■ 10章 if 揺籃の庭/2



 /1

 駄目姉貴。
 ……自分は、何度そう呼ばれれば気が済むのだろうか。

「ほんと、ごめんね秋葉……」

 見つからないうちに屋敷に戻ろうとは思う。早足で、……喫茶店「アーネンエルベ」の方へ向かっていた。



 /2

 ―――ここは人気のある喫茶店。
 ここにはあんまり立ち寄る機会はないのだが、殆ど『彼専用』のデートスポットになってしまっている。デートというのかどうか分からないが、立ち話もなんだから奢ってあげてもお店に入ろうということだ。

「そんでですね! あっさりソイツはやられちゃったんですけどー。あ、夕方やってるの見てますか?」

 ……この子と付き合っていると話題がつきない。今度は子供向けのアニメの話だ。
 楽しそうに話ながら、ぱくぱくと美味しそうにパイを食べている、中学生の男の子。成長期だからか、その威勢のある食べ方は実に楽しい。特大サイズのパイの一切れをつつきながら、彼の話に相槌を入れていた。

「晶くん。おかわり、いる?」
「あ、はい! 頂きます!!」

 直ぐに空になってしまう彼の取り皿にパイを切ってあげた。本当に嬉しそうに笑う子だ。これで朝もお昼も御飯を食べているのだから、男の子の成長期って恐ろしい。

 ―――この子は晶くんと言って、秋葉の後輩の男の子だ。
 小柄でまだ声も高く、女の子と間違えてしまいそうだが『アキラ』という名前からして男の子だろう。今日も深緑色の、すこしぶかぶかなブレザーの制服姿で、(何でも「今から大きくなりますから!」という事で大きめな制服を作ってもらったらしい。小学生で成長の止まる女には分からない)こっちの街の喫茶店に来ている。
 にしても、袖が長すぎて小動物のような仕草をする。……例えるなら犬。しかも子犬。餌をあげるとすぐ後をついてくるような男の子だ。

 ―――実を言うと、秋葉の後輩というのを知ったのはつい最近で、この子とは結構な付き合いなのだ。
 何度か会う機会があり、いつの間にか会話をしている。街を歩いていると晶くんから声を掛けてくることが多い。
 晶くんはとても前向きで活発な男の子で、……どうやら学校でも生徒会にも所属しているらしく、部活は野球だとかなんとか話を聞いている。有間の家でも妹しかいなかった私は、弟ってこんなカンジなのかな、と思って付き合ってきた。

 ―――弟らしくない弟が頭に浮かぶ。

 ……居た筈なんだけど、こんなカンジかな、と思って晶くんと付き合っていた。……そう言う事にしておこう。

「あのー……志貴さん? なんかさっきから黙ってますけど、…………ハライタですか?」

 少し声を潜めて、晶くんは下から私の顔を覗き込む。晶くんの口の周りはパイのクリームが付いていた。……一度、それをナプキンで取ってあげたら怒られてしまった。何でも、俺恥ずかしすぎます、とか。

「ん、……そんな事じゃないよ。パイだって食べてるし」

 そう言って一口入れる。……もう大皿のパイは無くなっていた。頼んであっというまに食欲旺盛な晶くんに食べられてしまった。といっても私はおかわりする気なんて全然ないが。

「違うの、頼む?」
「ええっ、いいですよ! 奢ってくれただけでも嬉しいです!!」

 ―――晶くんはとても明るくて、凄く礼儀正しい子だ。そして、好意を素直に喜んでくれる。ちょっと違うかもしれないけど、青春真っ直中って感じの中学生だなぁ、と思う。……そんな素直な彼につい世話を焼いてしまうのは、私の悪い癖だと言われてしまった事もある。

「私の事は気にしなくていいよ。小食だし、そんなにお腹に入るわけじゃないんだし。それに、晶くんはもっといっぱい食べた方がいいと思うよ?」

 彼がいっぱい食べられるのは、……食事をあまり楽しまない小食家としては正直羨ましかったりする。だからか、嬉しそうに楽しそうに食べる子を見ていると、こちらまで幸せになってしまうのは……。

「志貴さんは……パイ二片だけでお腹いっぱいになるんですか?」
「うん。自粛してるだけなんだけどね」

 私だって甘い物は勿論大好きだ。洋菓子も和菓子もどちらも大好きだけど、糖分の取りすぎはよくない。身体が弱いから先生からの忠告、ということもある。まぁ、女の子としてはやはりアレもあるけど…………。
 ……折角すすめたのに、晶くんは黙って少し淋しそうにフォークを置いた。

「俺……もういいです。これ以上食べたら晩ご飯食べられなくなるし……」

 そう言われて見た時計は、3時すぎ。まだ晩ご飯まで当分ある時間だった。

「そっか……晶くんの食べ方って元気いっぱいで面白いから見ていて楽しいけど、仕方ないよね」
「そうですか!? 俺も志貴さんとお食事するの大好きです!!」

 ……。
 …………こう、素直に喜ばれるとやっぱり照れるなぁ。
 本物の犬だったらしっぽを元気に振っているんだろう。本当に晶くんはとっても元気な子犬のようだ。きっと、御飯を食べる時もお茶碗にお山にして食べるタイプだろう。

「今度、おこづかい溜めたら俺から誘いますんで! ……あ、でも俺……今欲しいフィギュアあるなぁ……でもいつか!!」
「うん」

 期待しないで待ってるよ……。

「じゃあ今度は秋葉も誘って来ようか? ううん。次回は私の家においでよ。秋葉も喜ぶから」

 ―――ガシャンッ

 ストローがあるのにグラスに口をつけて飲んでいた晶くんが……それを落とした。幸い中身はもう無かったので、被害はない。が、その音に店中の人がこちらを向いた……気がする。

「そ、それは……! 駄目です!!!」

 ……慌てている。半分、涙目で。

「……どうして? 秋葉と仲良くやってくれてるんでしょ? なら」
「でも駄目です! 秋葉先輩となんか食べたら後でなに愚痴られるかたまったもんじゃないっす!!!」
「……」

 秋葉先輩と『なんか』……。
 なに『愚痴』られるか……。
 うーん、なんとなく二人の関係が見えてきたなぁ……。

「あっ、その……同じ生徒会メンバーっていうのはホントウですよ……? ただ、秋葉先輩……怖いから……」
「……へぇ。秋葉って学校でも怖いの?」

 学校『でも』……。自分もちょっと失言しちゃってるけど、晶くんは私の知らない秋葉の面を知っているようだ……。
 昔から面識があった私と晶くんの中に秋葉が関係している、というのは本当につい最近、偶然街で出逢った時に分かった。お互い、こんな所に関係あったとは……と二人で笑ってお蕎麦を食べた記憶がある。

「そりゃもう……ガン飛ばされるのには敵わないですよ。……それにこっちは厳しい運動部でヘトヘトなのに生徒会合宿付きだし……」
「ふぅん。晶くんいつもそんな事思ってるの? 秋葉が知らないコト?」
「そんな事言えるわけ―――って言わないでくださいよ志貴さん! 俺殺されます!!」

 ―――この子は何とも構いがいのある子なんだ。私は今日の朝といい、秋葉と話していて分かったが、やっぱり自分は年下の構い癖があるようだ。こういうのを俗に『いじめっこタイプ』という…………。

「他にね、……秋葉ってどんな事やってんの? 女子から人気あったりする? 元々、浅上って女子校だったから女の子の方が人数多いんでしょ?」
「そりゃ、次期高等部生徒会長も夢じゃないぐらいの人気ですからっ! 志貴さんは秋葉先輩のバレンタインの伝説、知らないんですか?」

 ……出たな学園モノの王道!
 となると、冬には紙袋いっぱいのチョコレートを持ち帰る秋葉の図が見れたわけか。

 ―――私は8年間、秋葉と一切関わらず生きてきた。
 だからその誰でも知っているという『伝説』は勿論のこと、……ほんの些細な事も知らない。
 だから、彼の口から少しでも実弟の事が知りたかった。それが、今日……晶くんと食事をした理由でもある。

「……すいません、追加お願いします」

 ウェイトレスさんに手を挙げる。その瞬間、晶くんはアッと声をあげ、気まずそうな顔をした。まだ話は終わらない。終わらせるにはちょっと早い。これから、もっと沢山晶くんの学校の―――秋葉の事を知りたい。そのためにも一番美味しそうなパイを頼んだ。

「私はもう一つくらい食べたいなって思ったんだけど、……晶くん、まだ食べれる?」
「はい! 晩ご飯まで3時間以上あるんでまだまだいけるであります!!」

 さっきと言ってる事が違うが……新しく注文したラズベリーパイの十分の九は彼にあげた。



 /3

 アーネンエルベを出る。パイを2つ近く食べたというのにまだお腹がすいてそうだったので、お土産用に焼きたてのたい焼きを持って出た。当然だが、お金は払っている。強盗でも食い逃げでもない。
 お土産というのは晶くんにあげて、自分はスポーツ飲料を飲んでいた。これからパーティなのによく食べたもんだ……。

「なんか俺……すっごく悪い気がする……」

 ホカホカのたい焼きを頬張りながら、何かが矛盾している晶くんは私を見た。美味しいからくる嬉しそうな笑みと、悪い気がするということからくる苦笑い。今度はしゅんとワンコの耳が下がってる……気がした。

「気にしなくていいよ。情報代だと思って、ね?」
「……はぁー、やっぱり当たった」
「え?」

 たい焼きをぺろりと二つほど食べ一呼吸置く。噛んではいるだろうが、大食いで早食いな子だなぁ……。

「へへ…………実は、視えてたんです。このこと」
「あ、そうなの」

 頭を掻く晶くん。すごーい、と誉めたせいか、赤くなっている。
 ―――説明し忘れたが、晶くんには特殊なチカラがある。それは確か……未来視、というのだろうか。簡単に言えば物凄く『勘のいい』子なのだ。

「…………あの、今日のこと絶対、秋葉先輩には言わないでくださいね」
「どうかなぁ」
「うぐぅ……」

 なんて、晶くんの大好きなゲームのキャラクターの物真似をする。そもそも彼と仲良くなったのは、アニメ好きでゲーム好きなどヲタク要素の天こ盛りなのも原因の一つである。とっても付き合いやすい。『今度のイベント行けますか?』なんて会話もいつもの事だ。晶くんの趣味も嫌いではないので、ついご一緒させてもらうが……

「―――あれ」

 今日は天気がとてもいい。朝は曇りがちだったが、あの天気はどこに行ってしまったのだろう。快晴である。しかしその割には気温は一向に上がらない。暖かくもなく寒くもなく……非常に暮らしやすい日だった。

「…………」

 アーネンエルベを出た後も、天気のいい公園で晶くんと色々な話をしていた。
 そんな公園に、そんな時。
 ―――ぽつん、と真っ黒な少年が立っていた。

「志貴さん……?」

 晶くんが呼びかける。だが彼の視線も直ぐその少年へ。
 黒一色の服装をした……見覚えがある、少年の方向へ。

「……」

 歩み寄って、背をかがめ少年の顔をじっと見た。

「―――」
「こんにちは」
「―――」

 ……もう季節は冬になりかけている。公園の葉は綺麗に落ちてゆく。風も寒くなってきた。
 そこにじっと、公園でひとりずっと立っている少年。
 少年は黒いコートに黒いリボンを付けていて、―――その赤い目には光がなかった。これは翡翠とは違う『人形』だ。
 まだ十歳ぐらいだろうか。少年は西洋風の顔立ちで、高貴な雰囲気を持ち合わせている。黒いあつめのコートに身をくるんでいて、……ただ私を見ていた。そんな少年に、見覚えはあった。

「君……アルクェイドのお友達……だっけ?」
「―――」

 しばらく私の顔をじっと見つめ返して、こくり、と大人しく頷く。だが、少年は喋らない。音を一切発していない。
 ―――あの時……アルクェイドを連れて有彦の家に来たとき、アルクェイドに会いに来た。その時とまったく同じ、無音の世界。ただひたすら黙って私が目の前から退くのを待っていた。
 しかし、今後ろを振り返ってもいるのは晶くんだけ。―――アルクェイドはもういない。

「ねぇ、君……」
「誰ですか、コイツ」

 少年に名前を尋ねる前に、一つ下のトーンで晶くんが尋ねた。警戒心というのだろうか、少し変わった無口な少年に晶くんは近寄る。

「―――」

 その足踏みといっしょに、少年が逃げる。……私の後ろに、隠れるようにして。

「志貴さんの知り合いですか……?」
「あ、晶くん。この子ね……友達のトモダチなの」

 ……おそらく。
 そうでしょ? と問いても少年は声も出さず、私の後ろに隠れたままだった。……晶くんから身を潜めるよう、じっと私の後ろに隠れている。その晶くんに向けられた目は、……少し怖かった。

「あ……俺、睨まれてる?」
「うん……そうみたい」

 ……もしかしたらこの子……喋られないのかもしれない。そもそも『夢魔』という者には言葉を発するチカラが備わっているのだろうか? アルクェイドに用があって現れた少年は何らかの方法で意志を通じ合っているという事は分かるのだが。

「…………君が、最近……屋敷に住みだしたっていう子?」
「―――」

 こくり。頷いた時、……少し口元が微笑んだように見えた。少しでも意志が通じ合えて嬉しいのだろうか。

「屋敷……って、志貴さんと一緒に暮らしてるんですか!?」
「ん……違うな。あの屋敷、無駄に広いから…………」

 ―――猫が住み込むにはいい場所なんだ。

 ……しかし。
 何でアルクェイドはこの子をおいていったのだろう?
 いや、おいていってはいない?
 その前に、何故彼が『帰った』と決めつけている?

「…………」
「……もしもーし、志貴さーん?」

 隣で晶くんが腕を揺さぶった。晶くんは私と同じくらいな背(若干、私の方が大きい)で、その姿は本当に小さな弟を構われている姉のようだった。……ああ。もしかしたらこの黒ずくめの少年も私の弟役かもしれない。どちらかというと、『息子』みたいだけど……。

 ―――だからさ。弟らしくない弟が頭を過ぎっているんだけど。



 /4

 カーテンの外は綺麗な橙色。
 晶くんと別れ屋敷に帰ってくると、琥珀さんが待ってましたと言わんばかりロビーで迎えてくれた。(普段は翡翠が迎えてくれるのだが、その時は部屋の飾り付けをしていたとか。……破壊魔と噂される琥珀さんじゃ出来ない仕事だったらしい)
 パーティ用に飾り付けされた居間に招待される。自分の家だとは分かっていても、何だか一流の会場に正体されたような気がした。

「……それでは、志貴お嬢様が戻ってきたことを祝して……」

 全員、グラスを掲げ、

「かんぱーい!!」

 キン、と高い音が部屋に響き渡った。

「そんじゃー、お好きなのをドーゾ!!」

 テーブルに並べられた数本の瓶。ごく普通のジュースから始まって、牛乳、ワイン、焼酎まで用意されている。……用意よすぎな気もする。が、誰も前者二つなど選ばなかった。

「ねぇ、秋葉……」
「ん?」

 秋葉はいつもより上機嫌だった。冷静を装っているくせに、お祭り本番になると張り切り出す性格だ。その秋葉の手には、……オレンジジュースでわれていないほど濃い、ウィスキーのグラスを手にしていた。

「……それ」

 指さす。
 ―――確か貴男、まだ十五だったような。

「何言ってんだよ。姉さんも飲むだろ? それともジュースか?」

 なかなか挑発的な態度で秋葉は笑った。そんな顔が秋葉に凄く似合っていて、……何だか笑える。

「んー……本当は純度の高いアルコールは良くないんだけど、少しぐらいはいいでしょ」
「わかってるじゃないか」

 秋葉は満足そうに笑うと、綺麗な色のワインを注いでくれた。
 ……その前にさ。確かこれは歓迎会であって酒宴じゃないと思います。

「―――うぐぅ」

 一番甘いワインにちびちび舐めていく。
 ……実は今日初めて酒をまともに飲んだ。一口ぐらいは飲んだことあったが、あんまり酒を飲みたいとは思わなかったし、……なんでわざわざ苦いジュースを飲まなきゃならないんだ、とも思っていた。飲んだことある酒なんて甘酒ぐらいなのに……。

「……おかしいってば」

 隣に居る人に、思いっ切り聞こえる声でそう言い放った。
 隣に座っている秋葉(高校生)はまだ元気に飲んでいる。悔しいぐらい美味しそうに飲んでいて、その絵はまるで水を飲んでいるような勢いだ。しばらく琥珀さんが秋葉のを注いでいたが、今はキッチンの方へ行っている。
 ……見ての通り、秋葉はあまり顔に出ないタイプらしい。一方私は、琥珀さんの用意してくれたおつまみ料理の方をつついていた。

「秋葉……お酒、強いのね」
「そうか? 姉さんが飲まないだけだろ」

 その顔は笑顔。憎いぐらいに最高の笑顔を向けてきた。

「姉さんだって少しは飲んで酔ってくれよ。こっちばっか飲んでるんじゃいつもと変わらないだろっ」

 ……成る程、いつも飲んでるクチなのか……。

「姉さん、はい」

 そう言ってワインを向ける。その腕は、……いい感じに震えている……。

「……秋葉。実は酔ってるでしょ?」
「これくらい普通だろ。ただでさえオレンジジュースでわってるんだから酔うわけがない!」

……でもその「わっている」ウィスキーは真っ茶色……ストレートと全く同じ色だ。

「さぁ、飲んで!!」
「……」

 こんなハイテンションな秋葉を見たのは初めてだ。まぁ、秋葉が笑ってくれてるならいいか……と、ワインに口を付けた。
 ……。
 ……うぅ、やっぱり一番甘いやつでも苦い…………。

「ほら、飲めるんじゃないか!」

 満足そうな顔をして、あははと笑う秋葉。その顔は琥珀さんと全然変わりない。

「飲めるんじゃないかって……こんなにお酒飲んだの今日が初めてよ」
「今度俺に付き合ってくれた時は新記録出してくれよ」

 秋葉は笑って、自分のグラスのウィスキーを……一気飲みした。

 ―――その顔は凄く大人びていると思う。
 八年ぶりにここで再会した時の事を覚えている。
 私はこう思った。
 『八年ぶりに出逢った弟・秋葉は……、私の嫌いな父にそっくりだった。』と。
 ……当然だ。子が成長して親に似るのは当たり前の事で、それだけ秋葉が大人になってしまったという事だ。少し背は小さいけどまだ伸びるだろうし(男性は二十歳まで伸びる!)、……顔はやっぱり女子に人気があるだけ、いいし。
 我が弟ながらカッコイイ顔はしている。あと二、三年したら、もっといい男になるだろうなぁ―――。

 ……なんてジロジロ秋葉の顔を見ながら妄想してたり。グラスを持ってソファに深く座る。

「どうしたんだ、姉さん……?」
「ふふ……なんでもないっ」

 笑いの矛先が分からないのか、秋葉は少し笑顔を崩す。でも直ぐに戻った。
 ―――いつまでも『弟だから』で遊ぶのは失礼だと思った。

「―――姉さん、今日は優しいな」
「え?」

 不意に、小声で秋葉がそう言った。

「いつもは冷たいからな、それにしても今日は働き者だな。翡翠や琥珀の手伝いもしてるし、俺の部屋にも遊びに来てくれたし、…………何処にも行かないって言ったくせにどっか出かけたし」
「むぅ……」

 それは冒頭でちゃんと謝ってるのにぃ……。
 不意に思い付いたら行動しなきゃ落ち着かない性格だから仕方ないのだ。そんなの、言い訳にはならないけど。

「姉さんは優しいからな……」

 グラスの氷をならしながら、秋葉が呟く。意外なコトを、ずっと呟いている。

「……秋葉。やっぱり酔ってるでしょ? 冷たいのに優しいだなんて可笑しいよ」
「酔ってなんかないだろっ! ……姉さんは自分の性格わかってないんだな」

 ふぅ、と何やら楽しげなため息をついた。
 ……自分の性格がわかっていない。いや、正確には自分自身何者なのかさえわかっていない。……そうだと思う。

「それに、姉さんは……みんなに優しいだろ。そこは長所であって短所だ」
「……」

 翡翠は端の方で一人静かにワインを飲んでいた。一人で淋しくないのかと思うけど、そんな姿がとても綺麗に思える。

「他人に平等に優しくって愛を振りまいている―――それを一心に受けたい人にとっては酷だ」

 秋葉の飲んでいたグラスも空になっている。それでも話は続く。

「姉さんはあれも好きこれも好きでずっと決められないタイプだろ」

 ……。
 琥珀さんの作ってくれた料理が底を突いてきた。

「それは、姉さんが好き人には酷すぎる」

 秋葉のウィスキーはまだあるのに注ごうとしない。

「昔はみんなで遊んでいる中で、親父の怒鳴り声の中を逃げてきた俺を何も言わず遊んでくれたじゃないか。それは嬉しい」

 ―――ずっと話は続いている。

「けど、それは、姉さんにとっては最小限の事なんだよな、俺は姉さんの特別になりた「お待たせしましたー!! お嬢様、メインディッシュのご登場です!!!」

 何か明るいBGMをかけ、大きな食器台を押しながらいい香りのする料理を琥珀さんは持ってきた。
 BGM付きで登場の演出は、琥珀さんらしいと言うか……。

「わぁっ、一体なんですか?」
「食べてみればわかります! あ、秋葉様の大好物を作ってみました。きっとお嬢様のお口にも合うと思いまして」
「―――」

 部屋中に肉料理の香ばしい香りが漂う。少し出す時間が遅いと思うが、サッパリした料理、お酒に続いてのこってりした物はとても食欲をそそった。
 ……あ、今かかっているBGMって『ゴットファー○ー 愛のテーマ』だ。
 絶対に、選曲ミスだ。

「―――流石に暑くなってきた。少し涼んでくる」
「え? 秋葉……」

 食べないの……と聞く前に、秋葉は少し蹌踉け気味の足取りで出ていった。

 居間を出ていく秋葉を二人で見送る…………。

「あらー……秋葉様、何杯ぐらい飲みました?」
「ん? うーと……4本くらいかな?」
「じゃあまだイける筈なのになぁ」

 はて、と首をかしげる琥珀さん。しかしすぐに「冷めないうちに食べよう!」ということで素早く用意を始めた。

 ―――秋葉は直ぐ戻ってきた。戻って来た途端、琥珀さんに一発ストレートが決まったのがとても印象深かった。



 /5

 しばらくは楽しい会食だったが、すぐに酒宴に戻る。

「―――」
「………………翡翠?」

 ……半分忘れていたが、翡翠も酒宴に参加している。
 手には私が飲んでいたのと同じ、一番甘いと言われるワイングラス。今飲んでいるので何杯目なのかは知らないが、……私以上にちびちび舐めるように飲んでいた。その顔が、無表情ながら真っ赤な顔をしている。しかも、……何とも美味しそうに。

「あー、翡翠良くやったなぁ! 一杯も飲んだのなんて初めてだろ!」
「―――」

 ―――答えない。無口だから、とかそういう理由なんかじゃない。……ひらすら、飲む事だけに集中している。

「一杯……ってまだ一杯目なんですか……?」
「そうッスね。凄いな、3時間も同じグラス舐めてるなんて、味変わってんじゃないか!?」
「―――」

 琥珀さんの声に、一切反応しない。グラスを両手でしっかり持って、紫色の水をゆらゆら見ている。……水がゆらゆら揺れているんじゃない。翡翠の目がゆらゆらしてるんだ。

「ひ、翡翠……? 苦しいんだったら飲まなくていいんじゃ……」
「ほいっ、おかわりな!!」

 心配を反して、琥珀さんは翡翠のグラスに注ぐ。……もしかしたら何度も琥珀さんに次を注がれてるだけで、本当は一杯以上飲んでるんじゃないか。
 ―――こくん。
 グラスに口をつけ、また視線を宙に浮かせる。

「わははは! 随分勢いが良くなったなぁ!! うっしゃ、今度はコレいくかコレ!!」

 ……あぁ、琥珀さんが酔いだした……。
 秋葉に止めさせようとしたって、戻ってきた秋葉は一人何かぶつぶつ言いながらウィスキー(殆ど薄めていない)を飲んでる。
 琥珀さんは何も答えない翡翠のグラスを(無理矢理)取りあげ、……今度は違うお酒を持たせる。

「―――」

 そしてまた口を付け………………。

 ―――ごく、ごく、ごく……。

「おぉ!? 一気飲み!!」

 結構気に入ったらしい。………………翡翠も琥珀さんも。

 と。

「――――――ぁ」

 情けない声をあげて、翡翠が直立で倒れた。それをナイスタイミングで押さえる琥珀さん。

「だははー、やっぱジンの原液はヤバかったかー!」
「って、そんなもん飲ませてたんですか!?」

 琥珀さんもいつも以上のテンションで笑っている。
 秋葉同様『酔ってない』と言い張るが、やっぱりこの人酔っている……なんでみんな酔っぱらいって自分じゃ認めないのかな。
 勿論、自分は手加減して飲んでいたから酔うことなんてない。……それよりなんで未成年まで飲まなきゃいけないのかな。

「秋葉様はめちゃくちゃ飲んで寝るタイプですけど、翡翠は一口飲んでぶっ倒れるタイプだからなぁ」
「……今日はかなり頑張ったんでしょうね。あー……折角のパーティなのに……」
「いやいや、こうブッ倒れるのもパーティならではでしょ?」

 琥珀さんに抱きかかえられている翡翠は大人しい。目は半開きだが、殆ど琥珀さんの胸で寝ているに近い。このまま寝かせてあげるのがいいだろう。秋葉のいるソファを向く。……まだ何かブツブツ言いながら飲んでいる。

「もー、いつまで難しい事言ってんのかしら」

 これじゃ『歓迎会』じゃなくて『遠野家我慢大会』だ。……楽しいからいいけど。

「今夜はこれでオヒラキですね。秋葉も翡翠もかなり酔っているし、お片付け手伝います」
「あ、そんなのいいッスよ。一・応、志貴お嬢さんが主役なんですからね!」

 琥珀さんは『一応』にかなり強めのアクセントを置いて言った。……それを忘れているのがあの二人か。
 窓から夜風が吹き込む。とても涼しくて、火照った体には気持ちいい。

「このまま寝かせておくのもいい気がしますけど、流石に風邪引くだろうなコリャ。……そんじゃ秋葉様をお連れするから、―――翡翠頼むぞぉ」
「――――――はっ」

 ……途端。
 琥珀さんの胸から、むくり、と立ち上がる。

「ひ、翡翠!!?」
「―――はい」

 その、まるで、……スイッチを入れられて起動したような動きは。
 酔ってちょっと情けない(可愛い)顔と一変、いつもの冷静忠実無表情に戻った。

「ほ、本当にもう平気なの……?」
「―――いいえ」
「……」

 ……恐ろしく素直だ。
 そうさっぱり言われると、何か平気じゃない怖い事が起きそうな気がする……。

「そんじゃ、ちゃんとお嬢さんをお部屋に連れて行けよーっ」

 秋葉に肩を貸してよろよろと居間を出ていく。

「くれぐれもお嬢様を襲うんじゃないぞーっ!」

 だははは……とばか笑い(失礼)と共に二人は廊下に消えていった。

 ………………その、十の本人だが。

「―――」
「……あのさ、翡翠? ……私、全然酔ってないから、一人で部屋戻れるから……」

 だから、早く休んだ方がいいよ……と言おうとすると
 ギュッ

「…………え?」
「お部屋をお連れします」

 引っ張られた。しっかりと、―――手を繋がれて。

「ええええ……っ!?」

 それより、文法おかしいし……!

「翡翠! ちょっと、今の貴男、歩き方(+言動)変だよ!!」

 早足ながら、ゆらゆらと蜂のように前に進んでいく。階段なんて足を踏み外してしまいそうだ。でもって、いくら酔っているとはいえ、―――しっかりと手を繋がれていいのだろうか。少し痛い気もするけど。
 バンッ と大きな音を立てて私の部屋を開けた。

「―――お部屋にお連れしました」

 そう、分かり切った事を真剣な目で言った。
 真剣……かな? 少し焦点が合ってないかもしれないけど……。

「うん……ありがと。ゆっくり休んでね」

 無表情な彼に微笑む。

「―――む」

 がくん、と
 翡翠は絨毯に倒れ込んでしまった。

「!? 翡翠! 大丈夫!?」
「―――」

 へんじがない。ただのしかばねのようだ………………。
 って違う!

「翡翠ってば!!」
「す―――」

 ……。
 寝ちゃった……?
 まぁいいか。気持ちよく寝ているところを起こすのも難だし。

「絨毯の上……か。ちょっと痛い気もするけど」

 いくらなんでも翡翠の身体を持ち上げてベットに運ぶなんて真似できない。仕方ないので、自分のベットの掛け布団を一枚、翡翠にかけてやった。
 ……。
 その瞬間、ぐらりと世界が曲がった。

「あ、れ……?」

 なんだ……私も、結局酔ってる……?
 私も翡翠と同じに今日がワインデビューだったんだから無理もない。
 …………。
 なんとか寝場所までたどり着き、……倒れるようにして眠りについた―――。



 /6

 その日は綺麗な三日月だった。闇の者が活動する日としては、良くもなく悪くもなく、『狩る側』としては最高の日かもしれない。男は街頭から飛び降り、街の公園へと降り立った。街頭に灯りは点らない。いつからか此処は真っ暗な世界となってしまっている。そんな此処を居住区とする異端者も多い。迷惑な話だ。最近、自分の活躍により減ったと思っていた悪魔達が、確実に群を成していると言われて、狩る側の苛めにあっている。本当なら苛め発覚したらそれを潰しているだろうが。
 不愉快な話をするのは止めよう。目の前に、とても不愉快な男が居る。だからマイナスへ考えるのは良くない―――。

「―――よぉ。久しぶりだな」

 公園に立っていた男性は、下から見上げるように公園に降り立った男を見た。その目はギロリ、と別の生き物のように動く。朱い目が闇の中光っている。

「何を、やっているんですか」
「はは……分かり切った事を聞くなよ。俺は狩りに来たんだぜ? 変にこの街ウヨウヨいるからよ。―――貴様らとは違う」
「ええ。僕達は『貴男を含めて』吸血鬼狩りです。君のように吸血鬼に甘くありません。吸血鬼は見つけ次第全部ぶっつぶしています」

 敬語なのに、最後は私情を入れて話す。本来の言い方の方が想いが伝わりやすいというのか。

「……なんだそら、それじゃ俺が吸血鬼に味方してるみたいじゃねぇか」
「違わないだろう? 戦意を無くした敵は潰しませんか。奴等は回復次第また人を襲いますよ」
「知らねぇよんなコト。無駄な戦闘はしない平和主義者なんだよ俺は。貴様のような喧嘩っ早いヒーローメガネとは違うんだ」

 長い金の髪を掻き分ける男性。邪魔なら切ればいいものを……。
 ―――さっきのは間違いだ訂正する。奴は一度髪を切られた筈だ。

「大体よ、なんで眼鏡掛けてるんだ? 視力なんて悪くないだろ」
「吸血鬼以外の話を持ち出すなんて初めてじゃないかな」
「……本当は貴様と話なんてしたくもねぇんだがな」
「同感」

 噴水の前のベンチに男性は座った。一度殺された吸血鬼の癖に恐ろしく回復力が早い。少しでも殺れるチャンスが掴めるかと思ったが既に元の力を取り戻したようだ。殺されたのならそのまま死んでいてくれればいいものを。

「……理解出来ない事です」
「なんだよ。貴様よりは馬鹿じゃない筈だぜ?」
「それはどうか知りませんが、言うならお洒落。かな」
「―――は?」
「ふん、やっぱり理解するなんて無理難題でしょう」

 唸る。何を言ってるのか分からない、と無い知恵を絞って唸っている。こんな人間臭い吸血鬼を見るのは―――非常に不愉快だ。

「真祖の皇子。一体何時まで此処に居るつもりですか」
「あぁ? 俺の司書かよテメェは。教えて何になる」
「僕の気持ちが晴れます」
「―――貴様のご機嫌取りなんてやりたくねぇけど、まぁいいか」

 ベンチから、立ち上がる。一瞬構えと取ってしまうが襲いかかってくる事はない。
 男性が、蒼い月の前に立つ。それは、彼を敵と見なしている僕でさえ見惚れてしまう光景。―――気分は、最高に悪い。

「姫君がいなくなるまで」
「―――」
「貴様は知らないだろーな。俺を殺した奴。そいつが居るまで」
「その方は、魔術師か何か」
「うんにゃ。普通―――じゃないけど人間。通りすがりの外人を殺しちゃうごく普通の女子高生。すんごくカワイイ。絶賛!」

 キモチワルイほどの笑顔を向ける。こんな奴は―――見たことがない。

「吸血鬼の質も落ちましたね―――」
「まぁな。埋葬機関もお洒落でメガネ星人になってる男を使ってるなんて落ちぶれたよな。何だよ、『弓』。ただ俺と話したかっただけか? 今ならタダで相手してやるぜ」
「結構。もしヤる予定だったらバックアタックかけてますから」
「―――だな。卑怯メガネ」

 夜。
 去っていく影。
 今度は殺し合っているかもしれない相手をそのままにして。
 まだ真祖の皇子とヤり合う前にやるべき事がある。
 奴と殺し合うのは、その後でもいいだろうと―――。





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