうに、アルクェイドは言った。
「なん、で……?」
「なんで、って言われるとなぁ……わかんねぇけど」
顔を赤くして、視線を一点に集中させず、
「……君に、嫌われたくないから……だよ」
……と、小声で言った。
「…………っ」
「……ったく、俺の安眠を返せよ……」
顔を背ける。……きっと見せちゃいけない表情なんだろう。……でも、それは私も同じ事が言いたい。―――全く同じ事で、お互いの事で悩み合っている。でもそんな事を一緒にしてると知って、何だか安心した。
「アルクェイド…………私、貴男が」
瞬間、
アルクェイドはザッとまわりを見渡した。
「―――!」
鋭い目で辺りを突き刺す。いつの間にか周囲には何人もの人影が集まっていた。こちらを取り囲むようにして、じっと息を殺していた―――。
「な……!」
突然の事で身体がかたまる。周りを囲む人を睨みつけ、―――アルクェイドの声が変わる。
「しっかりしろ志貴。囲まれてるんだからな……ヤらなきゃヤられるぞ」
「ヤるって……この人たち!?」
「眼鏡を外してみろ……コイツら、血が通っていない死者だ」
言われて、急いで眼鏡をズラしてみる。
―――頭痛。
―――耳鳴り。
―――見える、線。
……確かに、私とアルクェイドを囲む5人ほどの人間は、ラクガキだらけだった。身体中に線が書き込まれて、見ていて気持ち悪くなる。直ぐに眼鏡をかけ直した。
「なんで……!? まだ夜じゃないんじゃ……!」
辺りを見渡しながら、ナイフを構え持つ。
「…………それより、公園に人が一人も居ない方がおかしいな。ある種、結界―――を張られたか」
「え……?」
結界、という言葉を聞いてある人が思い付いた。……そうだ、私はその人を待って公園にいたんだ。アルクェイドはまわりの死者達を刃物のような鋭い視線で睨む。
「変だな。昨日俺が死者を全滅した筈なのに……この街の死者は全て滅んだと思ったんだけどな」
アルクェイドは軽い口調だったが、暗く低く、もう彼のものではなかった。いつでも飛びかかれる姿勢。それと対に、じり、と死者たちは近寄ってくる。
「全滅……? じゃあ昨日で全部、吸血鬼は倒せたの!?」
「あぁ―――昨日ヤケになってたから気抜けてたけどな。それでも親玉はまだ倒せていない…………ザコは一掃した、筈だった」
じり、さらに包囲網を縮めてくる死者たち。
「灰になるのを確認せず帰ったから……蘇生した、否、されたのか」
―――あまりの不気味さにナイフを持つ手が震えている。今まで何度もナイフを使ってきた筈なのに、まだ『正気のまま』では死者でも殺すのは怖い。しかも、5人も倒す事なんてできない……。
「志貴。そいつらはもう死んでいる。そいつらを殺す事は罪じゃない。―――殺らないと、君が死ぬ事になるんだ」
背中越しにアルクェイドの声が聞こえる。いつの間にか無防備な私の背中に回り込んでくれたらしい。表情の見えない、背中から聴こえるアルクェイドの声が冷たい―――。
「で、でも……元は人間だったのよ? それに、コレ、見た目は私達と同じだし…………っ!」
咄嗟の言い訳。だけど、それを全部聞いてくれそうになかった。
「…………死体を操るか。随分気味悪い事してくれるなぁ、代行者?」
『来るぞ』と声をかけた途端、
死者達が襲いかかってきた―――。
if 空蝉/2に続く
03.1.5