■ 外伝05 / 「食事」

元は友人の執筆したオリジナルキャラクターのショートストーリーを、長編連載用に改変させていただいた小説です。パロディ小説、2.5次創作でございます。 参考元:華(ぷぇっとした雨音)




 ――1988年12月29日

 【 First / Second / Third / Fourth / Fifth 】




 /1

 屋敷はすっかり冬の静けさに包まれている。わーわーと騒ぐ子供はいなくなった屋敷で、年末掃除に追われる俺は、雪が降りそうな白い空を見上げた。
 そろそろ季節は冬。一ヶ月半前はまだ夏の香りと息苦しい暑さが残っていたが、もう師走となると誰かに会うたび「寒くなりましたね」の言葉が付き纏う。「体調は平気ですか」とも「体の調子はいかがですか」とも、それだけ冷える時期で、皆が皆の体を心配する時期になった。
 一ヶ月半前。まだじわりと暑かった時期。その月日が何を表しているか。彼を気にかけてしまう自分には、ついつい考えずにはいられない早すぎる時間の流れだった。 ……幼馴染の柳翠さんとは四十九日間、会っていない。もう、それほどの月日が経ってしまった。元気にやってるのかなぁ。
 残暑にしては寒々しかったあの雨の日から、大きな時間が経ってしまっている。何度も言うが、もう四十九日も経ってしまったんだ。
 柳翠さんの愛する人が死んで、もう四十九日が。

「匠太郎、これを持ちなさい」

 兄の銀之助が言葉だけで命令した先を見た。そこにはサランラップに包まれた白い団子の皿がある。墓前に供える(というかその場で食べる)味の無い団子だ。
 仏田の寺は『表の仕事』として葬式屋もしているのだから、当然団子を目にする機会は多い。従兄の松山さんが墓前で御経を読むときに出てくるものだし、線香を灯した後に口にするものだから。
 ラップに包まれた皿を退かすと、影に隠れて違う皿も見つけた。そんなにお洒落じゃないが、小鉢だ。中にはゴツゴツの黒いアレが入っている。

「……銀兄さん、今更訊いて悪いけど」
「何でしょう。下らないことなら殴りますよ」
「いや、そんな向上心を捻り潰すようなことは後世の指導の為にやめた方がいいよ、体罰反対! ……この団子って、餡子を付けて食べるもんだっけ?」
「葬式の団子には必要ありません」
「じゃあ、何でこれに付けて食べる為みたいな位置に餡子があるんだ?」
「誰かに餡子を付けて食べさせるつもりで作りましたから」
「……誰に」
「匠太郎は知っていると思ったのに意外です。というか、私が『それが柳翠様の好物』と知ったのは、匠太郎の口からだったと思ったのですが」

 さっきから兄は厨房の拭き掃除をしながら、一切俺に視線を向けずに淡々と話していた。
 銀之助という人は笑いもしないし、目も開けてもいないから、白い団子と同じように無感情。何を考え言っているのか、他人だったら理解できない。実の兄で慣れているから、微妙なニュアンスの違いで判別できた。

「柳翠さんの好物が餡子かと訊いているの? 正解だよ。そうか、詣が終わった後に食べさせようっていうのか」
「……好きな物なら口にしてくれると思いましてね。食べたくないと言ったなら無理に食べさせないで処分するだけです。団子なんぞ犬や山羊に食わせても殺すだけですから」
「喉を詰まらせる的な意味でか。……うん、流用するっていうのはどうかと思うけど、銀兄さんが柳翠さんを気遣ったってことは判った、了解した」
「……馬鹿ですね、一族の体を診る者として言っただけですよ。別に幼馴染と話す機会を無くして気落ちしている誰かを気遣った訳ではありません」

 ――バ、バカ! あたし医者なんだからね! あんたのことなんて気遣ったワケじゃないんだから!
 そんなことを考えていると、すかさず兄は「気遣ったつもりなんてありません、単に餡子が余っただけです」なんて反転型勝気態度を取った。二十年後に「ツ」で始まる四文字で表されるものだった。
 有能で、厨房を預かる兄が食材を余らせることは無い。それに毎食三回の食事に餡子が出てくる可能性は、とても少ない。餡子なんて意図して取り寄せない限り、食卓には現れない筈だ。
 それなのにわざわざ兄は、『彼の好物』を用意した。彼を、柳翠さんを気遣ってくれている。とても繊細なところで。

「俺に持って行かせないで、銀兄さんがあげたら?」
「何故私が。仲の良い匠太郎だから渡せるのでしょう。貴方は、柳翠様の『特別』でしょう?」
「まあね」

 ――死者は、四十九日までこの世に留まっているという。もう体は火に焼かれ骨だけしか残っていないというのに、魂はこの世に留まっているものだ。
 俺も実際に、異端を目にする者としては五十日ぐらいはこの世に留まっていても仕方ないなぁと思っている。
 普通に考えて、『帰るところのある者』は、外へ旅に出たときに一定の時間が過ぎると帰りたくなってしまうもの。旅行に行ってホームシックになるのと同じだ。けど、死んで体を無くし『帰るところ』を失くした幽霊はホームシックになっても帰れない。帰るべき場所である肉体が無くなっているのだから当然だ。
 死者は、死者になった時点で新たな『居るべき場所』を用意されている。肉体を失くしたとき、新たな居るべき場所である天に昇る。
 もっと複雑な感情や要因が幽霊の有否を決定するらしいが、昔に大山さんがやんわりとそう教えてくれた。大変判りやすい説明だとチビだった頃の俺は思った。普通だったら五十日も優柔不断に彷徨ってられない。一ヵ月半以上旅に出たら、帰って来る場所の実感が沸かなくなってしまうことだろう。
 それは、普通の魂もいっしょ。四十九日彷徨った彼女の魂は、きっと天に昇っていってしまうことだろう。
 それならこちらも見守ってあげなきゃいけない。墓前で、決められた場所で彼女が逝く姿を応援する。ちゃんと花を手向けて、居場所を美しく彩ってあげるんだ。
 もし、魂が迷える形になってこの世に留まるようなことがあったら。きっと我が家は彼女さえも取り込んでしまうだろう。
 我らの糧として、世界に余った知恵の一部として。血肉として、金として、彼女を見てしまうことだろう。
 それはそれで「ずっと彼女は我らと共にいる」と解釈すれば前向きに捉えることができる。だが、「彼女さえも貪るのか」とも言われるかもしれない。
 他ならぬ、彼女を愛した彼に。

 ――柳翠さんが……どっちを望んでいるのか、俺には判らなかった。
 彼女と『ずっと一緒にいたい』のだから、我らの知恵の一部として取り込みたいのか。それとも異端など似合わぬ美しい女性だったから、正常に、純粋なままに彼らの在るべき死後の世界に逝ってほしいのか。
 どっちを望んでいるのか、聞いたことはなかった。尋ねることなんて今までできなかったし、そもそも四十九日彼に会ってないんだから言葉を通わすことさえ出来なかった。
 会おうとすれば会える。柳翠さんは、この寺の敷地内に作られた地下工房に籠っている。外に出ることなど、ありえない。それは確証を持って言える。
 だって外に出られる身じゃない。彼の周辺の人間がよく言っていたことだ。自分も彼と共に過ごす時間が多いから、知っている。
 「それではいけない」と藤春さんがよく言っていた。俺も同意するが、気落ちした彼を外に連れ出す口実など思いつかなかった。

 大霊園に兄の銀之助と共に団子と線香を持って訪れると、先に墓前にその藤春さんが居た。柳翠さんの兄らしく、腕には赤子を抱えている。その姿は、もう何度も見た光景だった。
 銀兄さんが藤春さんに礼をし、作業をし始める。もう既に墓は綺麗にされていたし、花も満開の物が生けてあったから兄がどうこうするものではなかった。それでも形式通りに行なう。普通なら墓参りなんて大人数でまとめてやるのに、彼女の例は特別だからか、個々に行っているようだった。
 赤子を抱いて去っていく藤春さんに声を掛ける。彼いわく、数分前にも同僚達が墓に訪れていたらしい。その数分前には彼女の友達が山を登ってここで手を合わせていたとか。友達が多かったという彼女のことだ、おそらく数分後にも誰かが来るのだろう。
 でも柳翠さんはこの場を訪れていないと説明された。



 ――1969年4月1日

 【 First / Second / Third / Fourth / Fifth 】




 /2

「匠太郎よ、別に私と仲良くしてくれなくても構わんぞ」
「……ハア……」

 柳翠さんと俺はたった一歳違いだ。ほぼ同い年ということもあって、本家の当主様こと和光様の三男坊として生まれた柳翠さんと、同じく三男坊でも分家の身である自分は、よく一緒にされた。
 六歳の子と五歳の子が同じものを学ぶ。まあ、無い話ではない。この寺では小学校に通うような世界ではないのだから、よくあること。
 彼の神童っぷりは昔から発揮されていた。一緒に学ばされたが、学ぶのは自分だけだった。彼はなんでか五歳のときにはもう大人顔負けの知識を持っていて、喋り方も五歳とは思えぬものだった。
 理由は……それが『彼の特殊能力』だったからだそうだ。幽霊を視える血がいるように、火をうまく扱う血がいるように、柳翠さんは頭の良い血だったという。柳翠さんを引き抜いた産婆(俺の母で、名前を清子という)が、そう言っていた。
 彼は天才の血を引いている。もし柳翠さんが仏田寺でない、ごく普通の家の、何の異端に知識の無い父母の元で生まれていたら……『近年稀に見る天才少年』と地域で持て囃されたことだろう。
 素晴らしい知識と洞察力や言語力を持って、同年代の自分を圧倒した。彼の長所は誰にも劣ることがなかった。彼の短所が大きすぎることはこの際、語らないでおこう。
 語る迄もない。短所のせいで彼は非常に苦労していた。目に見える苦労だった。可哀想だと、年下で目下で格下の自分も思えるぐらいだった。
 周囲に理解されない彼の常識。理解しようとしても、やっぱり理解できない彼の言動。間近で見て聞く自分には、彼は不思議そのもの。
 高い能力を持っているというのに、それを生かせないジレンマ。高い能力を持っているからこその人々の期待と、失望。彼は「不思議な人」としか言い表せないものだった。

「……柳翠さんが俺と仲良くする気が無いのは判りました。けど、親達が俺らを一緒くたに扱いたがっているんだから、その顔を立ててやりましょうよ」
「ほう。匠太郎は大人だな」
「だって大変じゃあないですか。元から計画立てていたものが巧くいかないって。俺は予定通りにならないことって嫌いっス。……俺の予定では、毎日誰とも仲良く過ごすつもりなんです」
「ふむ」
「それほど『仲良くならない』ことに固執する気がないなら、俺の為にも仲良くしてやってください。どうしても仲良くなりたくないっていうなら俺も考え直します」
「そうか。別に……私は強い希望立ってのことではない。理解できずに苦しむか弱い年下が可哀想と思っての心遣いから言った台詞だ。お前が努力するなら近付くことを許そう」
「……アンタ、本当に子供ですか……。でも、気遣ってくれていたのなら、ありがとうです」

 ――柳翠さんは、ご自身で自覚なさってるほど『マトモに人と話せない人』だった。
 本人からも、彼を愛する兄の藤春さんからも聞いたけど、判りずらいことこの上ないからなんとも言えない。
 だから彼は、柳翠さんは立派な『逃げ場所』を作った。自分の世界に没頭できる『個人作業』をすることで、自分の居場所を見出した。
 元から柳翠さんは字を書き写すとか、絵を描くとか、物を作るということを得意としていた。知識と集中力のある彼は、芸術家に向いていたんだ。
 柳翠さんが七歳ぐらいのとき。つまりは、俺が六歳だったとき。彼が描いた絵を押しつけられた。……いや、頂いた。
 子供の描く絵なんて、意味があっても他人じゃ理解出来ないものだ。彼の絵は、まさにそれ。『家族』という題材の中央に、『黄色や赤や白の人』がいるのだから子供の色彩センスは判らない。日本人を描いてる筈なのに頭を黒でなく黄色や赤のクレヨンで塗るのだから不思議。

「……柳翠さんって、クレヨンにある色を全部使わなきゃいけないっていう義務感に駆られてませんか?」

 何気なく俺が思ったことを口走って、ニヤリと笑われたのをよく覚えている。意味深過ぎて記憶に強烈に残ったからだ。
 それから数年後。柳翠さんは絵画という二次元的なものよりも、三次元の物体を作り出すことが得意だと気付いた。
 人より倍、創作活動をしていれば得意分野も見つかるもんだ。九歳の頃には粘土で置物を作ったり、木彫りで像を作ったり、訳の分からぬ道具で不可思議な人形を作ったりし始めていた。造形は相変わらず不可思議だったが、上手かった。
 自分は、その作業をよく目にしていた。能力に差があったとしても、年齢のせいで一緒にされることが多かったので、彼の趣味は俺の時間と被るものだったからだ。
 彼には勉強が必要無くなったときも、至らぬ自分には必要な時間だから、無意味な時間を一緒に過ごしてもらうことになる。その時の時間潰しに、彼は創作力を発揮する。
 俺が筆で数字を書いているとき、彼は紙にひたすら『眼』を描いているのだった。今にも動き出しそうなリアルな『眼』を、ゾロゾロと。

「柳翠さんの絵の中央は、どれも同じですよね」

 幼い俺は、隣で精を出す彼へ何気なく疑問に思ったことを口走っていた。

「目は……『青かったり赤かったりする』んですもの。『時々混ぜたりもするし』」

 ――ある一時から、柳翠さんは人形を作るようになった。
 創作の趣味を始めた頃は解せない置物もあったが、頭があって手足がある人形作りが一番楽しいと気付いたんだろう。次々と増えていく彼の作った人形を、隣で勉学に励む俺は見ていた。
 感想は、やっぱりここでもなんとも言えない。柳翠さんはただ黙々と、時々変なことを口走りながら、人形を増やしていく。自分に人形作りの趣味は無いので、ちょっと不気味だった。
 でも、趣味の無い人間はつまらないもの。誰にだって趣味の一つはあるし、理解されない趣味を持ってしまうこともある。だから俺は何も言わなかった。

 ある日、柳翠さんの作った人形が動いた。
 ……いきなり場面展開になってしまったが、こちらにしてもあまりにいきなりだった。衝撃的だった。
 人形は動かない、と幽霊退治をする家ながら思ってたからだ。でも原理を説明されたとき、ちゃんと理解できた。
 ……柳翠さんは、俺の判る範囲の魔術で説明してくれた。父から魔術はちゃんと勉強していれば、扱える知識程度だったからだ。
 それは、十歳を越してからのこと。柳翠さんの話す原理はこうだ。
 『下級霊と友好的に契約し、中身が空の体に宿ってもらう』。
 なんでも大昔……それこそ仏田を創った始祖様が操っていた古の術と同じことをしたらしい。
 …………。

「あの。それって……魂って、当主様に献上しなきゃいけないものじゃないんスか。なのに……勝手に、人形の中に入れて……」
「一応、他の者達には黙っていろよ。作ったと知れれば厄介なことになる。度も過ぎれば、私は投獄されてしまうからな」
「そ、そんなヤバイことしてたんスか……なんでそんなモン、俺にプレゼントしようと思うんです」
「匠太郎であれば、面白がると思って。約束だぞ、黙っておれ』
「約束……。って、こんなん貰っても怖いだけッスよ!! やっぱ何考えてんスかアンタはーっ!?」

 柳翠さんは俺に、誕生日プレゼントだと……雛壇の五人囃子のような人形を一体、頂いた。
 太鼓を持った赤い顔は、手にした太鼓をぽこぽこ鳴らした。朝でも夜でも構わず鳴らした。土下座して返品した、良い思い出がある。
 あのとき、柳翠さんは「中の魂が音楽が好きだった人だったのだから仕方ない」と言った。体を貰えて嬉しがっているんだ、とも。

「好意でやった贈り物を返すとは、失礼な奴だな。そういえば匠太郎は前から余所余所しい奴だった。去年やった泥団子も結局は食べてはくれなかった……」
「泥は人が食べるモンじゃないですからっ! ジャリジャリ砂をうめえうめえ言って食べる人間がいたら俺は軽蔑しますっ! っていうかまずいません! いません!」
「団子を愛してやらずして何が匠太郎だ」
「何が男だと同じテンションで団子と括り付けないでくださいよっ!? 贈り物っていうのは嫌がらせの為じゃなく喜ばせる為の儀式ですよ! まずはそっからやり直してくださいっ!」
「よく出来た作品を誰かに贈ることは、私にとってはこの上ない好意だと思うのだがなぁ。……私が誰かの為に物を創るなど、珍しいことだぞ?」
「そりゃそうですけど。柳翠さんの創作活動は、俺の勉強してるときの待ち時間を潰すためですし、わざわざ創ってくれるのは……」
「人形を作るにも、定着させる儀式をするにも体力がいる。疲れて意識を失ってしまうほどなのだぞ。できたてホヤホヤの魂を貰っておけ」
「はぁ、できたてホヤホヤの……魂ぃっ!? それって死んですぐってことじゃないですかっ!? ちょっ、葬式に来た幽霊を変な人形に閉じ込めないでくださいよっ!!?」
「クク、冗談だ。しかしこいつがか弱い匠太郎を護ってくれるだろうよ。そいつは数年前から魂も消えかけの希薄な浮遊霊だ。……真新しい元人間の魂なんて精密なモノを封じ込めるような高度な技術、未熟な私には出来んよ」

 このとき、『本体の視えぬどんな魂であれ、それぞれに人格があり、質があるんだ』と思い知らされた。
 魂を貰う家業をしているのに、そこで気付いたくらいだった。実践や触れ合ってみるって何事も大切なんだなぁ。



 ――1988年12月29日

 【 First / Second / Third / Fourth / Fifth 】




 /3

 そこまで思い出して、ハッとした。
 霊を、魂を、空の体の中に押し込める手段を、彼は知っている。千年前からの魔術。かつて始祖様がしていたという人形使役。魂の操作。幼い頃からそれを行っていた。幼馴染のプレゼントとして作ってしまうぐらい、ラクラクと頻繁に行っていた。
 じゃあ、彼の知識を総動員して、時間を掛け、丁寧に作れば? どんな魂でも空の人形に定着できてしまうのではないか。
 考えてしまった。

「……柳翠さんっ!」

 いつかは週に一度は訪れていた、彼の部屋に飛び込む。
 換気をしていない、ちょっと臭みのある部屋だった。見渡せど、彼の姿は無い。敷きっぱなしの布団を持ち上げてみるが、そこにも細身の彼の姿は見当たらなかった。
 そういや、いくら広いとはいえ同じ屋根の下に暮らしているのに、どうして四十九日も見当たらなかったんだろう。
 工房に行っている? それとも、書物庫に行ったのか?
 何かを常に研究している工房に篭りっきりになる奴は多い。何かを研究した結果を保管する書物庫も、篭りっきりになるには十分なスポットだ。
 じゃあ工房に行こう。書物庫にも行こう。でも、居なかった。
 別に焦る必要は無かったけど、急に柳翠さんが『今』何をしているのか知りたくなって、息を切らして探し回ってしまった。
 まずは柳翠さんの姿を確認したかった。
 確認したら、この数十日間を何に使っているのか問いただしたかった。
 でも、会ったからといって彼を叱責するつもりは無い。もし『亡くなった彼女を人形で留まらせる』つもりだったとしても、俺は止めるつもりはない。
 魂を何かに定着することが禁忌だとは思わない。「約束だ、黙っていろ」と本人が言うぐらいヤバイことなんだろうなと思ったけれど。
 だって、魂だけの存在っていうのは元々この世に居るべきものじゃない。それを浄化しなきゃいけないのに、我が家は他の退魔の血と違って自分の家へ取り込んでいる。それだけでも俺達は異端だっていうのに……。
 絶対の世界の条理から外れ、守らなければならない家訓も無視して、隠れてこっそり魂を使っているんだから……間違っていることは、罰せられるもの。でも今は、それがいけないこととは思えなかった。

 彼と彼女の時間は、とても幸せそうだった。
 俺よりもずっと柳翠さんのことを知っている藤春さんだってそう言っていた。
 彼と彼女は心から結ばれていたから、共に居るべきだった。引き裂かれてはならぬ、運命的な二人だった。死が彼らを分かつこと自体が、おかしかったんだ。
 短所が多く、それによって苦しんでいた柳翠さんが救われるためには必要だった彼女が、元通り彼の近くにいるのは当然のこと。本気で思えた。
 けどすぐに探して、一度問い詰めなきゃいけない。
 ……きっと、俺の心のどこかでは『いけないこと』を考えていたから、放ってはおけなかっただろう。
 世界の常識からも家訓からも離れる『悪いこと』。悪くないと思っても、悪いことは自覚してなくてはならない。彼がすることを誰かが認識しておく必要があると思った。
 それが自分にあるというのは、傲慢にも彼に近しい人間だからと思っていたからだ。多くの時間を共に過ごしていたのだから当然だろう、と。

 ――この世は、実体の無いもので溢れている。
 一つ一つに神様がいるように、神様のお付きが一つ一つについていたら、それだけで数は倍。お役所のようにもっと倍になるところだってあるだろう。
 俺達が生きている中で知覚できるモノは、数えきれない。それに一つの魂が篭っているか、複数のモノが詰まっているかは判らないが、入ってないことは無いだろう。
 草木の精、石の精、風の精に土の精。靴の精に畳の精に、便所の精。その中の一つが無くなったとしても、気付く人なんているんだろうか。
 ああ、気付くときは気付く。知覚した時点で、その人にとっての有否は決まるのだから。
 知覚者が見えたら確かにそこにあって、見つからなければこの世に一切存在しないと同じ。誰かが知覚すれば死者だって生きている。幽霊としてこの世に居ても、知覚できなきゃ彼女は居ない。
 彼女は、死んだ。だから、彼女は居ない。けど、死んでも、彼女が居てくれる手段はある。
 彼が彼女を捉えることができたなら、それは彼らは一緒に居るということ。どんな手段を使えば可能になるのか。
 道理を超越した魔術であれば、その手段を確立することができる。人を超越した天才であれば、きっとそれも叶う。
 俺は、目の前に居ない柳翠さんを探し続けた。どこかに彼は居る筈だけど、今、俺の視界内には居ないしどこに居るかも判らない。
 今の俺にとって、柳翠さんと彼女は同じものだ。その程度にしか、死者と生者の違いなんてないんじゃないか……思えてきた。

 ――柳翠さんを探し続けて、一時間。彼は水辺に居た。
 仏田の敷地内にある、山を流れる川の源になっている場所。子供達の水遊びにはちょうどいい湖に、彼は居た。
 夏ならばはしゃぐ子供の声がしていいだろうが、今は鳥ぐらいしか近寄るものはいない。冬に近い季節に水に近づく人間は、普通いなかった。
 彼は、普通じゃないから居る。普通考えつかないような理解しがたい所を探しまわった結果、見事にヒットした。
 ……やっぱ理解できないな、あの人は。
 いつも通り『何を思ったか』柳翠さんは湖の中にいる。上半身は裸だ。遠目で下半身にも何も身に付けていないことが判る。
 夏はとっくに終わった。そろそろ雪の対策について話し合わなければならないというのに、彼は湖の中に立っている。見ているだけで寒々しかった。

「……柳翠さーん、こっちに来てくれますかー?」

 なんでそこにいるのかは、一見理解できなくても説明されれば判るかもしれない。いつもそんな感じだから、拒絶する前にそうすることにした。
 普通は行わないことをやってこそ意味がある。一般から外れているから、一般に理解できないことを察することができる。
 彼の度の過ぎた病弱さが、異質な空間に漂っていた。
 瞬間。水が光り出す。
 近寄るまで気付かなかったが、湖の周辺には印があった。魔術の印だ。他人には判らなくても、本人に意味が見出せればいいもの。
 何らかの魔法陣が描かれていたが、俺は気付かずに中へ足を踏み入れていた。咄嗟に避けて走る光の妨げにならぬようにする。
 少し動きが遅かった。パリッと火花が舞う。足に刺激がほんのちょっと走ったけど、無くなってはいない。何の呪文なのかは魔法陣を見ただけでは判らなかった。
 自分は魔術の素質はあると言われていたが、才能に長けているとは自覚していない。残念ながら何の魔法なのかは瞬時に理解できない。でも、ほんの少しでも足に走った衝撃の強さが、『生半可じゃない力』を持ったものだと判った。
 力が、だいぶ……込められている。一日かそこらで集められた圧力ではない。小さな印でも、少なくとも五日以上は込められているだろう。パッと五日と思ったが、十日かもしれないしそれ以上かも。
 現に、左足が小さな火花で焼かれただけだというのに、かなり痛い。強力な魔力。異質な光景に身を投じる彼。現在の状況。それが導き出すものは……。

 光は、長く続いた。でも突如、拍子抜けなぐらい呆気無く消えていった。失敗したのかな、と何も知らない自分が思えるほど、儚く。
 ああ、もしかしたら。儀式に関係無い俺が踏み入れちゃったから失敗したのかな。何気なく彼に対して酷いことをしてしまったようだった。
 何も考えてなかったけど、彼は何かを必死にやっていた訳だから……そこに関しては、申し訳ないなと思う。けど。
 柳翠さんは感情の読めない顔のまま、湖から上がってきた。
 怒られると思ったけど、暫く何も言ってこなかった。何も言わないのが余計に怖い。謝罪の言葉を述べるタイミングかと思いながら……近場で久々に見た彼の顔が、予想以上にやつれていて、先に心配する言葉の方が出てしまった。

「……柳翠さん、ご飯食べてます?」
「私はまだ仙人ではない。霞だけで生きてはいけんよ」
「それは、ちゃんと食べてるって言いたいんですよね、そうですよね。でも、今にも栄養失調で倒れそうな体だ」

 彼の薄い色の髪が弱々しい。白い肌が、青白く見えてしまう。
 それに、今日は真っ白の曇り空だ。余計に不健康に見えた。
 元から柳翠さんは、とても細い身体をしている。昔からそうで、スタイルが良いというレベルじゃない。綺麗だというには違いないが、痩せすぎと指摘される程だった。
 前々からそうだと思われる人が更に痩せているんだから、病的な印象はとても強くなる。長い髪も、濡れた体も、気味の悪さが強調されていた。
 こけた頬や腹もそうだが、さっき呪文を唱える声が小さかったから、余計に心配心が膨らんだ。

「……匠太郎」

 そう、名前を呼ぶ声も小さくか細い。
 元から元気ではないが、誰が聞いても生気が含まれていない音と思うだろう。

「なんスか」
「一発殴らせろ。いや、一発でなく五日分殴らせるんだ」

 五日分、力を込め続けていたのか。

「今の柳翠さんに五日分も殴りつけるぐらいの力ってあるんスか」
「……使い魔の人形に殴らせる」
「柳翠さんが殴らなきゃ、柳翠さん自身の怒りは……俺に届きませんよ」
「届いておけ」
「いいえ、届きません。……俺が何かの儀式を失敗させたってのは判りますから、申し訳ないことをしちゃったなって自覚ありますけどね。俺、貴方の考えていることを邪魔しちゃったみたいですし。でも」
「でも?」
「俺の方も柳翠さんを叱らせてもらいますよ」
「なんだ、お前の方が怒りたいとでも言うような顔は。彼女をこの世に留めることを叱りに来たのか、匠太郎」

 ……やっぱり、そのことに行きつくのか。

「いえ、あの人は貴方の傍に居るべきだと思ってます。貴方が努力して彼女を留まらせようとする行為は止めない。……けど」

 柳翠さんの腕を引く。水に濡れた身体を、軽く引き寄せただけ。
 なのに柳翠さんは、呆気なく横転した。

「今にも死にそうな体を無碍に扱う貴方を、叱りつけたくて堪りません」
「…………」
「貴方が幸せで彼女を取り戻す手段があるなら、たとえそれが禁忌と周囲に叫ばれても、俺は応援します。……けど、死にそうな目に遭ってのやり方は、見逃せない。俺が居なくたって、邪魔しなくたって、失敗してあの衝撃を受けたら貴方、倒れたでしょう? そのまま水の中に呑まれていったでしょう? それほど貴方の体は弱っている」
「…………」
「もし儀式に成功したとしても、その後の契約行為に体力を使う。そう小さかった貴方は言っていた。そんな体で全てが成功すると思ったのですか。どう考えても成功する確率は少ないし、成功しても貴方が無事である可能性も少ない。貴方は……自分を軽視し過ぎた、それを俺は叱りたい」
「…………」
「今日が四十九日だから焦っているのもあるんでしょう? 彼女は天に昇っていってしまうかもしれないから……そんな焦った呪文の唱え方は、余計に失敗を誘うだけです。貴方を天才だと皆は言うけれど、それは貴方が万全な状態だった姿を見てのことです。不利な状況の揃った精神不安定な貴方は、自殺しようとしているようにしか見えなかった。貴方より頭の悪い俺が、そう思ってしまったんですよ」
「…………」
「ちょっとは反省してください。俺が足を踏みこんじゃって失敗させたのはホント偶然ですけど……俺は謝る気ありませんからね、自分の行ないを誇ります」
「今の私は、お前に対する不快感しか持てずにいる」
「……そうスか。そう言われるのはちょっとツラいです。俺は柳翠さんのこと、好きです。大好きですから、不愉快とか言われるの……キツイです」
「…………」
「体力を回復してください、その後に殴ってくださいよ。あの人が亡くなってから……飲まず食わず休まずの勉強をしてたんでしょ? いくら天才だって補いきれないところはあるんだから、必死に勉強して、良い素体を作って、ギリギリの日までやってきたんですよね。……でも柳翠さんぐらいの天才だったら、四十九日を過ぎたって彼女の魂を人形に定着させる方法、見つけられますよ。俺も手伝いますから、万全の状態でやり始めましょうよ」
「ふん、匠太郎に手伝わせるか。それは出来んな」
「……なんでッスか。俺、柳翠さんには劣りますが、世間的には頭の良い方の人間の部類ですよ」
「邪道に手を汚させるのは、異端中の異端がやるに相応しい。お前には似合わんよ」
「……異端だらけの家である人間に何を言いますか」
「あと、彼女は私のものだ。お前に手伝われると癪に障る」
「別にあの人を取る気なんてありませんし、取ろうと思って取れるもんじゃありませんよ。あの人は柳翠さんの奥さんですし。俺は……ただ、貴方の本当の幸福を手伝いたいだけです。貴方が家訓に逆らって悪行を重ねるのは今までも黙認してきたじゃないですか、今度は手を貸そうというんです」
「似合わぬことを言うな。お前は正義漢に燃え、『そんな危険な行い、絶対にしないでください!』と泣き喚く方がサマになるし、可愛いぞ」
「……似合うからとか、可愛いからで俺の主張を曲げないでくださいよ。俺は、本当に、柳翠さんのことを想っているだけなんスから!」

 ――結局、一人では戻ることさえもできない柳翠さんを引き摺って(その前にちゃんと着物を着させて)、俺が部屋に連れてきた。
 歩くこともままならないほどの体力低下。どうやって湖まで行ったのか、冷水に浸かれたのか……それは根性で動いていたからに他ならない。
 第一の目標が無くなった柳翠さんは、動く気力を無くしていた。
 でもそれは休憩を選んだという選択をしたのだから、俺には喜ばしいことだった。

「その体じゃ、団子を食べたら喉に詰まらせて死んじゃいますよね。折角銀兄さんが作ったものがあるけど、ヤメておきましょ」
「……団子、か」
「それとも食います? 好きなモンなら口に入りますか?」
「私は団子が特別好きという訳ではないぞ」
「…………。そうッスね、柳翠さんが好きなのって、餡子ですもんね。……それ知ってるの、俺ぐらいですよね」

 昔はてっきり甘い物が好きなんだと思ったが、チョコレートやシュークリームをあげても全然喜ばなかった。……そのことを教えてくれれば、あげずにちゃんと全部俺が食べたというのに。
 餡子が好きだと気付いたのは、あまり食事に興味を示さない彼がゆっくり餡団子だけは食べていたからだ。あのときは好物に執着するという、人間らしい姿を見て安心したものだ。

「餡子だけっていうのも粒餡ですし、喉に詰まると苦しいんじゃないですかね。餅で死ぬなら定型文ですけど、餡で死ぬって格好悪いですよ」
「好きなもので死ねるなら大歓迎だ。好物で逝けて好きな人と同じ世界に行けるのならば、私は幸せ者だな」
「…………。もう金輪際絶対、柳翠さんに餡団子を食べさせません。俺の目の色が黒い限りは決して口に入れさせませんから」

 とりあえず今させることは、少しでも健康に戻すことだ。
 五十日近く不健康そのものの生活を送っていたのだから、そう簡単に戻ることはないだろうけど。
 そこは、医者であり栄養士であり、二十年後に「ツ」が付く四文字で大流行するだろう銀之助を頼ればなんとかなる気がする。本家の息子が病弱とあっては本気で治しにかかってくるだろう。

「……ん、コレ……って?」

 少し臭くて埃や髪の毛で汚い部屋を片付けていると、一か所だけ丁寧に整えられた空間を見つけた。
 それは、必要以上に清潔に整備された押入れだ。
 押入れは身向きもされない所。だから陰気臭く、実際匂いも篭る場所。けど、押入れの概念を吹き飛ばすほど綺麗な場所だった。
 綺麗にする気さえあればこれほど美しい空間になるのか。芸術家の執着は凄まじいことを物語っている。何故、そんなに美しくしてあるかと言うと。
 そこには薄い髪色の人形が眠っていた。



 ――1988年12月30日

 【 First / Second / Third / Fourth / Fifth 】




 /4

「ねえ、柳翠さん。これから数ヶ月、俺が付きっきりで面倒見ますけど。それ以後は、外に出てみるといいんじゃないんスか」
「……何を思ってそう言う。普遍に満たされた世界に解決策など無いだろう。ここで『声』を聞き……知識を集めていた方が」
「彼女は下界で生まれ下界で育ちました。彼女を呼び出すには、彼女のことから知るに越したことはないと思います。だから、貴方は彼女が居た世界を知るべきだ。彼女の生きた世界へ旅立つべきだ。柳翠さんの研究を妨害するつもりはありません。……一年後でも二年後でもいいんで、一度外に行って彼女が過ごした世界を見てみればいいと思います」
「…………」
「けど、まずは休むことを第一としましょう。今から銀兄さんを連れて来るんで、ここから消えないでくださいよ。じゃあ、失礼しまーす……」

 掃除もすべて終えて、柳翠さんを布団に寝かしつけてから、襖を閉めようとした。だが、

「たまにだが、匠太郎も良いことを言う。今日はその日だな。調子の良い匠太郎の言葉は力強いから、『特別に』聞いてやる気になったよ。お前の言葉に則ってみよう」

 優しい言葉に、なかなか襖を閉められず、俺は悦に浸っていた。

「……はい、是非とも参考にしてやってください。そう言われただけで俺、生きてる価値を見出せたぐらい嬉しいッス」

 ――そうして、兄のアドバイスと看病によって柳翠さんがそのままポックリ後追いしてしまう可能性はゼロに近くなっていった。
 元気が戻ったと言えないが、俺が認める姿にはなってくれた。
 その後も柳翠さんは、彼女の墓には訪れることはないと言う。何故墓参りには行かないのか。問い質すことは簡単に出来たけど、敢えて俺はしなかった。
 きっと、あそこに行く機会があるとしたら。それは、彼女を連れ戻すとき。それまで行かないのだと一人で願掛けしているのではないか。勝手にそう解釈した。
 彼は常に精力的に研究を続けている。彼女を連れ戻す研究を。他のことを全て捨てて。
 そんな柳翠さんを、彼の兄である藤春さんは良い顔をしなかった。
 何を研究しているか知らないだろうが、何をやってたとしても大切な人が死んで何かに没頭している弟を良くは思わない。その腕の中に彼の息子が居るから、余計に。

「……匠太郎」

 盆を持った銀兄さんに名前を呼ばれる。
 柳翠さんの飯を部屋に持って行くのは『柳翠つきの使用人』になった俺の仕事になったから、いつものことのように立ち上がった。

「ん、米がちょっと少なくないか?」
「適量でしょう。いつも彼が残す物を貴方が食べているんですから、この程度で良いのです。他の人と同じように盛っていたのでは、貴方が肥える原因になるだけですよ」
「……俺が食べてるのって気付いてるのかよ。なら面と向かって叱ればいいだろ。俺だって体が丈夫ってワケじゃないんだから、元気に食べてるだけ喜んでくれよ」
「貴方に出す飯だって、貴方の体調を計算して食べさせているのです。余計に食すことで計算を崩されては困ります。……そう、匠太郎だって体が丈夫だというのではないのだから」
「ははは」
「なのに貴方は、彼に尽くし過ぎだ。女中全員に『体調は平気か』、『体の調子はいかがだ』と常々言われているでしょう、ちゃんと耳を傾けなさい。柳翠様は、精神的に脆く体調を崩しました。ですが貴方、匠太郎は元々丈夫でないんだから注意するように」
「ははは、してますよ、してるじゃあないか」

 あの人に「貴方は尽くし過ぎだ」と言っておきながら、こんなことを言われてしまうなんて。
 でも、興味は無いから、すぐ忘れてしまうこと。

 ――彼は、今日も研究を続ける。
 そして、精度の高い人形を造り続ける。
 この世にある知恵を総動員させ、あらん限りの力を使って。
 そのためにやる気の無かった仏田の『仕事』を手伝うこともあった。自由奔放にやりすぎて勘当扱いされているので『本部』から『仕事』が入ってくることはまず無かったが。彼は、彼の夢を叶えるために、野望を達成させるために、一族の中で……一族から離れて地下に篭る。
 藤春さんの腕の中にいた赤子がすくすく大きくなろうとも。同じような症状に苦しむ新座くんなどの姿を見ようとも。
 彼は彼自身のために研究に没頭する。他人のことなんて関係無い。
 そんな身勝手な孤高を快く思うのは、俺一人で充分だ。
 ……特別な、俺一人で充分なんだ。



 ――2004年12月13日

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 /5

 『魔王』なんてアダ名が付く人は決まって独裁的で暴力屋に決まっているもんだ。だというのに、俺達一族でその呼び名で通っているのは、力を振りかざすような人じゃない。
 俺が『師匠』と呼んでいるその人の名は、銀之助。師匠と呼ぶ理由は、薬学にとても精通した魔術師だから。
 銀之助様は目が細く特徴的な顔をしているので、いつもニコニコ笑っているように思える。でもあの人は、楽しいことが無くても笑えるような男じゃなかった。一見笑っているように見えるだけで、実際はひどく無表情、そして無愛想な人だった。
 恐ろしい刑罰を与える頑固者達(狭山様や清子様達のこと)や、ドS集団(一本松様や悟司様のこと)を差し置いて、あの人が『魔王』という大層なアダ名が付けられているのは……あの人の前には誰も勝てないからという、まさに『隠れた頂点』だからだ。
 ――美味そうな味噌の匂いを辿って、俺はフラフラと彼の元にやって来た。

「何用ですか、シンリン。消毒もしてない体で厨房に入るとは緊急時ですか」

 いや、ちゃんと仕事があって来たんだけど。あまりに美味そうな匂いに己の目的を忘れてしまうとこだった。
 銀之助様は野菜を的確な大きさに、一定のスピードを崩さずに切り続けていた。俺に話し掛けているというのにそのペースは一切落ちていない。
 彼の隣で摘み食いなんて恐ろしいことは出来ない。そして「実は用も無しに来ただけです」なんて答えたら、きっと持っている包丁を投げつけることだろう。この魔王は、そんな人なんだ。

「銀之助様へお電話が入っています。至急お越しください」

 出来るだけ『緊急時っぽさ』を醸し出して、俺が土足で厨房に入ってきたことを許してもらう。「気遣いが出来ないほどに重要な用なんです」と言い表わさない限り、グツグツいってる鍋に頭を突っ込まれそうだから必死に演技をした。いや、そんな不衛生なことこの人がする訳ないけどさぁ。

 ――『キッチンの魔王』。『厨房の支配者』。『我らの全を統べる真の当主(ご飯的な意味で)』。それらが銀之助様に付けられているアダ名だ。
 厨房長はあくまで一族に仕える使用人。だがその使用人が誰よりも強いのは何故か。彼がいかに『魔王であるか』、説明しよう。
 彼は、百人は居る境内の人間達の食事、三食おやつ付きを管理している。全て。一人で。24時間365日。彼がコック長になって二十年以上、休まずその職務を続けている。
 一族の口にするもの一切を任されているんだから、そりゃ『王』と付けられても仕方ないかもしれない。いくら人間が優秀でも食べ物を貰わなきゃ生きていけないんだから。食べ物をくれるこの魔王様は何よりも尊い存在なんだ。もしかしたら当主様よりも彼の方を尊敬している人は多いかもしれん。冗談で皆言うけど、半ば冗談になっていないのが事実だ。
 何せ、一族の敷地――この山は、閉鎖空間なんだ。
 四方が山に囲まれているだけ、高い塀がある訳でもない、どこへも逃げ出すことが出来る特殊な閉鎖空間。人の力だけで内部に在るものを外に出さず、外部からの接触をシャットダウンしている此処で、皆が口にする物を管理しているのが……彼一人。
 これがどれほど恐ろしいことか、大きすぎる仕事を一人で抱えているかお判り頂けるだろうか!

 ならどうして「分業をしない?」と考えるだろう。その答えは極めてシンプル。銀之助様自身がそれを拒んでいるからだ。
 理由は、「自分一人でやった方が都合良いから」。あと、「他人に任せると味が落ちるから」。ついでに、「自分のテリトリーに他人が入るのが許せないから」。
 彼が一人で厨房を任されて二十年以上が経つ。彼は子供の頃からお手伝いで厨房に立ってたから、実際包丁を握り初めて三十年、四十年目か? 一人じゃない方が効率的なんじゃと誰もが思うが、銀之助様一人で管理された二十年は一切狂いが無く、事故が何一つ無かった。
 逆に一人でないとき(昔は数人でやっていた時期もあったらしい)事故が多発したという。2005年現在、厨房に自由に立ち入れるのは魔王を除くと一人ぐらいしかいない。
 魔王は言う。――「他人は私の邪魔をする。私一人なら完璧に事が終わる」。
 んな無茶苦茶な、と思わずにいられないその言葉を、彼は二十年間守り続けているのだった。
 もし魔王に逆らったら? 実にカンタンな答えが返ってくる。『今日の飯は無くなるだけ』。そしたら山で木の実や茸を拾って食べるか、数時間歩いて外に出なきゃいけない。地味で、実は誰にでも打開できること。でも誰もそんなことはしたくない。だから皆、銀之助様に逆らう者はいなかった。
 まあ、単純に『一族の鬼』狭山様に唯一対抗できるお人で、尚且つ『ドS代表』一本松様の弟であるっていうのが、『魔王』であるポイントでもあるんだけど。

「シンリン、貴方が鍋を見ていなさい」

 師匠に言われ、俺は仕方なく鍋を見た。……十個ほど並ぶ鍋を。
 一族が住むこの山には常に百人近くの人間が住んでいる。しかも八割は男だ。よく食べよく出すさ。彼ら全員に味噌汁を出すんだから、鍋は十個ある。味噌汁用に大鍋が十個グツグツとオーケストラってるだけで、他にもわんさかある。複数の鍋を見るにもどうやって見ればいいのかサッパリだ。
 いつか銀之助様が倒れたときのために、どうすればいいか彼の技は誰かに伝授しておくべきだと思うんだ。大勢に。今のところ一人か二人は出来る人がいるけどさ……でも。
 俺は出しゃばったことも出来ず、結局厨房を出て行く銀之助様の背中を見るに終わった。
 厨房から一番近い電話は、廊下に出たすぐの角に置いてある。厨房に居ても銀之助様の「もしもし」と渋い声が聞こえた。

「何事ですか」

 彼が居なくなったら、山の中の閉鎖空間では大混乱が起きる。
 言い過ぎかもしれないが、それぐらいこの山の食に精通した人だった。野菜を洗ったり配膳をする者はいても、実質調理に係わっているのは彼だけだというのだから……凄まじい話だ。

「落ち着きなさい。貴方の言葉は要領を得ていません。一つずつ話してごらんなさい」

 しかも彼は、メニュー編成も栄養計算も、食材の仕入れまで一人で行なっている。
 それどころか、浅黄様直伝の薬物調合やら、茶道やら何でも、『口にするもの』全てに精通していた。

「ほう。ほほう」

 一族の365日分の食糧を管理する『魔界の王』。誰も立ち寄らせない魔の領域を操る頂点。カッコ良く言えばそんなもんだ。
 このままじゃ後世のためにいけないなと思っていても、今が完成し過ぎていてどうしようもできない。
 誰も彼の後を継ぐと言い出さないのが悪いのか、誰か言い出していても銀之助様が認めていないのか……ホント考えものだ。

「『それ』が、電話をした理由ですか。もう一度尋ねましょう。その程度のことで? 私に? …………つまり?」

 ちょっとだけ聞き耳をする。もちろん鍋(十個もあるけど)を見ながら、電話を受ける銀之助様の御声に耳を傾ける。

「ふ」

 あ、笑った。
 彼の顔を見た人は、いつもニコニコしている人だと思うだろう。目が細くて微笑んでいるように見える顔だからだ。
 でも彼はまず笑わない。俺は今、こうやって鍋だけを見て……廊下の外の電話に話し掛ける声だけの銀之助様に注目していると、寒気が止まらなかった。渋いお声がどんどん渋く、冷たく、氷の凍てつきが増していくもんだから。

「今すぐ厨房においでなさい。額を地に付けながら改めて話をしてもらいましょう。なに、今は本殿にいらっしゃる? では四分でこちらの棟に来られますね。…………一分以内で来なさい」

 ――六十一秒経ったらお前の皿に大量の毒を仕込んでやる。お残しは許しまへんで――。
 副音声が聞こえた。おかしいな、イヤホンなんて俺してないのに。



 ――2004年12月14日

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 /6

 夏にはまだ早いけど、風はすっかり春を飛び越えてしまっている。しかも此処は海が近いから、夜風が潮の匂いまで連れてきてくれた。
 人の気配を無くした筈の時間。海沿いに建てられている大きな倉庫の街。夏色に彩られた夜の中、倉庫街全体を揺るがしかねない程の大きさで、凄まじい轟音と恐るべき機械の駆動音。そして、

「うわああああぁああっ!!」
「に、逃げ……やめろ来るなああああ!!」
「ひぃいいいいいいっ!?」

 複数の男達の野太い阿鼻叫喚が響き渡っていた。

「ふぅ。これで良し、っと」

 時計を見て、なんとか時間内に予定が終わりそうだと確信し、胸を撫で下ろした。あの爆音はこの際、気にしないでおこう。倉庫脇に捨て置かれた車に寄りかかって欠伸をした。
 お子様ならもう寝なきゃ怒られる時間だ。立派な大人だって寝なきゃ明日に生きられないぐらいの時間、『お仕事』が緊急に入ってしまった俺はのびのびと休憩を取ることにした。
 『お仕事』と言っても、いつもの『魂回収』じゃない。大抵、我が家で課せられているのはゴーストハント。彷徨ってるだけの勿体ない魂を回収して、天に昇る前に我が家にお連れするのが一族に生きる者の責務だった。
 でも今日はそれじゃない。困ったちゃんがいるからそれをとっちめるだけの簡単なお仕事だった。……殺さないようにするのは簡単じゃないお仕事だけど。
 胸を撫で下ろし終えた俺は、数秒後にまた時計を見ていた。こりゃ休憩できる気分じゃない。正直焦っていた。計算では時間内に事は終わる。でも、もし、終わらなかったら。一本松様や狭山様とは比べ物にならない、魔王によるお仕置きがあるんじゃないかと思うとチビりそうになるんだ。
 落ち付け、落ち付け。そうして俺は傍らに据えた酒瓶を無造作に掴んで、中身を一気に呷……ろうとして、舌打ちした。中身はとうに空だった。

「うわ、マズったなー。酒が一滴も無いまま待機するとかマジ有り得んよね。あー、どっか近場に自販機ないかな。いや、流石にここを離れるのはヤバいよね。そんな処刑人ないわー、って話になっちゃうもん」
「…………シンリン」

 ちゃらけた思案を遮るように、静かに、でも堂々とした声が話しかけてきた。声の音源は、いつの間にかそこに立っていた男衾だった。
 二メートル近い図体だというのにカヴァーワークスどっちも使用人の男衾は、足音を立てずに行動することを心掛けていた。それは俺を含め使用人しかここに居ない仕事場でも徹底していた。
 男衾は『使用人は常に美しくあれ』というその言葉に相応しい、隠密行動に優れた地味な色のスーツを身に纏っている。でもところどころにお洒落心を忘れていない色男。普段からクールな表情でキメているけど、本当の無表情の使用人を何人も知っているとまだクールを気取っているだけに見える。(ちなみに真の無表情代表は、銀之助様だ。流石「私は心から笑ったことなどない」と言ってのけるだけはある)
 男衾は端正な顔つきを少し歪ませて、爆音響く倉庫と俺を次々見比べる。最終的には俺に視線を固定した。眉間に皺が寄っている。色男の難しそうな顔だった。

「んん、どしたー? ああ、ちょうどいいや。悪いけど男衾さー、ひとっ走りして自販機でも店でも良いから酒買ってきてくんないかな。度数は高めで」
「いや、シンリン。……今はそれどころじゃ……」

 ちょうど一際大きな破壊音が響き渡り、男衾は言い掛けた言葉を一旦引っ込めて、ピクリと動いた。
 煙の上がり始めた倉庫を怪訝そうに眺めながら、更にもう一段階難しそうな表情で、色男は塞き止めていた言葉を力なく喉から放った。

「……あんなに大きなゴーレムなんて放り込んで暴れさせたら、中に居た全員が死んでしまうんじゃないか?」
「そのつもりだけど?」

 あっけらかんと応え終えて、俺はもう一つ欠伸をした。
 寄り掛かっている車の内部では、つい先程救出されたばかりの数人の幼子が、涙の跡も乾かないまま深く眠りに付いていた。全員、金や銀の長い髪から、妖精種族の特徴である長い耳が覗いている。
 欠伸をしていても、俺のテンションはいつでも戦闘に入れるぐらい上がっていた。それは男衾も同じだ。既に剣を虚空から出して武装済みだった。テンションはダダ下がりっぽかったけど。

 ――基本的に、一般の世界でも異能の世界でも、幻想種に属する生き物は人間種に狙われやすい。幻獣や精霊はこちらのカテゴリに分類される。人間の俺や男衾とは程遠い存在だ。
 それらの大抵は、観賞用や愛玩用に高く売られる。研究対象としても人気は高いので、素体として扱うところもある。
 無論、それらは違法行為である為、処罰対象として取り締まられる。今回、標的となったのも『そういう集団』だった。幻想種の密猟及び密輸を主として行う、違法取引団体だった。組織と呼ぶには小ぢんまりしているので、どちらかというと団体と呼ぶ方が相応しい。けれども密猟数はそこそこ多く、それなりに凶悪な集まりではある。

「中には人間種を鑑賞用や愛玩用、素体に欲しがる幻想種も居るから、その辺はお互い様って気もする」

 そう男衾は、俺による説明を聞いているとき、呟いた。
 男衾にとって種族の違いは、国籍の違いと同程度の認識でしかないのだろう。日本人がいればドイツ人もいる。人間種もいれば幻想種もいる。男衾は、そんなお日様のような考え方をしていた。
 ちなみに、違法であることは俺達には関係無い。俺達が亡者でもない集団を討つ理由は、もっと私欲の為だった。
 軽く数時間前のことを思い出した。もう一度空になった酒瓶を舐め、寂しい気分になりながら夜空を見上げる。
 男衾の弟・芽衣から「とっておきのだ」と言われ貰った酒は、中毒になりそうなぐらい美味い物だ。……芽衣が薬物調合が俺並に得意な処刑人だったことを、今更思い出す。もしや一服盛ったんじゃなかろうな?
 そんな余談はさておき。阿鼻叫喚の現在、男衾は今にも戦いに赴くような顔を見せた。
 お日様のような考えを持った彼に相応しい、決意の表情に見える。

「言っとくけど、俺ぁ止められないぞ。ハナっから全員纏めてぶちのめすつもりだよ、ってちゃんと言っておいたよな、俺。まさかお前、冗談だと思ってたの?」
「……ぶちのめす、ってそういう意味だったのか。殲滅用ではなくて捕縛用だと思ってたぞ」

 真面目な男衾が焦ったような声を出し、倉庫を眺めた。
 至るところから煙が上がっている。壁の崩れる音まで聞こえていた。

「あのゴーレムには生体に反応して無作為に攻撃を加えるシステムが組み込まれているからな。今、俺らが近寄ったら、確実に巻き込まれちまうよ。ホムンクルスや使い魔ごと潰すつもりだから、蟻んこ一匹も逃さないようにもしている。ほら、その為に、最初に男衾にエルフ達の救出に向わせたんだぜ」

 今回の作戦は、こうだった。
 まず、予め男衾が単騎で侵入し、商品として奪われ囚われているエルフの少年少女達を奪還する。そうして彼の素晴らしい戦闘能力を見せつけて全員を倉庫の外に連れ出す。
 その間に俺が合間に男衾と連絡を取りながら、ゴーレムの稼動準備を行う。勿論、来る前に渡された地図や、侵入した男衾からの情報と照らし合わせつつ、ゴーレムに倉庫の構造を入力しておく事も忘れない。
 男衾が仔エルフご一行を引き連れて戻ってきたら、ゴーレムの電源を入れて、それと同時に予めアポート能力をで指定した座標に転送する。ゴーレムは、認識した座標と空間内の生体にだけ反応する為、放っておけば根こそぎやっつけてくれるというわけだった。――男衾には、詳細を説明しなかった。
 彼は使用人の鏡とも言える真面目さを持っている。
 男衾の真面目さは使用人らしく、美しい。でも俺からしてみると、馬鹿にしか思えなかった。馬鹿というのは失礼か。……ただ、『頭が柔軟じゃない』んだ。
 説明は聞き洩らさず真面目に聞いてくれる。でも、一度聞いた情報を物に出来るかと言ったら別だ。男衾は命令されたことはちゃんとできるけど、応用力に欠ける。俺はその性格を知っているから、複雑な指示は出さないことにしていた。
 お前はお前の持てる全てを持って、仔エルフどもを救出しろ。それだけ言って仕事をさせた。実力がある男衾はミス無くやってのけた。そして今、仕事を終えた男衾は「殲滅するまで何もかもをやっつけるとは思わなかった」と文句を言いまくってる。

「でも何つーか、とりあえず安心はしていい。生体が無くなれば自動で電源が切れるようにもセットしてあるから、それからなら傍に近寄っても平気だ。電源は手作業での術式起動だから、オートで入っちゃうなんて事もまず間違いなく無いしな」
「いや、シンリン」
「処分許可も下りてるかんね。人のを奪う悪徳業者だったからなぁ。ほれ、書類もあるよ。見る?」
「違」 
「ふははっ、なーに。『僕はワルモノでも殺したくないんですぅー』、とかそういう直ぐに早死にしそうな奴の言うような台詞とか言いたいわけ? ま、言ってもいいですけどねん。俺は自殺志願のバカには取り合わないから、そのつもりでいてちょーだいなー」
「だから違う」

 むっとしたような顔で、それでもどこか焦ったように男衾が叫んだ。幾らか声のトーンを落として言葉を続ける。

「奴らはエルフの子ども達を密猟なんてしていたし、仕方ないと思っている。女の子にも乱暴したみたいだからな。けど、それ以外まで犠牲にするのは心苦しい」
「は? エルフっ子達はもう助けただろ? 人数も合ってるし、何も……」
「使い魔だ。悪党のじゃなくて、その子の」

 男衾が指差した先は車の中だった。
 指した先を辿って車内を覗き込むと、数人のエルフのうちの一人の少女に視線が行き当たった。
 少女の破れた服の胸元から、契約の触媒の一種である複雑な図案の縛令呪刻印が覗いていた。使い魔を無力化させる魔術の式が上書きされているものの、しっかりと主従の絆、そして友の証を示している。

「……自分は助かっても、『友達』が居なくなったら辛いだろう」

 言いながら、男衾は剣だけでなく虚空から鎧まで装備を始める。
 スーツ姿はいつの間にかファンタジックな武装状態にトランスフォームしていた。その変身は戦闘能力を上げる意味があったが、半分は奴の趣味だ。
 先程の指示では本気を出していなかった男衾が、本人の持てる最強武装を解放しながら戦闘準備をしている。剣をいつもの二段階も上の物を召喚していた。我が家期待の処刑人界ホープの本気がそこにあった。

「根拠は? とっくに密輸団にやられちまってるかもしれないじゃん、その使い魔」
「密猟やっているような奴らなら、金になりそうなものを取っておく筈だ。使い魔になった生き物は魔力タンクとして流用出来るからな。使役者と引き離されて、どこかに保管されているかもしれん」
「なら何で脱出のときに、その子が使い魔持ちって事に気付かないんだよ」
「……阿呆、女の子の服の下なんて見れるわけないだろ」
「いや、見たじゃん。見たから刺青あるって分かったんだろ?」
「たまたまだ。視線をやったら見えちゃっただけだ。なんだその目は。寝返り打ってたから着崩れちゃったとこを見ただけだ、多分」

 その「多分」は「寝返りを打って着崩れた」に係るんだろうけど、クールを崩してでも必死に言い返すところが男衾の真面目な性格をよく表している。

「シンリン、他の子も見てくれ。そのような刻印がないか確かめてくれ」
「えー? 興味あるんだからお前が見ろよ」
「その『興味あるんだから』は果てしなく嫌な意味にしか聞こえんから訂正しろ。……ともかくな、その、他の子も契約の刻印があるかどうか調べてほしい」
「俺も男なんだけど、女の子のスカート捲っていいの?」
「お前は医者だ。裸は見慣れてるだろ」
「……その『裸は見慣れてる』は果てしなく嫌な意味にしか聞こえないから訂正してほしいな」

 言いながら、俺はのそのそと車内に入り込んだ。
 そして使い魔が一体だけであるという結果をしっかり確認し終えると、男衾は深呼吸した。もう駆けて行くらしい。

「そんな装備で大丈夫か?」
「ん、ああ。そうだな……多分、いける」
「保護できそうになかったら、大人しく戻ってくるんだよ」
「うん」

 神妙に頷き、それから男衾は期待するような目を俺に向けてくる。

「その、シンリンは……」
「行かないよ。オッチャンは、そこまでイカレポンチじゃない」
「……言い切るか」
「言い切るさ。断と言さ。あのゴーレムは、殲滅用に鍛え上げた銀河ギリギリぶっちぎりのすげー奴なんだよ。具体例を挙げて言うと、長期セッションのラスボスとして使えそうな威力と強度だぜ。いや、それより更に、後先考えず改良重ねまくった物だよ。作ったのは俺じゃなく知り合いの女だが、俺でも扱えるようにしてもらったヤツをノーコントロールで無作為に暴れさせてんだ。思考なんてないし、容赦や躊躇なんてものもない。分かる? あれと戦うくらいなら一年禁酒された方が幾らかマシだって思ってるんだよ」
「…………」
「オッチャンは命を無駄にしたくないんだよ。ああ、行きたくなんかこれっぽっちもないね。期待なんかしたって無駄だ。俺は自分が一番可愛いんだ。ほら、俺に構ってないで、行くならとっとと行ってきな」

 言い切られて、男衾は無言で頷いた。勝手に期待をして、その期待が外れたのだから、不満の色は勿論なかった。
 くるりと身体を反転させて、倉庫の方へ向って駆け出していく。
 一般人では有り得ない黒の全身鎧を纏った騎士。彼のブーツがガシャンという不思議な音を鳴らす。その足音が夜の闇に紛れるまで、黙って俺は見送っていた。

「俺は自分が一番大事だけどね」

 視界から黒い騎士が消えた後、俺はポケットから携帯電話を取り出した。

「さりとて、仲間を見棄てるつもりもないって訳であって……うん、アレだ。いやー、柄でも無い事をしようとすると草生えるね。あ、けれど冷たい事言っておいて、こっそり仲間を助けようとするなんて格好良くね? ていうかツンデレ? べ、別にオッチャンは男衾ちゃんが心配な訳じゃないんだからね! ……うっしゃ、萌える萌える」

 馬鹿な事を言ってないで。
 もし男衾が怪我をしたとして、治療するのは心霊医師である俺だ。もし死んだら、肉体から離れてしまった魂を回収するのも俺だ。無傷で戻って来る訳がない結果を知っているから、俺は俺で奴の為に行動を起こさなければならないんだ。余計な怪我をして怒られるのは男衾だというのに、なんであの男は柔軟さに欠けているんだ。ちょっと頑固なところを直せば、将来完璧な処刑人……そして『本部』になれるというのに。
 それが『男衾らしさ』なんだから良いんだけど。
 俺は電話帳のページを開き、登録されていた番号をプッシュする。

「あ、もっしー? 梓ー? 電話平気? 今、仕事中なんだけどさ……」



 ――2004年12月13日

 【 First / Second / Third / Fourth / Fifth 】




 /7

 銀之助様が訳ありで話をすることになったため、今日の夕食は大事件になりそうだ……そう思った時期が俺にもありました。一分程前のことです。
 五十秒ぐらいで銀之助様と電話で話していた僧は現れて、眼面から落ちるかのようにスライディング土下座をするのだった。あまりに芸術的な土下座だったのに、銀之助様は味付けという繊細な作業の真っ最中だから見向きもしなかった。芸人殺しか。

「アレ? リンちゃんさんが居るー?」
「むむ、学人(まなと)じゃないか、何故ここへ……って、配膳係か」

 銀之助様の甥っこに当たるプリティボーイ・学人が割烹着を着た状態で現れ、華麗な土下座をスルーして厨房へ入ってきた。
 学人の年は二十。凄く若い。笑顔が眩しいぐらい若い。でも銀之助様と仲が良い。それは配膳係をやっているから仲が良いのか、仲が良いから配膳係をさせてもらっているのか、俺は知らない。
 仲が良いと言っても二人は二十歳以上離れているから、「他の人と比べると銀之助様が学人には優しい反応をしている」程度に過ぎない。それだって誰にでも厳格な師匠だ、もし学人の服装が清潔じゃなかったらオタマで撲殺するだろう。洗ってアイロンがけまでされた白い割烹着姿のプリティボーイだから何も言わずに厨房に入れるのだ。

「オヤ、銀之助サマ? まだ出来上がってないのですね、珍しい。完成時間に遅れるなんて二年ぶりじゃ?」
「今、私は腹が立っています」
「ではボクは配膳を始めます」

 お辞儀をして学人はパパッと作業を始める。お盆やお皿を素早い手つきで並べていた。
 銀之助様の「腹が立ってます」の一言に怯むことなく(いや、冷や汗が若干俺には見えたが!)仕事を出来るのは、銀之助様と仲良くやっていける学人だからこそ出来るワザかもしれん。
 使用人は美しくあれ、その心得が若いなりに出来てると見える。
 という訳で厨房は、学人が音を立てないように大量の皿を並べ、銀之助様が時間に押されながら調理を再開し、僧の一人が土下座をしながら訳を話し、俺が鍋を見守るだけという面白い光景になっていた。

 コッソリと土下座中の僧の盗み聞きをすると、どうやら「食材の発注が遅れる」ことをお詫びしているらしい。
 なんでも輸送段階に事件があり、今夜届けに来る筈の業者が来れなくなったようだ。業者側が大変なコトに巻き込まれたらしいので連絡も遅くなり、届く筈の今日になるまで責任者の男(土下座中の僧のことだ)の耳に入らなかったという。
 材料が届かないということは、素人の俺でも判ることだが『緻密な銀之助様の計画が、全て崩れる』ということを意味する。
 それは、超が付くほど神経質で、それで二十年間神話を作り続けていた銀之助様には腹立たしくて堪らないことだ。

「可哀想に。あの人は全然悪くないじゃないか。単に輸送業者が遅れたから起きたことだろ? 責められるのはお門違いなんじゃないか?」
「イヤイヤ、リンちゃんさん、それは甘いじゃないですか? 事件はともかく『責任者は彼』なんですよ。あの人はもしものときの責任が取るために名前を貸して役職に就いているんですよ。するべきことが出来なかったんだから怒られるでしょう? ……さっきからあの人、そこを弁解するのを見ると、美しくないなぁ。ホントに役職に就いてる使用人なのかな……」
「学人、こういうことって時々あるのか? それこそさっき言った二年前とかに……」
「ナイですよ。イヤ、ボクが知ってる限りはナかったって言った方がイイかな。……あー、なんか超怖い出してる、銀之助サマ。『作れない』っていうプライドの怒りというより、『自分の思い通りにならないから怒りを感じている』ように見えるネ」

 学人は「困ったな、アハハー」と笑いながら、結構痛いところまでコメントしてくれた。
 小声でも魔王相手にそんなことも言えるのだから、学人は予想以上に銀之助様のお気に入りなのかもしれない。
 銀之助様が五十代になったら後継者を、などと心配していたが、学人がこのままキッチン係を引き継いでくれるなら悩む必要はないかもな。

「あーゆー自己中心的な態度って、銀之助サマだけじゃなく……そのお兄様の一本松サマにもよくある症状ですケド」
「そうだな。でも、銀之助様も一本松様も、短気とか自己中というより『周囲の規律を正す為に』声を張っているようなもんだから、非難されることはない」

 非難したらおマンマが食べられなくて飢え死にするから、というのがあるけれど。俺があまりに恐ろしげにその言葉を口にしたせいか、学人は音量を上げてアハハと笑った。
 その笑い声に銀之助様の肩がピクリと動く。二人で冷や汗をかくことになった。

「ヘヘッ、ボクから見ると銀之助サマも一本松サマも……単なるガンコ者にしか見えないけどネ。フフン、ボクは甥っこだから言っちゃっても平気な特権ーっ」
「くっ、オッチャンだったらぶっ飛ばされるところをカワイコポジションを利用して言いやがって。そんなに気に入られてるなら、銀之助様に文句言ってくれないか……後継者を作る準備をしろって」
「モンクなんて言えるワケがないでしょー。飢え死にはしたくない死に方ランキング万年上位だよ」
「そう言うなら学人が無事厨房の後継者になって、今の体制を変えてくれ……」
「アハハ、ボクには後継者はムリすぎるよ、アハハ」
「ご謙遜を。そんなこたぁないだろ」
「そんなコトあるよ。荷が重いね。……やってもイイとは思うけど、もうちょっと修行しなきゃかな。それに後継者になったら、一本松サマ達の御食事をボクが用意しなきゃいけなくなるじゃないか。まだまだ修行不足だヨ」
「…………。一本松様の食事か。そうかもしれないが。……それに、銀之助様に365日休みなく料理をさせてるのは申し訳ないだろ。誰も言い出さないだけでみんな思っていることだと思うぞ」
「――シンリンは雑談をするために此処に居るのですか」

 俺と学人の言葉を遮るかのように、銀之助様は間に立った。
 相変わらず渋く重みのある声色に二人でビクリとする。学人は「す、すいませーん」とすぐ取り繕うことが出来たが、いまいち厨房の雰囲気に慣れない俺は数秒間固まってしまった。

「配膳をする学人を邪魔しに此処に居るのですか」

 先程より声のトーンが重くなる。
 この、言葉だけじゃ伝わらないオーラはとても説明しにくい。怖いという一言でしか言い表すことが出来ないからだ。
 魔王は『恐怖も支配することができる』と誰かが言っていた。それは一般的な魔王像の話なのか、この人のことを言っていたのかどうか判らない。けど、明確にそうだとこの空気が告げている。

「先程からそこで学人とコソコソ話をしている理由を答えなさい。大した理由が無く厨房に居るだけなら、万死に値しますよ」
「学人との会話は、つい、してしまったものです。申し訳御座いません……」
「では」
「ですが、その、俺がここに留まっている理由は……その……『そこの男を生きてここから返すため』、です」

 そこ……と言いながら、俺は未だに土下座を続ける僧侶を指差した。
 男をむやみやたらにサバかれてはならん。……そう狭山様が言っていた。そう、これは狭山様からの命令なんだ。
 銀之助様が手にした包丁がやたら光ってる。マジで怖い。でも俺は、ミスをしてしまったことになっている一人の人間を救う為に魔王の巣に飛び込んでいるのだった。



 ――2004年12月14日

 【 First / Second / Third / Fourth / Fifth 】




 /8

「判ったー! 要するに、男衾ちゃんが死に損なってたらトドメを刺してくりゃ良いんだねー!」
「うん、人選間違えたな、俺!」

 赤とピンクの可愛い振袖を着た男の娘・梓丸は、清々しいドヤ顔で親指を立てていた。メッチャ自信満々な顔つきで俺の話を聞いていなかった。
 男衾の助太刀が出来そうで、心の底から男衾を助けてやりたいと思ってくれそうな人……俺の検索結果により、同じ使用人仲間の梓丸がヒットした。だから呼び出したんだ。
 けれど戦闘に向いているとは絶対に言いたくない振袖姿で現れて、男衾の「使い魔を助けたいから地獄へ飛び込んだ」と説明したら、「生きてたらアタシがブチ殺すね!」と可愛い笑顔を見せてくれた。とっても救援に来てくれたようには見えない。俺は額を押さえて「あーマジ詰んだわー、総合的に詰んだわこれー」と、沈痛な声音でボヤいてしまった。

「オッチャンの知ってる限りで、百パーセンツ適切な人間を選んだんだけど……ちょっち色々と、駄目っぽそうかなーなーなー」
「冗談を真に受けないでよ、みつあみがハゲるよー。救援に行けばいいんでしょー?」
「何だよ、判ってんじゃん。焦らせんなよな。つーか、随分ヤル気だこと」
「弱ったトコロをトドメを刺す戦法は、狡賢い代表のアタシには他愛のないコトなんだよーっ♪」
「オイ」

 俺のツッコミに、テヘヘとペコちゃんのごとく舌を出しておどける梓丸。
 可愛い格好をしてるのにこれから死地に送るのは本当はしたくない。せめてと、華やかな髪飾りだけは取ってやった。
 無断で取ってやると「もぉー、オシャレを冒涜するなーっ!」と梓丸はこれまた可愛く抗議する。ポカスカと俺の胸を叩く。いや、でもコイツ、今年で二十六歳♂だから。普通に力入って痛いから。

「男衾ちゃんは、もう中に居るのー?」

 大きなお目々が、ちらりと倉庫の方を眺めた。
 悲鳴は聞こえなくなっていた。だが、破壊音は未だに響いていた。煙の勢いも先程に増して激しくなっている。中の様子は、ここからでは見えなかった。

「そうだよ。どーせアイツ、救援なんて待ってらんないだろうからね。説明無しで、つれなくして先に行かしたよ。って訳で、もしも現状を訊かれたら説明はそっちがよろしくねん」

 解り易い丸投げに、梓丸の目付きが鋭いものに変わったが、言いたい事を飲み込んだように唇をひん曲げただけで終わった。
 梓丸は可愛い顔のまま、凶悪な面相を張りつかせ、テコテコ歩き出す。倉庫に近付いて行くその足取りは、男衾を助ける為に力強く歩んで行くものだった。

「梓っ。この髪飾り、生きて帰ってきたらちゃーんと返すからなーっ。オッチャンのデートに付き合ってくれるなら新しいヤツ買ってやってもいいぞーっ。ガンバレよー」
「わーい、思いっきり値段高いの選んじゃおー! 『生きて帰ってきたら』なんて不吉な事を言わないでよー、絶対帰ってくるからー」
「はは……。でも救出無理そうだったらさ、梓丸だけでも逃げとけな」
「モチロンー! ……あ、男衾ちゃんが死んでたらちゃんと魂、回収してくるよー。それぐらいは仕事してあげるー! 燈雅様は悲しむかもしれないけど、一生一緒に居られるって言えば喜んでくれると思うんだー」
「お前のそういう仲間想いなとこ、好きだぜ」
「ふふーっ」

 口元を裾で押さえて笑う梓丸は、呪文を唱えた。
 梓丸を携帯電話で呼び、転移魔術で来てもらうまでの時間は数分。男衾はまだ生きてる計算だ。心配無い。どっちかっていうと俺が恐れている時間の方が心配だ。
 この心配も、梓丸がちゃっちゃと済ませてくれれば良い話。

「そんな装備で大丈夫か?」
「大丈夫だ、問題ない。魔力も充分だし、もしアタシがピンチになったらイザとなったらリンちゃんが助けに来てくれるんだよねー? 来てくれなかったら、呪うよ。毎日枕元立っちゃうよー」
「男衾だったら放っておくけどお前ぐらいカワイイ奴なら助けなきゃ男が廃るなぁ。努力しよう。善処できないかもしれんが」
「ねー、リンちゃん」

 梓丸が手を振りながら現場の倉庫へ歩いて行く。
 顔をこっちに見せないまま、名前を呼ばれた。あっちを向いたままでもカワイイ声は変わっていなかった。でも、話題が変わる気配がした。

「男衾ちゃんは、『今回の件』、どこまで知ってるのー?」
「『何も知らねーよ』。オッチャン判断で知らせてねーし。単に売られて攫われた可哀想な稀人の子供達を救えとしか言ってないさ」
「そう。そりゃ良かったー。面倒じゃないねー。……今日が終わったら教えるのー?」

 背を向けたままの会話はやりにくかったが、梓丸は今をとっとと終わらせたいらしく、歩みを止めない。
 遠くに行ってしまって俺の声が聞こえなくなる前に答える。

「教えない方がそれこそ面倒じゃないからイイんじゃね?」
「だねー。……リンちゃんは早くー、『そのバケモノども』を出荷しちゃうといいよー。さっきから時計を気にし過ぎー。時間に遅れるのがイヤだから焦ってるんでしょー。そんなにお父さんに叱られるのが怖いのー?」
「ま、魔王に怒られるのは誰だって怖いだろ……。お前は実の息子だから大丈夫なんだろうけど」
「残念、あの人は実の息子だからって優しくしてくれないんだー。アタシも魔王の圧政に怖がってる仲間だよー。……オイタをしたアタシの左腕に包丁を平気で刺す人だからねー。噂では一本松様も同じようなことをするらしいから、お父さん達は揃って『規則を破った人間は刺してもいい』って教わっているみたいー。でもあのときはオイタをしたアタシが悪いから仕方ないことだねー。あ、すぐに治癒魔術をかけてくれたから傷にもなってないよー」
「…………。出荷は男衾が帰ってきてからだ。梓、ガンバ」

 色々声を掛けようとしたが、もう喋っても梓丸の耳に届かないほど遠くに歩いて行ってしまったから、一言だけの応援にしてやめた。

「はは……きっついな」

 危険な場所に、自分の意思で大親友を一人送り込む。その事に、思うところが全く無いわけではない。
 寧ろ、ともすればひたひたと潮のように押し寄せてくる罪悪感に、喉の奥から苦味を覚えるくらいだ。下手をすればどちらも失うかもしれない。でも上手くいけばどちらも無事に戻ってくる。どうなる運命か、俺は神様じゃないから知らない。
 俺はつい目を閉じた。柄にでも無く祈ってみる。出来れば一番最適な形で二人が戻って来るように。

「あ、しまった。酒持ってきて貰うの忘れてた」

 ――結局、その後。
 男衾と梓丸、使い魔は、俺の祈りと当人達の努力の甲斐あって、かろうじて生還を果たした。

 ただし、生存可能となった代償はそれなりに大きく、男衾は全治一週間、梓丸は三日の怪我を負うこととなった。
 寝たきりとまではいかなかったが、それなりに仲間や家族に心配を掛けたり、怒られたりと、男衾にとっては色々と心の折れる事が多々あった。
 男衾にとって一番心が折れたのは、梓丸の小言だ。「わざわざ任務の時間を伸ばしてまですることだった?」とか「自殺行為ってどこからどこまでか線引きできてる?」とか「命を大事にしない奴なんて大嫌いだ、クズだ!」とか。寝ている男衾の隣で散々カワイイ声を吐いていた。女の子のような声も、男衾にとっては全然カワイイもんじゃなかった。
 生還に至るまでに何があったかは、まだ当人達以外に誰も知らない。もしかするとこれから、当人達によって語られるかもしれないし、それよりも先に報告書として、起こった出来事が『本部』に提出されるかもしれない。
 でも誰よりも力強い処刑人は「仕方ないんだ」とか弱く、言い訳をする。

「俺は……単にああいう状況に弱いだけなんなんだ。もうどうしても、あの子達の為に何とかしてあげたくなって、息苦しくなって……駄目なんだ。一人ぼっちになるって、誰だって嫌だろう? 俺もだ……だから」

 包帯の上から治り掛けた傷を擦りながら、男衾は静かにやわらかくフッと笑う。
 それでも、大事な『友達』が戻ってきてくれた事で、保護されたエルフの少女がようやく笑顔を見せたのだから――たとえ損だとしても、間違いなく男衾にとっては本懐だろう。

 彼にとってはここで終わるハッピーエンドなんだから。



 ――2004年12月14日

 【 First / Second / Third / Fourth / Fifth 】




 /9

 色々あってボクは雑用係をさせてもらっている。
 ボクは一族としての地位は物凄く下だ。能力が抜きん出ているものも無いし、匠太郎お父さんは地位とか全然気にしない人だから色んな競争に参加するワケでもない。『とりあえず一族の一員なだけ』の、神を生むための数合わせの一人だ。
 敢えてボクの能力を上げるなら、笑顔がキュートだということぐらいだ。
 人からの評価で「笑顔が印象的だ」と言ってくれる人が多い。自分でキュートですと言うのは恥ずかしいけど、よく人に言われるんだから事実なんだろう。
 でも笑顔ってもんは、誰にだってチャーミングポイントじゃないか。笑顔が駄目な人なんていない。笑顔を作るのが苦手な人や、怖い笑顔しか作れない人はいるけど、笑顔自体が受け付けないような人はいない。
 人より笑顔を作るのが得意で、受け入られやすいというだけだ。能力が無くてもそれだけで『一族にいる価値』を手にすることができた。何にも出来ないなりに、『多少の努力』をしている姿と笑顔で仲間に入れてもらうことができたんだ。
 それが配膳、皿洗いなどの厨房の仕事だ。雑用だけどそれは立派な『一族の仕事』だ。
 オバケ退治のような花形はできない。でもみんなの為になれる。役立たずじゃない。……それだけで価値があった。

 一応、ボクだって浅黄サマのもとで薬学を並んだ。リンちゃんさんや芽衣さん、依織くん、瑞貴お兄さん、陽平お兄さんなどと一緒に魔術門下には入っていた。でもそこにいてモノにできたのは、薬学や魔術よりも……銀之助サマのコネだった。
 一族……というか寺に住んでる人達は皆、銀之助サマに恐怖している。――『キッチンの魔王』。『厨房の支配者』。『我らの全を統べる真の当主(ご飯的な意味で)』。それらが銀之助サマに付けられているアダ名だ。持ち前のニコニコ糸目に反して無表情で無愛想、渋くて迫力のあるお声。それらに平伏してしまう人は大勢いる。
 でも、ボクにとって銀之助サマは伯父だった。匠太郎お父さんの、ちょっと年の離れたお兄さんなんだ。
 昔、お父さんの写真を見たことがある。その写真のお父さんは笑っていて、今の銀之助サマと似ていた。お父さんの全開の笑顔の『一枚絵』が、銀之助サマのいつもの無表情と同じだったんだ。
 そんなこともあってか、ボクは銀之助サマへの恐怖心は人より薄らいでいた。おそらく、ボクの弟の保谷(ほや)と寛太も同じ感想だ。二人も「みんなは怖いって言ってるけど、そんなに怖くないよ」と言うに違いない。まあ、弟二人の場合、悪さばかりするイタズラ小僧だから大人はみんな怖いだろうけど。
 恐怖心を克服しているボクは、礼儀と基礎知識さえ身に付けてしまえば銀之助サマを怖いとは思わなくなっていた。短気な性格はこっちが大らかにしていれば気にすることはない。それよりも銀之助サマのバックは大変魅力的だから、そんなに気にしてる場合じゃなかった。

 未だ後継者のいないポスト。厨房係。伯父のガンコさのせいで、一人きりになっている厨房。その後釜。
 後継者の有力候補になったんだ。長年一人しか入らなかった厨房に、ここ数年若いのが入ってきたんだから、周囲は「学人が銀之助の後を継ぐんだろう」と言い始めるようになった。
 幸い、伯父は忠実に従う部下には優しく、喧嘩をしたことなど一度も無い。決定的な意見の相違も無くて済んでいる。銀之助サマの手伝いをするようになって早くも四年、高校生のときから手伝いをし始めて、やっと周囲の目が暖かくなってきた。
 「学人が銀之助の後を継ぐんだろう」。「学人が銀之助の後に相応しい」。「学人が銀之助の後なら大丈夫だ」。
 みんな、もっと言うがいい。ボクの将来は安泰だ。

「銀之助サマー! 包丁二十本、研ぎ終えました」

 地上の厨房とは違う、地下の厨房へひょっこり笑顔を貼り付けて顔を出す。銀之助サマは机に向かっている最中だった。
 料理人の腕になる包丁を研ぐことも任されるようになったのは、ボクが銀之助サマのお手伝いをするようになって三年が過ぎた頃からだ。大変名誉あることで、単なるお手伝いにしては行き過ぎたことをしている。でも銀之助サマが許してくれたことだから、この名誉を嬉しく思っていた。
 その頃から、銀之助サマが厨房係以外に何をしているか、ボクは知るようになってきた。いや、そんな意味深な言い方はよそう。銀之助サマは、厨房係しかしていない。料理に関すること、一族の口に入るもの全般の管理しかしていない。三回の食事、おやつ、お茶、お薬。ここに居る全員の口に入る物を銀之助サマは把握し、整理し、用意している。
 それは間違いない事実だ。銀之助サマは全員の口を理解している。それだけのことだ。

「追加五本お願いします。そこに並べて置いてあります」
「あ、ハイ」

 二十本の包丁をスーツケースに入れて持ってきて、またすぐに追加かー。でも五本ならすぐに終わるなー。などと考えながら、チロリと銀之助サマが向かっている机を見る。
 普段は掛けない眼鏡を掛けて、溜息を吐きながらペンを持っている姿は……三日に一度見る光景だ。
 机にはノートを三冊ほど広げている。ボールペンでガリガリと書かれた文字がただただ並んでいる。覗いても銀之助サマの字は達筆過ぎて本人にしか読めない。おそらく、明日の、一週間後の、一ヶ月後のメニューが書かれている。

「学人はパソコンが得意でしたね」
「エ? は、ハイ。高校で習ったぐらいのことしか出来ませんけど」
「ご存知ですか。栄養計算ソフトがあると聞きました。計算をしてくれるだけでなく、半永久的に記録を取り続けてくれるという便利な物があると……匠太郎が言っていました」
「匠太郎お父さんがですか」
「ええ、匠太郎は下界の知識を私に時々ですがくれます。私の脳だけで独りよがりに考えるだけでなく、大量のノートもいらなくなる……やはりコンピュータを導入した方が便利になるでしょうね。貴方は扱えますか」
「実物を見てみないと使えるか判りませんが……導入すれば労働力はきっと今より軽減できるでしょーね」

 ボクはフォローを入れながら、「独りよがりって自覚あるんだ」ということに感動した。改善した方が良いとは考えてるんだ?
 自己中心的に一人で指揮っているというのは色んな人に非難されている。彼に直接言う人は居なさそうだけど、微かにだが耳に届いている雰囲気はある。
 そのことを銀之助サマ的に考えた結果、パソコンソフトという万人が見られるもので使えるものを導入する気配を見せた。
 今、彼が見せている溜息は……物凄い文明開化の音かもしれない。

「学人、私はですね」
「ハイ」
「貴方に厨房を任せてもいいと思っているんです」
「あ……あ、ありがとうございます。けど、ボクまだそんなにお料理できませんし。修行中の身ですから……」
「そのうちです、今すぐにとは言いません。未熟なまま厨房を明け渡すつもりもありません。貴方に教えていないレシピがありますし、教えなければならない作法も山ほどあります。学人、貴方はまだ若い。私も貴方の年の頃に全てを教わったのです。これからちゃんと私の言うことを聞いていくのでしたら、私も真剣に貴方を教育しましょう」
「嬉しいです。ボク、一生皿洗いでも良いって思ってたんですけど……頑張ります。みんなのご飯作る人になりたいです。銀之助サマを目指して、頑張りますっ。ボクからも宜しくお願いしますっ!」
「良い返事ですね。貴方のように前向きで明るい人間なら、かつての私より早く一人前になるでしょう。人間は常に成長する尊い生き物ですから。……それと、私のようにならなくて結構。私は、百人の飯を作ることを『一人でやる方が効率的だ』と考えた結果、私だけで厨房に立つことを選びました。貴方が効率的だと思うなら多くの人間を立たせても構わないのです。厨房長として権限を貴方に渡すだけで、貴方だけの国を作る必要は無い」

 言いながらも銀之助サマの眼鏡の下は、ボクを見ることなくノートを見つめていた。
 眼鏡の下の細い目は笑うことなく文字を追っている。どんなに感動的な台詞を言っていても、ある一点に視線を固定したまま、離れなかった。この集中力と同時にいくつものことが出来る脳があるから、あの孤高の厨房を作り上げることができたんだ。
 そのとき、「失礼します」の勢いの良い声が地下の厨房に響いた。振り返ると、土下座をしていた僧が居た。頭を下げたまま銀之助サマに報告をし始める。

「アッ、食材が届いたんですね! 良かったー。もうすぐ太陽が上がるっていうのに……お疲れサマですっ」

 朝の三時を過ぎた時間だというのに責任者は寝ずに番をしていて、魔王の元に報告しに来たらしい。
 銀之助サマは僧にちっとも激励の言葉を投げかけないから、代わりにボクがお疲れサマを言ってあげた。彼も安堵の笑みを浮かべている。顔は一切上げないけど。

「まさかお得意サマの業者がライバルに襲撃を受けるって……そういうケースってあるんですねぇ。でも取り戻せたようですし、悪徳業者も潰れましたし、無事今朝のうちに届いて良かったですねぇ!」

 食材が次々に地下へ運ばれてくる。朝食に使う食材なら地上の厨房に運べばいいけど、次から次へと地下に箱を持ってくるから、「ああ、地上じゃ調理できないからだな」と察した。
 そうだよな、普通のお野菜とかだったらちょっと下界に降りて車でも走らせれば八百屋さんがあるんだし。百人分は用意するの大変だろうけど、いつも我が家が仕入れてる大きな流通店に行けば数時間で用意できる。ここまで僧が慌てていたのは、届かなくては困るレアモノだったからだ。
 ふと、僧の男の下げっぱなしの頭ばかり気になって頭部しか見ていなかったけど、視線をもっと下にズラすと、右手にぐるぐる包帯が巻かれていた。
 僧は全ての説明を終えると、やりきった顔で地上に上がっていった。これで寝られることだろう。と言っても僧の起床時間なんてあと一時間かそこらでなっちゃうけど。

「指、結局切っちゃったんですか?」

 伝票を確認している銀之助サマに尋ねる。暫し数字と睨めっこした後、今度は運ばれた箱の中身を確認し始めていた。
 もう次の行動をし始めているなんて、ホントに冗談無く二十四時間休みが見当たらない人だ。

「いつもなら罰として左指を貰うのですが、彼は左利きらしいので右を頂きました。私への報告が遅れたことは勿論、前々から彼の態度には思うことがありましたから、四本貰いました」
「エッ、それだと一本しか右手に残ってないじゃないですか! いっそ全部切っちゃった方が良かったんじゃないんですか?」
「親指が無いと何かと不便でしょう」
「……指が無い時点で何かと不便だと思いますケド。あのー、いくら狭山サマが躾を徹底しろって言ってるからって……」
「罰だから仕方ないのです。失敗したら罰。当然でしょう。規則を守れない人間はこの敷地内にはいりません。それは狭山様は勿論、当主様の御声でもあります」

 箱の中身を確認しに、銀之助サマは大きな箱の封を外す。
 二メートル近い大箱には、食材が入っていた。
 夜だから動いてないけどイキは良さそうだ。変な刻印もあって珍しいタイプだ。妖精族らしく光沢のある髪や宝石のような眼は美しい。これは良い食材だ。弟の寛太ぐらいの大きさだから、とても調理し甲斐がありそうだった。

「で、その四本は?」
「もう食されてますよ。お腹の中です。……食材が届かないというのにあまりにあの人がお腹を空かせていたものですから早々に用意しました」

 銀之助サマが溜息を吐く。
 彼が溜息を吐くときは決まって……銀之助サマの兄、そしてボクのもう一人の伯父、一本松サマが絡んでくるもんだ。一本松サマが食べちゃったってコトか。

「人間の指なんて好んで食べるほどでもないでしょうに。調理法もワンパターンなものしかありませんし。全く、理解できません」
「えっと、まあ、シュミって人それぞれですし、ねっ? 好き嫌いならボクもありますし銀之助サマだってあるでしょう? たまたま一本松サマが何でもお食べになるってだけで……」
「何でも食べる割には文句も言う。困った人です。いくら『我らの血』が『血肉を取り込めば力を得やすい』と言っても……。ふう、さっさと次を与えて黙らせることにしましょう。学人、手伝いなさい。いえ、修行を始めますよ。ヒトのサバき方を伝授しましょう」
「ハーイ」

 今の時間なら夜まで続く儀式で疲れ果てた人達に、美味しい物を出せるだろう。新鮮な物を出されればみんな喜ぶ。
 そこで出来たら「ボクは正式な跡取りになるよ!」と言おうと思った。みんなに見せつけてやろう。ボクの努力を。
 ヤル来満々で腕まくりをして、その前に地下に続く扉の鍵を掛けた。
 防音、防臭の扉。掛けておかなきゃいけない決まりなんてないけど、マナー的に、美しくないものは見せてはいけない。
 それが使用人たる姿なんだから。




END

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