■ 11章 if 蒼い咎跡/1
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朝の日がとても明るくて、夢から現実世界へ呼び起こす。
「ん……」
懐かしい雰囲気。懐かしい匂いを感じた。
―――八年前の記憶といえば、秋葉と私以外にも子供がいた。
無意味に広い遠野の庭で、いつも一緒に遊んだ男の子……。とっても明るくて、私が父に怒られてちょっと落ち込んでいた時も、あの子が私の手を引っ張って外へ誘ってくれた。
『シキちゃん、あそぼ』
―――思い出せば、あの時の光景が浮かんでくる。
「……」
今更、あの記憶が蘇ってきた。
―――彼は……私にとって『お兄さん』だったのかもしれない。
彼は、一体何処に行ってしまったのだろう。
「ん、…………シ………………き……」
耳元で聞こえる声。
「? …………だ、れ……」
声のした方へ視線を向け…………
「……………………っっっっっっ!!!!!!」
驚く声を必死にこらえた。
間近に、どうして
私の部屋に、ベットに、ベットの中に一緒に。
―――翡翠がいるのか。
「あ……う……」
ただ翡翠の顔を見るだけ。それ以外思い付かない。…………大声を出したら起きてくれるだろうか。でも、……目の前にいる翡翠は、起こせる雰囲気ではない。こんなに、気持ちよさそうに眠っているのなら―――。
「…………あれ」
ふと、その状態で考え込む。昨日……翡翠は私を(無理矢理)部屋に連れてきて、絨毯に倒れ込んでしまった。それが何故……いっしょに…………。
「……」
考えると恥ずかしくなる。だからこのままじゃいけないと思う。
けど。
「…………」
―――翡翠は、綺麗だ。
初めて、……いや8年ぶりに出逢ったあの日から、翡翠は綺麗だと思っていた。顔も格好いい。スタイルも悔しいくらいにいいし、そこらの芸能人なんか敵わないくらい綺麗だ。何より、翡翠の『綺麗』は、凛とした雰囲気を持っているから。
言っていいことか分からないが、翡翠は少し小柄で髪も長い。だから女性にも見える。
でも全く同じ顔だというのに、双子の兄・琥珀さんは何かが違う。あちらの方が、男らしいというのだろうか。
翡翠は大人しい。使用人という立場のせいもあるが、無駄な動きが一切無くテキパキ家事をこなす。……どちらかというと母性的。綺麗なものはずっと見ていたい。けどずっとこんな状態でいられるわけがなかった。学校があるからではなく、……こっちのドキドキが止まらない。
「…………翡翠」
彼の名前を呼ぶ。
「ねぇ、翡翠」
ゆさゆさ、と彼の胸をおす。服装は昨日のまま。服の乱れが全然ない固いくらいの正装。一瞬石板でも入ってるのではないかと思うくらい、硬い……。酔って倒れたとはいえ、こんな格好で寝ていて苦しくないのだろうか。
……。
だから、なんで一緒に寝ているの?
「ん……」
ぴくっと瞼が動いた。ゆっくりそれが開いていく。
「…………ぅん」
目をこすって、翡翠は一度私の顔を見た。だが、何も言わない。……部屋を首だけで見渡す。
「おはよ、翡翠」
「ぁ……!?」
翡翠が起きあがる。
「シ、志貴お嬢様……ッ!?」
予想通りだ。翡翠を何とか落ち着けようと笑いかけ……って、何で私がこんな事してるんだろうなぁ。
翡翠はベットから立ち次第、特に乱れてもいない服を整えたり、顔をごしごし擦ったりしている。―――いつも人形のように大人しい姿なんか無い。
「ね、翡翠。昨日の事覚えてる?」
「は、はい!?」
少しオーバーアクションに返事をする。……私もそう翡翠に言いながら、もう一度昨夜の事を思い出した。
覚えているのは、……翡翠はいきなり倒れちゃって一応枕と毛布をかけておいた……という事。その後はどうにも出来ないから投げやりにベットに入ってしまったという事。
……落ち着いたのか、翡翠は静かに頷いた。
「…………申し訳ありません。酒に酔ってしまい……一度夜目が覚めたのですが、目の前にベットがあるから自分のベットだと思いこんだようです。……その、お嬢様が眠っていても」
―――その顔は真っ赤だった。
どうすることも出来なくて右手だけで顔を隠そうとする姿が、何とも可笑しい。
「あ、そうなの……でも、この季節お布団に入らないと風邪引いちゃうからね」
―――おそらく今の自分の顔も翡翠と同じ。
不思議だ。今さっきまで、自分たちの顔が目の前にあったというのに。
どうして、凄く恥ずかしい気がするのだろう……。
「しかし! お嬢様に疚しい事はしていません!! いくら酔っていたとはいえそれだけは……!」
「あー、ああそれはわかってるよ……」
私も私服のまま寝たけど、全くそれらしい事はないし……。
といっても、毎度琥珀さんに脱がされてるのは言われないと気付かないほど鈍感な私だけど、翡翠が真剣に言っているんだから信じよう。(勿論疑ってさえもいない)
―――睨んできた。……いやいや、翡翠は睨んではいない。ただ少し大きめな声で昨夜の事を熱く語る翡翠は、いつもの目つきの悪さがプラスされ怖くうつってしまうのだ。翡翠は特別事務的で無愛想だというわけではないようだ。
綺麗でも、一点をギッと見つめるのが悪いらしい。女性は一点を見つめても『考えている』や『訴えている』のジェスチャーになるらしいが、男性が一点を見つめると変質的に思えてしまうらしい。……昔、とある心理学がテーマの番組で見た。
「とにかく……この事は秋葉には黙ってようね? その……琥珀さんにも」
もしバレたらなんてからかわれるだろうか……。
「―――志貴お嬢様がお許し下さるのなら、助かります」
「うん、ごめん……」
「……お嬢様が謝れる必要などありません! こちらがしっかりしていればこんな事には……ッ」
翡翠は頭を下げる。下げたまま上がってこない。
「大丈夫だってば! 酔ってる時ってみんなそうだと思うよ。こんな事あるでしょ?」
……。
黙り込む。
ああ……確か翡翠は昨日が『アルコールデビュー』なんだから無いのか。
「―――すいませんでした。それでは失礼します。志貴お嬢様も早く居間に行かれないと遅刻してしまいます」
丁寧に深くお辞儀をして、翡翠は部屋を出ていった。
「……そんなに時間は無いわけでもない……のに」
……誤解していた。昨日の琥珀さんを語る時といい、翡翠は……どちらかと言えば熱血漢タイプ……?
じゃあなんで。ずっとあの姿で隠しているのだろう―――。
/2
居間に行くと、朝食をすませたのか秋葉がソファでくつろいでいた。琥珀さんはきっと台所にいるのだろう。
「おはよう、姉さん」
いつもと変わらない顔で秋葉が笑う。
「…………なんで、なんともないの」
「姉さん?」
「いや、何で秋葉はあんなに飲んだのに早く起きて平気な顔してんのかなー……って」
「当然だろ。明日が学校だっていうのに無視して飲む奴がいるか」
……そういう人がいるから気にしてたんだけど。
「こっちにしてみれば羨ましいけど。飲めないし飲むと酔うし明日にはひびくし……」
「その割には元気じゃないか」
「そりゃ、自粛してたからね。…………しても辛いには変わりないけど」
……一瞬。
秋葉の『いつもの顔』が崩れた。その、謝るにも謝れないような風に気まずい顔をして。
「昨日は楽しかったね、うん!」
「姉さん、その……」
「じゃ、朝ごはん食べてくるね!」
まるで逃げるように居間を離れる。―――気まずくなって、何故それを弁解しない。
はぁ、とため息。そんな事やってたら、いつまでたっても空白が埋まらないじゃない……と心の中で自分を叱った。
―――朝食を終え居間に戻ってくると、もう秋葉の姿はなかった。秋葉は県外の学校に通っているのだから、私と別れた時には屋敷を出たのだろう。居間に先にいた翡翠と目が合う。
「…………鞄を取って参ります」
目が合って直ぐ、翡翠はロビーの方に行ってしまった。まだ、そんなに急いでないのに。
「フッ、…………昨夜は何かありましたね?」
急に後ろから、肩に両手をあてられる。
「きゃぁ……!?」
「いーったい何があったんですかー? ヒッスィーがあんな赤くなってるなんてそんなに仲良くなったんですか!?」
「そ、その琥珀さん……! 後ろから抱きつくのは止めてくれませんか……ッ」
ぬーっと静かにやってきて脅かされると、心臓に悪いから。
「否定しないあたりマジでやりやがったんですね!? あのムッツリスケベが!!」
「違います! 何もしてませんしされてません!!」
「嘘だぁ! いつもなら声かけて命令に従うジャイアントロボみたいな奴だったくせに勝手に動くんですよ!? もう最終回かよ!」
その、わかりにくい比喩やめてくれませんか……。
「―――お嬢様、そろそろ屋敷を出ないと間に合いませ……」
翡翠が居間にやって来た途端。
琥珀さんは私の背中から離れて居間の(秋葉が飲んだらしい)ティーカップを片づけ始めた。
「あれ……?」
さっきまで、いたのに……。
「―――」
翡翠の、それはそれは冷たい目が琥珀さんの方へ向けられる。
「―――兄さ」
「はいっ、お嬢様お時間が迫ってますよ! どうぞ気を付けてー!」
「あ、はい、行ってきます……」
……あの双子の兄弟喧嘩も見てみたいものだけど、本当に遅刻の危機が迫り寄ってきたのでロビーに走って向かった。
「―――いってらっしゃいませ」
……一言、私に言葉をかけ礼をする。その後梳かさず琥珀さんの方へ走り寄った翡翠が見物だった。
/3
―――四時間目は普通に授業。
朝は同じようにうるさい教室にかけこみ、いつもの三人に会い、いつものように進む。
あともう少しで昼休み。
…………はっきり言って、眠い。何の変化もなく進む。
窓ガラスにうつった顔は、なんとも眠たそうな顔だった。
うっすらとガラスに写る顔。
歪んだ色。
自分の黒い髪がうすく見える。
うすく、灰色に、
それがまた金色に。
「…………アルクェイド…………」
―――ぱし、と自分の頬を叩いた。
本当にどうかしている。
金色からどうしてアルクェイドが浮かび上がるのだろうか。
眠気がいっきにやってきたというのだろうか。
……窓越しに、アルクェイドがおぃーっす!って言ってる幻が見える。
―――ってちょっとまって。
「あ、な……なっ!?」
窓ガラスにはりつく。
校庭に、凄く小さい……白い服装の男性が歩いていた。
「な、何でこんな所に……っ!」
校庭には誰もいない。
教室を見ても、校庭にぽつんと居る正体不明の金髪外人に気付いている生徒はいない。
……。
このまま来たら、アルクェイドは間違いなく……。
「先生! 貧血らしいので保健室に行ってきます!!」
手を挙げて許可が出次第駆け足で校庭に向かった。
/4
「おぅ、来たな。ウッス、志貴!」
「ア、アルクェイ……!?」
中庭に駆けつけて、陽気に挨拶をする正体不明の外人。
数日ぶり。その顔が懐かしいとも思える。
陽気な笑顔で、……こちらが息を切らせて走ってきたのを楽しんでいるかのように、明るい。
「あ、あなた、なんで此処に……!!」
「ナンでココに、って。志貴に会いに来たんだから此処にいるだけだ」
「会いに来た……ってどうして?」
「どうしてって……理由はねぇよ」
きっぱりと、堂々と言い切るアルクェイド。開き直ったようにも見えるサッパリ感。……怒る気も失せる。
とりあえず深呼吸して気持ちを落ち着ける。
「でも君もヒドイな。ずっと中庭から見てたのに気付いてくれないんだもんな。いっそのこと志貴がいる所まで飛ぼうかとか考えてたんだぞ」
「飛ぼ……って、まさか」
―――三階の教室まで、ぴょーんと……。
―――前のホテルの時のように?
……はぁ、とため息を吐いて、よかった、と呟く。
「でもガッコって結構狭いんだなー! あんな個室に何人もつめられて苦しくないのか!?」
学校という知識が乏しいのか、……当然の事を聞いてくる。それを答えるよりも、私から質問してしまった。
「……私、貴方に会いたかったの。その、言いたいことがあって……」
「あぁ? そりゃ嬉しいけど。…………楽しそうな話題じゃなさそうだな」
ええ、と言って、もう一度深呼吸。するとあちらも答える気になったのか、真剣顔になる。
「―――アルクェイド。貴方はまだ吸血鬼を倒しにいるの…………?」
え? と聞き返すアルクェイド。相当重い話を予測していたのか、直ぐに表情が柔らかくなった。
「ああ。そういうこった。まだうようよいるからな、この街」
「うようよ……?!」
大声を出して驚くと、アルクェイドは目を細め……頷く。
「なんだかな……ここは結構根付いているからな。夜の街歩けばバッタリ会ったりすることも度々さ。―――だから、夜遊びなんかすんなよ?」
「そのっ! ……私が出来ることは?」
…………。
時が止まってしまったかのようにアルクェイドの動きが止まる。
上から、見おろす……細い目。
アルクェイドは考える度に黙る癖があるようで、その目つきは鋭い。
―――それが失礼な行為だってこと、知らないんだろう。
「志貴の出番はもう無い。安心してくれ」
「無い、って……?」
「俺が手伝ってほしかったのはネロの件、だけ、だ。もうこれ以上君に関わってもらう必要がなくなった」
……。
あの時は、私のせいでアルクェイドを殺してしまって……吸血鬼狩りを邪魔してしまった。
それの償いとして手伝われた公園の件。
それが終わればもうサヨナラ。
―――当然の事だった。
「もう、邪魔……か」
視線を落とす。
すると、アルクェイドは頭に息がかかるくらい、はぁーっと大きくため息を吐いた。……呆れたように。
「あのなー。……そう言われると俺が思いっ切り悪いみたいじゃないか」
「だってそう聞こえるわよっ」
「邪魔なんかじゃない。でも、もう志貴が戦う必要がないって事!」
「じゃあ何で学校来てるの。また巻き込む気!?」
「そんな気はない。志貴が通ってる学校だから……見てみたかったんだよ」
……よく分からない言い訳だ。
「―――それに吸血鬼狩り以外にも、この街には居たいし」
「…………」
アルクェイドは、元気そうだった。笑っているからじゃない。……完全に回復したのか、どこも不調を訴える雰囲気はなかった。アルクェイドなら、……きっとこの街にいる吸血鬼なんて直ぐ倒してくれる。
倒したら―――どうなるんだろう。
「ねぇ、アルクェイドってどこ住んでるの?」
「ここから3キロぐらい先にあるマンション。……忘れたとは言わせないぞ。君が真っ赤にしてくれた所だかんな」
「そうじゃなくて。……もし吸血鬼狩りが終わったら何処帰るの」
「マンション」
……まだ融通が利かないのか。
それともからかっているだけなのか。
「俺はこっから離れないつもりだけど?」
「……え?」
「吸血鬼とか関係無しでさ、志貴にも会いに来るし、屋敷に遊びに行くぞ!」
……吸血鬼の話題以外で、こんな真剣な目は見たコト無い。
何を、そんなに必死になって訴えてるのだろう。
…………本気で、そのつもりなんだろうか。
―――会いに来てくれるということ。
「……ダメ」
「何で」
「屋敷には直接来ないで。 ……弟に怒られるから」
「んじゃ、君の部屋にコッソリ、コッソリ入るから!」
「それは……ッ」
―――ちょっと嬉しい、なんて思っちゃ駄目かな。
その時だった。
「―――あ、チャイムが……」
四時間目が終わる音が響く。これが鳴れば昼休み突入。そうなれば外に出てくる生徒も増える。シエル先輩みたいに裏庭を住処にしている生徒だって多いんだ。
「―――アルクェイド。お願いだから昼の学校にだけは来ないでほしいの。……その、先生とかに見つかったら大変だから」
本当なら『迷惑だ』と言った方がいいかもしれないけど、あえて優しい声をかける。
「……俺が迷惑?」
察してくれた。が頷く事が出来ない。んー……とアルクェイドは唸った。
アルクェイドの背中を押して外に追い出そうとした。
「……ありがと」
「あ?」
「だからさっさと出てって」
「むー……君、矛盾多すぎるんだよ」
アルクェイドはまだ何か言いたそうな目をしながら、……何もせず去っていった。
―――去っていっても、また会える
―――また会いに来てくれるというのはわかった。
アルクェイドが学校の敷地を出ていったのを確認して、中庭に戻ってくる。
「…………ん?」
なんだろう。
何か…………誰かの、視線を、感じた……。
緑の多い中庭。木が綺麗に並んでいる中庭。
その木々の間に立つ視線の主。
「……シエル、先輩……?」
蒼い髪に、小さな眼鏡をかけている。
見間違える筈のない、親しい顔。
けど、
今の先輩は、なんて目をしているのだろう―――。
本当に先輩か疑いたくなるぐらい、怖い目をしてこっちを見ている。
「……シエル先輩!」
先輩なのか確認したくて声を掛け、近寄る。それでも先輩は立ちつくしたまま、私の方を見ていた。
「……どうしたんですか、こんなとこで」
「そういう志貴ちゃんこそ、サボリは良くないな。乾くんと弓塚くんが心配してたぞ」
「え、それって……」
―――まさか、あの正体不明の外人と……?
にっこり。
でも、いつもの優しい笑みを浮かべただけで何も言わなかった。
「探してたよ、あの二人。授業中元気に保健室に向かう志貴ちゃんが心配だって」
にこにこ笑いながら、いつも通りの笑顔を向けながらあの二人の事を続ける。
……妙な感じがした。何が違うとハッキリ言えないが、……今日のシエル先輩は、何かがおかしい。
「……あの二人、凄く心配性だからな」
「心配させる事をする志貴ちゃんが悪いんだよ?」
やっと先輩から近寄ってくれて、コツン、と軽く私の額を叩いた。からかいなので全然痛くない。―――でも、何かが違う気がした……。
「……あの、シエル先輩。宜しかったら、一緒にお昼……どうですか?」
ニコリ、と一番の笑顔を向けて、
「ごめんね。僕、先約あるから。早く二人の所に行ってあげた方がいいよ。じゃ」
滅多に見ることはないだろう、シエル先輩の……明るく断る姿を見てしまった。
「さよなら」
先輩は一人で校舎の方へ歩き出した。
if 蒼い咎跡/2に続く