■ 20章 if 透る爪痕/2



 /1

 ―――何だか。
 朝から気分が悪いと、起きる気もしない。
 寝たまま、自分の髪を弄くる。……うん、動ける。あくびも出来る。首だけ動かして……時計を見る事も出来る。時刻は、六時ちょっと前だった。
 ……私も早起き、出来るもんなんだなぁ。自分で感心しながら、……翡翠が起きるまで寝ていようと目を閉じる。途端、鼻が―――。

「………………えっくしゅっ!」

 くすぐったくなった。濡れた鼻をふくために、起きあがろうと再び目を開けると……

「……!?」

 顔が、目の前に、あった。ホラー映画のような描写だがそれは、…………。

「レ、レン!? …………久しぶり……」

 いつの間にかレンが鼻を擦り寄せていた。私が動くと、ぴょんっと下へ飛び移る。起きあがって見れば、窓が少しだけ開いていた。
 ……五時に起こしに来てくれた(であろう)翡翠が、窓を開けて置いてくれたのだろうか。

「……もしかして、レンも私を何度も起こしてくれてたの?」

 問いかけながら撫でる。……が、当たり前だがうんともにゃーとも言わない。
 ……きっと翡翠なら、レンの存在に気付いているんだろぉなぁ。しばらくレンを撫でてたが、レンの方が飽きたのか、サッと居なくなった。滑るようにして窓から去っていく黒猫。……レンなりのモーニングコールなんだろうか。レンが去っていって一人になる部屋。一人になった途端に大きな欠伸が出た。

「んー……よく寝たなぁ……」

 久しぶりにぐっすり眠れたと思う。いつも身体が苦しくって眠るのにも体力がいたけど、どうやらもう身体はスッカリ回復したようだ。そのおかげか何でか分からないけど、夢をよく覚えている。いつも曖昧な事ばかり。……いや、夢をハッキリ覚えている方が珍しいだろうけど。今日は寝付きが良かったせいか、いつも以上に嫌になるくらい覚えている。

 ……そう。

 ―――女性を拈り殺したとか
 ―――通りすがりの男性を、貫いたとか
 ―――シエル先輩の腕をパイプで突き刺したとか
 ―――アルクェイドが剣を投げつけたとか
 ―――それは全て秋葉がやったこととか

「……」

 思い出してから、……自己嫌悪に落ちる。
 エグイ。……何て夢をさわやかにモノローグに使っているんだろう。私は、……夢とはいえ、何ていうものを妄想していたのか。
 ヒトがコロされる夢。しかも顔も全然知らない誰かが、自分の、身内に殺されるという悪夢。

「……うぅっ」

 鮮明に思い出してきた……何故か、感触さえもはっきり分かる夢だった。
 ……感触? 夢って頬を抓っても痛くないもんじゃなかったっけ?

「……」

 どうして、こんなにハッキリと思い出すんだろうか。
 秋葉が、殺人鬼だったという夢を―――。

 ―――コンコン
 ノックの音。そして翡翠が静かに入ってくる。

「―――おはようございます。志貴お嬢様」

 翡翠がドアの所で礼をする。いつもの朝の挨拶。翡翠の腕には私の制服があった。気持ち悪い妄想を忘れるように、朝一番の笑みを翡翠に贈る。

「…………おはよ、翡翠」
「お嬢様。お身体の具合はどうでしょうか……」
「う? ……うん、大丈夫。これなら今日は学校に行けそ…………」

 話しながらベットから立ち上がる。ちょっと頭痛。でも無視して翡翠の持っている制服を受け取った。
 久しぶりの制服。3日ほど着なかっただけだけど、……あの日はもう一生制服なんて着られないかと思ったのに。

「すぐ居間に行くわ。この時間に起きれば秋葉待ってるでしょ?」
「―――いえ。秋葉様は今朝はお身体の方が優れないらしく、学校は欠席するようです」
「え。…………だって、昨夜あんなに元気だったのに!?」
「―――兄さんから聞いただけですので、詳しくは知らされていません」

 ……そっか。前と同じような発作……なのかな。最近秋葉も調子が悪いらしいし。……秋は、風邪を引きやすい時期だし。といいつつ私が寝込んでいたのはどう考えても風邪ではない。……そこら辺は変にツッコまないでおこう。

「―――兄さんが居間にいますので、詳しい話を聞いて下さい」

 それでは、と翡翠は部屋から出ていった。……直ぐに出ていってしまった、と思った。だがこれが普通だろう。私が、ちゃんとベットから立ち上がって制服を受け取った……のだから、着替えるからだ。
 生活スタイルが乱れ始めている…………。
 ただでさえ慣れてなかった屋敷での生活。……八年前の生活に戻ってきただけなのに、こんなに窮屈だとは。自分の部屋でも落ち着かないのは病気だ。
 だが、ここで暮らす以上慣れるしかない。この部屋も、…………おそらく八年前も『遠野シキ』の部屋だったんだから。

「おっ。オハヨーございます、お嬢様! 今日は元気そうですね!!」

 居間で目が合うなり、琥珀さんはオーバーなお辞儀をする。手には、……何やら錠剤と、小さなポットを持っていた。

「おはよう琥珀さん。…………その、秋葉が調子が悪いって聞いたんですけど、どうなんですか……?」

 居間のソファに腰掛ける。すると翡翠がお茶を準備する。って、3日前まではずっとこういう朝だった筈なんだけど、何だか新鮮味を感じる……。

「翡翠から聞いたんスね。秋葉様は今日はちぃと熱があるらしいんで今日は学校、休みにするそうスよ」

 ……やっぱり、風邪か……。
 熱いお茶(かなり久しぶりに飲んだ気がする)を啜りながら、健康て素敵、とまた思った。

「やっぱり秋葉様の方も、最近は学校の予定が沢山あったらしくて疲れてたんだと思いますよー?」
「……それに、私の事も重なって……?」

 ―――もしかして、昨日は日常でのストレスを発散するために散歩を……?
 昨夜は秋葉の邪魔してしまっただろうか……。

「お嬢さんが気にすることナイッスよ! ……って、俺が言えたもんじゃないか。そんなに秋葉様の事が心配なら、お見舞いに行けばどうッスか?」

 ニヤニヤ、琥珀さんは笑った。笑われて、自分がどれくらい切迫していたか気付いた。
 そんなに、心配そうな顔をしていたか。おそらく、……私を看病してくれた秋葉と同じ顔だったに違いない。

「あ、でも今は薬飲んで寝てるんでソッとしといてクダサイ。『見舞いなんてしなくていいから、姉さんは学校に行ってこい』だそうです」

 琥珀さんは秋葉のモノマネをした。
 いつでもユーモアを忘れない人だ…………。

「そういえばー……、昨夜、秋葉様と一緒に庭で話してたっつーのは本当スか?」
「え? あ……えぇ、そうですよ。昨日は寝付けなくて庭に出たら秋葉がいて、そこでちょっと話し込んじゃったんです」

 ……話しているうちに、どんどん疑惑が浮かび上がる。もしかして、昨日結構長く風にあたっていたから、それで身体崩したとか?

「それが……どうしたんですか……?」
「いやぁ、翡翠がそんな事言ってたなーって思い出してねっ」

 視線を翡翠に送る琥珀さん。……だが翡翠は何も言わず、こちらに会釈をして居間から去っていった。

「けどお嬢さん? 夜に外を出歩くのは良くない事ッスよー?」

 のクセに琥珀さんはとても楽しそうに言っている。まるで、それが……夜に外を出歩くコトが良いことだと言っているような。……勿論琥珀さんは、秋の風邪以上に大流行中の連続殺人事件のことを言っているのだろうけど。

「そんな、庭の中なんだからいいじゃないですか……」
「いやいや、今朝のニュースで新たな被害者が出たンスよ。今度はなんと男性の被害者ですよ! これじゃあいつ庭に入ってくるか判らないじゃないスか!」

 はは〜、と愉快げに笑った。イマイチ、琥珀さんの笑うタイミングが判らない。今の琥珀さんは、冗談のつもりで笑ったらしい。
 ―――だが、私には笑えなかった。

「…………男性の、被害者?」

 その一点が、気にかかった。今まで、女性だけだったのに……?

「それ……本当なんですか……?」
「あ? あぁ……初めての男性、しかもその男性串刺し……今までみたいに血を吸われて無くて、近くで一人女性が血を吸われて発見……つーコトでニュースじゃ色々と騒がしくなってるみたいスよ……?」

 まだ時間ありますんでテレビ見ます? とか琥珀さんは言ってた……気がする。ハッキリは聞き取れなかった。頭がゴチャゴチャしていた。
 ……男の被害者が出た、と聞いてどうしてそんなに慌てている?
 串刺しで、血は吸われていない、と聞いてたから?
 ―――それは、通行人だから?

 シエル先輩が、秋葉の攻撃から庇ってくれたのに、助からなかった男性だから……?

「お嬢さん……?」

 琥珀さんが、何か言ってる。いつの間にかソファから身を乗り出して、琥珀さんに向かっていた。

「あ、い、ごめんなさい! なんでも、ないです…………」

 そんな言葉しか返せないまま、またソファに座る。そのまま、ただ呆然としてしまった……。



 /2

 ―――学校に着いた。
 いつもより早めに起きたはずなのに、何故かいつもと同じようにギリギリの時間に学校に着く。理由は簡単。……足取りが凄く重いから。

「……」

 校門をくぐる。でもその先が進めない。
 何故、そんなに不安がっているのだろうと、自分に問いかけながら。

「夢なのに……」

 苦笑いをする。
 夢に過ぎない、と結論を出しても、片方で異議を出している自分がいる。
 ……どうして、男性が殺される夢なんて見たんだろう。
 寒さも熱さも、感触も、匂いも、声も感じたあの夢―――夢とは思えない程の夢を、どうして見てしまった、と問いかけながら……。

「…………そんなにのんびりしてると遅刻するよ」
「え……っ?」

 ぽんっ、と肩を叩かれた。振り返る……と、懐かしい顔が其処にいた。

「おはよう、久しぶりだね志貴ちゃん。……もう、身体の方は大丈夫なのかぃ?」

 優しい笑みを浮かべてくれる……シエル先輩がいた。いつもと変わらない笑みで、何かあっても滅多に変わることのない表情。でも、……いきなり現れてにっこり笑いかけられるなんて不意打ちだ。あまりの咄嗟のコトで、言葉がつまる。

「……ん? どうしたの志貴ちゃん。僕、何かおかしなコト言ったかい?」
「いえ…………」

 ―――昨日の夜。
 秋葉を追ってやってきた黒い影。
 人を殺す鬼をもう少しで仕留められるという所で捕まって、逆にパイプで串刺しに、なった男性……。

「志貴ちゃん……?」
「……先輩、いつも通りですね」

 先輩は元気だった。昨夜、身体を鉄パイプで串刺しにされて、あんなに穴も空いて血も出して、ヒトとは思えない程に変形していた。そんなのが、次の日普通に学校に通えるだなんておかしい。
 ……昨日の夜の出来事は、やっぱり夢だったのか。

「志貴ちゃん? 本当にさっきから変だよ。無理して学校来たなら先に保健室で薬貰った方が……」

 こっちの様子が気になるのか、先輩は背を屈めて私の顔を覗き込む。

「あ、―――ちょっと、先輩っ」

 そんなに近くに寄られると
 昨日の顔が思い出される。
 ―――バラバラにされかけたシエル先輩のカオが

 先輩は、手を伸ばしてきた。先輩の手が、私の額に触れる。

「あ……っ」

 何だか……毎度同じような事をされているような……。

「先輩っ! その……嬉しいんですけど、今は……」
「ん……熱はないようだけど」

 ちょっと登校時間があいすぎて、通行人の目がイタイ……。
 私の言い分なんて無視して、考え込む。

 ―――と。

「……」

 熱を測る先輩の袖の中。
 白い包帯が、見えた。

「……」

 手のひらの付け根より、やや下に巻かれた白い包帯。
 ―――厭な、予感がする。
 そこは、夢の中で確かに『秋葉が刺した』傷の場所―――。

 熱が、急に冷めていった気がした。
 それと同時に、心臓がばくばく言い出した。
 まるで何キロは走った後のような、急な鼓動がし始めた。
 ―――勝手に身体が、口が動き出した。

「…………先輩、それどうしました」
「あ、この傷? 昨日の委員会の仕事で、ちょっとドジしただけだよ。軽傷なんだけどとりあえず包帯巻いた方がいいって同級生が……」

 先輩は、何でもないように言った。照れ笑いをしながら、……先輩に一番似合う表情をしながら。

 でも、それが嘘だということが判った。

「…………違いますよね。それ、昨夜鉄パイプで貫かれた所じゃないですか。まだ痛いんでしょう?」
「―――」

 途端。先輩の顔から笑顔が消えた。
 ………………どくん
 また、身体が跳ねる。空気が、一瞬凍る。
 ………………どくん
 先輩には聞かれているかもしれない。あまりに高い、心臓の音が……。
………………どくん
 また、鳴った。嫌な予感と気持ちが重なって苦しくなって―――。

「…………志貴ちゃん、久しぶりの学校だけど、今日は一時間サボろう」
「……」

 一変。凍った表情は解凍され先輩はニッコリ笑う。そして、強く私の腕を掴んだ。
 そんな行動も半ば予測していたものだったので、成されるままに引っ張られる。そのまま、……誰もいないだろう校舎裏に向かった。



 /3

 ―――予鈴がなった。
 HRと一時限目が始まる。……これでサボリになった。同じようなコトを前に一度している。シエル先輩は、あの時何事も無かったように笑っていた……そして今も。

「……また、こんなコトになったね」

 先輩は辺りを見渡す。生徒や先生が誰もいないかを確認……ではなくて、どこぞの野良猫がいないか気にしているようだった。白くて、大きな野良猫を探す。それが終わって深呼吸をしてから、先輩は笑って私の方に向き直った。

「あの……先輩、私……」
「そうだな。とりあえずコレを見てもらおうか」

 私の言葉を遮って、シエル先輩はYシャツの袖をまくって両腕を見せた。―――そこには、私の見間違いなんかじゃなくて……白い包帯。……痛々しい両腕。

「志貴ちゃんの言うとおり、コレは鉄パイプで貫かれた傷だ」
「―――」

 シエル先輩は、何事も無かったような口調で言い放った。
 誰に、なんて聞けない。それは多分……私の身近な人物だと判っているから。
 でも本当は、……そんな物を見せられるより、シエル先輩に『傷って何?』とか笑い飛ばしてほしかった。
 なのに、このシエル先輩の答えじゃ……秋葉があの街を騒がしている連続殺人犯と言っているようなものだった……。

「……シエ、ル……先輩……っ」

 先輩は、判っていたはずだ。
 だってソノ人を追っていたんだから。
 正体くらい、判ってる筈なんだ。

「どうして……何も、言ってくれなかったんですか……!」
「何って、何が」

 先輩は表情一つ変えずに聞いてくる。

「何って!……どうしてそんな涼しい顔をしてるんですか……!」
「だって僕は志貴ちゃんに特別言うコトなんて無いからさ」
「先輩! 私、真面目に聞いているんですよ!!」

 先輩は顔を顰めた。視線も私から放し、あちこちを見ている。それほど、私に言いにくいことだっていうのは判っている。けど、

「―――どうして志貴ちゃんはこの傷のコトを知っているんだい?」

 ―――ぞくり

 先輩の、蒼い目に睨まれて一瞬息が出来なくなった。
 私も、……それに対抗して先輩と向かい合う。
 今なら、……真面目に『真実』を教えてくれる……気がして。

「………………夢で見たんです」
「へぇ、夢か。でもそれは志貴ちゃんが勝手に見た空想の世界だろ?」
「でも知ってます。シエル先輩の両腕に穴が空いているのも、…………それをアルクェイドが助けてくれたのも」
「―――」

 暫し、睨み合い。
 だが直ぐにシエル先輩は苦笑いをした。

「……参ったな。そんな情けない所を見られるとは」

 ぽりぽり、頭をかく……のは、何だか照れているようだった。私は、先輩が殺されかけた所を見たというのに、殺人鬼に殺されかけてたのも事実だというのに―――いつも昼休み、お昼を食べながら誉めあっている風景のような。

「……それと、……秋葉が、女性を殺す所も」

 ―――ハッキリと覚えている。
 その後、シエル先輩は現れた。あの黒いコートを着て、いくつも細い剣を持って、……秋葉を追った。
 秋葉を、狩るために。殺人鬼……いや、『吸血鬼』として処理するために。

「…………………………今、何て言った?」

先輩は、驚いたような目をする。

「何って……?」
「だから、『誰が』女性を殺した……血を吸ってたんだい?」

 ……そんなこと、何度も言わせないでほしい。

「秋葉でしょう? 暗かったけど、私……ちゃんと覚えているんです!」

 ……この自信がどこから出ているかは判らないけど。すると、

 先輩は、面白いコトを聞いてしまったかのように笑い出した。

「な、……せっ、先輩! どこも可笑しくなんかないでしょう……!!」
「いや、オカシイね。どうして弟君を『殺人鬼』なんて思ってるのかな? 志貴ちゃんの方がおかしくないかい?」

 笑みを堪えながら、先輩は優しく語りかけてくる。

「信じてくれないのは判ってます! でも、夢の中でちゃんとシエル先輩もアルクェイドも見ているんです! その時に、……ちゃんと、秋葉も……!」

 ムキになって答えた。だがシエル先輩は

「僕と秋葉君は夜……いや前、公園で会った以来一度も会ったことないよ」

 ……そうキッパリ、胸を張って言った。

 …………え?

「どうしてそこで驚くの? ……そんなに弟君を疑っているわけ?」

 ―――笑顔。誤魔化しているわけではなく、本当に私の方がオカシイんだ、そう訴えているような笑顔。…………夜に逢ったことがないって、昨日……殺し合いまでしたっていうのに?

「な、何を言ってるんですか先輩……! 今まで何度も先輩は殺人鬼の邪魔をしているんでしょう!?」
「殺人鬼にはしてるけど、僕は秋葉君に剣を向けたことはないよ」

 ―――いくら大声をあげても、先輩の態度は変わらなかった。言葉がイマイチ要領を得ない……ワザとそう喋っているのだろうか?

「―――先輩。教えて下さい。先輩と、秋葉とはどういう関係なんですか?」
「ヤだなぁ……いくら志貴ちゃんがソッチ系好きだって僕はそんなの興味ないよ」

 ……身を引いた。何だか、完全にはぐらかされている気がする。

「先輩! お願いですから真面目に答えて下さい! ……昨日、先輩は、身体を鉄パイプで貫かれた。それ、普通じゃないでしょう。本当に人間ですか……っ!」

 ……黙った。先輩が私の言葉を聞くために黙った……のではなく
 ―――どこか、悲しそうな声をして……俯いた。

「………………どうだろうね、それは僕にも自信はないな」

 ふぅ、と先輩はため息をついた。そんな、淋しそうな先輩の声に私も口を閉ざす。
 ……普通じゃない事ぐらい、知っていた。だって自分も、普通じゃないから……。

「僕はただ、シエルという名前のある吸血鬼専門のエクソシストなだけだから。乾くんや他のみんなのような、常識の中にいられる人間じゃないから。それは、前此処で教えただろう?」

 ふーんだ、と怒ってそっぽを向く。……無理をしているのは一目で分かる。

「…………先輩……ごめんなさ……」
「あぁ、志貴ちゃんが謝ることはなかった。ちょっと僕もフザケすぎたし…………本当の事だし」

 悲しそうな目も直ぐに消え、……本当のシエル先輩の、真面目で真っ直ぐな目で見てきた。
 ―――よく、分からない。先輩の行動も。何故はぐらかすのかも。どうして私はこんなに取り乱しているのかも……。
 ただ自分が見た夢だけの事なのに、現実に起きた出来事だと思ってしまう。……自分でもばかばかしいって分かっている。でも、現実には何が起こっているのか、自分がどこまで知っているのか分からない。

「先輩が真実を知っていたら……お願いです。教えて下さい……」

 頭を、下げた。しばらく、……シエル先輩の顔が見づらくてずっと。

「…………志貴ちゃんは、本当に秋葉君が……自分の弟が殺人鬼だと思ってるのかい?」

 ……。
 ……分からない。
 でも、今の私はそう決めつけていた。
 だから、……バカな事を考えている私は、早く楽になりたい。
 ―――変な夢を早く終わらせるために。
 シエル先輩は、もう笑わない。

「―――もう、駄目なんだね」

 いつもみたいに笑って何事もなくしてくれれば、……このまま過ごせたかもしれないのに。
 先輩は、私から離れた。
 遠く。
 私も頭をあげる。
 一つのラインが引かれた。
 ずっと傍にいたのに、いつの間にかあんなに遠く。
 ―――他人のようになっている姿。

「せんぱ……」
「さっきはゴメンよ。笑って誤魔化そうとして。……好きな子にはいじめたくなるタイプだからさ」

 ……え?
 遠くに離れた、他人同士なのに。
 いつもの、先輩の口調に戻って。
 安心する笑みを浮かべてくれて、さっきの緊張感も全てとけて。
 何だか、―――気が抜けた。さっきまで思い詰めていたものが、少しずつ消えてった気もして。

「志貴ちゃん。僕が知っていることでいいならいくらでも話してあげるよ。秋葉君がどんな人間なのか。……君がどれだけ人を殺しているか」
「…………あ」

 ―――少しだけ、目眩がした。半分……以上は覚悟していた筈なのに、ハッキリと言われると心に響く。
 …………そして、静かに頷いた。



 /4

 先輩は、学校の裏庭にあるベンチに腰掛けた。ここからでは教室にいる生徒達に姿は見えない。移動教室とかそういうのでなければ、絶対に。すっかりリラックスして先輩は始めた。

「それじゃ、僕の知っている事を教えるけど、何がいい?」
「―――まず、私の見ている夢の事……知りたいです」

 これでパンや牛乳パックがあったなら、ちょっと早(すぎる)い昼食みたいだ。……きっと、ゴハンを食べながら出来る話にはならないと思うけど。

「簡単に言ってしまうけど、志貴ちゃんの見ている夢の殺人鬼は、秋葉君じゃないと思う。それは僕も確信しているよ。だから、安心して。ね?」
「……」

 先輩はベンチに座っているけど、……私は真っ正面から先輩の話を受け止めたかった。だから立って聞いている。
 座ろうとは思わない。……何だか、さっきから動けないのだ。シエル先輩が催眠術とか、アルクェイドの言う魔眼とか使っているのではなく、……只の緊張で。
 こんな暖かい日差しの中、……重たい空気で固まっていた。そんな私の緊張感も構わず、先輩は次から次へと話しかけてくる。

「志貴ちゃん。人を殺される夢を見るって言ったね。その中で志貴ちゃんはどうしている? 殺人鬼を止めようにも、そこから逃げることもできないだろ?」
「……はい。……出来たら止めに入ってます……」

 そう答えたら、志貴ちゃんらしいね。と笑った。

「それ、きっと志貴ちゃんはそこにいる誰かと『同化』しているんだ。眠っているとその殺人鬼の意識に取り込まれるということ。だから志貴ちゃん。その夢は、映画を見ているような、第三者的じゃなかったかな?」
「…………はい。そうです」

 ―――その通り。私は、その場面を見ているだけだった。
 女性を拈り殺したり、通りすがりの男性を貫いたりする絵を…………
 また思い出して、頭痛と吐き気が同時に襲ってくる。
 でも、もし私が多重人格とかそういうので夜中一人でに歩き出してその場にいたのなら、黙ってそれを見てることなんて出来ない。殺人鬼に見つかって殺されてしまうかもしれないし。知人であるシエル先輩やアルクェイドと言葉を交わしている筈だ―――いや、秋葉を止めに入っているのが先か。

「……でもどうして私が秋葉……じゃなくて殺人鬼と同化しなくちゃならないんですか。何か原因でもあるんですか?」
「…………ああ。それはハッキリしてるね。殺人鬼…………というよりあれは吸血鬼だけど」

 女性の血を吸い、肉を食らう姿。そして血を浴びるのを楽しんでいる。―――確かにあの姿は吸血鬼だった。

「僕はそれを処理するエクソシストだから、そいつと戦っていたんだ」
「先輩が、本気になって吸血鬼と戦っている姿……今回初めて見ました」

 ……夢の中だけど。

「あの、先輩は…………何度もその殺人鬼さんと戦っているんですよね?」
「あぁ、二度ほど。一度目は逃げられて、二度目は昨夜のとおり」

 このザマだよ、とまた腕をまくって白い包帯を見せた。
 ……白い。そんなに何回も腕に包帯を巻き付けているのではない。一見見るだけだと本当に軽い傷で、もしかしたら傷なんて無いんじゃないかっていうぐらい、綺麗な包帯。―――もう、治っているのだろうか。

「なら、先輩は殺人鬼さんの顔を知っていますか? ……その、私には……その、どうしても秋葉……に見えたんですが」
「確かに見たけど、……吸血鬼の中では体格を自在に操れる者もいるから見たって意味はないんだ」

 ……なら。
 それなら、秋葉じゃないとハッキリ言えないじゃないか……。

「じゃ、じゃあ…………巷で流行っている殺人事件の犯人と、昨夜のヒトって……」
「―――残念ながら、それも同一人物とは言えないな。まったく違う人物だって言い切れる自信はないけど。同じ吸血鬼だからさ」

 ……この街に吸血鬼は沢山いるからね、と笑った。シエル先輩らしくない、くす、という静かな笑い方で。
 …………暖かい空気が、一瞬にして真冬に入ったような、恐ろしい笑い方で。

「…………先輩。もしかして私の……目……の事、知ってますか?」

 そう言って、自分の眼鏡を指さす。そうツッコまれるのは予想外だったらしく、先輩は目を凝らして私の眼鏡を見つめた。……眼鏡を見つめる、ということは、殆ど私の『目』をじっくり観察する……と同じだった。ちょっと顔が赤くなる。

「ん……どんなものかは知らないけれど、特殊な能力が志貴ちゃんにはあるっていうことだけは分かるよ。遠野は旧い血筋だからね」
「遠野の血筋……ですか?」

 ―――カラダが驚いて跳ね上がるのを感じた。
 昨日……『遠野の血』について調べたばかりだったからだ。と言っても見たのは家系図だけだったが。

「ちょっとこの街に来るのに調べさせてもらったよ。旧い家のことを。―――遠野の人間の特異能力も、ね」
「……特異能力……ですか?」
「志貴ちゃんのいう目の事だよ。遠野の血筋は十人十色で不思議な能力が備わるらしいんだ。君のお父さんも、……弟君も」

 ……じゃあ秋葉も、……私と違う『壊れた』所を持っているんだろうか?
 その『不思議な能力』というのは、……遠野の短命の『呪い』が関係しているのだろうか?

「ねぇ。志貴ちゃんは、双子の同一体験を知ってる?」
「ふたご……ですか?」
「兄の方が傷を負うと、遠くに離れた所にいる弟も同じ痛みを体験する、ということだよ。きっと志貴ちゃんも同じような体験をしているんだ。その殺人鬼とシンクロしているだけ。でも『感じる』だけだから、志貴ちゃんが直接悪い事をしているわけじゃないよ」
「…………私に、双子なんていません……」
「あぁ。それも分かっている。遠野家の家系図、見たことない? 志貴ちゃんには双子のキョウダイはいない。でも、志貴ちゃんは誰かに意識を取り込まれた事がある筈なんだ」

 ……取り込まれる?
 さっきから、……とても難しい内容に入って理解できない。

「キョウダイでも、全く別人の他人でも同じ臓器を使っているとか、一つの『身体』を共有していれば双子がいるいないだなんて問題ないんだ」
「……問題ない?」

 それで、私はこんなに苦しんでいるというのに……?
 私に、双子はいない。キョウダイといえば、血の繋がったヒトはこの世に、…………秋葉しかいない。

 ―――アキハ。
 でも秋葉は殺人鬼なんかじゃないって、先輩は言った。でも、秋葉が殺人鬼なら、……そう考えれば辻褄があってしまう。

「志貴ちゃん! もう一度言うけど、秋葉君は吸血鬼かもしれないけど殺人鬼じゃないよ。その、本当の事を言うけど……遠野家の血筋には全員『ひとではないもの』の血が混じっている。中には全く害の無いヒトもいたそうだけど、それは珍しい……その方が多かったんだ。過去を遡れば、血を吸う人間もいた。それは、確かに記述に残されている。……最近だって遠野家は吸血鬼を生む可能性だってある」

 先輩が……何を言っているか分からない。
 私には、『秋葉が血を吸って殺している』としか聞こえなくなって…………。

「秋葉は……先輩が言ったじゃないですか! 吸血鬼じゃないんでしょう!?」
「吸血鬼だよ」

 ……。
 もう、本当に判らない……。
 何も言えず、ただ、唇を噛んだ。

「…………志貴ちゃんは、そんなに秋葉君が大切?」
「そんなの……当たり前じゃないですか! たった一人の身内なのに……っ」
「どうしてたった一人って決めつけるの?」

 ……?

「先輩……?」
「もう一度、おさらいしておくよ。殺人鬼は吸血鬼だ。秋葉君は吸血鬼だ。でも殺人鬼は秋葉君じゃない」

 ……??
 ……やたら、難しい事を言った……気が、しないでもない。

「あの、それは……?」
「だから、何度も言っているだろう? 『僕は吸血鬼を狩る者だけど、一度も秋葉君には遭っていない』。でも、『二度吸血鬼と戦っている』」

 ……納得した? とシエル先輩は目で言った。
 いいえ、と首を振った。
 ―――でも、本当は判った気がする。
 シエル先輩は、『秋葉じゃない』って本気で説明してくれている事が―――。

 ―――そう、何度も同じ事を聞いていると、一時限目を終えるチャイムがなった。その音を聞いてシエル先輩は動き出す。

「……流石に、二時限目までサボるのはよくないな……志貴ちゃん。二時限目からはちゃんと授業に出るんだよ?」

 鞄を持って、……校舎とは別方向に先輩は歩き出す。

「…………先輩は?」
「色々調べたい事があるから、今日はサボらせてもらうよ」

 笑顔で答えてくれた。私の背を押す。動けなかった身体が揺れる。……押されて、左足が動き出す。それを確認して、じゃあ、と言って先輩は去っていった……。

「先輩! …………秋葉は知ってますか……」

 ……。

「何を?」

 ピタリと立ち止まり、振り返らずに問う。

「……この街で起こっている、吸血鬼の殺人劇の事……」
「何とも、言えないな」

 振り返る。その時の表情は、もう『シエル先輩』ではなかった。言葉を借りるなら、『ただシエルという名前のある吸血鬼専門のエクソシスト』だろうか。

「―――彼には気を付けて」

 そう一言言い残して、消えた。





if 午睡の夢/1に続く
02.11.3