■ Only one.No,1




 デッキで肩をつかまれた。



「大尉?」

 振り向いて「彼」の顔を見ても、サングラスによって見えない「彼」の瞳。
 いつ見ても感情の読めない「彼。」
 でも、カミーユには「彼」が何を言いたがっていたかわかった。

 ―――「彼」の口が微かに動く。



 大丈夫ですよ。
 僕は、大丈夫ですから。



 手が、離される。

……やめるのか?

 ―――自分の、心の奥の声が、呟く。
 掴まれた肩は、まるで痛みを求めているようだった。



 クワトロは、その場を誰にも気付かれないようにそっと離れた。

 今の彼は、酒を含んでいた。

 飲む早さが、いつもとは違った。

 焦っているようにも思える。

 そしていつもより早く、そこを出る。

 クワトロはMSデッキと脚を運んだ。

 誰にも気付かれないように。
 誰もいない、あそこへ。

 ―――そこは、とてもひんやりとした空気だった。

 少し前まで、クルーたちが駆回っていたここも、この時間になると静かになる。
 時には一人くらい残っているものもいるが、今は、誰もいなかった。

 ―――誰だって、こんなときに現実にふれていたくない。か。

 ……気付くのが、遅かった。

 ―――今が、人々にとってどれほど恐ろしい刻であるか。



 蒼く輝く巨人の前で立ち止まる。



 この戦い終わり、また日常が戻ってくることができる。



 故郷で自分の帰りを待ってくれる人なんて居るだろうか。

 あの頃のように、妹は笑顔で迎えてくれるだろうか。
 あの頃のように、しあわせでいられるだろうか。

 ―――それ以上の幸福を知ってしまった後だとしても。

 目も眩むような幸せを、手に入れた事もあった。
 その幸福を与えてくれた人に出会い、別れて、また出会えた。

 ―――そしてまた別れが来る。

 そう、明日にでも。

「クワトロ大尉」



 聞き慣れた声で呼ばれ振り返る。
 最初に目に映ったのは夜目にも綺麗に光る蒼い髪。
 彼の蒼が、かつて少女と見たあの宇宙の蒼と同じ色。
 その色に気づいた時どうしようもなく彼に惹かれた。

「どうし……」

「酔いをさましにきた」

 カミーユが言い終わる前に、口を入れる。
 もう、彼の行動パターンもよめてきた。
 ……もうそれだけ、長く彼がいるということだろうか。

 この「幸せ」の中に浸っていられる時間が。

「また…………何か考えてますね?」

 見透かすようなブルーの瞳にまた心の中を見透かされたようでクワトロは苦く笑う。
 敵わない、彼には。本当に―――。



「アナタはこれからどうするつもりですか」



「……なんだ。こんな所まできて、説教か」

 説教ではない。
 いつもの、カミーユの癖の一つだ。



「全てが終わった時、何をしようか考えたことはありますか」



 ―――それは、いつものことだった。

 カミーユはおかしな質問を重ねてくる。
 ……そんなところまで、あの少女と同じだった。
 あの、褐色の―――。



 少女の影が重なる。
 それが、どれだけ痛かったのかは
 少年と少女を重ねてしまう、自分の胸に聞いてみれば分かる。

「―――全てが終わることなんて、ありえない」
「……アナタは、ずっとこのままの生活でいるつもりですか」

 こんな生き方しかできないと、昔言った。
 こんな生き方でしか、食べていける術をしらないと。



「全てが終わるということは、今が終わるということだろう?」
「……」
「今が一番幸福と思ってるからな」



 真っ直ぐ目を見ていたカミーユの瞳が反れる。

「今が……ですか」

 ―――今、こうやって、お前のそばにいられることが。

 乾いていたこの胸を潤してくれる雫である。
 ……だった。



「……僕には何も考えられないんです。今が幸せだってことも、これから何をしようというのも、全てが思いつかない」

 ただ、微かに「幸せ」と感じたヒトが、この胸のなかで眠ったことが、
 一番の「幸せ」を感じたことであった。

 ―――それは「幸せ」とは言わない。

 わかってはいたが。
 ……。



「何も考えられないのなら、私が一つの道をあげようか」

 ―――私と共に来い。

 人類全てを敵にすることができるなら―――。




「いつしか、私はお前たちの敵になる日がくる。そのときまでに自分の意志が持てなかったら」

 ―――私の元に。

 ヒトとヒトとして、助け合い、愛し合うことはできるけど

 アナタの価値観を理解することは、できない―――。



「………………僕は、アナタの所有物じゃない」

 ―――そう。人形でも、道具でもない。

 きっと、アナタの「守りたい者」でも「共に生きたい」者でも…………。



「……………………………………一度だけ、未来がどうしても見えないときがあった」
「……」

 そのときは、

 一番「幸福」と言える存在が、この世から去ったときだった。

 闇につつまれ、再びこの世に戻って来れなくなるような。

 それほど、「恐ろしかった」。

 ―――そのときは。

 ……。
 いや、なんでもない………………。




 カミーユはクワトロの腕を掴んだ。

 ―――この人の、この手で。

 僕は何度助けられたのだろう。

 数え切れないほど―――。

 忘れてしまっても、おかしくはない。



 ―――クワトロの手首に唇を近づけた。

 手首に痛みを感じた。

 一瞬クワトロは顔を顰める。

 ―――そしてすぐに。

 クワトロはフッと、口元に笑みを浮かべた。



 カミーユもつられて。



 今度はクワトロがカミーユの腕を握る。

「忘れないために、か」

 そしてまた同じ。

「私の印を。これからもお前が私のものであるよう」
「大尉」
「忘れるな、カミーユ」
「いつも、ムリヤリ……強引です……」

 始めから、そうだった。

 それでも、
 そんな「彼」だったからこそ
 ―――カミーユはいつも救われていたんだ……。



 ……だから、このヒトは、僕のモノだ。



 ―――今日も、何故だか救われたような気がする。

「どうせなら、もっと目立つところにしていいですよ」
「……やったら怒るだろう」
「まさか」

 ……また、カミーユから、クワトロの顔に唇を近づけた。

「……忘れないだろう。これで」



「―――はい。大尉」





END