■ 光亭
/0
―――『事実』は史実よりも不思議で、奇怪な笑い話が多く、どんな馬鹿げた話でも肝に銘じておいておけば損はない。
お伽噺の様なニュースが屋敷中に広まっていた。誰がそんな子供向け小説みたいな事を信じるんだ、という内容を警察は流し、屋敷の者は信じきっている。この世にまともな人間は自分以外いないのかと本気で考えてしまう位、おかしな話があった。
【○月×日の満月の夜 アンタの家で一番綺麗なモノを貰うぜ。 怪盗CALAMITY】
……馬鹿じゃないか、と思う。
そんな事をしたら警備が厳しくなるだろう。泥棒なら盗人らしく、こっそり現れて誰も気付かないように持っていけばいいのに。
もしかしてこの怪盗は、よく聞く『正義の怪盗』だろうか。盗みを働くのは自分の利益ではなく……貧しい者の為。愛と正義の怪盗、悪代官の屋敷に現る。……って、自分の屋敷は悪なのか。只、厳しくなった屋敷から宝を盗むのをゲームと思っているイカレた奴なんだろうか……。
それより、……無駄に広い屋敷に宝なんてあったっけ?
自分の『家』になってもう半年経ったが、この屋敷の良い所など見つからなかった。良い場所も無ければ、良い人さえも見つからない半年。
何処か、旅に出るのもいいなと思っていた、―――そんな、満月の夜だった。
/1
僕の両親が死んで半年が経った。同じく、僕の新しい生活が始まって半年が経とうとしている。
まだ子供の僕を引き取ってくれたのは、血も薄く情も無い親戚だった。しかもその親戚は僕をよく思っていない。冷たさが近寄らなくても判るような連中だった。
……あぁ、失敗したなぁ。
新しくアナタの家よと女に連れてこられた屋敷を見て、思わず口から飛び出した。
義理の父と母は、表面上は優しい。表面上だけでもお世話になろうとしていた僕にピッタリな親戚達だった。だけどそれも、半年続けば飽きるもの。きっと、引き取った親戚達も僕という存在には飽き飽きしているだろう。
ほんと、失敗した。
……あの時、父さん達と逝ってれば良かったなぁ。最近は、そんな事ばかり考える夜を過ごしている。
勿論、子供らしく泣いて過ごす夜もあった。
家族がいない、本当に僕を気遣ってくれる人もいない。それが悲しくて、寂しくて、……隠れて泣く事は少なくなかった。
でもその姿は子供としてみれば当然の事。逆に泣かない方が気味悪がれるに違いない。適量に泣いて、泣いた所を見せつけた……ら何だか悲しくも何とも無くなっていた。
……自分は、相当ひねくれている。思うようになったのは、そんな夜を過ごすようになってから最近の話。
仕方ない、といった感じで引き取ってくれた人達はどうでもいい。昔の家より少し広くてお宝もそれなりにあって、庭も綺麗で毎日散歩する程あるから楽しくなった……とも何度か思ったが、それぐらいでは僕を満たしてはくれなかった。
大きくて寂しい自室は何かが物足りない。家に隠れているお宝なんて興味ない。散歩は嫌いじゃないけど、そんなものから愛は生まれない。実に魅力の無いこの屋敷―――其処で、天下の怪盗様は何を盗むのだろうか?
毎日の散歩の途中、考えて足を止めていた。
「……やっぱり、宝石かなぁ」
そんな事を考えていたら、いつの間にか深夜になっていた。考えっぱなしで頭がモヤモヤしていたから、いい空気を吸おうと始めた散歩。
只歩くだけの場所だけど、……滅多に人が来ないから、僕のお気に入りの場所だった。割と広くて、綺麗な花も咲いているし考え事には丁度良い。無駄に財力が尽くされた庭には、ライトアップされた花々が輝く。庭の外灯の光は、一つの影と花をより美しく飾っている。
「……宝、なんて無いのにねぇ」
灯りなど付けなくても十分綺麗な筈の、自然の宝石達を見ていた。こんな無駄に力を見せつけているあたりから、怪盗が我が家に入る事になったのだろう。普通の家で大きな庭に花壇に明かりを灯す家はない。変な所に金を使っている屋敷なら、何かお宝があるに違いない、……そう怪盗も思ったんだろう。
まぁ、確かに宝石の十個や二十個ぐらいはありそうだけど。売ったらやっぱり良い値段になるんだろうけど。
……宝の、綺麗な物を奪い合い、金を回し、愛でる間もなく箱の中眠る運命……屋敷の奴等も、怪盗も、……そんな事して楽しいんだろうか?
「……つまんないだろうな、そんなの」
「………………あぁ、つまんねー物ばっかだったな、この屋敷は」
僕には、宝に拘る完成は理解出来ない。楽しい筈がないのに、義父はそんな物を買い求めて、騙し集めて………………楽しい事なんてないのに。
そう、怪盗本人も語っている―――。
「ったく、金持ちのする事はわかんねーな……くだらねぇ…………って、ん?」
「…………」
――庭の外灯の光によって作られる影が、二つになった。
『滅多に人が来ない』から好きだった庭に、聞いた事のない声に、見た事のない金髪がいた。
僕より背が高く年も上だろうが、そんなに年は離れていない男で……金髪に碧の目をした、綺麗な男だった。そして、綺麗な男に似合う汚れのないナイフを手にしていた。……きちんと、僕の方に向けて。
「ちっ……見つかっちまったか。おぃ騒ぐなよ。騒いだら……判ってるだろ?」
「…………」
半年間、僕は新たな生活の場としてこの馬鹿広い屋敷に住んでいたが、……こんな男は見た事が無かった。新しい使用人ならば、もう少し物腰優しくてもいいのに、初めて僕を見てガン飛ばし、舌打ちはするは、…………近寄ってきて顎を上げるし脅すような低い声をしていた。
数日前、怪盗がやってくるという手紙が来た。屋敷の警備は厳しくなり、屋敷の中は騒いでいる。
そんな中、僕は関係ないと誰も来ない筈の庭にやってきた。其処に、僕の知らない人物がいる。その人は、怪しく乱暴な口調で脅迫してくる……。
自己紹介する暇は無かったが、この男が何者かは直ぐに分かった。
「アンタが……怪盗……?」
「あぁ」
騒ぐと言わない程に小さな声で問うと、男はあっさりと自分の正体を認めた。ナイフは確かに僕に向けられていたが、刺そうとはしていない。とりあえず黙らせる為に出しているだけで、何も抵抗しなければ殺しはしないだろう。
自分の身に危険が無いと察知すると、安心して呼吸をする気になった。
……とりあえず、自殺行為ながら大声で誰か呼んだ方がこの家の為なのかな。この屋敷の人にお世話になっている以上、僕はあの人達を助けなきゃならないだろうし。
「……お前、この家の奴か?」
怪盗と思われる金髪の男は、ナイフを軽く揺らし、言葉を急かした。僕より大きな体と低い声で迫力はあったが、覆面も無い剥き出しの目は全然怖くなかった。
ジロジロと、僕の体を見る男の視線…………視線に応じ、答えた。
「うん、一応」
「一応って何だよ?」
「……お父さんとお母さんが事故……遭って…………引き取られたから」
「……この屋敷の、親父にか?」
「そう……」
「……そっか。………………すまん。悪い事、聞いちまったな……」
……ん? 怪盗(今の所、強盗ぽい)が、不幸話に謝っている? 何か……結構良い奴なのかな……?
こいつは本当に、最初に考えていた誰かの為にをモットーにした『良い怪盗』なのかもしれない。どこかの小説や漫画など主人公の様な…………。
「お前も……この屋敷の奴なんだな」
「そうだよ」
「つー事は、……お前は『この屋敷のモノ』に入るよな?」
「………………え?」
金髪の男が、外灯の明かりに光るナイフを下ろす。下ろし仕舞うと、……手袋の手を僕の顔の前に当てた。
視界が、一瞬真っ暗になる。
「決めたぜ。………………この屋敷から盗むモノ………………」
「今日の俺のエモノはお前だ」
満月の夜の下、花壇の外灯の下の影は二つとも消え去った。
/2
世の中には悪いコトも進んでやる馬鹿もいる。だけどそいつらを全て【莫迦】と括ってしまうのも面白くない。彼らは、彼らなりの理由があるんだ。
全ての個体一つ一つに、何らかの『意味』があるように。
頭の良い父は沢山の事を教えてくれた。勉強は勿論、この世の生き方から巧く過ごす為の術や、自分らしく暮らす為の基本に、ゲームやメディアの事まで何から何まで子供の僕に語った。そして彼は語るだけ語って、さっさと母を連れ死んでいった。あのまま僕に知識だけ与え続ける生活をしていれば、僕もあのまま天才少年と呼ばれ続けていたかもしれない。
そんな愚痴も、一体何度零したことやら。
―――早く死にすぎた、勿体ない死だった、何で死んでしまったんだ。
同じ様な事を半年間も夢見、溜息をつき、呆然と暮らしてきた。……折角上手な生き方を教わったのに、全く無価値な暮らしを送っていた。
あの時、父がバカみたいに真面目な顔をして語った事を思い出してみる。僕に似て……いや僕が似たんだろうけどひねくれた性格でも完全に皮肉屋になれなかった父が、やたら格好つけて言った台詞。
意味は分からない事も無い。世の中にはお伽噺の様な事を真剣にやり、本当に実行してくる馬鹿が現にいたのだから。
それを身をもって僕は、体験してしまったのだから。それに巻き込まれた僕は、馬鹿と言ってられないのだから……。
―――でもさ父さん。やっぱりこの状況は異常だと思うよ。馬鹿馬鹿しいけどさ―――。
目覚めた先には、蜘蛛の巣の様なレースが広がっていた。柔らかすぎるベッドが起きあがる仕草を防ごうとしているのか、巧く身動きがとれない。
其処は、何の変哲もない只の『部屋』だった。ベッドがあり、デスクがあり、本棚があり、個々にアンティークグッズが置いてあり―――、……そんな普通の部屋だ。
しかし目覚めたそこは自分の部屋ではない。夜の庭園から何とかして自室に帰ってきたのでは無かった。自分の部屋でも無ければ、親戚達の部屋でもない。……言ってしまえば、半年間暮らした屋敷にはこんな部屋がない。
ここは、僕が知らない場所。そこに、何故か寝ている自分。…………そこまで考えて、記憶が甦った。
「あぁ……僕、『誘拐』されたんだっけ?」
出来事が満月の夜だったのを思い出す。僕の住んでいた屋敷。花達しか目撃者のいない夜の庭園にて―――男に出逢った。
少し奴と話して、ソイツがあんまり悪そうな奴じゃないなと思って、それから……。
それから……?
レースで下界と隔たれていた少女趣味のベッド。そこから下りて本棚に近寄った。
この部屋には窓が無い。壁一面に本棚が詰まっていて、隙間無く本が埋められている。机の上にはやはり丁寧に本が数段積み重なっている。どうやらこの家……この屋敷の住人は、囲まれて眠りたい程本が好きらしい。インク臭くて堪らないというのに……。
「……っ」
ぶるり、身震いした。……父の無駄話から引用だが、インクの匂いは利尿効果がある。一端の本屋には清潔な手洗い室を置いておかなければ商売にならない―――なんて事を思い出した。
部屋を見渡して、本棚以外の壁を探す。……一点だけ、ドアのスペースを見つけた。
「……すいませーん」
声を掛けても何も反応しない。天井をよく見てもカメラの様な物も無い。どこも縛られてもいないし、監視者もいない。ドアノブを回してみると、……あっさりとドアは開かれた。これはご自由にご入出下さい、と言っているものじゃないか。
「……僕、誘拐されたんじゃない……のかな?」
―――眠りに落ちる前の記憶を呼び起こせ。
庭園。馬鹿みたいな騒動に包まれた屋敷。灯に揺れる花々。
騒動と屋敷とは、無関係な僕。その後には月夜に光るナイフ。
そして男。
……男。
不法侵入者のくせして、顔も隠さず真っ直ぐ僕の目を見てきたあの男。
そいつが、誘拐犯。なのに……。
「……誘拐だったら拘束ぐらいしろよ、バカ泥棒」
近くのトイレでゆっくり用を済ましても、誰も現れはしなかった―――。
あのまま部屋に戻り昼寝をとっても良かった。けど寝過ぎたのか目はハッキリとしている。覚醒した意識に見知らぬ屋敷。こう来たら、興味は『屋敷探検』しか向かなかった。隠れる訳でも無く、堂々と廊下の真ん中を歩いていく。全体的に豪華な造りの廊下で、それがこの屋敷は立派なものなんだということを教えてくれた。あの親戚達の家より豪勢な気もする。
窓が廊下に無いせいか、灯りは全て蝋燭に頼っている。そう言うと不気味でお化け屋敷を連想させるが、全然おどろおどろしさは無かった。空気は寒く無い。雰囲気は暖かい。人影が無い事以外は何の不思議も無い綺麗な屋敷だった。
廊下にドアがある毎に開いていく。全ての入り口に鍵は掛けて無かった。ドアの先は様々で、それでいて似たような造り。本ばかりの部屋が圧倒的に多かったが、時にはCDばかりの部屋なんてものもあった。どうやたここの住人はインドアな人らしい。衣装だけが収納された部屋もあった。男性物が多かったが、ちゃんと女性用もある。年輩向けの服装や、少女用の可愛らしい衣装なんかもあった。『怪盗』と名が付くだけあって、変装にはこれぐらいの数は必要なんだろう。
……そうだ。今、僕は『怪盗』の屋敷に居る。所々に飾っている豪華そうな物は、全てあの男が盗んできた物だろうか。
でもその宝全てがこの上品な屋敷に合っていて、盗品臭さは一切感じない。認識が、どんどん崩れていく気がした……。
ふと立ち寄った部屋がキッチンらしき場所で、勝手に冷蔵庫漁って軽食したりもした。あんまり中身が無く、変な飲み物ばかりが並んでいる。でも庶民ぽい食事ばっかりだった所から、こんな豪勢な館に住んでいても煌びやかな貴族っぽさは感じなかった。案外普通の人間が住んでいるのかもしれない。
ここまでしているのに、まだ誰も会っていない。……もしかしたら、僕の方が『侵入者』なのかもしれない、なんて考えてしまう。堂々とキッチンに並べられた椅子に座って食事をしているのに、誰も現れない。こんなに広い家なら主だけじゃなく使用人の何人か現れたっておかしくないのに……。
「……って、何で僕、探偵気取りなんだろ……」
その訳は、他にやる事が無いからだ。
何の変哲も無い部屋達。
全然おかしい所が無い屋敷の造り。それでも、只一つ……不気味な点があった。
出口が無い。
こんなに歩き回っているのに、廊下は部屋と部屋とを繋ぐだけで『外』を目指す空間はどこにもなかった。キッチンくらいは窓があるだろうかと思いきや、大きな空気清浄機なんて物があったが出口らしき物はどこにもない。換気扇の奥も暗い。
成程、拘束もしないで監視も無くていい理由はこういう所からか。何処にも逃げられない。……外への手段が一つも無いのだから当たり前だ。
「はぁ、……こりゃ怪盗さんも考えたな」
しかし何処かに玄関がある筈だ。そうでなければ自分達も外に行く事が出来ない。盗みに外へ仕事が出来なくては『怪盗』と名乗っていられないのだから。何処からか、僕を連れてきた『穴』がある―――。
……とは言っても。いつの間にか元居た部屋へと足は動いていた。逃げ出す事を考えていない訳では無い。逃げ出せるものだったら直ぐにでも出たっていい。だけどそれが出来ないのだったら、大人しくするしかない。
……もしかしたら怪盗は僕を使って身代金の要求をするのかもしれない。そうなったらどうしようか。……抵抗してみるか、そのまま親戚達が金を渡すまでじっと助けを待っているか。優しい親戚達はきっと何とかして僕を助けてくれると思うから。只、……親身になって心配はしてくれなそうだろうけれど。
こういう時、普通だったらどうするべきなんだろうか。
最初居た部屋で、何も出来なくて一人わんわん泣いているべきだったか。早く帰りたいと、お家に帰してと、ママの所に行きたいよー……と喚くべきだったか。
でも僕にはそれは似合わない。あの親戚の屋敷は確かに僕の帰るべき家ではあるけれど、自分の意志で帰ろうと思う家じゃない。それに僕の『ママ』である人はどこにもいないし。そのママの所に行くってことは、つまりアレだし。
―――半年前からずっと想い続けて来た……『父さん達と一緒に逝っていれば良かった』と同じだし。
やっぱりインク臭い部屋に戻ってくる。一応寝室らしいが、図書室に無理矢理ベッドを取っ付けたような部屋だった。
監視はどこにも居なくて、ごく普通に招かれた部屋のままだ。一応1時間くらい屋敷探検してきたんだけど、何も変わっていなかった。変に少女趣味なレースに包まれたベッドに戻る。そこに倒れ込…………
「……ぅっ?」
「ッ……!!」
…………んだ途端、違和感を感じた。
羽毛布団の柔らかさ以外。鼓動する柔らかさがある。それは確かに、人の手の形をしていた。
そこには只毛布が掛かっているだけだと思っていたから、いきなりある異物に仰天する。そこにまさか、他人が眠っているとは思いもしない。
いやそのまさか、……何であんなに屋敷を歩き回ったというのにいない人が、こんな所で寝てるんだよ!?
当然の突っ込みを入れる。
「……う……」
白いベッドに紛れていたのは同じ様に白く、細い手だった。ベッドの奥でシーツにくるまっている猫。……否、猫の様に背を丸くして眠っている――少年。
「……お、おい……っ」
「………………う……?」
潰されたというのに反応しない少年を見て、つい声を掛ける。暫くもぞもぞしてベッドから出てきたのは…………やっぱり猫の様な奴だった。少なくとも、僕を攫った男ではない。
「……何?」
ボサボサの長髪を掻き分けて、……片方だけの目が僕の方を向く。
「な、なに、じゃない。アンタ誰だよ。あとココはどこなんだよ。あの金髪の男はどこ行ってんの? ここに住んでる人だったら出口はどこ? あ、それと今日はいつさ」
「……うー……?」
急に質問されてか、目の前の少年は気難しげな顔をした。長い時間、眠っていたらしい。安らかに眠っていたのに僕に起こされて機嫌が悪いのか、元々低血圧なのか…………って、1時間前に僕もここで目が覚めたんだけど?
…………もしや、その時もずっとここで眠っていた。
じゃあ僕は、全然知らないコイツと一緒に眠らされていた―――?
「だ、誰なんだよアンタ! それだけでいいから教えろ!!」
混乱してきた頭は叫びへ行動を持っていった。そして、低血圧な少年は…………
「おまえ、なにー……?」
「……」
…………僕と同じような質問をして来た。
よくよく『趣味の悪い』と評してきたベッドを見る。結構大きい。人二人で寝るのが丁度良いサイズ。一人で寝ても全然相手の事を気にせず眠っていられるサイズだ……。だから天井のレースばかり気を取られていたから、直ぐ隣の少年に気付かなくても無理もない。……多分。
白いレースに囲まれたベッドは、外からでは全く様子を見る事が出来ない。……目覚めて直ぐに起きあがり、部屋の見にベッドから離れたから眠っていた少年に気付かなかったんだろう。1時間経って部屋に戻ってきても、ベッドに戻るまでは眠っていたコイツには気付かなかった……。
眠たそうな目をした少年は、またシーツにくるまり微睡んでいる。コイツがここの屋敷の住人か知らない。……もしかしたら僕と同じ、あの男に連れてこられた奴かもしれないし。でもだとしたらもっと慌てていいものを、コイツは呑気に眠っているし、眠ろうとしているし……。
「あー……お前が昨夜盗んで来たモノー……?」
「……っ!?」
「そっか……昨日の獲物って『コレ』かぁ………………お前……オルガの好きそうな、子だし……ね…………」
「やっぱアンタここの屋敷の人、………………っっ!!?」
髪を掻き分けながら僕を見ていた片目の少年は、……じっと僕を見るなり口付けた。
それも一瞬の事。一瞬にして唇を奪って、全体中を僕に乗せてくる。
「ちょっ、…………おいっ!?」
そのまま、……僕を枕にして寝息を立て始めた。
―――思い出す……あの男の言葉を。
『決めたぜ』
『……この屋敷から盗むモノ……』
『今日の俺のエモノはお前だ』
狙った獲物を狙う獣らしい、鋭い目つきのあの男を―――。
「…………すー…………」
「激重!! お前細いくせに何でこんなに重いんだよ! ……って、何で寝てるんだよー!!」
僕は盗まれた。寄りかかってくるこの少年の言葉が正しいのなら、僕はやっぱり誘拐されたんだ。
でも、その怪盗は?
盗んだその男は一体何処に行ってしまったんだろう―――?
/3
不思議の国に落ちた少女はあの時、何を想った。
不可思議な世界にたった1人舞い降りた少女。自分以外の常識が通じず、何もかも判らぬまま旅をする。……昔に見た物語でそんな話があった気がする。きちんと覚えていないけど有名な話。
それは生まれたばかりの赤ん坊の様な話。何をすればいいのか判らない。何が出来るのかも判らない。
道から外れた迷子の少女と、道をも見つけられない赤ん坊。どちらがよりタチが悪いか。
……あ、でも『赤ん坊』の方ならなら行動も制限されるし……、何より守ってくれる人がいる。少女の方は道を見失っても進む足があった……だから自分は『赤ん坊』の方。
本当に、自分が赤ん坊であれば、……幾度思った。
自分が、…………自分は、今の僕は―――道を見失って何も出来ず誰も助けずの存在。少女と赤ん坊の、どちらも悪い所だけをとった存在。
一体、何を想えばいい………………?
僕は、ある少年を抱いている。
「……」
すやすやと胸の中で少年を抱いている。……僕が抱いているのでなく、僕は抱かれている身だった。名も知らぬちょっと不気味な彼は、背中に腕を回し僕をベッドに固定する。その力は、……さっきよりどことなく増している気がする。
こいつは動かない。絶対に。僕の気のせいならいいけど、……死んでいるんじゃないかと思うくらい…………。まぁ、『すやすやと』寝息を立てている時点から生きているのは間違い無いんだけど。
「……どけよ」
「んー……」
呼びかけても目覚めない。
……赤の他人に全体重を他人に任せきっている。抱き枕を得て、ぎゅっと抱きしめ、……すやすやと…………。
「どけよ!」
「んんぅー………………」
……耳元で大声を上げるが動かない。
どれくらい寝てなければこんなに深い眠りに落ちれるんだろう? ……それにしてもこいつは何十時間も寝ているように見えるが…………この、フリルのベッドの上で。
「オマエー……おまえ……」
「な、何だよ……ッ。あのな、話す時は目を開けて話せ!!」
少し首を上げる。ゆっくりと、……一瞬開けた目は光っていた。
死んでない。死んだように眠り、……死人のように白い肌、儚い色の空気を背負った少年………………いや、まるで『空気』なヤツでも、目までは腐っていなかった。
「まくらのくせにうるさいー……」
「僕は枕じゃないっ!!」
「……うるさーい………………」
『空気』。
我ながら的確な表現をした。体重はずしりと僕の全体で感じ取っているけど、……宙に浮いてしまいそうな雰囲気を持っている。
説明は出来ない。けど、全体的なイメージがこいつをそう見させてしまう。
重いのに軽い。言葉に説明出来ない対極。寝息を感じているのに死人のようだなんて、……自分も目がおかしい。
おかしいのは…………こいつだけじゃない。
そう、オカシイのは、この空間すべて。
少年も。
ベッドも。
飾りも。
ドアも。
廊下も。
人形も。
絵画も。
鎧も。
灯りも。
怪盗も。
僕も。
……。
……僕、も?
おかしい。
―――カツ
「……」
再び乗り掛かる少年が寝息を立て始めた…………時。
―――カツ、カツ
……ブーツの音。廊下を歩く音がする。
甘えるように拘束する手は逃れる事が出来ない。嫌に耳に響き渡る高い音。……廊下磨きすぎだろ、とか、近所迷惑な靴とかとんでもない事ばかり思いつく。そんな僕は典型的なひねくれ者。
自分で僕をツッコんでいるうちに、甲高い音はしなくなり、……ギィ、という軋んだ音が耳に届く。
―――それは、ボスのお出ましの合図。
豪華な絨毯を歩む音が聞こえる。
興奮した。
こんな豪勢で胡散臭い屋敷を一定のリズムで歩くヒト。想像しただけで体温が上昇した。鼓動が早まった。
緊張した。
胸の中で眠るヤツに高鳴りが聞こえてしまう程。
呼吸した。
そして、―――覚悟を決めた。
不思議の国に落ちた少女は、何故旅が出来るのか?
赤ん坊は、どうして立ち上がるまで成長出来るのか?
兎なんて追いかけずに穴をよじ登れば物語は完結する。親の元で見守られ一生を過ごせば外の危険など体験しないで済む。
それなのにわざわざ自分で赴き、非常識に一体にさせ、下界を飛び越え、一人で動き喋り歩む…………。
僕には両者の好奇心は無い。あるのは、……両者どちらにもある『適応』能力ぐらいだ。
壊れる常識。
壊れた常識に従えばいい。
崩れる観念。
崩れた精神を学べばいい。
何もない身体。
何もないなりに歩めばいい…………。
―――で、どうして僕は少女と赤ちゃんなんかで例を挙げてるんだ?
それは多分。
……わざと難しい事を言ってないと、安易過ぎな世界に適応出来ない……気がしてきたんだ………………。
特に、意味なんて無いんだ…………。
入ってきた男は、普通だった。
「……」
「―」
普通。目と手と足が2本ずつある。幸い口と鼻は1つ以上無い。僕が知ってる中の「普通の男性像」そのままだった。
……かと言って、どこにでもいるような男じゃなかった。平均よりは上の容姿をしている。……とても、良い意味で。今は口を閉ざし、目を僕の方へ向けているけど、―――口を開けばその声が佳い物だと知っている。
僕は、知っている…………。
……前の夜に、聴いたからだ。
「…………」
「――よっ」
僕よりは大人で、金色の髪は長めでそれを上に上げている。年上に見えそうだけど、髪を下ろせば多分同世代ぐらいに見えるんじゃないだろうか……。
「……あのさ」
「なんだ?」
声を掛け、返事を待つ。
それは、……今まで僕が体験してきた普通な会話だった。しかも、まるで仲の良い友人同士の時のように…………。
「コイツ……、どかしてくれない?」
「コイツ? ………………ってこいつか」
「そう、コイツ。さっきから僕から離れないんだけど」
「あぁ、俺の時もまず離れない。………………シャニ、迷惑らしいぞっ」
気軽に言葉が飛び交い合う。何の違和感も無い。口から飛び出た単語達が形を成し、意思を通じ合わせる。
ごく一般的な感情の伝え合いに、…………逆に違和感が生じた。
普通ならなんて事ない。……此処のヒトだというのが判っているから、おかしいんだ。
「………………んー………………っ」
「シャニ、起きろ」
「起きなくてもいいから退いてよ」
僕の上でもぞもぞ動き、起きあがろうと出した筋肉を僕が全て受け止める事になった。グッとかかる確かな力。こちらもグッと声が洩れてしまう。
「………………オルガ、おかえりー……」
「あぁ」
僕を布団代わりにしていた少年は眠たげな目を開けて……眠たげに声を出す。男はベッドに寄りかかり…………起きたシャニを迎えた。……親しそうな仕草で。
「……」
ギシっ、とベッドが沈む。
目の前で、仲睦しい行為が繰り広げられた。顔を背け、赤らめた面を隠し………………た時には、少年は次の眠りに突入していた。
「…………」
全く、何て生き物だろう―――。
眠りにつくソレを、愛くるしげに見つめ撫でる男がいる。その優しげな眼は、―――そのまま僕に向けられた。
「……ッ」
紡んでいた唇が弾き飛んでしまいそうな衝撃を受ける。……驚いたんじゃない。怖かったんでもない。
でも、…………何かに震え、興奮した。
『怪盗』という希少動物を目の前にした衝撃なのか、…………もっと違う、物凄いものを目にしてしまったような…………。
「僕を……、どーすんの?」
「あ?」
「僕の事だよ! 攫って来たんだから、それなりに理由があるんだろ。身代金でも要求するつもり?」
衝撃によれながらも、威嚇するような口調で放つ。……ずっと、気がかりだった事を。
「あー。そうか……攫ってきたらそういう手もあるんだな……」
「でも、…………それムリだよ」
……自分で言っておいて難だけど、さっきの案は通用しない。一番あり得る『人攫い』も僕には意味が無い事だった。
―――あいつらが金を出してまで僕を取り返そうとする筈がない。
もし持って来たら? それは、……きっと世間体を気にしてやることだ。
ヒト一人いなくなったぐらいで世界は変わらない。普通なら騒ぎになっておかしくない事件も、あいつらなら起こらない。
『空気』。
空気なんだから……。
空気になっていたんだから…………。
手に掴めないモノ、元に戻そうとしたって無理なんだ………………。
そうある事が、あの世界で一番辛くない姿だった。半年間で僕が適応した姿だったんだ―――。
「………………すまんな、その気はない」
あっさり、首を振る。一連の仕草は、『そんな事考えた事もなかった』と主張していた。
「俺は欲しい物は自分で手に入れたいんだ」
全てを掴む、―――と自信に満ちあふれた眼をまた感じた。身体が、また熱くなって…………ヘンになりそう。
「ヒトから渡されるなんて嫌なんでな」
「……へぇ。じゃあ『盗み』ならいいんだ、金も……」
「あぁ。―――俺は『怪盗』だからな」
……。
……一体。
……なんだろ、この理論。
男は言う。どこも解決していない、矛盾だらけの理論を。
何も通っていない道理。世間一般では認められない精神。
それを、……なんて綺麗な顔で言っているんだろう。
「……アンタ、イカれてるの?」
「いいや。怪盗としてはマトモだ」
………………只のドロボーのくせに、清々しい声で男は言う。見事な社会不適合者だった。
「それにしても、お前……慌てないな。見知らぬ土地に連れて来られた奴は対外騒ぐもんだぜ」
「うん。…………僕は一度……似たような事、経験済みだからね」
一度だけで人生を悟ってしまう程、辛い経験を。苦しい体験も、僕には苦しくないと逃れる為にうまく出来ている。
対外の人間にはその機能が備わっているみたいだけど、僕は特に早いらしい。早い時は3日で慣れる。……いや、1日で終わるかもしれない。
あの世界に半年いて…………僕はいつから泣かなくなったんだっけ……?
僕は勝手に僕を適応させていた。だから―――きっと今も………………。
「……で? 僕は何のために攫われたの?」
「コイツの枕が欲しかったんでな」
……。
…………。
………………。
「……ねぇ。僕が攫われた理由、教えてくれない?」
どんな事言われても慌てないしさ。……ムチャな要求じゃなければ。怒らないし、泣かない、喚かない。そうデキてる。だから………………。
「だから、それの枕だ」
それ。
指さす。
―――眠る、少年を。
……。
…………。
………………。
「ゴメン。僕もイカれてるみたい…………何言ってるか判らないんだけど」
サッパリ、……奴の言ってる事が判らない。
主語。述語。指示語…………何が足りないんだ? 全部? 何を補えばいいの?
合い言葉は適応。
多少謎めいた言動も理解出来るよう早く適応させよう。それ、と指刺したものは今も僕の隣ですやすや寝息をたてている…………ヘンな奴だった。
「シャニな」
……シャニ?
「それ名前、シャニって言うんだ」
男に『シャニ』と呼ばれ、…………ぴくりと眠る躰が弾けた。
「コイツ、こう見えて寝付き悪かったんだよ最近まで。だから良い抱き枕を欲しがっててな……」
身体が動いた時間は一瞬の事だったが、呼ばれ反応を見せるのは間違いなくそれがその名前だったからだ。
それの名前はシャニ。……じゃあ、今話をしている『コレ』の名前は…………?
「だから俺は………………シャニの枕が欲しかったんだ」
「……で?」
「それが、お前」
社会不適合。異常。普通じゃない。……イカれてる。言い表せばきりがない。
今の僕が懸命に探している言葉。何度も言っている…………言葉。
「俺は必要な物を盗む。盗んで生計を立てる色なんだから当然だろ?」
労働者が労働して物を得るなら、盗人は盗んで物を得る。だから、欲しい物があれば盗んだのは当然。
「こいつ―――シャニが欲しがっていたものは、俺が欲しがっていたものだ」
それは―――……
今夜の獲物は―――……
壮大な舞台の招待状を送りつけといて、お宝は―――……
「……………………枕?」
「そう、どんな物でも良かった」
丸めた毛布。豪華な装飾品の塊。肉付きのよい女―――何でも良かった。良かったが、出来れば品物の良い物の方がイイに決まってる。
だから金持ちの屋敷で……無駄に物が余ってる所で…………掘り出し物を見つけた。……絶対に、他の連中では探し得なかった『空気』を。
「抱き枕は抱えやすくて可愛いやつがいいだろ」
「抱えやすくて…………っ?」
さっきまでシャニが僕の身体に腕をまわし、胸に頬をつけていた。……抱えやすそうだった。
「可愛い…………っ?」
確かに、僕はSサイズだけど。…………そんなの、認められるものか。
「…………そんな理由で盗まれてたまるもんか」
「でももう盗んじまったもんはしょうがないな」
「しょうがない、って………………枕は何も言わないし食べないし歩かない。けど僕は喋るし食べるし動くんだよ? そんな『枕』で良いの!?」
「あぁ。………………お前が一番、あの屋敷で輝いていた」
―――虚言を、男は話す。
奴等の部屋なんかに行けば、もっと寝心地の良い高級枕ぐらいあっただろう……なのに、こんな不穏な形をした……人間を枕にするなんて…………。
異常。異常……すぎる。何て世界に生きている奴なんだ。
この理念には…………流石の僕も適応できな…………?
「…………そうだ。お前…………服、脱げよ」
「な、……何でさ」
「枕が服着ている訳ないだろ」
僕は枕じゃない……!!
第一、枕にだって枕カバーって物があるじゃないか―――!!
「……っ、ま、まさか……お前もココで寝てるの?」
「ココしかないからな」
こいつら一緒に寝てる……?
って、僕はシャニの枕なんだからココに(腕で)縛られてるのであって……僕もここで寝るって事だから……
僕もコイツ一緒に寝るの…………っ!?
「ほ、他のベッドで寝ろよ!」
「ベッドなんてデカくて重いもん盗みたくねぇよ」
それでも天下のドロボーか!!
「服を脱げ」
「嫌だ!」
「…………………………ったく、あのな」
困ったように男は一息つき、…………真っ直ぐ僕に手を翳した。
触られる。いや、殴られる?
目の前に現れる手。顔を覆う掌。
瞬間、―――目の前が光った。
「………………あ」
興奮は………………終わった。
眼の前に、…………僕の指の長さの間も無く
白く光る、刃があった。
ナイフ。
興奮していた熱が急激に下がっていく。動けない。……けど、自動的に僕は動きだしていた。がたがた、ぶるぶる……と。
「俺も……お前もさっき『怪盗』て言ってたけどな」
綺麗な口元が―――歪む。
すっかり忘れていた。この男は、―――最初から僕に刃を向け脅していた『凶悪犯』だった事を。
「―――俺は『強盗』にだってなるんだよ」
【/4】
アリスがまだ戻れないでいる。
多分、いつまでも不思議の国に居座る気だ。居座って、居続けて―――不思議の国の住人となろうとしている。
自分で望んだのでも、誰かに強制されたのでもないのに。どちらにもつかない状態のまま。
―――僕は盗まれた。
……というのは、間違いだった事と気付いた。
盗むも何も、僕は何処にも属していない。一応、管理下はあいつらという事になるんだろうけど、僕自身はそう認めた事は無かった。ひねくれた性格をいくら改めようが、表絵友好的な家族に愛おしさなんて感じない。強がりでも何でもない。
大体いくら管理下でも……あのライトアップされた花壇の花が一本抜かれたとしても、誰が咎めるのか?
花ひとつ無くなった事にさえ気付かないだろう。誰かが其処を乱したという事に……。スペースが空いてしまった花壇には、いつの間にやら新しい種が飛んできて……植えられて……育って。前に咲いていたものの事なんて忘れてしまうんじゃないか。
だから、僕は『かつての僕』を考えない。考えることは無駄だ。
……けれど、何処も彼処も無駄で溢れていた。
世間体を気にして父達の後を追う事が出来なかった自分に。
独り立ちする事もなく、何となく大気と同化していた自分に。
養子でも息子として張り切る事もしなかった自分。
只の肉塊になろうとしている今、「身を任せてしまおう」なんて考えている自分がいる。
「……」
きらりと光る刃。直視しても変わるなんて事なく、僕の命を絶とうと輝いているだけだった。
その光が要求しているのは、服従。言う通りにしろ、さもなくば殺す。そんな簡単な構図。
簡単すぎる方程式に悩む時間は要らない。答は直ぐそこにある。……けど、一向に答を言う気は起きなかった。
「……おい」
痺れをきかせたのは、ナイフを向けていた方。妖しい目も同時に体を突き刺してくる。隣のいつまでも寝ていた奴は、また眠り始めている。……僕達の邪魔にならないようベッドの端で丸くなっている。変に気を遣っている妙な奴。そんな風に周りの状況を確かめられる程、今の状態は落ち着けるものじゃない。今にも刺しそうな真剣な目は鬼のように鋭い。だけど、恐怖に反して…………言葉が紡ぐ。
「そんなので僕が怯むと思った?」
「……なに……」
有りっ丈の強気の台詞を、……震える体を笑みで誤魔化しながら発していく。がたがたぶるぶるとか揺れていたけど気にせず、碧の目だけを見る。
ナイフは見ない。……喉に突き立てられていても、そんなものは無いと言い聞かせた。
「バカだね……僕はいつ殺されたって大丈夫なんだよ」
「…………けど、嫌だろ?」
「今まで面倒で何もしなかったけど、……もしやってくれるんなら……」
そのまま突き刺すとしたら…………真っ直ぐ父さんの所に行けるだろう。
生き延びた者へのプライド何てものも、ここなら捨てる事が出来る。殺してもらえるなら大歓迎だ。
……よく判らない変人に攫われても、絶望を感じなかった。それは今まで自分で為し得なかった希望を、他人の手でやってもらえる気がしていたからなんだろうか?
……嬉しささえ、感じていたのかもしれない。
「俺の………………言うとおりにならない?」
「あぁ」
……でも本当は、涙が出そうになる程、怖い。生に執着する事は恥ずかしい事なんかじゃない。今からだってゴメンナサイと言ってナイフを退かしてもらってもいい。その手を退けて抗戦するのだって構わない。けど勝てっこない。バカしたら死ぬかも知れない。生きた心地が全然してくれない。苦しい。
でもそれは―――この息があるからであって。
「……全部、……自分の言うとおりになると思うな」
……。
―――ナイフを下ろす。
下ろした刃は、一瞬にして消え去った。瞬きをしている間に何処かにしまったのか、魔法で消してしまったのか。この男は手品師なのか魔法使いなのか。…………兎角、僕を犯す要素が一つ消えた。
「……俺の、言う通りに……ならないのか……」
ベッドに腰を下ろして、楽しげな溜息をつく。ふいっとずっと丸くなって眠っている奴の方に目を向け、そのまま視線を僕の方にまわす。そして吹き出す。僕に笑いの沸点があるかのように。
「……なに、そんなに自分の思う通りにならないのがオカシイ訳?」
苛立った。何もかもが自分中心にまわっていたような『怪盗様』だ。僕が屈しなかったのがそんなに可笑しいのか、ずっとニヤニヤ笑っている。高く声に出して笑ってくれればこちらも気持ち良いのに、クツクツ笑う姿は次ぐ成る形が読めない。まだ、体の震えは止まってくれない。
「オルガ・サブナックだ」
「……?」
「俺の名前だ。そっちでグースカ言ってるのはシャニ。挨拶は後でしてやってくれ。今は寝たばかりだから起きないだろ。シャニの半分は眠気で出来てるからな」
軽笑を止めるスイッチが入ったかのように喋り出す―――オルガ。
その会話のノリは、ごく普通の人間だ。少し怒鳴っただけでナイフを取り出した犯罪者でも何でも無い。今は、あの事実を全て取り除いてしまったような空気になってしまっている。
ころころと時間が変わる。全ての物事は断片的で、直ぐに記憶を落としてしまいそうになる。
枕になれ、と威張ったあの恐怖はもう無くなっていた。
「過去の事を気にすんなよ。昔の事ウダウダ言うの、お前の癖だろ」
「……それが僕を成す成分なんだよ、仕方ないじゃないか……」
「はぁそうか。シャニの半分が眠気なら、お前の半分は―――人生を悲観する事で出来ているかもな」
「……はぁ? それ、巧く言えたって思ってんの?」
頑張って詩的な事を言おうとして失敗しているように見える。自分の基本的思考がネガティブだっていうのは判るけど、どうしてこんな変人に癖まで見抜かれ警告されなきゃいけないんだろう。
「お前の考えは……読みにくいな。もっと自分に素直に生きろよ」
「あのさ、僕は『枕』なんだろ? 枕相手に説教するなんておかしくない?」
「ん? お前本当に自分が枕だって認めたのか」
「…………………………そんな訳、ない。だろ」
意地悪く笑う。人をからかうのが好きなのか、僕が不服そうな顔をするのと比例して上機嫌になっていった。本当に、目の前の男の人間模様が怪しく見える。
人を攫う。
放置しておく。
人を物扱いする。
殺す(未遂)。
笑う。
何事もなく―――。
見透かれたこの感情は何なんだろう。
「でもな、寝具に話しかけたり優しくする奴は良い夢を見やすいんだぜ」
「そんな乙女な知識知らないよ……」
「乙女、…………俺は乙女か?」
「とりあえず乙女は『服脱げ』なんて言わないけど」
服はまとったままでいられた。だけど、僕が枕になっているという事には変わらないらしい。
そのままベッドに倒され、―――上に乗られる。
「う……ッ!」
ぐっと中央にくる圧迫感。自分より大きな男に乗っかられている。不自然な所に体重を預けられて苦い物を感じた。枕は毎日こんな苦しい想いをしていたのか。
「……ど、け……っ」
圧迫によって潰れそうな喉の奥。そこから恨めしい声を出した。とにかく自分が人間じゃないというのが許せなかった。どうして僕がこんな男の下敷きに。ナイフで死ななくても窒息で死ぬ瞬間が近づいている気がする。
「少し我慢しろ。…………苦しくはしない」
「今も十分苦しいよ……ッ!」
屁理屈もこの男には通じないだろうか。……会話が繋がっていないような中、再度息を殺した。
痛みから耐える為に身を強張らせる。瞬間、甘く良い香りがした。
「んっ……?」
お菓子を頬張るような気持ちよい香り。果物に口付けるような甘い、唇のくすぐり。
擽られている。力が抜けとの命令が、男の体から発せられている。
体は直に伝わらせている。
唇と唇の重なり。
「……ッ」
一度あった事だからさほど驚きはしなかった。
けれど前にはなかった強くて甘い口付けに言いなりになってしまい、―――力を抜いてしまう。
「!?」
その刹那、体の中に入ってきた。
あらゆる器官から、あらゆる波が押し寄せ、入り込んでくる。
大きな海原。
何もない、空虚の砂浜。
突然やってくる津波。
覆い被さる大群。
無惨に全てを奪われていく浜の砂。
流れ込んでくる、熱い波。
入ってきて犯していく。どくんどくんと胸打っているのに追い打ちをかけるように犯していく。
ビリっと体中に稲妻が走る。
痺れて動けなくなる程強い雷。
波に呑まれ、潰されそうな浜に落ちる。
穴が空いてしまう。
無惨な中身。
断続的にやって来る衝撃を受ける。
波打つ。
鼓動が不気味に早く音を立てている。
残るものは、―――奴が通った痕。
「ぅ……ッ」
そんな夢を視た。たったひとつの口付けに、星の反対側にまで落ちていく夢を視た。
けど夢はいつか覚醒する。
思い切り奴の躰を押しのけた。
「ヒッ、…………はぁ、……ぁ」
「…………………………そんな」
ふたつしかない呼吸の器官を潰され、心臓はばくばく悲鳴をあげていた。
口元には奴の味が残っている。垂れて繋がる涎の半分は溺れた自分のもの。
「はぁ、…………はぁ……っ」
逃れる為にあるだけの力を込めて押しのけた…………せいか、オルガはベッドの下で尻餅をついていた。その姿は滑稽。無駄に格好付けていた奴には似合わない姿だった。
「……俺の、…………想うように……ならない…………?」
呆然と、そんな戯言を垂流す。
「俺でも……………………盗めないものが、あったのか!」
男は、……オルガはまた笑った。今度は人をバカにするような意地汚い笑いではなく、―――声を上げて笑った。
本当のオルガの声を初めて聴く。……いいや、初めてじゃなかった。
この嬉々とした声。庭園で聞いた―――
『今日の俺のエモノはお前だ』
声と同じものだった。
笑う。自分のおかしな格好と、巡り会えた運命を笑い続け、―――隣で眠る奴は尻餅の音の拍子か寝返りをうった。
/5
『怪盗』だなんて皆呼ぶけれど、もっと相応しい二つ名を見つけた。
―――お前、帰りたいか?
決死の情事が終わって、奴ががそう言う。
「帰るって何処に?」
判っている問いに、わざわざ修飾を付けてほしくて聞き直す。
―――元々、お前が居るべき……場所。
何を思ってか、怪盗は今更な話をする。僕を見る時の目は、……満足げな笑みを表情全体で表している。幸せそう……満たされている……そんな言葉が似合う彼だった。
「『僕が居るべき』だった場所……?」
それは…………何?
……天国、とか……だろうか?
―――バカ言え。お前はどう視ても地獄行きだろ。
……。
……奴の言う事は一つも信じられないが、これには何となく納得いった。
「……ううん。別に」
正直に、僕があそこで感じた事を話す。
「あそこには、僕が想えるものは何も無いから」
「そうか、それは良かった。――――――全部、盗んでおいて」
戯言は、まだ続く。不思議な気持ちをいつだってくれる……魔法使いは語った。
「…………え?」
「奴等の記憶は全部盗んだ。今の奴等にお前のいた歴史は無い」
何事も無いかのような綺麗な顔。その涼しい目に誤魔化されそうな、―――衝撃的事実だった。
「……何、それ?」
「あの屋敷の人間から、―――親を失い空虚の少年を引き取った、っていう記憶を盗んでおいた。よってお前は今から帰っても意味が無い」
「…………」
「俺は何でも出来る。……『盗む』という事に関しては何でも出来る。外す事も、絶対無い」
変人……いや怪盗…………いや魔法使いは話す。
……そうだ、彼は何でも出来る魔法使い。
何も誰も罪を問われない怪盗。
それは、問われる前に皆、否の心を無くしてしまう。結果的、何も無いし、……何も残らない。
「それって、……捕まる事も無いの?」
「あぁ。もし捕まって罰せられる事があったとしても、その時は怪盗らしく華麗に散ってやるよ。全ての悪意を盗みきってからな―――」
―――あぁ、あれなのか。
『とんでもないものを盗んでいきました』
『それは、あなたの心です』
きゅーん。
―――とか言うのか。そんなんでいいのか。
現に僕は色々な物を盗まれている。ひとりを寂しがるある屋敷の僕、を盗んだだけではなく様々な僕の器官を。
体温を奪われ……。
自由を奪われ……。
……心を奪われた。
…………ううん、ちょっと違う。僕には体温もない。空気だったのだから。自由も無い。……外に出る勇気も無かっただけかもしれないけど。
だけど心は、…………ちゃんと盗まれている。
きちんと、『怪盗らしく』盗まれている……。
「なんて―――――――――卑怯な」
全てのシナリオは自分で書けるだなんて。そんな終わり方……あるものか。
……気にくわない。死んで苦しがっている自分があんなに恨んだ世を、この男はすべて手の中で操るっていうのだろうか?
「アンタ、おかしいよ……」
「おかしくない。―――怪盗としては、清々しいぐらいだろ」
全て、それで解決する。解決してしまう。何でもする。何でも出来てしまう。……もしかしてこれも、心の中を『盗んだ』のかもしれない……。
「けど、―――只一つ、出来ない事を見つけた」
『出来てしまうなんて有り得ない』。
……そんな心を読んだかのように、答える。
「お前は半端なくひねくれてるし何を考えてるか判らない。うるさいぐらい言い返すわムカつくわ……」
「……なに、悪口?」
「黙らせようと反抗の心を盗もうにも止めない。ずっとひねくれたまま……そのままの形で在り続ける」
「…………それが、僕の性格だからだよ」
「その性格さえも部分的に取る事さえ出来る―――のに」
「……」
「俺の決めた言葉を、―――全て覆す―――」
「全て通し―――俺なんかでは読める事さえ出来ない―――透き通ったもの」
「透明で―――綺麗で―――いつか、手に入れたかったもの」
……思い出す。
最初に、厄災が書いた手紙の内容を。
「―――ずっと手元に置いておきたいと想った―――」
『それがお前』
「………………んー」
レースが揺れる。二人だけの呼吸にもう一人が参入する。ずっと丸くなって眠っていたシャニが体を起こした。
「……」
ボーっと眺める風景。いつものベッドに見慣れない……今日来たばかりの赤色の枕を見つけた。
手を伸ばすも、……シャニの手には届かなかった。
「うー?」
唸ってもう一度。抱きたいと思うがシャニは手をつけられない。いつまで経っても届かないものだと、そうプログラムされたように。
「…………」
手に入らないと判ったシャニは、手を伸ばすのを止めた。いつも通り、白いシーツにくるまり丸くなるだけの体勢を取ることにする。赤色の枕を手にする事は出来なかったが、傍にいた男に声を掛ける事は出来た。
「……オルガー……」
「シャニ。枕はまたな。今度こそお前にあったヤツを盗ってきてやるから」
優しく語りかけてくれる声が、新しい眠り歌のように聞こえた。心地よい声に抱かれながら、また目を閉じる――――――前に、疑問をひとつ吐いておく。
「そこにいるのは駄目なんだ?」
そこ、と指さされたのは――――――僕。
指さしたシャニと目が合う。この世界を理解した目だった。不思議の国の住人そのものだった―――。
「すまん、これは枕じゃない」
これ、ってまだコイツは物扱いしている。僕は、枕以上には昇進出来たが、
「これは、俺の宝物だ」
……オルガのものには、代わりないらしい。
END
コメントです。反転して下さい。↓
窮屈な連合パラレルでした。連載1話を始めて3ヶ月の更新の遅さにすいませんでした。キーワードは無の少年と魔法使いの出逢い風だったのですが、「怪盗」という言葉を入れたら色々話が拡大してしまいました……。話のイメージは「ロマンサーズ」です。『術師の言葉に当てはまるものであれば現実になる』という魔法使い漫画。「盗む」という言葉に当てはまる現実は全て操れてしまうという。……やや表現の勉強不足でした。或人様、長々と、素敵小話を汚してしまって申し訳御座いませんでした〜。
1/04.7.14 2/04.8.16 3/04.9.11 4/04.10.28