■ Infinity



 言葉を通わせて三日も経っていた。
 三日で進展する関係さえも在る。

 いつもの部屋で本を読む、それがいつまでも変わらぬ姿勢。
 目を向ける先が本しか無かったからそれだけを見つめていた。
 ベッドの上で小説を開き、いつもの彼を待つ。
 果て見では待っていると悟られないようクールを装い、いつか来る相手の事を想うのに心躍る。
 夜が待ち遠しい。
 無愛想な顔に自分の指が触れただけで素早く初々しい反応を見せる。
 気怠そうで、感情を表す気力さえも失い欠けていたというのは嘘だろう。
 肩に手を置けば涼しそうな装いをしながらも内心びくりと跳ね上がっている。
 真っ正面に座っても顔を真っ直ぐ向ける事は無い。
 指が唇に触れた時はきゅっと紡ぐ。
 その唇に張りが出来、余計美味そうに見えてしまう。
 味見をしてしまえば表情を見る事は出来ないが、とにかく可愛いというのは間違いない。
 目つきも悪く、愛想も無い。
 どちらかと言えば近寄りたくないタイプと判別される彼に、そんな感情を抱いてしまう程、自分は心病んでいた。

 今夜も又、無言で部屋に入ってくる。
 声を掛けてくれば反応してやっていいものを、何も言わないので自分も振り返らない。
 昨日までは入ってきたら名前を呼んでやったりしていたが、何もしてやらない。……その事が気にくわないのか、物静かな彼の目つきがキッと鋭くなった。
 怒りを表している。
 無言のまま、少し怒った状態で彼は襲いかかってきた。
 背中に抱きつく。
 だが無視する。
 ……行動を一部始終観察しているのだから無視するというのはおかしいが、彼がどんなに体を揺らそうが口をきいてやらない。
 強情なガキのような事をしているが、自分が甘えれば相手は許してくれるなんて考えている方がガキだ。
 粛正するつもりでずっと黙っていた。

「…………ーっ」

 言葉に表せない、低い唸り声。
 人間のガキというより、正体不明の生き物の鳴き声だった。
 ゆさゆさと背中を揺するが、まだ屈しない。

「…………………………オルガー……っ!」
「何だ?」

 名前を呼んで、―――やっとシャニと向き合った。
 不機嫌そうで、自分が不機嫌なのはお前のせいだ……と責めるような目をしている。
 それきりシャニは黙る。
 黙って、体重を預けてきた。
 当然今まで通り、シャニが言ってくるまで何もしてやらない。

「…………オルガーっっ」
「呼んだか?」
「……………………オルガ」

 その先は簡単には口を割らなかった。
 次にしてほしい事はシャニにも照れくさい事なのだろう。
 呼ぶ名前さえも歯切れが悪くなってくる。
 ……元々、ハッキリしない声をしているが。

 ゆさゆさと体を揺らし、『昨日までしていたこと』を強請る。
 一向に、自分の口を汚す事はしなかった。

「…………オールガー……っ」
「言わなきゃ何もしねぇってわかんねぇのか?」
「………………うー」

 半分睨んで威嚇しているが、本当は恥ずかしくてもじもじしている。
 急かさず、自分のペースで言わせようとしているがこのままだと夜が明けてしまうかもしれない。
 シャニの表情は今まで見た事が無いくらいの、人間くさい顔をしていた。

「……オルガ……………………」
「なんだ?」
「…………………………すき…………」

 精一杯の勇気と時間を使い、シャニはやっと一端の台詞を言った。
 純情過ぎる二文字を聞いて、ずっと待っていたくせに聞いている方も顔が紅くなってくる。
 普段見せない姿を見せつけられるとそれだけで満たされる。
 一生懸命、自分の欲求を伝えようとしている姿は、……今すぐ抱きしめてしまいたい程愛らしかった。

「……すき……………………好き」
「信じられないな」
「……うー…………うざあい…………」

 懸命に言っているのに、悪戯にはぐらかす。
 実は今の関係で初めて聞いた『告白』だ。
 絶対に言わなかったシャニが言っても一般的な効果は薄いかもしれない。
 睨んで無気になっているが、シャニの気持ちを一身に受け止める。

 ―――幸せだった。
 三日前は怪我に苦しみ、包帯で体中を、顔までを隠して自分を見せなかったシャニ。
 不意に声を掛けてしまい、そこから関係が始まる。
 初めは冷たく、だんだんと暖かく。
 今では、視線を交じ合うだけでこんなにも熱い。

「うざい………………うざ………………すき……」
「あぁ。俺もだぜ」

 ずっとどんどんと背中を叩いていた手を受け止めて、抱き締める。
 胸の中に閉じこめたシャニは、また唸ったが、苦しさの色は見えなかった。
 初めて言ったシャニからの『好き』。
 嬉しくて、耳元に唇を寄せ反芻した。

「好きだ。ずっと前から…………」
「…………うざ」
「嘘じゃないぞ。三日前なんかじゃない。ずっと前から、この日がまた来てくれるのを待っていた」

 抱きしめると、反応の遅い腕がそっと背中に手を回す。
 殺伐とした自分達には似合わぬ、まるで恋人同士の遣り取り。
 それでもこの時味わう事が出来た幸せを悲観せず、只抱きしめあった。
 ゆっくりと服を掴むシャニの手は弱々しく、また守りたいと想う。

 幸せだ、好きだ、ずっとこうしていたいと、在り来たりで工夫のない言葉を並べていく。
 うざいと彼らしい言い返しでも止まらない。口が止まっても、心の中でずっと綴っていく。

 抱きしめ合うだけでなく、もっと深く。
 ベッドの上で転がるシャニは可笑しくて何度も笑った。
 笑う度にシャニは不服そうな顔をし、うざいと一発頭を殴る。
 力があまり無いシャニのパンチは全く痛くないが、何度もやられると流石にダメージがでかい。
 ひとつひとつ、シャニの手を受け留めていく。

 ベッドで眠る顔を見ればまた至福の時がやってくる。
 想いが通じ合った夜は一段と盛り上がり、何度も興奮し合った。
 眠り上手なシャニは情事が終わればそら終了。どんな所でも寝てしまう。
 今日は、胸の中で。
 時と同じに音を刻む胸を枕にして、すやすや眠る。

 眠って放り出された片腕を掴んだ。
 自分と比べ物にならないくらい、子供らしい腕。
 柔らかく閉ざした手は、母親の前で眠る赤子を思い出す。
 その空間の中に好奇心で指を入れてみれば、ぎゅっと掴んだ。
 無意識なのか狸寝入りなのか、兎も角引っこ抜こうとしても離れない。
 無理矢理離す理由も無いので、そのままシャニと指を繋いでいた。

 小さな掌。くるまれた一本の指。

 掌からトクンと鼓動が聞こえた。
 こんな小さな器官からでもシャニの暖かさが伝わってくる。
 指を見ているだけでも幸せだが、無防備な寝顔を見ている方がもっと楽しい。
 ベッドに揺れる碧の長い髪。閉ざされた二つの色。
 いつか目覚めてしまうと思うとこの寝顔が失われてしまうと悲しくなり、でもあの綺麗な目が見られないのも嫌だ、なんて我儘な自分の討論会が始まる。

 耐えきれなくなって、頬に口付けた。
 気付かないようにそっと、静かに、優しく。
 鈍いシャニに気付かれる訳も無いが、一回だけキスをするとやっと自分も休もうと思った。
 指は繋がれたまま。
 白い肌に熱いものを感じながら。
 綺麗な自然色の髪の毛を掬っていながら。
 傷だらけの肌を見つめながら。

 三日前は包帯だらけで見えなかった肌が、今日になってやっと戻った。
 ぐるぐる不器用に巻かれた包帯に、無造作に貼られた傷当て。
 穴だらけだった体は少しは見えるものになり、病んだ目には病的な白も、天使の白にさえ見える。
 自分には愛おしく、可愛らしく見える彼はボロボロだった。
 あまりの酷さに同情してしまい、―――つい抱いてしまった。

 それが最初。
 それから何度か抱き合う形になった。
 言葉を合わせて三日間。
 たった三日で、寝息さえも愛おしく感じるまでになった。

 感情の無い目で周りを見つめ、半開きの口から切なげな歌を唄う。
 躰を動かせないまでに傷つき、誰も癒そうとはしない。
 ボロボロの状態で置き去りにされた姿を見ての、只の同情。

 ほんの一瞬の気の迷いが生んだ愛の芽生え。

 あんなゴミ、素通りしてしまえばこの三日間、何も考えなくて済んだのに。
 今は壊れるくらい抱きしめたいと想うまでに。
 何度目かのこの時間を、永遠に延ばしたい程に。

 だからずっとこうしていたい。
 隣で眠る顔を見て、ひとり起きている自分は優しげな顔で眠る姿をずっと見ている。
 その時間を永遠に見ていたいから眠りにつくのが惜しい。

 ずっとこうしていたい。
 何度内緒のキスをしても鈍感なシャニには一度も伝わらない。
 それは今回だけじゃない。この三日間の中でも何度も試した。
 この三日間だけじゃない。
 前の三日間でも、その前の三日間でも、違う三日間でも、試して駄目だった。
 その次は憶えていない彼。
 憶えていてほしいと想う自分。
 そんな葛藤は幸せだと想う。
 ずっと考えていたい悩みだと想う。

 こうしていたい。
 何度も何度も同じ事を想いながら、眠る事を惜しむ。
 ぎゅっと一本の指を握る掌。
 いつ外れてもおかしくない手をずっと見つめる。

 いたい。
 こうしていたい。

 凝視し続けていると途端に涙が溢れた。
 好きだと言われた時も、うざいと言われていた時も、噛まれた時も泣かれた時も流れなかった涙。
 三日前も、前の三日前も、ずっと三日を繰り返しても流れなかったのに。
 流れた。
 シャニが起きてしまわぬよう、声を殺しながら流した。

 流した涙で寝顔が見えない。
 これでお仕舞いだ、と目を閉じる。

 寝顔を惜しむのはこれで終わり。
 目を閉じ、涙を止める。
 指を無理に引き抜き、顔を背け、眠りにつく。

 目覚めた先に彼がいないよう、逆をいく。
 寝顔はもう見ない。
 この時間は終結する。
 その笑顔が見られるのは



 また、三日後までの、さよなら。



 喉の乾きを潤し、軍服を纏い外に出る。
 ひんやり冷たい廊下に身震いしながら、暑苦しい空間から逃げ出す。
 逃げ延びる場所は自分の部屋。
 唯一気が許せる、自分だけの空間。
 それでも用意された世界でしかない部屋。少なくとも自分が知っている中ではそこが一番心安らぐ。
 忠告や嫌味などを聞き流し、周りの物には目もくれず歩く。
 途中声が聞こえても、目指すは自室。
 たとえ、どんな声が聞こえても。



『おぃ、またアイツあんな所で寝てやがる。どーにかしろよ』
『あんなの近寄りたくないだろ。今回は特にヒドイぞ』
『グチャグチャにされてるしな。変な匂いもしてるぜ』
『人事ながら酷いな。一体何をすればあんなコトされるんだ?』
『また「オイタ」したんだろ。すれば「お仕置き」されるっていうのに。学習能力無いな、奴は…………』
『仕方ない。全く同じ行動を取るらしいぞ。「罰」は、奴にとっての「リセット」でしかないって聞いたぜ』



 ゲームをスタートし、
 プレイし、悩み、楽しみ、喜び、
 ゲームオーバーすれば、リセットを押す。



 そんな奴が、部屋の前で倒れていたのが最先。



 ボロボロな姿を見て、今回も想う。

 また、あの時と同じコトを繰り返すのか。
 いちばんさいしょの三日間、その時と同じコトを。



 ―――次のスタートも同じようにプレイし、



 ―――その次のスタートでも悩み、



 ―――また次のスタートで楽しみ、



 ―――喜び、



 ―――――――――好きだと言った。



 そんな三日間。
 在り続けたいと、……俺だけじゃなくシャニまでも想い続けているせいか、そんな三日間を永遠と繰り返す。
 いつ途切れるかも判らない無限ループ。
 また同じオープニング画面が広がっている。

 包帯も巻かれていない、ボロボロの姿。
 穴だらけの躰を誰も隠さず放置されている。

 誰かが隠してやればいいのに
 誰かが声を掛けてやればいいのに
 誰かが、この罰から彼を救ってやればいいのに。



 そう想った時、

 ―――俺はゴミの上を飛び越えていた―――。





 END

 お仕置きを受ける→捨てられる→オルガが拾う→悩み楽しみ喜び→辿り着くゲームオーバー→ダメダメですねゲームオーバーしちゃのお仕置き→捨て(略) そんな構図。何となく「3days」のキャッチフレーズが元ネタだったり。04.10.29