■ 「セクサロイドトルトと愛欲の檻 第2章」
/1
「……僕が、病気?」
テーブルを挟んでライナーの話を聞き終えたベルトルトには、実感がありませんでした。
冗談だろと言っても、同居人のライナーは笑ってくれません。
頭を抱えて、これ以上言葉が出ないと言うかのような固い顔をしています。
二人だけの部屋がシンと静まり返りました。
沈黙は続きます。
/2
ライナーは医者を目指しています。ド田舎から二人で出てきました。
「もしお前が一緒に来てくれたなら、俺は頑張れる気がする」
言われたベルトルトは夢なんてありませんが、ライナーが自分を求めてくれるならと、二人暮らしで都会に暮らし始めました。
なのに、なんで。
/3
小さな二人の城は、とても静かになっていました。
ベルトルトは膝の上に手を置いてじっと座っています。ライナーはテーブルを挟んで頭を抱えていました。
茶化して静かな空気を砕きたいと考えましたが、それもかなわないぐらい重苦しい時間でした。
焦ります。でも実感はありません。
/4
子供の頃から知っている仲でした。
ベルトルトはライナーが医者になりたいと言ったとき、夢を叶えるために故郷を出て行く彼を何も考えられず見つめていました。
ですが家を出る寸前になって、ライナーは「お前も来ないか」と誘ってきました。
/5
「もちろん、僕も行くよ」
ベルトルトなりに悩みました。
けど人から見たら考え無しだと言われるぐらい即決だったかもしれません。
狭くても二人で暮らせる部屋を取り、ライナーは働きながら勉学に励みました。
ベルトルトはそんなライナーをサポートするべく働きました。
都会での生活は大変なものでした。
/6
贅沢はできない生活。
来る日も来る日も、忙しそうなライナーを見るだけ。
それだけじゃ嫌だとベルトルトなりにライナーを気遣い、支援をしてきたつもりです。
休みが合えば二人で何処かに出かけることもありました。
部屋で二人でのんびり時間を過ごすこともありました。
「僕が、病気」
実感はありません。
/7
「病名は?」
ライナーはとても長い単語を発しました。
一発で覚えられないぐらい複雑な名前で、専門的な言葉が並ぶような聞いたことないものに、ベルトルトは「へえ」と頷くことぐらいしかできません。
「難病なのかな?」
ライナーは重苦しく頷きます。
「最悪死ぬのかな?」
それも、重苦しく、頷きます。
/8
「いつ死ぬの?」
酷な質問だと思ってもベルトルトは聞かずにはいられません。
だけど、まさか「半年生きられるかどうか」なんて言われるとは。
その言葉を聞くまでに何分も掛かりましたが。
「そっか。その病気ってどうやってうつるんだ? 空気感染? 粘膜通して感染するとか? ライナーは危なくない?」
/9
何も知らない、判らないので、全部知っているけど話したくないライナーに次々尋ねます。
そう簡単に感染はしないということを聞かされて少しほっとしました。
良かったと呟きます。
「もう、君と……セックスも、キスもできないのかと思った」
しない方がいいんだろうけど。そう茶化して笑います。
/10
「今すぐ隔離されて、二度と君に会えなくなるのかと思った」
どんなことよりもそれが一番怖い、明日死ぬと告げられるよりも真っ先にライナーと繋がれなくなるのが怖い、でも、終わりがくればどちらも同じ……。
「……ライナー」
力無く笑って、ライナーの顔を見ます。
一向に彼は明るくはなりません。
/11
幼い頃から一緒だった彼。
故郷に出る前、彼が遠くに行くと聞いて何も考えられなくなりました。
自分が空っぽであると自覚しました。
ついて来てくれたらと言われたとき、夢中で飛び込みました。
二人での生活は何より楽しいものでした。
別れを意識した今も、どれだけ彼と居られるかだけを考えています。
/12
「ごめん、これからライナーに迷惑かけるかもしれない。勉強はちゃんとするんだよ。僕がいなくなったって」
ぼんやりと口にすると、
「馬鹿。そんなことは気にするな!」
と鋭い声が飛びます。
真剣な声に、これは冗談じゃないんだなと伝わってきます。
……なんだか視界が真っ白になってきました。
/13
目頭が熱くなってきたからです。
「感染のおそれがないなら、ライナー。今日は折角の休みなんだし……その、一日中ベッドに入るのはどうだろう……」
言ってベルトルトは、狭い部屋に一つしかない、やや大きめなベッドへ移動します。
腰掛けて、シャツのボタンを外し始めました。
「しようか。君が平気なら」
/14
ライナーは無言で暫く頭を抱えた後、隣に座り唇を重ねてきました。
休日。お金の無い二人はこう楽しい時間を過ごしていました。
前からこんなことをしていました。
前々から『ずっとこうしていたい』『君とこれだけをして生きていけたら』って笑って言ってました。
今は、心から同じことを口にできます。
/15
抱きついてライナーの背に腕を回しながら、心なしかいつもより優しい抱き方に切なさを覚えます。
荒い息遣いが休日の部屋にこもります。
楽しいおしゃべりは……一切ありません。
二人は静かに、何も喋らず語らず、ただただベッドの上で重なり合っていました。
激しく動けなくなってしまったのでした。
/16
ベルトルトは仕事をやめました。
ベルトルト自身は体調不良を自覚してなかったので続ける気でいましたが、ライナーに真剣に諭されたのでやめました。
かと言って何か治療手段があるという訳ではありません。
すぐにどこかに入院することもなく、ライナーの言われた通り、部屋で安静しかできませんでした。
/17
外出が禁じられました。
「横暴だよ、君は」
苦笑いしてライナーに言ってみましたが、「それがお前の為だ」と言われては悪い気はしません。
帰宅するライナーのために食事を用意して待っている日々が始まります。
そして数日が経ちました。
ベルトルトは、自分が彼のお荷物であると改めて気付き始めました。
/18
働いて、勉強して帰り、自分のことを気遣う彼。
疲れた彼の手助けが出来ればいいと思って傍に居たのに、逆に負担になってしまっています。
ずっと傍に居られたら良いと思って彼について来ました。
もうそれは、叶わない願いになってしまったのでしょうか。
そしてついに自覚します。
明らかな体力の衰えを。
/19
最初の話を聞き半月が経過した頃。
ライナーが外に出ている昼のことです。
狭い自宅の中でも歩くとよろめいてしまいます。
何かを掴まないと立ち上がることもできません。
体もどことなく赤く腫れているような気がしてきました。
「ああ、やっと症状が表に出てきたんだ」
目に見える自分の不調。ついにと思います。
/20
床に転がってどうやって立とうと考えながら。
きっとこれからどんどん酷くなっていくんだろうと考えながら。
この姿を彼が見たらどう思うか、悲しむだろう、今以上に根詰めるかもしれない、ただでさえ近頃暗い顔しかしないのに。
次々考えていきます。
床に横たわりながら、ベルトルトは静かに涙しました。
/21
昔は体を動かすことが好きでよく二人で遊びに出かけたし、何をしても苦にならないから色んな仕事をしてきたのに。
彼の夢を応援したくて、彼の苦労を肩代わりすることができたらいいと思って、今まで二人で生きてきたのに。
一度考え出すと不穏な想いは止められません。
それなら……。決意します。
/22
知っています。優しい彼が薬代を稼ぐため体に鞭打ち働いていることを。
肉が大好きで食いしん坊のくせに、自分に少しでも良い物を食べさせようとしていることを。
当然ながら近頃は体に負担をかけないためだと触れないようにしていることを。
「それなら……。僕は居る意味も無いし、価値も無いのなら」
/23
「早めに去ろう。彼の元から。早くいなくなった方が彼のためになる」
怖がりなベルトルトは普段ならそんなこと考えたりもしません。
ライナーの元を自分から離れること、自ら死ぬなんて絶対に考えないのに。
/24
でも、今なら考えられます。
次第に体も心も蝕んでいく不安感は、やるせない決意を胸にしまいます。
「ライナー……」
今すぐには実行できません。
もっと話したいことや目にしたい笑顔、触れたい指があるからです。
何十分もかけて起き上がり、何事も無かったかのように生活を再開しました。
/25
『それでも俺はお前と一緒に居たいよ』
『一度手放しておきながら、身勝手な話だって判っている。それでも』
『すまない。俺の我儘に付き合ってくれ』
/26
深い眠りから覚めたかのような感覚にベルトルトは襲われました。
何十年も長く眠っていたような気がします。
そんなことはありません。10時間も遡れば、ライナーと夕食を取ったことを思い出します。
ベッドを見ても部屋を見渡しても、ライナーはいません。
きっと出勤していったのでしょう。
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初めてベルトルトが病を自覚した日から数日が過ぎていました。
今日も体の重さを感じます。
しかし、一人では身動きが取れない程だるさを感じたのは初めてでした。
またライナーが居ないときに、ベルトルトは死を感じてしまいました。
ただでさえ落ち込んでいた気分が、更に重くなっていきました。
/28
そういえば、最後にライナーと触れ合ったのはいつだろう。
ベルトルトはふわりと思い浮かべます。
昨晩も頬を撫でられました、汗をかく体を清めるため背中を撫でてもらいました、毎日欠かさず彼の体温を確かめている筈です。
でも、そういえば、おやすみのキスが無くなったことに気付いてしまいました。
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もう潮時かもしれない。彼は考えます。
「もっとちゃんとしたことを言ってからにしようか。いや。もうこれ以上彼に重荷になるぐらいだったら。そうだ。今こそだ」
ベルトルトは旅立つ決意をしました。
/30
呆気無いものでした。
葛藤があったのは嘘じゃありませんが、一つのことを決めたベルトルトの行動はとても早いものでした。
薬の瓶を逆さにしました。
/31
帰宅したライナーは、動かなくなったベルトルトを発見します。
彼が思うよりも呆気なく愛しい人が動かなくなっているのを見て、ライナーは、決して信じようとしませんでした。うそだ。うそだ。うそだ。まだだ。まだだ。終わりじゃない。早すぎる。いけない。まだ。やりなおす。できる。つづ。く。続ける。続けてみせる。続く。
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ベルトルトは目を開けました。
/33
ベルトルトが目を開けると見知らぬ天井が見えました。
お薬を沢山口に含んで深い眠りに落ちた筈なのにと不思議に思いましたが、きっと自宅に帰って来たライナーが病院に連れて行って助かったのでしょう。助かってしまったのでしょう。
「残念だ……」
呟きながら、ベルトルトは微笑みました。
/34
終わりにできなかったのは確かに残念です。
でも生きているということはまたライナーに会えるということ。
いっぱい怒られるでしょう、いっぱい泣かれるでしょう。
けどどんなことが待ち受けていようとも、「再びライナーに会える」ことを嫌だとは思いません。
身勝手な考えでしたが、嬉しくもありました。
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見知らぬ天井は白くて綺麗でした。
二人で過ごした安くて薄汚い部屋とは大違いでした。
ベッドに寝かされていましたが、体は重くて動かせるものではない……と思いきや、案外あっさり動きました。
おそらくすぐ動き回れることでしょう。ちゃんとした治療を受けるだけでこんなに回復するとは。驚きです。
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今までろくな治療も受けていませんでした。
病だと言われたのは、毎日のように診てくれた彼が医学の心得があったからです。
薬も彼が買ってきてくれたものですが、即効性はおそらくありませんでした。
ということは、自分がこうやって元気になり始めているということは。
「……僕は、本当に迷惑な奴だな」
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また会えるのは嬉しい。元気になれたのも嬉しい。
息をしても苦しくない、そんな些細なことで喜べるのも嬉しい。
でもそのせいで酷い迷惑をさせてしまった。
身を起こしたベルトルトは、微笑みながら、頭を抱えました。
「ごめん……ライナー……生きていてごめん……」
僕がさっさといなくなれば……。
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それからベッドのある部屋に何人かの白衣を着た人達がやって来ました。
名前は言えるかと尋ねてきます。「はい」
ちゃんと体は動くかと尋ねてきます。「はい」
指を動かせられるか、繊細な動きはできるのか。「はい」
数は数えられるか、色は認識できるか。「はい」
感覚はあるか、この手は柔らかいか……。
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とある白衣の男に指を触られます。
頬を触られます。首を触られます。「……はい……」
くすぐったくて身を捩りました。
大事をもってと外出は一切せず、ずっと動かしていなかった体はきちんと機能していました。
柔らかさだけじゃなく硬さも熱さも寒さも感じる、正常な身体にベルトルトは感動します。
/40
いつも蒸気を出してるかのように火照って熱で寝込んでいた訳でもなく。足腰が弱って立てず歩けずでもなく。
元気になりつつある今、歪な日常を送らずに済む。
ほっとしてベルトルトは一刻も早くライナーと面会をしたいと考えました。
すぐに会うのは無理でも、早くライナーに触れたいとばかり考えました。
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「……頭、撫でてほしい。指、握ってほしい。キス、してほしい……」
彼に迷惑をかける事実が心に重く圧し掛かります。
でも触れ合って生を実感したいという欲望も抑えきれずにいました。
会いたい、会いたくない、会いたい、会っちゃいけない。
入り乱れながら、ライナーの来訪を待ち続けるのでした。
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やっと会えた幼馴染はなんだか雰囲気が変わっていました。
疲れている顔なのは自分が疲れさせてしまったからだ、申し訳ない、そう思ったベルトルトは開口一番「ごめん」と言います。
ライナーはベッドに近寄るなり拳を振り上げます。
衝撃に耐えるため、ぎゅっと目を瞑るベルトルトでしたが、その腕は暴力的に振り下ろされることはありません。
/43
黒髪を触られ、がしゃがしゃと掻き回されます。
頭を撫でてほしい、一番にしてほしかったことをされて、喜びよりも驚きの方が先に出てしまいました。
彼は少し大きく皺のある指で肌の暖かさを確かめ、唇に触れるとあっという間に奪っていきました。
/44
「正常に動くみたいだな、まだ不都合があるかもしれないが」
やっと言葉を口にした幼馴染にほっと安心。
「うん。ごめん。……ありがとう」
ベルトルトは嬉しくてすぐに抱きつこうとします。
だが大人な彼は、未だ部屋に白衣の彼らが居る以上甘やかせてくれません(でもキスは我慢できなかったようです)。
/45
それから白衣の彼らから長い話を彼と共に聞かされました。
アレとコレとソレの検査さえ終わればすぐに解放してやると、何年も入院しなくていいと。
ベルトルトは余計に申し訳なくなりました。
自分が死んでいる間、一体何がどうなったのか。
ついていけなくて、でも言い出せない、居心地の悪さを感じます。
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愛しい彼の横顔をチラリと見ると、とても真剣に医者の話を聞いていました。
彼は医者達の言ってる未知の言語は全て判るようです。
「凄い、カッコイイよ、ライナー……」
思わず感動して口に出してしまったベルトルトに、その部屋に居た全員が素っ頓狂な声を上げます。
真面目な話の最中だったからです。
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数秒後、皆がどっとわきました。
実は真面目で複雑で、陰鬱な話でした。
でも当の本人が気にせず恋人の横顔に惚けていたのだから。
「ばかっ」
ライナーは大きな掌で乱暴にベルトルトの頭を掴みました。
「やめてくれ、病人なんだから」
はにかみながら愛情溢れる乱暴な手から逃げようとします。
「病人?」
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誰か。ベルトルトとライナーではない誰かが、不審そうに訊き返してきました。
しかしライナーが「このばか、もう少し我慢してろ! 帰ったら覚悟しておけ!」とぷんすか怒りながら頭をがしがし撫でるので、ベルトルトはそれどころではありませんでした。
数日後。アレコレの検査が終わり、退院しました。
/49
ほんの数日でした。
ほんの数日で、よたよたですが歩けるし、息苦しくない生活を手に入れたベルトルトはライナーと一緒に外に出ました。
「ライナー、僕、君に迷惑かけてばかりで」
「お前、2時間ごとにその話をするよな」
「それだけ気にしてるんだよ」
「俺は気にしてない」
「そうは言っても」
「構わん」
/50
「きっと沢山お金が必要だっただろう、一生かかってでも返すよ」
「じゃあお前から金を貰った日は肉を食いに行こうな。ベルトルトも一緒だぞ」
「やったぁ。じゃなくて」
「好きな食べ物は?」
「ぎょうざ」
「知ってる。病気になっても好みが変わってなくて安心した」
「なあライナー、僕は本気で君に……」
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「ライナー、君は苦しんだだろう。僕のせいで」
「それでも俺はお前と一緒に居たいよ」
「……ライナー……」
院を出ながら、ベルトルトは俯き涙ぐんでしまいました。
ライナーは腕を引きます。
その腕からベルトルトはばっと逃れ、すぐに自分の指とライナーの指を絡めました。
「こうじゃなきゃ、嫌だ」
/52
「実は俺もこうしたいと思っていた」
「……ライナー」
「故郷を出てからお互いの休みがあった日は、金も無いからよくあちこち散歩してたよな。散歩ぐらいしか楽しみが無かった」
「故郷を出てからだけじゃないよ。昔からそうだった」
「学校に行くときも」
「小さな小さな子供のときだって、手を繋いでた」
/53
「また手を繋げて、嬉しいんだ。ベルトルト」
ライナーの目にはうっすらと光るものが。
ベルトルトがそれに気づくと、ライナーは手を繋いだ至近距離のまま顔を逸らしました。
ぷいっと意地っ張りに。
大人になっても変わらず、思い出したベルトルトはクスリと笑いながら、さくさくさく。二人は歩きます。
/54
当ても無く歩いたデートをよくしました。
今日もそうなのかとベルトルトは思っていましたが、到着した先は見たことのない家でした。
「今、ここに住んでる。今日からお前もここに住むぞ」
「前のアパートは引き払ったのか」
頷くライナー。
「でもベルトルトの荷物は持ってきてあるから」
「抜かりないね」
/55
初めて入る家は、結構長く使われていたようで暖かみのある家屋でした。
とある部屋には、かつてベルトルトがアパートで使っていた私物も、ちらほら。
この部屋が新しい住処か、さてどうしようかと考えているとライナーが後ろからぎゅっと抱きしめてきて、うなじに口付けをします。
「うあっ」
「やりたい……」
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率直すぎるお誘いでしたが、病み上がりの体にライナーが激しくする訳がありません。
優しく体をあっためてくれるに違いないと思ったベルトルトはコクンと頷きます。
「いいよ、来てくれ」
久々にライナーと愛し合えるんだと幸福に浸、ろうと、したとき。
「拒まないよな。お前はそういう物なんだもの」
/57
どこか不穏な物言いに、ベルトルトはゾクリと背筋が凍りました。
うなじにはまだ舌が這われていました。
だから震えてしまったのでしょう。
そしてうなじに、ゆっくりと歯が立てられていきます。
「ら、ライナー、その、優しく……」
「拒む訳がないよな、俺との行為を」
「も、勿論、だけど、僕……久々で」
/58
途端、ベルトルトの体が燃え上がりました。
「あ」
炎が熱く彼の中を燃やしていきます。
比喩です。が、急激に体の奥が熱く熱く熱く熱く熱く熱くなってきたベルトルトは急に呼吸ができなくなりライナーの腕が無ければ倒れてしまうほどになってしまいました。
熱い。熱い熱い熱い。
でも不快な熱じゃない。
/59
「あああ」
今すぐ身に付けている衣服を全て脱ぎ去ってしまいたい。
妙なところにこもった熱を放出したい。
いつの間にか唾液を口の端から零していることに、後ろから舐められただけで一部が充血し発情していることに気付きます。
健康的な証拠でした。
正常に体が動くか例外でなければ生じない現象です。
/60
例外。正常な体に戻れた可能性よりも、例外を思い至ってしまいました。
『なあ、ライナー、一体僕はどうしてしまった。君は一体何を』
言えません。正常に疑問をぶつけるよりも早く、ベルトルトは彼の体を求めようとしていました。
正常はどこにもなく異常な行為に突き進みます。無意識のことでした。
/61
眠れる森の美女。冥府への船乗り。ウサギのパイ。マーメイド。白鳥の王子。インディアン。シンデレラ。青髭。スワンプマン。パンを踏んだ娘。千色皮。ヴァサーゴ。バルドル。月の影。神話病の患者。ミノタウロスの迷宮。アンネの日記……。
/62
ベルトルトは部屋に置いてあった本を次々手に取りました。
それぐらいしかすることがありませんでした。すっかり体が軽くなり、もう何事も無く生活できるほどラクになりました。
外に勤めに出てもいいぐらいだ。
ベルトルトがいくらそう言っても、過保護で心配性なライナーが許してはくれませんでした。
/63
早く彼に恩返しをしたい、彼に安心してもらえるほど回復したい。
そう考えてたベルトルトは自宅療養を受け入れます。
確かに治ったと言ってもまだ目覚めて数日しか経っていません。
気力だけで仕事をしてまた倒れたら今度こそ終わりでしょう。
ライナーが用意してくれた本を読みふける日々が始まりました。
/64
「しかし、まあ。本なら何でもいい訳じゃないんだけどな……」
苦笑いしながらベルトルトはページを捲ります。
飽きがこないのは良いことです。
ぱらぱら、何時間も自宅でページを捲ります。
そのうちライナーが帰って来て、一緒に食事をして、同じところに寝ます。
そんな生活を2日続けて、判りました。
/65
お腹が減らない。食事を取ることはできます。
排泄を要さない。性器は正常に動くものだと思っています。
眠くならない。目を瞑れば眠れます、でも目を開ければずっと起きていられるのです。
「……ああ、成程」
ライナーが外に出ているとき、ベルトルトは自分の手首をカッターで切ってみました。
/66
皮膚らしき物が裂け、ピンク色の肉みたいな物が見えてきます。血のようなものが出てきました。
そう、『皮膚らしき物』が裂け、『ピンク色の肉みたいな物』が見え、『血のようなもの』が出てきました。
皮膚でも肉でも血でもない、人工的なそれら。
「もしかしなくても、僕、生きていないんだ」
/67
いくら手首をカッターで切り裂いても肉を抉ってみても、人らしい終わりはやって来ません。
ついにはカッターの刃がギブアップするほどでした。
自分は死に、人以外の何かになってここに居る。
信じがたいことですが、数日間ページを捲り幻想の世界に入り浸っていたので簡単に受け入れることができました。
/68
「だからなのか」
受け入れて、やっとベルトルトは一番の違和感の正体に気付きます。
「ライナーの手、皺くちゃで、髭も随分生えていて、大人びていて。……どんだけの時間を費やしたのかな」
自分にとってはたった数日。
彼にとって今の世界にとってはどれ程経過したのか。
すぐに確かめられませんでした。
/69
家に帰ってきたライナーはベルトルトの切り傷だらけの手首を見て激怒します。
こんなに怒ったのは久々かもしれない、自分の為に叱ってくれている。
しかも「自分を傷付けるなんて馬鹿のすることだ。何のための療養なんだ」と正論。
ベルトルトは何も言い返せませんでした。
抉れた腕に包帯を巻かれました。
/70
「腕、治るのかな?」
「治る。自己再生機能があるから」
「そうなんだ。凄い技術だね」
「……昔からある技術だったらしいが、実際に人に使うのは限られていた」
どうやらその技術が今後も発展していけるのか、実験体として自分は使われているらしい。
だから病室に大勢白衣達がいたんだと知ります。
/71
かつての技術を人に使って、未知の力から有効な手段として変えていきたい白衣達がいた。
実験台として生きた人間が必要だった。
白衣達の言うことを聞く代わりに超越的な技術によって生き延びることができた。
肉体は死んだけど、別の体で生き続けている。
「それでも、いいだろう?」
「うん、いいよ」
/72
「僕が僕であることには変わりないから」
「そう言ってくれると信じていた」
「けど、生きた肉のような体でも僕は……どう見ても子供だね。君だけが大人になっているのは悔しいな。ただでさえお揃いじゃなかった年が更に離れていく」
「仕方ないだろ。●●年かかって再会できただけ幸運だと思え」
/73
「●●年。そんなにかかったんだ」
「ああ」
「でも、僕を目覚めさせてくれたんだ」
「お前があんなに早く死ぬとは思わなかった。焦ったぞ。もう二度と会えなくなると思った」
「それが普通なんだけどね」
「そんなの許せるか」
「許せないんだ?」
「許すもんか。居間だって許してないぞ。勝手に逝ったこと」
/74
「ごめん」
「そうだ、今日こそ謝ってもらおう。もっと延命させるつもりで努力してた俺の心を踏みにじりやがって」
「ごめん、ごめん。ありがとう」
「許さねえよ。もう離れるなよ。どこにも逝くなよ」
「嬉しいことを言う。そうだ、君はもう命を救える人になれたんだね。何時の間に夢を叶えてたんだい」
/75
幼馴染が医者になりたいと言い出してから故郷を出る日までのことを思い出します。
近い記憶でした。
「今度こそ命を救える人生を歩んでみたかったんだ」
「今度こそ?」
「ああ。昔、殺すことしかできない人生だったから」
「何の話かな」
故郷でずっと一緒だった彼がそんなことをしている訳がありません。
/76
ライナーが人殺しを? そんなことは絶対にありません。
……自分が眠っている間にしている可能性はありますが、医者になるため故郷を出る以前の話としては不適切です。
突然ライナーは「冗談だ」、ニカッと笑います。
その後、食事をしました。
一緒に抱き合って寝ました。
翌日には傷は無くなっていました。
/77
不思議だ、こんなにあっさり治るんだと感動します。
もし首をちょん切られてもきっと治ってしまうんだ……と思った瞬間、首をちょん切られるという発想に恐ろしくてガタブル震えてしまいます。
ベッドで二人。隣には共にシーツの中で暖め合うライナーの姿。
目覚めた彼はキスをいくつも落としてきます。
/78
朝から二人で愛し合いました。
何度も唇を肌に寄せ、沢山痕を付けました。
いくら付けても結ばれあっても足りないぐらい夢中で求め合いました。
ベルトルトは今や繋がるためだけの存在のように愛され続けました。
「なあベルトルト。シガンシナって何か判るか?」
「え、食べ物? 新人歌手? ……何?」
/79
ライナーが買ったらしい家の中で暮らすこと、数日。
白衣達が現れ、ベルトルトの検査をしていきます。
ベルトルトは詳しいことはよく判らないので、されるがままでした。
目を瞑って少し眠っていれば終わることなので、深く気にしたことはありません。
その検査がある日以外はごく普通に過ごしていました。
/80
変わったことといえば、いつまでも熱に犯され彼を求めてしまうということ。
どんなに一緒になってもライナーを求め続けてしまうこと。
異常な性欲に自分が自分でなくなっているのを感じ怖くなることもありました。
でもそれも一時の快楽に身を委ねれば。
いつも守るように全身で抱擁してくれる彼がいれば。
/81
夜、ライナーを抱き締め、眠る。
ずっとこうしていたいと思った日々が叶うとは。
ライナーが一日自宅に居るときもずっと素肌に触れていられるなんて。
強欲すぎても彼は受け留めてくれました。
何日何ヶ月何年経っても自分を見てくれました。
だけどある日、ライナーが息子を連れてきました。
/82
ライナーに愛されるだけの生活をし始めて数十年が経った頃のこと。
ライナーが連れて来た息子という男の子は3歳ほど。
記憶の中にきちんと残った、子供の頃のライナーの面影がある男の子でした。
「そん、な。いつの間に結婚してたの」
「結婚はしていない」
「じゃあ、この子の母は」
「死んだ。昨日な」
/83
衝撃的すぎてベルトルトはすぐに状況を把握できませんでした。
一晩中話を聞いて、漸く落ち着きます。
ベルトルトがライナーと暮らし始めて数十年。
ライナーは、壮年になっていました。
4年前とある女性と関係を持ちました。
外での生活で知り合った女性で、子供を作りました。
ベルトルトには黙っていました。
/84
女性は女性の暮らしがありました。そこで子供を育てていたそうです。
そして昨日、女性は死にました。不慮の事故だったそうです。
これから事務的な話が行われるらしいです。
「もちろん俺が育てる。名前は●●だ」
「ライナー、その、女性には僕の事を教えていた?」
「いいや」
「……彼女のこと、好き?」
/85
「ああ、好きだった。良い女だった」
あっさりと、でも自分から視線を外さず告白。
「でも俺はお前を」
「待ってライナー。それ以上は死者にとんでもない辱めをしてしまう。彼女の為に言わないでくれ。僕の事を知らなかったというなら」
……そういえば昔からライナーは八方美人だったな、と切なく思います。
/86
ライナーの息子だという●●を見ます。
見れば見るほど笑った目元がライナーに似ていました。
「……今日から宜しく。●●」
素直に笑顔で受け入れることは出来ませんでした。
でも母を亡くしたばかり、理解もしていない子供を捨てろとは言えません。挨拶をすると、息子はきゃっきゃと笑いかけてきました。
/87
ライナーの3歳の息子は無邪気に笑顔を向けてきます。
追及したくても、できませんでした。
……窓に映る自分の姿が見えました。20歳もいかない少年の姿をした作り物です。
でもその隣には正真正銘の男の子と、そろそろ老年と言われてもおかしくない男。外で暮らす一般人なら家庭があって当然でした。
/88
自分は20歳にも満たない体で数年幸福な中を過ごしてきましたが、ライナーはもう何十年も先を進んでいました。
人並みに嫉妬を呑み込むぐらい、ベルトルトには難しくない話でした。
「これから一緒に楽しく過ごそうね、●●……」
笑顔を作れないまま、不気味な表情でライナーの息子を抱き締めました。
/89
最初は壁がありました。
だけど何も知らない健気な男児です。
やっと言葉を自在に操れるようになり、ぱたぱたと走り回るようになり、わんわんと鳴き、ニコニコと花が咲くように笑う元気な少年へとなっていきました。
「ベルトルトっ!」
10歳になる頃には、ベルトルトの抱いた壁は無くなっていました。
/90
「これ、アニと作ったんだ!」
「金メダル? 君とアニは本当に図工が好きなんだね。凄い立派な物だけど誰にあげるんだい?」
「ベルトルト! ……と言いたいところだけど、一応授業でお父さんかお母さんにあげろって言われてる」
「じゃあライナーにあげないと」
「でも俺ベルトルトにあげたい」
「だめだ」
/91
「なんで?」
「僕、この前も絵を貰ったよ。ライナーにいいかげん何かあげないと拗ねて泣いちゃうから」
「親父が泣くかぁ?」
「泣くよ。ライナーは変に子供っぽいからね」
こんな会話を毎日笑ってできるぐらいに家族になりました。
「あ、時間だ。行ってきます!」
「えっ、何処かに行く約束でもあった?」
/92
「晩飯のとき聞いてなかったのかよ、ベルトルト? 親父が病院に連れて行くからこの時間までに帰ってこいって言ってたじゃないか」
病院。
なんで。こんなに元気で健康なのに。
悪寒。
ベルトルトは得体のしれない一瞬の恐怖に慄きますが、笑顔で出て行く彼を手を振って見送ることしかできませんでした。
/93
ライナーの息子は自宅に帰ると、すぐにベルトルトに飛びついてきます。
幼い頃のライナーに似て元気で活発的な少年ですが、父親と同じように甘えん坊。すぐ抱きついてきます。
まだ一人で眠れなくて二人の間に入って寝ます。
父親が「そろそろ一人で寝られるようにしような」と言っても「じゃあ親父もな」。
/94
始めの頃は愛した人が自分と違う人を、女性を、生身の人間を愛した結果生まれたという存在とどう付き合ったらいいか判らず壁を作っていました。
でも何も知らず育っていく少年はいつまでもどこまでも優しく明るくて、向けられた笑顔に笑って返す生活が当然となっていました。
お互いどちらも良好でした。
/95
ベルトルトはあまり人と話すことが得意ではありません。
病気になる前は人並みに愛想もふりまけたし仕事も出来ました。
何をしても失敗という失敗が無いので平穏に社会に溶け込めていましたが、特別な目的意識も無く個人の強い夢も無いので、積極的に外へ出ようとしませんでした。
関係は閉じていました。
/96
だから、ライナー以外と十数年間話す機会もありませんでした。
誰かを好きになることも今後無いと思っていました。
まさかこんな形でライナー以外の人間を好きになるなんて。
この出会いを無駄と思いません、時間は掛かりましたが三人での生活は価値あるものだと考えるようになっていました。
/97
「ベルトルトはどうしてずっと家に居るんだ?」
外で遊ぶことが大好きな息子が、無邪気に尋ねてきます。
「昔大きな病気になってね。死んじゃうぐらいだったんだ」
今は大丈夫か、元気か、もう死ぬほどじゃないのかと彼は気遣ってきます。
大丈夫だよ、元気だよ、もう絶対死なないよ。絶対に。
そう答えます。
/98
縁側から外に飛び出していく元気に成長した子を見ながら、
(そうだ、僕は絶対に死なないんだ。ずっとこのままなんだ)
と実感しました。
こんなに柔らかくても半分以上、いや、表面以外は全部人工物なんだよな。
食事も排泄も人の真似にすぎないんだ、人間じゃないんだ。
考えると気が重くなってきました。
/99
顔が上げられないぐらいベルトルトは落ち込みます。
すると「ベルトルトっ!」と外から声が。
大きな桜の枝を持って息子が帰ってきました。
桃色の花が満開に咲き誇っている太い枝でした。
持ってくるのも一苦労だったでしょう。
そしてきっと、切り落として持ってきてはいけないものでしょう……。嗚呼。
/100
初めてベルトルトは今が春だということ、満開の桜が咲くほど外が美しい季節になっていたこと、つい悪さをしてしまう彼がこんなことできるぐらい元気でヤンチャな男の子だったということを知ります。
自分は壁の中に居たまま外のことを知らなかった、知ろうともしなかった。自覚します。
「……こら」
/101
木を切って持ってきちゃいけないよ。ベルトルトは大人らしく叱ります。
「で、でも、俺」
「でもじゃない」
こんなことはもうしてはいけない、しっかりと叱りつけます。
「で、でも、俺、べる、に、喜んでもらえると、思っ……うええええん」
泣いてしまいました。
その泣き方も父親に似て可愛いものでした。
/102
「ごめんよ。ありがとう。もうこんなことしちゃいけないけど、君は僕の為にしてくれたんだよね……本当はね、とっても嬉しいんだ」
小さな彼が、精一杯元気づけようとしてくれた。
病気な同居人に綺麗な物を見せたかったという心は決して無碍にはできません。
心から嬉しい、ありがとう、何度も告げます。
/103
「ありがとう。大好きだよ」
「本当? 親父よりも!?」
「ライナーと同じぐらいにね」
「親父よりも好きになれよーっ!」
「もしかしたら好きになっちゃうかもしれないな」
「やったー!」
何度もありがとうを告げながらベルトルトは彼を抱き締め、手術を終えて包帯を巻いた彼の頭を撫で続けました。
/104
愛する人の息子は大きく逞しくなっていきました。
自宅から出られないベルトルトを気遣う優しい心を持った少年は、父親の若かりし頃にそっくりでした。
彼はもう17歳。立派になっていく姿をベルトルトはずっと見守っていました。
15年近い付き合い、ゆったりとした時間を過ごしてきました。
/105
「ベルトルトは何の病気なんだ?」
ベッドの隣で宿題をしている少年が、昔何回か尋ねてきた質問をまたするではないですか。
「ライナーが知っているよ。僕は難しくて忘れてしまった」
「自分のことなのに?」
「ライナーに治してもらってすっかり元気だからね。気にしてないと忘れるもんなんだよ」
「へえ」
/106
「もうベルトルトは元気なんだよな」
「ああ」
「でも親父の奴、外に出るなっていつも言ってやがる。なんでだよ、元気なのに」
「ライナーは心配性だから」
「にしたって」
「昔、僕が自殺したときにね」
「え」
「ライナー、相当ショックだったらしくて。それがキッカケか相当な心配性にさせちゃったんだ」
/107
「じ、自殺って!」
「君が生まれるずっと前の話だよ」
にこり。笑いかけても彼は焦ったままです。今を元気に生きる青少年には陰鬱な話は刺激が強すぎたようです。
「今はもうそんな気は無い。もう自殺なんて……できないしね。絶対に……」
「……ベルトルト?」
「ううん、ごめん。何でも無い」
「なあ」
/108
「ガキの頃どこかに家族で出かけたことが無いって外で言ったら、友達中に『可哀想な奴だな』って目をされた」
「それは、申し訳ないことしたね」
ライナーがベルトルトを置いて何処かに行く訳がなく、過保護で心配性なライナーは外にベルトルトを出すのを拒んでいました。
息子はその迷惑を被ったのです。
/109
「出ちゃいけない体って訳じゃないんだよな」
「うん」
「じゃあ、なんとか親父を説得するから、どっかに行かないか」
「そうだね。僕も君の想い出作りに協力したい」
「結構あっさりOKが出たな」
「断られると思った?」
「ベルトルトはいつも親父寄りの考えだから」
「同じぐらい君のことも想ってるよ」
/110
「ベルトルト、ありがとう!」
にかっと笑うその顔は、若い頃のライナーにそっくりでした。
でも彼は彼です。
ライナーとは違うものも沢山ありました。
そのとき来訪者が駆けつけました。
少年の幼馴染の女の子でした。
必死の形相のまま口を開きます。
「ライナーさんが倒れたからすぐに駆けつけてくれ」。
/111
息子は父の元へ駆け出しました。
ベルトルトも同じく追おうとしました。
でも、昨晩散々ベッドの上でライナーに愛された後も「またここで大人しく俺の帰りを待ってろよ」と呟かれ、その言いつけを守りたかったベルトルトは二人の帰宅を待つしかありませんでした。
そわそわしながら二人の帰りをただ待ちます。
/112
何時間も待ちました。
夜になっても、朝になっても二人は帰ってきませんでした。
父子二人の名前を呼びながらベルトルトはベッドの上で膝を抱えて待ち続けます。
……ライナーは、いい年でした。
半世紀過ぎた頃に子を持ち、その子が成人しようとしているのですから、とても脆くなっていたのもあります。
/113
ライナーは死にました。
おじいさんになった彼は、寿命で亡くなりました。
少し早すぎる死でしたが彼は天寿を全うしたんだと、長年お世話になっている白衣達に言われます。
死の報せを白衣達から聞いたベルトルトは、息子と同い年ぐらいの年から変わらぬベルトルトは、子供のように大声で大泣きしました。
/114
愛する人を亡くした。悲しい。
ずっとついていきたいと考えていた彼が居なくなった。
自分を生かしてくれた人が、愛してくれた人が、死んでしまった。
急に訪れた死の報せにベルトルトは泣き崩れ、部屋中を涙で浸す勢いで涙を流し続けていました。
そこに、最期を看取ったという息子が帰って来ます。
/115
「ベルトルト」
17歳まだ大人になりきれていない少年は、ライナーのベッドに突っ伏して泣いているベルトルトに声を掛けます。
名前を呼んでもベルトルトの哀しみは止まりません。
そんなことでは負けなかった少年は、ベルトルトの肩を揺すって自分の顔の方へ向けさせました。
「ただいま。ベルトルト」
/116
「……ライナー?」
「ああ」
「ライナー! ライナーライナー!」
目の前に居た17歳の少年は間違いなく、死んだと言われたライナーでした。
「良かった! 永遠の別れじゃないんだね! 良かった!」
「またずっと一緒だ」
倒れた後、息子を読んで息子の体に脳を移植したそうです。
それによる感動の再会です。
/117
「世の中にはそんな素晴らしい手段もあるのか。そのやり方を用いていけばずっとライナーといっしょに同じ時を過ごしていけるんだね。凄いね。これからも僕らはずっと一緒なんだ」
「病も怪我も寿命も怖くないさ」
若い体を抱き締めながらベルトルトは目を擦り、奇跡に感謝してライナーに抱きつきました。
/118
●●という名の少年が、闇の中で殺されたことに気付くのはそれから数年後のことです。
工作の手作りメダルをくれた男の子。
桜の木を切って喜ばそうとしてくれた男の子。
読書の隣で勉強をしてる少年。
自分を連れて外に出たいと言った優しい好青年が死んだんだと気付く。
遅すぎる話でした。
/119
ライナーは死にました。長い寿命を全うして死にました。
●●という少年は生きています。まだ子供の彼は長い人生をこれから生きていきます。
だけどライナーは死んでいません。新しい体を手に入れたので死んでいません。
●●という少年は生きていません。父親が生きるために少年の意思は消えたのでした。
/120
ベルトルトの目の前に居るのは幼い頃からずっと一緒のかげがえのない幼馴染。
そして十年間明るく笑いかけてくれた無邪気な子供。
どちらもです。でもどちらとも違いました。
少年の顔をして自分を抱き締める彼は、数十年愛し合った彼に他ならず。
十年愛した少年は消え……。
「酷いよ、ライナー」
/121
「酷いって、何が。このまま俺が死んでお前の元を去って良かったのか」
「そうじゃない。君と一緒に居たい。それは本当だ。だけど彼はもう」
「この体は間違いなく俺の息子だ」
「でも彼自身はもういないじゃないか。君はそれで良かったのか」
「お前はずっとその体のまま居られる。死も来ない。だが俺は」
/122
「なあ、ベルトルト。お前は永遠にベルトルトだが、俺は違うんだよ」
ライナーは説明します。
作り物の体で生き長られているのはとある白衣達の実験台として身を捧げているから。
定期的な協力によって莫大の報酬や知恵を貰っているから。
ライナーも新たな実験台として身を捧げ、些細な拘束の代わりに永遠と報酬を貰うことができる。
俺もベルトルトと同じになった、お揃いに生きていこう。
ライナーはそう言います。
/123
「生きた体でどれだけ繋いでいけるか、そういう実験をしていくんだ」
「どれだけって、どれだけ続けるんだ」
「何代も」
「何代も?」
「何代も。それこそ永遠に続けられるなら」
/124
若々しい少年の腕がベルトルトの体を正面から包み込みます。
ベルトルトは失ったものへの悲しさが強く、新しいライナーの体を抱き返すことがなかなかできませんでした。
ライナーは一旦身を離し、隣に並んで座ります。手を繋ぎます。
「……また手を繋げて、嬉しいんだ。ベルトルト」
いつかの言葉でした。
/125
「外道だと思うか。それで俺のこと嫌いになったか」
「……ああ。君のことを幻滅したかもしれない」
「したかもしれない、程度なのか?」
「ああ。ハッキリと言えない。嫌いになったと言えない。君を断ることなんて、出来るものか。結局は僕も……君と永遠に生き続けることを願っているからだよ」
/126
「ごめん、●●」
悲しみの涙を零しながら、握られた手を握り返しました。
そして数分後。
「これからも宜しく、ライナー」
そう言ってしまうベルトルトがいました。
唇を重ねます。ライナーと何百回何千回とした行為ですが、その体と唇を合わせるのは初めてです。
「こいつのモノ、具合が良いといいな」
/127
宜しくと言ってしまった。
怖いです。
そんなこと言う僕はきっと今後も何人も殺していく。ライナーが殺していくことも認めてしまう。
でもそれ以上に、死によってライナーと離れ離れになることの方が怖い。
恐怖から逃れるため今後も若い命を奪っていくのでしょう。
ベルトルトは余計に恐怖してしまいました。
第2章 END
一般人だったベルトルトがライナーとセックスをするためだけの存在になっていったらかわいい。
2014.5.9