■ こわい



 ここに生きてるあいだは、みんなこわいものに見えてしまう。
 だれかが、俺の幸せを奪っていくように見えてしまうから―――。

 俺が、守らないと。



 一体どれだけ時を刻めば気が済むのだろう。
 ゆらゆらと蠢く片目の瞳は、終末の来ないこの夜を刻んでいる様だ。
 暗闇の中で、そう想う。

 ―――オルガはこわくないの…………?

 長くて長い沈黙を破ったのは、恐怖に震える声。
 それを宥める声がまた沈黙を創った。

 ……怖くなんかない。

 短く、また冷たくオルガは言い放った。
 別にシャニを黙らせたい訳ではなかった。
 シャニと話をするのが嫌というのでもない。
 只、クロトを眠らせるのに疲れて生気の抜けた声が出てしまっただけだった。

 ……凄いな……とシャニが静かに驚けば、凄くないと直ぐに否定する。

 そんな会話も一体何度交わしただろうか。
 二人きりの時間が長すぎた。
 二人で身体を寄せ合っているしか時間を潰す術が無かった。
 ……クロトは泣き疲れて眠ってしまっている。
 オルガの胸の中へ、抱きかかえられて眠っている。
 死んだように、眠っている。

 この世界は、生きているより死んだ方が楽だと
 クロトはそれが判ったから先にいってしまった。
 ……二人も、いつでも意識を手放そうとしている。

 ずっと生きていたクロトは、ずっと苦しそうだった。

 ここはこわい、こんなところいやだ、
 ―――たすけて、と
 絶望の言葉ばかりを存分に泣き叫んんでばかりだった。

 ……全ての言葉はクロトが言ってくれた。
 言いたかった事は全てクロトが叫んでくれた。
 だからオルガもシャニも助けなど呼ばない。

 もう判っている。
 あそこまで叫んでも泣き続けても誰も来なかったのを、見ていたから。
 ……そこまで判っているのに、二人はまだ意識を残していた。

 シャニはどうして居るのか判らないが
 オルガは、ずっと此処にいると決意している。
 何故そんな事をしたのかはとっくに忘れてしまったけれど、
 ……そう、心に決めていた。

 ―――オルガ、泣かないの…………?

 長かった沈黙をまた破ったのはシャニだった。
 待っていたかのように、オルガは即否定する。
 ……俺は絶対泣かない、と宣言するかのように。

 偉いね、とシャニが言えば、偉くなんかない、と否定する。
 そんな事を何百回もしているのに終わらなかった。

 いつ終わるのだろう、と何度オルガは思ったことか。
 早く終わるんじゃないか、と思ったのに……いつも真っ先に眠りにつくシャニが、ずっと夜に生きているからこんなにも長くなってしまった。



 ―――夜。

 ……否、今が夜なのかは誰にも判らない。
 太陽の無い―――窓も無ければ灯りも無いこの空間では一日の感覚は完全に麻痺させられる。
 通常の生活からかけ離れた此処では何もかもが判らなくなってしまう。

 躰の全てが麻痺してしまうのも、早い。
 ひとりきりなら直ぐに壊れただろうに。
 ひとりじゃないから、まだ壊れずに済んでいるのだろう。
 ひとりであったら、決意も決心もしないけれども。

 ―――オルガは、疲れないの…………?

 また、長い沈黙をシャニの声が破る。
 弱々しい声は、いつ途切れてもおかしくないのに綴る。

 ―――何が?

 今度はオルガは話を続けた。

 ―――ずっと、俺達を抱いてるの……。

 シャニは尋ねる。
 喚くクロトを宥めて、力無く寄りかかってくるシャニを受け止めているオルガに。
 そんな辛そうに、ずっと夜を過ごしているオルガに…………。

 俺が休んだら、お前等がツライだろ…………?

 シャニの質問には答えなかった。
 オルガは、自分が何故こんな事をしているのかを答えた。
 ……自分が何故ツライ目に自らあっているのかを告げた。

 ―――オルガは、やっぱり強いね……。

 無表情のシャニが、……ぎゅっと強くオルガの手を握る。
 片方だけの瞳が揺れていた。

 ―――俺達のこと……ずっと見ていてくれるんだ…………。

 呟くようなシャニの声が、空間に響く。
 …………もう沈黙ではない。

 俺は強くない、と。
 またあの言葉が続く。

 ―――オルガは強いよ…………だって俺は弱いから………………。

 沈黙は完全に破られた。
 音がずっと流れていく。
 揺れていた瞳から、零れ流れていく。

 我慢していた涙が。

 音としてずっと包んでいって…………。


 悲しい音が、オルガを抱きしめていった。



 いつまでも此処にいる訳ではない。
 いつか迎えが来る。
 その迎えが、自分達は少し遅いだけ。

 いつか、自分達を必要とする時が来る。
 何に必要かどうかは、幼い自分達は知らない。

 実験とか、消耗品として使われるなんて自分達は知らない―――。



 ―――オルガは……眠っていいよ…………?

 シャニが、そんな事を言った。
 オルガにしてみれば、シャニの方が眠らせてあげたかった。
 実際シャニは眠たそうな目だった。
 けれど、……絶対に眠らない目だった。

 ……いや、いい。
 と断っても、シャニは決して引かなかった。

 ……いつからか。
 いつだったかは判らないが、オルガは二人を支えてやると決意していた。
 その決意を糧に、今までずっと二人を守ってきた。

 破ってはいけないと、例え自分に鞭を振るって…………

 それなのに、その決意はシャニの言葉に揺らいでいく。

 ―――オルガは……ずっと俺や……クロトの事……守ってくれてたんだもんね…………。

 オルガを安心させるよう、手を握った。
 全然暖かく無い指だけど、握った。
 ……力も弱い、手を握るだけの指だったけれど、握った。

 それじゃあシャニが休めないだろ。
 それがオルガの言い分だった。

 でもあるものが、オルガの決意を溶かしていく。

 ―――……もしかしたら、オルガの寝顔見たら……安心して俺も寝る……………………かも……?

 それは笑顔。
 滅多に見せなかったシャニの笑顔があった。
 何故そこで笑うのかオルガには判らなかったけれど。

 ずっと怖いよ、泣きたいよ、偉くなんかないよと自分を貶し続けて
 それで何故笑えるのかオルガには判らなかった。



 けれど
 それがオルガに安息をもたらした。



 …………俺が見たかったのは、その笑顔。
 つらくても見たかったのはそれ。
 ………………だから………………。



 一気に意識が揺らいでいく。
 安心して、暖かい世界に旅立っていく。

 抱きしめていた腕が緩み、
 逆に抱きしめられる事によって眠りの世界に堕ちていった。

 破ってしまった決意と
 守り通せなかった決意捨てて

 その後は悔やむ事しか出来ないのに




 目を開けた。
 開けても夜かどうか判らない。
 此処は、ずっと闇の中。
 終わらない夜は、覚醒しても終わってくれない。

 それを乗り越えていけたのは、
 それを支える決意と、守るべきものがあるから―――

 目覚めて、あるのは暖かさ。
 そして微かな清々しさ。
 多少でも休めた事に身体が楽になっている。

 それにこの暖かさは
 ずっと守ってきたものに、守られてきたものがあるから。

 泣きついて、眠ってしまったクロトも、
 すっかり涙の痕も消えて、可愛らしい寝顔がある。

 クロトは眠っている。
 今までの自分のようにと
 オルガは想った



 ……だけ



 想うのは、クロトのことだけ。



「………………シャニ?」



 ………………………………………………………………馬鹿な事をした。





 自分はどうして決意したのか?
 ―――二人を守りたかったからだろう?

 どうして決意しようと思ったのか。
 ―――いなくなろうとしても、俺が止めるために

 どうして、…………
 ―――連れて行く手があっても、俺が止めるために

 ……
 ―――俺が、助ける為に。



 その手を、足を、
 ずっといっしょにいるために

 …………その為の決意。

 それなのに。



 ……馬鹿な事をした。

「……………………やっぱり………………俺が寝たらダメだったろ………………」

 クロトは眠ったまま。
 他は誰もいない。
 今は誰も見ていない。

 ―――ならば、あの決意を知っている奴は誰もいない。

 だから―――。



―――存分に、頬を濡らしても良いだろう。





 END

 シャニはどうしたの? ……オルガが見ていないうちに連れていかれてしまいました、とさ。…………同じような内容のお話を、高校時代の古文で見た気がします 04.4.6