■ 「窓の外、墓地に佇む彼を抱いた。」



 /1

「ライナーが死んで、僕はそれまで以上に空虚な人間になった。僕の手を引いてくれた人がいなくなって、どうしたらいいか判らなかったよ」

 ベッドに腰掛け、冷えた自分の体を抱きながらベルトルトは語る。
 遠くで姿を見ているだけのときは、その体格の良さから無骨な男だと思っていた。だが隣で腰掛けている彼は、年よりもずっと幼く思える。今にも崩れ落ちそうな儚さを身に纏っていた。
 狭い私室のベッドに、俺とベルトルトの二人が座る。ベッドだけで部屋の大半が埋まるような狭い部屋だ。大男であるベルトルトを連れ込むには無理があった。
 だとしても、雷が鳴り響く悪天候の中で彼を放っておくことはできなかった。

「今だって僕は必死だ。一人で立つことだって必死なんだ。いつ倒れたっておかしくないぐらい必死なんだよ」

 外は未だに大雨が降り続いている。こんな雨だからベルトルトも気分が沈んでいるのか。そう思って「あまり必死には見えないぞ」と茶化してみた。
 するとベルトルトは自分の膝を見つめ、薄く笑った。初めて見る彼の微笑みにドキリとした。近くで彼の笑顔を見たのは初めてだったし、こんな表情をする男だとは知らなかったから余計に動転してしまう。
 話し掛けたこともない、窓から見ているだけだった彼のことを、背格好のせいか大人ぽい奴だと思っていた。だから穏やかな笑い方についドキドキしてしまう。

「僕が倒れずにいられるのはアニのおかげだ。アニのことは覚えてないかな?」

 ベルトルトはアニという少女の特徴を挙げていった。
 半年前まで訓練兵団に所属してはいたが、残念ながら俺には覚えがない。男子ならともかく性別が違えば訓練所で関わる機会も少なくなる。あまり話したことがない女子だったようで、半年前の記憶から外れてしまったようだ。
 すまない、覚えていない。素直に言うと「無理もないよ……」とベルトルトも首を振る。

「ライナーは、僕が憲兵団に行くことを望んでいた。二人一緒に内地に行って今より良い暮らしをしようって、僕達なら憲兵団に行けると言ってくれて……。ライナーなら大丈夫だった。僕もライナーと一緒なら平気だと思っていた。早く二人で内地に行って、安全な生活を……。だから訓練兵になったんだ」

 危険から逃れるために危険な兵士になるというのも、おかしな話だ。
 だが訓練兵団を好成績で卒業すれば巨人から遠のけることは、誰もが知っている。自分が内地に勤務できるだけでなく家族も連れて行けるのだから、少し見込みがあるなら本気で上位者を目指す若者も少なくない。
 俺も訓練兵だった頃は、そのことを念頭においていた。今だって出来るなら内地に両親を連れて行きたい。けれどそんなこと、臆病風に吹かれて退団した俺には無理な話だった。

「ライナーがいなくなって……僕は、生きる目的を失った。どうすればいいか判らなくなった。だってライナーは僕を導いてくれていたから、ライナーが死んだとき僕もお揃いになろうかって本気で考えて……。それを止めてくれたのが、同郷のアニだった」

 苦笑しながら話すベルトルトの肩は、今も小さく震えている。
 ベッドの上で彼は自分の膝を見つめて語る。俺はその肩に毛布を掛けてやった。震えているのは長時間激しい雨の下に居たせいでもある。そうでなくても、ベルトルトの震えを止めてやるには時間が掛かりそうだった。

「アニは恥ずかしがり屋だから、僕らと同郷であることはみんなに秘密だった。でもその秘密をみんなに明かしてまで、アニは恥を捨てて僕の面倒を見てくれた。……『ライナーに行けと言われたことを諦めるな』って。堂々と元気づけてくれたんだ。情けないよ、僕はこんなに大きな体をしているのに女の子に気遣われて。……彼女のおかげで、僕はライナー無しでも頑張ることができた」

 結果、彼は『憲兵団行きが確実』になったという。
 その証明がテーブルの上に置かれたもの、雨に濡れたあの書類だ。
 先程濡れた彼の手から俺が強引に奪って乾かしている真最中のあれは、簡単に言えば『内地に家族を連れて行くための申請書』だった。
 憲兵団行きが確定した成績優秀者のみに配られるとても貴重な書類。なのに、大雨で濡れてグシャグシャになっている。誰もが喉から手を伸ばしてでも欲しい物だが、ベルトルトには価値を見出せず、ただの紙に過ぎなかった。だからあんな雑な扱いをされている。
 彼には家族がいない。一緒に内地へ行こうと言ってくれた親友も失くしてしまった。家族を連れて行けるチケットがあっても、渡す誰かがいないんだという。

「ジャンって同期がいたのは覚えている? 安全な内地に住むのが夢だって言ってたね。今日、その書類を渡しに行ったんだって。両親を連れて行くんだって。……僕もそんな人がいれば良かったんだけど。家族と言えば……僕には、ライナーしかいなかったから」

 かつての親友と『憲兵団に行く』と誓って、無事その約束を果たしてしまったベルトルト。それだけの才能があり、努力もした。だが目標へ到達してしまった途端、虚無感に襲われてしまったのだろうか。
 ベルトルトは、ライナーという男と行きたかった。ライナーと共に生きたかった。目の前の目的を果たしてしまった彼は、これからどうすればいいのか判らないと頭を抱えた。

「……どうして、ライナーは僕を置いていってしまったんだ?」

 唐突に、ベルトルトが俺に抱きついてきた。
 突然だった。隣に座っていたとはいえ、まさか大男に押し倒されるとは思ってなかった俺は、ベッドの上に転がってしまった。
 押し退けようとしたが、胸の中で涙を流している姿を見て硬直した。俺に覆い被さり、泣きじゃくり始めてしまう。苦悩に濡れたベルトルトの髪に、俺はおそるおそる触れた。

「ライナー、どうして、僕を置いていったんだ。一緒にいてくれるって約束したのに。僕を守ってくれるって言ったのに。……ライナー、どうして……」

 そんなことを俺に言われても。口から出かけたが、ぐっと堪える。
 ベルトルトだって俺に文句をぶつけても何の解決にならないことだって判っている。今はただ、爆発したいだけ。親友のライナーを失って半年、我慢していたものを晒し出したいだけなんだ。
 見知らぬ男だというのにベルトルトは胸を借りて、外の雷に負けないぐらい大声で泣き始める。たとえ外の雨がやんだとしても、まだ訓練所へ帰すことができそうにないぐらい涙を流した。

「ライナー、ライナーッ……」

 訓練兵だったときは知らなかったが、ベルトルトとはこんなに幼い男だったのか。涙を流し、愛した人の名を叫び震える。
 その姿は、今期次席の成績で卒業する男だとは思えない。
 支えを亡くした人間はこんなに弱々しいものなのか。こんなにも胸が苦しいものなのか。あまりの哀れさに、俺は言葉を失くす。
 そして、彼を抱き締めずにはいられなかった。



 /2

 俺の家は共同墓地の眼前にある。ここは墓地の前ということで安く買った新居だ。
 母はウォール・マリア崩落時、実家のシガンシナから家財を持たずトロスト区まで逃げてきた。唯一持ってきた物といえば、巨人に喰われた息子の片腕だけだった。
 心を病んだ彼女は息子の腕をなかなか手放そうとしなかった。痺れを切らした彼女の旦那は墓地に近い家を買った。母は毎日墓地に挨拶をしに行けるようになり、心の安定を得たおかげか今は健康的に俺を育てながら過ごしている。
 俺も十四歳のときに訓練兵団に入った。だが二年を過ぎた頃に心を病み、兵士を続けることは不可能だと判断され、退団することになった。今は心優しい母に拾われ、運良く商人になるべく勉強中だ。
 この半年間でようやくトロスト区の商売事情に精通してきた。だがまだ両親の家業を継ぐことはできず、「早く親孝行がしたい」と思いながら毎日机に向かい、勉学に励んでいる。
 そんな俺の部屋の机は、共同墓地がよく見える位置にあった。
 今日も両親が墓地に挨拶をしに入って行く姿を窓から確認した。同じように、霊園に入って行く人間をチェックするのが俺の勝手な日課になっていた。

「ライナー……。ライナーのせいだ。ライナーさえいなくならなければ僕は、僕は、ううん、僕のせいだ。ライナーが死んだのは僕のせいなんだ。僕が……。これから僕だけで何ができるって言うんだ……」

 ある日、何気なく窓の外を見たら、霊園の前にとある少年が立っていた。
 訓練兵時代に見たことのある彼の名前は、ベルトルト。そのときは「誰かの墓参りか」と特に気にしないでいた。そのうち彼は、訓練が休みの日になると必ず現れるようになった。
 二年だけ訓練兵団にいた俺だが、ベルトルトについて覚えていることは無い。兵団の中で特に背が高いということと、あまり喋るのが得意ではなさそうな顔をしていることしか知らなかった。
 話した覚えもないので性格や過去も知らない。だから彼が共同墓地に休みのたびに現れる理由も、霊園に入らず入口に佇んでいるだけの理由も、暫くしたら泣きそうな顔で帰っていく理由も判らなかった。
 訓練休みが訪れるたび、俺は彼の悲痛な姿を窓から眺めていた。
 俺の家の前で立ち尽くすベルトルト。霊園の中には入らず、苦しい顔のまま去っていくベルトルト。それでも休みの日になると、必ず共同墓地の前に現れるベルトルト。
 そんな彼を半年間窓越しに見てきて、気にならない方が無理だった。
 彼が亡くしたのは家族なのか。戦友か。どんな人を想っているのか声を掛けてみたかった。でもあまりに悲しそうな顔でいるから、なかなか声が掛けられない。かと言って、見て見ぬふりもできなかった。

「アニが慰めてくれたけど、やっぱり僕にはライナーが必要だった。もう一度僕はライナーに会いたかった。休みのたびにここに来れば会えると思って……だけど、来ても『僕がいてもライナーは喜ばない』って思うと……。何もできなかった」

 ずっと俺は長い間、家の窓からベルトルトを見ていた。遠くから見ているだけだった。本日どうしてベルトルトに声を掛けられたかというと、突然雨が降り始めたからだ。
 どしゃぶりにも関わらず俺の家の前で立ち尽くすベルトルトを見て、居ても立ってもいられなかった。傘を渡すだけでなく、腕を引っ張って部屋に連れ込んでしまった。
 ずぶ濡れになってまで会いたい人がいる彼。それでも会えずに心を痛める彼。そんな彼を放っておくことなんてできなかった。

「それでも……僕は、ライナーに会いたくて……。ライナー、ごめん、そう言いたかった……でも、僕に謝られたってライナーはきっと……!」

 元同期で縁の無い男の家なんて寄り付きたくないだろう。だけど、豪雨の中で放っておくことはできない。
 冷たい体を拭いてやって、訳を聞いていたら、こんなことになってしまっている。
 後悔はしていない。面倒だとも思わない。親友を失くして涙を流すベルトルトをなんとか慰めてやりたい。ベッドの上で俺は彼を抱きしめる。覆い被さるベルトルトの髪を撫で、気が収まるまで待ってやることにした。

「ライナー……ごめん。ライナー、僕は……君と、ずっと一緒にいるだけで良かったんだよ……君と故郷に帰る……僕の願いはそれだけだったのに」

 彼と彼の親友の間に何があったのか。想像がつかない。
 ベルトルトがどれほどライナーという男を信頼していたか、愛していたか、俺には判らない。
 彼らの関係を知らない俺は、いなくなった親友を想い嘆くベルトルトに何を言ってやればいいか判らない。とにかく今は、嗚咽する彼を落ち着かせたいと思うだけだった。
 自分をおいていった親友への怒り、自分のせいでいなくなったという親友への謝罪、後悔、苦悩、深い愛情、重い雨音、未だ冷たい体、溶けない心。……彼を苛むものを拭ってやりたい。何でもいい。どれか一つでも取り除いてあげたくて、彼へ身を寄せた。



 /3

 今度は、俺が彼を押し倒す番だった。
 ベルトルトの服を脱がして、うつ伏せに寝かせる。その上に覆い被さって、至るところを刺激していく。
 いきなりの行為だというのにベルトルトは暴れて逃げようとはしなかった。許可なく性感帯を刺激しても、ケツの穴に瓶を突っ込んで油を注いでも、ベルトルトは俺から離れていくことはしなかった。

「っ……。雷……近くに落ちたね。ぁ……僕、雷が苦手なんだ……子供みたいでおかしいだろ……?」

 啜り泣く彼の息遣いが、俺の狭い部屋を満たしていく。
 ベルトルトの熱い吐息を堪能しながら「雷が好きな奴なんてあまりいないだろ」と言うと、早速雷が落ちた。ベルトルトが大きな体をビクリとさせる。震わせながらも腰を上げ、臀部を突き上げながら両脚を開いていった。
 ろくに話もしたことのない男に犯されそうになっているというのに、ベルトルトは中へ「早く」と俺を導くかのようにケツを上げる。
 俺は油で濡れたベルトルトの尻穴に、ゆっくりと指を沈めていった。ぬるぬるになったそこは抵抗なく奥まで進んでいく。多少の違和感を抱いていると、また雷が落ちた。あまりの衝撃に俺ですら飛び跳ねてしまい、つい「六月なのに酷い天気だな」と不安に口を開いてしまった。

「ぅうっ、ん……。雷は、六月にも落ちるものだよ……。僕が小さい頃、故郷にいたとき……同じ六月に、こんな天気の日があった……」

 「よく覚えてるよ」と、ベルトルトは俺が毎日使っている枕に顔を突っ伏しながら言った。
 どうしてそんなことを覚えているんだ。尋ねると、「ライナーにプロポーズされた日のことだからね」と小さく口を開く。

「あの日も大嵐で……ぅ、んんぅっ……。あ、あまりに、僕が雷に怖がるから、ライナーが、一緒に寝てくれることになって……。こ、怖くてベッドの中で、ずっとライナーにしがみついていたんだ……。んあ、ぁ、ライナーは、文句一つ言わないで……僕を、ぁ、あ、抱き締めて、くれた……」

 受け入れることを望んでいるように、膝をついた両脚は情けなく開いている。油まみれの指で乱暴に弄りまわされ、ベルトルトの尻穴はすっかり性器と化してしまっていた。
 違和感の正体は、彼の慣れだった。いくら俺が愛撫したとはいえ、すんなりと男のモノを受け入れる程か。話しぶりからして半年前に愛する人を失くしたらしいが、それ以降も誰かとセックスを続けていたのだろうか。
 半年間、自分で自分の体を慰めていたのか。それとも俺のような男色家を見つけて抱かれていたのか。墓地の前に佇んだ後、夜には街に繰り出していたのだろうか。男に抱かれて兵団の宿舎に戻り、憲兵団入り間違いなしの優等生を演じていたのか。
 真実は判らない。だが考えれば考えるほどゾクゾクと興奮してくる。なんてこいつは魅力的なんだろうと、余計にベルトルトの中へ入り込みたくなった。

「んううぅっ。……怖くて、凄く怖くて。ライナーに大声で助けてくれって泣いていたら……ライナーは、傍にいてやるから、どこにも行かないから、守ってやるからって言ってくれて……ひぅっ!」

 ベルトルトは思い出話をしていなかったら「早く、早く」と口走っていたかもしれない。それぐらい俺を容易に受け入れようとしている。
 よく知りもしない男を犯そうとしている俺も俺だが、受け入れようとするベルトルトも相当な男好きだ。

「僕も夢中で……ライナーに傍にいて、どこにも行かないで、ずっと守ってくれって泣き喚いて……。まだ雷は鳴るし、怖くて……そしたらライナーも怖がって、大声で泣きながら……一生傍にいてやる、どこにも行かない、ずっと離さず守ってやるから安心しろって……言ってくれたんだ……」

 指を深くまで沈ませ、くりくりと腸を弄る。激しく水音が立った。くちゃくちゃと中を軽く抉るとベルトルトの腰が踊る。「うああっ、んああっ……!」 枕で口を塞いでいても、卑猥な感情が宿った声は消すことができなかった。
 気を良くした俺は、堪らずベルトルトの中を二つの指で広げていく。ぐちゅっ、ぬちゅっと淫らな油の音が立ち、同時に漏れていく艶やかなベルトルトの声を味わった。

「僕が泣き叫んでいたらライナーにも伝染しちゃって……ん、あっ……ライナーも泣きながら僕を守る、俺が守ってやるって……叫び始めちゃって……あは、はぁ……そんなライナーを見てたら、急に冷静になっちゃって……なんだかそれって、プロポーズみたいだよって……言っちゃったんだ……ぅうん、ぁ……」

 さっきまで恨み節を綴っていた男の低音が、艶かしい肉声を奏でていく。
 子供が二人で寄り添い、激励し合って夜を凌ぐ美談が台無しになってしまいそうなほど、ベルトルトは波打つ快楽に蕩けていった。

「そしたら……ライナーも冷静になっちゃって……お互い、さっきまで泣いていたのに、いつの間にか笑い合っていた……。ベッドの中で、抱き合って泣いていたのが、笑いながら抱き合っていたんだ……。ぅ、うううんっ……僕達、同じこと、何度も言ったよ……何度も同じこと叫んでいた。言い足りなかったぐらいだ……」

 ――傍にいて。傍にいてやる。
 ――どこにも行かないで。どこにも行くもんか。
 ――僕を守って。俺が守ってやる。

 嬌声に混じって遠い過去を語るベルトルトは、別人のように穏やかだ。
 泣きたくなるぐらい切ない。怒りと後悔にまみれた話の後では、信じられないぐらいだった。

「んぁっ、ふああ……! よく、覚えてる……。ライナーは、僕の言葉に頷いてくれて……。これ、プロポーズにしようかって、言って、んぁ、くれて、んんぅ……。部屋には僕達しかいなかったし、誰も見てなかったけど、んぅんっ、夜……僕達は、ベッドの中で、結婚式をして……」

 思い出語りとは裏腹に、甘い声は漏れ続けている。
 ベルトルトが強い快楽を感じきっているのは明白だ。それでも心地良い過去に酔いしれることをやめはしない。
 顔を背け、晒しているうなじを舐め回すと、俺は狙いをつけてベルトルトの中に突き挿れた。

「ぃ、いいっ……! ライナーっ、ライナー……はああっ、もっと……!」

 かつて愛し合っていた男の名を呼びながら、ベルトルトは腰を持ち上げてきた。
 ライナーという人物は自分を導いてくれた唯一無二の親友だけではなく、ベルトルトにとっての男だったらしい。
 そういえば自分は名乗っていなかったことに気付き、耳元で自分の名前を教えようとした。

「ああっ、ライナー、ライナー、どうして、僕をおいて……ぅ、んんんああ……!」

 だが、きっと俺の名前なんてベルトルトの耳には届かないだろう。
 俺の枕に涙と涎をボトボトと零し喘ぐ彼に近付けた唇は、耳ではなく再びうなじへと狙いを定めることにした。

「ひっ……! んん、うう……ライナー……ごめん、ライナー、僕は……。はあ、あ、んあっ、き、きて……もっと、僕の、中に、ライナーっ」

 敏感なところに口付け、俺は叩き付けるように腰を押し出す。
 枕に顔を突っ伏していたベルトルトが、チラリと背後の俺の顔を見た。涙と涎だけでなく、鼻水まで垂らしていた。心から快楽に酔っている顔だった。
 そんな顔を見せつけられては我慢ができない。焦らしは不要だ。低い声が甲高く声を上げるまで、亀頭を突き立てた。
 最奥を歪めるほど叩きつけて、後はリズム良くピストンを開始する。
 俺の野太いモノが、濡れた性器と化したベルトルトの口を出入りしていく。甘い声がもれ続ける。引き裂かれる圧迫感に嫌がることもせず、次第にベルトルトは一体化を望む声を出し始めた。

「おねがい、もっと……いかせて」

 後ろからぐちぐちと突かれて妖しく悶え始めたベルトルトが、感じきった声を次々出していった。
 何度も俺は突き上げた。その責苦は長かったかもしれないし、短かったかもしれない。どれくらい責め立てたか時間を忘れるぐらい、無我夢中になって男を犯してしまった。
 ベルトルトの全身が痙攣し始める。「ふあ、ああ、あああ」 切なそうに鳴く彼をもっと快楽で溺れさせたいと、小刻みに肉棒を動かしてやる。
 欲情しきった俺は寸前になるまで堪えた後、体を密着させると、思いきり彼の中へドロリとした熱い液体を注ぎ込んだ。

「い、く、いくううっ、んううう……!」

 ベルトルトは一気に絶頂に向かっていく。声を引き攣らせ、身体を存分に震わせていた。
 大きな体が歪んだような気がして、一心不乱に射精してしまったモノを引き抜く。ドロドロの白い汁がベルトルトの内部から流れ落ちていった。
 呆然と熱い息を吐きながらビクビクと悶えるベルトルトを見つめていると、また窓の外で雷がズドンと落ちた。
 お互いビクリと体が跳ねる。快感の震えではない動きに、つい俺達はブッと吹き出さずにはいられなかった。

「……結婚式……」

 よがり狂った後も、ベルトルトは話を終えない。

「……したんだ。結婚。……外は雨と風と雷で、家が吹っ飛んじゃうかもしれなくて……もしかしたら明日死ぬかもって思って。だから……ずっと二人一緒にいられるよう、約束しようって……一生を誓おうって。……最初に言ってくれたのはライナーだったな」

 優しい記憶に酔い、激しい快楽に身を任せる。
 大きな体に反して幼げな表情で過去を夢見る彼は、淫靡な声を出しながら心地良さそうに横たわった。

「綺麗な服を着た訳でもない。指輪も花もご馳走も無い。ただ『俺達は一緒だ』って言い張って……キスをした。それだけの結婚式。……誰も見ていない、記録も無い。僕達が結婚したことを証明するものなんて何も無い。……誰も知らない、僕だけが覚えている結婚式……。でも、僕には何よりも大切な故郷の思い出だったんだ」

 穏やかに語ってはいるが、体は先程の絶頂に耐えきれず震えていた。アンバランスな光景だ。苦しみ悦んでいる筈なのにどこかおかしい。俺は妙な気分になった。
 そう、できれば絶頂に喘いで疲れ果てて眠ってほしかった。暖かくても辛い過去なんて忘れ、いっときの快楽に身を委ねてラクにしてやりたいと思っていた。
 それなのにベルトルトは、未だに幼い頃の優しい記憶を口走っている。セックスをして苦悩から解放してやりたいと思った微かな目論見は、どこを取っても成功しなかった。
 途端、嫉妬心が俺の体を巡った。こんなに俺が抱きしめても、ベルトルトはライナーの名前を叫ぶ。当然だ、俺は見ず知らずの元同期で、行きずりの男に過ぎない。結婚までした彼の想いを断ち切ることなんてそう簡単にできる筈がなかった。
 でも、俺にも何かができるだろうか。だってもうライナーはいないのだから。たとえ彼が悲しんでいても、ライナーはベルトルトの隣にいないのだから。
 俺だけが気持ち良くなっている場合じゃなかった。どうにかしてベルトルトを慰めてやりたい……。愛する幼馴染の話を聞きながら、そればかり考えてしまっていた。


 /4

 兵士になれば年に数回の死だけでは済まされない。一度に何十人も死ぬ日々が待っている。その覚悟が無ければ、戦場なんて立っていられない。
 やらなければ殺される。殺さなければ死ぬ。容赦はいらない。技術を磨き続けなければいつ狩られるか判らない。そんな死線を潜り抜けなければならなかった。
 俺にはその覚悟が無かった。些細なことで同期が、友人が死ぬ。遠い世界の人々が今までいっぱい死んだ。そして近い世界の人々がこれからいっぱい死ぬ……。
 いつかは直面しなければならない問題だったが、俺の心は耐えられなかった。そんな状態では戦えない。あまりのショックで学んだことを忘れた俺は、訓練兵を担当する軍医から「お前は兵士に向かない」と診断されてしまった。
 努力して身につけた技術が使い物にならなくなり、詰め込んだ知識も頭からすっぽり抜けてしまった。一から学び直すこともできないぐらい、俺は俺でいられなくなった。
 兵団を退けと言われた。世話になった教官も友人達も、それがいいと薦めてくれた。そもそも無力になった人間を賄えるほど兵団は優しくない。当然の判断だった。

「ねえ。君は……平和に生きたい人なんだよね」

 俺の隣で横たわっている彼は、あと数日もすれば優秀な兵士として内地に向かう男だという。彼は恵まれた能力を持ち、認められた。俺とは住む世界が違う人間だ。
 けど、優秀な人間だとしても強い人間ではない。だから不安になる。
 ベルトルトはこれから先、無数の大きな敵と戦えるのか。彼を一人にしていいのか。誰かが支えてあげなくていいのか。彼を見ていると胸が締め付けられる。
 だからと言って、俺がどうこうできる問題ではなかった。
 心が弱くて兵団を退いた俺には、か弱そうでも秘められた力を持つ彼を支えてやる自信が無かった。

「ねえ。これ、あげるよ。貰ってくれ。僕には必要無いものだしね……」

 起き上がったベルトルトは俺に脱がされた服を着るなり、テーブルの上で乾かしていた書類を指差した。
 成績優秀者だけに送られる、内地移住の申請書。喉から手を伸ばして欲しいと思った物じゃないか。「こんな大切なもの……」と一度断った。するとベルトルトは水気を払った外套を羽織りながら、「あとは捨てるだけのものだから」と手に取ろうともしなかった。
 窓の外はまだ暗かったが、雷はやみ、しとしとと静かに雨音がする程度だった。これなら訓練所に戻れそうだからとベルトルトは出て行こうとする。
 俺は出口に向かう彼の腕を引いた。
 彼を見つめていると、なんだか胸の奥が熱い。懐かしの初恋を思い出すようだ。
 顔が赤くなっているのを隠しながら、「せめてシャワーを浴びて行けよ、中にまだ出した俺の精液が残ってるだろ、腹壊すぞ……」と笑い話のように冗談めかして言う。するとベルトルトは静かに笑って、何故か首を振った。

「このままでいたいんだ」

 そんな殺し文句を口にしながら。

「早く君の家族を連れて内地に行くんだ。そのうちトロスト区も危なくなるから。また巨人が壁を壊してくるだろう。君が生きたいなら、それを使って生きて。……生きてほしい」

 シャワーを浴びていく理由に何もなっていない言葉を吐いて、ベルトルトは俺の制止を振りしきり、出て行ってしまった。
 残されたのは書類と、呆然と立つ俺。追いかけようとも思ったが、おそらく何を言っても曖昧に返事をされるだけだろう。俺は去って行った方角へ、「ありがとう、ありがとう」と何度も頭を下げた。
 ぼうっと滲みの付いた天井を眺めていると、豪雨で帰れなくなった両親が帰宅した。
 父が浴室に向かい、母が一息入れているところに「さっき、訓練兵団時代の同期が遊びに来てたんだ」と話した。

「そうかい。そろそろ退団式の時期だからねえ。みんなバラバラになっちゃうんだねえ。仲の良かった子にお祝いを持って行ってあげな」

 母は笑いながらも、とても悲しそうな声で言った。
 そんな母に、ベルトルトが置いていった申請書を見せる。目を見開いて驚き、何度も自分達が使っていいのかと尋ねて……涙を流しながら喜んだ。
 この半年間、初めて親孝行ができた気分になれた。俺の力で得たものではないが、今後一生これほどのプレゼントはできないだろうから、素直に彼女が喜ぶ顔が見られて嬉しかった。

「後でそのベルトルトって子に会わせてちょうだい。ちゃんとお礼をしなきゃね。その子も家族がいないのね。……だとしたら、これを使わせてもらった私達とその子は家族だね! そうだ、あんた、その子と結婚しちゃいなさい。こんないいことしてくれるんだ、悪い子じゃないよ。それにその子は……あんたに『生きてほしい』と思ったから譲ってくれたんだろ。優しい子だね。今後もその子のこと大切にするんだよ」

 冗談なのかマジなのか、まさか「結婚しろ」と言われるとは思わなかったので、俺は思わず大口を開いて笑ってしまった。
 しかし驚いた。母は兵士が苦手だから施しを受けたと知れたら嫌がるかと思った。なのに、こんなに喜んでくれるとは。
 というのも、彼女の実の息子が調査兵団だった。壁外で勇敢に戦ったが、片腕しか帰ってこなかった兵士だった。五年近く経った今も彼の体は壁の外。息子と過ごしたシガンシナの地にも帰れない。これでまだ兵士が好きだと言える方がおかしい。
 それでも、彼女は優しい人だから……心を病んで全てを忘れ、本名さえも忘れて、使い物にならなくなった俺を養ってくれた。「姓が同じだった」という理由だけで身よりの無い俺を引き取り、家族として母と呼ぶことを許してくれている。
 帰る場所が無くて開拓地送りになる筈だった俺を平和に過ごさせてくれているのは、この女性のおかげだ。兵士に深い感情を抱いているくせに、こんなに元兵士の俺を愛してくれる。俺は何が何でも彼女に親孝行をしてやりたかった。
 俺は運が良い。兵士になることを夢見たが失敗して、それでも家族を手に入れて、彼女が愛したモーゼス・ブラウンの名を名乗ることまで許されて、活気づくトロスト区で平和に暮らせて。両親を喜ばせるチケットまで手に入れて。本当に運が良い、幸せ者だ……。
 この幸せを、少しでも……ベルトルトに分けてやりたいと思った。彼に俺がしてやれることなんて何も無いと思ったが、これだけ幸せを持て余しているぐらいなんだ、ほんの僅かな親切ぐらいしてやれるかもしれない。
 冗談ではなく、本気で「ベルトルトと家族になりたい」と思ってしまった。

「え? その子、今さっき出て行ったのかい? なんだいあんた、なんで引きとめなかったの! お母さんに挨拶させなさい! さっさと連れ戻してきな!」

 雨も緩くなったんだから早くお行きと、母に外へ追い出される。
 ああ、判った、俺も今出て行こうとしたところだ。母の声に後押しされ、俺は二人分の傘を持って外に飛び出した。
 きっと走れば訓練所に入る前にベルトルトを捕まえられる筈だ。ガキの頃から足の速さには定評があったから、おそらく間に合う筈。半年間ろくな運動はしてなくても、鍛えた足は衰えていない筈だ。
 彼が逃げるようなら、全速力でタックルしてでも引き止めよう。
 一度手放してしまったが、今度はそうはいかせない。
 ……そうだ。まずは母に会わせるために引きとめるが、これを機に彼に近づいてみるか。
 たった一日で、結婚を約束した幼馴染に勝とうとしたからいけなかったんだ。少しずつ一緒の時間を過ごしていけば、そのうち愛する人との記憶に打ち勝てるかもしれない。
 そうだ、そうだ……。臆病にならず、母の言う通り「家族になろう」と言ってみよう。それで彼に少しでも反応があったなら、「結婚しよう」と言ってみようか。
 どこまでライナーに辿り着けるか判らないけど、今の俺は、もっとベルトルトのことが知りたい。

『再び彼の傍にいたい』

 その一心で、俺は駆け出した。




 (完)

未亡人ベルトルトが愛する人のことを想いながら今の男に抱かれるのはかわいい。お誕生日おめでとう、ベルトルト。今年も来年もベルトルトの涙でお腹いっぱいになろう。某ライベル結婚アンソロに寄贈予定だった小説をこの祝いの席に献上します。
2014.12.30