■ 19章 if 透る爪痕/1



 /1

 淡い朝の光で目が覚めた。
 ……一体、何日ぶりだろう。こんなに苦しくない朝を迎えられたのは……身体はまだ少し重いけど、動けないことはなかった。

「…………動ける?」

 腕を、上下動かす。……動かす事が出来る。ベットから起きあがれる!

「あ…………ッ」

 何気ない、ただ『身体を起こす』という動作に凄く感動している。
 どれだけかって、『立った! ク○ラが立った!!』のあの感動を鮮明に思い出せるほど嬉しい。それはともかく、今すぐコレを誰かに伝えたくて、ベットから立ち上が……………………ろうとしたら、何かを手で踏んでしまった。

「………………レン?」

 つい、そう呼んでしまう。が、違った。それは、いつもは此処になんか無いものだった。
 ―――今更感じる、人の気配。誰かが、ベットに身体を預けていた。

「あ…………」

 落ち着いた目で、じっとそのを人の姿をとらえる。椅子に座ったまま、上半身をベットに預けてしまっている人。
 ―――秋葉だった。

「あ、き…………」

 声をかけようとして、その声を止める。部屋の中に聴こえる、すぅ、という小さな寝息を聞いて。

「…………」

 何も、今起こすこともない。秋葉はぐっすり眠っている。こんな、不安定な体勢で……転げ落ちてしまいそうな体勢だが、……ベットに俯せで寝ているように、安心しきっている。
 ……何故、此処で寝ているのだろう? 自分に問いかけてみると、直ぐその答えは見つかった。

 ―――看病。
 ―――秋葉が、看病してくれた……?

「…………ん」

 微かな寝返りをうつ秋葉。だが起きない。
 寝顔がこちらを……私の方を向いた。……普段の気丈さなどひとかけらも見られない、素顔の秋葉の顔が見える。その寝顔は、…………昔見た弟のものとそっくりだった。

「…………」

 何一つ変わっていない表情だった。

 ―――八年前。
 二人で遊んでいると必ずついてきた弟。
 当主になる者として厳しく教育され、外に出るのも制限された幼少時代の秋葉。
 時間が少しでもあれば、外に出て元気に遊んでくれた。
 屋敷の中で大人しくしていた顔とは一変、本当に、元気で、素直で―――いつでもその笑顔を見ていたかった。

「ね、………………え、さ………………」

 何の夢を見ているのか、秋葉は寝言を洩らす。―――静かに眠る弟の手を取った。
 ずっとこのままでもいい。そんな事を想いながら。
 ―――秋葉。
 声には出さず、何度も心の中で呼びかける。子供の頃、いつも元気ではしゃいでくれた弟の名を。
 ―――ちゃんと、覚えていた。
 でも、今は大人になっている。もう子供扱いなんてしたら怒られるだろう。……いや、既に何度も叱られている。
 ―――それも、私のコトを想って。
 ……八年前の小さかった男の子はもういない。今こうして眠っているのはたくましく成長した少年―――。

「ん………………っ」

 秋葉の呼吸が乱れる。眠っていた手で目を擦る。黒髪を書き分けて、秋葉はゆっくりと身を起こした。ボケっとした目。寝起きの顔のまま、私を見る。

「…………姉さん。どうして、姉さんがいるんだ……?」
「…………だって、此処私の部屋だし」

 ……秋葉が、もう一度辺りを見回す。牛、よりも数倍遅いスピードで、ゆうっっくりと辺りを見回して、数秒経ってからもう一度、私と目が合った。

「え!?」

 いきなりの大声。ベットに瞬間雷が走ったようにとぶ。
 びしっ! と背中を叩かれたように背筋を伸ばして、秋葉はこちらをむき直した。その目は、……いつもの秋葉だった。

「おはよう姉さん。昨夜はよく眠れた?」

 ……。
 …………ここに眠っていたのに秋葉はそんな事を聞いてくる。
 なんという開き直り方。流石、秋葉である。

「うん、おはよう。秋葉のおかげでよく眠れたわ。こんなにいい朝を迎えられたのは久しぶり」

 そう言って、しばらく梳かしていなかった髪を触る。……身体は濡れタオルで拭いていたとはいえ、髪まで洗う事は出来なかった。ちょっと気持ち悪い。髪を掻き分けてから、ついでに背伸びもしてみたり。

「あ…………っ」

 その動作を、秋葉は釘居るように見た。驚いて、その顔はみるみるうちに笑顔に変わっていく。

「も、もう大丈夫なんだな……!?」
「え、…………ええ」

 ……自分で、自分が全然動かなかったということに忘れていた。
 ただ『髪を触る』『背伸びをする』、そんな何でもない動作さえ出来なかったんだと、今になって思い返す。そして今は、あんな辛い事を忘れてしまうほど気分がスッキリしていた。

「うん。大丈夫みたい…………」

 秋葉は本当に嬉しそうな笑顔を浮かべて、私の顔を流し見る。―――時計を見た。翡翠が来る時間より少し早かった。昨日、その前と寝る事しか仕事になかったから、早起きしてしまったのだろう。……グッスリと眠っていた秋葉を起こしてしまったのは、失礼だったかもしれない。

「じゃ、じゃあ姉さん! 琥珀たちに知らせてくるから……っ!」

 椅子から立ち上がって、すぐドアの所まで走り出す。
 …………アレ? とつい不思議に思ってしまう。
 …………本当に『アレ』は秋葉だろうか? あんな、元気な男の子だっただろうか…………?
 それとも、『あの姿』を私が見落としていただけなんだろうか。

「ありがとう。……ホント、情けないなぁ。ずっと心配されっぱなしで、これじゃちっともお姉さんらしい事出来ない……姉失格ね」

 ぽろ、っとそんな言葉が口から零れ出た。

「―――姉さん」

 ドアから出ていく所で、秋葉の動きが止まる。
 秋葉は、……途端に表情を曇らせた。
 私の、何気ない感想に。
 秋葉は少し俯いて、キッと睨むような目で顔を上げた。
 怒ってはいなかった。でも、……楽しんでも喜んでもいない視線だった。

「―――姉さんは、俺の姉さんだ」

 当たり前で、今更確認することもないだろう、台詞。だが、

「……アキハ…………?」

 何か、……胸に響く台詞でもあった。

「………………何でもない」

 顔を背ける。

「……けど、それは本当の事だから。だから姉さん……そんな不安になる事だけは言わないで……」

 言いきる前に、姿が見えなくなった。……秋葉にしては、とても曖昧な言い方だった。
 ―――不安になる。いつも命令口調だっただけに、あやふやで、とても優し……すぎる言い方。そんな、『らしくない』姿を見ると……。

「琥珀さん達、呼ぶって言ってたな…………」

 ベットからは立たず、上半身だけ起きあがった状態でみんなが来るのを待つ。一度琥珀さんに検査してもらった方がいい。ちゃんと動けるようになったって、何処か少しでも悪かったら、離れることを許してくれないだろう。だから、秋葉は専門家(?)の琥珀さんを呼びに行ったんだ。それにそろそろ翡翠が起こしに来る時間だし…………………………



翡翠



 ―――ナニカ。
 心に、引っ掛かった。

「翡翠」

 声に出してみる。何も変わらない響き。
 翡翠は、翡翠である。声に出して発音してみても、ヒスイはひすいである……。
 …………何がしたいんだろう、私?

「そういや、……どうして動けるようになったんだろう」

 昨日全く動けなかったのに、朝より夜の方がひどかったのに、一晩……八時間眠っただけで身体が動かせるまで回復した。
 二日も身体を休めていたから?
 時間が経てば自然に治るものだった?
 みんなの懸命な看病のおかげ?
 それとも、もっと違う原因が…………。

「―――動けるようになったんだからいいや!」

 そんな暗く考えずに、今は『普通』に戻れた事を素直に喜ぼう……。

 ここ数日と同じように琥珀さんが部屋に入ってきた。ただ違うのは、表情がとても晴れやかだったこと。私の気分も、無理に明るく振る舞わなくてすんだということだろう。

「でも今日ぐらいまだ休んでいた方がいいッスね。ちょっと顔赤いですし」

 もう学校に行けると思ったら、予想に反した言葉が返ってきた。

「い、いえ、これ多分……久しぶりに動けて興奮してたからだと思いますから、大丈夫ですよ」
「いやいや、念のため学校は休んでおいた方がいいッスよ。動くのは構わないけど、あんまり無理しないコト!」

 それでも琥珀さんはにこやかに、私が回復してくれた事を喜んでくれていた。確かに足が怠い。でも歩く事は充分出来る。こうなってしまったのは全然動かしてなかったからで、少しリハビリした方がいいに決まっている。しかし、出席日数が足りなくて留年……という事にはならないだろうか。ただでさえここ数週間の間、サボリが多かったというのに……。

「大丈夫ですって! テストで頑張れば!!」

 ……琥珀さんは、笑顔で酷い事を言ってくれた。
 あ、痛さ以外で涙が…………。

「―――朝食をお持ちしました」

 開きっぱなしだったドアの先で声がする。翡翠がトレーと手に部屋の前に現れ、お辞儀をした。

「…………お嬢様、おめでとうございます…………」

 控えめに、そう言いながら。

「うん、ありがとう翡翠。わざわざ持ってきてくれて……って、まだ食堂で食事しちゃいけないの?」
「だから、念のためッスよ。それとも食堂で何か?」

 琥珀さんにそうツッコまれて、つい口ごもってしまう。まぁあんな言い方したら不思議に思われるのも仕方ないと思うけど。

 ―――今、秋葉はいない。おそらく、学校の準備をしているんじゃないだろうか。こんなに朝早く起きられたのだから、一緒に朝食を食べたって良かっただろうに……。
 秋葉はいつも、朝が早い。いつ起きているのか知らないけど、いつも私が朝の準備をして居間に向かった時には既に朝食を終わらせているのだ。……いつかは、いつかは一緒に食事を。そう思ってはいたんだけど結局一度も無いわけで……。

「明日、今日と同じくらいに起きればいいんスよ」
「……今日と、同じくらい……ですか」

 笑顔で言う琥珀さんについ、はぁ、とため息をもらしてしまった。

「あ、でもお嬢様。言い忘れてましたけど、今日は秋葉様の学校は創立記念日で休みッスから」

 ……え?

「……そうなんですか? 全然知らなかった……」

 って、聞く余裕も無かった。秋葉も自分の事だと話さなかったのだろう。ドコの学校も、創立記念日は必ず休みなんだな……。

「じゃあ、秋葉は今日一日中屋敷にいるんですね」
「あぁ、姉弟仲良く存分に喋ってクダサイな! 朝はとっても楽しそうでしたけどね〜っ」

 にやにや、さっきとは違う笑い方。……こっちの方が琥珀さんらしいけど、ちょっと(何か考えてそうで)恐い。でも琥珀さんの言うとおり、今日はアキハとゆっくり話せそうだ。……だけど、毎日が創立記念日でも病気でお休みでも無いし。これから、少しずつ距離を近づけていかなければならない事は変わらない。

「翡翠。…………さっきの話を聞いての通りなんだけど、もう少し早く起こしに来てくれないかな?」
「―――お断りします」

 そっか。翡翠にそう言われちゃ仕方が……

 …………無くないと思うんだが。

「翡翠……何でなんだ?」

 そう言ってくれたのは、琥珀さんだった。つい呆気にとられてしまった私の代わりに翡翠に問う。その声は、私と同じ……驚いた時のものだった。

「ど、どうして……翡翠?」

 続いて、問う。
 翡翠は、睨むようにして私を見ている。少し怒っているような気もした。……そんなに悪い事したかな……?

「―――兄さん。思いだしてくれ。秋葉様の言われているお嬢様の起床時間は」
「あ!?」

 聞いたのに逆に聞き返され慌てる琥珀さん。

「あ、ええぇ…………っと。確かー……うー、5時だったか?」

 んー? と何度も悩んでから、琥珀さんは言った。
 ―――5時? 5時って、秋じゃまだ真っ暗で窓の外も何も伺う事もできない程黒い5時?

「ま、まさか翡翠…………毎日、5時に起こしには……来てるの?」
「―――はい。それでも起きない場合は五時三十分には必ず」

 次は六時。その次は六時半……と翡翠の声が小さくなっていく。すると、私が起こしに来てくれたと思っていたあの時間は……確か、いつも7時ちょっと前に起きていた気がするから……。
 その間に4回も翡翠はこの部屋に…………。

「ま、まーっ、寝る子は育つって言いますからね!!」

 フォロー。…………琥珀さんの声はそうにしか聞こえなかった。

「でも翡翠。起きなかったら無理矢理シーツはがしてもいいのに……」
「…………それは」

 翡翠は俯く。…………ちょっと刺激が強すぎかなぁ?(何の)

「そっか。……私そんなに寝付きいいんだ……言われるまで気付かなかった」

 7時ちょっと前に起きれば学校に無事着く……そんな習慣が有間の方で身についてしまったからだろうか。遠野の屋敷もそんな距離的には有間と大差ないんだが、……秋葉に合わせるとなると二時間も前に設定される。いきなり二時間早く起きろと言われても、絶対に出来るとは思えない。だが、……もうこの屋敷に来てから相当の時間が経っていると思う。そろそろ慣れてもいい頃だと……。

「翡翠。……私、頑張るから、明日から宜しく」
「―――はっ……」

 いつもの返事も、歯切れの悪さが目立った……気がした。



 /2

 という事で学校は休み。琥珀さんはベットで一日中寝てろとは言われなかった。―――だが、他に何があるだろうか?
 この屋敷には娯楽がない。だから私は休日には外に出かけてしまうんだ。最近は何故かレンも来てくれないし。
 ……離れに猫がいると聞いているが、もう一度失敗しちゃったから行けそうにもない。
 もう一度行ってみる?
 ……やめとこう。秋葉に直ぐバレてしまいそうだ。翡翠と琥珀さんの手伝いもしたいが……昨日まで眠っていた奴に手伝いをさせる程甘くないだろうし。
 裏庭のテラスでゆっくりしていた。
 …………そして紅葉を見る。気付かなかったけど、屋敷の庭ってこんなにも綺麗だったんだ……。

「まだ知らない事ばかりだな……」

 もう屋敷に来て何日経ってしまったのだろう。八年前は少しは知っていた筈の屋敷の事が、今ではゼロに戻ってしまっている。
 それでも『アキハ』と『シキ』の二つの陣取りゲームとか、琥珀さんが看病してくれた想い出は残っている。
 ―――本当に曖昧。
 しかも秋葉に言われるまで、遠野の『血』について全然知らない事に気が付いた。……何か知る方法は無いだろうか?

「…………お父さんの部屋へ行ってみよっと」

 そう思いつき、居ても立ってもいられなくて歩き出した。ハッキリと何があるって期待はしてないけど、遠野の『血』について何か判るかもしれないと思って……。

 ―――お父さんの部屋は、薄暗かった。見覚えのある後ろ姿が見える。

「あ、翡翠」
「…………お嬢様?」

 先客がいた。おそらく仕事中の、お父さんの部屋の掃除をしている翡翠。翡翠は持っていた本を置いて、深々とお辞儀をした。

「―――何か、ご用でしょうか」
「ん、特に用ってワケじゃないから。ちょっとお父さんの部屋で調べ物がしたかっただけだから。翡翠仕事の邪魔はしないから、此処に居ていい?」
「―――はい。ですがお嬢様。この部屋の本棚や机はの鍵は秋葉様が管理していますが」

 そう言われて、部屋にある目に付く本棚を見る。全てガラス戸で仕舞われている。……ちょっと高そうな本棚に難しそうな本ばっかだし、貴重なものばっかなんだろう……。

「構わないよ。別に目的なんてないから」
「……」

 不思議そうに首を傾げる翡翠。

「翡翠の邪魔にならない程度に見ているから、ね?」
「―――かしこまりました。それでは、何かありましたらお声を掛けて下さい」

 翡翠は部屋の掃除を再開する。……じゃあこっちも作業を始めるとしよう。
 そして、しばらく本棚を調べてみた。私が見たいのは遠野家について書いてあるもの。まさか全国書店に『遠野家の謎』なんて本は無い。本棚を調べても無意味な気がした。本棚にあるのは全て既成の物であった。……家系図や手記とかそんな物はないだろうか。そのテはやっぱり引き出しかなぁ……?
 そう思って机の引き出しを引っ張ってみる。引くと、ガツン、と固い感触がした。……やっぱり鍵がかかっている。鍵を開けるためには秋葉を呼ばなきゃいけないんだけど、まさか秋葉が素直に鍵を貸してくれるとは思えない。……見せたくないから、鍵をかけているのかもしれないし。

「―――」

 幸い、翡翠はこちらを見ていない。そして何気なく自分の身体を調べる。―――ポケットの中にはナイフが一つ。

 …………って、何で私、こんな物持ち歩いてるんだろう…………?

 ……この際そんなコト気にしない。
 心の中で『ごめんなさい』と謝って、―――少しだけ眼鏡をズラした。

「………………えぃっ」

 小さなかけ声と一緒に、音もなく鍵を切った。

「あ……紙しかないや」

 引き出しの中には、古びた紙の束があった。一枚だけ手に取ってみる。
 そして……取らなきゃよかった、と後で後悔する。
 流れるような筆記体。紙が古いためインクが滲んでいる。しかも旧字ばかり。これは古典の教科書か? それとも歴史の資料本か? と疑うほど、難しい文字列。目自体は悪くない私も、流石に目がシブシブする。だが、……いくつか読みとれる文字はあった。

 ―――遠野マキヒサ
 お父さんの名前。何故か名前だけカタカナで書かれていた。書いてある名前の苗字は全員同じだった。

 ―――遠野アキハ
 弟の名前。どうやらコレは、探していた家系図らしい。

 ―――遠野シキ
 私の、名前。

 ―――七夜。
 ……。

「なんだろ、コレ」

 終わりの方に、そう書いてあった。
 遠野七夜……じゃないな。しかもコレだけ漢字。
 見慣れない単語。……いや、これは見慣れた単語だ。
 さっき鍵を切ったナイフをもう一度見る。

 ―――七ツ夜

 確かに、そう彫られていた。
 コレって、この七夜って人の物じゃ

 ―――どくん

 耳の奥の方で、そんな音が聞こえた。そして、今、変な映像が、頭を過ぎった―――。
 頭を抑える。一瞬だったけど、痛かった。

 なんで、
 なんで、
 気分が、こんなに悪いんだろうか。

 何でもないのに。何にもないのに。
 どうしてこんなにガタガタ震えているんだろうか―――っ。

「お嬢様―――!」

 翡翠が、駆け寄ってきた。言われて自我を取り戻し、何とか本棚に手を掛けて体勢を持ち直す。

「お嬢様! お気を確かに……!」

 叫んでいる。心配そうな、翡翠の声。―――声、だけしか聞こえない。

「大丈夫……ちょっと吐き気がしただけ…………」

 オマケで、変な映像がしただけ…………。

「志貴お嬢様。どうか無理はなさらぬよう―――椅子に座ってお身体を休めて下さい」
「あ、うん…………大丈夫、だから」

 意識を整える。……やっぱり目眩がした。ちょっとクラクラする。……ちょっと意識が遠退く。視界が、ぼやけて見えるだけ。そのぼやけて見える世界に―――人が、いるだけ。

「―――ア」

 声を上げる。
 真っ赤に、見えた。
 薄暗い部屋が、赤く染まる。

 ―――殺人の夜のように。
 ―――真っ暗が真っ赤に染まるように。

「翡翠。琥珀が何処か知らな……」

 ―――アキハ。
 アキハが、真っ赤。

「ね、姉さん!? なんで、こんな所に―――っ」

 途端、真っ直ぐ秋葉は私の所までやって来て、無言で遠野家の家系図を取り上げた。

「……鍵、壊したのか!?」
「……」

 無言で睨んでくる。でも、……目眩に襲われて秋葉の顔を直視することができなかった。だって、世界が真っ赤に―――。

「……アキ」

 秋葉さえも、真っ赤に見えるんだもの――――――。

 秋葉は翡翠に視線を向ける。鋭い視線は、まるで憎んでいるようにも見える。
 悪意や憎悪に近い視線。
 それはきっと、目の錯覚。……秋葉の周りに、よく無いものが見える。

「翡翠! お前、一体何をしていたんだ。姉さんの病体はずっと見ていただろ。それなのにこんな所に入れるなんて、もう少し考えて動け!!」
「――――――申し訳、ございません……」
「今後は気を付けろ。それと琥珀に話があるから、直ぐに俺の部屋に来るよう伝えておけッ」

 そう言い放って、秋葉は立ち去って行った。
 去り際の秋葉の髪は、黒かった。黒くて綺麗な髪。……何の変哲もない、秋葉の髪……。

「―――お嬢様。お部屋にお戻り下さい」

 ……顔を上げずに、翡翠は言った。

「…………うん、そうする。……ごめんなさい翡翠。私のせいで秋葉に怒られるはめになって」
「いえ、これは私の落ち度です。―――秋葉様のおっしゃる通り、志貴お嬢様のお身体を気遣わずに、申し訳ございません……」

 そう言われると、返答できない。私が昨日まで騒ぎをしなければ、……今も目眩さえ起きなければ良かったのに。私は、目眩の残る頭のまま、その部屋を後にした。

 二階に上がろうと階段の所に行くと、琥珀さんが降りてきた。

「あ、……琥珀さん……今秋葉が呼んでるようですよ」

確か、翡翠にそんな風な事言っていたような。……クラクラした頭でちゃんと聞こえなかったけど。

「どーも! ホント今日は何だか忙しいな…………って、お嬢さん!」

 明るい表情を一変させ、私の目の前で立ち止まる。……琥珀さんの顔が、目の前に……。

「……ハイ?」
「顔色、悪いッスよ」

 真顔で、しかも真ん前でキッパリ言われた。

「あ、これはちょっと…………目眩がしちゃって。それと秋葉に怒られちゃいました…………また」
「具合が悪いんだったら直ぐ言ってくれなきゃ困るッスよ。俺、それが仕事なんですから〜」

 真顔も一瞬、直ぐ笑顔になおった。

「それで、今部屋に戻ろうかと思うんですけど…………琥珀さんの部屋入っていいですか?」
「え? どういう風の吹き回しですか??」

 ……いえ、どうも何も。

「勿論どーぞ! 汚い部屋ですけど勝手にテレビとか付けていいですから!」

 じゃっ、と手を振って琥珀さんは消えていった。
 ……よく、唐突に『琥珀さんの部屋に行く』だなんて思い付いたなぁ……。

 ―――琥珀さんの部屋に入る。
 この部屋に入るのは、実はまだ二度目だった。一度目は、この屋敷に八年ぶりに入ったあの日。翡翠にテレビのある部屋を教えてもらってでだ。その先も『いつでも来ていい』と琥珀さんは言ってくれたが、何か知りたい事が有れば朝に琥珀さんの口から聞けた。

 ニュースは学校の食堂のニュースで聞ける。でも殆どはシエル先輩や弓塚くんや有彦と話しているのであんまり見てなかったりするけど……ここ最近、外で何が起こっているのか全然知らない。それをどうせ暇だから確かめに来た。

 ……相変わらず、琥珀さんの部屋には色々な物が置かれている。ゴミが散らかっている、とまでは言わないが、ゴミだか何だか判らない物が至るところに放置してある。
 テレビを付ける。こんな動作も久しぶり。……付けたチャンネルでちょうどよく、ニュースが始まった。久しぶりに見るロゴとニュースキャスターを釘居るようにして見る。

「……殺人事件のニュースかぁ」

 やっぱりトップニュースは三咲町の連続『吸血』事件だった。

「…………アルクェイド、まだ頑張ってるのかな」

 間違いなくこの事件の犯人は、吸血鬼。でもアルクェイドがまだ解決出来ないなんて…………そんなに強いんだろうか。犯人。画面には大きく、『吸血殺人・新たな犠牲者』と書かれていた。そしてテレビに被害者の顔が映し出される。
 ―――女性だった。私と同じくらいの年齢で、黒くて長い髪の女の子。ニュースキャスターが忙しげに喋っている。

「わ、新たな展開……?」

 犠牲者の少女は、一命を取り留めたらしい。意識不明の重体で、現在病院で治療中……だとか。
 確か、今までの犯行は全て血を採られ殺された……と聞いている。実際ニュースを見ていないので本当なのか知らないけど。
 『回復の見込みは不明』……とキャスターは言っている。けど、もしその少女が回復したら、犯人は警察に捕まるんじゃないだろうか。
 ……って、一般人なら考えるのだろう。一般人じゃない私は、思った。その前にアルクェイドもしくはシエル先輩が倒してくれるだろう、と。多分。

「いや、信用してないわけじゃないんだけどね…………」
「誰をですか?」
「!」

 ―――不意に後ろから声がした。振り向くと、この部屋の主がいた―――。

「あ、あっ琥珀さん! ……いるんだったら言ってくれたっていいでしょ!!」
「あーゴメンゴメン、まさかそこまで驚くだなんて思わなかったから〜っ」

 何故か、私は大声で怒鳴った。……それだけ、驚いたんだ。
 主……こと、琥珀さんは頭を下げながらも笑っていた。これは……絶対に私を驚かそうとしてたんだ。確信する。

「信用って、警察をスか? もうこんなに被害者に出てるっていうのにまだ見つからないってかなり非難浴びさせられてるみたいッスね」

 見ている番組を見て、そう言った。……また、初めてこの屋敷に来た時のように、琥珀さんと事件について話す。琥珀さんは、……この事件の犯人が本物の『吸血鬼』だなんて絶対知らないだろう。だから警察には捕まるわけないということも……。

「そ、そうですね……警察ったら何やってんだろう。早く捕まえてくれないと不安ね……」
「大丈夫ッスよ! ピンチの時は秋葉様が護ってくれますから!!」

 琥珀さんは大声で笑った。しかもバカ笑い。…………あの、ソコは笑う所じゃないと思うんですけど。

「……期待しないでおきます」
「しっかし。生かしちゃうだなんて、惜しい事したなぁー犯人も!」
「…………どういう意味ですか?」

 その、……犯人の仲間みたいな言い方は。

「だって、血を抜くだなんて大変な作業ですよ。時間をかけてやる作業なのに、今回は血をロクに抜けなかった……コレっていつもの吸血鬼とは違いません?」

 吸血鬼。世間で言われている『人間の殺人者』の比喩。
 ……でも琥珀さんのつく所は正しい。どうして女の子を生かしてしまったのだろう?
 死徒はお腹が空いて血を求める……血が目の前にありながら、すぐ血を吸う事もできたのに女の子を殺さなかった。
 ―――吸血鬼が食事に飽きた? そんな事、あるんだろうか。もしくは。…………手を抜かなければならなかった理由があるんだろうか。

「そうですね……『邪魔された』……とか」
「お、いいトコいきますねお嬢さん! 確かにヤろうとしていて周りに人……しかも大人数の男性が来たら犯人は逃げるしか無いッスからね」

 大人数の男性。……女性ばかりを狙う犯人なのだから複数、人が来たらまず自分を隠さなくちゃいけない……常識ではそう考えるか。……非常識ではどうなるか判らないけど。
 シエル先輩なら、この変化が判るだろうか? 明日、学校でシエル先輩に確かめてみよう―――。

「これで……警察が少しでも進展してくれればいいですね」

 そう、……心にない事を言った。

「そういえば琥珀さん。秋葉の用は終わったんですか?」
「あぁ、そんな大した用じゃなかったから。ちょっと血が………………」

 ―――血が?

「…………お嬢さん、家系図盗んだでしょ!?」
「え。あの、ちょっと……見せてもらっただけですよぉ……」
「それで秋葉様、カンカンだったんだぞ! しかも説教のためだけに呼ばれたんですよ? 頼むからもう怒らせないでくれよ〜、怒られるの俺と翡翠なんスから!」

 ……。

「ごめんなさい……もうちょっと落ち着きます…………」

 そんな私の姿を見ると、安心したように笑った。本当に、…………琥珀さんはいつも明るい。いつも笑っている。その笑顔に何度も救われているんだけど。

 ―――でも。琥珀さんは本当に、遠野家の『血』……つまり家系図について言いたかったんだろうか。
 お父さんの部屋で、秋葉は私を見る前に琥珀さんを呼んだ……と思うけど。



 /3

 ―――夜。
 夕食、この時は秋葉と一緒に取ることができた。
 ―――そして就寝時間。
 翡翠に挨拶をして、電気を消してもらってベットに潜り込む。

「……なんだかんだ言って、時間が流れるのって早いなぁ……

 やっぱり、自由に動けるって素晴らしい。ベットの上だと一日が凄く遅く感じたのに、ただ屋敷を歩いているだけで楽しかった。……健康が一番。そんな保健室のポスターみたいな事を想う。

「……」

 ……ずっと眠りすぎてたからだろうか。……何故か、眠りたくない……。
 ―――起きあがる。目眩も吐き気ももうしない。
 窓を開ける。風が吹き込んでくる。秋らしい涼しい風。とても気持ちいい。
 外を見る。木々に張り巡らされた屋敷の庭。
 今日は、―――月が綺麗に出ていた。そろそろ満月だろうか? 少し月が欠けている。

「あれ。中庭に誰かいる……?」

 じっと目を凝らして、その影を見る。―――秋葉だ。
 なに、してるんだろう。こんな真夜中に。……秋葉は大きな木の下で、ぼうっと立っていた。
 散歩だろうか? もう十一時を過ぎているけど、敷地内なら危なくない。……どうせ眠れないなら、秋葉と一緒にいてもいいだろう……。

「……もう、怒ってないだろうし」

 今日の午前、お父さんの部屋に入って怒られたのを、まだ根には持っていないだろう……そう思いながら、中庭に向かった。

 ―――月明かりの下を歩く。屋敷の木々は見事な紅葉。昼間見た世界とは全然違う。夜の方が、ひどく、幻想的な光景に見える―――。
 その中に、秋葉がいた。声をかける。

「…………秋葉。何してるの、こんな時間に」
「…………何って散歩に決まってるだろ。……姉さんさんだって何しに来たんだよ」

 ぶっきらぼうな言い方で、秋葉は返す。

「散歩に決まってるでしょ」

 秋葉の真似をして答えると、くるりと回るようにして秋葉は振り返った。

「……庭の中に不良を見つけてね。もし不審人物だったら退治しちゃおっかな、なんて思って来たんだけど」
「へぇ、随分野蛮なんだな」

 ―――笑った。月明かりだけの庭は暗いけど、……笑ったような気がした。

「……姉さん。ここは屋敷の中だからいいけど、……夜、外を出歩くのは控えてくれよ」
「ん、分かってるけど。秋葉がそこまで言うんだったら直ぐ部屋に戻るわ」
「ばっ、……今はいいんだ!」

 いきなりの大声。言ってから、秋葉は顔を赤くする。……いや、赤くした気がした。顔色までは伺えないけど、きっと人に見せられない程秋葉の表情は今崩れているに違いない。あぁ、秋葉の顔を見られないのが残念だ。

「その、……俺も眠れなかった所だから。…………しばらく付き合ってくれよ」
「うんっ」

 ―――最初から素直にそう言えばいいのに。口に出して言ってしまいそうだった。が、そんな事言ったら絶対殺されるだろう。私も素直そうに答えた。
 ……喜ぶ声が聞こえる。瞼を閉じて、静かに頷く。表情の見えない会話も、いいものだ。

「……なんだよ。今日は何だか静かじゃないか」
「夜まで元気じゃないわよ」

 どっかの吸血鬼じゃないんだし。……今日はたまたま眠たくないだけだし。

「……秋葉が付き合えって言ってるんだから黙って従わないと、怒られちゃうでしょ」

 冗談ぽく言うと、なんだそりゃ、と笑って返してくれた。

「? 姉さん……なんだ、苦しいんだったら中庭のテラスの方に行くけど……」
「バカっ…………面白くって笑うの我慢してるだけよ。……今は、私此処に居たいし」

 夜の月の光の下の世界。―――心で見た世界。ずっと此処に居たいと思った―――。

「………………ああ。俺、ここが一番好きなんだ」

 また、淡く微笑んだ。赤い落ち葉の中……いつもの秋葉と、全く違った姿が見えた―――。
 ………………この男は、アキハじゃない?

「…………なぁ、姉さん。此処、何処か覚えてるか?」

 唐突に秋葉はそんな事を聞いてきた。

「此処って、大きな木のこと?」

 秋葉が、部屋の中で見えた時から立っていた、大きな木を見る。少し高くなっていて、この屋敷で一番大きな木……子供が遊び場として好みそうな場所だ。

「ああ。俺達がまだ小さかった時に、ここを待ち合わせにしてた所なんだ」

 ……。

「うん……ちゃんと覚えている」

 そう、此処で。
 私は、此処で最後の日―――。

「姉さんは一足早く外に出ていて、俺は早く姉さん達の仲間入りがしたくってさ。……家庭教師放りだして外に出ていた」
「そうだったね……」

 秋葉はいつも屋敷の中で、お父さんも秋葉を外に出そうとしなかった。
 ……今、想いだした。昔は、私より秋葉の方が身体が弱かったんだ。
 私は八年前の事故とやらで急激に悪化したらしい。その前までは、普通に飛び跳ねられる元気な子供……だったと思う。きっと屋敷の皆も遠野家は病気持ちが多いって知ってたから、秋葉を中に入れておいたのだろう。……それが、私は嫌だった。秋葉が、『囚われている』のが。

「屋敷の連中は親父を怖がって俺に話しかける事なんて無かった。でもそれが俺にとっては当たり前だったから、何にも思わなかったんだ」
「そっか。……やっぱり秋葉は特に厳しかったもんね、お父さん……」
「あぁ。あれは当主を育てるためだって分かっていたけど、本当に嫌だった」

 ……過去形。秋葉は、もう過去の話として割り切っていた。今は、……昔を懐かしむように笑っている。

「けど、それが間違っている事なんだって教えてくれたのは姉さんなんだ。いきなり俺の手を掴んで強引に庭に連れ出して。……その一日が終わった時、『また遊ぼう』って言ってくれて。これは姉の命令だって思ってその後もちゃんと従ってたんだぞ」

 嫌味っぽく、…………言わなかった。……それが嘘だとは直ぐ判った。秋葉は、ずっと遊ぶことを楽しんでいた。色々曖昧な記憶だけど、それはちゃんと覚えている。
 ―――八年間、忘れた事なんてない。でも今はいじわるそうに、そんな風に表現しているだけなんだ。私が声をかけてから、秋葉は自分から屋敷を出るようになった。今度は秋葉の方から私を引っ張り出すようになったんだ。

「逃げ出すたびに親父の叱り方は厳しくなってな。……姉さんの見てない所で叩かれた事だってあったんだぞ? でも、遊びに行きたかったから、…………姉さんを見たかったから何度も」

 ……覚えている。小さい秋葉が、お父さんに叱られてなんかいないと下手な嘘を私についたこと。それは嘘でしょ?と言うと、ムキになって秋葉は違うと言い張った。……泣くまでそれは続く。

「でも……ね。私、秋葉がやってくるの結構楽しみだったんだよ? 今日はどれくらいのタイムでやってくるのかなって」
「…………なんだ、ちっとも騙せてなかったんだな」

 がっかり。秋葉は肩を落とす。

「当たり前じゃない! 不器用な弟のやってる事なんて、私には全部分かっちゃうんだからっ」

 得意げに、笑ってやった。
 秋葉も、笑い返してくれた。

「…………あの頃が一番楽しかった。姉さんがいなくなって、俺の生活は戻ったけど、辛くなんてなかった」

 舞い散る落ち葉の中を歩いていく。それに私も続く。

「それだけ、姉さんとの想い出が強かったんだ。俺は、何度も姉さんに助けられていたんだよ」

 言って、軽い足取りで秋葉は跳ねた。

「……ったく。俺、駄目だな。……いつになっても姉さんの前にいると弱気になっちまう……」

 秋葉は急に、声のトーンを落として呟いた。
 月を見ている。微妙に欠けた月。……満月じゃなくても、充分綺麗だった。

「いいんじゃない、別に。姉弟なんだから、……いくらでも弱気になっても」
「俺、ずっと姉さんに助けられてた。……小さい頃からずっと強くって教育されてきたのに、全部なくなっちまったな。それじゃ遠野家当主として失格だろ」
「……そんな事はない」

 秋葉は、……もう立派な大人だ。あんなに小さくて手間のかかるコが、今では私より大きくなって逞しく育ってしまった。手間がかかる、っていうのは変わらないかな?
 ……嗚呼。本当に、今日の、夜は綺麗―――。

「―――だから、今度は俺が姉さんを助ける番なんだ」

 黒い闇の中に―――血のように真っ赤に見えた。
 秋葉の、髪……。

「…………冷えてきたな。もう戻った方がいい」
「うん、そうする。…………秋葉は?」
「俺は、―――もう少し外にいるから」

 秋葉は、私に背を向けて大きな木を見ている。ずっと。……視線を放すことなく。

「……戻らないの?」
「何言ってんだ。……俺の帰る場所は、あの屋敷しかないぞ?」

 そう言ってくるりと振り返り、お化け屋敷のようなあの屋敷を指さした。まるで、舞台俳優のようだ。

「……うん、秋葉が舞台俳優になるのもいいかもしれない」
「は?」
「だって秋葉。我が弟ながらスタイル悪くないし、声もハッキリしてるし、可愛いから」
「…………何だ、最後のは」

 可愛い、というのに秋葉はふてくされる。私には、『可愛い』としか表現出来ないんだけど……?

「せめて、『カッコイイ』にしてくれないか」
「頑張って身長伸ばしてね」
「…………」

 また、秋葉は背を向けてしまった。どうやら秋葉は何か不都合な事があると背を向けて顔を見せないクセがあるらしい。コレは大発見だ。

「じゃあね、秋葉。……おやすみなさい」
「あぁ。……姉さん、迷子になるなよ」

 ならないわよ!と言い返して、迷子になりそうなくらい深い森の先の屋敷に向かった―――。



 /4

 夜。
 闇。
 静かな黒。
 熱い。
 喉が。
 乾く。
 獲物。
 少女。
 乾いた。

 殺すしか、ないのか。

 ―――食い付く。

 喉の乾きを癒す。
 物音。
 静かな闇。
 響く光。
 邪魔。
 入った。
 死体を捨てる。
 飛び上がる。
 襲いかかる。
 吸血鬼。

 ―――アキハ。

 空。
 見上げる。
 影。
 黒い。
 現れる。
 男。

 ―――シエル。

 屋根から。
 屋根へ。
 闇から。
 闇へ。
 飛び。
 移る。
 二人。
 化け物。
 化け物みたいな秋葉。
 化け物。
 化け物みたいなシエルが追う。

「―――」

 動き。
 止った。

 闘う。
 逃げるのは嫌。
 遊びたい。
 思った。
 やってくる。
 敵。

 ―――先輩。

 血。
 瞬間。
 血の海。
 飛び散る。
 早い。
 襲いかかる。
 剣。
 赤い。
 朱い。
 紅い。

 ―――通行人。

 狙う。
 通行人。
 見られた。
 見られたから。
 見せしめ。
 見せしめに。
 襲いかかる。
 剣。
 赤い。
 朱い。
 紅い。

 ―――アカイ、シエル。

 庇った。
 シエル。
 通行人。
 庇って
 死んだ。
 惨すぎる。
 両手。
 重ねられる。
 パイプ。
 張り付けられる。
 どくどく。
 流れる。
 血。

 ―――笑う。

 剣。
 胸。
 突き刺す。
 笑う。
 血。
 舐める。
 睨む。
 青い。
 目。
 交差する。
 血。
 瞬間。
 血の海。
  飛び散る。
 刺さる。
 剣。

 ―――アキハに。

 逃げた。



「―――いらん心配だったか。メガネ」

 白い悪魔は、血の海に足を入れる。相変わらず真っ白。汚れない白。

「…………」
「―――奴は吸血鬼じゃないみたいだったけど、それもお前ら。やっぱ狩るんだな」
「…………仕事だよ。君だって狩ろうとしてたじゃないか」

 腕に打ち込まれたパイプを力任せに抜いた。手首がブラブラする。玩具みたいだ。

「―――厭な匂いプンプンしてたからな。俺は吸血鬼ばっか殺しまくってるメガネとは違ってちゃーんと目的があるんだよ」
「………………そのくせに、何故仕留めなかった」
「―――別に俺、アイツの敵じゃないし」
「………………」

 睨む。バラバラになりつつある身体を一つ一つ合わせながら、闇の中にただ一つ浮かぶ白い光を。

「―――あ、味方でもないぞ。ただロアとは違うから。だけど、結局、女も通行人も死んだな」

 見おろす。その先には男性。庇ったのに刺さった身体から剣が貫通して結局死んでしまった通行人。

「―――運がないな」
「…………そういう君の考え、僕は嫌いだ」

 すると、いきなり笑いだした。

「―――あのな。俺、お前に好かれるぐらいだったら死んだ方がマシだな。なんなら今殺しに来たっていいんだぜ?」

 ゴキ、と首がなった。これで、元に戻った。

「………………君はいつでも殺せる。こんな状態で君に立ち向かう程莫迦じゃない」
「―――俺は今でも貴様を殺せる。そうだな、その前に助けてもらった礼でも言えば?」
「………………助けてほしい、なんて言ってない」
「―――それ、ありきたりって言うんだぞ。ま、別に嬉しくねぇしいっか」

 白い影が動く。去っていく。動く度に、足下の海がピチャピチャ音を立てた。とりあえず今は奴よりも無惨なこの情景をどうにかしなければならない。それが、仕事だ。

「………………彼女。戻ってくるようですよ」
「―――」

 それなのに、何故か白い影を止めた。何故か、その言葉で白い影は止まった。折れ曲がった黒鍵を拾う。修理はまた馬鹿ウマにやらせるとしよう。いい加減、奪い返しに行くか。

「………………原因は判りませんが、まだ安全だということです」
「―――貴様は、アイツが危険だと?」

 今まで微笑を浮かべていた白い影の声が一変する。元に戻っただけだ。笑っている方が気持ち悪い。これこそ、憎む真祖の皇子像であろう。

「…………勿論君の方が危険なのは判ってますが、彼女は一般人と比べて多少危険なのは間違いないですからね。君が居なくなってくれれば多少危険度も下がるんですが」
「―――断る」
「………………結構。期待もしていませんでしたし。ただ君を監視する目が厳しくなるだけです」
「―――んなコト、傷が治ってから言、あ、もう治ってるんだっけ。便利だよな」

 ……ザンッ!
 空気を斬った。折れ曲がった黒鍵で白い影の背中を刺す。白い服が赤く染まるが微動だにしない。

「―――黙れって? あーあ、折角殺られた身体が元通りになってきたんだぞ。俺だって再生、十七分割されたら半日はかかるっつーの。その点お前は、さっき遠野の野郎に殺られたばっかなのに治ってんじゃねぇか。事実だ」
「…………事実ですね。でも、本当のコトを言われるとカチンと来るのも事実なんだよ」
「―――俺は構わないけど、殺るのか?」
「………………僕は構いますね。ただでさえ君と会いたくないのに。でも明日に響かない程度ならお願いします」
「お互い、な」





if 透る爪痕/2に続く
02.10.27