■ 001 / 「永眠」



 ――2006年1月4日

 【     /      /     / Fourth /      】




 /1

 一瞬だけ先生の顔が見えた。
 十秒、いや五秒だけ? 全部、夢の中の話。

 新年を迎え、三箇日が終わった。正月に体を休めていた人々が動き出す日だ。
 正月だからって休んでいられる人は日本人の半数もいない。元日から働いている人も多く、一年が始まってたった四日目でも賑やかな駅の風景は変わらない。人口の多い街の駅は、平日も休日も関係無く人に溢れていた。
 体が凄く重い。疲れた体に鞭打ちながら、人の波が激しい駅を抜けて行く。三箇日はずっと動いていた。体を休めたこともなかったし、休めようともしなかった。一睡もしていない体だ、重いに決まっている。今年四日目になって、やっと電車の中で眠れた。と言っても『うたた寝』程度だけど。
 今年の初夢は電車の中で済ませた。夢の内容は愛する人と会うものだ。愛する人は夢の中らしく、僕に笑い掛けてくれただけだった。

 ぼんやりと夢見心地のまま重い体を引きずり、街の中央にある賑やかな駅を出る。すぐさま静かな喫茶店に入った。
 駅からすぐの場所、静かで優しい空間で、やわらかなBGMが流れている店。客は和やかに語り合っている。そこを待ち合わせの場所に指定したのは僕だ。予定された時間より十五分も早く到着。でも真っ先に約束の席に向かう。

 喫煙席の手前。窓際。観葉植物の横。四人用のテーブル。電車内で何度も確認したキーワード通りの席へ。
 そこには先に女性が座っていた。時間にルーズな人だと思っていたから、居るとは思わなくて驚いてしまう。

「あら? あらあら。お早い到着ね」

 黒く長い髪が美しい、黒のドレスのような衣装を纏った美女だ。頭の良さそうな顔をした、実際頭の良い女性が僕に気付いて黒髪を掻き分けた。

「すみません。遅刻するよりは早く来るべきだと思いまして。すみません。一刻も早く座りたくて来てしまいました。すみません。いけなかったでしょうか」
「構わないわ。どうぞ座って。うふふ、眠れていないんでしょう? すぐに休みたいと思うのは当然ね」
「はい、すみません。その通りです」
「何か注文を」
「じゃあ、はい、すみません、オレンジジュースで」
「まあ。うふふ、可愛らしいチョイスをするのね」
「すみません。眠気を飛ばす為には柑橘系が一番かなって。僕、コーヒーは苦手なんで。その、切咲(きりさき)さんの注文は?」
「もう頼んであるわ。ほら、来た」

 振り返ると、店員さんが彼女のコーヒーを持って待機していた。
 椅子の上に荷物を置く。コートを脱ぐ。席に座り、彼女にコーヒーが配られるのを見届けて注文をする。
 店を訪れたら行なう普通の動作。それでも僕には何気ない普通のことすら懐かしく感じた。注文も、電車に乗ることも、眠ることだって、ここ数日の僕にはロクに出来なかったからだ。

「あけましておめでとう、って言うべきかしら。それとも、お久しぶりにするべき?」
「あ、すみません。ご挨拶がまだでした。あけましておめでとうございます」
「ご愁傷様」
「…………すみません」

 水を一口含んで、呼吸を整える。
 彼女の一言で、切咲さんが僕の身内に不幸があったこと、僕の不幸を判っていると知ることができた。
 説明しなきゃと思っていたことが一つ減って、少しだけ気分はラクになる。朝から電車の中で何を話すべきかずっと考えていたので、負担が減って少しだけ心が落ち着いた。
 注文したオレンジジュースが来て、話を中断される危険性が無くなった瞬間を見計らう。ようやく約束の話をすることができた。

「切咲さんから見て、今……『教会』の様子はどうなっていますか」
「とても混乱してるわ。とてもね。うふふ、みんな顔には出してないつもりでしょうけど、一部には焦りっぱなしなのがバレバレよ。今の『教会』の広報部はあまり良い人材がいないみたいね。『教会』に一番援助してくれていた一族が一夜にして消えたんだもの、これからどうやって運営していくか困っているわ」
「やっぱり混乱しているんですか」
「うふふ、元からボランティアで成り立とうとしていた『教会』は阿呆だったのよ。組織として在るべき姿になるだけだから、それほど心配してないわ。混乱は暫く続くでしょうけどね」
「……『教会』って、潰れるんでしょうか」
「潰れたら困るわね。だから潰れないかしら。なんとしてでも存続はさせていくんじゃない? うふふ、この世には悪霊が至る所に蔓延っているし、危険な化け物が人を喰らおうと漂っている。それら『異端』を倒してくれる人達がいなかったら、きっと世界は不幸だらけになってしまうでしょうね。そうしないためにも『教会』は必要な組織よ」
「ええ、潰れたら困りますよね……すみません」

 『教会』は、異端と立ち向かうことができる『能力者』を援助する団体だ。報酬で能力者を動かし、『異端』を倒させる善意の集団。でもその報酬を出していた一族がいなくなったら経営ができなくなる。どうにかしてお金を掻き集めるしかない。
 これからどうするのかしらと切咲さんは他人事のように、独特な笑みを浮かべていた。「『教会煎餅』とか売り始めるのかしら。なんとかしてお金を作らなきゃ、能力者達に異端を倒してもらえないもの」と、割と俗物な考えを口にする。
 彼女は能力者支援組織である『教会』でとても優秀なエージェント(活動員のことだ。教会に所属する異能力者で、退魔業を行なう人の総称でもある)だから、もっと高度な企みをするかと思っていたけど、そうでもないらしい。

「うふふ。率先して死の危険に近付く人間なんかいないんだから、お金で釣らないとねぇ」
「じゃあ、今……『教会』は混乱していて、これからの運営にばかり気がいってるから……他のことなんて手につかない、って感じなんでしょうか」
「そんなことはないでしょう。これからの収入源は、運営している鶴瀬一族が何とかすればいい話よ。他の人達は、今まで通り『教会』の仕事をしている筈。悪霊も魔物も、『異端』というものは次から次へと出てくるもの。能力者の派遣を止めたら大変なことになるわ」
「はい……」
「大きな収入源を失ったけど、それだけが全てじゃない。変わらず動いていくわ。うふ、今まで通りの羽振りの良さは期待できないけど。うふふ、そのうち私の家にも援助してくれって来るんでしょうねぇ」
「……切咲さんは、お金持ちでしたね」
「私はただいくつか土地を持っているだけだから。貴方の家には負けるわ」
「でも、切咲さんのお家って大家収入でそれなりにある……んですよね? 僕だって、貴方のこと、知って……いや、そんなに知らないけど……えっと」
「うふ、うふふ。意味深な発言をする癖は変わってないのね、貴方。あと謝る癖もやめない。その癖、いつも先生に怒られたでしょう?」

 僕の癖を語りながら、切咲さんは立てた指で口元を隠しうふふと笑う癖をやめなかった。
 まるで僕のことを昔から知っているような口振りだ。けど実際に彼女とは二回ぐらいしか面識は無い。彼女の本当の知り合いは僕ではなく……僕が慕う先生だった。

 ……先生。
 僕の先生が『教会への依頼』をしたとき、協力者の切咲さんと会った。それが出会いだ。先生がいなかったら切咲さんという高名な霊媒師と接触することなんてできなかった。
 彼女は様々な異端事件を解決した優秀な超能力者と言われている。僕はあんまり人付き合いが得意ではないから大層なコネも持っていない。そもそも女性と交流するキッカケなんて先生を通してじゃないと持てなかった。

 ……先生。先生……。
 彼女が何気無く先生のことを話題にしたせいで、僕の心に先生が溢れていく。落ち着いていた心が、暴れ出してしまう。それを必死に留めた。なんとか留めようとする。
 胸に手を置いて、呼吸を何度も繰り返す。こんな人がいっぱいいるところで癇癪は起こしたくない。僕はとにかく踏ん張った。
 目に見える異常に彼女は気付き、当然気遣ってくれた。うふふと笑うのをやめてくれる。でも先生の話題をやめようとはしなかった。

「彼、まだあんなに若かったのに、残念ね」
「…………。先生は、死んでませんよ……だってまだ、僕、先生の遺体、見てないですもん」
「……そう」
「それとも、やっぱり、先生は……死んじゃった、んですか? すみません、切咲さん、先生は死んだんですかっ?」
「私はニュースでしか見てないし、『教会』のエージェントから少し聞いただけで何も知らないわ。超能力はなんでも判るものではないのよ。……貴方の方が知っているんじゃなくて? 一番彼の近くに居たであろう、貴方が」
「……ええ、僕が一番知っている人間です……。でも、みんな、死んだって言うんです……警察が先生は死んだって言うし! けど! 僕は! ……信じられない……信じられない……」

 店内で話をしているって判っていた。無関係な人間が周囲に居るって知っている。
 でも大声を出してしまった。感情を曝け出さないようにするために、自重の意味を込めて喫茶店で話をするよう取り決めた筈なのに。そんな考えも吹っ飛んでしまうぐらい感情を爆発してしまう。
 咄嗟に出してしまった大声も、すぐに声を堪えたから怒られたりはしない。僕を制することが出来るのは、自重しようと思う僕自身しか居ない。僕は僕をなんとかして留めようとした。
 目の前でその大声を聞いていた切咲さんは、僕の異常に驚くことなく、戸惑うことなく、ただただ黙って見守っているだけだった。

「す、すみません。ごめんなさい。……『教会』が今後運営していけるか、そんなの、本題じゃないんです」
「ええ、そうでしょうね」
「切咲さん。……すみません、助けてほしいんです。貴方ほどの能力者なら何か知っているんじゃないんですか? 『あの日あったこと』! 知らないなら知ることができるんじゃないんですか!? 貴方の力があれば! 沢山その力で色んな人を救ってきたなら、僕の……」
「ここはお店よ。声が大きいわ」
「…………すみません」

 切咲さんは淡々とした口調のまま。だが次の言葉を僕が落ち着くまで話を続けようとしなかった。
 深呼吸を何度も繰り返す。彼女が続きを聞かせてくるように必死に努める。
 窓の外の賑やかな冬の光景を見たり、切咲さんの紫のマニキュアを見たり、オレンジジュースをストローでぐるぐる掻き混ぜたりして、何とか平常を取り戻した。

「まず先に言ってしまうけど、私はあの事件に関わってないし、正直興味も無いから今まで調べようともしなかった。『教会』の今後は気になるけど、今現在、事件のことに関して一切触れてないわ。何も知らないの」
「……何も知らないんですか」
「ええ。エージェントである私のことを高く買ってくれているのは嬉しいわ。でも私は何も知らないし、知ろうともしていなかった。正式な依頼をしてくれるなら、事件に関して調べることはできるけどね」
「……依頼ですか。僕から貴方に直接依頼として……助けてもらえることはできますか?」
「もちろん報酬はそれなりに頂くわ。でもきっと、教会だって誰かしら能力者を雇って、『その事件』を追わせるでしょう。そのときは私が立候補してあげようかしら。うふふふ、『教会』に雇われるか貴方個人に雇われるか、私はどっちでもいいわよ。どうでもいいことだから」
「……すみません、『教会』での報酬相場がいくらなのか僕には判りません。でもそうですね、切咲さんが望む額を用意します。……一生かかってでも」
「そう言ってくれるのは嬉しいわ。お金が無いと人は動かせないとさっき言ったけど、貴方のように真っ直ぐに見つめてくれる人には無償で動きたくなるわね」
「絶対に払います」
「ありがとう。……なら、詳しく話をしましょうか。貴方の知っている限り聞かせてちょうだい。『仏田(ほとけだ)が消えた』事件を」



 ――2006年1月4日

 【     /      /     / Fourth /      】




 /2

 仏田という家があった。
 北関東のとある山に本家を構える代々『異能』を色濃く引く血。寺の本拠地として約千年の歴史を持つ強大な一族。
 表向きは普通の寺。裏社会では魔術の結社として活動し、世に蔓延る悪霊や魔物など『異端』を狩る退魔の家系だった。

 一族の出であれば高い能力を持って生まれ、血を有するだけで歴史に影響を与えたとさえ言われる。
 名を聞くだけで震えるまでの偉業を成し、裏の世界なりに有名な血族とも言えた。

 特に『仏田の血を引く女性』は、『神』と崇められる程の強力な魔を持って生まれたという。神の子と言うべき高い魔力を持つと言い伝えられていた。
 女性が優遇される世界だが、そんな簡単に神が生まれる筈が無く、ここ二百年ほど本家で女子は生まれていない。
 分家でも影は無い。血が繋ると言えないぐらい遠い親戚でようやく女子が生まれるほどだった。
 その昔は何としても女子を産めと命じられ、結果多くの男子を排出していった。
 今では諦めムードが漂っていた。「三人子供を産んで女子がいなければもう産むな」というルールになるほどだ。そのため今の仏田では三兄弟が非常に多い。
 かく言う僕も、仏田の三兄弟の三男坊だった。僕の場合は、ちょっと特殊だが……。

 神とまで言わなくても仏田一門に居る限り、子供は高確率で異能力を持って生まれる。
 一族はその異能力を操り、異端を払い、金と力を掻き集めてきた。力を集めては『女子を産む』『神を作る』研究に費やしてきた。
 退魔の家系として異形を狩り、金を撒き上げ、研究で力を得て、また異端を狩り、金を作っての繰り返し。
 いつの日か在り余った金で、能力者を支援する退魔組織『教会』の援助なんて始めていた。今の『教会』はその支援金で運営しているぐらいだ。もう何十年も前からの話らしい。
 困った人を助けるため……なんて言うけど、どいつも自分の研究の為に他人を虐げる連中ばかりだ。
 他人のふりをして自分のことしか考えていない人ばっかり。『教会』に金を出していたのも、研究に必要な物を手に入れるために利用していたに過ぎなかった。

 我が家のおさらいはこの辺で終えておこう。
 これから本題だ。僕が知りたいのは僕の生家、仏田で起きたある事件。
 ――2006年1月1日、その一族が消えた。
 大晦日。僕はバイクを走らせ、実家に向かっていた。31日の夜までに実家に戻るつもりだったが、その前の日に知人にバイクを貸していたせいで出発が遅れてしまった。
 日本人らしく、年末年始は一族同士で暮らせということになっている。毎年言われていたことだ。特に今年は「絶対に帰って来い」とうるさかった。
 親戚への謝罪の言葉を考えながら新年をパーキングエリアで迎え、新年の挨拶のメールを、先に実家に居る先生に送った。返事は、返ってこなかった。きっと宴会で忙しいんだと思っていると、高速道路のパーキングエリアで、テレビがあるニュースを流した。
 仏田寺、つまりは僕の実家が燃えたというニュースを。
 一瞬だけその光景がテレビに映った。「山火事には気を付けましょう」とコメンテーターが言う。でもすぐに正月番組に切り替わった。
 冬場の火事のニュースはいくつもある。普通の視聴者だったら何も思わないかもしれない。
 でも普通じゃない人間の、ごく一部だけが知っている。テレビでは放映されなかったことが、一部には広まった。

 ――その火事で、97人もの人間が亡くなった。
 被害者の数を知ったのは、僕が警察組織を問い詰めたからだ。テレビニュースではたった一度きり、山火事の放送がされただけ。けどその火事は、97人も被害者が出た事件だった。
 放送が一度きりの理由は……『何か』があるんだ。どっかから圧力が掛かったのかもしれない。でも100人近い被害が出たニュースなんて、連日騒がすレベルのものだろう? なのに放送されないって……つまりはそういうことなんだろう……?

 世間には公表されない97人の死。
 退魔の一族が燃えた。死んだ97人は、全員その一門だ。全員が仏田一族だった。
 僕の兄、僕の父、僕の親戚。血を分けた家族が死んだ。全然顔が似てない遠縁もいたし、同じ血を分け与えられただけの他人もいる。彼らも死んだ。そんな僕の家族が……97人。死んだ。火事で、焼け死んだ。
 ただの火事で97人が死ぬのか。ただの火事で『能力者である97人』が焼死するのか。ただの火事で死んだ事件を何故隠さなければならなかったのか。……事件発生から三日後。僕にはまだ判らないことだらけだった。
 だから切咲さんに助けを呼んだ。「一刻も早く会えないか」と接触を試みて、三箇日が終わった後……ようやく話ができた。
 それが今、この喫茶店での再会だ。
 優秀な霊媒師である切咲さんは聡明そうな目を伏せながら、彼女なりの黙祷を行なう。

「うふ、私も1月2日に知り合いのエージェントを通して聞いたの。最初は耳を疑ったわ。あの仏田一門が、というもあるけど……人数がおかしすぎるものね」

 97人。あまりに大きすぎる数字に、ピンとこない人も多い。
 僕の席からぐるりと周囲を見回しても、広めな喫茶店には20人はいない。その五倍は死者を出さなければ足りない人数が、死んだ。
 事件の重さは人の多さじゃないけど……その数は、異常だった。

「実際に事件となったお寺で生まれ育った貴方に訊くけど。97人が一挙に集まれるスペースってあるの?」
「……ありません。宴会を開く大広間はありますけど、入れて30人です。……敷地内にいくつも建物があって、何人か区分されて住んでいるので100人近く寝泊まりできますが……」
「建物が分かれていなければ100人は居られない。一つの建物に集まっていることはできない」
「……はい」
「火は、全部の建物に燃え広がったことになるのかしら。……最初の建物の30人が焼死してしまうのなら判るけど、その建物に入ってなかった70人まで焼死するなんて、不思議な話ね」
「……同時に、全ての建物に火が燃え広がった……? 逃げるところを無くしたから、全員焼死した……?」
「うふ、ちょっと考えられないわね。消火活動が間に合わなかったと言えばいいけど、でも貴方の家は……特殊な力を扱う『能力者』の一族でしょう? しかも97人全てが能力者だった」
「……はい。僕の一族は血を引いている限り、何らかの異能力を有しています。有していない者は敷地に立ち入ることを禁じられていました。そういう魔界でした。強い弱いはもちろんありますけど、全員能力者であるのは確かで……」
「水の魔法で火を消すこともできた筈。それこそ、瞬間移動の魔術で外へ逃げるとかできた筈。それなのに誰もしなかった」
「誰も……とは言い切れませんが」
「死んだ97人は、しなかった。……できなかったと考えるのが普通ね。おかしいわねぇ」
「…………。僕はあの夜、ニュースを見て、焦ってバイクを走らせて……なんとか実家に辿り着きました。そのときにはもう警察が……まあ、多分『教会』の息が掛かった処理班でしょうけど……『危険ですから来るな』って、寺まで入れてくれなかったんです」
「当然ね。燃え盛る現場に、たとえ家族とはいえ健康な人は入れさせないもの」
「…………もう、燃え尽きた後だったんですけどね」

 ――2006年1月1日。確か午前3時。
 日の出が近付いた時間、なんとか山に戻ることができた。だけど寺に続く長い石段の前で、行く手を遮られた。
 警察の言い分は判る。事件から三日経った今だったら冷静だから判る。……危険な事故現場、事件現場に部外者を立ち入らせてはならないことぐらい。いくら身内でも何も教えてはならないってことぐらい……。
 だから何も教えてもらえず、ただ燃え尽きた遺体を確認する作業にしか参加できなかった。
 それがこの三日間、一度も眠れなかった理由だ。

「…………真っ黒で誰か判らなくて、装飾品で判別した人もいました。半分だけ焼けて死んでいて……死んだと確信しなくちゃいけない人もいました」
「……そう」

 イトコの梓さん、あんなに可愛かったのに真っ黒だった。背は低めでアクセサリーをいっぱい付ける人だったから、梓さんだと判ったぐらいだ。
 叔父である匠太郎叔父さんなんて、付けてる指輪が特徴的だと話に聞いていたから判ったぐらいだ。中肉中背の一般男性の体格だったから、僕がその話を覚えてなかったら判別できなかった。
 実兄の陽平は、顔が残っていた。僕と似た顔が焼かれて置かれていた。兄の変わり果てた姿を見るのは……。それほど仲が良い兄弟ではなかったけど……ああ、嫌だった。
 僕が確認したのなんて三分の一だけだ。
 97人の三分の一だから……この喫茶店に居る人の数、遺体を見たのか。
 真っ黒焦げになっていない、半分焼けて死んだ人を見るのは精神的に辛かった。肉が残っているのを見るたびに、体重が減った気がした。どうせなら匠太郎叔父さんぐらい真っ黒になってくれると助かる……。ああ、でも匠太郎叔父さんはとても子供っぽく笑う人だった……あの明るい笑顔がもう見られないと思うと……。
 気分が悪い話を中断して、暫く僕の冷静さを戻すことに時間を費やした。
 遺体の確認でふと思い出す。ああ、そういや僕……まだ実父の姿も確認できていないや。この目で確認する前に、警察組織から『死亡者リスト』として97人の名前を見せてもらって……一家が消えたことを知ったんだ。一家全滅の事実を受け留めるしかなかった。
 ……いや、『正確には全滅ではない』けど。

「妥当に考えて、これは化け物――『異端』によるものと考えるべきね」
「……ええ。炎を操る異端が、僕の家を襲った……。全てを灰にするほどの強大な能力を持った異端がみんなを殺した。……そうとしか」
「『あの』仏田一族が総出になっても敵わないほど、凄まじい力を持った異端がいた」

 全員殺されてしまうほど強力な異端。
 97人もの命を喰らった恐ろしい異端。
 切咲さんは「恐ろしいわね」と自分の体を抱いた。口元は微笑んではいるが、目はちっとも笑っていなかった。

「私は貴方の家の人々のことなんてあの先生しか知らない。でも、彼は……先生はとても強い人だった。魔術のレベルで言ったら彼の方が私より上だった。その先生でさえも」
「はい、先生はとても強かった。それに、先生以上の力を持った人だっていました。それこそ、当主様とか……。けど、当主様も亡くなられてしまったとリストにはありました。……リストの中にはですね……先生の名前もありました……けど……僕はまだ先生の姿を見た訳ではないので……信じてません……信じたくない、です……」

 先生のことを考えただけで、一度抑えた筈の震えがまた止まらなくなる。
 今度はオレンジジュースを無理矢理喉に通すことで、己の弱さを押し殺した。酸味で押し付けることができる程度なんだから、昨晩に比べたらずっと平気になっていた。

「うふ。仏田という名前は、裏の世ではそこそこ知られた一族だった。大きな組織だったし、それだけの権力も金も技術もあった。うふふ、どっかの誰かに恨みを買われていてもおかしくないわね」
「……はい、すみません」
「異端でなくても、そういったライバル組織に潰されたっていう可能性もあるわ。頭の良い人間様が人間を貶めるために罠を張ったら、流石に高名な仏田さんのお家でも。うふふふ」
「…………」
「あと、複数犯ね。いくら97人の能力者がいても1000体の異端に勝てるかしら? 普通は結界を張って部外者を立ち入らせないようにはしてるけど、もし結界を破られ数千の大群を相手にしたら。うふ」
「……頭の良い人間の、複数犯。これが一番有り得る可能性ですか」
「どうかしら。あとは、うふふ……自爆とか」
「…………」
「身内の間でやり合っちゃって、同志討ちとかね。ありうるわ。うふ、大きなお家だったんでしょう? 仲の悪い人達とかいなかった?」
「いましたよ」

 ……いっぱいいた。みんな、研究のライバルだったし……上にいきたいって思う人も沢山いた。
 狡賢い奴もたくさんいた。汚い連中も大勢いた。寺中、喧嘩ばかりだった。実際に口喧嘩するんじゃなくて、もっと複雑なもので……。
 だから僕は、あまり帰りたくなくて。ゆっくりバイクを走らせていて……。

「97人が全員で喧嘩して、同志討ちとかね。うふふ、ありえないかしら」
「そんな……。それは、ありえないでしょう。だって……仲の良い人達だっていたんです。僕は身内同士の喧嘩を見るのは嫌だったけど、イトコの小さい子達は……親戚が集まるから同い年の子達と遊ぶのを楽しみにしてたっていうのを聞いたことがあります。……そういう子だっていたんです。ただ退魔の一族に生まれただけっていう子供もいたんです。そんな子達まで巻き込んでなんて……」
「一族の一員である貴方がそこまで言うなら、その案は無しにしましょうか。なら他に、その場所に居る一家全員を殺す方法って言ったら」
「あの、すみません。……実は、全員ではないんですよ」

 『正確には違う』ことを、僕はずっと心の中でだけ訂正していた。
 けど、いいかげん切咲さんが『仏田の敷地に居た全員が死んだ』と思っていることを正す為に、口を挟む。
 重要そうだけど、なかなか言い出すことのできなかったことを、やっと。

「実は……確実にあの敷地に居た筈なのに遺体が見付かっていない1名と、生き残って病院に搬送されている1名がいるんです」
「まあ。そうなの。聞いてなかったわ」
「すみません」

 97人が死んだという衝撃的事実が先行して、切咲さんには伝わっていなかったか。
 それに行方不明者のことは僕が指摘しなければ警察だって気付かなかったぐらいだ。情報が錯綜していても無理はない。
 目を閉じ、該当する人物のことを思い出す。

 ――行方不明になっている一人の名は、新座(にいざ)さん。彼は死亡者のリストに名前が無かった人物だ。

 彼が年末、あの寺に居ないなんてことは、ありえない。彼は寺に絶対居る人物の一人だ。
 何故なら、彼は現当主という『あの家で一番偉い人』の息子だ。その地位の高さから、周囲が彼が外に出ていることを許さない筈なんだ。
 「社長の息子だから偉い」という考えは、旧世代的だと思われるかもしれない。でもこの家は千年前から時を刻むのをやめた一族だ。王様の子供は王子様、王子様は後に王様になる存在だと大真面目に語る世界だった。血脈を重んじる場所ではありがちな話だけど。
 そういや次期当主は……言っちゃ悪いが、あまり良い人ではなかった。人柄は良いが、僕でさえ適正だとは思えないぐらいの不出来な男性だった。
 何度も新座さんを次の当主にしようという声は上がっていた。昔も今も。
 新座さんは寺以外……『外の世界』で住んでいても、その立場から「せめて年末年始ぐらいは帰ってこい」と言われるだろう。しつこく、何度も何度も、僕以上に。現当主の息子であり、次期当主ではなくても第二位という偉い星に生まれてしまった人なら絶対にそうなるし、従わなければならない。
 とにかく、それほど一族に大切にされ、束縛されている新座さんが行方不明になっているのは、とても気がかりだった。

 ――もう一人は、唯一の生存者。この人は新座さんとは真反対に、一族ではない人間だった。
 先程「一族でなければ敷地に立ち入ることはできない」と僕は言ったが、それを軽く破って入っている人がその人だった。
 その人は外人さんで、日本人ではなかった。なんでも仏田とは血の繋がっていない遠縁らしい。「嫁入りしてきた女性のご兄妹の息子」とか、そういう微妙なところから寺に居させてもらっていたと聞いていた。名前は、確か、……。
 僕は一回だけ会ったことがある。体格が良くて、一見怖そうだったけど……日本語がとてもうまく、笑顔でなんでも話し掛けてくれる人だった。目につく赤い髪の毛と、彫りの深い顔つき、でもフレンドリー過ぎてべたべた話し掛けてくる性格に……僕の苦手なタイプだなと思ったのを、よく覚えている。
 彼は、仏田寺の外で倒れていたところを発見され、病院に送られたという。寺のある山の麓の梅村さん……商店のおばあさんに発見されたらしい。煤で体を汚し、火傷を負っていた姿で……。

「あらあら、運の良い人間も居たのね。生存者がいるってことは当時の情報が掴めるかもしれないわ。面会はできるの?」
「いいえ。昨日、面会できないかって言ったんですが……まだ意識は戻らないそうです」
「一人だけ生存しちゃったその子は、血が繋がっていないと言ったわね。彼は、能力者ではないの?」
「すみません、僕はよく知らないんですが……多分、能力者ではないと思います。もし能力者だったら『本部』……えっと、うちの偉い人達のことなんですけど、『本部』が血を与えて一門の仲間入りにさせると思うんですよ。でも彼は部外者として扱われていました。家族に加えられていなかったんです。力ならいくらでも欲しがる我が家なのに、彼を特別欲しがらなかったって……異能は無い人間なんだってことだと思います」
「じゃあ、余計に異端のような魔物でなくて能力者犯人説が強くなったわね」
「…………。え?」
「うふふ、97人も殺すような犯人がルールを守るのはおかしいかもしれないけれど。……覚えてる? 『能力者は一般人を害してはならない』って世界共通のルールがあったでしょう? 力は、悪しきものを祓うためだけにある。異能を使って人を害すのは、人を傷付ける異端と同じ。罰せられる存在。……唯一の生き残りが非能力者で、他の死亡者が全員能力者だったら……犯人はその暗黙のルールを守っているのよ……。守るほどの頭がある犯人ってことね」
「……ああ……」
「能力者だからと言って殺してもいいなんてルールはないけどね。それに、うふふ、その偉い息子さんが行方不明っていうのも、『営利目的の誘拐』って線もあり得るでしょ? ただただ魂を喰らいたくて暴れた異端か、貴方の一族に恨みがあって襲った能力者か、貴方一族自身の抗争か、判らないけど。どの犯人もみんな頭は切れていそうね」
「……犯人探し、大変そうですね」
「あっという間に見付かるようだったら、警察が先に解決してくれるわ」

 まったくその通りだ。
 事件からたった三日しか経っていないというべきか。もう三日も経ってしまったというべきか。時間は進んでも進まなくても、大勢を殺した強大な何かが存在していることには変わらない。
 不可思議な事件の警察である『教会』は、大事なスポンサーを無くして混乱している。暫くの経営は良くても早々に解決しなければならない問題を抱えてしまった。調査を始めているのかどうなのか、僕にも判らない。

「うふふ。あとは、色々と一族の闇を探ってみないと判らないことね」
「探すの……きっと大変ですね。すみません」
「また謝ってる。いいのよ、謝らなくて。貴方、犯人を、探したいんでしょう?」
「……はい。すみません」
「仇討ちなんて格好良いことは私にはできないけど、夜須庭(やすにわ)先生には借りがあるの。弔い合戦でその借りを返すつもりで、貴方に協力するわ」
「あ、ありがとうございます」
「千年分は溜めこんだ研究がある魔術結社の一族を探る、きっと千年分の恨みも出てくるでしょう。犯人候補は大量に出てくる筈よ。それを一つずつ判断していく必要がある。時間が掛かるでしょうね。どんなものでも情報が大事。もう私に話していないことはないわね?」
「…………。一つ、気がかりな事があります。言うべきか言わぬべきか、迷っていることです」

 なにかしら、と切咲さんが楽しそうに笑う。
 もう一度考え込み、この名探偵の何らかのヒントになってくれると信じて……口を開いた。

「唯一の生存者さんのことなんですけど」
「ええ、部外者で非能力者の外人さん?」
「1月3日に、梅村さんから直接聞いた怖い話です。……梅村さんの家の近くに倒れていて、救急車が着くまでの間、意識があったそうです。その間、ずっと口走っていたそうです。……『殺してやる』って」
「…………」
「『殺してやる、みんな殺してやる』って、何度も言ってたそうです」
「…………。うふ。うふふ、それ、もっと早く言うべき重要なことじゃないかしら。……立派な犯人候補が名前付きで登場よ」
「いえ、でも…………」

 僕のたった一つの記憶を頼りにするならば、あの人が犯人とは思えない。
 彼と僕は、たった一回しか会っていない。敷地内に建てられた『洋館』と呼ばれる場所で、一度話をしただけだ。
 そのときの彼は誰にでも親しげに話し掛けて、よく笑う好青年だった。
 たった一度しか会ったことがないんだから、性格なんて見えてこないと言われればそれで終わりだ。だけどそのときの彼の印象は……とても『凄いもの』だった。
 彼は困っていれば手を差し伸べるし、名前を知らなくても助けてくれるような善人に見えた。一度きりの接触というのにこんなにも印象強く覚えている。にこやかに笑うあの男性は忘れられない。それぐらい、彼はインパクトのあることをしてくれたんだった。
 そんな人だったから、僕の中では『殺してやる』なんて口走る人物と合致することはなかった。病院に直接行って話を聞いた後に、数時間掛けて同一人物だと判明できたぐらいだ。
 おかしい。あのときあった善人の彼は……『殺してやる』なんて絶対言わない人なんだ。なのにどうして。
 そんな中、僕は勝手な推理をした。

 唯一の生存者である彼は、犯人の姿を見たんじゃないか。

 事件の中、お世話になっている97人を殺していく犯人を見て……激昂して、そんな口汚い言葉を言ったんじゃ?
 実際どういう意味で言ったのか、それは彼の意識が戻らないままでは知ることもできない。
 彼を問い質すことが、犯人への一番の近道。それは、行方不明者の新座さんを探すことと同じぐらい……間違いなかった。



 ――2006年1月4日

 【     /      /     / Fourth /      】




 /3

 協力の約束をしてくれた切咲さんを連れて、例の病院に向かう。唯一の生存者が入院している病院にだ。
 けどそう簡単に医者は僕達を彼に会わせてはくれない。彼の意識はずっと戻らないまま、今も大変難しい状態にあるらしく、面会はできないと断られてしまった。

「うふふ、一度でも彼と接触できればいいんだけど」

 切咲さんは『肌と肌を触れ合えば相手の過去を覗くことができる超能力を持っていると』と説明してくれた。
 僕と同じ能力だ。ただ僕より性能は良さそうな口振りだった。
 感応力さえ使えればいい、一度触れることができれば。そう言うけど、医者の厳しい声で面会謝絶を聞いてしまい、何にも出来ないまま時間は過ぎていく。

「わざわざ病院まで来てくれたのに……すみません。面会はずっと希望していきます。そのうち……その超能力を使ってくれませんか」
「ええ。近道はダメね、回り道で行きましょう」

 僕を励ますように言う彼女の言う通り、超能力が使えれば確実な近道ができた。僕だって触れて判るものなら今すぐそうしたい。
 次に僕が考えていたのは、どうやったら病院関係者にバレず、入院している部屋に潜り込むか……だった。
 病院の警備員の倒し方を考えている間に、切咲さんは現場に向かうことを考えてくれた。
 そっか、現場なら直接燃えた土に触れることができる。人よりは難しいかもしれないが、超能力で過去を引き出すことも出来るかもしれない。その手もあったか。

「出来ればすぐに向かいたいけど、私にも予定があるの。明日の午後に新幹線に乗って貴方の実家に向かうわ。待ち合わせしましょう」

 今すぐ実家に向かえば、真夜中頃に寺のあった山に到着できる。でも繊細な女性である切咲さんのことを考えると、そうもいかない。
 それでも「また明日」と言ってくれるのだから優しい人だ。待ち合わせ時間や場所を何度も確認して、切咲さんと別れた。もう太陽が沈む時間になっていた。
 最後に医者へ「本当に面会は出来ないのか」と一人で詰めよった。結果は同じだ。「意識が蘇っていない人と話なんて出来ない」と尤もな答えが返ってくる。
 「なら、せめて顔だけ見せてくれ」と三十分間粘ると、「ガラスの向こう側からなら」と見せてくれることになった。……切咲さんが帰って一時間後のことだった。

 僕の超能力の性能は悪い。能力が極端すぎる僕にとって、顔色を伺うことしか出来なかった。それでも何かヒントが得られるならと、唯一の生存者をガラス越しに覗く。
 機材を全身至るところに付けた青年が、ベッドの上で眠っていた。
 大量のケーブルに巻かれ、口には呼吸のためのマスクが付けられ、生きてることを表わす機械がカウントしている。
 大晦日に事件があったのだから彼は既に三日も眠り続けているんだ。
 倒れているだけの姿を見ても、僕には何も考えつかなかった。

「彼……ピクリとも動かないんですよ」

 ベッドで眠り続ける彼を凝視していた僕に、心配した看護師さんがそう言った。改めて彼の体をガラス越しに覗いてみる。
 本当に動いてなかった。ピコン、ピコンと心拍数はカウントしているから死んではいない筈。けど不安になるぐらい彼は静止していた。

「いつ目覚めるか判りません。明日かもしれないし、数日経った後かもしれません。一体どうして目を覚まさないのか、みんな判らないんですよ……」

 心配する僕の不安をより掻き立てることを、看護師さんは口走る。
 それでも「目覚めたら必ず連絡する」と言ってくれた。頭を下げ、その場を去る。ベッドの彼を見つめていることが有益になるとは思えなかったからだ。
 かと言って、何が有益なのか僕には判らない。切咲さんなら力を使ってチチンプイプイで何かを得るかもしれないのに。でも僕は……妙な力はあっても、感情が高まっている今はちっともコントロールできなくって……無力に立っているしか出来なかった。
 無力すぎて自暴自棄になりそうだ。余計に視えるものが視えなくなってしまう。少しでも気を落ち着けるために、病院の屋上に向かった。

 病院の屋上は、僕にとって大事な場所だった。……先生との思い出の場所だから。
 僕と先生は病院で出会い、交流し、仲良くなった。この病院とは別の場所だけど、愛しい人の思い出のせいで病院自体が嫌いではない。
 だから開放された屋上にいれば気分が良くなる。今までそうだったから、今日も機嫌が良くなるんじゃないか。
 先生のことを想うと胸が苦しくなるけど、その苦しみを晴らすために屋上に立った。

 太陽はもう落ちた。1月の寒い夜空が広がっている。
 クリスマスの頃は赤や青に染まって綺麗だった街並みを見た。今は普通の民家の灯りだけだが、それはそれで星と並ぶと美しかった。
 先生とのクリスマス、楽しかった。幸せなクリスマスだった。……もうその時間を送ることはできない。今年のクリスマスも、来年も……大好きな先生は、もういないんだから。
 「先生の遺体を見てないから死んだなんて信じない」と切咲さんには言っても、死亡者リストには、先生の名前が……くっきりと……ああ。
 気分を晴らすために屋上に来たけど作戦は大失敗。屋上には先生の思い出がいっぱいあるだけで、隣に誰も居てくれないことが『先生はもう現れない』ということを思い知らされるだけだった。
 なんて時間の無駄。……もう帰ろう。涙を拭って振り向くと、そこには女の子がいた。

「…………なっ」

 切咲さんでもなければ、さっきまで話していた看護師さんとも違う。似ても似つかない特徴的な姿に、僕は目を張った。
 小学生になっているかも判らないような小柄な子供。僕の身長の半分ぐらいしかない背格好の女の子が、じっとこちらを見ていた。
 病院に見舞いに来た子か。それとも患者か。普通に考えればそれらが真っ先に頭に思い浮かぶ。だけど……異様な情報が先走って、女の子をまともな人間と捉えることが出来なかった。
 夜の屋上に子供。
 金髪の小さな女の子。
 知らぬ僕と対峙する不思議な存在。
 真っ先に彼女は異端ではないかと思い、虚空――ウズマキから武器を取り出した。

 能力を持たぬ一般人には見えぬ武器を取り出して、彼女に突き付ける。
 でも女の子は何も反応しなかった。凶器を向けられても、ただただ僕の目を見てくるだけ。
 子供らしくない、真っ直ぐとした、まるで全てを悟りきったような目。
 そんな目、普通の子供とは思えない。
 僕は生まれた頃から、人ではないものに接してきている。退魔の一族として、異端を狩る血としてこの世に生を受けた。だから何かと異様なものへの接触率は高い。それは仏田に生まれた者なら誰もが当たり前のこと。
 焦ってはいけない。いつも通り冷静さを……そう先生は言っていたじゃないか……ああ、こんなときに先生のことを思い出したら心が荒れて……。

「君は、何?」
「どうしてあの日、居てくれなかったの」

 僕の問い掛けはいとも容易く無視される。
 でも、可愛らしい声で発せられた内容は無視できないものだった。僕からの質問は全て置きっぱなしにして、彼女の言葉に耳を傾ける。

「慧(けい)。貴方さえ居れば、こんなことにはならなかった」

 彼女は、可憐な声ではっきりと僕の名を口にする。

「……こんなこと……?」
「そう、2005年12月31日、あの血にとって最期を飾る日。最期になる筈だったのに、貴方が居なかったから全てが無くなってしまった。……なんてことをしてくれたの」

 小さな女の子の口から、あの日付と、『最期』という言葉が発せられる。
 なんだって? 何が最期なんだ?
 混乱と動悸の乱れをなんとか抑え込んで、声に応じる。

「……最期って、何……。僕が居なかったらって、何……?」
「言葉通りの意味よ。あの日、全てが最期になる筈だった。でも全部失敗。みんな、居なくなった。貴方が時間通りあの場所に居たなら、全てが成功で終わっていた。貴方が、みんなの死を無駄にしたの」
「っ! い、いきなり現れて……酷いことを言うな、君は。……ああ、君は異端の者だっていうのは問い質さなくても判るよ……無関係な子が、そんな意味深な台詞を言えないからね……。き、君は、何を知ってるの……何をしに僕の元へ」
「責めに来たの」

 さらりと、女の子は可憐な声で冷たいことを口にする。冷酷な声だった。

「貴方が2005年12月31日に、生まれ育ったあの寺に戻らなかったから、ひとりぼっちになった」
「……は、はは」
「貴方が2005年12月31日に、生まれ育ったあの寺に戻っていたら、ひとりぼっちにならなかった」
「……そうなんだ……。僕が、遅刻しなければ……何かが変わったのかな」
「大きく世界は動いたわ。でも貴方の行動1つが、世界を最悪の状況に導いた。……貴方一人のせいで」
「…………」
「終わったことだから仕方ない。でも、私は責めに来たの。ちょっと頭に来たから。他の人達が全員集まっておきながら、たった一人足りなかった。そのせいで最悪が起きた。全員が足りていたって悪いことが起きるかもしれないのに……。貴方のせいでみんな無駄死によ。あまりに酷いことを貴方はしてくれたわ。だから私は責めに来たの」
「…………」
「反省して。後悔してるなら、もう勝手なことはしないで。みんなのためを考えて。もしまた2005年が訪れるときがあったら……次は遅刻しないで。お願いよ。それは、みんなのためになるわ。貴方の愛する先生ともずっと一緒になれるんだから……」

 そのとき、胸が熱くなった。
 みんなの為になると聞いて、いや、先生のことを言われて、ぐっと胸が切なくなった。

 僕は先生のことが大好きだ。愛してる。この世で一番大切な人で、先生がいない世の中に興味が無いほど大事な男性だった。
 その先生に会えない今、僕の心は悲しみでいっぱいだった。この三日間、自分の体なんてどうでもいいと酷使していたのは、どうやってでも先生に会いたいという想いと、先生に会えないなら死んでもいいという感情が合わさった結果だ。
 事件を知ってからずっと先生のことだけを考え続けたから、ふと先生の知り合いの霊媒師がいることを思い出した。だから切咲さんとコンタクトを取ったんだ。優秀で何度も異能が関わる事件を解決したことがある切咲さんなら何とかしてくれると思って……。
 全ては、早く先生に会うために。
 早く真相に辿り着いて、先生の元にいくために。
 胸の熱さが止まらない。あまりに先生のことを想い過ぎたのか、と思って目線を下ろすと、自分の胸から何かが生えているのに気付いた。
 刃だった。

「…………っ…………」

 知覚した途端、胸だけじゃなく背中……いいや、体全体が熱くなるのを感じた。
 口から何かが出てくる。ごぽりと熱い物が噴き出す。血だった。血液が逆流した? なんで?
 考えている頃には僕の体は屋上に突っ伏していて、考える力が落ちていた。何でも知っていそうな女の子に尋ねようかと思ったが、女の子は冷たい炎のような目で僕を見ているだけ。何も答えてくれそうになかった。
 重い体を持ち上げる。女の子を見ていた方向とは逆……僕の背後……最初見つめていた景色を見た。必死に振り返った。

 そこには新座さんが居た。

 綺麗な目をした、新座さんが、魔法の剣を、両手に持って、突っ立っていた。

 ――あれ、新座さん……行方不明になっていたんじゃなかったんですか。それになんで、僕を刺し……。

 尋ねたいことは沢山あった。
 新座さんは、確実にあの日、寺に居た人だから……あの事件を知っているに違いない……。何があったんだという前に、先生は無事なんですかと言おうとした。
 でも、口から出てくるのは血ばかりで言葉にならない。
 僕は永久の眠りについた。



 ――2006年1月4日

 【     /      /     / Fourth /      】




 /4

 私は、また夢を見ていたらしい。

 重い瞼を開けて、何処か判らない天井を見る。私が寝泊まりさせてもらっていた洋館ではなかった。
 耳にはピー、ピーという電子音が入ってくる。部屋の白さや無機質な電子音からして、ここが病院だということに気付いた。
 瞼を開き、天井を見るということは、『私は目を覚ましたということだ』。そうだ、今までのことは全て夢だったということ。ベッドで眠っていたんだから、私が『あんな場所』に居る訳が無い。今まで私に生じたことは、全て夢だった。納得した。

 ――ああ、また夢だったんだ。もしかしたら今も夢の続きかもしれない。

 安心して、悲しくなった。今度こそ現実だと信じていたから、全てが夢だと知って苦しくなった。それぐらい不可思議な夢を繰り返していた。もうこれが何度目か判らない。判らなくて、余計に悲しい。
 今思えば、最初の頃のように同じ夢を何度も繰り返す方がラクだったかもしれない。現実に戻れないのは、辛い。どんなに良いものでも、夢を見続けるのは……もう飽きていた。
 体は相変わらず動けなかった。雁字搦めに縛られているのか体を動かすことはできない。いや、縛られていたのは夢の中だったな。今はただ体が不調を訴えて動いてくれないだけだ。なに、いつものことだ。

 ――夢。全ては、夢。

 動けない私は、仕方がないので今まであったことを思い出すことにした。思い出すたびに、ああ、なんて良い夢を見ていた。
 辛いことも沢山あったけど楽しい夢だったなぁ、と。切ないことも多かったが、楽しい夢で……。

 ――いや、いいや。切なかった。苦しかった。……もうあんな夢、見たくない。

 思い出して、はらりと涙が零れた。体は一切動かせなかったのに、涙は流せるらしい。
 雫を拭うことができず、ただただ泣き続けた。医者や看護師がその涙を拭ってくれるのを待つことしかできなくても。

 ――良い夢なのに、切ない。苦しい。悲しい。全て負、マイナスの感情で、心が押し潰されそうだ。

 悔しくて、余計に涙が溢れた。
 夢の中でこんなにも悩み苦しんでいる自分。現実に戻ってきたら耐えていけるのか。寝ながら苦しんだんだから強くなっているといい。そんなことを考えていると、急に眠気が訪れた。涙を流し続けたから疲れたのかもしれない。海ができてもおかしくないぐらいベッドの上で泣き続けた私は、涙に溢れて真っ白になった世界に別れを告げることにした。
 無理矢理開けていた瞼を閉じて、眠る。そして夢を見る。
 動けない私は、夢を見るぐらいしか楽しめない。今度はどんなものを見るのかと考えながら、意識を手放す。
 ああ、できるならまた違う内容の夢が見たい。同じ夢を見続けるのは悪魔でもうこりごりだ。
 苦しかった日々が終わったのだから、たとえ辛いものでも別の日々を送りたい。

 ――でも、できるなら。今度の夢でも、また彼に出会いたい。

 さあ、前向きに捉えよう。
 私はこんなにも彼を求めている。これほど愛していて、再会を願っている。次の夢でも会えると思いたい。
 彼を想えば想うほど近道になると信じ、何度も願った。会えるなんて根拠なんて無いが、それでも信じて。

 ――ああ、本当に、できるなら。
 ――今度こそ、彼の本当の笑顔が見たい……俯いて悲しそうにしているあの顔じゃなくて、無理矢理見せた作り笑いでもなくて、本当に笑った顔を見てみたい……笑ってほしい……苦しむ顔なんて見せないでくれ。ああ、私の夢なんだから好きにさせてほしい!

 夢の中に住む人間を想い続けて、私は眠りに落ちた。
 何度も彼の名前を心の中で呟きながら。

 この世界にとって永遠の眠りにつく。

 この世界にとって永遠の眠りに。




END

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