■ 「優しい人間達が憎い。」



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(お題:「映画化決定」「寝坊」「できること、できないこと」「ひそひそ話」)



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 寒い。臭い。汚い。そんな開拓地の労働者宿舎で寝起きする日々も、もう半年目。
 ウォール・マリア崩落の大惨事からそろそろ6ヶ月。まだ内地にいる王政はろくな仕事をしていない。下の民達は毎日死にもの狂いで働き生きている。
 1ヶ月目は内地からの寄付金とやらのおかげでそこそこ良いパンを食べさせてもらっていた。だが半年目になるとどこでも具の無いスープが当たり前になってきた。「道端に餓死者が転がってる」なんて噂もちらほら出始めているぐらいだ。幸い俺の居る開拓地ではそこまで酷い状況ではなかったが、良いかといえば決してそうではなかった。
 労働者宿舎では板の上に薄い布を敷いて雑魚寝を強いられている。いびきのうるさい親父の隣で寝ることになった日には今すぐ踏み殺してやろうかと思うぐらい、毎日快適に寝ることは出来ない。せめて安心して眠りたい、美味くなくても餌が欲しいと誰もが思っている世界だ。
 昨晩は寝言が酷いじいさんの隣で寝てしまった。俺は土仕事に疲れていたせいかぐっすり休むことができたが、ベルトルトはじいさんの寝言が気になって全然寝付けなかったらしく、今朝は揺すっても全然目を覚まさなかった。
 ベルトルトは只でさえ神経質だ。毎日変わる環境に3時間眠ることが出来れば良い方で、俺と同じぐらい体を動かしていても時には一睡もしないときがある。全然寝付けなかったことを知っている俺は「もう少し寝かしておいてやろう」と一人、寝床を離れた。
 まだはっきりしない意識の中、頭をぼりぼり掻きながら寒い朝日を浴びる。俺と同じぐらいの年頃の女の子達が朝食の手伝いをしているのを見ながら「アニは元気にやってるかな。嫌な目に遭ってないかな」などと考えていると、ふと宿舎の外で少し小奇麗な格好をした大人達がひそひそと話をしているのに気が付いた。
 小奇麗と言ってもここで寝泊まりをしている連中と大差ない。だがその中にいる女は化粧までしているじゃないか。今から泥だらけになってコキ使われるのに化粧なんてして何だ? 不審に思って彼女らを観察している……と、背後から「らいなあっ!」という絶叫じみた声と共に衝撃が押し寄せてきた。
 ベルトルトが後ろから突進してきただけだ。
 背中への突貫によりベルトルトに押し潰される。不意打ちだった。周囲にぎょっとされるぐらい盛大に俺達は、いや俺達はすっ転んだ。
 起きぬけの一撃とはこいつ、やりおる。
 俺がうつ伏せで潰れている上でベルトルトは「なんで僕を置いていくんだ! ライナーが居なくてびっくりした! 泣くところだった!」と涙目で叫んでいる。背中越しに鼻水の生温かさを感じる。泣くところだったってもう泣いてるじゃねーか。悪目立ちするなといつも言ってるのはお前だろ。何してくれやがるんだこいつは……。
 説教でもしてやろうと顔を上げると、小奇麗な連中がこちらを見てクスクス笑っているのが見えた。そして周囲の大人達が「喧嘩は駄目よ」「ほらほら、泣きやんで」「みんなでご飯を食べようね」と俺の上で泣くベルトルトを宥め始めている。
 どいつもこいつも優しい人間達だった。
 思わずじくりと胸が痛む。
 それでもベルトルトは俺の背中から降りずに泣き続けていた。こいつときたら。



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 日が暮れる。泥だらけの体を引き摺って労働者宿に戻ってくる途中、路地の裏から女性の歌声が聞こえてきた。
 綺麗な歌声が気になって路地に足を踏み入れようとした。だが同じく泥だらけのベルトルトは「そんな所なんて行きたくない。戻ろ?」と手を引く。俺は逆に「まだ夜じゃないからいいだろ」とベルトルトの手を引いた。黙ってベルトルトは俺に連れられ奥に進む。
 路地の奥にやって来ると、そこには人だかりができていた。何だと目を凝らして遠くを見てみると、小さな楽団が楽器を奏で、歌を披露していた。そして自分のように歌声に惹かれて来てしまった労働者達が、汚れた小さな音楽を取り囲んで歌を楽しんでいた。
 中央では女性が楽器の音色に合わせて歌っている。あれ、あいつは。真新しい記憶を辿ると、ああ、あれは朝に見た綺麗な女じゃないか。
 なるほど、彼女達はこれをするためにここに来た連中のようだった。きっと半年前から芸能で食ってきた人間なんだろう。薄汚れた舞台でも洗練された音楽が路地を満たしていた。

「綺麗な歌だな」

 今の世は明日生きられるか判らないほど絶望に染まっている。皆が餌と寝床を求めて一心不乱に生きている中、歌や演劇なんてものを見ている余裕は無い。けどもう大事件から半年が経とうとしている。娯楽が復活し始めていてもおかしくはない。
 荒んだ人々の心に余裕を取り戻させるため、少しでもかつての楽しい日々を思い出せるため、彼女達は歌を届けに来たのか。
 ほうと感心していると、楽団を見ていたある男が「このクソ忙しいのに、歌なんて唄って遊ぶだなんて大人のすることか!」と声を上げた。だけど男の隣に居た女が「いつまでも暗い顔をするよりいいでしょう」と窘める。男は渋々口を噤む。男のように不満を言う者は他にはいない。大勢は「今は少しでも悲しい日々を忘れよう」と楽しく明るい歌に聞き入っていた。
 汚れた楽器でも美しい音色は疲れた人々を癒していく。女性の奏でる歌は愛と希望に満ち溢れたもので、皆が皆、辛い現実から解放されたいと歌を楽しんでいた。

「いいもんだな」
「ライナー、戻ろう」

 俺が口から一言零すと、ベルトルトは真顔のまま俺の手を引いた。「なんでだ? 折角面白いもんが見られるのに?」 そう俺が文句を言うと、焦るベルトルトが何かを言い返す前に女が近寄って来た。



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 一通り歌が終わると今度は楽器を持っていた中年男性達は前列に居た子供達を捕まえて楽器を持たせた。「楽器なんて持ったことない! こんなの弾けないよ!」「誰だって最初は初めてさ。持ってごらん。楽しいよ」 微笑ましいやり取りが始まる。そんな最中にベルトルトが去ろうとしたもんだから、逃がすまいと思ったのか何なのか、中央に唄っていた女性がベルトルトに呼びかけた。「さあ、君もお歌を唄おう!」と。
 ベルトルトは子供の中では異様に背が高い。かと言って大人っぽいかというとそうではない。どんなに後ろに居てもデカい子供のベルトルトは目立ってしまう。損な彼は主役に声を掛けられ俺の後ろにバッと隠れた。 
 「おいで。一緒に唄おうよ!」と誘われても、ベルトルトはぶんぶん首を振る。「最初は恥ずかしいかもしれないけれど」と優しく声を掛けられても、ぶんぶんぶんぶん首を振る。首が取れるんじゃないかってぐらい横を振る。ついには「ライナー! 逃げよう!」と涙を目に溜め叫び始めた。
 ……ベルトルトは歌が得意じゃない。好きだった記憶も無い。というか人前で歌うなんて苦行を内気な彼はしたくないだろうし、何より初対面の人と話せない性格の彼が注目を集めるようなことが出来る訳が無かった。女性が「楽しいよ!」とベルトルトに迫ってきても、涙を溜めてやだやだと俺の後ろから隠れて出ようとしない。それでも迫りくる魔の手に、仕方ない、「俺が歌います」と言って前に出ることにした。
 すると……俺が前に出るんだから、後ろにくっついているベルトルトも必然的に前に出る形になった。
 女性は「あら、お友達と一緒なら歌えるのね?」と明るく笑いかける。まだベルトルトはぶんぶん頭を振りたくっていたが、俺から離れるよりは良いらしく、一緒に人前に出ることになった。

「お前何だってできるだろ、歌ぐらいできるよな?」
「できるけど、できないよっ!」

 ベルトルトは鼻を啜りながら叫ぶ。それが大人達には何故か大受けで、「恥ずかしがらずにやってみろー!」「男の子だろ、泣くんじゃないよー!」と無駄な注目を集めることになった。
 結局、俺達は大勢の前に醜態を晒す羽目になった。
 俺の後ろに隠れる泣き虫を大人達がげらげら笑う。笑われてベルトルトは余計に泣く。ぎゅうっと後ろにしがみ付いてくるのがいつもの通りだなと、つい俺も笑ってしまう。半年経っても、それどころか何年経ってもこれだけは変わらないと思いながら俺が「俺達、歌なんて何も知りませんよ」と言うと、女性は「簡単な歌だからすぐ覚えるわ」と単純なメロディに乗せた愛に溢れる歌を奏で始めた。

 ――負けないで。諦めないで。
 ――私達には希望がある。
 ――愛があれば、貴方がいれば、私は生きていける。
 ――未来は誰にでも平等。
 ――手を繋いでいこう。
 ――世界は私達が切り開いていくんだ。
 ――たとえ絶望が迫り寄っていたって、みんなで力を合わせれば大丈夫。
 ――みんなで生きていこう。

 ……絵に描いたような前向きに歌詞に、笑うしかなかった。

「みんなで歌えば楽しいよ。今は巨人なんて怖いものは忘れて、みんなで笑いましょ」

 歌に聞き入っている労働者達も、みんな笑っている。優しい顔をして笑っている。楽しそうに笑っている。殺伐とした開拓地の空気はどこに行ったんだろう。みんなが優しくなっていくのが目に見えた。
 優しく笑う彼ら。なんだか俺の笑いとは違う。また胸がじくりと痛い。そんな違和感だけは判った。
 後ろで隠れるベルトルトは、誰も見られないのかそれとも違う意図があるのか、涙で濡れた目でずっと俺の顔を伺っていた。



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 ――この歌詞を忘れないで。今は辛い毎日かもしれないけど、みんな負けちゃ駄目よ。これからの時代はまだ若い君達が作っていくの。世界を切り開いていくのは貴方達なんだから!

 相変わらず綺麗な言葉しか言わない女だな。まるで出来過ぎた舞台を見ているようだ。ああ、復興途中の健気な歌手を描いた映画ができてもおかしくない。これはきっとその一幕だ。なんて感動的なシーンだろう。いつかこいつらこのことを脚本にするんだろうな。感動的だもの。映画化決定間違いなし。……笑うしかない。そう思っていると小さなコンサートは解散の時間になった。
 子供だけじゃなく大人達も彼女達に「また来てね」「また歌ってね」と激励を投げかけていた。
 彼女達のしていることは絶望だらけの人々に希望を与えていくんだろう。良いことをしている人達だと思う。
 だけど、無意味なことをしているとも思う。……どんなに頑張ったって俺達がまた希望を抱いた人々を潰していくんだ。なら最初から絶望に暮れて生きていった方が辛くないだろうに……。思っても言える訳が無いから、俺は彼女達に「頑張ってください」と心に無いことを言い、その場を去った。
 労働者宿に戻る。泥だらけの体を洗う。具の無いスープを飲む。固い板の上で寄り添って寝転がる。また明日に備えるために目を瞑……ろうとしたが、ベルトルトがまだ寝床に着きたくないような顔をしているのに気付いた。便所に行きたいかと言ってみたが首を振るだけ。じゃあ何だ。何か言いたそうな顔をしやがって。俺は他の人間達に聞こえないよう「何をぶちまけたいんだ」とひそひそ尋ねた。
 ベルトルトは何も言わない。口を噤んだまま、何か考えてはいるが何も言ってこない。何かを話したくても巧く言葉が出てこないからそんな顔をするしかないのか、数分間、表情を変えず俺の寝間着の袖をただただ掴んでいた。

「『お前らなんかに未来は無い』って言いたかったか?」
「…………ライナー。凄いよ。よく僕の言いたいことが判るね」

 まさかの当たりかよ。
 俺がぼやくとベルトルトは俯いた。そう自分でも思っていたくせに、改めて言葉にしたら己の邪悪さに落ち込みやがった。俺は溜息を吐きながら、「思ったのによく言わなかった。褒めてやる」と頭を撫でてやった。

「……ライナー。君は、歌を唄ってるとき、楽しそうだった」
「ああ、あれは楽しまないとやってられなかったんだよ。恥ずかしかったからな」
「その割には、上手かった……」
「俺が歌得意なのは昔からだろ?」
「……うん、そうだった。そうだったね」
「歌を唄うなんて久々だったから。故郷の歌、覚えさせられたよな。懐かしい」
「…………楽しそうだった。ライナー、楽しそうだった……」
「何が不満だ」

 撫でる手を止め、俯くベルトルトの顔を両掌で起こしてやる。
 真正面から見る顔は、今日は朝から散々喚いて夕方頃もびーすか歌を唄って泣き腫らしたというのに、まためそめそし始めているものだった。
 額に軽くキスをする。一度だけのつもりだったがまだ泣き止まなかったので何度も額に唇を落とす。そうして数分。ベルトルトは鼻を啜りながら何度も俺の名前を呼び、何度も何度も言葉を纏めた後に……一気に吐き出した。

「……ライナー。なんで、ライナー……笑ってたの……」
「…………」
「……ダメだろ……楽しんだら……楽しんだら、ダメだよ……情が移る……良いとか……思っちゃ……良い人だなんて思ったら……殺したくなくなる……そのうちみんな死ぬんだから……楽しんだら、楽しんだだけ……ただただ君が辛くなるだけだよ……」
「馬鹿。何言ってるんだ、ベルトルト。俺の心配より自分のことを考えろ」
「……ううう」

 ひそひそ話しているつもりが、ベルトルトが本格的にぐずり始めてしまった。すると本日俺達の隣で寝ることになった青年が「どうしたんだい?」と声を掛けてきた。
 図体がデカいくせに泣き出すのが早い中身が子供なベルトルトはやっぱり目立つらしい。少し我慢する癖を付けてもらわなきゃならない、今後の課題はそれだなと思いながら俺が前に出て庇う。

「なんでもないです。心配しないでください。あっち行ってください!」

 優しい男性にやや敵意剥き出しに言い放ち、ベルトルトに薄いシーツを掛けて隠した。
 途端、胸がじくりと痛んだ。

「…………。すみません。心配してくださって、ありがとう……ございます」

 青年は苦笑いしながら、「何かあったら言ってくれよ」とだけ俺達に告げると、それ以後一度も話しかけてくることはなかった。
 ――優しくしてくれたのに、なんてことを言ってしまったんだろう。……いや、何を考えているんだ、やめろ、それは駄目だ。

「ありがとう、ベルトルト。……お前は間違ってなかった」
「……うう?」

 俺もベルトルトと同じシーツを頭から被る。シーツの中で手を握り、間違いの無い相棒に感謝をする。
 半年前はあの男性のように優しい人間はいなかった。子供だけの俺達に声を掛ける連中なんて少なかった。あの頃は子供も大人も関係なく迫りくる脅威に恐怖し、自分のことに精一杯だったからだ。
 だけどもう半年経った。心に余裕がある人間が多くなった。優しい人間が沢山現れるようになった。
 おかげで、惑わされる日々が始まったようだ。

 ――ベルトルトの心配は、考えているより重く受け取るべきなのかもしれない。
 ――下手をしたら、ベルトルトの言う通り、ただただ辛くなるだけになる。

 優しくしてくれる人に敵意を向けるのは辛かった。善意がこんなにも俺達を苦しめるなんて。優しい人間達が憎い。いっそ皆、恐ろしい化け物だったら何も考えず根絶やしにできるのに。
 辛いなんて考えないようにしなければ。ぎゅうと手を握り、同じぐらい強く瞼を瞑る。
 早くこんな日々から解放されたいと思うのは皆同じ、俺達も同じだ。……まずは訓練生にならなくては、それまでにあと2年、それから3年はかかるのか、早くその日が来てほしい……そうすればみんな殺して終わるのに……。
 じくじく痛む胸を抑えて来るべき日を待ち続けている夜は、一段と寒く感じた。




END

人々に欺きながら心を痛めて生きているショタライベルかわいい。ショタライベルが好きです。些細なことにも傷ついてほしいです。ショタのうちからダメージ蓄積してください。ちなみにフォロワーさんからお題を頂いてSSを書く企画をやってみた結果です。お題は「映画化決定」「寝坊」「できること、できないこと」「ひそひそ話」。30分困った。
2013.10.29