■ 30章 if 凶つ夜/2



 /1

 ―――どうやらコレが最期のようだった。

「…………ふぅ」

 目が覚めて、少し歩いて大きな建物を見る。其処はとってもおかしな所で、開いた広場のような所だった。人気は無くて、もうこの世界には二人しかいないんじゃないかってくらい無くて、―――その一人も無くなってしまいそうだった。
 ベンチに腰掛けて本を読んでいる『彼』。整った顔立ちなのに何処か柔らかい雰囲気がある。それなのに外見は冷酷そうなイメージがあって、どこか人なつっこそうな眼をしていた。
 何から何まで矛盾している男性。怪しいといえば、今日もその人の眼は紅かった。

「…………」

 もう、挨拶の言葉も出ない。優しそうなオーラを漂わせているくせに、何か周りに靄みたいなのが視えるし……。
 読書中の男性の隣に腰掛けた。腰掛けても出る言葉は『面白いですか?』とか『どんな内容ですか?』とか言った何でもない、ごく普通の会話。
 ただ一つ、この男性に言っておく事と言えば、

「よくも刺してくれましたね」

 …………ぐらいかな。

 本当にワケのわからない『最期の』夢だった。



 /2

 ―――先輩は私を抱きかかえたまま、屋敷にやってきた。私の胸にはナイフが刺さったまま。身体も動かす事もできず、声も出せず、ただ息するだけの人形になって。

「志貴ちゃんは黙ってて。すぐに助かるから……あともう少しだから!」

 どくどく、どくどく胸がまだ走っている。なのに一生懸命走ってきた先輩は息切れ一つしていない。……そんな所を秋葉に見せたら心配させるどころじゃなくなるんだから……そう訴えたかったけど、声が出ない。

「大丈夫……っ、きっと彼らなら君を救う事はできる!」

 ……。
 何が大丈夫? 胸にナイフを刺されて?
 彼ら? 救う? 誰を?
 死にかけた人間を、生き返らせるというの??

「……いいかい、大人しく僕の事を聞いて! 君は八年前、ある人物によって殺された。でも君は他人の力を借りて生きていられる。今、彼らの力で生きていられてるけど、本当なら八年前に死んでいたんだ。彼らは君を蘇らせる方法を知っているし、それを実行している。志貴ちゃんが重症と知れば黙っていられないだろうし、だから……っ、今日も大丈夫に決まってる…………!」

 ……先輩の言葉は、ちょっと判りづらかった。うっすらと開いた瞼が……先輩の真剣な顔で、焦った顔が微かに見えた。……微かに。本当に一瞬の事。

「……うん、そうだね……少し眠った方がいい。僕が説明しておくから」

 優しい、安心させるような声で先輩は言ってくれた。

「大丈夫だから、……ゆっくり眠っていいよ……」

 きっとそう言われなくても、この眠気には堪えられそうになかった―――。



 /3

 ―――どうやら私は生きているみたいだった。

 今度こそ現実世界で目が覚めた。大きな建物も無ければ広場でもない。……ぼんやりと自分の部屋の天井を見つめる事が出来る。
 ちょっと身体がだるいだけで、どうにか起きられそうだった。……でも無理に動く必要もないと思ってそのまま眠っていた。
 少し喉が乾いている。……それぐらいで済むことなんだから、私の身体っておかしい。だってつい何時間か前まで胸にナイフが刺さってた。なのに普通に自分の部屋でお腹空いたなー、なんて思ってられるなんて、……やっぱり自分はおかしいと思った。

「喉乾いたんか?」
「うん……出来れば何か飲物が欲しいな」
「あいよ。……しかし何で彼処の自動販売機でしかコレ売ってないかな。俺、お勧め品なのに……わざわざ彼処まで琥珀に買いに行ってもらうのも難だし」
「人気無いんじゃない? 貴男が気に入るのって結構マイナーなの多いし、秋葉に頼んで箱買いしてもらえば……」

 ……ハテ、と。
 今、自分の口からポロリと出た『貴男』という単語に引っ掛かった。
 枕元にいるのは誰だろうと、思いっ切り会話をしてから気になった。
 目の前に差し出されたのは、真っ黒な缶コーヒー。それでやっと声の主が彼だって気が付いた……。

「…………四季?」
「なんだ」

 ……一番『看病』という言葉が似合わない人に付かれたというか。

「……秋葉はどうしたの?」
「あー、居間であの黒い奴と一緒にいるけど?」

 ……黒い奴。おそらく法衣服姿のシエル先輩の事だろう。例え方が安直で素晴らしい。

「……どうしてるの?」
「其奴だったら居間の方で休んでる筈だ。秋葉が本当ならあんな奴、屋敷に入れたかないけど仮にも姉さんを助けた人だから……ってな言ってたぞ」

 ……うん、大体そうになるんじゃないかって予想できてた。
 って、そういう意味じゃなくて…………。

「あの、ね……確か『琥珀さんと一緒に姉さんの半径10m以内に入るな』……は撤回されたんだっけ? そうじゃなくて『姉さんの部屋及び二階には当主の命があるか重要な事件が起きた時以外は入るな』……じゃなかったかな?」

 他にも色々な当主命令があったけど、結局は琥珀さんが良いように言いくるめて相当罰が軽いのだけ残された……んだと思う。つまり、四季が此処にいるのは秋葉は承知してるんかな……っていう事なんだけど。

「これ、重要な事件と違うのか?」

 と、胸の辺りを指さされる。……そして頷く。
 胸を刺された……これが『重要』じゃなかったら、一体どれくらいのレベルが『重要』になるのか。……それが判ってやっと四季が枕元にいる事にも納得する。
 ……そっか、私と四季は『繋がってる』んだから、一番元気な『素』が傍にいればそれだけで楽になれるんだっけ……?

「その……、この傷は……ちょっと……」
「大体の事は俺もあの黒い奴に聞いた。……聞く前に何があったかは何となく判ったけど」

 ……大体の事情って、一体どんな風に説明したんだろう?
 『蛇』の……ロアの事まで先輩が話すだろうか?
 ……。

「何かな、いきなり普通にいたら……グサ、って感じがした」
「え……?」

 四季はいきなり、そんな事を話し出す。

「それって、やっぱり『共有』してるんだから繋がったって事じゃないか?」

 ……そういえば。前に先輩に『双子の同一体験』の事を教えてもらった。
 双子の兄の方が傷を負うと、遠くに離れた所にいる双子の弟も同じ痛みを体験する、ということ。それと同じような体験なんだろうか。
 私にとって双子のキョウダイは、四季なんだから感じるのは……

「四季、ごめ……」
「そうだ、起きられるか? 平気なら居間行って奴等に顔見せた方がいいと思うし」

 折角謝ろうとしたのに、いきなり掛け布団を剥いで腕を引っ張る。

「ちょ……っ、ちょっとまだ身体が怠いんだから寝かせてくれたっていいでしょ……それくらい秋葉達も判ってくれるだろうし!」
「そう言われても、秋葉が『姉さんを起こし次第さっさと下りてくるように!』って言ってたんだよ」

 ……それはやっぱり四季を警戒してるからじゃ……。
 でも一度先輩と秋葉……翡翠や琥珀さんにも挨拶しに行った方がいいだろう。ベットから起きあがろうとする。……が。

「……ちょっと無理っぽい」

 足が、不安定だった。

「仕方ねぇな……持ち上げてやるから感謝しとけ」
「か、感謝ってバカ! そのまま下りてったら逆に何か言われるでしょ(主に琥珀さんに)!」
「あのな……そんなに俺に抱かれるのが嫌なのか?」
「変な言い方しないでょ……って抱き上げるんだったらちゃんと支えて……って! やめっ……!」

 ドン、

「……ぁ?」

 バタバタバタバタ、(←階段を駆け上がる音)
 ダンダンダンダンダン―――!(←廊下を激しく走る音)
 バタンッッ!!!!

姉さん無事か!!?

 ……やっぱり予想した通りだ。
 少し大声あげただけで駆けつけてくれるとは……なんて迷惑(親切)な弟。
 部屋のドアを乱暴に開けるなりずかずかと、秋葉はベットまで歩み寄ってくる。そこまでやって来て、やろうとした最中の四季を止めて私を寝かせる。神業と言っていいくらい凄いスピードで―――。

「その、秋葉……?」

 キッ、と呼ばれて睨む。…………秋葉の表情はそれはそれは厳しいだった。……隣の、四季に向かって。

「何やってんだ、貴様……! やっぱり琥珀の言うことはアテにならないな!!」

凄い大声で、しかも髪真っ赤で四季に突っかかってくる秋葉。

「あのな、俺はちゃんとお前の言うことに従って……」
「そ、それに秋葉。ちょっと私も悪ふざけで…………」
「…………志貴ちゃん。ダメだよ、今は絶対安静じゃなきゃ」

 ……秋葉とは対照的に、落ち着いた声の男声が聴こえる。
 部屋の入り口で穏やかに笑っていたのは、あの黒い法衣服の姿だった。

「しっかし、僕でさえ聞こえずらかった志貴ちゃんの悲鳴を聞き分けるとは、……弟君もやるね」

 その笑い方は秋葉に感心してるのかわからないけど、確かに先輩の眼鏡の下の目は笑っていた。

「シエル先輩……。その……有り難う御座います。また……助けられましたね」
「あぁ、多分コレで3回目だね。でも志貴ちゃんがピンチの時は必ず何処にいたって駆けつけるから安心して」

 笑う。
 黒い法衣服の先輩は怖いイメージの方が強いが、今はいつもの学校にいる時の優しい笑みだった。

「3回目……? なんだよ3回目って……!」

 で、一時大人しくなっていたと思われる弟がまた怒鳴り出す。
 ……秋葉、そういう所少し黙っててくれないかな……。

「先輩―――1つ、聞いていいですか?」
「嫌だ。―――って言ったって話すだろ?」
「はい。どうしても聞いておきたい事ですから……」

 そう先輩を頷かせて、ちらり、横目で残りの二人を見る。暴走気味の若人と、どこかそれを構ってやってる風な兄貴を……。

「秋葉……ちょっと外してくれる?」
「なんで!!!」

 ……こう全てに突っかかってくる弟は可愛いと思ってた。けど、少し厄介に感じてしまうのも事実だ。

「先輩と話がしたいの……」

 なんかコレって、もしかして『だだっこ』ってヤツなのかな……?

「こんな奴の話聞くなよ!」

 そんな秋葉の返しに先輩も苦笑いしている。……こうなったら仕方ない。

「…………四季」
「おぅっ!」

 があぁしいぃぃっ!!!

「お、おぃ! 離せよバカ!!」
「バカはどっちだ! お前そういうキャラじゃないだろ、少しは『ご当主様』に戻れ!」

 変な言い争いのまま、……ズルズルと秋葉は四季に連れ去られていった。体格差もあるのでほぼ圧勝。……髪とか血とか使わなかったのは、やっぱり私の部屋だからだろうか。
 ……ということは、部屋に出た途端戦争始めるんじゃ……?
 最後にドアが閉まり、しばし沈黙。
 ……そして、微笑み。

「面白い兄弟だね……いつもあんな感じなの?」
「えぇ……いつもはもっと激しいです」

 ……それにしても、秋葉がやけに子供っぽく見えた。……それだけ、説破詰まった状態って事なのかな……。

「……先輩、ごめんなさい。……秋葉ったら先輩の事、相当嫌ってるんですよ……?」
「うん、知ってるよ。あの兄弟は危険性は無くても吸血鬼だからね、吸血鬼狩りの僕の事が気に入らないらしい。素直でいいね、弟君は。もう敵意剥き出しで、油断したら襲われちゃう程の相当の嫌われようだよ」

 あはは……と笑いながら言ってくれた。
 聞いてる側としては、結構笑えない事を……。

「今度、よーく言っておきます……。それで。話は戻りますけど、……さっき私を刺した人が『蛇』さんなんですね?」
「……あぁ。アレがミハイル・ロア・バルダムヨォンだよ。アルクェイド・ブリュンスタッドが死者を全部排除したから自分から動き出したようだ」

 ……。
 それは、まだロアがアルクェイドと戦ってないって事だろうか……。

「……何。志貴ちゃんは『蛇』が気になる?」
「え、……その…………」

 ……気になるといえば気になる。
 私を刺したあの人が『蛇』というなら、
 あの矛盾しまくった人も『蛇』になるんだから。
 …………だからもっと気になる。

「―――まさか、志貴ちゃん。ロアに勝つ……なんて言わないよね?」

 冗談まじりの声に、……真剣の目つきでそう聞いてきた。

「……私がロアさんと戦っても全然駄目だって判ってるじゃないですか……」
「そうだね。志貴ちゃんのことだから、私が倒すとか言い出すと思ったんだけど」

 ……でも、

「でもやっぱり私はロアを放っておけないと思います。放っておくと、あのバカが一人で無茶するでしょうし」

 ……我ながら矛盾してる答えだと思った。

「……それは、僕が言った事と何が違うんだぃ?」
「何も違いませんね。私は勝てなくても追いたいと思ってる……私はアルクェイドに協力したいだけです」

 ……ため息。一回目のため息を先輩は大きく深く、長くした。

「―――無理だよ。たとえ志貴ちゃんの眼があったとしても満足に動けないのだから、真祖の皇子の力になる筈がない」
「そんなの……やってみないと判らないじゃないですか……」
「判るよ。志貴ちゃんはまともに動けないし、真祖の皇子も今の力じゃ蛇の力の半分もない。……そもそも真祖の皇子は死にかかっている。苦しい身体のまま吸血衝動を堪えているのだから後がない」
「な……っ、死にかかってるって……何ですか!?」
「―――吸血衝動など無視して人の血を吸うとなれば別だ。ロアに奪われた力の三分のには元通りになるだろうし、最強の魔王になる。……が、彼はそれもしない。二度と血を吸わないで動いている彼が、この街を支配していたロアに勝てるわけがない。真祖の皇子にも、……僕にも勝てなそうな君が一体何が出来ると思う? 普段の君ならともかく、君の今の身体で何が出来る? ……まさかその身体で蛇が倒せるわけないだろう? ―――それとも、君は自分の血を真祖の皇子に開け与えるつもり?」

 ……。
 ……それは何度も考えた。アルクェイドが『蛇』を倒せないのなら、倒せるように何とかしなくちゃいけない。何か違う方法で強化させる。
 それは、『吸血』以外何が方法であるだろう?
 私がアルクェイドの力を不安定にさせたのだから……

 初めて会った時の『償い』は、こんな形で終わらす事が出来る…………。

 ふぅ、と先輩はため息をつく。おそらく、必死に考えていた私を見て呆れたんだろう……。

「―――何も考えなくていいよ。ロアは……吸血鬼は、全て僕が倒す」
「全て……ですか?」
「あぁ、全てね。……君が考えている吸血鬼は全て叩く。そのために僕が此処に居るんだから」

 力強い声で、シエル先輩は言ってみせた。でも先輩は、―――まるでアルクェイドもロアと同じように扱っていた。

「とにかく、志貴ちゃんは変な事を考えないで休んだ方がいい。いくら四季君や使用人さんの力を借りて元気になったって、一度胸を刺されてるんだ。普通はこんなにお喋りも出来ないんだよ。……それに、どう足掻いても君の力……眼でもロアに勝てる筈がない。そうに決まっているし、それは真祖の皇子だって判ってるだろうしね」

 先輩の目は穏やかだ。どんな事を言っても……一度も私を攻撃するような鋭い視線は見せやしない。

「……先輩にはロアが倒せるんですか? 私も……アルクェイドも、無理なのに、先輩は自信満々で…………」
「そうだね、まず奴の位置が判る。どんな状況でどんな事を考えてるかとか……だからさ」
「……そんなの、判りませんよ。だってそれじゃ……どうしてそんな事、判るんですか?」
「判るよ。なにせ、自分自身の事だからね」

 ―――しれっと、
 先輩は理解不能な事を言った―――。

 自分の……こと、だと。
 どういう……こと、なのか。

「……ちょっと前に話したの覚えてる? ロアは何度も転生して人間に侵食していく。ごく普通に、幸せに暮らしている人でも素質とロアの出した条件に当てはまっていれば吸血鬼になってしまうんだ、……って話」

 ―――ぁ、その話……ハッキリ覚えてる。
 覚醒するまで本物の人間のように暮らしてる。だから、その人は本当に人間みたいな吸血鬼になって……?

「どんなに幸せな生活を送っていても、これから幸せに突き進もうと夢を持っていても、ソレが侵食してくると自分の手でその幸せを崩す事になるんだ。ソレはとっても辛い事だけど、わりと簡単に終わるんだ。―――白い吸血鬼がやってきて、心臓を貫けばいいんだから」

 ―――白い吸血鬼。
 ソレを生んだ、諸悪の根元……?

「けどね、そのままあの忌々しい吸血鬼にやられて灰になってしまえばいいものを、あるロアの後継者は蘇ってしまったんだ。それから何度も……って、この辺は君にはショックだろうから言わないでおくけど、とにかく酷い事をされたんだよ、その後継者君は」

 ―――その後継者。
 それは、……。

「教会もいくらなんでもこれはおかしいと気付いて、その後継者は埋葬機関に回された。本来ならそんな怪物、幽閉されたままだろうけど、魔術の知識が凄いからって、埋葬機関は利用価値があるから引き継いでくれたんだ。それから五年。その後継者は名前も捨てて、吸血鬼を退治する行き方を選んだ。―――父親であるロアの主である真祖の皇子よりも、ロアが何処にいるかということを知覚できるから。吸血鬼をやっつける埋葬機関に入ったその子の気持ちは、わかってくれるかな?」

「―――」

 わからない。
 でも、断片的に何かが判った。
 今穏やかで、動かない笑みを浮かべている、吸血鬼狩りをしている男性は、
 ……私と四季、のような関係を『蛇』と持っている……?

「……アルク……いえ、ロアの居場所。先輩は判ってるんですよね……?」
「……今さっきの話通りなら」

 なら、
 私を、其処まで連れて行ってほしい。
 そう思い、ベットから立ち上がった。

「…………ぁっ」

 だが、床に倒れ込んだ。半ば、自分でも立った瞬間にそうなるとは判っていたけど。判っていたから一生懸命足に力を入れて立ったんだけど……、結局は倒れ込んでしまった。
 なんて弱い、身体。
 ―――でも私は、行きたいと思う。

「無茶はしないで。君の力がどれほどのものか全て僕は判ってるつもりじゃないけど、今は弟君達の力を借りて休んでいた方がいい」

 よっこらせっと先輩が手を貸してくれて、ベットに座る事が出来た。……立つのもツラかった。でも、このまま眠って休むのもツライんだ。……乱れていく呼吸を整えながら、もう一度立ち上がった。

「っ……っ!」

 今度は、痛みを感じる……でも、まだ我慢できる程度だ。―――先輩は、立った私を静かに見ていた。

「……わからないな。どうして君はそこまであの男に執着するんだぃ?」

 ……先輩は、何度も同じ質問をしてくる。その視線はどこか穏やかで、本当に不思議そうに私を見て尋ねた。答えを求めている眼だった……。

「……私は………………」

 私が追い求める理由。
 あんな大変な目に合わせられて、それでも危険に飛び込もうとしている理由。

 そんなの、『無い』っていうのが答えだ。

「一人はやっぱりツライからですよ…………」
「………………」
「私も一人でしたから。今は……秋葉達がいるから一人じゃないですけどね……」

 昔は、あの病院で、線だらけの世界でひとりぼっちだった。
 あの草原で、先生に会うまではひとりぼっちだった。
 だから、ずっとバカみたいにひとりぼっちだったアルクェイドを見ていると何だか許せない。
 きっと導いてあげられる人がいれば彼はひとりぼっちじゃない。
 それを私は知っているから、何とかしてあげたい。
 いつだってアルクェイドは楽しげに笑うけれど、そんなのいつでも、誰でも手に入れられる事だって教えてあげたい。

 私は手に入れる事が出来たから。
 家に帰れば大切な家族がいて、友達がいて、
 私が教えてもらったように。
 アルクェイドは、きっと判ってくれる。

 ―――それは、アルクェイドだけじゃない。『彼』にでも言える事なんだ。

 ……だけど先輩は否定する。

「―――嘘だ」

 睨むようにして見た。私の言葉を一切聞かない。聞いていないようだった。

「そんな事で自分の命を捨てるだなんて有り得ない。……そんな理由は、僕は納得しない」
「でも……私には、それしか思い付きません。アルクェイドは今まで救われなかった分、これからずっと幸せにならなきゃいけないと思うんです。アルクェイドが無茶するんだったら、私はその無茶の手助けをしてあげたい―――」
「―――っ」

 それは、アルクェイドの本来の力を取り戻させるということだろうか。
 自分の血を提供して?
 魔王にしてあげて?
 ―――自分の口から出てきてから、自分がそう思ってるんだってわかった。

「……あとは、私の我儘です」

 ……単に、私が行きたいと思っている事。そうしないと気が済まないらしい。……凄く我が儘な事。

「―――それに私はまだ知らない。『彼』の事を……私は何度も教えてもらってるのに、私は何も。……お礼だってしていない。……『彼』もひとりだって、そうなんだと思います」

 ……。

 ―――しばらくして、先輩は大きくため息をして両肩を竦めた。もう、何度目のため息か判らなくなるぐらいとても沢山の回数ため息をした。

「……その言い方だと、君はまるで蛇の味方みたいだね」
「まさか。……でも、味方って思えたらとても良い事でしょうね」

 先輩が笑ったので、私も笑って言ってみた。……本心で、笑ってその事を言ってみたかった。

「……まったく、頭に来るな。君は本当に完全平和主義者なんだね」

 ―――何か、諦めるように。
 先輩は優しい口調で言った―――。

「それを聞いちゃあ、早くロアを倒さなくちゃな?」

 と、先輩を呟いた時。
 窓の外でガサリ、という木の枝が擦れる音がした。

「…………!?」

 驚いて窓の外を見る。先輩もちらり、と横目に窓を見た。

「驚かないで。単に立ち去っただけだから。まさかロアより志貴ちゃんを優先するなんて、本当にアレは真祖の皇子か―――いや、そんな事はいいけど」

 ―――え?
 それって、まさか
 アルクェイドが、窓の外にいて、私たちの話を聞いていたってこと―――?

「な、なな……なんで、アルクェイドがこんな所にいたんですか!?」
「多分、君のことを心配してたんじゃないかな。ロアにやられたって事も判ったみたいだから、ロアの所に向かったんだろうね」

 淡々と、何の心配も無いように先輩は明るい口調で言ってのけた。
 ―――それは、決着をつけに行ったっていうことじゃ……。

「ど、どうして!?」
「どうしてって……僕だって今すぐ蛇の所に行きたいさ。志貴ちゃんがやられて悔しいから、もうこれ以上巻き込まないためにも戦いに行くのは当然だろ? これで安心して君も休めるね……?」

 まるで、……こうなることをわかっていたように先輩は冷静だった。
 表情は動かなかった。穏やかな瞳のまま、私を見る。

「こうなるって……判ってたのに黙ってたんですか!!」

 ……そうだよ。
 ―――そんな事まで、彼は笑顔で言ってみせた。

「…………早く連れてって下さい」

 ……アルクェイドと、ロアの居場所へ。

「嫌だ、と言ったら?」
「―――先輩を、恨みます」

 ……それを聞いて、ぷっと先輩は吹き出した。

「……えぇ、ずっと恨みます。ここで私を連れてかないでアルクェイドや蛇さんがどうなったとか聞いても、恨みます。二人が悪い方向でも良い方向でも恨みます。恨んで、怨んで、―――絶対に殺してみせます」
「…………」
「殺します。殺してみせます」

 私は、既に白い吸血鬼までも殺してるんだから―――。

 先輩ははぁ、とため息……というより感心したと言いたげに息を吐いた。

「結構、君は面白い事言うんだ……まぁ、それは今に始まった事じゃないけどさ。一生この世に残るのに一生怨まれたら怖いからね。―――こうなったら、付き合ってもらうよ」

 先輩は私に肩を貸して立たせる。

「…………先輩?」
「それじゃ、連れてってあげるから大人しくしててね。あ、それと弟君達には黙ってくから、後でフォローは自分でしてね」

 横に回り込んで、手を当てた。そしてよっと声を上げて私を持ち上げた。

「見つかるとヤバイから奴と同じ方法でいくか」

 トンッ、という軽い足音。

「あ、……え!?」

 そのまま、先輩は私を抱きかかえたまま、窓の外から飛び出していった―――。



 /4

 ―――学校に着いた。先輩は、……まるでアルクェイドと同じように、私を抱きかかえてここまで飛んできた。息切れもしていない。
 ……実を言うと、こんな早く、簡単にシエル先輩が学校まで連れて来てくれるだなんて思っていなかった。でも、此処に辿り着いたということは…………。

「志貴ちゃん、歩ける?」
「ぁ……ハイ、大丈夫です」

 先輩は私を地面に下ろす。―――下ろされた瞬間、学校に不気味な空気で充満しているというのが判った。何だか、いつもの昼の暖かさが足から感じられない。ひたすら不気味に静まりかえった学校。
 でも暗くはなかった。
 夜なのに……。

「……ヤバイな」

 先輩がポツリと呟く。深刻そうな顔をして空を見上げていた。
 ―――満月。月明かりがあまりに明るくて、電気が点いてるかのようだった。

「満月は吸血鬼に強く影響を与える。今夜のロアは限りなく不死身に近いだろうな」

 ギリ、と先輩は歯を鳴らした。

「……そうですね。私も嫌です」
「志貴ちゃん……?」

 なんだか、線がいつもに増して『よく』視える気がする。
 それに、月夜で思い出す事がある。
 一番最初の記憶。

 ―――真っ赤な、鬼。
 私は、まだ彼には再会していない―――。

「……嫌ですけど」

 けれどこれなら、確実に線が視えるのだから

「……今日はちょっとラッキーかもしれません」

 眼鏡をかけ直して、ナイフを握って、
 校舎へ向かって歩き出した―――。





if 月世界/1に続く
03.2.16