■ 4章 if 黒い獣/2



 /1

 ……何故だろう。
 目を開ければ、天井が見えた。見覚えのある天井。
 ……ここは、遠野の屋敷の……私の部屋。

「夢……?」

 一体、何度悪夢を見ればいいのか……また、これも夢なのかも分からなくなっていた。
 でも、そう。きっとそう。…………ヒトが生き返るなんて

 ―――俺、人間じゃないから

 ……そう、夢の中の住人は言った…………。
 ガチャっと、突然部屋のドアが開く。起き上がり、誰が来たのか確かめた。

「……お嬢様、お帰りになっていましたか」

 声の主は、翡翠だった。
 私がこの部屋にいると知らなかったのか、無表情ながらも驚いている。……だから、ドアをノックせずに入ってきたのか。

「失礼しました……」
「あ、ごめんなさい。帰って来たことも言わなくて……その、何かご用?」
「―――はっ、……ベットメイキングに参りました。ですが、お休みならば失礼します」
「ん、あ……そう。じゃ今日はいいから……」

 時計を見ると、もう午後の七時。秋の今、窓の外の景色は暗かった。

「ねぇ翡翠。……私、学校行った?」

 変な質問をしてしまった。翡翠も不思議そうな顔をしている。
 普段は無表情なのに、質問するたびに顔を変えてくれる翡翠は、けっこう表情豊かなのかもしれない。

「―――私は朝、確かにお嬢様を見送りましたが」
「……そう、……だったね」

 そこまで記憶はあるんだけど、それから、学校へ行った記憶がない。
 あるのは

 ―――昨日君に殺された男だよ

 ……。

「何時、帰ってきたか覚えてる?」
「―――申し訳ございませんが、私はお嬢様がご帰宅の出迎えが出来ませんでしたので」

 …………。
 そうだった……。なら、琥珀さんは知ってるのかな?

「秋葉様もお帰りになられてます。夕食はいかがしますか」

 食欲は、……はっきり言って全然ない。だが、昨日も夕食はしなかったし、秋葉にまた文句言われるかもしれない……。

「じゃあ、着替えてから行くから」
「はっ」

 一礼をして、翡翠は出ていった……。

「…………疲れてるのかな。最近重い夢ばっか」

 ここまで続くと気分が悪い。暗くなった窓をカーテンで閉じようと窓際へ駆け寄る。

「あ」

 ―――そこには、黒猫。
 大きな黒いリボンをした、黒猫がこちらを見ていた。



 /2

「……姉さん。また具合が悪いのか?」

 秋葉と目が合って直ぐに、そんな不安そうに尋ねてきた。

「ううん。そういうわけじゃないけど。…………どうして?」
「顔色が悪い」

 やけに光る窓で、自分の顔色を伺う。……やっぱり元気が無いように見えるだろうか。

「琥珀。姉さんに何か薬を…………」
「あいあいさーっス!」

 ……朝でも夜でも元気な琥珀さんは、奥の方へと駆けていった。私と秋葉は食事を始める……。

「そういえば、猫がいたの。……やっぱりペット飼ってるんじゃない?」
「猫?」

 前は犬なんて飼ってないと言ってたけど、さっきは黒猫がいた。ノラには見えなかった。オスの黒猫で、毛並みがよく、何より大きなリボンを付けられていた。つまり飼い猫ということだけど……。

「……前にも言ったけど、この屋敷にペットはいない」

 確かめるように翡翠の方を見る秋葉。翡翠は黙って頷いた。

「そっか……じゃあ、どっかから敷地内に入ってきたのね」
「猫だからな。塀なんて簡単だろう」

 そう言って秋葉は食事を進める。

「どんな猫だったんスか?」

トレーに、水と秋葉の言ってた薬のカプセルを乗っけた琥珀さんが尋ねた。

「んー……黒猫。でも、リボンをつけていて、……とっても目つきが悪くて、猫らしい猫」
「はぁー、離れに猫は結構いますが」
「琥珀!!」

 ―――突然、秋葉が怒鳴った。
 怒鳴ってもいないけど窓際にいる翡翠も琥珀さんを睨んでいた。怒鳴られて、琥珀さんもマズったような顔をする。
 一体、何に対して怒ったのか判らない。

「え、…………どうしたの、秋葉……?」
「―――志貴お嬢様」

 翡翠が近寄り、秋葉に聞こえないように私に言った。

「……秋葉様は、猫が苦手なのです」
「え、そう……なの?」
「あー、そうだった。忘れてたー」

 笑顔だが、どことなく申し訳なさそうな琥珀さんは、一礼をして去っていった。

「……ですので、その話題に関しては控えてください」
「うん……わかったわ。でも、何か取って付けたような理由ね」

 ……。
 翡翠も黙って行ってしまった。

 ―――あと、『ハナレ』って何だったかな?



 /3

 ―――食事が終わり、自分の部屋に帰ってくる。
 随分……ゆっくりしてた。居間で、秋葉とカタコトながらこの屋敷のことや、学校のこと、琥珀さんたちのことなどを―――姉弟話をしていた。
 気付けばもう時計は九時。秋葉は部屋に戻るということで、「お休みなさい」を言った。
 ……と言ってまだ寝る気にはならないんだけどね。

 窓を見る。
 真っ暗な外。
 そこに光る…………

「え」

 赤い、目。

 ―――窓際に近寄ってみた。
 閉められた窓の先に……光る目を見つけた。
 重い窓を開ける。吹き込んでくる涼しい風……。

「…………まだいたの、キミ?」

 ……一匹の黒猫が、部屋に入ってきた。
 その猫を抱き上げる。仔猫で、大きな黒いリボンを付けている。
 起きた時、ずっと私を見ていた猫だ。

「……秋葉には見つからないようにね」

 声をかけても撫でても、猫は鳴かない。
 そのかわりに

 ―――ヒトの声が部屋に響いた。

「やっほー、志貴」
「!?」

 窓の所に、白いヒトが立っていた。
 トンっと軽い足取りで部屋に入ってくる。…………窓から、飛んできたように。

「こ、ここ! ……二階!!」
「あ? うん、ココは二階だな」

 特に可笑しい事もないように、……窓から不法侵入してきた男は頷いた。

「迎えに来たぞー」

 抱いていた黒猫は、するりと私の腕から逃げだし……その男の足下へとんでいった。

「ったく、さっきからずーっっとノックしてんのに、ちっとも開けてくれないから最後には門から迎えようかなって考えてたぞ」
「それダメ!!」
「何で」
「………………秋葉に、怒られる」

 弟に怒られるなんて、少し情けない言い方だけど……。

「そんなの、俺が倒してやろうか!」
「それがダメなんだってば……」

 また、悪夢が、始まる…………。



 /4

 ―――路地裏。
 走り疲れ、男に追いつめられていた私は、信じられない話を聴かされた。

「………………人間じゃ、ない?」

 目の前にいる男は、金髪で朱い目をしている。
 それだけでも『人間とは思えない』ぐらい、美しい男性。腕を組んで、堂々と立っていた。路地裏に微かに入ってくる太陽の光りが、彼の美しい顔をうつしていた。

「あったりまえだろ。手足をバラバラにされて再生する人間なんているか?」

 ……。
 そんな人間、いるわけない……。

「う、そ」

 それが、目の前にいる男の正体という。

「なに、それ?」

 冗談にしては、出来が悪い。

「人間じゃないって言ったよね。……じゃあ、貴方はなに?」
「俺? 俺は吸血鬼だけど。人間流に言えばヒトの血を吸って生きる怪物かな」

 そう、淡々と言った。

「そう、吸血鬼なの」

 安心した。……けっこう分かりやすい単語でよかった。
 これ以上バカな事ばっか聞いてたら、こっちがおかしくなる。……いや、昨日の悪夢の時点でもうおかしいか。でも何で昼間から吸血鬼が動けるんだろう?

「じゃあ、何で吸血鬼さんが私に用なの?」

 男はびっくりして身を引いた。むっとした眼差しで私を見てくる。
 驚いている、というより呆れてるようだった。

「昨日、俺になにをしたか覚えてるのか? 君は見ず知らずの俺をバラバラに殺したんだぞ! 随分手慣れた様子だな。……可愛い顔して殺人狂なんて、俺も探すのに苦労したんだぞ。一体誰が吸血鬼の俺をバラバラに出来たとか」

 男は私をじろじろ眺めてくる。その視線に、敵意は感じられない。

「何、見てるの? 私に復讐しに来たんでしょ。なら」
「………………君、変わった子だな」

 そう、かなり変わったヒト(吸血鬼)に言われた。
 昔から……変わってるとはよく言われたものの、こんなヒトに評価されるとは思わなかった。
 だが、吸血鬼だと言っても……どう考えても、目の前にいるのは人間の男だ。

「―――なぁ。君、反省してる?」
「え?」

 思わず、聞き返してしまった。
 突然出た男の声が、あまりに、優しかったから。

「俺を殺しちゃったこと、反省してるかって。ゴメンナサイって言ってくれれば殺さなくてもいいかなーって」

 ……何。
 殺されたというのに、殺すために私を追いかけたというのに、この優しい声は。
 反省してるかって……。

「反省してる。私は、ヒトを、殺してしまったから」

 ―――ただ、自分の為だけに、ヒトを、殺した。
 理由もなく、一体それが本当に自分の為なのかも分からず……。

「貴方が生き返ったとしても、私が殺してしまった事実は変わらないでしょう? ……なら、罪を償う責任はある」

 もし、目の前の男性が人間だったとしても……。
 いつしか、罪を償う日が来るに決まっていたのだから……。

「―――君、いいひとだね」

 ……男は笑った。
 吸血鬼というのは、もっと恐ろしいものだと思ってたけど、彼は嘘をついてるようだった。

「……決めた。やっぱり君には俺の手伝いしてもらおっと」

 …………は?
 手伝いって、一体何を言ってるのだろう。

「……簡単に説明してよ」
「つまり、この街に根付いてる悪者さんたちを一緒に倒してくれー、ということさ」

 ……。
 ますます分からない。

「この街に住んでる子なら分かるだろ? 連続殺人事件って騒がれてる……」

 ……そういえば、この街で多くの被害者を出しているという連続殺人事件……あの事件の被害者は、全ての血液がなくなっていたとか……現代の吸血鬼とメディアでは騒がれていた。
 目の前にいる男も、自分は吸血鬼だと言った……。

「あ、違う違う。俺も吸血鬼だけど、その事件起こしたのは違う吸血鬼だ。それを退治するのも吸血鬼の俺なワケ。でも昨日、殺されて回復するのに力を使いすぎて退治が出来なくなっちゃったんだ。…………殺人鬼のおかげでね」

 男は目を細める。……今度は睨んでいるようだった。

「俺、こうして復元するまでは君を本気で殺すつもりだったんだ。ほんっっっっとぉに痛かったんだぞ! 痛くて気が膨れそうになるのに、痛いからまた正気に戻る。それを一日ずっと味わってたんだぞ。わかるか?」

 ……。
 ……わかりたくない。

「だから必死になって俺を殺したヤツを探した。それが女の子だと知ったときには驚いたな。普通の人間の男を捌くのだって女の子一人じゃ無理だと思ったのに、吸血鬼をバラバラに、十七等分にしたんだぜ? 君、何やったか本当に覚えてるか?」

 正確に言うと……覚えてないんだけど。
 でも、思い返したくもない……。

「……じゃあ、何で私を生かしておくの? さっさと殺せば?」
「……随分、強気な子なんだな。君」

 呆れて、呆れすぎて、男はまた笑った。

「時間が経つことに俺も冷静になったんだよ。吸血鬼の俺を殺すほどの力の持ち主、殺すなんて勿体ないだろう? なら囮にするには最適かなって」
「囮……」

 ……嫌な響きがした。

「ん、物わかりのいい子だな。んじゃ、宜しく」
「わかってないわよ! なんで貴方の味方にならなきゃならないの」
「…………ほんと、わかんねぇな。物わかりいいのか悪いのかどっちかにしてくれ」

 はぁ、と男はため息をついて、私の方に向き直る。

「俺は君に殺されたんだ。バラバラになった身体を元に戻すのは、かなりのチカラを必要とするんだ。君はさっき『罪を償う』と言っただろ? 復讐するかわりにどうやって償ってもらうと思う?」

 男の目は、真剣だ。その真剣さは……氷のように冷たい朱。

「…………俺の言う通りにしろって事さ」

 かなり、分かりやすく男は一つ一つ説明してくれた。
 だが、納得したくないことばかりだった。

「そんな、貴方を護るなんて力、ない……」
「嘘だな」

 正直に、自分を評価した。
 だが即答される。

「俺を確かに殺した。まさか攻撃しかできないってことはないだろ」
「そう、私は『壊す』ことしかできないの」
「その『壊す』チカラでもいい。俺が元のチカラを取り戻すまでな」

 男はしゃがみこんで、私に手を差し伸べた。

「俺の名前はアルクェイド。真祖っていう吸血鬼なんだけど、君は?」

 明るく自己紹介される。

「……」
「いつまでも座ってると汚いぞ。……ここ、ゴミ置き場みたいな所だし」

 やけに明るい声。思わず重いため息が出てしまう。

「シキ」
「ん?」
「名前は、遠野志貴。…………本当に何も役に立たない人間だから」

 ―――そう言って、私は彼の手を握ってしまった。

「宜しくな、志貴。俺を殺した責任、ちゃんととってもらうからな!」

 男……アルクェイドは、ニッコリと笑った。



 /5

「……で、どうするの?」
「何が?」
「だから、私は一体何をしたらいいの?」
「あー、もうあのマンションは敵にバレてると思うから、ホテルにでも泊まるかー」
「そうじゃなくて……。私はどうしたらいいの?」
「だから、ホテルにでも泊まるか」

 ……。
 …………。
 ………………。

「ふざけてるの?」

 むーっとアルクェイドは唸った。
 背も高いし、外見からして私より年上なはずなのに……小さい子のような感じがする。握られた手は大きい。が大人のような包み込むアタタカサはない。

「これから俺は敵に備えるため寝たいんだ。それなのに寝場所に行けないんだから、新たに寝床作るしかないだろ? それがどうしてフザケテルんだ?」
「だから! なんで貴方が寝るのに私までホテルに泊まらなきゃいけないの!? それ可笑しいでしょ!」
「可笑しくないだろ! 寝てる最中に敵に襲われでもしたら、君の出番無しに事が終わっちゃうだろっ」

 出番なんていらないんだけど。
 ……。

「いくらなんでも……家のヒトが心配するから」

 只でさえ、昨日迷惑かけたばっかりなのに、今日は他人の所に泊まりに行く……なんて知れたら。

「んじゃ、俺が夜、君を迎えに行く」
「…………絶対駄目」
「何で?」
「私の家のヒトに……バラしたくないから」

 んー、とまたアルクェイドは唸りだした。

「んじゃー、コッソリ、コッソリ迎えに行くから!!」
「迎えに来る時点ダメなんだから!」
「ったく、我が儘だなー!!」

 怒っていた。が、私に復讐する時の怒りとは違う。じゃれている犬……いや、猫のような……。

「…………あ」

 ―――咄嗟に自分の左腕を見た。正確には、左腕に付けた腕時計を見た。

「ん?」

 何してんの、とアルクェイドは脳天気に聞く。

「……………………」
「なになにー?」
「…………もう、二時間目が始まる……」
「なんだ、ニジカンメって?」
「学校……今から行ってもどうしようもないと思うけど…………」
「じゃ、行かなきゃいいのに」
「でも……これから夕方まで何してれば…………」
「あ、志貴!」

 アルクェイドは、私の肩にポンッと手を置いた。見上げて、やっとアルクェイドの顔が見える位置に。

「夕方まで寝てればいいんじゃないか?」
「…………はぃ?」
「んー、舌噛まないように気を付けてな……っ」

 なに、する…………の、と言いたかったのに
 ゴスッッ!

 ―――視界、反転。

「……大バカ…………」

…………ねぇ。
女の子にそのテは…………ない…………と思うん…………だ、け、ど…………。



 /6

 ―――殴られたお腹をさする。

「計算通りだな。まさか七時まで寝てくれるとは思わなかったけど」

 あの後。
 私を気絶させて眠らせた彼はは、この屋敷に私を寝かせて置いて…………去っていったらしい。

「サイテー……」

 で、本当に迎えに来るだなんて……。

「でさっ、この猫は俺の使い魔……って言っても正式じゃないんだけど。レンって言うんだけど、監視とかするのにいい役してくれるんだ。悪戯っ子なのが玉に瑕…………まぁ元々夢魔だからしょうがないけどな」

 ベラベラと、勝手に喋りまくる男。猫は窓際で丸くなっていた。……どう考えても普通の猫。
 そして、どう考えても普通の人間。……だが、勝手に二階の窓から入ってくるあたり、もう『普通の人間』とは言えなそうだ。

「ねぇ、一つ文句言っていい?」
「今日の君は文句言いっぱなしだけど。……で、何?」



「見張り用に私を雇ったのに、昼間ずっと一人で寝ていたなら意味無いんじゃない?」



 ……。
 …………。
 ………………。

「頭いいなー、君!!」

 …………いや、この吸血鬼の男がバカすぎるんだ。
 あんなに脅しておきながら、なんという無防備。

「ほらっ、ホテルに行くぞ」
「ここから、歩いていくの?」
「数秒で終わるから」

 アルクェイドは私に近づき、抱き上げる。

「!?」
「あー、怖くっても我慢してくれ」

 私を抱き上げて、窓から出て
 屋根に立つ……。

「へ!?」
「ぴょんぴょーんっで数秒でつくから。高い所苦手だったら目でも瞑っててくれ」

 最後まで言う前に、アルクェイドの足は一歩……いや二三歩目を踏み出していた。
 空の、上で。

「!!!」

 ―――悲鳴にならない。
 抱き上げられているとはいえ……彼の胸に、抱きついた。



 /7

 ―――気が付けば、見知らぬ部屋。
 ベットに、鏡に、テレビに……観葉植物に小さなバスルーム。ここは……

「俺が昼間寝ていたホテルだ」
「……」

 声が、出ない。
 あれから、1分……いや本当に数秒のことだった………………。

「屋敷、…………私の部屋……開けっ放しなんだけど……」
「それなら大丈夫。レンをおいといたから」
「……え?」

 アルクェイドは私を下ろし、背伸びをする。降り立ったココは、所謂『高級ホテル』の、最上階。つまり一番お値段が高い所……。そこまでジャンプしてやって来たなんて……。

「レンがあの部屋にやってくるヒトに幻見せてるだろ。大丈夫、特殊能力者じゃない限り騙せるって! アイツ、人型にもなれるから。いざとなったら変装してくれるだろ」
「そういえば…………あの猫、オスだった……よね?」
「まだ子供だからオスメスの区別なんてデキやしないさ!」

 ……夢魔ってそういう役割なんだ。
 説明して、男……アルクェイドはフカフカのベットに倒れ込む。

「なー、志貴。何か話そうぜ。何でもいいからさ!」

 ……こうして、夜は更けてゆく。
 しかし、

「……ホテルの女の子を招いといて、何にも思わないの?」
「なにが?」

 吸血鬼にはそういう観念はないようだ―――。

 ―――私は部屋のベットに腰掛け、同じくアルクェイドも隣に座っていた。
 ……時刻は、午前四時を過ぎている。特に目立った異常もなく、アルクェイドも緊張しているそぶりはなかった。
 あまりに平和な。
 今夜は何事もなく終わってくれると思った。

「な、志貴!」

 そして午前四時まで、アルクェイドは何度も何度も、飽きずにずっと私を呼びかけてきた。

「何、…………もう何時間も話したんだから、話すような内容はないからね」
「でもこのままボーッとしてるのも時間の無駄とは思わないか?」
「…………私は疲れたの。護衛といっても誰も来ないし。何より……六時間も話してれば誰だって疲れるんだから!」

 不満そうにアルクェイドはこちらを睨む。
 アルクェイドは疲れの色なんて見せない。彼は、飽きずにもう六時間も私に話しかけてくる。
 身体が弱ってるのだから眠ればいいのに『楽しいから』と言って話しかけてくる。疲れるし、喉もかれるし、お腹も減ってくる……。

「……はぁ」
「腹が減ってるなら何か食べればいいだろ。ルームサービス使えばいいのに」
「いいから。少しぐらいお腹が減ってた方が緊張感あっていいと思うし。…………貴方も弱ってるのなら何か食べたら?」
「志貴がしないなら俺もやめとく。普通の食事なんて一人で食べてもつまらないしな」

 ……。
 普通の食事って、普通って……。
 …………ああ、そっか。
 彼は吸血鬼だった。吸血鬼は『血』が食事なんだっけ。

「……そうだっけ。人間と同じ食事なんてしないんだよね……」

 彼は吸血鬼には見えないから、普通の人間だと思って話をしていた。
 でも、アルクェイドは違うんだ。人間がお腹を空かせて食べ物を食べるように、吸血鬼は血を吸うのが生命活動。なら、この人間らしい男も血を吸うのことになる……。
 ちらり、と男を盗み見る。
 ……想像できない。

「気になる?」
「な、なにが」
「俺がどれくらい血を吸ってるか気になるかって」

 アルクェイドの笑みは余裕に満ちていて、私の考えを見抜かれている。
 それは……勿論、気になる。アルクェイドが、どれだけヒトを殺し、血を吸ってきたのかを……。

「じゃ問題な。―――俺は今まで何人ヒトを吸ったでしょう?」

 ベットから立ち上がり、アルクェイドは窓まで歩いていった。
 にやにや笑って、黙っている私を愉快そうに眺めてながら……。

「…………万単位?」
「あー、ひでぇ。志貴、俺をそんなバケモノに見てたんか」

 バケモノ……って、存在自体バケモノじゃないか。

「俺、この八百年間一度もヒトの血を吸ったことないんだぞ」
「ふーん。答え全然違っ………………」

 ……え?
 それって…………。



「俺、血を吸うのが怖いから」

 吸血鬼は、吸血鬼らしくない台詞を吐いた。



 ―――どくん

「あ…………」

 いきなり、くらり、と微かに眩暈がした。



「ん? どうしたんだ志貴……」

 アルクェイドが窓から寄ってきた。アルクェイドが窓に背中を向ける。
 その先の暗闇の外に、―――鴉がいた。

「あれは……」

 ぼんやりと窓の外を見つめた。アルクェイドが振り返る。そして、……聞いたこともないような静かな声で、

「…………ネロ?」

と、誰かの名前を言った。

『イカニモ。ヨウヤク見ツケタゾ。真祖ノ皇子(みこ)ヨ』



 ―――何処からか、部屋に声が響く。
 アルクェイドの目が敵意に満ちる。
 窓の外の鴉は、クワァと鳴いた。

『コレマデダ。イマスグ、行クゾ』

 ―――鴉は飛び去ってゆく。

 あとは空に月だけが残った。
 ―――途端、ぐらり、と部屋が揺れた。

「きゃっ……………………!」

 ぼーっとしていたからか、ベットから転がり落ちる。これは、部屋が揺れたのではない。
 ホテル自体が、揺れた……?

 立ち上がる。
 立ち上がり、アルクェイドの隣に駆け寄った。
 ……アルクェイドは、黙っていた。

「…………」
「アルクェイド……?」

 何も言わず、
 ただ、暗闇の先を見つめていた。

「さ、さっきの地震は何なの……?」

 ひどい揺れがした。
 例えれば、ホテルのロビーにダンプカーが全速で突進してきたような。―――それでも、

「アルクェイド!」

 は、答えない……。ずっと、黙っている。何分経っても、何も答えてくれない……。

「…………わかったわ」

 ……このままでは埒があかない事に気付いていた。
 ポケットから、ナイフを取り出す。そして部屋を飛び出す。

「…………志貴?」
「私が様子を見てくるから。だから、貴男は休んでいて。……その為に私はいるんでしょ?」

 何か言いたげなアルクェイドを振り切って、私は廊下に出た。

 ―――廊下に人影はない。
 が、ガヤガヤ騒がしい。おそらく下の階の客たちが、さっきの地震はなにかと苦情を言ってるのだろう……。

「……っ」

 ナイフを持つ手が悴む。背筋が寒い。が、それを我慢して廊下を歩く。

 ―――どくん

「や……?」

 ……貧血。

「……」

 どうして、今?

 ……この感覚は知っている。
 あの、倒れるときの……貧血。

「いた……い」

 こんなときに、貧血なんて……
 あまりの痛さに、眼鏡を外した。

 嗚呼
 あの男を殺した時見えた、死の線が見える……………………。

 ―――エレベーターが見えてくる。
 下に下ってみようと思っていた…………のにエレベーターまであと数メートルでも、頭が痛くて前に進めない。

「はぁ……」

 息を吐いて、呼吸を整える。
 ……廊下に寄りかかる。
 ……下はざわざわしている。
 五月蠅いくらいに、ザワザワと―――。

 ―――キンコン、と軽快な音を立ててエレベーターが上がってきた。

「……はぁ」

 もう一度息を吐いて、……息を呑んで。
 扉が開くのを見た。
 鉄の扉が開くのを見つめていた。

 その中には
 数え切れない、ヒトの肉が。



 ……………………………………………………………。



「―――え?」

 ……エレベーターの中。

 紅い肉がぎっしり押し込まれている。
 その中で、犬ががつがつと何かを貪り喰っている。
 呼吸ができないほど、その光景。

「嗚………………」

 ―――否定したかった。

 ごぽと紅い液体が流れ出す。
 中には、血やヒト、肉や臓器、足に指、脳までが蠢いていた。
 耳を澄ませば、何かが聞こえてくる。

 たとえば。

 ゴリゴリとか
 タスケテとか

 ……。



 ―――私には聞こえた。
 何の音か何の悲鳴かわからない音が足の下から。

 私には見えた。
 ホテルの中に圧縮されたヒトたちが、生きながら食べられる絵が。



 エレベーターの中の犬が、こちらを見る。
 グルルル……とうなり声をあげて黒犬が走り寄ってくる。

「あ」

 私を、食べようとして
 突進してきた―――。



 ―――その時、私の身体は誰かの手によって後ろに引っ張られた。

「……っ!」

 声を殺す、声。
 ぞぷり、という変な音。
 その次にギャンッと犬が大きく泣きわめいた。

「なっ……!」

 犬は、頭を、抉られていた。
 指によって―――。

「ア、ル…………!?」

 アルクェイドの指が、犬の頭にめり込んでいた。
 液体を流して倒れる犬。その血を振り払う、アルクェイド。

「……ナイフはどうした?」

 静かな声で言った。

「あ、……………………あった」

 握っていたはずなのに、全然使おうとは思わなかった。構える事も忘れて、犬が突進してくるのを見ていただけだった。

「俺がいなかったら死んでたぞ」
「ん……」

 ……もし、アルクェイドが来てくれなかったら、本当の、罪の償い【死】になってた……。

「でも、犬が駆け寄った時……どうすればいいか分からなくて…………」
「……」

 アルクェイドは黙って、エレベーターの方を見ている。扉は閉まっていた。きっと下の方に行ってしまったからだろう。エレベーターの前は……朱い海と化していた。

「…………使えないか」

 とポツリ、アルクェイドが呟く。
 ……一体何に対して言った言葉だろうか。

「……ねぇ、アルク、これって、……貴男の敵のせいなの?」
「そうだ。さっきの鴉の……主が」

 ―――キンコン。



 重々しい空気の中、似つかぬ音がした。
 エレベーターの音。誰かが、上に上がってきたという音。背筋が、ゾクリとする。
 ―――扉が開く。

「あ…………」

 その中には、一人黒いコートを着た男がいた。

「あのひと……」

 何処かで、見たことがあった。
 男は、無言で向かってくる。
 あの男は……

「………………」

 アルクェイドも無言で男を見ている。
 ……ナイフを構えて、男を睨んだ。
 あの男は……夜、遠野の屋敷の前にいた……?

「―――」

 ナイフを向けるも、男はまったくの無反応で、―――ただ歩いてくる。
 そしてアルクェイドに倒された、廊下に転がる犬を見る。

「―――役立たずが」

 不快そうに呟いて、男はざあっと腕を上げた。
 コートがマントのように持ち上がる。黒い犬は、コートの中に液体になって入っていった。

「あ……?」
「……………………」

 ……何が起こったか分からなかった。
 だがそれを問う事も出来ない。男は無言で、アルクェイドを見ている。

「……信じられねぇな。混沌とも名付けられた吸血種がこんなゲームにのってくるなんて。悪い夢だよな―――ネロ・カオス」
「……同感だな。私も真祖の皇子を捕らえる執行者になろうとは夢にも思わなかった」

 ネロ、と呼ばれた男は静かに腕を下げた。
 男はアルクェイドしか見ていない……。

「―――しかし、これはどういうことだ? 前の執行者は傷一つつけられなかったという話だが、それはどのような間違いなのだ」

 感情のない目で、アルクェイドの腹部を見る。……白い装束が、赤く真っ赤に染まっていた。

「あっ……!」

 傷口が、開いている……!?
 男は微かに目を細めると、―――くるりと後ろを向く。

「―――このような極東の地に埋葬機関が派遣されるとは思わんが。だが、勝機があるうちにその首を貰い受けるのみだ」



 ナイフを構える。が、男は首を貰うと言ってるくせに、エレベーターで去っていく。
 ……なん、で?

「朝………………か」

 アルクェイドが、今にも消え去りそうな声で呟いた。

「アルクェイド!?」
「もう朝だもんな……死徒には厳しい時間帯だ…………」

 どん、とアルクェイドが寄りかかってきた。途端

「あ……」

 ぬめり、と何かが手についた。もちろんそれは、朱い、血……。
 ―――酷い傷だった。咄嗟に止血をしたが、顔はどんどん苦痛に歪んでいく。

「はは、……あれくらいすぐ避けられると思ったけど……。志貴の傷がまた痛んでやられちった……」

 冗談に、アルクェイドは笑おうとした。さっきまで男に向けていた殺意に満ちた目はどこにいってしまったのか、わざと明るくしようとしている目は、…………見ていて痛かった。アルクェイドは私に身体を預けて、目を閉じようとした。

「ちょ、ちょっと待って! 吸血鬼は夜なら死なないんでしょ!? こんな所で目を……閉じたら!」
「そうなんだけどな……限界みたいだ」
「な……」

 がくん、と体重がかかってくる。
 そんな、……こんな所で、死なれたら……!

「アルク―――!」

 静かに目を閉じたアルクェイドに呼びかける。
 と、

「くー」

 なんてとても幸せそうな寝息が聞こえてきた。

「………………」

 その幸せそうな顔の……白いほっぺたを思いっ切り抓った。
 何度も、何度も、ぐりぐりと。
 ……が、目を開けない。

「……心配して損した……」

 はぁ、と私はため息をついた…………

 ―――どくん

「……っ」

 ……視界が、ぐらぐらする。
 だが、こんな所で私も倒れてはいけない。こっちも、寝たい……けど……。

「……アルクェイド……重い」

 そう言うと、眠っているにもかかわらずアルクェイドが少し立った気がした。アルクェイドに肩をかし、フラフラと歩き出す。でも……やっぱ重い。アルクェイドのように、抱き上げて行くことなんて出来ない。

「……どうしよう」

 ……それより、これから何処に行ったらいいんだろう? このホテルには居られない。だが遠野の屋敷に連れて行くわけにも……。

「あそこしか、ないよね…………」

 私はアルクェイドを抱いて、―――あるヒトの所に電話をした。





if 昏い傷痕/1に続く