■ First impression



 ……痛い。
 突然身体の不調を訴える事は最近多々ある。でもこんな不思議な『痛み』は初めてだ。
 ゆさゆさと揺さぶられて、目を開けた。
 ―――目の前に広がったのは明るい色の髪。それと、不安げに見つめてくる、大きな瞳。
 ベットの上で、馬乗りになって覗き込んでくる小柄な身体があった。

「クロト……?」

 ―――確か、名前はそんな風だった気がする。名前を言われ、その人物はこくんと小さく頷いた。
 起きたばかりで頭がちゃんと働かないせいか名前に自信がなかった。目を擦って前髪を上げてもう一度辺りを確認する。とりあえず今の状況で判った事は、―――部屋にクロトがいて、オルガの寝顔を覗き込んでいたということだけだ。
 殆どの連中が夢の中にいる筈の時間。暗闇に突如現れた明るい色は、これが本当に現実かどうか直ぐに区別が出来なかった。
 ぼんやりとクロトの目を見る。じっと、真っ直ぐオルガを見ている目。何か言いたがっている口。それでも何も言い出せずにいる表情。
 オルガはゆっくりと右手を挙げ、クロトの頬に触れた。ぴくり、とクロトの身体が動く。……ちゃんと感触がある。どうやら夢ではないようだ。

「何……やってんだ?」

 意を決して声を掛ける。と、クロトが降ってきた。馬乗りになっていた体勢から、そのまま倒れてくる。眠っていたオルガと重なり、抱きつき、絡み付いてきた。

「クロ、ト…………?」
「…………オル……ガ……」

 クロトが、目の前で抱きついてくる。抱き締めてくる細い腕が、舌っ足らずの声が、……微かに震えているのが静かな部屋に響いていた。
 ―――怯えている。助けを求めているようだ。
 仕方なく、オルガは抱きついてきた身体に腕をまわした。まわすと、更にクロトは強く抱き締めてくる。
 こんな弱々しい姿は初めて見た。……結構長い付き合いになるが、いつもクロトは生意気で、我儘で、人に触れるのを嫌う。好意で注意をしてやれば聞かず反論してくる。嫌がらせばかり今まであっていた。そんな姿を長い間見てきた。なのに、どうしてこんなに縋ってくるのだろうか。

「おぃ、クロト………………重い」
「……」

 控えて非難してみるが、一向に退く気配がない。
 オルガが呆然と辺りを見回していると、クロトはいきなりオルガの体を引き寄せ、―――唇を寄せてきた。
 触れる。クロトの唇と、オルガの唇が―――。

「………………なっっっ!?」

 瞬間、オルガはクロトの身体を突き飛ばしていた。
 突き飛ばしたと言ってもクロトはオルガのベットの上に乗ったまま、動かなかった。
 一瞬だけの、唇の重なり。
 本当に一瞬だけだったが、―――確かにあの行為は『キス』だった。

「お前……何しやがる……っ!」
「……」

 オルガには信じられなかった。今まで話す度に、否、顔を見る度にお互いを非難し合ってきた。それがお互いの関係を成り立たせていると思っていた。それなのに『好意』を表す動作を……、何故いきなりしてきたんだろう。



 ―――これは、クロトじゃない。そうオルガの中の誰かが言った。
 ―――じゃあ、誰なんだよ。当然の問いがオルガの中だけで繰り返されていった。



 今のクロトの目は弱い。オルガに突き放されてその光は更に弱くなった気がした……。

「クロ……っ」
「オルガは、僕の事好き……?」
「……ぁ?」

 小さな質問。耳をすまさなければ聞こえないくらい、小さく弱い声だった。
 そしてその内容も聞きづらいものがあった。
 何を言っているか判らない。自分達は……何度も、何十回も何百回も悪口を言い合ってきた仲じゃないのか。
 それなのに、どうして『好き』だなんて思える?
 ……そう思っていても、オルガは直ぐに言い返せなかった。何故か、―――目の前にいるのがそのムカつく奴ではなく、まるで、今にも泣きそうな子供だったから。

「オルガ…………っ」

 もう一度。……クロトが抱きついてくる。
 ぎゅっ、と強く抱きついてきて、応えてくれない腕でも縋り寄ってくきて。
 顔に赤い髪が付いた。小刻みに肩が震えている姿が影を目立たせる。興奮しているのか、息がやや荒い……。

「お前―――何が、したいんだ……?」
「…………一緒に寝て…………」

 ……耳を、疑った。子供だと思ったら、本当に子供だった。これで愛用の枕なんて持ってきていたら完璧だったのだが。

「……ガキか、お前は……」
「ガキじゃないんだから、一緒に寝てってば!」

 今度は急に強く反論してくる。やっと目が正面でぶつかりあう。相変わらず子供っぽい目をしていた。
 ―――涙を我慢している目で、何かを決めている目。



 夜にベットの上に乗って、抱きついてきて、そんな目で見られて、そして告白されて。

「……ガキじゃないから一緒に寝る? クロト。それ、冗談……で言ってないよな?」

 全くよく出来た冗談だった。―――これで冗談だと嗤って返されたら、半殺しじゃ済まないだろう。

「違う……冗談なんかじゃない……っ! ――――――オルガに…………抱いて欲しい」

 ……それがもう決定打だった。―――ここまできて笑い飛ばす勇気はオルガにはなかった。



「……ぁっ……」

 改めてクロトの身体を抱き締めてやる。
 抱き締めてやっと気付いた。思った以上に小柄で細身な身体で、すっぽりと腕の中に収まる。丁度いい大きさだった。
 ……いつも殴ったり蹴ったりし合っているというのに、こうやって抱き合うのは初めてで。
 本当に華奢な作りをしていた。同じ年頃の同じ訓練をしていて同じメシを食べているというのに、どうしてここまで違うだろうか。
 抱き締めた腕の力を緩めると、クロトの顔が目の前にあるのに気付いた。

「いいのか……?」

 確認の言葉を告げて、確認の返事を待つ。
 その返事は、こく……と見逃してしまいそうな程か弱々しいものだった。
 再び重なり合う唇。再度のキス。
 最初の頃とは違う、味を確かめるような長い口づけをした。

「ん……ぅ…………っ」

 息苦しそうな声が耳を刺激した。
 唸り声なんていつも聞いていた筈なのに。薬に漬けられた時も訓練でミスって大怪我を負った時も一緒だったのに、どうして今の声は新鮮に聴こえるんだろう。

「お前…………初めてか?」
「あ、当たり前だろ……っ。こんな事、やってなぃ…………」
「いや、そうじゃなくて。キスとかも……」
「…………」

 ……驚いた。きっとクロトは誰か抱いた経験もなければ、誰か抱かれた経験もない。
 誰にも触れられた事がないから、―――だからこんなに怯えているんだろう。



 ―――じゃあ何だ……俺が初めてのヒトって思ってイイのか?



 唇を吊り上げて、クロトの顔を見た。さっきの長いキスのせいで、顔が熱く火照っている。とろけ落ちそうな目をしていて、何度も先程の余韻に浸っていた。……少しでも良いと感じてくれたのが嬉しくて、オルガはクロトの上着を脱がそうとした―――が、

「やだ……ッ!!」

 いきなり、クロトが暴れ出した。
 上着に手を掛けた瞬間、クロトはオルガの身体から逃げ出した。折角いいムードで盛り上がった所を邪魔されて一気に気持ちが萎える。

「…………なんでだよ」
「ぁ……その違……。何か……脱ぎたくない…………」

 不機嫌になったオルガを見て、クロトは自らズボンを脱ぎだした。一緒に下着も脱ぎ出す。現れる下半身のものを見せたということは、本当に嫌がっている訳ではないようだ。でも上着は脱ごうとはしなかった。

「そういう時は抱いてやる方に任せるんだぞ?」
「ぅ…………でも、上は……嫌なんだ…………」

 苦しそうにしながら、クロトの方からまたキスを仕掛けてくる。 ―――今度は誤魔化し用のものだった。



「ん、んぅ……んぁ…………」

 自分から吸い付いてくるくせに、応えてやると嫌がって逃げ出す。慣れてないのが見え見えだった。
 ―――それが少し嬉しかった。好き、と言ってくれる事と、自分が受け入れられているという事実とが判って。舌を離して上に乗っていたクロトをベットに押し倒す。下に倒されたクロトは、恥ずかしそうに目をそらした。

「……おぃ、ヤリたくないんならいいんだぞ?」

 意地悪気にオルガがからかうと、キッとムキになったように睨みつけてきた。

「僕は…………オルガとヤリたいの!」

 そう、何故か強気になっている。まるでする行為が、何かを縛っているようだった。
 ―――クロトは何かに囚われている。そんな事、一番最初から判っていた。

「あ……ッ」

 下肢に伸びていた手に、クロトの身体はビクッと跳ねた。敏感なところを触れられ、ぎゅっと握られ、切なそうな声が唇から洩れる。その声に合わせてゆっくりと、オルガの手が下半身へと動き出した。

「ぁ……あ……っ」

 目を強く瞑り、その上に自らの腕で視界を塞ぐ。それでも触れて起こる快楽は完全に塞ぐ事が出来ず、何度も甘い声が顔を覗かせた。

「そ……そんな事しなくても…………」
「いきなり挿れてハイ終わり……は嫌だろ? …………一応、俺達は初めてなんだから…………」

 唇にもう一度キスをして、クロトの反論を止める。すると今度は唇もきゅっと結んだ。オルガは嗤って、指は激しさを増していった。

「ぅあ……ぁ…………っ!」

 甲高い声が更にうわずってきた。上着を着ているから判らないが、きっと上の方も敏感に反応しているだろう。下腹部の感じる個所を、丁寧に優しく、そして激しく攻めたてていった。徐々にクロトの身体が、熱と水っぽさを帯びていく。

「……オルガぁ……ぁっ…………」

 オルガの指がクロト自身に絡みつく。クロトは熱に浮かされながらも、愛撫を強請っていった。腰をもっとオルガに押し付けて、受け入れやすいように自分から動き出す。それに合わせてオルガの長い指を最奥に忍ばせた。

「ぃっ!? 痛…………っ!」

 苦痛を訴えた瞬間、その口にオルガは唇で栓をした。痛みを和らげるように舌を動かす。

「……嫌だったらいつでもヤメるからな?」

 そう言ってもクロトは首を横に振るだけだった。もっと、と強請る。クロトを出来るだけ傷つけないようにと、何度も抜き差しを繰り返した。

「ん……っ! 痛……いた……ぃ……」

 ゆっくり、クロトの内部を慣らしてゆく。眉を歪めてしがみついてきて、更には涙さえ浮かべているというのに、クロトは指を止めると嫌がった。
 痛みの方が嫌なのか、相手にされないの方が嫌なのか、どちらも読めなかった。
 ただオルガは、初めて異物を受け入れる恐怖に震えているのに―――苦しませてヤるのだけは避けたかった。
 オルガは涙を流すクロトの顔を見ているうちに罪悪感を感じてきた。

「お前な、……これからもっと、……違うモンが挿いるんだぞ? 判ってるよな?」
「っ……うん……」

 想う。本当にクロトの気持ちに応えて良かったのだろうか。只の強がりに付き合ってしまって良かったのだろうか。―――クロトの為に、断った方が良かったのではないか、そんな風に次から次へと悪い考えが想い付く。でも



「オルガの事…………好きだよ?」
「…………っ」



 という突然の告白に、悪応は中和されていった。
 苦痛に顔を歪ませるのを慰めるキスの様に、想いに心を病ませるのを慰めてくれる告白。

「僕はオルガの事が好きだから…………直ぐ、抱いて欲しい……」

 ここまで達するのに時間はかかっていない。多分目が覚めて唇を合わせる時間と、それ以降の時間は前者の方が長い。
 数年間同じ空間で過ごしてきた時間と、クロトが想いを告げてクロトの中に入っていく時間は比べモノにならない。



「オルガ……好き………………」

 ―――もう何度目か判らない。この短い時間に何度も聴いたフレーズ。
 だというのに何度聞いたって嬉しさがこみ上げてくる。



「クロト…………っ」

 愛おしさに、―――より、自分のものが大きくなった気がした。
 充分、内部を馴染ませたのを確認して、そして指をオルガは引き抜く。

「……っ……」

 クロトが頷くのを確認すると、オルガはそのまま脚の間に自らの身体をゆっくりと入っていった。



 熱い内壁が、オルガ自身に絡みつく。思ったよりきついく締め付けてくる。押し潰されそうな大きな熱の海に襲われる。

「……あっ……あぁあ……っ!」

 初めての苦痛に、クロトは喉を反らせる。強烈な圧迫感に悲鳴じみた声をあげた。ぶつけられたエネルギーを放出するため、背中に廻されたクロトの爪がオルガの皮膚へ痛みは流れていった。

「つっー……!」
「オ、ルガ……いた、ぁ…………やぁ……っ」

 中に巧く入っていかなくてきつい。巧く受け入れられなくてきつい。只、痛みを共有しているだけのような気がした。槍で串刺しにして/されて、殺して/死んでしまうんじゃないかと考える。

「ひゃ、あぁ……オルガ……オルガぁ……っ」
「……っ」

 声に呼ばれるたびに激しく身体が痺れた。
 クロトの目からはボロボロと大粒の涙が零れる。その雫に何の意味があるのか、判らなかった。
 ―――そして疑問は、『抱く』って何の意味があるのか、に辿り着く。

「……僕……っ」

 クロトは震える唇に力を入れて、か細い声を放った。
 呼吸法を一人で見つけて、懸命に息を吐く。汗と体液と血液の混じった部分を掻き混ぜていくのに堪えていった。
 嫌と、ヤメロと一言言えばヤめるとオルガは言ったのに、絶対に言わない。涙に任せて全てを受け入れる。

「今……オルガに、抱か、れて……ん……だよね…………?」
「そうに、決まってん、だろ…………わからないのか?」
「ぅん、ん…………あ、あぁぁ……っ」

 オルガの腰を揺さぶる手の動きが激しくなって、互いの限界を伝える。
 それを確かめながら、オルガは最奥までクロトを貫く。

「ぅ、ふぁ……ぁあっ―――っ!」

 その瞬間、二人は同時に欲望を吐き出した―――。



 ……痛い。
 熱い物が外部に放たれて、身体が波立つ。ベットに二人共倒れ込み、情けない吐息が部屋を包んだ。
 ―――良かった、のだろうか。倒れ込んで荒く息を吐くクロトを見ながら呼吸を整えた。
 夢見ていたものより、スバラシイ時間じゃなかった。気持ちいいと気持ち悪い。両方が半々に混ざり合って、何が何だか判らない。
 下が、まだ熱い。クロトは、オルガの放った熱さを受け止めたせいか身体を疼かせていた。シーツに生々しいものが飛び散っている。クロトが放ったものもあって、どう見ていていい気分になるもんじゃない。
 首筋に汗が流れて、赤髪が張り付いている。怠い手で梳くってやると、……微かにクロトの寝顔が晴れた気がした。



「ごめんな…………」

 最初に零したのが、謝罪の言葉。何に謝っているかがよく判らない。誘ってきたのはクロトで……受けてしまったのがオルガで……、結局苦しがっているのがクロトなんだから、やっぱり悪いのは自分なんだろうか?

「…………」

 涙も乾いてボロボロな顔だった。暑そうに寝返りをうつ。見ているだけで苦しくなりそうな姿に、もう一度……今度はキスで謝った。



「暑…………」
「なら、脱げばいいだろ…………」

 オルガは、クロトの上着に手を掛ける。
 そして、視えた。



「…………ッ」

 細い首筋に残る、首筋に赤い傷痕を。



 クロトの首もとに指を運ぶ。
 この赤い点は、自分が付けたものじゃない。
 怠そうに横たわるクロトを起こさぬよう、ゆっくりと……上着を剥いでいく。
 胸元に残る数点の斑点。

 ……こんな都合のいい虫食いの痕があるものか。



「オルガ…………?」
「コレ、誰に付けられたんだ?」

 硬質的な声で尋ねられ、クロトの身体が硬直した。

「ぁ……っ」

 自分がされていた状況を理解して、懸命にソレを隠そうとする。

「誰に、付けられたんだよ」
「……っ」
「クロト! お前……!!」

 意味もなく、声が大きくなる。まるで怒った時の声の様で、―――正しくそうだった。
 沈黙が続く。クロトは何も言わず、……オルガと目を合わせようとしない。
 違うと言ってくれればいいのに。黙って否定しない。肯定も、クロトの今の口からは聞けない。

「誰かとヤッておきながら…………俺の所に遊びにきたのか?」
「……」
「適当に俺をノせておけばイイって思ったのか、お前……!!」

 さっきまで神経をすり減らす程配っていた気遣いが跡形もなく消えていく。
 いつの間にか首筋に回されていた指に、力を込めていた。
 このままベットへ力を押しつければ窒息するだろうな、と何処かで誰かが呟く。
 でもそんな事より、―――傷つけてはいけない、と思い込んでいた自分に腹が立った。
 今クロトを怒鳴ったって、この気持ちは―――嫉妬―――だっていう事は判ってる筈なのに。



「違……ヤってなんか…………」
「じゃあコレは何なんだよ!!」

 苛立って飛び出す言葉はつまらないものばかりで。
 その声にびくりと震えて、涙を浮かべて。

「ヤってない……コレは……違う…………」

 力無い、反抗の言葉を並べるだけ。

「お前―――っ!!」
「オルガは、僕の事好き……?」



 また、クロトが同じ質問をした。
 一度も答えなかった質問を、もう一度。
 もう何度も。

「そんな事で誤魔化したって……!」
「僕は好きだよ。オルガの事、大好きだから。
 オルガにしか抱かれたくない。最初も、最期も……僕は、オルガがいい―――!」



「オルガは、……僕の事嫌い……?」

 再度、その質問を問う。
 首に絡まった指が、固くなって取れない。



「僕の……事……嫌、い…………?」

 何度も、その質問を繰り返す。
 耳が、痛み出すくらいに。
 胸が、痛み出すくらいに。



「僕、の……事…………」

 何度も。
 度も。
 ……。





 END...?

 03.9.16