■ 9章 Other tale
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バスに揺られる事30分。病院には見えない病院が見えてきた。
時南医院。
表向きには薬剤師として看板を立てているけど、殆ど闇医に近い所で、私は何年もお世話になっている。
遠野家その周辺の分家のお抱えの専属医で、秋葉も何かあったらここへ通っているらしい。
……先日、私が倒れて動かなくなった時駆けつけてくれたのが此処のお医者さんだった。頼りにしている所である。遠野家専属ということで、外来の患者さんは滅多に見ないらしい……。
「こんにちはー、お邪魔しまーす……」
インターホンを押して、お知り合いの家政婦さんと挨拶して、院内に入っていった。
「あ、こんにちは、志貴ちゃん。やっと来てくれたね」
家政婦さんに連れられてやってきた部屋で、女性が笑顔で迎えてきてくれた。
彼女は時南朱鷺恵さんという。私がいつもお世話になっている先生の娘さんで、私のお姉さん的存在。小さい頃から面倒みてくれた彼女は、今はお医者さんとして頑張っているらしい。
「すいません、何だか来るの、凄く遅くなっちゃって……」
「元気だったらいいのよ。学校が大変なのは仕方ないんだし」
お茶入れてくるから、と朱鷺恵さんはにっこり笑って奥の給湯室の方へ消えた。まるでお茶をしに来たみたいだけど、一応此処へは診療が目的に来た。
前々から来ようと思っていて来られなかった。秋葉にはいいかげん行けと急かされていたけど、どうも予定があわなくて(予定を立てても悉く来訪者に邪魔されて)来られなかった。
貧血が少なくなった……元気になった、と言ってもまだ私は普通の女の子より身体が弱いらしい。定期的に来ないと怒られちゃうんだけど。
……それでも朱鷺恵さんは笑顔で迎えてくれる。お茶とお菓子を用意してくれる。楽しいお話をしてくれる。私は彼女の事を本当のお姉さんのように慕っていた。
「……って、いいんですか。食べた後に診察って」
用意してくれた前の物に手を付ける前に、断っておく。
「え? じゃあ先にやっておく? 直ぐ終わると思うけど」
「はい……すいません、お茶を用意して貰ったのに、文句言って……」
「いいの、何も考えなかった私が悪いんだから。志貴ちゃんはホントしっかり者ね、羨ましいわ」
やっと椅子に腰を下ろしたというのに、私の文句でまた朱鷺恵さんは立ち上がる。その雰囲気を残したまま診療室に向かった。
「―――おぅ、ようやく来おったか」
「あ……お久しぶりです、時南先生」
診療室で、朱鷺恵さんが対面の椅子に座って話すこと数分。医者とは思えない格好の男性が横から現れた。
この人が、時南宗玄さん。私にすればおじいちゃんぐらいの年齢の人だが、朱鷺恵さんのお父さんで、お医者さんである。
「久しぶり―――か。いい事だな。出来ればお前さんと顔をあわすのは月に一度にしてほしいからな」
「うん、志貴ちゃんの元気な姿が見られれば安心するからね。しばらく志貴ちゃん来なかったでしょ? 来るよう催促しろってお父さんうるさかったんだから」
優しい笑みを振りまきながら、朱鷺恵さんが私に耳打ちする。勿論時南先生もその声は聞こえていて、ちょっと照れくさそうな顔をした。
おじいちゃんだけど耳もいいし身体も至って健康。もしくは、すぎ。この人は孫より長生きになりそうなタイプだ。
挨拶だけして時南先生は出ていった。
……そりゃ当然ながら、朱鷺恵さんはお医者さんで女性。時南先生はお年を召した男性。年頃の女の子が肌を晒すのはお医者様だから晒してもおかしくない筈なんだけど、……とりあえずここ数年から朱鷺恵さんに看てもらっている。
朱鷺恵さんの指示通り、ブラウスを脱いでブラジャーだけの姿になる。朱鷺恵さんは両脇や背中をベタベタ触ってきた。
「調子は悪くないようだのぉ」
「やだお父さん、そんな所いたら私にやらせてる意味ないじゃない」
後ろから、時南先生がヤジを飛ばす。
「見て減るもんじゃないからいいだろう。最近は野郎の体ばっか触っているからな、目の保養だ」
笑いながら親娘は診察を始めると、後ろの地何せ陰性の台詞は医者らしからぬ発言だと思うけど、もう何年もの付き合いで慣れてしまっている。
「……うん、でも大丈夫みたいね。最近苦しくなったりとかは?」
「はい、おかげさまで健康そのものです」
「莫迦もんが、いくら良くなったとはいえまだ普通の人間の体力に達していないのだぞ。大口を叩くな」
事ある事に後ろから時南先生のツッコミがやってくる。どんな表情で言ってるのかは見えないけど、お互い言い合ってストレス発散し合う……悪口の言い合いが此処での掟みたいなものだ。だから、時南先生に色んな事を言われても気にしないようにしている。もう10年以上の付き合いなんだから、分かっていた。
「……ん、志貴ちゃん、最近頑張ってるの……?」
いつもより時間をかけて私の体の様子を看た後、朱鷺恵さんが一段と真剣な顔をしてそう言った。
「頑張ってる……って、どういう意味ですか?」
「飛んだり跳ねたりしてる、って事よ」
「んー……走ったりはしてますね」
最近はほぼ毎日、学校通いは徒歩……ではなく徒走だ。
寝坊でも何でも無いのにいつもピンチで走っている。
それは、自分としてはいい運動だって思っていたんだけど……。
「ただでさえ死にかけの体だというのに激しい運動してるのか。自殺願望でもあるのではないか?」
「……むぅ、あるわけないじゃないですか。最近、運動したくてしょうがない病なんですよ……って朱鷺恵さん、変な所触らないで下さいっ!!!」
「別に変な所じゃないでしょ、減る所かこうすると増えるわよ?」
うふふ、と笑う朱鷺恵さん。そんな女神のような笑い方がすっごく似合う女性だ。……でも、今やってる事を擬音化させると、『もみもみ』、とか『むにゅむにゅ』、と言った表現しか出来ない、―――そんな行為をいつの間にかされてた。
「それ……きっと嘘ですよ。そんな事で大きくなった人、私見た事ないですし」
「ここで実践していけばいいじゃない。大歓迎よ?」
朱鷺恵さんのほんわかした笑顔で言われると、……どうも断りにくいような。これは女性同士だから話せる事で、しかも朱鷺恵さんのような柔らかな人だからこそ言っていいことで、朱鷺恵さんじゃなかったら絶対訴えられるような事をした。
「―――でも、最近本当に可愛くなったわね。志貴ちゃん」
「はぁ……またそうやって人をバカにするんですね、朱鷺恵さんは……」
「バカにしてなんか無いわよ。上も下も着々と成長してるし、肌もかなり磨きがかかって……」
「青白く見えるな」
……と、後ろに男性がいたのを思いだした。思わずハッとなる。
「外面はともかく、中身は大丈夫なようじゃな」
パンと背中を叩かれて時南先生から終わりを告げられた。
「外面はともかくって……」
「そうよ。志貴ちゃん、最近とっても綺麗になったと思うけど」
「ならより危険だな。変な男に引っかけられぬよう、秋葉坊ちゃんに忠告しておかなければならぬだろ。―――ともあれ、あの坊主には感謝しとくんだぞ。あやつはよくお前の身体を理解している。有間の頃に比べてお前さんは段違いに調子が良いようじゃ」
……あの坊主、というのは琥珀さんの事だ。
前に聞いた話によると、時南先生は琥珀さんの医学のお師匠様で、時南先生の元で色々学んでいったらしい。……翡翠にも別のお師匠様がいるらしいけど、そっちの人の話は滅多に聞かない。
それと、多分だけど琥珀さんの料理の腕。あれは朱鷺恵さん仕込みだろう。朱鷺恵さんのお料理もとっても美味しくて大好きだ。
「はい、琥珀さんのお料理、凄く美味しいです。……あ、でも啓子お母さんだって美味しかったし」
「あー、いいなー。私も志貴ちゃんや琥珀くん達と一緒に暮らしたいなー」
「やめておけ。あんな異常な野郎共の集まりの屋敷など行くもんじゃない」
「そんな事言って、先生は男の人は全部ダメなんじゃないですか」
当たり前だ、と返す。途端に二人は笑い出した。
……時南先生は一人娘の朱鷺恵さんの事を溺愛している。だから朱鷺恵さんはまだ男性とのお付き合いが出来ないらしい。……私(先生が)が知らないだけで、実は付き合ってるかもしれないけど。でも、もし朱鷺恵さんが男の人連れてきても、時南先生なら敷地内にも入れてくれなそうだ。……事実、お友達で紹介した男性を投げたという噂を聞いている。(主に琥珀さんに)
「えっと、……都古ちゃんは元気ですか?」
「む? あの嬢ちゃんなら先日一本骨を折ってやってきたが、何だ」
……やっぱり都古ちゃんはそっちの方でお世話になるのか。元気で何よりだけど。
都古ちゃんというのは、私が有間にいた時、妹だった女の子。有間都古という名前の通り、有間家の本当のお嬢さん。まだ小学生でいっつも元気で、……風邪・病気より、擦り傷・捻挫・骨折の方が多い私とは何もかも反対の女の子だった。元気で、明るくて、活発的。最近は会ってないけど今は武道のお稽古までしているというのだから本当にパワフルな女の子で、……私の事を「お姉ちゃん」と慕ってくれていた。
朱鷺恵さんが私の姉で、都古ちゃんが私の妹。昔は3人でよく行動したものだった。
「あの、……ちょっとバカな事聞いていいですか?」
いつもならレントゲンや採血などをするけど、今日はこれで診察は終わりらしい。お茶とお菓子の席に帰る前に、二人を止めた。
「その……ここって、血はあるんですか?」
「血……というと、献血用の事か」
はい、と頷くと、あるぞ、と小さく返された。此処は人里からやや離れた所にあるけれど、色々な物が沢山ある。さっき言ったレントゲン機器に、説明されても判らないような機械やお薬。それが時南先生の『趣味』と『力』で管理されているのだから驚きだ。
「……なんじゃ、また秋葉の坊ちゃんが欲しがっているのか」
それとも四季か? ……なんて話をサラリと零した。―――遠野家の専属医だけあって、そういう話は分かっている。けど、今は違う。
「いえ、そうじゃなくて……そうじゃないんですけど、此処にもあるのかなーと思って」
「利用したいのか」
「…………機会があったら」
―――血が欲しい、と言った人と昨日話していた。
そしたら時南医院が頭に浮かんだ。時南先生なら……変な妖怪話も可能な先生なら分かってくれるんじゃないか、と思った。
シオンが血を欲しがってる。そう聞いた。……アルクェイドのマンションのキッチンと、ベットの部屋は繋がっている。だから、アルクェイドとシオンの会話……あの話は、まる聞こえだった。シオンはアルクェイドのマンションの構図を把握してなかったから、きっと私が聞いていないんだと思ったんだろう。
『何故、助けた』
から始まって。
『殺してほしい』
とまで言ったシオン。
辛い声は、料理の音で少し掻き消されたけど、―――微かに聞こえるシオンの声に心が痛んだ。
その後はワザと音を出して二人の会話を消した。途中の会話は聞いていない。……聞きたくなかった。
シオンが吸血鬼で、血を欲しがっている。それが判っても私はシオンと今まで通りに接していきたかった。まだ出逢って3日ぐらいしか経っていないけど……吸血鬼だから、だろうか。
あの時は必死で直ぐに料理を持っていって…………その後アルクェイドを殴ったんだっけ。
そして、
……そのアルクェイドは、いなくなった―――。
アルクェイドが、また消えた。
玄関のチャイムの音がしたからアルクェイドが駆けつけて、その間は、私はシオンと一緒にいた。あまりに遅いから玄関に向かってみると、……もうどこにも居なかった。靴がなくなっていた。ということは外に出たって事だろう。
何も言わず、何処かへ行ってしまったアルクェイド。
……折角作った料理も冷めてしまって、私は帰った。
シオンは、お隣さんに任せてアルクェイドの部屋に泊まらせてもらうようにしてもらった。だからきっと今も眠っている筈……。
「また、複雑な問題に足を突っ込んでいるようじゃな」
談話室で、お茶とお菓子をつつきながら、時南先生がそう言う。
朱鷺恵さんは『美味しいお菓子がまだ仕舞ってあったから』とまた奥の部屋へと消えてしまった時の事だった。
複雑な問題―――は、まだ先生に話していない。
のに、私の表情から私の状態を読んでいく。時南先生は心理カウンセラーでもしていたのだろうか。何でも出来て凄い人だと思う……。
「そうです……ね。最近やっと落ち着いたかなって思ってたのに、またイザコザがあって……」
「しかも、我らには見えないものを視ているようじゃな」
「え……?」
「おそらく、朱鷺恵に話しても首を傾げそうな現実に踏み込んでいるのだろう」
……。
朱鷺恵さんは、遠野家の専属医といえど、『遠野家の病気』については知らないらしい。だから秋葉の事は、『ちょっと体の弱い男の子』ぐらいしか考えてないだろう。血が必要、と言ったのも遠野家の特性の貧血気味の血を引いているからだとかに考えてるに違いない。
でも、時南先生は違う。どちらかと言うと、……シエル先輩寄りの人間らしい。
「……なんだ、その化け物を見るような眼は」
「あ、すいません……って、そんな眼で見てませんよ」
お茶を一気に飲んで誤魔化す。
『人には見えないものを視る』。
時南先生が言ったフレーズは、何だか不気味だった……。
「……お前さんはこっちよりには来ないと思ってたが、あの屋敷に入るからには隠すのは無理だったようじゃな。…………年を増す毎に、お前さんは父親に似てくる……」
「父親……ですか? それって、……秋葉や四季のお父さんの事……?」
「む? なんだまだ分かってなかったのか、お前とあの坊主達の父親は違うであろう。―――ワシが言ったのは、七夜黄理という名のバカモンじゃ」
「な……」
……こんな事まで知ってる人だ。
時南先生は私の知らない遠野家の事情を山ほど知っている。
七夜。
お父さん……いや、秋葉と四季のお父さんの部屋の机に入っていた家系図の文字。
琥珀さんに貰ったナイフに彫られた文字。
聞いていて、―――恐ろしい響きの言葉。
その言葉を苗字とする人。それは、……
「それって、……私の、『本当』のお父…………?」
「―――奴も見えないものが視える質でな、七夜の当主である以上は当代一の使い手であったそうだが」
……それ。私に、私の目の前で言っていい話なんだろうか。
「あの、その人……もう…………」
「死んでおるが、何か?」
「…………いえ」
時南先生が新鮮な感じで話をするから、―――逢えるのではないかと期待してしまった。
「―――お邪魔しました。また来ますので、その時は宜しくお願いします」
朱鷺恵さんの用意したお菓子をお土産に、日が暮れ始めた時間に席を立った。
「うん、今度来た時はもっとゆっくりしていってね」
「茶菓子待ってるぞ」
入り口でバイバイと手を振る朱鷺恵さん。後ろで見送る時南先生。
……そんな明るい雰囲気のまま、診療所をあとにした―――。
/2
―――バス停、時南診療所前。
一人、ベンチに座って時南先生の話を想い出す。
―――キリ。
あの名前を聞いた時、……何故だか目眩と吐き気が襲ってきた。どうして体がその名前を拒否したんだろう?
―――ナナヤ。
とある家の名前で、もう死んでしまった人の名前……やっぱり、私の本当の名前なんだろう。
「……本当の?」
本当の名前……という言い方はあっているのだろうか。だって、確か『彼女』がその名で名乗ったのだから。
―――『七夜』とでも呼んでもらおうかしら。
……だって、元々遠野志貴だなんて人間はいないのだから。
―――キミじゃない。アレは遠野志貴じゃない。キミが遠野志貴だろう。
……。
―――バスがノロノロとやってきた立ち上がり、目の前で止まったバスを見る。入り口がぷしゅーっと音と共に開く。足を進めよう……とすると、先にバスから人が降りてきた。
「あっ……」
思わず、ぶつかってしまいそうになってしまった。電車でもエレベーターでも、出る人が先だという事を忘れていた。
「すいませ………………」
目の前の人は、男性だった。
「……」
その男性と、目があった。
バスに乗ってきたのは一人だけで、他にバスから降りようとするお客さんはいない。というか、バスの中には運転手さんとその人しかいなかったらしい。
男性は、肩までのボサボサの髪で、年は私よりいくつか年上ぐらいなのに、珍しい青い着物なんか着ている。中性的な顔立ちでとっても格好良くて、思わず見取れてしまいそうだったけど、
何より目を引いたのは、目だった―――。
「……」
目が合ったのは一瞬だけで、男性は私の存在を見ず、歩いて行く。青い着物の裾を翻しながら、悠々と歩いていく。
……私は構わず、ちょっと怖そうな男性の姿を目で追った。
あの人は―――時南病院に行くつもりなんだろうか?
遠野家専属だけどちゃんと病院として機能している時南病院にも人はくる。だからこうしてバスも出ているんだ。そうじゃなくて、病院の近くの家の人だったり? その人の家に用があったり……? なんて、彼を追っていた。
―――刃物のような鋭い目が印象的で、誰かに似ていた。
「お嬢ちゃん。乗るのかい、乗らないのかい」
運転手さんが、私がずっと入り口で止まっているのを見て声を掛けてきた。バスの中にはお客さんは一人もいないからか、とてものんびりしている。
「あ、……乗ります。すいません……」
我に返って、急いでバスに乗り込む。
……乗った後も、あの男性を追った。
バスが走り出す。……あの男性を追い越していくバス。窓からでは男性の眼は見えない。着物が珍しい、って言ったけど、琥珀さんや四季だっていつも着物だ。人より着物の人に会っている私が言えた言葉じゃなかった。
誰かに、似ていると思う。
誰かに、似ている。
誰かに、……。
「―――七夜ちゃん……?」
……そうか。
誰かに似ていると思ったけど、―――自分に似ていたんだってやっと気付いた。
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