■ 31章 if 月世界/1



 /1

 広い空間に出る。
 静かで暗い、深い場所。足を踏み入れても何も音がない、静寂で満たされた城。
 幼い頃夢で見た白い城は、こんなにも恐ろしい空気を放っていなかった。耳を澄ませば自分の吐息と流れる空気、それと生き物の吐息が聴こえる、気がする。

 ―――まるで、城そのものが生き物のような。
 そんな厭な感覚に見合われる―――。

「あ……っ!」

 私を見て、慌てて足を止め向けていたナイフを下げる。
 下げたナイフをしばし見つめる。その後ゆっくりと持ち主の眼を。
 ひたすら慌てている。驚いている。その目は何も語らない。
 後ろから脅かしてやっても、私を殺そうとも思っていない。
 ……私が追い求めた『敵』は、―――こんな少女ではない気がした。

 ―――今では、目的は変わっていた。いや、目的そのものは変わっていない。永遠を目指す。ただ理由もなく永遠を目指そうとしただけだ。
 人間は永遠を生きられないのなら、届く事が出来ない。ならば、転生という形をとってそれに届こう―――。

 そしてやっと、届いた。
 そしてやっと、判った。
 一瞬。
 ……いいや、長い間。
 全ての元凶の夢を見ていた。



 /2

「――――――じゃあ、彼が求めていたものって?」

 先輩が右肩を揺する。

「志貴ちゃん? どうしたんだぃ、…………まさかココで倒れるって事ないよね」

 心配げな顔。いつでも私を置いていってもおかしくない状況なのに、私を気遣ってくれていた。

「……そんなに、顔色悪いんですか?」
「そりゃそうだよ。……数時間前、君は此処で刺されたんだからね」

 此処、と学校の校舎を見た。静かに佇む城。そんな昔見た『悪夢』と重なった。

「……あ、そうでしたね」

 言われて、事の重大さに気付く。

 ……一瞬、いや長い間。
 ―――全ての元凶の夢を見ていた気が、する。

 微かにやってくる痛み。歩く度にくる頭痛を振り払って歩く。

「……じゃあ、志貴ちゃん。ここで別行動しよう」

 暫く校内に入ってから唐突に、先輩はそう語りかけてきた。

「ここから先は一人で行ってね。出来ればこのまま帰ってほしいんだけど、そうはいかなそうだから」
「……別行動って……何をするんですか?」
「あぁ、僕だってロアの処理をするのが目的なんだよ。今回のロアは今までの転生体より遥かに強いみたいだし真っ正面からいけるわけないから、真祖が殺された後にその隙をついて処理するつもりだよ」

 真顔で、きっぱりとそんな事を言った。
 ……その表情は、どうやら本気のようだった。

「大丈夫、……ですか?」
「……全く誰に言ってるんだか。僕はそんな身体の君の方が心配だよ……」

 ふぅ、とため息をつく。……確かに、吸血鬼退治を専門とする先輩に今さっきの発言は失礼だったかもしれない。でも、私には先輩の指が、振るえているようにも見えた……。
 吸血鬼を何匹も処理してきた先輩だから、その親玉である『蛇』がどれだけ恐ろしい存在かは承知の上でだ。それでも、自分の仕事よりもこの人は『私』を気遣ってくれてるって事だろうか……。

「……ここでお別れかもしれないから言っておくよ―――僕は、志貴ちゃんの事が好きだよ」
「…………えぇっ!?」

 ―――いきなり。
 先輩は、真顔のままそう告白してきた。

「学校で乾くん達と話す事、凄く楽しかった。任務とはいえこの学校にいられたの―――うん。夢みたいだった」

 次に、楽しかった記憶を想い出してか、目を細めて微笑む。まるで、大昔の記憶を想い出すように―――。

「……先輩。もし『蛇』を倒したら、まさか……」
「それじゃあ、気を付けるんだよ。間違っても自殺行為しないように! 志貴ちゃんは平和主義だけど、自己犠牲感が過ぎるからねっ」

 先輩はそのまま、黒い影になって校舎へ消える。

「あ……先輩っ!」

 完全に消えてなくなってから、
 ……遅すぎる礼をした。

「……何度も助けてもらって……本当に、本当にここまで有り難う御座いました」

 きっとこの声は届いているものだと、信じて―――。



 /3

 ―――廊下は静かすぎる。
 校舎の中は傷だらけで、所々にいつもなら見られない筈の嵐が吹き上げられていた。
 此処で確かに誰かと誰かが戦った。先輩が今さっき入ったばかり。なら、そんな事をこんな所でする人たちというのは……思い当たるのは彼らのみ。―――アルクェイドだと。

「……上の階……!?」

 階段を上がる。
 ―――この感覚はいつかに似てる。
 夜の暗闇。廃墟のビル。階段へ上る。人を求めて…………
 あの時は翡翠がいたけど、今は一人。誰もいない。
 上の階へ辿り着けば、きっと

「……ぁ…………」

 ……その前に、一人で倒れないように心がけた。蹌踉ける身体を何とか動かして、次は渡り廊下へと走り出す。
 そこが最後だと願って―――
 四階まで上り終え、静かすぎる廊下出て、突如―――

「がぁ……っ!」

 という、奇声が聞こえた。
 おまけに、変な破壊音と、妙な爆発音がいっしょに……。

―――あ。

 つい声をもらしてしまった時には、―――彼が目の前に倒れ込んでいた。喉から血を零して横になった身体を……。

「は―――あ」

 息があがったまま、俯せに倒れている姿を……。

「ア、アルク……?」

 ……出た声は自分でも聴いた事がないぐらい震えていた。
 ―――地面を血に汚して、白い服を赤に染めている。こんな恐ろしい場面、想像してても実際見たら気が竦―――。

「……アルクェイド! そんな……っ」

 アルクェイドの身体に近寄ろうとして足を止めた。
 ―――いや、止められた。足が、動かなくなっていた。

「……っっ!?」

 体が動かない。アルクェイドの眼を見た瞬間に、体が、石になってしまったように動かない。

「ア……?」

 もう一度、彼の眼を見た。
 ……ギロリ、と。膝まずいたまま、アルクェイドはやって来た私を睨みつけていた。

「アルクェイド……なんで、……魔眼なんか……っ!」

 ……相手を縛る魔眼なんて、なんで今更そんな物を向けるんだろう?
 折角私は、―――彼を助けにきただけなのに……!

「―――酷いな。折角やって来てくれた姫君を、魔眼で束縛するとはね。君の死を看取ってくれるという好意くらい受け取ってやってもいいだろうに」

 渡り廊下にはアルクェイドの姿しか無かった、アルクェイドではない声が響く。居ない筈なのに、ククッ、と愉快げに笑う声がする。アルクェイドから視線を外すと―――渡り廊下のただ中で、余裕ありげに立ちつくしている『蛇』がいた。
 吸血鬼。
 全ての元凶。
 アルクェイドとシエル先輩の、敵。
 私を刺したヒトで、私に沢山の事を教えてくれたヒト―――。
 アルクェイドも私から目をそらして、ロアへと向き直り、跪いた。何も言わず、ただ苦しげに敵を凝視するのみ……。そんな私とアルクェイドを見据えて、ロアは大声で笑い出した。

「―――なるほど。ようやく覚悟を決めたか、真祖の皇子よ」

 ロアは少しずつアルクェイドへと歩き始めている。アルクェイドは跪いたまま、動かない。

「大したものだな、皇子は姫君を逃がすために此処で私と差し違える事にしたらしい。かつての真祖の皇子なら恐ろしかったが、今は真祖としての力もありえない。―――全く、欲望のままに魔王に堕ちていればいいものを」
「……この、黙れ―――!」

 アルクェイドの声が廊下に響く。

 が、そのまま、ロアは、アルクェイドの腹を斬った。
 『線』を切るようにアッサリと、肉を裂くことなく、血を流すこともなく。
 奇麗な、切れた音がした。

 どさり、と後を追って重い音もして。
 ……。

 アルクェイドは床に崩れ落ちる。すかさずロアはアルクェイドの身体を蹴りつけた。ざざ、とアルクェイドの身体が弾き飛ばされてくる。

「アルクェイド……!」

 叫ぶと、身体が動いた。

 ―――魔眼が効かなくなった。
 それは、もうアルクェイドの力が無くなったって事なんだろうか―――。

 今度こそアルクェイドに近寄った。
 触れて、ゾッとした。アルクェイドの身体が、予想以上に冷たい。

「アルクェイド……!」

 名を呼びかける。……すると、直ぐに閉じられた瞼が、パッと開かれた。

「―――」

 睨むだけ。……だけどそれも一瞬で、一瞬でアルクェイドの眼は優しい色に戻った。

「莫迦か……来るなって、何度もやってるのに……何で来るんだ、君は……!」
「なっ、……折角来てあげたのに、何でそんなに強がって……!」

 強気な台詞に一発でもはたいてあげたかったけど、―――アルクェイドが辛そうに腹部を抑えながら言ってるのを見て言葉を失った。
 ……白い吸血鬼、なんかじゃない。
 ……真っ赤に自分の血で白く装束は紅く染まっている。
 ……彼はもう、私が知っている姿はしていなかった。
 もう、一緒に過ごした明るい彼の姿は何処にもなく……。

「―――なんだ、まだ死んでなかったのか?」

 ……続いて、冷たい言葉が降りかかってくる。
 今度こそ、『夢』ではなく現実に殺される。
 もう、あの『悪夢』の彼の姿は何処にもなく……。
 笑って、
 彼は手を振り翳し―――――――――



「―――何をしている、逃げろ!!!」

 声。
 声に目が覚めた。

「…………せ、先輩!?」

 渡り廊下の向こう側、ロアの後ろに、別行動をとった筈の先輩が見えた。
 『真祖が殺された後にその隙をついて処理する』
 ……そう力んでいた彼の姿は、何処にもなく……。

「いいから逃げるんだ! 早く!!」

 後ろから聴こえる声にか、ロアに口元が緩む。
 当惑した私を無視して、シエル先輩は剣を投げつけた。
 ロアに、後ろを向いたロアの背中に。
 不機嫌そうな声を出して、ロアが先輩の方へ向く。

 それを狙ったかのように。
 アルクェイドが私を抱いて飛んだ。

「……」
「―――いつの間に真祖の皇子とそんな仲良くなったんだ、シエル?」
「……さぁ、何故こんな無駄な事をしてしまったのか、自分でも判らないけど。……彼に協力したくないが、今の僕と彼は目的が同じようだからね。利用させてもらうよ」

 そんな会話は、私たちが完全にそのフロアから消えてから響いた。



 /4

「ア…………」

 気付いた時には、地上―――1階に下りていた。
 ナンデか、アルクェイドは一瞬にしてここまで―――シエル先輩の言うとおり逃げてきた。私を廊下に下ろす。
 下ろした途端、ガクンっと倒れ込む。

「アルクェイド……大丈夫!?」

 大丈夫じゃないのは一目瞭然だったけど、彼の肩を揺さぶった。

「……志貴。悪いけど屋敷までは俺送れそうにないから一人で帰ってくれないか……」
「な……なんで、どうして!?」
「あの眼鏡に『蛇』を倒せっこないだろ。奴が来る。……君は逃げるんだ」

 ……。
 来るって、そんなにアルクェイドはシエル先輩を信用してないのだろうか。
 そりゃ、先輩だって……ロアを倒すと言った時、手が振るえていた。自信が無いと自分で物語っていた。でも先輩だって……。

「俺に勝てない代行者が、……俺も勝てっこない奴を倒せるワケないだろ……っ」

 そう、ヤケクソな笑みをこぼした。
 ……。

「は、はは……しっかし俺も君にカッコ悪いとこ、見せちゃったな……アイツに助けられるなんてよ」

 アルクェイドは自分の腕で目を覆って、深呼吸をした。荒れた呼吸を落ち着かせて、―――また行こうとしている。

「……そろそろかな」

 ぽつり、独り言を言うと、アルクェイドは即座に起きあがった。

 夜の廊下に、満月の月明かりが差し込んでくる。
 その光がアルクェイドの身体を照らした。
 元気の無い、―――生気の無い身体を。

「……アルクェイド」
「―――何だ?」
「………………私の血を飲んで」

 聞いて、アルクェイドは目を見開く。
 彼がここまで驚いた顔を見せたのは、……多分短い彼との仲でも初めてだと思う。
 でも、言った自分は凄く信じられないくらい落ち着いていた。

「血を吸えば……アルクェイドの力が少しでも戻ると思うから、…………だから!」

 ……何も考えず、叫んだ。それが一番、私を『役立たせる』方法だろう。

「―――莫迦か。君は」

 また、バカって呼んだ……。
 でも、答えてやんない。

「助けてやるんだから……さっさと逃げろ! 君はもういいんだ……もう俺は君の力は借りないって言っただろ!」
「じゃあ何、自分でロアに勝てないって言ったくせに……どうやって勝つつもりなの!?」
「君が戦えたら……『混沌』の時のようにロアの『線』を切る事が出来るなら別だけど、今の力じゃ戦う事も出来ないだろ、なら逃げる事を考えた方がいいに決まって……!」
「貴男だって今の力じゃ戦えないじゃない……!」

 ……。
 …………。
 ………………暫し、沈黙。

 お互い、本当の事を言い合って、出す言葉が無くなった。
 でもアルクェイドは、首を横に振った。

「―――なんで!?」
「…………君を助けたいんだから、君を殺すわけにはいかないだろっ!」

 そう、いじけたようにアルクェイドは言った。
 でも、嬉しげに眼を細めたのを見逃さなかった。

 ―――こんな時に笑うのは、不気味だ。
 何だか、…………これから起こる事を全て理解っているようで。

「―――あぁ、そういえば俺……全然、志貴に話したコト無かったな」

 ……いきなり、声を落ち着かせてアルクェイドが話し出した。
 辺りを見回す。耳を澄ます。
 ……ふぅ、と息を吐いて、ずっと言いにくそうだった事を口にした。

「……どうしたの?」

 聞いても、アルクェイドは遠い目をして言葉を進めた。

「……昔、昔な。―――俺はある人間に騙されて、……ってあの時は騙された俺が悪かったんだけど……一度だけ人間の血を吸ったことがあるんだ。『混沌』と戦う時、八百年間一度も血を吸ったコト無いって……嘘なんだ。その時に俺の力の一部をその人間に奪われちゃって……結局、俺以外の真祖を全部殺しちまった」

 ……。
 ……それは、聞いたことがある。
 ……それは、本人から直々に聞いた事がある。
 ―――それが、ロアだというのは、今判ったけど。

「……その時まで吸血衝動なんて、知らなかったからな。単に俺は来るのが遅かっただけで、やっぱり俺も吸血鬼だったんだ。だから、―――アレがやっちゃいけない事だったなんて知らなかったんだ。たった一回で、一回間違えただけでみんなを壊したんだよ、俺は。一度血を吸ってしまった真祖は、魔王になる―――だから俺はもう血を吸わないって、決めたんだ」

 ……この話は、血を吸えと薦めている私に聞かせた話だった。

「……そんなの、関係無…………」
「…………何でだよ。壊すんだぞ、……君を」
「じゃあ等価交換はどう? 私は一度貴男を殺したんだから、一度貴男が私を殺すって事で……」

 ―――切れる。
 言葉を、切らす。
 最後まで言って、彼を納得させたいのに出てこなかった。

 ―――それは塞がれたから。
 口も塞がれて、顔も見えなくされたから。

 ―――アルクェイドは、顔が見えないように私を抱きしめた。

「アルク―――ェイド?」
「……君は、俺を殺してなんかいない」

 ……彼は瞳に何かを浮かべ、

「……こんなにも、……君に俺は生かされてるっていうのに…………」

 嘘を、言った。

「―――そんなに、君は償いってやつがしたいのか」
「……え?」
 
 背中にまわされた腕が、ぐっとしまる。

「それとも、―――そんなに死にたいのか?」

 それは何だか場に合わなくて、気が抜けてしまう……。

「―――アルクェイド」

 彼の腕から抜け出して、距離を置いて話す。

「最初に吸いたいって言ったのはそっちなんだから、吸うべきだと思う」

 片手を差し出す。躊躇いがちに、握り返すアルクェイド。

「―――私は、死にたいんじゃないの」

 頷いて、寄せた。

「もし貴男の『死徒』になったら、……その後の事、信じてみるから」
「―――」
「『死徒』になって気に入らなかったら、何度、も殺すけど…………―――」

 そうだ。
 言えずにいたのは、それだ。
 何度も『悪夢』で出てきたアレは、こういう結末でいい。
 ……。

 そうか、と息づく。

「―――なら、信じてみようか」



 /5

…………………………。

…………………………。

…………………………。

…………………………。

…………………………。

…………………………。

…………………………。

…………………………。

…………………………。

…………………………。



 /6

 ―――悪夢か。そうアレを名付けたのは誰か。
 廊下には、バラバラにされた身体がある。
 ……どんなに殺されても蘇っている身体がある。
 紅く染まった海がある。
 ―――まぁ、そんな事はどうでもいいけど。

「……ふん、また蘇生したか」

 ざく、と剣をで身体を貫く。

「……死ねない躰、か。愚か者め。シエルよ、これほどの能力を有しているのならば私とて倒しえただろうに。見下げ果てたぞ。こんな無様なモノが、自分の息子だとはな―――」

 ざく、ざくと、音。
 何とも楽しそうな光景を繰り広げている。
 ―――そんな事よりも、先にしなければ。

 ……。

 近寄ってきた存在に、『蛇』も気付く。

「―――まさか、戻ってくるとは。………っ」
「―――!」

 シエルの目が上がる。信じられないモノを見てしまったかのように。

「―――もう終わったのかぃ、最後の対談も」

 ……語るまでもない。
 そんなもの、来るわけないのだから。
 見えるのは、笑いながらも怯え睨む『蛇』と、叫ぶ見苦しい姿がのみ。

「き、サマ―――っ」

 声が震えながらも叫ぶ。そんな元気があんなら、さっさと隣の奴を倒してしまえばいいものを。

「ホントに、……本当に、―――彼女をっ―――!!!」

 ―――ぁあ。悪いか。
 それがアイツが願った事だ―――。

「―――まさか。まさか、アレに勝る事があるとは―――」

 信じられない、と笑って。
 闇の中で、切り裂かれた。

「―――」

 熱い。
 ただ無我夢中に。

 切り裂け。
 おそらく、彼女もこれと同じ状態だったんだろうと。

 ただ切る。

 斬る。

 伐る。

 消る。

 それ以外のことはどうでもいい。

「―――っっ!!!」

 勿論抵抗だってしてくるだろう。

 ロアは片手を伸ばし、その手を振り翳した。

 避わす事など容易い。

 だがそんなもの必要ない。



―――というのに。



「―――……」

 ザン、と振り下ろされる剣に。

「―――……」

 痛みなどはなかった。
 ただ、ビシャリ、と奇麗な音がするだけ。

「貴様―――まだ私の邪魔をするか…………ッ!!」

 ロアの声。叫び。
 目の前には、何を血迷ったかロアの攻撃を受けているシエルの身体。叫び。

「―――……」

 痛みがないというのなら、

 やることは一つしかない。

 ヤラれる前にヤルだけという、

 考える必要もない事を。

 今まで数度ヤッてきた事を。



 ―――殺さないように奴を殺す、ということだ。
 答えは、まだ実行犯も判っていないけれど―――。
 


 ……月下。
 致命傷には至らなかったのか、消滅しない躰がある。

「…………クソッ!!」

 またワケの判らない叫びを上げる。

「今の力ならばさっさと殺せるだろう、真祖の皇子―――!」

 ―――黙ってろ。
 五月蠅い奴を一蹴りして、近寄る。



 ―――まだ判らない事があるのだから、なぁ『蛇』。



「……―――」

 ―――お前が求めていたのは何だ、俺自身じゃないんだろ?

「……―――」

 ―――じゃあ、なんだ。永遠ってヤツか。そんなクダラナイものなのか。

「……―――」

 ―――やっぱり、

「…………やっぱり志貴が言ってた通り、違うのか」



 カツ、……カツ。
 とバラバラな間隔の編み上げブーツの高い音。

 近寄ってくるシエル。
 どういうことだ? と聞いてくる。

 ……が、答えない。
 …………答えられない。

「やっぱり君達とは、……僕は理解出来ないって事か―――」
「言ってろ」

 ―――何時の間に蘇生した野郎の姿が見える。
 変わった事といえば、―――妙に青白く見えるくらいか。

「―――『蛇』を、殺さないのか」
「―――あぁ? ……殺せるものなら殺してみろよ、このアホ眼鏡。……コイツを殺せるって言ったら志貴の眼だけなんだろうな」

 今度はコイツを蹴ってみた……うん、動かない。成功。

「……直死の魔眼、無限転生者さえも殺せるだなんて……そんなにも強力なのか」
「おう。アイツがピンピンしてたらコイツも楽勝に倒せたんだろうな。―――なんてそんな事はさせないけどよ」

 …………それより、何でこの眼鏡と喋ってるんだろう。

「志貴にはこんな事させないって約束させたからな―――まぁ、志貴が男だったりしたら楯にするなり突貫させるなり何でもしたるけど」

 ―――男だったら、殺されて直ぐやり返すけど。
 ふぅ、と息を吐いて寝ている男の隣に腰を下ろす。

「―――ありえねぇ。最近のロアとは……十年前まではこうやって隣に座るなんて事なかったぞ」
「というより、真祖の皇子が胡座をかく姿は見たくなかったがね。ちなみに君がさっき言ったのは八年前の事だろう。―――にしても、『コレ』も彼女の考えか?」



「あぁ。――――――アイツは、完全に平和主義者だからな」



 ……。

 ―――完全平和主義だから、
 奴の周りでは『殺して』はいけないんだ、と―――。

 それが奴が選んだワケの判らない最期だ。



 /7

 ……気が付くと、私は病院のベットにいた……。

 カーテンがゆらゆら揺れている。外はとってもいい天気。季節は秋。夏が終わったばっかりでまだ風は暑い。息を吐く。呼吸にあわせて胸が上下する。

 ―――生きている。
 呆然として、あたりを見回す。広い病室には誰もいない、真っ白な空間。判るのは、自分がベットに横になっていて、右腕は点滴をうたれている。ただ判らないのは、何故一人で生きてるのか。

 ―――生きている。
 何とか動かす事ができた左腕で首を触った。包帯もまかれていなければ、怪我も無い。…………咬まれた後もない。なんで……と首を傾げた。

「…………ん?」

 不意に、視線に気付く。病室の向こうで、どこか遠くで誰かに見られている気がした。上半身だけ起きあがり、……窓の外を見る。

 ―――少年が顔を出した。
 窓の外、いくつか一定間隔に交互に立っている木々。その『中』で、枝に座ってこちらを伺っている小さな影が見える。小さな男の子で、黒いコートを着ていて、まるで猫のような印象を受ける……。
 カーテンが靡く窓から声を掛けた。

「…………おはよう、レン」

 声を掛けると、ビクッと身体振るえて驚いた。
 そしてニカッと嬉しそうに笑って、……どこかに飛んで行ってしまった。

 ―――それから、止まっていた刻が動き出した。

「おーい、入るぞー」
「失礼しまーす」

 それと合い違いにドアの方からノックの音と声がした。見知った顔が二匹見えて、風と猫の声しかしなかった病室がいっきに賑やかになる。

「あ、起きたんだ、遠野さん。あーやっぱ来て良かったっ!」

 花束を抱えて笑顔でお辞儀をするのは……弓塚くんだった。

「よしよし、昨日俺一人来た時話ロクにできなかったもんな、今日はマトモそうで何よりだ!」

 陽気に言って、……有彦がベットの傍までやってくる。

「おはよう、二人とも。……で、何しに……?」
「何しにって……勿論お見舞いだよ。遠野さんが起きてる所に来たのは俺、初めてだけどね」

 弓塚くんは笑いかけながら、空いていた花瓶に花をいけてくれる。
 まるでもう何度もやっている……慣れた手つきで。

「つーかソレ、昨日の俺にも言ってなかったか? まだ寝惚けてるんかよ、お前は」
「見舞い……って、誰の?」
「あのなぁ。いくら一週間眠ってりゃバカになるだろうけど、医者に説明されてなかったのか?」

 呆れた風に言って、有彦は堂々と椅子に座った。
 ―――え? としか返さなかった。
 判らない。判らな過ぎて、『え?』とか『あ?』とかしか言えない。

「……遠野さん、ここ一週間ずっと入院してたんだよ?」

 心配そうな顔で弓塚くんが聞いてくる。そして空いている椅子に座った。……確かにそうらしい。それくらいは病室で寝ているって事で判ったけど……。

「聞いてないし覚えてないみたいだな。志貴」

 真っ直ぐ有彦が見据えてくる。……そう見られても、全くもって私は覚えていなかった。

「……お前さ、学校の廊下で倒れたらしいぞ。壁に寄りかかるようにして、だって。でさ、ちっとも目を覚まさないからお前んちに連絡して病院に運ばれたんだ。それから一週間、昏睡状態で……」

 ……。
 あっさりと、凄い事を有彦は話してくれる。

「……その、最近、遠野さん貧血少なくなったって喜んでたじゃないか。陸上部もびっくりなぐらい元気だし……だから急に目を覚まさなくなったって、学校の方でも大騒ぎだったんだよ」

 ……。
 きっとその大騒ぎの中心が弓塚くん……だったんじゃないだろうか。

「でもよ、俺が昨日来たときに『おはよう、有彦』なんて声掛けられた時は、心臓止まると思ったぜ。その後、お前の家族と連絡とったから直ぐ帰ったけどよ」

 ……もう笑い話にしてしまうほど、昔の話な気がする。言い方は冗談ぽくても、有彦は本当に驚いたんだろう。だって『本当なら』もう目覚めない筈の人間が目覚めるだなんて……。

「まっ、お前はいつくたばってもおかしくなかったからな。逆にピンピンしてたからいつ倒れてもおかしくないなとは思ってたんだ!」

 がはは、と大柄に笑う。眉を寄せて反論したのは、……私より弓塚くんの方が先だった。

「……乾。大変な状況だったのにそれは酷くないか?」
「いーじゃん、生き返ったんだから! 志貴が眠ってた時はマジでココ暗かったんだぞっ。弟ちゃんは毎日見舞いに来て、真っ黒の使用人のにーちゃんも超ブルーだったし」
「……真っ黒の使用人のにーちゃん?」

 何となくだが、どんな人かは判ったけど……不思議な形容だ。

「昨日は俺がいた時はまた違った奴だったけど。まー、俺、秋葉ちゃんがいる時間には合わせないように心がけるようにしてるんだよ」

 ……。
 ……まさか姉貴が寝ている隣で喧嘩勃発したんじゃ……。
 ふぅ、とため息が出る。―――やっといつもの調子が出てきたため息が。

「……ということは。有彦、秋葉に会ったのね?」
「あぁ、丁度見舞い来た時居合わせちゃってよ。……そりゃヒデェ顔されたよ。でも顔を合わすたびに秋葉ちゃんと親密な関係になったりならなかったりな!」

 ……。
 ……言われて、秋葉の事を思いだした。秋葉は……勝手に屋敷を抜け出して学校に行ってしまった私をどう思っているだろう。
 そして昨日、一週間も目を覚まさなかった私に、なんて言ったんだろう。肝心な所の記憶がポッカリ抜けている。……有彦達の言うとおり、まだ私は寝惚けているらしい。昨日一応目覚めたというのに、病院で眠っていたという事実さえも忘れてしまっている。

「……ありがと。お見舞い来てくれて……まだお礼言ってなかったね……」
「あぁ、気にしないで。俺達も団体で来るのは迷惑かなって思ってたんだけど……」
「ううん。お見舞いにわざわざ来てくれたなんて凄く嬉しいから。…………ね、有彦。喉乾いたんだけど」
「おぉっ、マジで目が覚めたみたいだな。その人をパシリにするトコロ! ……確かここに缶コーヒーがっ!!」

 有彦は嬉しいんだか引きつってるんだか判らない笑い声をあげて、私の寝ているベットの下から真っ黒な缶コーヒーの箱を引きずり出した。
 ……コレがもしかして彼なりの見舞い品だろうか、と笑ってしまった。

 ―――みんな、いつも通りだ。
 正直、自分がどうなったって判ってないけどみんなの笑顔で気分は落ち着いた。

 ―――何より、生きている。
 それだけ判れば充分な気がした。

 ―――もう、平和なんだから。
 もう、何も考えなくていい……

「―――おっと、もう診察の時間か。じゃぁまたなっ」
「なぁ、遠野さん。いつぐらいから学校来れる?」

 暫くお互いの近況を言い合っていると、もう二人が帰る時間になってしまった。帰り際、弓塚くんが聞いてきた。

「ん……出来れば、明日……にでも行きたいな」
「はは、……そうだな。待ってるよ」
「おー、そうだ。先輩も学校で会うのを楽しみにしてるからって言ってたぞ」
「……先輩が?」
「だから、待ってるぜ」
「クラスで歓迎会も予定してるから。………………じゃぁ、お大事に」

 言って、二人は病室から去っていった……。

 ……………先輩が?

 先輩が、学校で待っていてくれる。
 ―――嬉しい。だってもう平和なら、彼はいない筈なんだから。

 お別れじゃ、なかったんだ……。

 それが嬉しい。もう逢えないかもしれないと思っていたから、ずっとそれが気になっていたから。
 一刻でも早く退院したかった。……その前に、これからどれほどの人が会いに来てくれるんだろう?

 ―――ただ判らないのが、

 私は何故生きているか。
 何故、咬まれていないのか。

 ―――それだけ引っ掛かっていた。





if 月世界/2に続く
03.2.23