■ 「俺のパンの為にベルトルトが体を売ったらしい」



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 食料危機。1日に配給されるパンの数は1つ。身寄りの無い子供を演じている俺達は頼れる人間もいない。必要以上の食事が手に入ることはまず無い。
 あまりの混乱と食料不足が続く。運が悪ければ1日1食も無い状態を何日も送る。幸いいつも2人で居たから、どちらか1人だけでもなんとか食事にありつければ1つを2つに分け合えた。それでなんとか飢えを凌いだ。
 たとえ普通の人間ではないものを抱えていたって俺達にも食料は必要だったし、同い年の子供に比べどちらも体格は良かったから人一倍腹が減る。ありとあらゆる場所で働かされ、「腹が減った」と呟く。それが何日も続いた。
 ベルトルトはあまり空腹に関して気にしていなかったようだが、俺は1日に何回も「腹が減ったな」言うようになった。無意識のうちに口癖が出来てしまっていた。いつも隣で俺の独り言を聞いているベルトルトに指摘されやっと気付いたという。
 このままだと本格的に作戦決行する前に倒れてしまう。早く無茶でも王政が動いてくれないか、その無茶に自分達が巻き込まなければどんなものだって良い……そう考えるようになったある日。俺のパンの為にベルトルトが体を売ったらしい。



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 直接ベルトルトがそのことを言った訳じゃない。
 だけどある日、「ラッキーだった」と笑いながらパンが5つも入っている袋を見せてきた。そのときベルトルトの体から嗅いだことのない匂いがした。そのせいで「ああ、多分、こいつは褒められないことをしやがった」と判ってしまった。

「ベルトルト」
「なに」
「なんで、やったんだ」

 壁の中に入ってから運が良いことに、2人きりになれる小さな部屋を貰っていた。そこが俺達の寝床だった。
  親を失った孤児を不憫に思った気の良い老人に拾ってもらい、2畳も無い部屋を与えられて今に至る。ベッドが全てを埋め尽くすような場所でも、2人の空間を確保できたのは本当に幸運だった。その老人は先日「行ってきます」と言ってからもう2週間姿を見ていない。この混乱期だ、足を運んだ先で何があってもおかしくなかった。
 そんな今日も2人きりの夜。灯りなど無い、ロウソク1本だけの室内。ベッドに腰掛け並び、お互い2つ目のパンを食べ、3つめを半分に割りながら尋ねてみる。しかし「何を?」と訊き返してくることはなかった。ベルトルトは俯いて、半分のパンを大人しく食べているだけだった。

「あのさ、もし傷付けられて殺されるようなことがあったら、困るんだよ」
「……そう簡単に姿は変わらない。僕はちゃんとコントロールはできるから。正体がバレることは絶対無いよ」

 ――そういう意味で言ったんじゃない。困るのは、仲間として困るって意味じゃない。もっと大きな意味で捉えてほしかったのに。

「危険じゃないと判ったからやったんだよ」
「本当か?」
「僕にはライナーほど根性は無いけど、良し悪しを見極める目ぐらいある。出来ると思ったから相手をしただけだよ」

 そんな言葉は、聞きたくはなかった。
 それにしても久々に美味い食事だった。配給で渡される砂の被った物ではない、食べるのが勿体ないぐらいの物だった。だから何度も噛んで味わった。これはベルトルトが我慢したから食えたんだと思うと、食欲が満たされる幸福感とは別の感情が胸を占めていった。それでも腹が減っていたから全部食べた。

「ベルトルト」
「なに」
「なんで、やったんだ」

 一向に答えようとしないので、もう一度だけ……これで言わなかったら詮索はしないと考えながら、尋ねてみた。
 食事を終えてふっとロウソクの炎を吹き消す。2人で同じシーツに転がる。隣で眠ろうとしているベルトルトは深く息をつき、少し面倒そうに口を開く。

「ライナーの為にやったに決まってるじゃないか」

 ――俺のパンの為にベルトルトが体を売ったのは、確定か。
 そうじゃないかと思っていたけど、ここは「自分が食べたかったからだよ」とか言ってほしかった。だって俺の為なんて言われたら、

「ありがとう」

 お前が犠牲になってくれて感謝してる、としか、言えないじゃないか。



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 パンだけ貰うと口の中がカラカラになって辛いと学んだベルトルトは、翌日、どこに消えたと思っていたらパン4つと上質な水を持って帰ってきた。
 俺は俺で大人達の開拓作業を手伝っていたから、味のあるパンに綺麗な水は最高のご馳走だった。しかしベルトルトだって同じ力仕事をしていた筈なのに、どんな錬金術を使いやがった。本当に体なんて売ってるんだろうか? もしかして俺が大袈裟に考えているだけで、実は普通の良い仕事にありつけたんじゃないか? ついついそう考えてしまった。
 翌日、翌々日とベルトルトが良い物を持って帰ってくる日が続く。パンだけではなく、肉まで持ってくることもあった。故郷では食べたことのない甘いお菓子を持ってきたときは、2人で目ん玉が飛び出た。これはこの世の物なのかと仰天するほど美味かった。口に入れた瞬間、2人で笑い合ってしまうなんて今まで経験したことがなかった。
 そんな楽しくて甘い夜を何日も過ごすようになって、最初の罪悪感は少しずつ消えていったある夜。

「で、実際どんな仕事をしてるんだ?」

 と、何気なくベルトルトに尋ねてみたことがある。

「おしっこが出るまで舐めて、飲み干せばいいだけだよ」

 するとすっかり慣れたと言うかのように、日常の切れ端に過ぎないと言うかのように。ベルトルトは「今日もやりきった」と言わんばかりの満足げな笑みを浮かべ、ベッドに転がった。
 一瞬無言になる。
 想像して、ちょっとだけ吐き気がした。でも吐かない。折角の飯を吐くものか。腹に物を抑え込んだ。
 そんな体内の格闘に励んでいる俺を置いて、ベルトルトは涼しい声のまま続ける。

「危険なことだったり、本当に嫌なことだったらしてないよ」
「……そっか」
「うん、安心していい」

 もうベルトルトはロウソクの火を消していた。だから今の表情は見えない。見えないが、きっとどうでもいいような顔をしているんだろう。声からしてそうだと思った。



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 珍しく土仕事が早く終わった。「もう帰っていい」と大人に言われても、「家に帰って子供らしく遊んでなさい」と言われない世界になっていた。仕事が早く終わればその分、貰えるもんも少なくなる。明日はちゃんと生きていけるかなと考えながら1人でぽつんと立っていると、遠くで作業をしていたベルトルトの姿が見えた。
 彼も早めに仕事を切り上げさせられたらしいのが遠目でも判る。まだ日も落ちてないけどあの部屋に戻ろうかと彼に近寄る。すると彼は遠退く。俺が近寄っているのに気付かず、どんどん違う道に入って行ってしまう。
 必然的に尾行になった。
 俺が走って捕まえるとか、大声を出して呼び止めれば良かったのに、俺はしない。彼が今からするであろうことで俺の腹が満足するからだ。
 でも、そのためには吐き気を催すようなことをするんだろ。なら止めなきゃ。けど止めたくない。両方の感情と戦っているうちに、ベルトルトはとある家に入って行ってしまった。
 ここは家々が密集している汚い街だった。元々は汚くはなかったんだろうが、ここ数日でゴミ箱のような暗さになってしまった所だった。窓を開けたら隣の家の壁、それぐらい近い家と家の集まりだった。
 まさかベルトルトが入って行った家のドアをノックする訳にはいかない。でも、止めに行きたい。けど。しかし。だけど。……中途半端に葛藤を繰り返していると、数十センチの家と家との隙間が目に入った。
 家々の隙間には本物のゴミ箱、ゴミの塊が置かれている。俺はその上を飛び越えて、隙間に入った。やっぱり窓があった。窓としての役割なんて果たせないような物だが、ちゃんと窓が取り付けられていた。
 そこから覗き込む……ほど、勇気は無かった。じゃあ何故ゴミを飛び越えてまで窓の元に来たかというと、それも俺には判らない。俺のことなのに判らず、でも来てしまって、ネズミと虫以外訪れる者はいない小さな隙間に座り込んでしまった。
 すると、やはり窓は建物の穴、微かにだけど中から人の声が聞こえてきた。
 耳を澄ますと数人の男性達の声が聞こえる。その中に、聞いたことがある少年の声もあった。ベルトルトだ。
 覗き込むことはしない。でも、窓の近くに座って、壁に背をついて、彼の声を聞くことにする。
 彼は聞き覚えのある声を口から奏でている最中だった。

「…………ぁ、ぅ、あ、ライナーっ……」

 思わず目を見開く。俺が居る事に気付いたのかと焦る。でも誰の目もこの隙間には無い。
 だからあれは。
 悲しいぐらい愛おしそうな泣き声だった。



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 2人きりの部屋で食事を取る。その最中、「ここの家主が暴漢に襲われて死んだ」という切ない憲兵の報告がやって来た。もう1ヶ月以上前のことだと言われた。
 毎日どこかで起きている事件なのは混乱の世の中、知っていた。まさかあの優しい老人が巻き込まれてしまったなんて。不憫だけど、人なんて同じ人間に襲われて死ぬか巨人に襲われて死ぬかのどっちかなんだ。報告を聞いた後も「そうですか」としか言えなかった。
 ただ、家主が死んだことでこの部屋の持ち主が代わり、俺達が住んではいけないことになったらしい。優しい憲兵の男は「今日、明日はここに居ても構わないよ」と言ってくれた。子供2人を見て不憫に思ってくれたらしい。なんとか口裏合わせをしてくれるという。本当にラッキーだった。
 このまま数年ラッキーなことが続いて、ラクして内地に行ければ良いのに。アニにもこのラッキーを少し分けてあげたいな。そんなことを思いながら今日もベッドの上で並んで、飯を頬張った。
 たとえ仕事をあまりしていない日でも、ベルトルトが体を売っている声を聞いた後でも、腹は減った。悔しいけど減っていた。
 悔しいぐらいこの飯を求めてしまっていた。

「ベルトルト」
「なに」
「お前さ。……仕事中、俺の名前を呼んでたりしないか?」
「ん。どうして判ったんだい」

 何にも嫌なことなどありません、もうあれは日常の一部ですから。そう言うかのように涼しい顔でベルトルトは言う。……けど実際、ベソをかきながら喘いでいたのを俺は聞いている。だというのに、数日前と同じようにあっけらかんと話している。しかも俺の問いを肯定している。どういう気持ちでやっていることなのか理解できなかった。

「なんとなくだよ」
「ライナーは凄いな。なんとなくで判るものなんだ」
「お前のことだからな」
「そう」
「で、そういうのって……見てる奴らが嫌がらないか? だってそこに居ない奴の名前を呼ぶんだから。変だって言われるんじゃないか」
「ううん。逆に楽しがっている人の方が多いよ。『ほら、おじさんをライナー君だと思ってごらん』とか言ってくる人の方が多い」
「なんだそりゃ! そいつ、俺に似てるのか!?」
「全然。ライナーより優しい」
「腹立つ!」

 くすくす笑う声。ロウソクを消した後も、ベッドの上から聞こえてきた。
 もう夜の黒で顔は見えない。涼しい声で数時間前を茶化して話すベルトルトの顔が見えない。どんな気持ちか余計に判らない。もやもやしたまま、彼の笑い声だけが聞こえてくる。
 だから間近まで迫ってみた。鼻と鼻がぶつかり合うぐらい、近くに。
 そしたらちょっとだけ、月明かりのおかげでベルトルトの顔が見えた。
 くすくす笑う口元は……無理矢理に口角を上げていた。すっと頬に触れてみると、水気を感じた。今も笑い声が聞こえているけど、目からはアレを流していた。

「ベルトルト」
「なに」
「泣くほどのことなら、やめれば、いいだろ」

 暗闇の中、手探りで頬に伝わるそれを拭ってやった。
 ――触れなければ、触れるほど近くに寄らなければ決して気付かなかったぐらい、静かな悲しみだった。「俺、明日から節約する。我慢するから」と付け加えると、「うん」と、風で消えて無くなりそうなほど小さな声が聞こえてきた。

「ベルトルト」
「なに」
「泣くほど嫌なことなのに、なんでやってたんだよ」

 どうせ明日からもうここには住めないんだ。だからあのゴミとお隣さんの家にも行けないぐらい、遠くに行こう。そう決意して、涙を拭ききった。

「ライナーの為にやったに決まってるじゃないか」

 聞きながら、ベルトルトの涙に濡れた手を舐める。
 そんなことのためにケツの穴まで掘ったのか。俺の名前で自分を錯覚させながら。泣くほどのくせに。泣き虫のくせに。根性のある奴だな。良し悪しを見る目はどこやった。あんなに俺の名前を連呼するなんて。クソ。
 そんなことを言われたら、

「ありがとう」

 としか、言えないじゃないか。




END

「進撃」2作目。地下の変態どもに可愛がられているベルさんかわいい。直接的なシーンは多分誰にも求められていないと思いますので含まれていません。私がこっそりパンに挟んでショタベル食べます。
2013.6.22