■ 17章 if 沈夢/1



 /1

 ―――夢を見る。

 気が付けばそこは森。屋敷の中のその森は、とても広くて、広すぎて、子供が遊ぶには絶好の場所。
 ―――また、同じ夢を見た。

 子供たちが遊んでいる。家に閉じこもっていた私は、少年に連れられて外に出る。
 今日は何して遊ぼう、といつも誘ってくれる少年。
 笑顔で、青い空の下で誘ってくれる少年。

 ―――琥珀さんに、似ていた。
 ―――……いや、似ているだけなら翡翠にだって……。

 その笑顔に私は誘われて、私だけじゃなく秋葉も誘われて、子供達は遊び始めた。屋敷にいれば大人しくしなければならないが、外に出れば私たちは子供に戻る。私がいて、秋葉がいて、その少年がいて、
 ―――その、少年は、

 秋葉はいつも駆け回って、私はそれを一生懸命追う。それを見守ってくれる優しい少年。それと。
 ―――とっても、私と仲がよくって、

 もうひとり。
 ―――もう一人、少年が私たちと一緒に遊んでいた。
 私たちには兄がいる。
 秋葉のことが大好きで、いつも秋葉をからかっていた。
 ちょっと強引で、お父さんたちに怒られるのはいつもその子。私を誘いだした少年もその子に手を焼いていたようだった。

 ―――やっと、見えた。
 いつもの子供達。
 子供たちは遊んでいた。
 ―――もう、忘れていた子だ。

 夢から覚めると彼らの事が想い出せない。
 現実だと何を思い出すのかも分からない。
 悩む。

 何故、私の手が真っ赤に染まって立っていて、
 その少年の胸が真っ赤に染まって倒れているのだろう、と。



 /2

「―――痛」

 第一声、朝そんな自分の声で目が覚めた。
 ―――あぁ、朝だ。
 身体はベットから動かさず、目だけを窓にうつす。快晴……とは言い難い、少し曇気味な空だ。
 レンは隣にいない。……そのかわり、窓が少し開いていた。きっと外に出ていってしまったのだろう……ってそれはおかしい。いつも翡翠が戸締まりしている筈なのに……。
 ……おかしくないか。だってレンだもん。……そう無理矢理な事を考えて、身体を起こそうとした。
 今日は普通に学校のある日。今日の予定は確か……と想い出しながら身体を起こす。
 珍しく翡翠がおこしに来る前に起きれたな……きっと翡翠も驚くだろう、と思いながら身体を起こす…………。



 …………なんで、起きないんだろう。



 もう一度、挑戦…………身を起こそうとする。だが、起きあがろうとすると少しだけ吐き気がした。

「…………っ!」

 吐き気と共に、一瞬胸を突かれたような痛み。
 ガラスの破片が胸に次々刺さっていくような、細かな、それでもって鋭い痛み。
 声を出す程ではない。……だけど、声を拒むように手が口を押さえた。
 どうやら、腕は辛うじて動くようだ……だが、腰。そこから下が、まるで無くなってしまったかのように、動かない。足の神経すらない。
 周りを見渡す。時計は……まだ学校に行くには時間がある。朝食だって少しペースを速めて食べればまだ……。
 それより、何故翡翠はまだ来ないのだろう?
 もしかして何度も起こしに来て全く私が起きないから引き返してしまったのかも……。

「ヒ、ス…………」

 泣きそうな声で、名を呼ぼうとした。早く起きようと力を入れてベットから出る。―――途端、ベットの下へと転げ落ちた。腕も支える力が無く、ごろん、と。

「え…………っ」

 それから、動けない。起きあがる事が出来ない。足に一切力が入らない。唸って腕だけ動かしてみるが、身体を持ち上げるだけの力はなかった。

 う、そ…………。

 必死になって力を込める。が、そこから動くことができなかった。こんなの、―――小学校以来だ。あの頃、事故が起きてから二年くらい、頻繁に貧血と激しい目眩に襲われる時期があった。だがそれは大きくなるうちに無くなっていったんだ……。
 絨毯に転がったまま、天井を見てみる。……きっと一時的なものだ。少し休めば動けるようになる……。
 そう、思いこんだ。

 コンコン

「―――志貴お嬢様。着替えを持って参りました」

 待っていた、声の主。ガチャリ、とドアが開き翡翠が入ってくる。

「―――お嬢様!?」

 転がっている私の身体を見て、大声を上げ、駆け寄る。

「お嬢様、しっかりしてください、お嬢様……!」

 翡翠は必死に呼びかけてくる。何とか、……辛くても首だけ翡翠の方を向かせた。

「おはよう翡翠…………その、倒れただけだから心配しないで…………って無理かもね」
「なっ―――何を言っているのですか、お嬢様!」

 思った通り、血相を変える翡翠。もしかしたら私の方が倍顔色が悪いのかもしれないけど。

「……大丈夫。すぐ治るから」

 笑顔をおくる。だが、綺麗な笑顔は流石に出来なかったらしい。顔色の優れない笑顔なんて、見る方も気持ち悪いに違いない。翡翠は心配そうな目をし、起きあがらせようと、手を私の肩に伸ば…………

「―――っ」

 そうとしているが、…………それ以上翡翠の手は動くことはなかった。

「翡翠……?」
「―――」

 黙ったまま、翡翠の身体は凍ってしまったように動かなくなってしまった。完全に凍ってしまったわけではない。電池が切れたわけでもない。何かが、翡翠を縛って動けないようにしているようだった……だが、翡翠自身は動かそうと努力をしているのか、手がプルプル震えている……。
 見ているこっちが辛くなりそうなほど、唇を噛んで、必死に―――。

「翡翠…………琥珀さんを呼んで来てくれないかしら……」
「―――!」

 その言葉を聞いて、スイッチが入ったように動き出した。いや、―――あれは逃げるようにして部屋を駆けだした、と言うべきか。
 翡翠の後ろ姿を無茶な姿勢で見送った後、一息つく。そして、―――屋敷に帰ってきた一日目の事を想いだした。
 翡翠の肩を触ろうとして、……叩かれた。
 無表情ながら、睨んでいる目。
 そしてその後、気まずくなって謝る…………。

「何なんだろうな……」

 天井を見つめながら、誰かが来るのを気楽に待っていた。

 琥珀さんはすぐやって来て、私を抱き起こした。支えてもらっても身体はまだ一向に動いてくれないので、琥珀さんに持ち上げられて、そのままベットに下ろされた。緊張を解すためか、琥珀さんは笑いながら「羽みたいに軽いッスね〜」と冗談を言いながら布団を掛ける。

「ごめんなさい……別に気分が悪いってわけじゃないのに身体が……」
「いやぁー、タダで可愛い女の子が抱けるんだからこっちはどんと来いッスよ! 熱もなさそうなんで、すぐ動けるようになると思いますよー」

 琥珀さんは元気な笑顔を見せてくれる。それにこっちも気が楽になれる……。
 ……一方、翡翠はさっきから顔を曇らせたままだった。今も琥珀さんの背に隠れるように私を見ている。無表情……とは言い難い、辛そうな顔。

「でも、どうしたら足が動かせなくなるんかな」

 琥珀さんは、ハテ、と考えるジェスチャーをして―――私の足を触った。

「……っ!?」
「あ、疚しい事するんじゃないッスから。…………何も感じません?」

 琥珀さんは、私の足を……押した。それは目から見てそうしたのを知った。
 ……実際、『私』は『足を押された感覚がした』だなんて感じることはなかった。黙って、こくりと頷く。

「姉さん!!!」

 ―――と。そんな事をしてると、血相を変えて秋葉が部屋に入ってくる。

「あ、……おはよう秋葉。もう身体は大丈夫なの?」

 昨日、あんなに苦しそうだったのに今はいつものようにしている。それ所か、走って来たんだか息がキレかけてるけど……。

「俺の事なんかどうでもいい! 姉さん……ッ、大丈夫なのか!?」

 大袈裟に、心配してくれた。

「俺の事なんか…………って、秋葉。あなた昨日あんなに……」
「俺のは一時的な貧血なんだってば! それより姉さんの方が……!」

 ……病人の私以上に青い顔でせまられる。―――本人は全然大丈夫なのに。

「私は大丈夫だから、……ね」

 落ち着けるようにして言う……。そして琥珀さんの方を見た。……琥珀さんは何か、難しい事を考えている目をしていた。

「あの…………そんなに、私……悪いんですか?」

 秋葉と翡翠の狼狽えように、つい心配になってしまった。その声に、琥珀さんはパァっと明るい笑顔を向ける。さっきの悩んでいる表情とは別人のように。

「いやいや、そんな事ないッスよ! ただもう少しゆっくりしてた方がいいと思うんで、学校には電話入れときますわ」
「……だな。頼む、琥珀」
「アイアイサーっ!」

 秋葉に向かって敬礼。だが、秋葉の最後の方の言葉に聞き捨てならない事が……。

「一応、精密検査はしといた方がいいな」
「精密検査……? そんな、大それたことしなくても……」
「姉さん。……行けと言っておいた病院にはいつ行った?」

 ……。
 …………。

「………………行ってないです」

 なるべく聞こえないように……出来れば聞いてほしくない事を言った。

「姉さん、自分の身体を理解してないなら即刻入院させるぞ!? そんなヒトの体調口にしてる元気があったらさっさと……!」
「あー! そうだ!! 志貴お嬢様が風邪でお休みならお粥作ろう、そうしよう!!!」

 秋葉の説教をかわすように、琥珀さんがパンッと手を叩いて提案する。

「琥珀……っ、お前」
「知ってますか、秋葉様。志貴お嬢様は梅のお粥が大好物なんスよ! 啓子さんから聞いてます!!」

 ……お母さんから?
 あぁ、一応遠野の使用人なら分家のお母さんと会ってるのか…………な?

「―――秋葉様。そろそろご登校の時間が……」

 琥珀に続いて、翡翠も秋葉を止めるように声をかける。あくまで、自然で。

「…………じゃあ琥珀、翡翠。姉さんを頼むぞ。姉さんは自分の身体の心配なんてしないから、ちゃんと見てやってくれ」

 私を見て、……小さく微笑んでくれて秋葉は部屋を出ていった。散々な事を言い残しながら…………。

「そんじゃ、俺はガッコに電話してくるんで! 翡翠、お嬢さんを頼むぞっ」

 琥珀さんも秋葉に続いて部屋を出る。ぽんっ、と琥珀さんは翡翠の肩を叩いた。……だが、翡翠は顔を変えなかった。―――ずっと、暗い顔立ちだった。

 部屋に残ったのは、まだ身体を動かす事が出来ない私と、俯いたままの翡翠だけ。翡翠は、兄の琥珀さんに触られても何も言わなかった。
 これはやっぱり、私が嫌われているということだろうか?
 なら、私が嫌いでも翡翠は仕事だからと我慢して毎日…………。

「翡翠……」
「―――なんでしょうか、お嬢様」
「私は大丈夫だから、自分の仕事に戻っていいよ?」
「………………」

 そう私は言っても、……翡翠は、俯いたまま一歩も動かなかった。それどころか、あの真っ直ぐした感情の無い目つきも、……逸らしている。

「……どうしたの? さっきからおかしいよ……翡翠も調子が悪いんだったら休んだ方が……」
「………………」
「……翡翠」

 翡翠は、……まだ何も話さない。しばらく私の一人芝居が続いた。翡翠は、何か言いたそうだった。だが言い出さなかった。
 最終的に私も黙る。翡翠は何か考えがあってこの部屋に残っているのだから。―――が、

「―――お嬢様は、お怒りではないのですか」
「え?」

 翡翠は、真っ直ぐな青い目を向けた。突然の翡翠の声に、驚いてしまう。

「先ほどの事です。……志貴お嬢様の世話をしなくてはならないのに、何も出来ずに―――」

 そうして、……また黙る。
 ……そんな事。
 そんな事を気にしていただなんて思わなかった。

「……うん。実はちょっとショックだった。すぐに翡翠が起こしてくれるのかな、って思った」
「………………」
「でも、そんなのどうでもいいことじゃない。私は翡翠に助けられているんだし、私が落ち着いていられるのも翡翠のおかげなの」
「…………そう、でしょうか」
「うん……分からないかもしれないけど、いつも悪い夢を見た後、翡翠はちゃんと毎朝『おはよう』って言ってくれるでしょ」

 ……実は、声を出すのは……辛かったりもする。でもここで、私が黙っちゃいけない。翡翠が真剣に、使用人だから仕事だからなんて理由じゃなく私の声を聞いてくれているのだから。

「翡翠が毎朝来てくれるの。それだけでも嬉しいし、元気になれるから」

 ―――あ。
 翡翠が、笑ってる。一見、見ただけじゃ分からないだろうけど、確実に翡翠は笑っている―――。
 そして照れている。彼は、決して無感情な人間なんかじゃない。……ちょっと感情の出し方が人とは違うだけの、男性なだけだ。

「―――ありがとう、ございます……」
「だから、今日は言ってないからまだ元気になれないの」
「―――?」
「言ってないでしょ」

 あ、と翡翠は声をあげた。そして、しばらく辺りに視線を向ける。ゆっくり深呼吸をして、私を見た。

「…………おはようございます。志貴、お嬢様…………」

 微かに頬を赤らめて、真っ直ぐな眼差しで言い忘れた言葉を告げる。
 それから、また黙る。何も言わないが、目だけがじっと私を包んでくれている。
 それに応えるように私も笑った…………。

「それでは失礼します。何かありましたらいつでもお呼び下さい―――」

 いつもの深々としたお辞儀をし、……少し駆け足気味に翡翠は部屋を出た。



 /3

 ―――時間だけがすぐ過ぎていって、ベットから起きる事も出来ずただ天井を見つめているだけだった。
 ……少しでも足が動かないか、試してみる。それをした途端に来る疲労感。必死の思いで10cm程足を動かしてみると、一日中走り回っていたかのように汗が出てきた……。これは、治るのをひたすら待ち続けた方がいいらしい……。

「お嬢さん、入りますよー!」

 何分か経って、コンコン、というノックの音と共に琥珀さんが入ってきた。その手にはお盆にお粥らしきものが見られる。

「朝から何も食べてなくてお腹へったでしょう!? 遅くなりましたけどお食事の時間ッス!」
「あ……ありがとうございます。琥珀さん」
「いやいやー、これが俺の仕事でもあるんで!」

 琥珀さんは枕元までやってくると、鼻歌を歌いながらスプーンを持った。そして、予感。―――この人が鼻歌を歌うとき…………何かが起こる。そんな気が……

「ハイっ! あーんしてください!」
「…………え、えぇ!?」

 笑顔で、この人はとても恥ずかしいことをしてくれた……。
 湯気の出ているお粥をふーふー冷ましてから、私の口に差し込む。……最初は、本当にアッという間の出来事だった。

「…………琥珀さん、これってちょっと…………」
「お嬢さんは病人ですからね! お食事をお助けするのも仕事の一つですから♪」

 それにしては何とも楽しそうに、琥珀さんは追撃をかけてきた。
 梅のお粥……はとても美味しい。でもこの食べ方には……味が変わってしまいそうな何かがあった。

「た、ただの貧血ですから一人で食べられます!」
「大人しくしててくださいよー。翡翠が気付いてやってくるじゃないかー」

 そう言って、蔓延の笑みを向けスプーンを出してくる。……翡翠にバレたらいけないって自覚しておきながら、この人は……。

「ん……っ」

 ちょっと強引な入れ方に喉がつまる……。

「お味はどうッスか?」
「……とても美味しいです…………でも、出来ればもう少し味わって食べたいです」
「んじゃ、話ながらでもゆっくりやりましょう!」

 止める気は全然ないらしい。どうやら彼を止める方法はないようなので、私は『赤ちゃんプレイ』のまま御飯を食べることになった。
 ……恥ずかしい。この状態で翡翠がやって来た事を考えると……でも、琥珀さんの作ってくれた梅のお粥はとても美味しくて、すぐに終わってしまった。

「お嬢様、お身体の方はどうですか?」
「どう…………そうね、そんなに変わらないかな。元々気分は悪くなかったし」
「そうッスか。昨日も言ったようにお嬢様は屋敷の事故でお身体が弱くされたっていうから気を付けないと―――」

 食器を片づけながら、琥珀さんはそんな事を言った。昨日……の今日でこんな目だ。
 琥珀さんには、本当に申し訳ない。

「苦しくはないんですよね。ならいいんですよ!」

 あくまで、琥珀さんは明るかった。どこからそんな明るさが出てくるのだろう。そんな前向きで元気な力を、……少し貰いたいぐらいだった。

「琥珀さんは病気になったことは?」
「まぁ、それくらいはありますけど、一応俺医者ッスからね。医者が風邪引いちゃ笑われちゃいますよっ!」

 あははー! と大声で笑う。……やっぱり不思議な人だ。
 不思議といえば、琥珀さんと全然違う翡翠。兄がこんなに元気なら弟も連れられて…………
 ……いや、そういうわけにはいかないか。姉がこんなのでも、弟はあーゆー風に育つし…………。

「ん? どうしたんスか?」
「い、いえ……。その、翡翠は?」

 つい、話を違う方向へ持ち出す。琥珀さんは食器を片づけながら言った。

「もう今日やる仕事は終わったって言ってたからなー。そろそろお嬢さんの部屋につかせますよ。…………お手柔らかに」

 にや、と琥珀さんの口元が笑う。……意味が、判らなかった。

「元気なのは何よりだけど、やっぱ無理はしないで下さいね。屋敷の事故でお嬢さんはホント、身体が弱いんですから」

 それが心配だから翡翠を遣わせておくんスよ? ……と琥珀さんは言った。
 全く、心配性な人達。……が、それ以外のところに私は固まった。
 琥珀さんは頭を下げて、私の部屋から出ていく…………。

「―――どういう、意味ですか」
「は?」

 つい、聞き返してしまう。反論に、何のことだか分からないように琥珀さんは振り向いた。

「お嬢さんは確か八年前の事故で、有間の家で預けられて…………って聞いてますけど?」

それが何か? と琥珀さんは言った。

「いえ、その…………この屋敷で事故だなんて私は―――」



 ―――いや。
 ―――その前に、私は何処で事故にあったんだろう?



 子供の時の怪我。
 死の線が見えるキッカケになった事故。
 先生に会うことになった事件。
 それは何処で、一体どのように起きたものなのか、……覚えていなかった。あんな、強烈な記憶なのに。
 ぽっかりと、そこだけ穴が開いている状態。
 8年前の屋敷で遊んだ記憶も、その後の病院の記憶もあるのに。
 ―――探しても、見つからない記憶。

 そして、昨日、離れで琥珀さんと話した『養子』の話……。
 8年前に死んでしまった養子の話。
 8年前に死んでしまった私のはな……

「私が?」

 私とその養子は、同じ事故で………………。
 いや、どっちが?
 私は生きていて、養子が死んで……
 いや、逆
 いや―――。

「……お嬢さん? どうしたんスか?」
「い、いえ…………琥珀さんに聞いても分かりませんよね。そんなこと」

 頭を振り切る。こんな身体が悪い時に、悪い考えばかり……

 ―――でも。
 ―――八年前の気がする。
 ―――私と、秋葉と、琥珀さんと、
 あと一人。
 屋敷の、庭で、遊んでいて

 ―――血を。

「そんじゃ、俺は食器片づけてますから」

 琥珀さんは部屋を出ていこうとする。アッという間に、琥珀さんは去っていってしま……

「ちょっと待って、琥珀さん! ……昔、琥珀さんと一緒に遊んだよね? その時に誰か、他にもう一人男の子がいなかった?」

 ……ピタリ。

 背を向けたまま、琥珀さんは止まった。……朝の、翡翠のように、氷のように固まってしまった…………。
 だが、それは一瞬のことで、琥珀さんはいつもの笑顔で振り返る。

「俺と、お嬢さんがいっしょに―――?」

 ―――笑う。
 琥珀さんの、昔を懐かしむような笑いが部屋に静かに響く。

「さぁ。よく覚えてないッス。ちょっと物忘れがヒドくってなー。もう年かなー?」
「年って……そんなに私と変わってないじゃないですか」

 ……私もつられて笑った。笑う、しかなかった。

「じゃあ、お嬢さんの言ってる奴って翡翠じゃないッスか? その時たまたま一緒に遊んだとか」
「あ、そうかも……」
「そうッスよ。んじゃ俺はこの辺で」

 琥珀さんは食器を持って退室していった。

 …………でも、翡翠とは『ずっと遊びたかった』と記憶している。
 『ずっと遊びたかった』…………ということは、『一回も一緒に遊んだ事がなかった』から来る考えだ。
 どこで思い違いをしたんだろう?

 琥珀さんが出た時、翡翠が交代で入ってきた。

「―――失礼します」

 ……何時の間に。

「翡翠…………さっきの話聞いてた……?」

 さっきの、琥珀さんとの話を。

「―――いえ」

 短く、翡翠は否定する。でも、扉越しにいたということはやっぱり聞いていたんじゃないだろうか…………。

「翡翠は私と遊んだ事が…………」
「なんでしょうか、お嬢様」

 ……翡翠の静かな視線に押されると、そんなどうでもいいような事が言えなくなってしまった。つい、その力に押されて黙りこんでしまう。
 翡翠は私を見てくれるというが、ただ窓際に立っているだけだった。見ても、声をかけない限り翡翠は動かない。
 ……全く、使用人の鏡。でも琥珀さんみたいに無駄に話しかけてくれた方が気が楽のような…………。

「……暫く起きているけど。翡翠はこの後は?」
「今日は一日志貴お嬢様の看病をさせて頂きます。―――その、お嬢様が宜しければ、このままご様子を看させて頂きたいのですが―――」

 後の方ほど、声が聞こえにくかった。顔を染めて、……少し恥ずかしそうに言うから。こっちはついそんな翡翠の姿に笑ってしまう。

「―――」

 それに反抗してか、翡翠はいつもの使用人の姿に戻った。何だか、朝とは違う真剣みだ。
 そんな仕草は嬉しい。反応してくれた方が落ち着く。
 翡翠は、人間なんだから。
 でも、立ったまま翡翠はじっとして…………

「……あ、その……気なんて遣わなくていいから! 椅子にでも座って本でも読んでてくれないかな?」
「は…………はい。かしこまりました」

 そう言って、翡翠は一時部屋を出る。
 そして、言われた通り椅子と本を持ってきた。……また、その姿には笑ってしまった。

「―――お嬢様?」
「そ、それは、ワザとやっているの……?」
「―――いえ」

 あくまで、翡翠は自然だった。ただ、……一般人と比べて不自然すぎる。
 なんだか、今日はそんな翡翠を見ているだけで楽しい一日になりそうだ……。

 この屋敷で再会した時、翡翠は無表情で静かな男性だと思っていた。あの時はそうとしか思えなかった。
 ―――でも、今は翡翠がどんな人間なのか見えてきた。
 翡翠は決して冷たい人間なんかじゃないと……今更、気付いた気がする。

「…………ね、翡翠」

 声をかける。……顔をあげる翡翠。

「―――何でしょうか」
「今は、してないけど―――リボンありがと」

 ………………。
 …………。
 ……。
 ……それきり、翡翠は喋らなくなった。



 /4

 一日、ベットの上の生活。夕食も琥珀さんがトレーに乗せてやって来てくれて、部屋で食事をする。さすがに夕食の時は翡翠もいるので一人で食べられたが―――就寝時間間近に、秋葉がお見舞いに来た。

「姉さん。具合は…………」
「うん。気分はいいかな」
「……朝と同じ事言ってるな」

 むっ、と顔をしかめた。そんな私の表情を楽しんでか、秋葉は微かに笑う。

「気分だけはいいのよ、まだ……ちょっと怠いけど明日にはちゃんと起きられると思うよ」
「―――よかった」

 そう一言言って、ほお、と胸を撫で下ろす。

「じゃあおやすみ、姉さん。……気分がいいからって無茶なんてしないでくれよ……」
「わかってるわよ。…………わざわざ心配してくれてありがとうね」
「……まぁ、姉弟なんだから、……これくらいは当然だろ」

ふいっと顔を背けて、―――秋葉は軽く微笑み残して部屋を去っていった。

「……はぁ」

翡翠も去り、本当に一人になる。……秋葉は元気そうだった。治療方法が判っている秋葉はそんなに心配するもんじゃない、と自分で言っている。私は、……自分で言っていても確信がない。―――私だけが、元気じゃない。

「もういいや。おやすみ…………」

そう言って、眠りについた。夢を、また見ながら―――。



 /5

 ―――そして来る朝。
 窓から差し込む光が眩しくて起きる朝。
 窓から吹き込む風が頬をかすめて起きる朝。

「ん…………」

 昨日より、天気のよさそうな窓の外。鳥の声も聞こえて、それが窓から見えるのかなと思って確かめようと身を起こす。翡翠が……まだ来る前に起きられたと自分を誉めながら身を起こす。
 身を、起こ…………

「……」

 せなかった。

「…………え?」

 やけに身体が、重い。
 体中に鎖が巻き付けられているような、それくらい重い。
 昨日より、ずっと身体が動かない状態―――。

「ちょっ……これ、ヤバ…………」

 足どころか、……腕すら上に持ち上げることもできない。
 昨日は気分だけは良かった。なのに、今は……

「やだ……これ……っ」

 吐き気がしても手で口を抑える事ができない始末。

「あっ…………」

 これじゃ、まるで
 身体が、死んでしまったようだった。

 ―――いいや、私の身体は8年前に死んだ筈なんだ。

「……」

 ―――今更、騒いだって結果は同じ。

「……」

 ―――死が、すぐ傍にあるってこういう事なのかな。



――― 死が見えてしまうものほど、怖いものはない。





沈夢/2に続く
02.10.13