■ 2章 if 反転衝動/2



 /1

 弓塚くんと離れ、屋敷に向かう坂道を見る。結構急な坂道で自転車で上るのは難しそうだ。……だから、自転車通学は出来そうに無い。
 坂道を上がっていく。初めて歩く道ではないけど、やっぱり初めての感覚がした。

 かつて、八年前に来たとき以来、ずっと来なかった坂道。坂道の先には、我が家…………そこには、弟が暮らしている。
 嫌いだった遠野家当主の父は、先日他界したというニュースを見た。そして大企業・遠野家の当主は、弟がしている。
 ずっと遠野家に相応しいように厳しく教育された弟……秋葉はどんな風になってるだろう。
 八年前から、ずっと会っていない弟。屋敷の記憶で残っているのは、ヤンチャで泣き虫な弟。
 いつも広い庭で遊び、走り回った想い出。そして父に怒られ泣きついてくる想い出。
 父は子供の遊びの時間も奪った。
 秋葉は家では大人しく、外では元気に、そんな多重人格ぽいところがあった。そうでもしなければ、ずっと父に縛られていただろう。
 八年前の記憶といえば、秋葉と私以外にも子供がいた。無意味に広い遠野の庭で、いつも一緒に遊んだ男の子……。とっても明るくて、私が父に怒られてちょっと落ち込んでいた時も、あの子が私の手を引っ張って外へ誘ってくれた。

『シキちゃん、あそぼ』

 思い出せば、どんどんあの時の光景が浮かんでくる。
 そう、あの明るい子がいてくれたから、私と秋葉は幼少時代楽しく遊ぶことができたんだ。あの子は多分、年上だったんだろう。遊ぼう、と誘ってくれても、あの子は私と秋葉を見守ってくれている感じがした。彼は……私にとって『お兄さん』だったのかもしれない。
 毎日、庭を駆け回る。そして父や教育係に怒られる。そんな毎日。
 …………他にも子供は、いたと思ったんだけどな。

 ……まだ、いるのかな。あの子。

 いたら、昔の話に華を咲かせよう。そうして失った姉弟の関係を少しでも回復できるなら…………。



 /2

 なんて考えてたら、遠野の門に着いてしまった。
 鉄格子で囲まれた洋館は、まるでお化け屋敷のよう。きっと小学校のグラウンドといい勝負。庭というより森。この鉄格子はまるで監獄。
 門を勢いよく押す。そして、そこから歩いて5分くらいの入り口に向かった。

 ―――入り口の前で、あっ、と声を上げた。

 この風景、見覚えある。
 そりゃ、八年前ここで生まれ、住んでいたんだから見覚えがあるのは当然だけど、ここから屋敷を見るのは……ある事を思い出した。
 二階。二階の、あの大きな窓。

 …………あの子も、いるのかな。

 いつも私と秋葉を外へ連れ出してくれたあの子……、にそっくりな『もう一人のあの子』。

 あの大きな窓から、いつも私たちの遊びを見ていた男の子がいた。二階だから声をかけることもできない。大声も出せず、ただ私はあの子を下から見上げることしかできなかった。
 男の子は窓から見ているだけ。
 私を連れてきてくれる明るい双子の男の子とは違って、まったくの無表情。
 最初は人形かと思った。結局、あの子とは話すことができなかった。…………最期の日までは。

 私は身につけている白いリボンを、指でちょんと触る。私の髪を束ねているリボン。それがあの人形のようなあの子のプレゼントだった。遠野家を追い出される日……庭の大きな木の下で、私は初めてあの人形のような男の子にあった。

『あげる。似合いそうだから』

 ロボットのように、単調な声。
 女の子の私にくれたプレゼント。私はとっても嬉しくってその場でリボンを身につけた。それからずっと、愛用している。それが、あの男の子と話した唯一の会話………………。

 暫くして、見る者を圧倒させる大きな屋敷が見える。呼び鈴を鳴らし、人を待つ。ぴんぽーん、なんて一般的な音はしない。完全防音なのか、中の音は一切しなかった。本当にお化け屋敷みたい……と思っていると、ゆっくりと玄関が開いていく。

「お待ちしてました―――っっ!」
「……」

 突然の、明るい声。
 扉の先には、とても広いロビーと、着物を着た男性がいた。
 地味な色の着物を身につけたどこぞの小説家みたいな男性は、にこにこと笑って出迎えた。

「いやーっ! ちょっと遅かったからそろそろ迎えにでも行こうかなとか考えたところでしたよ!」

 とても元気な敬語は……ただうるさいだけの有彦とは違った感じがする。
 しかし、何故着物なんだろう……? 日本とは思えない洋館に着物も何だか……。ちょっとオドオドしてしまったせいか、男性は少し首をかしげる。

「……………………志貴さま、ですよね?」
「え、はい。……サマ、はいらないですけど……」
「よかった。間違えたのかと思ったじゃないスか! もう、脅かさないでくださいよーっ」

 やたら陽気に怒られてしまった。怒られても嫌な感じは一切しない。
 なんだか、……小学校の先生みたいな人……とっても暖かい雰囲気を持っている。この明るさは……。

「あの……貴男は、ここのお手伝いさん…………じゃなくて、私をいつも外に誘い出してくれてた…………?」
「はは。ささっ、お荷物はこっちへ……やっぱり女の子だから荷物多いナー。あ、居間で秋葉様が待ってますから、どうぞ遠慮せず上がってください!」

 質問に、笑っただけで応えた、私の荷物を持ってすぐ二階に上がってしまった。
 ……どうやらあの人は敬語はあまり得意ではなさそうだ。素早く階段を登ったと思ったら、すぐ帰ってくる。

「……え?」

 着物の男性は下りてくるなり、にっこり笑って私を迎えた。

「おかえりなさいませ。志貴お嬢様。これから宜しくお願いします!」



 /3

 ―――荷物を置いてきたお手伝いさんに連れられ、居間にやってくる。
 居間は初めて見るような気がした。
 本当の西洋のお城のよう。夕日のせいで居間は赤く染まっていて、ちょっと不気味な雰囲気を持っている。
 さっきの威勢のいい着物の男性がペコリと頭を下げた。

「志貴お嬢様をおつれしてまいりました」

 そう、ソファに座る男に言う。

「……ごくろう。厨房に戻っていいぞ、琥珀」
「はっ」

 ロビーで私と話していた陽気で優しい声とは違った。とても厳しくて、……いかにもこの屋敷の執事、といった感じである。だが、琥珀と呼ばれた着物の男性はこっちを見るとウィンクをした。

「……っ?!」

 思わず驚いてしまう。今さっきまで真面目そうな顔してたのに、一気に表情が崩れたから……。
 さっきまで厳しい執事、って感じがしたけど、公私の区別をきっちり分けているらしい。居間に残されたのは、私と、見覚えのない二人の男性だけ……。

「久しぶりだな、姉さん」

 黒い髪に凛とした眼差し。ソファに座る男はそう言った。

 ………………え?

 ―――つい、声に出して言ってしまった。
 『姉さん』と確かに男は私をそう呼んだ。
 ということは、この人が、弟の……………………秋葉なんだろう。

 ―――えぇ?

 ……今の姿は八年前の記憶とは、あまりにもかけ離れている。
 八年ぶりに出逢った弟・秋葉は、…………私の嫌いな父にそっくりだった。
 そりゃ、私と一つしか年が違わないのだから顔はまだ高校生だし、声も中年男性から比べたらまだ高い。体つきが変わったのは成長期なんだから仕方ないけど…………それでも、何かが違った。

「……姉さん?」
「え……あ、その」

 首を傾げる男。改めてその声で確かめてみれば、まだ少年らしい可愛い声をしている。でも、もしかしたら私よりも大人っぽくなってるような……気がした。言葉にならない声がもれだす。
 じろりと見てくる。不機嫌そうな眼差しは……そう、記憶の中の父そっくりだった。

「気分が悪そうだな……話の前に休みをとろうか?」
「……ううん。気分は悪くないから。ただちょっと驚いただけだから……」
「八年経てば人は変わる。変わらない方が可笑しい。…………そうだろ、姉さん?」

 ……そんな秋葉の声には、確かに棘があった。

「それにしたって秋葉は変わったね。…………とっても男らしくなった」

 そして、―――とても格好良くなった。
 それはお世辞ではない。うちの学校にはこんなに格好いい男子はいない。

「そうか。じゃあ体調が良いなら話を始めよう」
「……」

 ……なんて、冷たく言い放たれた。あまりの返され方に流石にブルーになってしまう。
 八年間……こんなに変わってしまうのだろうか?

「父の葬式を報告できなかったのは……こちらの失策です。申し訳ありません」
「あ、それは…………もういいから。気にしてないから大丈夫……」

 正直な気持ち。一企業のトップの父が死んだとニュースで聞いたとき、……まるで他人事のように受け止められた。きっと葬式に招かれたとしても、私は嫌々断ったかもしれない。

「姉さんを屋敷に呼び戻したのは俺の意向です。ずっと養女なのはおかしいから、こっちに戻ってきてもらったんだ」
「……そんなことしたら、親戚の皆さんに何か言われるんじゃないの。私を有間に行かせたのも、親戚が言い出したと聞いたし……」
「でも、今の当主は俺だからな。他の発言は全て却下させてもらった。……まぁ、現在俺と姉さんと手伝い二人しか住んでいないからどうでもいいことだろうけど」

 …………え?
 それってまさか、この大きな屋敷が全部……秋葉だけの物ってこと?
 たとえ大企業トップの跡継ぎが秋葉だからって……秋葉はまだ、私より一つ年下の高校生なのに?

「そ、そんなことして何か言われたら……」
「……さっき言っただろう。『今の当主は俺』だって。姉さんも屋敷の中で親戚に会うなんて嫌だろ?」

 そりゃあ……嫌だけど。なんだか、それは我が儘の許されるレベルが違うような……。

「何も戸惑う事はない。元の家に帰ってきただけのこと…………違いないだろ」

 そう、だけど……。
 すっかり当主の威厳を持っている弟。目を逸らそうにも、弟の眼差しは真っ直ぐ過ぎて反らせられない。

「それじゃあ、分からないことがあったらコイツに言いつけてくれ。………………翡翠」

 秋葉の後ろに立っていたもう一人の男が出てくる。翡翠と呼ばれた青年は、無表情のまま一礼をした。

「コイツの名は翡翠。今日から姉さんの世話をすることになった。雑用はなんでも言いつけてくれ」

 ……………………はい?

「ちょ、それは、つまり……」
「分かりやすく言えば、召使い、ということだ」

 当たり前のことのように、きっぱりそう言われた。
 ……信じられない。自分専用に召使いがつけられるだなんて。これじゃ本当に……お姫様?

「……ちょっと待ってよ秋葉……子供じゃあるまいし、私に召使いなんて……」
「食事の支度も、部屋の掃除も?」

 ……う。

「ともかく。この屋敷で暮らすんだから俺の指示に従ってもらう。そんな厳しいことは言ってないだろ」

 …………うう。

 こんな大きな屋敷に住むんだから、不自由なのはわかってるけど……。

「秋葉!」

 出せる声を出し切った。眉を歪ませ、秋葉は何だ、と応えた……気がした。

「…………何で私を呼び戻したの? 私がいたって、全然役に立たないわよ。……それよりずっと迷惑をかけちゃうだろうし」

 無意味に倒れたり、体調不良を訴えたり。
 そんなことがまだ起こる。それで遠野グループに傷でも負ったら…………。

「…………………………姉さんを取り返したかった」
「え……?」

 意味が分からなくて、聞き返した。

「……翡翠。部屋へ招待してやってくれ」
「はっ」

 翡翠と呼ばれる男は、無表情で人形のように立っていた。翡翠は足音もたてず、私に近づいた。



 /4

 ―――今度は使用人さんに連れられて二階にあがる。薄暗い廊下を、黙って歩く。
 部屋に招待されると、荷物が置いてあった。……さっきの話には満足していない。八年ぶりの再会がかなり気まずいものになってしまったのは変わりない。
 ちょっと……いや、かなり広い個人の部屋に入る。

「ちょっと広すぎる気がするけど…………ここが私の部屋なのね」
「―――それでは、一時間後にお呼びに参ります」
「もしかして夕食……?」
「はい」

 ……やっぱり翡翠は無表情で話した。
 きっちりと正装を着こなして乱れたところは一つもない。愛嬌もなければ顔の歪みさえない。

「その、……ここテレビはないの?」
「―――」

 少し黙り、……整えられた声を発す。

「今は、分家筋の方々が持ち去ってしまったのでありません」
「分家筋って……どれくらいこの屋敷には住んでたの?」
「久我峰さまのご長男、刀崎さまのご三女と新婚者。軋間さまのご長男が」

 …………随分たくさん住んでいたんだなぁ。だからバカ広いのかな?

「でもしょうがないよね。きっとお父さんも……秋葉もテレビなんて見ないだろうし」

 それと、目の前の翡翠さんは絶対に見ないような気がする。

「―――兄さんの部屋ならあるかもしれませんが」

 突然、翡翠が口を開いた。…………兄さん?

「ちょっと待って。兄さんてもしかして…………琥珀さん、の事?」

 この屋敷で私を一番最初に迎えた着物の男性、名を琥珀さんという。
 ……そういえば、よくよく見てみると似ている気がする。

「はい。現在、この屋敷で働かせていただいてるのは私と兄さんだけです」

 でも琥珀さんの方はずっとニコニコ笑っていて、翡翠さんの方はずっと無表情だったから気付かなかった。……ということは。

「じゃあ、昔からこの屋敷にいなかった!?」

 二人は、きっと八年前から私と遊んでくれたあの子たちだ。翡翠の顔に、一瞬だけど顔が崩れた。

「あ。………………昔、昔ね、…………あなたのお兄さんと一緒に遊んでいたんだけど」

 この、無表情の男の子とは、残念ながら会っていなかった。
 ……遊びたいのは山々だったけど、彼は最期のあの日しか屋敷から出なかったのだ。

「―――私たちは幼少の頃からここに遣わせていただいてます」

 …………それだけ、応えた。
 この人にとって、八年前の事なんてそれだけなんだろうか。
 じゃあ、私が琥珀さんに自ら言いに行かなきゃならないか……。『あの時の出来事、覚えてますか?』って―――。

「…………じゃあ翡翠さん。夕食までここにいます。から、時間になったら呼びにきてくれませんか? 翡翠さんだってお仕事あるでしょ?」

 はっ、と短く返事をして、翡翠さんは部屋を出ていった。



 /5

 ―――夕食は秋葉とだけ、翡翠さんと琥珀さんは当然かもしれないけど立って世話をしているだけだった。
 夕食が終わって、自分の部屋に戻ってきた。まだまだ八時……寝るのはちょっと早い。自室でのんびりしていた。ベットに倒れ込んで天井を見る。

「どうせ四人しかいないんだから、四人で食べたかったな……」

 ―――トントン。
 ノックと一緒に翡翠さんの声。

「志貴お嬢様、いらっしゃいますか?」
「はい。どうぞ中に入ってください」
「はっ、―――それでは失礼します」

 一礼して部屋の中に入ってくる。相変わらず無表情な人だ。

「ベットメイキングに参りました。しばらく居間の方へおくつろぎいただけますか」
「あ、すぐ終わるなら端に居ますから、心配しないで下さい」

 部屋の隅に移動する。……何か翡翠さんは言いたそうだったけど、結局何も言わず、ベットメイキングをはじめる。

「…………翡翠さん」
「はい、なんでしょうか。志貴お嬢様」

 手を止め、こちらをじっと見てくる。本当にロボットのような一直線の眼差しで……。

「あの、………………ここの門限が7時って本当ですか……?」
「はい。近頃、夜が物騒ですので、学校が終了次第お早めにお帰り下さい」

 ……部活やってないんだから、寄り道するなって事?
 でも若い女性が狙われる事件がこの街で起きてるんだから、用心しなきゃ。
 シーツをかけ終わると、翡翠さんはこちらに向き直る。

「―――何かご質問は?」

 ……そういえば私、翡翠さんや琥珀さんのことについて、何も知らない。

「あの、翡翠さんと琥珀さんはここでどんな事を?」
「―――私が志貴お嬢様のお付きで、兄の琥珀は秋葉様のお世話をさせていただいてます」

 ……二人だけの召使いで、この大きな屋敷を片づけてるって凄くない?

「何か不自由なことがありましたら、なんなりと申しつけてください」
「じゃあ…………特別なものじゃないけど……その、『志貴お嬢様』っていう呼び方、やめてくれませんか?」
「―――ですが、私は志貴お嬢様専用の召使いです」

 ……殆ど即答。

「私のことは志貴でいいから。……だから貴方の事も翡翠って呼ぶわ。そう、琥珀さんにも言っておいてくれませんか?」

 ……。

「―――私に敬語を使わないで下さい。私は志貴お嬢様専用の召使いですので」

 ………………あ、ちょっと表情が崩れた。
 無表情ながらも、翡翠さんは眉をさげ、壊さなかったその表情が微かだが変わっていた。ちゃんとこの人にも感情があるようだ。
 ……なんて、当たり前のことを思ってみる。

「では、兄にも言っておきます。それでは失礼します。このままお休みください、志貴お嬢様」

 ……けど、わかってない。
 一言置いて、足音のしない歩き方でノブに手を掛けた。

「あ、あと一つ……!」

 言いたいことを思い出した私は、去り際の翡翠さん、……じゃなくて翡翠の肩を触った。

 ―――瞬間。

「あっ」

 ピシッッ、と。
 私の手を一瞬で払った。
 払ったというより、私の手を叩いた…………。

「え……」

 叩かれた手が、ちょっと痛い。
 彼は無表情ながら、……どこか睨んでいる顔だった。

「あ……私、何か悪いこと……」
「!」

 ハッと声も出さず驚く。

「…………申し訳御座いません」

 物凄く、悪いことをしてしまったようだ。
 何も言わず、頭を下げる。目を伏せ、私を見てきた。

「そ、その……ごめんなさい……!」
「志貴お嬢様が謝る必要はありません。……非があるのは私のほうでした。―――ご用件は何でしょうか」

 話を戻される。

「あ、その……いいから」

 ……。
 ……なんだか、凄く睨んでる……。

「ごめんなさい……また、分からないことがあったら聞くから」
「それでは失礼します」

 ……。
 あんなに、怒らなくていいのに……。それとも、触ってほしくないのかな……。
 ……私、嫌われてんのかな。
 そりゃ、いきなり現れたお嬢様なんて気にくわないでしょう。使用人なんだから文句も言えない。それなのに強引に秋葉に言われて……。
 ……確かに、話したことないけどさぁ。
 あの子は、気付かなかったんだろうか。この髪を束ねている白いリボンの存在を―――。



 /6

 ―――琥珀さんの部屋へ行って、テレビを見に行く。一階に下り、使用人の部屋へ。
 ……えっと、琥珀さんの部屋はここかな?
 コンコン、とノックをする。

「琥珀さん、いらっしゃいますか?」
「あー、ちょっと待ってくださいなー」

 部屋の中から陽気な声が聞こえる。
 ドアを開いて琥珀さんが顔を出した。翡翠の顔とそっくりだが、表情は全然違った。

「あんれ、志貴お嬢さんじゃないっスか。どうしたんですか、こんな時間に?」
「えっと、その……テレビを見せてもらいたいなーって」
「へ?」

 ぽかん、と目を白黒させる琥珀さん。

「私の部屋、テレビ無くて……翡翠に聞いたらこの屋敷には琥珀さんの所しかテレビがないって聞いたものですから、もし宜しかったら見せてほしいなって……」

 テレビが見たいだけで、男性の部屋に入り込むだなんて……無茶な注文だとは思ってるけど、有彦みたいな人は滅多にいたいってわかってるけど、でも……。

「そっかそっか。ごく普通の女子高生がテレビ見ないなんて珍しいもんだしね!」

 ……琥珀さんは有彦と同じレベルの明るさだ。

「そのー、秋葉様と翡翠にはこの事話、しました?」
「いえ、話してませんが……それが何か?」
「いや、気にしないのはいいことだ! ……そんじゃ何処でもいいから座ってくださいな!」

 ぐいっと腕を掴まれ、部屋に引きずり込まれる。ちょっと強引だけど、招待してくれてるのだからしょうがない。
 ―――琥珀さんの部屋は、いかにも男性らしいごちゃごちゃした部屋だ。
 また有彦と比較しちゃうけど、整理整頓の好きな男性って少ないんだな……。お手伝いさんだから、きっちり整理してあると思いきや。……でもきっと翡翠の部屋は整理してある……というより、何も家具が置いてない気がする。
 ……あ、ゲーム機にプラモ……。
 琥珀さんの趣味なのか、ドムが数機転がっていた。あれ、十二機もある…………ってことは。
 ……何だか、気が合いそう。
 座る場所を作って、テレビの前に腰を置く。

「お茶でいいですかー、お嬢様」
「あ、おかまいなく」
「いやいや、来てもらったんだから最小限の事はしとかないと罰あたるだろー」

 奥の方でがちゃがちゃやっている。使用人の部屋とはいえ、やはり豪華には変わりなかった。その豪華な部屋を埋め尽くす、色々な物体……。

「ぶっ……!」

 今、露骨に…………年頃の男性らしい『アルモノ』が見えちゃった。

「どうしたんだぃ?」
「い、いえ! 私、見てませんから!!」

 ……隠すこともできず、「あーあ」と琥珀さんにその存在をバラしてしまった。

「あー、やっぱり女の子からして『コレ』は不潔かねー」
「そ、そんな事はないです! あるのが普通だと思います!!」

 ……でも、あんまり見たくないなぁ、…………女の人のビデオと本は。
 ベットの下にぽいっと捨てるように琥珀さんは『ソレ』を投げ込む。そして、にっこり笑って琥珀さんはテレビの電源を入れた。
 一体何が見たい? と何事もなかったように。……なんてサッパリした人なんだろう。

「じゃあ、……とりあえずニュースで。今日は歌番組があったはずだけど……もうこの時間じゃ終わっちゃってるし」
「はぁ、お嬢様は知的なイメージがありますから、この時間は部屋で読書でもしてるのかな、なんて思ってました」
「あー……確かに読書は嫌いじゃないけどね。読書じゃ最新のニュースや好きな歌手にも会えないじゃないですか。やっぱり眼鏡イコール読書ですか?」

 眼鏡っこ萌え〜……なんて誰か言ってたなぁ。
 ……………………誰かって、私の知ってるバカはアイツしかいないんだけど。

「そんなことないっすよ。そりゃ本よりテレビの方が俺、……じゃなくて私は好きですし!」

 一人称を言い直す。
 何か琥珀さんの敬語は、すごく努力して使ってるような気が……。

「……琥珀さん。いいんですよ、敬語なんて使わなくて。私のこと、志貴って呼び捨てで構いませんから」
「そら困るんですよ! そんなコトしたら秋葉様に何されるか……もし呼び捨てで呼ぶ時は俺を婿でもしてくれればいいですけどねっ。……あぁ、志貴お嬢様のウェディングドレス姿、いいだろーなー」

 真っ正面から、笑顔でそんなコト言われると……何か照れる。
 ……それにこの人、話が飛躍しすぎだ。

「普通に話してくれた方が、私も気が楽です」
「……そうっすね。由緒正しい遠野家なら結婚式はドレスより着物だろうし」

 ……だから、話が違うって。

「じゃあお言葉に甘えて。…………敬語を使わなくていいのは嬉しいけど、秋葉様と翡翠の前だけは我慢してね。……お嬢さん」
「はい」

 ……はぁ、なんて物わかりのいい人なんだろう。双子の弟とは大違いだ。

 ニュースはいつもどおり、一日の出来事……特に例の殺人事件をあげていく。
 きっとどこのニュースも通り魔殺人の特集をしているだろう。通り魔殺人……最近この街にも被害者が出た。無差別に若い女性を狙い、最後には血を抜き取る……現代の『吸血鬼』と呼ばれる犯人。
 被害者はもう9人。みんな二十代前後の女性が被害者。

「気を付けてくださいね、お嬢さん。最近は警察も襲いかかる世の中っすから」
「はい、……でもどうやって血って取るんでしょうね」
「きっとデカイ注射器でちゅーとかやってるんだろうね。ってことは犯人は医学関係かな? 抜き取るにも知識が必要だろうし」
「9人も被害者が出てるっていうのにまだ捕まらないだなんて、…………もしかして計画された殺人事件じゃないのかしら」
「あー、俺はそう思いますよ? 『無差別に若い女性』って言ってるけど、一切証拠を残さない精密な計画でやってんだから。そのうち小説化とか映画化しそうな事件だねー」

 笑顔で物騒な事件を語る琥珀さん。
 あんまり自分とは関係ないって思ってるのだろう。

「……でも琥珀さんも気を付けてくださいね。9人もヒトを殺せる犯人ですから、いつ男性を襲うかわかりませんよ」
「はは、俺は大丈夫っすよ。俺がいなくなったら秋葉様とお嬢さんに食事が用意できなくなりますよ」

 ……そういう問題じゃないんだけど。

「とりあえず、この屋敷で一番危ないって言ったらお嬢さんなんだから、なるべく夜の散歩は遠慮してくださいな。もし何かあるのなら、俺に言ってくれれば何処でもついてきますよ?」
「ん……ありがとう」

 なるべく、夜外に出なきゃいい事件なんだから。

「……あ、琥珀さんて、外出るんですか?」
「んー、それなりに出ますよ。といってもお買い物は全部送ってもらってるし、相当な用が無い限りあんまり出ないかもしれませんね。……ちなみに翡翠は全然この屋敷出ませんよ」

 ……なんだか翡翠は世間知らずっぽいなぁ。

「それじゃあ、…………お友達に会ったりとかは?」
「はは、俺達そんなのいないから」

 ……なんて悲しいことを、この人は笑顔で言ったのだろう。

「……そんな冗談、面白くないですよ?」

 苦笑いで返す。確かに昔はこの屋敷自体が一つの街みたいだった。沢山の人が住んでいて、大きな部屋は一つの家のような気もした。それを教えてくれたのが……。

「ん? どうしたんすかお嬢さん」

 じっと、私は琥珀さんを見つめた……。

「…………気付いてくれませんでした」
「はぃ?」

 彼は、自分があげた白いリボンの存在を……。
 翡翠は、私にとって大切な思い出を忘れてしまっていた。

「……すいません、琥珀さんには関係なかったことかもしれません」
「んー、そういう言い方は凄く気になるじゃないかぁ!」

 すいません、と何度も謝って許してもらった。…………どうやら琥珀さんは、今でも昔のように私の『お兄さん』のままだった。

「―――お邪魔しました。また見たくなっちゃったら宜しくね」
「はいはい、またのお越しをお待ちしておりまーす」

 きょろきょろと廊下を見渡し、部屋の外に出る。

「本当ならお嬢さんを部屋まで送りたいんだけど、翡翠に見つかったら文句言われるからここでお別れってことで」
「はい、それではおやすみなさい」

 ―――部屋に戻って、ベットのシーツの上へそのまま横になった。
 ……八年ぶりの屋敷。
 ……再会した弟。
 ……会いたかった人にも逢えて、やっと一日が終わる。

「どうなるんだろ、私……」

 ぼんやりと、独り言を言っていた。



 /7

 オーン。
 犬の遠吠えが聞こえる。

 オーン。
 音は止まない。

 オーン、オーン、オーン……。
 鳴き続ける犬。

「……うるさい!」

 あまりのうるささに、目が覚めてしまった。外でワンワンと犬が鳴き続けている。
 このままじゃ眠れそうにない。こんなに五月蠅かったら、きっと秋葉も眠れないんじゃないか。
 ……まさか、屋敷内に飼ってるわけ……?
 予測だけど琥珀さんあたり、犬が好きそうだし。
 ……閉まっていたカーテンを開ける。すると、真っ暗の世界に光りが見えた。

「………………え?!」

 オバケ。
 ……じゃない、鴉の目が光っていた。

「お、おどかさないでよ!」

 聞こえるわけもないけど、鴉に怒鳴った。ぎょろりとこっちを見ている鴉。窓のすぐそばにある木からずっとこっちを見ている。しかしすぐに鴉は飛び去ってしまった。
 ……見られてるなんて考えすぎだ。鴉さんは鴉さんの生活があるんだから。きっとこの屋敷を住処にしている鳥は沢山いるんだろう……。

 ―――窓から、外の景色を見る。
 電灯がいくつか付いてて、門の外の道が見えた。

 オーン、オーン、オーン……
 まだ犬は鳴き続けている。

「どこにいるんだろう……犬」

 窓を開け、身を乗り出す。秋とはいえ、まだ風は暑かった。
 眼鏡をかけてはいるが、視力は悪くない。この眼鏡に度は入ってないのだから。
 鳴き声のしている方を見た。

「……いないね」

 犬はいなかった。
 あるのは、……人影。

「え?」

 ―――ぞっとした。
 こんな真夜中に一人佇む男性の影が見えた。

「あ、でも男性だし……」

 きっと有彦より肝の据わっている人なんだろう。電灯の所にぽつりと、コートを着た男性が立っている。
 もう一度犬を探してみたが、どこにもなかった。コートの男は二階の窓から見てもわかるくらい、長身でがっちりした体格。何かを待っているようにも見えた。
 ……待ち合わせかな。
 無意味に大きなこの屋敷は、きっとこの街の目印になるだろう。まだ時間は……十一時なのだから、大人がふらついていてもおかしくはない時間だ。

 ―――くわあ。

 鴉が飛んでいる。そして男の肩に乗った。

「……あれ」

 鴉って、人に懐くんだ……。
 もしかしたらペットなのかもしれない。鴉と思ってたけど、本当はもっとペットらしい動物だったりして……? 黒いコートが、こっちを見る。

「……………………あ」

 見ら、れた。
 門の所から、二階の窓を……。

 ―――男は去っていく。
 まるでこの屋敷に用があるみたいだったが、結局呼び鈴も押さず去っていく。私はホッと息を付く。見られた瞬間、息が、止まった。

「まさか見てるの、気付かれるなんて……」

 ……気が付けば、犬の声はもうしなかった。
 窓を閉め、ベットに素早く飛び込む。……なんだか、頭が痛くなってきた。

 ………………あれ?

「な……んで、指が、震え……?」

 ガチガチに震え、背筋が冷たい。くらりとめまいがした。いつもの、貧血だろうか……。
 ―――気持ち悪い。

「線が……見える……」

 眼鏡をしているのに、世界の継ぎ接ぎが見えた。





黒い獣/1に続く