■ 14章 if 空の弓/2



 /1

 気付いたらもう暗くなり始めていた。
 折角の休日だというのに、変梃なパートナーに付き合わされて、……それでも楽しもうというのに、何故か話は暗くなってしまった。
 だから今日はこの辺でヤメようと話した。誘った本人もそれに同意して、結局いつもの交差点で途方に暮れる。

「……」

 屋敷に着く頃には真っ暗になってしまうだろうか。だったら大変だ……つい先日変質者(?)に襲われてるんだから早く帰った方が……。

「…………」

 ―――振り向く。その世界には、誰もいなかった。アルクェイドも、もういない。一人ぐらい夕暮れ(すぎ)を歩いていてもいいのに、と思うけど、だーれもいない。やっぱり『現代の吸血鬼』と呼ばれている殺人事件の影響だろう。
 ……それは、きっと吸血鬼の仕業に違いない。
 だから、早く足を進めよう。

 なのに。
 そう思っているのに、足が一向に屋敷の方に向かわないのは何故だろう。

「……アルクェイド」

 彼が、気になる。
 別れ際に言っていた。これから公園に行ってから夜の偵察に向かうと。最近は死徒の数も少なくなってきているけど、やっぱり家にいるのが一番だぞ、と。
 いいコだから早めに帰れ、と。
 その忠告を素直に受け、ここまで歩いてきたというのに。

「………………」

 ずっと立ち止まっているのにはワケがあった……。
 ―――厭な予感。
 別れた時の、アルクェイドの表情。曇りがちだった。嫌な話題をしてしまったのだから、機嫌が悪いのはよく分かった。でも、何かが気にかかる……。

「……決めた」

 ―――私、今日は悪いコのままでいます。
 連日外で遊んでいる女が何を今更、と一人ツッコミしながらも公園に向かった。



 /2

 公園。もう夜だというのに、外灯が一つも灯っていない暗い公園。

「おかしいな……」

 この時間になれば、この公園だって少しは明るい筈なのに。……これが厭な予感だろうか。それともアルクェイドが何か……?

「―――ッ?」

 公園に入った瞬間の、違和感。六感とか霊感とか全然ないけど、何かが違う空気。
 それと、騒音。
 そして破壊音。

「―――!」

 この目に見えるのは、白い服装に、金色の髪。闇の中でも月明かりだけでハッキリと見て取れるその姿―――。
 そしてもう一つ。
 二つの影が、空に踊っていた―――。

「あ―――」

 否、それは、目には光が走っているくらいにしか見えない、凄まじい戦いだった。

「アルク…………!」

 向こうで二つの影が争っている。
 戦っている二つの影が見える。
 一つは、真っ黒い服を着ていてよく見えない。
 それと戦う白い光。
 アルクェイドが、あの神父服の男性に襲われている……!?

「―――!」

 見れば、黒い人影は剣のようなものを持っていた。
 持っていたと思ったら次の瞬間には手になかった。
 アルクェイドの胸に無数の剣の嵐が襲いかかる。

「っ―――!!!」

 だが『危ない』と叫ぶ暇もない。アルクェイドは高く飛び上がり、その嵐を避け、瞬時に剣を持った男性の胸へと蹴り上げた。
 蹴っただけとは思えない程の大きな音を立て、
 途端、
 男性は大きく弾き飛ばされた。

「! ……」

 ―――メキ。

 遠くから戦いを見ている私の耳にも届いた音。
 落下。
 公園の煉瓦道の上へ落ちる。
 続く、酷く、鈍い音。
 ゴロゴロと勢いに任せ転がる。
 そして、私の足下で、止まった。
 暗くてよくわからないが、男性は私の目の前で転がるのをやめ、素早く体勢を立て直した。

「クッ……!」

 という切迫した男声が耳に入る。

「あ……」

 あまりに、素早い動き。
 感嘆の声をあげてしまう。

「―――っ!?」

 男性は声を出さず叫んだ。今更、私が見ているということに気付いたようだった。そのまま剣を構え、私の目の前に踏み込んできた。

「―――エ?」

 それもまた一瞬で、早すぎた。
 刃の先が、喉に飛び込んでくる。
 避けろだなんて脳も動かない。
 そんな動きにも追いつけないくらい、早い。
 このまま喉に、突き刺さる―――!

 だが、いつまでたっても喉に痛みなど来なかった。



「……志貴、ちゃん…………?」
「せ、んぱ…………い」



 声が、ハモった。
 お互い、信じられない……という風な声が混ざって、呆然と先輩と見つめ合う。
 今、目の前の人物を確かめられる方法は、声だけ。
 この声にあの人だと確信がある。

 あの夜。
 包帯の男に襲われて、助けてくれた男性。
 その人と同じ格好の今の男性。

 そして、
 学校で毎日会う仲の良い男性。
 ―――重なった。



「……志貴! ソイツから離れろ!!!」

 遠くからアルクェイドの声が聞こえ、意識が現実に戻った。

「あっ…………!」
「―――」

 黒い影は黙っている。
 剣を私の喉に向けたまま、それから時が止まってしまったように。
 いや、止まってなんかいない。アルクェイドが駆け寄って来ている―――。

「―――っ」

 男性は、別人のように私を睨んで、タッと空へ飛んだ。

「せっ……!」

 それもまた一瞬。
 全てが何秒かの間のデキゴト。
 ……もう、先輩は、いない。

「……」

 全てが光速で動いているようで、何が何だか分からなかった。
 ただ分かったのは、黒い服の男性と、先輩は…………?

「志貴―――!」

 私の名を呼ぶ声が聞こえる。
 それでも目では黒い人影を追っていた。
 あの、黒い……私を助けてくれた影。
 でも、次の日……シエル先輩は別人だって言ってくれた筈なのに―――!

「志貴!!」

 気が付けばアルクェイドが目の前にいた。目の前に白い巨人がいたことにさえ私は気付かなかったらしい。アルクェイドは息を切らせて、私の表情を覗いていた……。

「アルク、ェイド―――」
「大丈夫か! ヤツに何もされなかったか!?」

 今のアルクェイドの目つきは、あの男性と同じだった。鋭い目つきで睨んでくる。……それでも、アルクェイドは私の事を心配してくれているんだ。

「うん。……何、も……」

 されていない、と言おうとしたが、……それは嘘になってしまうと思った。
 あの男性は、私に剣を向けた。
 喉を刺そうとした。
 イコール、殺そうとしたということだ。

「……っ」

 喉に手を当てる。幸い、痛みもなく斬られてはいないようだ。だが、何かバッサリと斬られた気がしてならない。
 …………先輩、に、何か、を。

「でも、どうゆう事……? どうして私が、シエル先輩に襲われなきゃならないの……」

 本当にどうして、―――先輩に睨まれなきゃいけないのだろう。

「そりゃ当たり前だろ。俺達が殺し合ってるトコ見られたんだから。あいつらは機密厳守だから、志貴みたいな一般人が見られるのを嫌うんだ」

 アルクェイドは、とんでもないことをキッパリ言った。
 アルクェイドの目を見る。……冗談を言っているようには見えなかった。

「―――殺し、あったって……なんで? どうしてアルクェイドが先輩と殺し合わなきゃならないの?」

 呆然として、そんな事しか口に出来ない。

「理由か……? 俺と教会に人間のイザコザからだけど……」
「それ! 何、教会って!?」

 しばらく、アルクェイドは黙る。ブツブツ独り言を言ってから『ま、いっか』と言うように話し出した。

「そんなに聞きたいなら教えてやる。が、あんまり志貴とは関係ねぇぞ……?」
「わかってるわよ。……でも私は知りたいの」

 むっ、と何故だか不機嫌そうにアルクェイドは顔をしかめた。

 ―――喉が、痛む。
 シエル先輩が、剣を向けた。それが悲しくて、他の事なんか考えられない―――。

「今日、昼間に話した事は覚えているか? 吸血鬼を倒す連中の事を」
「うん。エクソシスト……だっけ?」
「正式には違うけど、まぁそんなもん。奴はその一人だ」

 ……え?
 あまりに簡単な答えで、つい阿呆面になってしまった。

「まだ疑う気かぁ? 超分かりやすく言ったつもりなんだけど……」

 分かりやすいに越した事はないけど……。

「…………アルクェイドと先輩が仲良く私を騙そうとしている?」

 仲良くぅ!?
 とアルクェイドはオーバーに驚いた。

「やめろよっ、あんな奴と何か仲良くだなんて虫酸が走る……!」
「だ、だって……そう、さっきのワイヤーアクションとか!? だって普通の人間はあんなに飛んだりしないもの!!」
「考えてみろよ。公園にんなモン貼れるか? それにフツー、あんな動きをする……あんなに血を流して生きて飛んで行く野郎なんかいるか?」
「…………血?」

 指さした場所に視線を置く。
 壊れかけた瓦礫道。
 そこに水をかけられたように飛び散る―――血のようなもの。

「……なに、あれ」
「まだ残ってるんだな。……まぁ、あともうちょっとしたら消えるだろ」

 血が……消える?

「それって血じゃないんじゃ……」
「吸血鬼の死骸なんて無いだろ? それと同じようなもんさ」

 ―――吸血鬼は死ぬと灰になる。アレは、それと同じだというのだろうか。

 言葉が無い。
 冗談だと言ってほしくて私はメチャクチャな事を言ったけど、アルクェイドの言っていることは、……正しいのかもしれない。
 じゃあ、……先輩が、……吸血鬼を倒しに来たエクソシスト?
 そんな話、いくらなんでも信じられない。だって、先輩はとても優しい人―――。

「―――そんなの嘘よ。アルクェイド、だって先輩は私の学校の先輩なのよ? それがどうして教会なんていう所の人間なのよ……!」
「は……? さっきから志貴、アイツがお前の知り合いなのか?」

 それこそ信じられねぇ、と詰め寄ってくるアルクェイド。

「あたりまえじゃない! 知り合いも何も先輩は私の学校の3年生で、私は1年の頃から―――!」



 ―――1年の頃から?



「あ、―――れ」

 なんだか、変だ。
 今更になって気付いた。……言われてみれば、先輩は何処の先輩なんだろう。
 私は、彼が何組なのかも知らないし、……ぶつかった前の記憶なんて、無い……。

『もしかして、僕のこと覚えてない?』

 職員室へ走って、ぶつかって、そう言われて……。
 あんな事言うから、ずっと前から出逢っていたとばかり―――。

「う……そ」

『覚えててくれたんだね。志貴ちゃん』

 ……でも、ちゃんと先輩の名前……知ってた。会ったこともない、留学生がいたなんてことさえ知らなかったのに……。
 それと、何故先輩は、私が『遠野志貴』だと知っていたのだろう―――。

「―――アルクェイド……あの人は一体…………」
「だから埋葬機関の一員だって言ってるだろ。八年前に入った新参者らしいけど、才能は随一なんだってな。……そうか、なら一般人に暗示をかけるのは容易い事だな」
「暗示……? それって、催眠術みたいなもの……?」
「ああ。いかにも前から知ってるように操っていたって事だよ」

 ……思ったより簡単な理由でよかった。
 私は、先輩に『前々から出逢ってた』と思わせられてただけなんだ。
 そうか。初めはとても違和感があったのに、会うたびにそんな疑問は消えていた。それはきっと暗示にのめり込んでいったからなんだろう。
 ―――意外と私の思考は冷静に働いてくれた。
 暗示、という分かりやすいもののおかげかもしれない。

「……でも、暗示って凄いものよね……」
「そうでもないぞ? って俺は魔眼があるから使ったことないけどよー」

 そんな事を話していると、パァッと世界が明るくなった。

「あ、外灯がついたな」

 さっきまで消えていた灯っていく。

「アイツの結界が解けたんだろうな。誰も公園に入ってくるなっていう暗示だったんだろうけど、志貴には通用しなかったわけだ」
「……ということは、さっきの停電はシエル先輩の……?」
「そうだ。さっきの闘いもあっちが最初に手を出してきたんだからなー」

 ……シエル先輩から、手を……?
 それこそ、信じられない……。

「あー、まだ信じてねぇな! 言っておくけど埋葬機関はな、おとなしい顔してみんな好戦的なんだ。志貴も騙されるなよ」
「な―――」

 好戦的って、先輩に限って……。
 ……いや、私はもう騙されている……。
 私の知っている先輩と、アルクェイドの知っている埋葬機関の男は全然違う人物のようだった。

「でも、先輩は……シエル先輩は……っ」
「―――志貴。君はアイツに騙されていたんだろ? ……少しは悔しいとか思わないのか」

 じろり、とアルクェイドは睨んでくる。
 ……確かに。確かにそれはショックだったけど、けど騙されたなんて感覚はない。
 逆に、……私は彼に助けられてたんだ。

「私は……」

 ……先輩は、正体を知ったって、たとえエクソシストだったんなんて判っても『先輩』だと思っている。
 あの人と昼食を食べたり、話したりするのが、とても楽しい。
 ……だから、出来ることなら。先輩の正体なんか知りたくなかったのに―――。

「私は、先輩の友達よ。先輩だって何か理由があっているんだもの。……悔しいだなんて思わない」

 ……そう言うと、アルクェイドは呆れたような顔をした。
 融通のきかない私に愛想をつかされたって仕方ない事だと自覚している。
 ……でも、出来ることなら―――。

「―――志貴。屋敷まで送ってくぞ」
「な、に……っ?」

 言って、アルクェイドは自分の胸に私を抱いた。
 いきなりの事で戸惑う。

「ちょっと飛ぶから歯ぁくいしばってろ。…………また志貴の言う『包帯の男』に襲われちゃかなわないからな」

 口元がつり上がり笑ったように見えた。
 だがアルクェイドの声は、まだ戦闘の余韻が残っているのか、―――どことなく、恐かった。



 /3

 ―――次の日。
 アルクェイドのおかげで無事、屋敷に帰れた私は何とか夕食の時間までには間に合い、何時も通りの夜を迎える事が出来た。そしてやってくる朝。いつもより早めに屋敷を出る。

 ―――校門。門の端の方に寄りかかり、そこでシエル先輩を待つ。
 まだ生徒の数は少ない。少し早く来すぎたかもしれない。だが、校舎内には入らず、…………ひらすら先輩を待った。
 ―――先輩は、来ないのかもしれない。
 私が、先輩の真の姿を見てしまったのだから。……あんな姿を見られたのだから。

「……」

 変わらない学校。それと同じに、先輩も何も変わらない日常が送れる。
 あれから何度もその事を考えた。
 ―――先輩は先輩。
 私が文句を言っても何も変わらないだろうけど。
 ……でもちゃんと知っておきたかった。先輩が、吸血鬼を倒す……アルクェイドの敵にも為りうる存在かどうかを。

「……アルクェイドは迷惑がるだろうけど」

 自分は我が儘だな、とつくづく思う。
 自己満足で動いているのは他人に嫌がられるのに違いないけど―――真実は、先輩の口から知りたかった。

 ブツブツ言っていると、と誰かが後ろから肩にポンッと手を置いた。

「きゃぁっ……!?」

 つい身体を強張らせる。

「あ、ゴメン! 驚かせるつもりはなかったんだ……っ」

 ―――聞き覚えるのある声。その声の主へと振り返る。

「こんな所で何やってるんだぃ、志貴ちゃん」
「せっ、先輩……!?」

 はい、と言ってシエル先輩は頷いた。いつもの、……にっこりとした笑みを浮かべて。

「おはよう。今日は早いんだね」
「あ……、おはようございます。今日は色々あって屋敷から出たくて早く来ちゃって……」

 …………そう、色々。シエル先輩が本当に『先輩』なのか知りたくて、ずっとそればっかり気になっていた。

「あ、あの。先輩! その、昨日っ、先輩は―――!」
「……志貴ちゃん!」

 最後まで言い終わる前に、シエル先輩が大声で私の声を止める。

「…………ここだとちょっと難だから、体育館裏まで行こう」

 笑う。
 それに何か違うものを感じた。
 先輩は笑顔のまま、私の腕を掴んだ。
 ギッ、とまるで骨が折れてしまいそうな程強く。

「せっ、痛……ッ!」

 抵抗したものの、先輩の力は思ったより強く敵わなかった。そのまま強引にずるずる引きずられるように体育館裏まで行く。

 体育館裏は、誰もいなかった。ここを近道としてHRへ向かう生徒も、もういない。一人ぐらいサボリがいてもいいのに、と思うけど、だーれもいない。
 ―――そして予鈴がなった。……もう朝のHRが始まったのだ。周りには先輩以外、誰もいない場所。

「……ここなら誰も来ない」

 私に確認するように言って、先輩はようやく腕を放してくれた。まだ放された腕がヒリヒリする……が、バッと後ろに飛びすさって正面から先輩を見る。先輩は笑みを浮かべながら

「……昨日の夜のことだろ? 言いたい事があったら志貴ちゃんの方から言っていいよ」

 冷静に、いつもの会話の中の出来事のように先輩は言った。昨日の夜のコトなんて、大したコトじゃないように。

「せ……ッ!」

 私にしてみれば、それは大したコトだったんだ。なのに、この態度はカチンとくる。

「それじゃ! 昨日の夜のアレは、本当に先輩なの……!?」
「ああ。志貴ちゃんて僕も言っちゃったから、逃れようもないだろう?」
「っ…………違うって言ったじゃない……!」
「あれ、嘘だよ。もうわかってるだろぅ?」

 きっぱりと。
 先輩は気持ちいいほどサワヤカに断言した。

「……じゃ、じゃあ……アルクェイドと戦っていたのは…………」
「埋葬機関の一員として、仕事中の僕だっただけさ」

 涼しい笑みだった。笑う青い目に、いつまでも騙されてしまいそうだった。

「…………そっか。志貴ちゃんは『彼』の知り合いなんだね」

 『彼』。
 おそらくアルクェイドの事だろう。

「……はい、そうなんですけど……」

 困ったように先輩はため息をついた。

「信じられないな。志貴ちゃん。……君、本当に吸血鬼の事信じてるんかい?」
「な、それを言うなら先輩だって、教会っていう所のエク……!」
「僕のことはどうでもいいからさ。それより志貴ちゃんは自覚がないようだけど、君は吸血鬼……『彼』にどれくらいコトを聞いているの?」

 ……どこまでが『先輩』なんだろう。
 いつも以上に『人を安心させるような笑み』を浮かべている。口調も全然変わらない。いつも、お昼にみんなで学校であったことを話す時の優しい声で、先輩は『吸血鬼』のことを口にしている。
 ―――昨夜の男性と先輩は、……間違いない、同一人物なんだ。そして、私を助けてくれた人も…………。

「どのくらいって……吸血鬼がこの街にはうようよいるから夜に倒して回っているってコト……」
「ボスがどんなヤツとかは?」

 ……名前だけ。
 昨日、やっと名前だけは何とか聞けた。だがどんな特徴でどーゆー吸血鬼なんかは知らない。探しているアルクェイド自身、知らないと言っていた……。

「そうか。じゃあ僕が教えてあげるよ」
「……先輩、知っているんですか?」
「あぁ。僕はこれでも吸血鬼を追っている教会の人間だから」

 あぁ、そうだっけ……と、ついごまかし笑いをしてみる。つられたように(元から笑っていたけど)先輩も笑う。

「……でも先輩。ソレってヒミツなんじゃなかったっけ?」

 確かアルクェイドは『秘密を凄く守る』と言ってた筈……。

「うん。本来なら口にしちゃいけないコトなんだけど、志貴ちゃんだから特別に教えてあげるよ」
「……あの、もし私が他の誰かにその事言ったら……?」
「志貴ちゃんが思った通りになるよ」

 いつもの優しい声で、……恐ろしい返答をした。

「志貴ちゃんは吸血鬼がどんな生き物かは知ってるよね。―――既に倒しているんだし」
「あ、はい」

 ……倒している?
 何だか最後の言い方、気になるなぁ……。

「先輩、もしかして見て…………?」
「あ、志貴ちゃん! もしかしてアイツに弱味でも握られている!?」
「え、……え……ぁ?」
「だからか? 力が弱っていたからって女の子を壁にするなんて何考えてるんだ……っ、まぁ、奴の魔法なら魂を消滅させるだけの武器が創れてもおかしくはないか」
「あの、先輩? 何のことでしょう……?」
「『混沌』と闘った時のナイフの事だよ。……でも、それこそおかしい。そんなコトしたらアイツの方が不利に……」

 ぶつぶつと、独り言を展開していく先輩。
 ……おそらくアルクェイドの事を悩んでいるんだろう。そして独り言がある程度終わると、目つきを変えて私の方に向き直った。

「吸血鬼っていうのはね、傷ついてもある程度治っちゃうんだ。それを出来するんだから、君が使ってたのは魔法のナイフだろ?」
「え、その……」
「それとも遠野家に伝わる武器とか? ……いや、それもおかしいな。遠野に退魔の武器なんて置くわけないだろうし……」

 またまた、ワケの判らない事を言っている。いい加減日本語で喋ってほしい。
 ……とにかく、先輩は思い違いをしている。それは、私の『眼』の事を知らないからだろう。

「―――あの、シエル先輩? 吸血鬼の話はどこにいっちゃったんですか?」

 ピタリ、と独り言が終わる。そのかわり、照れ隠しのような笑みを浮かべた。
 ……やっぱりこの人の性格ってワカラナイ。

「それじゃあ戻るよ。―――彼が追っているのは死徒の一人。死徒の中でも異端扱いされている、特別な吸血鬼。……俗称を『蛇』という者」

 そう。アルクェイドと同じ事を言っている。
 先輩も、吸血鬼を追う一人なんだと確信する。
 ……確かその『敵』の名前は、ミ……なんだっけ? 長すぎて忘れちゃった……。

「簡潔に説明すると、……ソイツは死なない。カラダを滅ぼしてもすぐ違うカラダになって蘇ってしまう。八百年前に死徒になってから、もう十八回も転生を繰り返しているんだ」
「……違う意味で不老不死なんですね」
「そうだね。元々吸血鬼が不老不死なんていう言い方はおかし…………くないか」

 そう言って、先輩は自分の胸に手をあてた。

「?」

 ……きっと、気分を落ち着けているんだろう……。

「そしてその十七回のカラダを……全てアルクェイド・ブリュンスタッドという吸血鬼が滅ぼしている」
「アルクェイドが……?」
「うん。彼にとって蛇は特殊な存在らしくてね…………勿論、僕にとっても特別な吸血鬼だけど」

 先輩は微かに俯いて、…………ギリ、と歯を噛んだようだった。
 ―――理由は判らないけど。シエル先輩は、アルクェイドと同じように『蛇』に何らかの恨みを持っているようだった。

「……殺してもまた蘇る『蛇』……」

 アルクェイドでさえ、完全に消滅させることができない存在―――。
 八百年も人々を苦しめている敵―――。
 ……吸血鬼という言葉が出てきたあたりから現実離れしていると思っていたけど、ここまでくると何かが開き直っている。そういうヒトがいてもおかしくないな、と思いだしたからだろうか。―――通常の生活が懐かしい。

「先輩は、……その『蛇』さんがどんなヒトだか分かりますか?」
「一応、男。だけど転生先によって性別は違う……吸血鬼まで覚醒するまで、本物の人間と同じように生活しているんだ。―――だから、教会が『蛇』の存在に気付いた時には、ソイツの街は死街に―――」

 ……。
 覚醒したら、吸血鬼になる……。
 昨日まで人だったのが、いつの間にか人外になってしまう。
 ……いまいち実感がわかない。

「あらかじめ自分の後継者を作っておいて、赤子が産まれたら自分の全情報を移植する。そして赤子が自己としての知性をもった段階で、『蛇』はその赤子を吸血鬼として覚醒する」
「……胎児の時にでも手術するんですか?」
「そんなのならいくらでも防げるだろうけど。…………魂が乗り移る、と言えば分かるかな。赤子の体内に吸血鬼が無理矢理入り込んでくるんだ。……避けようもない。誰も、気付かない。だから、タチ悪い……」

 先輩は、最後まで言い切るのが必死そうだった。
 此処に居ないその『敵』を睨んでいる。
 ……怖い。吸血鬼も怖いけど、今の先輩も…………。
 だが、私がそんな目で見ていたからだろうか。先輩はすぐ表情を変え、微笑みかけた。

「ごめんね。どれくらい真面目に聞いてた?」

 顔は笑っていても……そう、先輩は真面目な声で聞いてきた。

「……どこまでが冗談かな、って考えちゃいました」

 ギリギリな冗談を言っても、先輩は黙って応えなかった。
 けど私だって本当は、―――何だか笑える気分じゃなかった。先輩と同じように、私も気分が沈んでいる―――。

「本当に『輪廻転生』なんですか? 似たような考えを持つ別人だったりして……」
「間違いないらしいよ。……て言ったって、僕は八百年も生きちゃいないからね」

 冗談ぽく言った―――筈なのに、それっぽく聞こえないのはどうしてだろう。

「……それが、私達の敵なんですか?」
「違うよ。僕と、アルクェイド・ブリュンスタッドの敵だ。……志貴ちゃんが関わる必要はない。だから志貴ちゃん自ら危険に飛び込む必要なんてないんだよ?」
「で、でも! この街にいる以上危険には間違いないでしょう!? 街で起きている連続殺人事件て……おそらく」
「…………その蛇が種をまいたのは間違いじゃない。……弓塚くんみたいなヒトが出てしまったのもヤツのせいだね」

 眉を歪める。その名を聞いて、―――本当に吸血鬼が身近にいたんだと実感した。
 ……先輩は知っていたんだ。弓塚くんが、吸血鬼になった事を……。

「まさか、先輩。弓塚くんも……」
「彼は特殊だね。吸血鬼になってまた人間に戻っている。何をやったか知らないけど―――羨ましい限りだね」

 淋しそうな笑みを浮かべて、校舎を見た。……もしかして、弓塚くん以外にもこの学校の生徒が吸血鬼になっているかもしれないんだ……。きっと、弓塚くんをあんな風にしてしまったのも、その蛇なんだろう―――。

「『蛇』は彼か僕のどちらかが必ず仕留める。だから……」
「でも……ッ! アルクェイドだって街の事を思って闘ってくれてるなら、私だって!」
「―――いや、……彼は街のことなんか考えちゃいない。アイツが『蛇』を追うのは個人的な問題だけなんだ」

 じっ、と先輩は見つめてくる。

 感情のない瞳。
 ……今まで見たことがなかった、先輩の目。
 青く輝くその目は、重く物語る……。

「志貴ちゃん。一つおさらいしとくよ。……吸血鬼というのは二つに分かれている。元からの吸血鬼の真祖で、その真祖に血を吸われて吸血鬼になった死徒。じゃあ『蛇』はどっちだっけ?」

 学校の先生のように、簡単な問題を繰り出してくる。

「さっきから何度も言ってますけど、…………『蛇』さんは、死徒ですよね?」
「じゃあアルクェイド・ブリュンスタッドは?」
「真祖………………?」

 ――――――あ。
 先輩の目が、何を言いたかったのかやっと分かった。まさか、その『蛇』の血を吸った真祖というのは…………。

「アルクェイド・ブリュンスタッド」

 八百年前にただ一度だけ過ちを犯した真祖の王族。

「彼が『蛇』を創り出したんだよ」

 ―――。

「いいかい、志貴ちゃん。アルクェイド・ブリュンスタッドが『蛇』を追っているのは奪われた自分の力を取り戻すためだけなんだ。もしそれを取り戻した時、君が傍にでもいたら―――どうなるかわかるね?」
「……どうなるって、何ですか」

 大体予想はついている。
 けど、―――『蛇』を倒して自分の力を取り戻したって、いつもと同じに決まっている。
 そう、信じている。だって、先輩が思っている事をする……理由がない。

「彼は吸血鬼。そもそも真祖が血さえ吸わなければ吸血鬼が彷徨く事なんてなかった。彼らは―――ただ吸いたいという衝動だけで人をヒトで無くす」

 それぐらいは分かるだろ? とシエル先輩は最後に付けた。
 私はそれを見ている。
 お腹がすいたら食べ物を食べるように、血を吸いたいから人を殺す、吸血鬼の弓塚くんの姿を―――。

「でも、それは……っ」
「生きるためだから仕方ない? あぁ、志貴ちゃんは知らないんだね。死徒は駄目だけど、真祖だけは血を吸わなくても生きていけることを」

 ……そんな事知っている。
 昨日、アルクェイドが話してくれた。
 だからアルクェイドの事は、私の方が知っている筈だ―――。

「奴等は吸わなくても生きていけるのに人を殺す。…………そんな危ないモノと一緒に志貴ちゃんはいるべきじゃないよ」

 ―――先輩の話は、終わった。
 ……なんだか目眩がしてきた。貧血とかそういう問題じゃなく、―――ただ哀しいから来る辛さ。先輩の言っている事が、他人事であってほしいと何度も思った。

「吸血鬼の恐ろしさは大体わかった?」
「ん……はい。なんとなく」
「ならわかったね? もうアイツになんか近づかない方がいいよ」
「―――」

 そんなこと、できない。
 それだけは先輩の言うことだって納得できない。
 シエル先輩は知らないだけなんだ。
 アルクェイドが、本当は優しいってコトを。

「…………駄目です。私は……それを聞いてアルクェイドと絶交するなんて、出来ません……」

 先輩の眼鏡の奥の眼が揺らむ。……怒っているかと思った。

「……志貴ちゃんは、普通の女の子じゃないか。だから、あんなヤツといるなんて危なすぎる―――」
「そう思ってくれてるのはとっても嬉しいです。確かにアルクェイドの周りには危ないヒト達が沢山いるかもしれないけど……」
「だからヤツ本人が危ないんだ! いつ気紛れで人を殺すかもしれない吸血鬼なんだよ!?」

 ―――っ!

 分かっている。
 先輩は本気で私の事を想ってくれている。
 でも、さっきのは

「……そんな言い方……っ、ヒドイです! アルクェイドは怪物なんかじゃないんです! ちゃんと話してもいない相手をそんな風に言わないで下さい!!」

 怪物なんかじゃない。
 アルクェイドは吸血鬼でも、―――決して血を吸わないと言ってた。

「口先だけなら何とでも言えるよ。ただ僕は許せない。自分は強大な力を持っているくせに君を吸血鬼の戦いに巻き込んで傷つけた事を」

 自分で吸わないってハッキリ言っていたし、彼が嘘をついていたなんて想えない。
 ―――そんな風に考えたくもない!
 他の真祖が悪くったって、アルクェイドは……別。

「それは志貴ちゃんを彼は道具としてしか見てないって事だよ―――!」

 怒鳴るようにそう言った。
 分かっている。先輩はが正しいってもうずっと前から分かっている。
 でも、だからこそ、先輩の声が疎ましかった。

「僕は彼の事はよく知らない。けど、彼が君を騙している可能性だって―――」
「先輩だって私を騙してたじゃない―――!」
「……あ」



 ―――あ。

 あ……。
 し、まった。
 なんて、事を。

 ……勢いに任せて、何て、コトを言ってしまったんだろう。

「先輩、さっきのは……」

 言い過ぎました、と言えなかった。

 先輩の顔が崩れだしそうだったから。



「―――そうだな。言われてみればその通りだな!」
「先…………輩?」

 さっきまでの顔はどこにいったのか、先輩は本当に笑顔を浮かべていた。

「ああ、言われてみればそうだな。僕は志貴ちゃんを騙していたんだから、言えた立場じゃなかったなー」

 作り笑いになんか見えなかった。
 きっと作り笑いだろうに。
 でも私には、―――本当の笑顔にしか見えなかった。

「時間を取らせちゃってゴメンね。―――僕はもう行くから」

 そう言って、先輩はくるりと背を向ける。

「ごっ、ごめんなさい……! 私は……っ」
「ムキにならなくていいよ。志貴ちゃんがアイツを好きだって分かったからね」
「っ、好きだなんて想ってません―――!」

 そりゃ、確かに惹かれているけど、そんな形で認められても嬉しくない。
 先輩こそムキになってるんじゃ―――!

「志貴ちゃんは本当に正直だね。そういう所が可愛いんだけど」
「せ、先輩……!」
「でもさ、僕と一緒にいるって彼に知られたらどうなるか分からないよ…………?」



「―――ふ、ん。知られたらどうなるんだろうなぁ」
「「…………!」」

 背後からして来た声に、二人して振り向く。
 そこには、

 ―――凄く不機嫌そうなアルクェイドの姿があった。

 体育館裏の木々の中、白い影はぽつんと一つ立っていた。
 あれを見間違える程、目は悪くない。

「アルクっ―――ここ学校!」

 呼びかけても、アルクェイドの視線は私の方へ来なかった。

「ああ、学校だな。…………なんか志貴が危ないヤツと付き合ってるなと思ったら、俺のこと散々悪口言いやがって」

 腹が立つ、と言ってシエル先輩を睨む。
 すると先輩はまた笑った。不適な笑み。アルクェイドの機嫌を楽しむかのように。

「僕は事実を述べただけだよ、アルクェイド・ブリュンスタッド。ただ彼女に正しい事を言ってあげただけだからね」

 シエル先輩は、……決して聞くことなかった冷たい声でアルクェイドに言い放った。
 微笑を絶やさず、ただ眼だけが冷たい。

「ほぉー、俺のパートナーを横取りする気か?」
「…………うん、それもいいな。君には一度負けているからね」

 先輩とアルクェイド、二人は二人しか見ていない。
 此処が昼間の学校の裏で、……おそらく真ん中に私の存在があることさえ忘れているに違いない。

「二人とも、何睨みあってるの! もうちょっと冷静に……」
「志貴は黙ってろ!」

 ―――。

 アルクェイドに睨み返されちゃった。失敗……。

「志貴ちゃん。悪いけど黙っててくれ」

 先輩はいつものように優しく言ってくれた……ような、凄く乱暴な言い方のような…………。
 怒りを顕わにしているのには変わりはなかった。

「―――おい。志貴はお前の事が気に入ってるみたいだから見逃してやるよ。だからさっさと失せろ」
「ふぅん。驚いたなぁ、僕を見逃すだなんて。そんなに彼女が大切な人なのかい?」

 アルクェイドをあざ笑うように、

「アルクェイド・ブリュンスタッドは殺し以外、何も興味を持たないかと思っていたけど」

 シエル先輩は言葉を続けていった。

「彼女が気に入ったのならさっさと『モノ』にしてしまえばいいのに、どうしてそれをしないんだ、アルクェイド・ブリュンスタッド?」
「―――黙れ! 志貴は俺のパートナーなんだ!!」

 視線を逸らす。
 その目は気まずそうだった。
 さっきまで先輩に見せていた殺意なんて無くしてしまっている。

「―――まさ、か」

 先輩は、唸り、

「そんなに血を欲しているのか!」

 カチャリ、と。
 先輩の方から硬い金属音が聞こえた。

 キン、と先輩の手のひらが音をたてる。
 そこには、……いつの間にか剣が数本あった。

「……ちょ、シエル先輩……!」

 一体、どこからそんなもの……じゃなくて!

「志貴ちゃんは下がっていて。…………ヤツは吸血鬼。犠牲者が出る前に、処理する」
「―――言いたい放題言ってくれるな、シエル。死にたいって言ってるならお望み通り叶えてやるぜッ!」

 アルクェイドの眼に消えてしまった殺意がこもる。
 シエル先輩のには、……ずっと前から殺意が剥き出しだった。
 剣を構え、アルクェイドの視線を受け止めている。
 キィンと、剣の音と同時にやってくる凍り付くような緊張感。
 二人は、殺し合う。

「こんな所で喧嘩していいんだな、シエル?」
「僕は人の血を欲している害敵がいたら処理するだけ。―――これは機密だ。もし他の者共がいた時は、」
「そいつらも処分する、か?」

 聞いたか? と一瞬アルクェイドの目がこちらに動く。
 ―――言った通りだろ。
 奴等はただ殺したいだけだろ。
 死徒よりタチ悪いだろ、と。
 クッ、とアルクェイドの喉が笑った気がした。

「―――不愉快だ」

 その声がゲームの引き金になったように、シエル先輩は駆け出した。
 アルクェイドの元へ―――!

 ………………ふぅ、

 はぁ―――っっっっ

このバカ男共――!!!

 どもー
 どもー
 どもー……。

 空気に押しつぶされないように叫んだ。
 ……二人の、動きが、止まった。

「志貴……?」
「志貴ちゃ……?」

 二人の名前を呼ぶ声がハモる。

ここが一体何処だと思ってるのよッ!
 シエル先輩、勝手に話進めないで下さい!!
 アルクェイド、何で朝っぱらから歩いてるのよマンションで寝てなさい!!!


「んなコト言われたって俺ぁ……」

話は最後まで聞く!!!
 シエル先輩! 人をモノ扱いしないでください! アルクェイドは話し方も酷い奴ですけど根はイイヤツなんです!
 それに何ですかその剣!! ド○えもんじゃないんですからポケットから出さないで下さい!!!


「い、いやポケットからは出してないから……」

アルクェイドぉ!! いいかげん器物損害と不法侵入で訴えるわよ!!

「なんで俺の方が言い方キツイんだよぉ……」

わかったら解散!!!

 ………………。
 …………。

 ……女の子、強し。



 /4

 教室に入ったのは、一時間目が終わったチャイムが鳴ってからだった。

「おはよ、遠野さん」

 入ってきた私に気付いた弓塚くんが、忘れかけた朝の挨拶をしてくれる。
 HR、一つだけ空いていたらしい席に辿り着く。

「遅かったけど、何かあった……?」
「う、うん。ちょっと貧血で保健室にね―――」

 保健室にはここ最近言ってくれないが、顔色を伺ってくる弓塚くんにそう言った。
 …………とっても優しかった。

「よぉ、俺に代わって遅刻魔になっんだなぁっ!」

 ……後ろから、嬉しくない歓迎をしてくる男、一人。
 ……この男が一時間目からいるなんて、数えるくらいしかないのに……。
 今日は本当に運が悪い。まさか、この男に茶化されるだなんて…………。

「…………なんだよ、ツッコんでこないと心配になるだろ」
「〜っ、そういうのでを機嫌を伺わないでよッ!!」

 …………平和だ。
 何か、『ごく普通の女子高生』とは違う気がするけど、平和な空気を味わえた。

 ―――さっきまでの話が、あまりに現実離れしていたから。
 ―――冗談にでもなってほしい現実だったから、だろう。





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02.9.22