■ 21章 if 午睡の夢/1



 /1

 ―――そこは凄く綺麗な場所だった。あの子に連れられてやってきたお庭で、大きな木が、そこだけ特別だと言うかのように悠然と立っていた。よく、子供達はそこを約束の場所に使っていた。そこで待っていてくれたのは、―――。

『ごめん、なさい』

 男の子はずっと泣き続けていた。何が悲しいのか判らない。ずっと私に『ごめんなさい』と繰り返している。どうして泣いているのかも、どうやって泣きやませるのかも判らない。
 思い付いた行動は、ただ、頭を撫でるコトだけだった。
 すると小さな男の子は少し笑ってくれる。
 でもまだ泣き続けている。だからずっと慰めていた。

『泣かないで』
 自分に言うように小さな男の子に。

『私も悲しいから』
 いっしょになって泣いた。すぐあの子が駆け寄って、二人して迷惑をかけた。

『遊んで』
 遊べば少し楽しくなるから。……笑える、と思うから。
 そう言うと、それから小さな男の子は朗らかな笑顔をくれるようになった。私を、慕ってくれた。『姉さん』と。小さな男の子は、私を受け入れてくれた。
 ―――だから、私はこの子のお姉ちゃんになろうって思った。



 /2

 学校が終わると共に空が薄暗くなり始める季節。クラスに一人残されると、もう夜になる。誰もいない教室。そこまでのんびりしていたのか。まるで、一時限目のサボった時間を埋めるように其処に残っていた。……そんな事をしたって意味はないのに。成績も、……私の心情にも変わらないというのに。

「…………屋敷に帰ろ」

 やっと椅子から立ち上がる事が出来た。……それまで出来なかった。気が乗らない、それに身体も重かった。出来る事なら学校で寝泊まりするのもいいな……と本気で考えていた。……無理だけど。……それに途中で夜中怖くなっちゃうかも。そろそろ見回り当番の先生がやってくる時間で、やっと立った足を校門の方へと近づけようとした……。

「…………何、してんの」
「―――今日は寄り道しないで帰る気か、志貴」

 ……教室を出た所で。連日の街の事件のおかげで内部の部活動も停止状態で、電気も点かない廊下で、見知った顔に出逢った。
挨拶も無しで、顔を見るなり声をかけてくる見知った顔……。あくまで自然に、…………不自然な男がいた。

「……有彦は、今から駅前?」
「ちょっと買い物。まとめ買いするんで安い所行こうと思ってな」

 問いにも答えず、不審な男の前を通り過ぎる。すると床に置いていた(軽そうな)荷物を持ってついてくる男。
 ……駅前は、学校からちょっと距離がある。学校からもあるし、男……有彦の家の距離もプラスすればかなりの時間をかかる。だが結構安い店があって、有間の家でおつかいをしていた頃には何度か行ったものだ。……日の明るい頃に。こんな、真っ暗寸前な時間じゃない時に。

 有彦の家はお姉さんと二人暮らしなので、食材の買い物は有彦がしている。そして二人共夜行性だとか。……今から買いに行って食材買って帰ってきて調理……だとしたら一体何時に夕飯になるんだろうか。
 ―――私なんか置いて、さっさと向かえばいいのに。
 顔を赤くしながら、私もあくまで自然に校門に向かった。……どうせ暗くて顔なんて見えないし。

 ―――暫く無言で歩き出していると、

「志貴。……何かあったのか?」

 と、……有彦には似合わない心配そうな声を出した。

「今朝からだったけど、顔色悪いな」

 顔なんて見えないくせに、と思いながらも、まだ明るいかと自分を納得させる。……今度は『色』を外さず付けて、有彦は私を見た。

「別に。……なに、私ったらそんなに顔色悪い? 最近会う人みんなそう言うんだけど」
「あ? ……そうだな。言われてみれば普通だよな。……なんでかね、志貴。落ち込んで見えるせいかね」

 ……。
 …………落ち込んでいるか。
 確かに今日は、朝から気持ちは落ち込んでいた。朝、……殺人事件のニュースを琥珀さんに聞いて。学校について、……殺人事件の詳細をシエル先輩に聞いて……日が落ちるまでずっと、落ち込んでいた。自分では『落ち込んでいる』だなんて判らないもので、有彦にそう言われて自分の頬の手を当ててみる。
 ……自分では、普通なんだけどな。
 でも自分で『普通』と感じていても、身体が一つも動かなかった事もあったし……。

「……落ち込んでる、ね……」

 これでもしシエル先輩が現れて、追撃をかけられたら崩れてしまいそうだった。……それきり、奴は話さなくなった。こういった風に人にあまり干渉してこないのが有彦らしい。……半分、気まずいというのもあるだろうけど。
 ―――そして、お別れの交差点の所までやってきた。

「じゃあ……頑張ってお姉さんのためにもデパート、回ってね」
「あいよ。そういえば志貴……」

 別れる寸前で、有彦は止めてきた。歩き始めていた足を止める。

「この前、夜、街でお前を見たって聞いたけど、本当か?」
「…………そんなワケないじゃない。昨日まで……風邪で寝ていたのよ」

 とりあえず、担任にはそう伝えておいてある。

「そうか……。じゃあアイツの見間違えだな。弓塚が心配そうに言ってたからよ」

 頭をかきながら、……まるで取って付けた言い訳のように言った。だが、嘘を言っているようには見えない。

「ふぅん弓塚くんが…………って、まだ弓塚くん、夜行性なの?」
「その通り! あいつ夜にならないとヤル気が出ないとか言ってたからなー」

 何が嬉しいのか判らないけど、笑い出す有彦。

「直接お前の姿見たとかそういうんじゃなくて、『気配』でそんな気がしたって言ってたな」
「……」
「でも弓塚のヤツ、ナンデかシエル先輩の前ではその話しないけどよ。二人ほっとくと睨み合うし」
「……そうね」

 そりゃそうだろう……仮でも『吸血鬼』と『吸血鬼狩り』なんだから。

「じゃ、あんまり夜遊びしないでね」
「おぅっ、…………しっかし志貴に心配掛けられるなんて今度はザフトが降ってくるか!?」

 陽気に意味不明な事を語って、それじゃあな、と有彦は大通りに消えていった―――

 ―――その姿を見ていたら、闇の中でこれまた黒い影が横切った。

「……あ」

 声が口から飛び出る。有彦は何か騒ぎながら、その黒い影を避けた。直ぐに駆け寄る。その影は、有彦を邪魔しているようだった。構ってほしい……のではなく、本当の攻撃。もしあの影が人間だったら有彦を……『やつあたりしている』だろうか。いじめている、とも言うかもしれない。

「…………有彦、何構われてるのよ」

 黒猫にウロウロされ、なかなか前に進めない有彦の姿。……ちょっとマヌケに見える。

「な、コイツ……なんで俺の前から消えないんだ!?」

 まるで踏みつけ……じゃなくて蹴ってしまいそうな足取り。

「…………ウチの猫なんだけど」

 と言うと素早くその足をどけた。レン、と名前を呼ぶと、さっきまで構っていた有彦を無視してこちらに飛んでくる。……何、したかったんだろうこの子は。撫でながら、屋敷以外で会うのは多分初めてだな、と考えた。

「なんだよお前。不吉なモン飼ってるなー」
「いいじゃない! 黒くったって可愛いし」

 本当の飼い主は可愛いと思ってるのだろうか。思いっ切り放し飼いしてるけど。
 少しレンを抱いて、立ち上がる。帰らなくちゃいけない。抱いたまま歩くことも出来ない……レンを道路に置いて、歩き出す。

「……」

 ……ついてくる。ちょこちょこ、私の横に。

「可愛い……」

 ……一緒に歩いてくれる。猫好きのクセして私は猫を飼った事が無かったので、こういうのに凄く憧れていた。

「……」

 ……坂道も、一緒に歩いてくれる。あぁ、屋敷に遠回りしちゃおうかな……。

 ―――でも、もう日が落ち始めて暗かったので、坂道を上り真っ直ぐ屋敷に着いた。

「……あれ?」

 さっきまで隣を歩いていてくれたのに、ドコにもいない。……ちょっと残念。でもこのまま真っ直ぐ屋敷の中に入ったら、きっと秋葉に怒られるだろう。秋葉は今日、風邪で学校休んでいるし……。

「……?」

 改めて帰ってきた我が家を見て、変な感じがした。いつもの屋敷の風景とは違う。……風景も形も変わっていないんだけど、何か、……厭な予感がした。具体的に言えば、……居間で、誰かが騒いでいるような気が……。

「……本当に遠回りしてこよっかなー……」

 なんて弱気な事を言いながら、意を決して屋敷に入った。



 /3

「ただいま帰りましたー……」

 外も暗いせいか、いつもなら門の外でお出迎えをする翡翠も今日はロビーで立っていた。その姿も、……いつもと様子が違う。……厭な雰囲気満々だ。

「……ただいま、翡翠」
「―――」

 ……翡翠は、ただ無表情で私を見ている。だがその表情は、どことなく不機嫌。挨拶もしない翡翠なんて、翡翠じゃない気が……。

「ど、どうしたの……私、また何かしちゃった?」

 ……そう言ってしまってから失敗に気付く。翡翠は私の言葉に眉を歪め、申し訳有りません、と深くお辞儀をした。そして、翡翠はまったく考えつかなかった方向へ口を開いた……。

「―――志貴お嬢様にお客様です」
「え…………」
「居間にいらっしゃいます」

 私に、客……?
 誰も屋敷に押しかけて来るような知り合いなんて居ないと思うけど……

 …………いや、一人いた。―――とてつもなく、嫌な存在が頭の中を過ぎった。

「……翡翠、その人どんな人?」
「金色の髪の男性です」

 翡翠の表現は率直、すぎて目眩がする。

「……秋葉…………と琥珀さんは?」
「居間でお客様とご一緒に」

 翡翠が言い切る前に、私は居間へと駆けだした……。

 ―――遅かった。
 既に其処は出来上がっていた。居間ではそれはもう嫌な空気に立ちこめていて、すぐにでも換気がしたい程だった。

「……遅かったな、姉さん」

 居間に入ってきた私を見る秋葉……また怒ってる…………という事ではない。秋葉は、新たな問題に直面している。勿論、私も大問題なんだけど。

「おっ! 遅かったじゃないか志貴ぃ!」
「……」

 まったく正反対の反応で、……金髪の男性は私に手を振った。
 つい、手を振り返す……その距離、わずか10メートル。秋葉とその客の距離は、もっと短い……。

「……ただいま」

 秋葉と、―――アルクェイドが向かい合っていた。小柄で黒髪、長身で金髪。見事に対になっている。しかし、―――何てコトを。アルクェイドは平然と座っていて、それに応えるように秋葉もソファにどっしり座っている。あの秋葉は強がりなんだろうか。…………それとも、私に怒ってるんだろうか。
 ちらり、と秋葉が私を見る。……あ、あの目は絶対に怒ってるぞぉ……。

「…………どうしたんだ、姉さん。さっさと座れよ」

 座ったら電流でも走るんじゃないかってぐらい、怖い声。

「あ、あのー…………コイツはね、その」

 アルクェイドを指さして、……弁解しようとしたが、何と言っていいのか分からない。学校のクラスメイト? 通用するわけもない。『私が殺した男です』と真実を言ってみるのもいいかも……っていいわけないじゃないか!

「その、……なんだ?」

 秋葉は言葉を急かす。

「姉さんの友人なんだろ? なら教えてくれたっていいじゃないか。姉さんの客なら帰れだなんてとても言えないし」

 ……言ってるやん。
 でも、言ったってアルクェイドにその間接的意地悪は通用しないだろう。

「えー……その。アルクェイド、……何しに来たの?」

 結局秋葉を無視して、アルクェイドに声を掛けた。脳天気に笑っていて、……腹が立ってくる。

「いやな、ちょっと遭いたくなったから誘いに来たんだけだ!」

 ―――ぐらり。
 目眩の次には、貧血ではない立ちくらみが起こった。それと同時に、秋葉の目も凍る。
 こ、この、馬鹿男は……。

「来なさい!!!」

 アルクェイドの腕を掴んで、居間から走るようにして出る。

「秋葉! すぐ戻ってくるから!!!」
「お、おい。急に何すんだ……っ」

 アルクェイドの文句を聞いてる暇はない。アルクェイドの腕を引っ張って、呆然としている秋葉を置いて屋敷をの外に出る。勿論、玄関前である。中で話をしたらまた何か騒動がありそうで…………と、既に騒動が在る中思った。付け加えるなら、ロビーの前にいる翡翠の、それはもう冷たい視線が痛かった……。

「―――イテェっ! そんな握りつぶすなよ志貴!!」

 外に出て、屋敷の微かな灯りの中、アルクェイドの顔を見る。

「―――何しに来たのよ!!」
「だから、志貴に遭いたくなって…………」
「約束したじゃない! 休みの時は必ず行くから屋敷には来ないでって!!」

 アルクェイドを睨みつける。すると呆気なく怯んだ。

「こんな事するなら……もう二度とアルクェイドになんか遭わないんだからっ!」
「お、おい! それ本気か!?」

 とにかく、もう頭にきている。今ならいつもは言えないような怒りも口に出せそうだった。アルクェイドも直ぐに言い返してきた。

「何だよ、俺は君に気になる事があるから会いに来ただけじゃないか! そんなに怒られる事なんてしてないだろっ」
「それが駄目だって何度も行ってるじゃないっ! そんなに物わかり悪………………って?」

 冷静になって、アルクェイドの言葉に止まってみる。
 『気になる事がある』……?
 この脳天気馬鹿が気にしている事……? それは、

「―――凄く……重要な事なの?」
「あぁ!」

 猫のようにむーっと不機嫌そうに睨みつけられてくる。それでもこっちも負けてられない…………。

「何っ、さっさと言ってよ!」
「……俺は、志貴がどういう様子なのか見たかったんだけどなぁ」

 ……。

「―――そう。じゃあ頼むから次は目立たないようにしてきてね。かと言って窓から入ってくるのも禁止」

 じゃっ、と手を振って玄関を開け……ようとしたが猛スピードでアルクェイドは私の腕を押さえた。

「なによっ!?」
「俺、まだ本題を言ってない」

 ……うって変わって真剣な眼差し。さっきまでバカを演技していたかのように、人が変わった。その声に、…………私の方が負けた。玄関を開けようとした腕を放してもらい、アルクェイドとやっと向き合えた。

「冗談はもういいから、何……」
「志貴。君ずっとこの屋敷にいたよな!?」

 ……唐突の質問。息をつく暇もなく、アルクェイドは真っ直ぐ私の目を見てきた。冗談でもバカでも迷惑でもない、……アルクェイドは真面目に、私の目だけを見て。

「……さっきまで学校に行ってたんだけど?」
「そうじゃない。ここ数日、ずうっっと寝ていたんだよな?」

 ……寝ていた……というか、動けなかったというか。三日間、屋敷から一歩も出ていない。庭には何回か出たけれど。

「そうだけど……それが、何?」

 ……何か、引っ掛かる。―――有彦が話した弓塚くんの話に、どこかかぶったからだろうか。
 質問が終わったのか、アルクェイドはやっと視線を私から外してくれた。アルクェイドの真剣な眼差しは、……息がつまるくらい鋭いものだから、やっと生きている感覚が戻る。

「君が病気だったっつーのはレンから聞いてたんだけど、メガネに学校来たって聞いたから―――そのワリには元気そうだなーって」
「まぁ、おかげさまで……」

 ……なんだ、実はシエル先輩と仲良いんじゃないの?
 アルクェイドの表情が、崩れている。いつもの笑みを浮かべ、……本当に遊びに来たような気がした。

「…………もう入るわよ。じゃ、さよな……」
「待った! これだけは聞いてくれよ」

 これは、質問ではなく忠告だ。アルクェイドの先ほどとは全然違う声色に、そう思った。

「―――外に出るな」
「……え?」

 この男は、……まだ私の成績を下げようと企んでいるのだろうか。

「夜。夜は絶対外に出るなよ。―――変にヒーロー気取ってるメガネに殺されても文句言えない」

 そう言い放って、アルクェイドは背を向けた。さよなら、と言われてか、用が済んだら素直帰ろうとしている。意味深な、言葉を残して―――
 …………シエル先輩に、殺され…………?

「ちょ、ちょっと! それどういう意味!?」

 アルクェイドの白い服の袖を引っ張って止めた。

「そのままの意味だ。……今、吸血鬼が活動し始めて危ないんだ。もう少しで決着が着きそうだから……頼むよ」

 淡く、笑って……何だかアルクェイドらしくない笑みを浮かべて、一瞬にして闇に消えた―――。

「……」

 全く、身勝手な男。これから私は、弟の機嫌を取りにいかなきゃいけないっていうのに…………。

「……決着、着くんだ……」

 世間を騒がしている連続吸血事件。それがやっと終わるという。確実に、アルクェイド、もしくはシエル先輩がどちらかがいつか終わらせる事だ。それを、忠告しに来てくれたということか…………でも。

「……私のそっくりさんでもいるのかなぁ」

 有彦……の言っていた弓塚くんが見つけたという、見間違えのヒト。それがアルクェイドも見ていたら、辻褄が合うような合わないような―――。

 ―――ロビーに入る。流石に外は上着も着ていなかったせいか寒かった。玄関に入っただけで生き返る。

「―――おかえりなさいませ」

 翡翠が頭を下げる。やっと、今度こそ、コレが本当の『おかえり』だと言うように。

「ん……ただいま。ゴメンね、さっきからバタバタして……」
「それは秋葉様に言った方がいいと思いますよ〜♪」

 翡翠の後ろから、琥珀さんが鼻歌交じりに笑いながらやってきた。この人が鼻歌を歌っている……ということは。

「……その、秋葉は?」
「ムカムカプンプンで自分のお部屋に籠もりっきりッス。恐ろしいったらありゃしないッスよ〜♪」

 ……やっぱり。何とも楽しそうに、または嬉しそうに人の不幸を笑っていた。その表情に流石の翡翠も非難の目で琥珀さんを見ているような……。

「あ、夕食の準備出来てますんでいつでもドウゾ!」

 イマイチ掴みづらい表情を残して、琥珀さんは居間の方へ向かった。……まだ、夕食の時間ぐらいなのか。有彦やアルクェイドのせいで、もう何時間も夜を過ごした気がする。でも、これから私にはやらなければならない試練が……。

「……どう思う? 翡翠……」

 とりあえず、翡翠に言葉を求める。……一息置いて、

「―――1度、秋葉様に挨拶をしておいた方がいいかと」

 冷静な意見を、目を瞑りながら言ってくれた。



 /4

 ―――夕食は別々に取った。
 私が食堂に着いた時には、入れ替わりに秋葉が出ていったらしい。いつもなら、秋葉から夕食の時間を言い出すというのに、無視された。……原因は判っている。けど、あんなに怒らなくてもいいような……。
 はぁ、とため息。ただでさえ最近一緒に食事を取ることなんて無かったのに、また一緒にいられる時間を少なくしてしまった。食事が終わった所に、トレーを持った琥珀さんが現れた。

「お嬢さん、これから予定は?」

 にこやかに琥珀さんは笑いかけてくる。

「え……予定って、どういう事ですか……?」
「いやぁ、もしお時間がありましたら水と薬、秋葉様のお部屋に届けて欲しいんスけどね〜」

 上機嫌に、トレーを渡された。了解です、とも言っていないのに、渡されたら行かなくちゃいけないだろう……。

「兄さん、それぐらい俺が……」
「おー、翡翠は厨房の片づけ頼むわー。んじゃ、お嬢さんお願いしますよ♪」

 ……全ては琥珀さんの思惑通り。納得いかなそうな翡翠の背中を厨房に押し込みながら、軽く礼をして二人は去っていった。

「……まったく」

 琥珀さんには敵いそうにない。きっと私と秋葉の仲を取り持つために、面倒な事を思い付いたのだろう。気遣ってくれてありがとう、と去り際の琥珀さんにお礼を言った。

 ―――秋葉の部屋は、二階の東館だった筈。
 滅多に入る事のない空間へ、足を踏み出した。

「秋葉ー……起きてる?」

 大きな扉に小さくノックをして、忍び寄るようにして秋葉の部屋に入る……。

「…………姉さん」

 私の姿を確認して、―――秋葉は深くため息をついた。

「……なによ、会うなりため息なんて失礼よ。そんなに疲れてるの?」
「…………別に」

 素っ気ない返事。秋葉は椅子に座って……学校の課題をしていた。折角調子が悪くて休んでいるというのに、就寝前のお勉強とは感心だ。琥珀さんに渡された水のポットと錠剤のあるトレーを机に置く。

「一応、秋葉は病人なんだから……ゆっくりしてね」
「…………」

 目を、合わせない。こちらからも目は合わしづらかった。……うぅ、元はと言えばあのアーパー吸血鬼♂が悪いんだ……。

「……ねえ、秋葉。今日一日……何してたの? まさか一日中、寝てたわけじゃないんでしょ、なら……」
「別に。ずっと寝ていたけど」

 ……こちらから話を切りだしても、秋葉が強制的に会話を終了させる。それなら、……私が努力しても仕方ないじゃないか。秋葉はまだ黙ったまま、……怒っているのか、寂しがっているのかも判らなかった。

「秋葉、……もしかしてまだ身体調子悪いの? ならまだ寝ていた方が……」

 そう言って、……無理矢理秋葉の腕を持った。振り払わずに、秋葉は私に腕を『持たされる』。
 ……右手。
 急にこんな行動をされて、秋葉は少し驚いている。が、声はあげない。実を言うと、いきなりこんな行動をして自分でも驚いている。……秋葉が、意外と華奢なんだなぁ、という事も。右手を、じっと見て―――

 ―――あ。
 ふと、気付いた。
 秋葉は今日、学校を休んだ。昨日出来た傷で、シエル先輩は腕に包帯を巻いていた。吸血鬼と痛み分けとなった傷を隠すために―――。

「……」

 そんな、妄想が頭に浮かんだ。
 浮かんで、……どんどん話は発展していく。
 ―――秋葉は、シエル先輩との戦いで怪我を負った。
 それは普通に学校生活を送る上で支障を来すもの。
 一日休んで、何事もなかったように暮らせばバレは―――。

「……姉さん? 姉さんの方こそ、顔色悪いじゃ……」

 秋葉が声をあげているのは、肩を揺さぶられてやっと気付いた。

「わ、私は別に……っ」

 ブンブンと頭を震った。嫌な想像を、ただの私の勝手な妄想を払うために。
 ……私は、どうかしているんだ。そう、秋葉は私と同じ、少し身体が弱いんだからいつ学校を休んだって可笑しくないんだ。
 それに、シエル先輩も違うって言っていた。秋葉は殺人鬼なんかじゃないと。なのに、何で弱気になってるんだろう―――。

「姉さん……」
「あ、何。どうしたの? 琥珀さん呼んでこようか……?」
「いや、身体の調子はいいんだけど……俺がこんなに気が抜けてるのは、ちょっとワケがあって……」
「……? 気が抜けてるって、何?」
「…………姉さんは、子供の頃の約束をまだ覚えてるか?」

 ―――唐突に、言い辛そうだった口を開いて、秋葉は私の眼を見てきた。

「……子供の頃の約束、って何?」
「……やっぱり覚えてないんだな。……まぁ、期待もしてなかったけど」

 ふんっっ、と顔を背ける……ということは、秋葉にとって都合の悪い事だったらしい。

「何よ、いきなり! 子供の頃の約束なんて沢山あったじゃない!」
「それは……そうだけど、それでも覚えていてほしい事ぐらいあるんだ。……その、朝、子供の頃の夢を見て、姉さんは覚えてるかって思って……」

 ……そんな事言ったって、そんな風に言われても一体何の事か判らないし……。

「……俺には懐かしかったんだよ! 俺が何かと泣くといつも姉さんが宥めてくれたじゃないか……ッ。みんな俺が泣くと仕方なくあやしてくれたけど、姉さんだけは……一緒に悲しんでくれたじゃないか。俺のために泣いてくれた姉さんが、凄く好きだった。―――あぁ、あの木の下でな!」

 最後の方は怒りというより叫んでいた。何だか秋葉は涙目になっている。昔の、泣いている記憶を思い出してか。本当に私がその『約束』を覚えていなくて悲しいのか。

 ……でも。

「姉さん?」

 …………それよりも。

「あの木の下で―――?」

 …………その夢の方が気になる。

「私も、見てた」
「…………え?!」

 ぽろりとこぼれ落ちた言葉に、秋葉は酷く反応した。私が、秋葉の『夢』に厭な気持ちを抱くように―――。

 先輩は言っていた。私は、殺人鬼の意識に引きずられるということを―――。

「姉さん……?」

 アキハが、声をかける―――。
 私は、殺人鬼に意識を引きずられる―――。
 眠ってしまうと私はそのヒトの夢の中に入り込んでしまって―――。
 そして、秋葉と、一緒の夢を見た―――。
 秋葉が吸血鬼かもしれない、と先輩言われて―――。
 ずっと否定してきたのに―――。

「姉さん!」

 呼ばれた。そして、私が咄嗟に出た秋葉へ送った言葉が

「秋葉は、先輩の事。どう思う……?」

 だった。

「先輩、というと姉さんの事だからシエル先輩の事か……?」

 黙って、頷く。突然な切り出しで、秋葉は戸惑った。だが少し考えて

「俺は好きじゃない」

 と言った。

「……どうして?」
「どうしてって、姉さんの友人だって判ってる。けど、信用できない。イイヒトだとも思えない。根本的に考えが合わない。きっと、あの人も俺の事、好きじゃない」

 何を根拠に、そんなにハッキリ非難出来るのか。…………何となくだが判った気がした。

「―――敵だから?」
「……何?」
「吸血鬼にとって敵だから? シエル先輩は『吸血鬼を狩る者』だから……?」
「―――!」

 秋葉は、目を見開いた。そして、私から目をそらした。
 半分……以上はハッタリだった。本当は『何を言っているか判らない』と言ってほしかったが、秋葉は明らかに『吸血鬼』という言葉に反応している。それは、そのままの意味を示しているのだろうか―――。

「秋葉。シエル先輩の、正体……知ってたの?」

 …………頷く。

「……ああ、姉さん。俺にはあのヒトが最初から違う人だっていうのを判っていた。あのヒトが初対面の人に暗示をかけていたから、あのヒトの事が信用出来なかったんだ」
「……? 暗示をかけるってソレ……」

 私が、一年の頃からシエル先輩に会っていると思わせるために使ったアレの事……?

「だから、姉さんも他の人も『シエル』という名前に違和感を感じなかっただろ? 俺は暗示にかからなかったから、どこか異常だって判ったんだ」

 弁解するように秋葉は言う。でも、……どうして秋葉は暗示にかからなかったのか。

「……秋葉は、何で判ったの?」
「それは……」

 言葉に詰まる。ため息を、……代わりに私が吐いてやった。

「そうよね……遠野家の人間は普通じゃないからね。普通じゃないから、先輩の暗示にかからなかったんでしょ?」
「姉さん……どうしてそれを……」

 今更。……知っていたのかという風に秋葉は見た。苦笑い、するしかない。

「……当たり前でしょ。私だって、普通じゃないし」

 おそらく、秋葉はさっき現れた金髪の不審な男―――アルクェイドの正体にも気付いているだろう。『暗示』も、『吸血鬼を狩る者』だって事さえ判った子なんだから。

「―――先輩から聞いたの。遠野家の人間はみんな異常で、……中には血を吸うヒトもいたってこと」

 ……。

「でも、けど、私は…………信じないからね。信じたく、ないから……」

 ……。

「ねぇ、秋葉…………貴男は、吸血鬼なんかじゃないよね?」

 ……。
 秋葉は、答えない。ただ辛そうに、目を細めるだけだった。

 ―――やっぱり。
 秋葉も、それに否定してくれなかった。どうして嘘でもいいから、そんなことはない、と言ってくれないのだろう。

「…………秋葉。なんで、いつまで黙ってるのよ―――!」

 沈黙が苦しくて、叫び声をあげる。

 ……そして。
 秋葉は、何事もなかったように部屋の窓際に歩き出した。
 黒い、綺麗な髪をなびかせて、秋葉は、―――舞台俳優のようにくるりと振り返った。

「それじゃ聞くけど。姉さんは俺が吸血鬼だったらどうしたい?」

 ―――視線が。
 凶器のような視線が襲いかかり、私の胸に突き刺さった。

「…………それって」

 いつ、殺されてもおかしくないような、恐ろしい視線。緊迫した空間。窓際に移った秋葉とは何メートルも離れているのに、目の前で怒鳴られたような感覚。

「俺が血を吸う鬼だったらどうするって聞いてるんだ」
「秋葉―――それは」
「それを俺が認めたら、いつまでも自分を隠す必要がなくなる。自分に素直に姉さんと話せるんだけど?」

 ―――残忍な瞳。
 何度も見た視線。
 ぞくり、とする。
 息を、飲むだけ。
 秋葉の眼は、他人のように冷たい―――。

「…………冗談だよ。俺は、誰かの血なんて飲まない」

 私を見下すように笑って、秋葉は刃のような視線をやめた。

「シエルの言うとおり、確かに遠野家の人間にはおかしな血が混じっている。でもそんなのどうやって判るんだ?」

 秋葉は、からかうように笑った。

「ここで首を斬ってみたって、それが吸血鬼の物だって照明なんて出来ないだろ?」

 ……どうして。
 どこも可笑しくないのに。
 ……どうして、そんな。
 ―――まるで、本物の殺人鬼のような視線を―――。

「それじゃあ、俺はもう寝たいから、姉さん。出ていってくれないか」

 暗い窓の外を見つめる秋葉。その姿は、何処か、この世ではない違うものだと思う。……異様な空気を発している。何だと言えないが、恐ろしい何かが秋葉の周りを包み込んでいるようだった。

「ほら、姉さん」

 私を部屋から出ていくように急かす。

「……いいえ。まだ、聞きたい事があるわ。私と、秋葉といた……男の子のコトを」

 踏みとどまった。襲いかかる刃に立ち向かうために。

「何言ってるんだよ。いつも姉さんの傍にいるアイツじゃないか」

 名前を言わず、…………琥珀さんの事だと秋葉は言った。

「違うよ。翡翠達以外に十年前に養子がお父さんが養子をとったのは知ってるよね」
「―――」

 秋葉が、キッと眉をつり上げる。さっきからの強気の笑みではなく、―――怒りの表情だった。その口元に台詞を入れるとしたら、『何故、知っている』だろうか。

「そうか。翡翠か琥珀―――どっちか話しやがったな」

 ―――秋葉の迫力は、廃れない。崩す事が出来ない。……ずっと、私を見下していた。

「……秋葉。本当に男の子はもう一人いた……私だって、ちゃんと覚えている。もう教えてくれたっていいでしょ? ……どうして、あの子は死んでしまったの?」
「死んでなんかいない」
「―――え?」



「ソイツは死んでなんかいないって言ったんだ。でも、殺された。―――八年前に」

 私の目を見て再度、にや、と笑った。

 秋葉の声は、まるで、
 八年前に、
 私が、殺したかのように言い放った。





if 午睡の夢/2に続く
02.11.10