■ セレナーデ



 冬の寒さも終わりになり、春の温かさがそろそろ見え始めた日、俺は琥珀の淹れてもらった珈琲を飲んで一息ついている。

「当主様、お替りは如何ですか?」
「あぁ、最後に一杯くれないか。それにしても今日はやけに静かだな」
「ええ、志貴さんたちはお出掛けされています」
「珍しいな、あの三人が揃って行くなんてな」
「そうですね」

 そこで会話が切れて、沈黙が続いた。別段俺と琥珀の会話に珍しくは無くよくある事だ。
 このパターンは一切変わっていない。現在も昔も……。
 俺はさっきから琥珀が編み物をしているのに疑問を持った。

「さっきから何を編んでいるんだ?」
「秘密です。って言えばどうします?」
「当主権限を使って聞き出す。そのつもりだが?」
「ふぅ、当主様には敵いませんね」
「そうやって話を逸らさずに答えてくれないか?」
「これは手編みの手袋にする予定です」
「そろそろ温かくなる頃に何故今更になって編んでるんだ?」
「私の気紛れですよ、来年も寒くなりそうですからね。そうだ、そろそろ夕食の用意でもしてきますね。失礼します」

 言いながら編み物セットを片付けながら、足早に去っていった。



 場面は変わって、遠野家の夕食タイム
 ちなみに志貴らは今日中に帰ってこれなくなっている。どうやら外出先で酒を振舞われたのが原因らしい……。

「当主様?どうしたのですか?」
「いや、別にどうでもいいんだが。久しぶりだな……その……なんて言うか……」
「二人っきりでいることがですか?」

 何故俺がこんなに恥ずかしいことをしれって言えるのだ?

「あははー、当主様ったらお顔が真っ赤ですよー」
「……」
「嫌ですよ、そこで黙られると困っちゃうじゃないですか」

 俺はこの雰囲気をかき消すように食事の手を早めた。

「しっかりご飯を噛まなくちゃいけませんって言われませんでした」
「わかったよ。ったくこれだと昔となんも変わってねぇな」
「そうですか?私としては当主様が子供の頃と大分変わられて嬉しい限りですよ」

 俺は最高潮に顔が赤くなった。
 俺は何とか顔が赤くなるのをなんとか抑え、食事を終えた。取り敢えずいつもの秋葉の小言やその原因の志貴もいないので居間は静かだ。琥珀は編み物の最中に突然話しかけてきた。

「ふふ、子供の頃にも似たようなのがありましたよね」
「え? んなこと有りすぎて覚えてねぇよ。お前だけじゃなく翡翠や秋葉ともあった」
「あらあら、ご兄弟揃って浮気性だったんですね」
「あんな朴念仁と一緒にするな。あいつは昔っからの正真正銘の鈍感野郎だからな、鈍感な奴は自分が鈍感ってことすらわからないからな」
「へぇ、じゃあ当主様は今は浮気性じゃないのですか?」
「どうだろうな。俺にもわからないってとこか?」
「本当に昔と同じですね、そう言った言い回しや意地悪なところも」
「そうか? 自分のことだから分からない」
「本当に昔は意地悪さんでしたよ。楽しかったですよね、あの頃は」

 琥珀は少し遠い目をして、編み物をしている手を止め呟いた。

「元気で無邪気な翡翠がいて」
「素直で純粋な秋葉様がいらして」
「大人しくて優しかったお前がいた」
「意地悪でしたが皆のことを考えていらした当主様がいました」
「そして可愛げがあった弟がいたな……」

 何故か心に残っていた"塊"がこみ上げてきた。気がつけば勝手に口が動いていた。

「なぁ、琥珀お前はあの頃のこと……まだ覚えてるのか?」
「あの頃……ですか。ええ鮮明に覚えています」
「そっか、そうだよな。俺はお前が全てを受け止めていることに全然気づいてやれなかったし、それに俺が同じことをしてたからな」
「ですが、今この時が琥珀にとってはそれを忘れさせてくれます」
「そっか……」

 逆に琥珀の笑顔が何故か不愉快に思えた。
 少し気まずい雰囲気になったが、時計の鐘が静寂を壊した。
 俺がそう言うと何故か笑えてきた。『楽しかった』よりも『懐かしい』よりももっと強く思いながら笑った、そう『幸せそうで羨ましい』、と思いながら―――

 俺は琥珀が嫌がる事を強要した、あの親父と同じことを知っていながらした。琥珀は親父を恨んでいた、親父は琥珀の全てを奪ったから俺も親父が嫌いだが俺も親父と何一つ変わらなかった。これは自己嫌悪じゃない自己憎悪に近かった。
「じゃあな、俺はそろそろ休むことにする」
 急にその場にはいてはいけない、そんな気がして逃げるように去った。



 俺は離れに戻ってもすぐには寝付けなかった。琥珀との会話で昔の事を遠野家へ復讐のみを願っていたことを思い出していた。
 志貴に逆恨みし、秋葉を傷つけて、琥珀を毎晩のように犯し続けていたときの事―――

「なぁ、琥珀お前は俺を許してくれているのか?」 

 子供の頃、琥珀は親父から蹂躙されていたのを俺は気づいてやれなかった。それでも俺には何もないように涼しい顔をしていた、初めて会ったときは自分を人形だと言っていた時から誰かに気づいて欲しかったんだろう……。あいつらの母親だって俺の親父によって消された上、琥珀は……。だが俺には親父を咎める資格なんてない。俺も同罪だから、同じケモノだから。

 琥珀が初めて夜に俺の部屋に来たのは俺が志貴を殺してから数週間後だった。
 俺は志貴をさした日からある部屋にとじこめられて数週間たったある夜にだれかが部屋をノックした。

「だれだ?こんな時間に何の用だ」
「琥珀です、四季様開けてください」

 ドアを開けるといつもの服とはちがったヒラヒラのとうめいな服を着た琥珀がいた。

「ど、どうしたんだよ。そんな服でこんな時間に」
「当主様よりのめいれいで来ました」
「なっ、なに言ってるんだ。何て親父がそんなこと言ってんだよ」

 かおが熱くなってうまく話せない。見たことない女のはだかが目の前にあるから……。

「四季さま、これは遠野家のものならとうぜんです。さぁらくにして下さい」
「はなせよ、いいから服を着てくれ」

 出来るだけ琥珀の体を見ないようにしながら、上着をわたした。

「これは当主様からのめいれいですから」

 琥珀はそう言うと、口を近づけてキスをしてきた。もちろん俺はキスも初めてだし、琥珀は舌を口の中に入れてきた。大人のキスってやつだ。
 口をはなすと体がドキドキしていたが志貴をさした時のように体があつくなった。その後は……。
 そんな風に琥珀は毎日おれの部屋に来た。



 そう、全てのあの日の夜から始まったこと―――
 琥珀はそんな俺に恨んでいるだろう。あいつにとって遠野家は俺以上に恨みを持っていただろう。今からでもやり直せないだろうか……。
 そんな虫の良過ぎる話なんて決して無いだろう。許してくれとまでは言わないが、もし謝ったら全てが壊れそうな気がする。これは俺の我儘だろう……。それに琥珀はまだ志貴が好きらしい。
 当主様、いや四季様は何やら怯えているようでした。当主様は私が遠野家に恨みを持っていた頃の話をされました。今はもう恨むような人がいないから思い出話のようで楽しかったので、言ったのに当主様は如何されたのでしょう。
 槙久様が亡くなられても私の恨みは消えてなかった。いいえ、本来なら私の手で殺したかったのに自ら亡くなられたのでその矛先を志貴さんに向けてしまった。志貴さんは笑ってこの屋敷に置いてくれている、皆さんと過ごした屋敷こそが私の唯一の居場所です。

「当主様はもう誰も恨まれていないでしょう」

 翡翠ちゃんには絶対に手を出して欲しくないから、私がお姉さんだから自らの身を差し出した。母さんがいなくなっても守ってあげないと。いつもそうやって全てを諦めていた、ですが四季さんはそんな私に話し掛けてくれた。人形の私にリボンをくれた四季様との会話が楽しかった。志貴さんが好きだったのですが四季様はそれ以上好きでした。



 四季様は志貴ちゃんをさした。もう私がいないと四季様はだめになってしまうから、当主様と同じなのでしょうか?四季様はこんな私をどう思われるのでしょう。でも四季様は私をどう思われてもかまわない、四季様がいなくなられるのなら私をどうしてくれても良い。
 四季様のお部屋の前にいる、槙久様の時と同じ服そうでドアの前で立っている。ノックする前に一回しんこきゅうをする、四季様はどうなんだろうと不安な気持ちでドアをたたいた。ひさしぶりの四季様は少し様子がかわられていた、いつもとはちがう当主様みたいに。

「四季様、琥珀をお好きなようにして下さい」
「なっ、何だよ一体、今日は変だぞお前」

 四季様はおどろかれている。でも私からやらないと……。何をされてもかまわないから、早く志貴ちゃんがもどってくるまで私ががんばらないと。
 そう思いながら当主様とはちがうけど、いつも通りにしてみた。



 四季様……この様な琥珀をどう思われましたか?はしたないと思われましたか?でも仕方なかったです。なんて言えるわけありません、是を言っては四季様を傷つけてしまいますから。
 私が頑張ったから翡翠ちゃんは何もされなかったし、志貴さんも帰ってきた。何より四季様が壊れなくて済みましたのが何よりでした……。
 差出がましいですが、この琥珀がもし告白すれば子供の時のように受け入れて一人の女性として愛していただけるでしょうか?もう恨んだり恨まれたりしない平和なこの屋敷で永遠にいるのがせめてもの望みです。
 俺ははじめて琥珀を抱いた次の日、親父の所へ行った。なぜ親父は琥珀を俺の所にやったのかそれが知りたかった。

「親父、入るぜ」
「四季か何の用だ。その顔だと不満のようだがどうしたんだ?」
「何で琥珀を俺の所にやったんだ」
「そんなことか……。いずれ分かることだ、お前は黙って受けておれば良いのだ。いつかはお前から欲しくなるのだからな。あいつはお前のモノだ」
「なんだと、琥珀をモノだなんて言うんじゃねぇ」
「琥珀は遠野家の為のモノだと決まっている。あいつはお前の好きなようにしていいのだ。気にする必要はない」

 琥珀とはそれほど知り合った長くないが友達と言える子だ。それを俺の好きなようにしていいだと?
 俺は頭に血がのぼって親父になぐりかかっていたが、子供の俺がかなうわけもなくたたきふせられた。

「わからないだろうが、私は未だ死ぬわけにはいかんのだ。感情のみで行動する貴様には未だ遠野家はやれん、だから私は行き続ける。この家を継ぐのに相応しい者が現れるまでな。貴様のようなガキがしゃしゃり出てくるような事ではないのだ!」

 親父はそういうとやしきのしつじを呼び、俺をまた地下のろうやにつれていった。

 俺は目が覚ますとふとんのそばに琥珀が心配そうに俺をのぞきこんでいた。俺の体は親父にそれから少しなぐられたみたいでボロボロだった。

「四季様、もうこのようなことはしないで下さい。当主様にかなうわけがありません」
「う……そうだな。ちくしょう……」

 声が出せなかったのは、琥珀にボロボロのすがたを見せたのと琥珀の体のあちこちにキズがついてた……どうやら親父にやられたんだろう。俺が親父にはんこうしたのが琥珀の所為だと思いこんだ親父に。無力な自分にきらいだ。

「四季様は子供なのですから勝てるわけがありません」
「でもそれだと琥珀が……」

 俺が言葉をつづけようとしたら琥珀は口を口でふさいだ。

「落ち着かれましたか?もう、私なんかのために槙久様を責めないで下さい」
「だけど、それじゃあ琥珀はどうなんだ?」
「…………」

 琥珀は答えずにうつむいたままだった。

「わかった、もう俺は何も言わない。だけどいつか大人になったら……絶対に守ってやる。それならいいだろ、あの親父から助けてやる」

 その時俺は琥珀に誓った。いつか……守ることを。



 障子からの朝の光で目を覚ました。昨日はあれから気づかない内に寝ちまったんだろう。軽く頭痛がする……。

「ふぅ、久しぶりに思い出した。くだらねぇな、俺が夢を見るだなんて」

 自虐的な台詞を吐き、母屋に戻った。今頃なら秋葉たちも帰っているだろう。
 母屋の扉を開けると、ロビーは誰もいないかのように静かだった。

「まだ帰ってないのか、とりあえず朝飯でも食うか」



 厨房に入ると琥珀の姿が無かった。普段なら遠野家の唯一のコックの琥珀がいないのは珍しい。寝ているのだろうか?琥珀の部屋の前に来てドアをノックした。

「おーい、どうしたんだ?気分でも悪いのか、珍しいから心配するぞ」

 ノックしてから数分経つが全然返事がない。少々悪い気がするが勝手にドアを開けることにした。
 そこには見事に熟睡という名に相応しい程、眠っている琥珀がいた。まぁここまでならわかるのだが、空いた酒瓶とグラス代わりに使ったビーカーで占められたテーブルに突っ伏して寝ているのは見たことがない。

「これは100年の恋も冷めそうだな、こんな琥珀のために働いてやるか」

 そう思いながら琥珀の周囲に散乱したゴミ等を片付け始めた。こういった後片付けとかは子供の頃からやったので別段苦ではなかった。
 ある程度のゴミを捨て、掃除機もかけ終わって琥珀をベッドに戻そうと手をかけた時、琥珀の口が開いた。

「四季くん……、何でこんなこと……するの?」

 俺は触ったことにバレたと思い、すぐに離れたが起きた様子もない。どうやら寝言のようだが『四季くん』ってどういう意味だ?そう思い顔を覗き込むと一筋の涙が流れている。

「四季くん、何で私なんかのために傷ついたりするの? 大丈夫だよ、私が当主様を……やっつけてあげるから……」

 その言葉は今までの琥珀からは全然聞いたことがなかった。俺は琥珀に親父をやっつけるといつも言っていた、それを琥珀は見て笑うだけだった。だけど、ずっとそう思ってくれていたのか……。

「まるで笑い話だな。俺はずっと琥珀のナイト気取りだったが結局は琥珀を求めていた。けどお前は……」
「ううん、私はただ……早く四季くんと本当に愛し合いたかったから」

 その言葉に耳を疑った。本当は琥珀も……。



「それじゃあ。そろそろ今の私が目を覚ますから、さようなら大人の四季くん」



 なんだ?
 大人の俺?
 今の私?
 じゃあさっきのはあの琥珀か―――。



「ああああの……当主様……私は……」

 どうやら琥珀が目を覚ましたらしいが、頬を真っ赤にさせている。
 俺はことの成り行きを話すと、慌てて厨房に入って行った。

「当主様、今日は遅れてしまったのでブランチってことで勘弁して下さいね」
「別にかまわねぇよ。そう言えばお前らっていつも朝飯とか何時食ってんだ?」
「私たちは皆さんが前日の内に残されたものを皆さんより早くいただいてますけど?」
「ふうん、じゃあ今日はまだ食べてねぇのか。それじゃあ一緒に食おうぜ」
「そ、そんなの駄目ですよ。一応私はここの雇われ人ですから」
「じゃあ当主権限で一緒に食おう」
「わかりました、それでは失礼します」

 そう言って、琥珀は俺の向かいの席に着いた。

「なぁ、久しぶりじゃないか? こうやってお前と食事するなんて」
「クスっ、当主様ってばまるで老年のカップルみたいな事仰りますね」
「そうか? まぁこうするのもたまには良いかもな」
「ええ、本当に……」

 琥珀はまた寂しいのか分からない微妙な表情をした。正直言ってこの表情は苦手と言うか……。

「なぁ、お前は……その……俺と居て楽しいか?」
「何故そのようなのを聞くのですか、勿論好きですよ」
「それじゃあ子供の頃、いや俺が遠野家への復讐を願っていた時お前は幸せだったか?いつも親父に弄ばれて、俺からも同じことをされてたがお前は顔色一つ変えずにいたよな」
「…………」

 琥珀の表情が変わるけど、俺は止めずに話を続ける。もし止めたら今度何時言えるかわからない。

「俺は遠野の血に負け、志貴を刺し殺した。それからずっとお前を俺の本能のまま犯した。それをお前は仕方ないと思ってた。だがな……そん時の俺はお前が無口で大人しいお前が好きだった。だからお前を抱けて嬉しかったんだろう、遠野の血の所為にして」

 俺は今思っていることを言った。普段ならこんなくだらないことを言うつもりはなかったんだがな……。本当に可笑しいな、俺は。

「……当主様……」

 琥珀は何も答えない、俺は席を立とうとした。

「待って下さい。私も……私も四季様のお役の為だって最初は思ってました。ですがやっぱり四季様のことが好きだったんだと思います。今だって利用した筈の私を置いて下さって……その、あっ、ありっがと、とうございます」

 琥珀は途中で涙を流し、嗚咽で上手く言えなかった。まるで小さな子が母親の懐で許しを請うようではなく、許してくれた母親への涙のようだ……。俺は琥珀の言いたい事が伝わった。すぐさま琥珀の元へ歩み寄り抱き締めた。



「ああ、一生お前は俺の隣にいてくれよ」





 END

 ―――It got it from Exy.