■ 「マルセル・ベリックの憂鬱な道化事情」



※マルセル・ベリック(フルネーム)というオリジナルキャラクターが登場します。文系の暇人大学生。真面目にチャラい。ベルトルトのことを「ベルトル」と呼ぶ。CVイメージ:諏訪部。異論は認める。



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(お題:「言ってる意味がわからん!」「紅茶…(ハートマーク)」「札束」「着崩し」「月が綺麗ですね」「○○で例えて?」)



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 車椅子からベッドに移す動きも慣れたものだ。ライナーがベルトルトに声を掛け、体を持ち上げる。合図と共にベルトルトが体重を預けて移動する。二人の動きは素早かった。
 そのことを純粋に褒めてみた。ライナーは「殆ど毎日していることだから」とサラリと答える。ベルトルトも「いつもしていることだしね」と静かに言葉を続けた。それらに何も特別な感情は無いように。これしきのこと当然だ、お互いそう認識しているようだった。

 十歳頃から自分の足で体を支えることができなくなったベルトルトは、誰かしらに介護してもらわなければ生活ができない。
 完全に下半身が動かない訳ではない。だが支えが無くては一人で歩くことはできない体だ。十歳までは友人と外で遊び、ベルトルト自身も「体を動かすのは好き」と言うほどだった。
 生まれつき病気を囁かれてはいた。「もしかしたら体が動かなくなるかもしれない」と医者から宣告をされていた。だがその兆候は一向に現れなかった。十歳のある日、突然糸が切れたように倒れ、今では一日の半分をベッドの上で過ごしている。高校には通っていない。それでも勉強はしておきたいと、家庭教師を雇って勤しんでいる。
 もう車椅子の生活を初めて五年の月日が経過した。
 ベルトルトが歩けなくなる前から親友だったライナーは、兄弟でもないのに彼の世話をした。家が隣同士なこともあり毎日のように二人は遊んでいた。他に兄弟はいない。親も共働きで、夜遅くまで家に帰ってこなかった。朝は一緒に通学し、夕食はどちらかの家で取る。そして両親が迎えに来る時間まで二人で遊ぶ。同じ時間を過ごしていた二人の関係は、十七と十六になった今も簡単に切れることはなかった。
 
 ベルトルトがベッドに入り、勉強をしている間にライナーが夕飯を作る。他人の家でも十歳の頃から合鍵を渡されていたライナーは、我が家のようにキッチンに立つ。テレビを付け、鼻歌を唄いながら毎日の食事を用意する。その姿に違和感はどこにも無い。
 夕飯を食べ終えた頃にどちらかの親が帰ってくるから、それまでずっと一緒だった。今日もまた普段通り夕飯の準備を終え、あともう一品加えようかというとき、ライナーはある声を聞きベルトルトの私室に駆けつけた。
 耳の良い子であるライナーが「どうした!」と声を上げ、駆け寄る。ベッドの上のベルトルトは頭からシーツを被っていた。異常事態だと思ったライナーは無理矢理シーツを剥ぎ取ろうとするが、ベルトルトは必死に抵抗した。

「なん……でもない、なんでもない……からっ」
「なんでもないって、お前、顔真っ赤じゃないか!」

 顔だけシーツから出すベルトルトは、ライナーが言う通り真っ赤になっていた。
 まるで走ってきたかのように息をひいひい切らしている。たとえ衣服を着崩していても、まさかまともに歩けないベルトルトが部屋で暴れていたとは考えないライナーは、「大丈夫か! 大丈夫なのか!」と必死の形相で詰め寄った。

「発作か! また発作なのか!」
「し……心配、しないでくれ。ら、ライナー、ごめん……」

 生まれつき原因不明の難病に侵されていると聞かされているせいだろう。ぜえぜえと苦しそうな息遣いを見て、心配しない奴は居ない。「最近発作が多いじゃないか」 今までに無かった症状を見せるようになった病人に、危機感を抱いていく。
 水を与えた方がいいのか、薬を飲んだ方がいいのか。知識の無いライナーは、ベルトルトの急変を心から危ぶんでいた。だがベルトルトは首を振る。僕のことは心配するな、大丈夫だから。拙い呼吸の合間をぬい、そう繰り返すだけだった。

「ベルトルト! 無理をするな、俺に何でも言ってくれ! お前がどうにかなってからじゃ遅いんだ!」

 自己主張の苦手な性格であるベルトルトを気遣い、強い口調でライナーが諭す。
 あまりの大声にびくりと肩を震わせたベルトルトは、深呼吸をしながらライナーに懇願した。

「…………僕の手」
「手?」
「ぎゅっと……して、くれないか」
「そ、そんなものじゃなくて」
「いいんだ。それでいい。ライナーに、ぎゅっとしてほしい。……それだけで、いいから……」

 次第にか細くなっていく声は、テレビの音で掻き消されてしまう。
 的確な処置をしたいのに精神論で押し流されてしまったことにライナーは、苛立ちながらも言われた通り幼馴染の指を握る。握り締めたとき、ベルトルトが震えていることに気付いたライナーは、両手で指を包み込んだ。
 それだけで効果はてきめんだった。ベルトルトは落ち着きを取り戻し、微笑む。

「僕は、こうしているだけでいいんだ。君に触れてもらえるだけで……僕……」

 満ち足りたような表情に、ライナーも強く言うことが出来なくなっていた。
 それ以上声を掛けようにも、ベルトルトは「大ごとにしてごめん」と謝るだけ。薬を飲むなどの処置を一切教えなかった。

「おい、ライナー。一時的なものだから安心しろ。それよりも早く晩メシにしようか」
「……あ、ああ」
「腹に何か突っ込まないと薬も飲めないしな。そうだろ?」
「うん……マルセルの言う通りだよ。ね、ライナー」
「そうだな。……マルセル。もう暫くベルトルトを見ていてくれないか」
「言われなくても。俺はベルトルの家庭教師だぞ」
「頼んだ。ベルトルト、すぐに飯を腹に入れるのは難しいなら何か飲まないか? 何がいい?」
「…………」
「ベルトルト」
「紅茶……」
「ライナー、紅茶ぐらい俺が淹れる。ライナーは飯の準備をしてくれ。よし、今日の勉強は終わりだ。飯の支度をしよう。なあ、ベルトル?」

 ライナーをキッチンに行けと言い放つ。不安げにベルトルトの表情を何度も確認しながら「あと10分ぐらいで用意できるから」と消えていく。そんなライナーの背を、当の本人は満足げに微笑み見つめていた。
 久々にライナーに手を握ってもらえたのがそんなに嬉しかったのか。握り締めてくれた指に口付けているぐらいだ。
 一人悦に入る表情を見て、俺は上着のポケットに手を突っ込み、スイッチを入れる。

「ひっ!」

 キスをしていた指で口を抑え、悲鳴を寸前のところで止める。

「んっ、ぁ、やっ、やめっ」

 俺はリモコンでテレビの音量をさっきよりも上げた。こうすればベルトルトの中で蠢く音も掻き消せるだろう。妙な悲鳴に駆けつけられることも無くなる。
 ベッドに腰掛け、震える黒髪を撫でてやった。

「マルセル、お願い、止めて、我慢できない、い、いいっ」

 さっきみたいに声を上げ過ぎてライナーに駆けつけられたら困るからと、ベルトルトは口を抑えながら切願してくる。
 ビクン。ビクン。全身を痙攣させ、悲鳴を上げそうになっていた。吐息が漏れる唇に、自分の唇を重ねる。

「んっ……!」
「これで終わりにしていいのか? イっておかないでいいのか? 中途半端は苦しいだろ?」
「んっ、うっ、ああ、お願い、もうっ、マルセ、もう僕、いく、また」
「二回もイってるんだから、三回目だって変わりはしない」
「ああ、もう、ふ、ん、んんん、らいな、んんんんっ」
 
 ぎゅっと俺の服を掴み、何度も細かに身を震わせる。ビクビク。キスをしながら喘ぎを隠す。口を俺に抑えられたことで大声で悶えることは免れた。
 ベルトルトの息を直接味わいながら俺はスイッチを切る。肩で息をしている彼を俯せにして横たわらせた。ベッドの上でズボンを下ろしてやり、ケツの穴に入れた太くて長い性具をずるりと引き抜いてやった。

「んあ、あっ……」
「おい、あまり声を出し過ぎるな。ライナーにバレるぞ。良いのか。良くないだろ」
「あ……あ」

 引き抜く瞬間に口を抑え忘れたせいでひやっとした。だけど丁度そのとき、レンジのチンという軽快な音が重なってせいか、ライナーが駆け寄ってくることはなかった。
 びしょびしょに漏らした前側をすぐに拭き取ってやる。腰を上げられないベルトルトの体を持ち上げ、何事も無かったように元に戻す。俺が一仕事している間もベルトルトは顔を突っ伏したままだった。その間も「らいな、らいなぁ……」と彼の名を繰り返し呟いている。涙を流していなかったが、呼吸を整えるにはもう暫く掛かるだろう。
 俺はベルトルトを苛んでいた玩具を適当な所に隠すと、ライナーが食事を持ってくる前に茶の支度を始める。ライナーに隠れて何度も乱れていたんだ、さぞ喉が渇いていることだろう。甘めのレモンティーを淹れてやることにした。



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 小さなベルトルトの傍に居た人間は、たった一つしか年の違わないライナーだけだった。
 年の割にはしっかりした小学生だった。年下の幼馴染が泣いていればいつも駆けつける。例えるならベルトルトを守る戦士。何も無くても二人はいつも一緒で、ベルトルトの前には彼を守るようにライナーが立っているのが日常だった。
 幼い頃から二人の親達に「何かあったら貴方がベルトルトを守ってあげて」と頼まれていたライナーは、元気良く頷いていた。「自分ほどベルトルトを守ってやれる奴は居ない!」 強く自信を持っていた。
 だが実際は言ってもただの子供。さっきまで隣で笑い遊んでいた幼馴染が突然倒れた光景に、ライナーは酷く動転し、何も出来なかったという。
 いくら周囲から厚い信頼を受けていても何の知識も無かったライナーは、動かなくなったベルトルトを目の前にして、何時間もその場で固まっていたらしい。
 それが一体何時間か、未だに誰にも判らない。
 一つ確かなのは残酷にも、「もう少し医者に診せるのが早ければ、ベルトルトはライナーと同じ学校に通えたのに」。

 誰もライナーを責めない。
 両方の親達は自分達の過信を後悔した。「病の前兆を判っていながら子供を放置してしまった」と。
 担任の先生らも頭を抱えた。「ご両親がなかなか家に居ないというのを知っていたにも関わらず、自分らにも何か出来た筈なのに」と。
 ライナー以外の友人達すら「もし私が彼らと一緒に居れば」「偶然にその場に居合わせることができれば」と悔いていた。
 そんな彼らを見て、車椅子生活を始めたベルトルトは……体だけでなく心まで崩していくようになった。
 自分の体のことなのに。皆が後悔に苛まれている。彼らはごく普通の日々を送っていただけなのに。何故自分は「すまない」「ごめんなさい」「許してくれ」と謝られなければならないんだ。
 みんなは何も悪くないのに。どうして僕に謝るんだ。こんなことになってしまったのは僕の体が悪いのに!
 君は悪くない。いいえ、私達が悪い。悪くない、謝らないで。いいや、我々が悪かったんだ、許してくれ。
 許してくれ、ベルトルト、俺がお前に何も出来なかったばかりに!

 特にライナーは謝罪の声が大きかった。毎日のようにすまなかった、お前を守ると言ったのに、何もできなかったと叫んでいた。いくらベルトルトが「君は悪くない」と言っても。俺がいたのに、俺がしっかりしていればと何度も何度も涙した。
 違う、違う。何度もベルトルトは首を振る。けれど暫くして、ベルトルトは叫ぶことをやめた。頭を下げる大人達に、子供達に、ライナーにすら、叫ばなくなった。
 彼は諦めた。いくら彼らを許しても、彼らの罪が無かったと思っても、自分らが悪いと言って認めないのだから。疲れてしまったベルトルトは口を噤み、何を言われても俯き頷くだけになっていった。
 そして毎日のように遊んでいた幼馴染は、その後も毎日のようにベルトルトの元に来ては起床の準備や就寝の支度をするようになった。罪滅ぼしのつもりなんだろう。叫ばなくなったベルトルトは「そんなことしなくていい」と一切言わない。ライナーが自分の体を持ち上げるのも、代わりに何かをするのも、何も言わず見ているだけ、されるが儘になっていた。

 ベルトルトの両親は不自由になった彼の生活を支えるため、それまでよりも多く働かなければいけなくなった。
 学校の担任は学年が変われば他人になり、友人達も学校に通えなくなれば会えない同級生を忘れて行き、徐々に減っていく。それでも毎日のように通う友人がいるから寂しくないとベルトルトは言う。
 ライナーだけは違った。
 ライナーは学校に通えなくなったベルトルトを気遣い、毎日の出来事を話した。
 下校して自分の家に帰宅するより先に隣の家に上がり込み、「今日は学校でこんなことがあった」と話す。
 友達が多く、色んな事に挑戦する充実した学生生活を送っていたライナーの語る話は尽きなかった。それを聞くのがベルトルトの日課となった。
 ライナーがとても楽しそうに話すこともあれば、聞くだけで腹立たしい愚痴すらも口にする。面白い話だけじゃない、時には辛いことも聞かなければならない。そんな不自由さが、逆にベルトルトにとって楽しいものだった。
 授業のこと、部活動のこと、成績のこと、些細な友人の変化、募る愚痴、失敗談、巷で話題になっている下らないこと、不穏な噂、女子達がはしゃいでいる浮いた話まで。
 ありとあらゆる話をベッドの横の椅子に座っては話す。
 自由に動けないベルトルトは、謝罪の嵐もあったせいで内向的な性格へと変貌した。昔のように外で笑って駆け回ることができなくなったんだ、中に篭ってしまっても仕方ないと周囲からは思われていた。そんな目を知っているライナーは、毎日外での出来事を休まず話した。彼への罪滅ぼしとして、自分が彼と外世界との窓になろうとしていたようだ。
 それだけ誰よりも多く共に時間を過ごしていれば、ベルトルトがライナーにだけ傾倒していくのは当然だった。

 「ライナーさえいれば僕は幸せだ」とベルトルトは語る。
 ライナーがいつも一緒に居てくれる。
 何も言わなくても彼は朝から晩まで自分の為に居てくれる。
 今まで以上に彼と共に時間を送れるようになって、幸せなんだ。そう語っていた。

 今日はどんなことがあったんだ。
 ライナー、何でもいいから話してくれ。
 そうやって毎日ライナーの声を辿る。縋る。しがみ付く。訳あってライナーが来ない日は死んだような顔になる。でもライナーが現れると目を輝かせ、彼の話に耳を傾ける。
 今、僕は幸せだと語る。
 こんな生活でも充分なんだと言った。
 ライナーがいつも一緒に居てくれさえすれば。
 何も言わなくても彼が朝から晩まで自分の為に居てくれれば。
 今まで以上に彼と共に時間を送れるようになれば、それだけで良いんだと。繰り返し俺に話していた。



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 何でもいいから話が聞きたい、傍に居てほしい、ライナーが一緒に居てくれればいい。ベルトルトはそう語っていたが、五年も経てば状況は変わる。
 閉じた世界で生きるベルトルトはともかく、年頃の少年の生活は毎日毎日微妙な変化を遂げていくもの。様々な出会いがあるライナーは、高校入学とともに人生の転機を迎えた。
 恋だ。
 入学式が終わり、やはり自宅に戻るよりも先にベルトルトに今日のことを話に来たライナーは、顔を赤らめ今日あったことを口にする。

「同じクラスになった女学生が可愛かった」
「そうか。仲良くなれるといいね、ライナーならいっぱい友達ができるよ」

 ベルトルトは毎日変わらぬ笑みを浮かべる。
 次の日。ライナーは「その女生徒と喋ることができたんだ」と報告してきた。「良かったね、ライナーだったらその子と親友になれるよ、君は優しいから」
 次の日。「その女生徒がケシゴムを貸してくれたんだ」と報告してきた。「優しい女の子だね。後でお礼をしなきゃだよ」
 次の日。「彼女と同じ勉強のグループに入れた」と報告してきた。「ライナーは頼りにされるだろうね、今から予習を頑張らないと」
 次の日。グループ学習が成功したことを報告。「いっぱい勉強してるライナーだから成功したんだよ」
 一週間後。良い雰囲気で二人きりになったことを報告。「ライナーのこと、気に入ってくれたのかな。君は優しい人だから」
 一ヶ月後。部活動の応援に彼女が来てくれたことを嬉しそうに報告。「みんな、君が活躍する姿を楽しみにしてるんだよ」
 三ヶ月後。勉強会後に彼女と二人で一緒に下校できたことを報告。家に帰るまでの間、つまり今の今まで一緒だったことを報告。「………………」
 笑顔でそれらを聞いていた。
 何でもいいから話が聞きたい、傍に居てほしい、ライナーが一緒に居てくれればいい。そう話していた彼は連日、一度も会ったことのない女の子の話を聞いていた。
 彼女の知識ばかりが蓄積されていく。とても小柄で、大きく透き通っているような真っ青の目で、美しい髪で、可愛らしい声をしていて、誰にでも優しい女神のような女の子だという。
 惹かれるのも無理はない女の子の話を。
 毎日。毎日毎日。
 飽きずに彼女のことばかりを話し続けていった。
 ある日。今日もライナーはベルトルトの部屋に来て、本日あったことをベッド隣の椅子から楽しそうに話した。時刻はまだ午後三時。試験期間が終わって早帰りの日だからいつもよりも報告が早い。試験が終わり清々しい顔をしているライナーは、今日も楽しそうにボヤく。

「どうやっても学年一位の女子に勝てないんだよな」
「でも、ライナーは全体で二位なんだろ? 男子で一位ってことじゃないか。凄いよ」

 ベッドに横たわるベルトルトがライナーを褒めるが、ライナーは「ここで留まってはいられない」と凛々しい顔つきになる。
 その調子だよ、とベルトルトは激励しようとする。そのつもりだった。だがライナーが、

「これから、彼女と一緒に遊ぶ約束があるんだ」

 と続けたせいで、ベルトルトは口を開きかけながらも固まる。

「と言っても他の連中も一緒だが。いつものゼミの連中だよ。部活は明日から再開だし、行くなら今日じゃないとって誘われてな。ライバルが多いから良いところを見せておかないといけないな!」

 嬉しそうに、仲の良い友人や好きな女の子のことを話す。部活動が無い今、みんなで遊べるなんて嬉しくて堪らないんだと。遊び終わったら試験の答え合わせもするんだと。その時間すら楽しみなんだと。けらけらと、邪気も無く彼は笑う。
 学校が終わればその後はベルトルトと話をする時間。今までそうだった。五年間も続けてきた。だけど今日はそうではない、これから彼女らと遊びに行ってくると、はにかむ。
 いつも勉強会で一緒なんだが、今日はみんなで遊ぶんだ。楽しみなんだ。
 普段ならそんな嬉しそうな言葉を聞いたらベルトルトは笑顔を送る。『ライナーは人気者だから声が掛かるんだ』『期待に応えてきなよ』『試験は二位だったけど、そっちで一位になってくるといいよ』『ライナーなら今日も巧くやれるんじゃないか』
 普段なら、普段だったら。すぐにそう返した。
 だけどベルトルトはしなかった。そろそろ限界だったらしい。言葉に詰まり、俯いてしまう。
 その変化にライナーが気付いたら可哀想だ。……俺は腕組みをしたまま、ライナーにベッドではなく時計を見るよう促した。

「ライナー。そろそろ行かないと待ち合わせに間に合わなくなるぞ」
「あ? 本当だ。すまないな、マルセル。ありがとう」
「お前は早上がりでもな、ベルトルトはもうちょっと勉強しなきゃいけないんだよ。良い休憩時間になったから許してやるが、今日中に120ページまで進めたいんだ。さっさと行け」

 ライナーが来たからと放置されてしまった参考書を指差す。ライナーはすんなりと俺の「出て行け」を受け入れ、制服の上着を羽織った。
 いくらライナーと俺が知り合いでも、俺は家庭教師として雇われて部屋に入れてもらっているんだ。奴だってそんな俺に言われて反論はしない。
 外に出る支度を終えたライナーは、ベッドに近付くなりベルトルトの頭を撫でる……ようなことも、もうしない。
 中学時代は毎日していた別れの挨拶も、今は友人達や好きな女の子に会う時間が惜しいのか、「また明日」と言うなり、部屋を出て行ってしまった。

「う」

 部屋の主の息が荒くなる。
 ライナーの座っていた席に俺が座る。俺が隣に居ても、ベルトルトは口を抑え、声を殺しながら泣き始める。
 バタン。玄関のドアが元気良く閉められる音がした。

「もう声、上げてもいいぞ。俺しか聞いてないかな」

 俺は参考書をパラパラ捲りながら、お前が泣いても平気だ、何とも思わんと言わんばかりの顔をする。高校に入ってから楽しそうに友人の話をするライナー。好きな女の子の話を自慢するかのようにするライナー。悪い奴じゃない。そんなの俺だってあの笑顔を見ていれば判る。
 でも。
 寂しいという気持ちぐらいは判ってやれないのか。

「う、うう、うあああああん」

 一頻り彼が泣き止むまで待つしか出来なかった。
 これが俺の日課だった。



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 俺も何人かいる『ベルトルトに罪悪感を抱いている人間の一人』だ。
 ベルトルトの、というよりはライナーとの知り合いだった。ライナーの後ろを金魚の糞みたいについてくるベルトルトと知り合ったのが出会いだが、家もライナー程じゃないが近いため、家族ぐるみで付き合うようになった。
 大学に入学してもう三年が経つ。入学したての頃からベルトルトの家庭教師を始めたのだから、毎日世話をするようになっても三年が経過したことになる。「暇があったら来てくれると助かる」程度のバイトが、今では大学の授業が無ければベルトルトの家に通う程になっていた。
 ベルトルトだけでなく、ライナーの高校受験にも付き合ってやった。同じ部屋の違う机で参考書を開かせるだけだったが、それだけでも二人の親から同じ額が給料を渡される。
 渡される茶封筒に申し訳ないなと思いながら、ひたすら溜まっていく万札は悪い気がしない。使ってないせいか札束が着々と太くなっていくのを見るのも悪くない。
 親達に「流石にこんなにいりません」と話をしても「第二の親として、あの二人をお願いします」と任されてしまっている。愛に溢れてはいるが懺悔もしたい立場らしい、俺も断る理由が無いから、倍の給料でベルトルト(とライナー)の家庭教師を続けている。
 面倒を見るのも仕事の一つだ。障害を持つ子を見るのは不安だったが、俺は手助けをすればいいだけ。少し間を置いてみようと思った。けど何かと手を焼いてしまう俺は一日中ベルトルトと共に過ごすことも多くなった。
 素直で良い子だったベルトルトが放っておけなかったのもある。ライナーの帰りを目を輝かせながら待っている彼が可愛くて、可哀想で、ついつい構いたかったのもある。

 ある日。年に数回だけあるという「ライナーが来ない日」に彼の勉強を見た。
 そのとき、彼の危うさを知る。
 生気が抜け、何を言ってもしゃんとしない。「今日は勉強にならん」と打ち切ってしまったぐらいだった。ずばりベルトルトに尋ねてしまった。「お前がライナーが好きなのか」と。

「大好きだよ。愛してる。誰よりもいとしい。ずっと一緒に居たい。僕のものになってほしい」

 ハッキリと、ありとあらゆる愛の言葉を並べられる。いつも大人しいベルトルトらしからぬ言動に目を丸くしてしまった。
 だが言い切ったベルトルトは俯いて、「そう思っているのは、多分僕だけだ……」と消え去りそうな声で続けた。
 消極的に「ライナーはね、罪悪感で僕と付き合ってくれていたんだよ」と泣きそうな声を出す。無責任に慰めてしまいたいと思った。顔を伏せシーツに雫を零すベルトルトを元気づけてやりたい。
 ――ライナーもお前のことを想ってるさ。
 ――きっとライナーもお前と同じ気持ちさ。
 ライナーは絶対にベルトルトのことが好きだ。それは間違いない。だが、愛しているかはどうだろう。誰よりもいとおしく感じているのか、どうだろう。
 弁解してあげたかった。だがどう考えても無理だった。明らかにライナーは同じ学校に通うとある女生徒に恋心を抱き、その相談を彼に、この部屋に居る俺達にしてきているのだから。
 健康的な男子なら恋なんて自然なものだ。俺だって中学から高校にかけて初恋の一つや二つぐらいした。外へと離れていくライナーの感情を咎めることなんて出来ないし、そんな資格も無い。
 だけど、ベルトルトだって恋をしてもおかしくなかった。
 誰よりも傍に居て、閉じこもった世界から視野を広げてくれる彼に、たとえ同性だとしても特別な感情を抱くことは、咎められる話ではない。
 ベルトルトは泣く。シーツの中で、恋心を抑えつけようとしているベルトルト。目の前で離れていく幼馴染の気持ちを見せつけられて、日々心に傷を作っていくベルトルト。
 不幸な子だ。
 自分から「何でもいいから話してほしい」と願ったせいか、ライナーが楽しく話す姿を見ると止めることが出来なくなるらしい。彼女に惹かれていく彼の話が聞きたくなくても、ずっと聞かなければならない。彼に嫌われないように笑顔で受けとめていかなくてはいけない。そうベルトルトは語る。
 馬鹿な子だ。
 話し始めた話を遮ってはいけない規則がどこにある。そんは法律はどこにも無い。お前が嫌なら「彼女のことは話さないでくれ」と言えばいいだけなのに。そんな些細なことすら口を噤んで、傷を増やして、それでもライナーのことを嫌いにならないで、ずっと想い続けて涙して。
 可哀想な子だ。
 五分、十分と時間が過ぎていく。痺れを切らした俺はシーツを乱暴に捲った。未だ涙を止められず、鼻水を啜っているベルトルトが見上げる。

「充分にライナーを嫌う要素はあった筈だ」

 俺の声にビクリと肩を震わせ、恐る恐る俺の顔を見てくる。

「なのに、まだライナーのことが好きなのか?」
「……僕は、出会ったときからライナーのことが好きなんだ。多分、生まれたときから好きなんだ。生まれる前から好きだったのかもしれない。そう簡単には、嫌いになれない」

 ――今は僕だけがそう思っているに過ぎないけど。
 ――ライナーも、昔はそう言ってくれたんだよ。
 鼻を啜りながら、不格好な足を撫でながらつらつら綴る。
 ティッシュを渡して鼻と目をなんとかしろと言いつけた。生まれる前からなんて。夢見がちなことを口にするんだな。ベルトルトらしくて可愛らしい。……ああ、確かにベルトルトとライナーは前世も一緒だったのかもしれない。命を懸けてお互いを見つめ合った仲だったのかもしれない。ふとそんなことを思い、何故か納得してしまう。馬鹿馬鹿しいと首を振るう。それぐらいベルトルトがライナーのことを好いているって伝わった。

「ライナーはな、お前のことを嫌いになったんじゃない。違う子を好きになっただけだ」

 我ながら酷い言葉だと思うが、あまりに泣き止まないベルトルトに苛々していたせいだろう、少し厳しい口調で言い放ってしまった。
 そもそもベルトルトはライナーに対して何もしていなかった。良い話も悪い話もただただ受け取るだけで、それに対して自分がどう想っているか、何を話してもらいたくないかの自己主張すらしていなかった。そのくせめそめそと泣く。
 それが俺は気に食わなかった。
 好きになってほしいならそう願えばいい。クリスタとかいう女子の話を聞きたくなければそう言えばいい。そんな風に考えてしまうのは俺が短絡的なのだろうか?
 いつしか俺は、「ベルトルトの強い意思が見たい」と考えるようになった。

「ごめん、マルセル、もう泣き止むから」

 俺はベッドに腰掛け、出来ないことを言うベルトルトの黒髪を撫でる。
 肩で息をする彼の顎を掴んで、唇と唇を重ねた。
 驚いたベルトルトから変な声が漏れた。構わず俺は頭を掴み、逃がさないように抱え込む。俺の胸に両手が添えられる。押し返そうとするのか? いや、いつまで経っても力はこめられなかった。
 目をぐっと瞑ったまま、ベルトルトは成されるが儘。
 ならば口を開けさせて舌を捩り込み、口内を嬲ってみた。ベルトルトは驚きながらもまだ俺を押し退けようとしない。押し退けようともしない。
 なんだこいつは。
 嫌じゃないのか。嫌とも言えないのか。
 舌を絡ませ呼吸を奪う。長い陵辱が続いた。その間、何度も彼が逃げられるように力を抜いてみた。それでもベルトルトは拒まない。
 足はともかく両腕は動かせる。「やめて」の一言だって言える。いつでも強引なキスを止められるのに。まさか俺のことを受け入れてくれるのか? それなら可愛いが、そんな気もしてこない。
 かっとなった俺はそのまま布団の中に手を突っ込み、逃げられないのではなく、逃げようとしない彼を嬲った。

「あっ」

 ちんこを掴んで、辱める言葉を何度も言い放ってやる。
 ――こんなとこ触られて、恥ずかしくないのか。
 ――なに気持ち良さそうな声を出してるんだよ。
 ――無理矢理やられてるくせに、感じやがって。
 ――まさか、こういうことされたかったのか。
 ――変態。
 そうやって一呼吸置くことで、いつでも「やめて」「助けて」と口を挟めるようにしたつもりだった。
 服を脱がせて酷いこともした。滅多に見られないところに息を吹きかけたり、指で弄んでやった。
 それでも。それなのに。
 か細い悲鳴を上げ、目を瞑って涙を呑むだけ。
 ついに俺は、ベルトルトを絶頂に導いてしまった。

 身動きのとれない子供を言葉で、力で制圧するなんて最低なことをした。
 ベルトルトは終始涙を啜っていた。居た堪れなくなってどうしたものかと頭を抱えていると、丁度そのとき彼の両親が帰宅してきやがった。
 ああ、俺の人生は終わる、お巡りさんの面倒になるのか。そう思っていたが、ベルトルトは両親にすら助けを求めることをしなかった。
 優しい彼の母親に微笑まれ、玄関で見送られる。

「また明日も宜しくね、ベリックくん」

 そう言われたからには、また明日も来るしかない。そして翌日。何事も無かったように勉強を始め、一段落ついたところで、気が付いた。
 勉強を終えたベルトルトが、昨日か細く鳴いていたときと同じ呼吸をしていた。試しに昨日のような辱める言葉を呟いてやる。

「昨日のことを思い出したか? またしてほしいのか?」

 ベルトルトは嫌と言わない。何も言わず俯く。

「なんだ、俺の気のせいか? それならすまない。昨日みたいにケツの皺を数えてほしいのかと思っ……」
「ライナーにしてもらってるみたいだったんだ」

 突然。俯きながらもベルトルトが口を挟む。
 やっとか、と俺は漸く訪れた感情の放出にほっと胸を撫で下ろした。言い返されることなのにこんなに安心するものか。自分でも驚いてしまう。

「お前、ライナーにちんこ握ってもらったりしてたのか?」
「む、昔は……。まだ、トイレに慣れなくて……。どうしても……汚しちゃうから。今はしてない。ずっと昔の話だから……。気持ち良かったんだ。誰にも言えなかったけど……」
「そりゃあな」
「僕。実は、歩ける」

 唐突な告白。これからどう苛めてやろうと悶々と考えていた俺は「はあっ!?」と情けない声を上げてしまった。
 確かに一人でトイレに行けるし、自分で食事も用意できるぐらいだ。完全な要介護者ではないと知っていたが。それにしたっていきなりだ。

「あ、でも、支えが無いと立てないっていうのは本当だ。寄りかかれないと立ち上がれないし、何かを掴んでいれば蹴ったりすることは出来るけど、走れるような足じゃない。ゆっくりなら歩ける。でも、みんなが思っている以上のことは出来る。あ、えっと、おちんちん触ってもらうと気持ちいいって話だけど、それは、えっと、先にこっちを説明した方がいいと思って、か、関係があるんだよ……」
「言ってる意味が判らん! 落ち着いて一から話せ!」

 ベルトルトが言うには。
 ――日常生活を送れるぐらい、足は良くなっていた。周囲がごめんなさい、すまない、私達のせいでと謝罪をしまくっているのを見て、彼は懸命にリハビリに専念した。その甲斐もあってか、元から治る見込みがあったのか、少しずつ足は良くなっていった。
 このままいけば体育の授業には出られなくても学校に復帰できる。それほど良好だったにも関わらず、いつしかベルトルト自身が回復を拒むようになっていった。
 理由は、ライナーが毎日会いに来てくれたからだ。
 自分のせいで幼馴染の様態を悪化させてしまったと考えていた責任感の強い少年は、律儀に毎日見舞いに来た。相当な理由が無い限り、彼が見舞いに来ない日は無かった。
 些細な手助けもしてくれた。毎日元気づけてくれた。愉快な話だけでなく退屈なことまで話を聞かせてくれた。「俺がベルトルトを閉じこめてしまった」という罪悪感から、少しでも閉じた世界から救い出してやろうとした彼は……ベルトルトの為に最大限の努力をしてくれた。
 それがベルトルトには嬉しかった。
 嬉しくて嬉しくて、ずっとしてほしいと思うぐらいに。
 ベルトルトはライナーのことを好いていた。先程言った言葉を借りるなら、初めて会ったときから、生まれる前と言い張るぐらい強い好意を抱いていた。一緒に居られるだけで幸せだったベルトルトは、これからずっとライナーと共に居るために、ライナーを自分から離さないようにするために……親や周囲の者達に嘘を吐く決心をしたという。
 動かすことができる足を動かないと言う。
 行ける筈の学校に行けないと言う。
 治っている筈の病を、原因不明の奇病に仕立て上げてしまった。

「多分、医者は判ってるよ。治っているものだって。でも精神的な理由で歩けても歩けないって言い張る患者はいるから、僕はそれと同じとされた。だから今も」
「支えが無ければ歩けないように、みんなを欺いていると」
「…………うん」

 たとえライナーが仲が良い幼馴染で「いつも遊んでやる」と約束してくれても、一つ違いの学年は、ベルトルトが満足する時間を与えてくれなかった。
 何より、ライナーは友人が多かった。年の離れた俺とも知り合いになるぐらいだ。このまま中学、高校、社会に出て行けば次第に……年下の幼馴染なんて置いていくかもしれない。
 十歳のベルトルトは、「いつか愛しいライナーが離れていく」という絶望的な未来が既に見えていた。
 罪悪感でも何でもいい。彼が毎日のように自分に会いに来てくれる口実が作れれば。
 その一心で嘘を吐く。
 外に出られないとなれば心優しいライナーが外のことを持ってきてくれるから。僕の為に。だから!

「ライナーに……触ってもらいたくて、甘えて、何にも出来ないんだって言ったんだ……」
「それなりに何でも出来たのに」
「うん。お風呂や……お手洗いまで、彼に甘えた。出来るのにね。それで……トイレのとき、ちょっと恥ずかしかったけどライナーに手伝ってもらって……その」
「その?」
「お、おちんちん……触ってもらえるのが……気持ち良くて。それを……マルセルにされたとき、思い出しちゃったんだ」

 顔を真っ赤にしながら、少しずつベルトルトの指が……俺の手を掴もうと動き出す。
 手を伸ばしてやるとおずおずと掴み、それを自分の体へと導いていった。

「……ライナーはもうしない。しなくなった。僕がお願いしても……きっとしてくれないだろう。義務感で毎日話をしてくれても、最近は、ずっと友達のことばかり……好きな子のことばかり。ずっと彼を僕の元に縛り付けることなんて、無理だったんだ。僕になんかもう、触ってくれなんか、しな」
「だから?」

 だから、何だ。
 続きを言わせようとする。何をしてほしいんだ、自分の口で言え。強く言い放つと、ベルトルトは口をわなわなさせながら、俺の手を掴んで、

「……触って……。寂しいんだ。もう……誰かに触ってほしくて……ライナーはもう触ってくれないなら……僕……僕っ……」

 自分の股間に俺の手を持っていく。

「よく言えたな。いい子だ」

 やっと主張らしい主張を聞けて、俺はほっとした。
 ――不幸な子だ。馬鹿な子だ。可哀想な子だ。
 身勝手な欲望のために周囲を騙していたのは頂けない。特に両親を欺き、安くない投資をさせていたのは褒められる話じゃない。その点に関しては後で「少しずつ改善してきたことにして、親を喜ばせような」と約束させた。ベルトルトは涙を流してこくこくと頷く。
 可愛い。

「触ってやるよ。そんなに強請られちゃあ、お前が嫌だと言い出しても離してやれそうにない」

 俺は一世一代の告白をし終えたようなベルトルトに口付けると、昨日よりも甘く、でも行為自体は激しく求めてやった。
 揺すりのネタを手にしてしまったようだ。「ライナーに知られたくなければ」と言えばベルトルトはこれから俺に対して何だってするかもしれない。だが、これについては悪用しないことにしよう。腹が立つことはいくつかあったが、ベルトルトが憎い訳ではなかった。
 人肌が恋しいベルトルトは「もっと、もっとちょうだい」と淫乱に求めてくる。体中を愛撫している間、恥ずかしそうに喘ぐ姿が愛らしい。びくびくと震えながら快楽を我慢して、「こんなこと話したの、マルセルだけだよ」と甘えた声を出す。
 秘密を知っているのは俺だけ。俺を頼って恋しがる声。何も出来ない子供を守りたいという保護欲も刺激される。そんな彼に憎ましさなんて抱けない。
 そう思っていた。
 けど。

「……ライナー……らいな、らいなぁ……」

 肝心なところで、ベルトルトは生まれる前から好きだという想い人の名を叫ぶ。
 聞いたとき、怒りが生じるよりもつい笑ってしまった。ベルトルトはさっきから俺を見ず、目をぐっと瞑っているんだ。性感帯を触られて気持ち良さそうにしながら、ずっとライナーの名前を呼んでいる。
 俺に触られたい訳じゃない。都合の良い快楽を求めて……これまで以上の夢を見たいだけだったか。
 俺は道化か。
 知ってる。それでもベルトルトのことが可愛いからいい。この感情に限れば、ライナーに負けないぐらいにはベルトルトを愛らしいと想う。
 俺に抱かれライナーを名を呼ぶ彼に、保護欲以上に支配欲に駆られた。でも束縛する気も、略奪する気も起きなかった。



 /5

 一年以上が経った。
 ライナーの恋が始まって数ヶ月後、俺達は関係を持った。そうして一年。長いようであっという間だった。
 勉強の時間が終わったら、触ってやる時間が始まる。ライナーが学校を終えて来るまでの間、俺達は情事に耽る。愛の言葉は囁かない。好きだ、愛してるという言葉はライナーに向けられるものであり、俺も同じ言葉をベルトルトに聞かせてやることはなかった。たまに冗談でカーテンの隙間から「月が綺麗ですね」と言うことはあったが、「どうしてマルセル、敬語なの?」と言われるぐらい、ベルトルトは俺に興味が無いようだった。

 周囲が考えている以上に体は動かせると言っても、激しい運動はさせられなかった。それなのにベルトルトは淫乱なのか、ありとあらゆる行為を強請ってきた。
 最初はマッサージをしてやる程度に留めようとしていたが、そのうちサド心に火が付いてしまった俺はケツの穴を重点的に苛めるようになってしまい、数ヶ月後にはアナルセックスが日課じゃないかというぐらいになってしまった。
 ベルトルトに無理をさせる訳にはいかない。俺が腰を動かす。ベルトルトをベッドの上で俯せにして、腹の下にクッションを敷いてやる。腰を高くしたベルトルトは、シーツを噛みながら喘ぐ。気持ち良くなっている顔が見えないのが難点だが、このやり方が一番お互いにとってラクだった。
 巧く動けないベルトルトの中に挿しこんで、動かず留まる。自分から動くことが難しい彼は、俺が動かないとなると頼むしかない。「マルセル、お願いだ、動いて……」と。「激しくして……気持ち良くさせてくれ……」と。
 その声が聞きたくてわざとゆっくりしてやったり、イきそうになったら止まったりしてやる。俺に何かをしてもらえなきゃいけない彼は首を振って悶える。「もっと気持ち良くなりたい。意地悪しないでくれ。イかせて」 最初の頃の何も言わなかった姿を知っていると、俺にしか頼れなくてひいひい喘ぐ声は最高の肴だった。
 それがあまりに良いので、絶頂時に「らいなぁ……!」と叫ぶのは目を瞑ることにしていた。
 ライナーの部活動が終わる頃に俺達は後処理をして、彼がやって来るのを待つ。今日は早めに勉強も秘密の時間も終えてしまったので、俺が晩飯を作ってやることにした。
 ベルトルトはテレビの音をBGMに今日の勉強の復習をしていた。もう自然な日常になっていた。

 相変わらず仕事が忙しい二人の親は、ベルトルトが回復に進んでいることを大変喜んではいたが、それでも家族の生活は変わることはなかった。 
 それどころか「これからもベリックくん、宜しくね」「来年は就活で忙しいでしょうけど、ベルトルト達を構ってあげてね」と二人分の給料の入った茶封筒を握らせてくる。決して悪い話ではないが、なんだか歪んでいるな。そう思わずにはいられなかった。

 暫くして部活の終わったライナーがやって来た。インターフォンも鳴らさず合鍵を使ってベルトルトの家に入り、キッチンに居る俺に「汗をかいたから風呂入ってくる」と彼の家ではないが毎日の掛け合いをする。
 運動部は冬でも汗をかくんだな。まあ、冬でも運動して汗をかいたのはベルトルトも同じだな。お疲れ。こっそりそんなことを想いながら夕食の支度をベルトルトとし、三人で何気ない話をして飯を食った。
 このときの話の中心は、もちろんライナーだ。部活動は順調、勉強もそこそこ、恋は……順調とは言えないが彼なりに巧く運んでいるらしい。ベルトルトの顔色を伺ってみると、「彼女より、彼女と一緒に居るユミルやサシャのことが気になるな。あの二人の話、面白いから」と笑っていた。

「そろそろ進路調査を提出しなきゃいけなくて。サシャの奴、あんな顔してちゃんと先のことを考えてやがった」
「先のこと?」
「あいつ、栄養士になりたいんだと」
「あ、意外だ。いや、あんまり意外じゃないかも。でもパン屋さんかと言うかと思ったから、やっぱり驚くな……」
「一度も会ったことないお前ですらそう思うよな。実際言われた俺達は絶叫したぞ」

 そんな話をしながら夕食を終えるとベルトルトの両親が帰って来て、皿を洗おうとしたら母親に「それぐらい私にやらせて」と仕事を奪われてしまう。「いつもありがとう、おやすみなさい」と、人の良い、ベルトルトを女にしたような人に微笑まれて、ライナーと共に家を出ることになった。
 ベルトルトに今日の復習をしておくことを告げる。それと、車椅子に座り見送るベルトルトにしゃがみ、耳までに唇を寄せ、誰にも聞こえないように……「俺が来る前にバイブを突っ込んでおけよ。してなかったらお仕置きだ」と囁いておく。ベルトルトは大袈裟にびくっと震えたが、耳を赤くして頷いた。

「内緒話か?」
「なんでもないよ。ライナー、おやすみ」
「おやすみ。ちゃんと暖かくして寝ろよ。最近寒いからな」
「うん。あ、マルセルもおやすみ」
「ついでみたいに言うなよ。傷つくだろ」

 夜道、ほんの数歩の一緒の帰宅の最中に、俺とベルトルトの様子を見たライナーが首を傾げて訊いてくる。「さっきの内緒話、何なんだ?」「ああ、俺とベルトルだけの内緒話だ。羨ましいだろう?」 茶化すように言うと、ライナーは珍しくむっと口を尖らせた。
 たとえお前がむっとしたって、今は俺のベルトルトだ。俺のだなんて彼にも告げたことはないが、現状そういうのに違いない。内心ほくそ笑むと、目の前のライナーが余計に幼く思えた。
 図体がどんなにでかくなっても子供っぽい仕草は変わらない。それは昔を知る年上の特権だった。俺は機嫌を良くして帰り道の話を続ける。

「ところで、お前の進路はどうなんだ。お友達の話ばかりでライナーの話を聞いてないぞ」

 エレンとかいう子は父親の診療所を継ぐために勉強だとか、愛しのクリスタちゃんは人類の為になるような聖母の心で海外ボランティアに励むとか、彼女の一番のお友達も同じことをするつもりだとか。
 そのようなことを繰り返し聞いただけだった。ぼんやりと尋ねる。

「ん? 言ってなかったか? 俺は医大志望だぞ」

 元からそのつもりであの進学校に入学したんじゃないか、そのためにマルセルに家庭教師を頼んだんだろ?
 けろっと言われて驚いた。そういえば、そんな話をした気もする。高校受験の話なんてもう三年近く前だから覚えてないのも無理はないが。

「そのバカでかい図体を生かさないなんて寂しい奴だな。ゴリラみたいな医者だと子供に泣かれるぞ」
「体格は生まれつきだ!」
「せめてライオンみたいな医者と言われるぐらいになろうな」
「どうやって!」
「子供的にはゾウさんの方が人気か? 他に人気な動物って何だ? うーん、お前はどう例えてもゴリラ……」
「なんで子供人気を考えなきゃいけないんだよ! 小児科志望じゃない! 俺は……ベルトルトを治したいんだよ」
「…………」
「あいつ、全然動けなくなっちまっただろ。そんなの……これから一生動けないだなんて、楽しくないだろ。いつか一緒に歩けるようになるために、まず難病を研究できるだけの力をつけないと……だから俺は勉強を」
「はあ」

 予想できたことをそのまま言われて、俺まで思わず口を尖らせてしまった。
 無意味な沈黙が訪れる。
 俺は呟く。「治るといいな」
 ライナーが即答する。「俺が治す」と。「あのとき何にも出来なかった。今度こそ、俺が……守る……」 力強く言って、頼もしい声で言い放って、夜道に彼の誓いが響き、あまりのことに恥ずかしくなったのか頭を掻く。
 可愛い奴だ。
 俺はベルトルトのことが好きだが、ライナーのことも好きだ。もしライナーが何者かに襲われることがあったら、命を投げ出してでも庇いたいぐらいに大事に思っている。それぐらい彼とは良い時間を過ごしている。ベルトルトの抱く想いには負ける気がしないが、そんなところで争ったとしても、俺にとって大切な弟分には変わりない。
 恥ずかしがっているライナーの髪をぐしゃぐしゃ掻き乱すように撫でる。ベルトルトの家のシャンプーの香りが鼻をくすぐった。「や、やめろ」と余計に恥ずかしがるライナーの肩を抱いた。

「そんなこと言ってると、誤解されるぞ」
「ご、誤解って何だよ」
「お前、ベルトルに付きっきりだって。このままだとベルトルのことを好きなんじゃないかって思われるぞ。あいつも誤解しちまうだろ」
「誰に思われるんだよ。別に構わないさ。好きなんじゃないかって、俺はベルトルトのことが好きだからな」
「マジで?」
「……マジだ」
「あんだけクリスタちゃんって子のことを話しておきながら?」
「そ、それは関係ないだろ! それにクリスタには……」
「クリスタちゃんには?」
「入学一週間目でフラれてる」

 もしかしたら隣のベルトルト宅に聞こえるんじゃないかというぐらい、俺は大絶叫を上げた。不審者として通報され、小学生のいるご家庭にメールが送られるんじゃないか心配になる。
 俺は早口で追及した。なんで? フラれてるって? そもそも、出会って一週間でフラれるって何だ? 一週間で告白したのか? 馬鹿か? なに? 二人きりになって良い雰囲気の放課後だったから「結婚してください」って? 言ったのか? 付き合ってもいないのに結婚を前提にって言い出したのか? 馬鹿か!

「なんでそんなに批難されるのか判らないんだが」
「てっきりお兄さんはお前とクリスタちゃんが良い仲なのかと思ってたんだよ!」
「良い仲って。友達としては良好だぞ。一年のときから同じゼミだからな」

 彼女はとても優しい人で、友達として一緒に居てくれるという。「医大に行きたい」という話も応援してくれる良い子だそうだ。
 もう少しアプローチできるかと思っても、彼女は卒業後仲良しの友達と海外ボランティアに出てその途中で結婚を予定していると延々と語られてから、恋愛としては見られなくなっている……と語った。
 入学一週間で彼と彼女の関係は途切れていた。始まってもいなかった。それなのにベルトルトは苛んでいたのか。今まで。いや、これからも。

「マルセル。お前なら判ってくれてると思っていた」
「はあ? 何がだよ?」
「俺が……ベルトルトのこと、好きだって。ずっと好きだから……大人になって、俺があいつを治してやって、そしたらずっとこれからも一緒に……それまで寂しいかもしれないけど、だからこうやって俺は毎日……」

 知ってるよ。
 改めて言うなよ。
 お前もきっと出会ったときから、生まれる前からベルトルのことが好きだって言うんだろ! 恥ずかしい!
 ハァと盛大な溜息を吐くとライナーが心配顔になった。「何かあったのか」と尋ねてくるライナーに「お前のせいだよ!」とゲンコツを食らわせる。
 なんだお前ら、ずっと好き合ってたんじゃないか。俺が途中に入り込む隙なんてないぐらいに! 彼の家の前でそんな悲痛な声をずっと上げている訳にはいかない。「また明日、ベルトルトの家でな!」 毎日決まった挨拶で彼と別れた。
 いつも通り。
 この一年、三年、五年通り。
 何も変わらず、二人がいつも一緒だったということを思い知りながら。

『ベルトル、お前の悩みは勘違いだったよ。未だにライナーはお前のものだ。お前から離れていくことなんてない。良かったな』

 聞いたベルトルトはきっと喜ぶ。今以上に笑う。そう簡単にいくだろうか。ああ、きっといく。単純なベルトルトは自分が思っている以上にライナーの心が傍にあったことを知ったら、昇天するぐらい喜ぶだろう。
 ならその笑顔を見たいから告げてしまおう。
 なんてことはしない。
 誰に向けて言った訳ではないが、俺は夜空に向けてある言葉を吐き捨てていた。
 勘違いさせることをしてた中途半端なクソ野郎のライナーに対して。
 おそらくあっという間に心変わりをして涙を流し喜び舞い踊る泣き虫ベルトルトに対して。

「ふざけんな」

 そして好きな子の喜ぶ顔を優先せずこの関係を続けようとしている、言わない自分に対して。
 いっそ通りすがりに誰かに聞かれたい。そんな想いで、煮えくり返った言葉を声に出して叫んでいた。




END

支えが無ければ生きていけないベルトルト(淫乱)は、かわいい。車椅子に乗るベルトルトと介護するライナーかわいい。(フォロワーさんからお題を頂いてSSを書く企画をやってみた第6段。お題:「言ってる意味がわからん!」「紅茶…(ハートマーク)」「札束」「着崩し」「月が綺麗ですね」「○○で例えて?」)
2014.2.20