■ 26章 if 朱の紅月/2



 /1

 ―――星がキレイ。

 手を伸ばせば届きそうなほど澄んだ星。
 月も大きく見える。蒼い夜空に聳える白い月。
 出来る事ならずっとその幻想的な風景を見ていたかった。

 走らなければ殺される、そんな状況じゃなかったら。

 ―――月が近い。どんどん近寄って、いつしかこの大地にぶつかってしまうのではないか、と思ってしまうくらい。
 月が、音を立てて月が近づいてくる。近づいてきたらどうするべきだろう?
 ―――走る。それしかない。それしか出来ない。
 ナイフを握って、見たこともない場所で、迷路のような大きなお城の中をひたすら走り続けていた。
 ―――走らなければ、追いつかれてしまう。
 走る度に生る悲鳴。静かで暗い城の中で、ナイフを握りしめ走る。
 ―――ナイフを何故握っている?
 これのおかげで私は人を殺したり、これのおかげで私は生きる事が出来た。
 逃げなきゃ、殺されるから。
 ただ、走る。
 走る。
 全力で走る。
 息が苦しくなって、心臓がばくばくなっている。
 それでも走った。
 走らないと、嫌な予感がするから。
 後ろを見ると、彼は歩いていた。
 私を、追ってきてる。
 彼を殺した私を、追って。
 これは、以前にも体験したコトがある記憶。
 想った。

 頭上には朱い月。忌々しい程、紅い輝きを放ちながら追いかけてくる。

 広い空間に出た。静かで暗い、深い場所。足を踏み入れた時、何も音がしなくて静かで不気味なお城だと思った。小さい頃夢で見たお城は、こんなにも恐ろしい空気を放っていなかった。耳を澄ませば自分の吐息と流れる空気、それと生き物の吐息が聴こえる、気がする。

 ―――まるで、城そのものが生き物のような、そんな厭な感覚に見合われる―――。

 人の住んでいない、廃墟の城。
 一体此処は何だろう?
 見渡して思い付いたのは、昔西洋のどこかを舞台にした本で出てくる、何か神々しい物が祭られている……聖堂、だろうか?
 今度は歩く。もう、あの足音はしない。するのは自分の足音だけ。
 そして、辿り着く。歩き回っている間に、一層暗くなっている―――玉座、らしき所に。

「…………あ」

 やっと声が出た。縛られていた緊張感が解き放たれる。広く、静かで、暗い場内に響く声。足を止め、一筋の光りを見る。
 ―――まだ誰が座ってるのか、判らない。
 玉座には、一体どんな人がいるんだろう?
 興味がわいた。玉座へと近づく。
 追われてる事も忘れて。
 足音。
 熱い息。
 それしか聞こえない場所へ。

「―――見るな」
「!」

 背後からの声に振り向く。
 今まで追いかけていた敵にナイフを持つ手に力が入る。思わずナイフを構えたまま飛びつきそうになった。見ず知らずの、男性に―――。

「あ……っ!」

 慌てて足を止めナイフを下げる。

 男性は下げたナイフを見つめ、次に私の眼を見てきた。ナイフを向けられても驚きもしなかった。男性の目は何も語らない。私を後ろから脅かそうとも、私を殺そうとも思っていない。……私を追い続けていた『敵』は、この人じゃない気がした。男性の容姿は長い髪。鋭い目。神父さんのような服に、鼻にかけた眼鏡。

 ―――そんなキーワードが誰かに似てるな、と思った。

 でも、この人は違う。似ているあの人でもなければ、私を殺そうとしていた敵じゃない。……味方、でもなさそうだけど。

「ど、どなた……でしょうか……?」

 身を引く。神父姿の男はそのまま落ち着いた目で見つめてくる。私を睨むようにして見つめると、男はふっと口元を緩めた。

 ―――思わず、先輩、と言ってしまいそうだった。

「…………貴男は」
「一応、私は教会の使者として此処に来た事になっているが」

 ……一応?
 教会の使者、というのはカタチに合っている。何せ神父服だ。こういう服を来ている人に何度か会ったことがある。本当に、……似てるなと思った。

「……え、と?」

 しかし、意味が判らない。
 何で教会の人が此処に?
 そういえば私は此処が何処かも知らない。何でこんな所にいるのかも。
 どうして殺されそうになったのかも……ナイフを構え、いつでも目の前の男性に襲いかかろうとしていたのかも。
 ……よく、わからない。でも、目の前にいる男性は何でも知っていそうな気がした―――。

「その……此処は、何処なんでしょうか……?」
「真祖の城―――アレにしてみれば悪夢だ」
「……はぁ」

 男はちゃんと私の言葉に応えてくれる。が、いまいち理解に苦しむ答え。
 真祖……?
 その単語は聞いたことがある。いや、何度も聞いた覚えがある。
 誰に、何処で聞いたのかは忘れてしまったけど……。

 男は玉座を『アレ』と言う。
 だけど私にはここから玉座に座っている人が見えない。もう少し近づけば顔が見られるのに……でも神父服の男性は私を止めた。「見るな」と一言。

「……貴男は、此処の方ですか……?」
「まさか。そもそも此処にはアレ以外にヒトなど居ない。此処は先代の魔王が消滅し、今では廃墟になってしまった―――私が以前訪れた城は、決してこのような錆びた城ではなかったが」

 目を伏せ、ため息をする男性。いつの間にか後ろに立っていてじっと私を見続けていたのに、急に人間らしい仕草をする。
 ……驚いて息を呑んだ。
 錆びた城壁。
 無人の回廊。
 枯れた花壇。
 見るも未然な城に一筋の光り。
 光りの先には、玉座。
 まだ、『アレ』は見えない―――。

「じゃぁ……貴男は何で此処に?」
「新たな魔王を生み出し、その恩恵にあずかる為やってきた。―――あぁ、私にはアレを目覚めさせる気も力もないがな」
「魔王……ですか?」

 ゲームの中でしか使わないような言葉。少なくとも、私がこんな真面目な席で聞くのは生まれて初めてだと思う……。
 じゃあ、まさか……あの玉座の先が、魔王―――?

「そう。八百年前、堕ちた真祖を狩る為の兵器として生み出された、特別な真祖。自然発生した他の真祖とはその誕生の仕方が少々異なっているようだが、吸血衝動を抑える必要のなくなった真祖達を処断してまわるほど、真祖の中でも強大な力を持っている。だが今は、暴走しこの城に居た多くの真祖を全て消滅させてしまった。この城で生きているのは真祖の皇子のみ。城に集まった真祖は全て死に絶えた」
「……どうして……?」

 たまらず、質問してしまった。

「どうして消滅させたんですか…………それに貴男は?」

 貴男も、この城で生きているんじゃ……。

「今アレは眠っているが、そのうち目覚めるだろう。自分以外の真祖全てを消滅してしまった自分を自分で城に封印し、私が現われるたびに私を処断するために目覚める―――」

 …………あれ?

「私は―――八百年前。私の研究は人間の身体では不可能な地点まで到着してしまった」

 …………この話。

「先に進むために私は死徒にならなければならない。だから私はアレと接触したのだ」

 ……やっぱり、知ってる気がする。
 この先の話と、『アレ』が何なのかの正体も。

「その、すいません…………」

 喋り続ける男を止める。

「私は玉座…………見ちゃ、いけないんですか……?」
「何を言っている。―――止めても君は既に見てしまっただろう?」

 ―――酷く、寒い。
 この人の声は、冷たい。
 感情の無い声で男は話す。

 私は、見てしまった。
 ―――玉座ではなく、牢獄のようなものを。

 かつん、かつん、と聖堂に響く男性のブーツの音。背中を向け去っていく。一体、何だったのだろう……と彼の背中を見る……がこのままではいけない。何も判らないままだ。

「あの、すいません……! 私……これからどうしたらいいんでしょうか……?」

 ピタリ、と男性は足を止める。そもそも此処が何処知らないし、何故ここに来てしまったのかも判らない。判らない事だらけだ。

「これは真祖の皇子の夢。この悪夢から去りたければ目覚めればいい」

 ……夢。逃げ惑い胸が苦しんだのも、廃墟を歩いた時の悲鳴も、玉座もこの男性も夢……なんだろうか。

「……で、その……夢から覚める方法が判らないんですが……」

 そう言うと、男性はため息をついた。
 男性の肩が上下し、振り向く。
 目を細め、……男が笑ってみせた。
 いつか、襲いかかった視線が向けられ……

「ならば、死んでみろ」

 ―――がぶり。

 吸血鬼らしい最期だった。



 /2

「っっっっ!!!!!」

 叫ぶ声も出ず、ベットから起きあがる。

「ぁ、あ……ああぁ……!」

 叫び声を上げ、首を抑える。が、そこから血も流れていないし、牙の跡も無い。何故って、夢の中の出来事だったから―――。

「……は、あ……ぁ……!」

 まだ落ち着かない。身体がガタガタ震えている。寒気もする……。
 ―――怖かった。何度も吸血鬼に噛まれてないか首を確認してしまうぐらい。
 夢の中なのに、途轍もなくリアルな感覚がした。夢だと、夢の中の住人も言ったのに、夢なんかじゃない気がする……。しばらく深呼吸をし続けたが、ちっとも噛まれたような感覚が抜けてくれない。冷や汗を拭いながら、隣に視線をうつす。

「……あれ?」

 隣を見ても、いるはずの男がいない。窓の外は、まだ薄暗い程度。
 部屋を見渡してポツンと置いてあった時計を見る。

「え…………まだ30分しか経ってないじゃない……」

 長い時間を、ずっと走っていた気がした。それよりも、たった30分だけの睡眠で夢が見られるのだろうか?
 ……気持ち悪い。頭が少し痛い。もう一度、―――眠ってしまいたかった。

「あー、起きたか志貴!」

 と、ウトウトしていると眠気を吹き飛ばすかのような大声が聞こえた。キッチンの方に、先に寝た筈のアルクェイドがいた。―――本物の、アルクェイドがいた……。

「あ、アルクェイド……貴男、寝たんたじゃなかったの?」
「そのつもりなんだけどさ……なんか、目が覚めちゃったんだよ。志貴が代わりに寝てくれたからじゃねぇ?」

 ……代わりに寝て、何になるんだろう。
 30分前、あんなに辛そうだった顔はもう無い。目もぱっちり開かれていて、アルクェイドは元気そのものだった。そして、……キッチンで何かやっていた。

「あれ……貴男、お腹すかないんじゃなかったっけ……?」
「あぁ、そうだけど。何か喉が乾いたから飲んだだけだけだ。俺は腹はすかないから……でも、志貴が前、作ってくれたスパゲッティは美味かったな!」

 いきなり思い出して笑った。そういえば前、この部屋に遊びに来た時何か作ってあげたんだっけ……この部屋を教えてもらって直ぐの事。この男が吸血鬼だと忘れてニンニクをたっぷり使ったスパゲッティを御馳走させてしまった。十字架は効かないらしいけど何故かニンニクは苦手だったりする。それは吸血鬼とかそういう問題じゃなく、好き嫌いだとアルクェイドは言うけど……。
 ―――この男が吸血鬼らしくないのが悪い。

「なぁ、志貴。夢見たか?」

 今もまた近くに寄ってきて笑みを振りまく。眠いのから解放されイキイキとした表情―――羨ましいくらいだった。

「………………悪夢、見たけど」

 なるべく暗い声にならない程度に素直に答える。

「どんな? 面白かったか??」
「悪夢がどうして面白いのよ!!!」

 ―――そういえば。
 アルクェイドはあの人に会った事はあるのだろうか。
 あの人に似ている人なら知っている。
 ―――シエル先輩。
 いや、シエル先輩以外にも私は見たことある。
 あの冷たい目を。
 ―――あの、何かが憎たらしくて仕方がないという目を。
 見たことある…………。

「ねぇ…………」

 唐突にアルクェイドに呼びかける。

「ん? なんだ?」

 満面の笑みをうかべて、聞き返すアルクェイド。

「……その、聞きたい事があるんだけど……アルクェイドって」
「なんだよ、俺がどうしたんだ?」
「……本当に吸血鬼なのかな、って…………」

 ―――どんな答えを期待すればいいんだろう。

「はぁ……? なに今更そんな事聞いてるんだ?」
「今更……かもしれないけど、今そう思ったの」

 アルクェイドは呆れた顔をした。でも自分でも聞いてから変な質問だな、と思う。視線を逸らして、続ける。

「吸血鬼って言ったら、やっぱり血を吸う鬼なのに……貴男は吸わないじゃない」

 ―――吸血鬼、なんて証拠無いぐらいアルクェイドは普通なんだ。そりゃ、死徒を倒して廻ったり、移動もジャンプ一飛びで何処へだって行ける……ってくらいに人間離れした所は沢山ある。認めたくないけど、私もその『人間離れ』の一人である。でも吸血鬼じゃない。アルクェイドがそれと同じだなんて実感がまだわかない。もしかしたら吸血鬼なんて恐ろしい種族なんかじゃなく、アルクェイドは違うヒトじゃ―――。

「……結構物わかり悪いんだなぁ、前話しただろ? 俺達は血なんか飲まなくても……」
「それなら吸血鬼じゃない! それならアルクェイドは本当の……」

 ほんとうの、
 …………なんだろ。

「―――志貴」

 アルクェイドが真っ直ぐ、こっちを向く。
 つられて向き直る。
 しばらく向き合い、はぁと大きな息を吐いて―――アルクェイドがにっこりと微笑んで見せた。

「だよな。俺もそう思ってたんだ! 本当に俺、吸血鬼なのかな、ってさっ」

 はは、と笑った。
 ……ホッとする笑み。私の変な質問を笑い飛ばしてくれた。この質問で、アルクェイドがどこか遠い人になってしまうんじゃないか、そう思った。でも冗談だと受け止めてくれたようだ。
 ……なら何で私はあんな質問をしたんだろう?
 私は、こんなアルクェイドの笑顔が欲しかっただけかもしれない。いつかばちかの問いだった。やっぱりアルクェイドは吸血鬼なんかじゃ―――

「じゃ、試してみようか」

 笑いながら、アルクェイドはそんな事を口にした。

「俺が本当に血を吸う事が出来たら、また美味いもん作ってくれよ」

 笑顔のまま、

「な、志貴」

 一歩ずつ、近づく。

「え…………?」

 近寄ってくる。
 冗談だって判ってる。
 けど
 身体が石のように固まってしまい、あの夢と同じ感覚に陥った。

 ―――逃げなきゃ殺される、という………………。

「ア…………」

 がくん、と
 アルクェイドの体重が半分、のし掛かる。
 身体が動かなくなる。
 火のように熱い吐息を、感じる。

「血を吸うなんて、簡単な事なんだ」

 そんな声が耳元で、聞こえた。
 頭の中に永遠に響くアレの声。

「アル…………」

 口が止まる。
 冗談だって、判ってる。
 だから、アルクェイドを信じて何も言わなかった。
 言ったらアルクェイドはこの冗談をやめてしまうだろう、から……。

「―――」

 アルクェイドは何も言わない。
 何も言わず、何もせず、私の肩に顎を乗せただけ。

「―――」

 身体が固まってしまったのは、どっちなのだろうか?
 アルクェイドは、何もしない……。
 顔も見えない。
 目も見えない。
 何がしたいのかも、判らない―――。

「―――冗談、だろ」

 荒々しい声で言った。
 それだけで、アルクェイドが異常だと判った。

「ある、くェイド……?」

 呼びかけ、彼から離れようとする。
 その時、グッ、と肩に痛みが走った。

「ぁっ…………!」

 悲鳴をあげる。
 だが痛みが修まらない。
 アルクェイドが、オカシイ?

「……ねぇ、からかって……ごめん…………だから、離れてくれないかな……?」
「―――」

 アルクェイドは何も言わず、そして指を放さない。オカシイ、と察知し何とかのし掛かったアルクェイドの身体を退けようと腕が動いた。

 それと同時に
 電流が走ったような鋭い痛みが駆け抜ける。

「…………っっ!!!」

 両腕が動かなくなり、何も出来なくなる。ぐっと指が身体に食い込み、倒れることも出来ない。

「ア、アル……」

 アルクェイドの歯が、首に当たる―――

「やめろ―――ッ!!!」

 アルクェイドが飛び退いた。
 荒々しい呼吸が部屋に響く。
 離れた瞬間起きた力で私は吹き飛ばされて床に倒れ込んだ。

「……っ!」

 一瞬のうちに飛ばされたせいで受け身も取る事が出来なかった。
 足と、腰と、―――掴まれた肩が泣いている。
 朱い、涙で……。

「あ……」

 涙のわけがない…………血だ。
 さっき、アルクェイドの指が肩に食い込んだ時噴き出した血。
 肩を自分の手で抑えてみると………………やっぱり濡れていた。
 紅く、……。

「アル…………ク?」

 肩に穴を空けた本人へと視線を移す。そこには、―――目覚めた私と同じように首を抑え、呼吸を止めようとしているアルクェイドの姿があった。

「志―――貴」

 全身を震えわせて、まるで空気が吸えないように首を自分の指で絞めていた。
 その指には、血が付いていた。
 アルクェイドのものじゃなく、私の血が……?

「あ、アルクェイド! 何やって……っ!」

 ずっと、自分を傷つけているアルクェイドに声をかけた。
 すると首から指が離れる。
 いっきに呼吸が落ち着いていく。
 がっくりと項垂れて、―――焦点のあっていない目で私の方を向いた。

「志―――貴、か?」

 辛そうな息。目の前にいるのが、誰だか判っていないようだった。

「そう、ここにいるから! ……今のは、その…………冗談にしては」

 度がすぎていた。
 ただの悪ふざけだと思いたくてそう口にした。
 ……。

「志貴……俺、凄く、喉が乾いて…………」
「喉……? 水、持ってこようか……!?」
「……志貴―――もう、帰ってくれないか」

 アルクェイドは静かに目を閉じた。何度も、何度も深呼吸を繰り返し、…………大人しくなってしまった。

「アル、クェイド……?」
「ごめん、今日は屋敷まで送ってやれなくて…………だからカエ……」
「そんなのいいから! その、すぐ水……用意するから……っ」
「いいから!!!」

 辛そうな声を振り絞って、大声を出し、…………そのまま喋ろうとはしなくなる。
 追い出すようにして、私はマンションの外に放り出された。





if 空蝉/1に続く
02.12.29