■ 夏影



 見上げた空は橙色

 何度も見ているが、何度も見ても素晴らしい景色だった
 再び、この風景に出逢えるとは

 嬉しかった
 嬉しいままでいたかった
 哀しくなりたくなかった

 何処へ行ってしまったんだろう
 あの頃の、幸せだった遠景は

 家に帰ってきたのは約十年前
 希望に満ちて去っていったあの家も、
 今となっては懐かしくていつ帰れるか待ち遠しかった
 そして今、あの場所へ戻ってくる

 足を早める度に蘇る情景
 幸せな佳景
 胸が暖かくなる風景
 懐かしい光景

 広い庭で走り回った、まだ少年だったあの頃が想い出される
 足を踏み出した瞬間に、いつも活発だったあの少女を想い出す
 少し大人しかったけど、優しくていつも後ろについてきた少女を想い出す
 あまり話は出来なかったけど、ずっと見ていてくれた少女を想い出す

 仲の良かった、兄を想い出す
 大好きでいつも一緒にいたかった、彼を想い出す

 いつも先だって導いてくれた彼
 最初は苦手だったけど彼の笑顔に惹かれていた
 いつの間にか大好きだった

 兄、とかそういう意味じゃなく、ヒトとして、他人して
 共に生きていきたいと想った
 そう幼い言葉で告げたら、同じ空間で生きてるのに何言ってるんだ、と言い返された

 彼の方が大人だった年だけじゃなく、ちょっと強引でも見守ってくれる彼
 でもあの頃は彼も幼かった我儘で意地っ張りで
 もしかしたら今もそうかもしれない
 いつも妹分の彼女に振り回されていて、その彼女の事が大好きで、
 俺の事も大好きだって言ってくれた兄

 兄という感情以上に想っていた自分

 俺は、あの景色にもう一度逢うために還ってきたんだ
 だから、その景色に逢うために足を進めてきた

 それだけなんだ

 元あったカタチに戻りたかっただけなんだ
 だけ、なのに

 ……何故、
 そこへ行けない逢えない居ない出来ない

 此処へ還ってくるのに時間がかかった
 自分の傷を癒すためのこの十年間
 癒したら、少しでも強くなったら彼らに逢いにきたかった
 戻ってきて、

 また、遊ぼうと
 また、遊んでと
 彼や彼女に言う筈だった

 何故今まで足を止めていた?
 楽しい想い出を仕舞っていた?
 失ってからでは遅い、遅すぎるというのに……!

 ―――彼らは、もう居ない
 何処かへ、遠い世界へ行ってしまった
 消えてはいなかったでも、俺の目の前からは消し去られていた

 迷っていた俺の手を引っ張ってくれる少女はもういない
 今居るのは、後ろから見守ってくれる女性
 仲の良かった、……大好きだった兄ももういない
 ―――在るのは、彼だった、灰、だけ

 そして、いつの間にかあの頃の自分もいない

 彼が遊んでくれた俺
 彼が好きだと言ってくれた俺
 彼が殺した俺

 それでも彼の姿を追ってしまう今の俺

 ―――わからない

 いつまで、そんな幻覚を見なくちゃいけないのか
 俺が欲しいのは、ただ、家族が全員揃う幸せなあの景色だけなのに
 そんな簡単なものだったのに

 手を伸ばしても、凶器を誰かに向けても、
 祈っても届かないものになってしまった、あの景色
 刻を戻す術が無い限り、もう逢えない人たち

 ―――居なくなってしまった彼を、追う

 彼へ凶器を向け、全てを絶つ
 俺が幸せになる道はそれしかなくて、
 彼が幸せになる道もそれしかないらしい

 なんて、悪夢
 俺はただ、彼に明るく抱きしめられたくて還ってきただけなのに
 ―――そして彼は、完全にいなくなった

 目の前で、狂ってしまった姿を俺に見せつけて、
 最期まであの笑いを浮かべて、
 ―――最期の最後にお礼を言って

 何度も想う
 彼に殺されて目覚めた俺と、
 俺を殺して眠りについた彼は、
 一体どっちの方がが幸せなんだ、と

 ―――そりゃ、俺の方が幸せに決まってる
 結局最期は、俺が笑って生きる道が出来たのだから―――

 橙色の空の下、想う
 何故、彼は最期になってあの言葉を言ったのか
 自分を殺し、存在を消してしまった俺に会いに来たのか

「逢いたかったよ……」

 そう最期に素直な心で語り合い、幸せな刻をつくってくれた
 最期だからか素直だったのか
 最期になってしまった、この場所で

 まだ、言えずにいたあの言葉を、
 言う筈だったのに、言えなかった莫迦が残る

 最期に報われなかったのは彼だから、
 少しでも幸せになってほしい
 何度も、そう想う

 俺、幸せだよ
 だから彼も幸せになってほしいんだ―――

 俺、また泣いてしまいそうだから、
 その声と笑顔で、吹き飛ばしてほしいんだ―――

 俺、大好きだから、
 また、俺に大好きだって言ってほしいんだ―――

 そんな事をずっと口ずさみながら、
 永い永い夢が終わる―――



 ―――我が家の庭の中央で目を覚ました
 目の前にいるのは、彼が大好きだった女性
 俺も大好きな女性ずっと俺と一緒に歩んでいくだろう女性

 どうしたの?と少女が可憐な声で聴く
 ずっと兄さんの事を考えてたんだよ、と言う

 まだ引きずってるの、と不安げな顔で言う女性
 そんなの兄さんだって許さない、と怒る女性
 早く昔みたいに明るくなって、と励ます女性

 ―――あの時の少女を護ろうと決めたのなら、
 今、彼女が嫌がる事はしたくない―――

 あぁ、じゃあ心に残ってる事を此処で捨てようか
 いや、捨てずにずっと心に残していこうか

 兄さんの事は忘れないけど、この苦しい気持ちは捨ててしまおう
 それを持っていたら、またバカって言われそうだ
 昔の彼に、言われそうだ―――

 最期の刻も言えずにいた事を、
 今、心を込めて言おう



「有り難うな、大好きだよ………………四季」

 最高の兄だった彼に、
 大好きだった彼に、
 これからも愛していく彼を抱きながら、呟いた





 END

 03.4.13