■ 6章 if 昏い傷痕/2



 /1

 計画自体はとてもシンプルなものだった。深夜になる前にアルクェイドが公園に向かう、そして少し時間が経ったら私が公園に向かう。
 あとは茂みに隠れて、アルクェイドがネロという吸血鬼の気を引いてる時―――私が吸血鬼の死の線を切断する。かといってそれが簡単というわけでもない。

「一度殺されかけてるっていうのに―――」

 私を殺人鬼と間違えてるから、アルクェイドは無茶な注文をしてくる……だと思った。だが、それは違う。

 本当に殺人鬼だから。
 自分の意志でヒトを殺すのは初めてなのだ。

 ―――夜。時刻はもうすぐ日にちが変わる頃、私は公園の茂みの中で息を潜め、隠れていた。
 一方、公園の真ん中でアルクェイドは立っている。
 公園に人気はない。連日の殺人事件のせいと、アルクェイドが人を寄せ付けないように何か細工をしているらしい。詳しい事は教えてくれなかった。
 ……どうせ教えてもらっても理解出来ないし、今はそんな気力もない。
 公園は、真っ暗な世界。恐ろしいくらいに静かだった。いつもはうるさいくらい話しかけてくるアルクェイドは、ぼーっと、黒い世界にぽつんとある蒼い月を見ている。
 蒼い月。私もそれを見た。そして、ナイフを強く握る。身体の震えを振り払うためにも。

 ―――ネロは必ずやってくる、とアルクェイドが言っていた。
 首を貰い受ける、そう黒コートは言っていた。
 ぼんやりと月の光があたる公園で立ち続けている彼。

 ………………は、あ。

 深呼吸。だが呼吸は速まるばかり。
 ……緊張している―――これから吸血鬼を倒す、ということに。
 でも、そうしなければ。

「―――待たせたな、真祖の皇子」

 あの声に、殺されてしまうから。

「!」

 少し離れた所に―――黒コートの男が亡霊のように立っていた。



 /2

 ガスッッッ

「あぐうっ!? い、一体なんですか、有彦さん……っ!」

 部屋で人参を食べながらくつろいでいるななお(有彦命名の馬少年の名前、本名:セブン)は、本日42回目の蹴りを喰らった。……ちなみに蹴りだけで42回である。もうすぐ日にちは変わる時間だが。
 金髪の頭を、蹄でさすっている。

「……志貴はドコ行った!?」
「おでかけました。『お世話になりました。また学校でねってバカに伝えといて』っていう伝言です〜」
「ほぉ、よくバカイコール俺だってわかったなぁ……?」
「だって他に誰がいるんすか…………ってなんですかぁその鞭は!? 一見さんはそれこそ有彦さんヘンタイ説が出てきますよぉ!」

 成長期前の、まだ女の子のような男声が家の中に響く……。

「…………ったく、俺の心配も無視か」

 夕方まで、……志貴の連れてきた男が眠っていた自分のベットに腰掛ける。
 あんなに親しそうな間柄なら……また会いに来るか。
 ―――志貴以外は、会いに来なくていいけどな。



 /3

 ―――世界が、凍る。刻が、あの二人の間だけ動いているような気がした。アルクェイドは……ネロ・カオスを睨みつけ、静かに笑う。
アルクェイドの声が、風に乗って聞こえてくる。

「…………だな。随分と待たされたぜ、ネロ・カオス……それともフォアブロ・ロワインて呼んだ方かいいか? 俺としてはそっちの方が品があっていいと思うぞ」
「―――流石は我らが処刑役。死徒二十七祖の事など知り尽くしているということか」

 返答するネロの重い声も、はっきり聞こえた。
 聞こえるといえば、

 ―――どくん

「……………………あ」

 という、自分の鼓動さえも。

 治まれ、と何度も自分の心に言いかけるが、一向に緊張感は治まってくれない。いや―――治まる方が可笑しい。今から、真の殺人鬼になろうとしているのに―――。
 チャンスは、今だけじゃない。ゆっくり、眼鏡を外した。

 どくん

「っ…………」

 ナイフを強く握りしめる。強く握りしめれば握りしめるほど、胸の痛みは小さくなり、指へ神経がいく。

「おい、ネロ……間違うなよ。現存している死徒は二十七祖じゃなくて二十八だろ。キサマ達はあの『蛇』を仲間だと思ってないのか?」
「無論だ。多くのの死徒は『アレ』を認めていない。―――最も、私とヤツは旧知の関係でもある。他の死徒よりはアレを深く理解しているつもりだが」
「…………そうか。キサマも考えてみればヤツ同様他の奴らと趣向が違うからな。変態は変態同士、仲が宜しいようで。この俺を追ってくるなんてストーカー、キサマと奴ぐらいじゃないか」

 興奮している身体とは裏腹に、声を聞き取る脳はハッキリしていた。何を話しているか分からない…………だが、アルクェイドが私のために気を取らしているということは分かる……。

「現存する死徒の処刑役である貴様が、何故、アカシャの蛇を追う。真祖の皇子の毒にもならぬだろうが」

 ネロは、アルクェイドしか見ていない。
 それを見計らって

 息を低くし、

「―――志貴!」

 無防備な吸血鬼の背中へ、
 私はネロへと駆けだした。

「あああああああ!!!!!!」

 ―――行ける。

 このままなら
 殺せる。
 走り込む。
 背中まであと少し。

「―――!?」

 でも、足が止まった。

「なに、コノヒトのカラダ―――!」

 自分の目を疑った。眼鏡をまだかけているのかと思った。
 だが何も付けていない今、世界のツギハギは見えるはずなのに

 ……………………一本も、『死の線』がない!

 ―――ずきん
 頭痛が走った。
 身体が崩れていきそうだった。

「クッ―――!」

 ナイフを持った指が震える。
 背中に、何かが見えた。

「点―――!!」

 一つだけ、点に、ナイフを突き込む!

 ナイフで、その点を、切った。
 …………筈だが。

「志貴!」

 男は、崩れなかった。
 アルクェイドの声だけが聞こえる。
 迷っている暇なんてないのに……これからどうすればいいか分からない。

「嗚―――」

 ―――ぼこり。

 黒コートの背中から、黒い犬が飛び出した。

「―――!」

 勢いよく襲いかかってくる。

「きゃあああ!!!!!」

 襲いかかった黒い犬の死の線を、切断することができた。
 だが、切れたのは、犬の手足のみ。
 カラダ、そして口は向かってくる。
 止まらない。

「あっ―――」

 ……ごっ、と
 頭が、こちらの腹目がけて突進してきた。

「あああ!!!」

 突然襟の部分を掴まれ、勢いよく身体がとばされた。何十メートルとばされたかは分からないが、公園の茂みに落ちる。

「がっ…………あ!」

 身体が、痛い。
 黒い犬に飛ばされたわけではない……アルクェイドに、飛ばされたのだ。
 助けてくれたのだ。

「あ―――」

 こんな、状況でも。

 犬の動きは既に止まっており、黒い液体となって消えていた―――。

「―――ふむ。背後で何かが起こったようだ」

 ネロがアルクェイドへ視線を向けた。

「俺以外のモノを見てなかったくせに背後の危険に反応するなんてな」
「何をしていた―――?」
「いちいち敵に説明するわけないだろ? …………莫迦が」

 目を細めて、アルクェイドはゆっくり黒コートに近づいた。

「貴様程度―――この爪だけで十分だ。ネロ・カオス!」

 ク、と短い笑み。

「たわけ。その身を痴れ、アルクェイド・ブリュンスタッド!」

 ネロの腕があがった。

 現れたのは、三匹の獣。
 だが、アルクェイドは動かない。

「―――!!」

 何を映しているのだろう、この目は……。
 一瞬の出来事に、頭がついていけない。

「アル……ク」

 ネロの使い魔がアルクェイドを襲った筈なのに。

 一瞬にして
 獣の躰がまっぷたつになって地面に転がる。

 ごろん、とまっぷたつにされた欠片がネロの前に転がった。

「な、に?」

 ネロの声が響く。今まで単調に聞こえたその声は、明らかに変わっていた。アルクェイドは無言で―――そのままネロ本体に近づいた。

「!」

 ネロが逃げる。
 だが、もう遅い。
 アルクェイドが爪を震う。
 ―――ザン!

 そんな音の後、ネロの身体は首筋から二つに分かれた。
 鋏で髪を切るように、あっさりと。
 強い、と思った。正直な感想で、……一人で倒してしまいそうな程、強いと。
 アルクェイドから飛び出し逃げ出すネロ。奇妙な悲鳴を挙げている。その悲鳴は何と言ってるのか分からない。……聞きたくなくて耳を防いでいるのもあるが。
 首から腰に掛けて、半分以上が剥ぎ取られていた。ヒトの形をしていないから、目もふさいでしまいたいぐらいだ―――。

 ―――どさん、と
 アルクェイドの足下にネロの残骸が落ちる。

 余裕にも見えた。一瞬にしてアルクェイドは爪で獣を殺し、ネロを解体した。
 そんな姿に、……美しいと形容するのも可笑しくない。
 蒼い月の下で―――金髪の白い吸血鬼が崩れ落ちるシーンは。

「はあ―――はあ」

 荒い呼吸音。……アルクェイドの呼吸音だ。

「アルク……!」

 叫んでも、アルクェイドは反応しなかった。半身を裂かれているネロ以上に、アルクェイドは苦しそうだった。

「がっ、……やっぱり………………バラバラはキツ……ぅ…………!」

 立ち上がろうとして、また躓く。
 直ぐにでも駆け寄って、肩を貸してあげたかった。
 ―――あの声を聞くまでは。

「―――そこまで衰微しているとはな」

 曇のない、重い声。
 嫌な予感がした。

「は―――が、は」

 呼吸を整えながら、…………アルクェイドは蹌踉けながらもネロに近づく。

「……強がりはそこまでだ。貴様の使い魔が何匹かかってこようが俺には勝てない。貴様には、俺は勝てない」
「何か思い違いをしているようだな」
「―――?」
「私は使い魔など持っていない。本来の貴様なら一目で気が付いただろうに。その金色の魔眼で凝らして見ろ」

 アルクェイドは、止まる。
 朱い瞳を凝らして―――。

「あ―――」

 アルクェイドの背後。
 アルクェイドに裂かれ、落ちていたネロの身体が、…………震えている。

「アルクェイド、後ろ………………!!!!」
「志貴……?」

 後ろを、振り向く。

 けれど、間に合わなかった。
 背後から大蛇が、背後から襲いかかった。

「がああぁああ!!?」

 半身しかない吸血鬼は、誇らしげに笑い声をあげた。

「ア―――!!!!!!!!」

 アルクェイドの顔が、……見えなくなる。

「あ、ル……!!」



 このまま、

 放っておけばアルクェイドは黒い闇に飲み込まれていくのか―――。



 どくん、という胸の痛み。
 ずきり、という頭痛。
 それを抑えてナイフを握る。

 このままじゃ、
 ……。



 ―――助けないと

 アルクェイドを助けないと―――!

 ただ一心にネロに向かって走り出した。

「…………アルクェイドを離して!!!」



 ―――トスン



 ……正面からぶつかりあった。

 ぶつかったというのに、軽い音がした。

 ―――ナイフは、

 ヤツの最中を貫通して、

 ――――――崩れ、ろ。



「……………………………………………………がっ」

 ―――小さく、唸った。
 突き刺した刃を、上へと抉る。

「ああああああああああ!!!!!!!!!!!」

 耳が壊れてしまいそうな程の悲鳴を挙げる。
 この一撃に賭けてるから。



 ―――もうこの後は、
 アルクェイドが無事ならばどうなってもいいから。

 ……本気で、そんな事を考えた刻だった。



「グッッ………………!」

 唸っている。
 ナイフを突き刺していた身体が、ドロリと水になった。

 やれた?
 ―――そうじゃない。

 でも、
 もう戦わないということは分かった―――。



「志貴―――!!!?」

 アルクェイドの、声がする―――。
 その声は、叫びながらも途切れ途切れで、何かが消えてしまってもおかしくないぐらい。
 そんな、限界の叫び―――。

 地面に崩れ落ちる。
 大きな息を吐く。
 吐いても、満足しない―――。
 がはっ、と息とは別に何かを吐いた。
 喉の奥が痛い。
 抑えても、痛みは治まらない―――。

「志貴! だい、じょうぶか!?」

 一番大丈夫じゃなさそうなのに、アルクェイドは私の身体を揺らした。

「ア、イツ、は―――?」
「もういねぇから―――今は、いないから―――おい、志貴!!!」

 ―――そんなに揺らさないでほしい。今は

「つか……れてるんだ、から………………」

 少し邪魔だったアルクェイドの手を、握った。

 空を見上げる。

「―――月」

 夜空に、綺麗な月。



「……志貴? しっかりしろよ!!!」

 アルクェイドが月の前に現れた。
 折角の綺麗な月が、見えない。
 その瞬間、意識が遠退いた。

「おい、志貴! こんな状態で寝ると死ぬぞ!!」

 アルクェイドが何かを叫んでいる。
 でも、眠いんだってば…………。
 目を瞑る。

「…………ちょっと失礼」

 ガサっ……
 何か、アルクェイドが、している―――が何をしているかを確認する気にはなれない……それだけ、疲れているのだ。

「犬に噛まれたんだな……歯形くっきり腹に残ってやがる……いくらなんでも脇の出血ぐらいは止めといた方がいいよな……あぁ、折角のキレイな肌なのに、…………ん、上は結構大きいんだな」

 ―――何が?
 鈍くなった触覚が、何をしているか余計分からなくなっている。

「―――こんなもんでいいだろ。人間の身体ってあんまり俺と変わらないんだな。……しょうがない。志貴の屋敷まで送り届けてやる」

 アルクェイドの、優しい声。
 そして、スッと身体が浮いた。
 頭が、……彼の胸にあたる。

 ―――眠ったまま、私は白い月を見ていた。

「…………志貴。ありがとう。助かったよ」

 重みが感じられない、感謝の言葉と一緒に、
 そこで記憶は途切れた―――。



 /4

「……」

 ―――朝の光りを感じる。こんなに清々しい朝は久しぶりだ……。

「……」

 これから始まるのは、なんだろう。
 なんて、一つしかない。今日からいつもの学校生活が始まる。
 戻ってこられたのだから。

「……」

 目が覚め、隣にある眼鏡をかける。
 暖かな時間。
 ―――ほんとうに、かえってきたんだ。

 それだけ。
 それだけのことなのに、
 なんてことない朝なのに、
 …………とても、嬉しかった。

「―――おはようございます、志貴お嬢様」

 ベットの足下の所に、静かに翡翠が立っていた。翡翠は恭しく一礼をする。相変わらずの無表情で、乱れのない正装で朝を迎えてくれる。その腕には私の制服があった。

「…………あれ、まだいつも起きる時間より早くない?」
「はい。秋葉様がお嬢様とお話がしたいとおっしゃっています」
「……あ……」

 そう、この二日間―――アルクェイドに付きっきりだったから。絶対に、秋葉は…………

「……怒ってる?」
「―――ご自分の目でお確かめ下さい」

 目を細くして言った。
 ……その翡翠の目は凄く冷たい。冷たくされても仕方がないと思った。
 貧血とか関係なしに頭が痛くなる。
 ……そういえば、もう一つ頭が痛くなる原因が。

「…………ねぇ、どうして私、ベットに寝ているのかしら?」
「……」

 翡翠が、黙った。
 元から黙っているんだけど、鋭い目が襲ってくる。

「あ…………あ、ごめんなさい。寝る場所っていったらこの部屋しかないのに―――」

 アルクェイドの顔が頭に浮かぶ。そうだ、確かアルクェイドの使い魔が私の役をしていたとかなんとか……。
 この翡翠の反応を見る限り、そうとうの事をしてくれたと予測できる。

「……じゃあ、すぐ行きます。……少し、秋葉の機嫌、よくしておいてくれない?」
「お断りします」

 キッパリと断られる。……もしかして、いや、もしかしなくても翡翠も怒ってる……?
 そんな翡翠に苦笑いをしながら、ベットから起きあがった。起きたその姿は……パジャマだった。

「……何でパジャマなんだろ」

 また、琥珀さんが入ってきたとか?
 それとも。

「………………」

 まさかあの男が?



 /5

「おっはようございます、お嬢さんっ!」

 いつも元気な琥珀さん、見慣れないものを手にしながら挨拶をしてきた。

「はい、おはようございます。……えっと、それは?」

 それは、お皿だった……ペット用の。

「この頃、屋敷に猫が住みだしたんで、まぁ食事の余った物でも食べさせてるんですよ。これはそのカラですよ」

 猫……。
 そういえばアルクェイドに誘拐される(誤)時、黒猫がいたような……。

「そうだ、お嬢さん!」

 琥珀さんは私に近付くなり、いつもより真面目な目で私を見つめた。

「…………お身体、もう大丈夫なんすか?」
「え……?」
「最近お部屋でずっと隠りがちだったじゃないスか! 翡翠が何度もノックしてるのに返事してくれなかったって泣いてたんスよ!」

 翡翠が、泣いてる……? ああ、比喩か……じゃなきゃそんなこと……あるようなないような。

「廊下にお食事用意してやっと食べてくれたじゃないですか…………何を、そんなに怒ってるんです?」
「あ、あの…………怒っては、いないから……」
「怒ってるのは秋葉様ですよ…………あぁあ怖い怖い」

 そう言って、話を無理矢理打ち切りにして琥珀さんは軽い足取りで去っていった……。あの人はこの状況を心底楽しんでいるように見えるのは何故だろう。
 ―――アルクェイドの使い魔。随分な『シキ』を演じていたようで。
 とにかく、……秋葉に素直に謝らなければならないだろう。吸血鬼なんて話はきっとワカラナイだろうし、本当の事を話せないならせめて素直に謝るべきだ。大きく深呼吸をして、秋葉のいる居間へ向かった。



 ―――居間には秋葉がソファに座っている。

「…………おはよう。姉さん」

 居間に入った途端、じろり、と秋葉の目が私を刺した。

「あの……おはよう、秋葉」
「挨拶はいい。翡翠から聞いただろ。早くそこに座って話をしよう」

 氷のような目が襲ってくる。迫力がある……これは絶対に座らなければならない。秋葉の前のソファにおそるおそる腰を下ろした。

「姉さん。……昨日一昨日ずっと口を利いてくれなかったのに、理由とかは?」

あくまで、丁寧口調だがいつこれが崩れるのか分からない。

「それなんだけど、秋葉」
「ああ」
「説明できないの」

 ―――ギン!

 アルクェイドの朱い瞳に見つめられた時と同じような、硬直してしまう程の視線。
 それは昨日の夜―――公園で味わった時みたいな……。

「姉さん、もう一度聞くけど」
「何……?」
「何を、してたんだ」

 …………あぁ、秋葉はもう命令口調になってる。これは脅迫だ。……でも、

「…………ごめんなさい。何度聞かれたって言えないものがあるの」
「なんだよ、それは―――!」

 怒鳴られた。
 窓際で人形のように立っていた翡翠が、微かに眉を動かした。きっと奥の琥珀さんも……。

「―――秋葉には悪いって分かってる。翡翠や琥珀さんにだって迷惑かけたのは分かってる。…………でも事情は説明できない」
「…………身内にも、説明できないことかよ」

 ……こくり。

「ねぇ、秋葉……本当にごめんなさい。でも、これ以上聞かないで」
「……」

 秋葉は、じっと見つめてくる。
 暫くの、沈黙。

「……姉さんも姉さんなりの事情があるということが分かった。……だけど、今後はこういう心配をかけないでくれ」
「うん……」

 黙り込む秋葉。それっきり動かない。

「……どうしたの……? あなた、気分でも悪いんじゃ……」
「………………なんでもない! 姉さんは自分の身体の心配をしたほうがいい!!」

 秋葉は立ち上がる。……時計を見れば、そろそろ登校時間だった。勿論それは時間だから、以外に理由はあるだろうけど……。

「……とにかく、一人で屋敷に出ないでくれ! ただでさえ世の中物騒なんだから」
「あ…………もう大丈夫。あの事件、もう起きないから」
「……は?」
「もう犯人が懲りたって」

少しでも秋葉を落ち着けるために、……笑って見せた。
それだけは、自信のある真実だから―――。



 /6

 秋葉は車に乗り、学校へ向かった。私は見送った後、琥珀さんの作ってくれた朝食を食べて学校に向かうことにした。翡翠は門まで見送ってくれる。

「それじゃ行ってきます。見送り、ありがと」

 翡翠は無言で鞄を渡してくれる。

「―――お嬢様、お帰りは何時でしょうか」
「ん、……夕方には帰ってこられると思うよ。……ちゃんとね」

 信用されてないなぁ……、と思った。仕方ないことだとも思う。だから今日ぐらいは早く帰れれば……。

「かしこまりました。いってらっしゃいませ」

 ふかぶかとお辞儀をする翡翠。そして門を後にした。

 同じ学校の生徒たちがぽつろぽつり見え始めてきた。
 何事もない朝。
 そして、交差点。
 私の生活を変えてしまった場所。

「……」

 勿論。
 あの男は……もういない。
 吸血鬼が去った今、アルクェイドのいる理由がなくなったのだから―――。
 なんだろう、なにを考えている?

 ―――淋しい?

「……なに、考えてるのかな。私……」

 一度殺されかけたというのに、何を考えているのだろう。頭を震った。そして学校の予鈴が鳴り響く。

「あ、遅刻……っ」

 正門に向かって走り出した。



 /7

 教室に駆け込む。HR五分前。教室はザワザワしている。一息ついて机に向かった。

「―――よぉ、不良女」
「……」

 背後から、……ナイフで刺したいくらいムカつく声がした。

「昨日はいつの間にかいなくなりやがって」
「……それなりに理由があったのよ。でも、昨日はありがとう」

 相変わらずのだらしがない格好で、有彦は私の席に座っていた。

「もうすぐ担任やって来るわよ。さっさといなくなって」
「ふーん。いつものお前に直ったんだな。……でもお前といい弓塚といい、最近付き合い悪いな」
「付き合いは元から良くはないと思うけど、………………え?」

 有彦の言葉に、引っ掛かった。
 私以外の名前に―――。

「…………弓塚くん、まだ来ないの?」
「うん? ああ。今日も欠席だとさ。ずっと優等生だったから、最近目覚めたんじゃないか?」

 目覚めたって……それならずっと退化してた方がいいんじゃ……。

「……有彦。貴方、ひどく無関心ね。弓塚さんの携帯の番号ぐらい知ってるんじゃないの?」
「ま、知ってるけどそんなら他の奴らだって知ってるだろ。今時持ってない高校生も少ないぞ」

 ……。
 ちなみに私はその持っていない一人である。でも、考えてみれば弓塚さんは友達沢山いるし……有彦がかけなくてももっと仲のいいコが連絡を取り合っているかもしれない……。

「でもな。家出って説も出てるけどな。流石にそりゃないと思うが」
「……なんで?」
「なんで、ってアレだろ。今、町では例の連続殺人事件が大流行中」

 …………そっか。みんな、まだ知らないんだっけ。
 もう、あんな事件起きないというのを。

「でも、弓塚さんはきっと大丈夫よ」
「ま、家出説が当たってなきゃの話だけどな」

 ホームルーム開始のチャイムがなる。それと同時に、担任が入ってきた。

『俺の家、こっちだから、また明日』

 夕日の帰り道…………別れ際、弓塚くんはそう言っていた。
 また明日、……その明日、私は会うことが出来なかった。
 どうして?

「弓塚は欠席だな」

 担任が、弓塚くんを欠席にして出席をとっていく。何事もなかったようにホームルームは進んでいった。
 ―――嫌な、予感がした。



 /8

 ―――授業は何事もなく、直ぐにお昼になった。昼休みになっても気分は晴れない。

「あんまり気にすんなよ」

 そう、有彦が一言。ポン、と後ろから背中を叩いた。

「あれ、志貴ちゃん、気分でも悪いの……?」
「え、あ、シエル先輩……」

 また三年のクラスから二年の所へ遊びに来ている。

「みんなで楽しくお昼しようと思ったんだけど、……ということで一緒に食べない?」

 どういうわけだか分からないけど、一緒にお昼を取るのは悪くない。

「私も大賛成です。学食なんですけど」
「あぁ、僕も学食に行くつもりだったしね」

 にっこり、眼鏡の奥の目が笑った。
 ―――だがいきなり、ぴたり、とその表情が止まった……。

「…………志貴ちゃん。何かあったの?」
「え? …………べ、別に……何もないけど、……なんでですか?」

 んー、と腕組みをしながらシエル先輩は唸った。……何か考えている。

「志貴ちゃん。夜は物騒なんだからあんまり出歩いちゃ駄目だよ」
「はい、ごめんなさいもうしませんから。…………?」

 夜は物騒なんだから。
 あんまり『出歩いちゃ』駄目だよ―――。

「さ、お昼にしようか。志貴ちゃん、今日学食かい? 早くしないと席うまっちゃうよ」
「あの、シエル先輩……?」

 なんで、知って…………?

「今日の学食、日替わりランチがカレーピラフなんだ。ルーの乗っていないのにカレーを名乗るなんて邪道だね」

先輩はにっこりとした笑顔を戻し、私の手を引っ張った。



 /8

 ―――今日一日が終わった。
 何にも起こらない、平和な一日が。
 教室は夕日で真っ赤だった。もうクラスメイトは一人もいない。
 一人も。

『俺の家、こっちだから』
『また、明日』

 弓塚くんは、確かにそう言った―――。
 あんな事を言ったのに、どうして。

「……」

 夜の街を彷徨いていた吸血鬼たち……。
 まさか、被害者……。
 そんな……考えたく、ない……。

 夕日。
 赤だったから。

 血に染まった彼が頭に浮かんだ。

 ―――どくん

 くらり、と視界が歪んだ。

「―――」

 朱い。
 血のように赤い弓塚くんが、鮮明に見えた―――。
 最後に、彼の優しい声が聴こえた気がした。
 だが、それは幻聴に過ぎず………………。



 /9

「……ごめん。いっつも、付き合ってもらってるね……」

 真っ暗な廊下を、有彦の肩を借りて歩いている。

「あいよ。授業中倒れるといい、朝っぱらから迷惑かけに来るといい、しかも誰もいない放課後の教室に倒れてるときた。まったく、俺じゃなきゃ誰も付き合ってくれねぇぞ」
「…………別にいいもん」

 何がいいのか分からないけど、有彦の腕に掴まって歩いていた。

「そう迷惑だって言ってるくせに、貴方はちゃんと待っててくれるじゃない」
「……あのまま倒れて死なれたら困る」
「その時は、何で助けてくれなかったのって化けて出てやるから」

 冗談のつもりでも……顔はうまく笑えなかった。そんな顔を見ているからか……有彦もわざと笑ったような気がした。
 時間はもう六時半。内部の部活もみんないない。例の殺人事件のせいで、生徒の下校が早くなっているらしい。部活に入ってないので詳しい事は知らないが。
 日は落ちてしまっている……翡翠に、また怒られてしまいそうだ。

「おい、一人じゃ歩けないのか?」
「ん……頑張る」

 なんとか、歩けた。

「おら、行くぞ」
「…………待ってよ、怖いじゃない……」

 真っ暗な廊下に、一人取り残されるのは、怖い……。
 真夜中で吸血鬼と出逢っている時も、やっぱり怖かったけど。
 有彦の後をついていった。

「―――じゃあ、明日学校でな」
「……うん。いつもありがとう」
「気にするな。仮は出世返しで倍返しだ」
「覚えていたらね」
「……ちゃんと、帰れよ」

 苦笑いしつつ、……帰宅の遅刻でまた一波乱ありそうな屋敷への道へ向かった。





if プラネタリウム/1に続く