■ 「ベルトルトはネコだった時代がある。性的な意味で」
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今よりずっと昔の話。ベルトルトはネコだった時代がある。性的な意味で。
すっかり背も伸びて男らしい体つきになったベルトルトが、まさか! そんな話を誰かにしても「嘘だろ」「あのバカでかい野郎が?」と言われるだろう。誰にも言われたことはないが。だって誰かに言ったことないし。そもそも言う気も無いし。言える筈も無いし。
そろそろ15歳になるベルトルトだって、当時のことなんて思い出したくない筈だ。あれはもう過去の話。あの頃は必死でしていたことでも、今はもう忘れるべきもの。本人だってきっとそう。勝手に俺はそう思い込んでいた。
「僕が売春してたことは覚えているかい」
だから、たとえ部屋に2人だけだったときだとしても本人の口からそのことを思い返すなんて思いもよらなくて。
俺は、思わず席を立ってしまった。
全ての会話を中断して、その過去と今の表情から逃げ出すように。
認めたくない過去にぶち当たってしまって。
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その場を逃げ出しても、所詮同じ兵舎で学ぶ身だ。数時間後には再会する。
俺達の他にも大勢が暮らしているから2人きりになることはまず無い。寝床だって数人が押し固まって寝ているんだ。そう簡単に2人きりになることなんて無かった。
先程はその少ない奇跡を笑顔で迎えて、2人だけの秘密の会話を楽しんでいた。
誰にも聞かれてはいけない自分達のことを話した。今後のことも話した。その弾みで愛する故郷のことを話した。それから故郷を離れたことも話した。そして例の話題に至る。
「……ただいま」
不自然に話を打ち切り逃げ出した俺は、恥ずかしいことに、何事も無かったかのように彼の元に戻るしかなかった。
俺とベルトルトは隣同士のベッドを使っている。ベッドは2つ密着していて、区切りはあるけど殆ど雑魚寝になる。だからどんなに離れていても、1日の最後には手が届く場所に帰ってくる。帰ってくるしかないんだ。
それでも悪あがきだと思って消灯の時間ギリギリに自分の寝床に戻った。ベルトルトはあの時間から全く変わらぬ姿勢で本を読んでいた。他の連中との騒ぎにも加わらず、俺が去った後もずっと自分のベッドの上で読書を楽しんでいたようだった。
俺が戻ってきたことで本から顔を上げる。目が遭う。すっかり逞しくなった体や太い眉やしっかりした目つきの男を誰がネコだと思うか。いや、そんなの思い出すな。妙な回想をしてると「おかえり」と言われた。だから「もう明かり、消されるぞ。寝る準備しろよ」と返してみる。
「ライナー。そんなに嫌だったのかい」
しかし全てを忘れたふりを露骨に醸し出して帰ってきたというのに、わざわざ思い出させるようなことを彼は言う。
……仕方ないので大袈裟に溜息を吐いてやった。敢えて口には出さないが「嫌だよ」と伝えるために。
隣でその光景を見ていた何人かが「なんだなんだ?」と不審げな目をしていたのは見えたが、この際すっぱり無視することにした。
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消灯時間ギリギリになって、外から突然怒声が聞こえてきた。
声の主は2人。あれはエレンとジャンが落とした雷だった。こんな時間に喧嘩なんてし始めたらすぐに上に見付かって大変なことになるというのに、それでも喧嘩をしなきゃいけないぐらい我慢できなかったのか。一体どれほどの事がと、部屋に居た物好き達は全員外へ向かって行った。
「あいつら、バカか」
この時間に2人が喧嘩だって? おいおい何があったんだ? どれほどの喧嘩なんだ? 全員ニヤケ顔で(アルミンとマルコは本気で心配している顔だったが)2人の様子を見に行く。
流石に時間が悪かった。こんな誰もが怒られると判っている時間に爆発するなんて、本当に何がなんだと興味が引き立てられる。野次馬達は多い。……まさか本日2回目の2人きりの部屋になるなんて、奇跡が起こった。
俺もエレンとジャンのことも気になるが、今は友人2人の安否よりも己の心のざわめきを止める方が必死だった。だからベッドから腰を上げない。ベルトルトもまた、あまりエレン達には興味を示さないでシーツに転がった。
その光景の一部始終を見ていた。
「ベルトルト」
「ん」
ベルトルトの口元が歪んでいるのが見える。こいつは、笑ってやがった。
「なに、笑ってるんだよ」
「ふふ、いや」
俺に指摘された途端、ベルトルトは声を我慢できなくなってくつくつ笑い出す。
ベルトルトが笑う分には不快なんて思わない。寧ろもっとその表情で居てほしいと思っている。心から思ってはいる。けど、今のタイミングの笑みはちょっとだけ面白くない。感じが悪くて低い声が出てしまう。
「だってライナーが、そんなに嫌がるとは思ってなくって」
驚いたよ、とベルトルトは目を細めた。
そのとき、過去の情景が蘇った。――まだ背が今ほど無かった時代。土にまみれた日々。暗い部屋。2人だけのベッド。貴重な食料。あのときの感情。次々過ぎる。
「お前だって嫌がっていたくせに!」
当時の想いも蘇って、余計に重く虐げられる。良い過去ではないのに思い返されて胸が軋んだ。
「確かに僕にとっても嫌だったけど」
「ならもう話すなよ」
「でも、ちょっとだけ嬉しかった。だって、あのとき判ったんだもの」
「……何が」
そこまで話すと、部屋に早々に興味を失った野次馬達が1人、2人と増えてきた。人が居ては深い話は出来ない。聞かれてはいけない過去の話だ。やめなくては。けど気になることを言いやがって……。皆が焦って準備をしている中、誰よりも早く寝る支度を整え、小声で「何がだよ」と尋ねて続きを促す。
するとベルトルトも同じように、隣に横たわる俺にしか聞こえないよう小さく唇を動かした。
「僕がライナーのこと大好きなんだって。気付いたんだよ」
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明かりは消えた。ちなみにまだエレンとジャンは外に居る。何故なら教官の前に居るからだ。
耳を澄まさなくても怒鳴り声が聞こえる。こっぴどく叱られている声が真っ暗な部屋にも聞こえてきて、まだ眠りにつけない者達は笑いを堪えるのに必死になっていた。
まったくあいつらは。凝りねーな。時間を考えろっての。少年達はボソボソと囁き、笑い合い、あのバカ2匹の話題で一向に部屋は夜にならない。
雑音だらけの部屋だった。普段ならうるさかったら腹が立つけど、今は逆に意識が紛れてありがたかった。ベルトルトに話し掛けても小さな声なら、それ以上にぷすぷす笑っている他の連中に紛れることが出来るからだ。
だから俺は「ベルトルト」と名前を呼ぶ。
隣の人物に名前を呼ばれ、暗闇の中でもベルトルトは目を開けてこちらを見た……のが判った。「なに?」 ベルトルトは訊き返す。けれど俺は声を掛けたにも関わらず、なかなか適切な言葉を見つけられずにいた。
口をぱくぱくしているのが闇でも判ってくれたのか。いきなりベルトルトは手を伸ばし、俺の髪に触れた。撫でられ、その掌を頬まで下ろす。
懐かしさを感じた。
――ああ。確かあのときも、俺がベルトルトにこんなことをした気がする。
そうだ。暗闇の中、手探りで頬に伝わるそれを拭ってやったんだ。もっと近い距離だったけど、こんな感じだった気がする。思い出して変な気分に襲われ、頬を覆う彼の手を振り解いた。
「ライナー。あのとき、僕は」
「ああ」
「あの最中、僕が相手してたのが本物のライナーだったら良いなって、ずっと思ってたんだよ」
ぐわっと心臓が掴まれた。
……そんなの、気のせい。でもまるでそうされたかのような胸の苦しみが生じる。
懐かしい。苦い。それとちょっとだけ腹が鳴る。嫌な連鎖が始まる。構わずベルトルトは続ける。
「ライナーのモノならって思ったら舐められた。飲み干せた」
「……やめろ」
「見せつけられたし、受け入れられた。なんでって、僕は君のことが大好きだったから。そう気付けたから、嬉しかったんだよ」
――だからあの日々は少しだけ充実してた。
――嫌でもあったけど、美味しい想いもできたし。
――気持ち良かったのは事実だし、その後に待ってるライナーの笑顔で充分報われたし。
次々と、ベルトルトは囁き続ける。
「昔から自分の意思なんてものは無いと思ってた。今もやっぱり思ってる。けど、最初からライナーに抱いていた想いだけは本物なんだって気付けたら。……あれは、良い過去だったんだよ」
「……やめろよ、もう」
「うん。やめる」
――初めてを君にあげられないのが残念だし、自分の痴態を見せたいだなんて僕は変態だね。
ボソリとそう最後にベルトルトは呟き、「おやすみ」と付け加え、口を閉ざした。
それ以上は言わせられなかった。俺も何も言わなかった。
訊かれたって誰にも教えない。教える訳が無い。誰も信じないだろう。このデカブツがそんなことをしていたなんて。
誰も信じないけどそう想い、そう生きていたのは事実。こいつはどんな生き物よりも危うくて、すぐに何でも受け入れてしまう。だから淡々と語ってしまう。
そんな彼に、掛けてやりたい言葉が生まれた。
外の雷も落ち着き、少しずつ部屋の連中が寝静まる。大勢の中の2人きりの世界が消えて無くなる。だからもう何も話せない。
仕方なく俺も口を閉ざす。言いたいことがあるけど今は言わない。もしまた明日以降2人きりの時間が生まれたら。
そのときはある言葉を告げよう。
ちゃんと聞こえるように、言っておかなきゃいけない言葉がある。そう深く心に刻み込み、俺は意識を閉ざした。
END
「進撃」3作目。ベッドでアレなことをごく自然に話そうとするベルさんかわいい。付き合ってないライベルかわいい。前作『俺のパンの為にベルトルトが体を売ったらしい』の続きっぽい内容です。補完。
2013.6.23