■ 022 / 「断罪」

カードワース・シナリオ名『墓守の苦悩』/制作者:GroupAsk様
元はカードワースのリプレイ小説です。著作権はカードワース本体はGroupASK様、シナリオはその作者さんにあります。あくまで参考に、元にしたというものなので、シナリオ原文のままのところなどもあります。作者様方の著作権を侵害するような意図はありません。




 ――2005年12月1日

 【 First /      /     /     /     】




 /1

 カスミちゃんにお母さんはいない。僕達が一緒に暮らしていた小さい頃から「彼にお母さんはいない」ものだと思っていた。
 元から仏田家は女の人と一緒に暮らさない生活スタイルだったし、僕だってお母さんも年に数回ぐらいしか会えなかった。そう珍しい話でもない。それにカスミちゃん達と今更お母さんの話をする機会なんて無かった。

「霞様のお母様って、責任を取って処刑された人だったよね?」

 鶴瀬くんと何気なく僕のお母さん(名前は邑妃。鶴瀬くんの伯母でもあり、彼にとっては仕事上の近しい関係でもある)の話をしていたらみんなの家族の話になって、そんな事実をのほほんはわわとした声で鶴瀬くんは教えてくれた。
 それまで鶴瀬くんが買ってきてくれたケーキを食べたり、一日何にも事件がなかった僕がじっくり焼いたパウンドケーキで美味しくお茶を楽しんでいた。そんな中、その話が生じた。
 「どういうこと?」とついつい重い話をスタートしてしまう。知らない話だから悲しい過去でもついつい顔を突っ込んでしまった。
 すると鶴瀬くんは嫌な顔をしないで知っている限り話してくれる。仏田の事務作業を受け持っているから資料として読んだ、だから話せるんだと、重い事情を知っていた理由も説明してくれた。
 ふむふむ、どうやらカスミちゃんのお母さんは例に紛れず、仏田寺に信仰と研究目的に契約した女性だったようだ。成績優秀、容姿も良く、非常に目立つタイプだったらしい(そんなことが公の書類で書かれているのは甚だ疑問だが)。優秀だった彼女は狭山さんの妻となったそうだが……。

「あれ? 狭山さんの奥さんって生きてるよね? ときわ君を育ててくれているじゃん。名前は確か、豊春(とよはる)さん……」
「その人は、正妻。確か悟司様のお母様だった気がする……あれ、圭吾様だったかな? はわ……多分、悟司様。うん」

 『豊春さんはカスミちゃんの母ではない』、そのことはちゃんと覚えているらしく断言してくる。
 その一言で判るのは、カスミちゃん達三兄弟は全員お母さんが違うってことだった。なんとなくそうじゃないかと思っていたが今日初めてハッキリした。
 長男・悟司さんのお母さんは、ときわ君も「おかあさん」と慕っている豊春さんであっている。でも次男・圭吾さんのお母さんは別の人。三男・カスミちゃんのお母さんは、現在渦中の人らしい。僕の中で一人だと思っていた女性のシルエットが三つに分裂した。

「で、霞様のお母さんとなった人は大きな活躍をなさっていた。だから少し大人数の団体の指揮も任されていたんだ」
「むぐ。『小隊長』って感じの人だったってこと?」
「はわ……判りやすく言えばそうだね。簡単に何があったか説明しちゃうと、その小隊長だった彼女は異端討伐の部隊を壊滅させてしまった。責任を取るために処刑されたんだ」
「…………」
「異端が強すぎたとか『本部』の派遣が見誤ったとかじゃなく、単純に小隊長の判断ミスで壊滅させてしまったらしい。どこをどう見て考えても彼女に否があったようだよ。人間誰しもミスはあることだけど、それで八人も死なせてしまった罪は重かった」
「……八人か。重いね……」

 たとえ三人でも一人でも、人の命は重いに決まってる。
 でも故意でないとはいえ責任を持った人間が八人を救えなかったのは、やっぱり罪だ。
 どんな事件で八人も殺してしまったのか資料を読んでいない僕には知らないけど、たとえ些細な過ちでも裁かれなければならない数だった。

「むぐぅ。で、その人、死刑にされちゃったの?」

 あんまり我が家では使われないけど、正直に告白すればその通りな刑罰を口にしてみる。
 我が家の真ん中でお仕事をしている鶴瀬くんは、その表現を聞いて露骨に嫌そうな顔をした。

「新座くんが霞様のお母様に一度も会ったことない理由、判ったろ?」

 率直に言葉を言うことなく、鶴瀬くんは肯定した。
 僕は日本の法律に疎い。僕の家の決まりごとにだってそう詳しくない。
 だから判らない。『不慮の事故の加害者』といえど人数が多ければ死刑になるかどうかを。いくら殺す気が無かったとしても、多くの人達に報いるためにも命を張らなきゃいけないものなのか。
 思ったことを僕がそのまま口にすると、鶴瀬くんは……はわわぁと彼なりに唸る。

「任務失敗して、一つも魂も回収できず、報酬も手に入れることもできず、八人をも死なせて、八つ分の同胞の魂さえも回収できずおめおめと帰ってきた。それって許せない罪だろう? 死刑は然るべき処置じゃないか?」

 次々と彼女の罪を数えていく。
 鶴瀬くんは書類に書いてあった事実をそのまま述べているだけだった。悪意があって今は亡き彼女を責めているのではない。
 でもだからって「死刑になるのは当然だよ」という顔をして話してほしくはなかった。僕からカスミちゃんのお母さんの話を聞いておきながら、そんな顔で話は聞きたくなかったなんて我儘だとは思う。我儘、だけど。
 僕があまりに嫌そうな顔をしたのを見て、鶴瀬くんははわはわ慌ててフォローを入れた。

「ヒドイと思うかもしれないけど……ほら、もうずっと前のことだから! それに大切な能力者を大量に殺されたんだから、処刑されても仕方ないことさ! はわっ、新座くんが気を病む必要は無いよ」

 いや、フォローというか追い打ちだ。
 彼には気が動転すると自分の言ってることが判らなくなる癖があるけど、それにしたってあんまりだった。



 ――2005年12月1日

 【 First /      /     /     /     】




 /2

 夜遅いのに新座からの電話なんて着信の時点で取りたくない。
 でも取らなきゃ延々とコールが続く。それはウザイから、特上の嫌味な声で出てやった。

『むぐー、カスミちゃんおそーい! だめだめだよ、男の質下がるよー! 今だってだめだめなんだからこれからそんなことでどうするの!? そこまでして落ちぶれたいのー!?』
「おめーが何を言いたいのかサッパリ判らんッ!」

 どうして開口一秒でこんなに罵られなきゃいけないんだ。電話口から攻撃できるものならいくらでも新座を殴ってやりたかった。携帯電話片手にシャドウボクシングなんて奇妙な真似、絶対にしないけど。
 十秒非難しても新座は俺への悪口を止めず、俺を貶すためだけに電話してきたんじゃないのかって思い始めた数分後、やっと『仕事』の話が始まった。
 夜風の冷たい野外に出たい電話じゃなかった。

「ああん? また新座と二人で『仕事』かよ」

 『本部』は本当に俺と新座にコンビを組ませるのが好きらしい。
 俺達の相性が最悪だって知っているのに、なんでこう頻繁に二人だけの『仕事』を任せてくるんだろう。ついつい新座相手に愚痴ってしまう。

『僕だって鶴瀬くんに直接「カスミちゃんと一緒なんて嫌だ! どうしてそんなヒドイことするの!? 鬼! 人でなし! 僕の苦労を知れ!」って言うぐらい嫌さ』
「ヒドイこと……。ああ、確かにヒドイとは思うが」

 多分、俺に向けての悪口の改変版を鶴瀬にぶつけている。鶴瀬もそんな悪意をぶつけられて困っただろうに。

『性格的な相性はともかく能力のバランスが良いから組ませやすいんだって、超無難に返されたよ……むぐぅ』

 ああ、困った顔でもちゃんと秘書としての仕事をするのが鶴瀬だったか。案外あいつ、凄い奴だな。

『もうっ! 鬼! 人でなし!』
「俺に向かって言うなよ、バカ」
『カスミちゃんに言わないで誰に言えっていうの!?」
「そこはフツーに『本部』宛に言えよ、バカッ!」
『しかも目的地は遊園地だって! 遊園地で幽霊退治だって! まったくなんでカスミちゃんと遊園地に行かなきゃいけないのさ!? 行くなら志朗お兄ちゃんと行くよ!』
「てめ、志朗兄さんを連れて行く気か!? なに自分に良いように計画練っ……」

 って、良い年した男が遊園地に連れて行かれるっていうのもなんだかな。
 志朗兄さんを誘おうとしているのは一瞬良いことのように思えたけど、今回は場所が場所だ。あの大人な男性に一緒に立ってもらうのが酷な気がする。どんな場所でも志朗兄さんは冷や汗かきながら「新座が誘ってくれたなら遊園地でもどこでも行くぞ」とか言いそうだが。
 ……空想の志朗兄さんに、つい合掌してしまった。

「おい。バカ言ってねーで詳しい『赤紙』の内容を聞かせろよ」
『むぐっ』

 ――簡単に話された『仕事』の内容だが。
 とある遊園地で悪意のある霊がざわめいているから被害が大きくなる前に、新座と霞の二名で、片付けてこいというものだった。
 実に簡単な内容で、出ている被害も幼稚。『一人でも済みそうなところだが大事を見て集団行動を取らされた』ように思える。おそらくこの読みは間違っていない。
 一人任務はもしものとき、死んだことにすら気付かれないで放置される恐れがある。だからどんなに易しい『仕事』でも二人で行動をということなんだろうけど、その気遣いがかったるかった。

「新座。志朗兄さん、誘っちまえよ。遊園地に呼んで遊んでこい」
『むぐぅ? カスミちゃんにお兄ちゃんはやんないぞ』
「俺は行かない」

 電話先で新座が「えっ」と声を上げた。
 どうしてそこを口癖の「むぐっ?」とかで鳴かないんだ。マジで驚いているように思えるじゃないか。

『……カスミちゃん。行かない、の?』
「行かない」
『なんで?』
「ラクな仕事の監視役として二人分指名されただけで、内容自体は二人もいらない任務だろ。もしもの連絡役を別に用意しておけば怒られないさ。なら志朗兄さんに来てもらって、新座一人で幽霊退治をしてこいよ」

 俺の代わりに志朗兄さんを呼べば万が一のサポートになる。丁寧に新座に説明した。
 志朗兄さんは退魔業をしていない人だが、それでも一族の当主に近い生まれで、一般人ではない。『仕事』をしていないだけであれでも能力はそこそこある、『一般人を気取っている人』と言った方が正解だ。
 新座や俺ほど専門的に退魔をしている訳じゃなくても、志朗兄さんももしものことがあったら自分を守れる力を持っている。だから新座の本サポートはしなくても傍に居て助けてくれる筈。それに、志朗兄さんなら新座の為となったらどんな手を使っても守るだろう。
 毎度思うことだが、志朗兄さんの愛情溢れる話を思い出す度に、羨ましいと思う。……俺にはそんな情に厚い家族なんていないから、「弟の為に何かをしたい」と口癖のように言う志朗兄さんは、憧れだった。そんな人が自分にも欲しいと、ガキの頃から度々思ってしまうぐらいだ。

『カスミちゃん』
「ハイハイ、せいぜいデートを頑張ってこいよ。志朗兄さんに迷惑だけは掛けるんじゃねーぞ」
『カスミちゃん! ……お仕事、すっぽかして大丈夫かな?』
「はん。前だって俺がいたのにお前一人で終わっちまったケースもあったじゃねーか。今回の騒ぎも一人で平気なのに付き合わされるんだろ。さっさと終わらせてこい。俺だって暇じゃねーんだ」

 第一、『今週の金曜日に行ってこい』って……そんな簡単に予定が空けられるもんか。
 俺は専業退魔師じゃない。金曜からバイトが入ってる、社会に生きる民なんだ。バイトに出られる代理を見つけるのもたるいし、好きでもない自営業を手伝わされるより、好きでやっている社会の営みの方が集中したいに決まっている。「時間に拘束されたくなければ大人しく自営業に戻ってこい」ってことなんだが、そんな言い訳に付き合ってられるか。
 もう子供じゃないのに、あいつらはいつまでも家のことで縛ってくる。……鎖を自覚してから暫く経ったが、未だにこの疑問と不満に付き合わされて、気分がみるみるうちに悪くなっていった。

『一応カスミちゃんが来ないこと黙っておくね。もし何か言われたら、さも仕事をしたかのように言うんだよ』
「変な気遣いすんじゃねえ。不気味だ」
『むーぐー! 僕はカスミちゃんを気遣って言ってるのーっ!』
「気遣うような良い親戚だったら電話開口一秒で悪口なんて言わねーよ! 金曜じゃなくてもとっとと行って終わらせてこい! 死ぬんじゃねーぞ! じゃあな!」
『むぐ、バイバ…………ってそうだ! 伝えるの忘れたことがあった! 今回の任務が終わったら一度お寺に戻って来いって鶴瀬くんが言ってたよ! 僕、任務が終わったらメールだけするからね! ちゃんと僕、伝えたよっ!』

 ――終わったら寺に戻れ。
 近頃、実家に顔を出すこともなかった。きっと『本部』は鎖の拘束力を確かめたい、もしくは高めたいんだろう。だから一度戻そうとしているに違いない。
 帰ったら親父と悟司アニキのお説教が待ってる。そんなこと判っていて戻るバカがいるか。適当に相槌を打って携帯電話を閉じた。寒い中、長い話にイライラは頂点に達しそうだった。



 ――2005年12月1日

 【 First / Second / Third / Fourth / Fifth 】




 /3

 電話のために外に出ていたアパートに戻る。自分の部屋だというのに電話に出られなかったのは、平和に部屋を使う人間がいたからだ。
 部屋に戻ってみると、横になった玉淀がコタツでごろごろしていた。ここには居ないが依織のように、俺のアパートを我が物顔に使っている。咎めるつもりはないがあまりの寛ぎっぷりに溜息を吐きたくなった。

「うー? カスミン、おかえりー」
「ただいま」

 12月の寒空の下での電話は殺意が沸いた。そんなことを言いながら、俺も暖房器具にくるまった。
 一人で黙っていた玉淀がごろごろしたくなる気がとても理解できるぐらい、コタツが愛おしく眠気を持ってきてくれる。

「電話、長かったね」
「あー。実家から『仕事』の要請だった。行かねぇけど」

 端的に言うと、玉淀は「そっかー」と軽く受け流した。
 『仕事』を無視するなんて不真面目だー、とか言われるかと思ったのに。俺が常々「退魔業なんてしたくない」と言っているのを知っているせいか、行かずに済んでいる現状を喜ばしい方向へ受け入れてくれていた。

「でもさ。お金、へーき?」
「あんな『仕事』やってなくても暮らしていける。寧ろ報酬を貰っちまうと金銭感覚が狂うからイヤなんだ」

 普段は一ヶ月数万で暮らしているというのに、三日ばっかし異端の者と戦えば数百万円も支払われる。能力者は『日常との境界線』を張り続けるのが難しいと言うが、単に大いなる力を制御しきれていないとかそういう問題でもなく、そういった細々した面が世間と違いすぎて摩擦が起きるのも原因だ。
 金はあって損は無いもんだ。でも日常は無きゃ生きていけないもんだ。わざわざ苦労を背負ってでも今日という日々を手に入れたんだ、親からの圧力で組み立ててきたものを崩したくはない。出来るだけ、今に固執しようと俺は生きていた。
 それでも親からの手は幾重にも俺を、俺達を縛り続けるのだけど。

「玉淀はいつ実家に戻るんだ?」
「うー?」
「俺は早々戻れって言われた。お説教を受けに来いってお呼び出しをくらったよ。行かねーけど。……お前だって年末には戻るだろ。いつ頃帰省するんだ?」
「うー……戻るのメンドイなぁ……どうしよっかなぁ」

 電気毛布の上でごろごろしながら、だらしなく染めた金髪をぐしゃぐしゃにしていた。ラクな体勢で唸っている。

「クリスマスはまだこっちにいるよー。だってデートあるもーん。えへ。サークルの飲み会だってあるし、バイトも年末忙しいから入ってくれって言われてるしー。忘年会も行きたいしー。うー」

 玉淀も玉淀で、俺と同じように外の社会を謳歌しているくちだ。
 今更唐突に「戻ってこい」と言われても「帰ります」と素直に帰省できないし、したくない。
 それがお小遣い稼ぎならともかく、説教をするために戻れや、年末だから戻れなどという言葉に大人しく従っているのは癪だった。
 充実した外の暮らしをしているから余計にだ。悟司アニキのように親に命じられているから仕事をこなすとか、鶴瀬のヤロウように一花咲かせたいから言われた通りにしてるとか、考えられない。
 自由の無い生活は懲り懲りだった。

「それにせっかく大学の冬休みに入ったんだから遊ばないとー。みんなで遊びに行きたいし、いっぱいデートもするんだー。えへ。だから、たぶんおれ、31日にダッシュで帰るかな?」
「……俺もそうしよっかな」
「でもカスミン、今すぐ戻ってこーいみたいなコト、言われたんだよね? 帰らなきゃだめなんじゃない? 怒られちゃうよ?」
「怒られるのが怖くて反抗期をやってられるか」
「でも……怒られると、もれなくパシパシ叩かれるじゃん。それ、ヤでしょ?」

 ――それが嫌だから最低限言うことを聞いている。
 圧力政治だけじゃなく、暴力でものを言わせる連中に吐き気を催しながら、俺はごろごろうにゃうにゃしている玉淀の金髪をやや乱暴に撫でた。
 叩いて学習させるって、俺達は犬か? ……うん、本気でそう思っているっぽい奴らもいるけどさ。

「俺はな、ガキの頃からバシバシ叩かれてる。だからカンタンには潰れない。今も反抗してられるのはそのおかげだ」
「うー! すごーい。カスミンの体ってカタイの?」

 ――かもな。だから異端とパンチしあって生きていけるんだ。
 冗談のつもりで言ったが、半分冗談にならなかった。ともあれ、今更説教を受けて「私が悪かったです」なんて言えない体になってしまっている。そういう根性にもなっていた。
 帰省か。そんなもの、仲の良い親戚連中に会うぐらいしか価値の無い。お盆と年末は決まって一族全員が集まるものだから、滅多に会わない奴と挨拶することぐらいしか意味を見出せない。

「カスミンのおとーさんはバシバシ叩くイヤな人だけど、おかーさんはそーでもないでしょー?」

 猫のようにぐしゃぐしゃと撫でられくつろいでいた玉淀が、ふとそんなことを尋ねてきた。
 滅多に訊かれたことのない、新鮮な質問だった。

「玉淀は、知らないか」
「うー?」
「俺のお袋、とっくの昔に死んでる」
「…………うー。ごめん……」
「玉淀や依織が生まれる前に死んだ人だし、親父には別の奥さんがいる。知らなくても無理はねーよ」

 俺も母に関しては記憶が曖昧で、どんな人だったかサッパリ思い出すことが出来ないレベルだ。
 小学校に上がったときにはもういなかった。名前が佳歩(かほ)ってことぐらいしか知らない人に、特別な感情を抱けない。
 変な話だが、数年前まで兄の圭吾を「母親役」として素直に受け入れていた。
 今だって圭吾アニキが定期的に連絡を入れて「メシはちゃんと食ってるか」「病気になってないか」と尋ねてくるのは、その頃の役割が抜けていないからだ。
 母親がいないことに全然負い目なんて感じていない。女がいない生活は仏田の中では普通だったし、なんだかんだ外に出た後も両親が揃っていない家庭に何度も出会った。尋ねた連中は決まって「ごめん」と続けてくるのも経験で知っている。それが大なり小なり気遣いの表れなんだと軽く受けるぐらいが良いってことも。
 気にしてねーよ、と普段通りに言うと、わざわざ玉淀は起き上がって、今度は俺の頭を撫でてきた。

「よしよしー。おーおー、よーしよしよしー」

 バカにするかのように。
 いや、こいつにとっては結構マジに気遣っているつもりなのかもしれない。

「……玉淀は、たとえ31日でもちゃんと帰省して、弟と親父さん、お袋さんに会えよ。俺みたいに拗ねてねーで家族孝行はそこそこした方がいい」
「えー、どうだろ。やっぱした方がいいのかなー?」
「別に弟と仲悪いワケじゃねーだろ?」
「うん、仲良いと思うよ。月彦も寄居もいいやつだし。おれはもっといいやつだけど!」

 何を誰基準に見たらその自信になるんだよ。

「親父さんともうまくやってるんだろ。イイコトしとけよ。お袋さんはどうなんだ?」
「えへへ、斬新な死に方だったよー」



 ――2005年12月2日

 【 First /      /     /     /     】




 /4

 ――愛されないから自殺します。印象的な台詞が書類に残ってるもんだ。

 僕は、遊園地のフードコートで鶴瀬くんにまとめて貰った書類を流し読んでいた。この数枚の書類は鶴瀬くんが独自に整理したもので、実際の本文は広辞苑十冊分はあるという。このぺらい教科書ぐらいの厚さに、ここ五十年ばかりの一族の生き死にが記されていた。
 いつ誰が生まれ、どの部外者が契約をし我が家に入ったか。寿命で亡くなったか、事故で亡くなったか事件で亡くなったか。病死か、行方不明か、処刑か。僕の家族達の人生が数行でまとめられている。
 とりあえず三十年前を見てみよう。書類のちょうど中頃に、自分が生まれたと記されていた。その次にカスミちゃんの名前があった。
 僕とカスミちゃんは誕生日が一日違いで、正確には二十四時間も経たないうちにカスミちゃんが後に生まれた。『本部』だけじゃなく多くの一族が僕達をいっしょくたに扱いたがる理由はそれだった。
 二十四時間も経たないうちに生まれた僕達は、お食い初めをするにも七五三をするのも入学式も全て同じ。だから今『仕事』も同じ。いくら生まれがいっしょだからって内面は全然違うんだから少しは考慮してもらいたいもんだ。

「愛されていないから、自殺……むぐ」

 近いところにそんな文章があって、つい手を止めてしまう。
 あまりに衝撃のある一文に、ついつい声に出して読みたくなってしまった。あんまり心地良い一言ではなかったが、凄まじい心への攻撃力を秘めた台詞だ。
 どういう文章なんだと読み込む。ある女性の話が記されていた。

 その女性は一族に入ってきた人達の中でも珍しく、ある一族の男性に恋し、その男性に会うために当主と契約したという。研究肌の我が家にしてみれば、あんまり良い顔のされないタイプの女性だった。
 女性は必死に能力を磨き、なんとかして恋した一族の男性の妻になろうとしていた。努力は実り、彼女はいかなる手段をも使って、その男性の子を身篭った。男性の子を孕み、『機関』に赤子を送り、最高の形で誕生させ、尚且つ強化手術を行わせて、近年類を見ない傑作の子供を造り上げた。……仏田にはよくある話だ。
 女性の頑張りに、男はとても満足した。男児とはいえ傑作の子供を無碍には扱わない。男は大変、優秀な男児を大切にした。産んだ女性にもお礼とばかりに大金を贈って優しくしていたらしい。
 でも彼女はある日、首を吊った。理由は「愛されてなかったから」。

 ――大切にされていました。だけど、愛情は自分に一切向けられてなかった。まるで妻のように優しく扱われたけど、愛情らしいものは一切感じられなかった。貴方の為に他の女の腹を蹴って殴って自分だけが結果を得たのに。それなのに貴方の愛情は別の人に向いている。貴方の全てを手に入れることが出来なかった。母になるまで二年、母になってから二年、頑張ったけどもう限界。愛されないから自殺します――。

 清々しい遺書が発見された。
 女性が縄で梁からぶらぶら垂れている部屋で、まだ二歳だった玉淀くんがきゃっきゃと笑っていたという。振り子を見て楽しむ子供のように。
 数週間後、玉淀くんには月彦という弟ができた。書類に書かれた生年月日が真実を示していた。

「デート中に何て物、見てるんだ」

 ややぶっきらぼうな口調で、目の前の席に座る志朗お兄ちゃんが口を尖らせる。
 そんな口調でも顔は笑っている。僕に意識を向けてもらいたくてわざと言っているようだった。

「むぐっ。……今気付いたんだけどね、お父さんと保谷ちゃんって同じ誕生日なんだよ」
「ん? あ、ホントだ。でも現存百人は一族の名前を語ってる連中がいるんだから、誕生日が被っている奴なんて結構いるんじゃないのか」
「そうだね、探したらもっといるかも。……ん?」

 ぱらぱらと後ろの方のページを見る。寛太くん(現十四歳)の後ろに、曖昧な記述をされている尋夢くんの名前があった。
 ――尋夢ちゃん。今年、中学一年生の男の子。『機関』生まれではない。『機関』育ちでもない。
 父の名は、柳翠。
 母の名は、陽奈多。そんな情報に、軽く違和感を覚える。

「なにこれ。全部に……ハテナマークが付いてるね」

 これを打ち込んだ鶴瀬くんが丁寧に入れたのか。本文をまとめた誰かさんが入れたのか。
 判らないけど、他の人と違ってハテナマークがやたらと多い文章だった。

「それ、きっと火刃里のページもそうじゃないか」
「むぐ?」

 お兄ちゃんが言うのでぺらぺらと前のページを見てみる。
 尋夢ちゃんほどじゃないが、火刃里くんの文章にもハテナが多く発見された。

「二人とも、柳翠さんの隠し子だからだろ。……あくまで伝聞をまとめただけだから、どこまで真実か判ってないんじゃないか」
「あ。な、なるほど……」

 うん、「寺の中で生まれてないからちゃんとした記録なのか判らない」というのは、納得できる理由だった。
 そんな感じで、僕らは向かい合って座っている。ここは遊園地。やや肌寒い風が強く吹く、賑やかな昼の光景だ。
 僕が書類を見ているのは「デートなのに」とぶつくさ言うお兄ちゃんが可愛いから、ついついわざと冷たい態度を取っているだけだった。
 無視なんかしていない、ずっとお兄ちゃんの顔を伺っている。文句を言うときのお兄ちゃんは時々怖い顔をすることもあるけど、拗ねた顔もいっぱいするから、僕は好きだった。
 好きな表情だからどうしてもそうさせてしまう。「好きな女の子をいじめたくなる意地悪な男子」の心境ってこんな感じだ。僕はまだわざと書類を見続けた。

 ――カスミちゃんの言った通り、「遊園地に行こう」と言われたお兄ちゃんは電話越しに固まったけど、すぐに了承してくれた。
 最近は二人だけでどこかに行くのが少なかった。暫く二人でどっかに遊びに行くことはない。今日は遊びじゃないけど真面目にならなきゃいけないけど、お兄ちゃんは『仕事』じゃないから遊んでもらおう。女の子やお子様が多いこの場所で、散々遊んでもらおう。
 決してこれは意地悪なんかじゃない。

「むぐぅ……僕の知らない人もいっぱい死んでるんだね」

 寛太ちゃんや尋夢ちゃんのことを書いた十年ぐらい前のページから先に進める。最近は誰かがおめでたになったという話題より、誰が寺に入門して契約を行ったとか、お年を召した人が老衰で亡くなったとか、殉職したとかいう記述の方が多くなっていた。
 誕生が無い分、近頃は減っていく記載が多く見える。それは錯覚なんだけど、少しばかり心が痛んだ。
 機能低下と老衰。お仕事の最中に戦死。研究最中に起こった暴発による事故死。ついには、若いのに病気で亡くなったというのも見つけた。
 その病死という記載が、一番最後、最も新しい『我が家の死』だった。
 ……名前からして、外国の人のようだった。

「…………ア、ク?」
「おいこら」

 お兄ちゃんは僕の手から書類を奪った。その顔は、ムスッとして子供っぽい。

「お兄ちゃん、紙に妬いてる?」

 ぷぷっと笑いながら言ってやると、「妬くさ。紙でもなんでも嫉妬する」なんて返してくる。
 可愛かった。

 ――閉園時間になっても僕達は遊園地から離れず、人が消えていくのを待った。
 と言っても泊まり込みで遊園地を守っている警備員さんやパークの人もいるから、ちょっとばっかし結界を張って僕達二人の姿は知覚できないようにしてもらう。僕らが変なことをしていても警備員さんはスルーするように洗脳を仕掛けて、悠々と夜の遊園地を歩いた。
 少し風が強くて肌寒いけど、興奮してそれどころじゃなかった。

「むぐー。夜の遊園地に忍び込むって夢だったんだよねーっ!」

 ここではナイトパレードなんて大層なものはやっていない、夜になれば真っ暗になる遊園地だ。それでも月明かりに見えるアトラクションに、心躍る。
 そんな僕をお兄ちゃんは「はいはい」と呆れたように、それでも見捨てない目で見ていた。優しい目が僕を包み込んでくれて、つい気分を良くしてしまう。これからは気を緩めてはいけないのに上機嫌になった。

「さてと。昼間、チェックしたのはどこだったかな」
「むぐー。観覧車が昼間の段階では怪しかったよねー。あそこだけなんだか青く光ってるんだもん」

 僕がそう言うと、志朗お兄ちゃんが観覧車を見た。
 少しばかり灯りが点いてはいても、それでも暗い。青い光なんてどこにもないぞ、と言いたげな顔をしていた。

「霊的なものって大抵、青いんだよ。だから、あそこが青く光って見えるっていうのは……」
「幽霊が居るってことか」
「うん。お兄ちゃん、ビビらないでね」
「どうかな。失神したら新座に介抱してもらう」

 そこで「ビビらないさ」と言わないで僕に堂々と甘える発言をするお兄ちゃんは、らしいと言うか。
 ちゃんと介抱できるように治療魔術をする余裕を残しておかなきゃいけないな、と僕は後先のことを考えた。ぐりぐりお兄ちゃんの腕をつつきながら。

「その青い光っていうのは……大きいのか? 多いのか?」
「えっと……」

 他にも色んな所をチェックした結果、遊園地に迷惑を掛けている犯人は観覧車の青に違いないと確信し、改めて僕ら二人は夜の観覧車に近付くことにした。
 目を細めて観覧車を見上げる。
 だが今は青が見えない。あれ、どこに行ったんだろう。

 仕方なく、僕は僕の首を絞めた。
 ――ぎゅっと喉を自分で締め付ける。
 だんだんと呼吸が荒くなり、鼓動が早くなる。全身が「生きたい!」と叫び声を上げ始めた。この感情の高ぶりで、スイッチが漸く入った。
 供給行為が感情の高ぶりで魔力をゲットできると同じように、呪文を軽やかに強力なものを引き出すにはテンションを上げなきゃいけないように、ちゃんと能力を発揮するときにはわざと感情を動かさなきゃいけない。
 僕が簡単に感情を動かすスイッチにしているのは、ラクにできる『首締め』という自傷行為だった。
 お兄ちゃんは良い顔をしないが、これをすると格段と仕事時間が早まるから僕は何を言われようが実行していた。

「……視えた」

 魔力を高めた僕の目に、青い光が見える。
 お兄ちゃんが言ったような大きさも多さも無い。でも一つ、ぽつんと青いものが『ぶら下がっているのが』見えた。
 って、あれ? 観覧車の一つ、ドアが、開いてる? そこからぶらんぶらんって……人が振り子のように揺れているんだけど……あれって。

「お兄ちゃん」
「なんだ。……新座、もう首は苦しくないのか?」
「うん、首締めはやって一日一回だから安心していいよ」
「安心なんてできるか。無理するんじゃない」

 僕が質問しようとしているのも無視して気遣いに身を乗り出すお兄ちゃん。優しいが、生緩すぎてざわざわする。大好きだけど。

「あのさ、お兄ちゃん。『こういう状況ってどういうことなのか』想像力を働かせて教えてくれるかな?」
「なんだ? どんな状況が視えたんだ」
「えっとね。むぐ、嫌な話をするけど。……高いところにある観覧車の一つが、風も吹いてないのにそこだけグラグラ揺れているんだ。でもって、その一つはドアが開いていて。そこから……女の人かな? 女の人がぶらぶらしてるんだ。えっと、首吊り……じゃないな。でもドアからぶらぶらしてるし……」
「もしかして、係員が持つ手摺りに首元が引っかかってるんじゃないか?」
「あ、そう! そうだよ! ……よく判るね」
「観覧車にロープで首吊りは芸達者でもできねえだろ。係員が止めるだろうから。となったら、事故になりうる可能性を挙げてみただけだ」
「な、なるほどー……」
「ふうん。手摺りに運悪く首を引っかけて死んじまった女……それが見せる幻覚ってことでいいか?」
「そうだね。……ドアってあんな高い所で開く訳がないよね。事故かな?」
「古い物なら開くぞ。今は安全第一だからそんな物、使われてないがな。事故かどうかは後でこの遊園地の記録をあさってみればいい。依織に聞けば一発で教えてくれるだろ。あいつ、一度聞いたニュースは絶対忘れないし」
「そうだね。……動いている観覧車のドアが開いて人が死んだ……なんて報道されていたら、結構大きなニュースだから知ってるかも」
「……でも、俺の覚えている限りここ5年でこの遊園地に事故があったっていうのは聞かないな。……その女の服、古臭くないか?」
「確かに、昭和っぽいよ」

 お兄ちゃんは見えないなりに観覧車を見つめる。
 霊感が今一つ無いお兄ちゃんは、運が良ければ視えて、大抵の下層霊は無視しちゃうような人だ。今回のちょっとした迷惑しかかけていなかった女の人は全然視えないらしく、全然的外れなところを向いてしまっていた。

「その女、苦しそうな顔をしているか」
「え? うん。そうだね」
「苦しそうか」
「……苦しそうだね」
「じゃあ、新座が下ろしてやれ」
「……近付いたら僕、攻撃されるかもよ?」
「俺達がこんなにじっと見ているのにあの女、ちっとも攻撃してこないじゃないか。それに、遊園地の現状被害っていうのも『赤紙』を見る限り、『やたら人が転んだり』、『天気予報に無い強風で商売が成り立たない』程度なんだろ? 思いっきり、あの不運な風の中で死んじまった女の恨みっぽいじゃないか」
「……言われてみれば……?」
「どんなにぐるぐる観覧車が回ったって、あの女はあの高い位置でずっとぶらぶらしてるだけ。下に降りてきたら無くなって、上で『不幸』を再現した途端、姿を現す。自己主張が強いな。……ぶらぶらを止めてやれば、この……無駄に吹く強風も止まるんじゃないか」

 あくまで俺の勘だが、とお兄ちゃんは確信無さげに呟いた。
 でも、無理矢理体力(死んでるんだから霊力か)を奪ってあの世に送ってやるより、ちょっと未練を果たしてやって浄化してあげる方が良いに決まっている。
 霊のためにもなるし、僕の気分も『退治』よりはずっと良い。

「判った。行ってくるね」

 とりあえず今はそんな方針でいいや。お兄ちゃんの少しいいかげんな提案を呑んで、僕は足に力を込めた。
 ぴょんとジャンプする。そのとき呪文を唱えた。足が途端に軽くなり、一気に屋台の屋根の上まで飛び乗る。
 もう一回ジャンプし、更に呪文を唱えると、屋台の五倍も十倍も飛び跳ねることが出来た。
 お兄ちゃんの姿が小さくなる。遊園地の乗り物もどんどん小型になっていく。これで灯りが点いていたら、僕は綺麗な夜景を飛ぶことが出来ただろう。暗くなった遊具を見るのは残念だけど、子供の頃にちょっぴり憧れた光景に近付けて満足していた。

「ねえ、キミ」

 彼女がぶらぶらしている隣の観覧車に飛び乗った。
 至近距離で女の人がぶらぶらしている。昭和の懐かしい映像を写したテレビ番組で見たような古い格好をした女性は、虚ろな目で僕を見てきた。
 その目は冷たく、生きている者の眼球ではなかった。でも悪意のあるものではない。ずっと冷たい風に晒されていたから鋭い目になっちゃったようだった。強風を操れるようになるぐらいここで風を浴び過ぎちゃったんだろう。

「今、下ろしてあげるね」



 ――2004年12月6日

 【     /     /     /     / Fifth 】




 /5

「アタシはぁ、このクソ忙しい時期に『仕事』を任されて、正直ふざけんなって苛立ってまーすー。そのことちゃーんと知っていてね、陽平くんーっ」
「……はあ……」
「ったく、年末のお化け退治なんて瑞貴くんが行くもんだったんでしょー。なんで代理がアタシなのー。アタシだって今年はちゃーんと『仕事』してたのにさー」

 梓丸さんは動きやすそうなキュロットスカート姿で、可愛くウインクをする。
 間延びした喋り方は梓丸さんの弟・福広にそっくりだ。聞く人が聞いたら鼻につく(耳につくと言うべきなのか)喋り方だけど、あんまり頭の宜しくなさそうな子供っぽい顔つきが良い方に演出してくれている。
 でもいっくら可愛い衣装だろうが、目をばっちり化粧してようが、赤やオレンジの華やかな色合いの洋服を着てようが、この人は男だ。股間に付いてるものは付いている。子どもぞーさんのような可愛いもんじゃねぇ、モザイクかかるような立派なモンを持ってるくせに、生足を出すとは何事か。

「あーっ。陽平くんがいやらしい目でアタシを見てるー」
「見てねぇよ……」

 今年一番の低い声が出た。今年もあと30日もしないで終わるけど、最高のバスヴォイスが出てしまった。

「陽平くーん、仕事行く前に言っておきたいことがあるんだー。だいぶ重要なこと言うよー」
「え、はい?」
「服のコーディネート、黒一色とかオタクキャラっぽーい」
「オカマのアンタよりマシなキャラだよッ!」

 ――今回の『仕事』は、俺と一つ年上の梓丸さんの二人ですることになった。
 俺は外で仕事をしながら自営業を手伝っているのではなく、専業退魔師だ。実家暮らしで、『本部』と呼ばれている親達から依頼を貰って小遣いを稼ぐ生活をしている。よく会う月彦のように学生をしながらでもなく、霞さんみたいな外で勤めながら夜に幽霊退治をするというバイト感覚でもない。本業として、退魔業を行なっているんだ。
 だから一族の中でも一、二を争う仕事件数を貰っている。と言っても数だけこなしているだけで、内容は地味なものばっかりだ。
 俺は優秀な能力者とは言えない方だから、大型の仕事は一年に一回あるかないか、レベルの低い「裏路地で佇んでいるだけの幽霊をあの世に送ってあげる」とか「迷子のバケモノちゃんを元の場所に連れていってあげる」ぐらいしかしていない。
 それでも毎月のように何かの『仕事』に追われているんだから、大したもんだ。自分で胸を張ってしまう。
 数をこなしている俺は、色んな人とタッグを組まされ、仲良くなっていった。
 そもそも我が家の『仕事』は一人で何かあったらヤバイので殆どの場合二人以上で組まされる。相当優秀な例外を除いて。
 大抵の人と仲良くやっていける性格だし、なんでもするがモットーだから案外誰と組んでも成功していた。仲の良い奴と一緒だと任務が楽しくなって良いけど、初めて会う人でもそこそこ楽しくやっていけるタイプだ。特別嫌っている人もいないから人によっちゃ羨ましい話に聞こえる。

 でも、嫌っている人はいなくても、苦手な人はいる。
 その中でも梓丸さんは、俺にとって数少ない『出来れば一緒になりたくない』人物だった。
 理由は……先程の会話でなんとなーく判って頂けるか。自分に素直すぎる彼は、「つまんないー」や「むかつくー」など、周囲のやる気を削ぐような言葉を平気で吐く。自分の中に不満を溜めこまない彼はストレスを抱えなくて済むから、いつも楽しそうに笑っていた。聞かされる隣は溜まったもんじゃない。
 あとはその性格、外見。
 ……梓丸さんは、率直に言うが、オカマキャラだ。オネエ系とは言えないのは、服装のセンスや化粧のノリが若々しいからなだけ。おばさんのように「やーだー!」と言いながら背中をバンバン叩いてくるし、煙草休憩でなく化粧直しタイムが入ったりする。やること成すこと、すべて女がすることだった。

 俺は女に免疫が無い。相手が偽物だろうが、どうすればいいか判らん。
 仏田一族に女がいないのは有名な話。
 屋敷の一部では女性立入禁止区域も多くあり(正確には「生粋の一族しか入れない」だが女がいないのだから男子しか入れないようなもんだ)、唯一会える女性と言ったら乳母になってくれるごく数名の女のみ。みんな熟練者(つまりそれなりにお年を召している)の女能力者のみ。だから年頃の女の子なんて一緒になったことなんてない。
 学校には女子も居ただろと言われそうだけど、田舎の学校は男子校、女子校って分かれてるんだ。オリンピックがやってくる周期と同じぐらい女性との接触は少ない人生を歩んできた。……たとえキャラでも女性になりきっている梓丸さんに、どんな反応したらいいか判らなくって困ってしまう。

「ふうんー。話に聞いていたところよりずっとリッパな墓地だねぇー。アタシんちよりはショボイけどー」

 お互いバイクに乗って、今回の『仕事』の舞台となるお墓にやって来た。
 約一キロ四方、五メートル間隔に一家族の墓石が並んでいる大霊園。自然はやや多く、土を踏みしめる音も聞こえてくるような敷地だが、ここは市営の墓地。一日ごとに墓守の役員さんが現れて異常が無いかチェックし、最低限の掃除(空き缶があったら拾う程度の)をしていく、立派な公共施設だった。
 ちなみに、仏田寺の敷地内にある墓地はそこそこ古い家か金を叩いて区間を買った家じゃないと入れない。ビッチリと整備され、金を払っただけの満足感のあるという。ただ昔からある寺だから昔からのお家に溢れているだけの話だが。

「でー、なんだっけー? ここの墓地からお骨が消えるんだっけー? 目の前からパッとー?」
「いや、埋葬した筈の骨が次の日には跡形もなく無くなっているんですって。……いや、跡形も無くじゃねーな。何だか石をどかされたような跡はあったそうっす」
「金持ちの墓から金品を盗み出ようなケチな墓荒らしの類じゃないのー?」
「ここって単なる市営の墓地ですよ。骨壷に骨以外のもんを入れませんって。……二週間ほど前から墓荒しは始まったって書類には書いてあるな」

 不気味な話っすねぇ、と仮にも一つ年上の梓丸さんに多少の敬意を払いながら説明を続ける。
 話を簡単にしていても、今は12月。十七時を過ぎればすっかり夜になっていた。暗かった。
 市営の墓地は申し訳無さそうに何本か電灯が建ててある。でも墓地の中には灯りは無いもんだ。夜まで明るかったら寝ている方々が眠れなくなってしまうという人間の善意があるため、墓地の道沿いに電灯があるぐらいで、あとは真っ暗だった。

「お骨が無くなるのは不気味な話ですし、せっかく眠ってもらったご家族を誘拐されるのは……気分は良くないっすよね。なんとかしないと」
「十七時でも充分に真っ暗だけどー、いくら周りが暗くてもこんな時間は夜って言わないよねー」
「そっすね」
「近くにお蕎麦屋さんがあるから行こっかー。腹は減っては戦は出来ぬ、だよー」

 梓丸さんの父は天下の料理人・銀之助様だ。その父の味に慣れている舌は、どんな蕎麦でも「マズイ」と言うに違いない。
 そんな愚痴を聞きながらメシを食べなきゃいけないのか? 俺のテンションは早くも底に落ちていた。
 それにしても蕎麦屋の向かいには若者も立ち寄るような洋風ファーストフード店がある。でも蕎麦屋をチョイスするか。この人が若くないことと、それなりの男であるということと、古い世界に住む人間であることを思い知らす、大変判りやすいエピソードだった。

 ……入った蕎麦屋は、予想以上に腕の良い店だった。
 梓丸さんは文句を言つつも「マズイ」という核心的一言は口にしない。腹が減っていた俺はウマイウマイと内心連呼しながら蕎麦を啜っていた。
 選んだ座席の窓から墓地前の電灯が見える。もし異変を感じて店を飛び出しても数秒で駆けつけられる所だ。
 先にお会計を済ませ、蕎麦を堪能し、時を待つ。でも食べ終えた俺達の時計はまだ二十時にもなっていなかった。好条件ばかりの空間で、折角だし二杯目を頼んで二十時以降も居させてもらおうかなと思うぐらい、和やかムードになった。
 蕎麦屋に入る前に梓丸さんは周囲に結界を張っている。相当頑張らないと能力者でも気付かないような微かで繊細な結界だ。怪しい動きがあったらすぐに発見できるようにしてもらって、俺達は食休みに浸ることにした。

 十九時になると、店に取り付けられた小さなテレビはバラエティ番組を流していた。
 つまらないバラエティは、時間の流れを遅くさせる。でもまだ外に出るには早い時間。暇を潰す為にも、俺達は何気ない会話をしていた。

「なんで梓丸さんってオカマなんすか?」

 口に出してから、「その言い方はねーな」と自分で思った。
 一緒に食事をしておしゃべりでそれなりに盛り上がり、やっとこさ壁を取り払ったというのにこの自爆。
 梓丸さんはニッコリ笑いつつ、割り箸を俺の目にブッ刺してきた。
 いや、寸前のところで止まったけど。でも俺が身を引かなかったら刺さっていたと思うぐらいの寸前だった。

「あのねー、陽平くんー。世の中には二種類のオカマがいるのー」
「へ、へえ?」
「オカマと言って怒らないオカマとー、怒るオカマだよー」

 そのまんまじゃねーか。
 乾いた笑いを浮かべて、寸前で止まった割り箸をゆっくり白羽取りでどけていく。とりあえず梓丸さんは後者らしい。複雑だ。
 12月に出される熱湯のお茶を注ぎながらなんとか機嫌を直してもらおうとした。「陽平くんなんてキライー! もうアタシ帰るー!」とか言い出さないだけまだそんなに怒ってないと思いたい。

「なんでアタシが女の子をしてるかってー、簡単な話だよー。アタシってほらー、可愛いじゃんー?」
「はあ」

 そう言う彼の喉には、くっきりと山がある。身長だって、高い方ではないけど女性でいったら高く見える。そんな人だ。

「可愛いんだからー、可愛い格好した方が得なんだよー」
「……はあ」

 自信満々の、ややぶりっこな口調で言ってくれた。そこまで単純に自分のキャラ立てを強烈にするもんなのか。……するもんなんだろうな。

「我が家はさー、女の子を大事にするお家じゃんー?」
「ん、そっすね」
「一度は考えたことなかったー? 『もし自分が女の子だったら』ってー」

 あるでしょ、ある筈だよ。決めつけた強い口調で言い放ってくる。
 そりゃ、一度は俺だって思ったことはある。仏田は女性優位の世界だ。女であれば無条件で頂点に立つ。自分の祖母・清子様がそれを証明している。
 彼女は結婚当時の当主の遠縁だが、それでも一族の中で産まれた唯一の女子だった。だから彼女の地位は、旦那の浅黄様以上に高い。夫より発言権があり、その強さは当時の当主・和光様の次どころか同等だったとも言われる。
 家を動かす発言権が、だけじゃない。清子様の残した偉業は今も語り継がれている。現当主・光緑様の教育も、寺に張り巡らされている結界術の基礎を作ったのも、子育て施設『機関』の技術提供も、後世への指導ですらも全て彼女があってと言われるぐらいだ。仏田の女がいかに強く素晴らしいかを、遠縁である彼女ですら説明してくれている。
 そんな素晴らしい遺伝子を持ってくることが約束されている女という生き物。もし自分がそれだったらと考えるのは、当然と言えば当然だ。

 俺はふっと下を見た。冬の防寒具に隠された、自分の胸板をだ。
 想像の中でそこにボンッと胸を取り付ける。そして窓で自分の顔を確認する。……ねーわ、と全俺が否定した。

「そんときにねー、アタシは思ったのー。『そうだ、女の子になろー』ってー」

 わっかりやすいでしょー。梓丸さんは笑いながら、手にしたリモコンで店のテレビのチャンネルを変えた。
 他のお客さんが十九時代のバラエティを見ていたというのに平気で変えやがった。お客さんがこっちを見てちょっとだけ睨む。それに気付いた梓丸さんは、

「あーっ。ごめんなさぁーいぃー! テレビ見てましたー? 戻しますかー? すみませーんーっ」

 と、メッチャクチャ甘撫で声で、両手でメンゴのポーズを作りつつ肩を竦めた。
 その姿は、ちょっとハスキーボイスの女の子にしか見えない。しかもちゃんと無礼を謝っている。非難する隙を与えないその姿に、一瞬だけ睨んだ男達は微笑み、「いいっていいって」とすぐに言ってくれた。「女の子はお笑いよりも音楽番組の方が見たいもんだよなー?」とかなんか勝手に納得までしてくれている。
 梓丸さんはぱっぱとチャンネルを変えると、自分の気に入るチャンネルが無いことを悟り、リモコンをそのお客さん達に手渡した。
 でも男達は梓丸さんが選んだチャンネルから変えることなく、男らしく大人らしく、梓丸さんに譲ってくれた。
 ……多分彼らは梓丸さんとそう年が離れていない。だというのに、割れ物を扱うかのように気遣っていた。

「これ、陽平くんがやってたらどう思われてたかな?」

 畳の席に戻った梓丸さんが、小声でクスクス笑いながら言う。
 なんだかこの状況、駆け引きを楽しみ終えて満足している笑みだった。

「『ヤローざっけんな』って怒られていたと思います。良識ある大人だったら店で喧嘩なんてしないだろうけど」
「ふふーっ、アタシってあんまり良識ない大人だよー?」

 自覚あったんだ。

「それなのに『若い女の子』ってだけでー、こんなにアタシに対して世界は甘くなるー。こんなうまい環境ー、味わっちゃったら抜け出せないよー」

 ――女の子ってホントは強いくせに弱く見せて相手を騙す、すっごく得な生き物なんだねー。
 彼は嘲笑った。女をやらせてもらっている身でありながら、あんまり女を尊敬している風には聞こえなかった。

「同じことをしてもー、男がするのと女がするのじゃ全然意味も価値も変わることもあるー。それに仏田寺はさー、男で溢れてるじゃんー? だから女の例を楽しむためにアタシは女で居続けるのもイイなーって思ったのー」
「でもさ、梓丸さん」
「んー?」
「いくら梓丸さんが頑張ってもあんた、男でしょ。今は若い女の子気取れるけど五年もすればできなくなる。そんときは男に戻るの?」
「女って生き物は『若い女の子』に限るものー? 年を取ったら『熟女』に成り変わればいいんだよー。でもってもっと年を取ったら『老女』になってみせるよー」

 ……そんなんでいいんだ……。
 真っ直ぐに主張する梓丸さんに反論すること自体が、なんだか馬鹿らしく思えてきた。

「女でいれば出来ないことも出来ないで済むー。出来ちゃったら物凄く褒められるー。でもー、男なら出来るのは当然で出来ないのは恥なんだよー」
「はあ……」
「気取るのはタダだしねー。ほらー、本物の女の子に『女って良いよね』って言ったら大抵は『女には女の辛さがあるのよ!』って返ってくるよー。アタシは女を真似ているだけだからそんな苦労無いしー」
「ん、そっすか……」
「生理とか聞くだけでヤだから女にはなりたくないよー。月に一回出血多量とかー、スイカを鼻から出すような出産とかムリムリー。でもー、女でいたいとは思うなー。アタシは良いとこだけ女でいさせてもらおうって決めてるのー」

 ……確かに梓丸さんは、男にしちゃ可愛い。
 化粧技術がバッチリなのもある。目はハッキリしている方だし背も高すぎない。体格はある程度まで服装で隠せるし、今は洋服姿だけどいつもの和服になってしまえばごつい体つきも隠せてしまう。五年後、メイクの仕方を変えれば少女から大人の女へのチェンジぐらい、他愛の無いことなのかもしれない。
 しっかし。「女でいる」のは「女が好きだから」とかでもなく、「女であることが心地良いから」か。「女であれば弱者で在り続けられるから」なんて。
 なんかこの人、賢いな。いや、女々しく狡賢いのか。

「んー。でもさー、今ちょっとシリアスに考えたんだけどさー」
「あい?」
「アタシの可愛さってやっぱあと五年で寿命なんだねー。いやー、ありとあらゆる技術を駆使して十年ぐらいは持たせてみよーって努力すっけどさー」
「……可愛い系で楽しんでる梓丸さんに言うのも酷かもしれないですけど、路線変更って大事だと思いますよ」

 三十、四十代のオッサンが「アタシって可愛いでしょ、てへ!」と言ってるのは正直しんどい。
 いや、俺が知らない世界なだけでホントは四十過ぎても可愛いオッサンがいるのかもしれないけど。
 身近なところで名を挙げるなら、俺の三つ子の弟である慧なら、女顔だからいけなくもないし……?

「そっかー! 可愛い系じゃなく綺麗系に挑戦してみればいいんだねー!」
「そっちかいッ!?」

 俺のツッコミは華麗に決まった。梓丸さんは向かいの席に居るので俺の裏拳は宙で止まるだけだった。
 こんなに清々しく自分だけを棚に上げる人、梓丸さん以外に誰がいるだろ。案外、兄の瑞貴も得意なんだが、ここまでド直球に狡猾じゃないよな。……多分。
 兄も兄でストレートに狂っている奴だけどさ。だから今この『仕事』には、瑞貴じゃなくて俺が出ているんだし。

「綺麗系かー。効果音もきゃるーんじゃなくてしゃらーんになるような清楚秀麗な美人系になってみよっかなー?」
「梓丸さん! 言わせてもらいますけどあんたに綺麗系は務まらない! やるならいっそ可愛い系のまま七十歳ぐらいまで生きてくださいよ!」
「はー、後押しされるのはとても嬉しいけれど変な応援だねー?」
「だって梓丸さん、目がでっかいし。付け睫毛のおかげで余計にでっかく見えるし。超アイラインしっかりしてるから遠くからでも濃くなる顔だし。……そんな人に綺麗系は無理です! 綺麗系っていうのはもっと繊細さや儚さと共に、鋭さや清さも兼ね備えていてですね……!」
「うわなにあっちの方向見て語ってんのキモーイ」
「綺麗系の人は『キモーイ』なんて言葉遣いしないっ! まずあんたはその根本から綺麗系に向いてないんだ!」
「じゃあ本物はキモイって何て言うのー」
「俺の知ってる美人は、溜息を人に気付かれず吐きながら視線を斜め下に向けて『……汚らわしい……』って呟きます!」
「うわ今の陽平くん超キモッ!」

 ついついぎゃーすかやっていると案外時間はあっという間に潰れ、尚且つ予想以上に異変が早く発生し、俺達は墓地に駆け出すことになった。
 十七時の暗さと違い、本格的な夜になった墓地は真の黒を備えている。月が出ていたが雲が多い。もしかしたらこれから一降り来るかもしれない。嫌な予感がぷんぷんした。

「梓丸さん。さっき結界が反応したのは……」
「しーっ」

 鼻の前に人差し指を立てて黙れのポーズをする梓丸さん。ぶりっこしなくちゃいけない対象が居ない今、デキる男の顔になっていた。
 そっか、ここはさっきのお客さん達も居ないし、通りすがりに誰かに見られることもない。わざわざ他人の為に顔を作らなくていいのか。
 梓丸さんの言う通り口を閉ざして数分後。それまで静寂に支配されていた墓地に、変化の音が到来した。

 ――がたん。ごとん。
 石が動く音だった。
 ひどくゆっくりと、重そうな石が動かされる音が聞こえる。暗闇の中に響くには不快な音色だ。それがいくつも続いている。
 墓荒らしにしてはその音はあまりに急ぐ気配が無い。どちらかといえば、緩慢な動作にさえ感じられる。
 俺はポケットに武器となるライター(炎の魔術をラクに発動させるための発火装置)があることを確認して、梓丸さんも戦闘の構えをしつつ、意を決して音を立てないよう、その音がする方向を覗いてみた。

 ――ごとん。がたん。
 不快な音は、続いている。
 骨壷を隠す石を外す音にしても遅すぎるだろ。一体どんな奴なんだと思いつつ覗き込むと、あまりにも現実離れした光景が目に映った。

「……んあっ?」

 石をどかして骨を出す、それはまあ予想済みだった。でも誰かが石をどかしていたのは見えなかった。
 石が勝手に動き出している……いや、石の下から、骨壷が保管されているところから、何かが這い出てきているようだった。
 出てきたのは、骨だ。
 数本の、燃やされ人としての形を失った骨が。人間不在のアニメによく用いられるような、ちまちました動きで石をどかし、外の世界に飛び出していた。

「……なんだあれ……」

 外に出ることができた骨達は何本も集まり、一つの塊になった。
 骸骨の戦士になってくれれば存在を把握できる。でも、それは骸骨にも満たなかった。歪な白い何かの塊だった。
 でもそれらは集団になり、意志を持ち、活動しようとしている。
 それは一つの墓石から動き出したのではなく、違う方の石も動き出し、骨が出て来て、一つの何かになっていった。

「……あいつら動き出したねー」

 梓丸さんが言うとおり、いくつも出てきた骨の何かは、ゆるりとした様子で震えながら動き出す。
 奇妙で不気味な一団は、俺達に気付くことなく、全員が一つの方向を向いて、その緩やかな行進を開始した。
 骨の塊はゆっくりと、ある場所に向かう。墓地を仕切る『とある壁』だった。壁があるというのにゆっくりと骨達は突き進んで行く。本来ならごつんと正面衝突するところが、するりと壁の向こうに消えて行った。
 もちろん、電灯のある道路に出て行ったのではない。

「……壁にゲイトか」
「ゲイトだねー」

 どこかの瞬間移動装置のゲイトが展開されている。壁を抜けて墓地から道路に出たのではなく、墓地から異空間へ抜けて行ったんだ。
 全ての骨の塊が入って行ったのを確認して、通常のボリュームで梓丸さんは口を開く。

「ほらー、陽平くんー! 行った行ったー!」
「行ったー……って、俺に先行かせるんすかぁ!?」
「えー、だって君ー、男でしょー? 瑞貴くんだったらババッと走り出すところだよー! 知らないけどー!」
「知らんのかい!? ってかアンタも男だぞ!?」
「どう見たって君の方が男らしい男じゃんー。そもそもこういうシーンではパッとしない子が頑張ってカッコ良く前に出て死ぬべきだと思うんだよねー」
「死ぬべきって、死ねっていうのかアンタ!?」
「死ぬぐらい頑張ってみせなよってことさー。か弱いアタシはー、夜の真っ暗なお墓に来てびくびく怖くて死にそうなのぉー。そんな繊細でダイヤモンドのようなピュアなアタシより堂々とお墓に立ってる陽平くんが先をリードするべきだと思うのよー」

 繊細とピュアは外見からして許してやってもいいが、砕けないダイヤモンドは今の例えに使ったら本末転倒じゃないのか。

「堂々立ってるのは……俺達が墓地に恐怖心を持ってないからでしょ……」

 住んでいる隣に大霊園があるんだから、いちいち震えていたらあの寺で暮らしていられないだろ。

「それにしたって今は怖いっしょー? だっていかにも怪しい化物が集団で動いてるんだよー。陽平くんの百円ショップのスーパーボールな目には見えてくれなくてもー、アタシは内心ドキガクなんですぅー」
「俺の目は中国製か!? ……そんなに出来悪くねぇわいっ!」

 ――まあ、生まれたときから墓地がある場所に住んでいるっていうのもあるが、後天的な要素からでも俺は墓地は嫌いじゃない。人よりは、梓丸さんよりは堂々と立っていられるというのは正解だった。

「とにかーくー、早く入っちゃいなよー。陽平くんがブザマに壁に激突しないのを見たらアタシもキューティーダイブするからー」
「そ、そんなギャグ漫画みたいな展開にならないことを祈る!」
「グダグダ言ってないで行くんだよー! お兄ちゃんの瑞貴くんと違って決断力の無い男だねー!? 知らないけどー!」
「やっぱ瑞貴のこと知らないんじゃねーかよ!」

 祈念と共に俺は駆け出し、壁へジャンプする。
 ラッキーなことにあんだけぎゃーぎゃー喋っていたというのに、異空間へ繋がるゲイトはまだ閉ざされずに済んでいた。良かったと胸を撫で下ろしながら、俺は訳の判らぬ真っ暗な空間へ落ちていった。



 ――2004年12月6日

 【     /     /     /     / Fifth 】



 /6

 我が家の話をしよう。仏田一族なんて大きすぎる存在の話じゃなくて、俺・陽平の家族の話だ。

 父親の一本松は、一族の偉い人で常に何かの中心にいた。
 武術を教える教官として大勢のことを見ていて、息子の俺だけを見ているなんてなかった。それは兄の瑞貴も、弟の慧も同じように思っているだろう。父親であっても、父親としての顔よりも指導者としての姿をいつも見せられていたからだ。
 母親のことは、あまり思い出が無い。それもその筈、俺達三つ子の母は仏田一族に嫁いでいない。彼女は優秀な胎盤を貸してくれた別組織の能力者というだけで、仏田の名を語っていい人ではなかった。
 『十年かけて一人でも良い後継者を生めればいい』と考えられていたらしいが、まさかの三つ子が三つ子ともそこそこの能力を持って生まれてしまうなんて。おかげで彼女は一年だけ仏田寺に滞在しただけの部外者のままだった。
 だから母親の姿は、いつも……俺らを世話してくれる女中達から教えてもらっていた。

 彼女は仏田にはいない。母親には大金が支払われ、そのまま去っていったという。
 仏田の後継者を生んだ女は、たとえ生まれた子が神ではない男子一人であったとしても報酬として数億という札束が渡される。一人で数億円なのだから、三つ子を産んで全て成功例だった俺達の母は億万長者どころの話ではない。でも彼女もどっかの霊媒師の一族の出で、研究をしていれば数億ぐらいいくらあっても足りないもので……。
 彼女にとっては必要な金、妥当な報酬、それを受け取った母親は遠くに行ってしまった。
 そんな話を、俺達は事あるごとに聞かされていた。
 誰に? 一族中にだ。
 ……お前の母は大金持ちになったんだよ。金を持っていなくなったんだよ。一年もいなかったんだよ。崇高なる我が家の血族でもないんだよ。
 どれも何にも悪くないことなのに、まるで悪であるかのように聞かされた。

 おかしい話だ。
 金を渡すシステムにしていたのは仏田一族の方だ。渡される母が悪く言われることはない。
 一年もいなかったことの何が悪い、一年で用が済んだのだから当然だろう。そもそも、部外者以外は出て行けと言っているのは一族の方だ。なのになんで母が金を持ち逃げしたかのように言うんだ……?
 おそらく、羨望と嫉妬によるものだと思う。
 異能を血で継いでいく能力者が壮大な力を産む。これは誇れること。能力者であれば羨む。大金を手に入れたとなれば更に羨ましがるもの。憧れ、小憎らしく思うもの。
 だから……良い子宝に恵まれなかった女中達は、俺達に昔話を聞かせるように、笑顔で恨み節を綴っていく。
 子供時代の俺達に。
 あてつけとして。

 ……瑞貴も慧も、家族が嫌いだ。その気持ちは判る。
 女中達の歪んだ昔話を真に受けたなら、母親のことが嫌いになる。斜め聞きしたとしても、育ててくれる女達のことが嫌いになる。
 生んでくれた恩義、育ててくれた恩義は忘れないけど、それでも……距離を置きたくなるのも判る。どうしても他者に対して攻撃的になってしまうのは……そういうことなんだろう。

 じゃあ、俺はという話だが。
 俺だってあんまり良い人間じゃない。家族のこと、一族のことは……好きじゃない。
 でも率直に言おう。嫌いでもない。
 出来ることなら関わりたくなかった。だが敵になってほしくない。そう、俺は敵を作りたくない。広く浅く……そして外へ、外側へ……味方を作りたいと思っていた。
 瑞貴が、外の世界から相棒を召喚して引きつけたように。
 慧が、遠い親戚の医者に恋をして惹かれていったように。
 俺も俺で……自分とは関わりの無いような部外者を、見つめるようになっていた。

 ――ちょっとだけ、思い出話をする。
 さっきの梓丸さんとの会話で出てきた『俺が墓地を嫌いではない理由』。それは、墓地で素敵な出会いがあったからだ。

 俺達が住んでいる境内は、山の頂点。
 中腹にある大霊園は、我が家のものであり我が家じゃない。だから子供の頃はよくここで遊んでいた。
 大勢の参拝客がやって来る外部ではあるが、石段を上がった先にあるため結界が張られていて安全地帯とも言える。「遠くに行ったら危ないよ」と言われる幼少期でも、「霊園は遠くじゃない遠くだから」と屁理屈をこねて遊べる場所だった。

 女中達に小言を言われるのが嫌で逃げ出す先がここだったとか。
 時折、『朝早く実の母が墓参りの名目でここに訪れる』と聞いたから張り込みしたことがあるとか。
 案の定、早朝にそれらしき女性に出会い『俺は寺の子だから手伝います』という名目で花桶や柄杓を持ってあげたことがあったとか。
 吸い込まれるほど美しい真っ黒の長い髪の女性が、おばあちゃんみたいな質素な着物のまま高い山まで登ってくるとなったら手伝ってやらなきゃ男が廃るもんだから……とか。
 そのたび煎餅を貰って別れる、とか。

 ……毎年のように、参拝客と寺の子という関係の俺達はお盆に話をする。煎餅を貰って、また来年と手を振り合う。
 こんな毎年があるから、嫌いじゃなかった。

 ――そんな毎年を送っていたからこそ、俺は運命の出会いを果たした。
 出会いと言うのも憚られる。俺の一方的な運命の瞬間の話だ。
 それも8月15日。早朝から松山様に「今日は終戦記念日だから霊園へやって来るお客様がそこそこいるぞー」と脅されて、近い年の福広や芽衣と共に朝から霊園の清掃をすることになった。

 ところが、朝の六時。大雨が降り出した。
 7月や8月は何かと台風がやって来ては辺りをメチャクチャにしていく。「これは毎年のことだからしゃーないなー」と俺達は、大霊園の掃除を諦めることにした。その代わり屋敷の掃除をしようかと路線変更の相談をしていた。
 でもまあ、きっと大雨でも熱心な参拝者は来る。そんなお客さんの為にも最低限霊園を綺麗にしておかなきゃいけない。
 とりあえず一度は霊園に行き、大きなゴミ、空き缶やゴミ袋とかが飛んでないか確認だけしようという話になった。どんなに大雨の中でも、霊園をまわって確認はしなければならない。掃除をしに行くのではなく、ただただ見に行くだけでもしなくては。そんな作業でも苦痛に違いなかった。
 そうして福広や芽衣とのジャンケンの結果、俺は一発負け。俺一人だけが霊園に行くことになってしまった。
 毎年暑い中でも標高が高い霊園でもやって来る人はいるんだって経験で知っている俺は、ジャンケンで負けたから以上に霊園を綺麗にしてやんなきゃいけないなって思っていた。

 幸い朝七時を過ぎて数分、雨は緩くなっていた。
 夏の台風は一瞬攻撃的に降ってあとは過ぎるのみ、そんでもって過ぎたと思ったらまた再攻撃という気まぐれさを持っている。それでも俺が外に出る間だけでも緩くなってくれたことを仏様に感謝しつつ、俺は足早に霊園に向かった。

 さすがに毎年来ている着物の女性はまだいない。
 そりゃそうだ、毎年綺麗なお着物を召して来る人だもの、せめて雨が止む昼頃になるまで来ないさ。傘だって吹っ飛んじまう。
 それでも早くも参拝者は来ていた。朝の七時。やっぱ老人はスゲーなと思った。けれど……それは、老人じゃなかった。
 いつも黒髪の女性……母ばかりを探していて、それ以外は気にしたことなんてなかった。目立った色じゃなかったから白髪のじーさんかと思ったが、そうじゃない。
 その時間、霊園に居たのは、力無く立っている――金髪の男性だった。

「………………」

 たとえ緩くなったとしても雨の中。さっきまではざーざー降りの雨だったというのに、傘も差さないで男性は、ある墓の前で立ち尽くしていた。
 こんな天気の朝。いつもなら朝早くから居るものでも、こんな天気では決して無い光景。
 綺麗な人だった。
 そんな人が、雨に黙って濡れている。
 一体どこの家の人だと思って見ると、墓石には名前が書かれていない。
 ――無縁仏だ。
 名も判らぬ複数の人間が眠っている場所の前に、金髪の男性は立っている。

 その姿を見て、俺は胸を打たれた。
 まるで映画のワンカットのような美しさに見惚れてしまったのかもしれない。
 遠くから見るその光景は……夏の雨、誰とも判らぬ墓の前、美しい男性が……泣きそうな顔で立っているのだから。

 泣いている?
 雨に濡れてそういう風に見えただけじゃないのか? いや、でも、あの、ぐしゃぐしゃにした顔は……。

 俺はすぐさま男性に声を掛け、傘を渡し、走ってその場を去った。

 ――金髪の男性。とっても綺麗な人だった。
 傘を渡した瞬間、俺を見たあの目は、雨にも濡れていたけど、悲しみにも染まっていた。
 悲しい顔に感動するなんて失礼かもしれないが、あの光景はこの世のものとは思えないぐらい、神秘的で美しいものだった。
 咄嗟に傘を渡してしまったが、彼はちゃんと傘を使ってくれたか。
 そしていつまであの前に立っていたのか。雨の中で。
 確認しないで駆け出してしまったので全然判らない。

 いくら雨足が緩くなったと言っても、屋敷に戻ってきたときにはずぶ濡れになっていた。福広に「台風で傘が飛ばされちゃったぁ?」と笑われた。俺はそうだと言い張った。
 たとえゴミが落ちていても台風の中じゃ拾ってもまた落ちてくるだろう。異常無しと嘘の報告をすると……雨が上がる。
 数時間もしないで参拝客が、多くの人々が、そして毎年の女性が霊園を訪れた。
 その中には金髪の彼の姿は、もういない。
 そのかわり……違うところで彼の姿をもう一度見ることができた。仏田の境内で。

 それ以後、墓地で彼――ルージィルさんを見たことはない。
 尚且つ、ルージィルさんの泣きそうな顔も一切見ることはない。いつも彼は微笑んでいる、余裕のある男性だからだ。
 そんな彼が壊れてしまいそうなほど心を痛めている故人とは、どんな人なんだろう。
 あの光景が目に焼きつき、胸に強く残ってしまったがために、墓地に訪れるたびに感動して震えてしまう。
 それがどんな墓であろうが、無関係の場所であろうが。
 じぃんと胸が熱くなり、同時に彼のか弱い姿が再生され、動悸が激しくなる。……俺はそんなトラウマを負ってしまったんだ。

 ――話を戻そう。
 ゲイトの先の黒の空間は、死の匂いで充満していた。
 (お約束のように俺の頭上に現れた)梓丸さんと合流し、黒の洞窟を進む。奥に進むにつれ、死の香りは濃度を増していった。

「ふふーん、これはこれはー……きっと悪ーい能力者の仕業だねー?」
「異端のせいとか、自然のイタズラとかでもなく?」
「だってだってぇー、ガッコのチョークでくっきり結界が描かれてるんだもーんー」

 黒の洞窟を進んでいた梓丸さんが、アレだよと指を差す。
 そこには手書きの魔方陣があった。人が描いたものに間違いなかった。

「陽平くーん。どんな奴が犯人だと思うー?」
「そっすね……死霊術師であることは間違いなさそうですけど。死体愛好家、いや、遺骨愛好家? 骸骨を自分の従者にするとか? 血と骨で作る武器は霊力がメチャクチャ込められて強いっていう話もあるから、その材料にするとか……」
「なんかどれも正解っぽいよねー。……魔方陣の呪文、古今東西色々様々なんだもーん。色んなことしてそー」

 そう言って梓丸さんは、自分の爪でその魔方陣を破壊した。
 ガリィと岩が弾け飛ぶような轟音。一部形を失くした魔方陣は効果を失い、単なる模様になった。
 同時に俺達は走り出す。魔方陣を破壊されたことで、きっと術者は異変に気付く。これから態勢を整え直すに違いない。
 だがその隙を与えない。梓丸さんが魔方陣を潰すと同時に、俺は人の気配のする方にダッシュした。
 ここまで死者の匂いしかしない洞窟で、唯一生者の香りがする。それは例外中の例外。一番怪しい奴に違いなかった。そいつが居る奥まで道を迷わずダッシュ。そして。

 ――戦闘描写は割愛しよう。
 敢えて語ることと言ったら、大ボスである骸骨使いの魔術師さんが、映画のワンカットのような清々しい台詞を言ったのでそれを引用しておく。

「安心して死ぬがいいさ。貴様らの死体は、しっかりと活用させてもらう! 貴様らも骨になりあいつの傍においてやろう!」

 あまりに台詞に、俺は梓丸さんより『美しい』と思ってしまった。顔は骨ばったオッサンだったけど。

 まあ、それはともかく。
 俺達は見事勝利し、オッサンから全てを聞き出した。
 そしてお縄にして、近場の駐車場で待機していた搬送係の圭吾さんに後を任せた。

 真相だけど、俺の回答は殆ど当たっていた。
 どうやら比較的、新鮮な骨を使い、魔道具を開発、それでお金を稼いでいたらしい。
 彼は葬儀業者と繋がりがあり、洗脳した葬儀を執り行う者達にゾンビパウダー的な霊薬などを渡し、仕掛けを作らせていた。
 一般人の手で異形化の兆候を作っておき、時が来たら呪文を別空間で唱える。するとゾンビパウダーをかけられた骨が勝手に自分の元にやって来るようにしたという。先に言っていた骸骨兵士の作り方の応用で、足が無くても動かすよう高度な魂の定着の仕方を編み出したと言っていた。

 「それは良い話を聞いた……」と、梓丸さんはほくそ笑んだ。
 きっと捕らえた我が家で技術を聞き出すつもりなんだ。「動く骨を従者にして何をするつもりだ?」とか事情聴取をする前に、梓丸さんは満足していた。
 とりあえず、墓地から骨が無くなる原因は退治したということで『仕事』はおしまいになった。一日もかからないラクな内容に、「ああ、やっぱりレベルの低いもんしか任されないんだな。俺」と思った。
 ラクでいいんだけどさ。ちょっと遣り甲斐を感じないなと思い始めてきた。
 どんな『仕事』であれ人助けに繋がることだ、誰かの命に関わることでもある、気を抜くつもりはない。
 けど、何年もこんな下っ端の役割をしていて……ちょっとばかり切なくなってきた。
 まあいいや。誰かが被害に遭う前にヤバそうな奴を捕まえることが出来たんだし。来年こそはカッコイイ一年にしよう。
 そんな12月の冬空の、真下での感想。



 ――2005年12月4日

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 /7

 新座から終了のメールがあってから、二日後。日曜日。
 金曜から続く連日のバイトに俺の体は疲労していた。こんなの幽霊退治と比べ物にならないと言われそうだが、使う筋肉が全く違うので話にならない。いや、筋肉というより魔力の問題なんだが。普通の仕事に魔力は使わないし。

「カスミーンっ!」
「ひでぶっ」

 あまりに疲れていた俺は、背後からの奇襲攻撃に全く気付かなかった。
 まさか成人近い男が堂々とタックルをかましてくるとは思っていなかったのが運の尽き。

「って、早く退かんかい!?」
「うーっ!」

 五秒経っても十秒経っても俺の背中から下りないデカイガキを退けて、やっと俺は立ち上がった。
 人気の無い路地裏だから良かったと思ったが、玉淀のことだからきっと大通りの真ん中でもタックルしてくる。そんなの突貫攻撃より周囲からクスクス笑われる精神ダメージの方が辛い。お前、本当に社会に生きる人間かっ!

「うー。おれはバイト終わりに同じくバイトが終わったカスミンをゲキレイしようと見張ってただけなんだよー!」
「おめー、頭はガキのクセにガタイは良いんだからどんだけ自分が武器になってるか自覚しろぉ! 体重があるから背中も腹も相当痛いんだぞ!?」
「うー。ぶっちゃヤー」

 ヤだと言うがそれでもゲンコツごつん。玉淀のタックルに比べれば大分力を抑えた一撃をお見舞いした。
 そのまま歩き出すと、玉淀が俺の後を歩いた。ついて来る。今日もこいつは自分のアパートではなく、俺のアパートに寝泊まりする気らしい。「高熱費がかからないから」と言っているのが憎い。金には困ってないが節約思考の俺の天敵に違いなかった。

「おめー、サークルの友人か付き合ってる子のアパート行けよ」
「うー。今日はみんな、予定あるって言うからだめー」

 断られた末の俺頼りかよ。
 仕方ねーな、とついて来ることを了承してやると、玉淀はニコニコと満面の笑みを浮かべながら俺の後を追ってきた。てくてくと足音がついてくる。デカイけど金色だしヒヨコのようだ。
 しっかし、夕食の準備なんかしていないぞ。どっかの弁当屋で肉でも買って帰るかと考えてたところだ。この時間に空いている店っていったらどこかな。
 ぶらぶら考えながら歩く。コンビニの方がバリエーションあって良いかな。でもこの時間に良い弁当なんてねーよ。となると、ちょっと道を外れて行った所に吉野家が……。

「おい。晩飯は牛丼でいいか」

 笑ってないでお前も何にするか考えろ、と言いながら振り返る。
 振り返った先には玉淀は居らず、俺が歩いていた路地の真ん中で倒れていた。
 うつ伏せで。

 激情していた気持ちが一気に冷える。咄嗟に駆け寄り、身を揺らそうとする。
 このバカ、また処方された薬を飲んでないのか!? 依織にメチャクチャ怒られたの知ってるんだぞ俺は!?
 叫びながら叩き起こそうとしたとき、青い予感に気付き俺は足を止めた。

 寸前。俺の足下に矢が突き刺さる。
 俺が足を止めなければ矢がぶっ刺さっていただろう。俺の体に。

「…………」

 ――冷静に、倒れた玉淀を見た。
 血は流れていない。うつ伏せになっているから表情を伺うことは出来ないが、肩が呼吸で揺れているから魂は抜かれていない。生きている。一瞬で眠らされたか、もしくは……何だ?
 ともあれ玉淀は何ともない。それに安心して、次々襲いかかる霊力の矢を回避し続けた。
 俺が飛び跳ねて避けまくっているというのに、ちっとも動かない玉淀には当てようとしない。それは玉淀を当てる理由が無く、俺を撃つ理由はあるってことだった。

「ちっ」

 動きを止め、しゃがみ込む。グッと足に魔力を込める。……以前、新座に教えてもらった手段で気に入ってるやり方を取った。
 魔力を解放し、飛ぶ。
 路地を越え、屋根を跳ね、いくつも撃たれた矢の方角を計算し、あるビルへとジャンプした。
 そうして辿り着いた屋上に着地する。と、今度は音速の剣劇が襲いかかってきた。
 即座に虚空――ウズマキから相棒のダガーナイフを召喚し、剣の嵐を弾き飛ばした。
 剣? いや、もっと細い。刀か。矢のように次々と見えない速度で襲いかかる刃を、俺はダガーナイフで一つ一つ弾いていく。

「ぐっ!」

 疲れているせいか息が切れるのが早かった。
 それだけじゃない。息を荒くさせるほど、相手は強力だった。近頃退魔業をしてなかったから鈍ってしまったのかもしれないけど、間一髪のところを防ぐのがやっと。
 多分防げたのは、俺を殺すよりも、戦闘不能にすることが目的の攻撃法だからだ。

「なに、しやがる、てめえ!」

 思いきり憎々しい声で問うと、攻撃が一旦止む。それは次の怒濤の攻撃に備えての構えのようだった。
 夜のビル、屋上、赤い小さなランプが姿を見せてくれる、そんな不安定な視界の中。
 ――スーツの男が刀を手に、立っていた。

「反省しない霞様が悪いのですよ」
「は……?」

 冷淡な声と、抵抗ばかりの無様な俺を見下したような目。
 本来なら「はわ」なんて鳴き声が似合う暖かい顔はどこにも無く、鶴瀬は俺に刀を構えると、獣の如く素早く空を駆けた。



 ――2005年12月4日

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 /8

 いつもお世話になっている商店のおばあさんとの電話が、やっと終わった。
 用件は、僕が住んでる教会で行われるクリスマス会について。お菓子作りに使う材料の取り寄せで打ち合わせをしていた。
 随分長いおしゃべり電話になってしまったのは、商店のおばあさんはもう曾孫がいるぐらいののんびりさんで、店先でお客さんとおしゃべりするのが仕事のような人だったからだ。そんなおばあさんとお話をするのはとても心地良く、ついつい無駄話が長くなってしまう。
 でも危ない危ない、あともう少しで携帯電話の電池が無くなっちゃうところだった。和んでいたから部屋で電話している気分に近かったせいかな。電話を切って確認してみたら、いつ電源切れてもおかしくない状態だった。

「新座はマイペースだな」

 電池が切れなくて良かったけど、あと隣……運転席に座っているお兄ちゃんもキレなくて良かったと思う。

「むぐー、ありがとー」

 でもまあ、マイペースなのは自分の長所だと思っているので気分良く肯定しておく。もちろん長電話をしちゃったことの謝罪の言葉も付け加えておくけど。

「ごめんね。でも今日中にしておかないと注文が間に合わなくなっちゃうし、おばあさんもこの時間しか空いてないって言ってたから。それにね、ちゃんと今電話をしておかないと保護者会の皆さんに迷惑かかっちゃうからさ!」
「はいはい」
「そこの商店のおばあさんってね、すっごく喋りが巧いんだ! アナウンサーだったのかな? それとも落語家とか? ほら、我が家の山を下りたところにも商店あったじゃん。あそこの梅村おばあさんも面白い人だったけどさ……」
「はいはいはい」

 お兄ちゃんはぷくって膨れるのが最近のお仕事みたいだ。キレそう、というより、拗ねてるっていう言葉がピッタリ合う。
 仕方ないから「デート中に長話してごめんね」と、ほっぺたに唇を寄せておく。少しでも機嫌を良くしてもらって仲良くドライブを続けるためだ。

「こっちも暇潰しのせいで携帯の電池が切れるとこだったぞ」
「わっ。暗いところで携帯電話はやめた方が良いよー」

 夜、車の中、停車したまま車内ライトだけで数分居たらバッテリーが上がっちゃうとは思うけど、目に良くないというありきたりな忠告は一応言っておく。

「今年のクリスマスも忙しいのか?」
「うん」

 お兄ちゃんはそんなに気にしていないのか、謝罪の言葉は簡単にスルーしつつ、クリスマスの予定なんて聞いてきたり。

「西洋って年末年始よりもクリスマスが本番らしいから。去年もそうだって言ったの覚えてない?」
「去年も聞いたし、知識だけならあるけれども。どうしても生まれて三十年、年始の忙しさの方が体験してるだけに今からてんやわんやなのが気の毒でたまらん」
「むぐー。僕はクリスマス前から準備で追われてきっと年始も実家の手伝いするから……一ヶ月は忙しい日が続いちゃうね。うわ、考えたら案外大変そうだった」

 そりゃお師匠様も多忙で走っちゃうぐらいな冬だし、仕方ないことかもだけど。
 今後のスケジュールはあんまり考えたくないと、僕は素直にこぼした。途端にお兄ちゃんの顔が判りやすく歪む。
 ほら、志朗お兄ちゃんって案外ロマンチストだから。イベントごとはきっちりやらないと気が済まないタチだから。僕が言う「急がしくって会える気がしないなー」は、大変不愉快になるらしい。

「お兄ちゃん。ワガママー」
「新座ほどじゃない」
「良い勝負だと思うよ、僕達。やっぱ似てるね、兄弟だからかな」
「似てない兄弟は山ほどいるだろ。霞と圭吾さん、悟司さんなんて全然似てないじゃないか」
「そりゃ仕方ないよー。男の子はお母さん似っていうのに全員お母さんが違うんだから」

 と、志朗お兄ちゃんが驚いた顔をしてきた。「えっ」と声まで上げちゃってる。
 ああ、志朗お兄ちゃんも僕と同じで、言われる今の今まであの三人は実の兄弟だと思っていたのか。
 僕は先日鶴瀬くんから聞かせてもらったこと全てを伝えた。お兄ちゃんはすぐ「言われてみればそうかもしれない」と納得しつつ、「全然知る機会も無かったな」と切なそうに呟きつつ。
 あんまり考えたことのない『母親について』をじっくり思い直す機会になってしまった。

「……『死刑になった』、か」

 どうしても話の中心は仲良しのカスミちゃんで、問題の箇所はカスミちゃんのお母さんになってしまう。
 お兄ちゃんもやっぱり、そこが一番気の毒に思ってしまったようだった。僕と全く同じところで気になっている。事故とはいえ責任を取ること、罪人扱いされてしまったということは、考えれば考えるほど悲しかった。

「そういや、言われてみると」
「むぐ?」
「俺から見て豊春さんは優しくて良い女性だったって記憶してるが、『そんな彼女に甘えている霞』を見たことがない気がする。いや、一緒に笑って話してる姿ぐらいは見たことあるが、それでも」

 付き合いが長いのに、そういえばカスミちゃんを中心とした『親子らしい姿』は見たことなかったかもしれない。それは僕も同意見だった。
 きっとカスミちゃん達のお父さん・狭山さんが、甘やかすような親子関係を否定していたからが一番の原因。それにしたって全然浮かばないのも、今思えば不思議だった。考えれば考えるほど、カスミちゃんがお母さんの話題をあげることもなかったし、お母さんを恋しむこともしなかったなと思い知らされた。
 ……したくても、出来なかったのかも。あとは、カスミちゃんみたいにスッキリした性格なら、そんなの興味無いって吹っ切れてたのかな。

「でもその理論からすると、俺達もだ」
「むぐ? 何が?」
「『新座と志朗の兄弟が母親と甘えてる姿なんて見たことない、一緒に笑って話してる姿も一度も無い』……、そう霞達に思われても仕方ない」
「……むぐ」

 それも、思わず同意してしまった。
 僕のお母さんは、仏田寺の中で仕事をしている女性だ。普通にお話もする、笑ってもくれる、とっても優しい女性だ。でも同じようにお話をして笑ってくれる優しい女中さんはいっぱい居る。お母さんとしての特異点は、あんまり見付からない……そんな人だった。
 女性を尊重する社会の中で、同時に女性を蔑ろにしている。そんな天秤が平気で吊り合っているのが、我が家なんだ。思案するたびに気分が重くなる。必死に話題の転化を探した。



 ――2005年12月4日

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 /9

 次の瞬間、凶器を持っていると思っていた鶴瀬はビルの虚空に刀を投げ捨て、即座に弓矢を構えていた。
 間違ってもご立派な弓道で使うようなしっかりした弓ではない。魔力で構成された、形も大きさも変幻自在な暴力的な飛び道具だ。それを十メートルも無い至近距離で、形は弓矢でも銃のように撃ち放ってくる。一発でも食らったら堪ったもんじゃない。
 でも全ての攻撃は『俺の死』を狙っていない。撃たれる場所が致命傷に至らないところばかりで『あくまで戦闘不能で留める』のが目的なんだと、回避するたびに判明した。
 俺は矢の形もしていない魔の波動をダガーナイフではじき返した。鶴瀬が一秒だけ怯む。その一秒を見破り、壁を蹴り、間合いを取った。いっそ遮蔽物の少ないビルに跳び移ろうかと思ったが、それから何をすればいいんだと良いアイディアに至らなかった。
 遠距離になったら命中精度の良くなった弓で攻撃してくる、至近距離になればまた刀を取り出し襲いかかってくるに違いない。鶴瀬は前でも後ろでも完璧に潰しにかかってくる、良い攻撃手だった。
 その鶴瀬がなんで俺を攻撃してくるのか? 多分、処刑のつもりなんだ。
 そうか。奴は処刑しに来たのか。そうか。…………処刑、なのか。

「霞様。大人しく眠って捕まってください」
「ッ!」

 でも攻撃されっぱなし、回避しっぱなしは俺の好みじゃない。せめてもの抵抗として、『超至近』に持ち込む方を選んだ。
 遠距離攻撃での対処法は一応ある。ナイフ投げは結構得意だ。だがそれ以上に、俺は拳で殴る肉弾戦が得意だった。それも、相手を抱え込むぐらい近くに行ければの話だが。

「ぐっ……!」
「襲撃も説得も失敗ですか。ではお次は」
「フツー、順番が逆じゃねーかなっ!?」

 体力勝負な俺とは違い、鶴瀬は見る限り素早く多くの攻撃を当てようとする戦闘スタイルらしい。
 細身の刀を少ない動きで振るう姿、銃のような弓の連撃も最小限の体の揺らさなかったりと、あまり重労働が得意でないと見た。だから大きな打撃を叩き込めば、一発KOも夢じゃないかもしれない。
 いくら殺しにかかって来てないとはいえ、安々と戦闘不能にされるほど俺は大人しい性格じゃない。倒れている玉淀もきっと鶴瀬が何かしたに違いない。そうだ、これは「眠らされた玉淀のカタキ!」とか言い訳にして、一発殴らせてもらおう……!

「霞様の鈍間な攻撃に当たりはしませんよ」

 と、まるで俺の心を読んでいるかのような鶴瀬の声が、屋上を吹く風に乗って俺の耳に届いた。
 こいつ、読心術なんてするのか? いや、俺のナイフの握りが甘くなったことで「武器を捨てて突撃してくる」と予想しただけか。それにしたって巧い心の読み方だが。
 でもってわざと挑発するようなことをして準備の出来てない突貫を仕掛けさせようとしたってか。これは流石に深読みのしすぎか? でもこいつならそれぐらい楽々考える。ナイフを『いつでも捨てられるように』持ち直す。

「へっ、あのはわわが大層な地位になったもんだな。継承権は無いとはいえ、一族の出である俺に刃を向けるなんてどーゆーこった? どんな言い訳を用意したんだ? ああん?」
「何を言っておりますか。俺は私情で武器を持つ輩でもなければ、激情に燃える異端ではありません。命令に従い、任務を遂行する。霞様とは大違いの、至って真面目な僕べです」
「ハハッ」

 命令。従っている。……言ったな。
 仏田の下にいる者に命令ができるのなんて、『本部』か元老か、これから本陣になるのが当確してる奴か、それともその全員かだ。

「ええ。俺は霞様とは大違いの、命令は忠実に従う優等生です」
「っ!?」

 一瞬、闇に消えたかと思ってこっちが焦っちまった刹那。
 鶴瀬は重心を低くして猛ダッシュをかましてきやがった。風のように目にも止まらぬ動きで疾走する。手にはお約束のように至近武器用の刀が妖しく光っていた。

「御覚悟を」

 そう、わざとらしい申し訳声を発したのは、俺が血に塗れて数秒経った後だった。
 ぷしゃあ、だらりと血が流れる。下から上への持ち上げ刀身をモロに食らうのだけは免れた。でもSF映画のように上半身反らしからバック転からの着地は、体力を著しく消耗させてしまった。
 鶴瀬もすぐさま刀でゼハゼハ言ってる俺を斬れば終わるというのに、俺の超至近に立つのは奴も怖いらしく、すぐさま間合いを取った。率直に、「俺のテリトリーから逃げ出した」とも言っていい。
 ザックリ斬り上げられた左肩を抑えて、再度構える。

「へ……へえ……。知らなかったけど、『本部』は三度の命令違反で処刑を敢行しに来るのかよ」

 俺の武器を持つ利き腕は右だけど、左肩をどうしても掌で抑えてしまうから武器を捨てた。「この行為は格闘術がメインな俺には好都合だ」と、自分で自分に言い聞かせた。

「二度です。霞様は、『本部』の命令を二度、違えております」
「……くく、俺が考えてたのより割り増しされると思ったが、まさかの下方修正かよ。たった二度? 二度で、今のホープを送り込んでくるか」
「二度でも罪は罪。一族の益とならぬのならば裏切り者でしょう。一度だけなら何かの間違いと目も瞑れます。ですが霞様はまた、『本部』からの任務を放棄した。罪人と認定されても已むを得ないのでは?」
「一度目なら何かの間違いと目も瞑れる、か。案外ウチって優しいんだな」
「人間、ミスはあるという情けですよ」
「…………一度目で罰せられる人間もいるというのに。どういう基準なんだよ?」

 鶴瀬にとっては不可解な質問だったのか。
 俺の言葉に、ガキの頃から聞いたことのある「はわ?」という鳴き声を発した。

「俺は刻印が無くても血族の出だからか? だから猶予があるってか? 一方で、真面目にやっててもミスで責任を押しつけられて首切られるっていうケースもあるのに」
「ああ、お母上のことですか」

 さらり。鶴瀬は博識だ。以上のヒントだけで俺の身内のことを言い当てるんだから大した従者だ。
 しかしさっきの鳴き声で、どんなに冷淡な大人になりやがってもこいつはガキの頃、新座にくっついてはわはわ泣いてた泣き虫鶴瀬だと発覚した。さっきの鳴き声で「別物ではない」と確信して、俺は断然やる気になった。単純で調子の良いことだが、勝てる気になった。
 よって駆け出す。今度は俺から鶴瀬の懐に入り込もうとする。あの泣き虫に負けてられるかとテンションが一方的に上昇した。

「判ってるなぁ、優等生っ! ターゲットになる奴のことぐらい調べてるのは常識です、ってかぁ!?」
「いえ、偶然覚えていただけです。そのようなものに興味などありません。敢えて近頃調べたというなら、霞様のデータを読んだぐらいです」

 ちょっとばっかし強く肩を押し込んでいたら、痛みは簡単に無くなった。
 出血が止まったとか、傷が癒えた訳じゃない。だから早く処置しないとヤバイことになるけど、あと数分は放置したっていつも通り治療魔術で治してもらえる程度だ。……処刑対象が生き残るったところで、誰が治療をかけてくれるんだって話だが。
 ともあれ、いける。一発ぐらいはギャフンと言わせるだけの技を持っているのが俺だった。

「霞様のお母上に関しては、単純明快です」
「は?」

 鶴瀬ほどは素早く動けないがさっさと攻撃を加え、回避させ、追撃をしていく。
 良いところに鶴瀬を誘導し、俺がダッシュ、タックルをかけやすい位置まで連れて来る。そんな最中だというのに、博識な奴は優しく語り出してくれた。

「見せしめでしょう」

 でも鶴瀬もただただ誘導されただけの無能じゃない。
 少し不利な場所に連れて来られても、鶴瀬は片手で扱える細身の武器を虚空――ウズマキから次々召喚し、俺への対策を練っていた。

「見せ、しめ?」
「お母上の処刑執行日、命日は、いつかご存じですか?」

 目もくれず俺は駆け出す。一気に間合いを取って鶴瀬の刀が振るえないぐらいの位置で殴り込む。バカな頭で緻密な計算をして、瞬間に賭けた。

「昭和51年4月14日です」

 武器を召喚して俺に対抗しようと構えを取る、と思いきや。召喚するだけで特別何もしようとしない鶴瀬に不安になった。罠な気がしてならなかった。

「狭山様が『機関』を生み出し、『本部』で実権を握り出したのはいつ頃だか大体でも判りますか?」
「……あ? 親父が、なんだって?」
「悟司様がお生まれになる昭和45年頃からです。ですがその頃、狭山様は活躍なさってましたがまだ実績が少なかった。ご自身のお母上のおかげで周囲に『鬼』であることを知らしめることは出来ましたが、それでもまだ一族をまとめ上げる鎖の力は不十分だった。鎖の強度を高めるためには、もっと血が足りなかったんです」

 ――鎖を二重三重にもし、恐れられるだけの力が。
 ――罰の恐ろしさがどれほどのものか、皆の意識を縛るための実例が。実績が。実証が。
 すらすらと、刀を構えるでもなく、鶴瀬は口を開いた。

「狭山様はご自身のお母上を処刑することで、皆に『研究の成果を上げなければ頭を砕かれる罰を受ける』ことを知らせました。そして次に、ご自身の子の母となった女性を処刑することで、皆に『魂を回収できなければその身をもって捧げよ』と知らせたのです」

 俺は鶴瀬に走り寄り、何もかもが違えず見えるほど近くまで駆けた。
 何も見間違えない、そんな距離まで詰めてきた俺に対し、鶴瀬は「どうぞあちらを」と指を指した。
 露骨な視線逸らしだ。でも不安になった。そんなあからさまな行動に視線を向けてやる必要は無いのに。

「そうして数十年。消極的な穏健派の多い一族になってしまった現在、狭山様は……ご自身のお子様を処刑することで、皆に『命令違反の裏切り者は死あるのみ』を知らせようとしているのです」

 でも、微かに見えた視界の端に……『あんまり綺麗じゃない金髪』が見えて俺は居ても立ってもいられなかった。
 ――なんで?
 ついついそちらを向く。そして、怒鳴ってしまった。

「そう、全ては一族を一気団結させ、強い絆の元に集めるためにですね。心強い家族を作るためです。素晴らしいことです、はわー」
「玉淀!!!」

 ――なんで、なんでなんでビルの屋上にアイツが居て、しかもフェンスの向こうに立っていて、しかもしかもその身を投げ出そうとしてるんだよ!?

 鶴瀬への攻撃なんて放っておいて俺は怒鳴り、玉淀の元へ駆け出した。持っている魔力を全て自分の足にかけ、高速ダッシュでビルの屋上から飛び降りようとしているバカの元へ、駆ける。
 走っている中、玉淀の目が死んだもので、眠っているような光の無いものなのが見えた。
 なんだアイツ、操られてるのか!? 鶴瀬の奴、俺への注意をこいつに向けるために!? ってことは鶴瀬はこんな俺を狙って余裕で攻撃してくるんじゃ……! いや、してこない!? 武器は持っているけど何にもしないで俺を見ているだけってどういうことだ!? なんだ!? 飛び降りようとしている奴がいるのに、それを止めようとしている俺がいるのに、立って見ているだけって、なんなんだ!? もしやあの玉淀は幻で、俺の気を紛らわせるために……!?
 様々な思惑が交差していく。バカなりにありうる展開を次々考えていく。そうか、あれは幻なのか。だってそうだよな、アイツが飛び降りする理由なんて無いし。そう思った俺はピタリと足を止めた。
 それがいけなかった。
 玉淀は落下した。――高層ビルから、生身で落下していった。



 ――2005年12月4日

 【 First / Second / Third / Fourth /     】




 /10

 能力者といえど、元は無力な人間だ。大ダメージを受ければ血を流して死ぬ。
 空を飛ぶ手段が無ければ空なんて飛べない。ダメージを半減させる手段が無ければ落下した衝撃なんて潰せない。治療手段が無ければ傷は負ったままになる。
 本当にごく一部の、特殊な事例が無ければ能力者だって死ぬときは死ぬ。致命傷は簡単に負ってしまう。空を持つ手段も無く、衝撃を弱める手段を持たず、即回復できるような手段が無い玉淀は、大人しくビルから落ちて体を痛めるしかなかった。
 痛める、その程度の言葉で済む話じゃない。
 何十階もある高いビルの屋上から落ちた玉淀は、花弁を撒き散らし、赤く染まった何かになった。

 ……俺は、『それ』が玉淀だとは信じられなかった。
 本物の玉淀はまだ路地の真ん中で倒れていて、今もむにゃむにゃ眠っているんじゃないかと思った。
 そうだ、そうであってほしい! 路地に戻って玉淀が寝ているところを叩き起こしに行こう! そう思って俺は潰れたトマトのような何かから視線を離……。

「それは本物です」

 だが鶴瀬の声が全部を止める。
 いつの間に地上まで降りてきたのか、鶴瀬がトマトのような何かの真横に立っていた。綺麗に血が流れているところを踏まないように立ってやがった。

「本物の玉淀様の死体を放っておいて逃げ出すだなんて醜い真似をしないでください。仮にも、貴方は、あの狭山様のご子息なのですから」

 鶴瀬の右手にはまだ俺を警戒してか愛用らしき刀が握られていた。
 だが俺に向けてくることはない。その刀の切っ先は、やわらかく割れている金髪の頭にゆっくりと向けられた。
 ……おい、ぐっしょり割れちまってるトマトに包丁を入れたって、綺麗になる訳ねーだろ……無惨な割れ目がより無惨になるだけだろ。
 何しようとしてるんだ。ああ、俺にはもう理解出来なくなってきた。きっと血の匂いが濃くなったせいで、正常な思考が出来なくなってきたんだ、ムチャクチャだ。
 だってこのグチャっとしてるモノが玉淀って、確かに上から落ちたけど……え、えっ……?

「まずは、どうしてこうなったかご説明をしなければなりませんね」

 平然な顔と声で、泣き言を一切言わなくなった従者は口を開いていく。

「難しい言葉使いをしても易しく説明し直さなければいけませんから、最初から判りやすく例を挟みながら現状をご説明します」

 アホになりつつあるバカに、優しいことを言ってくれた。

「……まず、仏田一族の血は必ず当主様と『契約』をしている」
「…………」
「『契約』とは、主従の契りのこと。主に仕えた者は制限された人ならざる強大な力を行使するようになる、但し、主には絶対服従となるというシステム」
「……」
「仏田一族は当主様を主とし、それ以外は全て配下となる。当主様から力を頂く代わりに、命令は絶対服従となる。大抵の『契約』は一人の対し一名しか契約関係になれないのですが、我ら一族は例外。マイナス要素を課せられる代わりに例外を手にしたのです。このような例外は他の一門でもよくあることですね」

 こんな話をしている間にも、赤い波はだくだくと広まっていった。
 まるで満潮の海ようだった。

「次に、『機関』について。『機関』は仏田一族の数人が管理している、能力者を造る組織です」
「…………」
「元になった技術は数百年前から我が一門に伝わっていましたが、それを組織的に運営していくことをお決めになったのが狭山様でした。『機関』の目的は、より良い能力者の育成、いえ、製造です。一から、いいえ、ゼロから、仏田一族に尽くす力のある者を造る。当主様を支え、研究を進め、本目的である『神の誕生』に尽力する者を生み出す場所です」

 元から台本でも用意していたのか。
 俺に聞かせるように言葉を用意してくれていたのか。とても聞きやすい声と言葉と並びだった。

「ところで。現当主である成増様は、大変不安定。大半を休息に費やさなければその身を保っていることが出来ぬ程に、か弱いお方。原因は、当主継承の儀の際の事故で『インストールに失敗したからだ』とのことです。我々に力を与えて下さり、先導してくれる筈の当主様が、現在自由に動くことが出来ない。これでは従者である我々は『契約』の効果である力を貰うこともできない。絶対服従を誓っているのにも関わらず、何も命令もされない。これでは困りますね。……当主が目を覚まさない日々が半年近く続いたある日、こう考えた人がいたんです」

 長い話に思えるが、滑らかに進んでいく鶴瀬の話はとてもスムーズなものだった。淡々と話は短時間で進んでいく。

「――当主不在でも、せめて『機関』で生まれた子供達だけでも、強大な力が発揮できないか? 『別人を当主と錯覚させ、契約の効果を発動させることはできないか?』」

 なにせ……足下でトマトが、まだ人として動いているぐらいの短時間で済むぐらいなんだから。

「一族のために生み出した子供達なんだから、それぐらいの後付け細工ぐらいできるんじゃないか? そうだ、造るんだったらもっと便利なものにしていこう。本物の『契約』ほど絶対的な力を発揮できなくてもいい。でも主が不在でも、別人を主と錯覚させることで、力を得ることはできないか。別人の命令に従おうとするように仕組むことはできないか」
「…………おい。そろそろ、話が判らなくなってきたぜ」
「はわ。そうですね。俺も説明がおっつかなくなってきました。まあ、つまりは」

 鶴瀬は、人差し指を立てた。それを一定のリズムで振り出す。
 動きには規則性があり、それに呪文詠唱が加わったら何かの術が発動するものだというのが判った。

「子供達にスイッチを取り付けたんです」

 いくつもいくつも人差し指のリズムを加えていく。これが一、これが二、と。

「『機関』で生まれた子供の対し、ある一定の呪文を唱えればスイッチが入り、命令に応じるように細工をしたのです。まるで当主様が我々に力を授けてくれるように。授けてくれる代わりに命令に必ず従うように」

 初心者には全くついて行けない動きをしていった。

「こうして『機関』出身の子供達は、当主以外にもスイッチを管理する『機関の親』を主として見るようになったんです。つまり、マスターが二つ以上いることにしたんですよ。本当の主である当主とはもちろん、『機関の親』の命令にも従えるようになった。これで当主様が不在時でも一定人数、強い力を発揮できます。安心です。そう、当主以外でも『機関』出身の子供達には『スイッチさえ持っていれば』命令を言い渡せるのです。絶対服従なのです。そうして……」

 ピンと、ある指と呪文を放つ鶴瀬。すると、トマトが……蠢いた。

「『機関』で生まれた玉淀様は、スイッチを持っている俺が『屋上まで上がってこい』と命令すれば、大人しく屋上まで上る。『フェンスの外に立て』と命令すれば、寸前の所で待機する。『飛び降りろ』と命令すれば、その身を投げ出す。……子は親に絶対服従、ですから」

 ――意思に関係無く命令に従う。
 『機関』に生まれ、細工を施してある子供達は、スイッチという呪文を操る者に対し、当主様の命令のように錯覚して絶対服従になる――。

「今、玉淀様が事切れないのもそれの応用です」

 トマトと称していた……真っ赤に崩れた玉淀が、地面からゆらりと動き始める。
 ぐらぐらになった手で身を持ち上げ、砕かれてそうな足で体を支えようとする。ボタボタと血を流しながら、生まれたての赤子が無理矢理立ち上がるように、身を整え直した。

「少々難しいスイッチを入れました。玉淀様に『死ぬな』と命じております」

 ――親に絶対服従。
 親の言ったことは絶対。『死ぬな』だなんてそんな曖昧な命令にすら、忠実に子は従っていた。

「と言っても、だいぶ無理のあるスイッチなので少し間違えてしまったらあっという間に死んでしまうでしょうね。はわ、気を付けないと。話は変わりますが、『機関』生まれの子供達の処刑は簡単になりましたね。だってスイッチを持った者が命じれば刑は執行されます。もし玉淀様が処刑される場合、処刑が決定して一秒後には終わってますね。あ、本殿に呼ぶまでに時間はかかりそうですけど。閑話休題。霞様は……」
「…………言うことを聞かない俺を、操ればいい、のに」
「そう。ですが勧告しました。仏田寺に、本殿に戻れと。命令を無視した貴方を強制的に送還しなければならないから俺が現れました。ですが貴方は知らなければならない。貴方は、知識の無い馬鹿ですから。思い知っておかなければならない。これからのために。さあ、仏田寺に向かう気になりましたか。大人しく投降し、帰省してください。でないと」

 到底聞き入れられない提案を、鶴瀬は平然としてくる。
 が。

「魔術に疎い霞様でも予想できるのでは? 『生きろ』というスイッチはいかに曖昧で脆く、いつ失敗してもおかしくない不安定な呪文か。いくら霊力で絶対服従、命令に従うように拘束していても、守れない約束はあるんです。……『生きろ』のスイッチから、『癒えろ』に切り替えなければ」
「…………玉淀は死ぬ。玉淀を生かしたかったら、俺の言うことを聞け。ってか」
「はい。説明が長くなりましたがそういうことです。玉淀様が生きるも死ぬも霞様次第、いえ、処刑を受け持った俺次第です。霞様が今すぐ土下座して寺に戻ると宣言してくれれば良いのです」

 さらさらと言葉が出てくる鶴瀬の口に本物のトマトでもブチ込んでやりたいと思った。

「ああ、土下座は俺の趣味ではありませんよ。そういった判りやすい記号で投降の意思を示してもらわないと、本当に罪を意識しているかどうか判断できないからです。土下座は屈辱的な行為でしょう? 覚悟が無ければできない罪滅ぼしです。もちろん謝罪の言葉も付けてくださいね。処刑を受けることを自覚してもらってから寺に行かないと騒ぎになってしまいますから。どうか早くご決断を。早くしないと本当に……」

 土下座が屈辱的な行為だって? あんなん、ただ頭を地面にくっ付けてるだけの柔軟体操じゃないか。そんなんで服従を計るだなんて、旧世代すぎるだろ。
 謝罪の言葉も付けろ? 処刑を受けることを自覚しろ? 罪を認めろ? そんなの関係無い!
 そんなものより言わなきゃいけないことが!

「…………ああ……言うよ! いくらでも言うよ! 言ってやる! だから……」

 だから!

「玉淀を殺さないでくれ!」

 言って頼まなきゃいけないことがあるっていうのに、こいつは、こいつらは――!
 俺が叫ぶと、鶴瀬は演技っぽく溜息を吐いた。あんまり鶴瀬のキャラじゃないことを、気取ってやってるみたいだった。
 そうか、鶴瀬が「はわー」って言わないなんておかしいと思ってたんだ。あいつも従者なんだから、上の命令でやれと言われたらやるよな。やらなきゃ怖いよな。全力で従って、嫌な想いなんて味合わないように必死になるよな……。

「違うでしょう、そうじゃないでしょう? ――頭を下げて『罪深く愚かで低能なわたくしめにお情けを』も言えないんですか?」



 ――2005年12月4日

 【 First /      /     /     /     】




 /11

「どうした、新座」

 ドライブが終わって僕の今の住処である教会まで送ってもらっている途中。
 いっぱいお話をした。いっぱい美味しいものも食べた。いっぱいイチャイチャした満足な時間の最期に、僕は涙を流していた。

「……また発作か?」

 困ったように志朗お兄ちゃんは笑って、僕の頭をぐしゃぐしゃ撫でた。折角の、楽しいことしかないような幸せな時間を涙で潰されるのは癪だった。それはお兄ちゃんもなのに、僕が泣きやむのをずっと無言で待ってくれた。泣きやむのはそれから数十分後だった。
 その後、僕はお兄ちゃんにドライブの延長を申し出た。
 延長というか、とある場所に向かってほしいから足に使ったというか。
 僕の真剣そうな顔を見てお兄ちゃんはすぐに聞き入れてくれた。僕の住んでる教会からずっと遠い街まで車を出してもらい、目的地までやって来た。
 ある路地。あるビル。あるアパート。
 知らない場所の短い距離に、知っている顔がいくつもあった。

「依織くん?」

 見知った僧侶さん達が、いつものように『現状復帰のお仕事』をしていた。
 能力で起こした戦闘の爪痕を消す作業をしている。魔法の爆発で被害があった道の舗装や、剣劇の痕が付いている壁を真っ白にしたりと、プロの掃除屋が頑張っていた。
 ここで能力者達が戦ったというのは、僧侶さん達に尋ねなくても判る。でも問題は、僕が視る限り――異端の匂いが一切しないことだった。
 一応ここの責任者をしているらしい、年若いリーダーの依織くんに声を掛ける。振り返った彼は、物凄く機嫌が悪そうだった。

「寝ろ! 今何時だと思ってやがる!?」
「自分より十歳も若い子におやすみの心配をされたありがとう! ……じゃなくてさ。こんばんは、依織くん、何があったの?」
「仕事があってその後処理に来てるにしか見えないじゃないっすか。新座様のおメメはスワロフスキーかっていうんだ?」
「……とっても綺麗だね、ありがとう」
「間違えた。フジアナだ。ズームインスーパー!」
「フジテレビアナウンサーみたいな言い方しないで! あとそれ他局!」
「新座様が後処理に来ている理由がワケわかんねーんですけど」

 ムッとした顔は進行系。話は次から次へと出てくるけど、楽しくおしゃべりができる雰囲気では無さそうだった。
 それは依織くん以外もそうだった。依織くんと向き合って喋りながら、周囲で仕事をしている僧の人達の様子も伺ってみる。
 全員、どことなくピリピリとしたムードだった。一般人にバレないように作業をしているというプロ意識とは違う。
 この仕事に特別な意味が込められていて、それを完遂させるために気合いを入れている。そんな感じがした。

「その……ね。僕、変なビジョンが見えて」
「はあ、噂の感応力?」
「うん。感応力でね……」
「いや、消臭力だったかな?」
「感応力であってるよ! 超能力ってことだよ!」
「消臭する力を最大限に高めた開発だって超が付くほど研究を重ねた能力だよ、バカにすんな! エステーに向かって謝れ!」
「ええっ、十も離れた子の感性が僕判らないっ! ……僕が視た映像では、僕の幼馴染達が戦っていたんだよ! そんなこと、ある訳ないのに変な映像だったからさ。何があったか不安になっちゃったから景色が同じところに来てみたら、皆さん後始末の仕事をなさってるし! 事件があったのは判ったから、一体何があってこんなことになったか教えてよ。というか、カスミちゃんと鶴瀬くんは無事なの!?」
「あいつら死ねよ」

 依織くんの声が、不機嫌なんてものを通りこして、地の底まで低い声で唸るように響いた。
 嫌悪。不快。悪感情。嫌忌。憎悪。不愉快。憎しみ。何度言い替えても適切な負の感情は見当たらない。
 僕の仲の良い幼馴染二人に対して吐いてほしくない、感情の篭りきった泥色の一言だった。

「……依織、くん?」
「タマの代わりに死ねよ。……タマは何度殺されなきゃいけないんだよ。そんなに命を軽視したいなら、自分のを軽く扱えばいいじゃねーか。なんで弱っちいタマばっか甚振るんだよ、クソが」
「…………依織くん。声も、顔も……みんな、怖いよ……」
「あーあー、流石に今回は俺、荒れるわ。いくら見せしめに自分の息子使うからって、なんで近くだからってタマにも協力してもらわなきゃいけないかな。俺達家族だから? 一心同体だから? 傷は一緒に背負って苦労を担いで頑張っていこう? 絆の力万歳? みんなで力を合わせるために犠牲になってもらうって? あーあーあー、もう、我慢ならねーね。……この空間で一番『当主に近いお坊ちゃま』相手に、代表して言っちゃうわ」

 びしっ。僕の鼻の前に指差して、今まで抱いた全ての感情をぶつけてきた。

「こんな一族、早く滅んだ方が良くね?」

 自らの崩壊を意味する言葉を、これから未来を背負っていくであろう……僕よりずっと若い彼が、口走る。

「見せしめに人を殺すような昔の家なんてさ、この世の為にならないと思うんだよ。何が世の為人の為、神様を作って貢献しようだ。要は自分らで愛でるラブドール開発に命掛けてるダッチワイフ工場だろ? そのためにさ、首輪付けてさ、鎖かけてさ、それどころか……本物の拘束具まで付けられてさ! なんでも従わされるように造られて従わされて命令されて言うことを聞かされて! 一生懸命生きようとしたタマはまた殺されかけて、それを全員で見て『みんな力を合わせて生きていきましょう』って!? 『こんな目に遭いたくなければ親の言うことはききましょう』って!? ――何をどう生きていけっていうんだよ!? 右向けって命令されたら右向かされて、飛び降りろって言われたら嫌でも飛び降りるようにシステムされて! 痛くて死にたいのに命令で生かされてってそんな体なのに人間気取ってるとかっておかしいよなぁ!? 死ねって言われたら死ななきゃいけないような世界でどう仲良く手を繋いで生きていきゃいいんだよ!? ああ、もう、さっさとこんな一族……!」

 滅亡してしまった方が――。
 ――――。



 ――2005年12月5日

 【 First / Second / Third / Fourth / Fifth 】




 /12

 視界が霞む。痛い。顔面を重点的に殴られて、脳がぐらぐらする。痛い。頭を庇いたいと思っても、両手が上に繋がれてるから守ることも出来ない。痛い……。

 男衾っていう奴とはそんなに話したことはなかったが、近くの親戚の中ではマトモに成長しているクチだと思っていた。
 なにせ、依織のアニキだ。依織がそこそこ楽しく兄の話をよくしていたから、きっと常識を持った良い奴なんだろうと思ってた。
 でも目の前で俺に力を振るう奴は、依織の兄だと思いたくないぐらい、恐ろしい奴だった。
 無表情に俺を殴り続けてもう何分、何時間だ。表情一つ変えずに仕事をこなせるなんて、きっと親父は重宝してるだろうな……。ぼやけた意識でそんなことばかりを考えている。

「おお、やっているな」

 楽しそうに微笑みながら、物凄い聞き覚えのある声に俺は開いてなかった瞼を開けよ……として、瞼を動かす力さえも無いことを知った。
 そうだ、男衾の無表情があまりに変わらないから一定の間隔で物を見てたら、そこで顔が固定してしまったらしい。殴られ続けて顔の標準値が変わってしまったようだ。
 まあいい。どうせ目を開けても、意地悪く笑う実の兄・悟司が居るぐらいなんだから。

「男衾。そんな嫌そうな顔で処刑をしてつまらないだろう? 折角の機会なんだ、楽しんでいかないと」
「…………」

 嫌そうって、あの無表情に感情があったのかよ。不思議ちゃんか。
 って、依織のアニキのキャラじゃねーな。でも依織も変なキャラだからアニキも変に決まってるか。

「霞」

 悟司アニキは俺が石の壁に繋がれてる目の前までやって来て、ご丁寧にも見下ろしているようだった。瞼越しの影がそうじゃないかと思わせた。

「いつかお前は処刑されると思ってた。案外早かったように思えるし、遅かったようにも感じる。お前の反抗期は昔から激しかったからな」
「…………」
「どうだ、サンドバックにされる気持ちは? 是非聞いておきたいんだ。感想を、皆に伝える」

 俺に訊くよう、親父に命令されたのか。それともドSのアニキの趣味か。どっちにしろ不愉快だった。
 そんな質問、答えたくない。
 そんなことよりも……。

「…………玉淀は……」
「ん?」
「…………」
「ああ、彼ならちゃんと生きてるよ。殺す訳がないだろう? もし『機関の親』によるスイッチが失敗したとしても、全身全霊を懸けて多くの術者が治療儀式を行なうよ」
「………………」
「彼は結構金を掛けてじっくり造った。少し苛めたぐらいじゃ死なないし、薬物実験のサンプルとしても活躍してもらっている。一件脆そうに見えて強固な精神力を持っているからな。『魔物の餌』もできるのは、現存している一族だと三人……いや、たった五人だけなんだ。その少ないメンバーである彼を、そう簡単には殺さない。お前は死んでも構わないが、彼はなんとしても殺さないさ」

 それを聞いて安心したと同時に、数時間前に見た『あるもの』がフラッシュバックした。
 生まれたての赤子のように蠢く、トマトみたいな何か。壊れかけて死にそうになっても生きようとしていた絶対服従。
 死んだ目で命令を遂行しようとする体。
 そんな中、口だけがぴくぴく動いて、

 ――痛い、か。
 ――苦しい、か。
 ――死にたい、か、殺して、か。

 なんと言ってるか判らなかったけど、言いたいことが言えず自由にもがくことが出来ない体が、確かに助けを求めていたのを見てしまったんだ。
 あの映像が、動かない瞼の裏にずっとこびり付いていた。

「男衾のパンチは単調だったが効いただろ? でもその前に梓丸に相手をしてもらったそうじゃないか? あの子は可愛い成りをしてやることはえげつないからな。……ああ、この落ちているのはお前の爪か……梓丸は流石だな」
「アニキ、は」
「なんだ?」

 瞼を開けることも出来ないし、顔を上げることも自分の足で体重を支えることも出来ない。
 それぐらい体が痛んでいた。けど、結構簡単に声は出た。自分で声を出しておきながらビックリしてしまった。

「アニキ、だけじゃなく、男衾、も、梓丸も、圭吾アニキも玉淀も依織も、みんな」
「ああ」
「……『機関』が、憎いって……思わないのかよ」
「は?」
「……『機関』の連中が、命令すれば、自分の意思に関係無く、操られる、んだろ。飛び降りろって命令されて、嫌なのに飛び降りるとか、怖くて、死ぬ、だろ……」

 飛び降りたら高さ次第で死ぬだろうけど、そうじゃなくて。
 自分の意思に関係無く、他人に命を牛耳られているという事実が怖くて、俺だったら……恐怖で死んでしまいそうなぐらいだった。

「死にたいぐらい痛い、のに、自分の意思で、死ねないとか、もうそれ、って」
「それって、何だ?」
「…………人間、なの、かよ。勝手に操られて、逆らえずに、生かされるって、怖く、は」
「怖いからそうされないように、極力、親の言う事を聞いているんだろう?」

 ――何を馬鹿なことを、そんな簡単なことも判らないぐらい霞はバカだったかのか?

 すらすらと悟司アニキは俺を批難する言葉を綴った。
 あのときの捕獲者みたいに、いや処刑人以上に流暢な言葉だった。
 もしかしたら俺を捕らえるときの台本は悟司アニキが用意してあげたんじゃないかってぐらいぽんぽん言葉が出て行く。

「罰が嫌だから芸を学んでいく。犬や猿にだってできることを、選ばれし命である俺達ができない訳が無かろう? 打たれるのが嫌だから命令に従う、力を重視する世界なら当然の理じゃないか? さてと、雑談はこの辺りにしておいて。男衾が休憩している間は俺が相手をしてやろう。……霞はまだ悲鳴を上げる元気ぐらいあるよな?」

 ――暴力が支配する世界。階位が全てを言う世界。飼い主が機嫌が良くなるよう尻尾さえ振れば、金が手に入る世界……。
 ――そんな世界の罰なんだから、それぐらいはしないと。

 ああ、瞼が動かなくて本当に良かった。
 何かを取り出したってことだけは音で判ったけど、一体どんな凶器なのか判らないからまだ心が平穏でいられる。それもこの身に接触するまでの間の話だけど。

 それに……俺は死んでもいい存在らしい。
 じゃあ生かしておく理由なんてないよな。兄が容赦ない性格だってことぐらいは、三十年生きてるんだから判ってる。この命が尽きるのは兄達の気分次第ってところか。
 消えそうで消えない意識の中、あとどれだけの命なのかとばかり考えていた。
 十日? 一ヶ月? もしかしたら今日には尽きる? 判らない。
 ああ、そういや新座はクリスマス忙しいんだっけ。玉淀の奴は年末をメチャクチャ楽しむって言ってたっけ。
 ……実家に帰って来て、俺の存在に気付いて、俺が生きてたなら、そのときの話を聞かせてもらおうかな。絶対聞かせろよ、俺は打たれたって何があったって、そういう日常が欲しくて欲しくてたまらかったバカなんだから……。
 そんなバカみたいな平和な頭でも無きゃ、生きていられなかった。



 ――2004年12月7日

 【     /     /     /     / Fifth 】




 /13

 12月の寒空の下。兄は誰かの墓石の上でファーストフードを頬張っていた。

「あん? ルージィルも肉食うか」

 結構、と私はいつもの調子で断る。兄の好む食べ物はいつも油っこく、味が濃く、手が汚れるような物ばかりで私の好みと反している。
 綺麗な施しがされている墓石は兄が腰掛けるに丁度良いらしく、一頻りご馳走を平らげた彼は骨を投げ捨て、魔術を使って一瞬で燃やす。その後は足をぶらぶらとさせて時間を潰していた。

「あー、そういや。今日、ここで一事件が終わったらしいなぁー?」
「そうですね。死霊術で商売をしていた人間が、我らに捕らえられました」

 つい先程正式に『本部』へ伝わった情報を、兄に告げる。
 ニヤニヤという笑みを消せずにいた彼は顔色一つ変えることなく、「そうなのかい」と言うと楽しそうに笑った。

「どんな顔か知らないけどそのオッサン、変な商売始めちゃったんだなぁ。オレらに捕まるなんて相当ヤバイことやってたんだねぇ? うくくっ。まったく、どんなことを好き勝手してたんだかー」
「おや、私は一言も男性とは言ってませんよ。まさか、貴方の手を取って商売を始めた人、ですか?」
「おっとぉ。うくくっ、あっはっははははははは!」

 笑いを堪えることの出来ない兄は、ついに大声で笑い始めた。
 自分が話してしまったのがおかしいのか、誰かが逮捕されたのが楽しいのか。もしかしたら兄のことだから思い出し笑いで笑っているだけかもしれない。彼が楽しそうで何よりだった。上機嫌なのは、良いことだ。

「いや、いやね、オレはさぁ、せっかく秘伝の呪術を持った古いお家なんだからぁ、お金になることをして苦労をかけてる奥さんに恩返しをするといいよって言っただけでさぁ! はははっ、あのオッサン結構良い奴でさぁ! でも商売始めたその日に奥さんたら病気で死んじゃったんだもん、あとは堕ちるしかないよなぁ!?」

 ――オッサンは死んだその日に奥方を焼き、骨にしていつも傍に置いていた。従者にしていた。彼女の話し相手が欲しくて、更に骨を集めていたんだよ……。
 そんなプライベートなことまで、兄は楽しくおかしく語った。本当に気分が良いらしい。それほどあのファーストフードが美味しかったのだろうか。

「けど、もうオッサン、堕ちやしないね。あとは我が家の血肉になるだけ。うくくっ」

 堕落はしない。共に高みを目指し合う同志になるだろう。その知恵を、身を、肉を捧げてもらうことで。

 異端は人を傷付ける。人を守るのは能力者。能力者は異端を狩る。能力者は人を傷付けてはいけない。人を傷付ける能力者は異端。
 だからこの討伐は誠意で、鉄槌を下すのも正義。否定されず批難されることもない。堂々と、我らは悪行に濡れた罪人を裁く義務がある。
 今日もまた、ある一族の若者達は良い仕事をした。あの二人は……陽平と梓丸は称賛に値する――。

「んで、いつまでオレはここに居ればいいんだ?」

 一頻り食事と話を終えた兄は、だらしなく足をふらつかせながら墓石から見下ろし、私に尋ねてきた。
 「もう暫くです」と兄を機嫌の良いままで居させる。私が口を開くと、時はやって来た。
 墓地に、一人、部外者が訪れる。

「………………」

 深夜。眠い時間を我慢してやって来た訪問者に対し、兄は目を見開いて驚いた。

「では私はこれで」

 その場から姿を消すことにした。話をするために私は必要無かったから去ろうとした。
 しかし、気分屋の兄が訪問者に対し凶行に走るかもしれない。まさかするとは思わないが、武器を虚空――ウズマキから取り出し向けることもある。もしそうなったら大変だ。私は兄の姿が見える場所にある電灯の上で待機することにした。
 雨雲が近い。短時間で話を済ませてほしい。ふと深呼吸をして兄の姿を確認し直すと、早速彼は訪問者に対し銃を向けていた。

「おや、まあ」

 予想したことがそのまま行われていて、つい笑ってしまう。あまりに短絡的な兄の行動に、笑うしかなかった。
 そのとき、やや強い風が吹いた。
 深夜。風が冷たい。その風に乗って二人の声が聞こえてくる。

「ブリジット。お前に会いたかった」
「……オレの名前を知ってるのは、ルージィルに教えてもらったからか? だよな、あいつにこの場を用意してもらったんだからお前らは知り合いなんだよな。……それともなんだ、調べたか? 何が目的だ? いや、先に訊くべきか。アンタ、そんな恰好して、『何だ』?」
「私は」

 電灯の灯りは弱く、私の立っている位置からでは兄の顔は歪んで……必死に強気な笑みを浮かべているようにしか見えなかった。
 そんなことでは、目の前の赤毛の男に気圧されてしまうだろうに。

「あの一族に復讐がしたい者だ」




END

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