■ 3章 The alchemist of atlas



 /1

 体育祭なんて運動部以外はダルイもんには変わらなくて、一応伝統行事だからとやっているらしいが、誰も望んでやるヤツなんていないだろう。
 つーか、教員までヤル気ないのはどうしたもんか。ありえんぐらいダルくてダルくて仕方ない。
 ……でも、何故か参加しちまうのは祭り属性好きな人間だからだ。
 一部運動部だってそんなに気合いが入っていない企画だし……。

「うぉーい、さっちん。大丈夫か」

 二年の応援席の端の方で、目立たないように蹲っている野郎の背中をさすってやる。
 何でも気分が悪くて出る種目を休んでまでじっとしているらしい。一応ヤツぁ運動部だったから活躍してくれると思ったが、本当に祭りってもんは何が起こる判らない。

「…………うぐぅ」

 弓塚の気分は、かなり悪そうだった。体育座りのように膝を抱えて、頭を埋めている。顔色は伺えないが、悪いに決まってるだろう。

「あー、話したくないならえーわ。ただな、ヤケに晴れてるし、これからもっと暑くなるらしいから日陰に行ってた方がいいって。ていうか邪魔かも? 俺から優しい忠告」
「……ありえねぇ。乾に注意される日が来るなんて、一代の恥だよ……」

 ……そこまで言うかテメェ。折角人がおどきと言ってやってるのに。

「んな気持ち悪いんだったら保健室行けよ。お前の大好きな志貴ちゃん付きだぜ?」

 ……何でも、奴も種目一つ目をゴールした途端ぶっ倒れたらしい。
 風の噂で聞いただけだが、……まぁHRの時からいつもより顔色は悪いなとは思っていたので、ヤハリと言ったカンジだった。
 保健室は志貴の第二の家みたいなもんだし、それは小学校から高校まで変わらないらしい。

「……やめとく」

 おぉっ、さっちんがあの女を拒んでる。今日は一降りくるかもしれないな―――。

「……多分、遠野さん……は、早退したんじゃないか……? 保健室にいる気配……しないし……」
「はぁ、開始20分で帰りやがったかアイツ。……ってお前、気配って何だよ」

 最近気付いたんだけど、お前中学の時より超人ぽくなってるよな……。
 1ヶ月前まではそれなりに明るそうな学園ライフ送ってそうだったのに、今じゃすっかり志貴色だ。……顔を埋めたまま、さっちんは『そのままの意味だよ』、と返した。

 そして今度はぶつぶつ独り言を言い始めて……。

「……同種……吸血……鬼……またかよ…………来たのか……ただでさえ気持ち悪いってゆうのに……」

 ……俺が思うに、こんな日差しのいい所で、そんな体勢で休んでいる方が疲れるんじゃないか、と。



 /2

 ―――連れて来られた場所は、何だか思いっ切り見覚えのある薄暗い所だった。

「……」

 人通りの激しい交差点から歩いて2分。
 なのに人影が一つも無い孤島。普通の人なら此処の存在に気付かないくらい、目立たない場所だ。
 微かに差し込む太陽の暑い、白い光。もう二度と来るもんかと訪れる度に思っていた場所。

 ―――ここは、あの廃墟。
 ―――ここは、あの袋路地だった。

「……」

 ……に、しても。此処はこんなに清潔だっただろうか?

 まるで人が住んでいるような……前見たのとは全然違う。人が住んでいる気がする。
 また此処が開発されるのだろうか? 人が踏み入った跡がいくつもあった。
 跡。足跡に、……竹箒で払った時出来た擦り傷。明らかに此処を掃除した跡。
 毛布。ここで寝泊まりしてるのか、畳みもしないで置いてある。
 コンビニの空き弁当。食い散らかし放題。

 ……これは何だ、男の人の一人暮らしみたいだった。

「……あの」
「何が言いたいのかは大体判る。キミにとっては嫌な思い出しかないだろうが、今では此処はオレの住処になっている」

 青年は私の心を読んでそう言った。……やっぱこの人、此処に住んでるんだ。それにしても随分姿形が綺麗なホームレスだなぁ……。

「私に……お話……があるんですよね?」
「あぁ」

 そう応えて青年は、―――あの毛布の上に青年は座った。
 毛布の上と言っても、地べただ。コンクリートの上だ。黒いわんちゃんが襲ってきそうな所だ。私も……と思ったが、座る所が一つも無いので立っている事にした。

 ……出口は私の方。青年は閉じこめられた四角形の空間の奥に座っている。
 逃げるのは簡単だ。……逆方向に走ればいいんだから。
 それでも何も言わないのは、きっと私を逃がさないと相当の自信があるんだろう……。

「出来るだけ簡潔に説明しよう。まず何から聞きたい」

 青年は、保健室で会った時と同じ、睨むようにして私を見た。
 ついその鋭い視線に直立不動になってしまう。

「じゃ、じゃあまずは……貴男が何者なのか知りたいんですけど。その……警察の方じゃ……無いですよね? あんな事どうしてしたのか、とか……」
「あんな事とは?」

 ―――いきなり保健室で突きつけられた黒い武器。拳銃だ。

 青年の着ている軍服は、お巡りさん制服と……言えなくもない。外国では銃は護身用でみんな持っている(という偏見が)というし、……でも日本にそれを持ち込んでいいのかは判らない。
 そうでなかったら、―――やはり吸血鬼関係の人。
 もしかしたらシエル先輩の知り合いかもしれない。……あの人も猫型ロボットの如く剣を持ち歩いてるし。奇妙な事には慣れてしまった私だが、銃を見せられた時は心臓が止まるくらいビックリした。

「事情を。貴男の目的が知りたいんです。わざわざ此処に連れて来たのも何か理由があるんじゃないかと―――」
「―――キミは質問しすぎだ」

 そう言われて、口を止める。
 でもそれくらい質問しちゃうほど、―――青年はあやしい人なんだ。

「―――ハッキリ言ってオレも反省している。いくらなんでもあの連行の仕方は自分でも失敗だと思っている」



「オレの名はシオン・エルトナム・アトラシア。吸血鬼を捜している者。目的は吸血鬼化の治療。吸血鬼に咬まれた人間を元に戻す方法を研究してきた」
「……っ!?」
「吸血鬼になった者の逝き行く先は死。今までそれを止める事は不可能だとされている。けど、オレはそれを可能にしてみせたい。覆してみせたい。そのためにこの国にやってきたんだ」



 ―――判ったか? と青年は言う。
 その間、約30秒…………もかかっていない。
 こんなに重い―――重要な事なのに、簡単に青年は言ってみせた。

「……自分、言ってる意味、判ってる?」
「それはオレのセリフだと思うが。質問したのはキミだろう。判ったか?」

 ……こくり、頷く。

 でも、この青年が言っている事は……本当に凄い事だ。
 吸血鬼に血を吸われた者は吸血鬼になる。それを戻すだなんて…………

 ……私は知っている。完全に吸血鬼の呪いから解放されるわけじゃないけど、似たような事をしてきた。
 だってこの事に、私は一ヶ月間魘されてきたんだから―――。

「そう、今キミが思った通り、この街は違う。この街の数人は、吸血鬼化しても死んでいない。それどころか共存さえしている」
「あっ……」

 ……それは一部での事。
 この話は関係者しか知らない筈。
 なのにこの青年は知っている。ということは…………。

「キミもその一人だろう。一度血を吸われた者だ。だがこうして昼間、ごく普通の人間と同じように学舎で暮らしている。これは例外だ。実際では有り得ないとされている。―――キミならオレの目的を理解してくれると信じている。吸血鬼になってしまった友人を持つ者なら」
「…………なんで私がそうだって知ってるの」

 ―――彼の言っている事は、全て事実だ。

 吸血鬼の末路は、死。同種を創り出し、全てを死に追いやる。
 私は、その死さえも殺している。
 これは―――知られてはいけない事なのに。

 ……彼がいかにも当たり前のように語るから、騙されそうな気がした。
 この人は、―――危ない人だ。

「…………気に障ったのなら謝る」

 が、青年は気まずそうな顔をして、頭を下げた。その表情は、……本当に反省しているものだった。

「―――オレも目の前で知人を吸血鬼に殺られた事がある」
「えっ……」
「その人達を、少しでも苦しみから解放してやりたい。この研究が正しいと信じている。そのためにキミの事も調べ上げた。……すまない」

 座ったまま頭を下げる―――ということは、つまりは土下座だ。
 立ったままの私にそれをしたのは、端から見れば(誰もいないけど)……とても悪い図だ。

「ご、ごめんなさい! 私、その、……貴男の言っている話は分かるわ。吸血鬼化を治療したいというのも、すごく解る。……け、けど……どうして私を襲ったの?」

 やっぱり、私も――だから?
 頭を上げて貰う。

「吸血鬼化の治療法を探るなら、死徒の元になった真祖を調べなければならない。そして現存する真祖はこの国にいる。先に言ったように、オレは真祖に会うためにこの国に来たんだ」
「え―――真祖って、アルクェイド!?」

 ……頷く。青年の目つきが、今までと違う。今までも真っ直ぐで氷のように蒼い目だったけど、今の色はとても熱い。真剣で、嘘のついてない目だ。

「サンプルとして真祖の血と体液を手に入れたい。……しかし、気高い真祖が人間の頼みなど聞いてくれる訳がないという事は判っている」

 ……気高い……、というのはともかく。
 アルクェイドはそんな頼み、きっと嫌がるに違いない。……『くだらねぇ』とか『めんどくせー』とか言いそうだ。絶対。

「―――だから、キミに交渉役を頼みたかった。そのために拘束した」
「こ、交渉役……!?」
「キミの力を貸して欲しい」

 青年は、顔色……所か目線を一切ズラさず、じっと私を見た。
 本気でこの人は私に頼んでいる。
 ……でも、

「そ、そんな事言っても……アルクェイドは私の言う事なんて全然聞いてくれないし……自分勝手だし人の事全く考えて無いし、……それより貴男。なんでそういう事を思い付いたの?」
「は……?」

 ……青年の顔が歪む。当惑。崩れなかった即答の嵐が、初めて止んだ。……特に可笑しい事も言っていない。正直に、どうしてその役を私に? そう聞いただけなのに……。

「キミは真祖の彼女なんだろう?」
「―――」
「キミが間に入ってくれるなら、少なくとも話は出きるだろう。だからまずはキミを確保したかった。キミの協力してもらって真祖と会い、正式に要請するつもりなんだが」

 ―――。
 ――――――。
 ―――――――――。

「――――――――――――なんで」
「……?」
「なんで、なんで……私がアルクェイドの、カノジョにならなきゃならないの! どこからそれ聞いたの一体誰から!!?」
「…………」

 黙る。
 静かに俯いて、しばらく考え抜いて、
 そして、彼の口からとても意外な人物の名が出てきた……。



「我が協会では、アルクェイド・ブリュンスタッド本人が、それはもう嬉しそうに言っていたと噂が流れてるが」
「―――」
「やはり……噂は違っていたのか…………」

 ……そのまんますぎて意外な人物になっていた人の名が。

「…………しかし、違っていたとしても似たようなものだろう?」
「どこが!?」

 大声で言い返す。
 すると青年は、私が怒鳴ったので(?)また表情が暗くなってしまった。
 ―――さっさと話を戻すとしよう。

「……つまり、貴男は私をアルクェイドをおびき寄せるための道具にしようと思った……ってコト?」
「あ、あぁ、そういう事になる」

 青年は真顔に戻る。……でも真顔でそう言われても困る。

「どうだ?」
「どうだって……」

 ―――カノジョ、とかそういうのはともかく。

 ……この人の研究は、応援するべきだ。
 いきなり銃向けられたらなんだと思うけど、でもこの研究はとってもイイ事だと思う。

「何よりキミは、真祖が最も怖れる存在だ」
「私が……?」
「キミは真祖さえも殺せる」
「―――」
「オレの提案が嫌なら、ここでオレを殺す事だって容易いだろう」
「―――」

 この人は、……本当にどこまで知っているのだろう?
 ただ、今さっき判った事は、―――アルクェイドと同じくらい、バカだって事。

「……そんな事、できるわけ…………」
「? ……何か言ったか」

 人に、刃を向けるのがどんなに恐いか知らないで―――。

「言った! また変な人に会っちゃったってボヤイたの! もう……っ、最近折角落ち着いた生活が出来るって思ってたのに……!」
「……予想していたのよりキミは五月蠅い女なんだな」

 平然とそう言われると頭にくる。

「シオン君! アルクェイドとの仲を取り持つぐらいなら協力してあげる。……あの人の事だから多分無理だと思うけど」
「……協力してくれるのか。それは、嬉しい。どんなに可能性は低くてもやってみなければ判らないだろ」

 ……そうだ。彼は真の『気紛れ屋』だから、もしかしたら手を貸してくれるかもしれない。

「だから、シオン君……」
「オレの事はシオンで構わない」
「そう? ……じゃあ、知ってると思うけど、私の名前は遠野志貴。好きな呼び方で呼んでいいからね」

 ……。
 また、彼は黙った。

「…………どうしたの?」

 ……。
 また、彼は考え込んでいる。

「…………シオン」

 口をパクパクさせている。
 息を思いっ切り吸い込んでいる。
 そして、

「…………志貴」

 私の名を呼んだ。

「うん?」
「………………志貴」

 もう一度、名を呼んで
 ―――目つきが変わった。

「志貴」

 私をじっと見た。
 ……いや、『私の方を向いた』だけだ。

「何……?」
「…………そこから退け」

 と、シオンは聞き漏らしてしまいそうな小さい声で言った。

「退け」

 ―――シオンは、私の『後ろの』方を見ている。
 人通りの多い商店街への道。
 光の無い、一本の暗い道。

「どうし……?」
「退いてろ」

 シオンの小声を聞くために口を閉じる。
 すると、足音が聞こえてきた。

 カツ、
 カツ、カツ……と聞き覚えのある足音。

「あ……っ」

 何度も聞いているリズム。
 この音に殺されそうになった時期もあったけど、今では頼もしい人の歩み。
 これは、―――あの人の歩調。
 すると細い光が襲ってきた。

「っ!?」

 これは―――あの人の武器。
 シエル先輩の黒鍵だ―――!

「…………っ!」

 シオンは素早く上にジャンプして飛んできた剣をかわす。
 くるっ、とサーカス団のように宙で回り、私の真横に降り立った。

「先輩……!?」

 黒い道から出てきたのは、先輩だった。ただ現れた姿は夜中視界を紛らす法衣服ではなく、学校指定のYシャツ姿だった。右手に銀色に輝く剣さえ無ければ、登下校中の高校生に見えるのだが……。

「志貴ちゃん!? なんで彼と一緒に……!」

 ……やっぱり一番最初はそっちだ。

「貴様が、シオン・エルトナム・アトラシアか。彼女に何を……!」
「思い違いだ、代行者。ただ彼女とは友好的に話をしていただけだ」
「話をするために、病弱な彼女を銃で脅してこんな所に連れて来たと? シオン・エルトナム・アトラシア。君は発見次第保護するようにと教会から手配されている。君の所属する協会からもその要請は来ている。何か反論は」
「―――」

 シオンは、何も言わない。

「せ、先輩、待って下さい! 何か事情がありそうなのは解りますがいきなり黒鍵投げてくるのは……!!」

 シオンに剣を向けたまま、目だけが私の方向へ向く。
 その目は……この上ないくらい怒っていた。
 ゆらゆらと、先輩の蒼い炎が燃えている……。

「……志貴ちゃん……どうして君は、いつもいつもこういう変な輩と知り合いになるんだ……?」

 ……それは私が聞きたいくらいです。
 こっちが先輩の目にビクビクしている横で、―――シオンは鼻で笑ってみせた。

「反論か―――勿論そんなものは無い。だが、オレはここで捕まるワケにもいかない。ならば代行者を破壊するのみ」
「し、シオン……!」
「―――成程。従う気はないか。…………いいだろう。教会の代行者として、君を捕縛する」
「ちょ……っ、なんで先輩、いつもそんな殺る気満々なんですかー!!?」
「僕は君の為を想って言ってるんだよ! はいっ、此処はちょっと戦闘になるからね、志貴ちゃんは此処から離れててね!」
「……退け志貴。直ぐに終わらせる。外に出てろ」

 ドンッッと力任せにシオンは私を暗い出口へと押し出した。

「きゃっ……!」
「か、彼女を乱暴に扱うな!!!」
「いきなり剣を投げつけてくる奴に乱暴と言われたくないな…………っ!」

 シエル先輩が、飛ぶ。
 狭い壁だらけの空間を走り、刃を向ける。
 そしてシオンが銃を取り出し―――。

 ―――って、二人の戦況を説明している場合じゃない!

「と、とにかく逃げた方がいいよね……!?」

 パンッだか、ザクッだか、どんがらがっしゃーん……だかとにかく凄い音が真四角の彼処に響き渡る。
 シオンの住処に背を向けて、……ついでに耳を押さえながら駆け出した。





黒姫に続く
03.4.20