■ 「 愛あるSM 」
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藤丸立香という恋人は純情で清純な少年で、俺にふさわしくない聖人だと思う。
猥談には乗るが決して得意ではない。顔を赤くして俯いてしまう。
セックスをしようと誘って、実際気持ち良く俺の上で腰を振ったが……それ以後、好んで「しよう」とは言わなかった。
「嫌いじゃないんだよ。好きな人と抱き合えるのはとても嬉しいし、エッチも良いと思うんだ。でも……燕青に苦痛を強いるのはよくないし、いつも働いてくれている燕青に夜まで大変な想いをさせるのって……ダメだろう?」
恋人同士になろうと言い始めたとんでもないマスターは、とても良い人間で俺には勿体無いぐらいだ。
俺を自分のモノとして激しく扱ってもいいのに。自分本位でガツガツと組み敷いてもいいのに。
この主人ならどんなことを言ってもきっと受け入れてくれる自信が、今の俺には……。
いいや、そういうことは考えるのはよそう。
正直に言えば、俺達は……体の相性が良くないという話なのだ。
英霊になってからエッチに思い悩むなんて誰が考えたか。
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居ない者の声がする。
ついに能力の弊害が出てきたか、と溜息を吐いた。
自分の能力が危うい自覚はあった。いつか自我が壊れる、自分ではない何者かに自分を奪われる、その危険性は承知だった。
マスターから警告も受けていた。自覚があるなら使わないようにと頭の良いサーヴァント達にも注意されていた。
しかし、ついに。自然体を装えないほどの声が聞こえてしまうなんて。
もうマスターのもとには居られないのかな、と弱音が口から出てしまいそうになりながら、耳を澄ませる。
『ケツ穴を使って勃起させろ』
……何が何だか、判らなかった。
振り返っても、誰も居ない。
無視をしてカルデア内に白く清潔な廊下を歩いていると、再び声がした。
『ケツ穴を使って勃起させろ』
見渡してもそこには、談笑しながら歩いてくる女性サーヴァント達しかいない。
廊下の先からマリー・アントワネットとジャンヌ・ダルク、二人に挟まれてアビゲイル・ウィリアムズが、満開の花のような美しい笑みを浮かべた少女達が歩いている。
『ケツ穴を使って勃起させろ』
下品な命令なんてする訳が無い三人組だ。
だから間違いない、この声は幻聴なのだ。俺の頭の中から聞こえる誰かの声に違いないのだ。
「あっ……お花のお兄さん、こんばんは」
新入りのお嬢さんことアビゲイルが、愛用のぬいぐるみを盾にしながらもたどたどしく頭を下げる。
たどたどしいが、既に何度も会話をしたことがある仲だ。緊張はしていない。
両隣の少女達も笑顔で挨拶をしてくる。こう擦れ違えば一言、二言、会話をする。顔の広い自分にとっては、いつものことだった。
「おーっ。お嬢さん、お姫様に囲まれてのお茶会は楽しかったかい?」
「ええ、とっても楽しかったわ! いっぱいお菓子も出て、美味しくて、だから、まだお腹が減ってないの……」
「うふふ。みんながあれもこれもとプレゼントしてきてね。アビーは可愛いからみんないっぱい貴方に食べてほしかったのよ」
「そ、そんな」
『ケツ穴を使って勃起させろ』
「はは、照れちゃって可愛いなぁ」
「だってエミヤさんのおやつ、とっても美味しかったんだもの! でも全部食べちゃうなんて、はしたないことをしちゃったわ……」
『ケツ穴を使って勃起させろ』
「そんな、はしたないことなんてないですよ。私も同じぐらい食べてしまいましたから」
「はっははは、聖女様、意外と食いしん坊なんだなぁ?」
「うっ、私は小さい頃から食べられるときに食べておかなくてはという癖がありまして」
『ケツ穴を使って勃起させろ』
「ははは、そうかい、楽しくて何よりだ、ははは、じゃあな」
可愛いものを見て気分が良くなりスキップしながら足取り早めに去って行く俺。
不自然なぐらい満面の笑みで彼女達を過ぎ去る。そうしなければ、いつ彼女達に暴言を吐いてしまうかもしれなかった。
『ケツ穴を使って勃起させろ』
なんだこれは。
サーヴァント一人ずつに割り当てられた個室に逃げ込み、深呼吸をし、頭をガンと壁にぶつけてみた。
それでも鳴りやまない。声はずっと続いている。どこにいても聞こえる。俺の頭の中で響いている。俺だけに、そうしろそうしろと、命じ続けている。
『ケツ穴を使って勃起させろ』
二度三度、頭を打ち付ける。
次に霊体化し、すぐに実体化して魔力で体を編み直す。効果は、無かった。
あまりのうるささに床にへたり込み、「俺、欲求不満なのかなぁ……」と呟いた後、大人しく下衣を脱いだ。
アナニーをすれば許してくれるだろう。
そう信じて、ダンゴムシのように身を屈めて尻穴を穿りだした。
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「すぐにオレに相談してきてくれてありがとう。……異常事態なのは判ったよ」
「マスターに相談するか、物好きそうなサーヴァント連中に相談するか、大いに迷ったんだが。正直セリフがセリフなもんだからマスター以外に言いたくなかったんだ」
健全な青少年であるマスターが、複雑な顔をして笑う。
どんなセリフが聞こえてくるのという問い掛けには、この上なく素直に応えておいた。
『縛られて犯されろ』
『痛めつけられて悦べ』
『もっともっとイキ果てろ』
……さらに具体的なセリフもあったが、大体は俺を虐げる言葉ばかりだ。
そして……あるがままにマスターへ伝えたら卒倒しそうな言葉ばかりだった。
「残念ながらオレに解決策の心当たりはない。……でも燕青、ダヴィンチちゃん達に訊きに行きたい?」
「あまり」
「だよね」
複雑な表情が、より曇っていく。
困らせたいために告白しにきた訳ではない。少しだけ、ほんの少しだけだが良い方法があるからマスターに頼みにきたのだ。
できるだけ深刻に思われないように口角を上げながら、底抜けに明るい声で口を開く。
「ケツでイけって言われたとき、ケツでイってみたらさ、暫く聞こえなくなったんだよ。だからひとりエッチで何とかなったんだ」
マスターの顔が、若干強張る。
こんな話、得意そうな男じゃない。そんなの長らく彼のサーヴァントをしている俺だって重々承知だ。
「だけどさ、『縛られて犯されろ』を叶えようにも、『痛めつけられて悦べ』を実践しようにも、『イキ果てろ』を試そうにも……判るだろ、マスター?」
「判るだろって、何がだよ、燕青……」
「一人でするにも限界があるってことだよ。……マスター、無茶を言ってる自覚はあるが、その……SMに興味はないかい? 俺としてみたいと思ったことは?」
若干強張っていただけのマスターの顔が、名状しがたいものへと歪んでいく。
それが愉快そうに笑ってくれているなら良かったのだが、この善良な主人は……本当に善良な一般少年だったらしく、
「俺は燕青と普通に愛し合いたいよ!」
涙が出るぐらい嬉しすぎる返事。
おかげでどうしようと頭を抱えてしまった。
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『縛られて犯されろ』
「その声を聞くようになったキッカケは? 何か覚えはある?」
「……ある。ほら、昨日……新宿にいた男……」
「えっ、誰? どんな人?」
「いた場所はホテル街。……普通のお兄さん……に見せかけて、ご職業はマゾメス豚……」
「……は?」
『縛られて犯されろ』
「見た目は普通だったんだ。だから姿を借りて敵を撒くぐらいはできるかなーって気分で化けたら……」
『縛られて犯されろ』
「ああもう、アンタ、うるさいなぁ!」
俺の能力は、ただの変身能力じゃない。姿をレンタルするものではなく、存在そのものをコピーするもので……彼の人生を貰うというもの。
彼の人生は……そういった命令で満たされる人生だったのだ。
誰かに命令されて、体を弄ばれる、それを良しとする一生。
命じられたものには従わなければならないという強迫観念に縛られ、どぎつい命令を達成しなければ延々と体を病む。
アナニーをしてみたらあっという間に晴れた。賢者モードというやつだ。そして性欲らしく、暫くしたら復活した。
『縛られて犯されろ』
「えっと、燕青? その命令……ちゃんと達成できれば、消えてなくなるものなの?」
「おそらくは。まあ、実際やってみないと判らないけど」
『縛られて犯されろ』
「うんうん判っている、今から縛られるから待ってな!」
「え、燕青……?」
試しにやってみないと昇華できるのか、それとも延々に留まってしまうのかは判断がつかない。
『縛られて犯されろ』
だから、試してみないと。
マスターが深呼吸をして、動き始める。
「…………燕青。来て」
一度部屋を出て、帰ってきたマスターの手には鞄。そこからロープを取り出した。
どこからかロープを調達してきたマスターは、深く何度も思案した顔になり、俺を手招きする。
さて、マスターはどんな風に俺の『縛られて犯されろ』を解決してくれるのかな。内緒だが、少しだけ心を躍らせながらマスターに歩み寄ると、突然力強く腕を引かれて唇を奪われた。
「ん」
「んんっ……」
パンチをしてきたなら平然と回避できた。
でもまさかの攻撃を直撃してしまって、体中に火がつく。
普段抱き合うときにするキスと同じ。
だが、それよりも切羽詰まったような舌の絡ませ方だ。
これはマスターなりに『俺を激しく犯す』意識があるのだ。そう、感づけるキスだった。
「んっ……んぅ、ぷは……燕青、んちゅ、ん……」
「んぅ……ぅ、マスター……ごめんよ」
「え、燕青が謝る必要なんて無いよ。……軽率にあの能力を使ったのは謝るべきかもしれないけど!」
「はは、あはは、そうだなごめんごめん! ……んちゅっ……んん……」
為されるままなのは癪だ。なので舌を応じさせた。
普段より力の強いキスに興奮しない訳がない。
どんどん意識が昂っていく。マスターの本気を感じる。
これはこれで楽しい時間になりそうだ。
マスターには悪いが、思いっきりがっつきたいと考えていた俺は自然と胸を高鳴らせた。
「燕青、下を脱いで」
「お」
「全部脱いで。それから両手を出して」
「……ん。いいよぉ……」
「縛るよ。なるべくきつく縛る。燕青なら縄抜けなんて簡単かもしれないけど、抵抗しないで縛られて」
しっかり、きっかり。丁寧に頼み込んできたマスターは、俺の肌にするするとロープを絡ませていく。
「ん……ふっ……」
両腕を前で結ばれる。体中をぐるぐると巻かれる。胸を強調するかのように、鎖骨の下と脇腹の上にロープを通していく。
「ぁ……」
真面目に、真剣に、マスターが俺の体を見つめ、縄で仕立てあげていく。
張りのある女の体の方がロープは映える。固い男の体は縛りにくいだろう。
そして緊縛に慣れていない体はそう簡単に快楽を得られない……だろう。
「は……はは……ぅ……」
笑ってなきゃやってられないぐらい、色々と危惧する点はある。
それでも。真剣な眼差しで虐げるマスターの目を見ていると、自然と期待してしまうものがあった。
「…………っ……」
ああ、これは。やばいかもしれない。
縄の感触で興奮するのではない。このままだと……マスターの眼差しに酔ってしまいそうだった。
悪くない。むしろ良い傾向だ。良すぎて、早くも自分を失いそうになる。
それぐらい俺はマスターに求められるのには、弱いという自覚があった。
「ぁぅ……マスター……」
「えっ。燕青、何? 痛かった?」
あっという間に、責められることに悦んで膨張してしまいそうだ。判りやすい自分の反応に、さすがに情けなくなる。
「い、いいよ……気にしないで、続けて」
腕を縛られ、上半身に縄をかけられた。
律儀なマスターは、次は下へ視線を移す。
主人の命令通り衣服は全て剥いである。下半身を覆うものは無い。
この実験のために俺は恥じらいを捨て、マスターに全てを委ねているのだからそれは当然だった。
「燕青……そこの椅子に座って」
当然なのだが、マスターの珍しい行動は胸の高鳴りを早くするものばかり。予想外の展開に思考が落ち着かない。
言われた通りに椅子に座る。マスターは左腿と左足首をロープで巻きつける。
同じく右腿と右足首も撒きつけ、立てないように縛りあげた。
「うっ……これは……」
さらに、膝を曲げるようにした足首に掛けた縄を、椅子に足に通した縄と結ぶ。
M字開脚の格好を取らされ、両腕を前に縛られてなければ椅子の上で股間を晒す姿勢にされるところだった。
「うわぁ……こんなの……」
両腕を頭の上や、股間を隠すことのできない位置に固定しなかったのは……マスターなりの優しさなのだろうか。
それとも緊縛の心得が無いから、いきあたりばったりの作品になっただけだろうか。
「わ、わりと大胆な縛り方をするね、マスター……」
一本に結ばれた両腕で股間を隠すことはできるが、足は自分で閉じることはできない。
重力に任せて下ろした腕が、自然と開かれた股間を隠すようになる。
決して惨めなポーズではない。
中途半端に優しさが見える作品は、逆に『自分が最後の羞恥の砦を守っている』かのようで、心がざわめいた。
「…………」
声を掛けたマスターは、無言で俺を見つめる。
椅子に縛られた俺を、上から下まで見まわす。
その視線がいやらしい色に染まっていたなら、茶化すこともできた。
けれどマスターは、どこまでも真剣だった。
「燕青の、足の刺青……。まじまじと見たのは初めてな気がする」
「え……」
「ううん、初めてじゃないか。前に……オレのベッドで眠っている燕青を見たとき、いっぱい見たから」
「な、なんだマスター。寝てる俺を見てたのかい。全裸の俺をじいっと見ていたなんて、よくエッチなこと我慢できたねえ。それとも黙ってエッチなことしちゃったかなぁ?」
囃し立てる……そのつもりで軽口を叩いたが、マスターは観察を止めない。
じいっと俺の足に刻まれた刺青を見る。
見下ろして、見定めて、優しく……ちっともいやらしくない指先で優しく撫でて、微笑んだ。
「燕青、綺麗だ。……知っていたけど、毎日思っていたけど、綺麗だ。オレ、忘れていたよ。……オレの恋人がこんなに綺麗だって。」
「まっ、マスター! …………本題! 本題から外れてるって!」
「あ、そうだね」
思ったより張ってしまった大声。
我を取り戻したマスターは謝罪しながら、なぞっていた刺青から放した。
「ええっと、次は……犯されろ、痛めつけられて悦べ、だったっけ」
マスターが後方にあった鞄の中を探る。
中には俺を虐げるに相応しい道具が入っていた。どっかの女王が愛用していた鞭や、体の中を苛むための遊具が入っている。
どうやってマスターがそれらを女王様から借りてきたかは知らない。借りてきた後にどう返すのかも見当がつかない。
一体どんな被虐が待っているのか。
考えて待とうと思っているとマスターは、鞄から鞭を……取り出さずに、俺へ向き直った。
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「ごめん、燕青。燕青を痛めつけるのは、オレには無理だよ」
その一言が出てくるまで、どれほどの時間が掛かったことか。
散々焦らされたが……マスターらしくて仕方ないな、と納得できてしまった。
元々こういった趣味も無い少年に、無理強いをさせてしまった。
半分楽しんでいたが、それも含めて悪いことをしてしまった自覚はある。
謝罪するマスターの言葉に満たされながら、仕方ないなと、頷く。
「痛めつけない。燕青には……好くなってもらいたい。だから、これで勘弁して」
マスターとセックスの相性が良くないと常日頃から思っていた。だけど、幸運だったと思うこともある。
俺は、マスター主体で動かれるセックスは、あまり得意ではないのだ。
嫌ではなく、慣れていないだけだ。抱き合うときに腕を回すのは俺の方が早く、口付けも俺がリードする。
情熱的だが経験の浅いマスター。知識もあって場数も踏んでいる俺がメインで動くセックスは、非常に勝手が良い。
彼にとっては失礼な話だが、俺が俺一人で気持ち良くなる分には、非常に都合が良かった。
だから一方的な愛撫は、いつもと違うから戸惑ってしまう。
何をしてこようにも、抗議の声を上げてしまいそうになった。
「ぁ、ん……ふ……」
俺がリードをする、のだが。
足が固定されているから動けず、両手を括られているから何も出来ない。
「そんな……とこ……舐め……」
剥き出しになったアナルに顔を寄せられ、舌を突っ込まれても、あるがままに喘ぐしかなかった。
そういうこと、マスターは好きでもなんでもないだろうに。
「舐め……そんな、舐めるなって……ぅぅ……」
主導権を奪われた今、何をされてもおかしくない。
ならマスターが一番心地良いことを……縦横無尽にレイプするなり……身勝手にやってもいいのに、尻の穴をちゅるちゅると舐めるだなんて息苦しいことを、よくできる。
やめてもいい、いや、やめるといい。そう上から言い放ったが、マスターは俺の尻を濡らす真似を止めない。
ずっとちゅぱちゅぱと、舌を中へ……俺の奥へと滑り込ませている。
「はぁ……んん……ぃぃ……」
そんなことを丹念にされたら。
それ以上の快楽を、期待して震えてしまうではないか。
「ぁ……ふぁ……ぅぅぅ……」
じれったい熱が溜まっていく。
ちゅっちゅっと可愛らしい音がする。ケツ穴を舐めるというのがどこが可愛らしいというんだ。主人に汚い愛撫をさせてしまっているという背徳感に、ぞわぞわと波を立てていく。
「……ああっ、もうっ、マスター! やめろってぇ……!」
思わず頭を振りたくった。長い髪がみすぼらしく乱れる。
自分でその髪を守ることも、マスターの邪魔になると退かしてやることもできない。
全てマスターに任せるしかないと思い知らされた。
「ううん。オレは頑張るよ、燕青……」
「なっ、なっ……!」
「指、挿れるね」
すぼまる肛肉に、マスターの人差し指が侵入し始める。
「ぁぅ……」
太くないそれが挿入されていくのを感じる。
もっと太いものを受け入れたこともあるそこは、確かに感じてはいたけど、物足りなさに体を揺さぶって……悦ぶ準備を始めた。
「マスター……くぅっ……」
たった一本の小さな指。快楽を生むにはまだ足りない。
だというのにその一本が、俺の中にあるものに『快楽を生みたい』と大声を上げさせた。
指は一本だけ。
ただ中に挿れただけ。ぷつんと侵入して熱を感じているだけ。それだけだ。
「ぁ……ぁあ……」
そこから先に進めば新たな快楽が得られる。ぞわぞわと心地良い波に浸れる。
でもそこから先がなかなか生じない。
マスターは入れるだけ入れておいて、そこから何もしようとしなかった。
「……っ……っっ……」
じれったい。
じれったい。じれったい。
欲しいのに動かすでもなく甚振るでもなく撫でるでもなく、マスターは何もしなかった。
「は……あっ……! そ、そういうの、ひどく、ないかい、マスター……!」
驚くほど甘えた声色で、マスターを茶化す。だが。
「……どうしたんだ、マスター」
縛られながら見上げた表情は、よく判らない。
笑っているのか無表情なのか。何を考えているのか、何も考えていないのか。
よく判らず、甘ったるい声で、短く吠える。
「オレは燕青に意地悪する気はないけど……。燕青の中にいる人に、オレと燕青の睦事を見られるのは、癪に思えてきた」
「……は……?」
「だって、オレは燕青と二人っきりでしたいよ。二人きりで愛し合いたいよ。オレ達は……恋人同士なんだから。だというのに誰か部外者がいるのって、なんだか、嫌じゃない?」
いま思いついたばかりの台詞のようで、歯切れ悪い。
要はマスターが、行為を継続すべきか中断すべきかを本気で考え込んでいるようだった。
「燕青の中にいる『名前も知らない誰か』……。なあ、出ていってほしいな……」
「あ、そ、そうだね……?」
「お願いだ。……オレは、今すぐ燕青を抱きたい!燕青を思いっきり抱きたいんだ! お願いだから、オレ達だけの時間にしてくれないか……!」
「ぅ、ぅぅ、ぅ……!」
なんだその力強い欲望は。いきなりぶつけないでほしい。
その正直さの暴力のせいで、先の展開が始まらないなんて……ひどすぎる!
じれったい責めが始まったまま、終わるでもなく。
気持ち良いことをスタートさせておきながら、もどかしく止まって……焦らして焦らして焦らしまくっているなんて! ひどくないか!
マスターは抱きたいと言っていて、俺は抱いてほしいと思っていて、今まさに俺達は繋がり合える状態であって……だというのに抱かないという展開は、ひどすぎやしないか!
「あ……あ……くぅっ……!」
「燕青、待って! まだオレは、燕青を抱けないよ!」
「あっ、そんっ、なぁ……!」
逃れようと腰を動かす。だが、マスターは強い石を退かそうとはしない。
おかげで的確に俺の理性が溶けていく。
同時に、俺以外の誰かにも焦らしプレイをしているのだ。
「は……ぁぅっ……んんん……」
欲しい。
欲しい、欲しい。動いて。突いて。
抉って、なじって、もっと。
もっともっときつく。してほしい。してほしい……!
俺の体を弄られているのだ、俺自身の気持ちはどんどん昂っていく。
では俺の体を乗っ取って居座っている奴はどうなのか。
体を共有しているのだから、当然昂っている筈なのだ。
――あれ、そういえば、いつの間にかあの声が無くなっているじゃないか――?
縛られて犯されろと耳にタコができるぐらい(鳴り響いていたのは脳内だが)言っていた声はどこにいったやら。
縛られた時点で満足したから消えたのか。……消えたことに、酔いに必死になりすぎて気付いてなかった。
俺はそんなに酔いやすい体だったか? ……いや、そうではなくマスターの目に一喜一憂して夢中になっていた。普段味わえない興奮で満足してしまうなんて……ウブなのは俺だったのかもしれない――。
「ううっ! マスター! もうあいつのことはいい! おくれよ!」
じれったい刺激が欲しくて、腰を揺さぶり、真実を叫ぶ。
「だから、ちょうだいぃ……!」
「いや、ごめんよ燕青、オレは燕青とだけ一緒にいたくて、どうしても……」
「いなくなった! もういなくなったんだよ! だからそんなの考えなくていいから! ……ちょうだい!」
指を引き抜かれる。
もっと突いて欲しくて叫んだのに、マスターはついに何にもしてくれなくなった。
「待っ……! いいんだよ、もう俺達だけなんだ!だからぁ、俺だけにくれよぉ! ……マスターの……俺に……ブチ込んでくれよぉ! おくれよぉ……!」
……マスターが、ウッと何かを呑み込む。
今までは明らかに「仕方ないな」と重い腰を上げるようにして付き合ってくれていた。だけど俺の一言に、ひくひくと不格好に顔を歪ませる。
興奮のスイッチが、入ってくれたらしい。
「燕青……!」
愛おしそうにマスターが俺の名を使って吠える。
ズボンのベルトを外される。そそり立ったマスター自身がムクリと顔を出した。
「燕青! 燕青! 燕青……!」
椅子に固定された腰をガッと掴まれる。俺の痴態を表わす声でしっかりと成長したそれを、拙い指の責めだけで遊んだ穴に擦りつけた。
「ぁ、ぁ、きつい……!」
ごりごり。肉の壁をマスター自身が掻き分ける音を聞く。
「燕青! 好きだよ……! ごめん、燕青のこと全然考えなくて! オレ、燕青を……!」
「んはっ! んはぁっ! はぁっ、んんぅぁ……!」
欲しかったものを得られた。頭がシンプルに白く染まる。
入れられただけで達しそう。ずんずんと押されて、不器用に抱き締められて、さらに達しそうだった。
「もっとっ、燕青のためにっ、いっぱい……変態なこと、してあげたいのにっ」
「ぁ、ぁぁっ! んはぁっ! はぁんっ!」
「ごめんね! こんなっ……! こんなつまらない、ことしかっ、できなくてっ!」
不器用ながらに必死に腰を動かしてくれる。
もっとマスター本位になるよう動いてあげたい。
けど、縛られたせいでただただ求められるだけになる。
俺から気持ち良くなるよう尽くしてあげたいのに、若いマスターのモノに勢い良く突かれるしかない。
「ぁっ、ふっ、んんぅっ、いい、いいんだよ、ますたぁ……」
ごりごり。ずんずん。がつんがつん。
精一杯突かれて、それが繰り返されるのみ。
「マスターが、こうやって、求めてくれるだけで……俺……おれぇ……」
「……! 燕青! 燕青ぃ!」
「くぅっ……!」
真っ白に染まっていった脳内に、今度はパチパチと電気が散るのを感じた。
白くなる以上に、何も考えられなくなる。
自分を保てない。そんなの、いつも通り?
いや、その保てない感覚とは全然違う。……『マスターに全てを任せるから自分なんて無くていい』という、『自分が無くなくたって、全然怖くない』という、未知の感覚だった。
自分が何かをしなくたって、マスターが求めてくれるから、大丈夫。
自分は、彼の淫猥な願望に任せて……愛されていることを酔っているだけでいい。
「ぁはっ! マスター! いぃっ……!」
盛大に絶頂を迎えていいのだ。
マスターの大きさをハッキリと認識しながら、快楽を堪能した。
……マスターが俺から引き抜く。
引き抜いた瞬間、ごぽり、とう体が流れ出るのを感じた。
首を一定方向にしか動かせないため、熱い液体が溢れ出たことしか判らなかった。
「んくっ……ぅぅ……ぅぅぅぅ……」
「はぁ、はぁ……燕青……燕青……」
「あ……。ま、マスター……そろそろ、ほどいてほしいな……」
溢れる愛の液体を拭き取ることすらできない。
愛おしく液体を指で掬うことも、出るなと留めることも……脚を開いて穴をポッカリと見せつけている俺には、不可能な話。
ぜえぜえと息を切らすマスターは、真っ赤な顔で俺を見下ろしている。
だが唾液を何度も舐めた彼は、項垂れた俺に顔を近づける。
そして、そっと唇に……愛情溢れるセックスの終わりを宣言するように、キスをした。
「……マスター……?」
そのまま唇が、俺の耳元へと運ばれていく。
「今日はこれでおしまいにするけど……。また、燕青を縛りたいな……」
一体何を言い出すやら。
彼とは思えぬ一言に驚き、声を上げてしまう。
「……な、なんで……?」
「だって……縛られた燕青を抱くってことはさ……。燕青が、オレのために動いて……大変なことするの、止められるよ……。オレが、燕青を抱けるんだ……。これって、とっても気持ち良いことじゃない……?」
邪悪な笑みなんてものでは、ない。
でもマスターに似合わぬ不埒な提案だった。
「……燕青を愛したい。ひどいことはしたくないけど、オレ……燕青を強く強く愛したい」
「…………」
「ダメかな……?」
「……………………」
嫌ならやらないよ、と言わんばかりの子犬のような目が、……とてもいやらしい。
そんな目をされたら、「いいよ」って言うしかない。言うしかないじゃないか。
拒絶するにもできないではないか。
……純情で清純な少年マスターになんてことを言わせてしまったのだ。言わせるように仕向けてしまったのだ?
俺はひどい従者だな……と笑い飛ばしてやろうとしたとき。
『もっともっとイキ果てろ』
おかわりの注文が聞こえてきた。
誰かの声め、なんてことを言う。
だがこの声が四六時中聞こえていたら、俺は多くの仲間達の前で卑猥な声と戦う日々を送らなくてはならない。
だからマスターに対処してもらわなければ……。
もう、やめよう。
誰の声だと白を切るのは、やめよう。どう考えたって今の声は、俺自身のものなのだから。
それに、この主人ならどんなことを言ってもきっと受け入れてくれる……かも。
もう、言い訳は不要だ。
END
マスターに激しく抱かれたい新宿のアサシンはかわいい。
2018年11月1日