■ 2章 Recollections in a safe
/1
「―――ふぅ」
午前の仕事の予定が全て済んだ所で、俺は短く息を吐いた。
懐中時計を見る。……と、もうすぐ昼食の時間だ。掃除をしていた部屋から出ると、屋敷の廊下中に香ばしい香りが立ちこめていた。
兄さんは食事を作る仕事が決められている。
朝早く起きて朝食を、まだ早いと思われる午前中に昼食を、夜の19時には夕食を、毎日三食(時にはお八つ付き)欠かさず用意をしている。
だから俺―――翡翠が掃除を担当している。
その分担は、俺が料理が苦手なのもあり、兄さんが片づけ下手という理由もある。
しかし、最近の兄さんはこの屋敷が明るくなったせいか、物を壊す事が非常に少なくなってきた。良い事だ。
この屋敷はバカ広い。が、現在は使われていない部屋が多い。
なので決められた部屋しか入らない事にしている。変に換気して埃を舞い上がらせるのは時間の無駄になる。
数年前までは、この屋敷中人が動いていた。遠野だけでなく分家筋の者も数人此処に住んでいた。その倍使用人もいて、その使用人は……今は四季の屋敷となっているあの『離れ』で暮らしていた。何十人……いや、何百にいってたかもしれない数の人間がこの屋敷に住んでいた。
今ではその屋敷を、現役高校生の少年とその兄妹、たった二人の使用人だけで使っている。最初のうちは非難されまくったらしいが、今では親戚達も大人しくなってきたらしい。
……秋葉が変に愚痴る事もあまり見られなくなった。喜ばしい事だ。
槙久様が亡くなって、秋葉が当主の座を継いで、それで我儘で―――いや、長年の願いで親戚達は追い出され、彼女は帰ってきた。
その頃から、秋葉は感情豊かになったと思う。俺は秋葉付きの使用人ではないが、昔、遠目から見ていた頃とは比べ物にならないくらい、変わったと思う。親戚達は各自の別荘などに住んでいるらしいが、まぁそんな事はいいとして……。
……。
まだ昼食の時間には早い。だが早めに午前の仕事が終わってしまった。
白い手袋を外し、手を洗う。
水が傷に染みながら、これからすべき事を考える。
この時間ですべき事は、一つだろう。
―――無駄だと判っていながら、兄さん手伝いをしに行こうか。
/2
食堂を向かうために居間の前を通った時、……端の方でモゾモゾと動く影を見つけた。
「―――」
……猫か?
最近……でも無いんだが、よく彼女の部屋にやってくる黒猫がいる。
鍵をちゃんと閉めた筈なのに何故か朝には開いているのだ。
……多分、彼女が開けているのだろう。
「むぅ……」
影が声を出す。……猫にしては大きすぎた。
何か、ガタガタ、ガチャガチャと騒がしい音を立てている奴がいる。
―――兄さんが、部屋の隅で何か考え込んでいた。
……。
もぞもぞ。
……。
がたがた。
……。
むぅっ!
……。
そんな姿が永遠に続いてるので、声を掛けた。
「……何してるんだ」
「うわッ!?」
びくん、と背筋を震わせて振り返る。後ろに回られたのに気付かず、……あるモノに夢中になっていたらしい。
「―――な、なんだ翡翠かよ! いきなりだったからビックリしたなぁもうっ!!」
はぁ〜、と大袈裟に深呼吸する。かなり驚かせてしまったらしい。……そんなに驚くとは思わなかった。
「まだ昼食には時間があるけど、翡翠。何かあったのかー?」
「いや、何か手伝いする事があるかと思って来たんだけど。……そっちも昼食用意しているようには見えないが?」
「あぁそりゃそうだな、もう用意はしてあるんだけどさ。コレの相手してたからなぁっ、あーもぅっビックリしたなぁ!!」
……ある作業の邪魔してしまったようだ。片づけには見えない。そもそも兄さんは片づけが出来るわけがない。―――コレの相手。そう言って兄さんはまたさっきまで見ていたモノに目を向けた。
部屋の隅。
そこには、―――金庫があった。黒く、重そうな、小さな金庫が置いてあった。
「―――金庫……なんてあったのか」
部屋の隅、カーテンの下に隠すようにして置いてある金庫。
大きさは抱えられるぐらいで、鉄製。埃を少し被っている。見るからに古そうな物で、鍵穴があった。
もう何年も触られていない、宝箱のようだった。
……って、俺は一応この屋敷の掃除を受け持っているのに、こんな物は見たことない……。
それより、この部屋の端には確か重いテーブルがあった筈。
「いや、それが……ココ整理したいなー、と思ってどかしてみたらこんなモノがあって、何かなーっと思ってた所なんだけど。……翡翠知ってたか?」
「……全然」
俺も初めて見た。
そもそも兄さんが整理するというのは頂けない。そんなに破壊件数を四桁にしたいのだろうか。
「で、何なんだソレは」
「金庫って言ったら何か入ってるんだろーなー。でもそれがさー……開かないんだよ、全然」
「鍵は……」
……勿論無いようだ。
だから、一人でもぞもぞやらがたがたやらしていたわけだ。
「つまり、コレは開かずの金庫ってワケだ!」
途中から、何故か嬉しそうに語った。
こういう無駄な事に関しては直ぐに興味を持って暴走する。兄さんの悪い癖だ。
だから兄さんの『整理』は頂けないのだ。……変に事件を勃発させる。罪悪感は感じてるらしいが、一向に止める事は無いらしい。
「秋葉、…………様は? 持ってるんじゃないか」
……心の中では『秋葉』と呼び捨てにしているせいか、気が緩むと直ぐ呼び捨てで呼んでしまいそうだ。
一応『当主様と使用人』の関係なのだから敬語は使ってるのだが。
―――かつては一緒に庭を駆け回った事がある友人だ。
「ん……そうかもしれないな。この屋敷の倉庫やらタンスって秋葉が管理してるんだしー」
……兄さんは完全に割り切っているのか、本人と彼女がいない所では地で話す。……だから呼び捨てなのだ。
「だけど、こんな埃かぶって隠されてたんだぞ? 覚えてるかも不安だなー」
「見られたくないから鍵かけてるんだろ……」
「でも見たいな」
……。
「見たいよな?」
……。
「俺、見たいなー」
……。
「だからさ、見たいんだよ! 翡翠ちゃんっ!」
……。
―――開かずの金庫、か。
「ちえええぇぇすとおおぉぉぉ!!!!!」
ぱきんっ。(←鍵穴粉砕)
ぱらぱらぱら…………。(←崩れ落ち)
拳、見事命中。
「すっげぇ! 鍵が壊れたぞっ!!」
綺麗に鉄の鍵は砕け散っていった……。
「本当は二本鍵が必要みたいだったけど、いやーお前のバカ力って意外と役に立つんだなっ!」
「……こういう時に使うものじゃないと思うんだが、暗黒拳って……」
「つーかさ、翡翠。何で師匠はこんな技を遺したんだかお兄ちゃんすごーく疑問なんだけど」
……遺したって、秋隆師匠はまだ現役だぞ……。
「でも鍵が無事(?)壊れたんだから、まぁ、ズバッと開けようか!!!」
「―――」
「どうしたんだよ、さっさと開けていいぞー」
「……何で、俺が?」
「鍵壊したのは翡翠ちゃんだし、最初から見る権利はあるだろ?」
「別に俺、見たくて鍵壊したんじゃ……」
「ほーら、勇気を出して開けろって!!」
……無意味に笑いながら開けろ開けろと薦めてくる。
しかし、……顔が微妙にひきつっているのは、やっぱりそれなりに緊張しているのだろうか。
「兄さん。……ずっと開けてなかったんだろ、この金庫。埃もかぶってるし。ならこれはもしかして開けてはいけない物なんじゃないか?」
「この世に開けちゃいけない箱なんてミミックぐらいしかないぞ!」
……せめてパンドラの箱とかにしてくれ。
「安心しろ。もし開けてビックリ☆大爆発だとしても、俺医者だからすぐ治療できるって!」
……そういう事言われると余計開けたくなくなるんだが。
「っていうのもな、―――俺、ちょっとこの中身検討ついてんだコレが」
「……そうなのか?」
苦笑い。
ハリキってはいるが、―――どこか怖がっている。この中身を見る事自体に、何か怖れているようだった。
それにこの雰囲気は、……兄さんは本当に『俺に先に中身を』見て欲しがっているようにも思えた。無理に金庫を持たせても、きっと兄さんからは開けないだろう……。
「…………そうか。それじゃあ開けるけど」
宜しく、と頷いたのを確認して、―――飾り気の無い鉄の扉を開けた。
……。
…………。
………………しかし。
「……何も……無い……」
……一見、中はがらんとしていた。外は埃がかぶっていたくせに、中は綺麗だった。
「…………よく見ろって。入ってるだろ、一枚」
「…………本当だ」
よくよく見てみないと判らなかった。
金庫の底に、写真が、一枚だけ入っていた。
裏返しに、古びた白を見せて―――何の写真だろうと、その写真を捲り取った。
―――あ。
そう、思わず声があがった。
白が黄色くなった、古ぼけた写真。
たった一枚、大きな写真に―――幼い子供達が写っていた。
それは、木漏れ日に包まれた中庭。
子供達が遊んでいるだけの、何気ない光景を絵にしただけの写真。
懐かしい、あの頃の時をずっと残していた。
こんな黒い小さな箱の中に、あの頃からずっと封印されていた。
まだ『当主』だなんて重い席にいない……明るく、小さな少年。
まだ何も起こらず、幸せに毎日を暮らしていた銀髪の少年。
やっとみんなの前で、……笑えるようになった漆黒の髪の少女。
―――そして、自分。
この中で、ずっと遊んで、みんな一緒にいられると本当に信じていた自分。
他にも周りに見覚えのある人たちがいた。おそらく遠野の分家筋の人達だろう。
みんな笑っていて、幸せな一時をそのまま残している。
―――今のように、幸せに暮らしていられた頃の。
ただ今と違うといえば。
「…………楽しそうだな…………」
一人、大切な人が足りない。
……後ろで写真を覗く兄さんに、写真を渡す。兄さんは写真をじっと見て、中をずっと見回して―――笑みを浮かべた。
「ココ、あの木の下だな。今でもあるだろ、少し山みたいに盛り上がっていて……大きな木がさ」
「…………兄さん」
「凄いな、こんな写真があっただなんて」
「…………あぁ」
―――何も、言えない。
相槌しかできない。
写真の中に、―――琥珀がいない。
『ココ』には写っていないだけだ。この時も琥珀は存在した。
俺はあの時も毎日、……元気そうに笑っていた姿を見ていた。
俺が外で遊ぼうと何度か誘いに行った事がある。
でも兄さんは笑って断った。何故か屋敷の二階の窓から離れようとしなかった。
……彼女が、何度も手を振ったのにも関わらず。
「………………何でこんな物、撮ったんだろうな」
「さぁ? でも確か久我峰様が写真好きだっただろ。それじゃないのか。ホラ、こん中にいないし。って、全員集合写真でもないんだし仕方ないか。四季達と年もすっごく離れてるしなぁ」
「………………」
「えーと、この人も見たことあるな。コレだよ。黒髪のさ、右目を隠してるこのデッカイ男の人! この人も分家の人だっけ?」
「………………」
「それにしても、やっぱ彼女は可愛いな〜っ。おーお、秋葉も泣いちゃって……多分コレ、四季に殴られたか転ばされた後、撮られたんだろ。こっちも可愛いなーっ!」
「………………」
表情は変えていない。金庫の鍵を壊す前と同じだ。
ずっと笑って、この写真も見つけて喜んでいるようだ。
だから、声色を変えずに―――泣いているんだ。
喜んでいる……ようだ、に過ぎない。きっと我慢しているに違いない。
この写真に、本当の琥珀はどう思っているんだ?
毎日届かなくて憎いのか。
あの頃を思い出して辛いのか。
……俺がいなければ破いて捨ててしまいたい記憶なのか。
「これ、どうしよっか? 秋葉に見せつける? 恥ずかしがって燃やされるかもしれないけどさ!」
……笑う。
琥珀自身も、コレがそうなる事を願っているのか?
「…………兄さん」
「なんだよ、翡翠ー。コレ、宝モンだぞ? もうこれから作る事も出来ないんだし、もっと喜べって。誰もいないんだから我慢しなくていいんだぞ」
「…………兄さんも、な」
「―――」
……何も言わない。
いや、……このまま何も言わないでほしい。
これが本当の姿だ。
笑わなくていいし、無理に喋らなくていい。
―――この写真は、この世界は琥珀の夢だった。
子供の頃。叶わないと悟りながら、ずっとなりたかった姿なんだ。
手袋を外し、……両手で写真をしっかりと取って見た。
さっきまで、琥珀が見ていた古ぼけた写真。
さっきまで、素直に羨ましいと見ていた。
それを、気持ちを誤魔化すのは相応しくない―――。
「…………兄さん」
「…………翡翠、傷残っちまったんだな。手」
「え?」
近場なのに指さす。
琥珀が指さした先は、俺の指。
ざっくりとナイフで斬られた傷の跡。
……琥珀が、彼女に突き立てた刃の跡。
いつもは兄さんの前でも手袋を外さないでいた。
なのに気が緩み、そんな事も忘れて手袋を取ってしまった。
……これを言われるのを怖れていた、からなのに……。
「痛いか」
「いいや、もう痛くは……」
「楽しかったか、この頃?」
……。
「…………兄さんは?」
「さぁ。覚えてない」
写真を返される。もう一度写真を通す。
一体、兄さんは何を見たのだろうか。
「……じゃあ、今は。……どう想う?」
「さぁ」
……。
「別に俺は憎いとか辛いとか、そういう事は思ってないぞ? だって何にも考えてないからな」
「そんな事……っ」
「だって何一つ覚えてないんだからな」
……?
「……あぁ、翡翠には言っていいかな。何かポッカリ記憶が抜けてるっていうか……そういう事があって。思い出すにも痛いから、一度コレがどういう事なのか気味悪くて時南先生に聞いてみたんだ。そしたらさ、面白い返事が来たんだよ。前までは、こういうの……写真とか、昔からある花瓶とか見てると壊したくなったらしい。もうこの時点で伝聞なんだ。多分翡翠達が言ってる『直ぐ物壊す』ってそれだと思うんだけど。今じゃ何考えてたなんて覚えてないんだ。―――面白いよな、記憶喪失ってあるんだよな」
「…………っ!?」
「面白いぐらいに丁度いい所だけ記憶が抜けてて……何か肝心な所だけ抜けてる気もするんだけど。どうやら俺、今までやってきた思考が思い出せなくなってるらしい。こういう物見て……以前どう思っていたとか、そういうのも全部。ホント、……都合のいい所ばっかり。……都合がいいのか悪いのか判らない、子供の頃の時も、全部。って、あーっ! 信じてないなっ。まっ、そりゃそうだよな、名前もお前の事も仕事も覚えていてそういうのアリかってカンジだよな!」
今度は、……本当に可笑しそうに笑う。
何バカな事を言ってるんだろう、と自分で呟いた。
……それは、アリだろ。
だって兄さんは今、本当に楽しそうに暮らしている。
あの、してしまった過去があったら、こんな風に心の底から楽しそうに暮らす事なんて出来ない。
「さーて、コレどうするか」
「……アルバムに入れておくよ。四季と秋葉にも黙っておこう」
「いいのか? 絶対喜ぶと思うけどな、彼女も」
「秘密にしておくよ。―――俺達だけの秘密な」
……子供の頃は、よくしたものだ。
まもれてもまもれなくても、無闇にそれを連発していた気がする。
秘密を作るというのが、楽しかったんだろう。
……兄さんとだって、この屋敷に来てからは少なくなってしまったが、ちゃんとしていたんだ。
それも、消えてしまったのかは聴けないが…………。
この頃以上に笑っているなら、それでいい。
これで、兄さんも掃除が出来るんだと判った事だし、―――大雑把で妙に不器用な所は地だと思うけど。
/3
―――居間に行くと、ソファに横になっている奴がいた。
秋葉と彼女は学校に行っている。俺と兄さんと一緒で此処に来たのだから、こんな所で間抜けそうに横になっている奴は一人しかいない。
「四季。まだ寝てるのか……」
「……うるせぇ。どうせやる事無いんだから、寝てたっていいだろぉ……」
おそらく、飯を食いにこっちの館まで来たが、食堂にも厨房にも誰もいないので居間でだらけてたのだろう。
料理もしなければ掃除もしない奴だ。……それに、高校行ってもサボリが目に見えている奴だ。秋葉も行かせる気にならないらしい。
ということで、此奴は万年ダラダラしている。
「それにしても機嫌悪そうだな。腹でも壊したかー四季?」
「いや、……なんか急に気分が悪くなった」
後ろで厨房に向かいながら兄さんが言う。昼食の準備をするらしい。
腹を壊すということは、四季が勝手に変な物食べたか、兄さんが賞味期限切れを出したか、一つ盛ったかそれくらいだ。
「どんな気分だ?」
「あー……なんか……」
あまりに四季が悪そうなので、兄さんは厨房に向かう足を戻して近寄って行った。……随分あの金庫で話し合ったらしく、昼食に少し遅めな時間になっていた。
あの部屋に向かった時はまだ早いと思っていたが、時計の進みがやけに早く感じる。……そろそろ彼女も昼食を取っている時間だろう。今日は兄さん特製の仕出しを持っていった。食堂でパンを買うより、これからはずっとそうしてほしいと兄さんも言っている。
俺もその手伝いをしていのだが、兄さんだけじゃなく秋葉や四季まで止めるので出来ないでいる。秋葉に至っては「姉さんを殺すな!」と殺人鬼扱いされている。修行しなければ、良い腕になれるわけないのに―――。
「胸元に拳銃突き刺されたような気分」
「……は?」
「…………マジだりぃ」
四季は顔を顰めて、随分不思議な表現をした。
実際に拳銃を突き刺された事が無いので合意は出来なかった。
「The alchemist of atlas」に続く
03.4.6