■ 15章 if 静夢/1



 /1

 学校が、終わった。部活に所属している者は部室へ、していない者はさっさと校舎を出る。
 その日は珍しく有彦と校門を出た。……何故珍しいというと、有彦が6時間まで授業にいることが珍しい。昼食を終え、6時間まで休み時間を含めて睡眠に入っていたからのようだ。だらしのない格好でまたあくびをする。

「……しかし、何でお前はぐっすり寝ているのを起こすかな」

 あのまま6時間目の授業が終わっても眠らせておけ、と言うように有彦は呟く。

「掃除の人の邪魔よ。寝るなら先輩に頼んで茶道部室で寝かせてもらったら?」
「……それいいアイディアだな!」

 ……と言っても、微妙に真面目なシエル先輩が昼寝だけに和室を貸してくれるとは思わないが。
 でも、あの人も部室で和菓子食べてるだけだしなぁ。もしかしてあの部室、凶器とか沢山あったりして? ―――有り得なくはない。

「でも本当、今日は珍しいわね。寝てたとしてもHRから学校来てたんでしょ?」
「あぁ! 二時間目から参加のサボリ女より出席日数取ってるよな!?」

 ……。
 …………周りに人さえいなければメッタ刺しにしているというのに。

 しばらく歩くと、……生徒達の溜まり場であるコンビニが見えた。金欠の私にとってはあまり意味のない場所だが、いつ見ても人が多い。ウチの学校に近いからか、男子の黒い学ランがよく見える。女子の黄色いベストも結構目立つ。

 ―――でも、それより目立つのがいた。
 実際には目立たない色だろう。だが、黒やら黄色の中に一つだけ彩る深い緑色のブレザー。
 ……。
 黒髪の少年。
 この辺でブレザーの制服の学校は無かったような……。

「あ? あれ、某金持ち校の浅上じゃねぇ?」

 ……。

「でも、あそこって隣県じゃなかったか……?」

 ……見覚えのある、後ろ姿。
 ―――でも、なんであんな所に。
 有彦を置いて駆け寄った。

 生徒達が混雑した店の前で、秋葉は呆然と立ちつくしていた。
 一人で、何をすればいいのか分からない、と言うように。
 見ている『姉』も、一体何がしたいんだか分からないんだけど。

「―――秋葉」

 声をかけ、振り向く少年。
 弟は、難しい顔……というか情けない顔。いや、泣きそうな顔をしていた……。

「……姉、さん…………」

 その声を聞いた瞬間、弟……秋葉の腕を掴み近くの公園へ向かった。



 /2

「ここなら落ち着くでしょ。何か買ってくるからベンチにでも座っていて」
「…………ああ。ごめん、姉さん……」
「―――いいよ。有彦、それまで秋葉の事宜しく」

 荷物を秋葉の隣に置くと、もう一度コンビニに向かおうとした。

「げっ、オイ! なんだってこうゆう時、俺を頼るんだ! 俺が買ってくるからお前が残ってろッ」
「数分ぐらいいいじゃない。男同士なんだから話も弾むでしょ」

 そう言うと有彦は……隠し事を言うように、小さな声で耳打ちしてきた。

「……バカ。そうかもしれないけど、相手はお坊ちゃんだろ? 俺みたいな庶民と話すことなんてないぞ」

 秋葉の方を向く。目を伏せている。
 ……まぁ、『某金持ち校』の制服を着ているだけ、お坊ちゃんには見えなくもない。

「だから俺が行ってくる。…………ってヤツどんな物食べんだ? 云十万もするもん俺は出せんぞ」
「……そっちこそバカ。あんな所彷徨いてるんだから、コンビニで適当にパンと飲物でも買ってきなさい」

 了解! と言って、有彦はダッシュで向かった。

「……今の人と相当仲良いんだな……」

 ……あれ?
 さっきまで困っていた姿はどこにもなく、いつもの秋葉に戻っている。

「え、えぇ。アイツは昔から気が合うんで…………って秋葉、何でこんな所いるの?」
「それより、俺の質問に答えてくれよ。今の人、姉さんの何?」

 秋葉の声は、どこかつっかかるようだった。
 ……何って言われても、有彦とは小学校の頃からの腐れ縁なだけなんだけど……。

「ただのクラスメイトだけど、それ以外何に見えるの? 秋葉」
「―――へぇ、ただのクラスメイトに名前で呼ばれてるんか、姉さんは」

 ムッ、とした不機嫌そうな視線を送る秋葉。

「……あのね、私がどう呼ばれようと別に問題ないでしょ。何でそんな所ツッコむのよ」
「自覚ないんだな。姉さん、同性の友人同士ならともかく、男に名前で気安く呼ばれるなんて普通じゃないだろ」

 ……そうかなぁ?
 最初から『志貴』って呼ばれてるし、場合によっては『遠野』って呼ぶし、ふざけてちゃん付けとか色々呼んでくるけど……
 私も『有彦』って呼んでるんだから変な所はないと思うけど?

「もしかして、姉さんとあの人が、そういう関係なのか?」
「……? そういう関係ってどうゆう関係?」

 ワケが判らない事を真剣な目で答えると、秋葉は視線を逸らした。

「…………嫌味として言ったんだけど」
「え?」

 はぁ、と力なく肩をおとす秋葉。

「あのね、秋葉。……あの人は小学生の頃からずっと助けられてるの。外見で誤解されるかもしれないけど、中身はそれほど腐ってないわ」
「……それはフォローしてる?」

 ―――勿論。それほど冷たくは言ってないつもりだけど?

「だから、……何が気にくわないか知らないけど、有彦の事を悪く言うのはやめて」
「……」

 かなり不満らしく、秋葉はよけい拗ねた態度をとった。

「秋葉。人の話ちゃんと聞いてる?」
「聞いてるってば! あぁわかったよ、姉さんがそんなに言うんだからそんなにあの人が大切なんだな!!」

 ……逆ギレした。秋葉はぷいっと私に背を向けた。

「お待たせー……って、来なかった方がよかったか?」

 背をむけて怒っている秋葉の姿を見て、荒まず声を小さくする有彦。

「…………そんな事ないですよ、先輩」

 ……そんな有彦の声もちゃんと聞いて、秋葉はふかぶかと頭を下げた。

「姉さんの友達だそうですね。弟の遠野秋葉と言います。どうぞ、これからも宜しく」
「いやいや、こちらこそ宜しく。俺は乾有彦。志貴とは小学校の頃からの腐れ縁でさ、……それにしたって若いのに大したもんだね」

 大人びた印象をを持っている秋葉に押されたのか、歓心している。

「いいから有彦、それ頂戴。もう日が暮れるの早いんだから、グズグズしてると真っ暗になるわ」

 まだ4時だから暗くはならないけど、……もう冬。一時間もすればすぐ真っ暗だ。……それに、夜になったらこの公園にはいられないし。
 そんな事を思いながら有彦に買ってきてもらったカレーパンとコーヒー牛乳を渡す。

「ほら、秋葉もさっさと食べちゃって。あんな所いたって事はお腹空いてたんでしょ?」

 が、私の言葉がいけなかったのか、秋葉はさっきよりも睨んでいるような気がした。
 ―――いや、違う。私を睨んでいるんじゃなくて…………

「……どうしたの、秋葉? ……折角奢ってもらったんだから食べないと」
「……あとでお前に請求すっからな」
「お小遣いも貰ってないんだからやらないわよ」
「どうして俺にはそんなに冷たいんだよ!」

 弟贔屓じゃー、とブーイングをとばされる。
 それを無視して、自分の分(らしい)苺ミルクにストローを差し込んだ。しばらく非難囂々な有彦も、自分用のパンを口に押し込む。

「……………………なぁ、姉さん」

 おずおずと声をかけてくる秋葉。見ればカレーパンの封もまだ開けていなかった。

「どうしたの秋葉。もしかして食欲ないの……?」

 じゃあなんでコンビニ……。その前にどうして隣の県の学校通っている秋葉が、こんな所に徒歩で?

「そうじゃなくて、……あの、な…………」

 私の目を見ず、どこか恥ずかしそうにカレーパンの袋を持っている。

「―――食べ方教えてくれないか」

 ……。

「食べ方って、口から入れる以外にどうするんだ?」

 牛乳なら目から飲めるけどなー、と続ける有彦。あれはただ体内に『挿れてる』だけで、飲んではいないと思うけど……。

「……あそこに水道があるから」

 と、公園のお手洗いの水道を指さす。鞄からハンカチを取り出した。

「ほら、貸して。手洗って来ていいよ」

 そう言って秋葉のカレーパンを奪い、封を切ってあげる。

「言っておくけど、味の方は期待しないでね。コーヒー牛乳ならともかく、コンビニのものなんて琥珀さんの料理に比べれば天と地の差だもん」
「……それ、本当……?」
「それとも何。ちゃんと火が通ってフォークとナイフが無きゃ食べられない? ……外に出てそんな我儘は言わないでね」

 上目遣いに秋葉を見る。
 呆然としている。屋敷で威張っている(ように見える)姿は何処に行ってしまったか。
 ……秋葉はすぐ手を洗い終え、帰って来た所にハンカチを渡す。思えば、私は手洗いなんて気にせずパン食べてたな……秋葉の方が清潔だ。
 そう思いながら私もパンを口にした。秋葉も改めてベンチに座ると、開けてやったカレーパンにかぶりついた。……まさかカレーパンごときに緊張する高校生がいるとは。少しはコンビニ前に座る野郎達にこの品位さを分け与える事が出来ないだろうか。

 ―――それから。
 しばらくすると溶け込んだように秋葉は有彦と親しげに話した。

「……あぁ、先輩は姉さんと随分仲がいいんですね」
「仲がいいっていうか、俺がコイツに苛められてるようなもんだけどな」
「……それは間違いよ。私は腐りきった精神を修正してあげてるだけだし」

 感謝しなさい、と言って苺ミルクを啜る。……秋葉は、まだ不満げに私と有彦の会話を見ていた。

「あのさ、秋葉ちゃん。一つ聞いていい?」

 ―――ピクリ。
 秋葉『ちゃん』と呼ばれて、青筋を立てる。

「…………なんでしょうか」

 顔に怒りが出ないよう力を込めて(そういう風に見えた)有彦の方を向く秋葉。

「前から気になってたんだけどよ、志貴って慢性的な貧血だろ? これって昔からなのかなーって」

 ……有彦の凄い所は、こういう普通なら聞いてこない所をストレートに聞くことだ。

「……あぁ。その事なら遠野家の人間は殆ど病気持ちだから、姉さんが異常ってわけじゃないと思います」
「え……? そうなの、秋葉!?」

 ……聞いた本人より、当の本人の方が驚いた。
 それでも、『遠野家の人間は殆ど病気持ち』というのは知らなかった……。

「俺もその一人……なんだけど、姉さんより酷くないだけ。……親父だって生前は酷い病気持ちだっただろう?」
「……そうだっけ?」

 しかし、しっかり思い返してみれば……そんな風だった遠野槙久が思い浮かぶ。
 そういえば彼は極端に性格が変わる人で、優しさと強暴さがすぐ入れ替わる人だった。
 ―――多重人格。それもまた、酷い病気の一種だろう。
 ―――心の病。私だって親を嫌いたくない。でも厳しい所がどうしても好きになれなかっただけだ。そうか、それは病気が原因だったんだ……。

 そんな話をしていると、向こうから見覚えのある影が渡った。

「お、先輩……」
「や、二人とも」

 帰宅途中らしい、シエル先輩が見える。
 優しい笑みを浮かべながら近寄って来た。……朝の出来事なんか、無かったように。

「……シエル先輩。どうしたんですか?」
「いやぁ、志貴ちゃんと乾くんが見えたから折角だしこれから遊びに行かないか―――って」

 言葉を、途中で止める。何事かと思ったが、……先輩は、私の隣に座る秋葉を見ただけだった。
 ……ブレザーの少し小柄な男の子。しばらくそれを眺めて、……のんびりした声で聞いてきた。

「……もしかして、志貴ちゃんの弟さん?」
「はい、そうです」

 ……シエル先輩と秋葉の目がぶつかる。

「……」

 だけど、秋葉は何も言わない。
 ……つい、ふぅ、とこっちがため息が出る。
 知らなかった。秋葉って、人見知りするタイプなんだ。

「……コレが私の弟の、秋葉って言います。ほらっ、挨拶ぐらいしてよっ……」
「…………」

 ……だけど、秋葉はまだ何も言わない。しばらく先輩を睨んで、ぺこりと頭を下げる。有彦の時より、機嫌が悪そうだった。

「そうか、志貴ちゃんの弟かー。僕は志貴ちゃんの友達のシエル。宜しく」

 ……。
 …………。
 …………沈黙。
 しかもいつの間にやら先輩まで秋葉と睨めっこに付き合っている……。
 いや、面白半分に付き合ってるんじゃない。先輩も、秋葉を睨んで…………?

「あの、先輩……?」
「随分大人しい子だね。まだ中学生?」
「高一です」

 ……こう、反抗する時だけ秋葉は即答する。

「ところで先輩。今日は……」
「あぁ、分かってるよ。今日はキャンセルだね。弟さんをお家にまで連れていってあげないと―――僕、今日は大人しく公園にいるよ」

 そう言って、笑う。その笑みには、どこか裏があるような。
 ―――つまり、またアルクェイドと……?

「それ、やめてください……」
「そうッスよ。俺は暇ッスからカラオケにでも行きマスかー?」

 事情を知らない有彦はそう言ってベンチから立ち上がった。

「あぁ、いいよ。やっぱり夜の公園になんかいるもんじゃないしね」

 ……つい、周りを見渡してしまう。私の見える範囲には、白い影は見えなかった……。

「んじゃ、これから弓塚も呼びますよ」
「よろしく。じゃあ志貴ちゃん、また明日……」

 そういう事で、先輩と有彦と公園入り口で別れた。
 ……しかし、分からない。
 …………何で仲良いんだろう、あの二人…………。

「帰ろうか姉さん。もう日も暮れる」

 そして、何も無かったようにクールに秋葉は言った。

 秋葉と、屋敷に帰る。
 ハッキリ言って、複雑だ。秋葉はスタスタとトロイ私を置いて先を行く。……どうしてか、話が浮かばない。毎日家で顔を合わせているのに、何を話していいか分からない。
 ひどく、緊張する。何か話そうと何度も思っていたのに、あっという間に屋敷に着いてしまった。
 秋葉は屋敷の大きな門を開け、中へ、……入る前に、振り向いた。

「……姉さん。あのシエルとかいう先輩とどれくらい仲が良いんだ?」

 怖い顔つきで、そんな失礼な質問をしてくる。有彦だけにあきたらず、先輩にまで……。

「……あのね、秋葉。私の知り合いを悪く思わ……」
「質問に答えろ」

 ……こういう時だけ当主権限を使う。いくら全当主が死んだからって、こんな子供に遠野家継がせた親戚が気が知れない。

「先輩と後輩の間柄よ。とっても頼りになるし、いつも話しているけど」

 そうか、と秋葉は目を伏せて、玄関に向かっていく。今日は玄関前に翡翠もいなかった。庭を見ても、琥珀さんがいない。

「……あ」
「どうした、姉さん?」
「あ、秋葉。ちょっとした事だけど、……前、琥珀さんが『離れに猫がいる』って言ったよね?」

 ……ピクリ。
 って、いちいち青筋立てないでよ。こっちだって秋葉が動物嫌いだって言うから伏せて話してるのに……。

「それで、離れに行ってみたいんだけど、いいかな……?」
「……離れ……」

 呟いて、難しそうな顔をした。眉に皺を寄せる。だが、予想通りの答えが返ってきた。

「ダメだ。あそこは壊れたからもう何年も前に封鎖した所なんだ。猫如きに姉さんに何か怪我でもあったら困る」

 そう、きっぱり言った。

「猫如き……ね……」

 何だか冷たい言い方だけど、離れに近づくのは秋葉の言うとおり危ないらしい。
 もし、レンと一緒に寝ているなんて知れたらどうなるだろう。でも……何だか、こういうのって……。

「過保護すぎ…………」
「なんだって?」

 小さな声で言った筈なんだけど、秋葉は低い声で聞き返してきた。恐ろしく地獄耳。

「それにしたって何でもかんでも文句を付けてくるじゃない……」
「それだけ無茶してるじゃないか。……昨日だって夜になってコッソリ帰ってきた」

 ……窓から入ったのバレた……?

「姉さんが心配だからだよ」



 /3

 部屋に戻ってすぐ居間に向かう。夕食まではまだ一時間はあるし、部屋にいても何もないからゆっくりしてようと―――階段を下りると琥珀さんがいた。

「あ、ども!」

 頭を下げる。相変わらずいつ会っても元気な人だ。

「おかえりなさいませ! 帰ってたんスか」
「えぇ、今日は秋葉と一緒に」
「へぇ、それは羨ましい!!」

 ……その秋葉は、帰ってきてから部屋に行って来ないらしい。といっても夕食も何かする人間にはすぐ経つ時間だ。居間にいなくても全然おかしくない。
 おかしくない、と言えば……何故秋葉は一人であんな所に?

「―――あの、琥珀さ……」
「兄さん。離れの屋敷の事―――」
「あ、翡翠」

 奥の方から翡翠が出てきた。声をかけられ、翡翠がこちらを向く。

「―――志貴お嬢様」
「ただいま」

 そう言うと、翡翠はいつものように深々とお辞儀をした。

「―――お迎えが出来ず、申し訳ございません」
「いいよ、そんな事気にしなくって。こっちからも挨拶できなくてごめんね」

 ……翡翠は、微笑む。
 少しでも反応してくれて、嬉しい。この屋敷にやってきて何日か経ったけど、やっと翡翠の無愛想にも慣れてきた……。そんなほのぼのした空気を琥珀さんの明るい声が飛ばす。

「何か飲みます? 夕食までちょっと時間ありますからっ!」
「あ、いえ。お構いなく……。そういえば翡翠。さっき離れが何だって言ってたよね?」
「―――はい。言いましたが」

 何か? と目で言ってくる。

「別にどうって事じゃないけど…………秋葉に入るなって言われたけど、そんなに危ない所?」
「いえー、そういうワケじゃないッスよ」

 琥珀さんが間に入ってくる。
 確か帰り道、秋葉は離れが『壊れた』と言っていた。壊れて近づけないぐらいなら、取り壊せばいいのに……。

「今は俺と翡翠しかいないけど、昔は沢山使用人がいて、それ用の屋敷みたいだったンスよ。今は使う理由がないでしょ?」
「兄さん……!」

 翡翠が、怖い声で琥珀さんを止める。

「ぁ……!?」

 引き留められて、琥珀さんはキョロキョロと周りを見渡した。
 ……幸い、秋葉はどこにも見えなかった。琥珀さんはホッと息をする。

「―――お嬢様」
「お嬢様!!!」
「……え、はぃ?」

 翡翠と琥珀さんが、二人揃って私を呼ぶ。どっちに向けばいいか分からない。

「―――今の事は秋葉様には」
「絶ぇっっ対にナイショですよ!!!」

 ……おぉ、見事ハモってる。流石(?)双子……。

「わ、わかってますよ……」

 そんな無理に嵐を引き起こす原因なんてしません……。
 ほぅ、と胸を撫で下ろす琥珀さん。よっぽど離れの話は秋葉に禁じられていたんだろう。

 ―――でもなんでだろう。
 何で、そんなに秋葉は嫌っているんだろう。
 猫が沢山いるから?
 壊れて危ないから?

「あの、琥珀さん。離れっていつから使われなくなったんですか?」
「あ、あー…………その、翡翠?」
「―――」

 翡翠は無言で首を振った。どうやらそれさえも秘密らしい。

「なんで? どうしてそんなに黙っなきゃいけないの?」

 そんな事されたら、……いかにも怪しいって疑っちゃうじゃない。
 しかし、二人とももうその話はしなかった。

「あやしい……」

 秋葉の言いぶりや、翡翠と琥珀さんさえもダメとされている屋敷。秋葉は離れには行くな、と言った。そう言われると……行きたくなるに決まっている。

 ―――見つからなければOK。
 心の中で秋葉や翡翠、琥珀さんに謝って、忍び足で出口に向かうことにした。



 /4

 もう、辺りは暗い。庭は、林というより森に近かった。いまいち離れが何処にあるか分からないけど、勘で歩いていく。
 ……するすると身体は木々を抜けていく。少しも迷わず離れに辿り着いたのには、驚いた。

「……」

 使われなくなった屋敷は、何年も入っていないのか所々がボロボロになっている。玄関に手をかけると、……鍵がかかってなかった。
 ラッキーと言うべきか、……背筋が寒い。
 ―――怖い。
 暗い森の中にある屋敷……怪談話によくあるパターンだ。

 離れに入ってみる。
 やっぱり廊下が傷んでいた……。それでも掃除されているからか、あんまり汚いとは言えない。でも中は、畳の落ち着く匂いがして、どこか安心した。畳のある部屋へ、足を入れる。

「―――あぁ」

 そこは、懐かしい。
 子供の頃、和室が珍しくて遊びにきたんだろう。
 それでも、…………何か、変、だ。
 何だか、ずっとここで暮らしていた気がする。

「有間が和室だったから……」

 いや、―――違う。

 そういえば、
 昔、
 庭で遊んでいたのは、
 秋葉と、
 琥珀さんと、
 ―――と。

 ―――どくんっ

「!」

 頭が痛い。
 首筋が痛い。
 貧血の前触れか、身体が重い……。
 まずい、早く屋敷に戻らないと…………。
 頭を軽くふって、その部屋を出ようとしたとき、

「お嬢さん?」

 いきなり、声がした。

「―――っ!」

 まずい、見つかった!?
 でも畳しかないこの部屋、どこにも隠れる所なんか…………っだが、現れたその影は叱ってこなかった。

「志貴お嬢さん、ダメって言われなかったンスか!? こんなトコ秋葉様に見つかったら……!」

 この明るい声は……

「琥珀、さん?」
「そうッス。……まぁ仕方ないよなー。あんな事言ったら気になりますもんね。でもマジでココ、古くって危ないんスよ?」

 ……元々古いから危ない……か。
 この部屋に、多くの使用人が住んでいたんだ……。そういえば少し生活感のニオイが……しない。それほど使われなかったのだろうか。

「どれくら使用人さんていたんですか?」
「んー、お世話する人が結構いましたからねー」

 お世話する人。それは私とか、秋葉とか、お父さんとかの事だろう……。それだって3人しかいない。お母さんは昔、病死したって聞いているし……。

「あぁ、知らないんスね。つい最近まであの屋敷には久我峰様と刀崎様と軋間様がいたんスけど……」
「あ、翡翠がそんな事言ってましたね……」

 秋葉の我が儘で、琥珀さんと翡翠以外全員追っ払ったという、遠野家の親戚達……。
 でも一流企業の分家なんだから、この屋敷に住んでなくってもきっといい生活しているだろう。

「……そういえば、琥珀さんてお父さんの事知ってる……?」
「はい。俺も翡翠も十年くらいこの屋敷に勤めてますから」
「じゃあ話があるんだけど、……屋敷にいきません?」
「それは無理ッスね。……秋葉様がいますし」

 ……?

「秋葉様は槙久様の事を話すのを嫌いますから、ここが一番安全だと思いますよー」

 あははー、と脳天気に笑って、琥珀さんは胡座をかいた。私も、大人しく畳みの部屋に座る。まだ制服だったから胡座は流石にかけないけど……。

「でも琥珀さん。もう此処暗いですよ……?」
「あ、それなら大丈夫ですよ! 一応まだ人が住めるようになってますから、電気もつくし布団だってありますよ。……あー、お嬢さんと二人っきりッスねー、嬉しー!!」

 楽しそうに笑う。
 ……やっぱりこの人から離れたほうがいいんじゃ。屋敷に二人きりというのも結構ドキドキするし……。

「……じゃあ何で? さっき壊れてて危ないから近寄るなって言ってたけど、布団もあるって事は全然危なく……」
「秋葉様の機嫌にとっちゃ危ないッスね。ここは昔、御館様が養子にとった子供の部屋だから……」
「……え?」

 養……子?
 槙久……お父さんが、昔養子を……?

「それって……?」
「ぁれ、お嬢さん覚えてないんスか? 十年くらい前に槙久様が事故で親を亡くした子供を引き取ったんスよ。その子も可哀想に、二年後事故で亡くなったとか……」

 ……そういえば、その時随分使用人さん達が騒いだ気がする。

 遠野家は短命が多い。
 寿命で死ぬこともまずない。事故死や、病死。
 ……または自殺。変死。
 幼い頃から病を抱え、成人になると狂い出す……
 使用人達はそれを『呪われてる』と騒いでいた。
 今日も秋葉が言ってた。病気持ちな一族であるから……

 ―――苦しい。何か、喉につまる、ような……・・。

「琥珀、さん……」

 十年後引き取られて、二年後事故で亡くなった養子……。
 つまり八年前。
 ―――八年前。私は事故に遭っていた…………。

 事故。
 どんな事故だろう。
 私が巻き込まれた事故と、
 その子供が殺された事故。

 ―――よく、思い出せない。

「お嬢さん?」

 声のトーンを落として琥珀さんは言った。

「……っ」

 頭を抱える。
 さっきからキリキリと、痛い。

「大丈夫ッスか?」
「……ダメみたい……」

 素直にそう言うと、琥珀さんは私を畳に寝かしつけた。

「ちょっと待ってて下さい。……薬、持ってきますから……!」
「いえ! ………………いいです」

 行ってしまいそうな琥珀さんの手を引く。
 伸ばした手は死にそうにヨレヨレだった。
 しかし、こんな貧血寝てしまえば治る……。
 ―――それより。

「もう少し、……遠野家の事、教えてくれませんか…………?」

 出した声もまた死にそうだった。





静夢/2に続く
02.9.25