■ 6章 Around And Alone



 /1

 ―――夜を迎える。

 目を覚ますと暗闇。寝床にしている路地裏で一人、月を見つめる。
 ……少し欠けた月。

「もうすぐ、満月か―――」

 ……見つめながら、昨夜の事を想い出す。

 真祖との交渉、決裂、……敗北。

 彼女がいなければ自分は真祖の皇子に確実に殺されていた。
 ……死を覚悟していた筈だった。あの時に自分は死ぬべきだった―――なんてつもりはない。
 しかし、満月も近い夜に真祖の皇子と戦うなんて馬鹿げている。……その馬鹿げている行為をしてしまった。

 冷静を装っていても本質はどうしても隠しきれない。
 ―――熱しやすい感情、猪突猛進、固定観念の塊。改善しなければならない、己の性格。
 一人ならば、あのまま突っ走ってしまっていたら、昨夜のうちに計画が終わっていた。

 ―――三年前。アトラスにも戻れず、協会からも逃げ続けての三年間が終わる筈だった。

 こうしてまた、あの忌々しい月を見上げられるのも彼女のおかげ。
 ……まさか生き残るとは思わなかった。それも彼女の力なのか―――。

「……くそっ」

 鮮明に思い浮かぶ、昨夜の戦闘。
 戦闘―――ともいえない。一瞬に終わった。真祖に傷一つつける事も出来ずに終わった。

 なのに彼女は真祖の頬を叩く事が出来た。
 実力の差なのか。
 ……無性に腹が立った。
 其処等辺に落ちていた塵を、気が済むまで蹴り上げる。

「…………何なんだっ」

 息が上がる。

 月下―――満月の月のせいか、否、昼でも新月でもこんな事をやっていたか。
 これは何だ。物にあたるなんて、オレらしくない。

 嫉妬か。
 確かに彼女は素晴らしい『眼』を持っている。
 魔王さえも殺してしまえる眼。本気を出せば自分だって―――。

 そんな凄まじい彼女の力に嫉妬しているのか。

 違う。
 嫉妬……やきもち……ねたみ…………そんなんじゃない。

 しかし、いつの間にかオレは彼女を恨み憎んでいる。
 目を瞑っても、滅多に見ない夢の中でも、目を覚ましても、不愉快な程に。
 彼女が浮かぶ。

 ―――オレは、彼女に対して、深い感情を、持っている。

 吸血鬼化の治療、そんなの必要なかった。
 でも今は、今のオレにはどうしても必要だ。アトラスに留まっていては吸血鬼の研究はできなかった。彼処にいては、オレはずっと間違えたままだった。だからどうしても、オレの手で吸血鬼化治療の方法を完成させなければならない。

 そう無理矢理冷静な自分を納得させて訪れたこの国。

 ……嫌な事を想い出した。彼女を此処に連れ出して直ぐ起きてしまった事を。
 
 ―――こんなに不快な気分になるのなら、訪れない方が良かっただろうか。
 なんて有りもしない感情を呟きながら、暗闇の中を歩き出す―――。



 /2

 幽かに差す光の中、冷たく鋭い音同士がぶつかり合う。

「っ……!」

 相手は剣。甲高い音を立て、積極的に攻めてくる。
 壁という壁を使い、走り跳ね飛ぶ。
 銃弾が壁を弾いて激しく光る。

「手こずらせてくれるな、シオン・エルトナム・アトラシア!」

 奴も不適に口元を緩ませて襲いかかってくる黒い男。
 本来の死徒狩りの法衣ではなく、志貴の通う学校の制服の男。学生服とは似つかぬ小剣を向け、襲いかかってくる。

「っ……」

 静かに降り立つ。代行者も久しぶりに地上に戻ってきた。

「もう苦しいんじゃないか。そろそろ終わりにしたらどうだ」
「……息上がっているのは貴様の方だろう、代行者」

 笑って睨みつける。……と、敵は営業スマイルをし、剣を下ろした。先制攻撃を仕掛けておいて、やっと話し合う気になったのか。

「―――関係のない市民を巻き込むのは君の本意ではないだろう? 判ったなら大人しくアトラスに戻るんだ」

 もう一度。
 この戦闘が始まった時と同じ事を繰り返した。
 だが、その要求は呑めない。奴の仕事も十二分に理解はしているが、従うわけにはいかない。

「……大人しく退散するのは貴様の方だ、代行者」
「そうか、残念だ。―――まだ無駄な抵抗を続けるのか」

 あぁ、そうとも。無駄な戦いだと判っていながらも剣を向けてくる奴の気も知れない。

「ならば………………ッ!」

 かけ声と共に、何処から取り出したかも判らない数本の細くて長い武器を取り出す。代行者の目に僅かに殺意が籠もる。
 少々動きにくそうな黒い服。彼自身万態ではないが、完全に戦闘モードに入っていた。

「……代行者」

 これでは戦闘を終わらせるにも終わりそうにない。あまり使いたくないテだったが、―――切り出した。

「それ以上、オレに危害を加えれば、―――志貴の命の保証はないぞ」
「なっ……!?」

 思った通り、代行者の顔が歪む。
 それも予想以上に驚いていた。エーテライトを繋いでいないのでよく判らないが、彼の心を読むなら『何故今彼女を出す?』と言った所か。

「……それは、どういう意味だ」
「言葉通りの意味だ。……代行者よ、今すぐ立ち去らないのなら、遠野志貴の脳を焼き切る」
「っ!?」

 怯む。
 ……真祖の皇子の交渉の材料になると思いきや、こんな所でも志貴が役に立つとは。
 しかもどんな武器よりも強力なダメージを与えている。
 ―――あの、埋葬機関第七位の悪魔の男・シエルにだ。

「……オレの腕輪には『エーテライト』と呼ばれる類似神経が収納されている。これがどんな物なのかは知っている筈だ」

 片腕を見せつける。
 と、悔しそうに歯ぎしりをした。判りやすい口惜しがり方だ。自分でもマトモにやって代行者とはやり合える相手ではないと判っている。戦況がどんなに良くても相打ち、だろうか。今はまだ力を出し切っていないが、体力も魔力も全て上だ。
 何よりバックに、あの魔術師がついているのだから。勝ったとしても、また蘇るのだから。

「……エーテライト。成程、君はあの男の直系だったな。協会も相変わらずだな……二十七祖の、あんな奴の息子を採用するとは」
「貴様も同じだろう。お互い良い父親を持ったじゃないか」
「―――」

 ……少し言い過ぎたかもしれない。一段と空気を凍らせた。緊張感が袋路地の小さな空間に張りつめていて―――とても心地よい。

「蛇の知識を持っているのなら話は早い。エーテライトは彼女の脳と繋げてある。オレが仕留められる前に少し細工をすれば、彼女の脳を焼き切る事だって可能だ」
「……出来るのかぃ、そんな事が」

 やった事は無いが可能だ。失敗するつもりも無い。

「……始めから彼女は人質として使うつもりだったのか」
「無論。この街において、……いや吸血鬼共にとって、彼女は重要な交渉の材料になる」
「―――」

 ……言ってから、不快な気持ちに襲われた。

「……っ」

 唇を噛む。
 強く、何かに堪えるように。
 代行者の精神攻撃だろうか?

 いや、違う―――自分……オレ自身が、何かに焦ったのだ。

 ……代行者は黙って剣を下ろした。
 まだ目には殺意が残っている。……いや、逆に増している。遠野志貴の名を口に出した瞬間、奴の目が一段と鋭くなっていた。隙を見せればいつ喰いかかってくるか判らない程。

 蒼い目が、建物の影で作られた暗闇の間に光っている。
 しかし、……はぁ〜っと代行者は大きくため息をついた。
 その瞬間張りつめていた緊張感が全て砕け散る。
 最後に、

「……最低だな、君は」

 と言った瞬間に、時は変わった。

「何とでも言え」
「あぁ、言っておくよ。サイテーだよ、ホントに、君は。女の子を人質に取るだなんて、魔術師のモラルを疑うよ」

 ……貴様も魔術師の一人のクセに……と言わない事にしておく。

「一応僕宛に、協会の方も教会の方もどっちも『シオン・エルトナム・アトラシアを捕獲せよ。殺しても構わない』的なメールは貰ってたんだけど」
「……」

 ……やはりそう来たか、協会。
 どうやら本当にオレは帰る場所を無くしてしまったらしいな。
 それは、三年前から判っていた筈だったが。

「第一、僕は元々君を捕まえるためにこの街にいるんじゃないんだし、捕獲してもあちらさんに『余計な事をしてくれたな』って誉められるかもな」
「死徒狩り…………か」

 本来の、代行者の任務。
 オレを捕まえるためにわざわざこんな遠い国まで来る遣いがいるだろうか。……いる訳がない。
 確かにオレはアトラス側にすれば『裏切り者』に違いないが、アトラス側にオレが裏切った事でデメリットは無い。ただ気分が悪いだけだろう。裁かれるべき物がウロチョロ国を廻っているのだから……。

「『吸血鬼狩り』に訂正してくれないかな、死徒に限った事じゃないんでね」

 ……真祖もその中に入っている、という事なんだろう。

「シオン・エルトナム・アトラシア君。君が何したがってるか僕は知らないが、全てが終わったらさっさとここから立ち去るんだ」
「……そんな事、判っている」
「それと、志貴ちゃんとは『これ以上深く』関わるな」
「そんな事判って……」

 ……何故だ。

 何故、代行者はこんな事を言うのか。
 わざわざ忠告するように、其処にアクセントを置いて。

「何か其処に意味はあるのか」
「ありまくりさ。…………志貴ちゃんは、一度自分と意識を通わせた人にとことん優しいんだよ。それで僕は迷惑をくらっている。……まぁ、そこが志貴ちゃんのイイトコなんだけどね」

 ―――苦笑い。

「今、僕が捜している『彼女』も、志貴ちゃんが意識を通わせる前に片付けなければならないコなんでね」

 ……。

「女の子に泣かれたらやっぱ後味悪くなるからさ。……志貴ちゃん自身のためにも、早めに『彼女』は片付けておきたいんだ。だから、イレギュラーば君を捕らえても僕には体力と時間の無駄になってしまう。報告書も書かないといけないしね」

 ……。

「というわけだ。今日はこの辺で終わりにしておこう」

 剣を仕舞う。何本も持っていた剣は全て消えてしまった。何処に仕舞ってあるか謎だ。……まるで白い半月のポケットのような……。

 ……。

「埋葬機関はいつから私情を挟んでいい事になったんだ?」
「いつからだろうね。僕も昔は『殺人したくて入った』上司や、『お宝大好きで入った』先輩を不思議がった事はあったけど。今思ってみれば『なんであの時あんなに真面目だったんだろう』って気がするよ。―――とにかく、彼女には気を付けろ。距離を置け。そしてさっさと帰るんだ」

 何度も、念を押すように代行者は同じ事を言った。

「……そんなに、遠野志貴という少女は危険なのか?」
「あぁ。彼女にオトされた男は沢山いるんだよ。……僕も、その一人さ」

 はは、と笑う。
 それは『営業スマイル』でも、戦いの中見せた笑みでも、説明の途中見せた苦笑いでもない。
 本当の、本物の代行者の笑みだった。

 ……気色悪い物を見てしまった。思わず口を塞ぐ。

「……よく、判らないな」
「彼女は、例えるなら麻薬だよ」

 冷静な考えが出来なくなる。
 全てが、それ中心に廻ってしまう。
 それでもって憎めない物。
 さらに、求めてしまうもの。

 ……クスリ、その物だ。

「判らなくていい。それにお世話になりたくなければ、さっさとこの国を出るんだな―――」

 ―――戦いは終わった。上機嫌になった代行者はあっという間に消えていった。

「……ふぅ」

 寝床(だった毛布)に腰を下ろす。
 この街に干渉した一日目で、あんな大物に出逢えるとは……貴重な体験をした。

 ……見逃して、くれた……のか。

 いや、代行者も懸命な判断をした、という所だろう。代行者は元々、死徒討伐のためにいる。オレに相手をしている暇は本来なら無いはずだ。

 ……だから、判らない。
 真祖といい代行者といい、何故、そんなに彼女に付きまとうんだ。



 /3

 ―――そうして、夜を迎えた。

 目を覚ますと暗闇。寝床にしている路地裏で一人、月を見つめる。
 ……少し欠けた月。

「もうすぐ、満月か―――」

 ……見つめながら、昨夜の事を想い出していた。呟きに、目を覚ました。

「…………」

 歩き出す。

 ―――オレを、呼ぶ声がする。

 闇の中を突き進む。
 ヒトの無い道。影の無い場所を通り抜け、耳の奥底に響く声の元へやって来た。

「あ、やっと来た」

 夜の静かな水音。
 一人しかいない空間。
 公園の時計は、まだ7時前を差していた。
 それでも神々しく輝く月の下。

 ―――彼女が立っていた。

「こんばんは、シオン。やっぱり来てくれたのね」

 手を大きく振ってこちらを呼ぶ彼女の姿。
 リボンで束ねた長い黒い髪。白のジャンパースカート。噴水に腰掛ける細身の身体。
 月の光に照らされる少女。……真祖の皇子のように、いやそれ以上に美しい。

 ―――それこそ、月の姫。

「……志貴?」
「そうだけど、……どうしたの? 何かおばけを見るような顔して」
「いや、だって……」

 何故、此処に。
 ……自分は、来てしまったのだろう?

「シオンって、いっつも私の心読んでるでしょ」
「は……っ?」

 エーテライトで繋いである彼女の脳、ある程度の行動なら読みとれる。
 それは『心を読む』とは違う。『心』は完全に読みとる事など出来ない。読みとる事が出来れば、―――こんなにも苦しまずに済むのだが。

「だから、私がシオンに呼びかけたら来てくれるのかなーって思ったの」
「……」
「来てくれたね」

 そんな、確証の無いことを―――。
 眠っていたのに、急に誰かが呼びかけてきたのはこれなのか。
 志貴がオレを呼ぶ声が、エーテライトを渡って聞こえたということなのか。

「……何時頃から此処へ?」
「ん……学校が終わってからずっと此処で待ってたから……4時くらいかな」
「…………どうして」
「何言ってるの。まだ終わってないじゃない。交渉が終わっただけで、何も手に入れてないでしょう?」
「……」

 ……少し呆れた。志貴の脳天気さと、……何かを期待してしまった自分自身に。
 エーテライトを付けていても、……彼女が何を考えているのか判らない。
 それでも、彼女がどれほど『お人好し』なのか心底判ってしまった。

「―――もう終わった事だと思っていた」

 彼女と会うのは、昨夜が最後だと思っていた。

「アルクェイドは協力するって言ったけど、貴男一人じゃアルクェイドも言う事聞いてくれなそうでしょ?」

 ……頷く。

「知ってるかもしれないけど、私がアルクェイドのマンションに案内するから」
「それは適わないが。―――これから、死の危険があった場合、オレは志貴より自分の身を優先する。それでも……」
「何を今更。……今までだって物凄く我が儘だったくせに」
「誰が」
「此処には私と貴男しかいない気がするけど?」

 ……。
 しばし、睨み合い。
 オレから一方的なものと、彼女の笑っているものがぶつかる。
 そんな馬鹿げた遊びはどうでもいい。

「…………じゃあ、案内頼む」
「うんっ。……あ、門限までには帰してね」
「手短に済ませるつもりだ。……後は真祖の皇子次第だ」

 そうね、と彼女は笑う。
 立ち上がり、先を行く。

 ……片腕の、エーテライトの腕輪。
 見つめ、握りしめる。情を込める。
 彼女の感情……意識……心を……もっと、と。



 ―――どうやら、代行者よ。
 オレも、彼女にオトされた一人らしいぞ―――。





Alice's insanityに続く
03.5.18