■ 4章 if Fate/TRIAL//4



 /1

 四限が終わって、教室は賑やかな昼休みを迎える。
 うちの学校は学食もあるので、教室に残るのは半分ほど。殆どの男子は学食にいき、半数以上の女子は持参の弁当を持ってくるのがこのクラスの傾向だ。

「……その、遠坂くん……! よ、良かったら一緒にお昼……食べませんか……!?」

 本人のものではない、抜けた椅子に座り昼を楽しむ―――今はそういう時間だ。
 話しかけられた方向を向く。比較的見知った顔の女生徒が弁当箱を両手持ちに大声で寄ってきた。

「ごめん。今日俺、学食なんだ。……今朝いつもより眠くて、遅刻しそうで……ギリギリに学校来たから何も買ってきてないんだ。だから」
「あ、ぁ……。そう、なんですか……ごめんなさい、いつも用意していたから、つい……」

 しゅん、と申し訳なさそうに項垂れる女子生徒。
 本当の事を言っただけなのに、自分が悪いことをしてしまったような気分になる。
 大人しい生徒の多いこのクラスの中で特に大人しいが、……何故か俺に対してよく話しかけてくる謎の人物だ。

「と、遠坂くんも寝過ごすことってあるんだ……。じゃ、じゃあ私の食べますか……!?」

 精一杯の笑顔を俺に向けながら、自分の弁当箱を俺に差し出す。
 ……。
 小柄で大人しい女生徒に相応しい、小さく可愛らしい弁当箱だった。
 …………。

「……気持ちは嬉しいけど。貰ったら俺、残さず全部食べちゃうかもしれないから、遠慮しとくよ。本当に有り難う」

 断られても返し方が良かったのか、何事もなく可愛らしい笑顔を切り返してくれる。
 ……このコは、名前を三枝という。非常に可愛いと思う女生徒だ。
 改めて俺には異性に対して特に興味が無いと昨日の綾子との話で判ったが、簡単に笑顔を見せてくれると何だか良い気持ちになる。
 それじゃあ、と学食に向かう為判れ、彼女は女子の一団へと戻っていく。
 ……しっかし、もし彼女からの誘いを受けてしまったら。一体俺は何処で彼女の弁当を食べる羽目になったのだろう。
 あの一団の中に加われという意味だったんだろうか。
 優しいぽややんとした笑顔の下に、何と酷な注文をつけてくる女だろうか―――。

 少し離れると、女子がウダウダ何か言っているのが聞こえてくる。
 『フラれたな』やら『今度は弁当を用意していかないと』やら。

 ……。
 有り難うの次に、『また誘ってくれよ』……その一言でも、去り際に言えば良かったのだろうか。

「また誘ってくれ、……その一言ぐらい言ってあげればいいのに」
「っ!」

 ―――其奴は、普通に話しかけていた。
 其奴は、俺の隣にいる女。
 だが俺以外の誰の隣にもいない女。
 長身、浅黒い肌に銀髪の女。
 高い魔を備えた、……

 ―――俺の、サーヴァント―――。

「……言ってどうなんだ。また新しく断る口実作ってくれるのか、お前は」
「あの娘のことはお嫌いで?」
「……嫌いじゃない。だけど、特別好きじゃない」
「あんなにアタックしてくるのに?」
「……何なんだ、天下のサーヴァント様も下話に興味があるのか?」
「いいえ、そういう訳ではないのだけど。……でも、貴男のダメ男かげんに呆れて、つい」
「普通はそういう時、『呆れて何も言えない』んじゃないのか。……黙ってろよ」

 心の中での会話。誰にも聞かれていないが、聞かれたら非常に恥ずかしい話題。
 普段、霊体になっている時は聖杯戦争の話以外しないくせに、どうして今話しかけてくるのだろう。
 やはり、形だけでも『女』のサーヴァントだからだろうか……。

「了解、マスター。……それと、今朝よりこの敷地の結界が強まっているわ。早退でもしてとっとと取り抜きなさい」

 ……通常はこんなことしか口に出さないハズなのに。
 此奴は下手に人間くさく、扱いに困るサーヴァントだ―――。



 /2

 一日が終わる。夕日に染まり行く教室から生徒達が消えていく中、一人残る。
 ……もう、日が沈む。校舎から生徒の数が少なくなっていく。
 綾子にまた明日と言われてから三十分―――過ぎた時には生徒の声がしない程になった。
 学校、一日の終わりの時。
 ……そしてこれから、今日の本題が始まる。

 廊下を行く途中―――頼りない足取りで廊下を歩いている一年生が見えた。

「……」

 まだ学校に取り残されている生徒がいたのか。
 完全に人影が消えてから行動するつもりだったが、数人残っているのは仕方ないだろう。
 前が見えない程の紙資料を腕に、のろのろと歩いてくる姿。運んでいるのが如何にも必死で、不憫になってくるそいつに、……構わず声を掛けた。

「手伝うぞ、桜」
「…………ぇ?」

 いきなり半分プリントを取られたせいか其奴は、……桜は小さな声で驚く。

「……遠坂先輩」
「今日は日直だったのか。もう大分遅いっていうのに、一人でこの量……」
「いや、大した量じゃないんで……。って遅いって言ったら先輩も遅いじゃないですか」
「俺はやることがあってな。……この量で階段はキツイだろ。しかもこれ、世界史か? ……ウチの担任じゃないか。またミスプリ回収とかそういうんじゃ……」

 強引にプリントを取られて体勢を整え、並んで二人歩く。
 紙の山のせいで見えなかった桜の顔は、―――辛い作業にも関わらず、上機嫌なものだった。

「はい、誤字があるから回収だって言うんで。……有り難う御座います、先輩」
「いいって。何処まで持って行けばいいんだ、お前のクラスまでか? ……なワケ無いか、回収するんだから職員室送りか。ったく、一字ぐらいその場で訂正すればいいだろうが……」
「……厳しい先生ですから、葛木先生って」

 パっと見た世界史は、間違いなくウチの担任が作ったものだった。
 誤字があったと言っても、黒板に一字書けば済む話。……そうもいかないのが葛木という教師だ。

 この学校には生徒に好かれる教師と、とにかく恐れられる教師の2パターンに分かれる。
 ウチの担任である、渦中の世界史の教師というのは後者で、この学校の中でも特に生徒から恐れられている教師だ。非常に厳しく、怠惰な生徒達には良い鞭になる冷酷女教師。知的な眼鏡美女で人気が高い……らしいがそれは関わりを持たないクラスだから言えることだ。
 雷のように怒るのではなく、その姿を見ただけで凍ってしまうような涼しい目を持った恐ろしい先生。度の過ぎた堅物に間違いないが、他人に厳しいだけでなく自分にも厳しい性格故に、無意味に彼女を嫌う人間は少ない。

 ……とことん好かれる教師といえば、委員長のクラスの藤村先生などが該当する。豪快で、ウチの担任・葛木とは正反対に弛んだ授業は寝不足の生徒に好かれている。特別不真面目という訳でもないので問題ではないが、日本語の割合が多い英語の時間もどうかと思う。

「そういや、藤村先生って英語の先生なんですよね。……時々忘れるな、ホントに」

 桜はそう言って笑うが、実際に授業を受け持ってもらわない生徒は同じ感想を零すだろう。
 特に桜は、部活動の顧問でもありそれ以上の付き合いもある。普段の豪快で良い意味でのイイカゲンさを知り尽くしているから、……教鞭を持って黒板の前に立つあの男の姿は想像できないようだ。
 決して、授業が判りづらいとかそういうのではないのだが……。
 ……って、何で先生トークにこんなに盛り上がっているんだ?

「……なぁ、桜。最近はどうなんだ?」

 これ以上、葛木と藤村のことだけで華を咲かせ続ける訳にもいかず、彼女らの武勇伝を聞かせ終えた所で―――調子を見た。

「…………最近、というと?」
「姉貴のことだ。……またメンドーなことになったらいつでも言えよ。アイツは度ってもんを知らない女だから黙っておくと更にメンドーなことになるぞ」

 いきなり話が変わり過ぎたのか、……桜の表情が固まる。
 そして、……はぁ、と曖昧な受け答え方をした。

「大丈夫、だと思います。……姉さんは、先輩が思っている程のヒトじゃないですから」
「俺が思っている程、……ね。お前は俺がどんな風に思っていると考えてるんだか」

 その言葉にも、微妙な表情で応える。……というか、俺の質問自体が微妙過ぎた。
 姉の悪口を間接的に言われて、「そうですね」と返せる奴の方がどうかしている。
 特に、桜のような自分の感情をハッキリ出さない奴は無難な言葉しか戻せないだろう。

「……すまんな」
「いえ。……本当に姉さん、ここの所は優しいんで」
「……その言葉、信じるぞ?」

 ……まるでプレッシャーをかけるような言い方だ。
 もっと砕けた言い方があるのなら学びたい。ただこんな性格上、口の少ない桜のような奴と話をするのは力がいて……だが、決してそれは嫌々していることではなく……。

 ……あぁ、ダメだな、俺。

 上手な日本語が思いつかず、空気が重い方に言ってしまう。
 こういう時、第三者がいてくれて仲裁してくれれば良いのだが、……残念ながら今いる第三者は『桜には視えない』。
 しかも俺によく似た性格だから、仲裁に絶対ならない。
 ……でも。

「はい。……最近は調子が良いんです。だから大丈夫です」

 ……機嫌の良さそうな顔を見るのは、女でも男でも心地よい。
 今だってプリントに四苦八苦しているから話しかけただけでなく……

「……なんだ。今日は嬉しいことがあったのか?」

 自然と口元を歪ませている桜を、ついつつきたくなってしまったのだ。
 全く、完璧なる時間の無駄。

「そ、そんな事は、……あった、というより、これからあるんで」
「……へぇ。何だ、デートの約束でもあるのか」

 言って、―――真っ赤になる。
 そして大声でそんなんじゃないと言い返してくる。必死に。
 しかしどんなに否定しても図星なんだろう。顔を紅く染めて、……折角半分に減ったプリントを振り回しそうな勢いで。
 そんな反応をされては、余計に穿り出したくなってしまう。

「それならこんな事とっとと終わらせよう。……最近は物騒だからな、ちゃんと守ってやるんだぞ、桜」
「だ、だからそんなんじゃ……! ただ、先輩といっしょに食事するだけだって……っ!」
「…………へぇ、食事か」

 『先輩』。
 ……聞いて、桜の口から出てくる人物は一人しかいなかった。
 間違いなく頭に思いついたのは、ある女生徒。
 ……それをデートと言わずして、このウブは何をデートと言うのか。益々からかいたくなってしまう。

「まぁ頑張れよ、……もう食いに行く場所は決まってるんだろうな?」
「だから違いますよ!! 今晩は俺が先輩の家に作りに行……って、何で遠坂先輩にこんなこと……っ!」

 俺に何故いちいち報告しなくちゃいけないんだ、……と半分以上告白してから気付いたらしい。
 桜の整った顔が真っ赤に染まっているのは、下校の夕日のせいじゃない。……自分のバカさ加減と、これからの妄想力のおかげだろう。
 よくその『先輩』の家に行ってるというのは同じ部活で見守っている綾子から聞いていたが、そこまでの仲だとは……。

 安心する。
 此奴は此奴なりに、充実した生活を送っていたんだと判って。

「…………」

 俺がやたら声を掛けずとも、桜は楽しく過ごしているんだと。

「……遠坂先輩。もう一人で大丈夫ですから」
「ん? あぁ、そうか」

 そんな馬鹿話をしていたら、いつの間にか職員室に着いていた。

「それじゃあ、ハリキって晩飯作ってやれよ。……衛宮の腕は強敵だって有名だからな」
「何で知ってるんだ……。まぁ、はい、……力の限り頑張ります」

 有名、と言ってもその『先輩』と同じ部活に所属していた綾子の話を小耳に挟んだだけだ。桜と綾子と『先輩』、その三人の関係と俺をを繋いでいるのは『弓道部』という交流の場。
 そこは俺の情報源でもある。そこが無ければ俺の知識の半分が無くなると言ってもいい。
 ……そういえば、会長も料理の腕について話していたかもしれない。
 会長とは何故か話す機会が多くて、そこから聞いた話も……。

 そこまで噂になる腕というのもどういうものなのか興味がある。
 まぁ、俺には、……来ることなど無い話―――。

 まだ取り乱している顔見知りの後輩に別れを言い、背を向けた。
 ……この階には結界の気配は無い。
 見えざる相棒も、この辺りでは何も反応を示さない。
 確認して、その場を去った。



 /3

 校内を調べ終え、屋上に出た。
 すっかり日は落ち、外は闇に包まれている。
 結構な時間、学校中をまわったから、……おそらくもう自分たち以外誰も残っていないだろう。

「……」

 屋上に描かれた、雑な絵。
 誰も気付かぬ、……夜に光る紫の絵。

 ……魔法陣。

 堂々と、屋上には妖しげな模様が刻まれていた。
 こんな物、数日前に昼食しに上がった屋上には無かった。昼食ぐらいにしか屋上に上がってくる機会が無かった。……だからいつから描かれていたのかは判らないが、……ハッキリと『結界』の気配を感じるようになったのは、サーヴァントを召喚してから。
 大きな魔を手に入れてからだ。
 ……おそらく、昨日・一昨日。そんな短時間で描かれた魔法陣。
 一般人には見えない光の字で石に刻まれている。
 見たことのない形をしており、一般人で無いものにはバレバレな造りをして―――。

「どう思う、相棒」

 多くの者に見えないからってこんな堂々と、見えてはならないごく少人数に発見されやすい、……実に馬鹿な形。
 何も考えていない、三流か一流か判別に困る魔術師によるものだ。

 ……相棒は、何も話さない。
 屋上に出てから、……いや、校内の結界を見つける度に女は口を閉ざしていく。
 それだけこの結界がタチの悪く、馬鹿馬鹿しい作りをしているからだ。
 ……語るまでもない、……そういう意味なんだろう。

 魂を喰うモノ。
 俺の趣向に合わず、また……アーチャーも好まない術だった。

 と言ってもサーヴァントは魂を、血を、精を喰らうものだ。貰って多いに越したことはない。必要だが好まないだけ。
 ……そんな性格の彼女を引けたことは良かったかもしれない。
 たとえ『最強の使い魔』で無くても、相性の良いサーヴァントのカードを引いたことは喜ばしいことだ。

 …………って、いつまでもセイバーに拘る気なんだ?
 女々しいぞ、俺。
 ―――頭を震う。

 同時に、スイッチを入れた。

「消すぞ、アーチャー。少し魔を貸せ」

 乗り気ではないサーヴァントに声を掛ける。
 現界せず、周りに漂っている彼女に。

「……また再生するから、そんなことをしても意味は無いわね。貴男が弄ることで魔力を与える結果になり力が増幅するかもしれない。……それでも?」
「そんな馬鹿な真似はしない。消す覚悟でやる。……失敗はしない、もう二度とな」

 クス、厭らしく女は笑う。

「失敗、というのは私の召喚のこと?」

 ……アーチャーは非常に嫌味ったらしい性格だ。
 何とかマスターと認めた(信用を一回無くしてしまったせいで、「認めてもらった」……と言うかもしれない)が正論を言う。
 彼女の拒む台詞も、全てあり得る話だ。
 ―――だが、自分が不利になる行為は絶対にしない。

 ……手に、紅い魔が伝わる。

「…………反対している割には、ちゃんと俺に魔力を注いでくれるんだな?」
「それがご命令とあれば。進まないけど貴男の方針であれば従うわ。―――どうぞ、マスター」

 左手を地面につける。
 一気に腕の『魔道書』から魔力を押し流した。
 ……とりあえずこれで、この結界を張った魔術師に対する妨害になるハズだが……。



「なんだよ。消しちまうのか、もったいねぇ」

 声が夜の闇に響いた。



 /4

 待ち人は、一向に来ない。

「―――」

 飯も炊けて、自信の料理は鍋の中で煮えている。香ばしい香りにもう一人の『半同居人』はとっくの昔に帰ってきた。匂いに釣られてあのヒトはいつもやってくるのだが、……自分で言うのも難だが、美味く出来たものだと思う。
 食器も用意して、片付けられるものは全て片付けて、……あとは来てほしいあのヒトさえいれば全てが巧くいくのに。

「―――」

 ここまで完璧に出来ていて、肝心の所が抜けている。
 ……こんなに悔しくて淋しいことはない。

 完璧、……にするにはまだまだの腕だ。
 あのヒトに一から教えてまだそんなに経ってもいないだろう。でもそれだけの時間で自分は随分上達していった。
 料理の腕、……だけでない。家事だって自分は人より劣っていた…………というより全然興味が無かったせいでやった事がなかった。その楽しさを気付かせてくれたのが、あのヒトだ。
 折角ここまでの腕になった今。……今日は、そのお返しをしてやろう。
 そう思って、昨夜―――頼み込んでしまった。『明日の夕食、俺が作ってしまっていいでしょうか』と。

 ……流石に、大袈裟にタメて言ったから先輩も驚いていた。
 言われて、きょとんとした顔で、……その後はいつもの事なのに「助かった」と一言。
 俺にとっては、本当に『一世一代の告白』だった筈だが、先輩には新手の冗談ととられてしまったらしい。
 今日は、それなりに意義のある日だ。
 だから昨日告白して、……否、今日こそ本当の意味での『告白』をしようと思って臨んだ日だというのに。

「―――」

 肝心の要素が、抜け落ちてしまっている。

 ……居間の方では、藤村先生がもう食おう、生殺しだと騒いでいる。
 それに、冷めてしまっては折角作った物も味が落ちてしまう。……先輩のように日が経っても味の落ちない料理になっているほど腕に自信が無い。
 なら、……今は目の前にいる人を喜ばせることをした方がいいんじゃないか。
 先輩だっておそらくそうする。
 ……出来る限り早く帰ってくるとは言っていたけれど、こちらから早く帰って来て下さいとは頼んでいない。
 だから、遅くなっても責めることはできない。

 ―――そもそも、俺が勝手に盛り上がっていることにすぎない―――。

「すいません、先生。まだ暖かいですから頂きましょう」

 目の前に吊されていた人参にやっと手が届いて、藤村先生は息を吹き返した。
 自分の料理に箸を付ける。
 付けて、……自分が完璧がこんなものかと愚痴った。



 いつも失礼する時間になっても、帰っては来なかった。

「ったく、バイト長引いてんなー。早く帰って来い言ってるだろーにー!」

 藤村先生も、ここにいない説教相手に吠える。……確か今日はバイトの日で無かったから夕飯を作ると誘ったつもりだったのだが、自分の勘違いだったか?
 先輩のバイト先は藤村先生の知り合いがやっている居酒屋らしい。行ったことはないが居酒屋のバイトだけあってそこにいるだけで腹が膨れてしまうこともあるようだ。……そういった日は夕飯が共に出来ないものだと判っているので付き合えない。
 ……それに、作っていいと許可を昨日出した。だから勝手に、『明日はバイトは無い』と言っているものだと解釈したのだが……。
 そうでないとしたら。

「……頼まれ事、ですか」
「あー、また士郎のやつ、困った人見っけて人助けでもしてんのかねー。……にしちゃあ遅いけどな。いつもこれぐらいだったら連絡入れる筈だしよー……」

 そう言って、先生は携帯を取り出す。……そして仕舞う。

「……郊外だからって圏外は無いよなココ! でっかい避雷針でも立ててやろーかー!!」

 ……避雷針は違うと思うが。
 この屋敷は電気製品が非常に使いにくい。特にラジオなど電波の類はいつも死んでいる。
 連絡を入れるとならば電話が真っ先になるというのに。

「まぁ、士郎のことだから大丈夫だろ。……これ以上遅くなったらお家の人が大変だ。もう帰った方がいい」
「はい。…………そうですね、帰ります」

 面と向かって話したがったが、……明日になっても会えることは会える。
 ただ、今……会えないだけだ。……そんな一時、我慢できないほど子供じゃない。

「それじゃあ、先輩の分の夕飯は台所に置いてあるって伝えてください」
「いや、俺も実家の方に戻るわ。そろそろ試験期間も近いしな、俺だって忘れてるかもしれないけど教師なんだしやんなきゃなんねーこと多くてよー」
「…………あ」

 ……今日の夕方。遠坂先輩と話していたのにすっかり忘れていた。
 藤村先生は『先生』だということ。
 それと、……この家に正式に住んでいる者ではないこと。

「―――」

 ……『半同居人』だなんて言っていたが、完全な同居人ではない。
 先輩は一人暮らしだ。
 この、大きな武家屋敷で、一人っきりで生活しているんだ―――。

「……すいません。メモ……に書いておけば気付いてくれますよね」
「そうだな。いくらなんでも日付が変わる前には帰ってくるだろうしな。……つかそれでも帰ってこなかったら困るあの未成年が! 教育的指導しなければ!!」

 流石にそれは無いだろう。
 相当な理由が無い限り、先輩は帰ってくる。大きな理由を抱いているから、先輩はあちこち行ってるんだ。

 …………では、今の今まで帰ってこない理由とは?

「―――」

 思いつかないまま、屋敷を離れた。



 夜、人気のない道を通る。
 洋館ばかりの坂が自分の家だ。……先輩の屋敷から時間はそんなに掛からない。どんなにゆっくり行ったって日付が変わる前には帰宅出来る。
 ……だから、この時間まで先輩の帰りを待っていたというのに。

 思わず溜息が出る。
 出た息は白いものだった。そんなに寒くないと思っていたが、立派な冬の息だった。

 電灯は殆ど無い。家から零れる灯りが道を微かに照らしてくれる程度。
 沈んだ気には丁度良い明るさだった。

 ……なんて。
 勝手に盛り上がって、勝手に沈んでいる。
 全く、自分勝手な。
 ―――そんな自分が厭になる。

「……ん?」

 人気の無い道路。人一人すれ違わない夜の道……だった世界を崩す人影。
 坂道の上、それは立っていた。

「―――」

 数少ない電灯の下、見下ろすようにその人物は立っていた。

「―――」

 息を呑む。そこにいたのは、……生まれて初めて見るような、銀髪と紅い眼。
 こんな時間に、少年。
 坂道に立つ一人の少年。周りに親らしい人間はいない、あるのは、……ヤケに大きな影だけ。

「―――」
「…………♪」

 歌を唄っているらしく、少年は笑顔。
 青く重たいコートに身を包んだ少年は、坂道を足音を立てずに下りてくる。
 唄うだけじゃない、本当に踊っているような、……軽い足取り。
 凄く楽しい事があって、嬉しくて堪らないように踊る―――妖艶な少年の姿。

「―――こんな時間にどうしたんだい。……もう子供は寝る時間だぞ」
「……?」

 在り来たりな台詞を言った。在り来たりが、それが当然の言葉だった。
 しかし聞いた少年はその言葉が出るとは思っていなかったらしく、驚きながら……嗤った。

「お兄ちゃんだって子供だよね。……ボク達と違って舞台に上がんないんだったらさっさとお帰りよ。もう子供は寝る時間だよ?」
「―――」

 ……不思議な事を言う。
 まるで自分の方が大人だというような口振り。……たとえ暗闇で相手の姿が見にくくなっていても、この人物が『少年』であることは間違いない。
 ……でも、不思議だと思う。
 まるで自分の方が間違ってしまったような口振り。……彼の方が、『強い』と感じ取ってしまったのだ。

 何が?
 何に対して、『強い』んだ?

 理解しようと頭を働きかけていると。

「…………遠坂先輩?」

 見知った先輩が、見知らぬ女性と駆けている姿を見た。



 /5

 夜を走る。一度も行ったことが無い場所へ。
 行った事は無かったが、知り合いがよく行く場所だからと記憶していることが幸いだ。
 とにかく走る。―――ある場所へ!

「余計な苦労を背負おうとしているわ、貴男」

 一緒に駆けているアーチャーはやる気がない声で言う。
 こっちが息を切らして走っているというのに、アーチャーは平然とした顔で文句を言ってくる。

「うるせぇよ! このままランサーを見逃したら俺のした事が全部無駄になるだろ!!」
「……最初から、貴男のしていることは全部無駄だっていうのに」
「うるせぇって言ってんだろ!!」

 アーチャーは非難ばかりする。
 俺が殺したヤツを助けることも、……これから助けに行くことも全部非難していた。

「何事も犠牲は付き物だって、そんな約束の無い綺麗な世界があるとでも?」

 ……犠牲。
 今日、俺はマスター1日目にして……最初の犠牲を出してしまった。

 結界を解こうと思って攻撃された。
 使い魔を使い魔をもって防ごうとした。
 その、人を超えた世界に圧倒され―――忘れてはいけないことを忘れてしまった。

 無関係な人間を殺してしまった。

 何事も犠牲は付き物、……でもこの犠牲は無くても良かった筈なのに!
 悔しさに俺が『殺した』人間を、俺が『蘇らせた』。
 アーチャーに言わせれば無駄で無駄で……意味の無いこと。俺だって高い魔力を支払いたくはなかった。
 ……だけどこれは、無益じゃない。
 蘇らせたことに後悔は無い。……だが。

「折角蘇らせてやったのに、また死なれたらそれこそ意味が無い!!」



 時刻は午前零時になろうとしていた。
 曇りがちで月の見えない天気の夜。
 雲に覆われた夜空の下。目的地は郊外離れた武家屋敷。だがそこがゴールではない。……着いて、蘇らせた『奴』を守らなければならない。

「……」
「なんだ、……まだイヤだっていうのか」

 駆けながらも、不満げな顔をしているアーチャーを見る。
 複雑そうな顔つき。……このまま応戦した使い魔……ランサーのサーヴァントと再戦することをアーチャーは望んでいる。が、『奴』を助けること自体はアーチャーは認めない。
 マスターの命令だからと共に走っているが、マスター非難はまだ止めない。

「……あの娘のことを、どう想って?」
「……何度も言っているだろう! アイツは俺のミスで殺してしまった、だから俺が責任をとらなければならない。俺はアイツを助けることが出来た。だから助けた。今、アイツはまた命の危機に晒されている。……だから助けに行く!」

 そう何度も言い聞かせている。
 アーチャーに、……俺自身に、大声で。

「まだ文句があんのか……!? ……こうなったら二つ目の令呪を使うぞ!?」
「そこまでやらなくていいわ」

 武家屋敷に辿り着いた。住宅地の端、郊外に近いここには人気は無い。
 自分達以外、……そして追われる奴と、追う奴以外、誰もいない―――。

 確かにいる。この屋敷に『彼女』の気配。そして、さっきのサーヴァント……槍兵の気配。
 時間は無い。
 学校、校舎内……一瞬で彼女の心臓を射止めたあの槍。いつまた彼女を殺すか―――!

「アーチャー、行け…………!」

 アーチャーに突入の指示を出し、
 アーチャーが飛び立とうとした時。



 カアっと。
 白い光が世界を覆った。



「―――」

 遠坂先輩もこんな時間にどうしたんだろう。
 それに、あの女性は、誰だったんだろう。
 ……いいや、『あの女性は、何なんだろう』?

 それよりも。
 ――――――先輩の家から出た、あの光は一体!?

「あは。……七人全員揃ったね、お兄ちゃん!」

 歌を唄うような妖精の声が、乱れる。
 外灯スポットライトに照らされた少年のダンスは消え、―――少年の姿自体も光に消えた。



「……凛。七つ、揃った」

 落ち着いて言葉を吐くアーチャー。
 ……アーチャーの酷く落ち着いた冷静な声がムカつく程……俺の正常な判断力は失われていた。

 光を見た。
 そして、光の後に降ってきたのは―――。

 蒼い、騎士―――――――――――――――。





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05.10.12