■ 外伝18 / 独白



 ――????年?月?日

 【 First / Second / Third / Fourth / Fifth 】




 /1

 僕のお家は都心部から遠く離れた一軒家でした。
 お母さんのお母さん達が持っていたという古いお家。冬になると北風が吹き込んできて冷蔵庫と変わりない室温になってしまうっていうぐらい、ボロボロの家屋。それでもおばあちゃんやひいおばあちゃん達の思い出が詰まった家だから手放せないの、とお母さんはよく言ってました。
 過疎化が進む村の中で一番の古さを誇る僕の家を恥ずかしいと思ったこともあります。だって小学校のお友達を連れてくることなんてできません。呼んだとしても、みんなで遊べるファミコンやカードもうちには無いし、叫んだら叫んだだけ声が漏れちゃうのでうるさくしちゃいけないって言われています。
 しかも両親はお金が無いんじゃなくて、好きで昔からの生活をしていました。仕方なくその生活を強要されていたんじゃなくて、両親はかつての暮らしを尊んでいました。
 二人はわざと時を止めているんです。それは、今を生きる僕には少しだけ理解できなくて、難しい問題でした。

 お家にはいっぱいの宝物がある。新しい家にしちゃうとそれを全部外に放つことになる。「だから壊せないの」とお母さんは、幼い妹を抱きながらよくそんなことを話してくれました。
 ここは何百年も前から続く魔法使いの家だから。
 何より魔法使いのみんなの思い出が残っているところだから。
 新しいものが無くてごめんね、と謝りながら。

 だけど、僕があまりに文句を言い過ぎたせいで、お母さんは自分達の考えを改めるようになりました。
 強く訴えたつもりはありません。ちょっとした子供の我儘に過ぎなかったのに、僕の声は両親に衝撃を与えていたようです。

「貴方はこんな古臭いものが嫌なら継がなくていいの。貴方を血で縛りたくはないわ」

 優しい母は、魔法で作った雪だるまを動かしながら赤ん坊の妹をあやします。
 物体が自在に、母の力によって動く。それを見て、妹はきゃっきゃと喜んでいました。

「新しい玩具が欲しいのね。みんなとお揃いの玩具が欲しいのね。……ええ、そうよね。貴方に一族の宿命を強制なんてさせたくない。ごめんなさい、貴方にみんなと同じ玩具をプレゼントするわ」

 いつも遊ぶのは、古くから我が家に伝わる力。
 そんなのみんなの前ではできない。だからファミコンが欲しいと、テレビアニメのキャラを模したフィギュアが欲しいと言っていたんです。

 複雑な気分でした。
 いっそ「魔法使いの子なのだから継がなきゃいけないのよ」と言ってくれた方が、立派な魔法を教わることができました。だって魔法で妹と遊ぶ母の姿は、嫌いではなかったんです。お父さんもそんなお母さんを好きになったように、僕だって実は魔法が大好きでした。
 だけど僕は数日前に「なんで僕のうちは貧乏なの!」と理不尽な怒りを両親にぶつけたばかりです。
 本当は両親のことも、魔法のことも、古い思い出がいっぱい詰まったお家も大好きなのに。「お前の家、ボロボロだよな」という小学校のクラスメイト達の言葉に同調して喧嘩をしたばっかりだったから、どうしたらいいか判らなくなってしまいました。

 僕のお家は、何百年も前の代まで魔法使いの一族らしく「うまく魔法を使うための研究」をしていたらしいです。
 とっても盛んに行なわれていたそうです。ここ一帯では一番強い魔法使いのお家ということだったけど、神秘の力が失われた現代では魔法を信じる人も少なくなりました。だから一緒に勉強してくれる人もいなくなったんです。
 僕らのお家が古くてもちょっと大きいのは、何人もが集まって研究をしていたから。もうこの辺りで魔法使いが残っているのは僕のお家だけで、その血もお母さんと、僕と赤ちゃんの妹だけになっちゃったらしいです。

 とっても貴重なものだというのは、子供の僕にだって判ります。
 そうして魔法であやされている妹を、仏頂面で見ていたからでしょう。お母さんはついに「僕に家を継がなくていい」と言ってしまいました。
 僕のことを気遣って「好きに生きてもいい」と、「未来を自由に生きればいい」。自分でお母さん達を傷つけておきながら、まるで僕だけ突き放されたようで……泣いてしまいました。

 そんなことを言われたかったんじゃない。僕もそんなこと言いたかったんじゃない。僕が悪い。お母さん達は悪くない。だから。
 全部が言葉にできず、ただただ悲しくて大声で泣きました。薄い壁の家なので、庭まで泣き声が聞こえたでしょう。
 それが六歳のときのことです。小さな子供がいるお家ではよくあること。それでもその日は僕にとって大事な日になりました。
 僕のお家は凄いんだと自覚することができた日なんですから。

「魔法を習いたい? うん、うん、そのうちね。すぐに教えるわ。お母さん達もビックリな魔法使いになって、妹を守ってあげるのよ」

 ――ある日の日曜日。お客さんが来ました。

 その日は魔法を教えてもらう約束をしていました。
 僕の誕生日がすぐそばまでやってきていて、プレゼントとして魔法を貰うことになったんです。
 少し早くに貰うのは、もう暫くもしないで妹の誕生日でもあったからです。まだ魔法を操ることもできないのに僕は、妹には僕から何かプレゼントをあげたいと考えていました。
 誕生日が近くても年の離れた兄の考えを両親は良く受け取ってくれて、「じゃあ、今度の日曜日は裏山にピクニックに行こう。大自然の中で教えてあげよう」というお話になりました。

 お昼になる前。僕とお父さんはお揃いのシャツを着て、赤ちゃんの妹もおめかしをして、お母さんのお弁当を持って出かけようとしていたときのことです。
 来訪者のインターフォンに、すっかり出かける気のお父さんが扉を開けます。僕はもう靴を履いていようと思って玄関に居ました。
 だからお父さんがいきなり刺されて殺される一部始終を全て見ていました。
 何人もの男の人達が乗り込んできて、すぐそばで靴を履いていた僕を縛り上げます。キッチンにいたお母さんが悲鳴を上げて、赤ちゃんだから寸前までベッドで寝かしていた妹のもとに走って行くのが見えました。
 僕は血を流して玄関で倒れるお父さんに駆け寄りたくて、縛られながらもいっぱいいっぱい暴れました。でも男の人達大勢にお腹を蹴られたのでうまく暴れられません。
 縛られて苦しむ僕にお父さんが血まみれの手を伸ばしましたが、届きませんでした。

「父親も異能筋だが血脈が薄い。『聯合』の素材にもならん。ここで解体しておけ」

 男性達の中でも一番偉そうな人がそんなことを言って、数人が大きな包丁を持ってお父さんの体をバラバラにしてしまいました。
 蹴られて縛られて何もできない僕は、叫びます。お父さんお父さんと叫べば、たとえお家は遠くても近所の人が駆けつけてくれるんじゃないかと思って。古くて薄い壁の家ならきっと……。
 そう思っていましたが、お家の周りにもう一枚壁が創られていることに気付いてしまいました。
 たった数秒で、彼らは壁を創って僕らと外の繋がりを隔ててしまったんです。どんなに叫んでも、庭まで僕の泣き声は届きませんでした。

 お父さんの体が持ち運びしやすいサイズにされてしまいます。
 お肉屋さんに連れて行ってもらったときに、大きくて高級で美味しそうなお肉の塊を見たことあります。それと同じサイズに、お父さんは人間ではない赤い塊にされてしまいました。
 お肉は袋に包まれ、脳味噌は専用の容器に、目玉は持ち歩きしやすそうなポットの中へ、心臓は厳重にスーツケースの中へ簡単に収納されてしまいます。
 その間に違う男性達がお母さんを追いかけていました。お母さんは赤ちゃんの妹を守ろうと必死に魔法で戦いましたが、縛られた僕がお腹を蹴られ続けていることを知ると、何もしなくなりました。
 泣きながら、古い家にあった魔法使いの道具を全て持ってきます。古い本や立派な杖、キラキラの宝石やよく判らない物もたくさん段ボールに詰めていました。
 「これで全部です」と泣いて項垂れるお母さんに、「まだ隠しているものは無いか」と男性達は詰め寄ります。首を振ったので本当にこれで全部です。

「母親も用済みだ。父親のときのように雑に捌いてやるなよ」

 全部渡したので帰ってくれるのかな、と思った矢先。お母さんもお父さんと同じようにされてしまいました。
 ただし、丁寧にするように命令された男性達はゆっくりとお母さんを解体しました。お父さんのときのようにスパッと切り取ってしまうのではなく、殆ど全員でゆっくりと切り刻んでいきました。
 おばあさんが遺してくれたという立派な刺青も、皮膚を破かず綺麗に剥ぎとられていきます。
 体の中の色んなものも、まだ動いているまま引っこ抜かれてしまいました。
 男性達も魔法が使えるらしく、丁寧に首を斬られたお母さんは魔法をかけられ……お父さんのように死ぬことがなく、生首でお話ができる状態で透明な筒に入れられてしまいました。

「一兄さん。母親まで解体してよかったの? 連れて帰った方が『供給の餌』として使えたんじゃ……」
「先週こいつらの分家筋の女をヤったのだが、味が悪かった。どうやら仏田の血との相性が凄まじく悪いらしくてな、銀之助も味付けに手間取っていたよ。あまりに不味かったから実験動物の餌になったぐらいだ」
「えっ、そんなに? そんなこと、あるんだ。確かにこいつら水属性だっていうし、火の俺達とは相性が良くないって判るけど……」

 筒の中の声は聞こえませんでしたが、お母さんが必死に何かを叫んでいるのだけは見えました。
 それが「ここから出して」なのか「助けて」なのか。それとも僕や幼い妹の名前を叫んでいるものなのか。縛られながらも泣きじゃくっていた僕は聞く気もありませんでした。

「今なら摘み食いも許してやるぞ、匠太郎」
「一兄さんじゃないんだから生肉はちょっと。……けど、子供は連れて行くんだね」
「……能力者の子が欲しいと、大山様と航様が熱望していたからな。幼い頃から躾けておけば忠実に育つ。単純な考えだ」

 お母さんをしっかりと収納した後、再度僕の家のインターフォンがピンポーンと鳴りました。誰か客人です。
 誰でもいいから助けてと僕は叫び声を上げました。でも男性達は取り乱す素振りもなく、玄関に行って新たな客人を僕らが居る居間へと連れてくるだけでした。
 その様子からして、彼らの仲間です。
 彼らの都合の良い人達だけが僕らを取り囲みます。僕らはどこかに連れて行かれるのが判ります。妹はまだすやすやと寝息を立てていて、羨ましくも憎いと思ってしまいました。

「うわぁ、立派にドバドバ真っ赤に撒き散らしてくれましたねぇ〜! 玄関もそうだったけどぉ、こりゃぁ中もお掃除し甲斐があるぞぉ〜。匠太郎様ぁ、記憶改竄の方はぁこっちにはお話入ってないんですがぁー」
「それは航様が用意してくれるらしい。福広達は明後日には売れるような家に戻すだけでオッケーだ」
「へへぇ、売れるってぇ、こんなボロッボロなウチなんて買う人いるんですかぁ?」
「旧日本家屋ってやつはそれなりに需要があるんだよ。こういう雰囲気のある家をカフェに造り変えたいっていうお客様も多いんだ!」

 数人の男達がお母さんとお父さんの詰まったスーツケースを持って出て行きます。また数人の男達が思い出の詰まった段ボールを抱えて出て行きます。
 僕はというと口に何かを噛まされ、頭に袋を被されました。空気穴がちょうど僕の鼻の部分で引っかかったおかげでそこから外の景色が見えました。僕は大きなバッグに入れられ、そのまま外で待機しているらしい車へと連れて行かれてしまいます。
 デッキブラシを持ち、雑巾の掛かったバケツを持ってきた清掃服の男がニマニマと笑って僕を見ていることに気付きました。

「じゃあねぇ坊やぁ、また今度ぉ。今度会うときは俺達のお家でだよぉ、君らはうちの子になっちゃうんだからねぇ」

 愉しそうにバーイと手を振った男は、鼻歌混じりに動き始めました。
 お父さんとお母さんの血がついた畳を綺麗にしようと、何もかも無くしてしまおうと、お掃除をし始めたのです。

 ――プレゼントを貰うことは、無くなってしまいました。
 妹にプレゼントをあげることも、出来なくなってしまいました。
 暫くは袋の中で泣いていました。とてもつらかったです。これ以上のつらさは早々ありません。だからこれから先の独り言は、あんまりつらくないものになります。

 まだ赤ん坊の妹と共に、僕らはお屋敷に連れて来られました。
 どうやら僕達と同じような目に遭った子供達や女の人がたくさん居て、何かの検査を受けた後、色んな場所へ運ばれるよう仕分けをされました。
 僕達みたいに兄妹で連れてこられた子もいて、検査の結果バラバラの場所に分けられてしまった人もいましたが、幸い僕と妹は同じ場所に預けられることになりました。

 そこは、他の部署よりも子供がたくさん居るところでした。
 どんなところと言うと言葉にするのは難しいのですが、市街地で見かけたペットショップに似ている場所です。
 僕らは旧い一族の血を引く魔法の子という看板を立てられ、そこを訪れた身なりの良い人々に『見られる』生活をすることになりました。
 同じ檻の中にお母さんぐらいの女性達(耳が尖がっていたりツノが生えていたり、最初はちょっと怖かったですがみんな優しい人です)がいたので妹の世話をしてくれました。妹は赤ちゃんということもあって、他の人達も気遣ってくれます。
 だから僕は妹の恩恵を少し分けてもらって、みんなに優しくされながらそこでの生活を送ることができました。

 ペットショップと同じなので、見に来た人に選ばれた人は連れて行かれてしまいます。
 選ばれたら二度と帰ってくることもなければ、全身傷だらけで戻ってくる人もいました。傷を作って帰ってくる人達は、大抵泣いて黙り込んでしまうので、どんなことがあったか話す人は少ないです。
 でもたまに話す人もいました。彼らが言うには、「大きな化け物と同じ檻に入れられた」とか、「できたてほやほやのお薬を飲んできた」とか、「赤ちゃんを作る練習をさせられた」とか。
 みんな黙ってしまうので、話をしてくれた人達はまだ優しい仕打ちだったと言えるのかもしれません。話ができない人は、話をすることができないほどのことをさせられたのでしょう。
 僕は運良く優しい人達の中に居たので、檻の奥の方で妹の世話をしていたこともあってあまり目をつけられることもなく、外に連れて行かれたことはありませんでした。

 妹が言葉を喋るようになっても、そんな生活は続いていました。
 帰ってくる人もいれば二度と帰ってこない人もいます。新しく追加されていく人もいます。僕のいる牢屋だけでも入れ替わりは何回もありました。僕のいない遠くの牢屋もどれだけの人が連れてこられたか、想像もできません。
 どうしてこんな所に居るんだろうと何度も考えました。でも自分では正解が出なくて、唯一ある少年が「偉い人が、異能力者が欲しいと思ったから」と答えてくれました。
 僕は魔法使いのお家でした。お母さんが魔法使いで、数百年前から眠るお宝を持っていました。だからここで過ごすことになったというんです。
 すっかり喋れるようになって歩けるようになった妹も、異能力者だから、ずっと牢の中で過ごさなければなりません。
 ふと思いました。妹は外を駆けまわることを一度もしたことないじゃないかと。
 ずっとこんな箱に囚われて、この生活が当然だと受けとめて生きていくしかないのかと。
 それが悲しくて、お父さんとお母さんが捌かれたときみたいにわんわん泣いてしまいました。

 それが初めて、僕の目立ってしまった行動になりました。
 偶然目利きにきていた偉い人が僕を呼びます。身なりの良い綺麗な着物の男性は、僕に目線を合わせるようにしゃがみこみ微笑みます。

「キミ、あまり見たことのない顔だね?」

 驚かれているのは。長く牢で過ごしていても数年顔を伏せていたからでした。

「声は……うーん、好みじゃないなぁ。でも綺麗な目をしている。うん、今夜はキミにしようかな」

 牢屋の外へ出されます。お外を歩くのは数年ぶりなので、足がすっかり使い物になりません。歩くことといったら三日に一度だけお風呂に入る時間があったので、そのときに何分か歩くだけでした。
 だから長い時間歩かされて、とある部屋に連れてこられる最中に息切れしてしまいます。
 あまりに僕がぜいぜいがたがたしちゃったせいでしょう。優しい笑みを浮かべる男性は廊下の途中で足を止めてくれています。
 すると白衣を着た男性が、気だるげに頭を掻きながら、「大山様」と名前らしきものを呼びかけました。

「はあ、大山様。今夜はその子とご一緒に?」
「ええ、そうです、なかなか可愛い子でしょう? 見てくださいよ、航先生。このタグ。三年前のものですよ」
「ほう……つまりこの子、三年前から処分されず……?」
「いやぁ、すっかりこんな良い在庫が残っていたなんて。お話をしていたんですが、妹さんも三年間ずっとあそこから出ていないそうです。なんだか掘り出し物を見つけた気分ですねぇ」
「ふう、そうだねぇ、一旦古い子はリストアップし直さないといけないかもしれないなぁ。そういった子、探せばきっと十人ぐらいいると思うし。多分。それこそ使わない子に餌代を掛けてるのが狭山様にバレたら……」
「ああっ、それはいけないっ」
「ほら、だいぶ『機関』も大きくなってきたし。一度徹底して記録を取り直すのもいいかもしれませんねぇ。なんせ昔の資料が読みづらいのなんのって。……狭山様は贄に使うのは最低でも二百体は欲しいと言ってますけど、出来れば質の良い素体を二百個の方がいいじゃないですか。駄目な奴はなるべく『聯合』する方向で」
「うん、前向きに考えよう。なんなら明日から匠太郎あたりに動いてもらおうか。彼は整理整頓が大好きだしね、そういうところは兄の銀之助くんとそっくりで……」

 わいのわいの世間話に花を咲かせています。そのうち、僕の息は落ち着きました。

「そうだ、航先生。世の中には変身ができるようになる魔道具や空を飛べるようになる薬があるでしょう」
「まあ、はあ、そういうのを率先的に作ってる子はいるねぇ」
「声だけを換える便利な道具っていうのはないんですか。この子、顔は大変私好みなんだがあまり声が好きじゃない」
「残念ながら無いです。……はあ、もしその声がお嫌いでしたら、後で『お取りします』よ? 買い取りに来る人でも『声はいらない』って言うお客様は多いので声帯除去サービス始めたんですよ」
「おお、言ってみるもんだ。是非とも頼む」

 そこからすぐそばが目的地の部屋でした。綺麗な畳の和室で、こんな素敵なお部屋に来たことなんて旅行もあまりしたことなかった僕にはありませんでした。
 和室には少し大きめのお布団が敷かれています。ふかふかのお布団の上には白いシーツが掛けられています。座っていいと言ってくれたので、僕は思わず駆け出してぼふんと飛び込んでしまいました。
 三年間、毛布一枚を四人で分け合う生活をしていました。一ヶ月に二回ほど交換をしてくれてもふかふかのお布団とは比べるまでもないほどです。
 だからこんなに柔らかいお布団に寝そべることができるなんて。とても嬉しくてお布団の上で足をばたばたしてしまいました。
 大山様と名乗る男性は、微笑みながら僕の居るお布団に腰を下ろします。「今日、君はお風呂に入ったばかりなんだよね。ラッキーだな」と言いながら僕の着物を解いてくれました。
 何をするか判らなかったけど、ふかふかのお布団の上ですっぽんぽんになれるなんてとっても気持ち良いことをさせてくれました。

「そう、君は九歳か。そろそろ血の刻印も色づく年だ。血に流れる異能が活性化する年が『神の子』を過ぎる八歳から十歳なんだ。だから今の君は一番食べ頃ということになる」

 よく判りませんでしたが、判らないとハッキリと告げると、大山様は一から十まで全て教えてくださいました。

 ――男性達がお父さんとお母さんをバラバラにしたことは、憎かったです。
 もしかしたらそれを命じたのはこの人かもしれない。仇というやつかもしれない。
 とっても酷い人なのかもと思いましたが、それ以上に彼はあったかいお布団の中で、ちょっときついけど気持ち良いことをしてくれました。
 運動して疲れた僕をお風呂に入れてくれたし(一日で二回お風呂に入ったのは初めてです)、喉を涸らした僕に美味しいジュースも飲ませてくれました。
 てっきり牢の外では酷いことしかされていないと思っていましたが、こんな優しい人もいるんだと知りました。二度と帰ってこない人がいるのは、二度と帰りたくないぐらい良い想いをしているからだと思えるぐらいに。
 三年間みんなの涙を見ていたから怯えきっていた僕ですが、牢に戻されるために廊下を歩いているとき……戻りたくなくて僕はお願いしました。
 「妹も同じことをしてあげてほしい」って。

 バラバラにされたお母さんが「妹を守ってあげるのよ」と言っていたことを思い出します。
 お母さんは首だけになって筒の中に入れられました。入れられたときに何かを話していましたから、もしかしたら生きているかもしれません。
 怖いことばかりだと思っていた僕は、首だけになってしまったお母さんも酷いことをされているのかと思っていました。
 でもこんな優しい人もいると判った今では、今でも「気持ち良く生きているのかも?」と思えるようになってきました。
 妹にも良い想いをさせてあげたい。柔らかい布団の上で寝かせてあげたいし、うんちをするときみたいな感覚が気持ち良いアレをやらせてあげたいし、美味しいジュースを飲ませてあげたい。
 嫌な経験をさせる前に、良い思い出で牢の外に出してあげたい。
 今までろくにしてやれなかった兄心を叶えたいと、大山様に慣れないジェスチャーで告げました。
 大山様は廊下にいる人が振り返っちゃうぐらい大声であっはっはと笑い、「妹さんは何歳かな? ……三歳か! いいね! いやぁ、一度でいいから三歳児をちんぽ狂いにできないものかなと考えていたんだよ!」ととても喜んでくれました。

「長く飼うのも良いねぇ。子供が心から慕ってくれるのは嬉しいもの。うん、今まで孕ませるために年頃の少女ばかり選んでいたけど、やっぱりこれからは小さな子を狩る方で呼びかけていこうか。明日の会議に早速言ってみよう――」

 心の底から慕われるのは気持ち良い、そう教育するには出来るだけ早い方がいい……とブツブツと呟きながら、彼は僕の頭をずっと撫でてくれました。
 そうして「また明日」と言ってくれます。ということは、明日もまたあのお布団で寝かしに来てくれるということでしょうか。
 僕は嬉しくって、心配するみんなの居る牢屋に飛び跳ねて入っていきました。
 夜中、すやすやと眠る妹の寝顔に「ようやくお前に誕生日プレゼントをあげられるよ」と声を掛け……ようとしてもう出なくなったことに気が付いて、とりあえず頭を撫でてやりました。



 ――2005年12月15日

 【     /      /     /      / Fifth 】




 /2

 元当主・和光の弟である浅黄が胃癌で亡くなったのは、昨夜のことだった。
 今年で六十八歳になる浅黄の病は、発見されたときにはもう救いようのないほど末期だと宣告されていた。
 幼い頃からよく働いた。仏田で行なわれる研究に一生を費やしてきた魔術師だった。そして暴飲暴食と喫煙の過ぎる男でもあった。浅黄自身が笑い飛ばすほど、「誰よりも早く死ぬのは自分で当然だ」と最期まで豪語していた。
 病が発覚した後は薬に頼ることもなく、ただ衰えていく体で研究を進めていた。というより、自分の研究を後世に継がせることに躍起になっていた。
 浅黄が特に気合を入れていたのは魔力供給についてだ。各国様々な供給が存在しているが、体液の交換、粘膜接触によるものが得意としている仏田一族におけるより深い研究を進めていた。
 息子の銀之助が全てを受け継ぐことになったが、銀之助は魔術師として研究に精を出す人間ではないのでおそらく彼の手でまた誰かに引き継がれることになるだろう。

 ろくな治療もせず、衰弱していく浅黄の部屋に数日間、彼の息子達は集められていた。
 主に銀之助が研究を引き継ぐのもあるが、「死ぬ前ぐらいは話ぐらいさせないか」と平気そうに、それでいて力無く笑うので、実の息子達も浅黄の発展性の無い会話に付き合ってあげていた。
 研究の話だけではない。これからの仏田の行方、当主への忠誠、皆を導く者としての資格、期待、どうでもいいような冗談……父親として出来る話を、可能な限り三人に聞かせていた。
 そこに妻・清子の姿は無い。彼女との話はもう済ませたという。次男の銀之助の母親と、三男の匠太郎の母親の二名は既に亡くなっている。浅黄の兄・和光と照行がいつも通り酒を持ってきて話をしようとしていたが、その前に「子供と話させてほしい」と退室させた。
 すっかり寝たきりになった父に、三人は並んで話を聞く。
 長男の一本松は静かに父の声を受け留めた。次男の銀之助は彼が遺す手記を大事に受け取り、情に脆い末弟の匠太郎は涙ながらに冗談を笑う。

「さて銀之助。質問だ。もしお前が」
「はい」
「今の儂を調理し、お前達三人で肉を分けろと言えばお前は儂を捌くか?」
「それが父上の願いなのでしたら」
「ふ。はは。やめておこう。病で儂は死ぬのだ。そんな儂を食べたらお前達が病になってしまうよな!」

 ……まさかそんな冗談が、最期の言葉になろうとは誰も思わなかった。
 呆気なく浅黄は死んだ。苦しむことなく、出来た一言を残すでもなく。「暫く息子達と話すから待っていてくれ」と言われていた実兄達も、これには驚いて言葉を失っていた。

「逝ってしまったか、浅黄の奴め。……馬鹿者。最期ぐらい秘蔵の酒を飲ませてやろうとした兄心を無視して先に逝くとは何事か」

 動かなくなった浅黄の横にどすんと腰を下ろした老人は、まだ七十。しかし仏田の当主を務めた男としては高齢だった。
 心身ともに神へ尽くすため、五十半ばで亡くなることが多いとされている仏田家の当主の中でも和光は際立っている。魔術師の最盛期と言われる三十前後で自分の職務を全て息子の光緑に明け渡したからか、和光はその年まで生き長られていた。
 かつては当主として力を誇っていた和光は、今となってはただの老いぼれ。毎日のように照行と浅黄の弟二人と酒宴を開いている役立たず。
 最後に実弟を見つめる目は……昔の鋭く凛々しかった姿を思い出せるもの。
 それでも近かった存在の死にガックリと肩を落とし、酒瓶を片手に項垂れる彼は……一層年老いて見えた。
 一つ違いの照行も、喚くことはなくても静かに浅黄の寝顔を見守っている。
 妻の清子にもすぐに知らされた。焦った様子で彼女はすぐに駆けつけたが、すぐに穏やかな顔になると「あなた、お疲れ様でした」と額をついた。長年連れ添った夫が棺桶に運ばれていくのを見送るときは涙を流してはいたが、彼の病を発見したのは彼女でもあったので取り乱すようなことはなかった。

 ――数日後。彼の体は火葬されず地下に保存されることになった。

「密葬。……父上の死は、本当に秘密のものになるそうですよ」

 浅黄の遺品を片付けるため、厨房には立たずに部屋の掃除をする銀之助は……同じく書物を片す弟の匠太郎にボソリと呟く。
 一本松もその会話を聞いていたが、無言に徹して父の着物を畳んでいる。部屋には彼ら三兄弟しかいない。わざわざ声を潜める理由は無かったが、あまり大きな声で話したくないという心があったのだろう。

「えっ、銀兄さん、それって……」
「『神の子』が見つかり、燈雅様主導になって事が進んでおります。これから大忙しになるでしょう。……父上の死で大事なこの場を掻き乱してはならない。だから秘密にするそうです」
「ええっ、じゃあ……父上が死んだのって、みんなには知らせないってこと……?」
「知っているのは和光様に照行様、母上に、狭山様と大山様と航様……そして我々のみだそうです」
「み、光緑様や燈雅様にもお伝えしないのかっ? 松山様にもっ?」
「ただでさえ光緑様も燈雅様も冬になられてから体調が優れない。それは和光様や照行様もですがね。元老二人は年だからいつ倒れられてもおかしくない。今はお部屋で酒浸りになってるのか、ちっとも出てきませんが」
「ははあ、酒浸りかぁ。和光様達は元気だなぁ……」
「まあ、今は一大事です。せめて正月を過ぎて慌ただしさが引いた後の方がいい……そういう『本部』からのお達しです、よね?」

 事情を知らぬ末子の匠太郎に言い聞かせていた銀之助だったが、無言で話を聞いている一本松へ語尾で問い掛ける。
 銀之助が問い掛ける対象は正しい。
 仏田を動かす『本部』は四人で構成されている。狭山、大山、航、一本松。それに口出しをするのが仏田寺の表の顔を担っている住職・松山と、銀之助の二人。仏田の全てを管理している四人の決定を覆させるほどの力を銀之助は持っていない。だがこうして小言は言うことはできた。

「……銀兄さん。もしかして怒ってる?」
「いえ、ただ……来年届く父上宛ての年賀状は、どうしたらいいのでしょうね?」
「えっ!? そこを気にしてるの!?」

 あらかた父親の着物を詰め終えた一本松は、弟達を置いて部屋を出た。
 一本松には次にやることがある。だから無駄話に時間を使わず、淡々と自分が任された職務を全うしていただけだった。
 その顔に曇りはない。いつも通りの静かな顔の、知らぬ人間が見えば凍えてしまうような涼しすぎる顔がある。通り過ぎていく僧や女中に怪しまれることもなく、遺品は父の眠る地下へと運ばれた。
 全ての着物を移動させることはしない。生活の痕跡を残しておかなければ女中達に浅黄の死を悟られてしまう。だから……浅黄がよく好んで身につけていた蒼い着物をいくつか持ってきただけだ。全ては、棺桶に入れるために。

 棺桶に入れられた浅黄の肌は白い。
 遺体安置所と言える地下室には、数年前に捕まえてきた能力者の子供が見張りをしていた。
 口には竹の口枷を嵌められた少年は、一本松を視界に入れると無言で頭を下げる。熱を操る異能によって棺桶を氷づけにし、浅黄の体を腐らせることなく鎮かに眠らせている。
 魔術の詠唱によるものではない、少年特有の異能によって部屋の一部分だけが氷点下何十度まで下げられている。異能の子供好きな大山が発掘し、いいように調教した結果このようなことをさせているようだ。
 一本松は少年に着物を渡す。今は棺桶の中には入れず、正式に浅黄の死を公表するようになって墓に入れることになるまで、ここで保管しておくことにしているんだ。
 少年は(声帯を取られて喋ることができないため)深い頷きで受け取る。また深々と下げる頭。……何を思ったか、一本松はその頭を軽く撫でた。
 少しだけ嬉しそうに微笑む少年。長い棒状のギャグを口に噛まされているため、歪にしか笑えないが仕事ぶりを褒められたことにとても喜んでいるようだった。
 忠実に仕事をこなす子供には優しいんだ、この男は。
 ひんやりと冷える地下。遺体安置所。一本松はすうっと深呼吸をし、死臭を楽しんだ後……隣の棺桶を見た。
 浅黄の隣に並ぶ、二つの棺桶。
 弟に寄り添うように仲良く並ぶ、二つの棺桶を。

「………………」

 暫く氷の箱を見つめた後、一本松は満足して地上へと昇った。
 あと何日かすれば次期当主の燈雅が、神子を連れ戻しに行くという。「ようやく迎えに行く手筈が揃った」と周囲が騒いでいた。何事も無ければ、『いつも通り』あの少女は寺へお連れできる筈だ。
 事は順調に進んでいる。何も計算違いは無い。着々と進んでいくときに、彼は大変満足しているようだった。

 秘密の地下から地上に出る。彼に課せられた次の仕事まで時間があった。暫く自室で時間を潰そうと一本松は境内を歩く。すると、見覚えのある女が居ることに気付いた。
 黒髪の美しい、小柄な女だ。
 表の顔である松山住職と話をし、丁寧なお辞儀をする彼女。長い黒髪をまとめ、派手ではないが女性らしい華やかさで目を引く。落ち着いた色の着物をそつなく着こなし、砂利道を静かに歩いて行く。
 用事を終えたらしい彼女は一人.着物の上に上着を肩から掛け、風呂敷を手に石段を降りて行こうとする。

「武里」

 彼は思わず、我が子の母として迎えた女の名を呟いていた。

 氷河 武里(ひかわ・たけさと)。県をいくつか跨いだところにある有名な神社の跡継ぎ……の妹であると、一本松の母・清子は説明した。三つ子の息子達が生まれるもう二十、三十年前の話だ。
 有能な霊媒師だった。仏田と契約をせず、霊力に富んだ卵子だけを提供した女は『能力の高い子供を産む』という大役を果たし、寺を去って行った。
 たった一年。一本松が彼女と共に過ごした時間は短い。息子の母になった人物ではあるが、妻を名乗れるものだろうか。
 先日、清子が長年付き添った夫を亡くして悲嘆に暮れていた。決してそのような深い愛情を抱だき合ってはいない。それでも……一本松にとっては例外の女だった。
 久々に見る彼女は、もう半世紀は生きているというのに若々しく立ち振る舞っている。今も尚、ここではない世界で誠心に活躍しているのだろう。
 松山住職とどんな話をしたのか判らない。だが彼と話していたところを見ると、『裏の顔』である退魔の用事とは違うか。

「武里」

 彼女は仏田の人間ではない。一時の相棒と言った方が相応しい。
 『仕事』を終えて去って行った女だ。これ以上縁を作るのは契約外に違いない。
 だが、かつて縁があった女性だ。出会ってしまっては、声を掛けてしまうもの。それは心のある人間なら当然のことだ。一本松はそう思ったのか、あまり張り上げない声を彼女に掛けていた。

「どなたです?」

 凛とした声。微笑みながらの返事。可憐な声。
 だというのに素っ気ない一言。彼女は、声を掛けた一本松を他人として扱った。
 かつて息子の父になった男だということに気付いていない? ――いいや、違う。彼女は、心に生じた言葉をそのまま口にしただけだ。

「……私のことを忘れたか。仕方ない。お前がこの寺に居たのはたった一年だけだ。二十年以上も過ぎてしまえば男の顔も忘れてしまうか」
「顔。その顔は確かに一本松様ですね」
「…………なに?」
「貴方、本当に一本松様ですか?」

 微笑みは絶やさない。常に微笑を湛える唇は人を引きつける魔力を持っている、美しい女の証だ。
 一見暖かいものに見えるが、涼やかな声は相反して……一本松を氷漬けにする力を持っていた。
 先ほどの異能の少年なんて目じゃない。言われるとは思わなかった一言に、一本松は言葉を失くす。

「…………何が言いたい」
「器は確かに一本松様でしょうとも。その鋭い眼孔も、首元の傷も、変わることなく一本松様でしょう。ですが、中身は」
「……違う……と言うのか」
「あら、自覚が無いのですか? 『貴方、本当に一本松様なのです』?」

 もう一度、彼女は繰り返す。
 冗談めかして笑うには、不敬すぎる言葉を。

「私の知っている一本松という男は、そうですね、もっと……虚無の人だと思ったのですが。魂の色がてんで違いますね。なんだかまるで、何十年も生きたご年配のお方みたい……」

 だけど一本松は咎めることをしなかった。
 無言のまま、瞳の中を様々な葛藤で揺らがせて彼女を眺めていた。

 挨拶もおざなりに、彼は武里と別れを告げる。逃げるように本家屋敷の自室へと滑り込んでいた。
 『逃げる』という言葉が一番合う。一見いつもの彼と変わらぬ表情でも、私には怯えてすぐにでも頭から布団を被って眠りたい子供のように見えた。
 しかし現実にはそんなことは許されない。今は時間に余裕があると言っても、まだ太陽が昇った昼間だ。冬らしいどんよりした曇は午前のうちに晴れ渡り、山の空は青く澄み渡っている。
 だから全てを投げ出して眠りの国に逃げるなんてことはしなかった。それに、彼なりのプライドもあっただろう。
 『全て』あの女に『見透かされていること』に、気付きたくなかったのかもしれない。

「……あ、あの……一本松様……?」

 入るなり、無言で呼吸を繰り返すだけになった部屋の主。ペットである青年が、びくびくと声を掛ける。
 本人としては平然を装っているつもりのようだったが、普段から床の相手をしている者でも異常さを察せられる。自分が明らかに焦っていることを自覚した一本松は「うるさい」と喝する。
 なんて、みすぼらしい。
 さっき「何年も生きた老人のよう」と言われたのに、そのような子供みたいな態度。情けなかった。
 寝床に鎖で繋がれているペットは、首輪で動きを封じられているから部屋の入口で立つ尽くす一本松へ擦り寄ることはできない。風が吹いたら消え去りそうな乏しい声で名を呼ぶことで、主を支えようとしている。いじらしいではないか。
 そんな気遣いも拾い上げもしない一本松は、だんだんと畳を踏んで寝台に寄る。
 今までの不安を拭い取るため、ペットに自分の劣情をぶつけることで普段の冷静さを取り戻そうとした。

 躍起になっていた。いつもの彼を知っている身としては、無様極まりない必死さだった。
 可愛がっているペットに爪を立てる。いつも以上に激しい行為が始まる。
 けれど自分を受け入れる相手に縋るように抱き締める姿に、かつての凛々しさは無い。弟達の前で見せていた冷静さも、子供を撫でていた寛容な心もどこにもない。
 疲れきっているんだ。
 何十年にも渡る、彼なりの戦いに。
 限界が近いのだと、私は思い知らされていた。




END

 /