■ 12章 if 蒼い咎跡/2



 /1

 家に帰って来ても、特にすることがなかった。
 放課後は今度の文化祭の出し物決め。何でも喫茶店をやるかコスプレ衣装貸し出しをやるか映画兼プラネタリウムをやるかで話し合っていた。ちなみに私は無投票。決められたコトはやるけど、企画自体に参加する気はない。適当に聞き流して相槌打っていた……。

 ―――だからお前は、外面だけはいいんだよ。

 ……。
 ……うるさいっ。
 喫茶店になったら女子はみんなメイド服みたいなの着るんだし、コスプレになったらもうそれも強制的だし(チャイナ服有力)、プラネタリウムじゃ運営する側が全員寝る…………どれ選んでも面倒なのには変わりない。
 いっそのこと『哀戦士』でも上映すればいいのに!

 ―――屋敷に帰ってきた時はまだ日が出て明るかった。夕食までの時間も結構あるし、かといってまた出かけてこようだなんて気はしない。帰り道途中でアルクェイドのマンションまで行けば良かっただろうか……。
 ……でも、今日会ったし。
 何処でって、学校で。
 ……思わず校庭内で彼を見つけてしまった時は「バカ男!」と叫びそうになってしまった。会えたのは嬉しいんだけど。

「―――おかえりなさいませ、志貴お嬢様」

 玄関を入ると、すぐ入り口の所で翡翠が深々と礼をする。なんかもう、最初のうちは他人行儀みたいで嫌だったお迎えの仕方にも慣れてしまったらしい。

「うん、ただいま。いつもありがとね」
「―――」

 挨拶をして、二階へ向かう。翡翠は黙ったまま、二階へ行く私を見送るのみ。一声かける事も全然思い付かなくて、そのまま翡翠は去って行った。……まだ気まずいのかな、朝の事……。
 とりあえず部屋に戻ってもやることがない。でもまた翡翠の手伝いをしよーっなんて行っても追い返されるだけかも。

「まだ秋葉も琥珀さんも帰ってきてないみたいだし」

 よぉし、こうなったら、
 ―――ここは、屋敷探検といこう。

 なんて突発的に、八年ぶりの屋敷探検をしようと考えちゃった志貴ちゃんでした。



 /2

 廊下は真っ直ぐにのびている。一番遠くが見えないくらい長く、無駄に大きいこの屋敷。
 きっと屋敷を一周しただけでいい散歩にはなるだろう洋館。お城のように広くて、―――昔は毎日歩いていても飽きなかった。でも我が家ながら豪華過ぎて落ち着かない事もあった。

 廊下には使われていない部屋もあり、その部屋には鍵がかかっている。しかも今いるこの廊下は、現在一切使われていない空間らしく、綺麗すぎて人が住むような場所じゃない……なんて思わせる空気があった。

 毎日……じゃなくてもこれを掃除している琥珀さんは凄いなぁ。…………違う。中は翡翠の役目だっけ? それでも竹箒で庭を掃除する琥珀さん。秋の紅葉は大変そうだ。どっちにしても二人の仕事量は凄いに違いない。感謝しなければ。使用人という、それが仕事だって判っているが、……お礼を言わなければいけない気がした。

 そういえば、翡翠と琥珀さんは何歳からこの屋敷に勤めているんだろう? 私がこの屋敷にいる時から……遊んでいた記憶もあるのだから、もう十年も?

 そもそも二人っていくつなんだろ……。そんなに年は離れていない筈。離れていても2、3歳くらいだろう……。じゃあハタチくらいでこんな忙しいお仕事を? ……何度ありがとうって言っても言い足りないような。

「そうだ……っ」

 不意に思い出す。廊下のカーテンに隠れてしまっている柱。カーテンをどけて、想い出の中にあったアレを探した。

 ―――あきは。

「やっぱりあった……」

 柱の所に、子供らしいぎこちない文字が書いてあった。『あきは』と何とか読めるほどの彫り。彫りがちょっと深すぎてカーテンから少し見えていた。
 これは……昔、流行った陣地取りゲームだ。名前を付けた所が自分の領地。自分の名前を多く彫った方が勝ち。そんなゲームがあると聞いて、早速みんなで楽しんだ。至るところに自分の名前を書いて、書いて、また書いて―――その結果、屋敷で遊ぶコトができなくなってしまった。
 今考えると当たり前のコトだってわかるのに、どうして昔はあんなに罪悪感無しに楽しめたのだろう。きっと当時の使用人はコレに悩まされたに違いない。そして一段と彫りが深かったこの『あきは』は、カーテンで隠されることになった。
 …………今でも秋葉は覚えているのかな?

「そもそも誰がこんなゲームしようって言い出したんだろ……」

 振り返っても……よく思い出せなかった。言い出した本人の名前が思い浮かばなくて―――。

 ―――外に出る。改めて庭を歩いて思いだした。……どちらかと言えば外で遊んだ記憶の方がある。
 かけっこ、かくれんぼ、おにごっこ、ままごと……。
 八年前の事故の前はそれなりに走ったりはしてた。……多分最後のは私の唯一の提案なのだろう。
 ―――あぁ、懐かしい光景が思い出す。
 当時は(も?)秋葉が仕切っていた気がする。いや、周りのみんなは秋葉に遠慮して従っていたのだろう。だって一番ちっちゃかったし。子供だったし。

 そして秋葉は外で遊んで帰るごとに傷の一つや二つ作って帰るんだ。そんなヤンチャな弟を見ていられなかった時期もある。転んで泣きまくる弟の手を引いて屋敷に帰って……そして怒られる記憶もある。―――今ではまったく考えられない。もう怒る人も、治療をしてくれる人も、……遊ぼうと誘う人もいなくなってしまったせいか。

 ―――八年という歳月はあまりにも大きい。
 ……でも秋葉はいくらなんでも変わりすぎだって思うけど。

 ―――中庭に出る。屋敷の壁には名前が彫られていた。あまりの多さにもう使用人達も消す気にもなれなかったのだろう。そのまま当時のへたくそな字が残っていた。

 あきは、しき、シキ、アキハ、志貴、あきは、アキハ、シキ、しき、シキ、秋葉、シキ、秋…………?

 あ、『葉っぱ』という字間違ってる。きっと何か意地張って(当時は)難しかった自分の字を書いてみたのだろう。ということは、所々にある『志貴』という漢字は私が手加減してやった証拠だろうか。でも私の名前の方が多い……。やっぱり年には敵わなかったのだろうか。小さい子は女の子の方が成長が早いとも言うし、流石に活発な弟でも無理だったか……?
 数えてみたら『しき』が勿論勝利。秋葉という字は(誤字も含めて)半分ほどしかなかった。

「……手加減してやればいいのに」

昔の自分にそう言った。負けず嫌いの秋葉はいつも泣いていた。どんなに頑張っても半分も領土を取れなくて、ずっと悔し涙で濡らして……、それにつられて私も……それじゃどっちが勝ったかわかんないじゃん。

「懐かしいな……」

 しばらく中庭でぶらぶらしている。どんなに探しても、あきは・しきの二つしか名前が出てこなかった。

「……やっぱり、『お兄さん』だからね」

 いつも見守ってくれていた……あの元気な男の子の名前がなかった。―――天気は暑くもなく寒くもなく、明るくもなく暗くもない。

「ふぁ……」

 あくびも出てくる。このまま夕食まで寝てしまおうか。

「レン、何処行ったんだろーなぁ……」

 昼寝はいつもレンを抱いて寝ているのだが、最近現れない。飼い主の所に帰ったのかなぁ……と沈みかけの夕日を後にして、自分の部屋へ向かった。



 /3

 夕食が終わり、自分の部屋に帰ってきた。
 今日昔やっていたゲームを見つけたよ……と秋葉に報告したかったが、どうやら帰るのが遅くなったらしく一緒に食事を取ることができなかった。
 後回ししていたら言う機会もなくなるだろうに。……なんでこうタイミング悪いかな。
 ベットに横たわる。結局昼寝は出来なくて、夕食までボケっと天井を見つめていた。それなら学校のテキストを開いていればいいものを……。

 ―――サァ、と風が吹いた。
 涼しい……もう寒いとも感じれる風。
 閉じていた窓が開かれ、その風に運ばれてきたように―――現れる男。

「おぃーっす!!!」
「…………」

 まさか、本当にコッソリ来るとは思わなかったんだけど。

 ……勿論、その男は泥棒でも何でもない。招いたわけでもないが、窓縁に立っていた。金色の髪を風に揺らしながら、屈みがちに部屋の中へと入ってくる。それはもう、堂々と不法侵入者が。

「何の用」

 ―――今日三階から飛び降りそうにもなった原因、アルクェイドのご登場だ。

「何の用とは冷たいな! 遊びに来ただけだ」
「ダメだって言ったでしょ! それに貴男『私に出番はない』って言っておきながら何押しかけてるのよ……ッ!」
「だから! 遊びに来ただけだって言ってるだろ!?」

 ……。
 ……この迷惑人が。
 いい加減、夜にヒトの部屋に入ってくる事が悪い事だということを判ってほしい。

「どうやら今日の見回りな……吸血鬼が何処にもいないんだ」
「? ……いなくなったの?」
「いや、活動していないだけ。って俺だけじゃ直接吸血鬼がいるかどうかなんて判らないんだけどな。……気配からして最近は街に出歩いているヤツがいない。…………殆ど倒されたって事か」
「倒されたって。……貴男が頑張った証拠でしょ?」
「俺がやったんじゃないみたいだからタチ悪い」

 ……?
 アルクェイド以外に吸血鬼狩りをしている……人がいるってこと……?

「ってなワケで! 今日の夜は安全って事だからどっか遊びに行かないか!?」

 にっこり、さっきまでのシリアス顔を崩し大声で笑いかけるアルクェイド。寝ようと思っていた目は、コーヒーを飲んでしまった時のようにぱっちり相手しまった。そして既にアルクェイドは私の腕を引っ張って(窓から)出ようと誘っている。

「…………そんなに私を寝不足にしたいの?」
「なんで?」
「第一、貴男も吸血鬼なんでしょ。ならなんで朝も夜も元気なのよ」

 朝……というか昼ごろ。悠々と校庭を歩き回っている姿。それは何とも楽しそうで、元気そうで……一見人間と変わりなさそうで。そして今、私の就寝時間に現れてデートに誘う……。吸血鬼には睡眠時間ってもんが無いの?

「あー、勇気を出してガッコに行ったのにそんな事言うかなー。一応俺、眠たくても志貴のいる時間の学校に行ってみたかったから頑張ったんだぞー」
「……迷惑な頑張りようね」

 迷惑すぎて涙が出てきます。ちゃんと授業を受けさせて下さい……。

「―――じゃあ聞くけど、一体外出て何するの?」
「そうだな……君の話を聞くとか、散歩するとか?」

 ……。
 それ、夜じゃなくても出来ることじゃ……。

「…………どうしてもダメなのか?」

 覗き込むように、赤い目で私の顔を見るアルクェイド。玩具を強請るような目。買ってあげたらどんなに喜ぶんだろうか、……なんて思ってしまった。…………それって、私が折れるという意味だけど。

「話するだけなら……いいかな」

 夜の街に出て変な遊び(注・敢えて伏せ字)するよりはいいだろう。

「よぉし、決定!!!」

 そう言って、アルクェイドは私を持ち上げ



 ―――なんでまた持ち上げ?



「攫うなって何回も言ってるでしょぉおお!!!!」

 翡翠が走ってきてもおかしくないくらいの大声で叫んでしまった―――。



 /4

 ―――外に出た。
 ……いや、屋敷の上に座った。
 …………いやいや、屋敷の屋根の上に座らされた。
 一等の屋敷の天辺は……下がぐらぐらするくらい高かった。工事の人じゃないかぎりこんな所には座らないというのに……どうしてこんな所に(夜)居なくちゃいけないのだろうか。それもまた、夜行性の友人を恨む。まだパジャマに着替える前だったのが幸いか……。

「すっごいよなー。ここの屋敷、坂の上だろ? 屋根の上に立つと三咲町の光りを見渡す事ができるんだぞ。知らなかっただろ!?」

 ……知りたくなかったです。
 …………だって、高すぎ。
 でもここならきっと、屋敷内に設置されているという監視カメラの目も届かないだろう。外にも出ず、外で話す……まぁ、家にいることは確かだから悪くはない。……どんなに高くても、眺めは良かった。

「夜景が綺麗……」

 商店街が一段と輝いて見える。屋根の上に座るというのは滅多にない(というかない方が望ましい)ので、特別美しく見えた。
 隣に腰掛けるアルクェイド。凄く嬉しそうだ。何をそんなに嬉しがっているのかは判らない……。

「変なコトしたら刺すからね……」
「十七等分しなければいいぜ」

 注:よくないです。
 しかしなんでいつもナイフ持ち歩くかな、私……。学校で持ち物検査されたらひとたまりもないのに。

「で、何するの?」
「ああ、何話してくれるんだ!?」

 ……。
 …………。
 ………………。

 とりあえず、どうでもいいような事を話した。アルクェイドは娯楽というものを知らないらしく、……映画館もハンバーガーもアイスクリームも見たことも食べたこともないらしい。
 ということで、(やや強制的に)行くことになってしまった。日にちは、今度の土曜日。時刻は、午後1時。場所は、公園。まるで神経質の如く何度も確認をする。

「……そんなに嬉しい?」
「ああ! 初めてだもんな!! 必要な知識は入れてるつもりだけど全然そーゆうのは知らないし!」

 ……夜なのに元気に(そりゃ吸血鬼だから?)、子供のようにはしゃぎながら言った。
 そうか。『娯楽』というのは必要ないものなのか。
 娯楽の無い世界の住人……それがこんな『娯楽だらけ』の世界にやってくれば楽しいに違いない。
 何もかもが新しいモノ。一度はそんな事を体験してみたい、一種の変身願望。

 ―――そうは思わない。
 一度生まれ変わった人間は、あまりに残酷な世界と知り戻れなかった。
 何もかもが新しい世界…………それは自分に自信が無くなる。
 不安。
 それだけが蠢くような。

「…………誰の事を考えてるんだ」

 不意に、さっきまでの明るくて騒がしいようなアルクェイドの声が消えた。
 その声は、……静かで冷たい。ハッと顔を見上げる。

「ごめん、……」

 アルクェイドと目が合うと、もうそんな視線は無くなっていた。
 目が合った途端に冷たかった目が和らぐ。
 ―――私が何も話さなくなって不安になったのだろうか。
 それは、買いかぶりすぎだろうか。

「な、誰の事考えてたんだ?」
「誰って……別に」
「誰!?」

 ……。
 …………どうして、ある人の事を考えたって、分かるのだろう。

「私と同じような体験をした人」
「は?」
「貴男とは全然似てないけど、ある種似ているかもしれないわね」
「……それって、似ているのか似てないのか?」

 さぁ、と……自分でもどっちか分からなくなってしまった問いをかわした。

「いやね、……私の先輩の友達なんだけど。……自分に自信が持てないんだって」

 人の事をベラベラ喋っていいのか……というのはおいといて。どうせアルクェイドには誰だって言っても分からないんだし、正直の本当にあったことを述べた。

「そりゃ、二年間も眠ってていきなり目が覚めたら、どこまでが夢でどこからが現実か、またその逆かなんて分からなくなるもの」

 いきなり世間から病室に閉じこめられて、これが夢であってほしいと想った。
 そして起こる夢のようなデキゴト。
 魔法使いと出会う。
 それから始まった現実。
 しかし、その悪夢の始まりも夢のようだった魔法使いとの出逢いも本当は現実。
 吸血鬼を倒す手伝いをしたというのも現実で。
 吸血鬼にマンションに誘われたというのは夢。
 そして今、……広がる夢のような幻想的な、屋敷の上から見る夜景。

「こんな事何度も繰り返したら、本当の自分は何処にいるのか、……記憶は何処までがホントウなのかなんて分からなくなるよね」

 その人は不安がっている。だが、体験するのはその人自身。
 その人を見守る先輩は、見守ることしか出来ない。そんな何だか悲しい話になりそうな予感。

「なぁ。それがどうしていきなり思い付くんだ?」
「どうしてって……?」
「俺、ただ志貴と一緒にいたいって約束しただけなんだけど」

 ―――バカ男。
 何で、そうストレートに言ってくれるかな、もぉ……。

「おい、どうしたんだよ。志貴ぃー」

 ―――赤くなって、喋れなくなるじゃない…………。

「……つまりはね、何だかアルクェイドとその人が重なっちゃって恐くなっちゃっただけ!」
「重なる……? 何処が似てるんだ? それに恐い? 何処が?」

 ワケわかんないぞ、とどんどん質問を出してくる。
 ……そんなの、一つ一つ答えること出来ない。
 ただふーっと、……あの人の顔が思い付いただけなんだから。
 ―――今度、黒桐先輩の仕事場に遊びに行こうっと。

 人工の光が、一つ、また一つと消えていく。商店街はまだ明るいが、所々に点いていた住宅の灯りは殆ど点いていない。もうそんな夜になったということだ。一体何時間話していたのだろう。

「じゃー、今日はこれくらいにしておこうか! 志貴と話が出来ただけ俺は楽しかったし!!」
「…………私も楽しかったから」

 アルクェイドと、かみ合っているのかいないのか分からない会話は新鮮だった。

「でもね、アルクェイド。……やっぱり平日はキツイから」
「あぁ! じゃあ今度は土曜日な!!」

 そう言ってアルクェイドは飛ぼうとした。……って?

「……ちょっと。まさか私、このまま?」
「だってここ、君んちだろ」

 遠野の屋敷の上。
 屋根の上。
 確かにこの建物に住んではいる……が。

「アルク…………」

 思いっ切り、睨んでやる。するとアルクェイドは気付いたのか、

「あ、ごめん」

 そう言って、……私を抱きかかえ、塀の下へ落ちた。

「―――じゃ、また会いにくるぞ!」

 ……あんなに怒ったのに、もう彼は覚えていない。

「あのね、今度の土曜日……学校ないから真っ先にアルクェイドの所に行ってあげるから、我慢してくれないかな……?」

 子供をあやすように、アルクェイドにそう語りかける。
 ……ってアレ? なんだか同じような事を夢の中で言ったような……。

「んー。そっか、そう約束してくれるなら!」

 その夢とは反対に、アルクェイドはアッサリ頷いた。物わかりのいいのは嬉しい。

「ちゃんと約束守れよ! 破ったら本当に玄関から屋敷入るからなー!!」

 …………それだけは勘弁してください。

「じゃなー!」

 アルクェイドは、なんとも愉快な足取りで去っていった。

 ……。
 ……しかし、なんで塀の外に下ろすかな。
 そのまま部屋の窓まで連れて行ってくれればいいのに。

「変な所で気遣いの足りない男……」

 仕方ないので、門までの暗い道を一人歩き始めた……。



 /5

 時刻は午前0時をまわったくらいだろうか。数時間、喋りっぱなし。喉も乾いたし、眠気もやってきた。
 素直に私の方から『眠いから帰らせて』と言えば送ってくれただろうか。……無理だ。どう考えたってあの男がそんな気遣いをするわけがない。満足しない限り、ずっと放してはくれないだろう。
 ……そういえば、アルクェイドって何歳なのかな?
 まさか身体が大きいだけの子供……だったりして?

「でも、そういうのあるよね……漫画とかでよく」

 何処までが私の知っている吸血鬼なのだろうか。
 ……外は、寒かった。上着も着ず、外で何時間も冷えていたからだ。明日になったら風邪引いてた……なんて嫌だなぁ。

「―――ん?」

 声が飛び出た。
 なんだろう。

 外灯の灯りが届かない暗闇の中に、誰かが立っているような気がする。
 ああ、この屋敷に来たばっかの時。同じような事があったな…………。

 ―――どくん

 心臓が、高鳴る。
 嫌な予感がする。
 悪寒が襲ってくる。

「嗚、……」

 立っていた影が。
 近づいてくる。
 どんどん、
 近くに。

 カツ、
 カツ、カツ、

 そんな足音と共に
 ―――どくん
 厭な気分になった。

「―――」

 人影が、すぐそばにまでやってきた。

 途端
 外灯がパリン、と音を立てて割れた。
 真っ暗になる。

「!」

 ―――どく、ん!

 高鳴りは強まり、
 嫌な予感は最高潮になり、
 心臓が、飛び出すように跳ね上がり
 風が、起こった。
 ヒュン! と真横を通り過ぎる風。
 ―――刃物だ。

「ァ―――!」

 闇を裂いていく牙。
 かわしきれず、刃物は眼鏡を掠った。
 からん、と眼鏡が落ちていく。
 途端に見える―――あの線。そして頭痛。

「な―――に」

 誰、と言おうとした時、雲の隙間から月が覗いて人影の姿が顕わになった。

「!」

 頭痛と吐き気の間に見えた姿。

 黒い長い髪に、包帯ぐるぐる巻きの、男。
 その手にはナイフを持っている。
 見開かれた、赤い目。
 ―――何コレ、……いかにも悪そうなヒトじゃない!

 包帯の男は襲いかかってくる。
 とっさにナイフを構えた。
 ギン! とぶつかり合う金属音。

「あ―――!」

 衝撃が、強い。
 あまりの強さに手が痺れ、ナイフを落としてしまいそうだった。
 だが落としたらいけない。
 ギン、ギン! と何度も襲いかかってくる刃。

「やっ―――!」

 ヤめて、と叫ぼうとしても、襲いかかるナイフは止まらない。
 ギン、ギン、ギン!と火花を散らしていく。
 何が起きているか、何故襲われているかが全く判らない。
 一つ思ったのが。

 デジャビュ。
 一度、闇の中で刃物に襲われた感覚があった。
 同じ、赤い瞳の主に。
 着物を着た、あの男性に。
 ―――夢の、中で……。

「―――違う」

 でもあの時は、今の黒い髪の男ではない。
 似ているけど、あの時の殺人鬼じゃない。
 なんでアルクェイド、こんな危険人物に気付かないのよ―――!
 ギィン……!!
 特別高い音がした。
 態勢を立て直す。

「あぁ―――っ!」
「―――」

 闇の中。
 何も見えないはずの暗い世界。
 月の光でうっすらと見える男の姿と、
 眼鏡を取ってしまったせいでハッキリと見える『死の線』。
 ナイフだけを追っていた。
 だが、男を見て―――確信した。

 勝てる。
 理由はないけど、きっと、私の方が強い―――!
 鋼の音を響かせて、男に屋敷の塀まで追いつめられた。

「―――っ!」

 線。
 線を殺せ。
 ナイフを、打ち付けろ―――!!!



 ―――でも私は……
 ―――もう、殺したくない………………。

 あ。



 ナイフが止まっちゃった。
 勝手に。
 まだ迷っていたのか。

 嗚呼。
 全く、馬鹿をした。

「何を、今更―――!」

 叫んだのは、どっちだったか。

「え―――?」

 私が声を挙げた瞬間、
 男がナイフを構え、振り上げた。

 キィィィィン―――!!!

 ナイフをナイフで弾く。
 敵が狙ってくる場所は判る。そこを必死に防いだ。
 男は急所を狙ってくる。
 一発で敵を仕留められる場所を。
 それは『線』。
 私は今、線を狙われているんだ。
 狙われて―――
 狙われ―――?

「な―――」

 線を、狙える?
 線が、この人にも―――。

 ―――ク。
 男は笑った。
 にやりと、恐ろしい笑みを浮かべた。
 その笑みを聞いて、私は後ろに下がった。
 怖い。そう感じた。
 その動きに合わせて、血走った目で私の姿を追いかけた。

 ―――クク。

 男が笑う。
 笑いながら近づいてくる。
 私は―――ナイフを持つ手がガクガク震えているだけだった。
 そして。
 反転。

 ザンザンザン、と肉に刃物が突き刺さる音が三回。
 その後に、身体がドンっと強く押しつけられる音。

「―――あ」

 事態が、全くつかめない。
 包帯の男は、突如襲いかかった三つの槍に身体を突かれていた。
 槍は男を貫いて、壁に突き刺した。

「―――ジャマヲ」

 私を見た。
 血走った殺意しかない視線。
 そして、
 消えた。

「……」

 刺さった拍子に吹きだした血も。
 今まで起きていた惨劇も。
 ……男はフッと消えてしまった。
 まるで燃えつきたかのように。

 ―――月が見えてきた。
 さっきまで死闘を繰り出していたこの道は、すっかり静まりかえっている。
 何事もなかったのだろうか。
 長い髪をした包帯の男など、最初から居なかったのだろうか。

「……痛ッ」

 がくん、と膝の力が抜ける。
 ナイフを持つ手が痺れてしまっている。
 あまりの恐ろしさに生きた心地がしなかった。
 今でも、……呼吸が苦しい。
 もう誰もいないのに、苦しい。

「嗚―――」

 死ぬかと、思った。
 いや、普通なら死んでいたんだ。
 ……普通じゃないから、死ななかったんだ。
 そもそも、普通って何……?
 これもまた、夢なのだろうか。

「呼―――」

 アルクェイドと、過ごした時間も―――。

 空を見上げた。
 夜が見える。
 月が見える。
 影が見える。

「―――」

 あの槍が飛んできた方向、高く遠くに誰かが見える。

「―――」

 はるか遠く。
 外灯の上に悠然と、ある見覚えのある男が見える。

「―――え?」

 外国の神父さんのような黒い服。
 手に構えた刃。
 青い、感情のないような瞳。
 彼は、毎日出逢っていたある人に似ていた。

「先……輩?」

 シエル先輩。
 神父さんのような服を着て、外灯の上に立っている先輩。
 その先輩と、視線が合った。

 そして、消える。
 さっきの包帯の男と同じように、
 音も立てず、最初から誰もいなかったように、
 彼は、まるで幽霊のように唐突に消えていった―――。





if 空の弓/1に続く