■ RUN



 駆け出す。駆け抜けてきた人生を振り返る暇も無く返す気も無く。息が続かなくなるまで駆ける。切れて続かなくても駆ける。足が重力にもぎ取られるまで駆ける。辿り着くまで駆ける。ひたすらに、無我夢中に、まるで青春の1ページのように駆けてみる。

 畜生、何で走らなきゃならないんだ。愚痴を道端に零しながら脚を動かした。動かなくなるまで動かした。目的地にこの身が届くまで動かし続けた。曲がり道の度に落としてきた言葉も少なくなってしまった。今では無言で駆けている。とにかく駆けている。駆けていくにはそれなりの理由がある。だから駆ける。

 それなのに、何で走らなきゃならないんだ、といつからか口走っていた。その愚痴は自分の不可解な言動へと的を変えてく。何でって、理由は考えたばかりじゃないか。走る前から想っていたから走っているんだ。駆けているんだ。訳は、追わなきゃいけないからだ。誰って、勿論彼らを。

 足を止める事は出来なかった。誰かが許さなかったのでもそんな規約があったのでもない。自分が走る事を止めてはいけないと訴えていた。こんなにも息切れ、只でさえ弱い躰は苦痛で悲鳴を上げ、視界は込み上げた涙により歪んでいる。泣きながら、体中から悲鳴を上げながら走り続ける。青春の1ページともいえない、不気味な絵だった。

 畜生、何で、どうして。つい先に解いた質問がまた飛び出そうになった。何度自分に言い聞かせても止まらない。その訳に納得した筈なのに、全身は未だ否定している。それこそ理由が判らなかった。走りたいのは追いかける為だ。例えそれが永久でも無限でも追いかける為に。じゃあ走りたくないのは。苦しい想いをしたくないからだ。簡単な理由だ。

 考えてみればそれも今更。苦しい想いは山ほどしてきたじゃないか。今更苦痛が一つ二つ増えるのも変わらない。減らせるに越した事は無いが、生きている事に苦痛を感じるご時世、そんな小さな問題に目を向けている自分が恥ずかしいんだ。おかしいんだ。間違っているんだ。

 でもずっと永久が終わるまでがむしゃらに走る。重力の無いこの世界で走り続けている。足場もあるのか判らない所なのに走っている。その先に求めるがあるのか確証は無い。見えない最後を捜して走っている。ゴールと呼べる物があるのか、一体どれだけ走れば辿り着くのか判らず走った。

 掴める物は何一つ無かった。休める場所は何処を見ても無かった。無に近い此処で頼れる物は自分の体だけだった。いかれているとか何と言われようが自分が信じる何よりの個体だった。何にも無い場所だけど、縋る場所なら知っている。ずっと昔に見つけられた。自分の目で確認したのではないから曖昧だけどそんな場所は有るとは理解ている。

 何故走る。自分の足しか信じられないからだ。
 走ってどうする。追いかけるんだ。約束に辿り着くまで。
 何故追いかける。それが遠くに行ってしまったからだ。
 何故遠くへ行ってしまったんだ。自分が遅れをとってしまったからだ。傍にあった筈なのにもたもたしていたせいで遙か彼方に行ってしまった。だから。

 何故遅れをとってしまったんだ。なぜ、なぜって自分が強かったからだ。人より少し生きる力が強かった。襲いかかってくる敵を返り討ちにさせられる力があった。それがあれは出来なかったものは去った。遠くへ去ってしまった。いくら走っても辿り着けない程遠くへ逝ってしまったんだ。

 走る理由、それは裂けられたひとつを元に戻す為。元々ひとつだったものを、別れてしまったものを再生させるために。

 追いかけているものは半身。さがしているものは元々の形。右足があったら左足があるように当然の存在を探し求めて走る。無であるこの世界を駆ける。もう無い筈の身体を懸命に動かしながら捜す。

 その時、足を止めた。走るのを止める。

 畜生。
 何度も呟いた。口からぽろぽろ破片が零れていた。言葉を出すぐらいだったら呼吸をしろ、もっと沢山して、追いかける方に力を注ぐんだ。その方が効率的なのに。良いのに。悪くないのに。

 苦しさも省みず、醜く語り続けた。全てが、純粋な感情の単語の羅列だった。

 ―――泣き言は、走ることを止めた足へぽたぽた落ちていく。



「馬鹿。走れよ。なんで休んでるんだよ。体力には自信あっただろ。あいつらもう見えないじゃないか。どこにもいないだろ。ずっと前に行っちゃったんだよ。わかってるだろ。ずっと前にここに来たんだから。僕はスタートが遅かったんだから早くしないとヤバイだろ。あいつら来るの早すぎなんだよ。追いかけなきゃ。走らなきゃ。遠い、すっごく遠い場所に行っちまったんだから。どこだ。行っちゃったんだ。でも間に合うから。追いかければ絶対捕まえられるから。あいつらも同じ所来たんだから。同じ場所にいるんだから。ここにいるんだから。大丈夫。どこにも行ってない。僕を待ってる。見えないけどどこかに隠れてる。あっちに行っちゃっただけなんだ。こんな所でぼーっと突っ立ってる奴等じゃないしね。僕が遅れたんだから早く。来るのがちょっと早かっただけなんだから早く。間に合う。どっかを歩いているだけだから。僕もやっと来たんだ。来られたんだ。だから追いかけないと。走らないと。置いていかれるだろ。ひとりになっちゃうだろ。走らなきゃ。追いかけなきゃ。じゃなきゃひとりのままだろ。もっと遠くに行っちゃうだろ。待ってろよ。早く。休むな。ひとりにするなよ。走れ。走れよ。早く。馬鹿。ふたりのところに」



 ――――――戯れ言を垂れ流しながら、再度駆け出す。別れてしまった半身と共にいるために。ひとつになるために。

 苦しみに十分慣れていた。生きる分には多少の苦痛も目を瞑っていた。生きる分には。だけど、死んだ後も苦しみにはまだ敏感だ。どんな苦痛なのか疎い。だからまだ天国に来ても地獄は続く。

 本来なら、精神的な苦痛は感じない。走り続け、息切れ、爆発しそうな身体をしていると言っても肉体的なダメージはどこにもない。肉体も無くなったのだから当然だ。死んだ身ながら、ひとを求め泣き、探し続けている。精神が生きている。光を、希望を求め走り続けている。―――生かしているのは何だろうか。

 それが解るのは―――解放されるとき。
 辿り着くとき。走り終わるときまで理解る筈も無い。





 END

 04.9.25