■ 「 恥ずかしい告白 」
/1
「オレは燕青と二人きりでいたい」
マスターも男だな。まさかそんなこと言うとは。
「二人でずっと抱き合っていたい。あったかい燕青をぎゅうって抱きしめたい」
いいねぇ。
「動きたくないから一日中二人でベッドの中で過ごすんだ。自堕落な主なんて燕青は好きじゃないだろうけど、オレは元々怠け者なんだ。出来るだけラクしたごく普通の高校生だったんだから」
そうなのか、そうには思えなかったけど。もっと大人しいタイプかと思った。
「実はそうなんだ。燕青と抱き合ってベッドの中でずっとおしゃべりをしたい。内容は、何でもいい。昔あったことでも、これからの予定でも。出来れば楽しいことがいい」
そいつは楽しそうだ。
「飽きるまで二人きりで話が続けばいい。ずっとそのまま抱き合っていられたらいい。腹が減ったら何かを食べればいい。どこかに行きたくなったらどこかに行って、そうだ、そのどこかは燕青が行きたい所に行けたらいい」
そうかい。
「燕青が楽しんでくれることがしたい。だって燕青はオレを優先する癖があるから。オレの好きな物を食べに行く、それもいいけど、燕青が食べたい物を食べに行きたい。オレがしたいことをする、それもいいけど、燕青が笑ってくれることをしたい。それはきっとオレがしたいことになる。他のこととか考えないで、明日のこととか考えないで、不安なことも怖いものも全部考えないで、ただただ燕青と二人きりで楽しい時間を過ごしたい」
こんなに自分のことを話してくれたのは初めてじゃないか。そうそう、もっと欲を曝け出してもいいんだぜ、マスター。
「燕青とセックスがしたい」
おっと、これは直球だ。
「燕青とセックスがしたい。昨日もしてくれていたけど、オレ、もっとしたい。オレは燕青とするセックスが好きだ。燕青を身近に感じることができるから。いつも近くでオレを守ってくれるけど、一番傍で燕青の体温を感じることができるから。やれるなら、オレが燕青を気持ち良くしてあげたい。燕青に満足してもらいたい。いつも燕青にしてもらってばっかりだから、オレが燕青を気持ち良くしてあげたい。気が付いたら燕青は準備をしてくれるし、舐めてくれたり、オレが良いように動いてくれたりするから、勉強不足だけどオレも燕青を見習って…………………………燕青、ありがとう。もう終わりにする」
ううん、マスター。もっともっと話してくれていいんだって。恥ずかしがらずに話してくれよ。
「いいの?」
いいよぉ。
「燕青とキスしたい」
よしきたぁ。
「んっ。…………燕青とキスしたい」
今しただろぉ?
「もっとしたい。オレは燕青とキスがしたい」
仕方ないマスターだなぁ。
「んん。………………燕青とキスが」
それ以外は無いのかよ。
「じゃあ、セックスしたいっていう要望を叶えてくれ」
今は無理だよ。キスはできるからしたんだ。
美味しい飯を食べに行くのも無理だから駄目だ。一日中二人で寝るのも時間が無いから却下。
でも、抱き合うぐらいはできるかな。
「駄目。燕青の体が汚れちゃう」
キスをしてるんだ、今更だよ。
「ありがとう。抱きしめてくれて。でもあったかくない。オレの願いはあったかい燕青を抱きしめるだから、やり直し」
我儘なあるじだなぁ。うんうん、してあげる。
抱きしめてあげるから、そんなに暴れるなって。いくらでもしてあげるから。汚れたって構いやしないさ。
「抱きしめて。……あったかくない。寒い。寒い……寒いよ、燕青。こういうのってさ、もう何も感じないんじゃないのか。なのに寒い。寒いし、寒いから、だからもう、終わりにする」
マスター。もっと話してくれていいんだよ、話してくれよ、俺はマスターの話を聞きたいな。
「燕青、もう終わりに」
俺が抱きしめてる。ぎゅってしてるだろ。俺は寒くないよ、熱いよ、マスターの血、口付けが足りないというならもっとする。けど、口を閉じたらマスターが喋れないだろ。だから違う話を続けて。
「燕青」
『立香クン! 燕青! 準備ができた! 遅れてすまない、今すぐ強制送還するからもう暫く待ってくれ! レイシフトまであと十、九、八……!』
マスター、ほら、助けが来たから、もっと話を続けて、意識を。
「燕青、ありがとう。愛してる」
――――転送開始。
/2
酷い話もあったもんだ。
いつも朗らかに笑っている『だけ』だったマスターの素直な気持ちを聞いたのは、これが初めてだった。
マスターは直接戦闘に出ない。後方で指示を飛ばしている。
俺達サーヴァントはマスターを護りながら戦う。基本的にはどんなエネミーも、ただ逃げまわる人間より、腹の立つ動き方をしながら急所を狙ってくる霊気の塊の方を排除しようとする。
相当いやらしい敵でもない限り、後方に控えるマスターを最優先で狙ってくることはない。
だけど、いやらしい奴が、いない訳ではない。時には、いる。
いるからには、マスターが狙われて重症になる可能性も充分にある。
――ざっくりと途中経過を飛ばしてしまうが、マスターは命の危機に陥り、そして助かった。
出血多量の重傷を負いつつ、「万が一を覚悟しろ」と言われるぐらいには酷い状態だった。
それでも何とか一命をとりとめた。
五体満足で、後遺症も何一つ無い。軽率に使いたくはないが『奇跡のような蘇生』を果たしたという。
大勢が万歳をし、復活したマスターを涙ながらに祝福。彼を慕う多くの者達が、ベッドの上で笑うマスターの元へ押し寄せた。
数日は意識不明の重体だった。ようやっと目覚めたマスターに皆が会いたがった。暫くは休ませるべきだと誰もが判っていたけど、次々と彼の元に押しかけた。
「先輩のお見舞いは一人十分までにします!」
最終的には可愛い後輩が困ったように大声で宣言。
十分じゃなく五分にした方がいいのでは、という声も若干あったらしいが、マスターは笑顔のまま止めなかったので……それが新たなカルデアルールとして敷かれることになった。
「あ、でも。燕青さんは、十分以上お見舞いをしていいと思います。先輩も燕青さんにお世話してもらった方が嬉しいかと」
俺は別にそのルールに文句は無かった。
だというのに、彼女を始め数人のルールを敷く者達は、俺に特例を与えてくれた。
「だって燕青さんは、先輩の大事な人ですし」
……非常に苦しい話だが、窮地のマスターが助かるまでのシーンを……全スタッフが監視していた。
マスターが負傷して強制送還が始まる三分間。
恐ろしい戦闘を終え、唯一消えずに戦場に残っていた俺が……重症のマスターに声を掛け続けていたあの三分間。マスターは意識を保つため、俺と話をずっと続けてきた三分間を、大勢が見守っていた。
誰も目を逸らせるものではなかった。俺も指示を飛ばす者達も、「もう藤丸立香はダメかもしれない」と考えていたぐらいなのだから。それぐらいマスターは酷い状況に陥り、その認識は、マスター自身もそうだったらしい。
オレは死んでしまうかもしれない。
これが最期になるかもしれない。
もうお別れなのかも……そう思ったマスターが、藤丸立香として紡いだのは……ストレートすぎる欲望だらけの言葉だった。
――マスターが目を覚ました今、誰もそのことを茶化さない。
藤丸立香はいつも誰かのために力を使っていた。本来の役割ではないのに、多くの重責を背負うようになった。戦闘員でもないのに戦い続けた。
そんな彼が、自分が死にかけるという状況に陥り……自由を許され、死の間際に告げた懸命な愛の告白を、誰が馬鹿にできようか。
誰も否定しない今、俺とマスターの仲は、公認のものになった。
マスターのことを好いている連中も、今までと変わらずマスターと仲良く接しているが……明らかに雰囲気が変わった。
誰も明言はしなかったが、俺はあることを、肌で感じている。
マスターとサーヴァント、主人と従者、兄弟のような存在や親友同士という関係ではなく……俺は、藤丸立香の寵愛の象徴になったのだと。
「いいのかい。いちサーヴァントの俺に、そんなこと言っちゃって」
「でも……。燕青さんは、先輩の大事な人ですし」
藤丸立香も燕青もどちらもそうだと宣言した訳ではない。
だがこの一週間、俺達を取り囲む世界の空気がそうさせていた。
/3
「そんなことを次々言われた訳でさぁ! マスターの方から一言何か言っておいてくれないかなぁ?」
いつも通り。そう、いつも通りになろう。
しかし意識すると難しいもので。いつも通りとは、一体どんな状況だっただろうか。
「燕青」
「なんだいマスター」
「この一週間、変な空気にさせてごめん」
「謝らなくていいよぉ」
「燕青を困らせるつもりで言ったんじゃないんだ」
「いいって。あんな状況だったんだ、意識だって朦朧としていただろうし」
「そろそろ寝ようか」
「よし」
こんな会話がいつも通りだっただろうか。
何度もそう考えてしまうぐらいに、俺達は畏まっていた。
マスターの見舞いは一人十分まで。
だけど俺は違うという。就寝時間になり、マスターの部屋が閉ざされる……その中に俺は居ていい。いや、居るべきだ、となった。
彼が目覚めて一週間が経つ。最先端医療の賜物もあって治療は快調。車椅子生活は終わり、食事もいかにもな病人食から普通のメニューに戻った。
それでも日々の手助けは必要だ。
今夜から俺はマスターの介助人として夜間の世話をしてほしいと命じられた。
「マスター、消灯するよ」
自分で電気を消せない訳ではない。でも、消すのは億劫な体だ。それぐらいの手助けを俺がする。
彼は申し訳なさそうに笑う。「頼むよ」と気軽に頷くことも、「そんなの俺がするよ」とむきになって否定することも、どちらもしなかった。
「なあマスター、何かあったらすぐに言ってくれよぉ。おしっこの世話でも何でも俺がするから」
「…………」
「まあ、なんだ、今さら恥ずかしがってくれるなよ。俺とマスターの仲だ。あの恥ずかしい告白は終えた後なんだ、何でも言うんだぜ」
大それたことはないだろう。トイレの世話もする必要が無いぐらいなのだ、いつも通り接すればいいだけだった。
ただ少し、俺に甘えてくれるといい。
俺達の距離は……あの三分間のおかげで、以前よりも近くなっていいものになったのだから。
いや、そう考えるのはよそう。いつも通り。そう、いつも通りの距離感の方がマスターも気が楽な筈だ。
いつも通りになろうと意識するのはやっぱり難しい。本当にいつも通りとは、一体どんなことだっただろうか。
「電気、消すの、待って」
ベッドに仰向けで横たわるマスターに命じられ、消灯を留まる。
眠ろうとしているマスターが、細くした目で俺を見つめていた。
口元は笑っているが、楽しい気分でいる顔ではない。
困っている訳ではない。どちらかというと、怒っているように思えた。
「マスター。まだ寝たくないのかい」
「燕青。近くに来てほしい」
噛み合わない会話に、軽く背筋が凍る。
……それでも「仰せのままに」と、ベッドからなかなか動けないマスターの元に歩み寄り、膝をついた。
仰向けのまま横たわる彼は、ふっと右手を上げる。
手を握ろう、そう言うかのように、彼の指が俺を誘う。
「どうしたのかな、マスター?」
そっと自分の指を重ねた。
すぐにマスターは回復した体力で指を絡め、ぎゅうっと握りしめてきた。
決して痛いものではなかった。俺とは力がてんで違う。それでも、力を思いっきり込めているのは伝わった。
俺に何かを訴える動きであることも、伝わった。
「これは一体?」
「これは、燕青を逃がさないように掴んでいる」
「逃がさないように? 別に俺は逃げるつもりなんて、これっぽっちも」
「……これからする質問に、燕青が逃げ出さないように、掴んでいる。だからここのままオレの言葉を聞いて、答えて」
「何かな、マスター」
「燕青は今、あのときのオレの言葉を『恥ずかしい告白』と言った。……恥ずかしかった?」
凄みのある声色で尋ねられる。
「オレはあれを燕青に言ったこと。後悔していない。恥ずかしいなんて思っていない。でも燕青は……恥ずかしい?」
死にかけのときよりも死んでしまいそうな重い声だったので身構えてしまっていたが……なんだそんなことかと、安堵する。
どちらかと「下の世話をするよ」と笑ったことに怒ったかと思っていた。
でも、なんだ、そっちのことを気にしているのか。……笑いながら正直に答える。
「そりゃあ、あれは、恥ずかしいよ。恥ずかしい告白を面と向かって言われて、みんなに聞かれて、恥ずかしいよ」
「そうか。……嫌だったのか」
明らかな落胆。間髪入れて俺は、
「嫌ではないな」
否定する。
「……でも。燕青。恥ずかしい告白だって言ったよね?」
「恥ずかしいことは嫌ではないよ。スケベな意味で捉えるなよ、マスター。俺は、あんな直球な告白、生まれて初めて……俺の英霊歴史上初めてだったんだ。初めてがとんでもないぐらいの破壊力だったからさ、恥ずかしがってもいいだろう?」
重ねた右手は、マスターから逃げ出せないまま。
仕方ないのでもう一つの左手で髪をガシガシと掻いた。実は髪を掻くこと自体、普段はあまりしない。
何故そうしてしまったかというと、やはりこれも気恥ずかしくて何かをしていたかったからだった。
なにせ、俺は昔から身も心も尽くすタイプだった。あんな……熱烈なラブコール、経験が無かったのだから。
「嫌じゃなかったかい、燕青」
「嫌ではなかったよ」
「じゃあ、正直に言ってほしい。……あのとき、俺があんなことを話していたとき、嬉しかった?」
先ほどの怒ったような堅苦しい声ではなくなる。
だけど、仰々しさは消えない。相当緊張した声色で、問い質す側が次第に弱気になってきていて……思わず笑ってしまいたくなる。
でも真剣な問いかけだ。たとえマスターが返答に怯もうが、涙ぐもうが、真剣な問いかけなのだからこちらも真剣に応じる。
「あのときは、決して嬉しいなんて思えなかった」
「ん」
「考えてみてくれよ。マスターはあのとき死にかけていた。今にも死んでしまいそうだった。そんなとき、俺一人が良い気分になって嬉しがると思うかい?」
ん、んん、と……ハイでもノーでもない歯切れの悪い声でマスターが応える。
「あのときは必死だからさ、『マスターには生きてほしい』としか考えてなかったよ。マスターも必死だからいっぱいあんなこと言ったと思うけど、それ以上は考えられなかったねぇ」
「……そっか、じゃああれは……全然嬉しくなかったか……ううん、嬉しいとか嬉しくないとか、そういう問題じゃなかったね。……燕青、ごめん。変なことを聞かせちゃった……」
「だから、言い方を少し変えてくれるかい?」
頭を掻いての照れ隠しを、やめる。
……マスターが俺の手を掴んだのは、正解だ。掴んでいてくれなければ、適当なことを言って逃げてしまっていたかもしれない。
問い質したいからこそ掴んでいてくれたおかげで、こじれず真正面から『忠言』することができた。
忠言なんて仰々しいものではないせいか、どこか気が抜けてしまい、表情がうまく作れない。
もしかしたら今の俺の顔、赤く染まっているかも。鏡で確認しに行くことも繋がった指のせいで難しいので、不格好な顔かもしれないけど……ありのままの表情で、口を開く。
「『あのとき嬉しかったか』じゃなくてさ、『いま嬉しいか』を訊いてくれ。……嬉しい、こんなに愛されていていいのかって不安になるぐらい幸せ者だって答えるから」
平常を心掛けた。でも、情けないことに少し声が震えていた。
……マスターは暫し黙り込む。
わなわなと唇を震わせて、かたかたと絡めた指を揺らし始める。
沈黙は長かった。予想以上に黙り込まれてしまったので、マスターの耳元に……そっと唇を寄せ、もう一度同じことを口にする。
耳元に囁かれたマスターは、甲高い悲鳴を上げた。
大声で笑ってしまいたくなるぐらい情けない悲鳴だった。
慌てるウブなマスターと、それをからかう俺。……少しずつ、いつも通りが、戻ってきてくれていた。
それでも完全に元通りにはならない。
「俺は燕青のことが大好き。燕青と二人きりでいたいし、ずっと抱き合っていたいし、ただただ燕青と二人きりで楽しい時間を過ごしたいし、燕青とセックスがしたい。……燕青は今、嬉しい?」
ビックリするぐらい直球で、男前で、愛情に溢れて俺を溶ろかす言葉を真顔で言ってみせた。
あの三分間があって良かったとは決して思わない。
主人を死に追い込んでしまった、もう二度とそんな目には遭わせないと決めていたのに、いとも容易く破ってしまった。
三度目は無い。絶対に無いと誓う。誓いながらの返答はもちろん彼が望む言葉であり、俺の望むままの言葉を告げてみせた。
END
ありがとう愛してる。それが最期の台詞になりかけたぐだ男×新宿のアサシンのスタートライン。
2018年11月1日